鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

タグ:高天原

これが、今回の一覧表から抜けてしまった。
あとで探していれることにしておいて、とりあえず高天原、葦原中津国、スサノオの三者の関係を明らかにしておこうと思う。
別に、新発見というわけではなく、日本書紀を素直に読めばこういう読み方もできるよね、という程度のことだ。

高天原の神様というのはアマテラスの前にたしか3代ほどあるのだが、そのまえが良くわからないのである。出自は明らかにされていないが、前後関係からみて「なんとか朝鮮」王国の落人だろうと思われる。中原に秦に続いて漢が成立し、朝鮮半島にも進出してきた。それまで平壌ー京城周辺を支配していた王国は崩壊し、南に向かって落ちのびてきた。
細かいことは省いて、アリラン峠を越えて洛東江を眼下に臨んだとき、これからは異形の民が住まう、ここ葦原中津国を支配して生きていこうと思ったのだろう。
そうやって建設したのが高天原の要塞だ。一方、洛東江から半島南岸にかけては晩期縄文人と長江流域から流れてきた米作農民が混住していた。これを仕切っていたのがイザナギだ。根拠はないが、九州北部からやってきた可能性もある。さらに風呂敷を広げれば、鹿児島から火山の噴火をさけて避難してきた南部縄文人の末裔の可能性もある。
高天原からみた葦原中津国は、直接は朝鮮半島南岸一帯、後に任那となる地域だが、イザナギ一族は対岸の北九州にも大きな植民地を有していた。
スサノオがアマテラスの舎弟で高天原の一族だったのか、イザナギの後継者がそういう身分を与えられたのか、そのへんはわからない。
しかしスサノオはさまざまなフェイクニュースをでっち上げられ、高天原から追放された。彼は葦原中津国からも追放され出雲へと亡命した。そこがあらたに葦原中国と呼ばれるようになった。
高天原一族はやがて九州側の支配権ももとめるようになり、スサノオから取り上げられた。九州北部の統治のためにニニギノミコトが派遣され「天孫降臨」することになる。「日向」は宮崎ではなく玄界灘を挟んで、高天原に向き合っているからヒムカなのだ。
スサノオはこれに応じ、宗像を割譲し、ついで出雲の支配も受け入れた。スサノオの一族は畿内も支配していたが、ここもやがて「神武東征」により奪われることにな。

だいたいこういう流れで理解しておけばよいのではないか。


思い出した。次の3つの記事だ。

2019年02月14日

2019年02月13日

2019年02月11日


なんとも安直な勉強法で、まことに恥ずかしい限りだが、「日本神話・神社まとめ」というホームページにある「日本書紀」の現代語訳を読ませてもらっている。
そんな勉強で一端の口を利くというのもふざけた話で、年寄の妄想と思いながら読んでもらえるとありがたい。

それにしても我ながら驚いた。
日本書紀の記載を一つ一つ読んでいるだけで、まったく通説と異なるストーリーが浮かび上がってくるのだから…

狡猾で冷酷な独裁者としてのアマテラス、夫婦で作り上げた王国をアマテラスに蹂躙されオロオロするばかりのイザナギ、そして高天原王国に敢然と立ち向かい、最後まで抵抗をやめなかった英雄スサノオ…

舞台は小白山中の高天原、大八洲に囲まれたイザナギ・イザナミの豊葦原の国、さらに海を渡り筑紫、宗像、出雲と展開していく。

1.高天原は智異山だ

「高天原は智異山だ」というのが、私の以前からの考えである。智異山という根拠はあまりない。小白山地の何処かだということだ。つまり楽浪郡と三韓の境界ゾーンだ。
時期としては、おそらく紀元前200年から100年の間だろう。この頃衛氏朝鮮が漢の攻撃を受け滅びた。その残党が三韓側に逃げ込んで亡命政権を建てたのではないか。
彼らは朝鮮半島に影響力を拡大し、支配下においた。

2.高天原伝説とイザナギ伝説

神代説話は明らかに2系統ある。一つは高天原説話で、道教(中国北部)につながる垂直思考だ。
もう一つはイザナギ・イザナミのたゆとうて行く海洋系神話だ。
これまで私は高天原が天孫系のルーツで、イザナギ系が在来系のルーツと考えてきたが、それではどうにも説明がつかないほどに2つの説はもつれ合っている。

この2つの系列はともに渡来人のものであり、2つの渡来人の系統が朝鮮半島南部でからみ合い、絡み合った姿のまま日本に渡来したと見るほうが適当ではないかと思えるようになった。

3.大八洲は朝鮮半島南岸地帯

衛氏朝鮮人が峠を越えて大同江を眼下に臨んだとき、そこには晩期縄文人(日本全土に分布する縄文人とは別人種)と長江文明を引き継ぐ米作人が混住していた。この社会を南岸人と呼んでおくことにする。

そこにはオノコロ島、淡路島、その他の大八洲を形成するだけの島嶼が散在していた。そしてそれらの島々に囲繞されるようにして葦原中国が広がっていた。彼らの一部は渡海し、九州北岸に同種の文化を形成しつつあったが、本体はあくまで半島南岸にあった。
大八洲に日本の島々を当てはめるのは基本的には後知恵であり、実際に作業してみれば分かるようにかなり破たんせざるを得ない。

日本神話で日本の国土と思われてきた多くの地域的広がりは、じつは半島南岸を中心としていたのである。何も日本の地理に無理やり当てはめる必要はないのである。

4.葦原中国こそ原日本人のルーツ

これらのストーリーから生まれてくる原日本人像がある。それは対馬海峡を挟んで両岸に展開した「晩期縄文人」という名の海洋民族、そして山東半島→楽浪→大八洲と流浪の旅を続け米作文化をもたらした長江人、これが奇跡的なほどに混ざりあって出来上がったのが、日本人の原像としての「弥生人」だ。

両者のミキシングがこれほどまでに進行した理由は、高天原グループ=天孫族への共同の抵抗ではなかったのだろうか。たしかに天孫族は日本の政治システムを握り民族を支配した。しかし天孫族は日本人のDNAにほとんど影響を与えていない。何よりも驚くのは日本語という言語の形成過程にすらほとんど影響を与えていないということだ。

5.イギリスでも同様の事態が

最近のイギリス人の研究も同様の傾向を示している。イギリス人(イングランド人)はアングロサクソン人を自称してきたが、そのDNA的骨格から言えばアングロサクソンではなくあえて言えば“ケルト人”なのだ。デーン人やノルマン人の血はほとんど混じっていない。

DNAだけが人類のあり方を規定するわけではないが、アングロサクソンのDNAを誇りにしてきたイングランド人にはかなりショックだったろうと思う。

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