京都精華大学の白井聡さんという方が、赤旗のインタビューに登場し、鮮やかな切り口を見せてくれている。
77年生まれというから私より30歳も年下だ。文脈から判断すると、多少民主党に肩入れしているようだ。「たしかにそういう人でないと切れない切り口だな」、と感心する。
記者の「立憲主義を回復するために、何が必要でしょうか?」という質問に対する答え。
2009年の「政権交代」の時には、市民の側はまだ、「傍観者」「観客」という面があったと思います。
「なにか面白いことをやって見せてくれ」というお任せ的なところがあった。
ところが「民主党政権は全くつまらない」といって見捨てたら、自民党が復活していま大変なことになっている。
と状況を評価したうえで、
主権者としての国民が姿を現すことが重要です。
とうちだす。
そのうえで、09年当時との主体的状況の違いを次のように表現する。
市民社会が目覚め、「傍観者では駄目だ」と、ますます多くの人が気づいています。
そのような形で市民運動が力を持ち始め、政党政治を動かしている。共産党の「国民連合政府」提案もそこから出てきました。
と、市民運動の帰結としての「国民連合政府」提案を位置づけている。つまり提案者は共産党であるにしても、それは総体としての市民運動の提起なのだという観点である。
これはある意味で「否定の否定」という弁証法なのだろうと思う。
実はこの一節が非常に気に入ったのは、大阪の選挙結果をどう評価しようかと悩んでいたからでもある。
維新というのは「なにか面白いことをやって見せてくれ」というお任せ的な劇場型運動である。
09年の市民の意識水準を大阪という場で再現しているところがあるのだろう。(もちろん維新の本質は極右であり民主党とは似ても似つかぬものであるが)
そして今度の大阪の選挙は、国民の多くがまだ09年の「傍観者」「観客」水準を越え得ていないことの表現として受け止める必要があるのだろう。
国民の多くが現状の変革を望みつつも、「傍観者」「観客」にとどまる限り、政治の方向は乱高下を繰り返す。しかしその中から否応なしに主体者としての市民が生まれざるを得ない。
そこには批判や論争による説得ではなく、行動への説得、そしてなによりも展望(国民連合政府)による説得が必要なのだろう。