民医連の共済だよりという雑誌が定期で送られてくる。普段はあまり目を通すことがないのだが、たまたまページを繰ってみた。斎藤貴男さんのコラムが連載されているようだ。もう93回にもなる。
以前から、斎藤さんには共感していて、真っ直ぐな論建ての清々しさに共感を覚えていた。
しかし「本格的な帝国主義時代の到来」を語った今回のコラムはいただけない。
帝国主義というのは、支配者の世界支配の仕方を指す言葉である。我々にとって「帝国主義」とは、帝国主義勢力があって、これにわたしたち被抑圧者が対抗していく「時代」として捉えなければならない。
ところが斎藤さんの事実認識としては、抵抗するものとしての「我ら」についての認識(歴史の弁証法)が欠落しているとしか思えない。
「マドゥロ政権の圧政はたしかに酷かったらしい。過去10年間で人口の4分の1が国外に逃れたほどだという」と書いて、「あれっ」と思わない批判精神の低下はどういうことだろう。
それらがすべて真実だと仮定して、数千%のインフレ、人口の大量流失などが「圧政の結果」だとするなら、こんな小さな国の政府にそのような「圧政」などできるわけないのだ。そこに行く前に確実に潰れる。それが「蓋然性」というものだ。そう考えるのがジャーナリストだろう。
そこまで行っても潰れないのはなぜか? 国民が誇りを失わないのはなぜか? と考えるのがジャーナリストだろう。そうやって初めて、ベネズエラに恐怖するトランプの真意が理解できるのだ。
ベネズエラもひどいが、キューバはもっとひどい状況に置かれている。だがそれでも、彼らは誇りを失っていない。
このようなひどいいじめをするのが帝国主義であり、そのような仕打ちにも耐えて民族の誇りと、生活を守っているのが、それ以外のアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国の人たちだ。そして、そうやって、今の世界は存在し、世界の人々は少しづつでも前進している。だからその結果、「本格的な帝国主義」の時代、「資本主義の最後の時代」をいま我々は迎えようとしているのではないだろうか。
斎藤さんのような素晴らしい資質を持った人に、ぜひ、先進国メディアの目ではなく、中堅国家・新興国家・途上国の動きに直接触れてもらうよう望みたい。日本AALAの仲間は喜んでお手伝いをするでしょう。
以前から、斎藤さんには共感していて、真っ直ぐな論建ての清々しさに共感を覚えていた。
しかし「本格的な帝国主義時代の到来」を語った今回のコラムはいただけない。
帝国主義というのは、支配者の世界支配の仕方を指す言葉である。我々にとって「帝国主義」とは、帝国主義勢力があって、これにわたしたち被抑圧者が対抗していく「時代」として捉えなければならない。
ところが斎藤さんの事実認識としては、抵抗するものとしての「我ら」についての認識(歴史の弁証法)が欠落しているとしか思えない。
「マドゥロ政権の圧政はたしかに酷かったらしい。過去10年間で人口の4分の1が国外に逃れたほどだという」と書いて、「あれっ」と思わない批判精神の低下はどういうことだろう。
それらがすべて真実だと仮定して、数千%のインフレ、人口の大量流失などが「圧政の結果」だとするなら、こんな小さな国の政府にそのような「圧政」などできるわけないのだ。そこに行く前に確実に潰れる。それが「蓋然性」というものだ。そう考えるのがジャーナリストだろう。
そこまで行っても潰れないのはなぜか? 国民が誇りを失わないのはなぜか? と考えるのがジャーナリストだろう。そうやって初めて、ベネズエラに恐怖するトランプの真意が理解できるのだ。
ベネズエラもひどいが、キューバはもっとひどい状況に置かれている。だがそれでも、彼らは誇りを失っていない。
このようなひどいいじめをするのが帝国主義であり、そのような仕打ちにも耐えて民族の誇りと、生活を守っているのが、それ以外のアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国の人たちだ。そして、そうやって、今の世界は存在し、世界の人々は少しづつでも前進している。だからその結果、「本格的な帝国主義」の時代、「資本主義の最後の時代」をいま我々は迎えようとしているのではないだろうか。
斎藤さんのような素晴らしい資質を持った人に、ぜひ、先進国メディアの目ではなく、中堅国家・新興国家・途上国の動きに直接触れてもらうよう望みたい。日本AALAの仲間は喜んでお手伝いをするでしょう。
コメント
コメント一覧 (1)