「企画展示 大久保利通とその時代」という展覧会が開かれているそうだ。
場所が千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館、展示資料の大半が書簡だそうで、とても見に行くほどの食指は動かない。
赤旗の文化面に短い紹介が載せられていて、その一節が面白かった。
慶応元年(1865年)9月 西郷隆盛あての書簡。多分この時西郷は薩摩で志士を束ね、大久保は京都に詰めていたと思う。
将軍、徳川家茂が第二次長州征伐を天皇に要請。これに対し天皇が出兵を命じる勅命を下した。薩摩は第一次長州征伐の時とは立場を変え、出兵を阻止すべく動いていた。その中心にいたのが大久保である。
紹介した米重さんによれば、
この勅命には天下万民が納得する正義がない。正義のない勅命は真の勅命ではない。
と大久保は書いているのだという。
この辺りから薩摩(大久保=西郷枢軸)の幕府離れが進んでいくのだが、その際の回転軸に「天下万民の正義」が据えられていたことは、一つの発見であった。
それ以上の新知識としては以下の行。
この書簡の写しは、土佐藩の坂本龍馬や長州藩にも回覧され、薩摩と長州が徳川幕府を倒すために手を結ぼうと接近するきっかけになった。
たしかに大量印刷が広がっていない時代、手紙の意義ははるかに大きかったのだろう。したがって、手紙といえども決して私的なものではなく、多くの者に回し読みされ、拡散されることを前提に書かれていたに違いない。そのような事例は世界史の中にいくらでもある。
この手紙は大久保の宣言である、と言える。同時にこれを読んだ西郷が、おそらくはその趣旨に共鳴するだろうということを全体に書かれているはずだ。
現にそれは各藩の志士に拡散し、大きな潮流を形作っていった。この宣言は、大久保こそが明治維新に動いていく流れの先頭に立ち、その方向(尊皇攘夷にとどまらない)を切り開いたことを示している。