鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

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1.ミンスキーは誰を批判し何を批判するか
東谷さんの本を通じて知り得た限りでは、ミンスキーの論理は意外にプリミティブで、ナイーブとさえ言える。
その論理はケインズを支持するというより、新古典・総合派の批判を主眼としている。そこには経済学というものに対する枠組み概念の違いがある。
ミンスキーにあっては、経済学は市民社会の解剖学だ。それに対して新古典派は市場経済の力学を土台として積み上げられた建築工学だ。ミンスキーはその土台が絶対的なものではないと批判する。

2.金融市場をどう評価するか
私は浅学のため貨幣市場と金融市場と信用市場の違いがわからない。そのため議論に不正確な点があることを予め断っておく。
信用市場はアダム・スミスもヘーゲルも知らなかった概念である。古典派の中でマルクスだけはこの市場が登場するのを目前で体験することができた。そしてこの市場の登場が何を意味するのかを考えることができた。

3.ミンスキーの論点
ミンスキーは「ケインズがこう主張した」と言って、自らの議論を展開している。それらは以下のようにまとめることができる。

① 信用市場は商品市場に付着し、商品市場を急成長させるブースターの役割を果たしてきた。しかしこれは市場に乱高下をもたらすきわめて扱いにくい装置である。

② 信用市場が肥大化すれば、商品市場に不確実性を持ち込み、商品市場が本来持っている「見えざる手」の機能を破壊する危険がある。

③ 新古典派と総合は「見えざる手」を不磨の大典とするという理論的弱点を内包している。彼らは需要と供給のバランスという神話にしがみつき、金融市場の動揺がもたらす商品市場への破壊的効果を無視する。(総合の場合は「タイムラグ」という言い訳に逃げ込む)

④ 金融市場には独自の論理がある。ミンスキーはこれを「投資家のマインド」としてとらえる。マインドは経済というよりは社会的・心理的なものである。それは「集団的マインド」の民主的形成によりコントロール可能なものに転化するかもしれない。

⑤ ミンスキーはここから、「優れた金融社会」の形成という行動目標を導き出す。第二次大戦後の世界が全体として平和・平等・民主の方向で発展したのも、戦前の政治・経済体制への共通の反省があったためと言える。

⑥ ミンスキーの所論には歴史的観点が不足している。金融市場は資本主義の前から存在していた。それが資本主義システムの巨大化に伴って、その一つのバージョンとして、「資本主義的信用市場」としてあらためて登場したことである。なぜ再登場したのか、それは従来型の信用市場とどう違うのかを探求しなければならない。

⑦ 金融市場が資本主義経済のブースターであると同時に撹乱者であり、潜在的可能性としては破壊者であること。それが集団心理に規定されるゆえに、人間集団の民主的形成により次の社会へと向かうための助産婦ともなりうること。これらを全体として統一的に把握しなければならないだろう。

⑧ レーニンは「資本主義には自由主義が照応し、独占資本主義には帝国主義が照応する」といった。ヒルファーディングは「独占資本主義は金融資本の支配する資本主義」だと言った。信用市場の拡大は、時期的にはこれらの時期と一致する。(すみません。あまり正確ではありません)

4.ミンスキーと未来社会
ミンスキーは金融市場の問題と独占資本の支配を結びつけて論じてはいない。しかし両者が本質的な結合状態にあるのなら、その未来社会は「優れた金融社会の形成」という課題設定だけでは不十分で、権力の有りようをふくむ政治変革のプログラム規定、平たく言えば「社会主義革命」論が必要になるだろう。

下記もお読みください
ミンスキーの金融論が説得的だ

ミンスキーの金融論

ミンスキー(Hyman Philip Minsky 1919~1996)はサミュエルソンとほぼ同じ時代を生きた。同じようにユダヤ人移民の家庭にうまれ、同じころシカゴ大学で数学と経済学を学び、ケインズの影響を受けた。

サミュエルソンが新古典とケインズを合体させる「新古典総合」というイカサマ的手法で有名になった一方、ミンスキーは「ケインズは新古典にあらず」としてサミュエルソンを攻撃し続けたらしい。

東谷さんの「経済学者の栄光と敗北」(朝日新聞 2013年)を読むと、ミンスキーが資本主義の本質を深く剔っていることが想像される。

ちょっと抜書きしておく。

* 「資本主義は本質的に不確実なものであり、その主要な不安定要素は金融にある」 これがケインズの最大のメッセージだ。

* 「金融が経済を不安定にする」という主張は、ミンスキー・モーメントと呼ばれ、リーマンショック→世界金融危機を解く鍵として注目されている。

* 62年の株価下落を大恐慌と比較・分析して次の特徴を引き出した。民間企業の負債が少なく、動員可能な流動資産ストックが大きかった。とくに政府の財政規模がはるかに大型化していたことが最大の特徴であった。

* アメリカ・ケインジアンは、金融市場と商品市場を同一平面において総所得(交点)を確定する。(ヒックス・ハンセン・モデル)
これでは金融市場は需要の関数でしかなくなる。資産選択の問題や投資要因の独自性は捨象される。また労働市場との関連も引き出せない。

* 新古典派総合(サミュエルソン)はさらにひどい。ケインズ理論の核心は労働市場が総需要の関数だということなのだが、新古典派の実質賃金→労働市場が蒸し返され、肉離れを起こしている。フリードマンのマネタリズムも概念構成としては同類だ。

ここでちょっと項をあらためる。労働市場の問題についてもう少し詳しく、ミンスキーのサミュエルソン批判を取り上げたい。

労働市場論でのサミュエルソン批判

* ケインズの考える需要・雇用論は、総需要が雇用量を決定するということだ。そこでは新古典派の賃金→雇用論は拒否されている。したがって両者の雇用量には差が生じる。
 
* サミュエルソンはこの差を本質的なものではなく、「タイムラグ」だと主張する。これが「短期ではケインズ、長期では新古典派」ということだ。(サミュエルソンは新古典派を意図的に古典派と混同している)

* 「困ったときだけケインズさん」というのは、あまりにもノーテンキではないか。これはとても困った理論だとミンスキーは主張する。

もういちど、ミンスキーの主張に戻る。

* ミンスキーは、この差はタイムラグではなく、もっと概念的に異なる理由により生じていると考える。ミンスキーはそれを「不確実性」の概念と名付けている。

* もう一度書いておくが、ヒックス・ハンセン・モデルは金融市場を事実上、需要の関数として従属させている。しかしミンスキーは資産選択の問題や投資要因に対して、独立したはるかに重要な意義を与えている。

不確実性の概念

* そして、それらを決定する要因が「不確実性の概念」なのだ。端的に言えばマインドの問題だ。それは同時に金融市場の独立性の主張でもある。

* このマインドが介在すると、金融市場は自発的に“不安定化”(不連続化)し、景気刺激の引き金がたとえ政策的な完全雇用であっても、雇用が需要を呼び、需要→雇用の爆発をもたらす。

* なお、巷間もてはやされる「ミンスキー・モーメント」というアイデアは、すでに「信用市場の循環」としてマルクスも指摘していることであり、ミンスキー本人にとってはどうでも良いことである。


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