鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 36 社会理論(社会主義・哲学を含む)

唯物論と経験批判論 あらすじ

序論のかわりに

バークレー批判がまず展開される。おそらくあとから付け加えられたのであろう。率直に言えば不必要に長い。

初めての読者は、飛ばしたほうが良い。とにかくまずマッハから取りかかるべきだ。

エンゲルスの引用

「唯物論にとっては自然が第一次的なもので精神は第二次的なものであるが、観念論者にとってはその逆である」

この両者の間にエンゲルスはヒュームとカントを置き、彼らを不可知論者と呼ぶ。そしてその特徴として、世界の完全な認識の可能性を否定する点をあげる。

その後、ヒュームからの長い引用がある。ハックスレーからの重複引用。バークレイのような悪気はないということを言いたいようだ。

後半はディドロによるバークレー批判を紹介して終わる。

たぶんディドロを発見して「これだ!」と思ってこの序論を書いだのだろう。

第一章 経験批判論と弁証法的唯物論との認識論 その1

第1節 感覚と感覚の複合

この節では経験批判論の代表者と目される人物が紹介される。

まずマッハの所論の紹介と分析から始まる。

中間結論として、マッハは相対主義を唱えるが、相対主義と弁証法の違いを知らないということを示す。

そしてエンゲルスの言葉、「肝臓が胆汁を分泌するのと同じように脳髄は思想を分泌する」という機械的唯物論批判を対置する。

つまり相対主義は機械的唯物論への罰であり、非弁証法的という点においては五十歩百歩だということである。

この指摘は正しいのだが、その後十分に発展されているとは言い難い。

つぎにアベナリウスの批判に移る。

レーニンの当面の論敵であるボグダノフはアベナリウスの影響を受けたらしく、レーニンはこの二人を串刺しにして批判している

マッハ、アベナリウスに続いてイギリスのピアソンとフランスのポアンカレーが紹介される。

第2節 「世界要素の発見」

ついでレーニンはマッハ主義をマルクス主義に持ち込んだ最初の人物としてアドラーをあげる。

ここからレーニンの舌鋒は鋭さを増す。ここから先はもはや党派闘争の世界だ。

アドラー批判は、つまるところ「マッハもアベナリウスもそんなこと言ってないよ」というものだ。

そしてアドラーの「解釈」を受け継いだのがボグダノフだというわけだ。

アドラーの所説は、観念論者ヴントの経験批判論への攻撃にもとづいている。つまりヴントが徹底した観念論の立場から「マッハは唯物論者だ」と非難した言葉を借りてきて、「ほら、マッハは唯物論者だろう」というこずるい論建てをしている。

そこでヴントの所説の検討に入る。

なお、ここでさり気なく触れられている一文は注目に値する。

…しかし、他方、マッハとアベナリウスの当初の観念論が哲学上の文献で一般に認められているのと同じ程度に、経験批判論が後に唯物論の側に方向転換しようとつとめたことも、一般に認められている。

ということで、マッハの最近の著作(「認識と誤謬」1906)を引き合いに出す。そして折衷主義的な記述を引き出す。

第3節 原則的同格と「素朴的実在論」

ここからはアベナリウスの批判に移っていく。

アベナリウスが観念論でありながら折衷的態度を取っているとのべたあと、その後継者でより強硬な観念論者のエヴァルトらに攻撃が向けられる。

この辺は十把一からげだ。

第4節 自然は人間以前に存在したか?

この領域はマッハらにとってとくに苦手な分野である。そこで彼らの「言い訳」を取り上げてネチネチといじめる。

アベナリウスとその弟子のペツォルト、ウィリーが、しばしばカントやフィヒテを引き合いに出すのに応じて、レーニンもこれを批判するが、どちらかと言えば及び腰である。

そしてその後、今度はロシアの社会民主党内のマッハ派を取り上げる。最初がバザロフである。

自党内部の話だけに攻撃の厳しさは一段と増す。

第5節 人間は脳の助けを借りて考えるか?

これも前節とおなじような経験批判論の弱みだ。

これについてはアベナリウスが「イントロイェクツィオン」という詭弁を思いつき、ボグダノフはそれに引っかかった。

しかし、この詭弁は観念論者ヴントによって暴かれた。

ピアソンはこのような詭弁を用いずに、「意識がどこから来るのかなど関係ない」と開き直った。

第6節 マッハとアベナリウスの唯我論について

経験批判論は主観的観念論であり不可知論であり、最後は唯我論に陥る。

これについては「ネイチュア」誌の寄稿論文(ピアソン批判)と物理学者ボルツマンの文章を載せることで批判に替えている。

今日の私達からすれば、なにもバークレーからディドロ、フォイエルバッハを持ち出すまでもなく、これらの批判で十分であろう。

 

第二章 経験批判論と弁証法的唯物論との認識論 その2

マッハ批判はすでに終わったが、これから先は党内論争になる。

きっかけはマルクス主義理論家プレハノフが、カントの「物自体」を認めた発言をし、これに経験批判論の連中が噛み付いたことから始まっているらしい。

「エンゲルスと違うじゃないか」とやり始めたので、カント-エンゲルス-プレハノフという一連の理論の評価をしなくてはならなくなった、というのが経過のようである。

というより、レーニンがやりたくて始めたケンカのようだ。

その前にちょっと弁護して置かなければならないが、このときエンゲルスの「自然弁証法」は未発表である。だからエンゲルスの主張は部分的にしか取り上げられていない。

ということはレーニンもエンゲルスの主張を全面的に知った上で論戦に参加しているわけではない。

それにカントはネオカント派だって本格的に勉強したことはなかったはずだから、かなりボロは出ると思う。

これが党内向け論争でなく他流試合であったら、ここまで書くことはなかったろうと思う。さすがに恥ずかしい。

第1節 「物自体」、エンゲルスへの攻撃

この章はまず、チェルノフという人物が「物自体」に関してプレハノフを攻撃したことから始まる。ところが、チェルノフは勢い余ったか、「物自体」の把握についてエンゲルス攻撃まで始めた。

エンゲルスは、カントによれば不可認識的な「物自体」を、ひっくり返してすべての認識されていないものは物自体であると主張した。

というのがチェルノフの主張である。

そこで、レーニンは誰かの引用ではなく自分の言葉で長い反論を書いている。

しかしどうも売り言葉に買い言葉で、ポジティブな論証にはなっていない。

マルクスのフォイエルバッハ・テーゼの第二が引用されるが、この場合適切ではない。

これらのテーゼは、まずもって、観照の立場にとどまる唯物論者フォイエルバッハへの痛烈な批判である。

第2節 「超越」について エンゲルスの「改作」

エンゲルスはカントの物自体を少しも否定していない。認識の限界もふくめ承認している。その上で我々の認識限界を広げていくことは可能であり、その可能性は無限であると主張する。

「超越」というのはその時々の認識の限界を超えて、物自体の世界に踏み込むことであり、エンゲルスは科学的な仮説を除いて、原則的にはこれを認めない。そして科学的な立証を要求する。

これらについてレーニンは力説している。ただしさほど説得的ではない。

第3節 フォイエルバッハとディーツゲン 「物自体」の見解

まずフォイエルバッハが取り上げられる。彼が「物自体」を「実在性を伴った抽象体」と定義したことを紹介する。

ディーツゲンについても色々書かれているが、あまり興味ないので省略。

この節の結論。

1907年にはエンゲルスを否認し、1908年には不可知論へとエンゲルスを「修正」しようと試みる…これがロシアのマッハ主義者たちの「最新の実証主義」哲学である。

第4節 客観的真理は存在するか

ここまで行くと、「もうやめておいたほうが良いんじゃないの」と思ってしまう。今ではほとんど「禁句」だ。

むかしスターリン主義の哲学教科書には必ず載っていたが、この言葉には強い違和感を抱いた覚えがある。それこそ形而上学そのものだ。

とにかく第二章に入ってからというもの、レーニンは変調をきたしている。

客観的真理の否定は不可知論であり主観主義である。…自然科学は…その主張が真理であることを、疑うことを許さない。それは唯物論的認識論とは完全に調和する。

これは「すべてのものは疑いうる」とするマルクスのモットーと完全にバッティングする。

ところで、レーニンが引用したヘーゲルの言葉が面白い。

経験論は一般に外的なものを真実なものとし、超感覚的なものを認める場合でも、その認識は不可能であって、我々はひたすら感覚に属するものに頼らなければならない、と考える。
この原則が徹底させられるとき、それは後に人々が唯物論と呼んだものを産んだ。(エンツィクロペディ)

ウム、たしかにそうも言えるな。

第5節 絶対的真理と相対的真理 エンゲルスの「折衷主義」

まず「マルクス主義は永遠の真理というような独断論を許さない」というボグダノフの言が俎上に載せられる

エンゲルスの「反デューリング論」から長い引用が続く。

ついで今度はディーツゲンの主張に対する論駁が始まる。ただしディーツゲンは部分的に誤りを犯した唯物論者として位置づけられる。

正直のところ、レーニンの論理は相対主義者の尻尾をつかめないまま堂々巡りをしている。

問題は即自・対自という弁証法的な相対論(ヘーゲル論理学が一つの見本)と、ただの相対主義の違いだ。弁証法は相対的真理群を通底する法則を読み込む。ただの相対主義は確率論的にしか操作できない。そして確率論は、そこにとどまる限りでは限りなく不可知論に近い。

このへんはエンゲルスの「自然弁証法」を知らなかったレーニンの不幸だ。

第6節 認識論における実践の基準

これは以前から気になっていたところである。

レーニンはフォイエルバッハの第2テーゼをふたたび取り上げる。

真理が人間の思惟に達するかどうかを実践から離れて提起するのはスコラ学である。

そしてこれをエンゲルスの下記の言葉と結びつけることで議論を始めようとする。

不可知論に対する最良の論駁は実践である。

マルクスの言わんとする所は、「真理」とか「思惟」という概念がそもそもスコラ的であることだ。

エンゲルスの言葉は科学的事実を確認するにあたっては、やや雑駁にすぎる。やはり有無を言わせぬ技術に支えられた実験が必要である。マッハの衝撃波は、当時最新鋭の技術である写真を巧妙に用いた有無を言わせぬ証明だった。

ここでレーニンはマッハの言説を取り上げ、フォイエルバッハの言葉により批判する。


第三章 経験批判論と弁証法的唯物論との認識論 その3

第1節 物質とはなにか? 経験とはなにか?

第三章はボグダノフらとの党内論争を終え、ふたたびマッハ主義者との論争に戻る。

それぞれの節につけられたタイトルは、ひどく大げさである。正確に表すとすれば、例えば「『物質とはなにか?』についての経験批判論者のおしゃべりとその批判」とすべきであろう。

それにしても、「物質とはなにか?」はデかい。物理学の根本問題だ。一つの節であつかうような話ではない。

ただ、マッハ主義者の「物質」論を蹴っ飛ばすにはこのくらいでも十分なのかもしれない。レーニンはそう思ったのだろう。

まずアベナリウスの物質論から入る。彼は物質論を主張していないということが分かった。

次にマッハ。「物質は要素の連関である」

次にピアソン。物質は一定の感官知覚の群れである。

たしかにこれでは論争のしようがない。

レーニンはマッハがしばしば唯物論の側に脱線しているということに注目している。これについては私も同感である。

第2節 「経験」に関するプレハノフの誤り

「経験」というのはずるい言い逃れである。要するに感覚の集合である。そこから何か特別な概念でもあるかのように議論をこしらえていくのが経験批判論のやり口である。

感覚が経験として記憶されるためには、何らかの整理統合装置と記憶装置が必要である。それは感覚からは作り上げることができない。

ここのところをプレはノフは騙されてしまったらしい。

第3節 自然における因果性と必然性

この問題は端的に言えば「自然の弁証法」に関する議論である。

レーニンは個別の経験批判論者に反論はしているが、一貫した論理は持てないでいる。

彼には武器がない。ある場所では「エンゲルスにはこの問題での言及がない」と泣き言を言っている。エンゲルスの「自然弁証法」は、このとき彼の手元にはなかった。

自然科学的な知識が相当ないと書けない。自然の弁証法は、多くの観察と適切な実験から帰納的に導き出されるものだからである。

たとえばダーウィンについて言及していないことはかなりの欠落であろう。

とくにアベナリウスの弟子のペツォルトには悪戦苦闘している。現象の確率論的な扱いこそ彼らのもっとも得意とする分野だからである。

第4節 思惟経済の原理と世界の統一性

前の記事でも書いたが、マッハの「思惟の経済」はなかなか優れた観点である。知覚として溢れるほどの刺激が脳に飛び込んでくる。巨大コンピュータでなければ到底処理できないほどである。

これを人間は知覚の段階で整理し、諸知覚を統合する過程でさらに切り詰める。そして事物をゲシュタルトとして認識し記憶する。それはもはや感覚ではなく知覚でもなく、いわば「心像」とも呼ぶべき表象である。

このように圧縮し表象化する仕組みをマッハは思惟の経済と読んでいる。内容そのものはきわめて「唯物論的」である。

ただ「経済」はいかにもいただけない。物理学者らしく、語法がガサツなのだ。

これは「今月はちょっとピンチなので経済しました」というのと同じで、倹約の意味だ。語源的にはエコノミーというのは節約という意味であるから、それでも間違いではない。

レーニンも「まったく不器用な、気取って滑稽な言葉」と言っているから、ある程度分かってはいるのだろう。

統一性の問題はペツォルトが提起しているようだが、ペツォルトの真意が不明瞭なのでなんとも評価のしようがない。

第5節 空間と時間

まず、レーニンはフォイエルバッハの言葉を掲げる。

空間と時間はたんなる現象の形式ではなく、存在の本質的条件である。

これは19世紀初頭に打ち出された宣言であるが、いまも妥当である。

ただ極微の世界、宇宙の始まりの世界ではこれらの相互関係はぐちゃぐちゃで、いまだ汲みつくされた認識段階にあるとはいえない。

それらはニュートン力学の世界を相対化しているが、否定しているわけではない。それは宇宙・世界の階層性を示している。

その上でエンゲルスの言葉は説得的である。

時間の概念が問題なのではなく、現実の時間が問題なのである。

現実の時間というのは生命誕生、あるいは地球誕生以降の物質的運動について時間軸に沿った認識を現実的前提としなければならないということである。

感覚が全てというなら感覚の生まれたあとの時間と言ってもよい。

第6節 自由と必然性

エンゲルスの「自由とは必然性への洞察」に関して、認識論上の意義に関連して簡潔に触れられている。

ただしこれは、デューリングとの論争の文脈の中で出てきた言葉であり、「自由」そのものの本質的な規定ではない。


あらすじと言いながら、だいぶ長くなってしまった。第二分冊の方は稿を改める。




マッハの良いところ、悪いところ

マッハの良いところは勇敢なことだ。悪いところは乱暴なところだ。

この2つの素質があると、超大作がいくらでも書けてしまう。良くも悪くも分かりやすい。

乱暴だからといってそれほど馬鹿にしたものではない。かなりの点で革新的で、示唆的だ。

惜しむらくは弁証法がない。論理を駆動させるのはマッハで、その対象はみずから動かない。マッハには「もの」をして語らせようという気風がない。


ウィキから言葉を拾っていく。

1.『力学の発達』

ニュートンによる絶対時間、絶対空間などの基本概念には、「形而上学的な要素」が入り込んでいるとして批判した。

「形而上学」というのは彼の決まり文句で、「古臭い、決まりきった既成概念」くらいの意味だ。

彼は時空間には絶対というものはないとし、ニュートン力学の及ばない世界があると主張した。

「マッハの原理」というのは、「物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によって生じる」とするものである。

これをアインシュタインが、特殊相対性理論の構築への足がかりにしたということで有名になった。ただしヒラメキのためのヒント以上のものではなかったようだ。

要するに「自分が動いていないとすれば宇宙が動いていることになる」ということらしいが、もちろん逆の可能性(地動説)もあるわけで、万事が相対的ではないかという主張らしい。

マッハは「皆さん、はたしてこの世に《絶対》などというのはあるのでしょうか?」と指摘したそうだが、これはマルクスの「すべてのものは疑いうる」というモットーに類似している。

これは至極まっとうな本のようである。松岡さんの紹介によると、第4章第4節の「科学の経済」という一節にこう書いてあるそうだ。

あらゆる科学は、事実を思考の中に模写し、予写することによって、経験とおきかわる、つまり経験を節約するという使命をもつ。

事実を思考の中に模写するとき、私達は決して事実をそのまま模写するようなことはなく、私達にとって重要な側面(ゲシュタルト)だけを模写する。

われわれは模写するときには、いつも抽象しているのだ。

十分すぎるほどに唯物論的(レーニン的な意味で)だし、現代の脳科学の水準から見ても妥当だ。

ただ、ニュートン力学を「力学的物理学」と呼び、それに代えて「現象的物理学」あるいは「物理学的現象学」を構築するべきだと訴えたそうだが、こちらは少々ピント外れだ。

ビッグバン以降、この世はエネルギーで満たされている。それがときどき「現象」として目に見える形で現れる。それだけの話しだ。

彼は「音速の壁」を突破した男として、世の中のあらゆる壁はぶち破れると思い込んだのではないか。

マッハは以上のような論建てのあと、「物理学的現象学」を提起する。それは、物理学から形而上学的カテゴリーを排除し、感性的要素の複合体を対象とするのだそうである。

排除されるカテゴリーには「実体」、「因果」、「絶対運動」(エネルギー)などがふくまれる。(野家啓一

フッサールはマッハの一元論に賛同しつつも、志向性の概念が欠けていることを批判した(両者の間に論争があったらしい)という。

また同様にマッハは、原子論的世界観や「エネルギー保存則」という観念についても批判したそうだ。

思うに「積み上げ方式」の構築的な科学論と対蹠的な位置に立っていたのであろう。

2.認識論への言及

認識論の分野では、『感覚の分析』(1886年)と 『認識と誤謬』(1905年)が代表的著作である。

マッハの認識論の核心は「要素一元論」と呼ばれる。

主-客二元論や物心二元論を捨て、直接的経験へと立ち戻り、そこから再度、知識を構築しなおすべきだというものである。

意識が完全にめざめるやいなや、人間は誰しも、すでに出来あがった世界像を裡に見出します。

それが出来あがったのは当の本人がこれといって意識的に参与するからではありません。

むしろ反対に、人々は自然および文明の賜物として、何かしら直接的に了解されたものとして、出来合いの世界像を受取ります。

これは、「認識の分析」(1894)という解説本の一節らしい。「出来合いの世界像」というのはDNA的、生得的世界像のことか。とすれば、これは正しい。

気持ちとしては意識の形成における「感覚」の役割をもっと大事にしようということであろう。これ自体については大賛成である。人間の高次精神は、元はと言えば感覚的知覚の集合である。

このあとに前記記事の文章が続く。

我々の「世界」は、もともと物的でも心的でもない、中立的な感覚的諸要素(たとえば、色彩、音、感触、等々)から成り立っている。

「物体」や「自我」などというのは本当は何ら「実体」などではない。

因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の関数関係として表現できる。

騎虎の勢いでカントの物自体も吹き飛ばしたことになる。

これを日夜食うか食われるかの生存競争にいそしんでいる生き物はどう受け取るだろうか。天敵の口の中で噛み砕かれる瞬間、「これは感覚の関数関係にすぎないのだ」と納得するのだろうか。

この「感覚」至上の、あえて言えば形而上学的な認識論への突然のジャンプは、流石に世の指弾を浴びたようである。ルートヴィッヒ・ボルツマンやマックス・プランクらがこれを批判したとされる。

3.ウィーン学団への影響

マッハはこのほか心理学、生理学、音楽学などさまざまな分野の研究を行ったそうだ。

各分野に影響を及ぼしたというが、どちらかと言えば学問的というよりカリスマ的な影響力であろう。

そのカリスマとしての最大の「功績」がウィーン学団の結成(1929)であった。

これはウィーン大学のシュリック、ハンス・ハーンを中心とする科学者、哲学者のグループで、論理実証主義を標榜した。

彼らの多くがナチスの台頭に伴い米国に亡命し、以後米国にその考えが広がっていくことになる。

ウィーン学団については「科学的世界把握 ― ウィーン学団」というページが詳しい。詳しいが難解である。


私の感想であるが、

端的に言えばマッハは十分に唯物論的である。少なくともニュートン力学を批判するとき、彼は唯物論者と言ってもいい。

ところが、認識論に足を踏み込んだとき決定的な間違いを犯した。

マッハは、時空の絶対性を前提にしたニュートン力学に本質的な批判を加えたのであるが、それに代えて「感覚」を至上のものとして持ち込んだ。

それは「感覚」という神の復活であり、彼が忌み嫌ったはずの「形而上学」への復帰である。

レーニンが、対立の主要な側面を唯物論VS反唯物論にあると考えたのは正しいのだが、それはマッハが非弁証法的で形而上学的であったからだ。

唯物論の立場というのは、物質の客観的存在を認めるかどうかにとどまるものではない。自然にはエネルギーがあり、運動があり、あえて言えば「発展」があるということを認めるということだ。

一言で言えば「自然の弁証法」を認めることが唯物論の立場である。

マッハは非弁証法的であったがゆえに、すべての存在を「自然の過程」(エネルギーの流れへの抗い)として捉える唯物論の立場に立ちきれず、感覚至上主義へと漂流していってしまったのである。

経験批判論(Empiriokritizismus): 19世紀末,ドイツの哲学者 R.アベナリウスによって唱えられた学説。
「経験内容から個的な主観的なるものを除去していけば,万人にとって普遍的ないわゆる純粋経験が得られる」と主張。主観的経験論に一種の帰納論を接ぎ木したようなもの。
論理実証主義に大きな影響を与えた。

とあるが、実際上彼の著作が世間的な影響を与えたことはない。

結局、「経験批判論」の名を大いに広げたのはエルンスト・マッハであり、マッハ主義として理解するのが妥当である。

マッハは1838年生まれなので、当時すでに還暦であった。40歳にして超音速に関する論文を発表。衝撃波の写真撮影に成功して一躍有名となった。
衝撃波_ウィキより
  衝撃波_ウィキより
物理学者としてすでに功成り名遂げた存在であった。
それがアベナリウスの経験批判論を借りて自説を展開したと見るべきであろう。
以下、ウィキペディアの「マッハ」の項目より
50歳で「力学の発達」、「感覚の分析」を発表、以後、60歳で「熱学の諸原理」、70歳で「認識と誤謬」を発表する。死後には「物理工学の諸原理」が発行された。
いわば「物理で世界を読み解く」みたいな感じで書き飛ばし、これに理数系に弱い哲学者はねじ伏せたられのではないか。

マッハは経験批判論を広げた。「力学の発達」は、ニュートン力学の基本概念(時間,空間,質量)を批判し、“形而上学的性格を剔抉”したといわれる。この本は若年のアインシュタインに影響を与え,特殊相対性理論を準備した。
マッハの哲学上の主著は「感覚の分析」および「認識と誤謬」である。(現在であれば脳科学のテーマである)
世界を究極的に形づくるのは、物理的でも心理的でもない中性的な感性的諸要素である。具体的には色,音,熱,圧等々である。
これら諸要素間の関数的相互依属関係を「思考経済の原則」に従って、できるだけ簡潔かつ完全に記述することが科学の任務である。
いま読めば、きわめて粗雑なデッサンで、酔っぱらいのセリフである。「色,音,熱,圧等々」が「物理的でも心理的でもない」要素などとは、当時の常識から言っても問題外であろう。第一、「心理的でない感性的要素」などどこに存在するというのか。

フッサールの現象学もマッハを引き継いでいるといわれる。要するに彼の毒気にウィーン中の哲学者があてられたのであろう。

世紀末のウィーンはきわめて魅力的である。
19世紀初頭から産業資本主義、それにふさわしい立憲体制が広がった、ドイツでいったん頓挫したあと、プロシアの帝国主義的資本主義が勃興し英仏と肩を並べるに至った。
オーストリアだけは依然として王権支配が続いていた。青年たちのフラストレーションは頂点に達していたと思われる。それがさまざまな(非政治的な)形で噴出してくる。
その50年前に、マルクスはドイツについて同じような状況を感じている。そして遅れた国では哲学革命から始まるのだと語った。それはヘーゲル左派の青年たちを指す。彼らは国の後進性に憤り、激しく糾弾するが、実践を伴わないから著しく観念的である。
それが、第一次大戦が終わりオーストリアが共和制になって、「赤いウィーン」が成立する頃になると、彼らは著しく微温的になり、反動的にさえなり、ナチに抵抗もせずに海外に逃れることになる。
それが半世紀も経ってから、ナチスの迫害のお陰でアメリカに広がり、いまや世界の思想・文化を見る上で不可欠な要素となっている。
もう一つの特徴は異常なまでのユダヤ人の活躍である。この理由は今のところよく分からない。とにかく民族差別が少なかったとは言えるだろう。
「世紀末ウィーン」の勉強は少し後回しにして、マッハの情報収集をもう少しやっておきたい。

私が「唯物論と経験批判論」を「やや古めかしい」と言ったのは、「物質が先か意識が先か」という問題設定がもはやほぼ解決済みのものになってしまっているからである。
「物質」というより自然の流れの中から生命が生まれ、生命活動の中から脳の活動が生まれ、脳の進化によって「意識」が生まれてきたことは、もはや疑いなく確かめられている。
残されたのは、「意識がどこまで物質を認識できるか」という問題なのだが、これは問題の設定そのものがきわめて曖昧だ。この問題に取り掛かる前に、意識とは?、物質とは?、認識とは?という3つの問題を片付ける必要がある。しかもこれは明らかに自然科学の課題であって、哲学の課題ではない。実証的にやっていかなければならない。
それにこれはWhat課題ではなくHow課題である。唯物論というよりむしろ弁証法の問題なのだ。

何かないかと探したら、下記の文章があった。
私の意見  「マルクス・レーニン主義から実践的唯物論への転換の困難さ」   島崎 隆
完全に同意するわけではないが、「唯物論と経験批判論」の評価についてはほぼ当たっていると思われるので、要約を紹介する。


1 問題提起

2 レーニン的唯物論の問題構成

レーニンは「哲学の根本問題」を物質と意識の関係と見た。そしてそれを「認識論上の根本問題」と理解する。

そのかぎりでは,「物質が先か意識が先か」を認識論的問題とみなして,観念論を批判した段階にとどまる。

私(島崎)は唯物論一般の議論を,さらに物質が先か意識が先かという哲学の根本問題を,ただちに認識論的問題とは見ない。 

私は、レーニンがマルクスの唯物論をきちんと押さえていず,唯物論一般のレベルを十分に脱却できていず,その結果マルクスを誤読してしまったとみる。

レーニンが「意識が存在を反映する」という場合は、あくまで認識活動としての「反映」である。だからレーニンは,「反映は近似的に正しい写しでありうる」という。

そして「社会的存在を社会的意識が反映する」というマルクスの命題を、上記の「存在を意識が反映する」という命題に直接につなげる。つまり、哲学的命題が社会に「領域内に限定されて,そこに適用された」(島崎)と考える。



島崎さんは少々わかりにくいものの言い方をする。
レーニンが「意識が存在を反映する」という場合は、あくまで認識活動としての「反映」である。
というのは、ある人間がある存在を認識し、それを意識に取り込めば、意識にその存在が反映されるということだ。
そうするとある人間がある存在をいかに認識したかで認識が変わってくるということになる。
最初は「群盲象を撫でる」が如き状態であったのが、次第に情報が共有化され、認識の方法が洗練されるにつれて正確に認識されるようになり、その結果、人々の意識は存在を正確に反映したものとなる、ということだ。
それは決してある物質が水晶体を通じて網膜上に像を結ぶ、という単純な反映ではない。
それは「意識に存在を反映させる」行為の過程全体を包括したものだ。(かえってわかりにくい?)



3 マルクス的唯物論の問題構成

これは,マルクスの「唯物論」とは基本的に異なる。マルクスは,「唯物論一般の立場は世界と人間をとらえるうえで不十分であり,それは観念論と同位対立に陥り,それを超えられない」と主張する。

フォイエルバッハ・テーゼの第一テーゼは、次のような構成になっている。

①従来の唯物論(フォイエルバッハ)の主要欠陥は,現実的対象がただ直観や認識の形式のもとでのみとらえられており,活動的な実践の産物として主体的に把握されていない。

②その活動的側面は,かえって観念論(ヘーゲル)によって展開されたが,しかし抽象的にしか展開されなかった。

その後マルクスは、従来の唯物論を超える新しい唯物論を提起し,それによってヘーゲルらドイツのイデオローグたち全体を克服しようとした。

このあと島崎さんは独特の「実践的唯物論」の展開に至るが、ここでは省略。ただレーニン批判としては、哲学的認識論と社会的構造とはレベルが違うだろうということに帰着する。

ヘーゲルは理念や精神から物質的なものを導き出そうとする。唯物論者であるはずのフォイエルバッハですら,愛というような観念を切り札としてもち出し,そこで観念論へ転倒する。

総じて宗教・道徳・哲学において,現実社会の発生源から切り離されて,何か究極の「真理」がそれ自体で自立して存在しうるかのように考えることは,すべて観念論である。

観念論が蔓延するのはなぜだろうか。マルクスはそこに,複雑な隠蔽関係や理念の「自立化」の現象を発見する。マルクスはまさに宗教を要請せざるをえない人間社会の悲惨さを暴露し,宗教を「阿片」と呼んだ。


4 実践的唯物論の現代性

こうしてマルクスが強調しようとしたのは、(社会的)意識を規定するのは(社会的)存在なのだということである。それは領域の単なる限定ではなく,むしろ根源的なものである。

ひとびとが抱く意識・観念は本人の自覚的意識にかかわらずすべて社会の産物であり,むしろ社会批判のなかで社会現象として説明されなければならない。

では科学的認識の位置づけはどうなるのか。

問題は二つある。

まず、科学の典型たる自然科学とはそもそも何かが問われる。これについては,「産業がなかったら,どうして自然科学などありえようか」とまず発問するのがマルクスである。つまり産業と交易のなかの実践的産物としてそれをとらえることである。

もう一つは、科学的認識とはいかにして可能かという問いである。これについては、認識一般ではなく、科学的・合理的という「意識」が問われなければならない。それが近代でいかにして発生したのかが、まず問われるべきである。

以上のごとく、マルクスの認識論は単純な科学重視の科学論ではない。弁証法を機軸としてヘーゲルを唯物論化した認識批判としてとらえられるべきである。逆に科学の絶対視は「科学主義・科学信仰」として批判されるべきである。


付言1 西欧マルクス主義への批判

現代の西欧マルクス主義は人間中心で主体的な側面をひたすら強調する。しかし人間社会も「自然存在」を大前提としており、自然進化のなかで発生したものである。

人間社会は人間と自然のあいだの質料転換(物質代謝)を必須の生存条件とする。自然弁証法の現代的意義は重視されねばならない。エンゲルス評価の二面性のきちんとした把握もふくめ、「自然の弁証法」の復権がもとめられている。



これには私も大賛成だ。以前シュミットのエンゲルス批判を読んで、「人間の独善化」には到底納得できないと思った。
エンゲルスそのものではないにせよ、自然・少なくとも生物界には弁証法があって、これが弁証法的唯物論の礎なのだと思う。
それは「自然の摂理」に対する「抗い」、ときには「叛乱」を本質としている。もちろん行き過ぎた「擬人化」も危険だが…




付言2 意識は「自然存在」と直結していない

ありのままの自然が意識に反映されるというというのは、没社会的・没歴史的な自然哲学である。

それこそは、フォイエルバッハにたいしてマルクスが批判したものである。たしかに自然は大前提ではあるが、意識にとってはすでに社会による実践的産物へと転化されている。いかなる自然観をもつかは、実は社会的・文化的背景の問題を抜きにしては語れないのである。


付言3 70年代理論活動の思い出

日本でもマルクス主義(弁証法を含む)は,かつて実に多くの知識人・文化人に影響を与え,社会の変革を願う大衆の学習するところともなった。それは社会科学や哲学の領域のみでなく,自然科学はもとより数学,体育などの分野にまで浸透した。だが不幸にして,そこで浸透したマルクス主義とは,上述のマルクス・レーニン主義であった。

1970年代以後,マルクス・レーニン主義(スターリン主義)の批判的検討が進んだ。だがそれは,マルクスに関心をもつ哲学研究者以外にはほとんど浸透せず,そのうち社会主義崩壊のなかでマルクス主義哲学は全般的に関心をもたれなくなった。

真理は発見されたときには,もはや見向かれなくなったというのが現実であった。

マルクス・レーニン主義が第一の誤りであったとすれば,マルクス主義哲学それ自身の放棄は第二の誤りである。


私も拙著「療養権の考察」発表において同じ思いを抱いた。マルクス主義がルネッサンスを迎えたとき、世間的にはマルクス主義の時代は過ぎ去っていた。
みな古文書を眺める目で私の本を見る。







1.「モノから情報へ」は誤り

「モノの時代は終わった。これからは情報の時代だ」と言われる。

身の回りの社会は、たしかに現象的にはそう見える。

しかし、この主張は、それらの情報自体がモノの生産を前提としでいるということを看過している。

というより、利潤率の点で魅力を失ったモノの生産は低賃金従属国に任せて、情報=技術・流通を先進国が独占するという構造を背後に隠している。

(医療・介護をふくめサービス労働を「生産労働」に組み込みたがる論者への素晴らしいプレゼントだ)

2.出産は「女性の生物学的悲劇」

100万年以上もむかしのアフリカのある晴れた日、二本足で立ってみたサルが、両手を使うことを知った。

それから、ヒトの脳とその容れ物は次第に大きくなった。その一方、二本足で立ったがゆえに母親の山道は狭まって、ほかの哺乳動物のように胎内で胎児が十分に育つことは不可能になった。

もしそうすれば、ヒトの母親は難産で死んでしまう。

気の遠くなるような長い生物学的淘汰を経て、未熟のまま子を早産できるような体質を備えたヒト属だけが生き延びられるようになる。

こうして「女性の生物学的悲劇」(ネミーロフ)が始まる。

母親はこの未熟な子を一人前にするのに長い間育児に拘束されるようになる。

以下の本論は若干、時代に制約されて月並みなものになっていくが、この書き出しの2つのエピソードは秀逸で、その筆力も相まっていまも十分に魅力的である。


うかつなことに、「独習指定文献」制度が廃止されたことは知らなかった。いかに不まじめな党員であるかがバレてしまった。

ウィキによると、2004年、「常に変動する政治情勢に対応するため、固定的な独習指定文献制度は時代に合わなくなった」とし、廃止されたのだそうだ。もう13年になる。

廃止直前、2001年ころの独習指定文献は下記のごとし。

初級

『日本共産党第22回大会決定』

『日本共産党綱領』

『日本共産党規約』

『自由と民主主義の宣言』

レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』

マルクス『賃金、価格および利潤』

エンゲルス『空想から科学への社会主義の発展』

『日本共産党第20回大会での党綱領の一部改定についての提案、報告、結語』

宮本顕治『党建設の基本方向』(新日本出版社)

不破哲三『綱領路線の今日的発展』(新日本出版社)

中・上級

レーニン『カール・マルクス』

エンゲルス『ルードウィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』

マルクス『ゴータ綱領批判』

エンゲルス『反デューリング論』

レーニン『唯物論と経験批判論』

マルクス『資本論』

レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』

『日本共産党の70年』(新日本出版社)

宮本顕治『党史論』(新日本出版社)

不破哲三『スターリンと大国主義』(新日本新書)

不破哲三『ソ連・中国・北朝鮮――三つの覇権主義』(新日本出版社)

『日本共産党と宗教問題』(新日本文庫)

けっこう読んでない文献が多いなぁ。


私選、独習指定文献

1.ヘーゲル法哲学批判序説

若々しいマルクスの行動宣言で出発点だ。どうしても押さえておきたい。

2.経済学・哲学手稿

「疎外された労働」のところは趣旨としては分かりやすい。「ミル評注」も、ミルの理論も紹介しながら参考程度につけてやるといい。

第三草稿も面白いが、うんと枝葉を落として、うんと背景説明しないとわかりにくい。中・上級に。

3.ドイツ・イデオロギー

人間は食うために生活していること、食うために生活する人間が社会を作ると、どういう社会になるのか、これが良く分かる。

後ろの方の面倒なところはいらない。

4.哲学の貧困

ものすごく読みにくい本だが、プルードン(的なもの)への批判は、この先どうしても押さえて置かなければならない。マルクスは、初めはプルードンとケンカするために経済学を勉強したのだろうと思う。「ドイツ・イデオロギー」の後半部分、「聖家族」をふくめて「偽左翼」経済学への視点を鍛えるべきであろう。
背景説明をふくむ抜粋本があればいいのだが。中・上級に入れる。

5.共産党宣言

これを抜かすなんて信じられない。搾取というのが社会の最大の問題なんだ。

6.賃労働と資本

入門書として読むならこれしかない。これだけ読んでくれれば他は要らないくらいだ。足りないところは必要に応じて補えばいい。

「賃金・価格・利潤」は解説すると余計わかりにくくなるから、やめた方がいい。大事なことはアダム・スミス以来の経済学の決まり事を憶えることだ。

7.フォイエルバッハ論

分かり易いが、たくさんウソが混じっている。それをやり始めると難しくなる。ヘーゲルにはあえて触れないこと。

ほかにエンゲルスの著作、たとえば「家族」、「自然弁証法」、「空想から科学」は副読本扱いにして、指定文献には入れないほうがいい。マンガにすると若い人がとっつきやすいだろう。

8.ザスーリッチへの手紙

「未来社会」論に関して組合主義者が必ず持ち出してくるので、勉強はして置かなければならない。「経済学批判序説」の時代区分はあまりにも雑駁で、「あんなこと言わなきゃよかった」とマルクスは反省していたのだろう。全部読む必要はサラサラないので、抜粋本があると良い。中・上級

9.帝国主義論

レーニンといえばこれしかない。「国家と革命」も「唯物論と経験批判論」も要らない。ただ「何をなすべきか」は、いろいろ問題はあっても「面白いから読め」と勧めたい。

「金融資本を中心とする独占体」という概念は、グローバル化のもとでは大きく変質しているが、不均等発展の理論はいまなおホットだ。

10.極左日和見主義者の中傷と挑発

平和革命をリアリズムに基づいて説得する文書だ。日本共産党が初めて最初から最後まで自分の頭で考えて作った文書で、私には未だに理念的出発点だ。我々は「4.30論文」と言っていたが、東京の人は「4.29論文」と呼んでいる。それがちょっと悔しい。
袴田里見が講演に来て漫画チックな解説をした。岡正芳さんの講義はボソボソとして分かりにくかった。下司さんの発言は見当違い。米原さんが一番スッキリしていた。まぁ自分で読むのが一番だ。

11.現綱領関連文書

不破さんの貴重な置き土産。「冷戦終結論」で一触即発の雰囲気になったときに、不破さんが鮮やかな切り口で事態を収拾したことは忘れられない。とはいえ不破さんの語り口のスマートさに惑わされず、現綱領を自分のものにする必要がある。


マルクス主義というのは、哲学的にはヘーゲルの伝統を継ぐ弁証法論者であると宣言することであり、経済学的にはアダム・スミスとリカードの伝統を継ぐ労働価値説の陣営に立つことである。
運動的には、おそらくはフランス大革命における急進派(百科全書派)の主張を引き継ぐことではないだろうか。サン・シモンやオーウェンはそこからの派生であると思う。
あれこれの「社会主義」的な試みではなく、自由・平等・博愛の三位一体たる「民主主義の精神」の継承者としてみずからを位置づけるべきであろう。
ついでながら
「科学的社会主義」という言葉は心がけとしては正しい。しかし論争の相手が「非科学的」とは限らない。受け取る側に傲慢だと思われる可能性もある。
科学的であろうとすれば唯我独尊ではありえない。内心では確信しつつも、他人との関係では節度を保った使用法が必要である。

何気なく本棚の一冊を手に取った。
有斐閣新書「マルクス…著作と思想」という入門書だ。1982年の初版で私のもっているのは第4刷、85年の発行となっている。非共産党系マルクス主義者の集団著作だ。
おそらく「療養権の考察」を書いていた頃に買った本だ。かなり読み込んだ形跡があるが、「考察」の参考文献一覧には入っていない。独自的意味はないと判断したのだろう。多少「忖度」したかもしれない。
しかし冒頭の望月清司さんの文章はいま読んでもなかなか良いものだ。
考えてみると原光雄さん、三浦つとむさんから始まって、ずいぶん「異端」の文章に影響を受けている。
人間的諸活動を労働過程と享受・発展過程、社会的活動を生産活動と生活過程の統一として考えるのは中野徹三さんの影響だし、受苦と欲望を人間的発展の二つの動因と考えるのはルカーチの影響だ。

当時、私の積み重ねた「学習」の目的は、客観的には「共産主義読本」をいかに合理的に読み解くかということにあった。感想的結論として、「共産主義読本」は度し難い「スターリン的・非レーニン的文書」だと判断した。大きな声では言わなかったが、批判的に読むべきだということを示唆した。

70年代後半から80年代前半にかけては、そういう批判を許容する時代の雰囲気もあった。そのあと理不尽な反動がやって来て、理論課題が組織問題であるかのように攻撃され、かなりの人が「民主的軍国主義者」の犠牲になった。丸山真男が突如攻撃され、古在由重が除名され、「冷戦は終わっていない」と宣言された。
誰かが同志Mの認知症につけ込んだのだろう。

もちろん「異端」を自認する人の多くは「反スタ・スターリニスト」である。かつての北海道AALAの幹部であった中野徹三さんが、いまも進歩的な政治的役割を果たしているとは思えない。しかし本業のところでは傾聴すべきかなりの意見があることも事実であろう。

の抜書(コピペ+私感)である。元ネタがお手軽というわけでは決してない。

Ⅰ リカードの「価値論」の意味

リカードは、スミス価値論の継承者である。彼はスミスの労働価値論を受け継ぎながら、そこにふくまれる曖昧さを排し、それをいっそう純化させた。そして、労働価値論を駆使して、「生産物の諸階級への分配に関する法則」を解明した。

リカードのスミス批判の意義は、個人がどんなにあがいても貫徹する経済の客観的法則を提示するという点にある。

スミスの命題には、個人の行動結果から類推して、それを経済全体の結果であるかのように見なすところがある。しかし経済法則を客観的に適用すれば逆の結果になる。

そこをリカードは示したのである。

という岡さんのコメント。スミス研究者から見れば、いささかカチンとくる叙述となっているかも知れない。


Ⅱ リカードはスミスから何を受け継いだのか

リカードがスミスから受け継いだのは『労働価値説』である。

リカードは、「原理」の中でスミスの所説のポイントを引用し、コメントしている。

1.交換価値(価値)と使用価値(効用)

価値が二つの側面を持っていることについて、リカードは完全に同意している。

スミスからの引用

「価値という言葉には、2つの異なる意味がある。それは、ある時はある特定の物の効用を表現し、またある時はこの物の所有がもたらす他の財貨の購買力を表現する。一方を使用価値 、他方を交換価値と呼ぶことができる」

「最大の使用価値をもつ物が、交換価値をほとんど、または全くもたないことがしばしばある。これに反して、最大の交換価値をもつ物が、使用価値をほとんど、または全くもたないことがしばしばある」

後段の引用は「水とダイヤモンド」の挿話へと続くところである。

リカードのコメント

したがって、こう言える。

効用(使用価値)は交換価値を持つための必要条件ではあるが、効用は交換価値の尺度ではない。

ということで、話を労働の交換価値に絞ることを宣言する。

2.労働は交換価値の源となる

交換価値というのは「ある物の所有がもたらす他の財貨の購買力」であるから、その購買力の源は何かということになる。

スミスからの引用(ちょっと長い)

「あらゆる物の真の価格は、それを獲得する際の苦労と手数とである。それを欲する人に真に費やさせる物である。

ではそれをすでに取得していて、それをなにか別の物と交換したいと思っている人にとっては、それの値打ちとはなんだろうか。

それは交換によって節約することができ、他の人々に負わせることができる苦労と手数とである」

「未開の状態での相互交換に際して、物の取得に必要な労働量の多寡は、交換のルールを与える唯一の事情である。

一頭のビーバーを仕止めるのに費やされる労働が、一頭の鹿を仕止めるのに費やされる労働の二倍だとする。

そうすると一頭のビーバーは、当然二頭の鹿と交換されることになる」

この2つとも前回の奥山論文で紹介されているおなじみのところである。

スミスはここで一つの定式を打ち出す。
「商品にふくまれる労働量がその交換価値を規定するのである。

だとすれば、労働量の増加は必ず商品の価値を上昇させる。逆に、労働量の減少は必ずその価値を低下させるにちがいない」

リカードからのコメントはとくにない。ここまでの論理(投下労働=価値)について、リカードは全面的に受け止めたとみられる。

Ⅲ リカードはスミスの何を批判したのか

ところが、このあとスミスは価値標準について違う考えを持ち出す。

物の価値は、「それと交換される労働量」あるいは「それが市場で支配する労働量」によっても決まると言ったのである。

「何が“あるいは”だ。ぜんぜん違うじゃないか」とリカードは噛みついた。

リカードは「支配労働」論を認めなかった。そして「ここにスミスの混乱がある」と指摘したのである。

リカードはスミスの混乱の理由を、投下労働論を「初期未開の状態」に限定したことに求めた。「初期未開の状態」に通じることなら発達した社会にもそれは通じるはずだ、というのである。


1. 労働以外の生産手段の価値

ここからあとは、奥山さんの解説とだいぶ話が違ってくる。とりあえずそのまま紹介する。

私感: 労働以外の生産手段の価値についてはスミスにあっては曖昧であった。それらも「労働している」かのような擬人表現が見られる。生産と労働を混同した「労働」原理主義である。これは大地と日光が農作物を育て価値を生み出すという、重農主義の影響もあったのではないか。

リカードはスミスの「労働」原理主義に込められたすり替えを見逃しはしなかった。

ここにリカードは「時間差」というか「経時的観点」を持ち込んだ。リカードは言う。
労働と並んで使用される材料や器具や機械もまた、財貨の価値に貢献する。

それは、それらの材料や器具や機械の生産において投下された労働の量に応じてである。材料や器具や機械は過去の労働の産物である限りにおいて価値にふくまれる。

こうして、過去の労働を持ち込む形で、材料や器具や機械を労働価値説に取り込むことができたのである。

私感: 生産過程においては原材料は「使用価値」として加わるのであって、価格実現過程の話と混同してはいけないと思う。価格実現の話も、その前にまず剰余価値の配分の話を片付けてから取り掛からないとならないと思う。これらはいずれもう少し勉強した上で語ってみたい

② 地代や企業主の才覚の評価

スミスが主張した「労働原理主義」はリカードにおいても受け入れられたのである。ただし「支配労働」の否定という形をとってであるが。

スミスが“苦し紛れに”考えだした「支配労働」は、生産手段が過去からの労働の蓄積であるという考えをすれば、そんなものまでごたまぜにしておばけみたいな労働形態を考える必要はなくなる。

そうなると、支配労働のもう一つの要素である地代や企業主の才覚の評価が問題になる。

これについては、リカードはもう一つの素晴らしいアイデアを考えついた。それは「差額地代論」という理論である。
肥沃な土地は稀少である。だから肥沃でない土地も耕作せざるを得ない。
肥沃でない土地では、同じ量の穀物を生産するのに、より多くの労働の投入が必要となる。
穀物の価格は、最も劣った土地での投下労働量によって決まる。
なぜなら、穀物の価格がそれよりも低いと、最劣等の土地での農業は赤字になり、生産が続けられなくなるからである。
逆に、優等地の穀物は労働量(すなわち価値)を超える交換価値を市場において獲得することになる。したがって、優等地での生産は超過利潤を生む。

その結果、農業経営者間の競争が優良な土地にプレミアムを生むことになる。これが差額地代となる。
地代は農地の豊かさの証明ではなく、農地の相対的な貧しさの反映なのである。
それはマルクス流にいえば、労働の節約による「相対的剰余価値」の変形となる。
これがリカードの地代理論(差額地代論)である。

それではスミスはどう考えていたかというと、

農業では、自然(地力など)や家畜が人間と並んで労働をしていると考えた。そしてそれらが、人間の労働と同様に価値を生み出すと考えた。

そのゆえに、それらをふくめた“労働”の価値として地代が生じると考えた。

この素朴なアニミズムが「支配労働」説のオリジンであったのかもしれない。
リカードは差額地代論を練り上げることで、「支配労働」説の神話的根拠を突き崩したといえるだろう。

さらにいえば、リカードの差額地代論はケネーの農本主義的再生産表の根拠にも侵食しているといえる。

私感: 「差額地代論」はあまりにも鮮やかな一本背負いであるが、それだけに論理だけに寄り掛かるモロさも内蔵している。
これは一口で言えば、“マイナスの労働価値”である。肥沃な土地は生産物をより少ない労働で獲得することができる。この「労働の節約」分がいわゆる超過利潤となり、地代の源泉となるというのである。
ただしこれは究極のところ肥沃でない土地での労働によりあがなわれるので、労働価値の直接の反映ではない。
またそれは生産・分配過程の外で行われるものであり、別途論じるべきものではないだろうか。
リカードはそのあたりにまで考えが回っていなかった可能性がある。

このようにして、リカードはスミスの論理を使ってスミスの「支配労働」を否定した。

これにより原材料や生産手段が価値論に組み込まれ、同時に地代は価値の構成部分からは排除されたことになる。

Ⅳ 労働価値説に基づいた分配理論

ここから先は、スミスの継承というよりリカードが独自に開拓した理論となっていく。

スミスの論理を投下資本オンリー説で再構築していくと、価値はどのように分配されるか。

リカードはこれを賃金、利潤、地代に分けた。これはスミスの価値分解説を踏襲したものである。

賃金はまずもって生存賃金である。それは労働者の生存と再生産を可能にするために必要な生活物資の価値に等しい。

利潤は生産物の価値から、労働の賃金と他の生産手段の価値とを差し引いた残りである。これが資本家階級の所得となる。


リカードは利潤と賃金がトレード・オフの関係にあると提起している。

そして資本主義が発展すると、利潤率は低下する。

これは以下のようなメカニズムで説明されている。

資本が蓄積され、人口が増えると、穀物需要が増える。

それは耕作限界の拡大をもたらす。つまり、肥沃さの劣った土地が生産に引き入れられる。それは穀物の価値の騰貴をもたらし、それが優等地での地代を生む。穀物価値の上昇は、賃金を上昇させ、利潤を低下させる。

利潤がゼロになったとき、資本蓄積は止まり、人口も定常状態に達する。このとき、利潤はゼロ、賃金は相変わらず生存水準で、地代は最大になっている。これがリカードの描く分配の動学である。

私感: これが本当だったら、人類はとうの昔に破滅していたはずで、どこかに誤りがある。
リカードの差額地代論は、地代を賃金・利潤と同一カテゴリーに置くべきでないことを示唆している。また価値と交換価値のより厳密な使い分けを求めていると思う。

リカードの忠実な使徒だったマルクスはこの問題で悩んだ。

搾取者に弔いの鐘はならなかったし、搾取者が搾取される革命も起きなかった。

この結果を見て、マルクスはリカードを離れ、独自の道を模索するようになった。

これについてはまた別な文献で勉強しなければならない。

多少お神酒が入ったところで、もう一度アダム・スミスを語る。

アダム・スミスは画期的な労働価値説を打ち出しながら、「支配労働」というゴミ箱的概念を持ち込むことで、最終的には月並みな「生産費説」(価格=費用価格+平均利潤)に落ち着いてしまった。

労働価値説は生産費説を飾るちょっとおしゃれな彩りにしか過ぎなくなってしまった。

その背景には、①なんでも労働価値という「原理主義」、②これを背景にした「支配労働」論、③「支配労働」論を背景にした「自然価格」論(労働価値=すべてのコスト)という論理上の三段跳び(というか三段落ち)があった。

ところで「支配労働」は、利潤の源泉を労働に求めつつ、利潤と賃金の矛盾をなんとか説明しようとしたところから生まれたトリッキーな議論ではないか。

なぜなら搾取(人為的)を前提とする「自然」価格などあり得ようがないからである。

もう一つは、比較的小さな問題だが、地代まで労働の産物としてふくんでしまったことである。だれでも「流石にそれはないでしょう」ということになる。

ここでリカードゥが立ちはだかった。支配労働なんてくそくらえだ、と。

地代については「差額地代論」で整理がついた。それは利潤論へもつながる論理であり、支配労働論への痛烈な一撃だった。

それでスミスが覆い隠そうとした利潤と賃金の矛盾が、あからさまになってしまった。利潤というのは資本家が生産→販売という過程に紛れ込ませた「詐取」なのではないか、ということになる。

という展開になるのではないかと思うが、まずは勉強だ。

で、勉強は明日だ。もう頭は回らない。アルコールだけが回る。

奥山忠信 「労働価値論の思想と論理-アダム・スミスの遺産」政策科学学会年報 第4号

前項の宮川論文では、議論の前提となるスミスの理論についてさっぱりわからず、読解に大苦労した。
この論文はマル経のものではないが、その分、マルクスの小難しい表現に悩む必要がないだけ読みやすいだろう、と期待して読むことにする。
見出しは、原文の目次を無視して私が勝手につけたものである。
需要曲線と供給曲線における限界効用理論と限界費用曲線に関する問題を考え直すために、アダム・スミスの考察を中心に、古典派労働価値論の意義を再確認する。
ということなので、「古典派労働価値論の意義」のところを読めば、後半の「需要曲線と供給曲線における限界効用理論と限界費用曲線に関する問題」は読まなくて良いだろうと、ずる賢い発想。

Ⅰ はじめに 労働価値論の見直し
主流派の経済学は、伝統的に需要・供給曲線を書くところから始まる。そして需要曲線の右下がりの理由を「限界効用逓減の法則」に置く。
しかし仮に限界効用の逓減が正しいと仮定しても、これは消費の特定の場面での話であって、生産過程をふくめて経済活動全体を見渡したものではない。

アダム・スミスやマルクスの経済学に登場する資本家の行動はこのような限界理論とは異なる。
古典派経済学では、市場価格は需給関係で変動するが、自然価格は一定である。需要曲線がどのようにシフトしても、生産費によって自然価格は規定される。
資本は、価格が上がったから供給量を増やすのではなく、利潤量や利潤率を基準に供給量を増減したり、他部門に移動したりする。
だから自然価格は供給量や需要量とは無関係に一定である。(まぁ、相対的には影響を受けにくいということでしょう)
労働価値論は、現在の経済学においては異端派である。
しかし、本稿は、今日の経済学の説く価値論に強い疑問を持っている。
実体経済を考慮すると、むしろ、労働価値論や生産費説をベースとした古典派の価値論の方が現実性を持っているのではないか、と考える。
良いですね、この滑り出し。

アダム・スミスの労働価値論は、1776年に刊行された『国富論』に展開されている。
これまでスミス価値論は投下労働と支配労働の関係、価値分解説と価値構成説の関係で混乱しており評価に耐えないとされてきたが、いま、一定の再検討が求められているのではないか。

Ⅱ アダム・スミスの労働価値論 概要
1.重商主義者とスミス 労働価値論の出発点
スミス価値論を理解するためには分業論を知らなくてはならない。スミスはいう。
分業社会では、人々は商人的な性格を帯びる。相互に利己心を刺激つつ、互いに自分の欲するものを獲得する。だから交換は人間の本性に根差しているということができる。
(論旨とは無関係だが、この記載は利己心を人間の本性とする点でほとんどナンセンスだ。利己心は自己防衛本能とはまったく異なる。利他心と同様に歴史的なものだ)
もともと交換には相互需要の不一致という困難がつきまとう。この困難を解決するために、人々に広く受け入れられる商品を手元に保有しておく必要がある。
それが貨幣である。
この場合、手元に置く貨幣は富として蓄えられているわけではない。
それは購買手段として用いるために、一時的に手元で保存された価値なのである。
このあたりちょっと複雑だが、
スミスは重商主義者のように、富(自己目的としての致富)としての価値保存機能を説いているわけではない。
しかし、貨幣が流通手段(交換の道具)として機能するためには、少なくとも一時的には手元に置いておく必要があることを認めている。その限りでは価値保存機能(マインドもふくめて)も残されているといえる。
スミスは貨幣を、商業社会=文明国の普遍的な「商業の道具」と定義する。そこには、貨幣を「富」とする重商主義に対する批判の意味がある。
スミスにとっての富は、貨幣ではなく労働生産物である。
このあと、奥山さんの記載でちょっとわかりにくい一節がある。
スミスはリカードゥから貨幣数量論だとして批判されているが、それは誤解である。貨幣数量論はヒュームの主張したものであり、スミスはこれを批判している。
ヒュームら貨幣数量論者は、中南米から流入する金銀の増加が貨幣量の増加をもたらしたと説くが、スミスは支配労働の下落による貨幣価値の下落が物価を上げた、と説く。
これは何よりも明確な貨幣数量説批判になっている。
貨幣数量論についてはいずれ機会があれば検討することにする。支配労働については後で触れることにして、次に進む。

3.「国富論」第4章での予告的紹介
貨幣を論じた『国富論』第4章は貨幣論であるが、その最後に、第5章以降の価値論がざっと紹介される。
労働生産物の交換には自然のルールがあり、それが商品の相対的価値あるいは交換価値を決定する。こ
の法則の研究が必要だという。
それはマルクスがスミスを乗り越えつつ目指したものでもある。
① スミスの労働価値論における「自然のルール」
スミスは価値を2つの意味に分ける。
第1に使用価値(value in use)であり、第2に交換価値(value in exchange)である。
使用価値とは、使用に際しての有用性(utility)である。
これに対し交換価値というのは、財の所有を譲渡して他の財を購入する力である。
この辺は資本論の最初のところですね。しかし交換価値の規定はなかなか難しい。難しいということは、曖昧さをふくんでいるということにもつながる。
② いわゆる「水とダイヤモンド」問題
水ほど有用なものはないのに交換価値を持たず、ダイヤモンドは使用価値を持たないのに高い交換価値を持つ。
それはなぜか。
ダイヤモンドの美しさが価値を持つのではない。その使用価値が特殊な故に、人々が獲得するための困難を厭わない、ということに裏づけられている。
希少性や審美性は、より多くの労働に裏づけられて、高い価値を持つのである。
宝石は装飾品としてのほかは何の役にも立たない。その「美しさ」と言う値打ちは、その希少性によって、つまり鉱山から取得する時の困難さと費用によって定まる。
この辺はもう少し言い換えてみよう。
希少性について: ダイヤモンドは希少であるが故に価値を持つわけではない。希少であるが故に、より多くの労働に値するから価値を持つ。
審美性について: ダイヤモンドが使用価値を持たない、ということの意味は、衣食住のレベルの人間生活には役に立たない、という意味である。
美しさの持つ使用価値を否定していたわけではない。
この辺は、人間的欲望(の高次化)との関係で語るとより中身が豊富になりそうだ。

4.「国富論」第5章 生産物の価格について
次が第5章の価値論である。ここから少し話が難しくなってくる。
第5章のタイトルは以下の通り
「商品の真の価格と名目価格について、すなわちその労働による価格と貨幣による価格について」
つまり商品の「真の価格」は労働によって決められるが、それが貨幣で示されたのが名目価格ということであろう。
① 労働の量が価格の根本
スミスは生産につぎ込まれた労働の量が価格の根本だと言っているのである。
「世界のすべての富がもともと購買されたのは、金や銀によってではなく、労働によってである。
したがって、労働能力を所有する人が、労働と交換に何か新しいもの(商品)を得ようとする時、彼の労働量は購買できる価値と正確に等しいのである」
スミスはこれで、商品の不変の価値尺度をめぐる論争に確固とした方向性を与えた。
② 労働の多様性をどう処理するか
スミスは労働の多様性についても、時間、強度、難易度などは社会的な平均労働に還元できるとした。それは「市場での交渉や取引」によって、大まかながら調整されるのである。
その根拠となったのが「分業の進展による労働の単純化」である。
ここまではまったくその通りで、すばらしい。
5.投下労働と支配労働
ここから投下労働と支配労働の話が始まる。投下労働についてはまったく問題ないが、支配労働というところからおかしくなってくる。
とにかく読み進もう。
分業の進展により単純化された労働は、商品を生産するのに必要な労働である。これを投下労働という。
「あらゆるものの実質価格は、それを獲得するための労苦である」
俗っぽく言えば、労働の負担(cost)が実質価格(real price)なのである。

スミスの労働にはもう一つのカテゴリーがある。それが支配労働である。
支配労働は、分業と交換の社会において特別な意味を持つという。それは労働に何をもたらすか。
スミスはそれを自分の労働の節約として根拠付ける。なぜなら、労働は苦痛であるばかりではなく、安楽や幸福の放棄でもあるからである。
「彼自身の労働を節約でき、また他人に課すことができる労苦」
とされる。
これはどう考えても不適切なカテゴリーだ。マルクス流にいえば労働ではなく「搾取」だ。
スミスはあらゆるものを「労苦」の成果と考える。ある意味では正しいのだが、言い過ぎだ。
彼は生産手段も原料も地代さえも先人の「労苦」の賜物と考える。だからそれを利用することは他人の労働の成果を「支配」することになるのだ。
ここまで行くと、さすがに常識はずれの「労働」原理主義だ。ただ奥山さんの解説がやや舌足らずになっている可能性もある。
ただ、「労働は苦痛であるばかりではなく、安楽や幸福の放棄でもある」という主張は示唆に富むところがある。おいおい検討しなければならない。
とりあえず、支配労働については保留して先に進む。

6.貨幣がなぜ必要なのか
このようにして購買と販売は、等量労働の交換に帰結する。スミスは労働を「本源的な購買貨幣」と呼ぶ。
それでは、労働という真実尺度があるにもかかわらず、貨幣がなぜ必要なのか。
貨幣という名目尺度が必要となる理由をスミスは次のように説明する。
第1に、「異なる労働の比を尺度するのは困難である」からである。
たしかに労働の交換は理屈では分かるが、社会的平均労働を個別の交換に当てはめるのは難しい。
第2に、商品は労働と交換されるよりは、商品と交換されることが多いこと。
奥山さんは次のようなコメントを加えている。
それに商品や貨幣は手でつかめるわかりやすい対象物であるが、「労働」というのは抽象的概念であり、自然で明白だとは言えないのである。
たしかに常識的には正しいことだ。ただあまりにも常識的というか、皮相な捉え方ではないかとも思える。

Ⅲ 労働価値論と支配労働説
1.価値分解説と価値構成説
いよいよここから価値分解説と価値構成説の問題に入る。
まず、奥山さんによる定義から
価値分解説: 価値分解説とは、商品の価値は労働によって作られ、労働によって作られた価値が、賃金、利潤、地代に分解される、とする見解である。
価値構成説: 価値構成説とは、商品価値は、賃金、利潤、地代の合計によって成り立つ、とする見解である。
見ての通り、基本となるのは価値分解説であり、価値構成説は「逆もまた真なり」という若干安易な論理である。
ただ後の議論では、価値構成ではなく価格構成説となっているので、かなりややこしくなる。

2.「支配労働」概念の挿入
スミスの「国富論」の「第6章 商品の価格の構成部分について」の説明を見てみよう。
まず、初期未開の社会におけるビーバーと鹿の交換事例が例示される。
ビーバーを捕獲するのに鹿を捕獲する際の2倍の労働が費やされるとすれば、1頭のーバーは2頭の鹿と交換される。
この場合、交換に参加した狩人たちの労働は純粋な投下労働である。
次に資本家の登場する世界、すなわち資本主義社会である。
そこでは労働だけが唯一の交換の事情ではなくなる。資本家の監督や指揮が、労働者の労働に付け加えられる。したがって、利潤は労働の量には比例しない。
これに加えて、地代が賃金と利潤に続く第3の構成要素となる。
これが価格構成論である。
価格のさまざまな構成要素のすべての実質的な価値は、それらがおのおの購買あるいは支配することのできる労働量によって測られる
とスミスは述べる。
ここから迷走が始まる。「価値」を構成するのは投下労働ではなく、支配労働だというのである。
支配労働とは何か。
価格の中の労働(投下労働)だけではなく、土地の部分、利潤の部分も労働の結果としてみなければならないということだ。「購買できる労働」というのは設備や原材料のことだ。「支配できる労働」というのは労働者を賃金以上に働かせること、つまり他人の労働の「搾取」だ。
これらの要素も、遡及すれば賃金と利潤と地代に分解されるからだ。

3.スミスのドグマ
これがマルクスの言う「スミスのドグマ」だ。
『資本論』、第2部第3篇第19章第2節「アダム・スミス」にこのことが記載されている。
マルクスは「 v+m のドグマ」と批判している。
(スミスにおいては)生産手段部分が消えて、賃金部分(可変資本 v)と剰余価値(m)だけが商品価格になってしまう
と皮肉っている。(あくまでも皮肉である)
ドグマとは独断ということだが、それなりの根拠を持っているので「原理主義」あるいは「暴走」という方が適当だろう。
スミスはここから支配労働の枠を無限に広げていくわけだが、もともとは、この支配労働と投下労働との差分が利潤になるという理屈を持ち出すための概念だと考えてよいのだろう。
いずれにしてもかなり無理があることは間違いない。
奥山さんは支配労働についてわかりやすく例示している。
例えば、労働者が1日に10時間労働して、10個のパンを作ったとする。この内、労働者は8個のパンを消費すれば1日の生活が成り立つとしよう。
8個のパンの投下労働時間は8時間である。資本家は、8時間労働のパンに相当する賃金で、労働者の10時間の労働を支配したことになる。
10時間から8時間を引いた2時間部分が余剰であり、これが利潤の源泉となる。
このスミス独特の剰余労働論と、その根拠となる支配労働の否定(リカードゥ)のジレンマの中からマルクスの剰余価値論が生まれてきたといえる。

3.価値構成説の問題点
① リカードゥの価値構成説批判
価値構成論の論理の危うさは、リカードゥに厳しく衝かれることになる。それが「賃金・利潤相反説」である。
そもそもリカードゥは支配労働を認めず、労働価値論を投下労働価値説で一貫させた。
その場合、賃金が上がれば、商品の価格が自動的に上がることになる。
価値分解論を正しいとすれば、賃金と利潤と地代のうち地代は不変であるから、賃金が上がれば利潤は減ることになる。
これはつまるところ労働価値論からの乖離ではないか、というのである。
② リカードウの『経済学および課税の原理』
第1章は、「価値について」と題されている。
その第1節のタイトルは、次のようなものである。ずいぶんと長い。
「商品の価値、すなわち、この商品と交換される何か他の商品の分量は、その生産に必要な労働の相対量に依存するのであって、その労働に対して支払われる報酬の多少には依存しない。」
むずかしいが重要な提起である。こういうのが続くと、当方の頭はたちまち豆腐状態になる。
私なりに解説してみる。
報酬というのはスミス風に言えば投下労働であるが、結局これは貨幣化された過去の労働であろう。
報酬の「過去」がどうであっても、この度の生産には関係のない話である。あくまでもこの度の生産に投下された「投下労働」が価値を決めるのだ。
であれば、賃金も利潤も、「労働量によって決定された価値量をどう振り分けるか」という事後の問題でしかない。
賃金や利潤の変化が商品の価値を変えることはないのである。
価格は短期的には別問題だが、長期的には価値法則に従わざるをえないだろう。というのがリカードゥの見解である。
③ マルクスの見解
たしかにこの賃金・利潤相反説は、我々にとって大いなるジレンマである。
マルクスはこれを拡大再生産により切り抜けようとした。
仮に賃金が上がり、商品あたりの利潤率が下がったとしよう。しかしその場合でも、商品の販売量が増えれば利潤量は上がり賃金増をカバーできる。
もちろん販売量が増えなければこの論理は通用しないから、危うさをふくんでいることは間違いない。

Ⅳ 市場価格を規定する自然価格
むずかしい話もいよいよ終わりに近づいた。しかしこれまでの疑問点を足がかりにして理論が積み上げられていくから,ますます話がこんがらがってしまう。
奥山さんはこの章を以下のごとく要約する。
『国富論』の「第7章商品の自然価格と市場価格」の章は、市場価格による商品価格の現実的な動きと、それが収斂する重心としての自然価格が説明されている。
そのあと、いきなりわかりにくい言葉が並ぶ。
スミスは、賃金と利潤と地代のそれぞれに、需給の均衡状態を示す自然率があることを説く。そして、この自然率の合計を商品の自然価格と呼んだ。
しかしスミスの場合、原料や道具などの生産手段の価値は、賃金・利潤・地代に遡及的に解消されるので、この3要素の合計としての自然価格は、費用価格に利潤を加えた生産価格である。
市場価格は、供給量と有効需要の割合によって決まり、日々変動することが説かれる。
まぁ、一つの章を5,6行の文章にまとめること自体がそもそも無理なので、多少のわかりにくさはやむを得ない。「イヤなら原文を読め」と怒られてしまう。
とにかく私なりに読み解いてみよう。
スミスはここに来るまでに、2回危ない橋を渡っている。
最初は労働価値論における「労働原理主義」だ。最初に投下された資本以外はすべて労働の産物だ。だから設備も原材料もすべて労働に算入されてしまう。第二には、それらをひっくるめて「支配労働」という概念に集約してしまう。
その上で、支配労働にくくられた賃金、利潤、地代を今度は分解して、それぞれに価格付け(コスト算定)を行う。その合計が「商品の自然価格」というわけである。
したがって、スミスの言う商品の自然価格は、投下労働を真の労働と考える人にとっては実に奇怪なものとなる。
奥山さんが言うように
この自然価格論は、(結局のところ)いわゆる生産費説であり、ビーバーと鹿の交換事例のような労働価値論とは異なる。
したがって、論理不整合である。
私ならもっと露骨にいう。スミスの自然価格論は労働価値説を騙った、生産コスト=自然価格論でしかない。
せっかく労働価値説を発見しながら、現実の世界に妥協を続けて腰砕けになり、労働価値説の言葉で飾り立てた生産コスト=自然価格論に落ち込んでしまったのだ。


奥山さんの結論

アダム・スミスの労働価値論の思想と論理は、以下のように整理できる。

第1に、スミスにとって最も重要な概念は支配労働にある。
分業と交換の社会では、自分の行った労働そのものではなく、支配労働が価値の尺度になる。

それは、自分が行うべき労働を他人にさせる経済システムである。

第2に、支配労働は、投下労働を前提とした概念である。しかし同時に、投下労働こそが本源的な購買貨幣であり、労働なくして何物も得られないことも自明とされる。

第3に、支配労働は価値の真実の尺度であるが抽象的な概念で、現実の尺度財にはなり得ない。

これに対し貨幣は、それ自身の価値が変動する名目尺度に過ぎないが、多くの人々にとって馴染みやすい自然な尺度である。

第4に、資本の登場によって、資本家は資本量に比例した利潤を求めるようになる。利潤は労働と比例しない要素であるが、価格の構成要素となる。

第5に、こうした社会では、労働は唯一の交換の基準ではなくなる。労働者の付加した価値は、賃金と利潤と地代に分解される。

第6に、スミスにあっては、原料や道具も遡及的に賃金、利潤、地代に分解されるので、自然価格は、いわゆる生産費説(価格=費用価格+平均利潤)

自然価格論は投下労働という意味での労働価値論からの修正(逸脱?)である。

第7に、市場価格は自然価格から乖離するが、需給関係が調整されることによって、市場価格は自然価格に向かって調整される。

私の結論は、目下のところない。難しすぎて、理解も曖昧なので、もうすこし勉強してから。
感想としては、スミスの論理は、少なくとも前半は快調そのもので、非常に勉強になった。
これまでマルクスの独創と思い込んでいたものが、実は(萌芽的にではあるが)スミスによってすべて提示されていることがわかった。
マルクスは古典経済学の創始者としてのアダム・スミスに敬意を払いつつ、その後半の脱線部分を修正し、より首尾一貫としたものにしようと努力した。同時にスミスやリカードゥを投げ捨てたその後の経済学者に対し、その擁護者として立ち向かったということになろうか。

知っている人にはつまらないことでしょうが、私には今まであまりスッキリしていなかったので…

資本論をわかりやすく説明するために、資本というのを資金と言い換えてはどうかなと思ったんです。

「元手」という言葉がある。これは「おカネ」だが、「商売に使えるおカネ」という意味だ。

これがかなり「資本」や「資金」に近い言葉だと思う。

「資」というのはきっと動詞なのだろう。「…に資する」というから「力を与える」みたいな言葉なのかなぁ、それは株であっても預金であっても、換金可能なものだから結局は資金ということになるんではないか、と思ったんですね。

そしたら、全然違っていた。そもそも考え方が全然違っていた。

同じような言葉に「資産」というのがあるが、資本はどうもそちらに近いらしい。

「流動資産」というのに近いらしい。要するに生産の「因」、あるいは「元」をなすものだ。流動しないと「因」にはなれない。

流動資産というのは、資産家がその一部を流動化させているわけだが、それは資産を生産に回そうとしているためである。そうでなければ財産をわざわざ不安定化させる必要はない。

これにたいして「資金」というのは、あくまで、まずもって「カネ」である。流れる力を持つカネと言うより、現に流れているカネそのものである。

というわけで片やストック(資本)であり、片やフロー(資金)である、とも言える。

となんとなくわかった気になるが、「じゃぁ元手というのはどっちなんだい」と聞かれると、たちまちしどろもどろになってしまう。

何かそこには言葉が足りないのである。

「それじゃ、これならどうだ」というのが自己資本という言葉で、会社を経営するのには自己資本と借金が必要だ。両方合わせて運転資金となる。

自己資本というのも変な話で、そもそも他己資本というのはない。それは借金だ。金融機関等からの融資と、有期・有利子の債券発行によるものだ。

つまり、自己資本というのはまさに資本そのものであり、借金であろうと何であろうと、当座自分のために使えるものが資金なのだ、とは考えられないだろうか。

これは貸借対照表の世界になる。資金の方はキャッシュフローの世界になる。

もちろん借金には担保が必要なので、それはいわば固定資産の(書類の上での)強制的な流動化でもある。

株式の話は面倒なので省略。

ということで結論。

① 資本と資金とは違う。

② 資本というのは営利という目的をもつ資産

③ 資金というのは営利のために使えるキャッシュ

③ 資金には自己資本の他に借金もふくまれる。

④ 「元手」は、本人の気持ちとしては自己資本を指すが、客観的には借金もふくめた資金を指している。この気持ちのズレが「連帯保証人」の悲劇を生み出す。

一応、宮川論文は読み終えたが、感想すらも述べることができない。

肝心なことが何一つ分かっていない。

とにかく調べなければならないことが山ほどある。

とりあえずはそれを書き出しておこう。

第8稿について初めて日本で論じたのが、大谷之介さんで、その論文は1984年の発表である。

2014年05月25日 ネットで読める大谷論文一覧 を参照のこと

そして2008年に第2部準備草稿が刊行された。

しかし、大谷さんの論文から30年経った2014年でも、宮川さんの論文を見る限りまだ決着はついていないようだ。


わからない用語集(主にウィキから拾ったもの)

資本の循環 過程論

ウィキでは、資本の循環とは

①資本家が貨幣で商品を購買する購買の段階(これも流通過程)

②資本家が商品を生産する生産過程

③資本家が商品を販売する流通過程

三つの過程を循環するという資本の運動を指す。

と説明されている。

かっこよく書くと次の通り

G(貨幣)─W(商品)…P(生産)…W’─G’

G―W が①、W…P…W' が②、W’―G’ が③に相当する。

うむ、そうか。②と③は問題ないが、①は世間一般から見れば流通過程の一風景ではあっても、資本家にとっては生産過程というか生産準備過程みたいなものだ。

だから①も流通過程だとするウィキの説明は間違い(一面的)なのだ。

これから起業しようとする資本家にとっては会社の看板を掲げた日が創業記念日だ。

「資本論」というのは富の生産を論ずる本なのだから、基本的には資本家の目で論じなければならない。世間(商人)飲めで論じてはいけないのだ。

ただ1回目の投資と再生産の投資とは変わってくるだろうがそのへんはよく分からない。

商品資本の循環図式

別に難しい話ではない。

最初の貨幣の循環過程は①から始まって②,③を経て①に戻る。

これを商品の立場から見ると、まず③から始まり①、②を経て③に戻るだけの話である。

貨幣から始まるのを「形態Ⅰ」、商品から始まるのを「形態Ⅲ」という。生産からだと「形態Ⅱ」ということになる。

ただし詳しく話せば大変なようだ。なぜならそこには生産と次の生産のあいだの継ぎ目部分(生産物と生産物の交換)がふくまれているからだ。

その継ぎ目部分を説明するために、第2部第三章が「商品資本の循環」(形態Ⅲ)にあてられている。

いずれにしてもここまでは「言葉」だけだ。

結局言いたいのは、生産品が別の生産品と交換されそれが生産資本となる「継ぎ目」となるゆえに出てくる特徴だ。

それは①一般流通過程(総流通)の中で、②貨幣(非資本財)を仲立ちとして、③一般的(消費的)売買と混在しながら、④商品対商品として、すなわち剰余価値をふくむものとして相対する。

これを全体として見れば、流通過程が再生産過程の媒介として機能していることになる。


「貨幣=ヴェール」観

この見出しはウィキにはない。

コトバンクに世界大百科事典からの引用がある。

A.スミスからリカードへと,価値論にもとづく分配論の体系化が進むにつれて,貨幣に関する議論は経済システムにとって本質的でないような扱いとなった。

貨幣は単に実物の交換取引を容易にするための手段であり、雇用や生産、消費などの経済行動に影響を与えることはないとされた。

そして実体経済をおおうベールのようなものにすぎないということになった。これを「貨幣ヴェール観」と呼ぶ。(世界大百科事典)

これではさっぱりわからない。

同じコトバンクの「貨幣ベール説」には、以下の説明がある。

貨幣は実物経済のうえにかけたベールのようなものにすぎず,実物経済の動きを円滑にはするが,その本質にはなんの影響を与えるものでもない。

経済現象の本質を明らかにするには貨幣というベールを取去って,実物経済それ自体を分析しなければならないという考え方。

貴金属ないし貨幣こそが富と考えた重商主義に対する反動の強かった古典学派の時代からケインズ革命にいたる頃まで有力な貨幣説であった。 

何という分かりやすい解説! vもmも使わなくても、ちゃんと説明できるのだ。ブリタニカ国際大百科事典からの引用だそうだ。

これはについてはマルクスもその通り考えていたと思う。

そこまで言いながら、貨幣資本が生産資本となっていく「変態」の場面では、実物経済学者たちが貨幣と流通過程にしばられてしまっているという矛盾も、浮き彫りになってくる。

スミスのドグマ

この言葉はウィキにもコトバンクにも出てこない。経済学一般に知られた言葉ではなく、資本論研究者のあいだの「業界用語」のようだ。

宮川さんがアダム・スミスのドグマというのには価値「分解」説と価格「構成」説がふくまれているようだ。

このうち価格構成説については当初よりマルクスは批判的であるが、価値「分解」説については第8稿で初めて克服できたというのが宮川論文のキモである。

これによって初めて再生産論が十全なものとなったということらしいが、いま考えると、とんでもない論文を読んでしまったことになる。


その他、宮川論文には

循環-再生産論

資本循環と一般的商品流通との重層性

生産物の“転態

可変資本-労賃関係把握

個人的消費の循環

貨幣還流法則

資本-収入の相互転化とその把握

資本の費消

などの「術語」が並んでいるが、ネットでこれらの言葉を探すのは困難であり、言葉として熟しているとは言い難い。

業界内部の言葉を「常識」のごとく使われるのには参る。しかしそもそも出処が「業界誌」なのだから文句を言っても仕方ないか。

とりあえず、宮川論文はこれで一旦おしまい。


Ⅳ どこからマルクスの考えが変わったか

やっと最終章までたどり着いた。

「拡大された視野」への転換時点はテキスト文脈上どこであろうか? というようなことだから、ここはあまり難しい話はなさそうだ。

1.旧来の認識層から「分水嶺」へ

文学的な標題だが、「どこから変わり始めたか」という話らしい。

宮川さんはここだと断定している。

第8稿第3篇第19章第2節「アダム・スミス」の4項「A.スミスによる資本と収入」の記述が終わったところ。そして「5.総括」が始まる時点。

ここでマルクスはこう書いている。

ばかげた」価格「構成」説が「よりもっともらしい」価値「分解」説定式から生まれてくる。しかしこの価値「分解」説もまた誤りである。

これを宮川さんは以下のごとく解説する。

価値分解説というのは(生産物の)交換価値のうち、成分 v を労賃に「分解」する操作そのものである。

これがよく分からない。たしかにいきなり労賃が出てくるのはおかしいといえばおかしい。貨幣資本は剰余価値を生む商品である労働力商品と交換されたのであり、貨幣資本という資本形態が労働力という資本形態に“変態”されたのである。

ただ現象的にはたいした違いはなさそうだが…

とにかく、宮川さんは第3篇第19章第2節の第4項と第5項の間に明確な切断面があると強調する。

第19章第2節の「1.」〜「4.」までは,第1稿以来踏襲されてきた価値「分解」説の受容もしくは留保的立場に止まっていた。

しかし同節「5.総括」にいたると,評価の決定的転換が起こる。そして価値「分解」説および資本-収入転化命題にたいする踏み込んだ批判がくだされる。

果たしてこの「分水嶺」がどれほどまでに重要なものなのか、このへんはとりあえず宮川さんの意見を拝聴する他ない。

2 線分分割の比喩

3 編集手入れによる異なった認識層の混交

このあと、エンゲルスの編集がいかにこの切断面を覆い隠したが語られるが、ややこしい話なので省略する。


まとめに代えて

ここから宮川さんはかなり大胆な議論を始める。

ここまでの議論にまったく同感というわけではなので、と言うより良く理解できていないので、御説拝聴にとどまるが。

A. 第8稿は古典派スミス・ドグマ再生産論に対する反逆であり、マルクス独自の再生産論樹立の歩みである

つまり、第8稿以前の再生産論は第8稿に照らし合わせて再構築しなければならないということである。

B. 1861-63年草稿は、ケネー経済表研究とスミス・ドグマ(v+m)の批判的摂取を中核としていた。

C. 資本論第1部刊行のあと着手された第2稿 (1868 - 70 年)では、第1稿の考察を継承しつつ再生産過程の把握を試みた。

それはスミス・ドグマの枠組みに制約されていた。すなわち

①消費手段部門から始まる社会の3大取引

②貨幣ヴェール観に基づく貨幣還流運動で締め括る構想

③それを支える資本-収入転化把握および価値「分解」説の受容と適用

がそれである。

D. 第5稿〜第7稿 (1876 - 1878年) では、第1篇資本循環論の彫琢と仕上げがなされた。

これは古典派スミス・ドグマ再生産論への反逆の準備であった。

資本循環と一般的流通との連繫が「同時重層的」関係として確定された。

これにより貨幣資本や商品資本をめぐる貨幣・商品機能と資本性格とのあいだの区別・関連づけが明瞭になった。

この宮川論文でもっとも力を入れているところである。同時にもっとも難解な部分である。

あらためて読み直してみても核心は良くわからず、挑戦的で無内容な形容詞だけが踊る。

E. 宮川さんの最終的結論ということになるが、スミス・ドグマの否定は第5稿〜第7稿における資本循環論の仕上げと,第8稿における価値「分解」説の決定的払拭という三段跳びでなし遂げれられた。

ただこの論文では、第5稿〜第7稿で資本循環論をゴシゴシやった理由とか、きっかけについては触れられていない。

最後に宮川さんはいろいろな理由を上げて、“混乱の責任を編集者エンゲルスに負わすことはできない”としているが、内容的には間違いなくエンゲルスに負わせている。


Ⅲ 資本循環論の仕上げ

1. 資本-収入転化関係の論点化

2.マルクスの資本-収入転化論への取り組み

3.貨幣を資本にするもの

4.貨幣を資本にするもの 宮川さんの説明

ここまでが前回記事。今回はⅢ章の後半部分。

5.第2稿の再生産論 その限界と混迷

次に第2稿の「再生産論」についての記述だ。

再生産論は資本-収入転化関係論から導き出されるらしい。したがって資本-収入転化関係論が誤っていれば、その誤りが再生産論にも持ち込まれることになる。
ところで、「資本-収入転化関係論」というのが分からない。しかしそこが分かっていないと、この先の議論はさっぱり見えなくなってしまう。
これについての説明はないのだが、前後の文脈から判断すると、資本家が貨幣資本を使って生産のための仕込みを行う過程のようだ。平ったくいえば労働者を雇い、原材料を揃えることだ。
これは購買活動であり流通過程の一部だ。それと同時に生産と次の生産の継ぎ目だ。これがないとピストンの上下運動は回転運動にならない。
ここは資本論の要諦をなすところだけに非常に難しいが、なんとかかじりついていこう。


宮川さんは、第1稿の再生産論にふくまれる問題(誤り)を次の二つにまとめている。

(a)「資本の費消」という不条理きわまる表記

(b)固定vs流動状態という機械的対立での資本・収入規定の認識

まず「資本の費消」について

第2稿第1章では、資本循環について触れられる。ここでマルクスは、資本循環G-Wが一般的商品流通と「絡み合う」ことを明らかにする。

これに続く第2,3章では,流通手段についていくつかの規定をおこなう。そこでは第1稿を引き継いで、スミスらの資本-収入転化把握を受け入れる。

その結果,以下にみるようにひどい混迷に陥った。

「貸し前された£5000の資本は,消費されている。それはもはや実存しない」(第2稿第2章) 

「可変資本として前貸しされた貨幣資本は、労働者たちによって収入の流通手段として投じられる」(第2稿第3章)

つまり資本が転化するところの労賃収入によって、(資本が)費消ないし消尽されてなくなる

ということである。

貨幣形態の固定vs流動状態という機械的対立 について

「貨幣はそれが流通するあいだには機能しつつある流通手段でしかない。貨幣がそれ以外の機能を発揮するのは貨幣が流通していない期間のみである」(第2稿第3章)

宮川さんはこの記述を以下のように批評する。

資本・収入規定と流通手段とが,固定と流動状態という排他的な対立関連で捉えられてしまった。

貨幣通流の感性的動きにとらわれた偏った一面的理解というほかない。

分かるような気もするが、今ひとつスッキリしない説明である。もう少し単純に言えるのではないか。つまり仕入れ活動により貨幣資本は非貨幣資本(労働力商品をふくむ商品資本)に姿を変える。しかし非貨幣資本といえども購入された商品であり、商品としての流動性は持っている。
だから資本(貨幣資本をふくむ)において流動性で分類するのは間違いである。本質的な特徴は、再生産過程においては過去の生産物が資本であるということであろう。
どう表現すればよいのかは、またあとで説明があるだろう。

宮川さんはこれらの誤ちがどこに起因し、どう修正しなければならないかを下記のごとく述べる。

その克服には,古典派の貨幣ヴェール観を払拭し循環-再生産論の視点からの再構成が求められる。

しかしこれが分からない。

貨幣ヴェール観とは何か、循環-再生産論とは何か、「再生産論」一般とどこが違うのか…

宮川さんはさらに言葉を続けるが、ほとんどおまじないにしか聞こえない。

社会の諸資本の種々な規定(不変資本・可変資本,流動資本・固定資本,貨幣資本・商品資本,また貨幣の種々な諸機能など)での独自な自立的循環過程が相互に絡み合い条件付け合いつつどのように進行するか,ならびにこれと絡み合いこれを条件づける収入循環がどのように成就されるか,これらを明らかにする課題が,浮上する。

なんとか読み解くと、再生産論の主題としては

①社会の諸資本の独自な自立的循環過程の全体像

②諸資本の循環過程を規定するものとしての、不変資本・可変資本,流動資本・固定資本,貨幣資本・商品資本,また貨幣の種々な諸機能など

③諸資本の絡み合いと条件付け合い

④資本循環過程への収入循環の関与

などがあげられるらしいが…

たしかに、ここまで行くとこの論文の主題ではないな。

6.資本循環論 第5稿〜第7稿での3つの到達

第1,第2稿での資本循環論の誤りがどう克服されていったか。それがこの説では取り上げられる。

A) 貨幣と貨幣資本との取り違え錯誤の批判

マルクスは資本循環と一般的商品流通とのあいだにある重層性を把握した。

これによって,「貨幣資本」を構成する成分,すなわち「貨幣」と「資本」という二つの要素が、それぞれ独自の性格を持つことが明確に区別された。

そのことから、二つの要素を有機的に関連づけることが可能になったという。そう言われても分からない。

「貨幣機能を資本機能に転化することができるのは,この〔資本・賃労働の階級〕関係の定在である」(第7稿)

宮川さんはこう説明する。

これにより、「貨幣資本」にまつわる「二つの誤解」、すなわち貨幣機能を資本性格に起因させ,またはその逆に資本性格を貨幣機能に由来させる誤りが明らかにされた。

私ならこう書く。

賃労働と資本という社会関係が発生し、この中で貨幣に流通手段だけでなく、価値生み機能という「使用価値」が与えられた。

価値生みの働き(資本契機)をになう限りにおいて、貨幣は貨幣資本となる。(ただしこの表現が正確かどうかは保証の限りではない)

B) 商品資本循環図式の確立

資本と商品流通とを重層的に把握すると,それによって資本循環と個人的消費との絡み合いを適切に組み入れることが可能となる。

重層的、重層的というがどうやれば重層的把握になるのかが明らかにされない。

商品資本循環とは:

商品資本W’が再生産的消費および個人的消費の契機をみいだすことから出発する。

この循環図式においては、商品資本循環を社会的な総資本の運動形態として考察するよう求められる。

ここまではよいがその後のセンテンスが分からない。


こうして形態III (商品資本循環図式)が社会的再生産の考察のための唯一の図式として確定された。

説明はこれで終わりである。

C) 貨幣還流法則の成立

資本循環理解の前進によって貨幣還流運動が法則としてつかみ出された。

ふーん、そうですか

ケネーやマルクス自身の「経済表」の考察の際には,形態的循環を表す還流と通流で描かれる還流とが即自的に一体をなしていたのに対して,資本・収入の形態的循環とそれらを媒介する貨幣の通流運動とが再配置される。

ふーん、そうですか

出発点への貨幣の還流運動は,第8稿第3篇においてはじめて「法則」として示される。

「商品流通の正常な経過のもとでは,流通に貨幣を前貸しする商品生産者の手もとに貨幣が帰ってくる」(第8稿)

これが一般的法則である。

とうことは、資本家は労賃、設備・光熱費、原材料費に加えて、流通にも貨幣を前貸ししているということになるのかな。

ここでは,貨幣の通流が形態的復帰とは切り離された上で,商品流通の正常経過の反映としての貨幣の形態的復帰=還流法則が,単純な商品流通場裏に復元,定着させられている。

再生産過程では,社会的取引の大流れの枠組み(閉鎖体系)のもとで,階級間を媒介する貨幣個片の通流が貨幣の出発点への復帰として,すなわち貨幣還流を描いて現れるという関係として,明確に把握されるのである。

ここもさっぱりわからない。かなり宮川さん、すっ飛ばしている。ほとんど見出しだけの文章だ。まぁ、あとで説明があるのかもしれない。とにかくついていこう。

以上のごとく資本循環論の確立の諸指標を紹介した。

これまでの資本の循環運動は貨幣流通を媒介とせざるを得ない、したがって貨幣流通量に規定されざるをえなかった。

しかし第8稿で示された資本循環論は,このような制約から解き放たれた。

新しい資本循環論は、自立した循環運動としての資本循環の意義と地位を確定した。

これをもって、資本循環論は「再生産論」の範疇の中にしっかりと据えられることになった,

…なんだそうです。

7. 再生産論を資本循環論で基礎づけることの意義

まだこの節は続くのだが、「資本循環論の確立の3つの指標」についての説明が終わったので、新たに節を起こす。

さっぱりわからなかったが、とにかく新たな資本循環論は3つの発見によって完成した。

それでこの資本循環論を使うと再生産論がいかにスッキリするかという話に入る。

まずはマルクスの少々長い引用から。

「生産物の“転態”は生産物の流通を意味する。この流通は、同時に資本の再生産を包括する。

資本の再生産は不変資本、可変資本、固定資本、流動資本、貨幣資本、商品資本への資本の再形成をも包括する。

この生産物の“転態”は、たんなる商品の売買(貨幣による)を前提とはしていない。

重農主義者たちとアダム・スミス以来の自由貿易学派は、商品と商品との転態だけが資本の再生産の前提だとしたが、決してそれにとどまるものではないのである」(第8稿)

このへんでおぼろげながら見えてきたのは、生産物は商品ではないということ、生産物が資本になるためには貨幣を直接の仲立ちとする必要はないということである。

生産物の“転態”といえば、“W’-G”ということになる。ただし資本主義の初期であればW’は商品であり、Gは貨幣ないし貨幣資本ということになっていたのだが、今やその枠に収まるものではなくなった。

だから、再生産と資本の回転の立場から見れば、W’はあくまでも生産物であり、Gは資本ということになる。

“転態”は売買や貨幣が介在してもいいが、なくても十分やっていける。貨幣資本という形態を介在させる必要はないのである。

肝心なことはどういう経路をとったとしても、生産物が最終的に資本になればいい。あえていえば“W'-W"”である。

それでは貨幣資本はどうやって獲得するか、とりあえずであれば蓄蔵貨幣を動員したり、信用を利用するなどいくらでも方法はある。

これらは再生産過程の繰り返しの中では、半ば自明のことであるが、資本循環そのものを単独で取り扱う場合には見過ごされる可能性がある。

その結果、宮川さんの言葉によれば、

資本循環の運動がまさに流通手段(貨幣媒介)や他の資本循環・収入規定などとの絡み合いの関連として問われるときに,これまでの資本循環論の認識の不備や未熟があらわになる。

ということになる。

ということでよろしいでしょうか。
それにしてもマルクスの原文より解説文のほうが難しいというのも困ったものだ。

Ⅲ 資本循環論の仕上げ

例によって、宮川さんの本文に入る前に、私の感想を入れておく。

もう一度、第1稿~第8稿までの執筆年代表を載せる。

第1稿

1864~65年執筆

第2稿

1868~70年執筆

第3稿

1868年執筆

第4稿

1868年執筆

第5稿

1876~80年執筆

第6稿

1876~80年執筆

第7稿

1876~80年執筆

第8稿

1877~81年執筆

執筆時期は3期に分かれている。

第1稿は第2部、第3部をふくみ、資本論第1部の刊行前にすでに書き終えている。

第1部の刊行後に、第2部、第3部の清書稿に取り掛かったものと思われる。

ところが2,3,4稿と修正を加えているうちに、部分的修正では追いつかないことに気づいた。

そこから10年間、資本論には手を加えていない。かなり悪戦苦闘したのであろう。あるいは第1インタナショナルの実践活動のほうが多忙であったのかもしれない。

とにかく、76年になってようやく執筆を再開した。それから5年後、マルクスは資本論を未完成のままこの世を去ることになる。

おそらく、本心では第1部でさえ改訂したかったに違いない。

ということで、宮川さんの本文に戻る。ここでは第5稿〜第7稿(1876 - 1880 年があつかわれる。

この章の見出しを「資本循環論の仕上げ」としたが、もともとの題は「資本循環論の仕上げと貨幣ヴェール観の脱却」となっている。

おそらく、貨幣ヴェール観からの脱却が不十分だったから、貨幣循環論に混乱があったということだろう。

そして古典派の資本-収入転化把握と決別したから、貨幣ヴェール観からの脱却が可能となった(ここは逆かもしれない)

その結果、正しい資本循環論が仕上げられた、と宮川さんは判断したから、このような表題を付けたのではないかと想像する。

まず本論の前に前フリがある。

1870年代後半に,マルクスは最終第8稿に先立ってあるいは並行しながら,第5稿〜第7稿に取り組んだ。

これは第2部第1篇 「資本循環論」の改訂稿に相当する。

ここはマルクス循環-再生産論形成史をみるうえで核心的論点であるから,立ち入ってみておく。

ということで、議論はここからいよいよ本題に入るようだ。思わずゾッとする。ここまででも十分ごちそうさまなのに…

1. 資本-収入転化関係の論点化

まず、読者を怖気づかせるさまざまな脅し文句が並ぶ。

資本-収入転化把握こそは,諸成分の「構成」または「分解」の連関の「経済学」表現にほかならない。

ドグマ命題は古典派の価値論である。

それは同時に,資本(・収入)の循環-再生産論,収入分配論でもある。

それは経済学上もっとも解けがたく輻輳した難問をかたちづくってきたのである。

2.マルクスの資本-収入転化論への取り組み

宮川さんの原文にはないが1節を起こす。

マルクスは早くからこの問題に取り組んできた。

① 1857-58年「経済学批判要綱」

「要綱」においては、それは流動資本の考察の文脈で、再生産の連関問題として登場する。

マルクスは賃金=「給養品」説をもとに、「可変資本と労賃との循環」として考察した。

ここでのマルクスはまさに俗流経済学者そのものである。

② 1861-63年 『剰余価値学説史』

「資本と収入との交換」の分析(ノートIX)において資本と労賃の相互関係についてコメントされている。

「労賃が同時に資本家の流通資本部分として現れる」問題は、蓄積とならぶ「なお解決すべき問題」として留意されている。

③ 資本論草稿の第1,第2稿

これについては前述のごとし

宮川さんはこう述懐している。

このように,マルクスは「経済学批判」研究の始めから晩年とくに最晩年の資本循環-再生産論の仕上げ局面にいたるまで,これらの諸命題につきまとわれそしてそれと格闘し続けた,といって過言でなかろう。

3.貨幣を資本にするもの

これまで、価値分解論と資本-収入転化論との関係が不明なまま進んできたが、どうやらここで解明されそうな雰囲気だ。

そのキーワードが「資本循環の重層的関係」ということらしい。また分からない言葉が出てきた。

第7稿では、まず貨幣資本循環の第1段階(G-W)が解明される。

商品流通の第一過程は、簡単に言えば貨幣資本の生産資本への転化である。

より一般的にいえば、貨幣形態から生産的形態への資本価値の転化である。

それは同時に,資本の自立的循環過程にいたる段階でもある。

貨幣機能を資本機能にするものは,資本の運動のなかでの貨幣機能の一定の役割である。

マルクス独特の持って回った言い方だが、貨幣が資本になるのは貨幣そのものが力を持っているからではない、ということだろうな。

貨幣は自動的に資本になることはできず、資本の運動のなかで他の諸因子と複合して資本になるということだろう。

私が考えるには、これはマルクスが第1部の冒頭で展開した使用価値と交換価値の関係と同じ論理(弁証法)だろうと思う。

厳密に言えば弁証法的論理の特殊形式としての「二項対立」の弁証法である。弁証法のより根本的な原理はエネルギーと存在(定在)との矛盾、時間軸の絶対性と相対性(発展性)との矛盾にある

商品は流通過程においては交換価値として現れ、生産・生活過程では使用価値として現れる。

それはまず使用価値(グッズ)として現れ、のちに交換価値の衣を身にまとう。

同じように貨幣は流通過程では裏返しの交換価値として現れ、生産・生活の場面では価値生み過程の触媒として現れる。

貨幣は商品と鏡像関係にあり、鏡の国の商品として捉えられる。

それはまず交換価値として現れ、ついで使用価値(価値増殖機能)を身にまとう。それは資本主義的社会関係の中で付与された「具体的有用性」である。

それは逆説的な裏返しの弁証法的関係なのだろう。

このような論理建てが、ある日マルクスの頭にひらめいたのではないだろうか。

ただその時のマルクスには、「そうだ、貨幣の二面性は商品の二面性と同じなんだ」というところまで得心できていない気もする。

4.貨幣を資本にするもの 宮川さんの説明

と私は読んだが、宮川さんは次のように説明する。

このように一般的商品流通と資本循環とのあいだの関連が,同一の過程をめぐる二つの形態の重層的な関係として概括された。

というから、さあ分からない。

「二つの形態の重層的な 関係」と端折ったが、宮川さんはここのところをもっと御大層な言い方で表現している。

異なった形態規定性の―並列的でもなく継起的でもない―同時重層的な( zugleich oder gleichzeitig ) 関係

これだけ並べられると、分かるものまで分からなくなってしまう。

ただ宮川さんの記述は有力な示唆を提供してくれてはいると思う。

このあと、宮川さんの記述はいっそう難解になる。私の評価基準として、記述が難解なところは筆者がよく理解していないところ、というのがある。

だいたいマルクスがそうだ。「要綱」を読んでいてわからないところは、だいたいマルクスが解答を求めようとして悪戦苦闘しているところだ。

と言いつつ、本文に戻ろう。

(こうして)資本の独自な自立的循環と,単純な規定での商品循環とのあいだの,区別と関連づけを見通す道が切り開かれた。

以下、いささか文学的な表現が連ねられる。

感性的な商品交換のもとで、それに担われつつ「同時に」資本独自の自立的な超感性的 循環(変態)を遂行する過程

流通手段(または商品の持ち手転換)を仲立ちとした資本と収入とのそれぞれ独自の循環諸規定が絡み合って進行するという相互依存関係…

これは,古典派の感性的な交換観 ではけっして 把捉されえなかったし,貨幣通流に偏った貨幣ヴェール観では一面的に歪めてみることしかできなかった 関係である。

こうした資本循環の理解の前進によって,資本-収入転化関係に感性的にまとわりついていた 資本循環と商品流通との諸環が解きほぐされ,それらの再構成が可能になる,つまりは資本-収入転化把握からの脱却に,見通しがつくのである。

まぁ、たしかにそういうことでしょうが、これで反対派が説得しうるかどうかは別の話でしょう。


Ⅱ 「価格構成説」評価の転換の真相

あらかじめ断っておく。私は宮川さんの言う「スミスドグマ」を「価格構成説」と置き換えている。

この置き換えがただしいかどうかは分からない。

いちおう、スミスドグマというのを価値分解説→“その逆は逆”という論理→価格構成説という筋立てだと理解して、この論理全体を「価格構成説」と勝手読みしただけである。この読みが正しいか間違っているかは、読み進みながら検討していきたい。

本文に入ろう。

現行版の第2部では、価値「分解」説が厳しく批判されている。ところが第3部ではその原理が受容擁護されている。

だから、『資本論』を順次読みすすめると,第2部で「誤り」と批判されていた命題が,第3部では「正しい」と唐突によみがえることになる。

この不整合は,マルクスの理論発展史をたどることによって氷解する。

1.「価格構成説」評価の転換はいかに起こったか

『資本論』第3部の材料となったのは、1865年執筆の第1稿である。

ここでマルクスは俗流収入論への誘因となった価格「構成」説を徹底批判して退けた。

その一方で,価値「分解」説を「まったく正しい」と評価して積極的に受け入れた。

そして「分解」説を「構成」説批判の後ろ楯として利用した。

しかし、15年後執筆された第8稿では,「分解」説もまた誤りである、という結論に達した。

そして価値分解説と価格構成説からなる「資本-収入転化」論の全体を否定した。

なぜなら、「商品価値は,それ以上のものには分解されず,それ以外のものから成り立ちはしない」からである。

その真意については後ほど触れるそうなので、わからないままで進むことにする。

2.マルクスの評価転換の実証

しばらく理解しがたい言葉が並ぶので自分なりに読み下す。

スミス古典派をはじめ従来の経済学(J.B.セー,シスモンディ,プルードンら)は,資本と労賃収入とのあいだの関連づけをめぐって、共通する理解を示した。

それを宮川さんは「資本-収入転化命題」と呼んでいる。言葉なのでどうでもよいのだが…

その特徴は、「分配関連の貨幣媒介現象を皮相的に写し取ったにすぎない」のだそうだ。

ある者にとって収入であるものは他の者にとっては資本であるという考えは,部分的には正しいが,一般的に提起されるやいなや,まったくの誤りとなる。(第8稿)

のだそうだが、その理由はここでは触れられていない。

このあと論旨が少し跳んでいるが、マルクスは当初、この「資本-収入転化把握」を受け入れている。

宮川さんは、その証拠として

第3部第7篇草稿(すなわち1864~65年執筆の第1稿)で、「資本-収入転化把握」の受容を表出した章句が17箇所みとめられる。

第2稿(第2部第2篇)でも同様の所見が認められる。

と数えている。えらいものだ。

第8稿での批判は、先に引用した如し。

3.エンゲルスによる混乱の助長

また私の感想から入る。

考えてみれば、第1稿をそのまま第2部、第3部にして発刊してしまえばよかったのだ。

そのうえで、「第2部については後年このように書き直している」と断った上で、補巻として発表すべきだったのだ。断絶があるかないかは読んだ人が判断すればよい。

そうすれば、第8稿の線に沿っていずれ第3部も書き直されるはずだっただろうと、誰しも理解できる。

そしてそのことを念頭に置きながら第3部を読み込むことになっただろう。

ということで本文に戻る。

まずは第3篇第19章「対象についての従来の叙述」

ここでなにかエンゲルスは細工をして、古いテキストの中に第8稿を入れこんだり、順序を変えたりしているらしい。

その結果,異なる認識水準層の章句が入れまじり、ジグザグにまだら模様に叙述文脈を形づくることになってしまった。

そしてその後に宮川さんの中間結論が述べられる。

かたちを顕してくるのは,

① 第8稿冒頭まで払拭できずに受け入れてきた古典派の「資本-収入転化把握」との決別であり、

② その批判による価値「分解」説の終局的批判である。

こうしてマルクスは価格「構成」説だけでなく、それを「もっともらしく」支えている価値「分解」説の誤りをも摘出した。

そして価値-再生産論の認識の新しい「拡大した視野」を切り開いた。

ただしこの最後の段落でいう「拡大した視野」は目下不分明である。


宮川 彰 『資本論』第2部について―スミス・ドグマ批判によるマルクス再生産論の形成  2014年

の読書ノート

Japan Sciety of Political Economy の特集論文である。

はじめに

MEGA第Ⅱ部第11巻が2008年に刊行された。ここには第2部準備草稿がふくまれる。

ついで第4.3巻が2012年に刊行された。

これにより未公表だったマルクスの最晩年の資本論 準備草稿が出揃った。

これにより。第2部をめぐる議論が再燃して いる。

本稿では課題を 限定して,『資本論』第2部形成史に絞り込む。

断続説と継承説

マルクスは晩年の十数年間、第2巻に関連して1868-1881年の第2稿から最終第8稿にいたる諸草稿を書き連ねた。

これらの草稿の相互関連については、「断絶・飛躍」ととるか「継承・拡充」ととるかで多くの議論がある。

最初の火付け役は大谷禎之介であった。彼は当該メガ巻 の編集分担責任者であった。

彼は11巻の『解題』を共同執筆しただけでなく、独自の視点で『資本論』第2部仕上げのための苦闘の軌跡―メガ第II部門第11巻の刊行によせて―』(2009)を発表した。

大谷は

① 2巻補筆の契機は資本循環論もし くは可変資本-労賃関係把握の仕上げであった

② その際、「貨幣=ヴェール」観に基づく貨幣媒介の組入れ処置の克服が課題となった。

③ 資本循環は個人的消費の循環と絡み合い条件づけ合いつつ、独自の自立的循環=再生産過程を繰りひろげるのだが、それはいかにして達成されるのか

が主要な問題意識となったと言う。

そしてその考察の過程で、第2稿から第8稿(再生産論)への飛躍があったと考える。

これは宮川彰、伊藤武ら形成史学者と意見を同じくするものである。

これに対して谷野勝明は「再生産論形成をめぐる諸問題について―第2稿・ 第8稿断絶説批判―」(2011)を発表し、包括的な批判を行った。

その主要な論点は

① 資本-収入の絡み合いの分析が変わっていない

② 再生産論分析基準・貨幣媒介の捉え方に抜 本的な前進がない

③ 第2稿第三章「再生産の実態的諸条件」と第8稿第三章『社会的総資本の再生産と流通」とを比較すると、再生産論の課題の転換があったとはいえない。

以上より、第2稿 から第8稿への連続継承性が存在すると主張した。

この意見には水谷謙治、早川啓造、富塚良三らが賛同している。

 

Ⅰ 問題の所在

1.エンゲルスの編集者「序言」

『資本論』第2部と第3部の材料は,第1稿から第8稿まで8つの草稿である。
 

第1稿

1864~65年執筆

第2稿

1868~70年執筆

第3稿

1868 年執筆

第4稿

1868 年執筆

第5稿

1876~80年執筆

第6稿

1876~80年執筆

第7稿

1876~80年執筆

第8稿

1877~81年執筆

エンゲルスはこの草稿を次のように割り振った。

第2部

第1篇(資本循環) 第4稿と第5,6,7稿

第2篇 第 4 稿と第 2 稿

第3篇(再生産) 第2稿と第8稿

「編集者」エンゲルスは次のように語る

「第3篇は,マルクスにはどうしても書き直しが必要 だと思われた」

そのことを知っているので第8稿を主体としたのである。エンゲルスは、諸知見の吸収があまりにも膨大で、未消化に終わっており、そのために理論展開に齟齬が発生していることを告白している。

2.資本論第2部と第3部との矛盾と不整合

齟齬の理由は執筆年代を見れば明らかである。第2部が書かれたのは3つの時期に分かれる。

第1稿は1864~65年執筆に執筆されている。第1部が書き終わり、自動的に第2部の執筆に入ったのであろう。

1867年に資本論第1部が出版され、いよいよ本格的な執筆に入ったのが68年から70年にかけての第2~4稿であろう。

ところが順調に行っていたはずの第2部出版は突如ストップする。

おそらく、並行して進められていた第3部の執筆が壁にぶち当たり、そこを突破するには第2部から書き直す必要に迫られたためであろう。

いろいろ考えて、第2部から書き直さないと第3部は書けないと悟ったマルクスは、第2部の書き直しに着手する。それが第5~第8稿の草稿となる。

と、ここまでは私の説明。ここから宮川さんの文章に戻る。

3.アダム・スミスの価格「構成」説の否定がきっかけ

宮川さんによれば、流通過程に関するマルクスの考えが転換したのは、スミスの価格「構成」説に対する評価が変わったためである。

この先の話は難しすぎて理解困難であるが、宮川さんの文章を引用しておく。

マルクスは(当初)「スミスのドグマ」をスミス言説に忠実に以下のように定式化した。

「すべての商品の,したがってまた年々の商品生産物の価格は,労賃,利潤,および地代という三つの成分から構成され,またそれら三つの成分に分解される」

しかしマルクスは第8稿において、価値「分解」説は容認するが価格「構成」説は批判している。(らしい)

さらにマルクスは、以下のごとくスミスを批判する。

スミスの価格「構成」説は現象皮相的で 不合理である。 これにくらべて価値「分解」説は“より、もっともらしい”。

スミスの価格「構成」説は価値「分解」説に由来しているが、導出の方法は「その逆は逆」という古典派の「決まり文句」に過ぎない。

これを「資本-収入相互転化」の関係といい、最終的な古典派批判の仕上げの要をなしている。

宮川さんによれば、

マルクスは第1稿および第2稿では価値「分解」説と資本-収入転化把握とを受け入れたが,第8稿では,「まったく誤りである」,とそれを批判した。

そして、この最初の受容と、のちの否定が第2部形成史の歩みの軸線をかたちづくっている。

とし、彼が「断絶」説に立つ所以としている。

「おぉ、大変だ!」とため息が出る。

続きは明日。


資本論第三巻第9章はえらく難しい。えらく難しいというのは記述が難しいだけでなく、そもそもそう言えるかどうかが未確定だからである。結論としては、

社会のすべての生産部門を総体としてみると、生産された諸商品の生産価格の総計は、諸商品の価値の総計に等しい

ということになる。

ただこの断言は、実のところ確証されているとは言い難い。あまりにも多くの変数がありすぎる。

これに流通費・金利などさまざまな費用が上乗せされた上で売買価格になるのだが、剰余価値の視点で大づかみにいえばそう言っても間違いないのかもしれない。

ただ私にはマルクスが重要な事項を忘れているように思える。それは労働者が消費者として立ち現れるまでの時差である。

労働者は原則として前もって賃金を受け取る。そして生産過程に入るのだが、生産過程を送るあいだも労働者は生活過程において消費している。

この消費過程において労働者は発展し、より多くの欲望を持つようになる。

したがって前渡しされた賃金(労働力の価格)以上の欲望を伴って市場に消費者として登場することになる。

したがって、需要と供給の関係においては、つねに需要が供給を上回っていることになる。

したがって市場価格は生産価格をつねに上回るはずだ

問題は市場価格と「諸商品の価値」(交換価値)との関係が、マルクスの文脈上で不分明なことだ。


いずれにしても偉そうなことを言うにはまだ早すぎる。もう少し勉強が必要だ。


「労働力価値内在説」なるもの

ここに至って突然論理が晦渋になる。

晦渋なのは著者自身がこんがらかっているからみたいだ。「金子ハルオ氏とのあいだで論争になっている」とか言っているが、金子先生を前に少々態度がデカい。こんなものは論争でもなんでもない。

櫛田さんは、“労働力商品が労働者の身体と不可分な存在形態をもつ”ことを強調する。

それは、私がかつて批判したある言葉を思い起こさせる。「患者は医療の労働主体でもあり労働手段でもあり労働対象でもある」という三位一体説だ。なぜなら、“患者はその身体と不可分な存在形態をもつ”からだ。

やはり「身体と不可分な存在形態をもつ労働力商品」というだけでは不十分だろう、奴隷(人間商品)と同じことになってしまう。無理やり身体と勤労能力を切り離して「ケガと弁当は自分持ち」というのが近代労働者の姿ではないだろうか。


以下、面倒なので論点を微細にわたって検討することはしない。結論部分だけ引用する。

① 労働者の消費生活過程は“労働力商品の生産過程”、その消費活動は“労働力商品の生産活動”として規定し得る。

② これは経済学として許容される理論化である。

「…し得る」とか「許容される」と言われれば、まぁ仕方ないが…ということになる。

直接の批判にはならないが、このあたりの話題に関して私の考えを述べておきたい。

動物というのは植物と違って、みずから栄養物を作り出すことはできない。

「生きる」というのは、基本的には消費することである。ただし人類は社会を形成することによって、生産することが可能になった。

ただしそのためには働かなくてはならない。最初は生きる時間のほとんどが働くことだったが、だんだん労働時間は短くなった。そして余暇、すなわち「幸せ追求時間」が生まれた。

最初は余暇のほとんどは支配者のものだった。しかし生産力が拡大するにつれて徐々に余暇は普通の人にも広がるようになった。

余暇というのは労働時間以外のすべてではない。そこから睡眠・食事・通勤などが差っ引かれる。これらは純粋な労働力商品の再生産の時間だ。さらに勉強・子育ての時間も広義の労働力商品の再生産のためのものだ。

それ以外の時間が純粋な余暇である。それを純粋な消費活動(消費的消費)だといってもよい。

この労働力商品の再生産をふくまない「純粋な消費活動」から生まれるもの、たとえ量は少くても本質的な生産物は、衝動にとどまらない人間的「欲望」である。それは希望、意欲であったり、愛や情熱であったり、具体的な物欲であったりする。
たしかに余暇を“労働力商品の生産過程”と規定することも経済学的には許容されるかも知れない。

しかしそのようなワルラス均衡的「経済学」のいかに貧しいことか。

申し訳ないが、以後の文章については省略させて頂く。
最初にも書いたように、以下の記述は卓抜である。

労働力商品は消費生活過程というそれ自身の特殊な生産過程を有している。

賃金労働者の消費生活過程は“労働力商品の生産過程”である。その消費活動は“労働力商品の生産活動”として規定し得る。

できれば、それを生産対消費、労働対享受、充足対欲望、それらを抱合した「生活過程」という枠組みの中でとらえていただきたい。
そして、大きな人類的活動のサイクルの中で、これらを社会発展史的に特徴づけていただきたいと願っている。かならずや経済学(とりわけ剰余価値論)はそのための不可欠なツールとなるだろうと思う。



論文の目次は下記のようになっている。

1 本稿の課題

2 賃金労働者の消費生活過程における価値法則の作用

(1)賃金変動と労働力商品供給構造の変化

(2)労働力商品への価値法則適用の実体的根拠

3 労働力商品の生産過程と労働力商品価値の実在性

(1)耐久消費財・休日の価値村象化問題

① 耐久消費財の価値村象化

② 休日の価値村象化問題

(1)サービス商品と社会的間接賃金

(2)妻子・高齢者の生活費の価値対象化

この内、「1.本稿の課題」 というのが最初の4ページを占め、問題意識が尽くされているので、そこを読んでみたい。

次に進むかどうかはそこを読んでの感想次第ということにしておく。



まったく段落がないので、こちらで小見出しを付けていく。

1.労働力は人間的諸能力の統合体

まず櫛田さんは「労働力は人間的諸能力の統合体」であると定義する。

そして、二つの特徴を上げる。

A) 人間の身体と不可分な存在形態を有する非有体物であって、物質的財貨とは異なる存在形態を有している。しかしながら、労働力は実在的な範疇である。

B) 労働力は十全なものとして生まれながらに人間に備わっているわけではなく、人間の消費活動をつうじて主体的につくりだされる。

前の記事に書いた私の感想からすると、この定義はもはやアウトである。労働力は人間的諸能力のほんの一部でしかない。

しかしながら、あまりこの問題に拘泥するつもりはない。マルクスは資本論執筆の時点では労働力についてはかなり割り切って考えている。

一言で言えば職務遂行能力(Arbeitskraft)である。決められた仕事を、決められた方法で、決められた時間内に遂行する能力である。資本家がもとめている商品はそれである。

2.消費生活過程は“労働力商品の生産過程”

労働力商品は消費生活過程というそれ自身の特殊な生産過程を有している。

賃金労働者の消費生活過程は“労働力商品の生産過程”である。その消費活動は“労働力商品の生産活動”として規定し得る。

この点についてはまったく同感である。

ただし、前段で「労働」の枠組みが人間的諸能力の発揮とイコールになっているので、消費活動が労働力の再生産とイコールになってしまう。

もしそうであれば、ここでいう労働力の再生産過程は、まさに「疎外された労働」とその再生産にすぎない。
人間は食うために働くのであるが、働くために食うのではない。キリストも言うではないか、「人はパンのみにて生きるにあらず」

3.余談: 消費生活過程の最大の生産物は「欲望」

櫛田さんは、労働と享受についての概念を未整理なまま展開するきらいがある。

これは日本のマルクス主義哲学に共通する傾向なのだが、労働の度外れの強調である。例えば芝田進午さんは教育の場には二つの労働があると指摘する。一つは教育労働であり、もう一つは「学習」労働である。そして教育の場とは教育労働と「学習労働」が貼り合わさったものだと主張する。

教育労働はともかくとして、学習することまで労働にふくめるのは明らかな間違いである。

マルクスは労働と享受を2つの人間的活動として対置している。社会的に生産と消費として現れる活動は、諸個人においては労働と享受として現象する。学習は享受する活動なのだ。

享受はただたんに消費するだけではなく、それを喜びとして受け取り、みずからの内的発展・成長の糧とするのである。

単純な享受の過程の中では、欲望は解決され消滅するかのように見えるが、繰り返す営みの中で欲望は多様化し、ゆたかに発展するのである。「豊かさ」とは何よりもまず欲望のゆたかさであり、「豊かな社会」とは欲望に満ち溢れグイグイと成長していく世界なのである。

購買行動を起点とする消費活動は社会的文化活動でもあります。“もの”として凝縮されたエネルギーがその具体的有用性を発揮し、それを生きとし生けるものとしての人間が受け取り、みずからを生物的制約から解放し、より人間的に文化的に発展していくこと、それこそが消費活動です。(2017年02月19日 カール・ポラニー年表の増補 ついでに一言

これらのことは「経済学批判」に展開されている。「経済学批判」(要綱)は「資本論」の準備稿として軽視される傾向にあるが、経済学の原論的枠組みを確定した重要な文章だ。

まだいいたいことはあるが、このくらいにしておく。


↑このページのトップヘ