西野智彦 「平成金融史」がめちゃめちゃに面白い

わからない言葉だらけで、読んでいても意味はよくわからないのだが、おそらくは多少の想像やフィクションも織り交ぜた「関係者の発言」が散りばめられ、これが筋の運びを面白くしている。

西野さんの平成観は、次の言葉に尽くされている。
昭和の負の遺産にもがき苦しみ、痛みを散らしつつ、抜本的治療を令和に先送りしたのが平成だった気がします。
それが副題のごとく「バブル崩壊からアベノミクスまで」という言葉に込めた実感なのだろう。

私の読後感

とくに1997年の危機を消費税+アジア通貨危機の複合と見ていたのが、実は当時の日本の金融構造が本質的に持っていた弱点の爆発したものだということが実感できた。

また2001から02年の第二次金融危機が、97年危機よりはるかに深刻であったこともわかった。

資本主義における市場問題は新たなステージに

本そのものへの感想とは離れてしまうが、いま実感として思っていることがある。

それは、資本主義における「市場」構造が新たなステージに入っているということである。

マルクスが商品市場に対して、その上位に来るもう一つの市場、すなわち信用市場を示唆したことの重要性はつとに指摘されているが、現在ではすでに市場の決定権は信用市場に移っており、商品市場は従属的な機能を受け持つに過ぎなくなっている。

つまり商品の生産機能はすでに飽和状態に達しており、需要に対して(予備脳を含めた)供給のバランスは不可逆的に過剰化しているということだ。

株式市場・債券市場・為替市場と「信用市場複合体」

そして、マルクスが信用市場と呼んだ新たな市場は、今や金融市場=銀行資本の競争のレベルをはるかに超えている。

それが株式市場であり、債券市場であり、為替市場だ。この3つの市場がおたがいに絡み合いながら「信用市場複合体」を構成していると見るべきだろう。

多国間協調主義 vs 信用市場複合体

これら3つの市場に対して、人々は総力戦を挑まなくてはならない。その機能はほぼ国家の手に集中しつつある。

そのことが「平成金融史」でとても良くわかる。97年はまさに「金融史」にふさわしく銀行や金融機関の倒産や債務整理などが中心だが、後半に入れば主要な関心は日銀、通貨、株価へと移っていく。「金融」は気息奄奄となり、物価・賃金・財政赤字などはまったく背景と化している。

つまりある意味で帝国主義戦争の時代の再現とも言える。そういう時代に多国間協調路線(マルチラテラリズム)は今後の展望を切り開いていくことができるのであろうか。

国際連帯運動はその地平を切り開いていくことができるのであろうか。ここを大いに語り合っていきたいものである。