ヘーゲルの政治経済学の研究 

これは「現代倫理の危機」 牧野広義、藤井政則、尼寺義弘 (文理閣2007年)
の第8章 「ヘーゲルの政治経済学の研究」(尼寺義弘)の読書ノートである。



諸欲求とこれら諸欲求の満足はいかにして実現されるか。それらを律する諸法則とは?

Ⅰ.欲求・労働・享受の理論

労働は土地(自然)と並んで、市民社会の富の源泉である。それは古典経済学の中心概念である。

ホッブス
コモンウェルスの栄養は、生活諸素材の豊かさと分配にある。それらは労働によって生産され加工され輸送され分配される。
神は生活諸資材を惜しみなく与えているのでそれを受け取るために労働と勤勉以外のものは不要である。

ヒューム
この世のものはすべて労働によって取得される。そのような労働の唯一の原因は私たちの情念である。

アダム・スミス
労働はあらゆる事物に対して支払われた最初の「本源的な貨幣」だった。あらゆる富が最初に取得されたのは、金や銀によってではなく労働によってであった。

ヘーゲル
労働は自然が提供する素材を、多様な過程(手段)を通して「特殊化」する。
労働の過程(手段)が多様なのは、特殊化への動機が多様だからである。
この「特殊化」に当たり、労働の過程(手段)には合目的性と価値が付与される。
このとき同時に、(生活の)素材は、主として人間の生産物から構成される素材となる。(法の哲学 第196節)

ヘーゲルはイギリスの政治経済学を取り入れた最初の(ドイツ古典)哲学者であった。
彼の最大の理論的功績は、欲求、労働(生産)、享受(充足)の連関を社会の根本的な連関として剔出したことにある。すなわち人間(諸個人)は欲し、労働し、労働することで享受するのである。

欲求・労働・享受という3つの行動は、主体的・人間的な実践である。
そこでは労働(人間的諸力の発揮)は普遍的契機であり、享受は個別的契機であり、欲求は特殊的契機を形成する。
労働は欲求により具体性を与えられる。労働は欲求と享受という個別行為を全体へと結びつける媒辞となる。

Ⅱ.直観と概念

ほとんどがむだ話。省略。

Ⅲ.道具と機械

…分業が発展すると、労働のスタイルも大きく変化する。

対象に全体として立ち向かっていた労働が分割され、個別労働となり、それらの諸労働は多様性を剥奪される。

かくして労働はより普遍的なものとなり、それと同時に全体性に対し疎遠なものとなる。そしてますます機械的なものとなる。

機械的労働のさらなる機械化は、労働を多様性のないまったく量的なものにする。それは将来的には、労働を機械に置き換え、労働者を分離するだろう。

同時に、労働過程の全体概念が主体の外部に定立されることによって、「道具は機械へと移行する」のである。

この機械化は人間の解放を可能とする基礎をふくんでいる。

これに対し、アダム・スミスはもう少しリアル(悲観的)な見方をしている。

分業は知的な、社会的な、軍事的な美徳を破壊する危険がある。これを防ぐには政府が何らかの労をとる必要があるし、「民衆の教育」が必要となってくる。

Ⅳ.全面的依存の体系

アダム・スミス
分業社会が確立されると、人々は欲望の大部分を交換活動によって満たすことになる。社会は商業社会となる。
商業社会は全面的依存の体系として成立する。そこではすべての個人が市民社会の一員として、「私的人格」を身にまとって行動する。
彼らは互いに無関心で利己的に振る舞っている。

しかし社会には一定の規則があり、経済的な「掟」として諸個人を縛っている。

市民社会の掟

① 市場の掟

剰余生産物の所有者はそれを貨幣化しようとして市場におもむく。しかしこの剰余が販売できる保証はない。
彼の運命は「無縁な力」に依存している。それは剰余物の価値、すなわち総欲求と総剰余の相対関係である。

② 自然価格と市場価格

この点について、アダム・スミスは揺れ動く市場価格の基盤に、しっかりとした自然価格というものを想定する。これが「見えざる手」の実体的な基礎となる。
自然価格は市場価格を通じて発現する。すなわち諸欲求とその充足との「無意識的で盲目的な全体」として現象する。
ヘーゲルはさらに議論を進め、自然価格が剰余の普遍的な性質に媒介されたものであり、かなりの程度で実定可能だと主張する。

普遍的なものはこの「無意識的で盲目的な運命」を把握し統制できるはずであり、そうすべきであると考える。
そして、より積極的に政府が介入すべきだと主張する。

③ 価値と価格、そして貨幣

市民社会において占有は所有となる。社会により財産の神聖不可侵が保証されて、初めて真の「市場」は成立する。

所有権という権利がもののうちに反映されると、物は他の物との間に「同等性」という性質を獲得する。これが「価値」である。

これに対し、所有権を介さない経験的な同等性は「価格」として示される。

市場に持ち込まれた「剰余」は、その所有者を通じて、すべての剰余への可能的な享受と向き合う。
それは市場において、普遍的な欲求の一形態として立ち現れ、貨幣と呼ばれる。

貨幣はそれ自身が必需品であると同時に、すべての必需品の抽象態であり、媒介である。
貨幣の媒介作用を基礎にして商業活動が成立する。

貨幣は普遍的な交換能力であり、その普遍性は「労働の普遍性」に基づいている。したがって貨幣は「労働の媒辞」であり、たんなる一般的な交換手段ではない。