イグアラ 学生拉致・虐殺事件 タイムテーブル

9月26日に向かう流れ

9月26日以前 メキシコ・シティーでトラテロルコの学生虐殺に対する抗議集会が予定される。(トラテロルコの虐殺については稿を改めて説明。とりあえずメキシコ年表を参照のこと)

「メキシコ年表」より
1968年
10.02 トラテロルコ・アパート団地の「三文化広場」で,学生・住民1万人が参加する大規模な抗議集会.主催者は,混乱を避けるため,当初予定 していたカスコ・サント・トマス高校へのデモを中止.日没と同時に,300台の戦車,ジープ,装甲車,5千の軍と数百の警察部隊が集会参加者を包囲.

6:10pm 緑の照明弾を打ち上げると同時に,群集に紛れ込んだ挑発者が暴動を開始.上空を舞うヘリが銃撃を開始.
オリンピア大隊が,演説席となっていたチワワ・アパートのバルコニーに突入し,CNHの代表を拘束.一列に並べ銃殺したという.
さらにバルコニーの上から群衆に向け一斉射撃,群集に紛れ込んだ私服警察官も無差別発砲を開始.
この後,戦車がチワワ・ビルディングを砲撃.ボイラーや暖房用パイプが次々に爆発,建物の三階までが火の海となる.
軍部隊が両側から銃剣を突きつけ挟撃.機銃掃射を繰り返す.集中的な銃撃は約1時間続き,その後も早朝まで散発的な銃撃が繰り返される.
警察は現場を封鎖し,救急車の立ち入りを阻止.赤十字病院を閉鎖し,たどり着いた負傷者をそのまま逮捕.救急車の乗務員一人が殺され,負傷者を救出しようとした看護婦が負傷.
広場に面する教会には数百の市民が助けをもとめて押し寄せるが,大司教がデモ参加者の受け容れを禁止したため,門は閉じられたままとなった.
この事件で,推定4百名の死者,数千名の負傷者を出す.警察はこのうち32名についてのみ死亡を認める.検死によれば,大部分の死者は近距離で撃たれるか,銃剣で突かれて死亡.無差別発砲により,軍・警察内にも12人の負傷者と二人の死者.


9月26日以前 アヨツィナバ師範学校の学生がメキシコ・シティーでの抗議デモへの参加を計画。

アヨツィナパ(Ayotzinapa)師範学校: 1926年の創立。正式にはRaul Isidro Burgos の名が冠せられている。所在地はチルパンシンゴの東20キロのティシュトラ(Tixtla)。人口3万ほどの小さな町だが、独立戦争の英雄ビセンテ・ゲレーロを生んだ町で、ゲレーロ州都だったこともある。
師範学校は男子校で学生数520人。農村部の小学校の教師を養成する“限定付き免許”の取得を目的とする。学生のほとんどは貧しい農家の出身だ。
学生(そして教師も)は伝統的にきわめて反政府的であり、政府の資金提供が地方に不利であり、雇用システムが都会部に偏重していると考えていた。
ゲレロ州では1995年以来武装ゲリラ「人民革命軍」(EPR)が活動していた。その戦士の多くが師範学校の学生あるいは卒業生だった。学生はゲリラと直接の関係はないが、社会主義のイデオロギーを共にしている。

9月26日以前 学生の動きを知ったイグアラ市のホセ・ルイス・アバルカ 市長は、警察に対し市長は学生たちを市内に入れるなと命じた。

師範学校の学生は、市長が活動家アルトゥーロ・エルナンデス殺害に関与したと非難していた。昨年の6月には市庁舎を占拠する抗議活動をおこなっている。
市長は妻が代表を務める児童保護団体主催の年次総会(当日に予定)が邪魔されないよう、市警に「対処」を指示していた。


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 アバルカ市長夫婦 嫁さんがカマキリとわかる

学生たちはなぜイグアラに行ったのか

9月26日 (おそらくは午前中)学生たちがアヨツィナバのキャンパスを出発する。今回の行動の参加者は100名以上。いずれも1年生だった。一学年の定員が130名ほどだから、ほぼ根こそぎ参加であり、一種の武者修業であろう。

9月26日 当初は、州都チルパンシンゴで抗議集会を開くつもりだったが、州当局が立ち入りを拒んだ。このため、イグアラ市で市長への抗議行動を行ったあと、メキシコ・シティーに乗り込む予定を立てた。(バスをイグアラで「調達」することまで計画に入っていたかどうかは不明)

igualamap

ゲレロ州はメキシコ・シティーの南方、太平洋に連なる州である。州人口は300万人余り。山ばかりの地勢で、貧しい州である。太平洋岸には有名な観光地ア カプルコがある。州都はチルパンシンゴ(正式名称はChilpancingo de los Bravo)。北部のイグアラ市(正式名称はIguala de la Independencia)はメキシコ・シティーから150キロ、アヨツィナパはイグアラからさらに南に130キロ。
ゲレーロ(戦士)という物騒な名前であるが、これはメキシコ独立戦争の英雄の名にちなんで名付けられたものである。
一時最強のカルテルと呼ばれたベルトラン・レイバの本拠地であり、2013年は全国最多となる2,087人が殺害されている。

9月26日 (おそらくは夕方)学生がイグアラの街に入る。

ここから先は推測だが、おそらく学生は乗合バスを利用してバス・ターミナルに入ったのだろうと思う。市長に対する抗議行動を行おうとして、そこから市内に向かおうとしたが、市警に阻止されたということではないか。

9月26日 夕方から市長夫人(Maria de los Angeles Pineda Villa)の主催する慈善団体の集会とパーティーが行われ、無事終了する。市長の妻は次の選挙で夫の後任になるため、出馬の準備を進めていた。学生らは集会の妨害を企図していたが不発に終わる。


第一回目の銃乱射

9月26日 午後8時半、学生らがバス3台を「調達」する。このバスを市警の警官が待ちぶせ。

これも推測だが、バス3台を確保しようとすればバスターミナルに忍びこむしかない。通報を受けた市警が出動したということではないか。あるいは最初から張り込んでいた可能性もある。
学生指導者は、彼らがヒッチハイクしようとしていたと説明している。しかし夜中の9時半に血の気の多い若者100人がヒッチハイクしょうというのは、どう考えても無理がある。
乗り物の「調達」はゲレーロの学生にとって“ルーチン”の戦術である。彼らはしばしばバスやトラックを乗っ取るなどの「好戦的な」戦術をとる。この戦術は当局も大目に見ていた。

9月26日 9時半。バスが出発。警察車両が追跡。バスはスピードを上げ逃げようとした。警官の発砲により最後尾のバスに乗った学生2人が死亡。数十人がこの時捕らえられ、警察車両に載せられた。のこり学生はバスを捨て市街に逃げこむ。


第2回めの銃乱射

9月27日 12時半ころ、目出 し帽をかぶった複数の人物が出現。バスをめがけて乱射する。このとき現場では、警官隊とニュース記者が集まっていた。

当初、警察は「目出し帽の人物は警察と無関係と発表しているが、のちに私服の警官であることが判明。学生の大量逮捕が1回めの時か2回めかは不明。

9月27日深夜 事件の巻き添えとなり、サッカーチームのバスにも射撃。運転手と選手(15歳)の2人人が死亡した。他にタクシー数台も銃撃され、女性1人が死亡する。負傷者は25人にのぼる。

このチームは3部リーグ所属の「チルパンシンゴ・オルネツ」で、翌日の試合を控え、深夜にイグアラに到着。駐車場所を探していて事件に巻き込まれた。


学生は隣町の警察からカルテルの手に渡され殺された

9月27日 深夜。学生43人は警察車両に載せられ、いったん隣町のコクラ警察署に勾留された。これはイグアラ市警の公安部幹部のフランシスコ・サルガド・バジャダレスの指示によるとされる。

9月27日 コクラ警察署の副署長Cesar Nava Gonzalezは犯罪組織「ゲレーロス・ウニドス」に「後始末」を依頼する。この時点では学生たちはまだ生きていた。

戦士同盟(Guerreros Unidos): かつて最強を謳われた「ベルトラン・レイバ」カルテルの後継組織。本拠は隣のモレロス州にあり、ゲレロ州だからゲレロスというわけではないらしい。伝説のボス、ベルトラン・レイバについては「メキシコ麻薬戦争 列伝」を参照のこと。
ベルトラン・レイバが特殊部隊により射殺されてから分裂を繰り返したが、現在は戦士同盟と少数派の「ロス・ロホス」(赤)に整理されているようだ。シカゴのマリフアナ・ヘロイン市場を牛耳るほどの影響力をもつという話もあるが、恐喝と誘拐を主な資金源とするヤクザ組織にすぎないという話もある。
以下GUと略す。

9月27日 深夜。学生たちがカルテルの幹部「エル・カボ・ヒル」と称する人物に引き渡される。エル・ヒルはカルテルのボスであるカサルビアス(Sidronio Casarrubias Salgado 通称チーノ)に電話し判断をもとめた。

エル・ヒルはカサルビアスに「彼が捕まえている連中は、カルテルの統制に対する脅威を起こす」と訴えた。カサルビアスは学生がロス・ロホス(敵対ギャング)の浸透メンバーであると考え、殺害を許可した。

9月27日 深夜。学生らはエル・ヒル所有のトラックに載せられ連れ出される。彼らは数人が頭に銃弾を打ち込まれ、他のものは殴り殺されたり焼き殺された。

Ayotzipana students missing

9月27日 朝、現場付近で学生1人の遺体が発見される。目はえぐりだされ、顔の皮膚は剥がされ、カンナ屑のように丸まって、頭蓋骨がむき出しになっていた。これは敵対ギャングに対するカルテルの典型的な手口である。


州検察による捜査開始

9月27日 学生43人が失踪したことが明らかとなる。州検察当局は、当初より深刻な危機意識を持ち、ただちに独自捜査を開始する。(むしろ連邦検察が動かなかったことが不思議)

当初は57人の学生が行方不明であると報じられた。しかし、そのうちの14人は家族のもとに戻り、あるいは大学に撤退したことがわかった。

9月27日 州当局の聞き取り調査で市警察が護送車で連れ去ったことが明らかになる。また交通監視カメラには、市警の車両後部に市民が乗せられている映像が残っていた。

9月28日 州当局は、162人の警官から事情を聴取する。16人から硝煙反応が検出され、22人の銃から最近使用された形跡が認められた。この結果警官22人を拘束。

一説では280人。なお、その後の報道では警察官40人を逮捕、他にカルテル組員8名が逮捕されている。22人はアカプルコの刑務所に収監され、殺人容疑がかたまったあとは重警備の連邦刑務所に移送されている。

9月29日 州検察のブランコ検事正(Inaky Blanco Cabrera)、「過度で致命的な武力行使があったことは否定できない」と述べ、さらに「強制失踪」と呼ばれている治安部隊による拉致が起きたのかどうか、捜査中だと語った。


アバルカ市長夫妻、姿をくらます

9月29日 アバルカ市長、報道陣に対し「辞任の意志はない」と答える。

事件に対して責任はない。私は事前の知識を持たなかった、事件と同時刻にはパーティーに出席していた。私はずっと警察と連絡をとっていた。そして冒険に陥るなと指示を出した。捜査の要請があれば協力するが辞任の意志はない。

9月29日 アバルカ、PRDの前党首Jesus Zambrano Grijalvaと会見。サンブラーノは調査をすすめるために正式に辞任するよう勧める。

9月29日 妻マリア・デ・ロス・アンヘレス・ピニェーダ、アカプルコでアギレ州知事(Angel Aguirre Rivero)と個人的に面会しているところを目撃される。目撃者は、Pinedaが「悩んでい」て「急いだ」と証言。その後彼女は公の場所から姿を消した。

アバルカ夫妻はかねてからGUの重鎮として“皇帝夫婦”と呼ばれ、恐れられていた。夫妻は市内のショッピングセンターや宝石店、牧場など65の優良資産を所有していた。
妻マリア・デ・ロス・アンヘレスは次期市長選にアバルカ後継として立候補の予定であった。
検察庁によれば、アバルカ市長は麻薬組織に20万ドルを定期的に支払い、その一部が地元警察に賄賂として流れていたとされる。
逆の説もあり、これによると、組織は夫妻に毎月最大で23万ドルを払い、警察には別に月5万ドルを渡していたといわれる。

9月30日 アバルカ、イグアラ市議会に30日の休暇を求める。要請に際し「犯人を探し罰するためにあらゆる協力を惜しまない」と述べる。

9月30日 与党PRD幹部は、アバルカに対し“調査を容易にするため”に辞任するよう求める。

9月30日 連邦捜査官がアバルカの喚問状を持って市議会に入るが、アバルカはすでに逃亡。連邦捜査官は家宅捜査に入る。警察署長兼イグアラ市公安部長のフェリペ・フローレス(Felipe Flores Velasquez)も姿をくらました。

アバルカは妻と子供たちを連れてイグアラを去った。国外逃亡の噂も出たが、当局は、依然メキシコ国内に潜伏していると見ていた。

10月01日 アギーレ州知事、アバルカに当局に出頭するよう命令。しかし彼はどこにも見つからなかった。


大量の遺体の発見で一躍大問題に

10月02日 学生の失踪にカルテルが関係した可能性が浮上する。事情聴取を受けた二人のカルテル組員が17人の学生殺害に加わったと告白。

10月05日 イグアラ郊外プエブロ・ビエホで、地中に埋められた多数の遺体が見つかる。当初は28体と言われたが後に34体となった。遺体はガソリンをかけて焼かれた後に埋められたと見られ、焼け焦げたり、一部が切断されたりしていた。

殺害を告白した2人の組員は、学生らをバスから降ろし、プエブロ・ビエホの丘の上にある組織の秘密墓地で殺害したと供述。捜査官たちを森林の中の「墓」に案内したと述べる。現在考えると、これは組織の陽動作戦だった可能性がある。

10月05日 ゲレロ州のアンヘル・アギレ知事とブランコ検事正が共同で記者会見。1.遺体の身元は捜査中。2.GUが殺害と行方不明の両方に関与している。3.事件に関与したとみられる警察関係者や犯罪組織のメンバーら少なくとも30人を拘束、と発表。

10月05日 ブランコ州検事正は、警官隊がGUのボス、エル・チャッキーに学生らの拉致と殺害を指示したと説明。

10.05 学生らがアカプルコ高速道路の料金所を占拠。通行車両に道路料金所を無料で通過させている。


連邦政府の直接捜査

10.06 ペニャ・ニエト大統領、国家の危機とする演説。「メキシコ社会と犠牲者の家族は、真実の究明と正義の実行を求める権利がある」と述べる。

10.06 このあと連邦政府が直接捜査に乗り出す。軍がイグアラに進駐。憲兵隊400人が市警察を武装解除し治安維持に当たる。

10.06 国家公安委員会、約30人を拘束したと発表。市長夫妻と市警察署長フェリペ・フローレスは事情聴取に応じず行方不明とされる。

10.06 ゲレーロ州内の二つの左翼ゲリラグループ、メキシコ国家への「攻勢」を呼びかける。イグアラ市内には警察官22名の釈放を求めるGUの旗が掲げられる。

10.08 ゲレロ州の州都チルパンシンゴやメキシコ市などで、行方不明に対する抗議デモ。

10.10 国連人権高等弁務官事務所「ゲレロの事件はまったく容認出来ない。無法がまかり通るのを許すことになる。メキシコ政府の対応が問われている」と声明。事件は国際的注目を集めるようになる。

10.12 深夜、チルパンシンゴ市の国道95号線上で、ドイツ人、フランス人及びメキシコ人10人 の学生グループが市警に襲撃され、ドイツ人留学生1人が負傷する。隊員20人が逮捕され、取調べを受ける。師範学校生と誤認されたらしい。

10.13 チルパンシンゴ市内で昨夜の襲撃事件に対する抗議集会。教師や学生等の数百人がアギーレ知事の辞任を要求し州政府庁舎を襲撃。一時数百人の職員を人質に取り立てこもる。その後窓ガラスを割り、建物に放火する。


連邦警察がGUアジトを襲撃

10.14 4日に発見された遺体は別の事件の犠牲者と判明。代わりに4つの別な墓が発見された。メキシコにはこの手の“墓”がゴロゴロある。

10.14 連邦警察の部隊がモレロス州クエルナバカの近郊ヒウテペックのGUアジトを襲撃、銃撃戦となる。ボスのベンハミン・モンドラゴン・ペレダ(通称ベン・ハモン)は自殺。甥のサムエル、アントニオらカルテル幹部8人が逮捕される。

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             ベンハミン・モンドラゴン

9月27日の記事では、このカルテルのボスがカサルビアスだと書いているが、モンドラゴンは組織全体のボスで、カサルビアスはイグアラ地区を担当する幹部という関係のようだ。10月4日の記載ではエル・チャッキーの名が出てくる。その正体は不明だが、市警の署長の指示を受けて動く程度の小ボスと思われる。

10.14 メキシコ連邦検察庁のヘスース・ムリジョ検事総長、学生らの身柄を拘束して麻薬密売組織に引き渡した疑いで、コクラ市警察の14人を新たに逮捕したと発表。

ムリージョは「イグアラ市警は警察とも呼べないほどだ。彼らは制服に泥を塗った。麻薬カルテルで働く殺人者たちだ」と強調する


10.14 アバルカ市長、以前の活動家への拷問殺人への直接の関与で告訴される。当局はアバルカ夫妻と警察署長の3人を全国に指名手配。

この時、マリア夫人が「ファミリー」の一員であったことが明らかにされた。彼女の両親、兄弟はベルトラン・レイバの幹部であり、組織犯罪による逮捕歴がある。兄弟の2人は殺されている。

10.16 全国の大学で2日間の抗議・連帯ストを実施。


カサルビアス逮捕で思わぬ展開

10.17 連邦検察庁、死体隠匿を幇助したシドロニオ・カサルビアスらGU幹部2人を拘束。これまでの逮捕者は計56人となる。

Sidronio Casarrubias Salgado

10.17 彼は取り調べに対して重要証言。(Borderland からの引用

彼は取り調べに対して、「アギレ知事は選挙に際してGUから財政的支援を受けていた」と供述。“チーノ”が組織の司令塔と称するマリア・デ・ロス・アンヘレスは、ベルトラン・レイバ一家のメンバーとして知事の選挙に財政支援を行っている。また彼女は長期にわたりアギレと愛人関係にあった。

10.19 連邦当局、ゲレロ州の13の市で警察の公安業務を取り上げる。

10.20 覆面をした抗議者がチルパンシンゴの州社会援助プログラムの庁舎に放火。

10.21 200人の教師がチルパンシンゴのPRD地区委員会事務所に放火。

大きな声では言われていないが、PRDはゲレロ州の与党である。アバルカ市長もPRDである。PRDはメキシコにおける最大の革新政党で、旧メキシコ共産党もふくまれている。ゲレロのラジカルな地方活動家はPRDに対し以前から強い敵愾心を抱いている。

10.22 連邦政府、アバルカ市長が、市の公式行事への妨害を避けるために学生の逮捕を命じたとし、事件の主犯と断定。市警署長フェリペ・フロレスも共同正犯とされる。

すでにアバルカ夫妻は14日に指名手配されている。しかしこの時の容疑は、活動家アルトゥーロ・エルナンデス殺害に関与した別件である。

10.22 メキシコシティーで5万人の抗議デモ。イグアラでも教師や学生数千人による抗議デモ。一部が市庁舎に放火し市長関連のショッピングモールで略奪。

10.24 アンヘル・アギーレ知事が辞職を表明。カサルビアス証言との関連は不明。ゲレーロ州の観光地アカプルコの観光客は60%減少。日本の外務省もゲレロ州を危険地域と指定している。

アギレと市長

     アギレ知事夫妻とアバルカ夫妻

10.28 州検察、イグアラのとなり町コクラで多数の遺体が埋まっていた場所を新たに発見したと発表。


アバルカ夫婦の逮捕

11.04 午前4時。連邦警察の特殊部隊がメキシコ・シティーに潜伏中だったホセ・ルイス・アバルカ夫妻を逮捕する。妻はさすがファミリーの一員。連行しようとする隊員に噛み付いたという。

2人がいたのは労働者地区イスタパラパ(Iztapalapa)区テノリオスの小さな家だった(なんと動画がある!メキシコ学生失踪事件、前市長拘束の瞬間 Mexico's 'imperial couple' meets inglorious end FASTNEWSFAST 10.2014 消えないうちにお早めにどうぞ

11.05 学生たちの両親、親戚、友人らの一行が首都の憲法広場で抗議集会。2万人が連帯。


とりあえずの総括

11.07 検察庁長官が捜査の経過を発表。

アバルカ市長は警察に学生らのバスの走行を妨害するよう命じた。警察は学生らを2度に渡って攻撃。最初の攻撃で3人を殺害し、2度目の攻撃で学生らを強制的に警察署に連行した。
その後、警察は学生をカルテルに引き渡した。カルテルの組員は学生らを複数のトラックに載せ、ゴミ捨て場に連れて行った。殺害された学生らの遺体は、ごみ捨て場でディーゼル燃料をかけられ、タイヤやがれきとともに少なくとも14時間に渡って燃やされた。
 翌日、遺体はさらにバラバラにされ、黒いごみ袋に入れられ、サン・ファン川に投棄された。
 ダイバーたちが川を捜索し、複数のごみ袋と遺体を発見。1袋だけ完全な状態で発見され、中に人間の遺体が入っていたという。

 

Guerrero Violence Project

という、そのものズバリのサイトが有り、情報がてんこ盛りだ。さすがに読む気はしない。興味のある方はどうぞ。