鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

タグ:Y染色体

久しぶりにしっかりしたY染色体ハプロの話に出会った。
Y染色体で探る日本人の起源」というブログ記事である。

「0.プロローグと案内」という記事が2016-04-24にアップされているので、記事そのものが新しい。
以下5本の記事が並ぶが、この後は制作中となっており上梓されていない。最終記事が2016-04-25となっているので、このまま中断の可能性もある。

といっても、「0.プロローグと案内」は目次が書かれているだけだ。次の「Y染色体で探る日本人の起源 1.知識編」も取り立ててこれと言った記載はない。

ということで、「2.世界のY染色体」に入る。
最初に、英語版wikipediの展開地図の画像が転載されている。
これに対する著者の批判が加えられる。最大の問題はこの地図が古いということだ。使用されているラベルが以前のものであり、最新の成果が反映されていない。

ここから本論に入る。

世界のY染色体ハプログループ

① 出アフリカ共通祖先から生まれたのがCとFの共通祖先CFと、DとEの共通祖先DEである。
② Dの集団は東に向かった。Cは世界に拡がり、日本人にも少なからずいる。
③ Fはインドのドラヴィダ人にいる。FはGからTまでの共通祖先となっている。
④ G~Jは現存数は少ない。Kはまばらに存在するが、LからTの共通祖先である。この時期は人類にとって試練の時期であったようだ。
⑤ NOになって現存人につながる人口は爆発する。Nは北欧を含むユーラシア北部に多い。数的には中国が最多である。
⑥ Oは東アジアで最大の人口を持つ。
⑦ Rはロシアなど東ヨーロッパとインドに多い。

この辺の記述は崎田さんの本にはなかったものだ。世界はそれなりのスピードで進化しているらしい。
それらは十分推測できるものであった。とくに多くの人種がイルクーツクからシダレヤナギのように落ちかかってくる図は、展開的に見てありえないということが予想された。


日本人のY染色体ハプログループ構成

ついで次の記事に移る。ここでは各論文の合算データを作成している。
日本人Y分布
転載させていただく。気がついたことを列挙すると、

① 北海道のDが多い。予想外にアイヌ系のYが反映しているかも知れない。サンプル数としては十分だが…
② O1b2は長江系でいわゆる弥生人である。2種の別は半島から渡来した順であろうと思う。47zは韓国で少ない。こちらが先着と思われる。O1a、O1b1はコンタミのレベル。(注によると、現在は47zではなくCTS713というらしい)
③ O2は朝鮮半島北部~遼東から降臨した、いわゆる天孫族と思われる。中国地方に多いのは新羅からの渡来、いわゆる出雲系天孫族と思われる。
④ C1a1は4万年前にナウマンゾウを追って朝鮮から渡ってきた旧石器人の末裔だ。アイヌにも韓国にもいない。
⑤ C2はアイヌではオホーツク人を反映する。本州では、朝鮮半島東岸からのいわゆるツングース系の渡来を意味する。

お願い。利用できる日本人のY染色体データの情報求む!

と書いてあるが、本当にそう思う。どうしてこんなに少ないのか。これっぽっちのデータで偉そうに物を言うのは、本当は恥ずかしいことなのだが。

35000年ほど前からいたハプロD集団

このあと、記事はトリビアルな話題にスピンアウトしていく。

とくにD1b系統はほぼ日本限定の存在。このあとDグループの痕跡を求めるが、あまりに煩瑣なDの経路問題は煩わしい。

結論としてはCグループの弟分として広がったと考えるほかない。

であればCがどういう経路をとったかであるが、これは南方系が有力である。

先程の話の続きで言えば、CF、DEのうちEはアフリカに戻り、Fはインドに残り、Cがアジア南方に進出した。おそらくDはCと行動をともにしたと思われる。

それ以上は、目下は不明というほかない。推論には節度が必要である。


氷河期が終わるまでにやってきた人々2 C1

C1に関する議論は行きつ戻りつする。Dに先行していたかも知れないとか、南方系由来かも知れないとか、九州南部の縄文文明の担い手だとか、面白いがとりとめがなく根拠もない。

このあと記事は途切れてしまう。



私の感想 

D人がいつどこからやってきたのかが最大の焦点


ここを外してしまったのでは、話の焦点が合わなくなる。

考古学的に見れば、縄文人の祖先となるD人は、2万5千年前(最終氷期)に間宮海峡→樺太→北海道→本州と南下してきたと考えられる。
それより前のことはわからない。その痕跡は大陸側にはまったくないからである。Y-系統樹からはまったく説明がつかないが、黒曜石や細石刃など、考古学的には論証可能である。

C1人はD人以前に先住していた

ただ、そうだとすると説明が難しくなる問題がいくつかある。

最大の問題は、4万年前に信州~関東平野で大型獣を獲物としていた先住者である。私はこれはC1人だろうと考える。彼らはD人が南下してきた頃に絶滅の危機にあった。長いボトルネックの時代を経て日本人のYハプロに何らかの痕跡を留めるほどの割合で生き延びた。

彼らはどこから来たのかわからないが、朝鮮(当時は半島ではなくユーラシアの東端)から渡来したと考える。

ヨーロッパにもC1人がいると言われるが、CとかDは変異の確率が低い。だから出アフリカから極東まで長い期間C1のまま到着したのであろう。であればエデンからヨーロッパまで同じC1のまま移動したとしてもありえなくはない。(争うつもりはないが)

九州南部の縄文文明をになったのがD人なのか、C1人なのかはとりあえずどうでも良い。もちろん確認できればそれに越したことはないが…

留意すべきは朝鮮半島の形成期である1万5千年~1万年ころに、朝鮮半島が無人の野であったことである。


「歴史(基本的には日本史)」ジャンルの全記事 2

修復したけど、肝心の記事は抜けている。後で補完する。


D 米作り農民と、天孫系集団の相次ぐ渡来

1) 高天原の位置づけ

三韓時代以前の朝鮮半島南部
2013-01-03 23:57:19 

馬韓が天孫族の源流か
2016-07-03 23:47:10 
箕氏朝鮮の馬韓占領がもたらしたもの
2016-07-02 23:29:19 
衛氏朝鮮は天孫系の源流ではなさそう

2) 長江人の渡来

縄文人、旧弥生人、新弥生人に分けて考える
2015-11-28 16:13:28 

縄文VS弥生の枠組みは捨てたほうが良い
2013-01-05 21:08:23 

長江文明→弥生人の系譜
2014-05-21 12:01:03 
Y染色体が語る弥生人と縄文人の出会い
2016-06-18 12:32:54 

弥生人、それから支配者たちが来た
2013-01-12 20:01:50 
日本における米作り 年表
2013-01-01 17:03:36 

気温変化が民族構成の変化を推進
2012-12-31 15:05:27 

「弥生革命」があった?
2012-12-29 23:14:54 
弥生人の大量流入はあった
2016-06-17 15:47:45 

弥生人の増加は「民族の大移動」現象なしに説明できる
2016-06-27 23:34:04 

「水田中心史観批判」の批判 読後感
2016-08-29 00:08:14 
「水田中心史観批判」の批判 その2
2016-08-28 23:29:49 
「水田中心史観批判」の批判 その1
2016-08-28 21:00:59 

弥生土器の分類は九州をベースとすべきだ
2017-04-29 20:54:53 
弥生土器の分類は九州をベースとすべきだ
2017-04-28 18:05:51 
菜畑遺跡はさらに縄文を遡る
2016-06-17 13:39:11 
「板付人」に曖昧さは許されない
2016-06-16 23:51:10 
板付Ⅰ式→Ⅱ式はいつのこと?
2016-06-16 20:53:09 


3) 天孫族の侵入

環日本海文化圏
2013-02-07 22:11:42 
古代出雲のトロイ戦争か
2016-12-06 11:38:13 
「むきばんだ」の人々
2016-12-05 17:29:34 

稲荷山鉄剣の意味
2014-05-05 11:15:17 


4) 銅鐸文化の駆逐と高天原信仰の強制

弥生中期における激動
2016-06-27 17:11:26 

BC400の中国製矢尻が岡山で出土
2013-01-25 12:28:30 

銅鐸を手がかりに歴史を読み解く
2016-12-06 23:56:34 
「銅鐸人」のまとめ
2013-02-28 16:41:31 
銅鐸文明ノート 余話
2013-02-17 17:14:22 
銅鐸文明ノート その3
2013-02-13 16:39:01 
銅鐸文明ノート その1
2013-02-11 22:49:36 

↑このページのトップヘ