teleSUR
July 12, 2026

4つの重要な教訓:「テレスル」の報道局が震源地から伝えたこと

4 Powerful Lessons teleSUR Venezuela Earthquake Coverage
Brings From the Epicenter



はじめに

「テレスル」(teleSUR)報道局は、現地で2度の地震を直接体験した記者たちが、自らも苦しみながら、救助に加わり、国の再建に参加する物語を伝えています。

ベネズエラ地震の報道は、カラカスにある本部を揺るがした連続地震が発生したまさにその瞬間から始まりました。それからのすべては、ニュースルームそのものがニュースの一部となりました。

それらを一本の映像にまとめたレポート、「震源地での厳正な報道」“Rigor at the Epicenter” では、史上最も壊滅的な地震に見舞われる中で、ジャーナリスト、カメラマン、特派員たちが、恐怖や個人的な喪失体験、そして職業上の義務を同時に乗り越えなければならなかった様子が率直かつ克明に描かれています。


二重地震の瞬間のニュース・ルーム

6月24日(水)18時04分に最初の揺れが起きた数分後、スタッフたちは複雑な生中継作業が始まることを覚悟しました。テレスールのカラカス支局は、物理的な被害だけでなく、業務面でも本来業務の混乱、震災被害の評価と対応という二重の混乱に見舞われました。

非常電源によりカメラの電源が入りました。報道スタッフは、たとえ自分の家族が危険にさらされていたとしても、情報は待ってくれないということを熟知していました。そしてプロフェッショナルならではの直感で、即座に行動を開始しました。

今回のニュースは、いつもと違い、遠く離れた場所での出来事ではありません。震源地は地元にあり、そのニュースはニュースルームのジャーナリストたちのすぐそばにまで迫っていました。

キャスターのパオラ・ペレスはこう振り返っています。

「2回の地震が過ぎ去ると、間違いなくほとんどの同僚が恐怖に襲われた。別の地震が2回あったことも自覚していなかった。しかし、私たちは生きた情報を届けなければならなかった。だから私たちが最初にしたことは、カメラを屋外に送り出すことだった」

特集「震源地での厳正な報道」は、2026年6月24日の地震発生後、テレスルがベネズエラの地震報道をどのように展開していったかを振り返るものです。

ジャーナリストのエミリー・カロは、情報を伝え、物語を紡いでいた人々自身が、いかにしてこの災害に立ち向かっていたかを語っています。彼らは放送局を飛び出し、放送信号をたどりながら、瓦礫だらけの街を歩き回りはじめたのでした。

地震発生の瞬間から、「ベネズエラは再生する」と題された特別報道が始まりました。この報道は、死傷者数や物的損害といった表面的な数字にとどまらず、家族や生存者、被災者を受け入れる人々の物語に焦点を当てるものとなりました。
ベネズエラの地震報道は、単なる統計情報から、深く人間味あふれる視点へと転換していきました。


ベネズエラ地震報道:苦しみ、誤報、そして団結した国

レポーターのマデレイン・ガルシアは次のように語っています。

「地震を感じたとき、彼女の頭に真っ先に浮かんだのは、ハイチとトルコでの過去の報道でした」

彼女は、自然によって打ち砕かれた夢や、途絶えてしまった命の物語を思い出し、災害がベネズエラにも及んだ今、同じような物語をどのように伝えるべきか自問しました。

自問に対する自答は鏡となりました。カメラは放送局とそこに働く人々へと向き直りました。誰もが極度の緊張のもとで、あの数秒間に何が起きたのかを理解しようとしていたまさにその時、現在も続いている特別報道が開始されたのです。

「鋼の神経」と評されるジャーナリスト、ユナルキス・パエス氏は、一度も放送局を離れませんでした。「家族から電話がかかってきている」と、彼女はそう伝えたときのことを振り返る。
「家族に、私は無事だ、何も変わりはないと伝えてほしい」

彼女は同僚たちと共に、今日まで続く震災報道のための放送回線を立ち上げました。司会者のアーロン・ロメロは妻に連絡を取ろうとしたが、うまく繋がりませんでした。
「妻はテレビで私の姿を見たとき、初めて私が無事だとわかったんです」と彼は振り返りました。涙をこらえるような沈黙が続きました。

情報局長のジャン・プエンテは、家族が無事かどうか確認できませんでした。そして、もし無事なら電話がかかってくるはずだと自分に言い聞かせたことを覚えています。
ようやく電話がかかってきました。その一通の電話が、彼が仕事を続けるために必要な心の支えとなりました。

テレスルにとって、その痛みは他人事ではありませんでした。パブロ・ゲレロの家族は、カラカス支局にとって最も深い傷の一つであった。彼の家族が瓦礫の下に閉じ込められていたのです。
これはもはや単なる取材対象のニュースではなく、チャンネル全体が共有する “我々にとっての悲劇” となっていました。

記者たちは、涙のために取材を中断し、一瞬カメラを下ろし、ハンカチで顔を拭いました。たとえ面識がなくても、瓦礫の下に閉じ込められた人々の家族を抱きしめなければなりませんでした。犠牲者たちの涙と、ジャーナリストたちの涙は被災者みなと分かち合われました。

最激震地となったグアイラ州では、テレスールの取材チームが現地で数十時間にわたり取材を行いました。ジャーナリストのルイス・ギジェルモ・ガルシアがその様子を語ります。

最も辛かったのは、愛する人を探し求める親族たちが泣き崩れ、絶望している姿を見ることでした。それからしばらくして、人々が事態の深刻さを完全に理解し始めた瞬間を目の当たりにすることでした。



もう一つの「地震」:偽情報と、ベネズエラ国民の激しい反発

自然災害に加え、テレスールの記者たちはもう一つの「地震」、フェイク情報という激震に直面しました。救助隊が活動を強化する一方で、ソーシャルメディア上ではパニックを煽り、緊急対応を妨げるデマが拡散されました。

最も深刻だったのは、いわゆる津波に関する噂だった。
ある時点で、治安部隊や生存者が殺到したため、グアイラ州は人波の渦と化し、交通が麻痺し、捜索・救助活動が一時中断を余儀なくされた。

teleSURのベネズエラ地震報道は、危機の最中に誤った情報がいかに直接的に人命を危険にさらすかを明らかにしました。副大統領府の責任者ディオスダド・カベージョ氏は、この噂を否定し、「結局はグアイラ州民に害を与えようと、良心の呵責もなく行動した者たち」を非難しました。
これに前後して公式情報が住民に伝わると、救助活動は直ちに再開されました。


チリ在任時代から地震取材の豊富な経験を持つテレスル特派員のパオラ・ドラグニックは、「悲劇を悪用することは犯罪だ」と断言しました。
彼女は主張しました。「その痛みを道具や武器として利用することは、犯罪であるべきだ」と
「人々に不安を煽り、二次被害を生み出し、社会の絆を断ち切ってしまう。社会的絆が断たれてしまえば、国はこのような状況に立ち向かうことができなくなる」 
彼女の考察は、災害に見舞われた社会において、偽情報が引き起こしうる長期的な被害を浮き彫りにしました。

壊滅的な被害の規模にもかかわらず、取材体制を強化するために現地へ駆けつけたチリ、キューバ、エルサルバドル、コロンビアの特派員たちは、ただこの一点で意見が一致していました。
「ベネズエラは今、一つの拳となっている。」
 二重の地震に見舞われた州は、苦痛の地図を形作っています。

—ヤラクイ(震源地)、ファルコン、ミランダ、トルヒーリョ、カラボボ、アラグア、カラカス、ラ・グアイラ(悲劇の震源地)—

しかし、それらはまた、ベネズエラの人々の強さと確固たる決意をも示しています。
「ベネズエラは再生する!」Venezuela will be reborn

デルシー・ロドリゲス大統領代行は、すべての人々に向けて次のようなメッセージを送りました。
「国民が団結すれば、この苦難は乗り越えられる」

そうした状況下で、テレSURのベネズエラ地震報道は、大事な放送課題を抱えている。それは、再建の物語や、困難の中でも立ち上がろうとする人々の物語を消し去ることなく、苦痛の物語をも隠さず伝えることです。


今回の地震を取り巻く地政学的背景

テレSURのベネズエラ地震報道は、ラテンアメリカにおけるメディア、主権、そして人道的な物語の交差点に位置している。

テレSURは、現地の声、救助隊員、そして現場の記者たちの感情的な軌跡に特別な焦点を当てる方針を採りました。この方向を選択することで、災害を単なる数字にせず、遠く離れた光景に還元せず、通り一遍の報道モデルに対抗する立場を貫くという方針を打ち出しました。
そのアプローチは、情報そのものが連帯と国家の回復力の手段であるという考えを強調しています。

この報道姿勢は、政治的目的や社会を不安定化させる目的で悲劇を利用しようとする動きに対抗するものでもあります。津波に関する偽情報や未確認の数値は、制度への信頼を損ない、社会的結束を分断する恐れがあります。

teleSURが検証済みのデータと当事者の証言を重視するのは、主権的な情報空間を強化することを目的としているからです。そこでは、ベネズエラの人々が、自分たちの痛みを共有する広場を形成し、声を通じて、自らの現実が反映され共感が形成されているのを見ることができるのです。

より広く見れば、この地震とその報道は、近隣諸国に対し、共同体活動が災害管理の一環であることを再認識させるものです。ラテンアメリカでは、繰り返される地震や気候変動により、衝撃がもたらされています。災害に続く社会混乱に直面するなかで、公共放送局、地域共同体、そして責任あるジャーナリズムが強固に形成されるならば、その役割は “戦略的な資産” となっている。

teleSURによるベネズエラ地震の報道は、事実に基づく科学的な報道と人間味あふれる実話やエピソードを融合させた報道モデルを示しています。

それは、社会をどのように支えていくべきか、トラウマからの回復、復興の過程での社会構造の再建などに資するものです。今回の報道実践は、それらの過程を進めるうえで地域メディアの取るべき指針を提供していると言えるでしょう。


fin

編集後記: 日本でも神戸大震災以降、被害者目線の、現場優先の実践的な報道姿勢が問われるようになりました。科学的見地の確保、お上の批判やお涙頂戴にとどまらない、報道そのものが再建に係るありかたが随分定着してきたように思えます。
外国の大規模災害報道においても、報道機関そのものが連帯姿勢を明らかにし、公的機関や共同体、ボランティア組織への共感を示しつつ報道に当たるべきではないでしょう、いずれ過不足や不公正などの問題は出てくるでしょうが、その時も初動での積極的な取り組みを行ってこそ、当局批判の姿勢にも説得力が生じるというものです。
この書き方なら、ベネズエラ震災募金などやらないのだろうかなぁ

ところで4つの教訓はよく分かりませんでした。LA文献にはよくある現象です。