鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

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グエン・ドクさん、漢字で書くと 阮德さん。

1981年2月25日の生まれ。下半身がつながった結合双生児だった。兄は故グエン・ベトさん。

出生地が枯葉剤が大量に撒かれた中部高原のコントゥム省であったことから、枯葉剤の催奇形性に基づくものであると疑われている。

ハノイのベトドク病院で療育されたことから、ベト、ドクと名付けられる。ベトドク病院は漢字で書くと越・独(旧東独)友好病院。

85年に兄弟のことが日本でも知られるようになり、大規模な支援活動が行われるようになった。

二人は結合したまま成長するが、1988年10月、ベトさんが急性脳症となったことを契機として、手術で分離した。

この手術はホーチミン市の病院で行われ、日本赤十字からも4人の医師が派遣され執刀に当たった。

ベトさんは長い療養の末、 2007年10月6日に亡くなった。26歳だった。

ドクさんは職業学校でコンピュータプログラミングを学び、病院の事務員となった。2006年にはボランティア活動で知り合った女性と結婚している。

(前回の札幌訪問は、結婚直前の2005年であった)

2009年に男女の双子が生まれている。

ドクちゃん一家

ベトちゃん・ドクちゃん看護秘話

というページに、出産からベトドク病院への入院に至るまでの詳しい経過が記載されている。ここに要約紹介しておく。

二人はコントゥム省サータイで生まれる。上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児だった。染色体異常によって、胎内で癒合したまま成長したシャム双生児。肛門も性器も1つを共有していた。

父親は戦争中に南部で戦い、終戦4年後の79年に、現地へ開拓移住した。

出産時、生まれた子を見て、助産婦は失神し、母親も気を失ったという。両親は2人をコントゥム病院に預けたまま行方不明となり、2人は生後2週間ちょっとで、陸路1000キロをハノイ市の越独友好病院まで車で移送された。

二人を世話したベトドク病院の看護婦の証言: 

声も出せないほど弱々しかったです。長距離を運ばれてきて、多分体も洗うこともなかったでしょうし、臭くて薄汚れていました。

当時ベトナムはまだまだ貧乏で、たくさん食べさせたかったけど、物が不足していました。ちゃんとした服も着せられませんでした。

食べさせたのは、ミルクとお粥のダシと砂糖でした。4ヵ月経って、ベトちゃんとドクちゃんは本当に健康状態がよくなって、少しふっくらしてきて、可愛くなってきました。

日が経つにつれて、二人はどんどん話し方を教えました。非常に頭がよさそうでした。時々風邪を引いたり、熱が出たり、お腹を壊したくらいで、あの子たちは大きな病気はしませんでした。

体はくっついているけれど、ベトちゃんとドクちゃんは性格が違います。体力がまず違いました。片方はよく遊んでいて、いつもとっても楽しそうでした。片方は、体力はあまりなく、からかわれると怒ったりしました。

その後、戦場から帰ってきた旧軍人と奇形児の関係も分かるようになりました。子供たちが枯れ葉剤被害者であることが証明されました。

多くの人が、罪を犯したように、心がさいなまれていました。神から罰を受けたと思っていたんです。ベトさんドクさんの両親も顔を出しませんでした。仮に来てても、自分がこの子の親だとは言えなかったと思います。

1983年1月、この2人をホーチミンの病院に送って分離手術を受けることを決めました。別れた時、皆泣きました。ベトちゃんとドクちゃんもものすごく泣きました。それまで毎日面倒をみてくれた看護婦全員の名前を呼びました。

全国には、まだ多くの患者さんがいます。。行動を起こすことが大事です。平和を愛する人が団結して、戦争を起こしている国の指導者に、私たちに必要なのは平和だけです、と訴えたいです。  

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