「省エネルック」キャンペーンはブサイクだがよく分かる
いま朝飯を食いながらテレビを見ていたら、
「省エネルック」というかつてのムーブメントを紹介していた。
実は私はあまり覚えていないのだが、大平首相の頃にオイルショックが襲って、街のネオンサインが消えて大変なことになったようだ。これは多分第一次ではなく、80年ころの第二次オイルショックだろうと思う。
そのときに大平首相が率先して「省エネルック」というモードを提唱したらしい。背広にネクタイで、袖が七分丈になり、当然ワイシャツも半袖になった。
翌年に大平首相が突然死してしまったので、この運動も頓挫してしまったらしい。
まぁ、どうでもよいことではあるのだが、キャンペーンを始めるにあたって大平首相が意義を述べたのだが、妙にそれが気になった。
正確には覚えていないのだが、多分こういったのだろう。
日本は資源に乏しい貧しい国です。石油も鉄も外国から買うしかないのです。
みんなが一生懸命働いて、資源を節約して、外国との貿易を盛んにしなければやっていけないのです。

大東亜共栄圏の戦後型バージョン

これは実は私達世代が子供の頃、学校でさんざん教え込まれたレトリックなのだ。
戦前はそれが朝鮮や満州を侵略して、中国に進出する理屈へと横滑りしていった。戦争に負けてしまって徒手空拳の小国になってしまったから、とにかく世界の国々と仲良くして行こうというのが国策になった。
国連に加盟し、ソ連と国交回復した頃は「東洋のスイス」という言葉が真剣に語られたものだ。私達は「世界中が仲よく、ほがらかに暮らしましょう」という呼びかけをなんの躊躇も感じずに信じて、なんのてらいもなく語っていた。多分、日本人がいちばん謙虚だった時代だろう。

それが、1980年(昭和55年)の日本国首相の口から語られていたということに、いささか感動を覚える。

受け継ぐべき「昭和イズム」

戦争を、というより戦後を当事者として知る世代は、20世紀の終わりくらいまではがんばり続けていたと思う。
いまさすがに「資源のない貧しい国」という日本イメージを墨守することは、アナクロであるかもしれない。

「刻苦精励」にすべての実践を落とし込むのは、「昭和イズム」の悪しき側面なのかもしれない。しかし、それと引き換えに謙虚さと平和主義まで流し去るのも、あまりに惜しいと言うべきではなかろうか。

今の安倍や麻生らボンクラ集団を見ていると、右と左とを問わず、残すべき共通のものを確認していくべきではないかと思う。