続縄文時代

紀元前500年 本州以南で弥生時代が始まる。陸奥(宮城・山形以北)では米作りと続縄文のハイブリッドとなる。

紀元前3世紀頃 続縄文時代が始まる。基本的には縄文から擦文時代への移行期であり、一括できるかどうかはかなり疑問がある。

続縄文文化は前半と後半、末期に分かれる。

前半期 陸奥につながる恵山式文化と、宇津内式・下田の沢式文化(道北・道東)とが並立して現れた。生活スタイルは縄文時代と共通しているが、漁労と原始的栽培(アワ・キビ・ヒエ・ソバ)の比重が高くなっていることが特徴。

紀元前後 北海道内の続縄文集落で、釣り針など少数ながら鉄製道具が使用されるようになる。

後半期 北海道全体が宇津内式・下田の沢式を引き継ぐ後北式土器に統一される。後北式は江別式とも称される。続縄文文化は樺太南部や陸奥・羽越地方、千島列島まで広がる。

5世紀 続縄文文化とは別に、樺太からオホーツク海沿岸にオホーツク文化が浸透。フゴッペや手宮の刻画もこの頃のもの。

5世紀 集落が海岸沿いから内陸河川周辺に移る。サケの捕獲が生活の主体となる。海を越えてやってきたオホーツク人(粛慎)に海岸地帯を奪われたためかもしれない。

農耕(米作りを含め)が発達しなかったのは、「気候のためだけではなく、サケがあれば百姓などする必要がなかったからだ」、という意見もある。

5 - 6世紀 本州より土師器文化が進出。これが江別式土器と接触する中で北大式土器が出現。

紀元600年ころ 続縄文時代が終わり擦文時代に入る。