鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

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タグ:アマテラスはイザナギとスサノオを引退に追い込んだ

葦原中国(あしはらのなかつくに)から豊葦原瑞穂の国へ
高天原グループの態度豹変

天孫降臨に前後してのことだろうが、葦原中国に対する呼称がコロッと変わる。豊葦原瑞穂の国は正確に言うと豊葦原千五百秋瑞穂の国(ちいほあきのみずほのくに)だ。

価値観が180度転換するのだ。

価値観を転換したのは記紀につながる権力者たち、すなわち天孫族(高天原系列)である。けっして葦原中国の住民ではない。
なぜ転換したか? それは他人の土地だったのを自分のものにしたからだ。


葦原中国は蔑称

「葦原」とは海辺に葦が生い茂り、葉がざわざわと無気味にさわぐ未開の湿地を示す。出雲に限定された地名ではない。

日本国の美称とする解説もあるが、もとは美称どころではなく蔑称に近い表現だろう。
この辺の機微を世界大百科事典 第2版の解説がきわめて適切に表現している。
そこは天上界、地下の黄泉国に対する中間の世界、つまり人間界をさす。
そこはまた人間生活の中心地に対する野蛮な周辺部でもあり,死者が住むとされた山や原始林地帯との中間の地でもあった。
そこは荒ぶる「国つ神」が蟠踞する、混沌とした無秩序の世界であった。
つまり、それは天上界が人間界を指す蔑称だった。「葦原中国」は天上界の人間界に対する侮蔑の表現だった。だからこそ天孫たちはそこに干渉し、侵略し、略奪するわけである。

長江からの渡来民が不毛の湿原を美しい稲田に変えた

この地域には紀元前2千年ころから、漁労民族がまばらな集落を形成しながら暮らしていた。後に晩期縄文人となる人々である。人種的由来は今のところ不明である。

そこに山東半島から黄海を越え朝鮮半島に渡った人々が南下してきた。長江流域で稲作文明をになった人々が漢民族に押されるように移動してきたのである。2つのグループの生活テリトリーは競合せず、平和共存が始まった。

これまで不毛としてきた葦原が水田となり辺り一帯が「豊かな瑞穂の国」となった。やがて米作はより環境の適した九州へと広がっていった。


天孫族は美田を奪い、それから褒めそやした

湿原の民を軽蔑していた高天原グループだが、葦原中国の繁栄に注目するようになった。
そしてさまざまな軋轢の末に、葦原中国のすべてを手に入れ支配することとなった。

彼らの心中において貧しい未開の地であった葦原中国は、天孫の統治するにふさわしい五穀豊穣の「水穂国」へと捉え直されるようになる。




最初に「いくつかの結論」を書いておきます。
1.その昔、朝鮮半島南岸部に海洋民を主体とする社会があった。大八洲と呼ばれる島嶼に囲まれた湿地帯で豊葦原中国と呼ばれた。

2.紀元前1~2世紀に、北方から漢に押し出されるようにして「天孫系」グループが南下してきた。彼らは山城を築きながら葦原系と対峙した。

3.経済的には倭(筑紫など)の植民地を持つ葦原系が豊かであったが、軍事的には漢と接触のある高天原系が圧倒していた。

4.葦原系は首長ウケモチが殺害される事件をきっかけに蜂起し、亡命から戻ったスサノオを司令官に押したて、高天原系と和議に持ち込んだ。

5.高天原系は陰湿な手法でスサノオを放逐し、高額の賠償金をせしめた。スサノオは葦原中国へ下った後、ふたたび倭へと亡命した。

6.高天原系は朝鮮半島南岸のを手中に収め、さらに倭の支配を欲し、数次にわたり攻勢を仕掛けた。スサノオは出雲に拠点を構え、抵抗を続けた。

7.葦原系の最後の拠点であった出雲も高天原系の手に落ちた。これを受けて筑紫の日向にニニギが降臨した。こうして朝鮮海峡を挟んで両側に“ベストミックス”の階級国家が誕生した。

「神代上」全体の構成

「神代上」は天地開闢から始まり、天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)が豊葦原中国に降臨するまでの経過だ。

ここに登場する神々には、大きく言って3つの系列がある。

A)造化三神の系列

B)高天原系列

C)イザナギ・豊葦原系列

肝心なことは、豊葦原中国への降臨が「神代上」の最後だということである。
つまりそれより以前の記載は、すべて朝鮮半島での出来事だということである。人名・地名も朝鮮のものである。
なぜなら、日本書紀・古事記は、基本的には朝鮮半島からやってきた高天原系列の征服譚だからである。国内のあれこれの地名に比定した記述は、すべて後世のものと考えるべきである。
征服者は高天原系列の直系であるが、朝鮮南部でイザナギ系と混交して一つの社会を構成し、その後に日本に侵攻したものと考えられる。
日本に先着したイザナギ系の傍流としてスサノオ系、宗像系がある。

なお古事記との異同をチェックしながら読んでいるが、基本的には違いがない。日本書紀が丹念に「一書」(異説)を汲み取っているので、神代に関する限り、わざわざ古事記を参照する必要はなさそうだ。


A)神代七代: 造化三神の系列

北欧的・形而上学的な三位一体が語られ、それらの所与に照応して3人の神が登場する。
想像するに、これは明らかに漢文化の影響を受けた衛氏伝承であろう。しかしこの天地開闢説話は、その後につながらない。
天が先に生まれ、 次に地が固まりました。その後、その中に神が生まれました。国常立尊(クニノトコタチノミコト)、国狹槌尊(クニノサツチノミコト)、豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)の三柱です。
「一書」では、国常立尊に先行する神、可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂ)が挙げられる。


C) イザナギ・大八州系列

本来であれば、登場順に高天原系列を記述すべきであろう。
しかし高天原系列は相当後の五段になってから、イザナギの後継として本格登場するのである。

それまでは一段における下記の「一書」の記述のみである。
高天原に生まれた神が天御中主尊(アメノミナカヌシ)です。次に高皇産靈尊(タカミムスビ)。次に神皇産靈尊(カミムスビ)です。 

高天原神話が天地開闢神話と無関係に挿入されるのは、高天原が別系統の口伝であることの表現ではないか。なおアマテラスのところに出てくるタカミムスビとの異同は不明。

それで造化三神に始まる神代七代のあと、系譜は途切れる。これに代わり登場するのがイザナギとイザナミである。
神代七代とは関わりのない別系統で、高天原を含めた神代七代が、北方系・大陸系の印象があるのに比し、海洋系(すなわち別人種)の印象が強い。
「一書」で、イザナギとイザナミの二神は高天原に座って、アメノヌボコでかき回すとオノコロ島が出来ました。
とされているが、このあとイザナギと高天原との直接関係を示唆するような記載はない。無理やりくっつけたものであろう。

解説によると、柱の周囲を回って夫婦となるという話はミャオ族にもあるそうだ。南方系・海洋系と言うだけでなく、長江文明系という言い方もできるのかもしれない。

この夫婦は世界中のあらゆるものを生み続けていく。神代七代ってなんだったんだ? と言いたくなるほどの勢いだ。

1.大八洲

二人の作ったうちで最大のものが大八洲ということになる。
大日本豊秋津洲(おおやまととよあきづしま)、伊予二名洲、筑紫洲、億岐洲(おき)、佐渡洲、越(こしの)洲、大洲(おおしま)、吉備子洲(きびのこじま)とされる。
流石にこれでは辛いので、古事記は都合よく改作しているが、その分無理筋がバレバレだ。

素直に考えれば「そりゃぁ日本列島とは違うでしょう」ということになる。そもそも当時の人に本州を四海海に囲まれた島と考える能力が果たしてあったのか。

率直に言おう。大八洲は朝鮮半島南岸沖に並ぶ島々の主たるものを列挙したものだ。当然オノコロ島も朝鮮だし高天原も朝鮮だ。
大八洲

2.第五段 イザナミの死とイザナギの冥土巡り

第五段の本論はあの冥土巡りの話である
イザナミは火の神を生んだときに、その火に焼かれて死んでしまいました。 イザナギは火の神を切り刻み、そのピースがみんな神になって行きます。
イザナギはイザナミの跡を追って黄泉の国に入りました。イザナミの体にはウジ虫が這いまわり、膿が噴出していました。 
イザナギは大急ぎで走り去りました。
以下の「一書」は地名が気になるが、とりあえずそのまま。
イザナギは黄泉の国から帰ってくると筑紫の日が当たる小戸橘(オトタチバナ)の檍原(アハギハラ)で禊(ミソギ)をしました。 

B) 高天原系列

第五段の主題は上記にあるのだが、ここには見逃せないテーマがもう一つある。それが高天原系列の天照大神の挿入である。

国生み作業の終盤になってから、イザナミはアマテラス3兄弟を生む。アマテラスは「一書」では大日孁貴(オオヒルメノムチ)で、またの名を天照大神ということになっている。

これは明らかにイザナギ系列の神話に高天原系列が挿入されたものであろう。日本書紀の作者の仕業か、それともその前か? これで三度目だ。

1.天下=葦原中国

イザナミが死んだあと、イザナギが3兄弟に指示する。
天照大神は高天原を治めなさい。 月読尊は蒼海原を治めなさい。 スサノオは天下を治めなさい
天下というのは「葦原中国」を指す。これがよくわからない。固有名詞のようでもあるし、一般名詞のようでもある。
ずっと後代に出雲王朝の領土が葦原中国と呼ばれるが、それは彼らが出雲平野を葦原中国と呼んだだけの話である。

天界が高天原,地上界が葦原中国,地下界が黄泉国という3層の神話的世界構造があるとも書かれている。
黄泉の国までふくめるかは別として、世界が2つに分かれていることは間違いないようだ。そしてイザナギ・イザナミが勤しんだのはこの世である地上界を作ることであった。

であればイザナギが指示したのはスサノオに天下=葦原中国を治めることであっただろう。
しかしスサノオはこの指示を受けなかった。イザナギはスサノオを追放した。やがてイザナギも隠居し、死んだ。

これで話は終わるのである。しかし実はイザナギがスサノオを追放したのには理由があった。


2.アマテラスの葦原中国の簒奪・支配

では統治者を失った葦原中国はどうなっていくのであろうか。
結論から言えば、葦原中国は高天原の支配・収奪する地となったのである。

これは「一書」の世界なので議論としては強引だが、保食神(ウケモチ)殺害説話がその例証となる可能性がある。
以下、少々長い引用になる。
アマテラスは葦原中国の保食神(ウケモチ)の話を聞いた。ツキヨミに様子を伺って来るよう命じた。
ツキヨミは葦原中国に行きウケモチと会い、ウケモチの対応に怒り斬り殺した。
アマテラスはツキヨミを怒り、以後は行動をともにしなくなった。
アマテラスは別の神を送り、人民を生かすための食料を手に入れさせた。

アマテラスは粟・稗・麦・豆は畑の種子としました。稲を初めて植えました。 また養蚕の道が開けました。
つまりアマテラスはツキヨミをそそのかしたあと手のひら返しで排除し、スサノオもいなくなったことから、高天原における唯一者となった。そして同時に葦原中国の支配者ともなったことになる。

アマテラスは葦原中国をたんに略奪するのではなく、産業をになわせ、人民を収奪する立場に至ったのである。(ウケモチは独自の人格ではなく一類型とされるが、アマテラスがのし上がるための契機として特殊性を備えている)

わたしたちはこのような2つの民の関係を、鳥取で見ることができる。それが妻木晩田と青屋上寺地だ。妻木晩田が襲ったとは断言できない。しかし繁栄した青谷上寺地は襲われ、皆殺しにされ、廃墟となった。


3.第六段 「天下」派の逆襲

一連の話はずいぶんきれいごとに書かれているが、高天原派が葦原中国に侵攻し支配権を奪ったことは明白だ。部下に叩かせておいて「まぁまぁ」と止めに入るのはヤクザの親分のルーチンだ。

これから先は私の妄想だが、葦原中国を創設したイザナギとしては、高天原派の跳梁跋扈は面白い話ではない。
一度は後継者に指名したスサノオを追放してまで、高天原勢に譲歩したが、高天原派内の武闘派にスサノオのリザーブである保食神(ウケモチ)を殺され、ついに葦原中国そのものを奪われた。

そこに追放したはずのスサノオが戻ってきた。余談だが、スサノオの居たのは筑紫()らしい。すでに九州北部は天下勢力=葦原中国の重要な植民地となっていて、反抗の拠点と化していたものと思われる。

スサノオが言うには、
わたしは今から(父イザナギの言うとおりに)、根の国に行きます。その前に、高天原に向かい、姉であるアマテラスと会います。それから永遠に根の国に退きます
イザナギはこの申し出を許し、すぐにスサノオは天に向かいました。これってヤクザ映画の世界そのものでしょう。あきらかにスサノオは菅原文太だ。


4.姉弟激突とアマテラスの逆転勝利
アマテラスは、粗暴である弟スサノオが天に昇ってくると聞いて、驚きました。
「きっと私の高天原を奪おうとしている」と考えたアマテラスは重武装でスサノオと対峙した。
アマテラスは高天原系とされ、天神・天津神とされます。一方でスサノオは地祇・国津神系となっています。
対決はゲーム仕立てになっていて、その結果がよくわからないが、とにかく手打ちが行われた。
子供ができて、それを二人で分けたということになっているが、そんなに都合良く産めるわけがない。要するに人質交換協定である。

スサノオは六柱の男神を差し出した。日神は三柱の女神を筑紫に降臨させた。三人合わせて「宗像三女神」である。

日神は3人の出発にあたりこう述べたという。
お前たち三柱の神は天より降臨して天孫を助けなさい。そして天孫によって祀られなさい。
アマテラス、相当のワルである。娘を筑紫まで送った上でエージェントとし、ゆくゆくは筑紫を我がものとするつもりだ。

ともかく人質を相互に確保することで、アマテラス・スサノオの連立政権が成立した。これは実質的にスサノオの勝利だった。
この連立においては、スサノオの息子6人が高天原政権の幹部に入ったことを見てもわかるように、かなりスサノオ側の比重が強化された。

そこでアマテラスは陰湿なデマ作戦で巻き返しを図った。下品なフェイクニュースを撒き散らした。そしてスサノオの人気が地に落ちたところを見計らって、ハンガーストに打って出た。
最後にはストリップのアトラクション付きの反スサノオ集会で客を動員してスサノオ政権の転覆に成功したのである。
これはかなりの勝手読みだが、ベネズエラでの米国と反政府勢力との対決を見ると、「ウンコタレ」と攻撃されるスサノオについ同情してしまうのである。


5.高天原(天孫)系の追撃

高天原チームの逆転勝利が実現した。
八百万の神は話し合って、“独裁者”スサノオの髭を切り、手足の爪を抜いて、追放してしまった。神々はスサノオに、千の台座に乗るほどの宝を提出させた。

確認しておきたい。スサノオには巨大な財があった。それは高天原から収奪したものではない。高天原には自力で獲得したような富はなにひとつない。スサノウの宝はおそらく筑紫の植民地から持参したものであろう。高天原チームはそれを奪い、葦原中国を略奪したのだ。

もう一つ、スサノオはふたたび追放された。どこへ? それは日本をおいて他にない。
第八段本文はこうなっている。
スサノオは自ら天から下って、葦原中国へと落とされた。そして出雲の簸之川(ヒノカワ=肥の川)の川上に降り立ちました。 
なぜ葦原中国からさらに出雲に向かったかについての説明はない。しかし「一書」にはこうある。
スサノオは息子の五十猛神(イソタケルノカミ)を連れて、新羅国に降り、曾尸茂梨(ソシモリ)に辿り着きました。 
スサノオが「この土地に、わたしは居たくない」 と言いました。 それで土で船を作って、それに乗って東に渡り、出雲の簸の川(ヒノカワ)の川上にある鳥上之峯(トリカミノミネ)に辿り着きました。
なぜ、出雲か? それはもはや新羅も筑紫も安住の地ではなくなったからだ。

6.天孫降臨と高天原派の全一支配

実はその前に出雲の国譲りの話があって、スサノオ一族が“出雲の葦原中国”からも駆逐されるのですが、どうも時期的には合いません。ひょっとすると、スサノオは筑紫から出雲までの「葦原中国」の全体を統括していたのかもしれません。
疲れてきたこともあり、とりあえず省略していきます。

葦原中国(おそらく金官伽耶あたりの海洋民社会)を制圧し、さらにその植民地たる対岸の筑紫をも併呑するというのが高天原グループの狙いだろうと思われる。それは葦原中国側の激しい反感を呼び起こす。
彼の地に螢火のように勝手に光る神、及び蠅聲(さばえなす=騒がしい) 邪神が多くいた。また、草木さえもしばしば言語(ものいう)状態であった。
“草木さえもものいう” 状態というのが素敵な表現だ。上から下まで高天原支配を拒否しているというのがよく分かる。倭はポリス連合に対するアテネのような存在であろうか。

アマテラスの息子は正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊という。この人は影の薄い人で覚える必要はないのだが、この人が高皇産靈尊(タカミムスビノミコト)の娘と結婚して子をもうける。
これが天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)である。面倒なのでニニギとしておく。

タカミムスビはなかなかの策士で、外孫のニニギを葦原中国の君主にしようとはかった。この場合の葦原中国は海の向こう倭の地を指している。
タカミムスビは沢山の神々を集めて、葦原中国の邪神を追い払って、平定したいと呼びかける。倭からスサノオ派を一掃しようということだろう。

提案は認められ、アメノホヒが葦原中国に送られた。しかし3年たっても平定できなかった。アメノホヒの子のタケミクマノウシが送られたが、彼もだめだった。

一書では(古事記も)
アマテラスは天稚彦(アメノワカヒコ)に命令しました。
豊葦原中国はわが子オシホミミが納めるべき土地です。お前がまず行って、平定しなさい。
天稚彦は国津神の娘たちを妻に貰い、八年経っても高天原に報告しなかった。
けっきょく、經津主神(ふつぬし)と武甕槌神(たけみかづち)が出雲を屈服させた。いわゆる国譲りである。相当手こずったということが分かる。

実は私は誤解していたのだが、すでに九州北部の支配権を獲得していた高天原グループが出雲に国譲りを要求したのだと思っていた。日本書紀の記載では、このとき高天原系は倭の地に全く足がかりを持っていなかったことになる。倭の地の全体がスサノオの影響下にあった。ただスサノオは警戒のために出雲に引きこもり、そこに根拠地を形成していたということである。これが史実と適合するかは、他の文章も参照しなくてはならない。

出雲勢力の恭順を見てオシホミミの子、アマテラスの孫であるニニギが倭に赴くことになる。ニニギは天盤座(アマノイワクラ)を出発し、 日向の襲高千穗峯(ソノタカチホノタケ)に降り立った。
そして天稚彦を殺し筑紫を平定した。木乃花咲耶媛のエピソードはニニギの人間性を示す宣伝ネタであろう。それだけ高天原軍は非人間的であったのかもしれない。

なお日向はヒムカと読むようである。下記の文がある。
天津彦彦火瓊瓊杵尊は亡くなりました。筑紫(ツクシ)の日向(ヒムカ)の可愛之山(エノヤマ))のお墓に埋葬されました。
朝鮮半島から降臨したとすると、こちらのほうが感じはつかめる。

いくつかの結論(再掲)

1.その昔、朝鮮半島南岸部に海洋民を主体とする社会があった。大八洲と呼ばれる島嶼に囲まれた湿地帯で豊葦原中国と呼ばれた。

2.紀元前1~2世紀に、北方から漢に押し出されるようにして「天孫系」グループが南下してきた。彼らは飢え、山賊と化し、山城を築きながら葦原系と対峙した。

3.経済的には倭(筑紫など)の植民地を持つ葦原系が豊かであったが、軍事的には漢と接触のある高天原系が圧倒していた。「七人の侍」の野盗集団だ。

4.葦原系は首長ウケモチが殺害される事件をきっかけに蜂起し、亡命から戻ったスサノオを司令官に押したて、高天原系と和議に持ち込んだ。

5.高天原系は陰湿な手法でスサノオを放逐し、高額の賠償金をせしめた。スサノオは葦原中国へ下った後、ふたたび倭へと亡命した。

6.高天原系は朝鮮半島南岸のを手中に収め、さらに倭の支配を欲し、数次にわたり攻勢を仕掛けた。スサノオは出雲に拠点を構え、抵抗を続けた。

7.葦原系の最後の拠点であった出雲も高天原系の手に落ちた。これを受けて筑紫の日向にニニギが降臨した。こうして朝鮮海峡を挟んで両側に“ベストミックス”の階級国家が誕生した。






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