崎谷モデルの論点について
崎谷の先行的研究の意義
日本人の起源をめぐっては、まず縄文人、続いて渡来民という「二重構造モデル」(埴原和郎)が定説となって久しい。
このモデルが提唱された1991年時点で、未だゲノム解析による系統樹は明らかにされていなかったが、予報的にゲノム解析法が切り札となるだろうということは予想されていた。
(HBs抗原、HLA抗原、Gm抗原など多くの遺伝子が先駆的に研究され、それなりに蓄積されていた)
ミトコンドリアDNAとY染色体ハプログループの調査結果は衝撃的で、2000年以前にほぼ現成人の系統樹は完成していた。とくにY染色体ハプログループは「旅するDNA」としての特徴を遺憾なく発揮した。日本人の起源をめぐる国際研究チームの成果は、Y染色体ハプログループの意義を不動のものとした。
* Hammer M.F., Karafet T.M., Park H., Omoto K., Harihara S., Stoneking M., and Horai S. (2006) Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics, 51: 47–58.
ただY染色体ハプログループはサンプル採取が難しく、古人骨のDNA解析においては、ミトコンドリアDNA(定着型の遺伝子のため低感度となる)に頼らざるを得なかった。
日本人の起源を探るうえでは、上記研究とほぼ同時に提示された崎谷満の先行的研究がきわめて説得的であった。少なくとも、今日ゲノム的紀元論でこんにち合意されている論点ばかりでなく、未だ議論になっている点もふくめ、ほぼすべてが明らかにされている。その点では、崎谷氏の業績によって、埴原の仮説が科学的理論として位置づけられたと言える。
崎谷モデルは今やゴースト?
崎谷氏は人類史学会では、今やゴーストのような存在になっているようだ。
崎谷氏は人類史学会では、今やゴーストのような存在になっているようだ。
「DNA が解き明かす日本人の系譜」(2005)で分子人類学の世界に登場し、「DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史: 日本人集団・日本語の成立史」をある意味で独自研究の集大成とした後、忽然と人類学の世界から姿を消した。
元々は成人T細胞白血病(ATL)の研究者である。風土病の一種で、遅延型ウィルス感染症をされ、患者から精製したMT-1細胞にATL抗体が発見された。一種のスピンアウト研究としてATL抗体の世界分布が調べられ、垂直、水平などの感染が推測されている。
その後のゲノム的研究のほとんどは、この崎谷理論に触れようとしない。なにか古代史の世界で古田の倭王朝仮説を無視するのと似ているようだ。
問題は崎谷氏の業績にあるのではなく、全ゲノム解析を口実にY染色体ハプログループ理論そのものを無視しているかのように見えることにある。
問題は崎谷氏の業績にあるのではなく、全ゲノム解析を口実にY染色体ハプログループ理論そのものを無視しているかのように見えることにある。
古代人骨のゲノムを調べるのには多くの困難がある。しかしそれは現生ホモ・サピエンスの系統樹を作るのには必須ではない。現在この世界に暮らしているヒトの膨大な試料を採取して、それをゲノム変異の出現順に整序すればよいだけだ。
あえて言わせてもらえば、耳垢が湿っているとか足の裏が臭いなどというのは、人類の起源をめぐる研究にとってホワイトノイズでしかない。そうでなくても人類は移動、へんぺんこのかたない生物である。人類史に興味ない人々が名声を求めて首を突っ込んでくるのはやめにしてほしい。
Y染色体ハプログループは今後も絶対的な指標だ
日本人の起源をめぐっては、まず縄文人、続いて渡来民という「二重構造モデル」(埴原和郎)が定説となって久しい。
このモデルが提唱された1991年時点で、未だゲノム解析による系統樹は明らかにされていなかったが、予報的にゲノム解析法が切り札となるだろうということは予想されていた。
(HBs抗原、HLA抗原、Gm抗原など多くの遺伝子が先駆的に研究され、それなりに蓄積されていた)
ミトコンドリアDNAとY染色体ハプログループの調査結果は衝撃的で、2000年以前にほぼ現成人の系統樹は完成していた。とくにY染色体ハプログループは「旅するDNA」としての特徴を遺憾なく発揮した。ただY染色体ハプログループはサンプル採取が難しく、古人骨のDNA解析においては、ミトコンドリアDNAに頼らざるを得なかった。
おそらくこの疫学研究の経験を土台にして、欧米のY染色体ハプログループ研究の紹介、米日独研究者による現生日本人のかなり大規模なサンプリングのデータ*を元にして、崎谷モデルが構築されたものと思われる。
日本人の起源を探るうえでは、崎谷満の先行的研究がきわめて説得的であった。少なくとも、今日ゲノム的起源論でこんにち合意されている論点ばかりでなく、未だ議論になっている点もふくめ、ほぼすべてが明らかにされている。その点では、崎谷氏の業績によって、埴原の仮説が科学的理論として位置づけられたと言える。
崎谷モデルの最大のポイントは、言うまでもなく、埴原和郎の二重構造モデルを念頭に置いた、2つの仮説である。
① 旧石器時代のD1a 人が、日本列島に渡来し、北海道から沖縄まで拡散した。D₁a 人が縄文人となっていった。
② 長江文明人の一派O1b 人が朝鮮半島南部に移動し、更にそこから晩期縄文期の九州北部に渡来した
という点にある。
このうち、② は、長江文明を形成したO1 系の人々が東南アジアから進入したことが前提となっている。O1, O2 がいずれも北方(シルクロード)由来だと考える学派にとってはうっとうしいかもしれない。
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