その1 より続く

これは、第一部「マルクス主義と女性問題」の最後の部分になります。マルクス主義論壇の歴史は
①  
マルクス、エンゲルス、カウツキー、レーニンを含む初期のマルクス主義者
②  現代のマルクス主義者たち 主としてザレツキー
③  マルクス主義的フェミニストたち  ダラ・コスタ
と回顧されてきました。著者はいったんザレツキーとダラ・コスタの比較検討に入ります。そして両者の議論から共通の弱点を認めます。それは端的に言えばフェミニストの問題意識に正面から答えていないことです。

訳注: ここからは、ハルトマンのいう③の範疇の理論家のうち、「フェミニストの問題意識に正面から答えよう」とする二人の主張に触れます。ミッチェル(前ページからの続き)とS.ファイアストンです。

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ミッチェルと『精神分析とフェミニズム』ーー続き

ミッチェルは、後の著作『精神分析とフェミニズム』において、女性と男性という性別により異なる人格が形成されることについて探求している。たしかに人格形成の過程は、女性と男性の関係を研究する上で重要な領域である。

 ミッチェルは、家父長制は主に心理的な領域で機能しており、そこでは女性と男性の子どもたちが女性と男性になることを学んでいる。ここでミッチェルは、当時はまだ軽視されていた生殖、セクシュアリティ、育児という領域に焦点を当てているが、それらを象徴的範疇にとどめることで、以前の分析の根本的な弱点を引き継いでいる。"To put the matter schematically we are . . . . dealing with two autonomous areas : the economic mode of capitalism and the ideological mode of patriarchy."

資本が基本的な下部構造(経済)であるのと同様に、彼女は家父長制を、基本的な上部構造(イデオロギー装置)として明確に提示している。彼女は言う。「図式的に言えば、私たちは二つの自律的な領域を扱っている。資本主義の経済様式と家父長制のイデオロギー様式である」
"To put the matter schematically we are . . . . dealing with two autonomous areas : the economic mode of capitalism and the ideological mode of patriarchy."

ミッチェルは両者の相互浸透を論じてはいるが、家父長制をもたらした女性と男性の関係に関して、労働力という物質的基盤を与えていない。また、人格の形成とジェンダーの創造の過程における物質的側面に注目しなかったことも、彼女の分析の限界性をしめしている。

(訳注:ハルトマンは、「賃労働と資本」関係が近代の家父長制に通底する社会関係として置かれるべきだ、と考えているようだ)


ファイアストンの生物学主義

シュラミス・ファイアストンは、唯物論的分析を家父長制に持ち込むことによって、マルクス主義とフェミニズムの架け橋となっている。彼女の唯物論的分析は、ミッチェルほど両義的なものではない。
彼女によれば、性の弁証法は基本的な歴史的弁証法であり、家父長制の物質的基盤は、女性が種を再生産する仕事である。

(訳注: 原文通り唯物論と訳したが、むしろ“生物学主義”と言うべきかも知れない)

ファインストンはマルクス主義を用いて女性の立場を分析し、家父長制の物質的基盤の存在を論証しようとしたが、理論的にはさほど評価できるものではない。生物学と生殖を強調しすぎていることが問題である。
私たちが理解しなければならないのは、セックス(生物学的事実)がどのようにしてジェンダー(社会現象)になるのかということである。 生殖だけに焦点を当てるのではなく、女性の仕事のすべてをその社会的・歴史的文脈に位置づけることが必要である。

(訳注: Shulamith Firestone ラディカル・フェミニストの初期リーダー。耳目衝動行動で「火の玉」と呼ばれた、ドイツ系ユダヤ人難民の家に生まれた。シカゴで活動を開始し、その後ニューヨークに拠点を移した。ボーヴォワールが母性主義を批判したことを踏まえ、家父長制が女性の役割を再生産しジェンダー不平等を永続させていると批判した。

Shulamith Firestone02

ファイアストンの研究は、マルクス主義の方法論をフェミニズム的に新たに利用したものではあるが、他のすべての抑圧(階級、年齢、人種)の基礎となる礎石として、男性の女性に対する優位性を主張している。彼女の著書は、マルクス主義的フェミニストというよりは、ラディカル・フェミニストと同列に扱われるべきものであることを示唆している。彼女の著作は、ラディカル・フェミニストの立場を最も完全に述べたものである。

ファイアストンの著書は、マルクス主義者たちによってあまりにも嬉々として否定されてきた。たとえばザレツキーは、この本を「主観的把握のエッセンス」と呼んでいる。

しかし、ファイアストンの本が女性にとって刺激的だったのは、女性に対する男性の権力に対する彼女の分析と、この状況に対する彼女の非常に健全な怒りだった。彼女の愛についての章は、私たちがこのことを理解する上で中心的なものであり、今もそうである。
それは、マルクス主義者が扱うことのできる「男性優位思想」だけの問題ではない(それは単なる態度の問題でしかない)。そうではなくて、男性の権力が女性にもたらす感性的な結果であり、家父長制の中で生きることの感覚である。


Shulamith Firestone1

それはザレツキーが言う「個人的なものは政治的である」(自然的必然ではなく)があらわすように、自然感情や気分をしめすものではない。それは、男性の権力と女性の従属を社会的・政治的現実として受け入れるよう求める、政治的当為(Sollen)を示している。


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Ⅱ. 急進的フェミニズムと家父長制

第二部の記述は、ひどく翻訳者泣かせである。ほとんど章立てや見出しは見られず、誰の言い分を紹介しているのかも定かでなく、フェミニスト独特の術後が羅列されている。最初にファイアストーンの「戦記」が紹介される。その後については、都度、小見出しを立てていきたい。

1.急進的フェミニズムの一般的傾向

急進的なフェミニストの著作の大きな推進力は、「個人的であることは政治的であること」'The personal is political' というスローガンの理論化に向けられてきた。

訳注: 第二期フェミニズムにおいては、それまでのマルクス主義的な女性労働者観は姿を消し、女性であることの意味を問い直し、そこから運動論へとなだれ込む形式をとった。その転換においてジャンヌ・ダルク的存在となったのがファイアストーンである。以下急進的フェミニズムの理論家について考察している。

女性の不満は、不適応者の神経症的な嘆きではなく、女性が組織的に支配され、適応させられ、搾取され、抑圧されている社会構造に対する反応である、と彼らは主張した。
労働市場における女性の劣位、中流階級の結婚における男性中心の感情構造、広告における女性の利用、アカデミックな臨床心理学によって広められた、いわゆる神経症的な女性心理の理解など、先進資本主義社会における女性の生活のあらゆる側面が研究され、分析された。

ラディカル・フェミニストの文献は膨大で、簡単に要約することはできないが、心理学への関心は一貫している。ニューヨーク急進フェミニスト組織の機関誌は『自我(Ego)の政治学』であった。

急進的フェミニスト・ファイアストーンにとって、「本来の基本的な階級区分は男女の間にあり、歴史の原動力は、女性に対する権力と支配を求める男性の努力であり、性の弁証法である」という“歴史の原理”を意味する。
ファイアストンはフロイトを書き換えて、少年少女が男性と女性に成長する過程を権力の観点から理解するようにしたのである。

彼女の「男性」と「女性」の性格の特徴は、ラディカル・フェミニストの典型的なものである。男性は権力と支配を求める。自己中心的で個人主義的、競争的で実利的である。

ファイアストーンによれば、「技術モード」は男性である。 一方、女性は育成的で芸術的、哲学的である。「美的モード」は女性である。(美的モードが女性であるという考えは、古代ギリシャ人にとってはかなりの衝撃だったに違いない)

ここにラディカル・フェミニスト分析の誤りがある。ラディカル・フェミニストが提示する「性の弁証法」は、現在社会に登場する「男性」と「女性」の特徴を、すべての歴史にさかのぼって投影する。


2.K.ミレーの家父長制度の分析

急進的フェミニスト分析の最大の強みは、現在に対する洞察にある。その最大の弱点は、心理的なものに焦点を当てるあまり、歴史が見えなくなってしまうことである。

その理由は、ラディカル・フェミニズムの手法にあるだけではなく、家父長制そのものの性質にもある。家父長制は社会組織のなかで驚くべき回復力を持っている。ラディカル・フェミニストたちは「家父長制」を、女性に対する男性の支配を特徴とする社会システムを指す言葉として使っている。
男性による女性支配を特徴とする社会システムを指す。ケイト・ミレーの定義は古典的である。
以下ミレーの主張に沿って話題を進める。
まずミレーの議論の出発点であるが、それは下記の言葉に集約される。

「私たちの社会は家父長制である。軍、警察、産業、技術、大学、科学、政界、財政、要するに強制力を持つ社会内のあらゆる権力の道が、すべて男性の手中にあることを思い起こせば、その事実は一目瞭然である」

Kate Miillett

Kate Millett: 
feminist writer, educator, artist, and activist. 第二次フェミニスト運動の旗頭。家父長制の理論を明確にし、女性に対するジェンダーと性的抑圧を告発した。

このラディカル・フェミニストによる家父長制の定義は、私たちが知っているほとんどの社会に当てはまる。区別することはできない。


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急進的フェミニストが歴史に触れる場合、通常、あらゆる時代と場所における家父長制の存在の例を示すことに限定される。

以前は、マルクス主義者にとっても主流派の社会科学者にとっても、家父長制とは男性間の関係システムを指していた、 

家父長制は、封建社会や一部の封建以前の社会の政治的・経済的輪郭を形成していた。それは父親と息子の間の関係体系を指していた。そこでは、帰属的特徴に従うヒエラルキーが形成されていた。

資本主義的ヒエラルキーは、ブルジョア社会科学者によって能力主義的、官僚主義的、非人格的と理解されている。これに対しマルクス主義者は、資本主義社会を階級支配のシステムとしてとらえる。
どちらのタイプの社会科学者にとっても、歴史的な家父長制社会も今日の西洋資本主義社会も、男性が女性を支配する男女間の関係のシステムとしては理解されていない。

*  家父長制の定義 ーー 家(制度)が主か、父(男)が主か

私たち(ミレットら)は、家父長制を次のような社会関係として定義することができる。それは物質的な基盤をもち、男性間の階層的ではあるが、相互依存と連帯を作り出している。したがってそれは男性による女性の支配を可能にしているシステムとなっている。

家父長制は階層的であり、さまざまな階級、人種、民族において、男性は家父長制の中で異なる位置を占めているが、そこには重要な共通点がある。それは彼らが、女性に対する支配関係を共有するために団結しているという事実である。 

彼らは支配を維持するために、互いに依存している。ヒエラルキーが「機能」するのは、少なくとも部分的には、ヒエラルキーが支配するものとされるものとの双方に、ある種の権益を生み出すからである。上位にいる者は、下位にいる者に対して権力を提供することで、下位にいる者を「買収」することができる。

家父長制のヒエラルキーでは、家父長制における地位がどうであれ、すべての男性は少なくとも一部の女性を支配できることことを条件に買収される。
家父長制が国家社会で最初に制度化されたとき、国家の支配者は、一定の男性を家族・部族の長とした。そこには妻や子どもに対する支配権も含まれる。男性はそれと引き換えに家族・部族の資産の一部を新しい支配者に譲渡した。これらのことを示唆する証拠がいくつかある。

それ以来、男性たちは、女性に対する支配を維持するために、(階層的な秩序にもかかわらず)互いに依存し合っている。

男性は、必要不可欠な生産資源の一部へのアクセスを女性から排除し、女性の“女性としての能力”を補助的なものに制限することで、この支配を維持している。資本主義社会では、例えば、生活賃金を支払う仕事は女性には与えられない。

すなわち、家父長制を支えるエトスは、何よりも男性優越主義であり、それが階級を超えて社会を階層化していると言える。家はそれを支えるイデオロギー構造に過ぎない。


* 一夫一婦制と家父長制

一夫一婦制の異性婚は、比較的最近の時代に合わせた形態のひとつであり、男性が生産と生活の両方の領域を支配することを可能にしている。

他方で、女性の奴婢化が進行する。女性の資源へのアクセスと「性的能力」(女性としての能力発揮)が制限され、その結果として、男性による女性の労働力の支配 が許される。その支配は、さまざまな個人的・性的な方法で男性に奉仕するためにも、子どもを育てるためにも利用される。女性が男性に提供するサービスによって、男性は多くの不快な仕事(トイレ掃除など)をしなくてすむ。

過程内での奴婢化は社会生活にも外延される。家庭の外での例としては、男性の上司や教授による女性労働者や学生へのハラスメントや、私的な用事やコーヒー作りのための秘書の一般的な使用などがある。女性秘書は個人的な用事に使われたり、コーヒーを淹れたり、「セクシー」な環境を提供したりする。

とはいえ、子どもを育てることは、家父長制をシステムとして永続させる上で極めて重要な仕事である。その際、子どもの労働力が父親にとって直接的な利益となるかどうかは別問題である。学校、職場、消費規範などによって階級社会が再生産されなければならないように、家父長制的社会関係も再生産されなければならない。


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 私たちの社会では、子どもは一般的に家庭で女性に育てられる。女性は社会的に男性より劣っていると定義され、認識されている。一方、男性が家庭内に登場することはまれである。

このように育てられた子供たちは、一般的に男女のヒエラルキーにおける自分の位置をよく学ぶ。しかし、このプロセスの中心は、家父長的な行動が教えられ、女性の劣った立場が強制され、強化される家庭の外の領域である。それは教会、学校を主たる場として、体育会、クラブ活動、組合、軍隊、工場、オフィス、それにメディアなどである。


ゲイル・ルービンと「性/ジェンダー・システム」

家父長制の物質的基盤は、家庭における子育てだけにあるのではない。世の中は、男性が女性の労働力を支配することを可能にする、あらゆる社会構造の上に成り立っているのである。

家父長制を永続させる社会構造は、理論的に識別可能であり、それゆえ他の側面から分離可能である。ゲイル・ルービンは、「性/ジェンダー・システム」を特定することによって、こうした社会構造の家父長制的要素を特定する能力を飛躍的に高めた。「セックス/ジェンダー・システム」とは、ある社会が生物学的なセクシュアリティを次のような産物へと変容させる一連の取り決めのことである。


GayleRubin
Gayle Rubin: 深南部のユダヤ人家庭で育った。生物学的性は女性。肌の色や宗教で差別されることを憎み、大学進学後フェミニスト運動に加わった。70年代後半から同性愛の研究を始めた。


このような儀礼を通過して、「変換された性的欲求」が形成され、満たされる。私たちは、生物学的な性別である女性と男性として生まれてくるが、社会的に認められた性別である女性と男性として創られる。

訳注:  性別/ジェンダーシステム:ゲイル・ルービンが提唱した概念。持って生まれた生物学的性別を文化的に定義された性別役割と期待に形作り、変換する社会的なアクターの複合。「性別/ジェンダーシステム」の考えはその後、家父長制の概念に統合されるようになった。

エンゲルスが語った生産様式の第二の側面は、「人間そのものの生産、種の伝播」である。人間がどのように種を繁殖させるかは、社会的に決定される。例えば、人々が生物学的に性的に多形であれば、生殖は偶然の産物である。

性別による厳格な分業は、既知のすべての社会に共通する社会的発明であり、2つの極めて厳密に分離した性別を生み出す。そして主として経済的な理由から、男女が一緒になる必要性を生み出す。こうして男女の性的欲求を異性愛の充足へと向かわせるのである。

性的分業が男女間の不平等を意味しないことは理論的にはあり得る。しかし、ほとんどの社会では、社会的に受け入れられている性別分業は、女性の労働に低い地位を与えるものである。

性的分業はまた、男女が異なる人生を経験する性的サブカルチャーの基盤でもある。
それは、(私たちの社会では)家事をしないことや優れた雇用を確保することだけでなく、心理的にも発揮される男性権力の物質的基盤である。

人はどのようにして性的欲求を満たすのか、 どのように種を再生産するのか、 どのように新しい世代に社会規範を植え付けるのか、どのようにジェンダーを学ぶのか、 
要するに自分が男であること、女であることをどのように感じるか。

それらの実際の諸現象は、ルービンがセックス・ジェンダー・システムと呼ぶ領域で起きている。

ルービンは、親族関係の影響と、育児と「エディプス・マシン」による性別特有の人格の発達を強調している。そのようにして築かれた人格は、誰となら性的欲求を満たせるかを教えてくれる。

性/ジェンダー・システムという概念は、他のすべての社会制度がジェンダー階層を定義し、強化する上でどのような役割を果たしているかを教えてくれる。

ルービンは、理論的には性/ジェンダー・システムは女性優位、男性優位、平等主義のいずれにもなりうると指摘する。しかし、既知のさまざまな性/ジェンダー・システムにラベルを貼ったり、これまでの歴史の中でどのようなシステムが存在したのか、それに従って歴史を時代区分したりすることは避けている。

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性/ジェンダー・システムを現代のように「家父長制」と呼ぶようになったのは、現在のシステムの中核となっている、ヒエラルキーと男性優位の二重構造概念を適切に捉えているからである。


* システムの経済的土台 (マルクス主義者が生産様式と呼ぶもの)

エンゲルスによれば、経済的生産システムと性/ジェンダー領域における生活システムは、ともに「特定の時代に特定の国々の人々が生きていくための社会組織」を決定する。社会の全体は、これらの生産と再生産、人と物の両者を見ることによってのみ理解できる。

「純粋な資本主義」は存在しないし、「純粋な家父長制」も存在しない。存在するのは、家父長制資本主義であったり、家父長制封建制であったり、原始共産主義的狩猟/採集社会であったり、母系制農耕社会であったり、家父長制農耕社会であったりする。

なぜなら、それらは必然的に共存しなければならないからである。

生産のある側面の変化と他の側面の変化の間には、必然的な関連性はないように見える。ある社会が資本主義から社会主義に移行しても、家父長制のままである可能性もある。

いずれにせよ、常識や歴史、そして私たちの経験は、生産におけるこの2つの側面が非常に密接に絡み合っていることを示している。そして、一方の変化が他方に動きや緊張、矛盾を生み出すのが当たり前だと教えてくれる。


* 人種間ヒエラルキーも家父長制と同じ文脈

人種間のヒエラルキーもまた、この文脈で理解することができる。さらに言えば、「肌の色/人種システム」をこの文脈で定義することも可能であろう。それは肌の色という生物学的な違いを、人種という社会的カテゴリーに変えることである。

人種的ヒエラルキーは、ジェンダー的ヒエラルキーと同様に、私たちの社会組織の側面であり、人々がどのように生産され、再生産されるかという側面である。それはもともとイデオロギー的なものではない。私たちの生産様式の第二の側面、すなわち人々とその生活の生産、あるいは再生産の構成要素なのである。

その場合、私たちの社会をたんに「資本主義」と呼ぶだけでは不十分かもしれない。少し長くなるが、「家父長制+白人至上主義的資本主義」(patriarchal capitalist white supremacist)と呼ぶのが最も正確かもしれない。

後に第III部で、資本主義が人種秩序に適応し、それを利用している一つの事例と、資本主義と家父長制の相互関係のいくつかの事例を示す。

資本主義の発展は、労働者のヒエラルキーが形成される「場」を作り出すが、伝統的なマルクス主義のカテゴリーでは、誰がどの場所を埋めるのかを具体的に知ることはできない。実際には、ジェンダーと人種のヒエラルキーが、誰が空いた場所を埋めるかを決定する。


* 家父長制は “普遍的で不変の現象” ではない

家父長制は単なる階層組織ではなく、特定の人々が特定の場所を埋める階層である。私たちは、これまでの社会のほとんどが家父長制をとってきたと考えているが、家父長制を普遍的で不変の現象とは考えていない。むしろ家父長制とは、男性が女性を支配することを可能にする男性間の相互関係の集合であり、時代とともにその形態と強度を変化させてきた。

家父長制をその始まりから研究する必要がある。そのことで、なぜ女性が支配されるのか、どのように支配されるのかを知ることができる。

重要なのは 以下の2点である。

第一に、男性は相互依存を深める中で、女性を支配する能力を身に着けてきた。一体どうやって? それを社会の歴史的考察の中で検証しなければならない。

第二に、男性間はヒエラルキー厳然として存在する。なのにどうして家父長制的利益を守ることでは共同している。一体どうやって?  そこには上位階級と下位階級のアクセスの違いがあるはずだ。

確かにここでは、階級、人種、国籍、さらには婚姻状況や性的指向、そして当然のことながら年齢が関係してくる。

そして、同じようにさまざまな女性たちが、さまざまな形で家父長的権力にさらされている。
家父長の妻が、家族内の力関係によっては、家父長的権力をヒエラルキーの下位にある男性に対して行使することもある。稀には女性自身が階級、人種、国家の権力を行使することもある。




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* 家父長制に関する唯物論的フェミニズムーールービンの主張の小括

要約すると、家父長制とは、物質的基盤を持つ一連の社会関係と定義される。
そこには、男性間の上下関係と男性間の連帯が存在し、それによって男性が女性を支配することを可能にする ものであると定義する。

家父長制の物質的基盤は、女性の労働力に対する男性の支配権である。それは、経済的生産資源への女性のアクセスを拒否し、女性の労働の質と量を制限することによって維持される。

こうして獲得した支配権を男性が行使するのは、女性から個人的な奉仕作業を受けるときである。男性は、女性から個人的な奉仕作業を受けること、家事や育児をしなくてすむこと、セックスのために女性の身体を利用できる権利を持ち、支配力を行使する。

現在私たちが経験している家父長制の決定的な要素は、以下の通りである:

*異性間結婚(そしてその結果としての同性愛嫌悪)、 
*女性による育児と家事 
*男性への経済的依存(労働市場における取り決めによって強制される)、 

それらを基盤として、国家、クラブ、スポーツ、組合、職業、大学、教会、企業、軍隊などで受ける差別である。家父長的資本主義を理解するためには、これらすべての要素を検証する必要がある。

男性間のヒエラルキーと相互依存、そして女性の従属は、どちらも現代の社会が機能する上で不可欠なものである。つまり、これらの関係はシステム化されている。
このような関係の創出の問題を素通りしたままで、資本主義社会における家父長制的関係を考察することができるだろうか。 

資本主義社会の中で、ブルジョワとマルクス主義の社会科学者の双方がもはや存在しない、あるいはもはや些末な残渣だと主張する事物の中から、男性社会固有の紐帯を発見しなければならない。

そのことで、このような男性間の関係が、資本主義社会でどのように生きながらえているのかを理解できるだろうか?

そのことで、家父長制がどうやって資本主義発展の過程を生き延び、それどころか資本主義の発展を支えてきたのか、その秘密をつきとめることができるだろうか?



III. 家父長制と資本のもたれ合い

訳注: 第三部では、これまで紹介された各論者の主張を踏まえつつ、ハルトマン独自の論理が展開されている。面倒な人はここから読み始めてもよいだろう。

社会関係を貫く家父長制の論理

我々は資本主義社会における家父長制的な社会関係をどう認識するべきか?

女性は「自分の関係する男性たちにだけ抑圧されている」と錯覚しているのではないか。彼女が抑圧されているのは私的な事情のようだ。それだけではなく男性同士の関係も、家族間の関係も同じく、私間の関係のように分断されているように見える。男性同士の関係や男女の関係を、家父長制という半ば公的なものとは考えにくい。

しかし、私たちは、男女関係の大元となる夫婦関係は家父長制システムに編み込まれており、現代の家父長制は資本主義の中に存立していると主張する。そして資本主義では、家父長制と資本主義社会との間に健全で強力なパートナーシップ(healthy and strong partnership)が存在していると考えている。

しかし、家父長制の概念と資本主義的生産様式を学べばすぐにわかるのだが、家父長制と資本の紐帯が強固なものでもなければ、必然的なものでもないことはすぐにわかる。
特に女性の労働力の利用をめぐっては、しばしば男性と資本家の利害が対立する。ここには、両者の本質的矛盾が顕在化する可能性がある。

大多数の男性は、家庭で女性に個人的に奉仕してほしいと思っているかもしれない。 一方、資本家である少数の男性は、ほとんどの女性が賃金労働市場で働くことを望むであろう。なぜなら資本家にとって、ほとんどの女性は自分の女性ではないからである。

訳注: 大変僭越な言い方だが、フェミニストの主張をここまで概観した限り「家父長制」の表現は正確なものとは思えない。家父長制という表現で何を言おうとしているかを端的に言えば「“男社会” の論理」という表現で十分なのではないかとの感じを受けてしまう。



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女性の労働力をめぐる2つの男性階層の緊張関係が続いている。これを歴史的に検証することで、第一に資本主義社会における家父長制的関係の物質的基盤を明らかにできる。そして第二には、資本と家父長制のパートナーシップの基盤を明らかにすることができるだろう。


1.工業化と家族賃金の発展 

マルクス主義者たちは、19世紀に目撃した社会現象の一部から、きわめて論理的な推論を行った。
しかし、彼らは結局のところ、一方で、資本が対抗しなければならなかった既存の家父長制を支える社会的諸力の強さを過小評価し、他方で、資本がこれらの諸力に適応する柔軟性を兼ね備えていたことを過小評価していた。

産業革命は、女性や子どもを含むすべての人々を労働力に引き込んでいた。実際、最初の工場では、ほとんど独占的に児童労働と女性労働が使われた。

 女性や子供が男性とは別に賃金を得ることができたことは、権威関係を弱体化させ、すべての人の賃金を低く抑えた。(前に第1部で論じた通り)

1892年に書かれた論文の中で、カウツキーは、その過程をこう表現している:
労働者の妻と幼い子供たちが自分の面倒を見ることができるようになれば、資本家は男性労働者の賃金を、最低レベルまで、すなわち労働者自身の肉体維持のための限界点まで下げることができる」
さらに、女性や子どもの労働は、男性よりも労働強化に抵抗する力が弱いという“利点”もある。彼女たちが労働者の列に加わることで、市場で売りに出される労働力の量が飛躍的に増大する。
したがって、市場に過剰労働力を供給するために、男性労働者の抵抗能力を低下させる。この両方の事情によって、労働者の賃金は低下する。
低賃金と家族全員の労働力への強制参加による労働者階級の家族生活へのひどい影響は、すでにマルクス主義者によって認識されていた。

カウツキーはこう続ける。
資本主義的生産システムは、ほとんどの場合、勤労者の単身世帯を全面的に破壊するのではない。それは最も不快な特徴だけを残していく。今日、女性が産業活動で活躍することは、かつて女性が担っていた家族内負担を、新たな種類の負担という形で押し付けることを意味する。妻が日々の糧を得るのを手伝わなければならないときはいつでも、勤労者の家庭は苦しくなる。
カウツキーと同様、勤労者も女性の賃金労働の不利を認識していた。
女性は「安い競争相手」となるだけでなく、働く女性が妻であことを許されなくなる。人は「二人の主人に仕える」ことができないからだ。


2.男女同一賃金か「家族賃金」か

だから男性労働者は、女性や子どもが労働力として全面的に参入することに全力で抵抗し、女性や子どもを組合員から排除しようとした。そして労働力からも排除しようとした。

 1846年、「10時間労働」誌は次のように述べている。
「言うまでもないことだが、女性工場労働者のモラルと身体的状態を改善しようとするあらゆる試みは、労働時間が大幅に短縮されない限り、頓挫せざるを得ないであろう。実際、結婚している女性は、疲れを知らない機械の稼働に従うよりも、家事労働に従事したほうがずっとよい。我々は、夫が妻と家族を養うことができるようになる日がそう遠くないことを願う」


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アメリカでは1854年、全国組版組合が次のような決議を行った。
は、「女性植字工の雇用を奨励するような法律の制定を望まない」と決議した。
つまり男性組合員は女性労働者に組合の保護を与えることを望まなかった。むしろ排除しようとした。

1879年、葉巻製造業者国際組合のアドルフ・ストラッサー会長は次のように述べた。 「私たちは女性を労働から追い出すことはできないが、工場法を通じて女性の一日の労働割当量を制限することはできる」


3.児童労働の違法化の論理と保護労働法

低賃金の競争という悪循環は、賃金を稼ぐ女性や若者を組織化することで解決できたかもしれないが、家庭生活の崩壊という問題は解決できなかった。男性は男性に対象を限定した組合の保護を主張し、女性と子どものためには別立ての保護労働法をもとめた。

保護労働法は、女性労働や児童労働の最悪の虐待の一部を改善したかもしれないが、多くの「男性」の仕事への成人女性の参加を制限した。男性は高賃金の仕事を自分のものにし、男性の賃金だけを引き上げようとした。

彼らは、賃労働だけで家族を養うのに十分な賃金を主張した。この「家族賃金」制度は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、安定した労働者階級の家庭の規範となった。何人かのオブザーバーは、非賃金労働者の妻は男性労働者の生活水準の一部であると宣言した。

 男性労働者は、男女同一賃金を求めて闘う代わりに、妻の家庭での奉仕を維持したいと願い、「家族賃金」を求めた。家父長制がなければ、統一された労働者階級が資本主義に立ち向かえたかもしれないが、家父長制的な社会関係は労働者階級を分断し、一方(男性)が他方(女性)を犠牲にして資本家と取引することを許した。

男性間のヒエラルキーと男性間の連帯の両方が、この解決プロセスにおいて極めて重要であった。「家族賃金」は、女性の労働力をめぐる対立の解決として理解されるかもしれない。「家族賃金」は、当時、家父長制と資本主義の利害の間で起こっていた女性の労働力をめぐる対立の解決として理解することができる。

ほとんどの成人男性にとっての「家族賃金」とは、若者、女性、老人、障害者などの低賃金を男性が受け入れ、それに加担することを意味する。そこには広義の劣等家族 (障害者、有色人種など、家父長制階層の最下層グループ)がふくまれる。それは、不足分を学校や訓練プログラム、さらには家族といった補助機関によって維持されている。

 性別による職業分離は、女性が低賃金の仕事を持つようにすることで、女性の男性への経済的依存を保証し、女性と男性の適切な領域という概念を強化する。そして、ほとんどの男性にとって、家族内賃金の発展は男性支配の物質的基盤を確保するものであった。男性支配の物質的基盤は2つの方法で確保された。

 第一に、女性の賃金は男性よりも低い。


その3へ続く