実は、ツァーではウィーンでオーストリア社会民主党の専従活動家と懇談するという目玉行事があった。ある意味これが楽しみで参加したのだが、結果的にはすっぽかされてしまったようだ。

私のウィーン行に際しての問題意識は、今考えてみれば下記のようなものだった。若干後出し的なものも含まれるが…

1.世紀末ウィーン像の再構築
趣味の音楽といろいろな解説を通じて得たイメージは下記のようであった。
ハプスブルク帝政は末期となり、ウィーンは世紀末の爛熟を迎えていた。
というものだ。
この時代認識は間違っているのではないか。
たしかに音楽の世界ではブラームスとブルックナー、ヨハン・シュトラウスを挟んでマーラーへと重厚長大で陶酔的な音楽が続き、やがて無調音楽から12音へと“壊れて”行くのだから、そう言えるかもしれない。
しかし経済・社会の面からは、むしろロシアと同様に、ようやくオーストリア・ハンガリー帝国が成長期に入り、もう一つの新たな帝国主義が生まれつつあったのではないか。
オーストリアの世紀末、労働者階級と進歩的知識人が帝都ウィーンにもようやく成長してきたのだ。
オーストリア・ハンガリー帝国というのはウィーンを東端とする辺境国家ではなく、ドナウ平原を中核とする強大な他民族国家の登場を意味する。
このパラダイムシフトを成し遂げないと、歴史は見えてこないと思う。

2. ウィーンのマルクスと社会主義の受容
ウィーンのマルクス受容は意外に遅い。1888年に社会民主党が成立しているが、これはロシアの社会民主党と同じだ。(
学会のマルクス“受容”は、社会民主主義の受容より先んじる。後進国の特徴である。後に大蔵大臣となるベーム・バヴェルクは、大方のマルクス主義者が会得する前に早くも資本論(第三部)批判を行っている。
私は「ベーム・バヴェルクの呪い」と呼んでいるが、価値の価格転形についてぐさっとする批判を投げかけている。エンゲルスは問題の本質がわかっていないところがある。この問題に論理解があるかのように言ったり、歴史過程として主張したりして動揺している(らしい)。
ウィーン大学の経済学部に所属する人々は、マルクス主義に対する本質的な批判を投げかけている。
オーストリア社会民主主義の中核的理論家となる人々は、皮肉なことに彼らの講座で学びながら自らの理論を鍛えていくのである。
その代表がヒルファーディングである。彼はワルラス平衡を持ち込むことによって問題をさらに紛糾させている(と書いてある)。
彼は「金融資本論」を発表し、それはレーニンの帝国主義論の骨子となっていく。後にベルリンに出てワイマール共和国の蔵相を務める。
ヒルファーディングは価格形成論を歴史的に取り扱うべきだと主張した。抽象的だが正しいと思う。
のちにポランニは多ウクラード理論からこれを説明しようとした。これも正しいと思う。ただし論理は複雑で切れ味は悪い。
私は生活過程→物質の消費を通じた欲望の再生産過程との組み合わせ(自転車理論)で説明できるだろうと思っている。つまり自転車の自転車たるゆえんは二輪でありながら倒れないことにあるが、自転車そのものの目的は、左右のペダルを交互に踏みながら前に進むことにある。前に進むことを抜きにバランス論を展開しても意味はないのだ。

3.オーストリア社会民主党の理論形成
オーストリア社会民主党は「オーストロマルクス主義」として理論形成していく。
それはとくに民族問題と農業問題に集中してあらわされた。人脈的には初期のレンナー、中期のバウアーに代表される。
「オーストロマルクス主義」のアイデンティティーは、ボルシェビスムとの対比を巡って鮮明化している。
なお、社会主義経済の計算論争はオーストリア社会民主党は関わっていないが、ウィーン学派とボリシェビキ経済学者の論争として重要であり、今なお原論的課題としては残されていると思う。

4.ウィーンのボリシェビキたち
これは多少余談になるが、亡命したロシア人革命家たちのたむろしたウィーンもまた魅力的である。
第一次大戦後はハンガリーにおける共産主義革命とその敗北の結果、二人のハンガリア人がウィーンに逃げ込む。ルカーチとポランニーである。ともに20年代の「赤いウィーン」と運命をともにした。
個人的思いを言わせてもらうなら、ルカーチこそはボリシェビズムに殉じた「知の巨人」の最高峰である。

5.「赤いウィーン」
広く見れば1919年~1934年まで広がる。
東京の美濃部革新都政と概念的には重なるが、はるかに革命的な性格をはらんでいる。
そこにはパリコミューン的な直接民主主義の課題がふくまれているが、目下のところあまりにも利用可能な資料が少ない。

ということで、ウィーンには私たちの既成概念をご破産にしながら再構築していかなければならない多くの歴史的課題が残されている。

そこにレーニン・スターリン的社会主義世界と異なる一大パースペクティブが広がっている。もっとさまざまな形での洗い直しが必要なのは間違いない。

まずは勉強!であろう。