はじめに

弁証法は、近代思想の中にある機械論的思考を克服するものと位置づけられる。
マルクスは、ヘーゲルの弁証法や社会哲学を批判的に継承した。

従来の研究では,ヘーゲルの『論理学』とマルクスの『資本論』との関係を問う研究が多かった。
しかし最近、マルクスの『資本論』はヘーゲルの『法の哲学』との対応においてこそ検討されなければならない、と主張されるようになっている。
この主張の代表がアンドレアス・アルントである。
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Ⅰ 『法の哲学』と『資本論』

ヘーゲルの『法の哲学』は「序論」と「緒論」に続き、第 1 部「抽象法」、第 2 部「道徳」、第 3 部「人倫」(家族,市民社会、国家)からなる。

それに対してマルクスの『資本論』は、第 1 部「資本の生産過程」、第 2 部「資本の流通過程」、第 3 部「資本の総過程」からなっており、1対1の対応関係にはない。

重要なことは、「社会哲学」という理論的レベルで、ヘーゲルからマルクスへの継承・批判の関係を検討することである。

1 .現実世界と理性的原理

a) ミネルヴァのフクロウ

ヘーゲルは「序論」において、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」と述べた。
つまりヘーゲルは、「現実世界は理性的な原理によっており、理性的原理を実現しようとする」と主張しているのである。(要するに、「自己発展の論理」に貫かれているということ)

『法の哲学』が考察の対象とする「近代社会」は、宗教革命やフランス革命を経て成熟を迎えた。近代的な法・権利、道徳、人倫(家族・市民社会・国家)が整備された。(すなわちヘーゲルの青年期から熟年期にかけて、激動を経て目前に現出した社会)

このような時代認識を持ったヘーゲルは、哲学が「ミネルヴァのフクロウ」として、近代社会の原理の理論的な集大成を行う必要があると感じた。(時代の子であり、哲学者のトップと自負するヘーゲル自らが…)
「ミネルヴァのフクロウは夕暮れの訪れとともに飛翔を行う」(S. 28)と言うのはそういう意味である。

b) マルクスのヘーゲル「継承」

マルクスはヘーゲル『法の哲学』の批判的検討をとおして、「市民社会」の分析の重要性を学んだ。

マルクスは、近代社会そのものが「富の過剰と貧困の過剰」という矛盾を含んでいると考えた。
近代社会は変革すべきであり、その主体はプロレタリアートであると考えた。

そしてマルクスは「市民社会の解剖学は、経済学に求めなければならない」と考えるようになり、かつてヘーゲルが行ったように経済学批判の研究に打ち込んでゆく。

2 .「抽象法」と「天賦の人権の楽園」

a)人格と所有権

抽象法の第一は所有権である。「人格が物件を支配することが権利として承認される」ことは、近代社会の根幹である。
「物件」には自然物とともに、熟練や知識、学問、能力など精神的なものも含まれる。

所有権はまずもって物件の占有取得である。
所有権はまた、「物件の使用」の権利である。所有者は、物件の価値の所有者でもある。
所有権はさらに物件を譲渡する権利でもある。

抽象法の第二は「契約」である。契約は所有権の移転である。
抽象法の第三は「不法」である。これらについては省略。

b)マルクスの権利論

法的関係は、経済的諸関係がそこに反映する意志関係である。マルクスのヘーゲル批判の要点は、「人格」や「所有権」の根拠が、それらの経済的関係に存在するということにある。

近代の人権宣言とそれに基づく「自由、平等、所有」の権利は、商品交換に関わる経済関係を基礎にしている。
しかし、資本家と労働者との関係は、外観とは異なり自由でも平等でもない。「自由意志契約」のもとで、労働者には長時間労働が強制される。

3 .ヘーゲルとマルクスの家族論


4 .ヘーゲルの市民社会論

a)市民社会の普遍化

市民社会とは、まず第一に「欲求の体系」(System der Bedürfnisse)である。
人々の欲求は無限に多様化し特殊化してゆく。この特殊化した欲求を満足させる手段、およびそれを生産する労働も多様化する。

一方で、労働が普遍的・客観的なものになると、労働は分割され抽象化され単純化する。機械も導入されることになる。

この普遍化された生産と客観化された交換,多様化する消費の体系が市民社会の「普遍的資産」をなす。
市民社会においては、さまざまな欲求をとおして人間の関係が普遍化する。またこの欲求を満たす手段も普遍化する

b)市民社会の分裂

市民社会においては、諸個人の特殊性と社会的連関の普遍性とは分裂している。
普遍的資産に参加する可能性は諸個人の「特殊的資産」であり、不平等である。

この結果、一方に富が蓄積し他方に貧困が蓄積する。
惨めな労働に縛りつけられた階級の、従属と窮乏も増大する。彼らにはさまざまな精神的自由や便益を享受することが不可能になる。

こうして、いかにして貧困を取り除くかという問題が、近代社会の重大問題となる。

c)市民社会はこの問題を解決できない

市民社会は格差の増大、貧困の蓄積、極貧層の増加を解決することはできない。それは原理的に不可能なのである。

富者に負担をかけることは諸個人の自立性の原則に反する。また、貧困者に労働を与えることは生産物の過多を引き起こすからである。(貧困問題の解決は、過少蓄積と過剰循環、過剰生産をもたらす)

これは何を意味するか、

市民社会は富の相対的過剰にもかかわらず、全体としては十分に富んでいないのである。だから貧困の過剰を防止できないのである。

市民社会は矛盾の解決を求めて海外に進出する。その結果は、植民地争奪戦争、植民地の抵抗と独立戦争である。

ヘーゲルは,「市民社会」の矛盾を解決するものとして、「職業団体」さらには「国家」に期待をかける。ここで彼の思考は行き止まりとなる。


5.マルクスの市民社会論

マルクスはヘーゲルが行き詰まったところから出発する。

マルクスは、資本主義的蓄積の一般的法則として、「富の蓄積は貧困の蓄積である」と結論づけた。(すなわち、資本主義的蓄積は貧困の蓄積=貧困層の増大を求めるということになる)

一方でマルクスは、ヘーゲルの「職業団体」に対応するものとして「労働者階級」を位置づける。そして階級闘争を通じて、「自由で平等な生産者たちの協同社会」の実現を目指すという青写真を描いた。

6.ヘーゲルとマルクスの国家論

省略

7.ヘーゲルが語り、マルクスが語らなかったもの

ヘーゲルが『法の哲学』で提起した問題について、マルクスがすべてを論じたわけではない。
マルクスが語らなかった主なものは、自由意志や道徳論、社会政策論である。それらは経済学研究に時間が割かれたため論究できなかったものと推測される。

以下略


この後、論文はアルントの紹介を離れて、ヘーゲル『論理学』とマルクス『資本論』の比較検討に移っていくが、そっちの方はこれまでも論じられてきたことであり、今回は触れないでおく。

牧野論文を読む限り、アルントの最大の功績は、ヘーゲルがマルクスの偉大な先行者であったことを明らかにしたことである。

そこには私的所有、階級社会としての市民社会、格差拡大と貧困化、帝国主義への発展、資本主義の根本的転換の不可避性などマルクス主義の要素の多くがふくまれている。

ただ一つ異なるとすれば、国家の将来的な位置づけであろう。今回、あまりあまり深く読み込まなかったが、いずれそのような問題意識を持って再学習したいと思う。