森口尚史氏の事件がめっぽう面白い。実に痛快だ。
騙しの成功過程も面白いし、騙された読売新聞もざまぁみろだ。結局、アメリカの外圧で事件が解決したというのも、マスコミの現状を見事に露呈していて面白い。私も将来どうでも良くなったら、やってみたいくらいだ。「犯罪だ犯罪だ!」と叫ぶが、どこが犯罪だ。実害は一つもない。ただの「ほら吹き男爵」だ。
「世間をお騒がせしました」というだけで、それから生じた犠牲はすべて自分がかぶります、というんなら見事なまでに潔癖だ。大体世間を騒がした罪は新聞社にあるのであって、無邪気なホラを吹いた本人ではない。
しばらくしたら「私はこうしてマスコミを騙した」という手記がどこかに発表されて、これまでに、それなりに築き上げた社会的地位と引き換えにいくばくかの金をいただく。
飲み屋に行けば、「読売新聞を手玉に取った男」としてもてはやされるかもしれない。案外、そこそこの就職先が見つかる可能性もある。とすれば、この男、あまり精神病理的な分析をする必要はないかもしれない。
恐るべき物好きがいるもので、もうWikipedia に「森口尚史」の項が立てられている。早速読ませていただく。
問題は経歴だ。読売がこの経歴を知っていれば、絶対に飛びつかなかっただろう。(…いや、飛びつくかもしれない。上司もふくめてとびっきりのアホだから)
- 1989年 - 東京医科歯科大学医学部保健衛生学科入学
- 1993年 - 同大学同学科卒業、同年看護師の資格を取得
- 1995年 - 同大学大学院修了、修士号(保健)取得。修士論文の題目は「健康診断における異常所見の評価とその予後に関する考察〜超音波エコーによる胆のうポリープの自然経過の検討」
- 1995年~1999年 - 財団法人医療経済研究機構主任研究員・調査部長、ハーバード大学メディカルスクール・マサチューセッツ総合病院客員研究員
- 1999年8月 - 東京大学先端科学技術研究センター研究員
- 1999年11月~2000年1月 - マサチューセッツ総合病院客員フェロー、胃腸科で研究員を行う
- 2000年10月 - 東京大学先端科学技術研究センター客員助教授
- 2002年4月~2009年3月 - 東京大学先端科学技術研究センター特任助教授
- 2007年9月 - 東京大学より博士号(学術)取得。博士論文題目は「ファーマコゲノミクス利用の難治性C型慢性肝炎治療の最適化」。主査は児玉龍彦東京大学先端科学技術研究センター教授。
- 2012年3月~8月 - 東京大学医学部附属病院に、形成外科・美容外科の技術補佐員として所属
- 2012年9月~現在 - 同病院で有期契約の特任研究員として所属、研究テーマは「過冷却(細胞)臓器凍結保存技術開発の補助」
- 2012年10月 - iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術を実施したと発表
ということで、医科歯科の看護学校に入学したときはすでに25歳、高校卒業からすでに7年が経過している。医者への執念が異常に強い人だ。この空白は、想像するに医学部を受験しては落ち続けていたのではないだろうか。「予備校の星」みたいな人がよくいる。
それから先は順調で4年で看護学校を卒業し、修士もとって、「医療経済研究機構」という会社に就職し、「調査部長」の肩書きまでいただいている。まあ、これで一生食っていけば、なんと言うことはない人生だった。専門は知的財産権だったらしい。
その後ろのハーバードが面白い。東大先端研の研究者リストには、99年8月の先端研就職以前の経歴としてしっかり書き込まれている。実際にMGHの記録に残っているのは99年11月からの1ヶ月間だけだから、すでにこの時点から経歴詐称が始まっていることになる。しかしそれよりも面白いのは、“どうやって”ということと“なぜ”ということである。31歳から35歳にかけてのこの4年間は、空白の4年間であるだけでなく、今回の事件のなぞを解く鍵が含まれている4年間であろう。
かくして、「MGH客員研究員」の肩書きを引っさげて、東大先端研へのもぐりこみに成功した。見事なものである。しかも知的財産権の専門家としてではなかった。これ以降は医療統計の専門家としての道を歩むようになる。
ちょっと蛇足だが、この頃の医学界の動向を紹介しておく。この頃から(今でもそうだが)、臨床研究の発表に統計的手法の徹底が強くもとめられるようになった。つまり医学研究のグローバリゼーションである。論文は英語で書け、発表は英語でしゃべれとやかましくなった。臨床医がそんなことできるわけないから、統計屋(コントローラー)が大規模臨床研究のすべてを仕切るようになった。その手の分野の人に働き口が一気に拡大し、人手不足が深刻になった。おそらくそういう状況だから、多少の胡散臭さには目をつぶってでも雇ったんではないだろうか。
それからの出世は早い。1年後には客員助教授となり、3年後には特任助教授となっている。何かよう分からんが世間的には助教授だ。そして43歳で博士号を取得した。立派なものだといえるだろう。相当がんばったんだろうと思う。
まあ、これで一生食っていけば、なかなかの人生だった。
ところがこの人、それでは終われなかった。それこそ“業”なのかも知れない。C型肝炎にかかわったのが、医者願望に火をつけたのかもしれない。
“ファーマコゲノミクス”というのは薬学屋さんのお得意で、遺伝子を解析して最適の薬物治療プロトコールを作ろうという技術だ。
片や遺伝子、片や難病となるとなにやらそれらしくなる。治験のプログラムを立てて、医者や研究者をコントロールするのが仕事だから、気分の悪かろうはずがない。そこで舞い上がったというのが、そもそもの発端ではないだろうか。
この頃から新聞社にあることないこと言いふらし、それが不思議に取り上げられるものだから、誇大妄想のけがでてきた。
そして先端研に腰をすえているのに我慢できず、臨床現場に首を突っ込むようになったのが半年前のこと。しかし臨床現場では、予期に反し医者からぞんざいにあつかわれて、一気にフラストがたまるようになる。そしてついに狂って、「これが最後っ屁」とばかりに盛大にかました…
という筋書きが思い浮かぶのですが、いかがなものでしょう。むかし読んだ松本清張の小説みたいですが、何か陰があるんじゃないかと気になる人です。
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