Global Times
Published: Mar 29, 2026 08:59 PM
OPINION / VIEWPOINT
EUと米国の経済的・地政学的利益の乖離は、もはや誰の目にも明らかだ
Disparity between the economic and geopolitical interests of EU and US
can no longer be denied
can no longer be denied
編集ノート
大西洋を挟んだ両側では、米国の外交政策の大幅な転換に伴い、貿易、産業政策、戦略的自律性の問題で米国とEUの意見の相違が再び燃え上がり、大西洋を挟んだ結束に大きな亀裂が生じ始めています。
このような状況の中、環球時報(GT)は「広がる大西洋の亀裂」と題した論説シリーズを開始し、国内外の学者や専門家に意見を寄せてもらっています。
GTの王文文記者とのインタビューで、欧州議会のドイツ人議員であるマルティン・ゾンネボルン(Martin Sonneborn)氏が語ります。彼はEUの利益と米国の利益の相違が広がったと認め、「これからはEUの政治指導者が国民の認識の違いに対処していかなければならないだろう」と述べました。
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イラン戦争で米・欧の亀裂がさらに深まる?
GT:
米国・イスラエル・イランの対立が激化するにつれ、米国と欧州の大西洋同盟がさらに分裂を深めつつあるように見えます。イラン戦争は大西洋同盟をどのように変容させるでしょうか?
ゾンネボルン:
2022年以前の比較的平和な長い期間、NATOは自らの存在意義を問われることが増えていった。大西洋横断的な傾向を持つ人々を含め、ますます多くのヨーロッパ人がこの同盟の意義を見出せなくなっている。例えばフランスのマクロン大統領がNATOを「脳死状態」と評したことにも表現されている。
ウクライナ紛争の勃発は当初、同盟が長年求めてきた大西洋間の同盟に存在意義を与えたように見えた。しかしそれは、大西洋横断主義の視点からすれば逆方向過程の始まりでもあった。それはイラン戦争によってさらに激化した。
かつては、ヨーロッパとアメリカの利益は同一であるとの主張は正当に見えた。しかしいまではこれまで隠されてきた深い矛盾が明るみに出た。アメリカとイスラエルによるイラン戦争において、 EUと米国の経済的・地政学的利益の乖離は、もはや否定できない。
北大西洋の同盟は、旧植民地主義者の同盟だった
GT:
この乖離は修正可能だと思いますか、それとも不可逆的だと思いますか?
ゾンネボルン:
私はこのプロセスは不可逆的だと考えています。欧州の人々は、EUの利益と米国の利益との間に根本的な相違があることを認識するようになりました。EUの政治指導者たちは、遅かれ早かれこの現実に対処しなければならないでしょう。
EUが現在の危機的状況を乗り越えるためには、重大な決断を迫られることになる。重大な決断とは、その存続そのものを左右する決断だ。市民の根本的な利益、他文化への敬意に関わる決断だ。
我々は世界の権力中枢(米国)との平和的共存を実現しなくてはならない。もはや世界の一級市民ではないことを念頭に置いて、史上初めて自律的に自らを再配置しなければならない。それを学ぶことを拒否すればどうなるか。その結果、米国の周縁に配置され、従属させられ、搾取される発展途上国となり、自らが「衰退する帝国の最後の主要植民地」として歴史に名を残すことになる。
植民地主義、全面的収奪、そして体系的搾取のまさに発明者であるヨーロッパ人が、かつてヨーロッパの富と権力の基盤を築いたアメリカ、アフリカ、アジアでの苦難を経験した人々と同じ運命を辿ることになる。それは恐ろしいほどの歴史的皮肉と言えるだろう。
ヨーロッパ自立のためにもとめられる課題
ヨーロッパ自立のためにもとめられる課題
GT:
このところ、ヨーロッパでは戦略的自律性を求める声が上がっている。ヨーロッパはそのために、どのような課題に直面しているのだろうか?
ゾンネボルン:
最大の課題は、具体的な政治行動にありますが、私はむしろ政治行動に必然的に先行する政治思考にあると考えています。根本的な問題は、今や時代遅れとなったヨーロッパの政治家の精神的傾向です。
70年を経て、ヨーロッパとアメリカの非対称的な関係はすでにひとつの歴史的概念ー大西洋主義の教義とさえなっています。それは広く浸透し、ヨーロッパの自己イメージの根本的な部分となっています。今ではほとんどの人がヨーロッパ自身の独自の利益を認識することもありません。
ヨーロッパの独自性を公然と表明すること、時によりアメリカと直接対立することは、率直に言って、一部の人々には異端と映るでしょう。しかしEUが、歴史的、イデオロギー的な依存から自らを解放しようとするなら、まさにここから始める必要があるのです。
「集団安全保障体制」は冷戦時代の遺物
GT:
最近のアメリカは、同盟国に対して相互主義を押し出す傾向があります。同盟国が恩恵を受けるならば、同盟国も恩恵を与えるべきだと考えています。それはとくに集団安全保障を議論する際に特徴的です。
その考えは、現代においてもまだ当てはまると思いますか? 米国はヨーロッパに安全保障を提供しているのか、それとも実際には安全保障上の脅威なのか?
ゾンネボルン:
それは集団安全保障の概念に遡ります。集団安全保障の発端は冷戦時代、二つの陣営間の激しい対立に遡ります。それは2つの覇権の対立という構造が生み出したものです。
集団安全保障の枠組みとなる二つの陣営間の対立は、旧ソ連崩壊後に消滅しました。これにともない集団安全保障本質的意義を失いました。
さらに米国が支配する一極支配構造も目的を失い、覇権秩序自体が崩壊しつつあります。それは実際には「アメリカ戦争」、つまり米国が自らの世界的覇権を維持するための道具立て「パックス・アメリカーナ」と化しています。
そのために倫理的タガが外れ、遠心力が働くようになり、これを抑えるためにアメリカの支配の仕方がますます暴力的になる。このようにして世界は徐々に一極支配から多極化世界に移行しつつあります。
いま「集団安全保障」の概念は、このような流れを踏まえて、現代的な意味合いを帯びなければ生き残ることはできません。
多極化世界には「ウェストファリア体制」がふさわしい
かつての多極化世界の「集団安全保障」は個別的安全保障の積み上げ体制でした。ヨーロッパの歴史を背景に考えるなら、ウェストファリア条約が指導原則としてここで言及されるべきです。
そこでは交戦当事者が、戦争と外交、戦闘と調停、砲撃と交渉を、相互に関連する包括的なプロセスの一部として捉え、利害のバランスを取っていました。個別の紛争は長期にわたるプロセスでした。相互の権力が持つ利害を勘案し、妥協する強い意志と具体的な手立てを通じて、最終的に和平合意と汎ヨーロッパの安定へと至ったのです。
ある。私はこの歴史的でありながら普遍的な理解を支持しています。アメリカの二元的思考はドイツの哲学者カール・シュミットの敵味方二元論から借用したものですが、一面的なものです。このような二元論がEUで蔓延している限り、ヨーロッパに進歩はなく、平和への道も開かれないでしょう。
いま、旧植民地勢力(イギリス)と新植民地勢力(アメリカ)が、ラムシュタインからキプロスまで、ヨーロッパ大陸全体に治外法権的な軍事基地を維持しています。侵略戦争を遂行するために軍事基地を利用するなら、ますます多くのEU市民がNATO同盟を保護の源ではなく脅威と見なすようになって行くでしょう。
従属的軍事同盟反対の下からの声を!
GT:
ドイツ人欧州議会議員として、どのようにして自国政府、ひいてはヨーロッパ全体に、ワシントンからより独立した外交・安全保障政策を求めるよう説得するつもりですか?
ゾンネボルン:
最終的に、国やヨーロッパの当局者やいわゆる政治エリートに圧力をかける唯一の方法は「下から」です。これは民主主義の基盤からしか生まれず、市民の意識向上と政治教育を粘り強く行うことによってのみ達成できます。
以上
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訳者感想
おそらくEU議会内左翼の発言と思うが、「集団安全保障体制は冷戦時代の遺物」というのは、まったくの誤りだ。ウェストファリア体制を成り立たせたのは、19世紀を通じての南の世界からの激しい収奪であった。欧州内では比較的劣位の国であっても、グローバルに見れは立派な植民地主義の王国だ。「金持ちケンカせず」が列強の融和体制の基盤だった。
問題はそれにもかかわらずウェストファリア体制(多覇権国体制)が2つの世界大戦を生んだところにある。彼らのいう多極化論が19世紀への逆戻りであるとすれば、それは過ちの上に過ちを繰り返すことにほかならない。
たしかに「集団安全保障体制は冷戦時代の遺物」ではあるが、それは全体として世界の進歩の方向での足跡であり、正確に理解したうえで、教訓化し引き継ぐべきものとして考える事が大事だ。
我々は、市場至上主義とスターリン主義を生んだ冷戦の不幸を忘れてはならないが、、その間に生まれた世界100カ国の独立、2つの人権憲章、WHO憲章などが、冷戦時代だったからこそ成立した経過についても押さえておくべきだ。20世紀後半における国際進歩の足跡を、何らかの価値観のもとに切り捨てるのは正確ではない。
わたしたちの目指すべき諸国間関係は多極化世界にあるのではなく、多国間主義(マルチ・ラテラリズム)にある。残念ながら非欧米世界では多極化論と多国間主義は未だ解決されていない問題だ。
グロ-バルサウスはその多くが非同盟諸国に属しており、したがって多国間主義についている。ロシア・中国・インドなどのBRICS諸国には、米国に゙代わり覇権を掲げたいとの欲望がちらつく。
これまでグロ-バルサウスは多極化論について厳しく批判はしてこなかったが、今後はそうは行かない局面が出てくることを覚悟しなければならない。
それとともに時代はいま大転換を要求しているということも忘れてはならない。そしてその牽引役となっているのがイラン・ロシア・中国であることを認識して置かなければならない。つまり2026年4月といういま、わたしたちの標語はマルクスの唱えたものと同じだ。
「大胆なれ、さらに大胆なれ、常に大胆なれ」(ダントン)
以上
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訳者感想
おそらくEU議会内左翼の発言と思うが、「集団安全保障体制は冷戦時代の遺物」というのは、まったくの誤りだ。ウェストファリア体制を成り立たせたのは、19世紀を通じての南の世界からの激しい収奪であった。欧州内では比較的劣位の国であっても、グローバルに見れは立派な植民地主義の王国だ。「金持ちケンカせず」が列強の融和体制の基盤だった。
問題はそれにもかかわらずウェストファリア体制(多覇権国体制)が2つの世界大戦を生んだところにある。彼らのいう多極化論が19世紀への逆戻りであるとすれば、それは過ちの上に過ちを繰り返すことにほかならない。
たしかに「集団安全保障体制は冷戦時代の遺物」ではあるが、それは全体として世界の進歩の方向での足跡であり、正確に理解したうえで、教訓化し引き継ぐべきものとして考える事が大事だ。
我々は、市場至上主義とスターリン主義を生んだ冷戦の不幸を忘れてはならないが、、その間に生まれた世界100カ国の独立、2つの人権憲章、WHO憲章などが、冷戦時代だったからこそ成立した経過についても押さえておくべきだ。20世紀後半における国際進歩の足跡を、何らかの価値観のもとに切り捨てるのは正確ではない。
わたしたちの目指すべき諸国間関係は多極化世界にあるのではなく、多国間主義(マルチ・ラテラリズム)にある。残念ながら非欧米世界では多極化論と多国間主義は未だ解決されていない問題だ。
グロ-バルサウスはその多くが非同盟諸国に属しており、したがって多国間主義についている。ロシア・中国・インドなどのBRICS諸国には、米国に゙代わり覇権を掲げたいとの欲望がちらつく。
これまでグロ-バルサウスは多極化論について厳しく批判はしてこなかったが、今後はそうは行かない局面が出てくることを覚悟しなければならない。
それとともに時代はいま大転換を要求しているということも忘れてはならない。そしてその牽引役となっているのがイラン・ロシア・中国であることを認識して置かなければならない。つまり2026年4月といういま、わたしたちの標語はマルクスの唱えたものと同じだ。
「大胆なれ、さらに大胆なれ、常に大胆なれ」(ダントン)
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