「辰国」への思い

私の日本神話解釈は下記のようなものである。

後に三韓と呼ばれる朝鮮半島南部一帯は、古来小国の集合体であり、「辰」と呼ばれていた。

箕子朝鮮
  地図上では現在の「大韓民国」にほぼ重なる
これは日本神話で「葦原中津国」と呼ばれる広大な湿原地帯と、「大八洲」と呼ばれる島嶼群に相当する地帯であった。

ここに紀元前100年ころ、漢に滅ぼされた衛氏朝鮮の残党が入り込んできた。衛氏も漢民族系の王朝である。

彼らは山城にこもりながら、葦原中津国への襲撃を繰り返し、やがてこれを支配するようになった。

この山城を高天原、ここに進出した人々を天孫族と呼ぶ。

「辰」の人々は対岸の九州にも進出し植民地を形成していた。天孫族は九州に“天降り”し、倭国を形成した。

こうして衛氏朝鮮系の天孫族が、辰の代わりに作ったのが、三韓の国家群であったのだろうと考える。中でも辰の影響を強く残す地域が辰韓と呼ばれるようになった。

その後さらに北方系(ツングース系)の人々が侵入し百済・新羅を立てると、辰韓諸国は任那あるいは伽倻と名乗るようになった。

という経過で考えているので、その主要な舞台である辰への思いは強いのだ。


「辰国」について

ウィキペディアによれば次のような内容が伝承・記録されている。


「辰国」の出典

1.史記

衛氏朝鮮滅亡後の同時代史料。朝鮮伝の中で「真番旁衆国」として書かれている。

言葉としては“真番郡南方に隣接する小国家群”ということになるだろう。

真番郡は漢朝により朝鮮半島に設置された郡である。

史記の異本の一つは「真番旁辰国」とあり、これらの「衆国」が辰国と呼ばれたとも考えられる。

朝鮮支配の中心地である楽浪郡の南方に位置する。後の百済の版図とほぼ一致する。

2.漢書

史記よりほぼ200年経過している。
「真番辰国」と記載されている。
この間に旧真番郡と旁衆国が一体化したものとみられる。

3.三国志と後漢書

3世紀、卑弥呼の時代の書である三国志では、「辰韓は古えの辰国なり」とされる。

後漢書では「韓に三種あり。一に曰馬韓,二に曰辰韓,三に曰弁韓(略)凡そ七十八国(略)皆古之辰国なり」とある。


「辰国」と衛氏朝鮮

紀元前2世紀 衛満が箕子朝鮮を滅ぼして、衛氏朝鮮を建国した。

魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳によると、

衛満の孫の寓居王(衛右渠)が衛氏朝鮮とたもとを分かって族的集團2,000余戸とともに辰国に亡命した。

とある。

ただし「辰国」の解釈には諸説あるようだ。
一番の問題は後漢書の辰国→三韓という記述にありそうだ。