1.「耐え難きを耐える」しかないこともある

毎日、ハラハラ・ドキドキしながら国際報道の動向を見続けているが、そのたびに強烈なめまいと揺れを感じる。
論調はほとんど「アメリカによる停戦交渉反対!」に近い。「侵略容認、国連憲章無視」などの激しい形容詞が続く。だったら停戦交渉はやめろというのか?
しかしかろうじて反対とは言わない。ヨーロッパに戦争を支える力なく、ゼレンスキーが停戦受け入れの方向に動いているからだ。もしウクライナが停戦を受け入れて、それでも「停戦するな、正義と公正のために戦え」というのなら、それはあまりにむごい論調だ。
人の命を一番に考えるなら、耐え難きを耐え停戦に応じるしかない。それが今の現状だ。
トランプが仕切っているのはシャクな話かもしれないが、これまで3年間、親ウクライナ勢力の中で誰が真剣に停戦努力をしてきただろうか。むしろ「停戦はロシアを利するもの」と言って敵視してきたのではなかったか?
ウクライナ侵攻3年 犠牲者は12万人超といわれる。一方で英国防省の発表では、ロシア軍死者が25万人に達したとされる(若干眉唾だが…)。少なくともわかるのは、ウクライナ人にとっても、ロシア人にとってももう戦争はたくさんだということだ。
「だからこそロシアを撤退させなければならない!」という循環論法が、正義派の悪い癖だが、もしこれ以上殺し合いが続くなら、後世の人は「ロシアではなく正義派が戦争継続を主張したからだ」と言うかも知れない。

2.ロシア側の「正義」にも耳を傾ける必要がある

ロシアはこの戦争をロシア対NATOの戦いと見ている。私も客観的な観点から見て反NATO、反軍事同盟の闘いの一角としての要素を見出している。ただしなぜハンガリーやチェコの繰り返しのような軍事侵攻を行ったのかは未だに納得はいかない。
ロシア側の言い分はとても届きにくくなっている。世界中からツマハジキにされ敵意の中に包囲されている。それを承知でロシアは戦争に飛び込んだ。最初は欧米連合にはとても刃が立たないだろうと見られていた。それだけロシアには必死の思いがあると感じるべきだ。
このような戦争の性質上、「ただ一点」で正邪を裁断するのは難しい、というより不可能だと感じる。あえて言えばそこにこだわったために3年もの戦争が続いてしまったのではないかと感じる。
これからの停戦交渉も前途は厳しい。正義派がこの点で一歩も譲っていないからである。停戦協議が進んでいくためには正義派に「ロシアが正しい」とか、「どちらにも正義がある」ということではなく、せめて「ロシアにもそれなりの言い分がある。それを聞いたうえで話し合いに臨むべきだろう」という懐の深さである。


3.正義論には抑止力につながる危険がある

わたしたち日本国民は戦争を放棄した。そこには「いかなる理由があろうとも、国連憲章がどうであろうとも、戦争という手段は取らない」という非戦の決意が込められている。
「そんな事を言っても、ウクライナのように攻め込まれたらどうするか」という「現実論者」や、「その時は武器を取って戦うべきだ」という「正義論者」がいる。
しかし、「中国やロシアに攻め込まれたら、戦っても勝ち目はない」というのがありのままの現実だ。「アメリカが守ってくれる」というが、今度の事態を見れば明らかだ。「アメリカはそんなケンカはやらない。アメリカ・ファースト」だ。

昭和20年8月14日、陸軍決起派にとって「聖戦完遂、一億玉砕」が正義だった。正義とはそんなものだ。

気に入らないかも知れないが、トランプによる停戦交渉は開戦以来初めての本格的なチャンスだ。これを逃すことで、歴史的な負い目を背負うことだけは、せめて避けてほしいと思う。


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12月3日深夜、韓国国会内で軍突撃部隊の中を奪おうとする女性。非戦と勇気は両立する。