鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

タグ:リディーツェ

記念碑のことについて旅行者の人がちょっと曖昧なまま印象を書いているので、少し書き込んで置かなければなりません。

この群像にはあまりスッキリした名前はありません。
英語版ウィキペディアでは、“Memorial to the Children Victims of the War”となっています。そのまんまです。
前の記事で詩を紹介した人がこの銅像の作者 Marie Uchytilová です。
ウチティローバは1924年生まれのチェコの彫刻家です。
彼女は終戦後プラハ美術学校に入学し、彫刻を勉強しました。
プラハの春が挫折した後、彼女はリディーツェの子どもたちの記念碑を作ろうと思い立ちました。
リディーツェの子どものうち82人がポーランドにあった強制収容所で殺されたのです。
しかしウチティローバの制作した82人の子どもたちは、殺された子どもたちを正確に映したものではありません。彼女は戦争で犠牲になった1千3百万の子どもたちすべてを描きたかったのだと述べています。
とはいえ、「ガス室(差し迫る、確実な死)へ向かう子どもたち」という作品の切迫感には違いはありません。
1989年、ベルベット革命が始まる前の日、ウチティローバは息を引き取りました。
群像を建てるというウチティローバの願いはまだ叶えられていませんでした。
冷戦が終わった1990年代、デンマークの財団が資金を提供し、82の塑像をブロンズ像に鋳なおすプロジェクトが始まりました。実際の作業にあたったのは夫のイリ・ハンペルでした。
1995年、最初の30体が建立されました。建てられたのは、村の男たちが集団虐殺されたところです。
そして2000年になって82体の銅像が並ぶことになったのです。ゾーンごとに色具合というかサビ具合が違っているのはこのためでしょう。
それはウチティローバが制作を始めて30年、彼女の死から11年を経てのことでした。

前にも述べましたが、撮りためた写真は一瞬で消えました。以下はネットから集めたものです。
全体像2
おそらくこれが現在建っている状態です。

全体像
これはちょっと前のもののようで、82体建っていますが、台座や祭壇は見当たりません。余計リアルですが。

部分6
これが1995年の第一次建立時のものでしょう。ずいぶん高い台座です。この後緑青が吹いてブロンズらしくなっていきます。左半分はまだ見当たりません。
部分1
私の好きな年長組の像です。
部分2
幼児の恐怖の表情が残酷なまでに描きつくされています
部分3
1才児から4才児までの表情が的確に捉えられています。背方の年長児のトルソーも見事な技巧です。
これを見ていると、「人間の顔をした社会主義」というときの「人間の顔」が見えてくるように思います。
…ということで飽きないのです。大したものです。ミュシャやクリムトよりこちらを見るべきです。(といってもミュシャもクリムトも今回は見ていないのですが)

「雨の歌」抄 マリー・ウチティローバ(群像の制作者)

嘆きと、空腹と、恐怖と… それから底知れぬ闇
みんなお墓の石になって。ラヴェンスブリュックに眠っている
何かの弾ける音と、ガチャガチャという音と、大声と…それが止まったとき
リディーツェの母は声もなく囁やく
疼く唇たちがリディーツェの歌を囁やく
囁いた歌は、それから
リディーツェの家まで行って、こだまする

ねんねしな、可愛い子
泣くのをおやめ、静かにおし
くまさん人形の夢を見ましょ
それから、お庭でいっしょにいる夢も…
私の歌でお前は眠る
それは「雨の歌」と溶け合うでしょう
…もし、お前が生きていたら

リディーツェ村は、反ナチ抵抗運動へのみせしめのために攻撃された。男はみな殺された。女や子どもはラヴェンスブリュックの強制収容所へ連れてゆかれ、そこでガス室に送り込まれた。最後に村は形跡もなくなった。


申し訳ないが、世界のいたる処にリディーツェはある。残念ながら相対化せざるを得ないのだ。
ただマリー・ウチティローバが制作した子どもたちの群像は、ここリディーツェにしかない。
これも申し訳ない言い方になるが、ウチティローバの群像のリアリティーと芸術性が半端でないのだ。子どもたちの表情に「嘆きと、空腹と、恐怖と」が恐ろしいまでに具象化されている。それは息苦しいほどの圧力で見るものに迫ってくる。
この群像を見るだけでリディツェまで足を運ぶ価値がある。
でも、邪道かもしれないが、世界中を巡演して、世界中の人に見てもらいたい。あえて高飛車な言い方をすれば、“見てもらわれるべき”なのだと思う。

↑このページのトップヘ