さん、もう一つの死刑反対論 にアクセスしてくれました。
この記事を書いたのは自動車の中でたまたまオーム関連受刑者の大量処刑を聞いたからです。女性法務大臣が胸を張って大量処刑を認めて、記者会見していました。それをラジオのニュースで聞いたのです。
女性だからと言うのは逆差別になるので、あえて言いませんでしたが、女性が本質的に母性につながるものなだけに、なにかとても嫌な気持ちにさせられるものでした。
これを聞いた竹内精一さんのコメントが赤旗に掲載されました。それは紋切り型ではなく、自らの体験を踏まえた高い哲学的水準のものでした(一応付け加えておきますと、竹内さんは第5サティアンのあった上九一色村の村会議員で共産党員でした)。
私は竹内さんのコメントに深い感銘を受けました。赤旗ではなくすべての全国紙・メディアに載せてほしかったと思います。
竹内精一さんの立場は、端的に言えば「なんじ殺すなかれ」です。それをすべての思考の立脚点に置かなければ、自分が論理的に持たなくなり、潰れてしまうからです。
「死刑反対論」は一つ一つのケースがあまりにも重く、法律的に論じても仕方のないものです。安易な他者の介入は許されるものではありません。
しかし「それを見つめるもの」としての私達一人ひとりの論理は、それはそれとして突き詰められなければなりません。
竹内さんは中国戦線での兵士としての経験を持っています。そして癒やされることのないトラウマを抱えながら、富士山麓に開拓民として腰をすえることになりました。そして今度は「平和の戦士」としてオームの若者たちと体を張って対抗したのです。
今回竹内さんは、大量処刑に当たり、戦地での触れたくない傷口をみずからもう一度晒すことで、コメンテーターとしての責務を果たしました。
私達はどうだったでしょうか。あの日、それほどまでに人間の命に誠実に向き合っていたでしょうか。
私はといえば、たまたまその日、北海道余市町の中国人強制連行犠牲者の碑に詣でていて、駐車場のカーラジオで聞いていたのです。それは日中戦争の始まった日でした。
私は竹内さんの言葉を重く受け止めながら、次の墓参の地、当別町の劉連仁の碑を目指しました。
中国人慰霊碑(仁木)と劉連仁記念碑(当別)もご覧ください。
https://flets.hikakunet.jp/14371.html