赤旗の科学欄はいつもワクワクさせてくれる。
今度は澎湖人の正体判明という大ニュースだ。最初は「原人ではないか?」と言われていたが、それだと「またか」という話になる。しかし既知の(と言っても謎多き)旧人そのものということになると、「ついにきたか」という話になる。

科学の目と手が、ついに旧人の世界に到達したという感慨が湧いてくる。
周知の通り、日本の旧石器時代よりさらに前、旧人の世界が広がっていたという話があった。それは間違いではなく、でっち上げられた嘘であった。
それ以来、私はすっかり疑い深くなって、原人の存在すら疑うようになっている。たしかにアフリカにホモ・エレクトゥスはいたが、それがジャワ原人だったのか、北京原人だったのか、明石原人だったのか、三ヶ日原人だったのかは信仰の世界の話だと思っている。
それより、ハイデルベルク原人から始まってデニソワ、ネアンデルタールに続く旧人が手が届くところまでやってきて、「おいで、おいで」と手招きしているような錯覚が、へそ周りをゾクゾクさせる。
もう一つ、テクニックの面で驚いたのは、「アミノ酸配列の解析」という新たな手法が開拓されたことだ。Y染色体DNAが今後とも人種の発達・分化を見ていくうえでのゴールデン・スタンダードであることは間違いない。しかしこのツールには致命的な欠陥がある。古人骨のほとんどはすでにDNAを失っていることである。これを補うのがミトコンドリアDNAだが、こちらも同様に失われる危険を持っている。さらに、女性はその社会生態により混血を受けやすいため、解釈に慎重さがもとめられる。
この点で「アミノ酸配列の解析」が、「この骨は何人の骨であるか?」をピンポイントで決定してくれることは、決定的な進歩となるだろう。
第三のポイントは、旧人たちが「象ハンター」集団であった可能性である。彼らの驚くべき移動距離は彼らが狩人であったことを示唆する。種族の維持が可能なほどの規模の集団が移動生活を続けるにあたっては、大型動物を集団で確保することが必須である。
アルタイを根拠とするデニソワ人が、(ひょっとしてネアンデルタールに逐われて)東に移動するとすれば、それは必ず北方ルートである。シベリアのタイガ森林地帯でもなく南方の照葉樹林でもなく。乾燥した疎林地帯(まさにシルクロード)であろう。
21世紀はじめ、わたしたちはアジア人北方由来説と南方由来説の間で右往左往した。Y染色体DNAに先行するさまざまな免疫学的研究は、一致して東アジア人の北方由来説を支持した。しかしY染色体DNAを持ち込んだ欧米の研究者は南方由来説を主張してやまなかった。
私は人類(旧人及び新人)には二つの道があったと思う。北の道はマンモスの道であり、南の道はナウマン象の道である。それは常に2つ揃って存在した。ただし寒冷化の程度によってどちらが優勢になるかは変わる。日本では3万年前まではナウマンゾウが優勢で、その最前線は津軽海峡を越えて北海道に達した。その後の1万年間は極寒期で、ナウマンゾウは後退し、マンモスが北海道までやってきた。
4万年前に、ナウマンゾウを追ってきた人々が最初に朝鮮半島から日本に上陸し、その後北方の人がマンモスを追って、サハリンから海をわたって九州に至るまでの全域に散布した。ここまではほぼ問題ない。そして同じ道を辿って10万年より前にデニソワ人がやってきた可能性は否定できない。
これはもう別の話なので、やめておく。
今度は澎湖人の正体判明という大ニュースだ。最初は「原人ではないか?」と言われていたが、それだと「またか」という話になる。しかし既知の(と言っても謎多き)旧人そのものということになると、「ついにきたか」という話になる。

科学の目と手が、ついに旧人の世界に到達したという感慨が湧いてくる。
周知の通り、日本の旧石器時代よりさらに前、旧人の世界が広がっていたという話があった。それは間違いではなく、でっち上げられた嘘であった。
それ以来、私はすっかり疑い深くなって、原人の存在すら疑うようになっている。たしかにアフリカにホモ・エレクトゥスはいたが、それがジャワ原人だったのか、北京原人だったのか、明石原人だったのか、三ヶ日原人だったのかは信仰の世界の話だと思っている。
それより、ハイデルベルク原人から始まってデニソワ、ネアンデルタールに続く旧人が手が届くところまでやってきて、「おいで、おいで」と手招きしているような錯覚が、へそ周りをゾクゾクさせる。
もう一つ、テクニックの面で驚いたのは、「アミノ酸配列の解析」という新たな手法が開拓されたことだ。Y染色体DNAが今後とも人種の発達・分化を見ていくうえでのゴールデン・スタンダードであることは間違いない。しかしこのツールには致命的な欠陥がある。古人骨のほとんどはすでにDNAを失っていることである。これを補うのがミトコンドリアDNAだが、こちらも同様に失われる危険を持っている。さらに、女性はその社会生態により混血を受けやすいため、解釈に慎重さがもとめられる。
この点で「アミノ酸配列の解析」が、「この骨は何人の骨であるか?」をピンポイントで決定してくれることは、決定的な進歩となるだろう。
第三のポイントは、旧人たちが「象ハンター」集団であった可能性である。彼らの驚くべき移動距離は彼らが狩人であったことを示唆する。種族の維持が可能なほどの規模の集団が移動生活を続けるにあたっては、大型動物を集団で確保することが必須である。
アルタイを根拠とするデニソワ人が、(ひょっとしてネアンデルタールに逐われて)東に移動するとすれば、それは必ず北方ルートである。シベリアのタイガ森林地帯でもなく南方の照葉樹林でもなく。乾燥した疎林地帯(まさにシルクロード)であろう。
21世紀はじめ、わたしたちはアジア人北方由来説と南方由来説の間で右往左往した。Y染色体DNAに先行するさまざまな免疫学的研究は、一致して東アジア人の北方由来説を支持した。しかしY染色体DNAを持ち込んだ欧米の研究者は南方由来説を主張してやまなかった。
私は人類(旧人及び新人)には二つの道があったと思う。北の道はマンモスの道であり、南の道はナウマン象の道である。それは常に2つ揃って存在した。ただし寒冷化の程度によってどちらが優勢になるかは変わる。日本では3万年前まではナウマンゾウが優勢で、その最前線は津軽海峡を越えて北海道に達した。その後の1万年間は極寒期で、ナウマンゾウは後退し、マンモスが北海道までやってきた。
4万年前に、ナウマンゾウを追ってきた人々が最初に朝鮮半島から日本に上陸し、その後北方の人がマンモスを追って、サハリンから海をわたって九州に至るまでの全域に散布した。ここまではほぼ問題ない。そして同じ道を辿って10万年より前にデニソワ人がやってきた可能性は否定できない。
これはもう別の話なので、やめておく。
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