鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 36 社会理論(社会主義・哲学を含む)

はじめに

弁証法は、近代思想の中にある機械論的思考を克服するものと位置づけられる。
マルクスは、ヘーゲルの弁証法や社会哲学を批判的に継承した。

従来の研究では,ヘーゲルの『論理学』とマルクスの『資本論』との関係を問う研究が多かった。
しかし最近、マルクスの『資本論』はヘーゲルの『法の哲学』との対応においてこそ検討されなければならない、と主張されるようになっている。
この主張の代表がアンドレアス・アルントである。
Arndt1


Ⅰ 『法の哲学』と『資本論』

ヘーゲルの『法の哲学』は「序論」と「緒論」に続き、第 1 部「抽象法」、第 2 部「道徳」、第 3 部「人倫」(家族,市民社会、国家)からなる。

それに対してマルクスの『資本論』は、第 1 部「資本の生産過程」、第 2 部「資本の流通過程」、第 3 部「資本の総過程」からなっており、1対1の対応関係にはない。

重要なことは、「社会哲学」という理論的レベルで、ヘーゲルからマルクスへの継承・批判の関係を検討することである。

1 .現実世界と理性的原理

a) ミネルヴァのフクロウ

ヘーゲルは「序論」において、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」と述べた。
つまりヘーゲルは、「現実世界は理性的な原理によっており、理性的原理を実現しようとする」と主張しているのである。(要するに、「自己発展の論理」に貫かれているということ)

『法の哲学』が考察の対象とする「近代社会」は、宗教革命やフランス革命を経て成熟を迎えた。近代的な法・権利、道徳、人倫(家族・市民社会・国家)が整備された。(すなわちヘーゲルの青年期から熟年期にかけて、激動を経て目前に現出した社会)

このような時代認識を持ったヘーゲルは、哲学が「ミネルヴァのフクロウ」として、近代社会の原理の理論的な集大成を行う必要があると感じた。(時代の子であり、哲学者のトップと自負するヘーゲル自らが…)
「ミネルヴァのフクロウは夕暮れの訪れとともに飛翔を行う」(S. 28)と言うのはそういう意味である。

b) マルクスのヘーゲル「継承」

マルクスはヘーゲル『法の哲学』の批判的検討をとおして、「市民社会」の分析の重要性を学んだ。

マルクスは、近代社会そのものが「富の過剰と貧困の過剰」という矛盾を含んでいると考えた。
近代社会は変革すべきであり、その主体はプロレタリアートであると考えた。

そしてマルクスは「市民社会の解剖学は、経済学に求めなければならない」と考えるようになり、かつてヘーゲルが行ったように経済学批判の研究に打ち込んでゆく。

2 .「抽象法」と「天賦の人権の楽園」

a)人格と所有権

抽象法の第一は所有権である。「人格が物件を支配することが権利として承認される」ことは、近代社会の根幹である。
「物件」には自然物とともに、熟練や知識、学問、能力など精神的なものも含まれる。

所有権はまずもって物件の占有取得である。
所有権はまた、「物件の使用」の権利である。所有者は、物件の価値の所有者でもある。
所有権はさらに物件を譲渡する権利でもある。

抽象法の第二は「契約」である。契約は所有権の移転である。
抽象法の第三は「不法」である。これらについては省略。

b)マルクスの権利論

法的関係は、経済的諸関係がそこに反映する意志関係である。マルクスのヘーゲル批判の要点は、「人格」や「所有権」の根拠が、それらの経済的関係に存在するということにある。

近代の人権宣言とそれに基づく「自由、平等、所有」の権利は、商品交換に関わる経済関係を基礎にしている。
しかし、資本家と労働者との関係は、外観とは異なり自由でも平等でもない。「自由意志契約」のもとで、労働者には長時間労働が強制される。

3 .ヘーゲルとマルクスの家族論


4 .ヘーゲルの市民社会論

a)市民社会の普遍化

市民社会とは、まず第一に「欲求の体系」(System der Bedürfnisse)である。
人々の欲求は無限に多様化し特殊化してゆく。この特殊化した欲求を満足させる手段、およびそれを生産する労働も多様化する。

一方で、労働が普遍的・客観的なものになると、労働は分割され抽象化され単純化する。機械も導入されることになる。

この普遍化された生産と客観化された交換,多様化する消費の体系が市民社会の「普遍的資産」をなす。
市民社会においては、さまざまな欲求をとおして人間の関係が普遍化する。またこの欲求を満たす手段も普遍化する

b)市民社会の分裂

市民社会においては、諸個人の特殊性と社会的連関の普遍性とは分裂している。
普遍的資産に参加する可能性は諸個人の「特殊的資産」であり、不平等である。

この結果、一方に富が蓄積し他方に貧困が蓄積する。
惨めな労働に縛りつけられた階級の、従属と窮乏も増大する。彼らにはさまざまな精神的自由や便益を享受することが不可能になる。

こうして、いかにして貧困を取り除くかという問題が、近代社会の重大問題となる。

c)市民社会はこの問題を解決できない

市民社会は格差の増大、貧困の蓄積、極貧層の増加を解決することはできない。それは原理的に不可能なのである。

富者に負担をかけることは諸個人の自立性の原則に反する。また、貧困者に労働を与えることは生産物の過多を引き起こすからである。(貧困問題の解決は、過少蓄積と過剰循環、過剰生産をもたらす)

これは何を意味するか、

市民社会は富の相対的過剰にもかかわらず、全体としては十分に富んでいないのである。だから貧困の過剰を防止できないのである。

市民社会は矛盾の解決を求めて海外に進出する。その結果は、植民地争奪戦争、植民地の抵抗と独立戦争である。

ヘーゲルは,「市民社会」の矛盾を解決するものとして、「職業団体」さらには「国家」に期待をかける。ここで彼の思考は行き止まりとなる。


5.マルクスの市民社会論

マルクスはヘーゲルが行き詰まったところから出発する。

マルクスは、資本主義的蓄積の一般的法則として、「富の蓄積は貧困の蓄積である」と結論づけた。(すなわち、資本主義的蓄積は貧困の蓄積=貧困層の増大を求めるということになる)

一方でマルクスは、ヘーゲルの「職業団体」に対応するものとして「労働者階級」を位置づける。そして階級闘争を通じて、「自由で平等な生産者たちの協同社会」の実現を目指すという青写真を描いた。

6.ヘーゲルとマルクスの国家論

省略

7.ヘーゲルが語り、マルクスが語らなかったもの

ヘーゲルが『法の哲学』で提起した問題について、マルクスがすべてを論じたわけではない。
マルクスが語らなかった主なものは、自由意志や道徳論、社会政策論である。それらは経済学研究に時間が割かれたため論究できなかったものと推測される。

以下略


この後、論文はアルントの紹介を離れて、ヘーゲル『論理学』とマルクス『資本論』の比較検討に移っていくが、そっちの方はこれまでも論じられてきたことであり、今回は触れないでおく。

牧野論文を読む限り、アルントの最大の功績は、ヘーゲルがマルクスの偉大な先行者であったことを明らかにしたことである。

そこには私的所有、階級社会としての市民社会、格差拡大と貧困化、帝国主義への発展、資本主義の根本的転換の不可避性などマルクス主義の要素の多くがふくまれている。

ただ一つ異なるとすれば、国家の将来的な位置づけであろう。今回、あまりあまり深く読み込まなかったが、いずれそのような問題意識を持って再学習したいと思う。

ヘーゲルの政治経済学の研究 

これは「現代倫理の危機」 牧野広義、藤井政則、尼寺義弘 (文理閣2007年)
の第8章 「ヘーゲルの政治経済学の研究」(尼寺義弘)の読書ノートである。



諸欲求とこれら諸欲求の満足はいかにして実現されるか。それらを律する諸法則とは?

Ⅰ.欲求・労働・享受の理論

労働は土地(自然)と並んで、市民社会の富の源泉である。それは古典経済学の中心概念である。

ホッブス
コモンウェルスの栄養は、生活諸素材の豊かさと分配にある。それらは労働によって生産され加工され輸送され分配される。
神は生活諸資材を惜しみなく与えているのでそれを受け取るために労働と勤勉以外のものは不要である。

ヒューム
この世のものはすべて労働によって取得される。そのような労働の唯一の原因は私たちの情念である。

アダム・スミス
労働はあらゆる事物に対して支払われた最初の「本源的な貨幣」だった。あらゆる富が最初に取得されたのは、金や銀によってではなく労働によってであった。

ヘーゲル
労働は自然が提供する素材を、多様な過程(手段)を通して「特殊化」する。
労働の過程(手段)が多様なのは、特殊化への動機が多様だからである。
この「特殊化」に当たり、労働の過程(手段)には合目的性と価値が付与される。
このとき同時に、(生活の)素材は、主として人間の生産物から構成される素材となる。(法の哲学 第196節)

ヘーゲルはイギリスの政治経済学を取り入れた最初の(ドイツ古典)哲学者であった。
彼の最大の理論的功績は、欲求、労働(生産)、享受(充足)の連関を社会の根本的な連関として剔出したことにある。すなわち人間(諸個人)は欲し、労働し、労働することで享受するのである。

欲求・労働・享受という3つの行動は、主体的・人間的な実践である。
そこでは労働(人間的諸力の発揮)は普遍的契機であり、享受は個別的契機であり、欲求は特殊的契機を形成する。
労働は欲求により具体性を与えられる。労働は欲求と享受という個別行為を全体へと結びつける媒辞となる。

Ⅱ.直観と概念

ほとんどがむだ話。省略。

Ⅲ.道具と機械

…分業が発展すると、労働のスタイルも大きく変化する。

対象に全体として立ち向かっていた労働が分割され、個別労働となり、それらの諸労働は多様性を剥奪される。

かくして労働はより普遍的なものとなり、それと同時に全体性に対し疎遠なものとなる。そしてますます機械的なものとなる。

機械的労働のさらなる機械化は、労働を多様性のないまったく量的なものにする。それは将来的には、労働を機械に置き換え、労働者を分離するだろう。

同時に、労働過程の全体概念が主体の外部に定立されることによって、「道具は機械へと移行する」のである。

この機械化は人間の解放を可能とする基礎をふくんでいる。

これに対し、アダム・スミスはもう少しリアル(悲観的)な見方をしている。

分業は知的な、社会的な、軍事的な美徳を破壊する危険がある。これを防ぐには政府が何らかの労をとる必要があるし、「民衆の教育」が必要となってくる。

Ⅳ.全面的依存の体系

アダム・スミス
分業社会が確立されると、人々は欲望の大部分を交換活動によって満たすことになる。社会は商業社会となる。
商業社会は全面的依存の体系として成立する。そこではすべての個人が市民社会の一員として、「私的人格」を身にまとって行動する。
彼らは互いに無関心で利己的に振る舞っている。

しかし社会には一定の規則があり、経済的な「掟」として諸個人を縛っている。

市民社会の掟

① 市場の掟

剰余生産物の所有者はそれを貨幣化しようとして市場におもむく。しかしこの剰余が販売できる保証はない。
彼の運命は「無縁な力」に依存している。それは剰余物の価値、すなわち総欲求と総剰余の相対関係である。

② 自然価格と市場価格

この点について、アダム・スミスは揺れ動く市場価格の基盤に、しっかりとした自然価格というものを想定する。これが「見えざる手」の実体的な基礎となる。
自然価格は市場価格を通じて発現する。すなわち諸欲求とその充足との「無意識的で盲目的な全体」として現象する。
ヘーゲルはさらに議論を進め、自然価格が剰余の普遍的な性質に媒介されたものであり、かなりの程度で実定可能だと主張する。

普遍的なものはこの「無意識的で盲目的な運命」を把握し統制できるはずであり、そうすべきであると考える。
そして、より積極的に政府が介入すべきだと主張する。

③ 価値と価格、そして貨幣

市民社会において占有は所有となる。社会により財産の神聖不可侵が保証されて、初めて真の「市場」は成立する。

所有権という権利がもののうちに反映されると、物は他の物との間に「同等性」という性質を獲得する。これが「価値」である。

これに対し、所有権を介さない経験的な同等性は「価格」として示される。

市場に持ち込まれた「剰余」は、その所有者を通じて、すべての剰余への可能的な享受と向き合う。
それは市場において、普遍的な欲求の一形態として立ち現れ、貨幣と呼ばれる。

貨幣はそれ自身が必需品であると同時に、すべての必需品の抽象態であり、媒介である。
貨幣の媒介作用を基礎にして商業活動が成立する。

貨幣は普遍的な交換能力であり、その普遍性は「労働の普遍性」に基づいている。したがって貨幣は「労働の媒辞」であり、たんなる一般的な交換手段ではない。


今朝の赤旗の「朝の風」というコラムが、プルードンとマルクスの関係に言及しており、面白い。

朝の風
ただ、過剰なまでのネガティブ・レッテルがいささか興ざめだ。私としては、紋切り型ではなく、もう一つひねりを加えたいところだ。
もう一つ気になるのは、この文章が、マルクスとプルードンがともにヘーゲルの社会観を受け継いでいるということに言及していないことだ。

ヘーゲルはスミスの経済学を学びながら、初めてそれを社会の構造にまで拡大し「市民社会」論にまで膨らませた思想家だ。かれはロックの言う私有財産の神聖をうけとめ、それを公準としながら近代社会が形成されていく過程をイキイキと描き出す。しかし私有財産の神聖が一種のフィクションであることも示唆している。
それにたいして、プルードンは「私有財産は盗みだ」と喝破し、あからさまに私有財産の神聖を否定した。「王様が裸である」ことを暴露したのである。押さえて置かなければならないのは、プルードンはこのテーゼを彼なりのヘーゲル理解の中から生み出したということだ。
これに対して、マルクスは賛意を示した。ただ私有財産制を廃棄するには「ヤイ泥棒め!」といっているだけじゃだめで、「そのからくりを突き止めて首根っこを押さえなければならない」と言っているのではないかと思う。
そのためにまずヘーゲルの「法の哲学」をしっかり読んで、その上でヘーゲルが典拠としたアダム・スミスや父ミルに踏み込んでいくという道を選んだのだろう。

つまり、マルクスVSプルードン論争の謎を解く鍵は、ヘーゲルの「法の哲学」に潜んでいるということだ。

2019年04月19日 『法の哲学』 大目次







2018年12月17日 ヘーゲルの「仕事」論




1.ミンスキーは誰を批判し何を批判するか
東谷さんの本を通じて知り得た限りでは、ミンスキーの論理は意外にプリミティブで、ナイーブとさえ言える。
その論理はケインズを支持するというより、新古典・総合派の批判を主眼としている。そこには経済学というものに対する枠組み概念の違いがある。
ミンスキーにあっては、経済学は市民社会の解剖学だ。それに対して新古典派は市場経済の力学を土台として積み上げられた建築工学だ。ミンスキーはその土台が絶対的なものではないと批判する。

2.金融市場をどう評価するか
私は浅学のため貨幣市場と金融市場と信用市場の違いがわからない。そのため議論に不正確な点があることを予め断っておく。
信用市場はアダム・スミスもヘーゲルも知らなかった概念である。古典派の中でマルクスだけはこの市場が登場するのを目前で体験することができた。そしてこの市場の登場が何を意味するのかを考えることができた。

3.ミンスキーの論点
ミンスキーは「ケインズがこう主張した」と言って、自らの議論を展開している。それらは以下のようにまとめることができる。

① 信用市場は商品市場に付着し、商品市場を急成長させるブースターの役割を果たしてきた。しかしこれは市場に乱高下をもたらすきわめて扱いにくい装置である。

② 信用市場が肥大化すれば、商品市場に不確実性を持ち込み、商品市場が本来持っている「見えざる手」の機能を破壊する危険がある。

③ 新古典派と総合は「見えざる手」を不磨の大典とするという理論的弱点を内包している。彼らは需要と供給のバランスという神話にしがみつき、金融市場の動揺がもたらす商品市場への破壊的効果を無視する。(総合の場合は「タイムラグ」という言い訳に逃げ込む)

④ 金融市場には独自の論理がある。ミンスキーはこれを「投資家のマインド」としてとらえる。マインドは経済というよりは社会的・心理的なものである。それは「集団的マインド」の民主的形成によりコントロール可能なものに転化するかもしれない。

⑤ ミンスキーはここから、「優れた金融社会」の形成という行動目標を導き出す。第二次大戦後の世界が全体として平和・平等・民主の方向で発展したのも、戦前の政治・経済体制への共通の反省があったためと言える。

⑥ ミンスキーの所論には歴史的観点が不足している。金融市場は資本主義の前から存在していた。それが資本主義システムの巨大化に伴って、その一つのバージョンとして、「資本主義的信用市場」としてあらためて登場したことである。なぜ再登場したのか、それは従来型の信用市場とどう違うのかを探求しなければならない。

⑦ 金融市場が資本主義経済のブースターであると同時に撹乱者であり、潜在的可能性としては破壊者であること。それが集団心理に規定されるゆえに、人間集団の民主的形成により次の社会へと向かうための助産婦ともなりうること。これらを全体として統一的に把握しなければならないだろう。

⑧ レーニンは「資本主義には自由主義が照応し、独占資本主義には帝国主義が照応する」といった。ヒルファーディングは「独占資本主義は金融資本の支配する資本主義」だと言った。信用市場の拡大は、時期的にはこれらの時期と一致する。(すみません。あまり正確ではありません)

4.ミンスキーと未来社会
ミンスキーは金融市場の問題と独占資本の支配を結びつけて論じてはいない。しかし両者が本質的な結合状態にあるのなら、その未来社会は「優れた金融社会の形成」という課題設定だけでは不十分で、権力の有りようをふくむ政治変革のプログラム規定、平たく言えば「社会主義革命」論が必要になるだろう。

下記もお読みください
ミンスキーの金融論が説得的だ

ミンスキーの金融論

ミンスキー(Hyman Philip Minsky 1919~1996)はサミュエルソンとほぼ同じ時代を生きた。同じようにユダヤ人移民の家庭にうまれ、同じころシカゴ大学で数学と経済学を学び、ケインズの影響を受けた。

サミュエルソンが新古典とケインズを合体させる「新古典総合」というイカサマ的手法で有名になった一方、ミンスキーは「ケインズは新古典にあらず」としてサミュエルソンを攻撃し続けたらしい。

東谷さんの「経済学者の栄光と敗北」(朝日新聞 2013年)を読むと、ミンスキーが資本主義の本質を深く剔っていることが想像される。

ちょっと抜書きしておく。

* 「資本主義は本質的に不確実なものであり、その主要な不安定要素は金融にある」 これがケインズの最大のメッセージだ。

* 「金融が経済を不安定にする」という主張は、ミンスキー・モーメントと呼ばれ、リーマンショック→世界金融危機を解く鍵として注目されている。

* 62年の株価下落を大恐慌と比較・分析して次の特徴を引き出した。民間企業の負債が少なく、動員可能な流動資産ストックが大きかった。とくに政府の財政規模がはるかに大型化していたことが最大の特徴であった。

* アメリカ・ケインジアンは、金融市場と商品市場を同一平面において総所得(交点)を確定する。(ヒックス・ハンセン・モデル)
これでは金融市場は需要の関数でしかなくなる。資産選択の問題や投資要因の独自性は捨象される。また労働市場との関連も引き出せない。

* 新古典派総合(サミュエルソン)はさらにひどい。ケインズ理論の核心は労働市場が総需要の関数だということなのだが、新古典派の実質賃金→労働市場が蒸し返され、肉離れを起こしている。フリードマンのマネタリズムも概念構成としては同類だ。

ここでちょっと項をあらためる。労働市場の問題についてもう少し詳しく、ミンスキーのサミュエルソン批判を取り上げたい。

労働市場論でのサミュエルソン批判

* ケインズの考える需要・雇用論は、総需要が雇用量を決定するということだ。そこでは新古典派の賃金→雇用論は拒否されている。したがって両者の雇用量には差が生じる。
 
* サミュエルソンはこの差を本質的なものではなく、「タイムラグ」だと主張する。これが「短期ではケインズ、長期では新古典派」ということだ。(サミュエルソンは新古典派を意図的に古典派と混同している)

* 「困ったときだけケインズさん」というのは、あまりにもノーテンキではないか。これはとても困った理論だとミンスキーは主張する。

もういちど、ミンスキーの主張に戻る。

* ミンスキーは、この差はタイムラグではなく、もっと概念的に異なる理由により生じていると考える。ミンスキーはそれを「不確実性」の概念と名付けている。

* もう一度書いておくが、ヒックス・ハンセン・モデルは金融市場を事実上、需要の関数として従属させている。しかしミンスキーは資産選択の問題や投資要因に対して、独立したはるかに重要な意義を与えている。

不確実性の概念

* そして、それらを決定する要因が「不確実性の概念」なのだ。端的に言えばマインドの問題だ。それは同時に金融市場の独立性の主張でもある。

* このマインドが介在すると、金融市場は自発的に“不安定化”(不連続化)し、景気刺激の引き金がたとえ政策的な完全雇用であっても、雇用が需要を呼び、需要→雇用の爆発をもたらす。

* なお、巷間もてはやされる「ミンスキー・モーメント」というアイデアは、すでに「信用市場の循環」としてマルクスも指摘していることであり、ミンスキー本人にとってはどうでも良いことである。



高柳良治さんの文章からちょっと引用させてもらう。

へ一ゲルは「精神現象学」で、独特の「ロビンソン物語」を展開している。
そこでの行論はこういうことになる。

欲求(Begierde)は対象を完全に消費し尽くし、それによる混じりけない自己感情を自分の手に残す。

この満足は、それ自身としては消え去るものにすぎない。なぜならそこには何もモノとしては残らないからである。

これに対し労働は形成する。労働している人にとって労働の対象は自立性をもっているから、労働は対象に永続的な形式を与えることになる。

このとき労働する人の(目的)意識は自分の外に出て対象に入り永続する。このとき、労働する人は自分自身が自立した存在であることを実感する。

この後は高柳さんの解釈。
たんたる欲求の満足はその場かぎりで消失してゆく。
しかし労働は形成する.しかもこの形成は二面的である。
一方で、労働対象は労働によって今までの形式を否定される。そしてその代りに新しい形式(価値)を獲得する.

と同時に、人間は労働によって、自然のまま衝動的な生から脱け出すのである。
人間は労働において自立した対象の中に入り込まなければならない。その過程で対象に対する認識が深められ、習熟し、能力が高められるからである。
ルカーチが言うように、人類の発展、原始状態からの社会化は、労働によってのみ可能となる。

文章ではこのあと道具・手段と理性の狡知が語られるが、私は従来の見解に対して異論がある。いずれ、もう少しシラフのときに書くことにする。

新古典派にはこのような人類史的視点はない。一輪車の曲乗りで、転ばないような方程式を作ることを経済学の本流と考えれいる。


ヘーゲルの「前期」とは、1807年に『精神現象学』が刊行されるまでの時期を指す。精神現象学はヘーゲルのシェリングとの決別の辞であった。
前期からさらに初期を分けることもありだ。その境界はフランクフルト行きかイエナ行きか、そのへんが難しい。しかしそれはいずれにせよシェリングとの出会いと別れを以って区切られることになるだろう。
そんな経過を追求すべく足取りを追ってみる。


1770年8月27日 ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)、シュツットガルトに生誕。生地シュトゥットガルトは当時ヴェルテンベルク公国の首都であり、父ヘーゲルは公国の官僚であった。

1778年 小学校2年でシェイクスピア全集を読破。ヘーゲルの才能を愛した学校の教師が、独語訳全集をプレセントしたという。ゲーテやシラーは好まなかったとされる。

1781年 カントの『純粋理性批判』が発表される。

1785年 歴史や法律、道徳などを広く学び、ノートするようになる。

ヘーゲルの心を捉えたのはギリシア悲劇や歴史書であったという。世界における避けがたい矛盾と分裂、そして闘争を主題とする学問路線を形成する基盤となった。

1786年(16歳) 王立カール学院に入学。ギリシア・ローマ古典文化、歴史を学ぶ。


「学生時代」

1788年

9月 カール学院を卒業。卒業にあたり「トルコ人における芸術と学問の萎縮について」と題して講演。

10月 チュービンゲン大学哲学部に入学。この大学はドイツ南西部におけるルター派正統主義の代表的学府であった。哲学部ではキリスト教史に関する研究の傍ら、ギリシア文化に加えてカント哲学を学ぶ。またフランス啓蒙主義の影響を受ける。

またシュティフトの神学院で寮生活をしながら、同級生ヘルダーリンと親密な交友関係を築く。

ヘルダーリンは初期のグループを主導していた。「ヘン・カイ・パン」を唱え、「美的プラトン主義」の弁証法を主張した。ヘンカイパンは「一にして全」という意味で、万能の神は自分の内にすべての要素を備えているという神秘的汎神論。

1788年 カントが『実践理性批判』を公刊、理性に基づく道徳の体系を明示。意志の自由と人格の尊厳を主軸とした道徳理論を提示する。

1789年

7月 フランス革命が勃発。

8月 フランス革命派が人権宣言を発する。

9月 卒業生のニートハンマーが大学を訪れ、学生らと懇談。フランス革命の情報を伝える。ヘーゲルは熱烈に革命を支持しルソーに心酔した。(ニートハンマーはかなり有名な教育哲学者で、ヒューマニズムという言葉を最初に使い始めた人。最後まで残ったヘーゲルの友人)

11月 チュービンゲン公が大学を視察。学生への観察を強化するよう指示する。



1790年(20歳)

9月 哲学部教師にカント主義者のディーツが赴任。この年カントの『判断力批判』が公刊される。美と生物の合目的性を主張。
ヘルダーリンはカントに傾倒。ヘーゲルはカント哲学とキリスト教の両立を試みる。ただヘーゲルは、悟性(神学的宗教)は生きた宗教(主観的宗教)をとらえることができないという実感を持ち続けた。

10月 15才のシェリングが哲学部に入学。2級下でかつ5歳下の仲間ということになる。卒業も2年遅く95年9月まで在学。

11月 ヘーゲル、哲学部を修了し神学部にうつる。

冬 ヘーゲル、ヘルダーリン、シェリングを含む10人が、神学院2階の大部屋で共同生活を送るようになる。部屋は一種の秘密結社となり、フランス革命についての禁書を読みあった(ルカーチ)

1791年

11月 オイゲン公が神学院を視察。学内規律について立腹したという。

1792年

夏 進学院内にも政治クラブが結成される。フランスの新聞を教材に討論を重ねる。ヘーゲルは最も熱心な革命支持者であった。このころ草稿群「民族宗教とキリスト教」の執筆を開始。ルソーの影響を強く受け、宗教は公的で社会的な現象とみなされ、「民族精神」とのかかわりから考察される。

ヘーゲルはキリスト教を「客体的私的宗教」と呼び批判。客体的とは押し付けられたという意味、私的とは俗物的ということ。

1793年

6月 ヘーゲルら、チュービンゲン郊外の牧草地に「自由の木」を植樹。シェリングは「ラ・マルセイエーズ」を独語訳。

夏 カントの『たんなる理性の限界内の宗教』が出版される。これまでルソー派だったヘーゲルは、これを読み抜粋を作るなど、強い影響を受ける。

「ベルン時代」

1793年(23歳)

9月 チュービンゲン神学校を卒業。牧師補の資格を取得したが、キリスト教に対する批判を強め、牧師にはならなかった。

10月 スイスの首都ベルンにシュタイガー家の家庭教師として赴く。草稿群「民族宗教とキリスト教」(第17~26篇)の執筆を継続(94年まで)。

1794年

6月 ジャコバン党のロベスピエール、「最高存在の祭典」を開催。ルソー主義に基づく国家宗教の樹立浸透を図る。

7月 テルミドールの反動。ヘーゲルは恐怖政治期のフランスに批判的な立場を強める。

94年後半 「民族宗教とキリスト教」の後半の執筆が始まる。カントの実践理性の視点からキリスト教批判が展開される。「民族宗教」の試みは事実上放棄される。

94年末 ヘルダーリンやシェリングと文通を通じて交流を再開する。

94年9月 シェリング、神学校を卒業。フィヒテの忠実な紹介者、支持者として頭角を現す。

12月 ヘーゲルからシェリングあての手紙。「ロベスピエールの奴らの破廉恥極まる所業」が裁判で暴かれたと伝える。

1795年

1月 ヘーゲルからシェリングへの手紙。「神の国よ、来たれ!われわれは、何もせずに手をこまねいていてはなりません。・・・ 理性と自由はいまだにわれわれの合言葉だし、われわれの一致点は見えざる教会だからです」

2月 シェリング、「哲学一般の形式の可能性」を執筆。ヘーゲルにも送付する。
シェリングのヘーゲルへの手紙「ともかく人格神という正統派の神概念は我々には存在しない。ぼくはこの間、スピノザ主義者になった」とし、キリストとの関わりを断ち切れないヘーゲルを強烈に批判。

4月 ヘーゲルからシェリングへの手紙。「カントの体系とその最高の完成から、ドイツに革命が起こることを、僕は期待する」

5月 「イエスの生涯」の執筆に取りかかる。シェリングの批判を受け、“神性とは実践理性(カント)を行使すること”という結論に到達する。

7月 「イエスの生涯」を完成。引き続き「キリスト教の既成性」の執筆にとりかかる。

7月末 シェリング、『自我について』、『哲学書簡』などを発表し、ヘーゲルにも送付する。

7月末 ヘルダーリンが母校を訪れ、シェリングと面談。シェリングからフィヒテを勧められ、研究に着手。

8月末 ヘーゲル、シェリングあての手紙で、自らの孤独な境遇を訴える。

11月 「キリスト教の既成性」がほぼ完成。カントの「実践理性の要請論」の立場は理性の無力の告白に他ならないとし、道徳論の「定言命法」が持つ「既成性」を見るようになる。

既成性はPositivitaet の訳。実定性とも訳すが余計わからない。前向きという意味ではなく「既成政党」の既成。“形骸化”に近いネガティブな言葉。

11月 シェリング、チュービンゲン大学を卒業。「キリスト教の実定性」の執筆に取りかかる。(ヘーゲルの「キリスト教の既成性」との内容的関連は不明)

1796年

1月 ヘルダーリン、大学時代の盟友だったシンクレアの紹介で、フランクフルトで家庭教師の職を得る。

4月 シェリング、家庭教師の職を得、ライプツィヒに転居。ライプツィヒ大学で、3年にわたり自然学の講義を聴講する。

夏 「キリスト教の既成性」を脱稿。

宗教は、本来自由から生まれるべき道徳法則を、我々の外にある存在から与えられたものとして提示している。このような既成的宗教は人間の道徳的自立性の廃棄を意味する。

秋 ベルンの家庭教師の職を辞し、生地シュツットガルトに戻る。軽度のうつ状態に陥る。


「フランクフルト時代」(政治の時代)

1797年

1月 ヘルダーリンの誘いで、フランクフルトに移動。馬市商人ゴーゲル家で家庭教師の職に就く。

4月 ヘルダーリン、「ヒュペーリンオン」第一部を発表。

4月 シェリングが『自然哲学へのイデーン』を発表。ライプツィヒ大学での自然科学の知識を元にして、「有機体」概念を中核に、自然の全現象を動的な過程として把握しようと試みた。

ヘーゲルはこれを、「シェリングの客観的観念論は、カント・フィヒテの自由の観念論から脱皮し、宇宙を神的力の自然的活動として把握したもの」と評価する。

冬 イェーナ大学哲学部助教授だったニートハンマーがシェリングの招聘を計画。

1998年

4月『カル親書注解』を匿名で刊行。ベルン時代に書かれたもの。カルはベルン出身の民権派弁護士でベルン政府の抑圧を受けていた。

夏 ヘーゲル、カントの「人倫の形而上学」を研究。これに基づいて「キリスト教の精神とその運命」の執筆を開始。「カントと離婚してキリスト教と婚姻」したとされる。(執筆時期には諸説あり)

カントは「分離するという悟性の本性、決して満たされることのない理性の果てしのない努力、思惟の分裂、世界観の超越性」などの化身と、三行半を突きつけられるに至る。義務道徳は、むしろ道徳的自律を妨げる宗教の律法に比せられるようになる。

10月 シェリング、イェーナ大学哲学部の助教授に就任する。このときの教授はフィヒテだったが、無神論論争に巻き込まれていた。

シェリングは、絶対我の向こうには、自我(精神)と非我(自然)とをともに駆動する「絶対者」がある。そして非我にも自我と同じように駆動力があるとし、フィヒテの顔を立てつつ自説を展開。

1799年

1月 父の死により遺産を相続。

2月 スチュアートの「国民経済学」(独訳)の読書ノートを作成。(5月まで)

イギリス国民経済学の研究から、1.労働が共同生活を歴史的に形成する。2.労働手段(道具や機械)が人間と自然を媒介する。3.言語が人間と人間を媒介する。4.分業と機械化は全一な人間性を分裂させる。などの規定が抽出される。

11月 ブリュメールのクーデター。ナポレオンが権力を握る。

7月 フィヒテは論争に破れイエナ大学を去る。シェリングが教授となる。

1800年(30歳)

9月 シェリング、フィヒテを否定的に受け継ぐ形で『先験的観念論の体系』を発表。「同一哲学」を提唱する。

「産出的な自然」の概念を基礎に、精神と自然との絶対的な同一性を原理とする。超越的な絶対者の自己展開を叙述する学として定式化。

9月 ヘーゲル、この頃「1800年の体系断片」を記述。

11月 ヘーゲルからシェリングへの手紙。仕事と研究のための機会を依頼。同時に自己の思索の体系化を目指す意気込みを語る。二人は、ヘルダーリンのロマン主義より強固な論理を求めることで一致したと言われる


「イエナ時代」

1801年

1月 ヘーゲル、シェリングに招かれイエナ大学の私講師となる。共同研究をおこないカントとフィヒテを批判。「哲学的」協業を開始したといわれる。

5月 シェリング、「私の哲学体系の叙述」を発表。自然と精神との連続性を強調して、自然は眠れる精神であり、精神は目覚めた自然であるとする。これをフィヒテが批判したことから関係決裂。

10月 ヘーゲル、「フィヒテとシェリングとの哲学体系の差異」を発表。フィヒテのいう絶対的自由は抽象的・無規定的だとし、人格同士の共同は自由の制限ではなく自由の拡張であると主張。

「存在は非存在の中へ生成される。有限なものは無限なものの中へ生成される。哲学の課題は、それらの過程を生として定立するところにある」(このくだりは法の哲学の冒頭でも使われている)

1802年

1月 シェリングとヘーゲル、共同で「哲学批判雑誌」第一巻第一分冊を刊行。主なヘーゲル論文に「哲学的批判一般の本質」、「常識は哲学を如何に解するか」、「懐疑論の哲学に対する関係」、など。

3月 第一巻第二分冊が刊行される。

7月 第二巻第一分冊が刊行される。ヘーゲルの「信と知」が掲載される。

「信と知」において、カント,ヤコービ,フイヒテの三者は「反省哲学」の下に一括され、二元論的世界観を批判される。
二人は反省哲学を、「有限なものを絶対化し、その結果、無限なものとの対立を絶対化し、その結果、無限なものを認識不可能として彼岸に置きざりにする」と非難。

1803年

5月 保守派と対立したシェリング、不倫事件を引き金にイェーナ大学を去りヴュルツブルグへと移る。シェリングの転居をもって『哲学批判雑誌』は終刊。翌年、ニートハンマーもヴュルツブルグへと移る。

冬 「思弁哲学体系」の草稿が完成する。

直観と概念の相互包摂を通して、理念(イデー)が展開される。ヘーゲル弁証法の第一論理。絶対者の運動は、実体的統一から対立・差別を通じて再統一に至る。ヘーゲル弁証法の第二論理。

1804年

冬 「思弁哲学(論理学・形而上学)・自然哲学・精神哲学」の草稿が完成。

1805年

2月 ヘーゲル、ゲーテ(イェナ大学のパトロン)への陳情が奏功し、私講師から助教授(員外教授)に任じられる。シェリングとの立場の違いが次第に明らかになる。

5月 シェリング、ミュンヘンに移住し学士院会員となる。

12月 アウステルリッツの戦い。ナポレオンが神聖ローマ帝国軍を撃破。

1806年

2月 『精神現象学』が出版社に回る。歴史意識を概念的に把握することを主題とする。シェリングを厳しく批判する内容となる。(この本が世に出る過程には幅があるようだ。後ほど調べる)

正式題名は“「学の体系」第一部に基づき、精神現象学を序文とする思弁哲学(論理学および形而上学)、自然哲学、および精神哲学、哲学史”という超長ったらしいもの。ヘーゲルは自著紹介で、これは第一巻であり「精神現象学」と呼ばれるもの。このあと第二巻「思弁的哲学としての論理学と、残りの哲学の2部門自然の学と精神の学徒の体系を含む」と告知している。

7月 西南ドイツ諸国がライン連邦を結成、神聖ローマ帝国からの脱退を宣言。間もなく皇帝フランツ2世が退位し、神聖ローマ帝国は消滅。

9月 ヘーゲル、イェーナ大学での実質的な最終講義。

10月13日 イエナ会戦。プロイセン王国がナポレオンに敗北。イエナは占領されイエナ大学は閉鎖される。ヘーゲルは行進中のナポレオンを目撃。「馬上の世界精神」と評する。

10月 ヘーゲルは職を失う。(形式的には1808年まで所属)

11月 バンベルクに避難して「精神現象学」の最終校正を行う。

1807年

1月 ヘーゲル、シェリングに手紙を送りバイエルンでの就職斡旋をもとめる。

3月 ヘーゲル、日刊バンベルク新聞記者となり赴任。

4月 精神現象学(正式には「学の体系・第一部:精神の現象学」)が上梓される。「序言」でシェリングを闇討ち批判する一節。

シェリングの「同一性の哲学」は、絶対者を直観によって把握し、これを始源に置く。ヘーゲルはこれを以って「全ての牛が黒くなる闇夜に、ピストルから発射されでもしたかのように、直接的に、いきなり絶対知から始める」と嘲弄。動因としての主観を強調する。

11月 シェリングより抗議の書簡。返答をもとめるがヘーゲルは無視。このあとヘーゲルとシェリングの文通は終了。

ヘーゲルが批判したのはおそらくシェリングと言うよりスピノザだったのだろう。ただしヘーゲルのスピノザ理解度が問われるという側面もある。

「ニュルンベルク時代」

1808年(38歳)

5月 バイエルンの教育監となったニートハンマーが、ニュルンベルクのギムナジウムの校長の職を斡旋。

11月 バンベルク新聞編集者を辞任。ニュルンヘルクのメランヒトン高等学校の教授兼校長として赴任。上級クラスで哲学的予備学と数学、中級クラスで論理学を教える。



参考資料



上妻 精 他 「ヘーゲル 法の哲学」(有斐閣新書) 

武田趙二郎 「若きヘーゲルの地平」〈行路社)

現代思想「総特集=ヘーゲル」青土社 1978

シェリングについては下記の記事を参照のこと

2018年03月04日  シェリング 年譜
2018年12月21日  「弁証法的実在論者」としてのシェリング

「倒立振子」というのをテレビでやっていて、要するに腰高な物体をいかにして自力直立させるか、そのための制御系は以下にあるべきかという研究分野だ。

つまり私たちがホウキやモノサシを手のひらで立たせ続けるための「運動法則」だ。
常識的に考えて、これは知覚系と計算系と運動系の3つのモジュールからなるだろうとわかる。

そしてこの計算系が、「ミクロ経済学」の範疇と一致することがわかる。

わかると同時に、「これを経済学の肝だ」と合弁することがいかにバカバカしいものであるかということがわかる。

根本的には、「バランスをとることになんの意味があるか」という話だ。それはバランスよく経済が成長していくための制御系に過ぎない。

根本的なことは成長することだ。人間にも自然にも無限の可能性があると信じることだ。

乗り物を展示した設計者が、「この乗り物の胆はここにあります」といってオートジャイロのところに連れて行ったら、発狂したのではないかと思われるだろう。

もちろん部品やエレメントには重要性において差があることも間違いない。

しかし、それを認めたとしても、オートジャイロの重要性を認めたとしても、そのことでエンジンや翼の重要性を軽んじる発想にはやばいものを感じる。少なくともこのようなバランス感覚の欠けた設計者の作った乗り物には乗りたくはない。


ヘーゲル 『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts)  1821年

本格的に取り組むことにした。
と言っても原文を直接当たるのではない。ネット上の文献を当たりながら、目次に沿って小分けして、つまみ食い的に陣地を広げていこうという作戦である。
視力が落ちてきて、長いこと活字を読むのが辛くなったことが一番の理由。本に横線を引いて、そこを後でタイプして電子ファイル化するのが面倒だということもある。
なによりも老い先短い状況で、できるだけ広く・浅く・要領よく知識を吸収したいということだ。

まずこのページが出発点。
ウィキペディアの目次をリンク集にして、ここから網を張っていこうという作戦だ。
以下が「大目次」でそれぞれのパートに移動する。それぞれのパートが大きくなるようなら、それぞれに小目次を置くことになる。
数字はページ数ではなく§(セクション・サイン)をさす。ドイツ語ではパラグラフ・ツァイヘンというらしい。日本語では「段落」が相当する。

学習の順序だが、段落が全部で360あり、この中の比重としては
第一部第一章「所有」が40、第三部第二章「市民社会」が70段落、第三章「国家」A国内公法が70段落となっており、ここが重点となっているものと思われる。

この内、経済が直接関係するのは、原論部分での「所有」問題、労働と欲求を扱う「A 欲求の体系」である。
まずはこのあたりから手を付けることにしたい。私の本はみっしりと赤線と書き込みで埋まっている。しかし、そのようなことをしたことさえも全く思い出せない。


大目次

序文と緒論
- 自由の原理論 1~33

第1部 - 抽象法 34~104
第1章 - 所有 41~71
A 占有取得 54~58
B 物件の使用 59~64
C 自分のものの外化、ないしは所有の放棄 65~70
   所有から契約への移行-自由は「所有」という形を取る
第2章 - 契約 72~81
第3章 - 不法 82~104
A 無邪気な不法 84~86
B 詐欺 87~89
C 強制と犯罪 90~103
   権利ないし法から道徳への移行-「人格」の相互承認が自由の基礎

第2部 - 道徳-意志が普遍的な正しさ(自由)を求める 105~141
第1章 - 企図と責任   115~118
第2章 - 意図と福祉 119~128
第3章 - 善と良心-偽善とイロニー 129~140
   道徳から倫理への移行-制度として実質化した自由

第3部 - 倫理 142~360
第1章 - 家族 158~181
A 婚姻 161~169
B 家族の資産 170~172
C 子どもの教育と家族の解体 173~180
  家族から市民社会への移行

第2章 - 市民社会 182~256
A 欲求の体系 189~208
  a 欲求の仕方と満足の仕方 190~195
  b 労働の仕方 196~198
  c 資産 199~208
B 司法活動 209~229
  a 法律としての法 211~214
  b 法律の現存在 215~218
  c 裁判 219~229
C 福祉行政と職業団体 230~256
  a 福祉行政 231~249
  b 職業団体 250~256
第3章 - 国家 257~360
A 国内公法 260~329
  Ⅰ それ自身としての国家体制 272~320
a 君主権 275~286
b 統治権 287~297
c 立法権 298~320
  Ⅱ 対外主権 321~329
B 国際公法 330~340
C 世界史 341~360

解題 ざっくりと紹介。

生前に出版された最後のヘーゲルの著作である。
“読みやすい理由”: ヘーゲルが直接執筆した文章ではなく、死後に受講生が編集したもの。

ヘーゲル自身によれば、『法の哲学』の主題は「自由」である。
国家と社会を哲学の立場から論ずるということは、それらを「人間とはいかなるものか」という所にまで引きつけて検討することである。

常識(客観的精神)は家族や市民社会、国家などの“自由な人間”の行為により生み出される。それは抽象法、道徳性、人倫の三つの段階に区分される。
人倫はまた家族、市民社会、国家の三段階に区分される。
①家族: 愛情による集団統一の段階
②市民社会: 諸個人の欲望の体系に基づく労働の体系。(「欲望」は市場においてもたらされる)
③国家: 
a.立法権や執行権、君主権を用いて欲望の体系を包摂する。
b.市民社会の利己性を監視し、普遍性を現実化させる
c.対外的には、普遍性ではなく自国の特殊性を実現する

この「解題」はとりあえずこのままここにおいておく。長くなるようなら整理するか、移動させる。
これまでバラバラ書いてきたメモ書きは、いずれ整理統合する。

『法の哲学』の権利論とマルクス

はじめに

「理性的なものは現実的であり,現実的なものは理性的である」(S. 24)
近代社会の成熟という「夕暮れ」においてこそ,哲学は「ミネルヴァのフクロウ」として,近代社会の原理の理論的な集大成を行うために,「飛翔」を始める。

マルクスは,近代社会そのものが,ヘーゲルも指摘した「富の過剰と貧困の過剰」などの矛盾を含んでいる以上,それを変革しなければならないと考える。

この解放の頭脳は哲学であり,心臓はプロレタリアートである」

マルクスは,『法の哲学』の批判的検討をとおして,「市民社会」の分析の重要性を学んだ。

そしてマルクスは,かつてヘーゲル自身が古典派経済学の研究を行ったように,「市民社会の解剖学は,経済学に求めなければならない」と考えた。

重要なことは,『法の哲学』「序論」で表明された「社会哲学」という理論的レベルで,ヘーゲルからマルクスへの継承・批判の関係を検討することである。

A 「法の哲学」の権利論

1 .所有権

第 1 部 「抽象法」で近代的な人間(人格)の権利が論じられる。
第一の権利は所有権である。それは人格が物件を支配する権利である。
物件には,自己の身体も含めた自然物とともに,熟練や知識,学問,能力など精神的なものも含まれる。
所有権の主体は個別的な人格であるから,所有は「私的所有」である。
所有権は次の2つを意味する。
(A)物件の占有取得(Besitzname)である。それは身体による獲得,労働による形成,標識付けなどによって実現される。
(B)「物件の使用」である。所有権とは,物件の部分的使用ではなく,全範囲の使用の権利である。

価値(Wert): 個々の物件には特有の有用性がある。その中にある普遍性(共通の尺度)が物件の価値である。
物件の価値は貨幣によっても表現される。物件の所有者は,物件の使用者であるとともに,その価値の所有者でもある。

「物件の譲渡」: 物件は譲渡されるが、人格と自己意識の本質的な普遍性は,譲渡されない。

人格性の放棄: 奴隷,農奴などでは人格が放棄されている。労働においても,全時間と全生産物を譲渡するならば,それは人格性を他人の所有にしてしまうことになる。

2.契約

抽象法の第二は「契約」である。契約は相互に他者を人格として,かつ所有者として承認し合うことから始まる。
契約においては異なる物件が相互に交換される。その物件の価値は互いに等しい。

3.不法(Unrecht)

不法には3つの種類がある。すなわち罪なき不法、詐欺、犯罪である。

3-B マルクスによる「法の哲学」批判

マルクスが問題にするのは法そのものではなく、法の根拠としての経済的関係である。

契約という関係は,法律的に発展していない社会にあっても、両者のあいだの意志関係である。そこには経済的諸関係が反映する。

マルクスは,ヘーゲルの言葉を引用する(67節)

もしも私が,労働を通じて費消した私の時間と、労働を通じて生み出した私の生産物を外に譲渡した場合,私はそれらの実体,私の普遍的な活動,私の人格性の発露を,他人の所有にゆだねることになろう。

これは労働を労働時間に換算するという点で、マルクスがヘーゲルの考えを明確に継承したことを示す。

肝心なことはマルクスがヘーゲルの先に進まざるを得なかったことである。

現実には資本家と労働者との関係は自由でも平等でもなかった。

「自由意志契約」のもとで,労働者には長時間労働が強制される。そこで「自由な意志関係」に基づく労働時間を法律によって制限するために「工場法」が必要になった。

マルクスは「『譲ることのできない人権』のはでな目録に代わって,法律によって制限された労働時間というマグナ・カルタが登場する」と述べた。

4.人倫(Sittlichkeit)

5.市民社会論
ヘーゲルの市民社会論は「人倫」の第二部で扱われる。
市民社会では諸個人が相互に独立した特殊的・具体的人格として関係し合う。

諸個人は「欲求のかたまり」として,利己的目的を満足させるための経済活動を行う。

その中で,諸個人はおのずから社会関係を形成する。市民社会はこのような「全面的依存の体系」であり、個人の利己主義と社会的連関は分裂する。

これを克服するためには、個々人が学び教養を形成しなければならない。

学び(Bildung)の主題は
①自己の特殊な目的の実現は,普遍的な社会的連関によって媒介されていること
②自己の行動を普遍的な連関に適合させ,その一環としなければならないこと
である。

市民社会は2つの側面を持つ。

それは第一に欲求の体系である。
市民社会においては,人々の欲求は無限に多様化していく。これを満足させる手段を作り出すために、労働も多様化する。
これらの労働が固定的なものになるにつれて、労働が分割される。
分業によって労働が単純化されると、その技能も生産性も増大する。さらに人間の代わりに機械も導入される。
これらの生産・交換・消費の体系が、市民社会の「普遍的資産」をなす。
だれもがこの普遍的資産に参加できるわけではない。それは各人の資本と技能、すなわち「特殊資産」(端的に言えばおカネ)によって条件づけられる。
おカネと技能と労働の種類によって身分(Standが生じる。

それは第二に司法の体系である。それは「法律」であり,「裁判」である。
それは第三に行政の体系である。犯罪の
取り締まり,公益事業,生活必需品の価格指定,教育,貧困対策などを行う。
しかしこれらは第一の体系を補完し維持するためのものでしかない。

そのため,市民社会は富と貧困の矛盾を露呈させる。

a) 市民社会においては,一面においては,富の蓄積が増大する。社会関係が拡大し、欲求を満たす手段が拡大するからである。

しかし他面において,貧困が増大する。なぜなら富の蓄積とは富の不平等化だからである。
ヘーゲルはいう。
特殊的な労働の個別化と制限が増大し,このことによって,このような労働に縛りつけられた階級の従属と窮乏も増大する。そしてこのことは,その他のさまざまな自由,とりわけ市民社会の精神的便益を感受し享受することが不可能になることと結びついている。

こうして市民社会は,一方で「賤民(Pobel)」の
出現を引き起こし,他方で極度の富を少数者の手中に集中させる。
いかにして貧困を取り除くかという問題が,とりわけ近代社会を動かし苦しめている重大問題である。

しかし市民社会はこの問題を解決できない。
なぜなら富者に負担をかけることは市民社会における諸個人の自立性の原則に反するからである。

ヘーゲルは言う。
市民社会は富の過剰にもかかわらず,十分には富んでいない。
市民社会は貧困の過剰と賤民の出現を防止するほどに十分な資産をもっていない。
市民社会は発達するにつれて、そのことを暴露するようになる。
ここでいう「資産」とは,単なる財貨ではなく,「普
遍的資産」としての生産・流通・消費のシステムのことである。
残念ながら、ヘーゲルの市民社会論はここで止まる。その後のハプスブルクであったりプロイセンだったりする「国民国家」への期待は見事に裏切られていく。ただヘーゲルはそれすらも必然的は発展過程とみていたかもしれない。


5-B マルクスの市民社会論
『資本論』はマルクスの独自の「市民社会」論となっている。
a. マルクスは,ヘーゲルが問題にした「富と貧困」の
問題は,資本の労働搾取に基づくものと論を進める。

b. 「富の蓄積は貧困の蓄積である」と議論を進める。(私が思うには、マルクスは労働市場と商品市場との根本的な差異を指摘したのである。かなりどぎつく不正確な表現であるが…)

c. マルクスは,ヘーゲルの「職業団体」に対応するものとして,「労働組合」や「協同組合」を位置づける。


私たちはこれまで、マルクスがヘーゲルの弁証法を唯物論的に改造し、史的唯物論を打ち立て、古典派経済学の成果を引き継いで社会主義革命の理論を打ち立てたのだと考えてきた。

しかしそれは間違いではないが、不正確なのではないか。そんな気がしてきている。

彼の資本論にけるアイデア、とくに歴史的な視点、社会経済学的な視点はかなりの程度においてヘーゲルの市民社会論を直接引き継いだものであるように思われる。

古典派経済学の教科書を書くのに、リカードの見解だけを並べて、アダム・スミスの議論はリカードの意見に包摂されているからと省略することがあるだろうか。むしろ、アダム・スミスの論建てを最初に提示してこれにリカードらがどう追加・修正を加えていったという展開にするのが普通であろう。

その発想でいくなら、「ドイツ古典経済学」の教科書は、ヘーゲルがイギリス古典経済学から何をどう学び、どのように立論を展開したのかが、まず論ぜられるべきであろう。その後にマルクスの修正が加えられるべきであろう。

弁証法論理学がヘーゲルから引き継いだものの主体と考えてきたが、考えてみるとそれは付け足しだったかもしれない。
(57年草稿の頃はかなり論理学も読んでいたようだが)

マルクスがヘーゲルから引き継いだ最大のものは、実は「革命家」としての情熱だったのではないか。ヘーゲルは度し難い観念論者であると同時に、最もアクティブな立場を貫いた革命家であった。それが法の哲学のいたる所からほとばしり出ている。

見田石介さんはヘーゲルが観念論者であるにも拘らず唯物論的な発想で多くのことを語るために、論旨がわかりにくくなっていると嘆いているが、そうではないと思う。
彼は革命家である限りにおいて唯物論的たらざるを得なかったのであろうと思う。

私たちは今後の理論的スタンスを
「アダム・スミス党ヘーゲル派マルクス・グループ」と定め直さなければならない。

なぜヘーゲルか

このところヘーゲル絡みの話題が続いているので、読者の方々は「なぜいまさらヘーゲルか」と訝しんでおられるかもしれない。

実は、事の発端はケインズにあるのであって、根井さんの「ケインズ革命の群像」(中公新書)という本が面白くて読んでいたら、厚生経済学」に突き当たった。

経緯は省略するが、ケインズもビグーもマーシャルの新古典派を引き継いでいるが、かなり毛色が違う。

厚生経済学は一方で進歩的な色合いを込めつつも、実際の理論は数字ばかりでさっぱりわからず。言うこととやることがこれだけ違う学問も珍しい、不思議な学問だ。

結局、ミーゼスやハイエクも含めて、需給曲線と市場原理主義で価値論を無視する新古典派は、一括してポイ捨てするほかないと思うようになった。

スミスが「諸国民の富」を書いたとき、経済の研究対象は「富」と定められたはずだ。富を考察の対象から外した学問が経済学であるはずがない。それはたかだか「市場経済学」だ。

ということで、スミス→ミル→リカード→マルサス→セー→マルクスとつながる古典派をもう一度押し入れから掘り出して、ホコリを払って再吟味するべきではないかと思う。シュンペーターは準会員だ。

それで考えているうちに、「いきなり→マルクスだろうか?」と考えるようになった。

つまりそこにはカッコ付きかもしれないが、ヘーゲルが入るのではないかと思ったのである。

なぜそう思ったのかには理由がある。

以前「療養権の考察」を書いたときに、ヘーゲルの「仕事」概念が知りたくて「法の哲学」を読んだことがある。

なかなか目からウロコが多くて、すごく感心した。

それで、あとから「経済学批判要綱」に行くと、ヘーゲルの仕事概念を下敷きにした労働力能論や、欲望の拡大再生産論があったりして、あぁかなり「法の哲学」を読み込んだなぁと感じたことがある。

それと、我が身に合わせて言うのもなんだが、マルクスはどれほどヘーゲルを読み込んだのかという素朴な疑問もある。ドイツ語の原文でも難しいのは同じだろう。大抵は耳学問ですませたのではないかと勘ぐってしまう。

ただし「法哲学」だけはノートもとってガッチリと読み込んだ。「批判」も書ききっている。だからマルクスにとってヘーゲルのイメージは「法哲学」だったのではないか。

だから、マルクスがヘーゲルから経済学についてヒントを得たとしたら、それは法の哲学だったろうと思う。

ということで、マルクスとヘーゲルの関係については一つの研究対象となるのだが、私の考えているのはそこにはない。

もちろんヘーゲルは古典派経済学をそれほど本腰を入れて研究したわけではないだろう。また法の哲学はあくまで法の哲学であって経済の哲学ではない。

しかしそれにもかかわらず、ヘーゲルには独特のひらめきがあるし、古典派経済学に重要な寄与を成し遂げているのではないかと想像する。

もっと言ってしまえば、ヘーゲルはドイツ古典哲学とイギリス古典経済学を結合させた最初に人物として評価されるべきである。このような文脈で言えば、マルクスは経済哲学の分野の二代目に過ぎない。
ヘーゲルは初代らしく闊達に資本主義(市民社会)を語る。彼は資本主義社会の根っこをなす商品社会・市民社会のエッセンスを、ある意味マルクスよりより全面的に網羅しているのではないか。

また当初よりマルクスが特別力点をおいている所有の問題ではヘーゲル法哲学との取っ組み合いの中で独自の視点を形成していったと思われるので、この点についても両者の視点の違いと共通性を考察する必要があるだろうと思う。

いずれにしても、ヘーゲルを古典派経済学の山並みの一つのピーク、とりわけ経済哲学の一つの頂点として改めて見直す必要があるのではないか、というのが私の意見である。



という論文にドイツのアルントという人の説が紹介されている。
これぞ私のもとめていたものだ!

とりあえず、リード部分を紹介しておく。

マルクスの経済学批判の構想(プラン)は,1.「資本」から始まり,2.「土地所有」,3.「賃労働」,4.「国家」,5.「国際貿易」,を経て,6.「世界市場」に至る。

これは,ヘーゲルの「市民社会」から「国家」に至る『法の哲学』に対応するものである。
したがって,マルクスの『資本論』はヘーゲルの『法の哲学』との対応においてこそ,検討されなければならない。

それに対して,ヘーゲルの『論理学』とマルクスの『資本論』は(これまで強い影響が指摘されてきたが)、理論のレベルが異なり,マルクスの『資本論』からヘーゲルの『論理学』を批判的に乗り越えた「論理学」を見出すことはできない。

ヘーゲルの『論理学』ではなく、『法の哲学』とマルクスの『資本論』との対応について検討するべきである

と、アルントは主張する。

角田修一 書評
「見田石介著作集 第1巻 ヘーゲル論理学と社会科学」(1977年)

見田石介は
「ヘーゲル弁証法の神秘的な観念論の外皮というものは、それを一皮むけばそこに正しい弁証法が現れてくると言った表面的なものではない」
と言った。
そんなにかんたんなものではないからこそ、彼の哲学は難解なのだ。
見田石介は
「マルクスの方法を理解するのに、ヘーゲルの言葉や流儀を当てはめようというのは間違いであり、『資本論』にそれらを適用しようと試みるなどというのはまったく非科学的な態度である」
と述べている。

へーゲルの観念論たる本質はどこにあるのか。どこを最も警戒しなげればならないのか。
見田石介は
「要するにヘーゲルは、人間の思考過程を現実の過程と同一視した。へーゲルの思考概念は、現実の世界を生みだす真の実在になってしまっている」
にも拘らず、ヘーゲルにはまた、客観的内容を一定反映した「唯物論的な要素」がある。
そこには人間の認識の限界を説く経験論や、認識を主観の世界に閉じ込めるカント主義とは異なるヘーゲルの科学主義がある。
ヘーゲルの難解さの原因は、このような二面的立場の混在にある。

へ-ゲル弁証法の合理的な核心
見田石介は
「否定という形式のもとでの発展」が、へ-ゲル弁証法の合理的な核心だとする。
それは第一に事物の変化が、それぞれの事物の自己運動だということである。それは現状否定という形で運動する
第二には、事物の変化が発展だということである。それは単純な否定ではない。古いものは新しいもののモーメントとなり、新しいものはより豊かな一つの全体となる。
第三は、諾事物の変化はたがいに連関(因縁)を持っているということである。それは必然的でありユニバーサルである。

へ-ゲル弁証法の革新性

へーゲルの論理学は従来の論理学(形式論理学)に対してどこが新しいのか。

見田石介は
第一に、へーゲルは「弁証法」を持ち込んだこと。弁証法とは上記の3つを柱とするもの。
第二に、感覚的な直接的な認識から本質へと向かう「探求の過程」を示し、既存の論理的な諸カテゴリーを位置付けたこと。
第三に、最も基礎的な概念から出発して、直接的な認識にすすむ「叙述の過程」を示したこと。
第四に、概念や推理の形式のみを取りあっかう形式論理学でなく、「思考」が論理をとらえる過程を対象とした。(ヘーゲルの「思考」は自然過程の裏返しであることに注意)
第五に、「普遍」についての新しい考え方を提起したこと。(内容略)
をヘーゲルの論理学の発展への寄与とした。それはへーゲル論理学のうちの肯定的側面としてマルクスに受げつがれた部分でもある。

一方でヘーゲルの論理学は根本的(致命的?)な欠陥を持っている。

見田石介は
へーゲルの方法は、
①叙述的方法: 現実の事物の原理としての概念から具体的なものを展開する方法
②演繹的方法: 抽象的な要素から具体的なものを総合する方法
③歴史的方法: 探求の過程に沿った方法
の3つを区別できなくなっている。結局①の方法に集約させてしまう。
哲学史の歩みに照応した認識の深まりの歴史的過程も、実際に事物を分析し総合して行く合理的な認識過程も、すべて萌芽としての根本概念からの発生的展開という衣を着せられてしまう。
へーゲル自身、論理学の中で分析と総合をおこないながら、これに概念の自已展開という移式を無理にあてはめるのである。
これがへーゲルのいう「絶対的方法」の根本的欠陥である。

と書いた。

「1968年7月11日クーゲルマンあての手紙」

榎原均さんのページを使わせていただきました。すなおに尊敬に値する経歴の持ち主です。


社会的総労働の配分論としての商品論

世の中にはいろいろな欲望があり、それぞれが一定の量を持っています
それらのいろいろな欲望量に対応して、いろいろなものが生産されます。
それらの生産物が生産されるためには、いろいろな社会的総労働が必要となります。
それらの生産物、さらにそのための労働については、いろいろな“量的に規定された量”がもとめられるでしょう。

これは子どもでもわかることです。

このように一定の割合で社会的労働を分割することは、いつの世の中でも必要です。

もちろん社会のあり方によってその現象様式は変りうるのですが、労働の社会的分割そのものは必ず必要です。それはけっして社会的生産の特定の形態によって廃棄されうるものではありません。
(どうも社会的分割というのは分業ではなく、いわば「社会的協業」ともいうべき共同作業を指すようだ)

自然法則はけっして廃棄されうるものではありません。
歴史の移り変わりとともに変化するのは、それらの諸法則が貫かれる形態だけです。
その歴史的形態の一つが交換価値です。

なぜ交換価値が特殊なものなのか。それはある種の社会的生産の形態に伴って発生するからです。

それはどういう社会か。
それは「社会的労働の関連が個人的労働生産物の私的交換として実現される社会」です。
つまりそれは、生きた人間同士の関係が、労働生産物の交換を通じて実現される社会です。
しかも生きた人間は生産を個人的に行い、生産物を私的に交換するのです。それが主要な社会関係となっているような社会形態は商品社会と呼ばれます。

交換価値は、商品社会という社会形態での労働分割形態の(量的な)表現なのです。


ここまでが本文。榎原さんは話をわかりやすくするために、ロビンソン・クルーソーの挿話を付け加えている。

ここで自然法則とされている労働の社会的分割に関して、マルクスは「ロビンソン物語」を念頭に置いていると思われる。

ロビンソンには生産的な仕事がいろいろとある。彼は、それらの仕事が自分の身体活動の、したがって人間的労働のちがった形態にすぎないことを知っている。

彼は、必要に迫られている。生活のために彼のさまざまな仕事時間を正確に割り振らなければならない。どの仕事をより長く、どれをより短くするかは、目的とした有用効果の達成のために自ずから定まる。経験が彼にこのことを教える。『第一篇 商品と貨幣 第一章 商品 第四節 商品の物神的性格とその秘密』

ここで明らかなように、ロビンソンの労働配分は、一方における欲求、他方における必要労働時間を勘案して決められる。
この場合、商品も交換もないのだから交換価値も抽象的労働も存在しない。欲求量と労働量とは、ロビンソンの内部において一致している(せざるを得ない)。


ロビンソンの次に「農民家族の素朴な家父長的な勤労」が考察される。
家庭内で農耕、牧畜、裁縫などが自然発生的に分業される。それらは、商品生産と同じように機能する。しかし個人の労働は共同的労働力の器官としてのみ作用する。
家族という共同体内部では、日々の必要量、個々の労働を担う成員の能力が前もって明らかになっている。それが労働の社会化のを成立させる柱となっている。

まえがき 工藤さんの言いたいこと

1.価値の二重性とアリストテレス
商品の価値には使用価値と交換価値という二重性がある。これはマルクスが「経済学批判」で再三強調しているように、アリストテレスが発見したものである。
2.ヘーゲルはアリストテレスを引き継いでいる。
ヘーゲルの「哲学史」はアリストテレスの影響を受けている。
3.マルクスはヘーゲル論理学の受容
マルクスはヘーゲルをそのまま引き継いでいるわけではない。
マルクスはヘーゲルの自己展開の論理を発生論的推論に置き換えている。
また展開過程を歴史的に追試することにより確認しながら進んでいる。
この2つの“逆立ち”修正操作により、ヘーゲルの論理の持つ観念論的弱点が克服され、荒唐無稽さが払拭された。そしてヘーゲルの論理学の真髄が引き出された。

資本論・商品論とヘーゲル

(1)商品分析の4つの段階
資本論第一部冒頭の「商品の分析」では次のような論理展開が行われている
第一段階: 商品が二重の価値を持つことの説明。すなわち使用価値と交換価値。
第二段階: 交換価値の本質は労働の作り出した「価値」である。
第三段階: 商品の二重の価値を労働が作り出すのだから、労働も二重性を帯びていることになる。それは具体的有用労働と一般的抽象労働である
第四段階: 市場においては、商品と商品が等価として対置される。それは人間的労働が等価の関係として対置されることである。(ということは、人間的欲望が対応しているということでもある)
このような論理展開はヘーゲルの論理学を元にしている。

(2)ヘーゲルの3つの論理
この4つの段階は、ヘーゲルの「大論理学」に示された3つの論理の応用である。その3つの論理とは
① 「分析的認識」(大論理学の「概念論」と関係)
② 「反省的思考」(大論理学の「本質論」と関係)
③ 「判断」(大論理学の「概念論」と関係)
以下、この3つの論理について詳説する。

第一の論理 分析
分析の視点は商品認識の4つの段階に共通して現れる。
ヘーゲルの考える分析の方法: 分析は何度も繰り返し掘り下げる。
① 素材を論理の塊として再構築する。素材は直観の塊であり、これを論理の塊として抽象化する。
② 認識は進展であり、区別の展開である。視点を据え、要素に分解し、要素の集合として特徴づける。
③ 進展は区別の展開の繰り返しである。区別された抽象をふたたび具体化し、さらに区別する。

第二の論理 反省
① あらゆる存在は、「媒介」されて存在する。存在を知ることは「媒介」を理解することである。
② 存在を媒介との統一として把握することを、「反省された思考」という。
③ 大論理学の「有論」では、まず物事はその直接態において捉えられる。その際に、物事の奥に隠されたものを「本質」という。
④ 物事の本質を探るためには反省が必要。

この付近から相当、腹がむず痒くなってきた。この人はヘーゲルが分かっていない。
ヘーゲルは“Reflexion”と言っているので、反省ではなく反照だろう。鏡に写った影だ。フィルムに落とした風景だ。
ヘーゲルというのはいったいに言葉の使い方が乱暴な人で、そのうえに訳語がずれてくるから、何を言っているかわからないところがたくさんある。ヘーゲルの本を読むコツは、わからないところは飛ばすことだ。ツァー会社の宣伝ではないが「ヘーゲル、5日間の旅」だ。大丈夫、彼はまた同じことを繰り返す。

第三の論理 判断
判断とは物事が存在する必然性についての理解である。
ヘーゲルの唱える判断には2つの特徴がある。
① 概念内に措定された規定性(なんやこりゃ?)
② 判断のプロセスは思考の上行過程と呼ばれる。
③ そこではまず定有の判断が行われ、ついで反省の判断、そして必然性の判断が続き、最後に概念が判断される。
この定有→反省→必然性→概念という4つの判断過程を踏むことによって新しい概念が作られる。

多分ここで言いたいのは、現象→実体→本質という武谷の三段階説と同じことだ。しかし武谷モデルのほうがはるかにスッキリしている。ここで高齢学習者である私の学習エネルギーはがくんと落ちる
ここで私は本を閉じた。

なお「分析」にかかわる記述でちょっと脈絡なく、クーゲルマンへの手紙が紹介されている。
これは分析の視点の一つとして、「概念を歴史と発展の視点から捉える」というマルクスの立場を示したものだ。

この手紙は資本論第一部の発行後1年経ってから書かれたもので、分配問題について重要な言及がある。

工藤さんによれば、
① 社会の欲望量には社会的総労働が対応する。その個別の分配割合は社会的に規定される。社会的に規定されるというのは、市場的であると否とを問わない。
② 社会的配分の仕方は生産形態によって規定されない。それ自体が自然法則であり、それをなくすことはできない。
③ 労働生産物が私的に交換される社会、すなわち商品社会では、社会的配分は交換価値を通じて貫徹される。
ということで、面白そうな話題だが、詳細不明である。あとで調べてみよう。

マルクスは所有の問題、労働の問題でヘーゲルを引き継いでいる。それはおもに「法哲学」を通じてのことになる。ところがヘーゲルのこれらの議論は、アダム・スミスを読んで得た知識に基づいているらしい。
ということで、マルクスは経済学の概念形成にあたって、特に初期においてはスミス→ヘーゲル経由で仕込んでいるのではないかという気がする。

そんな日々の中で、たまたま「マルクス資本論とアリストテレス・ヘーゲル」という本が見つかった。パラパラと目を通す。
工藤晃さんの書いた本で2011年、新日本出版社の発行だ。
私の目下の関心とぴったりだと思って読み始めたのだが、どうも車線違いのようだ。

工藤さんは資本論の論理がヘーゲルの大論理学と重なっていることを強調したいらしい。そのうえで、マルクスが援用するヘーゲルの現象(認識)過程論がアリストテレスに淵源を持つことを強調する。

ただしアリストテレスのことなどは、当座どうでも良いことなので、少々煩わしい。

工藤さんの問題意識は、むかし読んだ見田石介さんの「資本論の方法」につながるものではないだろうか。正直の所、この年になってヘーゲル論理学を深めようという気はない。またマルクスにそれほど肩入れしたり、忠義立てしようとも思ってはいない。

むしろヘーゲルが直接イギリス経済学に触れてそれを摂取しているのだが、それをどう解釈すべきかが一つ、もう一つはそれをマルクスはどう受け止めているかというのが一つである。

一応、最初の数ページだけメモしておくことにする。



この間読んだ文献で、マルクスの真髄は労働価値説よりも私的所有の廃棄にあるのではないか、と書かれていて気になっていた。

そこで、所有の問題をロックからヘーゲルと引っ張ってきて、市民社会の根底に据え、それを覆すことを革命論の中核に据えた、という議論が本当に正しいのかを少しかじってみたい。

ヘーゲルの「法の哲学」第41節

「人格が(法的な)理念として成立するためには、自分の周囲にある「自由圏」を自分に与えなくてはならない。

持って回った言い方だが、自分の周囲の「自由圏」を自分のものになってはじめて人格が成立する、つまり人格というのは「自分+自分の所有する自由圏」ということになる。

したがって、「所有」とは自由の最初の現実化であり、自由の最初の実在性である。


「法の哲学」第42節

自由圏は本質的に外界であるが、人格に取り込まれることにより、「物件」と呼ばれるようになる。そしてそれは法律的な関係の中に立つ。

人格は発展し、自由圏は拡大する。したがって人権のもたらす物件は増大する。


第43節 交換可能な物件

物件の中には2つのものが含まれる。ひとつは人格と分かちがたく結びついた生命や肉体、天賦の才能といった物件である。

この他に第二の物件もある。それは人格が意志を以って、自らの能力によって生み出した所産である。

これら第二の物件は、外的な自然の諸物件と同じように契約や売買の対象とすることができる。

ただし人格の支配のものに置くことができない自然対象、太陽や星などは物件とはなりえない。

第44節 物件に対する所有権

外面的に見れば、物件はいかなる自己目的も持たない。これを所有に結びつけるのは、人格の意志である。

物件とはあるものを物件にしようとする意志の産物でしかない。

ここでヘーゲルの物件論は一旦無内容になる。

第45節 占有と所有

所有一般は誰かのものにすることであるが、占有は私のものにするということである。

所有は状況であるが占有は行為であり意志である。

占有が所有となるためには、それが合法的に行われた上で、社会全体から承認されなければならない。

所有を指すドイツ語

ヘーゲルはDas Eigentum を用いている。所有ではなく財産と訳されることもあるが能力という意味を含むので資産というべきである。

46節 私的所有の必然性

所有という形で私の意志は客観的なものとなる。自然は人の意思を受け入れ、この時所有は私的所有という性格を帯びる。

ずいぶん持って回った言い方だが、ヘーゲルは観念論者の宿命として、いかに述語に主語を持たせないかに気を使う。

ロックは私有財産を労働から基礎づけた。
ルソーは私有財産を技術の発展から基礎づけた。
ヘーゲルは“個別的な意志の排他性” から私的所有の必然性を基礎づけた。

ヘーゲルは、ここでは社会関係の枠組みを無視して議論している。しかし政治家ヘーゲルは、後の段で、「国家という理性的な有機体」に対しては、共有や公的所有を認めている。


47節 生命と肉体への権利

私は私の精神と肉体を所有する。それは他の物件を人格として所有するのと同じである。

動物も彼らの霊魂により自分を占有している。しかしそれは意志による占有ではないから、権利による所有ではない。彼らは自分の生命に関するいかなる権利も持っていない。

肉体はただの現存在であるかぎり精神的なものではない。それが精神の器官となり手段となれば、それは自由で意志的である私の一部となる。そのような肉体に加えられた暴力は私に加えられた暴力である。

だから何やちゅうねん。

49節 財の平等

具体的な人間は、個人として、各自異なった欲求や目的を持ち、能力や機会も異なっている。結果として財の占有には偏りが出る。

抽象的な同一性に固執する平等論は空虚である。

しかし生計は占有の概念とは別に語らなければならない。生計は抽象法の範疇ではなく、「市民社会に属する問題」である。

「効用」を考える

1.「効用」と使用価値

新古典派の代名詞は「効用」である。「効用」そして「限界効用」は古典派にはない概念だ。

新古典派にあっては価格の源となるのが効用だ。

効用(utility)というのは商品に付帯する性質である。“Goods”の持つ “Worth”であろう。

それは古典派における「使用価値」(value in use)とかなり重複する概念だ。古典派にあって取引というのは基本的には等価であるから、価値(商品に含まれた労働量)によって決まる。

しかし価格は価値によって決まるのではない。売れるものは売れて、場合によってはプレミアが付く。逆に売れなければ割引するが、最悪投げ売りするほかない。

古典派によれば、価格と価値は個別にブレることはあっても一つの市場全体としてはバランスが取れることになっているので。総価格と総価値はイコールになるはずだと言われる。だがそうだろうか。

もう少しいろいろな事情を取り込みながら、価格の決定過程を具体的に探っていくべきではないだろうか。

そう言われると「たしかにそれはそうだよね」という気持ちにならないでもない。

しかし具体的な算定法になると、「完全競争市場」という信じられないほどの単純化と大胆な仮定の連続で、それで出てくる数字に有効性があるとは思えない。

私としては、「長期的には価格は価値を反映する」ことを前提にして、どんなものが価格実現過程を撹乱するかを列挙し、それらに重み付けするのが一番現実的なように思える。

そういう点では、新古典の分析手法を基本的に受容できないのである。

2.心理学的範疇としての「効用」

効用というのは“もの”に即してみれば、その具体的有用性である。ただ人間側から効用を見れば、それはむしろ心理的な欲望を充足させる度合いである。

そして、新古典派ではこちらの意味合いの方が強そうだ。欲望が強ければ満足量も増えるし満足度も高まる。逆に何度も使っていれば飽きてくる可能性もある。

しかし欲望充足の程度というのはあまりにも多変量的であり、その評価についてはほぼ絶望的であろうと思われる。基数的効用とか序数的効用というが、それは結局、供給量を増加させたときの市場の反応だ。
たしかに「効用」が評価されれば需要は高まり、それは二次的に供給量として反映されるであろうが、原因と結果が堂々巡りする同義反復のような気がする。

3.「効用」と欲望の関係

「効用」というのはおそらく欲望との関係でもたらされる関数であろうと思う。欲望のないところに「効用」は生じないが、ひょっとすると使用価値がゼロであっても「効用」は生じる可能性がある。

欲望は生産とどのような関係にあるか。欲望はモノなしには生じない。それはモノを消費することで生まれる。すなわち欲望はモノそのものではないが、モノと同様に生産されるのである。

欲望の生まれる可能性は無限に存在する。つまり一般的欲望は無限大である。しかし具体的な欲望(例えば需要)は物質に依存するので、時・場所・場合により変わってくる。

4.欲望より見た市場

生存要求に基づく欲望は直接的であるが、生産力が上昇すれば社会的・間接的要求の比重が高くなる。その内容も多彩になるため、需要供給曲線に表すこと自体が無意味になるのではないか。

市場の意義は商取引よりも需要喚起、欲望の掘り起こし機能が主要なものとなる。

実需に基づく市場においては、商品需給と労働力需給がほぼパラレルに動くものと思われるが、欲望が多様化し需要構造が複雑化するようになると、両者にズレが見られるようになる。また信用制度が発達するとキャッシュフローの時間差が激しくなり、市場を揺さぶるようになる。

このような状況になっても「市場原理主義」を貫くのか、さまざまな代替案を組み合わせるのか、真剣に考えなければならない時代になっている。
新古典派経済学がそのままで進めないことは明らかである。


1943年、センのふるさとベンガル州で大飢饉が起きた。この飢饉は200万人を超える餓死者を出した。当時9歳のセン(Amartya Sen)はこれに衝撃を受けたという。

長じたセンは、イギリスで新古典派経済学の研究に入る。ただ新古典派にとどまることはできず、独自の領域を開いてきた。

彼の新古典派に対する最大の不満は、きわめて多様であるはずの欲望を一元的な「効用」概念に収斂してきたことだ。

そこでセンは,「効用」の評価をより多様な方向に拡大し、多様性を許容するアプローチの方法を考え出した。(それは樹によって魚をもとめることになるのだが)

ウィキペディアによればセンの提案は以下のごとくまとめられる。

1.経済学は倫理学と工学から派生していると主張。前者を「モチベーションの倫理」、後者を「それを達成するための手段」とする。

2.途上国の購買力と飢餓の関係を、市場競争における市場の失敗によって説明。飢えを回避しようとする政府が欠如していることの影響を強調。

3.経済学は数字だけを扱うのではなく、「共感性・関わり合い・利他性」(コミットメント)を重視すべきだ。

4.経済成長が達成されるためには、経済改革にたいして教育と国民の健康における改善などが先行しなければならない。それによって国民の潜在能力が確保されなければならない。

5.潜在能力(ケイパビリティ)とは、「人が善い人生を生きるために、どのような行動をとりたいのか」を考え実行する能力群である。

6.人間開発指数(HDI:Human Development Index)はそのための具体的指標だ。しかし平均寿命・教育・国民所得は手段であって、目的そのものではない。

私の感想だが、

センはアダム・スミスとマルクスを愛読していたというが、人間の労働にもっと確固とした価値を置くべきではなかったのか。

かなり苦労して新古典経済学を進歩的な思想と結合させようとしてるが、結局厚生経済学にとどまる限り、樹によって魚をもとめるようなものであろう。

センは良くも悪しくも「厚生経済学」の広告塔であろうと思われる。だからその理論的背景を詮索するよりも、彼の言わんとする所を素直に受け止めることがだいじなのではないかと思う。




最初の見出しは「ルディー和子さんの 『経済の不都合な話』を読む」だったが、変える。ルディーさんの「話」をネタに私がオダを上げているだけで、ルディーさんがそう言っているように書いているのはほぼウソです。まことに申し訳ございません。
でもけっこう同感してくれるのではないか、とひそかに心中思っています。


ルディー和子さんの 「経済の不都合な話」が面白い。
とりわけ腹を抱えてしまうのがこの部分

第3章 科学になりたかった経済学
・経営学やマーケティングに理論などない 
・教科書どおりにインフレにならない理由 
・「日銀の約束」など誰も信用しない 
・経済学者はおろかなのか、それとも… 
・物理学への憧憬 
・定職につけなかった経済学の祖 
・経済学は厳正科学になりたかった 
・「合理的経済人」が感情の産物という皮肉 
・ノーベル経済学賞が逃れられない後ろめたさ 
・「美しい数式」と絵画や音楽の不思議な共通点 
・数式に魅せられ人間社会を誤認する

ルディーさんはまず、ジェボンズ、メンガー、ワルラスら新古典派に共通する議論の特徴をこうまとめる。
労働量が価値を決めるのではなく、顧客の満足度が価値を決めるという「逆転の発想」
労働価値説の否定でなく、価格形成過程からの排除という「けたぐり」による、古典派経済学のちゃぶ台返し。
価格形成論の除外により、労働者と労働過程を経済学の関心圏外に置くこと。
ついで今度はフィクションの積み重ね。「おとぎ話」を数式化することで真実らしく見せる詐欺的手口。
「顧客の満足度」を微分していくとどうなるか。

財の消費で得る満足感、これを効用と呼ぶ。その一単位(しかも最後の消費)を限界効用と呼ぶ。
これが財の価値を決める。したがって価格を決める。

つまり新古典派は「快感」を定量化するという無茶をやって、それを世の中の事象を測定する上での物差しにしようとするわけだ。

「今のはこんなに気持ちよかったから、これを1万円ということにして、世の中決めていきましょう」という話だ。下品な例えで申し訳ないが…

ついで今度はその「限界効用」をさまざまな条件をつけて積分してみようということになる。つまり、一度干して干魚にしたものを、もう一度お湯で戻して食おうという話だ。

困るのはあらゆるパラメーターが「快感」の関数になってしまうことだ。科学的な様相を呈すれば呈するほど、この極端な主観性による歪みがひどくなる。

ルディーさんは、新古典派がここまでのさばってしまったのはシュンペーターのせいだという。
数学が苦手だったことで有名なシュンペーターがワルラスを天まで持ち上げたのは皮肉だが、かといってシュンペーターにそこまでの責任があるかというと、それはちょっとかわいそうだろう。

新古典派が生き延びたのは、他ならぬケインズとサムエルソンのおかげである。シュンペーターの発想はケインズとは正反対で、ほぼ正統的な古典派だ。

ルディーさんも、高校の微積分でずっこけた「文化系」の人らしいから、シュンペーターとは相見互いだ。他人事ではない。

1.「経済学」という言葉の範疇

何度も引用するのだが、三木清が「心理学」を批判したことがある。

以前の心理學は心理批評の學であつた。それは藝術批評などといふ批評の意味における心理批評を目的としてゐた。
人間精神のもろもろの活動、もろもろの側面を評價することによつてこれを秩序附けるといふのが心理學の仕事であつた。この仕事において哲學者は文學者と同じであつた。
…かやうな價値批評としての心理學が自然科學的方法に基く心理學によつて破壞されてしまった。

2013年11月09日 三木清「幸福について」を参照されたい。

ようするに、心理学という言葉の剽窃であり、しかも厚かましくも商標登録してしまったみたいな感じである。

どうも新古典派の経済学にも同じ匂いが感じられてならない。

2.「経済学」の研究対象

言うまでもなく近代経済学というのはケネーの再生産表に始まり、スミスによる重商主義からの脱皮、労働価値説と進む中で、「価値論」を中心に展開してきた。

それはリカード、マルクスへと連なっていくわけで、マルクスが政治的に異端であるから異端というわけではなくまさしく経済学の王道なのだ。それはいまでもそうだと思う。

これに対し、新古典派と称されるいくつかの潮流がいずれも需要・供給関係を中軸とする市場メカニズムの探求に集中・特化してきた。

それは流通過程の一局面であるが、決定的に重要な局面でもある。そこで生産者は「命がけの跳躍」をしなければならない。

ただ個別の跳躍は、全体の流れの中では必然的過程として理解される。

それは鮎が瀬を跳び上がって上流に進むのに似て、まさにミクロな行為だ。

3.マル経は近経の一部分になるべきか

たとえ、百歩譲って、新古典派のミクロ経済学を経済学の主流だと認めるとしても、それは経済の諸分野の中の一つだと言うことを主張したい。

「価値論」を中心的関心領域とする「制度経済学」は市場中心志向の「経済学」とは別の分野の学問として独立した扱いを必要としている。

この「価値」志向型経済学は、マル経の閉鎖性のゆえに統一したアイデンティティを持たずに過ごしてきた。

スミスやリカードは「資本論」を書くための踏み台扱いされてはならない。マルクスが最晩年に苦闘した第二部草稿は、まさにスミスとの思想的取っ組み合いだ。

だれかが、一度スミスからマルクスに至るレビューを行い「古典派ミクロ」経済学の骨格を再構築してほしいと思う。

おそらく、「剰余価値学説史」を通読することで、見えてくるものがあるのではないかと思うが…

アメリカにおけるケインズ受容

1935年秋 ロバート・ブライス(カナダ人でケンブリッジに留学)、ハーバード大学で「一般理論」の紹介を開始。

1936年1月 「一般理論」が公刊される。米国へは2ヶ月後に流入。

米国では「一般理論」のうち有効需要論が集中的に取り上げられた。

1937年 ミネソタ大学のハンセンがハーバードに赴任。当初は保守派であったが、まもなくケイインジアンに転向。

ハーバードはケインズ派の牙城となり、サムエルソン、ガルブレイズ、ハリスなどが輩出する。

1948年 サムエルソン経済学が出版される。
不完全雇用時にはケインズ主義的介入を行うべきであるが、ひとたび完全雇用に達すれば新古典派理論がその真価を発揮する
崩れた新古典派のミクロ環境は、インフレターゲットをもつ金融緩和と財政出動によって回復しうるとした。これを「新古典派総合」と名付けた。政策メカニズムはそのとおりだが、これって学問ですか? 
 なにか発想が違う。反省がないような気がするが…

異端派のガルブレイズ、「計画化体制」概念を提起。これは千社程度の大企業が国家と固く結合した体制で、企業は国家の一翼となり、国家は計画化体制の道具となっている。(要するに昔の国独資)

1958年 ガルブレイズ、「豊かな社会」を発表。私的な欲求と公的な必要との不均衡を問題にする。
貧しい社会には誘惑がないし、公共サービスを厳格にすることができる。しかし豊かな社会はそうは行かないのだ。
そこでは消費欲望を満足させる過程自体によって消費欲望が作り出される。それは依存(Addiction) をもたらす。
1971年12月 J.ロビンソン、アメリカ経済学会で「経済学の第二の危機」と題して講演。
アメリカのケインジアンは、「財政赤字は無害だ」とし、産軍複合体がそれを利用するままに任せた。雇用問題は解決されたが、「なんのための雇用か」問題は解決されていない。
分配問題は経済の問題ではない。それは不平等の容認。放置すればインフレが発生し自由主義の慣行を掘り崩していく。
格調高いが、「分配」は経済ではないというのは逃げだ。

シュンペーター 需要の拡大を先頭に置くことへの批判(批判にはなっていないが)
経済における革新は消費者の側から自発的に現れるものではない。むしろ新たな欲望が生産の側から教え込まれることが普通である。従って革新のイニシアチブは生産の側にある。

1977 ガルブレイズ「不確実性の時代」を出版。

さてこのパレート効率性(Pareto efficiency)というのがわからない。

新古典派の常識なのだそうだが、聞いたこともない。

とりあえずはウィキペディアから…

資源配分に関する概念のひとつ。パレート最適ともいう。

イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレート(Pareto)が提唱したのでこう呼ばれる。

ミクロというのはいちいち気にさわる「学問」だが仕方ない。

資源を配分するときに、誰かがシワ寄せされる状況を「パレート効率的」という。要するに犠牲を伴う貧困状況だ。
状況が改善して犠牲者なしとなれば、パレート改善したという。

問題はここからで、パレート改善するということは、誰の効用も犠牲にせずに誰かの効用を改善し得るのだ。

つまりきわめて望ましい状態だが、新古典派にとってこの状況は非効率的で、望ましい社会とは言えない。

彼らにとって、パレート効率的であることは、望ましい社会の十分条件ではないが必要条件である。

つまり、社会が満たされない人を抱える程度に不平等であることがパレート的には「良い社会」なのだ。


厚生経済学の基本定理

パレート効率性と競争均衡配分には2つの関係がある。

第一基本定理: 消費者の選好に一定の幅があるとき、競争均衡によってパレート効率的な配分が行われる。

第二基本定理: 消費者の選好に一定の幅があるとき、パレート効率的配分は競争均衡配分として実現可能である。

ということで「パレート効率性」がわからないままだが、それを知るためには厚生経済学というものを知らないとならないようだ。

の抜書です。


1.なぜマルクス主義は規範理論を探求すべきなのか? 

新古典派経済学は、従来の狭いパースペクティブを超えた問題関心を持ち、分析枠組みを拡張させている。

もはやマルクス主義が「資本論」体系に拘束された展開を続けるのは有効ではない。

マルクス主義者は規範理論にコミットする事が必要だ。事実解明と分析の後に、マルクス主義的な価値観に立脚した独自性を発揮すべきである。

マルクス主義のアイデンティティとは、まず、資本主義を永久不滅なシステムと見ないことである。
ついで、「よりまし」な社会経済システムへの改革の展望を、科学的に基礎付ける事である。
そしてさらには現状からの代替案となりうる新しい社会経済システムの構想を、理論的裏づけをもって提示することである。


2.労働所有権思想と「必要性の原理」

資本主義経済システムは労働搾取のシステムとして理解されている。
その理由は、「労働の搾取」理論がロックの労働所有権思想を起源としているからである。
これでは、「搾取、搾取というけれど、いったい何が悪いの?」という疑問に対して、説得的な返答が出来ない。

しかし、ロック主義は資本主義の真髄であり、本来のマルクスとは異なる。
マルクス主義の分配に関する本来の規範的基準は「必要原理」であり、ロック主義的な労働所有原理ではない。

「必要原理」を将来の人類の課題へと棚上げすることなく、現代の生産水準の下でも実行可能な資源配分に関して言及するべきである。
そういう「必要原理」の定式化がもとめられているのではないか。


3.厚生経済学の基本定理とパレート効率性基準

「パレート効率性基準」は新古典派経済学の「常識」となっている。
これにもとづいて市場経済の資源配分機能が評価される。それは「厚生経済学の基本定理」と呼ばれる。

「厚生経済学の基本定理」に表れる新古典派経済学の市場観は、マルクス主義やケインジアンなどとは著しく異なっている。

新古典派によれば、
市場経済はその競争均衡により、原理的にパレート最適性を保証する。
実存する市場経済システムが「不完全性」であれば、是々非々で対応することになる。

このような市場観が広範に浸透している以上、対抗的な市場観を提示するだけの外在的批判では、今後の生き残る可能性はもはやない。


4.市場経済至上主義と非市場的社会

市場が完全競争市場の条件を満たし、「社会的厚生」の最大化が実現したばあい、非市場経済的社会生活は満足できるものになるだろうか。

地球環境の問題は、深刻な問題を突きつけている。

また、新古典派経済学の標準的議論には、「パレート効率性」の達成をもって市場経済の性能に免罪符を与えかねないような所がある。

実際の経済では、むしろ「市場の失敗」現象が普遍化している。このように人々の間で利害が対立する局面では、パレート効率性基準はほとんど有効な機能を果たさない。


5.価格理論としての労働価値説

資本主義の下での利潤の生成とその資本家による取得という現象は、労働者階級への搾取と対応している。

しかしこれには、別の規範理論的観点からの説明が必要なのではないだろうか。

価値形成機能を有する生産要素は労働力だけであるという労働価値説は、もはや十分な説得力を持たない。


6.問題は搾取ではなく、生産手段の私的所有ではないのか

資本財を所有しない人は、ルンペンとして生きるか、さもなくば労働者となるしか選択可能な道は存在しない。
このような生きる機会の不平等は、生産手段の不均等的私的所有の下で直ちに生じてしまう。
このような社会のあり方は道徳的に許容できるとは言えない。

資本主義的経済システムは、原理的に人生選択の機会の不平等を拡大再生産する。また、こうした不平等の存在を、そのシステムの本質的契機としている。

先に述べたように搾取論は、ロックの労働所有権思想をベースとしている。しかしロックの中核概念こそが私的所有制度なのだ。

私的所有制を個々人の不可侵な自然権の体現であるとするロック主義的社会契約論が問題の根源にあることを理解しなければならない。


近代経済学年表(ミクロ経済学に焦点を当てつつ…)

重商主義の時代

英国は海外植民地を獲得し、貿易を進めて急速に経済システムを発展させた。これらの貿易に関する知見を集約したのが重商主義である。

1662 ペティ『租税貢納論』
1664 マン『外国貿易によるイングランドの財宝』
1688 名誉革命
1689 権利章典制定(議会主権確立)
1690 バーボン『交易論』
1690 ペティ『政治算術』 
1691 ノース『交易論』
1692 ロック『利子論』
1694 イングランド銀行設立(財政革命)
1695 ケアリー『イギリス貿易論』
1728 デフォー『イギリス経済の事情』
1755 ルソー『人間不平等起源論』
1756 七年戦争はじまる

重農主義の時代

フランスで適切な徴税をめぐり、再生産に焦点を当てた農業経済の理論化が試みられた。

1758 ケネー『経済表』
1767 ジェームズ・スチュアート『経済学原理』

古典派経済学の時代

英国で工場生産が発達し始め、貿易と結びついた産業政策(投資)が求められるようになった。

1776 アダム・スミス『国富論』
1776 アメリカ独立
1780ごろ 産業革命はじまる
1789 フランス革命はじまる
1798 マルサス『人口論』
1803 セー『経済学概論』 
1817 リカードウ『経済学および課税の原理』
1821 オウエン『現在の窮乏の原因の解明』
1821 ミル『経済学綱要』

1838 クールノー『富の理論の数学的原理に関する研究』
1840 プルードン『所有とは何か』
1841 リスト『経済学の国民的体系』

1846 穀物法廃止(穀物輸入の自由化)
1848 J.S.ミル『経済学原理』

1861-65 アメリカ南北戦争
1867 マルクス『資本論』(第一巻)
1867 大政奉還


新古典派経済学の時代

新古典派経済学は交換と資源配分に関心が集中している。価値の問題は効用という“現象”に矮小化される。
労働価値説を否定し「価値は効用で決まる」と主張した。さらに効用は欲望が充足されるたびに減っていくとした。これに微分法を応用して数理経済学を打ち立てていく。
これに市場均衡論が付け加えられ、経済の現象を数値化して分析する。まさに形而上学的なニュートン力学の世界である。
基本的にはマーシャルの経済学(ケンブリッジ学派)をさす。これにウィーン学派とワルラス派を加えることもある。
新古典派

1871 ジェボンズ『経済の理論』
1871 C.メンガー『国民経済学原理』
1874 ワルラス『純粋経済学要論』
ワルラスを指導者とするローザンヌ派は、「土地社会主義」を基礎とする完全競争社会の実現を目指した。
1890 マーシャル『経済学原理』
ジェヴォンズ効用価値説を引き継ぎ、アダム・スミスの均衡を結び付け、需要・供給曲線を作り出した。
1893 シュモラー『国民経済、国民経済学および方法』
1896 ベーム=バヴェルク『マルクス主義体系の終結にあたって』
1902 ホブスン『帝国主義』
1904 ヴェブレン『企業の理論』
1905 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
1910 ヒルファディング『金融資本論』
1912 シュンペーター『経済発展の理論』
1914 第一次世界大戦はじまる
1917 ロシア革命
1917 レーニン『帝国主義論』
1920 ピグー『厚生経済学』
1920 ミーゼス『社会主義国家における経済計算』(独)
1925イギリス金本位制に復帰
1926 スラッファ『競争的条件の下における収益法則』
1929 世界恐慌はじまる
1929 ハイエク『貨幣理論と景気理論』

ケインズ経済学の時代

1936 ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』
ケインズは古典派の第二公準を否定し、商品・労働市場のいずれにおいても、市場の硬直性と情報の非対称性が必然であるとした。非自発的失業が長期化する可能性を強調した。

1938 ランゲ,F.M.テイラー編,『社会主義の経済理論』
1939 スウィージー『寡占状態下の需要』
1939 第二次世界大戦

新古典派総合の時代

1948 サミュエルソン『経済学』

新古典派とケインズのいいとこ取りみたいな“学派”。目的は新古典派と同じであるが、不均衡が強くなれば政策介入を行うというもの。

1956 J.V.ロビンソン『資本蓄積論』
1958 ガルブレイス『ゆたかな社会』
1960 フリードマン『貨幣の安定をめざして』
1960 ロストウ『経済発展の諸段階』
1960 ミュルダール『福祉国家を超えて』
三大経済思想
           https://cruel.org/econthought/essays/margrev/ncintro.html


すみません。孫引きの紹介です。(「ヘーゲル:法の哲学 入門」より)

ヘーゲルの「フィヒテとシェリングとの哲学体系の差異」(1801)という本にこんなことが書いてあるそうです。

直観と概念の相互包摂を通して理念(イデー)が展開される。これがヘーゲルの論理形式である。

この論理形式のもとに、人倫の原理が実現される。それは自然的生活からはじまり、自由と共同が自覚的に統一され、その土台の上に国家が成立する。

これと並行して絶対者の運動が語られる。それは実体的統一に始まり、対立差別が発生し、やがて再統一に至る運動である。

ここにヘーゲルの社会倫理(成る展開)は、弁証法の論理(為す展開)と結びついて、その姿を表したのである。

そのうえで、自然的生活から自由と共同への足がかりとして以下の4つを取り上げる。

①労働: 労働により共同生活が歴史的に形成される。
②道具や機械: マルクス風に言えば労働手段。これらの手段により人間と自然との関係が媒介される。
③言語: 言語により人間対人間の関係が媒介される。
④分業と機械化: 生産力は飛躍的に増大するが、全一的な人間性は分裂し毀損される。

市民社会は自然的生活より優れた人倫を保有するが、しかしそれは④の理由により相対的なものである。

それは矛盾を内在しており、その矛盾は国家によって克服されるほかない。


ということで、史的唯物論の骨子はすでにヘーゲルにより語られている、あえて言えば語り尽くされていることがわかる。

Ⅰ~Ⅵ は前号、および前々号

Ⅶ マルクス以後の読書ノート…哲学

Ⅷ マルクス以後の読書ノート…経済学

Ⅸ 日本人著作の読書ノート

Ⅹ 私の試論

記事見出しをブログ内検索窓に入れてください



Ⅶ マルクス以後の読書ノート…哲学

ヴィゴツキーのピアジェ批判は半分正解
2015-06-07 21:50:34

まずヴィゴツキーの限界を抑えておこう
2015-06-06 00:03:48

ヴィゴツキーの経歴と業績
2015-05-25 21:45:06

ヴィゴツキー讃
2014-10-19 13:39:15

マルクスは、あえて物質的な世界に限定している
2015-04-05 22:10:13

「欲求」論の中間総括
2015-04-04 17:05:51

「欲求」雑感 その2
2015-04-02 22:08:19

人間は「欲求」にもとづいて行動しているのだろうか
2015-03-30 00:43:45

脳科学から見た「欲求」の階層性
2015-03-30 00:08:41

「欲求」という言葉の使用法
2015-03-30 00:06:36

ヘラー「マルクスの欲求理論」を読む その2
2015-03-30 00:00:15

ヘラー「マルクスの欲求理論」を読む その1
2015-03-28 17:02:43

アグネス・ヘラーがハンナ・アーレントを批判
2015-03-28 13:18:42

アグネス・ヘラーの消息
2015-03-28 00:00:48

アグネス・ヘラーに再チャレンジ
2015-03-25 23:39:01

フランス構造主義の年表
2015-02-14 22:27:25

構造主義(ポストコロニアリズム)の歴史的役割
2015-02-12 15:49:48
欲望をいかに喚起するか
2014-05-14 00:08:27

言語のヘーゲル的理解
2014-01-22 00:18:23

「言語学くそくらえ」論
2014-01-21 21:01:39

ソシュールは誰に何を対置したのか
2014-01-20 22:57:31

アーレントなんてアホでスカタンだ
2013-12-25 00:22:12

エリート趣味の主観論者アーレント
2013-12-23 19:55:23

人間の価値観の体系
2013-12-22 22:57:29

アーレントはマルクスといかに出会ったか
2013-12-22 22:54:03

ハンナ・アーレントを噛じる
2013-12-22 15:44:43




Ⅷ マルクス以後の読書ノート…経済学

池田さんのピケティ紹介
2014-05-13 22:42:24

トマ・ピケティの『21世紀の資本論』が売れているそうだ
2014-05-13 22:04:27

ピケティ・ブームとネグリ・ブーム
2015-02-12 13:56:40

ピケティとマルクス主義の違い
2015-02-11 23:08:38

ウィキペディアのピケティ
2014-05-14 10:19:17

ピケティ批判と反批判
2014-06-27 11:19:50

ポランニーって誰?
2012-05-21 15:11:11

ポランニーと社会主義計画経済論争 1
2013-08-16 13:46:08

カール・ポラニー年表の増補 ついでに一言
2017-02-19 22:46:15 

計画経済が正しいことに異論はない
2016-08-08 17:23:30 

メガ・キャピタルとメガ・インテレクト
2016-04-09 10:52:41

ミクロ経済学の無内容さ
2019-03-09 21:44:46 

「自転車論」と市場論
2013-04-10 17:53:18

市場がなくても経済は動く
2013-04-07 22:52:09

社会主義計算論争 ノート その3
2013-04-02 20:28:58

社会主義計算論争 ノート その2
2013-04-02 20:26:09
社会主義計算論争 ノート その1
2013-04-02 20:22:12

「経済計算論争」の時代背景
2013-03-30 16:06:26

シュンペーターは一言でいえば俗物である
2013-03-28 23:51:53

カール・ポラニー年表
2013-03-28 14:11:58

中山智香子さんのHPが面白い
2013-03-26 21:53:10

新自由主義者の“異様な倒錯”
2013-03-26 20:27:56

スティグリッツ 最近の言動
2019-03-09 16:06:17 
リーマン・ショックとケインズとスウィージー
2019-03-09 10:38:31 

ケインズ年譜
2019-03-08 22:21:19 

シュンペーター 年譜
2019-01-20 20:49:01 

社会の知的指標としてのリテラシー
2018-10-31 12:47:35 

キューバ新憲法と「共産主義」の削除
2018-10-28 14:17:23 

「労働力の窮迫販売」について
2013-07-02 16:33:42

「契約の下での平等」か「法の下での平等」か
2013-05-20 11:24:11

Social Welfare とニューディール
2012-08-16 17:21:37

福田徳蔵と厚生経済学
2012-08-16 15:35:56

福祉国家論の再評価
2012-08-16 15:33:37

厚生省と Welfare
2012-08-06 17:37:08

タウンゼントの貧民論
2012-07-27 16:44:50




Ⅸ 日本人著作の読書ノート

マルクス主義アカデミズムの現状
2019-03-10 11:05:51 

一ノ瀬秀文さんの「アメリカ帝国主義論」
2019-01-21 22:29:12 

聽濤さんの「共産主義論」を学ぶ その1
2018-09-29 21:11:30 

竹内精一さん、もう一つの死刑反対論
2018-07-09 10:52:57 

「厚みのある知」を求めて
2016-08-19 15:12:57 

「欲望行動」(遊びをふくむ)の役割
2016-08-18 15:32:41 

吉見俊哉さんの「文系の知」論は検討を要する
2016-08-17 12:15:24 

梅川勉さんと昭和20年代の大阪市大
2016-07-05 16:19:01

「自然の弁証法」はある
2016-05-24 00:11:49

「戦争責任論」を勉強して
2015-12-06 13:20:27

丸山真男の「戦争責任」論
2015-12-05 22:53:54

右翼と「戦中派」思想
2014-01-20 12:09:05

ノーマ・フィールド 憲法9条は第3章の精神を基礎に読み込め
2015-11-07 12:24:27

国民総資産 の勉強
2015-10-10 17:33:34

経済マクロの指標を「身体測定」の論理で考える
2015-10-09 17:28:38

三浦つとむの言語論
2015-07-19 16:12:25

「ジェノバの利子率革命」はさほど大仰なものではない
2014-09-19 12:53:03

「経済ジェノサイド」を読む 5
2014-09-12 15:57:56

規制そのものは本質的に善なのである
2014-09-12 14:37:11

「経済ジェノサイド」を読む 4
2014-09-11 17:07:03

「経済ジェノサイド」を読む 1
2014-09-09 16:43:37

「経済ジェノサイド」を読む 2
2014-09-09 16:42:05

「経済ジェノサイド」を読む 3
2014-09-09 16:35:56

「敗者の戦争観」を考える
2014-06-30 23:14:27

「名誉ある地位」を投げ捨てて良いのか
2014-06-28 09:47:03

僕らにとって、マルクス主義は、まず何よりも哲学だった
2013-02-28 23:41:14

加賀乙彦さんの“いじめ論”は首肯しかねる
2013-02-19 13:35:53

加賀乙彦「不幸な国の幸福論」を読む
2013-02-19 00:32:21




Ⅹ 私の試論

市場が欲望をもたらし、労働の体系を形成する
2019-01-12 14:56:24 

自由・平等・博愛から社会主義へ
2019-01-06 20:50:02 

「経済の市場化」は産業資本の前提ではない
2019-01-03 18:49:17 

マルクス主義の本質は欲望の不可逆的発達
2018-07-06 23:17:03 

「ポピュリズム」について 論点の整理
2017-06-15 12:43:18 

「失方向」感覚の無残
2017-06-13 00:53:12 

「一億総懺悔」への後ずさり
2017-06-12 15:09:46 
「風の新兵衛」のセリフ
2017-06-12 00:59:12 

連帯精神の二つの源泉: 利他行動と集団協力
2017-01-17 12:32:44 

人類の欲望も、技術の進歩も無限だ
2015-11-30 23:53:45

「通貨」が分からない
2015-11-28 10:32:54

「欲望」は拡大再生産される物質的過程である
2015-07-14 23:38:55

「帝国主義論」の総括が必要だ
2014-06-13 23:16:16

働きすぎと浪費の悪循環
2013-10-18 16:10:03

4つ目の統治・結合イメージ
2013-09-17 15:58:00

欲望の駆動者としての市場
2013-09-12 17:11:34

叙述的理解の重要性
2013-05-07 00:52:03

時間の絶対性と時間感覚の不確かさ
2013-05-06 12:29:33

アキレスと亀を考える
2013-05-06 12:04:38

「弁証法」という言葉が良くない
2013-05-06 11:46:49

理系的発想との苦闘
2013-04-10 23:32:23

Ⅲ ヘーゲルの読書ノート

Ⅳ ヘーゲル以前の読書ノート…哲学

Ⅴ ヘーゲル以前の読書ノート…経済・社会学

Ⅵ マルクス以後の読書ノート…社会主義

以下次号

Ⅶ マルクス以後の読書ノート…哲学

Ⅷ マルクス以後の読書ノート…経済学

Ⅸ 日本人著作の読書ノート

Ⅹ 私の試論


Ⅲ ヘーゲルの読書ノート

ナポレオン戦争とドイツとヘーゲル
2019-03-13 09:48:18 

前期ヘーゲル とりあえずの感想
2019-03-08 11:59:27 

前期ヘーゲル 年表
2019-03-06 16:45:26 

精神現象学 一夜漬け
2015-08-05 16:35:37

「精神現象学」は「第九」の哲学版
2014-01-06 15:09:09

ヘーゲルはカントをどう乗り越えるか
2013-01-31 16:50:45

「自己意識」はさびしく登場する
2012-08-05 23:44:53

自己意識と欲望の過程
2012-07-26 18:02:02

「自己意識」を勉強してみて
2012-07-26 14:36:40

「自己意識」を勉強する その2
2012-07-26 14:19:27

「自己意識」を勉強する その1
2012-07-25 15:23:30

ヘーゲルの「仕事」論
2018-12-17 14:13:12 

「ヘーゲル語」の置き換え
2015-08-09 23:05:39

絶対知 要約の要約
2015-08-08 23:44:57

ゴリラとヘーゲル
2015-08-07 22:54:02

「弁証法的実在論者」としてのシェリング
2018-12-21 20:48:02 

シェリングの自然哲学 ④
2018-03-19 17:59:57 

シェリングの自然哲学 ③
2018-03-18 11:43:27 

シェリングの自然哲学 ②
2018-03-16 14:02:29 

シェリングの自然哲学 ①
2018-03-16 13:50:39 

シェリング 年譜
2018-03-04 10:52:52 

フィヒテは革命的熱狂の哲学
2018-02-28 23:08:54 


Ⅳ ヘーゲル以前の読書ノート…哲学

スピノザ「エチカ」摘要
2019-02-24 15:56:12 
スピノザ 年譜
2019-02-23 12:44:00 
迷信家を非難するスピノザ
2019-02-22 21:28:11 

カントはスピノザから意味のある何かを受け継いではいない
2019-02-28 22:37:03 
カント『自然哲学原理』解説 の由来
2018-03-21 22:04:20 

カントの先駆者たち 年譜
2018-03-21 16:27:23 

カント論の出発点
2018-03-21 11:08:54 

カント 年譜
2018-03-18 18:05:56 

ルソーはいかにロックを換骨奪胎したか
2017-12-14 12:53:09 

「4原因説」 アリストテレスの議論の前提
2017-07-17 23:23:13 

ポリス的動物であるということ
2017-06-30 15:33:32 

パスカルとデカルト その2
2017-01-12 23:58:05 

パスカルとデカルト その1
2017-01-12 21:55:48 

「主体性」は人間の本質ではない
2016-11-29 20:46:35 

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを学ぶ 4
2013-11-23 21:53:12

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを学ぶ 3
2013-11-11 21:48:21

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを学ぶ 2
2013-11-11 21:46:15

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを学ぶ 1
2013-11-11 21:41:10

「黒色胆汁」はメランコリー
2013-11-12 12:41:24


Ⅴ ヘーゲル以前の読書ノート…経済・社会学

ケネーの年表
2018-12-27 21:43:19 

奥山忠信「アダム・スミスの労働価値論」の抜書き
2017-09-02 15:04:11 

ジェームズ・ミルの「中間層」論
2016-11-24 13:28:36 

ジェームス・ミルについて
2016-03-31 14:42:00

ジェームズ・ミル『経済学要綱』とJ.S.ミル
2016-03-31 00:03:57

J.S.ミルとマルクスとを対比してみると
2016-03-30 13:01:24

ミル親子 年譜
2016-03-29 17:30:16

リカードゥのお手軽なお勉強
2017-09-04 21:12:56 

明日は、リカードゥで
2017-09-03 22:22:43 

ルソーの病蹟学
2012-09-28 15:34:53

ルソー とりあえずのまとめ
2012-09-26 15:47:46

『エミール』のさわりのさわり
2012-09-26 13:44:27

サヴォア助任司祭の信仰告白
2012-09-26 10:17:32

ルソー 主著の要約
2012-09-26 08:06:14

ジャン・ジャック・ルソーの年譜
2012-09-25 17:55:29

プルードン 年表
2018-10-01 15:13:29 

異端ではなかった「異端」
2017-09-09 00:11:55 

資本と資金の違いを考える
2017-08-31 17:50:36 



Ⅵ マルクス以後の読書ノート…社会主義

マッハの思想と業績
2017-10-20 11:36:31 

「経験批判論」というのは、結局マッハ主義だ
2017-10-19 10:24:02 

唯物論と経験批判論』あらすじ その1
2017-10-22 21:01:47 

「唯物論と経験批判論」の古めかしさ
2017-10-18 15:04:46 

不可知論をいかに克服するか
2017-02-09 11:42:04 

望月清司 「カール・マルクス問題」の冒頭
2017-09-09 18:56:06 

私の選んだ「独習指定文献」
2017-09-09 01:45:48 

オーウェル「1984年」を赤旗が評価
2015-08-21 16:07:21

ブハーリンに気持ちが惹かれる
2015-01-16 21:53:31

ブハーリンはレーニンに替わるような人物ではない
2015-02-02 00:14:40

不破哲三「スターリン秘史」の雑感
2016-04-05 15:20:04

スターリンの弾圧に関する3つの統計
2018-09-07 11:07:52 

スターリン批判にかける不破さんの思い
2015-01-18 23:46:33

「仕上げ」としての大テロル
2015-01-15 00:03:44

反ファシズム人民戦線はスターリンの戦術でしかなかった
2015-01-13 17:35:39

ブルジョア独裁にはプロレタリア独裁なのか
2015-01-29 23:32:23

ユートピアについての酒飲み話
2016-08-06 23:37:26 

ソ連はユートピアだった? …中村発言への感想
2016-08-06 09:52:20 

ソ連経済は悪くなかった
2016-08-05 17:24:43 

キューバ新憲法と「共産主義」の削除
2018-10-28 14:17:23 

「赤いウィーン年表」 加筆のお知らせ
2015-01-31 11:36:07

バウアーのボリシェビキ批判
2015-01-30 22:57:13

…というウィーンへの道筋
2015-01-27 00:24:55

オーストリア学派とオーストリア社会民主党
2015-01-25 17:50:29

労働者階級の指導性
2015-01-08 22:57:54

社会主義の完全移行には百年かかる
2014-01-09 17:09:04

マルクス主義の変容と「新しい社会主義」
2018-12-09 00:36:33 

「未来社会論」について思うこと
2018-12-02 12:31:01 

以下次号



下記が本ブログにおける本日現在での、「社会理論(社会主義・哲学をふくむ)」ジャンルの全記事です。2011年5月にこのブログを開始して以来、約8年にわたって書く続けてきたものです。
このジャンルだけで約300本あります。あまりに膨大でリンクを貼ることはできません。ブログの検索窓に記事名を突っ込んで検索してください。
「社会理論(社会主義・哲学をふくむ)」ジャンルの全記事を、とりあえず10項目に分けてみました。
記事名だけでも膨大になっているため、3部に分けます。



Ⅰ マルクスの読書ノート…哲学・運動論

Ⅱ マルクスの読書ノート…経済学


以下は次記事

Ⅲ ヘーゲルの読書ノート

Ⅳ ヘーゲル以前の読書ノート…哲学

Ⅴ ヘーゲル以前の読書ノート…経済・社会学

Ⅵ マルクス以後の読書ノート…社会主義

Ⅶ マルクス以後の読書ノート…哲学

Ⅷ マルクス以後の読書ノート…経済学

Ⅸ 日本人著作の読書ノート

Ⅹ 私の試論





Ⅰ マルクスの読書ノート…哲学・運動論


経済学批判要綱から「労働力能」に関する抜書き
2018-12-17 13:46:15 

弁証法と戦闘的唯物論
2018-11-17 23:13:59 

マルクス主義の本質は欲望の不可逆的発達
2018-07-06 23:17:03 

経哲第三手稿 「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」を熟読する
2015-08-02 21:20:38

マルクスはヘーゲル弁証法の乗り越えに失敗した?
2015-07-29 23:56:03

あ らゆる哲学の最後の言葉
2015-07-28 20:36:56

エンゲルスの「真理と誤謬」
2015-07-20 17:14:55

「共産党」はマルクスの衣鉢を継ぐ党名
2015-01-18 01:16:26
パリ・コミューン前の政治地図
2015-08-21 23:20:42

パリ・コミューンは一般化できない
2015-08-21 23:05:17

「フランスの内乱」の国家論は鵜呑みにはできない
2015-08-17 22:09:01
パリ・コミューン 経過表
2015-08-15 13:20:22

ザスーリッチへの手紙の“本筋”
2012-08-11 12:17:49

協同組合的生産と共産主義的所有
2012-08-10 16:57:42

「結合した労働」は労働者階級への帰依?
2012-08-03 23:13:35

オウエンの洞察
2012-03-08 17:37:24

結合した社会による生産
2012-02-16 17:12:52

信用制度は未来はどうなるのだろう
2012-01-14 20:10:06

エコノミーは“節約学”の意味
2012-01-14 14:59:07

人間こそが人類にとっての固定資本
2012-01-13 17:00:42

過剰生産を止める方法
2012-01-07 13:23:15

資本主義の歴史的性向
2011-11-29 16:17:11

自由貿易と雇用とはトレードオフしてはならない
2011-11-14 12:48:48

鹿が水を求めて鳴くように
2011-11-08 23:29:45

貨幣恐慌は恐慌の原因ではない
2011-11-08 22:53:49

「純粋な貨幣流通の諸法則」とエネルギー保存の法則
2011-11-08 22:20:43

なつかしの共産党宣言
2011-10-11 22:38:12

資本はブルジョアの富の一部に過ぎない
2011-09-06 17:33:31

対外貿易の文明化作用
2011-08-29 17:39:28

マルクスは「ここから出発するしかないんだ」と言っているだけ
2011-08-26 16:32:17

マルクスの銀行・商人批判
2011-08-22 12:11:12


Ⅱ マルクスの読書ノート…経済学

「労働価値」と「剰余価値」
2018-12-24 20:21:33 

資本論のさらなる展開に向けて…研究者に期待したいこと
2018-12-22 11:06:59 

「剰余価値」という言葉の始まり
2018-12-18 10:36:54 

「資本論」成立史 年表
2018-12-16 22:03:06 
中期マルクスの二つの隘路
2018-12-13 16:46:07 

資本論後のマルクス
2018-12-02 19:54:07 

宮川論文 補遺
2017-08-28 17:37:37 

宮川彰さんの「マルクス再生産論の形成」を読む 5
2017-08-26 22:56:18 

宮川彰さんの「マルクス再生産論の形成」を読む 4
2017-08-26 13:58:43 

宮川彰さんの「マルクス再生産論の形成」を読む 3
2017-08-24 22:02:09 

宮川彰さんの「マルクス再生産論の形成」を読む 2
2017-08-24 13:34:59 

宮川彰さんの「マルクス再生産論の形成」を読む 1
2017-08-23 19:06:49 

市場価格は生産価格をつねに上回るはずだ
2017-08-21 16:37:10 

櫛田さんの「労働力価値内在説」への感想
2017-08-17 21:27:32 

櫛田論文を読む 労働力再生産過程の位置づけ
2017-08-16 20:48:59 

櫛田豊さんの論文を読みはじめる
2017-08-16 11:59:15 

マルクスの恐慌論 不破さんの「新説」 続き
2017-08-04 20:21:48 

マルクスの恐慌論 不破さんの「新説」
2017-08-04 18:23:33 

株式会社 資本機能からの所有の分離の意味
2016-08-09 17:32:55 

初期マルクスが労働価値論を拒否した理由
2016-07-30 12:35:21 

労働価値説 なまかじり
2016-07-29 16:46:36 

マルクス 「ミル第一評註」 のお勉強 その6
2016-07-27 16:00:09 

マルクス 「ミル第一評註」 のお勉強 その5
2016-07-27 15:38:10 

マルクス 「ミル第一評註」 のお勉強 その4
2016-07-27 15:09:05 

マルクス 「ミル第一評註」 のお勉強 その3
2016-07-27 15:07:58 

マルクス 「ミル第一評註」 のお勉強 その2
2016-07-27 15:05:12 

マルクス 「ミル第一評註」 のお勉強 その1
2016-07-26 17:24:18
転形問題論争 櫻井さんの講演から
2015-01-31 16:17:27

「転形問題」の安直な勉強
2015-01-25 23:06:51

大谷さんの最終講義 その5
2014-11-12 16:46:47

大谷さんの最終講義 その4
2014-11-10 17:21:09

大谷さんの最終講義 その3
2014-11-05 16:40:32

大谷さんの最終講義 その2
2014-11-05 12:58:47

大谷さんの最終講義 その1
2014-05-22 16:01:10

大谷さんの資本論草稿関連の初論文(82年)
2014-05-25 21:26:03

貨幣資本を核とする資本論第2部・第3部の結合
2014-05-25 20:45:31

ネットで読める大谷論文一覧
2014-05-25 14:53:00

これまで読んだ資本論第三部の文献
2014-05-25 14:35:36

三宅氏の大谷批判
2014-05-24 12:56:57

貨幣資本と現実資本 その2
2014-05-21 23:30:25

「資本論」第3部第1稿のMEGA版 紹介
2014-04-11 14:41:11

ユダヤ人は低利融資で成功した
2014-04-09 14:56:36

貨幣資本と現実資本 その1
2014-04-07 20:44:56

資本論における理論展開と歴史的考察の関連
2014-04-07 11:18:24

資本論第3巻 異同問題について
2014-04-04 16:14:51

資本論第3巻が分かりにくいわけ
2014-04-03 17:43:33

資本論第3部の斜め読み その5
2013-08-19 23:19:26

資本論第3部の斜め読み その4
2013-08-18 16:02:38

資本論第3部の斜め読み その3
2013-08-17 23:28:02

資本論第三部の斜め読み その2
2013-08-15 21:36:39

資本論第三部の斜め読み その1 
2013-08-14 22:59:38

有り余る生産力は諸個人の合体を欲する
2012-07-24 23:52:45

利潤率低下と労働の疎外
2012-07-24 11:59:38

利潤率低下を防ぐ手立て
2012-07-23 15:30:28

剰余労働がゼロでも利潤は存在?
2012-07-20 16:25:58

利潤率低下の法則は経済学上の大発見?
2012-07-19 17:05:42

剰余価値と利潤: 女性が母となるように
2012-07-19 15:44:20

利潤率低下の法則の「発見」
2012-06-01 18:05:15

生産過程の外部の諸制限
2012-04-12 17:13:12

金融危機は資本主義の「自浄作用」
2012-04-12 09:27:35

「要綱」への序説-経済学の方法
2011-07-13 16:31:59

「要綱」への序説-生産・分配・交換・消費
2011-07-13 11:59:01

「経済学批判要綱」 バスティアとケアリ
2011-07-13 11:06:19





ナポレオン戦争とドイツとヘーゲル

ヘーゲルの思想遍歴を知る上でナポレオンのドイツ侵略はよけて通れない。

フランス革命がそれ自体は隣の国の事情であったのに比べ、ナポレオンの侵攻はすべてのドイツ人が巻き込まれる一大事であった。

否が応でもフランス革命の必然性、神聖ローマ帝国の行く末、ドイツの近代化についてすべてのドイツ人が思いを致さざるを得なくなった。

そのなかで辺境国プロシアが「近代化」の道を歩みだしたとき、ドイツ人に方向をしめしたのがヘーゲルだったとすれば、その政治姿勢がヘーゲルへの支持を呼び込んだのではないだろうか。
精神現象学もエンチクロペディーもその後に付いてきたのではないのか。



1792年 フランス革命戦争が始まる。市民革命の波及を恐れる周辺諸国のフランス侵攻が引き金となる。フランスでは農民や都市下層民を中心に50万人規模の志願兵が集まる。

1793年 イギリス、オーストリア、プロイセン、スペインなどによって第一次対仏大同盟が結成される。

9月 ヘーゲルがチュービンゲン神学校を卒業。スイスのベルンにシュタイガー家の家庭教師として赴く。

1795年 ポーランド、プロイセン、オーストリア、ロシアによって分割され国家として消滅。

1796年

3月 第一次イタリア遠征の開始。ナポレオンがイタリア方面軍司令官に就任する。

1797年

10月 北イタリア戦争、フランス側の勝利に終わる。フランスは南ネーデルラントとライン川左岸を併合。オーストリアの敗退により第一次対仏同盟が解体。

ヘーゲル、ヘルダーリンの誘いで、フランクフルトに移動。シェリングの助けを借りてカント・フィヒテの影響を脱却。


1798年

7月 ナポレオン軍がエジプトを制圧。しかし英国に制海権を奪われ孤立。

12月 イギリス、オーストリア、ロシアなどによって第二次対仏大同盟が結成される。

1799年

11月 ブリュメールのクーデター。エジプトを脱出したナポレオンが政権を握る。

ヘーゲル、スチュアートの「国民経済学」(独訳)の読書ノートを作成。

1801年

2月 オーストリアとの間で二度目の陸戦となるが、ナポレオン軍が勝利。第二次対仏大同盟も崩壊する。

ヘーゲル、シェリングに招かれイエナ大学の私講師となる。カント・フィヒテに対する激しい批判を展開。

1802年

3月 アミアンの和約。イギリスとフランスが講和。

1803年

5月 イギリスがアミアンの和約を破棄してフランス第一共和政に宣戦。ナポレオン戦争の始まりとされる。

シェリング、不倫事件を引き金にイェーナ大学を去る。ヘーゲルは助教授に昇格。

1804年

12月 ナポレオンが戴冠式。第一帝政が発足する。

1805年

イギリス、オーストリア・ハプスブルク、ロシアが第三次対仏大同盟を結成し戦争を挑む。プロイセンは中立的立場を取る。

9月 ナポレオン、ウルムの戦闘に勝利しウィーンに入る。

10月 トラファルガーの海戦。フランス・スペイン連合艦隊がネルソン率いるイギリス艦隊により壊滅される。

12月 アウステルリッツの戦い。ロシア軍がオーストリア軍残存部隊と合流し決戦を挑むが敗北。

ヘーゲル、「精神現象学」を完成させる。序文にてシェリングを批判したため、絶縁状態となる。

1806年

神聖ローマ皇帝フランツ2世が退位し、神聖でも、ローマでも、帝国ですらない帝国が崩壊する。

7月 西南ドイツ諸邦が親ナポレオンのライン同盟を立ち上げる。

7月 プロイセンは中立を破棄し、イギリス、ロシア、スウェーデンなどと第四次対仏大同盟を結成。

10月 プロイセン、フランスへの単独宣戦。ナポレオン軍が怒涛の進撃。プロイセン軍はイエナ・アウエルシュタットの戦いで壊滅的打撃を受ける。

10月 ナポレオン軍がベルリンを制圧。プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、東プロイセンのケーニヒスベルクへ逃げ込む。

シャルンホルストはリューベックで、グナイゼナウはマルデブルグで最後まで抗戦し、弾薬が尽き降伏。

11月 ベルリン入りしたナポレオンが、大陸封鎖令を発布する。

1807年

2月 ナポレオン軍、東プロイセンに入りプロシア・ロシア連合軍と戦闘。吹雪の中、膠着状態に入る。

6月 東プロシアの闘いはナポレオン軍の勝利に終わる。

7月 ティルジットの和約が結ばれる。ポーランド旧領の一部がワルシャワ公国として独立を回復。プロイセンはエルベ川以西の領土を失う。プロイセンの旧領にはヴェストファーレン王国が置かれナポレオンの弟が即位する。

屈辱的な敗北を喫したプロイセンでは、哲学者フィヒテが『ドイツ国民に告ぐ』という講演を行い、またシャルンホルストとグナイゼナウによる軍制改革が実施された。

1808年

5月 ナポレオン、スペインを併合。スペインで国民的な抵抗が起こり泥沼化。

ヘーゲル、バンベルグ新聞をやめ、ニュルンヘルク・ギムナジウムに就職。

1809年

4月 オーストリアは、イギリスと第五次対仏大同盟を結びバイエルンへ侵攻。ナポレオンは直ちに反撃しウィーンを制圧。

10月 オーストリアは領土の割譲と巨額の賠償をせまられる。

1810年

ロシアは大陸封鎖令を破ってイギリスとの貿易を再開。ナポレオンはロシア攻撃を決意する。

1812年

6月 27万のフランス軍を主体とし同盟国の軍隊を含む70万の大陸軍がロシア国境を渡る。ロシア軍は正面対決を避けつつ、焦土戦術によって食料の補給を断つ。

10月 ナポレオンはモスクワからの撤退を決意。撤退の過程で、大陸軍では37万が死亡し、20万が捕虜となった。故国に帰還したのはわずか5,000であった。

ロシアはドイツ諸侯に大同同盟を勧め、「ロシア・ドイツ諸侯軍」を結成。プロイセンにも同盟を提起する。

1813年

3月 プロイセンがフランスへ宣戦布告。ドイツではこれを「解放戦争」と呼ぶ。

国軍のみならず義勇軍も組織され、国民意識鼓吹のため「鉄十字勲章」も創設される。

8月 イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセン、スウェーデンによる第六次対仏大同盟が成立。

10月 ライプツィヒの戦い。19万のフランス軍に対して36万のロシア・オーストリア・プロイセン・スウェーデン連合軍が包囲攻撃。フランス軍は多くの死傷者を出して敗走した。ドイツでは「諸国民の戦い」と呼ばれる。

1814年

3月 連合軍はパリに入城。ナポレオンは退位する。ルイ18世が即位し王政復古。

1815年

3月 エルバ島を脱走したナポレオンは、パリに入城して再び帝位に就く。

6月 ワーテルローの戦い。フランス軍は完全に崩壊する。

フランス復古王朝が事実上の降服を認める第二次パリ条約に調印。ナポレオン戦争の終焉。


雑誌「現代の理論」に掲載された論文らしい。「マルクス生誕二百年」と書かれているので、去年に書かれたものであると思われる。

やや下世話な話題も含め、私の知らない世界が広がっている。

1.日本アカデミズムのなかのPolitical Economy

60年代までは、「マル経」と「近経」という二つの経済学がはっきりと分かれて対峙していた。

マル経の拠点学会は「経済理論学会」と称し、現在でも800人近い会員を擁している。

この学会は1959年に創立された。マルクス経済学が政治と過剰に結びついたことの反省の上に純学術的な研究学会として位置づけられた。

A) 経済理論学会の現状

学問的立場 
マルクス経済学を経済学の基幹とする。
理論と方法の多様性を尊重する。

『季刊経済理論』(桜井書店)を準機関誌(査読制のオープンジャーナル)とする。

B) 学術会議騒動

2013年に、学術会議の経済学部会が、新古典派的発想のもとに経済学の教育基準を構想した。
素案はミクロ経済学、マクロ経済学、統計学ないし計量経済学を「基礎科目」として重視し、他をその応用と位置づけようとした。

マル経「原論」は不要とみなされ、周辺に追いやられるようになった。

そこで最近では「政治経済学」、「社会経済学」、「制度経済学」などの名称を用いるようになった。
いずれも英語ではPolitical Economy である。


2.1970年代以降の日本のマルクス経済学

A) 1970年代の3つの学派

70年代、「マル経」には宇野学派、正統派、そして市民社会派の3つの潮流があった。

市民社会派というのは高島善哉、水田洋、内田義彦、平田清明などの思想的影響を受けた学派で、『現代の理論』や日本評論社のいくつかの出版シリーズに結集していた。

B) マルクス経済学の数理化と国際化

数理化: 置塩信雄、森嶋通夫らの研究。森嶋はまもなくマルクス批判に転じた。ピエロ・スラッファは新古典派的な資本理論に批判を加えた。

国際化: 70年代になると欧米でも「マルクス・ルネサンス」が起こった。ラディカル・エコノミクスが華々しく登場した。
フランクやアミンの「従属発展論」、ウォラーシュタインの「世界システム論」も登場した。

C) 二つの対応:集中と開放

大学でもマルクス経済学の没落は続いた。そのようななかで対応は二つに分かれたように思われる。

第一は、マルクス主義の問題構成に注意を集中することである。

1984年に「若手マルクス・エンゲルス研究者の会」が結成され、『マルクス・エンゲルス・マルクス主義研究』の継続的刊行を開始した。

新MEGAの編集協力に参加し、『資本論』草稿などの公刊を現在も支え続けている。

第二の対応は、アカデミズム主流派に対抗する多くの異端派との連携である。

スラッファ経済学、カレツキの再評価、「新古典派総合」から解放されたケインズの貨幣・金融論の再発見を通じて、ネオ・リカーディアン、ポスト・ケインジアン、構造的マクロ経済学と連携が生じている。

著者としてはそれらを包括して「制度の経済学」として発展させるべきだと考えている。

後略

の教科書をネット上で見つけた。同志社大学 経済学部の  田中 靖人さんの手になるものだ。

その目次を移させてもらった。

第 1 章 需要と供給 
1.1 財と市場
1.2 需要と需要曲線
1.3 需要の価格弾力性
1.4 代替財と補完財
1.5 供給と供給曲線
1.6 供給の価格弾力性
1.7 市場均衡
1.8 需要•供給曲線のシフト
1.9 市場均衡の安定性

第 2 章 消費者の行動
第 3 章 企業の行動
第 4 章 ゲーム理論入門

第1章だけで全9節。ここでは省略したが第2~第4章にも同じくらいの節がついている。

最初に言っておきたいのだが、この教科書自体は本当に素晴らしいものだ。著者の真摯な態度がひしひしと伝わってくる。だから私としてはミクロ経済の最良の教科書を見た上での感想ということになる。



ミクロ経済学の「学」としてのエンタイティを考えるならば、かなり空虚な学問という印象は否めない。

もし私が経済学部に入って、何かを学ぼうと意気込んだとき、こんな学習メニューが出されたら、明日から登校拒否だ。こんなことを学びたくて経済学部に来たのではない。

それは「無意味さ」を数式で飾り立てている、学生には無間地獄の世界だ。このようなゾンビ世界はソシュールの言語学以来だ。

「ミクロ経済学」は怪しげな数式で学生を絡みとり、意味不明な「解答」をもとめ、試験で学生を苦しめ、挙句の果てに卒業証書と引き換えに何らかの犠牲を求める。

こんなものは一国の経済を理解するのに何の役にも立たない。学校と教師にいくばくかの月謝を払うのに役立つのみだ。即刻やめるべきだ。

中には本当のバカがいて、「マルクス主義にはこんな世界は理解できないだろう」とふんぞり返っている。「大奥」のお局様の世界だ。大奥の世界のルールなどなんの意味もないのだ。

「だれにもこんな世界は理解できないよ!」

これは男子一生の仕事ではない!
ミクロをやっている人がそうだとは言わないが、正直、半分はそう思っている。


と言いつつ、第一章 市場均衡 だけは一応やって置かなければならないと思う。古典派との論点にならざるを得ないところだから。
ただし私は数式に興味ないし、そもそも市場のイメージ構築という質的な問題を片付けない限り、問題設定そのものに意味がないと思うからだ。

市場とはなにか、均衡(とくに動的均衡)とは何かというそもそも論をもう少し突き詰めていきたい。
その際「ミクロ経済学」というようなわけのわからない言葉はやめて、「商業」論の分野の一つとして「市場」論を語り、さらに「市場」論の分野の一つとして「市場力学」を語ることが望ましいと思う。
さらにいうなら「市場経済」といういい方はやめるべきだと思う。商業が市場を必要とする以上、市場の否定は商業の否定となるが、そんな世界はありえないからだ。
「市場経済」を批判する者の論点は「神の手」を信じるか否か、商業という名の詐欺や強盗を是とするか否か、ということなのだ。

欧州危機以来あまり経済の勉強をしていない。ということはあまりスティグリッツを読んでいない。

とりあえず、ここ1年の日本語ソースをさがす。ほとんどが有料版だ。昔はもう少し読めたのだが…グーグルは有料版を除く検索ができないのか。(考えてみればあの頃は英語で読んでいたんだよね。すっかり退歩してしまったようだ)


1.対中貿易摩擦

二国間貿易の赤字に集中するのは愚かだ。

ブードゥー経済学を今さら議論する意味はすくない。
問題は行動パターンの悪質さだ。

トランプが国境の壁の話をし出す前にメキシコからの移民の数はすでにゼロ近くまで減っていた。

中国政府はすでに実際に人民元高を誘導していた。中国の過剰供給力削減努力によって、鉄鋼価格は底値から130%も上昇した。

一縷の望みは米裁判所か議会共和党がトランプを抑え込むことだが、彼らは長年コミットしてきた自由貿易や財政規律を忘れてしまった。

彼の行動は純粋に政治的動機によるものだ。

2.世界の対応

世界が米大統領のツイッターに注目し、崖から突き落とされないようしている。

そのために難しい課題への取り組みがなされないままになっている。

そのしわ寄せが特に新興国に集中している。

新興国は成長し、それとともに世界のバランスが変化した。その結果、西側先進国を中心に作られた国際ルールがうまく機能しえなくなっている。

本当は今こそ「公正な」新たな秩序が必要なのだ。




趨勢的停滞論は The Myth of Secular Stagnation の訳。おそらく機械語翻訳なのだろう。

イミダスではかくのごとし。
常態化した景気停滞。ローレンス・サマーズ元財務長官が2013年のIMF会合で提起した。
先進国では少子高齢化などで需要の伸びが止まるため、いわゆる「マイルドな不況」と高い失業率が常態化する。この状況では金融緩和も長期に続く。
以下が本文。

1.趨勢的停滞論はまちがい

スティグリッツが趨勢的停滞論を厳しく批判した。

リーマン危機後の経済をになった人々は、趨勢的停滞論というアイデアに魅力を感じている。
自分たちが“ぐずつく経済”を立て直せない言い訳になってくれるからだ。

彼らは「私たちのせいじゃない、私たちはやれることをやっている」と言いたいのだ。

なぜスティグリッツがサマーズを批判するのか。それはトランプ大統領と共和党による景気浮揚策のためだ。

2018年1月のトランプによる財政刺激策はそれなりの効果を発揮した。であれば、失業率がはるかに高かった10年前なら、もっと大きな効果を発揮したはずだ。

だから、回復が弱かったのは『趨勢的停滞』の結果ではなかったはずだ。

リーマン危機のあと、オバマ政権は十分な規模と適切な内容の財政政策を講じなかった。それが景気回復の遅さの主因であった。決して趨勢的停滞のためではなかった。


2.リーマン危機への機動的対応が必要だった

リーマン危機の主要な側面は住宅バブル崩壊であった。バブルが弾けたことで多くの人が家を失い、職を失った。米社会の格差は大きく拡大してしまった。

たとえその後GDPが増えたところで、大多数の市民の所得はたいして増えない。

この状態を押し戻すためには、財政政策による需要拡大と金持ちから大多数への再配分を実現する強力な政策が必要だった。

問題を抱えた経済に対して緊縮を強いることには反対だ。趨勢的停滞を認めることは、半ば多くを諦めるようなものだ。



 2018/12/13 幸福とは何か

1.幸福はGDPでは測れない

GDP統計は基本的に金銭的、したがって物質的な豊かさに焦点を当てている。だからGDPに偏った目標をたてると、政治は誤った方向に向かいかねない

2.ベター・ライフ指数(OECD)を用いるべきだ

人々の幸福を11の側面(住宅、所得、雇用、コミュニティ、教育、環境、政治参加、健康、人生への満足度、安全、ワーク・ライフ・バランス)から捉え各項目ごとに幸福度を計測している。

日本は38か国中23位だ。上位にあるのは所得・教育のみで、下位にあるのは住宅、コミュニティ、政治参加、健康、人生への満足度、ワーク・ライフ・バランスだ。

3.なぜトリクルダウンのウソは続くのか

民主主義の国家では、往々にして企業を応援すれば人々が幸福になるとのレトリックが横行する。

それがうまく機能しないのを目にしていながら、それが終わることはない。

アンチテーゼを主張する人たちにも具体性・実現性が乏しいから、国民は議論を行うことすらやめてしまう。


米国の金融政策正常化は危険だ。

金融政策正常化と各国財政のリスクは極めて重大なテーマだ。

過剰債務国では、財政リスクが露呈され、深刻な資金の流出がもたらされる可能性がある。これにより予算編成が困難な事態にも陥りかねない。

特に欧州にとっては、ユーロ圏のさまざまな制限が付け加えられる。

たとえばイタリアのように莫大な政府債務を抱える国では、金利が上昇すれば国の利払い負担が重くなる。

こうした国では、予算を組む上で「莫大な重荷」を負うことになる。

『より正常な金利』に戻すプロセスは慎重でなければならない。

根井雅弘さんの「ケインズ革命の群像」という本を読んでいる。中公新書の一冊でバブル真っ盛り1991年の出版である。
本棚の隅から掘り出した。我が家の本棚は最近ブックオフの本棚と変わりない。みたこともないような本が並んでいる。読んだ本➗買った本の比率がどんどん下がる。主要な原因は読書力がどんどん落ちているのに購買欲がその割に落ちないからである。
こういうのを「無効需要」というのだろう。同じ無効需要でもかみさんのアクセサリは誰かにくれてやるという活かし方があるが、こちらはおそらく最終需要であろう。

面白い一節があったので、メモしておく。
第一章 ハーバードにおけるケインズ の中の 「マルクス主義者のケインズ批判」というくだり。
スウィージーの一言である。
“資本主義的なゲームの規則通りに行動している人間”という役者が、逃れようのないかのように見える窮地に陥るたびに、この「神」が舞台に登場するのである。もちろんのこと、オリンピア劇におけるこのとりなしの神は、著者と、そしておそらくは見物人にも満足のゆくようなやり方で。万事を解決してしまう。
ただ一つここで困ったことにはーマルクス主義者なら誰でも知っているようにー国家は神ではなくて、他のすべての役者たちと同じように、舞台で一役を演ずる役者仲間の一人に過ぎないのである
これはいつの文章かは知らないが、翻訳・出版は1954年である。(「歴史としての現代」都留重人監訳 岩波書店)

これを読んでう~むと唸ったのは、去年の9月リーマンショック10周年で、その後の変化をどう捉えるのかということで悩んでいたときの問題意識に、かぎ穴に差し込んだ鍵のようにあてハマったからである。

リーマン・ショック後にEU諸国は長く続く不況と失業に苦しんだ。ユーロ圏では思い切った金融救済策が取られたが、それが相対的に弱小な国に重い負担となってのしかかり、PIGGSでは国家存亡の危機を招き、フランスの屋台骨さえきしみ、揺らいだ。

話は2つだ。

一つはサムエルソンよろしく、ふだんは新古典派やネオリベでやっていて、苦しくなるとケインジアンにやってくる。
そんな気楽な若旦那みたいなことしてちゃいけないよ、というのがジョアン・ロビンソンの言い種だが、スウィージーにとってはそもそもそれがケインズじゃないの? ということになる。

もう一つは、もうリーマン・クライシスはないよということだ。次にこれが来たら世界経済と資本主義国家はすべて底が抜けてしまう。そこんとこを本気で反省しているの?
あとになったら、「ケインズみたいな方法、知らないほうがまだマシだったんじゃないの」ということにもなりかねない。

南海大地震じゃないけど、こういう経済システム、そろそろ根本から変えないとだめなのじゃないかな。それには「民主主義的社会主義」しかないんじゃないかな、ということだ。


なんの役に立つやらわからないが、とりあえず載せておく。むしろケインズ第2世代へつなげていくためのイントロという位置づけになるのかもしれない。

1883年 ジョン・メイナード・ケインズ、ケンブリッジに生まれる。

1902年 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジに入学。G.E.ムーアの主催する「ザ・ソサエティ」に加わる。

1904年 政治問題を討論する学生団体「ユニオン」の会長となる。

1905年 キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)を卒業。数学で学位取得。

1906年 高等文官試験に合格。インド省に勤務。

1908年 インド省を退官しケンブリッジ大学で貨幣論を研究。マーシャルに経済学者になることを勧められた。

1909年 特別研究員として金融論を担当。

1909年 『エコノミック・ジャーナル』に「インドにおける最近の経済事情」を書く。

1913年 インド省での経験に基づき処女作『インドの通貨と金融』 を発行。金本位制の問題点を指摘し、最良の国際通貨システムとして金為替本位制を提唱する。この視点は晩年のバンコール構想へとつながっていく。

1913年 王立経済学会書記長に就任。死亡直前まで務める。

1914年8 月,イギリスはドイツに宣戦を布告した。第一次大戦の勃発

1915年 28歳でエコノミック・ジャーナル誌編集長に就任。

1915年1月 大蔵省に勤務。戦争の金融的管理を扱う第1課に配属、さらにはそこから独立したA課の長に任命され、国際金融問題を担当する。同盟諸国間の戦時借款制度の構築を担当。特に米国からの資金調達に力を発揮する。(まぁ他にはないよね)

1918年 二人の大蔵次官につぐ次官補まで昇任。

1919年 パリ講和会議に省首席代表として参加する。

8月 対独賠償要求に反対して辞任。

「平和の経済的帰結」を発表。報復的な補償要求は、ドイツのみならずヨーロッパを破壊させると主張。ベストセラーになる。

1920年 大蔵省A課の人々と投資会社「A.D」を設立。インサイダーまがいの投資で巨利を得る。この年、ピグー『厚生経済学』を出版。イギリス共産党結成。

1921年 『確率論』発表。中身はよくわかりません。

1922年 ジェノア国際経済会議に「マンチェスター・ガーディアン」紙特派員として参加。

1923年 『貨幣改革論』発表。保守党のデフレ政策批判、ついで金本位制復帰論を批判。

1924年 初の労働党第一次マクドナルド内閣成立。自由党は小選挙区制のため激減。

1924年 ロイド-ジョージの公共事業計画案を支持。『自由放任の終わり』発表。

市場社会は「似而非道徳律と経済的効率性のジレンマ」を内包している。市場社会は経済的効率からは便宜的に必要ではあるが、似而非道徳律に立脚しているから、いずれは否定さるべき存在である。

1925年 『チャーチル氏の経済的帰結』を発表。金本位制を復活させたチャーチル蔵相を徹底批判。

1925年 ロシアのバレリーナ、Lydia Lopokovaと結婚。ただしケインズはホモだったと言われる。

1926年 炭鉱労働者が長期ストに突入、五月ゼネストに発展する。ケインズは、労働者に同情する立場を表明。

「資本主義は、賢明に管理されれば、いかなる制度よりも有効に経済目的を達成するだろう。しかし、多くの点できわめて好ましくない点がある」 

1928年 自由党が『イギリスの産業の将来』を発表。ケインズは執筆の中心となる。

1929年 

5月 労働党がはじめて第一党となり、第二次マクドナルド内閣が成立。ケインズは「マクミラン委員会」委員として参加。

10月 大恐慌が始まる。ケインズは、企業の投資が過小であるとし、失業を減らすために公共事業を増やすよう提案。

1930年

1月 経済諮問会議委員となる。7月にはそのサブ・コミティーである「経済学者委員会」の委員長に就任。

30年 『貨幣論』発表。ハイエクとの間で論争となる。

理論をさらに一般化するためリチャード・カーン、 ジョーン・ロビンソンら若手理論家と共同作業を開始。

1930年 100 年後を見越した『孫の世代の経済可能性』を執筆。

1932年 イギリス、輸入税法を制定。自由貿易政策を放棄する。ポンド=ブロックの結成に動く。

1933年 ドイツでヒトラーが首相となる。アメリカでローズヴェルトが大統領に就任、ニュー・ディール政策を実施。

ケインズの主張: 失業者に生活維持費の一部を費やすよりも、造船工を失業させておくほうが、国富を増加させるのにより経済的だと考える政治家がはたして正気なのだろうか。

ケンブリッジ大学でケインズ革命の動き。ジョーン・ロビンソン『不完全競争の理論』を出版。

6月 ロンドンで世界経済会議。国際金本位制の再建を目指すが失敗。

1934年 ケインズ、アメリカに渡りローズヴェルトと会う。

1936年

1月  『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表。

雇用の量は、財市場と貨幣市場の相互関係で決定される。それは一般的に不完全雇用均衡に陥りやすい。

2月 スペイン、フランスの総選挙で人民戦線が勝利。ケインズは対ドイツ宥和政策を支持する。

1937年 心筋梗塞により一時重体に陥る。

1938年

9月 ミュンヘン会議。チェンバレンは、フランスとともに宥和政策を推し進めた。

38年 グラハム、金本位制に代わる国際「商品準備貨幣」案を提案。ケインズはこれを積極的に受け止める。

1939年

9月 ドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦始まる。

1940年 

7月 ケインズ、大蔵省のアドバイザーに就任。戦時経済統制の立案に当たる。「戦費調達法」(How to pay For the War)を発表。物価インフレ阻止のために「強制貯蓄」や配給策を奨励する。

さらに戦後の世界秩序形成に関する提言活動。国際通貨体制として「清算同盟案」を提唱。またベヴァリッジ案の策定過程で大いなる協力・支援を行う。

1941年

1月 ローズヴェルトが年頭教書で武器貸与法を声明。ケインズがアメリカに渡り、武器貸与法に基づく交渉。

6月 ドイツがソ連に侵攻。

10月 イングランド銀行理事に就任。

1942年 戦後の世界金融体制のため討論が始まる。イギリス案はケインズが、アメリカ案は財務長官モーゲンソーを助けたホワイトが中心となる。

 ケインズ男爵位を受爵。上院議員となり自由党席につく

1943年

3月 戦後世界金融制度のための討議。アメリカに渡ったケインズはホワイトと厳しい交渉。

ケインズは、国際決済連合と国際通貨「バンコール」を提唱。ホワイトは参加国の通貨で保管される国際為替平衡「基金」を提唱する。

1944年

7月 ブレトンウッズ通貨会議が開催。ケインズはイギリス首席代表として出席。各国の通貨が対ドル固定レートを維持し、米国はそれに対応するだけの地金を準備することとなる。

1945年 戦後復興に向け米国との借款交渉に当たる。

1946年

46年 国際通貨基金および世界銀行の創立総会に理事として出席。

4月21日 心臓発作で倒れ、サセックス州の山荘で没する。



前期ヘーゲル とりあえずの感想

かなり等身大のヘーゲルが見えてきた。

キリスト教に首まで浸かった青年がフランス革命に触れて、宗教の改革に乗り出す。
キリスト教から秘義や奇跡を取り除いたときに、フランス革命がギロチンとともに転げ落ちる。
仕方なしに「カントの道徳」に挿げ替えて民族宗教から衣替えしようとするが、そんなときにシェリングから神様なんてもうやめたらと言われ、ショックに陥る。
そこでシェリングから教わったスピノザの汎神論を使ってみたら、非常に使い心地が良い。それでやっているうちに、カントの道徳律とスピノザがどうも相性が悪い。
シェリングを見ると、彼もカントやフィヒテの2元論を使わないで世界を説明する方向でやっている。

そこで、イエナ大学で二人でカントとフィヒテを排除してスピノザ的理論構築をしていこうということになった。
それでシェリングは世話になったフィヒテと面と向かって喧嘩はやりにくいというので、ヘーゲルが汚れ役を引き受けることになった。

ところが、フィヒテを切り刻んでいるうちに、フィヒテの最大の問題意識、物自体への切込みと主体の構築という点で、どうもこの視点は捨ててはいけないなということになったのではないか。
たしかにスピノザのいう根源的実在の自己展開というのは正しいのだが、その根源的実在というのは自己意識ないし精神なのではないか、なぜなら物自体に時代を駆動する力はない、人間の感情が時代を駆動するのだから。

と、ここがすごい一人よがりなのだが、そう思い込んでしまう。
それでシェリングとスピノザを串刺しにして、先験論ということでやっつけてしまう。
ただし、スピノザにおいて先験知は本質的な概念ではない。下記参照のこと

人間は神の精神を表現している。それは人間が自然に抗い、生き延びる努力として示される。精神は自己の「有」に固執する。これが自己保存の努力であり、人間の本質にほかならない。
…すべての事物は常に変化しておリ定まるところがない。しかし事物は、変化すると同時に、変化のなかで自己の存在を維持している。この「同一性維持の傾向」が本質となる。

ここまでスピノザが書いているのに、「暗闇の牛」あつかいするのはまったくフェアーでない。

ただヘーゲルの「精神」はもう少し万物の始源に関わっているのかもしれない。すなわち事物に命を吹き込み、それらを動かすに至ったものはなにか? という問題だ。
これは哲学というよりはむしろ現代自然科学の専門とする分野である。そしてすでに解答は示されている。すなわち万物の根源にあるのはビッグ・バンによって作られた巨大なエネルギーだ。このエネルギーがあるときは事物の形を取り、あるときはさまざまな力となって身の回りに存在し、ネットワークを形成しているのだ。
エネルギーは加速度、すなわち速度の変化を通じて万物を貫く。そういう時間軸のゆらぎが世界中には満ち溢れている。これが「神」だと思う。

そんなことを突き詰めていくと、いわば「精神現象学は逆立ちしたスピノザ主義」とも考えられる。そうすれば、自己意識から絶対知へと登っていく骨組みが見えてくるのかもしれない。

ヘーゲル年表(シェリングと袂を分かつまで)

2019.4.21 増補版を作りました。そちらへ移動願います。

ヘーゲルの「前期」とは、1807年に『精神現象学』が刊行されるまでの時期を指す。精神現象学はヘーゲルのシェリングとの決別の辞であった。
前期からさらに初期を分けることもありだ。その境界はフランクフルト行きかイエナ行きか、そのへんが難しい。しかしそれはいずれにせよシェリングとの出会いと別れを以って区切られることになるだろう。
そんな経過を追求すべく足取りを追ってみる。


1770年8月27日 ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)、シュツットガルトに生誕。生地シュトゥットガルトは当時ヴェルテンベルク公国の首都であり、父ヘーゲルは公国の官僚であった。

1778年 小学校2年でシェイクスピア全集を読破。ヘーゲルの才能を愛した学校の教師が、独語訳全集をプレセントしたという。ゲーテやシラーは好まなかったとされる。

1781年 カントの『純粋理性批判』が発表される。

1785年 歴史や法律、道徳などを広く学び、ノートするようになる。

ヘーゲルの心を捉えたのはギリシア悲劇や歴史書であったという。世界における避けがたい矛盾と分裂、そして闘争を主題とする学問路線を形成する基盤となった。

1786年(16歳) 王立カール学院に入学。ギリシア・ローマ古典文化、歴史を学ぶ。


「学生時代」

1788年

9月 カール学院を卒業。卒業にあたり「トルコ人における芸術と学問の萎縮について」と題して講演。

10月 チュービンゲン大学哲学部に入学。この大学はドイツ南西部におけるルター派正統主義の代表的学府であった。哲学部ではキリスト教史に関する研究の傍ら、ギリシア文化に加えてカント哲学を学ぶ。またフランス啓蒙主義の影響を受ける。

またシュティフトの神学院で寮生活をしながら、同級生ヘルダーリンと親密な交友関係を築く。

ヘルダーリンは初期のグループを主導していた。「ヘン・カイ・パン」を唱え、「美的プラトン主義」の弁証法を主張した。ヘンカイパンは「一にして全」という意味で、万能の神は自分の内にすべての要素を備えているという神秘的汎神論。

1788年 カントが『実践理性批判』を公刊、理性に基づく道徳の体系を明示。意志の自由と人格の尊厳を主軸とした道徳理論を提示する。

1789年

7月 フランス革命が勃発。

8月 フランス革命派が人権宣言を発する。

9月 卒業生のニートハンマーが大学を訪れ、学生らと懇談。フランス革命の情報を伝える。ヘーゲルは熱烈に革命を支持しルソーに心酔した。(ニートハンマーはかなり有名な教育哲学者で、ヒューマニズムという言葉を最初に使い始めた人。最後まで残ったヘーゲルの友人)

11月 チュービンゲン公が大学を視察。学生への観察を強化するよう指示する。



1790年(20歳)

9月 哲学部教師にカント主義者のディーツが赴任。この年カントの『判断力批判』が公刊される。美と生物の合目的性を主張。
ヘルダーリンはカントに傾倒。ヘーゲルはカント哲学とキリスト教の両立を試みる。ただヘーゲルは、悟性(神学的宗教)は生きた宗教(主観的宗教)をとらえることができないという実感を持ち続けた。

10月 15才のシェリングが哲学部に入学。2級下でかつ5歳下の仲間ということになる。卒業も2年遅く95年9月まで在学。

11月 ヘーゲル、哲学部を修了し神学部にうつる。

冬 ヘーゲル、ヘルダーリン、シェリングを含む10人が、神学院2階の大部屋で共同生活を送るようになる。部屋は一種の秘密結社となり、フランス革命についての禁書を読みあった(ルカーチ)

1791年

11月 オイゲン公が神学院を視察。学内規律について立腹したという。

1792年

夏 進学院内にも政治クラブが結成される。フランスの新聞を教材に討論を重ねる。ヘーゲルは最も熱心な革命支持者であった。このころ草稿群「民族宗教とキリスト教」の執筆を開始。ルソーの影響を強く受け、宗教は公的で社会的な現象とみなされ、「民族精神」とのかかわりから考察される。

ヘーゲルはキリスト教を「客体的私的宗教」と呼び批判。客体的とは押し付けられたという意味、私的とは俗物的ということ。

1793年

6月 ヘーゲルら、チュービンゲン郊外の牧草地に「自由の木」を植樹。シェリングは「ラ・マルセイエーズ」を独語訳。

夏 カントの『たんなる理性の限界内の宗教』が出版される。これまでルソー派だったヘーゲルは、これを読み抜粋を作るなど、強い影響を受ける。

「ベルン時代」

1793年(23歳)

9月 チュービンゲン神学校を卒業。牧師補の資格を取得したが、キリスト教に対する批判を強め、牧師にはならなかった。

10月 スイスの首都ベルンにシュタイガー家の家庭教師として赴く。草稿群「民族宗教とキリスト教」(第17~26篇)の執筆を継続(94年まで)。

1794年

6月 ジャコバン党のロベスピエール、「最高存在の祭典」を開催。ルソー主義に基づく国家宗教の樹立浸透を図る。

7月 テルミドールの反動。ヘーゲルは恐怖政治期のフランスに批判的な立場を強める。

94年後半 「民族宗教とキリスト教」の後半の執筆が始まる。カントの実践理性の視点からキリスト教批判が展開される。「民族宗教」の試みは事実上放棄される。

94年末 ヘルダーリンやシェリングと文通を通じて交流を再開する。

94年9月 シェリング、神学校を卒業。フィヒテの忠実な紹介者、支持者として頭角を現す。

12月 ヘーゲルからシェリングあての手紙。「ロベスピエールの奴らの破廉恥極まる所業」が裁判で暴かれたと伝える。

1795年

1月 ヘーゲルからシェリングへの手紙。「神の国よ、来たれ!われわれは、何もせずに手をこまねいていてはなりません。・・・ 理性と自由はいまだにわれわれの合言葉だし、われわれの一致点は見えざる教会だからです」

2月 シェリング、「哲学一般の形式の可能性」を執筆。ヘーゲルにも送付する。
シェリングのヘーゲルへの手紙「ともかく人格神という正統派の神概念は我々には存在しない。ぼくはこの間、スピノザ主義者になった」とし、キリストとの関わりを断ち切れないヘーゲルを強烈に批判。

4月 ヘーゲルからシェリングへの手紙。「カントの体系とその最高の完成から、ドイツに革命が起こることを、僕は期待する」

5月 「イエスの生涯」の執筆に取りかかる。シェリングの批判を受け、“神性とは実践理性(カント)を行使すること”という結論に到達する。

7月 「イエスの生涯」を完成。引き続き「キリスト教の既成性」の執筆にとりかかる。

7月末 シェリング、『自我について』、『哲学書簡』などを発表し、ヘーゲルにも送付する。

7月末 ヘルダーリンが母校を訪れ、シェリングと面談。シェリングからフィヒテを勧められ、研究に着手。

8月末 ヘーゲル、シェリングあての手紙で、自らの孤独な境遇を訴える。

11月 「キリスト教の既成性」がほぼ完成。カントの「実践理性の要請論」の立場は理性の無力の告白に他ならないとし、道徳論の「定言命法」が持つ「既成性」を見るようになる。

既成性はPositivitaet の訳。実定性とも訳すが余計わからない。前向きという意味ではなく「既成政党」の既成。“形骸化”に近いネガティブな言葉。

11月 シェリング、チュービンゲン大学を卒業。「キリスト教の実定性」の執筆に取りかかる。(ヘーゲルの「キリスト教の既成性」との内容的関連は不明)

1796年

1月 ヘルダーリン、大学時代の盟友だったシンクレアの紹介で、フランクフルトで家庭教師の職を得る。

4月 シェリング、家庭教師の職を得、ライプツィヒに転居。ライプツィヒ大学で、3年にわたり自然学の講義を聴講する。

夏 「キリスト教の既成性」を脱稿。

宗教は、本来自由から生まれるべき道徳法則を、我々の外にある存在から与えられたものとして提示している。このような既成的宗教は人間の道徳的自立性の廃棄を意味する。

秋 ベルンの家庭教師の職を辞し、生地シュツットガルトに戻る。軽度のうつ状態に陥る。


「フランクフルト時代」(政治の時代)

1797年

1月 ヘルダーリンの誘いで、フランクフルトに移動。馬市商人ゴーゲル家で家庭教師の職に就く。

4月 ヘルダーリン、「ヒュペーリンオン」第一部を発表。

4月 シェリングが『自然哲学へのイデーン』を発表。ライプツィヒ大学での自然科学の知識を元にして、「有機体」概念を中核に、自然の全現象を動的な過程として把握しようと試みた。

ヘーゲルはこれを、「シェリングの客観的観念論は、カント・フィヒテの自由の観念論から脱皮し、宇宙を神的力の自然的活動として把握したもの」と評価する。

冬 イェーナ大学哲学部助教授だったニートハンマーがシェリングの招聘を計画。

1998年

4月『カル親書注解』を匿名で刊行。ベルン時代に書かれたもの。カルはベルン出身の民権派弁護士でベルン政府の抑圧を受けていた。

夏 ヘーゲル、カントの「人倫の形而上学」を研究。これに基づいて「キリスト教の精神とその運命」の執筆を開始。「カントと離婚してキリスト教と婚姻」したとされる。(執筆時期には諸説あり)

カントは「分離するという悟性の本性、決して満たされることのない理性の果てしのない努力、思惟の分裂、世界観の超越性」などの化身と、三行半を突きつけられるに至る。義務道徳は、むしろ道徳的自律を妨げる宗教の律法に比せられるようになる。

10月 シェリング、イェーナ大学哲学部の助教授に就任する。このときの教授はフィヒテだったが、無神論論争に巻き込まれていた。

シェリングは、絶対我の向こうには、自我(精神)と非我(自然)とをともに駆動する「絶対者」がある。そして非我にも自我と同じように駆動力があるとし、フィヒテの顔を立てつつ自説を展開。

1799年

1月 父の死により遺産を相続。

2月 スチュアートの「国民経済学」(独訳)の読書ノートを作成。(5月まで)

イギリス国民経済学の研究から、1.労働が共同生活を歴史的に形成する。2.労働手段(道具や機械)が人間と自然を媒介する。3.言語が人間と人間を媒介する。4.分業と機械化は全一な人間性を分裂させる。などの規定が抽出される。

11月 ブリュメールのクーデター。ナポレオンが権力を握る。

7月 フィヒテは論争に破れイエナ大学を去る。シェリングが教授となる。

1800年(30歳)

9月 シェリング、フィヒテを否定的に受け継ぐ形で『先験的観念論の体系』を発表。「同一哲学」を提唱する。

「産出的な自然」の概念を基礎に、精神と自然との絶対的な同一性を原理とする。超越的な絶対者の自己展開を叙述する学として定式化。

9月 ヘーゲル、この頃「1800年の体系断片」を記述。

11月 ヘーゲルからシェリングへの手紙。仕事と研究のための機会を依頼。同時に自己の思索の体系化を目指す意気込みを語る。二人は、ヘルダーリンのロマン主義より強固な論理を求めることで一致したと言われる


「イエナ時代」

1801年

1月 ヘーゲル、シェリングに招かれイエナ大学の私講師となる。共同研究をおこないカントとフィヒテを批判。「哲学的」協業を開始したといわれる。

5月 シェリング、「私の哲学体系の叙述」を発表。自然と精神との連続性を強調して、自然は眠れる精神であり、精神は目覚めた自然であるとする。これをフィヒテが批判したことから関係決裂。

10月 ヘーゲル、「フィヒテとシェリングとの哲学体系の差異」を発表。フィヒテのいう絶対的自由は抽象的・無規定的だとし、人格同士の共同は自由の制限ではなく自由の拡張であると主張。

「存在は非存在の中へ生成される。有限なものは無限なものの中へ生成される。哲学の課題は、それらの過程を生として定立するところにある」(このくだりは法の哲学の冒頭でも使われている)

1802年

1月 シェリングとヘーゲル、共同で「哲学批判雑誌」第一巻第一分冊を刊行。主なヘーゲル論文に「哲学的批判一般の本質」、「常識は哲学を如何に解するか」、「懐疑論の哲学に対する関係」、など。

3月 第一巻第二分冊が刊行される。

7月 第二巻第一分冊が刊行される。ヘーゲルの「信と知」が掲載される。

「信と知」において、カント,ヤコービ,フイヒテの三者は「反省哲学」の下に一括され、二元論的世界観を批判される。
二人は反省哲学を、「有限なものを絶対化し、その結果、無限なものとの対立を絶対化し、その結果、無限なものを認識不可能として彼岸に置きざりにする」と非難。

1803年

5月 保守派と対立したシェリング、不倫事件を引き金にイェーナ大学を去りヴュルツブルグへと移る。シェリングの転居をもって『哲学批判雑誌』は終刊。翌年、ニートハンマーもヴュルツブルグへと移る。

冬 「思弁哲学体系」の草稿が完成する。

直観と概念の相互包摂を通して、理念(イデー)が展開される。ヘーゲル弁証法の第一論理。絶対者の運動は、実体的統一から対立・差別を通じて再統一に至る。ヘーゲル弁証法の第二論理。

1804年

冬 「思弁哲学(論理学・形而上学)・自然哲学・精神哲学」の草稿が完成。

1805年

2月 ヘーゲル、ゲーテ(イェナ大学のパトロン)への陳情が奏功し、私講師から助教授(員外教授)に任じられる。シェリングとの立場の違いが次第に明らかになる。

5月 シェリング、ミュンヘンに移住し学士院会員となる。

12月 アウステルリッツの戦い。ナポレオンが神聖ローマ帝国軍を撃破。

1806年

2月 『精神現象学』が出版社に回る。歴史意識を概念的に把握することを主題とする。シェリングを厳しく批判する内容となる。(この本が世に出る過程には幅があるようだ。後ほど調べる)

正式題名は“「学の体系」第一部に基づき、精神現象学を序文とする思弁哲学(論理学および形而上学)、自然哲学、および精神哲学、哲学史”という超長ったらしいもの。ヘーゲルは自著紹介で、これは第一巻であり「精神現象学」と呼ばれるもの。このあと第二巻「思弁的哲学としての論理学と、残りの哲学の2部門自然の学と精神の学徒の体系を含む」と告知している。

7月 西南ドイツ諸国がライン連邦を結成、神聖ローマ帝国からの脱退を宣言。間もなく皇帝フランツ2世が退位し、神聖ローマ帝国は消滅。

9月 ヘーゲル、イェーナ大学での実質的な最終講義。

10月13日 イエナ会戦。プロイセン王国がナポレオンに敗北。イエナは占領されイエナ大学は閉鎖される。ヘーゲルは行進中のナポレオンを目撃。「馬上の世界精神」と評する。

10月 ヘーゲルは職を失う。(形式的には1808年まで所属)

11月 バンベルクに避難して「精神現象学」の最終校正を行う。

1807年

1月 ヘーゲル、シェリングに手紙を送りバイエルンでの就職斡旋をもとめる。

3月 ヘーゲル、日刊バンベルク新聞記者となり赴任。

4月 精神現象学(正式には「学の体系・第一部:精神の現象学」)が上梓される。「序言」でシェリングを闇討ち批判する一節。

シェリングの「同一性の哲学」は、絶対者を直観によって把握し、これを始源に置く。ヘーゲルはこれを以って「全ての牛が黒くなる闇夜に、ピストルから発射されでもしたかのように、直接的に、いきなり絶対知から始める」と嘲弄。動因としての主観を強調する。

11月 シェリングより抗議の書簡。返答をもとめるがヘーゲルは無視。このあとヘーゲルとシェリングの文通は終了。

ヘーゲルが批判したのはおそらくシェリングと言うよりスピノザだったのだろう。ただしヘーゲルのスピノザ理解度が問われるという側面もある。

「ニュルンベルク時代」

1808年(38歳)

5月 バイエルンの教育監となったニートハンマーが、ニュルンベルクのギムナジウムの校長の職を斡旋。

11月 バンベルク新聞編集者を辞任。ニュルンヘルクのメランヒトン高等学校の教授兼校長として赴任。上級クラスで哲学的予備学と数学、中級クラスで論理学を教える。



参考資料



上妻 精 他 「ヘーゲル 法の哲学」(有斐閣新書) 

武田趙二郎 「若きヘーゲルの地平」〈行路社)

現代思想「総特集=ヘーゲル」青土社 1978

シェリングについては下記の記事を参照のこと

2018年03月04日  シェリング 年譜
2018年12月21日  「弁証法的実在論者」としてのシェリング

カントはスピノザから何を受け継いだのか、スピノザ→カントという流れは哲学史の主流なのだろうか。

以上のことが知りたくて、少し文献をあたってみたが、端的に言って状況は絶望的だ。

なにか意味のある教えはほとんどない。しかし情報量だけはものすごい。

二人の関係について書かれた文章は、すべて超難解だ。真剣に知りたいと思う人にとって、説得力のある文章とは思えない。

つまり、早い話が二人に意味のある関係はないということだ。スピノザがカントを知るわけはないから、カントがスピノザからどれくらい影響を受けたかということになる。

これだけ奥歯にモノの挟まった言い方が並べられると、「要するに関係ないんですね」ということになる。

ある人は問わず語りに面白いことをいっている。

大局的に見て、カントとスピノザの間にどのような関係が成立しているか、という点に新しい照明を当てることである。
カントとスピノザの間に「第2スコラ哲学」という共通した背景をおくことで、この問題を考えることができるだろう。

まさにそこにあるのは「スコラ哲学」そのものなのである。

後は哲学者たちの飯のタネみたいなゴシップ話だ。以前言語学でやったソシュールとか構造主義の属と同じだろう。

率直に言って、カントの道徳感(というよりケーニヒスベルクの道徳感)は、スピノザの倫理観よりはるかに古色蒼然としたものだ。スピノザに文句言えるような立場ではない。

もう少し自分でネタ探ししてみたいと思うが、結局スピノザの問題意識は、シェリングとヘーゲルが「カテゴリーの自己展開」を試みる時代まで発展されることはなかったのではないか、という気がしてきている。

とりあえず、「近現代哲学の虚軸としてのスピノザ」を参照のこと

エチカ(Ethica)の摘要

すみません。原文を読まず解説本をまとめただけのものです。自分の心覚え以上のものではありません。

1.自己原因(causa sui)

エチカは「自己原因」という概念の定義から始まる。

万物に原因がある。これをたどっていくと、それ以上探求することができない究極的な原因につきあたる。これが自己原因である。

この自己原因は、事物・自然・神と等しいとされる。

“Causa” はもともと悪い意味だ。「…のせいだ」みたいな響きがある。破門のことが念頭にあるかもしれない。

同時に“Causa”は「大義」という意味にも発展していく。多分両方かけているのだろう。

それでは事物・自然・神はどのような関係にあるのだろうか。

2.「神即自然」: 自然は神の様態の一種である

神はさまざまな形で論証されてきた。それはそれとして、自分は自分なりに“ユークリッドのように”論証してみたい。

神は無限の属性を備えており、自然も万物も無限の属性を備えている。なぜか。
それは神が備える無限の属性が、自然・万物の様態として表されているからである。

自然のうちには一つの実体しかない。それが神である。それは絶対に無限なものである。
然るがゆえにあらゆる事物は神の属性である。

神の思うままに自然世界は存在する。これがスピノザの「神即自然」という概念だ。

しかし、この断言はただちに疑問を引き起こす。
それは「自然は無限なのか」ということだ。もし無限であるならそれは神である。「自然即神」だ。それはかぎりなく唯物論だ。

スピノザは火炙りになるのが怖くて、「神に規定されるがゆえに自然は有限だ」と、“言い繕った”のかもしれない。

実際、スピノザは、18世紀のドイツでは無神論者として受け取られた。

3.「汎神論」: 万物は“大きな神”の一部である

神は超越的な創造者ではなく、自然の諸物の中に内在している。あらゆる事物にとって、神の内在は必然である。

自然の諸物は相互の関係の中で変化している。事物相互の関係は巨大なネットワークを形成する。このネットワークはその中で完結している限りにおいて、神そのものである。

その故に万物は精神性を具備し、“大きな神”の一部を形成する。これが「汎神論」ということである。

これは八百万の神様に慣れ親しんできた日本人にはまことにわかりやすい論理である。ただスピノザの「神」は、そういう物神崇拝的なアニミズムとは違う。万物を貫くのは唯一神である。

だからいずれは唯一神を論証する方向に収斂しなければならないであろう。

4.人間も神の属性の一つ

人間は精神(=意識)と身体に分離される。故に人間は有限である。故に神の属性の一つとして理解される。

人間は自然の一部ではあるが、自然そのものではなく、自然に規定された存在である。人間は、自然の無限の属性に規定されている。さらに自然は神の無限性から派生する、

5.人間の感覚と精神

エチカ第3部で、スピノザは人間の感情を論じている。

前の段落で明らかにしたように、人間は精神(=意識)と身体に分離される。

感覚は身体活動の表現である。それは自然の必然性、自然の力から生じてくる。したがって感覚には自然的原因がある。

人間の身体は自然によって左右される不完全な存在である。感覚的経験に基づいた認識には妥当でないものが内包される。

一方において人間は神の精神を表現している。それは人間が自然に抗い、生き延びる努力として示される。精神は自己の「有」に固執する。これが自己保存の努力であり、人間の本質にほかならない。

その努力が身体に向かえば、それは衝動となり、それが意識に反映されれば欲望となる。

6.「自己保存」の努力: Conatus sese conservandi

ここから先はちょっとややこしい。原文では「自己保存」の努力(Conatus sese conservandi)とされており、良くわからない。

悲しいことに多くの解説を読むと、さらに分からなくなる。

とくに「自己防衛」が神の精神だというと、ちょっと独断的な自己の押し出しが気になる。デカルト的な匂いもする。

國分功一郎さんがNHKの「100分 de 名著」で、うまく解説している。

すべての事物は常に変化しておリ定まるところがない。しかし事物は、変化すると同時に、変化のなかで自己の存在を維持している。この「同一性維持の傾向」が本質となる。

と、非常に納まりのいい解釈をしている。文章にすると、「私が日々の移ろいの中で私であり続けること」、そのための努力を指す言葉だということになる。

ただしこのコナトゥス=ホメオスターシスという解釈があたっているかどうかは、確信は持てない。


7.「善と悪」の基準

自然のうちには、善悪というものはない。だから善悪の判断は意志、欲望に先立つものではない。何者であれ、自分以外の他者に善悪の基準を委ねるのは間違いだ。

各々の人間が欲望を果たすための行動を取るとき、その行動の基準が、人間にとって善の基準なのだ。そしてそれは欲望の強さとの関係で相対的に規定されるものだ。

さらに言えば、人間の行動は自己保存の本能によって規定されている。それは神の指し示すものだ。

5.理性と直感知(Intuitive knowledge)

人間は理性を獲得できる。理性を獲得すれば自ずから真理を獲得できる。

真理を獲得したことは、「その真理を獲得することにより自分が変わった」、という実感をいだくことによって確認される。そして理性により神を認識する直観知を獲得することができる。

言葉にすると良くわからないのだが、日常生活の中で突然コツを掴んでしまうようなことがあるが、そのことを言っているのだろう。ある動作について論理的・演繹的認識が直感型、パターン型認識に移行する経験を指していると思う。

6.人間が成長するということ

成長するということは直感知を獲得して自由人となることである。

自由というのは、好きなものを選ぶということではない。行為のうちで自己のあり方がよりどれだけ多く表現されるかの度合いだ。

つまりある人がある行為において、どのくらい自己を表現できるか、そのためのスキルをどれだけ獲得したかが、自由であるか否かを規定する。

スピノザ 年譜

1632年11月24日 バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza)、アムステルダムに富裕な貿易商の子として生まれる。

父親はポルトガルを逐われてオランダに住み着いたユダヤ人。スピノザも母語はポルトガル語だった。

ユダヤ人学校でヘブライ語を学び、旧約聖書を研究する。著作はラテン語によるがこれも独学だった。

1656年7月(23歳) アムステルダムのユダヤ人共同体から異端として破門される。

追放後はハーグに移住し、転居を繰り返しながら執筆生活を行う。スピノザはレンズ磨きによって生計を立てたと言われる。

1662年 ボイルと硝石に関して論争した。

1662年 エチカの執筆を開始(30歳)。

1663年 最初の著作『デカルトの哲学原理』が出版される。

スピノザは「我思う故に我あり(cogito ergo sum)」を、「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」と解釈した。

1664年 オランダ共和派のヤン・デ・ウィットと親交を結ぶ。デ・ウィットはオランダの事実上の政治指導者(ホラント州法律顧問)であった。

1670年 匿名で版元も偽って『神学・政治論』を出版した。

超越した存在者を一切認めないと表明。国家の目的は個人の自由にあると主張する。

未完の「国家論」では、国家は専制政治を避け、国民の平和と自由を保持しなければならないとし、そのための方策を論じている。

1672年 盟友ウィット、対英仏戦争で民衆の怒りを買い虐殺される。スピノザの身辺も怪しくなる。

1673年 ハイデルベルク大学教授に招聘されるも辞退。

1674年 『神学・政治論』が禁書となる。

1675年 執筆に15年の歳月をかけた『エチカ-幾何学的秩序によって証明された』が完成。弾圧の恐れから出版を断念。

1676年 ライプニッツの訪問を受けたが、共感するに至らず。

1677年2月21日 スピノザ、肺病のため療養先で死去〈44歳〉。遺骨はその後廃棄され墓は失われる。

1677年 「エチカ」が友人の手により刊行された。

迷信家たちは、徳を教えるよりはむしろ罪悪を非難することを得意とする。
彼らは人々を恐れによって抑えておこうと努める。
迷信家たちは、その先に何も持っていない。
ただ自分たち以外の人を、
「自分たちと同じようにみじめなものにしておこう」と思い込んでいるだけだ。

(彼を破門したユダヤ教のレビたちへのメッセージ)

一ノ瀬秀文さんが亡くなったそうだ。
96歳だから、もう惜しいとは言えない歳だ。昭和19年に大阪商大事件で治安維持法違反。生き延びたのが不思議なくらいの人だ。
昭和37年に「経済」という雑誌が創刊されて、常連執筆者だった。
巻頭論文を30ページ位書いて、「この項つづく」と予告しながら、続編が載らなかったことも一度ならずある。
経済2号

多分、「おもろいおっさん」だったのだろうと思う。文章はたしかに我々ごときシロウト学生にもそう思わせるところがあった。



一ノ瀬さんの「現代の帝国主義をどうとらえるか」

という文章は、その「面白さ」が溢れ出るような文章だ。要約を紹介しておく。

革命運動にとって,これまでとは違う政治的,社会的情勢が現れたとき,それはなぜか,その客観的条件の本質的変化を解明する必要がある.

1.「グローバリズム」は帝国主義のあらたな一段階

資本主義の,帝国主義のあらたな一段階としてとらえる.とりわけ金融資本,独占資本,これと融合した国家機構のあらたな一段階としてとらえる.

多国籍企業の支配を基本的カテゴリーとし,多国籍企業こそ現代帝国主義の本質とする論者がいるが,これは間違い.

多国籍企業は,各国の金融資本によるトラスト形成を現象面から見たものに過ぎない.それは,各国国内での競争とカルテル形成の延長線にあるものとしてとらえるべき.

金融独占資本が存在する限り,その政治的代理人としての国家・政府はなくならない.さらにドル基軸体制という,一種の「フィクション」を支えているのも諸国家=独占の意思に基づいている.

とりわけ問題になるのは,「自由競争には民主主義が照応し,独占には政治的反動が照応する」というテーゼの現代的解明.

2.アメリカ覇権主義の再確立としてみる

第二次大戦後のアメリカ覇権主義の確立,その動揺と,ソ連崩壊以降の覇権再構築という三つの段階のなかで読みとっていく.とくに「動揺期」の客観的分析が必要.

この期間,米国の動揺にもかかわらず,資本主義はむしろ史上最大規模の発展を遂げた.そのための武器は覇権主義の確立のために創設された各種国際機関(ブレトン・ウッズ,国連,OECDその他)と,ドル基軸通貨体制だった.

第二次大戦後の変化は主要にはアメリカ覇権主義の確立であり,社会主義体制の出現ではない.

3.情報や金融技術はアメリカの創業者利益である

現在のアメリカの好況はコンピュータや情報などの面におけるアメリカの圧倒的優位にもとづく,一種の創業者利益である.それは産軍複合体が生み出した民生面での貢献である.

クリントン政策や,グリーンスパンの成功によるものではない.露骨な経済覇権主義はむしろ米国の支配基盤を弱めている可能性がある.


グローバリゼーションの四つの意義

1.一般的意味としての「国際化」という意味では,戦後の経済体制がそもそもグローバル化を目指したものである.その意味ではこと改めて強調するものではない.

2.グローバル産業(多国籍企業)の出現ととらえることもできる.しかしこれは,国際的なトラスト形成ということに本質があり,各国独占資本の利害調整の側面をしっかり見ておく.

3.情報,交通手段の発達を基礎に,金融資本そのものの国際化が進んだ.金融資本が世界を相手に取り引きできる技術的能力(バクチ的能力)を獲得した.いわゆる生産力レベルでの国際化.

4.世界の1/3をしめた社会主義圏の崩壊と,市場経済の組み込みによる海外市場の爆発的拡大.既存の地域共同市場の自由経済化.

 
「そのとおり!」と叫びたくなるところと、「うーむ?」というところが混じっていて、刺激的な文章だ。
コンピュータや情報などの面におけるアメリカの圧倒的優位にもとづく,一種の創業者利益 という表現はシュンペーターを思わせる。

 シュンペーターの生涯

1883年2月8日 モラビアのトリーシュという小さな町に,織物工場主の子として生まれた。

1887年,父が死去する。

1893年 母ヨハンナが退役将軍のフォン・ケラーと再婚する。シュンペーターは,ウィーンの貴族の子弟向け教育機関にはいる。

1901年 ウィーン大学法学部に入学する。ベーム・バヴェルクの講座に入る。学友にバウアー,ヒルファーディング,レーデラー,ミーゼスら。

1911年  グラーツ大学教授に任命される。

1912年 『経済発展の理論』を出版。5項目の“イノベーション”を提起。①新商品②新工法③組織改造④新市場⑤新仕入先。
金融資本のイニシアチブを重視する点でヒルファーディングと比肩される。

1913年 アメリカのコロンビア大学に交換教授として滞在。米国経済学者と交流。

1919年3月 オーストリアに社会主義政権が成立。学友バウアーの推薦により財務大臣に就任する。財産課税の導入,通貨価値の安定,間接税の導入を柱とする財政計画を献案するも6ヶ月で政権崩壊。

1921年 グラーツ大学教授を辞任し、ビーダーマン銀行の頭取に就任する。

1924年 株式市場の崩壊により銀行経営が破綻。シュンペーターは頭取を辞す。

1925年 ボン大学の財政学講座の教授に就任。ドイツに移住する。
1926年 『経済発展の理論』第2版を出版する。「企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究」という副題を付す。

1927年 ハーバード大学の客員教授となる。

1931年 初来日し、各地で講演。

1932年 ボン大学教授を辞任しハーバード大学教授に就任する。このとき51歳。
主な学生・院生にポール・スウィージー、サミュエルソン、ガルブレイス、トービン、ソロー(芝田敬、ランゲらはゲスト学者として位置づけられる)。

1934年 ハーバード大学の7人の経済学者がニューディール政策への批判を発表。シュンペーターは「不況(リセッション)は必然で、イノベーションが模倣を呼び、超過利潤がなくなって不況にいたる調整過程にすぎない」と主張する。

1936年 ケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』を発表。不況を高い失業率で均衡している状況ととらえ、有効需要の喚起によって解決しようとする。これを契機にして、サミュエルソンら弟子の多くがケインズ派に移行。

1937年 『経済発展の理論』が邦訳出版される。序文では「マルクスは資本主義発展が資本主義社会の基礎を破壊すると主張する限りにおいて正しい」と述べる。

1939年 『景気循環の理論』発表。「企業者のイノベーション」が初めて取り上げられる。

1940年 計量経済学会会長に就任(1年で退任)

1942年 『資本主義・社会主義・民主主義』を出版する。資本主義は、成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが官僚的になって活力を失い、社会主義へ移行していくという主張を展開。ベストセラーとなり、「創造的破壊」が流行語となる。

1948年 米国経済学会会長となる

1949年 国際経済学連合会長に選出

1950年1月8日 シュンペーター、脳出血のため死去。享年66歳。

1954年 夫人の編集による『経済分析の歴史』が発行される。

1818年からベルリン大学で『法の哲学』を連続講義し、これが出版される。死後にヘーゲルの講義の受講生が編集した解説や補遺が加えられる。

ヘーゲルの“体系フェチ”にいちいち付き合う必要はない。人間の欲望に基づいて社会が発展していくことを押さえておけばよい。

肝心なことは次の点にある。

市民社会は“市場においてもたらされる欲望”に基づく労働の体系だ

ただし労働というのは賃労働のことではない。諸個人の自己陶冶の活動だ。欲望というのも本能的欲望ではなく社会的欲求を指す。

ヘーゲルはここで明らかに聴衆を煙に巻こうとしている。ここから我々は本質をつかみ取る必要がある。
動物の欲求は生理的レベルに制限されているが、人間の欲求はそれを超えており、生理的制限を解き放ち発展させることができる。欲求は多様化し可変的となる。その多様化と可変化は市場が生み出す。
ここがヘーゲルの社会的欲求論のキモである。
この後議論は、「市民社会と国家が2階建て構造を形成している」という方向に移っていく。
国家は欲望の体系を包摂しながら市民社会の利己性を監視する。また対外的には、国際社会における特殊性を実現する。
国家の称揚は、アダム・スミス(見えざる手)の否定のように聞こえるが、そこには多分に国家権力へのリップサービスが混じっているようだ。


フランス革命のスローガン、自由平等はわかるが博愛というのがわからない
わからないなりに考えていく上で、2つの前提がある。

博愛は自由と平等なしには実現し得ないものではないか

だから自由と平等を犠牲にしてまで目指すものではないのではないか。博愛は自由と平等を土台にして、それを乗り越えていく形でしか実現できないのではないか。

これが第一の前提

2つの乗り越えの複合としての博愛

自由の延長あるいは“乗り越え”としての博愛は、万人の自由の尊重である。それは「尊厳」と表現される。
平等の“乗り越え”としての博愛は、「法の下での平等」にとどまらず、すべての生活分野での不平等の拒否である。それはまず「差別」の拒否として表現される。

これが第二の前提である。

博愛の考えが社会主義をもたらした

この2つの前提のもとでの「博愛」の主張、これが社会主義の原点になるのではないだろうか。それを余儀なくさせた社会状況の変化。貧富の格差の新たな展開が社会主義の考えをもたらしたのではないだろうか。


金融資本は金貸し階級の「否定の否定」なのか?

マルクスは中世から近代資本主義への脱皮を、重金主義・重商主義の廃棄と産業資本家の勃興として描いているが、正確にはどうなのだろうか。

資本論第三部の描写にはそれとは違う金融資本家が登場するが、それは金貸し階級の「否定の否定」なのか、それとも産業資本家の巨大な富を吸い取った金貸し階級の発展形なのか、この辺がどうもよく分からない。

日本でもたとえば元禄時代に様々な金融技術を生み出し反映した大阪の商業資本がどういう運命をたどったのか。それは大正から昭和初期の大阪資本の反映と地下水脈を通じてつながっているのか、この辺もよく分からないところである。

ゾンバルトの「ユダヤ人と経済生活」

湯浅赳男さんの「ユダヤ民族経済史」という本が、ゾンバルトの「ユダヤ人と経済生活」という本を紹介している。
ゾンバルトの主張は「中世~近世の国際商業資本」がどういう動きをとってきたか、それは近代資本主義にどのような影響を与えてきたかを知る上で示唆的なものだ。

「ユダヤ問題」というセンシティブな論点をふくんでいるので、ここでは「中世~近世の国際商業資本」と読み替えて、ポイントを探っていきたい。

ゾンバルトによれば、生成期の国際商業資本には3つの特徴があった。
第一に、自らが築いた国際ネットワークが唯一の国際商業の手段であり、彼らはノウハウを独占していた。
第二に、彼らは羨望と嫉妬の的ではあっても、尊敬の対象ではなくつねに経済外的強制のもとにあった。
第三に、彼らの資産は危機に備え、つねに動産の状態(過剰流動状態)に置かれていた。

資本主義の生成期に「国際商業資本」の資本が投下された主要な分野は、①国際商品取引、②アメリカ大陸の植民事業、③軍需品の納入、の3つであった。

これらの歴史的要因の結果、現代資本主義のもう一つの側面、「高度な市場化」がもたらされた。
ゾンバルトはこれを「国民経済の取引所中心化」と呼んでいるが、多少長ったらっしい。

「高度な市場化」の3つの要素

「高度な市場化」は3つの要素からなっている。
第一は、信用の事物化とその請求権の証券化である。具体的には裏書手形、株式、銀行券、無記名債務証書である。
第二は、証券の流通化である。具体的には証券(請求権)の取引所での売買である。
第三は、証券の発行を固有の業務とする企業の成立である。

一言でいえば、それは人間関係の対象化・事物化であり、信用関係の有利証券化である。それは第三者に譲渡可能な「裏書手形」の出現を持って完成した。
この貨幣と信用にかんする一連の進化過程は、17世紀のオランダで発展したと言われる。

湯浅さんのゾンバルト批判

このようなゾンバルトの所説を紹介した上で、湯浅さんはこのような「国際商業資本」があったのは事実だが、それがユダヤ人資本だとは言えないとしている。
なぜなら歴史的事実に即して、ユダヤ人資本が世界に影響を与えるようになったのは19世紀中頃のことに過ぎないからだ。

もう一つ、やや専門的な用語で彩られた「高度な市場化の3つの要素」は、これもまた「高度な市場化」の結果として登場したものであって、それ自身が「高度な市場化」の内容ではないということである。

ただ、それらが巡り巡って「高度な市場化」を加速させたことも間違いがないところなので、「特徴付けとしては面白いんじゃないか」、というのが湯浅さんの結論である。

とはいえ、証券の流通→取引所の発生→証券発行会社の設立という過程は、「あたりまえじゃん」と言うだけの話にも聞こえる。

重商主義から重農主義へ

ケネーを中心とする年表

1628年 ウィリアム・ハーヴェイ、血液の体系的循環を発見。それまで、血液は心臓から消費器官までの一方的な流れと考えられえていた。

体液の循環説は、経済が再生産を通じて循環しているというケネーの発想を生んだ。

1694年6月4日  フランソワ・ケネー(François Quesnay)が生まれる。

1700年ころ ルイ14世の絶対王政のもとで、コルベールによって重商主義政策が推し進められる。

1718年 病院での修行の末、外科医を開業。

1737年 外科アカデミーの終身事務局長に任命される。(43歳)

1744年 薬学博士の免状を得て、国王の常勤内科医となる。

1749年 ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人の侍医となり、ヴェルサイユ宮殿で働く。宮殿の「中2階」に居住し、そこは革新的な科学者,思想家たちの集まる場となった。

1750年ころ フランスの国家財政が破綻に直面する。
重商主義は貨幣を富の形態として考えていた。商品は富の原資だが富そのものとは考えられていなかった。そのため、貨幣を稼ぐことを唯一の目的とする保護貿易に終始した。このため貿易はゆがみ、国内産業は弱体化し、生産は伸び悩んだ。

1750年ころ ケネーは重商主義批判の立場から、経済学の勉強を始める。(56歳)

ケネーは血液循環と同じように富という血液が心臓から送り出され、また戻ってくるという循環を繰り返すと考えた。そして農業こそが心臓にあたると考えた。

1756年 『百科全書』第6巻に「明証性」と「定額小作農」の2つの記事を執筆。

1758年 ケネー、『経済表』(Tableau économique)を出版。(63歳)

コルベールの重商主義を過度の統制として批判。農業生産を基本とした自由な貿易によって経済を発展させる方針を提起した。自由放任主義・重農主義と呼ばれる。
その際に論証の材料として再生産表を発表した。これは社会を生産階級(農民),地主・支配階級,不生産階級(商工業者)にわけ、階級間の取引を分析することで生産と取得の循環を解明しようとするもの。 

1760年代 重農主義思想に影響されて、「穀物取引の自由」や「土地囲い込み」をもとめる運動が盛り上がる。
この運動は富農、産業資本家の経済的自由を後押ししたが、いっぽうで農民層の没落ももたらした。

1765年 アダム・スミス、パリに1年間滞在する。ケネーや信奉者と面識を持つ。

1774年12月16日 フランソワ・ケネーが亡くなる。80歳。

1774年 「財務総監」のテュルゴーが重農主義に基づくプログラムに着手。貴族たちの抵抗で混乱。

1776年 アダム・スミス、国富論を発表。

「経済表は、文字と貨幣と並んで、国家社会の安定に最も寄与した3つの偉大な発明品の1つである」と紹介

蓄積資本の概念,固定資本と運転資本との区別などもケネーの学問的功績とされる。

1776年 テュルゴー、農村の賦役と都市のギルドを撤廃するよう提案。国王はテュルゴーを解任。



ケネーの言葉(ケネー『経済表』より)

土地が富の唯一の源泉である。そして富を増殖させるのは農業である。そこにこそ、王国の行政の成功が依存している。
主権者と国民は、このことをけっして忘れてはいけない。

農業の振興は富の増加をもたらす。そして人口の増加を保証する。
人間と富が増加すれば、農業は繁栄し、交易は拡張し、工業は活気づく。
それは富の増加を永続させるのである。

「富の源泉」を考えるきっかけ
はるか昔のことだが、高校3年生の世界史の授業で、ケネーの農業表というのを習って感心したことを覚えている。
「おお、世界の富というのはこういうふうに作られるのだ」
ところが、次にアダム・スミスの講義になると、すべての富は労働によって作られるのだというふうに発展される。
これも「なるほど、たしかにそうだ」と思ったが、なんとなく眉唾の感じもあった。
農業は春に種をまくと、秋には麦粒が撒いた量の100倍になった戻ってくる。そこにはたしかに富が増えたという実感がある。
ところが工業というのはたしかに形を変えたりして使い勝手は良くするが、原料(元の富)そのものの量が増えたわけではないよね、というトゲが残るのである。
スミスはケネーの弟子筋に当たるようだが、ケネーがこれを聞いたらどう思うだろうかというのが気になる。
別に封建時代の人間ではないのだが、昔からある士農工商という身分制度が気になって、やはり農業が富の根本で、工は補助的な役割で、商は稼ぎもしないで人を騙して暮らしているみたいな気分があったのかもしれない。

剰余価値説はまずもって労働価値説だ

農業以外は価値創造を認めない人というのがいて、これには二通りあって、一つは神様以外に価値の創造者を認めないというウルトラの人たちだ。価値と人間が呼んでいるものは、人間の欲望が「価値」として結実した幻想に過ぎないことになる。
これはたしかに一理あって、富といえば金銀財宝を思い浮かべる人に対して、そんなものは社会が生み出した幻想なのだ、というのは正論である。

もう一つが、農業は神の恵みを価値に転化できるから富の源泉として認めてもよいが、それ以外は手慰みであって価値を創造しているわけではないというのだ。
しかし職人たちの仕事は明らかに価値を創造している。機を織ったり毛皮を鞣したりするのは、ほとんど農業の延長だ。もし農業が富の源泉であるなら、生活必需品に関する生産労働も同じではないかということになる。

価値とは使用価値であり、労働とはモノづくり労働だ

使用価値でない価値はありえない。剰余価値はモノづくり労働で初めて生まれる。

剰余価値を労働価値説の流れで把握するというのは、労働イコール物質的生産活動と定義することだ。ここを外して階級関係の中でのみ捉えると、話がとたんに見えなくなる。

労働の過程で付加された使用価値、これが剰余価値の原型となる。
これは資本主義的生産システムの中で、引き算として示されるようになる。なぜなら労働力もが商品化されるからだ。そういう“擬制”のなかで示された労働価値なのだ。

物質的生産労働以外の労働は別個に検討されるべきだ

剰余価値概念への批判は、物質的労働以外の労働をもふくませることから生じる。今日ではそういう労働のほうがはるかに多くなっている。
非物質的労働の範囲は運輸・建設などから始まって商業・金融まで広がっている。さらに教育・医療・福祉など以前は専門職とされた分野までもふくまれ、現実の労働運動の主人公となりつつある。

これらの分野における剰余価値→搾取の問題は別個に論じるべきだと思う。

資本論第2部の第8項に至る改訂稿の検討がこれだけ進むと、第3部をそのまま読む気がしなくなる。
第1部で第2版とかフランス語版があってかなり当初の分析とは様相を異にしている。第2部についても発行には至らなかったとはいえ、66年時点での草稿とは相当変わってしまった。

この調子で書き換えが進んでいったとすれば、第3部はどう書き換えられることになったろうか、多くの人の気になるところだろう。マルクスもその期待はひしひしと感じていたに違いないが、非常にそれが気の重い仕事になっていたのだろうと思う。一気に書き下ろすのは勢いで行くのだが、それを改定する仕事は書き下ろしの3倍くらい気を使う仕事になる。だから気力の低下したマルクスは、ロシアの古い農業形態とか、別に急ぐ必要のない仕事に“逃げ込んだ”のではないだろうか。

とりあえず研究者に期待したいのは、もしマルクスが後10年元気だったら、第3部をどう書き換えていただろうかという点にある。誰かが旗振りをしてそういうテーマでシンポジウムでもやってくれるといいと思う。

もう一つは資本論に今一度、哲学的な意義を付与して、要綱マルクス的な展開をしてみるべきではないかということである。とくに消費過程・生活過程・欲望の産出過程を物質的生産過程と照応させて、人間的過程を複線化することである。

この思想的遡り作業は、骨の折れるわりに、評価が定まらない論争的なものになるので、誰もあまり手を出そうとはしないだろう。しかし哲学的にはだいじなところだ。

2018年03月04日  シェリング 年譜 を増補した。

ついでに「弁証法的実在論者」としてのシェリングについての感想

カントからヘーゲルというのがドイツ古典哲学の流れで、フィヒテとシェリングは刺身のツマ扱いになっている。とりわけシェリングの役割はほとんど扱われない。

そもそもシェリングはプレ・ヘーゲルなのだろうか。彼は早熟であったためにフィヒテの後継として登場しているが、実際にはヘーゲルとは年下の同級生の関係にある。

二人とヘルダーリンは1790年代末には共同の理論構築作業を行っていた。ヘーゲルのとりわけ初期著作には、一歩を先行していたシェリングの論及がかなり影響を及ぼしている。

物自体と自我

フィヒテによれば、自然を認識するためには、自我という人間精神が前提となる。
フィヒテは自我と非我を対立物と捉え、自我が非我を乗り越え、取り込むことで絶対我に向かうと考えた。

物自体へのアプローチは可能だ

なぜフィヒテが哲学を認識論として提起したか。それはカントが、物自体を認識不可能なのものと裁断したからである。
カントは人間の認識能力の限界を示して、物自体を認識不可能なのものとし、現象界と叡智界とを厳然と区別した。
だからカントのしもべたるフィヒテの出発点となる問題意識は、物自体の壁を押し広げ、叡智界を拡大することにあった。それはカントが密かに企んでいたことでもあっただろう。

自然はたんなる対象ではない

シェリングの論理も、出発点においてはフィヒテと同じく自我と考えられる。しかし彼はライプツィヒで自然哲学を学んできたために、自然をたんなる認識の対象(非我)としては捉えなくなっている。
非我にも駆動力はあるということだ。「非我も自我の芽を内包している」ということになる。

フィヒテは自然を、意識から「排除すべきもの」と考えていた。シェリングはそれを精神と同一の「実在の原理」において把握しようとした。

勢いの赴くところ、シェリングは絶対我の代わりに自我(精神)と非我(自然)とをともに駆動する「絶対者」を想定した。彼はこれを「同一哲学」と名づけた。ほぼヘーゲルだ。
「自然は目に見える精神,精神は目に見えない自然である」

それでは、自然と精神とのこの相互転換はどのようにして起こるのか。自然はどのように知として意識に取り込まれるか、自然が精神として内実化される過程はいかなるものか。

「同一」は無様だが「絶対精神」よりはるかに良い

世界を統一的な視点から説明するという問題意識は、ヘーゲルの精神現象学に連なる。ヘーゲルは絶対我の代わりに「絶対精神」の諸事象への展開として考察する。

認識論の動画を逆回しすれば現象論になるというのがシェリングが提示しヘーゲルが引き継いだ論理である。
それは世界を観念の世界から逆立ちして描き出すことになる。
しかしそれは静止画ではなく動画である。その故に機械的唯物論よりはるかにリアルである。

まだ語るべきほどのものを持ち合わせていないが、シェリングの自然哲学の弁証法的な優位性は注目すべきものがあり、誰かエンゲルスの自然弁証法と突き合わせながら展開してくれるのを待ちたい。


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