グレン・ディーセンのインタビュー・サイトについに有料登録した。これだけ重要発言が満載されていると、ほとんど本棚1杯分の情報だ。仕方ない
1ヶ月前のインタビューで、Ray McGovernが登場するものがあった。
というタイトルで、最近のロシアの動きを分析するものだった。ディーセン坊やが最近やや悲観的になっているので、少し励ます雰囲気もあったかも知れない。
Ray McGovern:American political activist and former Central Intelligence Agency (CIA) officer.
Ray McGovern:American political activist and former Central Intelligence Agency (CIA) officer.
この対談の最後に、マクガバンが話の置き土産にしたのが、1963年6月にケネディがアメリカン大学で行った演説だ。
マクガバンはここから、次の一節を引き出している。
「なんとしても避けなければならないことは、相手に破滅的な結果をもたらす可能性のある選択を迫ることだ」
そしてこう付け加えた。
「それをバイデンはやってしまった。そして解放されたウクライナに核基地を建設しようと企んだ」
マクガバンがケネディから学んだ平和共存の極意が、“急所外し” だったということだ。
ラテンアメリカの歴史を学んだ私にとって、ケネディ演説は「進歩のための同盟」のお手本であり、ラテンアメリカにおける各個撃破政策のお手本だった。それが当時CIAに入りたてのマクガバンにとっては、今日まで続く外交官キャリアの出発点だった。チェにとっては…
というページが有って、キャンパスの卒業式での実況録画だ。
視力障害者にはなかなか辛い日本語字幕なので、雰囲気だけ味わったうえで、AI に行く。あまり全文を読むほどではないと思うので。
ケネディ大統領の戦略は、冷戦をゼロサムゲームと見なす考え方から転換した。その代わりに、「平和共存と核のコントロール」という目標を立て、以下の柱に基づいて構築された。
※ 革命ではなく進化:
平和とは、人間の本性の瞬間的な変化に頼るのではなく、「人間の制度の漸進的な進化」と具体的な合意に基づくプロセスである。
※ 共通の人間性:
ケネディは、「我々は皆、この小さな惑星に住み……同じ空気を吸い……子供たちの未来を大切にし……そして皆、死すべき存在である」と強調した。
※ 核軍備管理:
この戦略は具体的な措置へと直結し、最終的には「部分的核実験禁止条約」の締結に至った。
という前フリがあって、
※ 単に戦争がないことではない:
真の平和は、地球上の生活を「生きる価値のあるもの」にし、各国が成長し、希望を抱くことを可能にする。
※ 姿勢の再検討:
彼はアメリカ国民に対し、ソ連を「同様に戦争を忌み嫌う国」として捉えるよう呼びかけ、双方が共通の利益に焦点を当て、相違点を解決するよう促した。
という前フリがあって、
核拡散を抑制し、より安全な世界を築くためのJFKの戦略が遺した不朽の遺産と中核となる原則については、以下をご覧ください:
と続く。
と続く。
アメリカン大学での演説(1963年)
1963年6月10日に行われたこの卒業式演説は、ケネディの平和に向けた枠組みを概説したものです。これは今もなお、彼の最も称賛される演説の一つとして知られています。
これもグーグルAIによる。ウィキはすっかり影が薄くなった。内容的な偏りはAIのほうが少なく、安心できる。ただし数の論理に圧倒されることもなしとせず、今後は平均値ではなく中央値がもとめられるかも知れない。何らかの形で棲み分けがもとめられることになろう。
ケネディ大統領がアメリカン大学の卒業式で行った演説は「平和の戦略」として知られています。冷戦下の核軍縮を訴え、ソビエト連邦との対話と部分的核実験禁止条約(PTBT)の締結へと道を開いた歴史的な名演説です。
演説の主な内容は以下の通りです:(日経新聞から引用したことが記されており、妥当である)
- 平和の再定義: 単なる戦争の不在(消極的平和)ではなく、「地球上での生命を生きるに値するものにし、人々や国家が成長し、希望を抱けるようにする平和」を追求すべきだと主張しました。
- ソ連との対話: 核戦争の恐怖を前にして、アメリカとソ連は共通の利益を持っていることを強調し、体制の違いを超えて共存を模索する必要性を訴えました。
- 核軍縮への布石: この演説の直接的な成果として、わずか数ヶ月後の8月に米ソ英による部分的核実験禁止条約(PTBT)が調印されることになります。
以上
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