霊長類(サル)の進化の歴史には2つの大きな謎がある。

一つは、おそらく哺乳類の中でも傍流と考えられるサル類(原猿)がなぜ適応拡散を遂げ、「霊長」類と呼ばれるに至ったのか、という問題。八代将軍吉宗みたいのものだ。
もう一つは、サル類の中でも異端系とみられる類人猿系が一旦衰退した後なぜ復活したのかという問題である。特に、真猿系と縄張り争いをせずに棲み分けをした理由が良くわからない。
この点に関してなかなかツボにはまった答えを示してくれる文章が見つからない。
それ以前の問題として霊長類の進化史そのものが複雑怪奇で百家争鳴の様相を呈している。細かなところはどうでも良いので最大公約数的なものを出してくれないかと思うのだが、そこはそれ、専門家の意地というものがある。

もう一つ、サルの歴史を語るときに、大げさに言えば「史観」として確認しておくべきと思うことがある。サルという動物ほど天変地異の中で弄ばされ、その中をしぶとく生き抜いてきた動物はいないという実感である。世界に拡散し定着する前のホモ・サピエンスをふくめ、何度も、いとも簡単に絶滅している。ただ絶滅するだけなら、全球凍結とか爬虫類の絶滅みたいな事はあったが、「死んだと思ったらまた生き返った!」みたいな話はそうないと思う。

このことから2つのアスペクトが引き出される。
一つは「サルは“霊長類”などというものではない」ということである。哺乳類の種の中で「よーいドン!」をして、たまたま生きた時代が良くて時流に乗っただけの存在だということである。霊長類という分類名はやめるべきではないか。私はサル類で良いと思うのだが。
もう一つは、そんなサルの歴史の中で突然変異的にホモ・サピエンスが発生するのだが、その発展は進化の歴史の中で特異的なスピードだとおもう。
ここで脳の話に飛んでしまうのだが、いわば突貫工事で作り上げ、先輩格の鳥の脳に追いつき、それを追い越した秘密はどこにあるのか。その異常さを包摂しながら議論を展開しなければならないのではないだろうか。
これはマクリーンの脳進化論へのもっとも強力な反論となるであろう。名付けて「ブザマなれども強力脳」、あるいは継ぎ足し継ぎ足しの「温泉ホテル脳」である。大脳と小脳は新館と別館である。

むかし撃墜王坂井少尉の本を夢中で読んで、「美しく強いゼロ戦が、戦争末期になると、ブザマで強いグラマン」に負けてしまうのを悲しく悔しく思ったものだ。
鳥の脳がゼロ戦で、ヒトの脳はグラマンに相当するのだろう。と言っても、さすがに「グラマン脳」といってピンとくるヒトはもういないだろうと思う。このネーミングは断念する。
おかげで未だにサルの進化史年表の決定版めいたものが作れないでいる。