Wiki版「ブチャの虐殺」を史料批判する
その2



虐殺の記録
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During the Russian offensive

3月4日、ロシア軍は犬シェルターへ食料を届けた帰路にあった非武装のウクライナ人市民3名を殺害。以下すべて市民のみ。
3月5日 避難を試みる車二台にロシア軍が発砲。4人が死亡。
3月7日、フェドロウク市長はAPに、ブチャの状況を「悪夢」と表現。「重火器による砲撃が続き、遺体すら回収できない」と語る。
(重火器による砲撃が続いたのは潜伏ゲリラ対戦車砲と戦車砲の応酬があったことを示唆する。ウィキでは戦闘状況はずっと触れられない)

このあと3週間にわたり情報途絶。

3月28日、フェドロウク市長は地元紙に「ロシア軍がブチャで殺害と強姦を行った」と非難。「大戦中にナチスが行った犯罪として聞いたすべての恐怖を目の当たりにしている」と語る。
(訳注:町長は地方紙を相手に話を盛り始めている。3月7日、及び4月1日の発言と比較すれば、ウィキが実事求是を逸脱し、根拠無しにそのまま引用していることも分かる)


After the Russian withdrawal

4月1日、
*ロシア軍の撤退後、ソーシャルメディアに民間人の大量死傷者を映した映像が投稿された。 [29][53]
*フェドロウク市長によれば、同地域で発見された遺体の中には「数百人のロシア兵」も含まれていた。[54]

これらの記述は、撤退直後の脚色なしの記録として貴重である。不思議なのは市長の話で、数百人のロシア兵遺体などあり得ない。撤退時に全員収容したはずだ。「この遺体はどこそこの誰それさん」という話がないことも不思議だ。これらが示すことは唯一つ、彼が死体を見ていないこと、当局の命じるままに証言していることだ。

その後、ロシア軍が犯した戦争犯罪を示すと思われる(that appeared to show war crimes)さらなる証拠が明らかになった[55]。
(訳注: ここからはキーウ側の主観が入ってくる。数百のロシア兵が死んで数百の「市民」が死んだとして、数百のロシア兵を殺したのは誰だ?


「ウクライナ領土防衛軍」発の情報
 
ここからは直後に入市した(おそらく民兵)、その後のウクライナ軍による発表である。
(その内容はハマス攻撃直後の、「赤ん坊40数人が虐殺された」というイスラエル民間情報にも似て、凄まじいデマ情報の垂れ流しである)

現場に入った兵士の証言。「ウクライナ領土防衛軍の兵士らは、ブチャ近郊ザブチヤのサマーキャンプ地下室で、男女及び児童の切断遺体18体を発見したと述べた。兵士の一人は、遺体のいくつかは耳を切断されたり歯を抜かれたりしており、インタビューの前日に遺体が撤去されていた

(これは重大かもしれないが、排除すべき証言であろう。ただしすでにロシア軍はいないのだから、誰が撤去したのかという疑問は残る)

ウクライナ軍が公開した映像には、地下室に拷問室と思われる場所が映っていた。
米国政府系メディア組織RFE/RLの報道では、この地下室はロシア軍が使用した「処刑用地下室」と描写されている。
(訳注: 米国政府系メディア組織とはちゃんちゃらおかしい。RFE/RLはCIAの運営する謀略放送である)

西側大手メディアが一体となった報道合戦

(引用された記事によれば)4月3日、Journalists entering the city discovered the bodies と書き出される。(訳注: “were shown” と書くべきであろう。これではエンサイクロペディストの名がすたる)
十数体確認された遺体は民間人の服装だった。(これらの集められた遺体とは別に)民間人遺体がいくつか、路上に放置されていた。[54]

ここまでが記者団の見たもの。ついでウクライナ軍将校の発言。「女性(複数)の遺体もあり、それらはレイプされており、さらに焼かれていた」

次が地元紙キーウ・インディペンデントのレポートの紹介。
「毛布の下に横たわる男性1人と裸の女性2~3人の写真」が掲載され、次のコメントが添えられていた。「ロシア兵は逃走前に道路脇でこれらの遺体を焼却しようとした」
(これらは冒頭にあげた第4次資料に相当すると思われる)

次はおそらく同じ記事の別の写真。「ロシア軍が組織的にウクライナの民間人男性を標的に殺害した」との表題が添えられている。
「犠牲者の多くは買い物袋を手に、日常の行動をしていた。…別の映像では、自転車の横に死体が横たわっていた」、「多くの遺体は両手を後ろで縛られ」ていた。
(なんともはやの裏付けなし報道。ここから西欧メディアの良識はプッツンする)

その後大手メディアが一斉に発信を始めた。
(訳者注:膨大な量の情報が洪水のように流されたが、そのソースから見て3つに分けられる。一つは写真つきの報道、これはメディア自身が撮影したものと、何処からか写真をしたもの、さらにSNSなどからの転載という記者根性を疑うものもある。第二には記者自身が見聞きしたものの報道、記者名入りが多いので信頼度は高いが、平気でウソを付く常習犯もいるから要注意。第三は、地元新聞からの受け売り。これは記者自身の裏取りがなければ信頼度ゼロだ)

第一分類: CNN、BBC、AFPは、ブチャの路上や庭に多数の民間人の遺体が横たわる映像記録を公開した。その一部は手足を縛られていた。先程の記述にもあったように、これは4月3日に「見せられた屍体」の画像であろう。

第2分類: それより前、4月2日、AFP通信の記者はブチャの路上に少なくとも20体の男性民間人の遺体が横たわっているのを目撃したと述べ、そのうち2体は両手が縛られていたと伝えた。これは不規則報道で、この記者は前日に先乗りして屍体を目撃したことになる。[65][66] 
同様の報道がもう一つある。一部はこめかみを撃たれており、一部の遺体は戦車に轢かれていたというもので、こちらはBBC放送。[67] 

(訳注: 以上から分かるのは、大部分は縛られずに殺されたこと、大部分はこめかみ以外の射撃であるということだ。戦車云々の話は保留するが、このBBC記者には一応チェックをいれておく必要がある)

4月4日は何の報道記録もないが、5日になると、「猟奇的に殺害」された遺体が大手メディアによって相次いで報道されるようになった。

AP通信の記者団はブチャの遊戯場近くの住宅街で焼死体を目撃した。頭蓋骨に銃弾の穴が開いた遺体や、焼死した子供の遺体も含まれていた。第2分類に属するが、記者の集団的目撃という点で確度は高い。ただし写真はない。[68] 
ワシントン・ポスト紙はウクライナ捜査当局が拷問、斬首、切断、遺体焼却の証拠(beheading, mutilation, and incinerations)を発見したと報じた。斬首遺体の身元確認を求められた村人たちは、「酔ったロシア兵がウクライナ人に対するサディスティックな行為を実行したと語った」と証言している。「村人たち」は身元確認の求めに答えていない。これはいずれも第三者情報で、信頼度は低い。WP社の記者が村人の話をここまで書くか?というはなしだ。それを3年も経ってから、保留もなしにwikiに書き込むかという話でもある。
これらを通覧すると、大手メディアの記者団が国元から「とにかくまず流せ、ライバル社に負けるな」と情報をせっつかれているような気がしないでもない。なにか大きな力がはたらいているのである。

それから4月9日までに、ウクライナ捜査当局が、アンドルー教会などの集団埋葬地を発見し、遺体の回収を行った。[70]。これと並行して、現地入りしたヒューマン・ライツ・ウォッチがボディカウントを開始した。wikiの記載にしたがうなら、この調査がとりあえず権威ある数字として流布することになったようだ。したがってそれが国連総会での反人道的行為を非難する決議の根拠となっていく。これについては資料批判が必要だ

4月24日までに、ガーディアン紙は、数十体の遺体にフレシェット弾(子爆弾)が刺さっていたと報じた。ブチャの匿名の目撃者の報告によるものだ。これも人道法違反の証拠とされた [72] 
これは後にヒューマンライツウォッtぃの告白で明らかになったのだが、ウクライナ軍も基本的な装備はロシア軍と同じであり、ウクライナ軍も実際に使用していたのである、



Testimony from residents

此処から先は、住民の証言集である、wikiによれは生存者の多くは数週間にわたり地下室に隠れており、恐怖のあまり外に出られなかった。照明も電気もなく、ろうそくで湯を沸かし調理していた、それが出てきた途端に質問攻めにあっても答えられるわけがない。
私が彼らに答えてほしいのは、この死体は誰だということだけだ。これが本当のボディ・カウントだ。

ともかく、かくの如き住民の証言は基本的には排除すべきものだが、wikiは遠慮なく突っ混んでくる。

BBCとガーディアン紙は、ブチャおよび近隣のオブホヴィチ村、イヴァンキフ村の住民による目撃証言を引用し、ロシア軍がウクライナ兵の攻撃を受けた際、民間人を人間の盾として利用したと報じた。[73][74] 
(常識的に見て彼らは盾にはならず、ウクライナ側から撃たれるであろう)

エコノミスト誌は集団処刑の生存者の証言を報じた。ロシア軍の砲撃を受けた検問所で閉じ込められた男性は、検問所で共に身を隠していた建設作業員らと共にロシア兵に捕らえられた。兵士らは彼らをロシア軍の拠点として使用されていた近くの建物へ連行し、服を脱がせて身体検査を行い、殴打・拷問した後、建物の脇へ連れて行き銃殺した。男性は脇腹を撃たれたが、死んだふりをして生き延び、後に近くの家へ逃げ込んだ。[75]

これは即決処刑で戦争犯罪に該当する。


人権ウォッチによる聞き取り調査

ここからが「中立」機関によるプロフェッショナル調査だ。ここまでの伝聞とウクライナ側の仕立てた現場情報は一旦、オフにして取り組む。

住民らは人々が受けた扱いを次のように説明した:ロシア兵は家々を戸別訪問し、衣服を略奪して自ら着用した。家を出た民間人が発砲され、家に戻るよう命じられた。武装車両が市内の建物に無差別に発砲したケースもあった。民間人への医療援助をロシア軍が拒否した。集団墓穴が掘られ、部隊は法外な処刑を実行した。即決処刑の「明白な事例」を少なくとも1件記録した。

ロシア軍の撤退後、人権監視団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)に語った、占領下の街で人々が受けた扱いを次のように説明した:ロシア兵は家々を戸別訪問し、住民に尋問を加え、所有物を破壊し、衣服を略奪して自ら着用した。[76] HRWは、食料や水を求めて家を出た民間人が発砲され、ロシア軍に家に戻るよう命じられたとの報告を聞いた。これは、地域のインフラ破壊により水や暖房などの生活必需品が不足している状況にもかかわらず行われたものである。[76]
また、ロシア軍の武装車両が市内の建物に無差別に発砲したとの報告や、負傷した民間人への医療援助をロシア軍が拒否したとの報告もあった。地元犠牲者のための集団墓穴が掘られ、部隊は法外な処刑を実行した。[76] HRWスポークスパーソンは、3月4日にロシア兵による即決処刑の「明白な事例」を少なくとも1件記録したと述べた。[46][77]  (76と77は明らかに矛盾する)


4つの付加調査

wikiはHRW報告に加え、以下の4つの調査を資料として耐えうると判断し、アップロードしている。

1.ニューヨーク・タイムズ これがまたどうしようかというほどの報道

ロシア兵は「恐怖作戦」の中で町の住民を「無謀に、時にはサディスティックな方法で」殺害した。…ウクライナ人女性がロシア軍に拉致され、地下室に監禁された後、繰り返し強姦され、最終的に処刑された。別の女性と少女のグループは地下室に約1か月間閉じ込められ、そのうち9人がその後妊娠した…[78] 
お下劣の見本みたいな記事が堂々とニューヨーク・タイムズに載ったようだ。しかもきわめて重大なことに、それはHRW報告でオーソライズされていない。

2.現地防衛本部の新聞 Kyiv resident

この話は一種のアネクドートとしては面白い。キエフから来た謎の人物が、ブーチャの防衛本部に来て何気なく漏らした。「ロシア兵は証明書をチェックして、ドンバスの戦闘に参加していたことがわかると射殺する。そいつはネオナチだからだ。右翼の入れ墨を入れている奴も、ウクライナ人を表す入れ墨も同じだ。でもチェチェン兵は注意しろ。連中は眼の前にあるものにはすべてぶっ放す」

3.Radio Free Europe/Radio Liberty

このCIA放送の転載はもう勘弁してほしい。

相手が反論できないのをいいことに、言いたい放題で、それをせっせとwikiに積み込む筆者の見下げ果てた根性が吐き気を催す。大抵それらには何らかの性差別意識が感じられる。


報告された死者数
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都市部

まず、どの数字に軸足を置くかという点で、私の考えを述べたい。
ウクライナ軍の出す数字は、基本的に信用できない。彼らには打出の小槌があり、ロシア軍もだれも反論できない。だから最終的にボディーカウントとして確定できるか、あるいは戦前の戸籍と比較して何人が消息不明になっているかで判断するしかない。
ウクライナにおいてはとくに後者が難しい。戦闘は今なお続いており、人々は続々と避難しており、それらと戦闘に関連した行方不明者を区別することは困難だからである。

最初にも述べたとおり、戦闘後1ヶ月ほどで出されたHRWの報告が、(親西欧的バイアスはあるにしても)知りうる限り最も妥当だと考えられる。このことについては大方の一致が得られることと思う。


wikiで最初に登場するのは毎度おなじみのMayor Fedorukである。彼の発表する数字は、最初期のものを除けば、基本的には当局のオウム返しである。

フェドロウクは、少なくとも280人が集団墓地に埋葬されたと述べた。さらに57体の遺体を市外の集団墓地に埋葬せざるを得なかった。


検死官セルヒー・カプリシュニーの証言

フェドロウクの流れるような饒舌に比べ、カプリシュニーの証言には傾聴すべきものがある。ボディー・チェックを専門とする職業である以上、その方面に一定の知識を持つ。現地で働いてきた人であり、何かを期待して飛び込んできた人ではない。「一度は逃亡したが戻ってきた」と告白できるだけの誠実さを持ち合わせているように見える。もちろん当局の圧力に立ち向かうような人ではなかろうが、それは私たちと同じだ。
もう一つ大事なのは、ブチャに戻ってきて検死の仕事を始めたのが、遅くとも4月3日の始業時からということだ。ロシア軍撤退後、ウクライナ軍が入市して何らかの細工をしたとすれば、彼は間違いなくその一部を見ていたか、あるいは加担していたはずだ。誰もやりたくない仕事だ。一部始終とは言わないが、ウクライナ軍が重宝しまくった可能性は否定できない。



彼はこう述べた。

4月3日時点で、彼のチームは戦闘中および戦闘後に100体以上の遺体を回収していた(兵士の死亡や自然死を含む)。[87] 
カプリシュニーは、離脱前に教会近くの集団埋葬地を掘るためショベルカーの運転手を雇ったと述べた。停電で遺体安置所の冷蔵設備が機能せず、「それは恐怖だった」という。
また帰還後、両手を縛られた状態で至近距離から射殺された民間人13体の遺体を回収したと語った。
[87]

ここにはものすごく多くの事実が語られている。

1.カプリシュニーはロシア軍進出前からブーチャの検死関係の仕事に従事していた。
2.ロシアがブーチャを占拠したあとも、しばらくはブーチャに残り、ロシア軍の指示に従い遺体回収の業務に携わっていた。
3.彼の遺体の収集作業は、次の4期に分かれる。
①戦闘中であったか基本的にロシア軍の管理下にあり、その指示に従って作業した時期
②戦闘は終わり、ブーチャは全面的にロシア軍の管理下にあり、その指示に従って作業した時期
③逃亡期 ブーチャは全面的にロシア軍の管理下にあり、おそらくは作業が停滞していた時期
④ロシア軍撤退後 業務に復帰して、ウクライナ軍の管理下で、4月3日より作業を再開した
こうして①,②,④ を通じて100体以上の遺体を回収した。
また作業を再開した当日には、新たに、射殺された民間人13体の遺体を回収した

此処から先はまったくの想像に過ぎないが、逃亡前に一応の遺体収集は終わっていたのではないか。それでないと、4月3日帰任後の一作業日で残務に加えて、新たに、射殺された民間人13体の遺体を回収するのは正直無理だ。

収集された遺体が遺体安置所に収容されたが、冷蔵設備が機能せず腐敗が進行し、恐ろしい悪臭が漂った。そのため教会近くに集団埋葬地を掘り、埋葬準備を始めたところだったのである。そして「仏さんにゃ申し訳ないが、とてもやってられない」と逃げ出した。なにせ自分の命だって危ないのだ。

カプリシュニー(と彼のチーム)の偉いところは、ロシア軍引き揚げのあと、間髪を容れずブチャに戻って仕事を再開したところだ。私が「カプリシュニーは善人に見える」といったのはそういう意味だ。
どうせ作り話をするなら、強姦だとか赤ん坊殺しをいそいそと語るNYタイムズの紳士よりよほど気が休まるというものだ。


道路に散乱した死体と、遺体安置所にあふれた死体

ところでカプリシュニーの話はもう少し続けなくてはならない。読者の方もお気づきかと思うが、ブチャのメーンストリートに散らばったのはこの死体ではないかと、ふと思ったからである。

4月4日現在、正確な死者数は依然として不明であった。フェドルクは記者団に囲まれて勝手な数字を撒き散らした。レズニコフ国防相も負けじと声を張り上げた。BBCもそれに続いた。

 
国連人権高等弁務官事務所が区切りの報告

6月29日、国連人権高等弁務官事務所はブチャで少なくとも50名の民間人が即決処刑を含む違法な殺害を受けたことを記録した。これで死亡者数には一定の目処がついたと考えられる。2022年12月、この数は少なくとも73名に上方修正され、さらに105名の死亡事例が調査中である。

50名の民間人というのは、当初の予想からすると意外に少ないが、かなりの数が便衣兵に再分類されているようだ。即決処刑を含む違法な殺害が間違いなくあったが、一応証明書の提示、ネオナチの入れ墨のチェック、東部戦線参加の経歴が行われていたことも報告されている。

これらの結果を受けて、2022年夏の中頃、ロシア占領下で死亡した住民の追悼壁がブチャに設置され、501名の名前が刻まれた。(当然そこには戦闘兵だった住民もふくまれる)
ここにはブチャ一帯の戦死者数が含まれており、当局はブチャ町単独(in the town of Bucha alone)の死者を458名と発表した。

このあともBBCニュースの記事などが取り上げられるが、いずれもHRWや国連人権高等弁務官事務所に比べるとはるかに盛られており、表現はいかがわしい。6月の当局発表ではその数1,316体にまで膨れ上がっている。
とりあえずこれで、wikiの著述を追うのは中止したい。


Russian units involved

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その後今度は、メディアはロシア軍の誰がやったのかという犯人探しに熱中するが、結局何人が虐殺されたのかという点で煮詰まってしまったようだ。


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21Dec 7:16

病棟面談室より送信中

英語版は翻訳ソフト使えないため、日本語版を先に実行


ブチャの虐殺

wiki英語版では、原文→訳注と書き分けたが、訳注が広がりすぎて、収まりがつかなくなった。
日本語版ではさらに私見が膨らみすぎるので、訳注は注にとどめ、私見を原文に対比して展開することにした。対比を際立たせるため、原文をイタリック、訳注を1ポイント縮小し、私見をメイリオで表す。
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イントロ

1️⃣ ウクライナの検察当局によると、ウクライナ軍が奪還したブチャを含むキーウ近郊の複数の地域から、計410人の犠牲者が発見された。
2️⃣ 国際連合人権高等弁務官事務所によると73人の民間人の殺害を確認した。
3️⃣ 1年後集計で1400人以上が殺害された。
(訳注:2023年3月に[1]により発表された数)

ロシア連邦政府は関与そのものを否定している。そして国連安保理で「ウクライナの兵士及び過激派による犯罪行為」を議論することも求めたが、議長国であるイギリスは拒否。
ウクライナ当局は1️⃣ を戦争犯罪として訴えた。国連人権理事会は、2023年3月の数字に基づいて、ロシアによる民間人虐殺を戦争犯罪と断じた。


概要
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1️⃣ 占領と市街戦
ロシア軍は2月27日にブチャ市へ侵攻し、その後約1か月間にわたりブチャを占拠した。ウクライナ軍は激しい抵抗・反撃を行った。
(訳注:しかし交戦死/負傷者や収容/埋葬報告はない)
3月半ば、マクサー・テクノロジーズが死体の散乱する道路を撮影。
(訳注: 英語版では19日と明記)

2️⃣ 撤退か解放か
ロシア軍は3月30日にブチャを完全撤退した。ブチャのフェドルク市長は4月1日、「3月31日にブチャを奪還した」と語った。
(訳注: ロシア敗退ではなく休戦の条件として自主撤退した)
ウクライナ政府は4月2日、ブチャを含むキーウ州全域をロシア軍から解放したと発表した。

3️⃣ 散乱死体のキャンペーン
その日ブチャに入ったAFPなどの記者によって、民間人とみられる多数の遺体やそれらを埋葬したとみられる集団墓地が確認された。
(訳注: ウクライナ軍が市内に入ったのは1日、AFPが入ったのが2日、メディア記者団が入ったのが3日。この間、解放を祝う行事等はなし)
ゼレンスキー大統領は4月3日、ロシア軍による一連の行動はジェノサイドであると主張した。
イギリス首相のジョンソンは「プーチンとその軍団による新たな戦争犯罪だ」と非難し、経済制裁や軍事支援を強化する考えを示した。
一方、ロシア国防省は4月3日、「市民の誰一人としてロシア軍による暴力を受けていない」とロシア軍の関与を一切否定し、殺害された人々の映像や写真は「ウクライナ側による挑発だ」と主張した。
ネベンジャ国連大使も4日、ブチャで撮影された遺体はロシア軍撤退前にはなかったと記者団に述べ、「遺体は突然、路上に現れた」「一部は動いていたり息をしたりしていた」「ウクライナ側が情報戦争を仕掛けた」としていた[18]。

4️⃣ 突如、謎の衛星写真の出現
4月4日、現場を写した衛星画像が公開された。アメリカの宇宙技術会社マクサー・テクノロジーズが撮影したもの。民間人と見られる遺体が確認された[18]。
『ニューヨーク・タイムズ』は4月1日と2日に撮影された動画と衛星画像を比較し、遺体の多くが少なくとも3週間放置されていたと結論付けた[18]。
4月5日、ゼレンスキー大統領は安全保理で演説、「第二次世界大戦以降、最も恐ろしい戦争犯罪」であると非難した[19]。


関与が疑われているロシア軍の部隊
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4月4日、ウクライナ国防省情報総局はブチャでの虐殺に関与した可能性があるロシア兵1,600人余りの名簿を公開した[23]。
ブチャの住民は、ロシア軍ではなく、モスクワから来た年配のロシア人からなるロシア連邦保安庁(FSB)の特殊部隊がブチャに入ってから虐殺が始まったと証言している[26]。ブチャ市長のフェドルクは、ラムザン・カディロフ率いるチェチェン部隊やブリヤート人の関与を指摘した[27]。

私見 
最初にウクライナに突入し首都制圧を狙った戦車部隊が正規の精鋭部隊でなかったはずがない。要するに、報道はあらぬ方向に進み、実態を隠蔽する方向に向かっている


被害
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ブチャに入ったAFP通信の記者は「静かな並木道に、見渡す限り遺体が散乱していた」と伝えた。記者が確認した約20人の遺体は、いずれもジーンズやスニーカーなどを身に着けており、軍人には見えない服装だった[34]。

私見: 一般公開の前日に市内に入ったAFPは見聞記事を書いている。あとは取材記事か伝聞記事である。(英語版解説を参照)

イギリスの『ガーディアン』は、ロシア軍が移動中にウクライナの子供たちを車両に乗せ、人間の盾として使用したとする目撃証言を報道した。
『ガーディアン』によれば、3月5日、逃げようとする2家族が乗った一対の車がチカロヴァ通りに入ったところをロシア兵に発見され、殺害されていた[40]。
AP通信は、ブチャ住民の話として、ロシア軍が地下の防空壕に潜入して住民のスマートフォンを調べ、SNSの履歴などから反ロシア的であると判断した人を射殺したり連れ去ったりしたと報道した[3]。

私見: これらは激しい市街戦が戦われている下ではありうる。ただし「人間の盾」作戦はむしろ便衣隊の好くするところだ。

イギリスのサンデー・タイムズは、ブチャの民家の地下室で、両手両足を縛られ切断された子どもを含む男女18人の遺体が見つかったと報道した[34][35]。遺体の一部は耳が切り取られ、ほかは歯が抜かれていた[36]。
キーウ・インディペンデント(英語版)が発表したレポートには、ロシア兵が道路脇で焼こうとした毛布の下の男性と2、3人の裸の女性の写真が含まれていた。ウクライナ当局は、女性は強姦され遺体は焼かれたと述べた。

私見: 残虐ネタは世の習い。イスラエルの残虐ネタはすべて自作自演だった。

地元の医療関係者によると、3月13日の時点で67人の犠牲者が出ていたという[17]。
ブチャ市長のフェドルクは4月3日、民間人約280人を集団墓地に埋葬したと述べた[14]。亡くなった民間人の数は集計中であり、フェドルクによればブチャだけで320人にのぼるという[27]。

12月21日、『ニューヨーク・タイムズ』はヤブロンスカ通り沿いの犠牲者のうち、36人の身元を特定した。犠牲者の家族や友人・同僚に取材して人物を特定し、衛星画像・携帯電話のビデオ・SNSの投稿・テキストメッセージから犠牲者の最期の瞬間を辿る内容となっている[42]。