柳井政和

という文章を読んで本当に同感した。要旨は以下の通り

「Yahoo!ジオシティーズ」の終了、とうとう終わりが来たのだなという感想だ。

ブログとSNSの台頭により、個人でWebサイトを作るという文化は急速に廃れた。
情報を蓄積するだけで、外へと伝える機能がない個人ホームページは、その価値を大きく落としていった。

サーバー上で、効率的に時系列の情報を発信できる「ブログ」は万人ジャーナリストといった文化を作った。

インターネット上のコンテンツは、ストック型から、情報をニュースのように流して消費するフロー型に変わった。

しかし、サービスの終了によって失われる人類の情報資産は大きい。
様々な分野について、膨大な情報を集積しているホームページが少なからずある。

願わくば、そうした情報が、どこかに保存されて欲しい。そして簡単にアクセスできるようになって欲しい。こうした出来事のたびに、そう考えてしまう。


柳井さんはあの有名なソフト「メモリー・クリーナー」の作者だという。その柳井さんが知的胃酸を保存しようというのだから皮肉な話だ。
ともかく、そのような専門家でさえ悩んでいるのに、私ごときシロウトが口を挟んでもしようがないが、なんとかならないもんですかねぇ、柳井さん。
例えばトラストみたいなものを募って共同墓地を維持・運営するとかできないものですかねぇ。

それにしても、かつてデジタル化と光媒体は眩しく見えたものだ。それは永遠の輝きを放っているように見えたものだ。しかしそれは紙媒体やレコードなどのアナログ媒体よりよほど儚いものだった。壊れたCDやメモリーのなんと虚しいことか。
何時間もかけて作ったファイルがボタンひと押しで無限の彼方に飛び去ったときの虚しさはどうであろうか。