30歳代、非正規、短歌      萩原慎一郎さんの歌

この間アイミョンの歌から、以前感心した山田航さんの短歌の話になって、なんとなくその話題が心にわだかまっていたが、これにツイッターという表現形式が絡んでいるのかなと、ふと思いついた。
ツイッターという表現形式は字数的にはおそらく短歌の2、3作分くらいのブレスを持った文学だろうと思う。
そのつぶやきから枝葉をとっていって、息継ぎを入れていくとちょうど短歌になる。
感覚としてはまさにつぶやきであり、問わず語りの、自分に向けての話しかけであり、人知れぬ、人へのひそやかな問いかけでもある。
山田航さんの歌と萩原慎一郎さんの歌はかなり顕著な違いがある。山田さんには冷徹に自らを突き放した仮名性の目がある。萩原さんは敢えて自分から離れず、自分を隠さず、即自の視点を保持しようとしている。

だから優しさがあって読者が癒やされるのだろうと思う。それも一つの技巧なのだろうが、本人には非常に疲れる技巧だろうと思う。

“非正規”がらみに絞っていくつか紹介しておく。


朝が来た

朝が来た こんなぼくにもやってきた 太陽を眼に焼きつけながら

夜明けとは ぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから

寒夜を走るランナーとすれ違いたる ぼくは自転車漕いでいるのだ

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ 書類の整理ばかりしている 

非正規という  受け入れがたき現状を  受け入れながら生きているのだ

階段をのぼりくだりて 一日の あれこれ あっと言う間に終わる

牛丼屋

ぼくも非正規 きみも非正規 秋がきて 牛丼屋にて牛丼食べる

牛丼屋 頑張っているきみがいて きみの頑張り 時給以上だ

「研修中」だったあなたが「店員」になって 真剣な眼差しがいい

頭を下げて 頭を下げて牛丼を 食べて頭を下げて暮れゆく

あした

消しゴムが 丸くなるごと苦労して きっと優しくなってゆくのだ

コピー用紙 補充しながら このままで 終わるわけにはいかぬ人生

もう少し待ってみようか 曇天が 過ぎ去ってゆく時を信じて

あなた

遠くから みてもあなたとわかるのは あなたがあなたしか いないから

作業室にてふたりなり 仕事とは 関係のない話がしたい

かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む

生きているというより 生き抜いている こころに雨の記憶を抱いて

最後の歌は、自殺の理由を説明しているような気がする。“雨の記憶” がどういう記憶なのか…
なにか “雨の音の記憶” のような気がして、「美しき水車小屋の娘」みたいな情景もふと浮かぶのだが…
知らないままのほうが良さそうだが…