Journal of Human Genetics volume 51, pages47–58
01 January 2006

日本人の二重の起源:狩猟採集民と農耕民のY染色体の共通点

Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes

Michael Hammer, Tatiana Karafet, Hwayong Park, Keiichi Omoto, Shinji Harihara, Mark Stoneking & Satoshi Horai

https://www.nature.com/articles/jhg20068

Authors and Affiliations

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訳者より
最近、全ゲノム解析とか言って、Y染色体はもう古臭い議論だという雰囲気が漂っています。面白いのはそういう雰囲気を漂わせている人たちの言葉の中に、Y染色体ハプロを正面から否定する表現はないということです。
わたしは崎谷さんの著書を度々引用していますが、崎谷さん自身がその後、分子人類学の世界から足を洗ってしまったせいで、アカデミーから実質上スルーされてしまっているような印象を持ちます。
そこで、Y染色体ハプログループと日本人の起源を体系的に取り上げている、この論文を訳してみました。分子人類学と日本人の起源に関する研究者は、まずこの論文を共通の土台として議論を積み上げるべきではないかと考えます。
とても難しい言葉が続き苦労しました。かなり誤訳もあると思います。ご寛恕のほどを…
ご多忙な方へ
ここぞというところをゴシック体にしました。そこだけ飛ばし読みしてみてください。

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Abstract

日本における人類史は、アジア大陸を起源とする 2 つの異なる集団により形成された(厳密には、さらにいくつかの比較的少数の集団が数えられる)
最初の集団は、最終氷期極大期 (12,000 年以上前) 後に、陸続きだった大陸から移住した。彼らは旧石器人として進入し、縄文文化を生み出した。
もう一つの集団は、約 2,300 年前に朝鮮から進出し、水田稲作を基盤とする弥生文化をもたらした。朝鮮海峡を船で渡って来たため、渡来民とも呼ぶ。

今回我々は Y 染色体の一塩基多型 (SNP)*を解析し、 縄文人と弥生人の Y 染色体系統が現代日本人にどの程度寄与しているかを判定した。
 一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphisms):DNA配列を構成する1つの塩基(ヌクレオチド)が置き換わる現象。ある集団の1%以上に特定の一塩基の置き換えが出現する現象。1,000塩基に1回の頻度で起こるが、遺伝子部分には起きない。このため生命に関わるこことはほとんどない。世界で6億種類以上のSNPが発見されている。

私たちは① 日本列島全体から採取した 6 つの集団、② 39 のアジア系集団 から 2,500 人以上の男性試料を集めた。

主要な結果
1.日本人集団では2つの主要系統(DとO)と2つのマイナー系統(CとN)の存在が確認された。
2.ハプロOグループは 51.8%存在し、九州北部で最大頻度を示した。
3.ハプロDグループは 34.7%存在していた。その分布は、九州北部を挟むように、日本列島の東北と西南の両端に多かった。北部アイヌと琉球諸島で最も頻度が高かった。
4.Y染色体の短鎖反復配列* の多様性の合体解析により、日本列島への進出時期を推定した。
* Y‐STR(Short Tandem Repeat):Y染色体上にある繰り返し配列の回数。父親が共通の男兄弟同士は同じY-STRを持つ。このためY染色体マーカーとも呼ばれるY‐STRの多様性の合体解析というのは意味がわからないが、解析の結果は次の事項である。
ハプログループDは2万年前、ハプログループCは約1万2千年前に日本へ進出したと考えられる。ハプログループO-47z*は約4千年前に拡大し始めた。
* ハプログループO-47z⇒M268 は現在ハプロO1b2系とほぼ同一と考えて良い。以後の記述ではO-47zをO1b2に置き換える。

この結果は、形態学的および遺伝学的証拠に基づく以前のモデルに反して、縄文人の祖先が中央アジア起源、弥生人の祖先が東南アジア起源であるという仮説を裏付けている。


Introduction

100 年以上にわたる徹底的な調査 (Mizoguchi 1986 ) を経ても、日本人の起源は依然として議論の的となっている。現代の日本人に見られ、考古学や化石の記録にも見られる、かなり広範囲にわたる形態的、文化的、遺伝的変異を説明しようと、対照的なモデルが数多く提案されている。

豊富な考古学的証拠から、日本列島に人々をもたらした主要な移住の波が少なくとも 2 回記録されている。初期の移住の波は 3 万年以上前に人々を日本に連れてきて (Ono et al. 2002 ; Takamiya 2002 )、1 万 2 千年以上前に縄文文化を生み出した (Chard 1974 )。縄文人は狩猟採集生活を送り、第二の大きな移住の波が始まる前の数千年間、孤立した状態で世界最古の土器のいくつかを作っていた。

約 2,300 年前に朝鮮半島から渡来した弥生人は、水田農業、機織り、金属加工を日本にもたらした (Chard 1974 )。この新しい文化の影響は、まず九州で見られ、その後北東に広がった。西暦 300 年頃までに 弥生文化は拡大を終え、津軽海峡以南の地域文化はすべて弥生化した。

現代の日本人は、縄文文化と弥生文化を生み出した 2 つの集団の子孫であると一般に認められている。しかし、各々の集団が日本本土に与えた遺伝的貢献や、大陸アジアにおけるこれらの集団の起源地域については、いまだに論争が続いている。

本州、四国、九州という「中央」に位置する地域の「外縁」には、日本人とは異なる現代の民族が 2 つ存在する (図 1 )。これらは、北海道北部に住むアイヌ人と、沖縄を含む最南端の島々に住む琉球人である。琉球人とアイヌ人は、一般的に縄文人の子孫である残存民族と認識されており、アイヌ人は、前世紀の終わりまで、縄文後の影響から比較的隔離された状態で北海道に生き残っていた (埴原1991)。

人類の進化に関する多くの議論と同様に、日本本土在住者の起源に関する現在の仮説は、置換、混血、変容の 3 つのグループ(replacement, hybridization, transformation)に分類される。最近では混血モデルが主流になっている。

図1 本研究でサンプリングした39個体群のおおよその地理的位置を示す地図
Fig. 1
集団は4つの主要な地理的地域に分類されている(破線の円は中央アジア、南東アジア、北東アジアを囲んでいる)。
3文字のコードは以下の通り: 
 日本:AIN アイヌ、AOM 青森、SHI 静岡、TOK 徳島、KYU 九州、OKI 沖縄:
 KOR韓国、NHA北漢、MAN満州、
 東北アジア少数民族: MEV満州エヴェンク、BURブリヤート、EVKエヴェンク、EVNエヴェン、OROオロケン;
 南中国: TAI 台湾漢族および客家人、TAB 台湾原住民、SHA 南漢族、TUJ トゥジャ、YIZ イーズ、MIA ミャオ族、YAO ヤオ   族、ZHU チワン族、SHE シェ族、VIE ベトナム、
 東南アジア: MAL マレー族、FIL フィリピン、INW インドネシア西部、
 中央アジア: UYGウイグル、MONモンゴル、ALTアルタイ、TIBチベット、
 南アジア・豪州・オセアニア:INE インドネシア東部、AUS オーストラリア原住民、PNG パプアニューギニア、MEL メラネシア、MIC ミクロネシア、POL ポリネシア。
* 4集団(EVN、MIC、POL、MEL)のサンプリング位置は地図上にない。
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日本列島に渡来する以前の日本人

日本列島に渡来する以前の日本人の起源についても論争がある。一般的に弥生人は朝鮮半島を経由して北東アジアから渡来したと考えられているが、縄文人の起源については長年論争が続いている。

歯列形態や頭蓋形態に基づく推論は、最初に日本に移住してきたのは、東南アジア人の直系子孫であったということである。最初の縄文人が来た頃、日本列島がまだアジア大陸とつながっていた時代、この地球はまだ氷河期だった。北海道とサハリン島を経由し、あるいは朝鮮半島を経由して、大陸とを結ぶ洪積世の陸橋があった。

 一方、縄文人が北東アジアに起源を持つとの主張もある。古典的なマーカー多型が日本人と北アジアの集団との親近性を明らかにしている*(Omoto and Saitou 1997)。
Y染色体やミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究では、日本人と朝鮮人やチベット人との密接なつながりが示唆されている。
* 埴原は、頭骨と歯の形態学的特徴に基づき、現代日本人の集団形成について「二重構造モデル」を提唱した。そこには2つの独立した仮説がある。我々は最大25の 「古典的 」遺伝マーカーのデータを用いた遺伝的距離解析を行い、仮説を検証した。その結果埴原モデルの第一仮説を否定する結果が示された。アイヌと琉球人を含む日本の3つの集団は明らかに北東アジアのクラスター集団に属していた。アイヌ人と琉球人が本邦人や朝鮮人と対照的なグループを共有しているという、モデルの第二仮説は支持された。以上の結果より、我々は二重構造モデルの修正版を提案する。(Am J Phys Anthropol 102:437–446, 1997)

Y染色体の性規定的な部分は、父方の祖先を追跡するのに非常に有用なツールであることが証明されている。組換えが発生せず、複数のマーカー系が存在するため、このハプロイド系は様々な時間スケールで発生したゲノム変異過程を推測する機会を提供する(Jobling and Tyler-Smith 2003)。

HammerとHoraiは1995年に少数例のY連鎖多型を調査し、縄文文化と弥生文化の両方が現存する日本人集団に遺伝的に大きく寄与しているという仮説を立てた。ここでは、この仮説にさらに取り組み、縄文人と弥生人の男性系統が日本に到着する以前の起源を調査する。そのために81種類のY連鎖二遺伝子多型(Y-linked binary polymorphisms)を用いた日本およびアジア人集団の大規模な調査を行った。
また、同じサンプルに含まれる10本のY-ショートタンデムリピート*(STR)を解析し、日本人の始祖Y染色体の起源に関する時間的枠組みを提供することができた。
* STR 遺伝子上の3~5塩基配列の連なりを指す。個別性が非常に大きいため、法医学的に個人を識別するのに役立つ。試料が微小な際はPCRで増幅したうえで検査。


材料及び方法

A. 被験者とY染色体に関する用語

我々は、日本の主要な地理的地域を6つの個体群に分け、合計259個体を調査した。それは沖縄、九州、徳島、静岡、青森、北海道である(図1): 

これとは別に、北東アジア、東南アジア、中央アジア、南アジア、オセアニアの地方から33個体群、合計2,248人の男性DNAサンプルを調査した。標本選択基準はすべて、アリゾナ大学の被験者委員会の承認を得ている。

NRY系統の命名については、Y染色体コンソーシアム(YCC 2002)が推奨する用語規則に従った。大文字のA-Rは、18の主要なY染色体クレードまたはハプログループを識別するために使用される。
派生文字状態に基づいて定義されていない系統は、系統樹の内部小分類(図2では点線で示されている)を表す。それらはパラ系統の可能性もある(Hammer and Zegura 2002)。
ハプログループはY染色体クレードに対応する大文字と、タイピングされた最も抹消側のマーカー名で示す。

この節の後半については私の翻訳力を越えており、省略。

B. 遺伝子指標

本研究の多型部位には、以前に発表された71個のY染色体二値マーカー(Karafet et al.) と7つの多型(M25、M73、M55、M116、M124、M269、M178)を遺伝子型決定した(Underhillら 2000; Crucianiら 2002)。
また、サハラ以南のアフリカ、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アメリカ大陸の92本のY染色体パネルで発見されたアリルスルファターゼD偽遺伝子(ARSDP)内の3つの新規多型をタイピングした(Hammer et al.)
これらの変異(それぞれP42、P47、P49と呼ばれる)は、日本人の一般的なハプログループのサブクレードを示すもので、57,713位のG→A転移、73,152位のC→T転移、72,392位のA→T転移である。

この節の後半については私の翻訳力を越えており、省略。

C. 統計学的解析

一塩基多型(SNP)データについては、ARLEQUIN 2.0 software (Schneider et al. 2000)を用いてΦST距離(Excoffier et al. 1992)を計算した。 Y-STR多様性は、ソフトウェアパッケージMICROSAT 1.5d (Minch 1997)を用いて推定した。多次元尺度構成法(MDS)(Kruskal 1964)は、ソフトウェアパッケージNTSYS(Rohlf 1998)を用いてΦST距離に対して行った。

この後の数段落については私の翻訳力を越えており、省略。

マイクロサテライト多様性に基づくハプログループ年齢の推定は、Y-STR多様性の合体シミュレーションのベイズ分析を行った。

3つのモデルを検討した: 
(1)集団サイズが一定;この場合、BATWINGは標準的な合体時間を実行する; 
(2) 現在の個体数に対してαの割合で純粋な指数関数的成長。
(3)成長率αを持つ時間βでの集団成長を組み込んだモデル。
初期有効集団サイズについては、対数正規事前分布(5,1)を用いた。 

この節の後半については私の翻訳力を越えており、省略。


結果

A. NRYハプログループの地理的分布



原日本人における主要なハプログループ
 

ハプログループ系統名称

ハプログループ(Y染色体)

ハプログループC   西南アジア

C-M130 (Y染色体)

ハプログループC1a1 日本

C-M8 (Y染色体)

ハプログループC1a2 パプア・豪州

C-V20/V184 (Y染色体)

ハプログループC2  モンゴル~北米

C-M217 (Y染色体)

ハプログループD   チベット

ハプログループD (Y染色体)

ハプログループD1a1 チベット

ハプログループD Z27276 (Y染色体)

ハプログループD1a2a 日本

ハプログループD M55

ハプログループO

 

ハプログループO1b

ハプログループ(O-P31

ハプログループO1b1 東南アジア

ハプログループ(O-M95

ハプログループO1b2 日本・韓国

(SRY465*とその派生ハプロO-47z)

ハプログループO2  中国(漢民族)

M122の亜型(M134O-LINE

ハプログループO2  日本

ハプログループ M122  (Y染色体)


日本人の集団では、合計19のハプログループが観察される。4つの主要なハプログループ(C、D、N、O)が認められた。日本人のY染色体の98.9%はこれらのグループで占められており、OとDがその大部分(〜86.4%)を占めている。

ハプログループOは日本で最も頻度の高いハプログループであり、今回の調査では日本人のY染色体の51.7%を占めた。このハプログループはアイヌ民族を除くすべての日本人集団に見られ、その頻度は沖縄で37.8%、日本本土の46.2-62.3%の範囲である(表1)。

このハプログループには、O1b(O-P31)とO2(O-M122)という2つの主要なサブクレードがあり(図2)、どちらも日本では高い頻度で存在している。O1b は31.8%の頻度で存在し、O1b2(SRY465)とO1b1(O-M95)の2つのサブクレードに分かれている(図2)。

O1b2 (SRY465*とその派生ハプロO-47z)は、日本(それぞれ7.7%と22.0%)と韓国(それぞれ33.3%と4.0%)にほぼ限定され、頻度パターンは正反対である(補足資料)。
本土型O1b2 (O-47z)はアイヌ民族を除くすべての日本人集団に認められ、沖縄(11.1%)よりも日本本土(21.3-28.3%)の方が高頻度である。

O1b1(M95)は、東南アジアと南アジアの部族集団で顕著な頻度で見られ、北東アジアではほとんど見られないマーカーであるが、日本では1.9%の頻度で存在する(補足資料)。
O2(M122)は漢民族を代表するハプロであり、ハプログループOのもう1つの主要な亜型である。日本ではO-M134(10.4%)とO-LINE(3.1%)という2つの派生亜型と、O-M122*(6.6%)という下流の変異が見られない染色体によって代表されている(図2)。

これらの系統は南東アジア、オセアニア、中央アジアのいくつかの集団で非常に一般的であり、中国ではO-LINE1とO-M134が全サンプリング染色体のほぼ50%を占めている(補足資料)。

図2 日本とアジア5地域における44のY染色体ハプログループの最大パーシモン樹とその頻度

図 2

  図 2 日本人6集団とアジア33集団のY染色体ハプログループ頻度
各地域のサンプル数: 日本259、北東アジア(NEA)441、東南アジア(SEA)683、中央アジア(CAS)419、南アジア(SAS)496、オセアニア(OCE)209。

主要なクレード(すなわち、C-R)は、各クレードの左側に大文字で表示されている。
突然変異名は枝に沿って示す。各枝の長さは変異の数や年齢に比例しない。
点線は下流のマーカーで定義されていない内部ノード(すなわちパラグループ)を示す。本研究で観察された41のハプログループの名前を枝の右に示す。
ハプログループの頻度は右端に示し、選択した日本人クレードの頻度は黒枠内に示す。

地域別
     表 1 日本6か所におけるハプロの出現頻度 

1.ハプロDクレード

日本で2番目に頻度の高いハプログループであるDクレードは、3つのサブクレードに分けられる: 

D-P37.1、D-M15、D-P47である(図2)。

D-P37.1系統はYハプログループの樹上では著しく長い枝であり、6つの突然変異が内部の枝に落ち、下流の3つの突然変異が3つの亜系統(D-M116.1、D-M125、D-P42)を定義している。これらの亜系統はD-P37.1*とともに、日本人のY染色体の34.7%を占めている(表1)。

ハプログループDは日本ではハプログループOとは全く異なる空間的パターンを示し、その頻度はアイヌの75%から徳島の25.7%まで様々である(表1)。

日本以外では、D-P37.1とその亜系統は非常にまれで、韓国人男性3人(D-P37.1*とD-M125*)とミクロネシアの男性1人(D-M116.1*)に見られるだけである。
D-M174の他の2つのサブクレードはアジア本土でのみ見られる。D-M15はチベット、モンゴル、東南アジアに存在し、D-M174*は中央アジアに見られる。
新たに同定されたP47変異は、以前は中央アジアのD-M174*が祖先であったほとんどの染色体をマークする第4のアジアのD系統を確立した(Karafet et al)


2.メジャーではないが確かな存在を示すハプログループCとハプロN

日本で3番目に頻度の高い主要なクレードはハプログループCで、今回の調査では日本人のY染色体の8.5%を占めた(表1)。
ハプログループCの3つのサブクレードは、M8、M217、M38の変異によって特徴づけられる(図2)。

 C-M217系統とその派生系統であるC-M86系統は、北東アジアと中央アジアでは一般的なハプログループである。しかし、日本では低い頻度でしか存在しない(それぞれ1.9%と1.2%)。
興味深いことに、C-M217はアイヌと本土の日本人には見られるが、沖縄には見られない(表1)。逆に、C-M8染色体は完全に日本列島に限られ、本土と沖縄に5.4%存在するが、アイヌには存在しない。
C-M38染色体は太平洋とインドネシア東部にのみ見られる。

私見: というわけで、日本には最初、4万年前に南日本系(C-M8)が、おそらく朝鮮半島から入った。津軽海峡を越えて北進することはなかった。少数ながら、3万年前の氷河期寒冷期を乗り越え残存した。それは北から来たD1人と融合し縄文人を形成した。
D1人(縄文人)は続縄文~擦文時代に道南から北進し、オホーツク人(C-M217)を駆逐して北海道を制圧した。このとき縄文人に従い北海道に住み続けた人がいた。彼らは進出してきた縄文人と融合しアイヌ人を形成した。…という経過でC型人の日本人への混入過程を説明できる。

 N群とO群は、マーカーM214によって定義されるY染色体ツリーで共通のノードを共有している。ハプログループNは日本で4番目に多いハプログループ(1.5%)で、本土の日本人だけに見られる(表1)。
NO*染色体は極めてまれであるが、日本では2.3%とはいえ、他の地域よりも高い頻度で見つかっている。

私見: N群とO群は遺伝子的には近縁の種族である。それはC群とD群の関係に似ている。N群は放牧生活を営みシルクロードを東西に移動していた可能性がある。彼らが大集団生活を送った最東部が遼河文明である。文化的には巨石文化が相当する可能性がある。同様の巨石文化が朝鮮半島西部から長崎県西武海岸に広がっており、これらの関連を示唆する、


非計量的MDSプロット

図3は遺伝子的距離に基づくMDSプロットで、ストレス値は0.16と低い。

Fig. 3
図3 遺伝子的距離*に基づく日本およびアジア39集団のMDSプロット。集団コードと記号は図1に同じ。

東南アジアの集団はすべてプロットの左側に集まっている。北漢民族(NHAN)、朝鮮族(KOR)、満州族(MAN)は東南アジアの集団と親近性を示している。その他の北東アジア人、中央アジア人、南アジア人、オセアニア人はすべてプロットの右側にある。

アイヌ(AIN)は単独的位置にある。日本の地域集団を見ると、九州(KYU)、徳島(TOK)、四国(SHI)、青森(AOM)の集団は東南アジアの集団により近い位置を占めている。
日本人のクラスター内にチベット(TIB)系集団が存在するのは、チベット系集団にD系統が多いためと考えられる(補足資料)。
* 私見: 遺伝子的距離は遺伝的構造による集団分化の指標である。一塩基多型(SNP)などの遺伝子多型データから推定される。ただしこれは常染色体の遺伝距離であり、ショットガン的発想にもとづく統計学的真理である。漢民族と東南アジア系が判別できないことにも示されるように、Y染色体ハプログループと同列には語れない。


Y-STRハプロタイプの中央値結合ネットワーク

Y-STRハプロタイプに基づく中央結合ネットワークを構築し、日本人の創始候補ハプログループ内のSTR変異を調べた。

① O-47z STRハプロタイプの中央結合ネットワークは星型の特徴を示し、共通の日本人ハプロタイプがクラスター全体の31%を占めている(図4a)。
② 5つの非日本人O-47zハプロタイプのうち4つ(韓国と東南アジア由来)はネットワークの中央に位置し、日本人ハプロタイプとほぼ重なる。両者は未分化のようである。
③ 別の非日本人O-47zハプロタイプであるO-SRY465*染色体のネットワーク(図4b)は、韓国で日本よりはるかに高いハプロタイプ分化を示している。
④ O-M95*系統の中央結合ネットワーク(図4c)では、2つの特徴的なクラスターが明らかになった。インドのハプロタイプはすべて一群化されており、もう一つのクラスターには日本を含む東南アジアのハプロタイプが含まれている。



図 4

図4 系統O-47z(a)、O-SRY465*(b)、O-M95*(c)、C*(d)の中央結合マイクロサテライトネットワーク

C-M8とC*染色体の中央結合ネットワーク(図4d)では、C-M8ハプロタイプはインドのC*クラスターにつながっている。このパターンは、より単純な星のような太平洋や東南アジアのクラスターとは異なっている。枝の長さは、2つのハプロタイプを隔てる一反復型の突然変異の数に比例する。
ハプロタイプは地理的地域ごとに色分けされており(キー参照)、ハプロタイプの共有は円グラフの分割で示されている。


ハプログループの分岐年代測定

表2 Y染色体系統の分岐年代の推定値と最近共通祖先までの時間
分岐年代測定

表2は、ほぼ日本固有と言える3つのY染色体系統について、最新共通祖先(幹)までの時間を報告したものである。測定にはBATWING法とYMRCA法を用い、対照した。
D-P37.1系統の年代については、BATWING法とYMRCA法が、それぞれ20,180年と19,350年という一致したデータを出している。C-M8の場合、BATWING法とYMRCA法ではそれぞれ20,010年対11,650年、O-47zハプログループでは12,270年対7,870年と推定された。しかし、まずまず使える。
いずれにせよ、どちらの年代測定法でも、D-P37.1およびC-M8ハプログループの合体時期は、O-47zのそれと比べてかなり古いことがわかった。



Discussion

1. 日本列島の主要なY染色体

アジアにおけるY染色体SNPの調査から、41のハプログループが明らかになり、そのうち19が日本に存在することがわかった(前掲図2)。
三大ハプロとは、ハプログループD-P37.1とその子孫(D-P37.1*、D-M116.1*、D.M125*、D-P42)、O-47z、C-M8である。
三大ハプロは、それぞれ日本人のY染色体の34.7%、22.0%、5.4%、三者計で86.9%を占める。日本列島に起源を持つ可能性がある。

日本人の集団は、主に東南アジアの集団と共有する他のハプログループO系統や、主に北アジア人と共有するC系統の頻度も高い。このセクションでは、これらのY染色体系統が縄文文化と弥生文化を生み出した異なる祖先集団の子孫であることを論証する。


1995年、Hammerと宝来は日本の3つの集団における少数のY染色体多型を調査し、日本本土の起源に関して次のような仮説を立てた。

縄文人と弥生人という2つの男性系統(それぞれYAP+とp47zで示される)は、混血モデルを支持し、現代の日本本土の集団形成に貢献している。

この仮説を、日本本土の起源に関する3つの競合モデルと対照してみた。その際、他のモデルが予測する空間的パターンと比較して検証した。これはもし混血モデルが正しければ、九州と本州南部を流入孔とする馬蹄形の弧状分布が出現するはずだからだ。(SokalとThomson 1998年)。それは弥生文化の進出に伴う受動的拡散であると解釈される。形質転換モデルや置換モデルでは、そのような弧状分布は出現しない。

私たちは、日本の6つのサンプルそれぞれにおけるハプログループD、O-P31、O-M122の頻度を、渡来集団の進出口である九州北部からの距離に対してプロットした(図5)。

西南日本ではハプログループOの頻度が高く、アイヌ人と琉球人ではハプログループDの頻度が高いというパターンは、混血モデルと一致する。これら2つの系統の頻度から、現代日本人に対する縄文人の寄与率は40.3%と推定され、アイヌ人(75%)と琉球人(60%)の頻度が最も高い。

 一方、弥生人のY染色体は日本人の父系の51.9%を占め、九州(62.3%)の寄与が最も高く、沖縄(37.8%)と本州北部(46.2%)の寄与は低い(図5)。アイヌには弥生人の系統を示す証拠はない(表1)。韓国と東南アジアで発見されたごく少数のO-47z染色体についても同じことが言えるかもしれない。

この集団にC-M217染色体が存在するのは、サハリン島北部やカムチャッカ半島の北アジアの集団から北海道のアイヌへの男性の遺伝子流入の結果である可能性が高い(Tajima et al.)
補注: 明治維新から戦前にかけて、日本政府によるニヴフやウィルタの強制移住が行われた。

韓国とミクロネシアでD染色体の発生率が非常に低いのは、最近の混血によるものと考えられる。韓国は1910年から1945年まで日本に統治され、ミクロネシアは1914年から第二次世界大戦終結まで30年以上日本の支配下にあったことを考えれば、これは驚くべきことではない。
韓国と東南アジアで発見されたごく少数のO-47z染色体についても同じことが言えるかもしれない。

図5九州からの距離

図 5 九州からの距離に比例してプロットした6サンプルのハプログループ頻度
黒線/実線円 ハプログループD、灰色の点線/開口四角 ハプログループO-P31(O1b)、灰色の実線/三角形 ハプログループO-M122(O2)

我々のY-STRデータに基づく絶対年代推定は、ハイブリッド化モデルと一致し、ハプログループDとCの日本への移動がより早い波であり、ハプログループOがより最近弥生に拡大したことをさらに裏付けるものである。

D系統とC-M8系統の合体時期は、人口規模が一定であると仮定すると、〜20,000年前である。しかし、縄文時代(約21,000 b.p.〜400 b.c.)と弥生時代(約400 b.c.〜300 a.d.)には明らかに個体数が劇的に増加しており(Koyama 1992)、このモデルは非現実的かもしれない。

また、純粋な指数関数的成長も、縄文時代と弥生時代を通じての人類の人口規模を表す良いモデルにはなりそうもない。というのも、最近の高い成長率は、ほんの数千年前の人口規模が驚くほど小さかったことを意味するからである。小山(1992)は、考古学的、生態学的、民俗学的データに基づき、旧石器時代の住民数を 3,000人以下と推定している。

10,000年から約4,500年までの縄文時代を通じて人口が著しく増加し、弥生時代と古墳時代(約300-600年)にはさらに爆発的に増加したことを考慮すると(小山1992)、「 一定規模の祖先集団からの指数関数的成長」というモデルが最も現実的な年代をもたらすはずである。

このモデルのもとでは、D系統の共通祖先遡行(coalescence time)は遅くとも19,400年で、拡大は〜12,600年前に始まっている(表2)。

ハプログループC-M8の共通祖先遡行は〜14,500年前と推定され、集団拡大が〜10,820年前に始まっている証拠がある。

推定値の信頼区間が大きいことから、このC,D 2つのシステムは同じ拡大過程を検出していると考えられる。したがって、これら2つの系統が、1つの多型旧石器時代創始集団の主要構成要素と少数構成要素を表している可能性は十分にある。


日本人のYハプログループの大陸における起源

縄文人(あるいは縄文人以前)と弥生人の推定Y染色体マーカーが同定されたことから、これらの系統が日本に渡来する以前の起源を追跡することは可能であろうか。
私たちは、縄文人には少なくとも2つの系統(D-P37.1とC-M8)があり、それらは旧石器時代の祖先の子孫であると推測している。

 SNPとSTRからの証拠(前掲 表2)は、両系統が系譜的に非常に古いことを示唆している。ハプログループDの場合、この日本人の系統には驚くべき数の点突然変異が蓄積されている(図2)。
日本のD系統の分岐は、非常に早い時期に日本列島に分散し、その後、大陸の集団から長い期間隔離されたことを示唆している。

 Y染色体ハプログループ樹上の内部枝に沿ってより多くの変異を示す系統は、他に1つしかない(YCC 2002; Jobling and Tyler-Smith 2003)。
このブランチであるハプロA2は、ナミビアのコイサン族に見られるが、この集団も非常に長い期間隔離されていた可能性がある(Hammer et al.)

大陸D系統の頻度が最も高いのは中央アジアで(前掲 図2)、特にチベット(50.4%)である。
チベット人と日本人が祖先を共有している証拠は、MDSプロット(前掲 図3)に見られる。

私たちは、チベットと中国北西部のアルタイ山脈に挟まれたタリム盆地地域が、旧石器時代の日本人のY染色体創始の地理的源泉の第一候補地域であるという仮説を立てた。
チベット人やアルタイ山脈の人々は日本とは異なるD系統を持つが、チベットやアルタイにはD系統に変異のない「祖先」染色体が存在する(前掲 図2)。

歴史的な記録によると、チベットの集団は中国北西部の古代部族に由来し、その後南方へ移動し、過去3,000年の間に南方原住民と混血したと考えられる(Ruofu and Yip 1993; Cavalli-Sforza et al.) 
チベット人と日本人におけるハプログループD内の古代の系統の存続は、両集団の長期にわたる隔離を反映しているのかもしれない。

興味深いことに、アンダマン島民のY-SNP調査では、この孤立した集団ではハプログループD-M174*染色体の頻度が非常に高く、旧石器時代のアジアの祖先の子孫である可能性が高いことが判明した(Thangaraj et al.) 

アジアにおける最近の拡大や集団の入れ替わりは、おそらく農業の普及に関連しており、他のアジアの集団ではハプログループDがほぼ絶滅した可能性がある。

日本の旧石器時代を築いたと推定されるもう1つのハプログループ、C-M8は、インドや中央アジアのC染色体に関連するY-STRハプロタイプと関連している(図4d)。

日本におけるNO*染色体の存在もまた、チベット人の祖先の残存を示すものかもしれない(Deng et al.) 

最近のmtDNA研究では、日本人のハプロタイプがチベットと直接つながっていることが明らかになったが、これはY染色体の場合と同様である(Tanaka et al.) つまりアジアにおける古人類が、両端に押しやられる形で辺境化したことの表れと考えられる。
ハプログループM12はY染色体D系統のミトコンドリア対応型である。この稀なハプログループは、本土の日本人、韓国人、チベット人のみに検出され、チベットで最も頻度が高く多様である(Tanaka et al.)


ハプログループO-47z の起源

ハプログループO-SRY465は、日本と韓国の両方に広く分布している。そしてほぼ完全に限定されている。このため、弥生人の創始系統の基本的な基準を満たしている。

 韓国ではY-STRの多様性が高い(図4b;日本の平均リピートサイズ分散は0.258であるのに対し、韓国は0.308にのぼる)。これは、O-SRY465が韓国で発生し、その後日本に移動したという仮説と一致している。
図4a;地理的分布データと中央結合ネットワークは、47z突然変異が弥生人の移動の初期段階で祖先のO-SRY465染色体上に生じたという仮説を支持している。

ハプログループDとCの場合と同様に、O-47zの遡行合体時期は想定される人口統計モデルから予想区可能である。Oハプロの場合は、純粋な指数関数的成長のモデルがこの系統の年代を推定するのに最も適していると思われる。

小山(1992)によれば、弥生時代には安定した農作物による食糧供給の結果、人口が急増した。単位集落の人口規模は弥生時代末期には106人を超えた。
この成長は歴史的な時代まで続き、江戸時代末期(1868年頃)には3×107人の人口規模になったと推定されている。
連続的な人口増加モデルに基づくO-47zの推定年齢は3,810年(1,640-7,960年)であり(表2)、この系統が弥生文化とともに拡大したという仮説と一致する。


我々のデータはまた、ハプログループO-M122(すなわち、O-M134とO-LINE)内の系統やO-P31内のO-M95系統など、他のYハプログループが弥生人の拡大とともに日本に入ってきたという仮説を支持している(図5)。
西南日本、韓国、東南アジアの集団でこれらの系統の頻度が高いことは、データシートプロット(図3)におけるこれらの集団の親和性を説明していると思われる。

Oハプログループ全体が東南アジア起源であると提唱されてきた(Suら 1999; Kayserら 2000; Capelliら 2001; Karafetら 2001)。 新石器文化や稲作の普及に伴い、周辺地域に拡大した可能性が高いとされる。
補注:これについては、Oハプログループ全体が北西回廊から中国に入り、南方にまで支出したという説、O1ハプロが南から、O2ハプロが北西から進出したという説がある。私としては“O1南・O2北説に共感している。

実際、図2のO-M175クレード内では、O-SRY465とO-47zを除くほぼすべての系統が、東南アジア/オセアニアに最も高い頻度で存在している(例えば、O-M95、O-P31*、M122*、O-LINE、O-M119)(図2)。このため、中国南部に起源を持つと提唱されている(Santos et al.)

我々は、東南アジアから新石器時代の農民が分散してきたことで、ハプログループOの系統も韓国へ、そして最終的には日本へともたらされたと仮定している。


結論

我々のデータは、旧石器時代の男性系統(ハプロC、D)が遅くとも(12,000~20,000年前)中央アジアから日本に入り、最終氷期末期(~12,000年前)に日本とアジア大陸の陸橋がなくなると、数千年間隔離されたことを示唆している。
さらに最近では、東南アジアに起源を持つY染色体(ハプロO)が、水田稲作の普及とともに韓国と日本に拡大した。

日本におけるハプログループDとOの年代と空間的パターンは、Y染色体が弥生時代に人口拡散の過程を経て広がったという仮説と一致している(Sokal and Thomson 1998)。
これらの分化した系統を持つそれぞれの集団は、遺伝的にも文化的にも、現代日本人に別々の貢献をした。

主張: 弥生人のY染色体は南東アジアに起源を持つ先史時代の農耕民の子孫である

これまでのモデルとは対照的に、我々は、おそらくこの地域の農業の起源にまでさかのぼる、南東アジアに起源を持つ先史時代の農耕民の子孫であると提唱する。
このことは、農耕社会が狩猟採集社会よりも優位に立つことで、農耕の獲得が刺激となった他の人口拡大の文脈に、弥生人を位置づけることになる(Diamond and Bellwood 2003)。

しかしこの場合、縄文時代の狩猟採集民は、非常に成功した自給自足のブランドによって、何千年もの間、農耕民の猛攻を食い止めたのかもしれない。
弥生人の劇的な変遷は、水田の灌漑、耐寒性稲の系統、朝鮮半島の人口の増加、農具を生産するための鉄器の発明など、さまざまな発展が重なって、ようやく紀元前400年に引き起こされたのかもしれない(Diamond 1998)。

 しかし、このデータは、縄文人の遺伝子が現代の日本人にも高い頻度で残っていることを示している。おそらく、縄文人のユニークで多様な文化が、移民農民の文化を補完したためであろう。


References

省略