浜矩子さんの 「通貨を知れば世界が読める」(PHP新書 2011年) という本を読みながら、途方に暮れている。
そもそも、謳い文句が「1ドル50円時代の到来」ということになっているから、意地悪い言い方をすれば、浜さんは円安時代を読めなかったことになる。すなわち通貨を知らなかったことになる。
問題は通貨という経済システムを知っても、為替相場の動きは読めないということにある。そこでなぜ読めないのかということが問題になる。
やはり、一度ディーラーや輸出入業者の“マインド”のところに戻らなければならないのだろう。そしてそのときどきのマインド形成過程を分析しながら、帰納的に為替相場を規定するものを探っていかなければならないのだろう。
そしてより長期的には慢性的な生産過剰、資本過剰、慢性不況、慢性バブル、通貨垂れ流しという枠組みの中に位置づけていかなければならないのではないか。
通貨というのはそもそも株式市場や債券市場と異なり、何よりも安定性が求められる。その安定性が毀損された状況が為替相場の乱高下ということになる。為替相場に安定性をもたらすのは国家の通貨政策である。ところが一方では通貨に対するガバナンスを事実上放棄するような手前勝手な通貨政策が横行し、他方では為替の乱高下により国家そのものが存亡の危機に立たされる事態も発生している。
このような事態が続けば、将来の道は二つしかない。通貨鎖国、あるいは戦前のような通貨ブロック体制への逆戻りか、ケインズの提唱した世界通貨への道かという選択である。