Wiki版「ブチャの虐殺」を史料批判する
その1

Wikipedia (英語版) より
Bucha massacre の逐条批判


はじめに

とりあえず通説を紹介しようと思って、英語版ウィキに目を通したが、膨大な分量に圧倒された。マスメディアの作り出した通説を長々と紹介することは私の仕事ではない。
本音を言えば、むしろその内容に強い疑問を抱いている。
私はこの史料批判を行うに当たり、真実らしさにグレーディングをつけるつもりだが、真実には事実性に加えて合理性が加わる。この「合理性」は相当主観性(史観)の入り混じったものになる。だから真実らしさは大いに議論になるし、そこは大いにやっていこう。最後がリアリズムに帰着する。それが学問というものだと考える。

「ブチャの虐殺」史を形成する資料は、モノ的には衛星写真、証拠写真、現場写真、あとは法医学的な一式が一次資料になる。二次資料として官公庁資料、国際機関資料などが挙げられる。しかしロシア側との一致した客観資料は存在せず、主張は真っ向から対立する。ただボディーカウント、本人確認などは限定的ながら可能だ。
そこで双方から歩み寄りながら2つの数、すなわちボディー数と犠牲者名を割り出し、市民犠牲者を出していくことになる。
第三次資料というか根拠の薄弱な伝聞資料とかは、偽陽性資料としてできるだけ排除する必要がある。実はこれが一番難しい作業だが、折々の背景を踏まえ合理精神に基づいて処理する。第四次資料には意図的に紛れ込ませたデマ資料があり、これは意図的妨害として対処する。とくに今回のように一方的な傾向が強い報道では、それは主張する側の悪意として遡及的にカウントする必要がある。


ブチャで直接戦闘があったのか

wikiには、ブチャで直接戦闘があったのかどうかは記載されていない。もし直接戦闘があったのであれば、ウクライナ側がゲリラ攻撃を挑んだ可能性は否定できない。

くどいようだが、大事なことなので繰り返す。ブチャがウクライナ戦争劈頭を飾る激戦であり、それが正規軍同士の機動戦ではなく、進攻するロシア軍戦車部隊へのゲリラによる都市接近戦であったとすれば、双方に相当数の犠牲者が出るのは当然である。


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ウクライナ側がジャベリンという高性能な対戦車ミサイル対戦車砲を人家の影から浴びせ、膨大な被害を与えたことはよく知られている。西側報道では、戦車隊が進む国道と交差する脇道から発射し、無警戒なロシア軍に甚大な被害を与えたとされている。この文章の読者ならよく承知のことと思う。

ゲリラ側が市民の服装であったとすれば、犠牲者は「民間人」+ロシア将兵である。ロシア将兵の遺体が全員帰還すれば、残るのは「民間人」のみとなる。なお民間人を偽装する「便衣」隊員は戦時捕虜の扱いは受けないことになっている。


「便衣兵」の扱いに関して

(ハーグ条約=背信行為の禁止とジュネーブ条約=捕虜の保護の適用関係、そして「便衣兵」と「敗残兵」の区別が議論となっている。便衣隊は国際法上「背信行為」とされ、戦闘員としての権利(捕虜資格)は認められない。とくに市民を「人間の盾」扱いした際は適法的な処罰の対象となる。ただし降伏した後はこの限りではない。便衣兵に対する処罰については、裁判の保障が国際法違反の基準となっている


したがって、きわめて雑駁なものの言い方になるが、ロシア将兵の死者数とブチャ「民間人」死者数が拮抗するなら、全体としてはなかなかフェアーな戦いが展開されたことになる。むしろウクライナ側が健闘したか、ロシア側が抑制が取れていたかということになる。


「ブチャの虐殺」の史料構成のとりわけ特異な点は、遺体の散乱する場面が人工衛星から撮影され、その「全貌」が白日のもとに世界に晒されたことにある。


この文章では事実関係、とくに衛星写真情報と現地情報の突き合わせに的を絞って紹介することにする。ただロシア側の反論については紹介例が少ないので、有用と思うものを訳出することにした。これを持って不公平と考える人は読まないか、原文に直接当たるかしてほしい。
基本的には器械訳であるが、DeepLにより逐語的翻訳を心がけている。必要に応じ(訳注)、小見出しをつけ読みやすさを図っている。



Introduction
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The Bucha massacre was the mass murder of Ukrainian civilians and prisoners of war by the Russian Armed Forces during the fight for and occupation of the city of Bucha as part of the Russian invasion of Ukraine.

(訳注: 冒頭にこう書かれていて、ある意味「結論ありき」をしての叙述であることに注目)


はじめに

地元当局によると、町からは458体の遺体が回収されており、うち9体は18歳未満の子供である(微妙だがすべてが児童ではない)。犠牲者のうち419人は武器による殺害で、39人は自然死と見られ、占領関連死の可能性がある。[1][15] 

事件後、現地に建てられた記念碑には殺された501人の名(すなわち43人の行方不明者をふくむ)が記されている。[16]

UNHCR によれば、即決裁判をふくむ不法な殺害者が少なくとも73人記録されている。これはブチャ市民であると同定された人の数である。[17][3]

(at least 73 civilians in Bucha の正確な意味は後で確認しなければならない。いずれにしてもBody count としては異様に杜撰である)

市民の遺体(corpses of civilians)の写真は並ばされ(lined up)、後ろ手に縛られ、至近距離から射殺されている。[18]

ウクライナは国際刑事裁判所に捜査を求めた。そして戦争犯罪あるいは人類に対する犯罪が適応されるのではないかと迫った。ゼレンスキーはこれをジェノサイドと断罪した。

(訳注: 繰り返すが、これはウクライナ司直のもとで明らかになった事件である。遺体はすべてウクライナの管轄下にあるのであり、正確な数、被害者の身元、を調べる余裕はある(もう4年を経過している)のであるから、ウクライナ当局にはまず正確な実態を明らかにする責任がある)


ロシアの反論

ロシア当局は殺害責任を否定し、代わりにウクライナが事件の映像を偽造したか、「偽旗作戦」として自ら殺害を演出したと主張している。
ロシア当局によるこれらの主張は、様々な団体やメディア組織によって虚偽であることが暴かれている[注2]。

偽旗作戦: お互いに相手の作戦を「偽旗」と言っているが、ウクライナ戦争における最初の使用はこれだと思う。元々は海賊が白旗を掲げて降伏したふりをして、騙し討にすることを言っていた。ヤマトタケルの熊襲討伐もその変形である。
ロシアは「密かに自分がしたことを相手のせいにして、犠牲者のふりをして攻撃する作戦」という使い方をしているが、西側がロシアを攻撃するときに使う「偽旗作戦」はなぜそれが偽旗なのかさっぱりわからないから、グーグルの検索エンジンにその質問が頻出する。その答えもちんぷんかんぷんだ。読者の皆さんも検索して確認してください。


さらにウクライナ当局は、「ブチャ住民の目撃証言によれば、ロシア軍が殺害を実行した」と発表した。
(訳注: ブチャの市長は衛星写真が報道されるまで虐殺事件を知らなかった。ましてブチャの一般市民は、家の地下室にこもり息を潜めていたから、地上の動向については知らなかった。このことは多くの証言から確かめられている)

ヒューマン・ライツ・ウォッチは報告書を発表し、ロシア軍が即決処刑、違法な殺害、強制失踪、拷問の罪に問われるべきだと結論付けた。
(訳注: HRWは西側の観点から人権を扱う組織であるが、24年の6月にはアゾフ軍団(ネオナチ)の本拠地ヘルソン州で、結果的に偽旗作戦に乗った報道をしたことを認めた。その後Buchaにはほとんど触れなくなっている)


事件の背景
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2月22日、ロシア軍はベラルーシからウクライナへ侵攻した。2月27日、ロシア軍先遣部隊はブチャ市に進出し、同市を占領した。ブチャを占領したロシア軍部隊には、第35統合軍の一部である第64機械化歩兵旅団が含まれていた。(訳注: 後にロシア軍追悼に紹介されているように、虎の子の正規軍であり、軍機もそれなりに統制されていたと思える)


3月下旬、ロシア軍がブチャから撤退した。このとき、ウクライナ検察当局は戦争犯罪の疑いで、2,500件の証拠を収集し、「数百人の容疑者」を特定した。
国連ウクライナ人権監視ミッションは、激しい砲撃下にある地域での民間人被害について懸念を表明した。