年輪というものを考えていて、ふと分らなくなった。年輪というのは木の一番外側にできていくものなのか、それとも内側にできていくものなのか。その事についていて辞書に書いてあったっけ?

これはデジタル大辞泉

樹木の横断面にみられるほぼ同心円状の輪。温帯林では形成層の肥大生長が気温で異なり、春から夏にかけて活発に生長し、冬に休止するので、1年の間に粗と密の輪ができる。熱帯降雨林では1年じゅう生長を続けるので、年輪はふつう認められない。

普通の字引きではこのレベル、百科事典になると一気にやたら詳しくなるが、その話はなかなか出てこない。

コトバンクにはブリタニカ、マイペディア、ニッポニカ、世界大百科、から引用されているが、明言したものは一つもない。

木の幹の成長の理屈は多分こうだろう。養分が葉で光合成され、いったん根に蓄えられる。これと根が地面から吸い上げた養分があわさり、幹を伝って上がってきて、幹を太くするという過程だ。それなら普通は中心に太い導管がありその周囲に成長因子があって膨らんでいくのではないか?

しかし実際に木口を見ると、内側ほど固く高密度で、いかにも古そうだ。外側の樹皮の直下は柔らかくみずみずしく、まだ木になっているとはいえない。
現実から考えると、木というのは十二単衣のように毎年一枚づつ衣を重ねて成長していくのかということになる。

否応なしにそう納得せざるを得ないのだが、どことなく釈然としない。人間の場合、体の内側で皮膚の原料を作って、それが表面に出ていって古い皮膚と入れ替わり、やがて死んで剥脱していく。
これは動物と植物、とくに樹木との決定的な違いなのではないかと思い至る。そして樹木というのが、“年輪形成を基本とする特殊な生命のあり方” なのだというところに落ち着く。

家具蔵HPより
              家具蔵HPより

それはそれで納得なのだが、なぜこんな事を考えたのかというきっかけは、このような成長の仕方を可能にしたロジスティックスの仕組みだ。
もしわたしたちが、木の内部構造を知らずに電気系統や水回りの設計図を書けば、木の中心にコモンダクトを描くに違いない。しかし実際に木を切ってみると、木の真ん中はリグニンで飴色に染まった硬質の芯となっている。導管はよく知らないのだが樹皮直下の成長部を細かい網の目になって走っているのではないか。
つまり木の年輪の内側部分は、もはや木というより“木だった”ものの化石というべきだ。彼らは“死して護国の鬼となった”わけだ。(人間の皮膚には、死して菅原道眞となったものもいる。にっくき魚の目だ)

こういう生き方は人間の生活スタイルではないが、独居老人となったいま、どことなく気になる生き方ではある。山田監督の「家族」という映画を思い出して、昭和という時代が人間の生の「継いでいく」という樹木的性格を剥ぎ取ってしまったのではないかと考えてしまう。

肝心の「年輪の作られ方」については、また気が向いたら調べることにしよう。