1.素晴らしさ…自叙伝の一節

バチェラー資料を探しているうちに、次の資料に出会った。
 「HOMAS日本語版ニューズレター」という定期版で、「北海道・マサチューセッツ協会」という団体が発行している。道庁の外郭団体のようだ。その64号に「アイヌ民族保護を訴え続けたジョン・バチェラーの生涯と業績」という文章が寄せられている。

その中で、バチラー自叙伝「我が記憶をたどりて 」 (昭和3年10月発行)の一節が引用されている。

とても良いので、みなさんにも紹介しておきたい。
「世界の文化の進歩は、凡ての人が皆生存権を有して居る様に、あらゆる民族もまた民族としての生存権が明らかに認められて参りました。之は当然なことであります。日本人が米国や其の他で、差別的待遇を受けて居ることを聞く時に、ほんとうに嫌な気が致します。日本は、大いにその非を責め、又世界にむかって人類平等主義を主張せなければならないと思ひます。それをなす前に、同国民であるアイヌ族が持って生れた其の生存権まで奪ひ去られ、山から山へ追ひ込められて、予防し得る病気のため地上から滅び行かんとして居る事に注目され、其の開発向上策に誠意を示さるることを希望致します。 


2.歴史的限界…アイヌ人=「コーカソイド」説

大シーボルトの唱えたアイヌ白人(コーカソイド)説は、現代版「高貴な野蛮人」説である。
欧州各国はアイヌ人を原ヨーロッパ人の共通の子孫と考え、調査団や研究者を派遣した。
彼らはアイヌ人が日本人によって不当な仕打ちを受けていると思った。

これはバチェラーのみの見解ではなく、アイヌ人の中に分け入った当時の白人に共通する感情であった。

これは密やかな白人優位観の発露であったと言えるだろう。

3.伝道実践と思想・信仰の自由

もう一つ、これはマンローとの論争を通じて明らかになったことだが、アイヌ人の保護も然ることながら、根本的にはキリスト教の伝道であり、思想・文化の押しつけと紙一重の行動であったことである。

この辺は非常に難しくて、民主主義の思想がキリスト教の教えと深いところで結びついているために、剥離が困難なところがある。

例えば、戦後の食糧危機を救ったのは米国のキリスト教団体の力が大きかったし、平成天皇の教師を勤めた女性は戦闘的平和主義者のクエーカー教徒であった。

ただ原理的にはアイヌ人の思想・信仰の自由と觝触する可能性はあったということである。