マリリン・モンローは公民権を守った
デジタル・ニュース
By J. Tinsley on January 12, 2012
題名が Marilyn Monroe, The Civil Rights Movement Supporter とすごいもので、読まされたが、騙された気もする。要するに、まだ黒人差別の激しかった50年代、ロスの一流クラブでの公演を拒否されたエラ・フィッツジェラルドを、マリリン・モンローが助けてやって、出演できるようにしてあげたという美談。それを後年エラが思い出として語っているという寸法である。
実はトレイシー・チャップマンの文章を書いていて、進歩的黒人歌手の系譜にエラの名も載せたのだが、ネットで出典を固めようとしたら、そのような記載はどこにもない。うろうろしているうちにこの小コラムにたどり着いたというしだいである。たしか矢沢潔の書いた「ピート・シーガー」という本にエラのことが載っていた記憶があるのだが、記憶違いかもしれない。第一そんな本は本棚にはない。
もし誰かにマリリン・モンローを知っているかと聞いたら、ほとんどの人は彼女のセックス・シンボルとしてのイメージを答えるだろう。ジョー・ディマジオとの短い結婚生活、アメリカ史上で伝説となっている、ケネディ大統領誕生日パーティーでのパフォーマンス。あるいはスカートが突風に捲くれた不滅の写真。
しかし彼女が市民権運動を支援したことを誰か知っていただろうか?
普通なら視野に入らないような逸話を、私はインターネットの中の美しいスポットとして、そのことを書き記しておこうと思う。
1950年代、黒人の歴史上の日々への関心、あるいはアメリカ文化への本で読んだ知識というのはいったん脇におこう。
このころエラ・フィッツジェラルドの名声はすでに響き渡っていた。
彼女の才能がどれくらい優れていたかには関係なく、依然としてフィッツジェラルドは不正義に苦しめられていた。その不正義は、その時代に多くの少数民族がこうむったものと同じだった。
「Mocambo」はウェストハリウッドの最初のナイトクラブであった。そこは彼女の人種を問題にして公演を拒否した。
興奮して打ち明けるような口調でエラは語っている。
モンローは凄まじかった。彼女は本当に芯が強い。ついにクラブもそういうやり方が間違いだと認めたのよ。私は掛け値なくマリリン・モンローに借りがあると思っている。「Mocambo」は50年代の人気最高のナイトクラブだったし、そこに出られたのは彼女のおかげだわ。
モンローはモカンボのオーナーに直接電話したわ。そして「エラとすぐに契約してちょうだい」と話したの。「もしそうしてくれたら、私は毎晩正面のテーブルを予約するわ」
そしてそれは本当だった。マリリンはスーパースターだったから、メディアも本気になった。
「オーナーは言ったわ、イエスって。そしてマリリンはそれから毎晩、正面テーブルに座ったの」
それをプレスが追っかけた。
「だから、それからというもの、わたしはもう二度と小さいジャズ・クラブで歌わなくても良くなったの」
エラはこう結んでいる。
「彼女はただの普通の人じゃない。彼女の時代より少し先んじていたの。そして、彼女はそのことに気づかなかった」

コメント