韓国 ヨン大統領罷免に至るまで
…韓国民主勢力の苦闘の経過

2024年

12月5日 尹錫悦とその追随者に、内乱罪容疑がかけられ、警察、検察、高位公職者犯罪捜査処(公捜処)などが捜査を開始する。

12月7日 国会の弾劾訴追決議、与党「国民の力」の議員が一斉退場したことから定数不足となり、流会となる。
同日 50万人が国会前に集まった。その後、集会は国会前にとどまらず、国内のあらゆる場所に広がり続けた。広場や路上での抗議行動は続いた。

12月14日 あらためて国会が開かれる。ふたたび弾劾決議が提案されるが、与党の議員のうち大部分が保留に回る。与党の弾劾賛成票は12票にとどまり、可決に必要な在籍議員の3分の2をわずか4票上回った。与党の主流派は、さらに非常戒厳宣布=憲法違反行為を擁護する方向を鮮明にする。

同日 100万人以上の人々が国会前に集まった。これを見た「国民の力」から12名の弾劾賛成者が現れ、弾劾決議は僅差で可決された。

12月14日 大統領職務が停止された尹錫悦は、大統領官邸に閉じこもり、弁護人団とともに内乱罪捜査の拒否、妨害に出る。

12月31日 ソウル西部地方法院が逮捕令状を発布。これまで3回にわたり出頭を要請したが、ヨン側は拒否し官邸立てこもりを続ける。


2025年

1月3日 公捜処が大統領官邸に赴き、逮捕執行を試みる。官邸に詰める大統領警護処は頑強に抵抗。このため身柄確保に失敗する。これらの経過はそのままテレビで中継され、市民は歯噛みしながら見つめた。

1月15日 警護処の職員数をはるかに上回る警察力が動員され、大統領警護処の抵抗を排除してヨンの身柄確保、連行に成功。

1月19日 ヨンの逮捕令状を発布した西部地方法院が、尹大統領支持者たちによって襲撃される。建物の一部が破壊されるとともに、令状の審査をした裁判官が名指しで指弾される。

2月25日 内乱罪に対する裁判と並行して、罷免の是非を問う憲法裁判所での審理が行われた。この日、10回にわたる弁論が終わり、最終弁論が開かれた。しかしその後、宣告が大幅に遅れたため、「弾劾棄却」の不安が広がる。

3月8日 捜査は尹錫悦の供述拒否によって膠着状態に陥る。ソウル中央地方法院は、ユンの拘留満了期限を過ぎたことから、ユン弁護団の請求を認めて拘束を解除する。

3月8日 検察は中央地方法院の決定に対し抗告を断念し。結果的に尹錫悦の釈放
を支持した。期限内の起訴をサボった検察と司法による出来レースだった疑いが濃厚。市民の間に司法、検察への不信感が広がる。

4月4日 憲法裁、8名の裁判官の全員一致でヨン大統領の罷免を決定。宣告の日まで連日連夜、憲法裁判所前には多くの市民が集まり、「罷免宣告」を叫び続けた。