ユーゴスラビア年表

1917年 コルフ島に置かれていたセルビア王国亡命議会が、コルフ宣言を採択。ユーゴスラビア王国の建国を決定。

1918年 セルビア王国主導の汎スラヴ主義のもと、南スラブ人国家の創設を目指すコルフ宣言が発表される。
セルビア、モンテネグロとともに旧オーストリア・ハンガリー帝国領のスロベニア、クロアチア、ボスニアを合併し「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人連合王国」が成立。通称としてユーゴスラビアが用いられる。
当時セルビアの領土であったコソボ、ヴァルダル・マケドニアも組み込まれる。

1921年 憲法が可決され、統一的な王国が成立。中央政府の統治の下に置かれる33の行政州が設置。

1928年 非セルビア人の有力政党であるクロアチア農民党の指導者スティエパン・ラディッチが議会内で暗殺される。国内の政治的混乱が広がる。

1929年 国王アレクサンダル1世が憲法を停止し、国王独裁制を布告。国号をユーゴスラビア王国に改める。セルビア人以外は歴史的な地域を分断され、民族政党を禁止される。

1934年 反セルビア派によりアレクサンダル1世が暗殺され、ペータル2世が即位。

1938年 ドイツがオーストリアを併合。ユーゴスラビアと直接国境を接するようになる。独伊はクロアチアを支持して干渉。

1939年 クロアチア自治州が成立。大幅な自治権が与えられる。クロアチア人の極右過激派組織ウスタシャは、ボスニア・ヘルツェゴビナ全域を含むクロアチアの即時独立を求める。

クロアチア地図

1939年 第二次世界大戦が勃発。ユーゴスラビア王国政府は中立路線を採るが独伊からの強い圧力を受ける。

1941年

3月25日 王国政府、日独伊三国同盟へ加入する意思を表明。

3月27日 軍の反対派がクーデターを起こし、政権を打倒。三国同盟への加盟を維持する一方で、同盟としての協力義務を実質的に破棄。ドイツはこれを許さず。

4月6日 ドイツ軍が侵攻開始。ウスタシャはクロアチア独立国を成立させ、クロアチア郷土防衛隊を結成する。この軍は後に兵員数13万人に達した。

ウスタシャはセルビア人への復讐を始めた。ヤセノヴァツなどの強制収容所にセルビア人を連行して虐殺した。

4月17日 ユーゴスラビアが降伏。国王は亡命。セルビアではミラン・ネディッチ率いる傀儡政権が成立。セルビア以外の領土は枢軸国(ドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリア)により分割される。

4月 旧王国軍の残党が「チェトニク」を結成。当初、占領軍に対して抵抗。またパルチザンやクロアチア人を攻撃した。まもなく「協力政策」を採択し、イタリアの占領軍と協力関係をとるようになる。

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枢軸国による領土分割

1941年から1943年にかけてのユーゴスラビア。
薄茶はクロアチア独立国、灰色はドイツ軍政が行われていたセルビア救国政府、薄灰は名目上セルビア領だが、ドイツの支配が行われていたバナト(英語版)。薄緑はイタリア支配下のモンテネグロ。濃灰色はドイツ、緑はイタリア、オレンジはハンガリー、黄土色はブルガリアによる占領地もしくは併合地域。


6月 ドイツがソ連への攻撃を開始。ソ連国内で訓練を受けた共産党員が国内に潜入しゲリラ活動を開始する。

11月 枢軸勢力による反パルティザン攻勢(第1次)。パルティザン兵士の多くはボスニア東部へと脱出。チェトニックはパルチザンを主敵とみなすようになり、ドイツ国防軍やウスタシャと協力するが、このことを隠して連合国からも支援を受け続ける。

1942年

 ティトー、共産党を中核にユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議を創設、最後までソ連の援助を受けつことなく戦いを継続した。「兄弟愛と統一」のスローガンを掲げる。社会主義思想は民族を超えた支持を集める。

闘いはナチス・ドツ、クロアチア独立国、セルビア救国政府などを対象とした。また同時に、共産主義パルティザンと、反共主義のチェトニク、スロベニア郷土防衛隊などとの内戦でもあった。

1943年

1月 枢軸勢力による反パルティザン攻勢(全7次)の最大作戦となったネレトヴァの戦いとスティエスカの戦い。パルチザンは一時壊滅の危機に追い込まれる。

1943年 ヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンがユーゴスラビア民主連邦を結成。独力での抵抗運動を続ける。

11月 連合国がテヘラン会議。連合国はティトーに支援を与えるようになる。それまでのチェトニックへの支援は停止される。

11月 連合国の支援決定を受け、「ユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議」が創設される。終戦後のユーゴスラビアの統治体制の枠組みが定められる。

1944年

1月 亡命政府とパルチザンの戦後統一が定められる。パルティザンは80万人の兵員、4軍を擁するまでに成長。マケドニアおよびスロベニアでは独自の軍事組織を有していたが最終的にチトーの指揮下に入る。チェトニクは合流を拒否。

10月 連合国の航空支援とソビエト赤軍の協力を受け、パルティザンはベオグラードを解放。

1945年

1月 共産主義者の制憲議会、国王の廃位を決議。ペータル2世は亡命状態での王位を主張。

3月 ベオグラードにて、ティトーを首相とする王政派との連立政権が成立。

4月 ナチスドイツが壊滅。ユーゴ了内の死亡者は百万人以上と言われる。ユダヤ人は強制収容所で絶滅した。クロアチア独立国では、セルビア人やロマに対するジェノサイドが実行された。チェトニクはムスリム人、クロアチア人に対する民族浄化を、イタリアの占領当局はスロベニア人に対する民族浄化を行った。逆にパルチザンによる報復も少なからず発生したとされる。

5月 ベルリンが陥落し、ドイツ軍は無条件降伏。これを見たユーゴ駐留軍も降伏。

11月29日 圧倒的な支持を得てペータル2世の廃位が決まる。チトーはユーゴスラビア連邦人民共和国を宣言する。

国家の多様性から『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容される。

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戦後の地図 
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1948年 ユーゴ共産党がコミンフォルムから追放処分を受ける。その後、労働者自主管理型の分権的な社会主義を打ち出す。

1953年 ギリシャやトルコとの間で集団的自衛権を明記した軍事協定を締結。NATOとの間接的な同盟を結ぶ。この結果、大量の西側の兵器を米英から供与される。

1963年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称。

1974年 6共和国と2自治州を完全に同等の立場に置いた新しい憲法が施行される。

1980年 チトーが死去すると各地から不満が噴出する。




1989年 ユーゴスラビア共産主義者同盟は一党独裁を放棄し、複数政党制の導入を決定する。

1990年 各共和国で自由選挙を実施。すべての国で旧与党内民族主義グループが勝利。

7月 セルビアがアルバニア系住民の多いコソボ社会主義自治州の併合をはかる。コソボは反発して独立を宣言。

現在の地図

1991年 スロベニアとクロアチアは連邦の権限を極力制限する実質的な国家連合への移行を求める。

1991年6月 スロベニアが10日間の戦闘により短期間で独立を達成し(十日間戦争)、次いでマケドニア共和国が独立。

クロアチア紛争が勃発。政府軍との戦闘は長期化。マケドニアも独立を宣言。

12月 ドイツがスロベニアとクロアチアの独立を承認。他のEU諸国は反対。

1992年

3月 ボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言。ボスニアに居住するセルビア人が分離をもとめて武装反乱。独立賛成派のクロアチア人、ムスリム人と軍事衝突。住民が三派に分かれ泥沼化。

4月 連邦に留まったセルビア共和国とモンテネグロ共和国によりにユーゴスラビア連邦共和国が結成される。人民民主主義、社会主義を放棄。

1995年 デイトン合意。クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結。

1996年 コソボ解放軍(KLA)とユーゴスラビア軍との間にコソボ紛争が発生。NATOはコソボを支持してセルビアに空爆を加える。

1999年 コソボ和平。国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)が設置される。セルビアは行政権を失い撤退。

2006年5月 モンテネグロが独立を宣言、その後間もなくセルビアも独立を宣言。