「日本人の二重の起源」テーゼ集

Abstruct

01 日本における人類史は、アジア大陸を起源とする 2 つの異なる集団により形成された。最初の集団は、最終氷期極大期 (12,000 年以上前) 後に、陸続きだった大陸から移住した。彼らは旧石器人として進入し、縄文文化を生み出した。
もう一つの集団は、約 2,300 年前に朝鮮から進出し、水田稲作を基盤とする弥生文化をもたらした。

01a (私見)この日本人類史には大きな欠落がある。旧石器捏造事件以来、考古学会は慎重な態度を取り続けているが、4万年前(後期旧石器時代)までは人類の存在を遡ることができる。この第一次集団は当時中国大陸の一部だった黄海や、限りなく狭かった朝鮮海峡を越えて日本列島に進入した。彼らは人骨を残さず絶滅し、現生日本人のY染色体にも痕跡を残していない。
もし最初の先日本人を推測すれば、ハプロC1(南アジア型)のプロトタイプに限りなく近い種族ではなかったろうか。(現存日本人のハプロC1a1 は最大でも2万年前以降の分岐とされる)

02 現生日本人のハプログループ解析では、2つの主要系統(DとO)と2つのマイナー系統(CとN)の存在が確認された。
ハプロOグループは 51.8%存在し、九州北部で最大頻度を示した。ハプロDグループは 34.7%存在していた。北部アイヌと琉球諸島で最も頻度が高かった。アイヌ人と琉球人は縄文人の子孫である残存民族と認識されている。2つのマイナー系統(CとN)については後述。


原日本人における主要なハプログループ(イヤでも右側列の遺伝子名を覚えるしかない。覚えるべき名前はそれほど多くはないからグッと我慢)
 

ハプログループ系統名称

ハプログループ(Y染色体)

ハプログループC   西南アジア

C-M130 (Y染色体)

ハプログループC1a1 日本

C-M8 (Y染色体)

ハプログループC1a2 パプア・豪州

C-V20/V184 (Y染色体)

ハプログループC2  モンゴル~北米

C-M217 (Y染色体)

ハプログループD   チベット

ハプログループD (Y染色体)

ハプログループD1a1 チベット

ハプログループD Z27276 (Y染色体)

ハプログループD1a2a 日本

ハプログループD M55

ハプログループO

 

ハプログループO1b

ハプログループ(O-P31)

ハプログループO1b1 東南アジア

ハプログループ(O-M95)

ハプログループO1b2 日本・韓国

(SRY465*とその派生ハプロO-47z)

ハプログループO2  中国(漢民族)

M122の亜型(M134とO-LINE)

ハプログループO2  日本

ハプログループ M122  (Y染色体)



03 Y染色体の短鎖反復配列(Y‐STR)を解析した結果、Dは2万年前、ハプログループC(M8)は約1万2千年前に日本へ進出したことが明らかになった。


Introduction

04 (テーゼ01の反復) 考古学的には、日本移住の波が少なくとも 2 回記録されている。初期の移住の波は 3 万年以上前に発生し、1 万 2 千年以上前に縄文文化を生み出した。
約 2,300 年前に朝鮮半島から渡来した弥生人は、水田農業、機織り、金属加工をもたらした。それはまず九州で見られ、西暦 300 年頃までに拡大を完了した。

04a (私見)縄文、弥生文化の始まりは、現在ではそれぞれ1万5千年前、3000年前まで遡る。一方、弥生文化の北関東以北への波及完了は坂上田村麻呂の時代まで下る。

* 用語の整理: NRY系統の命名については、Y染色体コンソーシアム(YCC 2002)が推奨する用語規則に従った。
編注: YCC 2002はCasualな試案として提起された。現在ではかなり重大な変更が加えられ、ISOGG (International Society of Genetic Genealogy) の公認分類となっている。頻繁に修正が加えられていて、ネット上ではVersion: 15.73   Date: 11 July 2020 が最新版となっている。

05 日本本土の現在住者は、縄文人と弥生人の混血(hybridization)によって形成されている。置換(前住者の駆逐)や変容の過程は主要な要素ではない。


Result

06 縄文人の起源については未だに確定されない。

編注: 
①「東南アジア人の直系子孫」説は氷河期に大陸とを結ぶ陸橋を渡ってきたとするもので、歯列形態や頭蓋形態に基づく主張(埴原)である。
② 古典的なマーカー多型(Y染色体以外の遺伝子)によって、北東アジアの起源説を主張する説(尾本)もある。これとは別に、
③ Y染色体やミトコンドリアDNA研究から、朝鮮人やチベット人とのつながりを指摘する意見もある。

07 先住者(旧石器人⇒縄文人)は、一般的にDハプロ系を指す。
ハプロDは現生人類のなかで、ハプロCと並び最古であり、世界中に散布されている。その一方現在では、日本を除く世界で、稀少グループとなっている。これが多くの説(とくに全ゲノム派)が乱立する理由となっている。

07a 「約1万2千年前に日本へ進出したハプログループC」というのはハプロC1a1人(遺伝子系としてはM8)である。D人と混血し、縄文人の一部を構成している。分布に法則性が見られず、それ以上の過剰評価は危険である。サンプル数の増加が待たれる。C2人の由来は圧倒的にアイヌと混血したオホーツク人によるものであるが、九州での比較的高密度が有意かどうかは、サンプル数の増加を待って判断すべきであろう。


08 ハプログループOは日本人のY染色体の51.7%を占めた。

沖縄では37.8%でやや低値を示す。O1b(O-P31)と、O2(O-M122)という2つの主要なサブクレードがある。

08a O1bの細分類

O1b は、さらにO1b1(M95)O1b2 (P31の2つのサブクレードに分かれている。O1b1は、東南アジアと南アジアに多く、日本では少ない。O1b2は日本のハプロOの最多種であり、日本固有に近い。

08b O2の細分類

O2(M122)は漢民族を代表するハプロである。O-M134(10.4%)とO-LINE(3.1%)という2つの派生亜型がある。現生日本人の2割がO2系であり、決して少なくない。弥生人を一色に描いてはいけない。
O-M122*(6.6%)という下流の変異が見られない遺伝子多型が、最多ではないが、日本で特異的である。これはO2人の渡来が数次にわたったことを示唆している。

09 ハプロD(日本のP37.1)人は極めて稀である。M15はチベット、モンゴル、東南アジアに存在し、共通祖先と見られるD-M174*は、中央アジアに見られる。

10 ハプロC人の由来:一部07a と重複する。ハプログループCに属する人々は2つのグループに分けられる。ハプロC2はM217の変異を標識とする。ハプロC1 a1は C-M8染色体の遺伝子多型によるグループ
当初の記載(下記)は削除する。4万年前の渡来民は3万年前に絶滅し、遺伝学的痕跡を残さなかったと思われる。


11 ハプログループNは日本で4番目に多いハプログループ(1.5%)で、本土の日本人だけに見られる。

N群とO群は遺伝子的には近縁の種族である。N群はシルクロードを東西に移動していた可能性がある。彼らが大集団生活を送った最東部が遼河文明である。N群の多くは西に去ったが、残留者はO2群の人口圧を受け、朝鮮半島から日本列島へと移動した可能性がある。

(非計量的MDSプロットとY-STRハプロタイプの中央値結合ネットワークは意味不明のため省略)


12 ハプロD1およびハプロC1a1グループの分岐形成時期は、ハプロO1b2 (O-47z)のそれと比べてかなり古い

Y染色体系統の分岐年代の推定値は精度に問題があるが、D1はサンプル数が多いため2万年前(±1千)で確定。(ただしD人が入ってきたのはそれより5千年ほど遡る)
C1a1(C-M8)は相当ばらつくが2万年前~1万年前、縄文文化の発祥に前後して渡来した。氷河期の終わりに伴い黄海の海進があり、これとの関連で一部が日本に渡ったのではないか。
O1b2がO1b1と分岐したのは1万~8千年前ころで、おそらく長江流域での出来事と思われる。彼らは4千年前ころ、O2人の進出により押し出され、朝鮮半島南部、そして日本へと移住した可能性がある。


Discussion

13 日本の固有ハプロは D1(-P37.1とその子孫)、O1b2(-47z)、C1a1(-M8)である。
それぞれ日本人のY染色体の34.7%、22.0%、5.4%を占める。C1a1は数は多くないが固有であることに意義がある。欧州にも類似のハプロが存在する。かなり古い時代(遅くとも1万5千年前)に後続グループにより周辺化させられたのであろう。

14 2つの男性系統(それぞれD-YAP+とO-p47z)が混血し、現代の日本本土の集団を形成した。
きわめて大雑把に言えばそういうことになるが、やはり西南日本で、C2人の比率がコンタミネーションのレベルのを超えているのは、無視できない。少なくとも2.5種のハプロが混合したと言うべきではないか。

私見: 最近、一部に古墳人という言い方を主張する研究者グループがあるが、O2人が大量渡来したのはもっと前だ。彼らは弥生人より数は少ないが鉄製武器という圧倒的な武力と、流血を恐れぬ勇猛な精神とで西南日本を制圧した。私は天孫族という呼称を提案している。

O2人がD人とO1人を制圧

図 5 九州からの距離に比例してプロットした6サンプルのハプログループ頻度

この図を見れば、現代もなお、C2人がC1人とD人を支配しているように思えてくる。



15 縄文から弥生までの人口動態は、 一定規模の祖先集団からの指数関数的成長」というモデルに従う

D系統とC1b1(M8) 系統の合体時期は、人口規模が一定であると仮定すると、〜20,000年前である。しかし縄文時代
人口が飛躍的増加していることを考えると、その時期はもっと降るだろう。
C2人とO1b2人の混血も下記の2つの事情により、紀元前後まで下る可能性がある。
① 稲作開始による人口の爆発増加 ② 楽浪郡創設に伴う一部C2人(漢系)の侵入。


16 O人(O1とO2)がどこからやってきたのか、見解は明らかにされていない

縄文人についてはおおよその合意ができている。基本はD人で、2万5千年ほど前に樺太から南下した。1万5千年前に朝鮮半島からC1a1人がやってきた。比較的少数だった彼らはD人に吸収合併されたが、Yハプロとして痕跡を残している。朝鮮半島にいたC1a1人は絶滅した。
このD+C1a1人が縄文人を形成した。

O人がアジアに拡散した経過は3つ考えられる。
① 遺伝学的に近縁のN人とO人が前後して中央アジアから中国北部に入った。O人はここでO1人とO2人に分岐した。最初はN人が文明を築き、ついでO2人が華北を掌握した。O1 人は南に下り長江文明を築いた。
② 遺伝学的に近縁のN人とO人が前後して東南アジアから中国南部に入った。O人はここでO1人とO2人に分岐した。O1 人は南に残り長江文明を築いた。N人とO2 人は北に進み、最初はN人が文明を築き、ついでO2人が華北を掌握した。
③ 中央アジアでハプロNOからN人とO人が分岐し、O人からO1人とO2人に分岐した。O1人は南回りで長江流域に達し、長江文明を築いた。N人とO2 人は、やや遅れて中国北部に進み、最初はN人が文明を築き、ついでO2人が華北を掌握した。

日本ではウィキペディアが尾本らの多因子解析を踏まえて、①の流れを主張するが、欧米では、② の考えが依然として主流である。古人骨DNAの研究成果が考古学的知見とつきあわされることなく、無批判に垂れ流される傾向はないだろうか。
これはYハプロを基本とする人類学的研究が停滞する理由の一つではないかと危惧するところである。

以上