雑誌「現代の理論」に掲載された論文らしい。「マルクス生誕二百年」と書かれているので、去年に書かれたものであると思われる。

やや下世話な話題も含め、私の知らない世界が広がっている。

1.日本アカデミズムのなかのPolitical Economy

60年代までは、「マル経」と「近経」という二つの経済学がはっきりと分かれて対峙していた。

マル経の拠点学会は「経済理論学会」と称し、現在でも800人近い会員を擁している。

この学会は1959年に創立された。マルクス経済学が政治と過剰に結びついたことの反省の上に純学術的な研究学会として位置づけられた。

A) 経済理論学会の現状

学問的立場 
マルクス経済学を経済学の基幹とする。
理論と方法の多様性を尊重する。

『季刊経済理論』(桜井書店)を準機関誌(査読制のオープンジャーナル)とする。

B) 学術会議騒動

2013年に、学術会議の経済学部会が、新古典派的発想のもとに経済学の教育基準を構想した。
素案はミクロ経済学、マクロ経済学、統計学ないし計量経済学を「基礎科目」として重視し、他をその応用と位置づけようとした。

マル経「原論」は不要とみなされ、周辺に追いやられるようになった。

そこで最近では「政治経済学」、「社会経済学」、「制度経済学」などの名称を用いるようになった。
いずれも英語ではPolitical Economy である。


2.1970年代以降の日本のマルクス経済学

A) 1970年代の3つの学派

70年代、「マル経」には宇野学派、正統派、そして市民社会派の3つの潮流があった。

市民社会派というのは高島善哉、水田洋、内田義彦、平田清明などの思想的影響を受けた学派で、『現代の理論』や日本評論社のいくつかの出版シリーズに結集していた。

B) マルクス経済学の数理化と国際化

数理化: 置塩信雄、森嶋通夫らの研究。森嶋はまもなくマルクス批判に転じた。ピエロ・スラッファは新古典派的な資本理論に批判を加えた。

国際化: 70年代になると欧米でも「マルクス・ルネサンス」が起こった。ラディカル・エコノミクスが華々しく登場した。
フランクやアミンの「従属発展論」、ウォラーシュタインの「世界システム論」も登場した。

C) 二つの対応:集中と開放

大学でもマルクス経済学の没落は続いた。そのようななかで対応は二つに分かれたように思われる。

第一は、マルクス主義の問題構成に注意を集中することである。

1984年に「若手マルクス・エンゲルス研究者の会」が結成され、『マルクス・エンゲルス・マルクス主義研究』の継続的刊行を開始した。

新MEGAの編集協力に参加し、『資本論』草稿などの公刊を現在も支え続けている。

第二の対応は、アカデミズム主流派に対抗する多くの異端派との連携である。

スラッファ経済学、カレツキの再評価、「新古典派総合」から解放されたケインズの貨幣・金融論の再発見を通じて、ネオ・リカーディアン、ポスト・ケインジアン、構造的マクロ経済学と連携が生じている。

著者としてはそれらを包括して「制度の経済学」として発展させるべきだと考えている。

後略