鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

カテゴリ: 05 音楽

「ピアノの詩人」といえばショパンの代名詞。世界中どこに行っても通用する。ところが誰がいつからショパンを「ピアノの詩人」と呼ぶようになったのかが判然としない。
それはいつかまた詮索するとして、「ロシアのショパンたち」を書いていて「なるほど」と思ったことがある。
ショパンは別格として、「ピアノの詩人」と言われておかしくない人はたくさんいる。どちらかと言えば小品にさえを見せる人たちだ。
意地悪く言えば、あまり大河小説のような大作は書けない人、小物作曲家というイメージもある。今では死語になったが「女性的」という言い方もできる。
ところで、ロシアの「世紀末」作曲家たちを聞いていると、そういうちょっとネガティブな枠組みと違う「ピアノの詩人」概念が存在するのではないかと思うようになった。
逆説的だが、ピアノで詩を作り歌う才能がない人というのが世の中にいるのではないかという考えである。
ラフマニノフの場合
最初に気がついたのはラフマニノフだ。
ラフマニノフについては以前、1901年の前奏曲(作品23)の途中でプッツンしたのではないかと書いたことがある。
ラフマニノフといえばチャイコフスキーも目をかけたモスクワ音楽院の俊秀で、大谷ではないがピアノと作曲の両方でトップをとった。前途洋々の人だったはずだが、途中で作曲の方はあきらめている。多くの解説では彼の持病であるメランコリーが関係しているのではないかと言われている。
私もそれを念頭に置いて「プッツン説」を唱えたのだが、あらためて聞いてみて、もっと問題は本質的ではないかと考えたのである。
彼の作品一覧を見て気づいたのだが、彼はそもそも最初からピアノ曲をあまり書いていない。作品番号がつかない初期作品を除くと、作品3の「幻想的小品集」が92年、2台のピアノのための「幻想的絵画」を挟んで、4年後の「楽興の時」が作品16、それから5年をおいて作品23の「前奏曲集」が出たのが1901年である。
この前奏曲集は前にも書いたとおり、途中からカスの集まりになっている。本来なら24曲書くのが筋なのに、10曲でやめてしまった。
それから9年もあとにもう一度、残り13曲を発表するのだが、私の耳からすればカスばかりだ。その後の曲もほぼ同断だ。
なぜか
それはラフマニノフがピアノの名人ではあっても作曲の名人であっても、「ピアノの詩人」ではないということではないか。
彼のピアノ独奏の名曲はほとんどが、“ゆびぢから”でピアノを目一杯鳴らすものばかりだ。「詩人というよりは「プロレスラー」だ。たしかに彼は名ピアニストで名作曲家であるかもしれないが、それは大谷風の二刀流であって、そこに渾然一体となった「詩人」がいるわけではない。
カトワールの場合
カトワールはなかなか良い室内楽を残している。ピアノトリオからカルテット、クインテット、弦楽四重奏曲と一通り取り揃えている。
さぞピアノ独奏でも良いものがあるのではないかと思ったが存外少ない。彼の曲を聞いていると、歌うのは弦楽器、ピアノはそれを支えるのが役割という分担があるように聞こえる。
だから「ピアノで歌いなさいといわれると、ちょっと困っちゃうんだなぁ」という感じがする。もちろん作曲をする時はすべてのパートをピアノで音作りしていくのだろうが、そのときピアノは「音出し装置」、作曲ツールとしか位置づけられていないのではないか。
どうも「ピアノで歌う」というのは、バイオリンとか他の楽器で歌うのとは次元の異なる感性を必要とするのではないかと思う。ピアノというのは本質的にリズム楽器みたいなところがあって、音はポクポクとぶつ切りでしか出てこない。「歌」が音の連続性・持続性を要求するものだとするなら、ピアノは歌とは本質的になじまないのである。
そういう本質的な限界を持った楽器で、それにもかかわらず歌を歌うとするなら、間隙を埋める装飾音符とかいろいろアヤを付けなければならない。
しかしアヤを付けすぎるといかにも野暮ったい演歌になってしまいかねない。その辺の兼ね合いがピアノ曲の制作や演奏には問われるのであろう。そのセンスが「詩人の魂」となるのであろう。

どう謝ったら良いのかわからないが、とにかく謝っておきます。
以前、「バグヘッド・エンペラーなどクズだ」と書いたら、ずいぶんおしかりのコメントをいただきました。
「ASIOで聞いたらそんなに悪くない」と言われて、やってみたところたしかにそれなりの音がしまして、これについては後ほど「バグヘッド・エンペラー+ASIOは悪くない」という別記事をアップしまして、最初の記事にもリンクを張っているのですが、なかなかそっちには行ってくれないようです。
ただ一度言ってしまったことは責任を取るべきだと考えて、あえて最初の記事を消さずにいるわけです。
お願いですから、前後の事情も察してあまり居丈高にならないでください。

と、ここまで言ってから、またケンカを売ることになるのかもしれませんが、目下の考えは(あくまでも目下ですが)、再生ソフトで音をいじるということそのものがいかがなものか、ということです。
それはあくまでもお化粧であって、田舎出のイモ姉ちゃんが「無茶メイク」して化物みたいになって、それでもそれなりに垢抜けてきれいになるのと、本当の美人とは違うでしょう。

同じ目的で開発されたものなのに、豪胆なWASAPI色と艶っぽいASIO色はずいぶん違います。WASAPIそのものも出はじめと今ではずいぶん暖かみが違います。おそらく両者とも音色をいじっているのでしょう。名前は忘れたけど、ASIOっぽさをさらに強調した有料ソフトもあるようです。

これはもう仕方がないので、当分の間は両者で競り合ってもらうしかないのでしょう。そういう選択肢がまずあるとすれば、バグヘッド・エンペラーはASIOをもっと良くするという線上の「上塗り化粧」ソフトということになると思います。

とにかく一番大事なことは、自分のすっぴんの「モニターサウンド」を持つことだと思います。お化粧はその後でよい。なんなら自己責任でAudacityでいじればよい。
そして私のモニターサウンドはファイルを作業用メモリーに移設して、foobarのWASAPI(event)モードでDACにつなげて聞くことです。その分良さげなDAC、プリメイン・アンプ、スピーカーに後を委ねることになります。

たしか前にも書いたが、ギレリスとコーガンは義理の親子で、コーガンはギレリスに心酔していたという話だ。
ギレリスというのは謙遜な人で、ソ連の演奏家としては最初に西欧にエクスポーズしたのだが、「世界一のピアニスト」と賞賛された時にマジに否定したそうだ。
「ソ連には私よりはるかに上手い人がいる」とコメントしたのだが、それがリヒテルだった。
しかし「そうだろうか」と私は思う。テクニックと言うだけならたしかにそうなのかもしれない。しかし聞いて「良いな」と思うのは、私ならギレリスだ。
リヒテルなら、どの曲を演奏しても曲の中にぎりぎりと切り込んでいく、そういう凄さがある。それを傍で感じる時はすごいなと思う(だがいつもそうではない)。
ギレリスの演奏は鍵盤をオーケストラのようにあやつる指揮者のように聞こえる。それがどう違うかというと、多分リズム感と響きなのだろうと思う。
ギレリスの演奏はどっしりと安定して、優しい。ギレリスの演奏は気持ちいいのである。リヒテルは時として不機嫌でそっけなく、人の心を不安定にさせる。音色は綺麗とは言い難い。ベートーベンのソナタで、その違いは顕著だ。
シューマンやドビュッシーはギレリスには合わない。ところがブラームスのピアノ協奏曲第2番はギレリスの不朽の名演だ。グリークの叙情小曲集は珠玉の一枚だ。
いま、アシュケナージやプレトニョフが指揮者として大をなしている。私が思うにはギレリスこそ大指揮者になったのではないかと思う。彼には大谷選手並みの素質があったと思う。惜しいことだ。
そのギレリスが娘婿のレオニード・コーガンと組んでベートーベンのバイオリンソナタを出している。これはこの曲のベストだと思う。学生時代、FONTANAという廉価版シリーズでグリュミオーとハスキルのレコードを買ったが、音のバランスが悪かったせいかもしれないが、この曲へのマイナス・イメージが焼き付けられた。それがこの演奏で払拭できたのである。
たしかにコーガンのバイオリンは線が細く硬質で、オイストラフと比べての話であるが、きまじめだ。しかしそれがギレリスのバックを得て生き生きと踊り始めるようになる。(この話は以前書いたよね)
さて、話がようやく本題に入る。
このギレリスとコーガン親子にロストロポーヴィッチが加わったのがこのトリオである。名前はついていないが、どう考えてもギレリスを中心にしたトリオだ。だからこれから先はギレリス・トリオと読んでおく。
このギレリス・トリオが演奏したのがチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出に」だ。

このあと、つらつらと書き連ねた文章があっという間に消えた。
もうやめた。
これだけあれば、一応は足りている。
You Tubeでは同じ年の同じ演奏でモーツァルトのピアノトリオ第一番が聞ける。おそらく同じレコードの裏面なのだろう。こちらのほうがピアノの大音量がかぶさらない分聞きやすくなっている。ただしロストロポーヴィッチの出番は殆どない。目立ちたがり屋だから無理やりしゃしゃりこんでくるが、そもそも音符がないのだからどうしょうもない。

PlayPcnWin の作者は、このアプリのいいところはWASAPIの排他モードを使っていること、ファイルをメモリにいったん写し取って、それを再生するところにある、と書いている。

しかしWASAPIの排他モードなどいまどき当たり前のことだ。とすると、音質の良さはひたすらメモリ転送→再生ということにある。

しかしそれはfoobarでも可能だ。私も以前はやっていた。しかしそれはあの「糞DAC」で音飛び、中断、落城を繰り返していたときの対応だ。

その時、「たしかに音は良くなるが」と実感したが、それは音飛び対応の副産物だった。

しかしあの記事のほんとうの意味は、音源ファイルのメモリへの転送→再生による音質改善だったのだ。

「よしそれならアドバンス設定でどのくらい音が良くなるのか、PlayPcnWin と同じ音が出るのか」とトライすることにした。


絵入りで説明することにする。

1.プレイバック画面をいじる

立ち上がり画面からファイル→プレファレンスと進んで、プレイバック画面を出した所

PLAYBACK

ここでソース・モードの逆三角を左押しして、NONEにする。プロセッシングの逆三角でNONEを選択する。

2.アウトプット画面をいじる

次に左窓のプレイバックの二つ下、アウトプットを左クリックしてアウトプット画面を出す。

OUTPUT

デバイスの逆三角で、WASAPI(event):DAC を選ぶ。(これは職場のパソコンなのでDACには接続していない)

バッファー・レングスはだいたい1万見当。アウトプット・フォーマットはとりあえずいじらない。

3.アドバンスド画面をいじる

アドバンスド

画面では省略したが、左窓のアドバンスドを左クリックすると右窓の表が出てくる。その中のプレイバックをポッツんして、出てきた表の中からさらにWASAPIをポッツんしたものである。

a) まずいじるのはフル・ファイル・バファリングの項目である。字の上のどこでも左クリックすると、フォーマット窓が出てくるので1000000といれる。「メモリ上に100メガバッファを確保しますよ」という意味だろう。

b) 次がWASAPIの項目である。

この中のハイ・ワーカー・プロセス・プライオリティにチェックを入れる。

c) ついでスレッド・プライオリティの項目

MMCSSを使うにチェックを入れる。その下のMMCSS モードはAudio を“pro audio”に書き直す。

出来上がったのが下の図である。

DEKIAGARI

なお、マニュアルではイベント・モードでのハードウェア・バッファーを500まで上げろと書いてあるが、音飛びがひどくなって、とてもそこまでは上げられない。

プッシュモードだと平気で500まであげられるが、いちおうマニュアル通りイベント・モードで行くことにする。

4.排他モードを確認する

ウィンドウズそのものがデフォールトで排他モードになっているような気がするのだが、念のため確認しておく。

コントロール・パネル→サウンドで再生タブを開くと「規定のデバイス」が出てくるので、画面を右クリックしてプロパティ窓をひらく。

この窓の詳細タブを選択すると「規定の形式」と「排他モード」が出てくる。排他モードの二つの四角にチェックが入っていればOK.

WASAPIのプッシュとイベントの違いがわからない。大抵のページには「どちらでも良い」と書かれている。耳で聞いてもわからないし、「まぁ良いか」ということでプッシュ・モードで聞いていた。

ところが、foobar をいじったときにこの違いが明らかになった。

そこであらためて調べて見だが、スッキリした話はどこにもない。仕方がないので英語まで手を伸ばして次の文章を手に入れた。


Hydrogenaudio Forum

というサイトに次のような発言があった。

https://hydrogenaud.io/index.php/topic,111120.0.html

Reply #2 – 31 January, 2016, 05:17:11 AM


foobar2000において、プッシュとイベントはともに排他モードで操作されている。

唯一の違いは駆動するバッファーの違いにある。あるいはバッファーの処理法の違いにある。

foobarでどちらかの方法を使うにせよ、タイマーの問題は核心ではない。

それはどのくらいのデータがバッファとして必要かにより違う。

イベント・モードではAPIドライバーによるcallback法で、より多くのデータが必要である。callbackは、前もって準備されたバッファが再生されようとする直前に点検される。

プッシュ・モードでは自らのthreadのなかにloopがあって、ドライバーに対し繰り返し新しいバッファの受け入れを尋ねてくる。またその前のバッファーにも関係する。

イベント・モードはlower latencyを期待できる。なぜなら呼び出しアプリは、新しいバッファが入る正確な時間を実現できるからだ。しかしプッシュ・モードは呼び出しアプリをその度に起動するので、デレイが生じる。

タイマー・ベースのプッシュ・モードでは、それぞれのバッファーの持続時間の間に少なくとも2回のチェックが入っていると思う。再生に入る前のチェックと次のバッファーの点検に入るためのチェックだ。なぜならこのモードでは一つのバッファーの再生時間の厳密な判断ができないからだ。


ここまで読んでもなんのことやらよう分からんが、どうやらイベント・モードは一つの曲を時間ごとに細切れにしていって、前処理していくようだ。スケジュールに合わせてどんどんスケジュールが進行していくから、遅れはないがメモリーを食う。

それに対してプッシュモードは曲の流れ具合を見ながら、「はーい、亀さん、出番ですよ」と呼び出して行くスタイルらしい。

イベントモードのほうが後から開発されたようだ。まぁ説明書を見ればイベント・モードを使いたくはなる。


質問が両者のレイテンシー比較にあったので、回答者はこう回答をまとめている.

latencyだけを問題にするなら、50msでも十分でしょう。何か特殊な作業をするのでなければ、例えば録音した音楽の再生であれば、200msecでも十分です。

どうしても減らしたいなら、WASAPIでは20msecが限界です。もしもっと低くしたいのなら、ASIOを使えば2msecまで減らすことはできます。

ことレイテンシーに関してはWASAPIはASIOに到底及ばないようだ。



こまった。
レビコフのピアノ曲集全曲盤を買ってしまった。
AnatolySheludyakov-VladimirRebikov
見ての通り、シェルデャコフというピアニストがレビコフのピアノ曲全曲をCD3枚に吹き込んでしまったのだ。
やっと名曲百選を作って、レビコフをかなり押し込んだのだが、これから聴き込んでいくととてもそのレベルでは収まらないかもしれない。困ったものだ。

ジャ~ン! 自分でファンファーレ

1年をかけて、やっと終わった。

「ロシアのショパンたち」

一応、100曲を選び終えた。

作曲家別に、おおよそ古い順に並べていく。

グリンカ

1 ノクターン「別れ」 ヘ短調

2 マズルカ ハ短調

バラキレフ

3 1864 ひばり (原曲はグリンカ)

4 1859 ポルカ嬰へ短調

5 1902 トッカータ 嬰ハ短調

6 1902 ノクターン No.3 ニ短調

ムソルグスキー

7 1859 子供の遊び スケルツォ

8 1865 子供の頃の思い出 第2曲 最初の罰

9 1865 ロギノフの主題による「夢」

10 1879 クリミアの南岸にて 第1曲アユダク山麓グルズフ

11 1880 村にて

12 1880 涙の一滴

ボロディン

13 「小組曲」より 1.修道院で

14 「小組曲」より 2.間奏曲

15 「小組曲」より 7.夜想曲

キュイ

16 Op.20 2台のピアノによる8つの小曲 第8番子守歌

17 Op.21 組曲_1-即興曲

18 Op.21 組曲_2-Tenebres_et_lueurs

19 Op.21 組曲_3-間奏曲

20 Op.22 ノクターン

21 Op.31 3つのワルツより 第2番 ホ短調

22 Op.40 「アルジャントーにて」no 6 「おしゃべり」練習曲

23 Op.64 前奏曲集 第2番 ホ短調

24 Op.64 前奏曲集 第4番 ロ短調

25 Op.64 前奏曲集 第6番 嬰ヘ短調 Andante

26 Op.64 前奏曲集 第7番 イ長調

27 Op.64 前奏曲集 第8番 嬰ハ短調

28 Op.64 前奏曲集 第9番 ホ長調

29 Op.64 前奏曲集 第10番 嬰ト長調

30 Op.64 前奏曲集 第16番 ヘ短調

31 Op.64 前奏曲集 第18番 ハ短調 Allegretto

32 Op92 3つの旋律スケッチ 第1番

33 Op92 3つの旋律スケッチ 第2番

34 Op92 3つの旋律スケッチ 第3番

アレンスキー

35 Op.15 2台のピアノの組曲から I. ロマンス

36 Op.15 2台のピアノの組曲から III. ポロネーズ

37 Op.23 2台のピアノの組曲「影」から 3.道化

38 Op.23 2台のピアノ組曲「影」から 5.バレリーナ

39 Op.25 4つの小曲から No.1 即興曲

40 Op.25 4つの小曲から No.3 練習曲 (中国の主題による)

41 Op.28 「忘れられたリズムによる試み」から 1-ロガエード

42 Op.41 4つの練習曲から No.3 変ホ短調

43 Op.65 2台のピアノ組曲「子どもたちの組曲」から 8. ポーランド風に

リャードフ

44 Op.3a 6つの小品 3 フーガ ト短調

45 Op.4 4つのアラベスク No. 2 イ長調 アレグレット

46 Op.9 2つの小品 1ワルツ ヘ短調

47 Op.11 3つの小品 第1番 前奏曲 ロ短調

48 Op.23 小品「湿地にて」ヘ長調

49 Op.31 バラード“古い時代から”第1曲 マズルカ ト長調

50 Op.32 ワルツ「音楽の玉手箱」

51 Op.36 3つの前奏曲 第2番 変ロ短調

52 Op.37 練習曲 ヘ長調

53 Op.38 マズルカ ヘ長調

54 Op.44 舟歌 嬰ヘ長調

リャプノフ

55 Op.1 No.1 練習曲 変二長調

56 Op.1 No.2 間奏曲 変ホ短調

57 Op.1 No.3  ワルツ 変イ長調

58 Op.6 7つの前奏曲 第6番 ヘ短調

59 Op.8 ノクターン 変ニ長調

60 Op.11 超絶技巧練習曲 第3番 鐘

61 Op.11 超絶技巧練習曲 第6番 嵐

62 Op.36 マズルカ 第8番 ト短調

63 Op.41 降誕祭 第1曲 クリスマスの夜

64 Op.41 降誕祭 第3曲 クリスマスの歌

65 Op.41 降誕祭 第4曲 クリスマスの歌手たち

66 Op.57 3つの小品 第2曲 春の歌

レビコフ

67 Op2_3 メランコリックなワルツ ロ短調

68 Op8_9 マズルカ イ短調

69 Op10_8 ワルツ 小さなワルツ ロ短調

70 Op10_10 ワルツ ロ短調

71 Op15_2 悪魔の楽しみ

72 Op21 クリスマスツリーよりワルツ 嬰ヘ短調

73 Op23_2 冬の歌

74 Op23_4 エスペランサ(希望)

75 Op23_5 スヴェニール

76 Op28_3 羊飼いの踊り

77 Op29_3 モデラート・コン・アフィリツィオーネ

78 ワルツ ヘ短調

79 秋の花々 モデラート

80 秋の花々 アンダンテ

81 小さな鐘の踊り

スクリアビン

82 Op1 ワルツ ヘ短調 1985

83 Op2 3つの小品 第1番 練習曲 嬰ハ短調 1887

84 Op3 10のマズルカ 第1番 変ロ短調

85 Op3 10のマズルカ 第3番 ト短調.flac

86 Op3 10のマズルカ 第6番 嬰ハ短調

87 Op8 12の練習曲 第12番 嬰ヘ短調 悲愴

88 Op9 2つの左手のための小品 第1番 前奏曲 嬰ハ短調 1894

89 Op9 2つの左手のための小品 第2番 ノクターン 変ニ長調 1894

90 ワルツ 嬰ト短調 1886年

ラフマニノフ

91 Op.3 幻想的小品集 第1番エレジー 変ホ短調

92 Op.3 幻想的小品集 第2番 前奏曲 嬰ハ短調

93 Op.5 組曲第1番「幻想的絵画」 第4曲 ロシアの復活祭 ト短調

94 Op.16 楽興の時 第3曲

95 Op.16 楽興の時 第4曲

96 Op.23 前奏曲第2番

97 Op.23 前奏曲第3番

98 Op.23 前奏曲第5番

99 Op.34 No14 ヴォカリーズ

100 Op.39 絵画的練習曲《音の絵》No_2 イ短調

基本的にはすべてYou Tubeで聞けるものばかりである。リンクはすぐ切れる。しかしそのうちまた出てくる。あえてリンクはしなかったので、自分で検索してほしい。

選曲の基準はショパンっぽいこと、聞きやすいことである。必然的に大音響のうざったい曲は少ないが、入ってはいる。彼らのお手本はショパンとリストだったから、どうしてもリストっぽさが混じるのであろう。あのブラームスだって初期の曲はバリバリだ。

もちろんいつまでもショパンの真似ばかりもしていられないから、経歴を重ねるとともに独自の音作りに移行していく。だから基本的にはキャリアの浅い時期の曲が多くなる。いわゆる「初期の習作」である。

したがって音源探しは意外に難しい。見つけた曲以外にも佳曲はたくさんあるだろうと思う。また聴き込んでいくうちに味が出てくるブラームスの間奏曲みたいのものもあるだろう。

結局なんだかんだとCDも買ってしまった。挙げておくと、

1.Lyadov Complete piano works: Marco Rapetti (5枚組)

2.Vladimir Rebikov Piano works: Jouni Somero (1枚)

3.Cesar Cui Complete works for piano solo:  Osamu Nakamura (1枚目のみ)

4.Cesar Cui 25 Preludes: Jefrey Biegel (1枚)

5.Borodin Complete piano music: Marco Rapetti (1枚)

6.Sergei Lyapunov Piano music: Margarita Glebov (1枚)

とりあえず、これでアップロードしておくことにする。後はチャイコフスキーが第一次候補で40曲ばかり残っている。これを絞り込んで30曲位にすれば完全に終わる。チャイコフスキーを「ロシアのショパンたち」に括るのは、いささか無理があるが、そこは勢いだ。

なんとはなしに、音楽再生ソフトは気になる。

1.foobar 2000 が定番になる

PCで音楽を再生し始めた最初の頃、音源はもっぱらウェブ・ラジオのものだった。それを拾うために重宝したのが Winamp のストリーミング機能だった。これの素晴らしいのが、曲ごとに別ファイルで曲情報も込みで溜め込んでくれることだった。

ラジオ・タンゴという局があって、ここから24時間ひたすらダウンロードして、4千曲も溜まった。そのほとんどは未だに聞けないままになっている。

Winamp で集めた曲だからWinamp で聞いていれば良いのだが、どうせ聞くのなら音楽再生ソフトでもっと良い音で聞きたくなる。そこで探してみると、foobar 2000 というソフトが良いらしいということになった。

たしかに foobar 2000 というのはとても良くできたソフトで、なんでもしてくれるし、音もそこそこに良い。正妻としてこれほどのソフトはない。

だから何回浮気しても、結局また戻ってくるのである。しかししばらくするとまた浮気の虫がうごめいてくる。困ったものだ。

おそらくこういう変遷は、ほとんどの音楽フアンが経験していることであろう。

2.You Tube が主要音源に

ウェブ・ラジオのストリーミング録音はさまざまな音楽へのアクセスという点で飛躍的な変化をもたらした。

ただ視聴の仕方としては受け身なものだ。どの曲をいつ流すかは放送局次第だ。それをそのまま受け止めて、それから自分なりにジャンル分けして、取捨選択するということになる。

ところがYou Tube がさまざまな曲にタイトルを付けてファイルにしてくれるようになってからは俄然景色が変わってきた。

最初は曲数も限られていたし、音質もかなり粗悪だった。それが2009年ころから変わってきた。最初は処女のごとく最後は脱兎のごとくで、いきなり音源が噴出し始めた。なかにはCD音質に近いものが現れた。

その多くはアップされて間もなく消えていった。だからとにかく必死になってダウンロードした。今ではそれが1テラにのぼるファイルとなってハードディスクに収まっている。人生3回くらいやらないと追いつかない量だ。

You Tubeのファイルはそのまま落とすとMP4という形式になる。そこから音声情報だけを取り出すとAACという形式のファイルになる。当時の音楽再生ソフトのほとんどは「MP3プレーヤー」だったから、AACの再生が可能なfoobar2000 はそれだけで絶対優位だった。

3.DACとの相性

多分2005年ころのことだろうと思うが、DACが流行り始めた。パソコン内でもDA変換はできるし音も出る。それをライン出力してオーディオに接続していた。

それを、デジタル出力にして外付けのDACで処理させる。それからオーディオに繋ぐということで音はずいぶんと良くなった。

といっても最初に買ったONKYOのSEなんとかというDACは外付けというだけが取り柄で、音響的にはなんの改善も感じられなかった。

当時はASIOの出初めで、このDACはASIOを受け付けなかった。仕方がないので疑似ASIOみたいなソフトで出力していたが、この疑似ASIO用に特化したリリスという再生ソフトはMP3形式しか対応していなかった。

そのうち、foobar に擬似ASIO用のアドオンができて、AACファイルも疑似ASIOからDACへというルートができるようになった。ただしfoobar はASIOが嫌いらしく、「一応出しては見ますけどね」という冷たい態度。

4.ASIOの“思想”とWASAPI

たしかにASIOを通すと音に艶が出てくる。とくにリリスで利くとその特徴は一段と鮮やかだ。ただ聞き続けていると、その独特の“ASIO色”が気になりだす。明らかに何かいじっているのだということが分かる。

そのうちに次々と“音の良い”再生ソフトが登場するようになった。フリーブ・オーディオとか、熱烈な信者のいる某ソフトなどである。その秘訣はオーバー・サンプリングという仕掛けにあるらしい。わがfoobar もさまざまなリサンプラーのアドオンが出始めた。

音になる前のデジタル信号にさまざまなアルゴリズムでお化粧を施すようだ。これをASIOで仕上げするというのが流行の行き方になった。結局すべての発端はASIOにあるようだ。

WASAPI が出てくると、世はASIO派とWASAPI派に分裂した。foobar の開発者はWASAPIを強力に推薦した。WASAPIは固く、芯がある。低音が濁らず厚くなる。しかし音色は端的に言えばモニター・サウンドである。

音楽フアンの多くは依然としてASIO派であったようだ。しかしへそ曲がりのクラシック好きにはfoobar の開設者のほうが正しいように思えた。

お互いにヴァージョンアップしていくし、foobar そのものも進化していくわけで、数年のうちに見違えるように音質は改善した。率直に言えばCDプレーヤーよりも良くなった。

5.高品質DACの進歩と再生ソフトの見直し

2.3年前から高級DACが登場し始めた。手持ちのONKYO SEなんとかは1万数千円、チャラいものでスリットから向こうが透けて見える。振れば音がするような感じだ。

そこに登場した高級DACは、何が入っているのやらズシリと重い。気のせいか、音もずしりと重い。重くなった分が何かというと結局ここでもお化粧を施すのだ。ただその中身はブラックボックスだ。

そしてそこを出たアナログの音はプリメイン・アンプで最終のお化粧をしてスピーカーに送られることになる。

これはやりすぎだ。かぶっている。何らかの役割分担が必要だ。音楽再生ソフトの役割を見直すべきだ。

6.お化粧の3つのステージ

お化粧など興味がないし、ましてやったこともないのだが、少し勉強してみた。

「メイク」というのはファンデーションと、狭義のメイクからなるようだが、私はその前に皮膚のクレンジングと欠陥補正など、スキンケアが重要だと思う。それは半分は皮膚科学の領域に入っている。

文字情報の形で蓄えられたファイルをカレントと言うかフローの形態に変換するのが再生ソフトだから、もっとも重要な部分を担っていることになる。

そこにはほとんど芸術的なセンスは必要ない。ひたすら正確であることが求められる。一回フローに換わってしまえば後はすべて一瞬の遅滞も許されない流れ作業になっていくわけで、ここだけ読み取り時間が許される。

7.PlayPcnWin

開発者である yamamoto2002 さんはまさにそういう発想で再生ソフトを開発したようである。

私の手持ちのDACと同じFostex を使用していて、「この時代に見合った再生ソフトはいかなるものか」という疑問が開発のきっかけらしい。

FSTEX のHPA8 のドライバーはデフォールトでASIO経由の信号を受け取ることになっている。機械屋さんが言うのだからそれが一番良いのだろうとおもって、その仕様でそのままやってきた。yamamoto2002 さんは、それは違うと言っている。

やっていることは、原理的にはかんたんだ。WASAPIでDACとつなぐということ、メモリにファイルをいったんコピーしてそこから読み取るようにしたこと、この2つである。

そして私に嬉しいのはものすごい操作がかんたんなことである。実に高齢者にマッチしている。最新の技術で「ガラ携」を作ってくれたようなものだ。

音には満足だ。foobar より良い。ただこれは以前にも実感済みだ。前の忌々しいDACに悪戦苦闘していた時、メモリー上に仮想RAMを作ってそこにファイルを入れたらすごい音がしたのである。HDから情報を拾うのとメモリから直接吸うのでは時間差があって、それが音質の向上につながるのだと実感した。

と言いつつ、手続きがあまりにも煩雑で、頻繁にハングアップを繰り返すので、やめてしまった経験がある。このソフトの高音質にもそれが効いているのではないかと思う。

もう一つは非可逆圧縮のファイル再生をやめたことだ。私は以前から思っているのだが、ビット数を可変にして圧縮する技術は容量を小さくするのには役立つが、読み取りには決して良い影響を与えないのではないだろうか。

その読み取り処理にはおそらくいくばくかの時間が取られる。それらを一切省略することでジッター補正時間はかなり稼げるのではないだろうか。

どうせ時代はWAV=FLACになっている。記憶装置が二桁から三桁くらい大容量化・小型化しているから、もうこれ一本で良いのかもしれない。

馬鹿馬鹿しいが、MP3やAACファイルもFLACに逆変換して保存したほうが良いかもしれない。(多少オーダシティで化粧して)


それにしても、ついにfoobar の時代が終わるのだろうか?

なぜ、ドイツでは変ロがBなのか

かねがね疑問に思っていたが、あるQ&Aのページにこんな記載があった。

ドイツ音名ではBは変ロで、ロはHですが、これについては(うろ覚えですが)こんな話を読んだ記憶があります。

ヘ長調の属七の和音はハ-ホ-ト-変ロになります。古典的な転調ではよく登場する和音です。

理論書などでロと変ロを書き分けるとき、角張った書体のbを本位のロに、丸さのある書体のbを変ロに宛てる習慣ができたのだそうです。

そのうち、角張ったbがhと混同されるようになって、ドイツ語の世界ではロ=H、変ロ=Bとなったのだそうです。

ということで、かなりいい加減な習慣のようだ。

fraktur
下段の小文字、左から二つ目が“b”,8つめが“h”である。

ドイツ語の勉強の時は、イヤでもドイツ文字を読まなければならなかった。これはフラクトゥールというらしい。第二次大戦後は使われなくなった。ご同慶の至りである。




ラフマニノフのピアノ曲を流して聞いてみた。
ラフマニノフの後半はまことにつまらないのだが、一体なぜなのかを知ろうと思ったわけだ。
感じたのは作品23の「10の前奏曲」の7番までは、良い悪いは別にして感じは出ているのだが、8番から後にはまったく歌がないということだ。
とにかくストライクが入らないのだ。いかにも置きに来るストライクはあるのだが、まるっきりの棒球だ。
ふつう前奏曲といえば24曲と相場は決まっている。しかしこの人は10曲で一旦やめちまって、残りは仕切り直ししている。おそらく仕切り直しせざるを得なかったのだろう。これが1901年のことだ。
それで9年もしてから残り13曲を発表している。どれもこれもさっぱりだ。9年間にぼちぼち書き溜めたのだろうが、インスピレーションは完全に枯渇している。ラフマニノフという人は頑張り屋で、そうなっても一生懸命曲を吐き出すだが、ほとんど黒色胆汁だ。
同じ年に「音の絵」と題して8曲、6年後に同じ「音の絵」作品39という名前で9曲をまとめているが、これも随所にかすかな残り香を感じさせるものの、かえって哀れを感じていしまうという具合。派手な和音ばかりが耳につく。
ロシアの演奏家は偉大な作曲家に敬意を払ってこれらの曲もせっせと弾いているが、こちらは義理もないので、以後は願い下げにしたい。
作曲家にはこういう人がいるようで、リャプノフも超絶技巧練習曲とソナタを書いた後、突然止まってしまう。そこへ行くと我がリャードフはぐーたらを続けていたせいか、50歳過ぎても才能は落ちない。むしろ冴えてくる。
すごいのはチャイコフスキーで、若い時からすごくて年取ってもまったく落ちない。もう少し長生きして欲しかった。
参考までに私のラフマニノフ・ベスト
rachmaninov
演奏家については別にこだわっているわけではない。たまたまあった音源という程度。






恐るべし、ニコライ・メトネル

リャードフ、リャプコフ、レビコフと聞き進んできてニコライ・メトネルに入った。

レベルが違うと感じた。一番の特徴は「駄作」がないということである。それだけで驚異だ。

もちろんYou Tubeで全曲が聞けるわけではないから、「駄作」率は分からない。

しかしリャードフ、リャプコフの場合少なくとも半分は聞く必要のない曲である。レビコフだと8割は無意味な曲だ。アントン・ルビンシュテインはほぼすべてが駄作だ。

スクリアビンもラフマニノフも、ロシア革命の頃で終わっている。後期の曲は聞くだけ無駄だ。(スクリアビンは革命前に死んでしまったが)

ドイツの「楽聖」と呼ばれる人たちでさえ、かなりの駄作が混じっている。シューベルトなど駄作の山だ。

そこへ行くとメトネルの歩留まりは7割を超えている。誇張して言えば、メトネルには駄作がない。

すこしメトネルのBiography を述べておこう。

Nikolai Karlovich Medtner

1880年、モスクワの生まれ。ロシア人と言っても父方・母方とも祖先はドイツ人。モスクワ音楽院でピアノを専攻する。

スクリャービン,ラフマニノフに次第三のスターと注目され、若手ピアニスト兼作曲家として売りだした。

ロシア革命の4年後(41歳)に亡命。各地を転々とした後パリに居を構える。しかしパリでは花咲かず、35年(55歳!)にロンドンに移住し、ここで成功する。遅咲きの極である。

51年にロンドンで死亡。この時71歳。下の写真が1947年、死の4年前である。「心臓死」は当然であろう。

作曲の腕は学生の頃から認められていた。タネーエフは「メトネルはソナタ形式とともに生まれてきた」と言って絶賛した。

曲は「超保守的」で、和音はリストはおろかブラームスより古い。折り目の付け方はバッハ的でさえある。

「スクリャービンの芳醇な香り漂う和声から,ラヴェルの目も眩むようなオーケストレーションへとさまよい,リヒャルト・シュトラウスの耳を劈くような大音響から,ドビュッシーの繊細きわまる微妙な陰影へとさまよっている」(ミャスコフスキー)時代にあって、メトネルの曲は色彩感に乏しい、ドイツ的な音楽と批判されたようだ。

その中で、ミャスコフスキーが一貫してメトネルを擁護した。またラフマニノフは、メトネルを「現代最高の作曲家」と賞賛したそうだ。

(高橋健一郎「ロシア文化史におけるニコライ・メトネルの音楽」より引用)

以下がとりあえずYoutubeで集めた範囲の曲目。

Medtner

チャイコフスキーのピアノ小曲の名曲選を書いているうちに、HTMLエディターが突然クラッシュした。5時間分の作業が、その瞬間に水の泡と消えた。このエディターは一定時間がたつと自動的に保存機能が働く。初期設定で10分間隔で保存が働くので、ふつうは大丈夫なのだが、ソフトそのものがぶっ飛んでしまうとどうしようもない。
本当は作業を始める前に、「ファイル名を付けて保存」とすればよいのだが、つい忘れてしまう。現にこの文章もまだ裸のままだ。まぁ“自己責任”だ。“Get over it” だね。
今日はもうとても、作業を繰り返す気分にはならないので、とりあえず結論だけ書いておく。

チャイコフスキーはOxana Yablonskaya で決まりだ。
理由は、ロシア人でリズムとテンポの感覚があるのはこの人だけだからだ。
せっせとアップしてくれる人がいるから、Youtube で “Yablonskaya Tchaikovsky” と入れて、片っ端からダウンロードするだけでかなりのものは集まる。
音質もなかなか良いから、ながら聞きするにはこれで十分だ。ただビットレートがAACで100kbだから、強音部では音が飽和する。音量を上げると、折り返しが耳について小うるさい。本気で聞くならやはりCDを買うべきだろう。
1995/4/7 Tchaikovsky: Piano Music, Vol. 1 Oxana Yablonskaya
1998/11/6 Tchaikovsky: Piano Music, Vol. 2 Oxana Yablonskaya
で、アマゾンだと国内新品は購入不可。出品販売で中古か輸入品が買えるがどうしようか。
しかしこの2枚ではとてもチャイコフスキーのピアノ曲の全貌をカバーできない。
本当の全曲集は Victoria Postnikova のものと、フランコ・トラブッコのCD7枚組だ。ポストニコヴァは何と2,865円! 絶対損はない。トラブッコの演奏は断じてお勧めしない。
1枚ものの選集は山ほどある。おすすめはリヒテルだ。立派の一言に尽きる。しかし面白いかどうかは別。イロナ・プリュニは選曲が抜群。浸りたい人には絶対のおすすめ。プレトニョフは、一応一通り聞いた人が面白がって聞く演奏。素人は手を出さない方が無難。

キュイ、アレンスキー、リャードフ、リャプノフと聞いてきて、チャイコフスキーはさすがにロシアを代表する作曲家だとつくづく思う。
かなり曲数を絞っても、CD3枚はほしいところだ。夢はそういうコンピレーションを作って、ヤブロンスカヤに録音してもらうこと。売れないだろうなぁ。

あさからイーグルスのゲット・オーバ・イットを聞いています。じつに痛快ですね。

ところが歌詞が知りたくなったから大変。聞いてもさっぱり分からないから、Youtube(Eagles - Get Over It (With Lyrics) - YouTube) を見て歌詞を調べました。

歌詞はわかったが、今度はその意味が分からない。医学英語や時事英語と違ってハチャメチャだ。

結局、日曜の昼間をつぶしてしまいました。かなりの意訳ですが、何かの参考までに。

PS それで訳し終わってから、もう一度聞いてみましたが、聞こえないのは相変わらずです。

Get Over It を“もうやめようぜ” 、“くよくよするな”、“乗り越えるんだ”の三通りに訳してみました。


テレビをつけると何が見える

画面に映る連中は、どいつもこいつも、「私のせいじゃない!」と叫んでいる

他のみんなを指すその指は、ちっぽけでひん曲がっている

いつも、いつも自分を被害者だと思って生きているから

「こいつのせいだ、あいつのせいだ!」といじけている

ママのやせすぎもパパの太りすぎも

みんな誰かのせいなんだ


もうやめようぜ

くよくよするな


泣いたり、わめいたり、ヒステリーはもういい

もうやめようぜ、乗り越えるんだ


お前は「あの事故のあとどうもダメなんだ」と言ったけれど

オレがいくらか小銭を渡せば、多分、気分は良くなるだろう

もうちょっと考えてみると、ビリー爺さんはただしい

「弁護士は皆殺しだ。今夜のうちにやっちまおうぜ」

お前は働きたくない。王様みたいに暮らしたいんだろう。

だがでかい悪の世界はお前に一文たりとも払うつもりはないんだ


もうやめようぜ

くよくよするな


お前は一緒にプレーしようとしないから、仲間割れする。

もうやめようぜ、乗り越えるんだ


毎度、懺悔に行くみたいだぜ、お前の話を聞くのは

「今度が最悪だ」の連敗記録を塗り替えてるんだ

病気だと言うやつもいるが、俺は「へなちょこだ」と言うね

そうだ、そうだ、そうなんだ


そう、お前は「弱気の虫」を、砲丸付きの鎖みたいに引きずっている

お前は「罪の意識」に悶えている。お前は苦痛にのたうっている。

お前はそれを旗のように振りかざしている。お前はそれを王冠のようにかぶっている

そうなりゃ、お前の気持はどん底だ。みんな誰でも落ち込むさ


今の暮らしに悪態ついて、それを過去のせいにする。

お前の中にいる、そういう甘ったれガキを見つけて、ケツを蹴っ飛ばしてやる


もうやめようぜ

くよくよするな


悪態ついたり、落ち込んだり、八つ当たりしたりはもうたくさんだ

もうやめようぜ

くよくよするな


こんな時代、いつかは終わる。だからお前もやめようぜ、

もうやめようぜ

くよくよするな


乗り越えるんだ

井上陽水の曲を何曲か続けて聞いている。
最初の2,3曲はたしかにおやっと思うほどよかった。
しかしそのうちに疲れてくる。
この男っていったい何なんだろうと思ってしまうのだ。
すごい感性ときれいな声と、素晴らしい音楽センス、すべてを持っているのだが、聞いているうちに落ち着かなくなってくる。
ここは俺の世界ではないな、という居心地の悪さを、いつのまにか感じるようになってしまうのだ。
これだけ同じフィーリング、同時代のフィーリングを感じながら、その底にヒヤッとした冷たさを感じるのだ。
これがさだまさしだと、いささかのあざとさを感じつつも、それもふくめて「われらが世代」感を共有できるのだが、井上陽水にはそのような共感をさしはさむ余地がない。
いろいろ考えてみて、とりあえず次のような結論に達した。
彼には前頭葉がないのだ。これは歌詞だけの話である。本人にはもちろん立派な前頭葉があるのであるが、その歌詞には前頭葉の働きが感じられないのだ。
おそらく前頭葉につながる回路を無意識のうちに遮断しているのだろう。昔の思い出をたぐり寄せながら、「こんなタイプの人間が居たっけ?」と思いめぐらせるが、どうもあまり思い浮かばない。たぶん同じような思考回路の持ち主はいたのだろうが、井上陽水ほどには素質を持ち合わせていなかったということかもしれない。
似たような傾向の歌手にボブ・ディランがいる。しかし彼はもう少しフォークソングの精神に寄り添っていた。だから逆に裏切者呼ばわりをされるのであるが、そういう意味で井上陽水を裏切者と呼ぶ人はよもやおるまい。
それはもはやどうでもいいことだ。肝心なのはあれからすでに50年近くを経過して、いまあらためて聞きなおしてみて、首から上の世界で彼に共感できるものは何一つないということだ。
お互いエイリアンということか。

最近のYoutubeはすごいもので、アントン・ルビンステインのピアノ小曲だけでこれだけ聞ける。
anton
一応全部聞いたが、つまらないものばかりだ。結局ヘ長調の「メロディー」一発の人だ。
この人は交響曲を6曲、ほかにコンチェルトやソナタなど大曲をずいぶん書いているようだ。そちらは遠慮しておく。
編曲すると隠れたよさが引き出されるのか、「天使の夢」 はオーケストラやバイオリン独奏版のほうが定番。

ミャスコフスキーという作曲家がいる。プロコフィエフと同年代、交響曲をなんと27曲も作曲したという実にロシア的な作曲家である。
スターリン時代を代表する作曲家で、いかにもそれっぽい曲もあるが、「おやっ」と思わせる佳曲もある。御用作曲家ではあるが、ジダーノフ批判の対象にもなったことがある。まぁ、そういう辺に位置する人である。
この人を紹介した記事に面白いものがあった。
19世紀末にミャスコフスキーはペテルブルク音楽院に入学している。プロコフィエフとは同期のようだ。当時の指導教官がリャードフ、これがミャスコフスキーには気に入らなかったらしい。ぐーたら教官と刻苦勉励型の生徒では馬が合わないのは当然だろう。しかしプロコフィエフはぶーたらをいいながらもリャードフの管弦楽法をしっかりと吸収している。
そしてプロコフィエフと反リャードフで意気投合したのだそうだ。それ以来二人は無二の親友になったという。かなりあいまいな記憶で書いているのだが、当時のペテルブルクの雰囲気がうかがわれて、楽しいエピソードではある。
ミャスコフスキーの交響曲のかなりがYoutubeにアップロードされている。しかしほとんど聞いていない。せめて10曲くらいにしておいてほしかった。ほんのちょっと聞いた範囲でのお勧め曲を挙げておく。
弦楽四重奏曲 第7番 「コーカサスの主題による」 タネーエフ四重奏団
ピアノソナタ 第7番 演奏者不明(Hegedus という人の演奏がNaxos から出ているので、それかもしれない)
とにかく、屈託なく、さらさらと音が流れていくのがよい。

トロップのロシアピアノ小曲選にレビコフという作曲家の作品が三つも含まれている。まったくの初耳の人だ。

ワルツがとてもよい。

とりあえずウィキペディアから

1866年5月31日 クラスノヤルスク — 1920年10月1日 ヤルタ ということでリャードフらと完全にかぶる。モスクワ大学哲学科を卒業。モスクワ音楽院にも学んだ、というからロシア・アマチュアリズムの人。

初期作品はチャイコフスキーの影響を示している。抒情的なピアノ小品集(組曲、連作、アルバム)のほか、児童向けの合唱曲や童謡を手懸けた。後年では、新しい進歩的な和声法を利用した。

ウィキペディアには辛らつなレビコフ評も載せられている。

ようつべで検索するとかなりの曲が聞ける。cubusdk という人が自演でアップしてくれているようだ。演奏は悪くない。ただしエレクトリック・ピアノのようでエコーも人工的だ。(Sound from ROLAND RD-700GXとのコメントがある)しかし聞く分には一向に差し支えない。

以下にリンクを張っておく。

情緒のある風景/ Stimmungsskizzen  Op.10  1 Ländliche Scene (Pastoral scene) 2 Volkslied (Folk song) 3 Lustige Stimmung (In cheerful mood) 4 Trost (Depre

Vladimir REBIKOV: Valse Miniature, Op. 10, No. 10

Vladimir REBIKOV: Waltz in B minor, Op. 10, No. 8

夢, 5つの音楽風刺劇/ Les Rêves, 5 mélomimiques  Op.15

Vladimir Rebikov : Naïade , Op. 15 No. 1

クリスマスツリー, 組曲/ Christbaum, suite  Op.21  [1 piano 4 hands]

Vladimir REBIKOV: Op. 21, Valse (Yolka)

 Vladimir Rebikov - Waltz, from "The Christmas Tree" (PIANO SOLO VERSION) Yevgeny Yakovlev

黄昏時に/ A la Brune  Op.23  [1900年]

Vladimir REBIKOV: Chant d'hiver Op. 23, No. 2(Winter Song)

Vladimir REBIKOV: Persuasion (Op. 23, No. 3)

Vladimir REBIKOV: Espérance (Op. 23, No. 4)

Vladimir REBIKOV: Souvenir (Op. 23, No. 5)

Vladimir REBIKOV: Il était une fois.... (Op. 23, No. 8)

田園生活の情景/ Scènes bucoliques  Op.28

Vladimir Rebikov: 2 Dances from op.28 Jouni Somero, piano

Vladimir Rebikov - Scenes bucoliques Anthony Goldstone

Fleurs d'Automne f-moll (1 Moderato 2 Andante 3 Moderato)作品29

Vladimir REBIKOV: Fleurs d'automne I

Vladimir REBIKOV: Fleurs d'automne II(秋の葉 おそらく第2曲アンダンテ)

同じ曲で管弦楽作品もあった。

Misha Rachlevsky - A Russian Mosaic - Chamber Orchestra Kremlin: Vladimir Rebikov (「秋の葉」の3曲全曲が聞ける)

Vladimir REBIKOV: Valse Mélancolique B minor

Vladimir REBIKOV: Waltz in F# minor

ほかのサイトでもいくつかが聞ける

Vladimir Rebikov - Small Bell Dance in E Flat Major Anatoly Sheludyakov

こちらは合唱曲

Russian Orthodox Music - Have Mercy On Us, Vladimir Rebikov / Children's & Youth Choir "Sophia"

もういい加減やめにしたいのだが、最後っ屁で、リャードフとリャプノフの関連年表。

 

リャードフ

リャプノフ

1855

サンクト・ペテルブルクに生まれる

 

1859

 

ヤロスラヴリで生まれる。まもなくニジニ・ノヴゴロドに移る。

1870

ペテルブルク音楽院に入学。R・コルサコフに学ぶ。

 

1878

ペ音楽院で教職につく。門下にプロコフィエフ、ミャスコフスキーなど

モスクワ音楽院に入学。

1885

 

バラキレフを慕いペテルブルクに移る。帝国地理協会の民謡収集部に所属する。

1886

ロ短調の前奏曲(作品11の1)を発表

 

1893

「音楽の玉手箱」を発表

 

1897

 

超絶技巧練習曲の作曲を開始。完成は1905年

1905

「ババ・ヤガー」を発表。以後、管弦楽曲に集中。09年には「キキモラ}

 

1910

ディアギレフの新曲依頼をキャンセル。代わりに提供されたストラビンスキーの「火の鳥」が大ヒット。

 

1911

 

ペ音楽院教授に就任。

1913

 

プラタナスの歌を含む小曲集(作品57)を発表

1914

死亡

 

1924

 

革命を逃れパリに移るがまもなく死亡。

 二人が旺盛に作曲活動を展開した時期はほぼ重なり合っている。

まず最初は1880年代後半から1890年代前半にかけてであり、ともにピアノ小曲を中心にコツコツと積み上げている。

この時期においては、リャプノフのほうが大規模曲も手がけたりして一歩先を行っているようだ。ただリャードフのロ短調の前奏曲や「音楽の玉手箱」に匹敵するような有名曲は、リャプノフにはない。

例の93年の民謡収集旅行の後、リャプノフは超絶技巧練習曲の作曲にとりかかり8年の歳月をかけて完成させる。この間リャードフはピアノ小曲をポツポツと作りつつ、管弦楽法の習得をすすめる。

リャプノフは超絶技巧練習曲の後もピアノ・ソナタなど活動を展開するが、形式的にはリストのレベルに留まり、ロシア民謡の吸収も未消化に終わっている。

もともとメロディーで勝負する人ではないが、後半になるとますますメロディーが枯渇してくる印象だ。

いっぽう、リャードフは1905年の「ババ・ヤガー」で管弦楽曲作家として華麗なデビューを果たし、ピアノ小品でもいくつかの佳品を作曲している。

リャプノフは作品57の小曲集などいくつかの佳品を残すが、結局、超絶技巧練習曲の作家として終わってしまう。

リャードフは、大掛かりな管弦楽曲は作れるようになったが、長い構成的作品は作れないままに終わった。しかしそのモダンな手法はストラビンスキーやプロコフィエフに受け継がれている。

というところか。

この二人をめぐる面白いエピソードがある。
リャプノフは田舎(ニジニー・ノヴゴルド)の出で、父が天文学者、兄が世界的に有名な数学者だ。完全に理数系の血を引いている。対してリャードフはペテルブルク生まれの街っ子。祖父と父親が指揮者という音楽一家だ。
リャプノフの写真を見ればわかるようにコチコチの堅物だ。リャードフはエスケープの名人、ペテルブルク音楽院を一度は放校になってるほどだ。

リャプノフはニコライ・ルビンステインの引きでモスクワ音楽院に進学し、チャイコフスキーの指導も受けている。ここで純西欧風の音楽理論で教育を受けたが、逆に民族風の音楽にはまってしまい、バラキレフの指導を受けるためにペテルブルクに移動する。リャードフはそのころペテルブルクの音楽院で相変わらずチンタラとやっていた。
二人は同じ校舎の中で生活するようになる。しかしいわば水と油だからそう気があうはずはないと思う。
ところがこの二人が1993年に突然長い旅を共にすることになるのだから不思議なものである。
そのとき、帝室地理協会という団体がバラキレフにヴォルガ地方の民謡採集を命じたのである。まぁ政治力に長けたバラキレフのことだから、協会の幹部をたきつけて調査費をせしめたのであろう。
このころはチャイコフスキーの名声がピークに達していたころだ。ペテルブルクのリムスキー・コルサコフもすっかりその気風に染まっている。
民族派の先頭を走り続けてきたバラキレフには面白くない時代だ。そこで民謡でも発掘してそれで巻き返しを図ろうという魂胆だったのではないだろうか。
民族派にあこがれてチャイコフスキーのところからバラキレフの下にはせ参じたリャプノフは当然喜んでこのフィールドワークに参加したことだろう。
ところがそこに、どこからうわさを聞いたものかリャードフが紛れ込んできた。親分のリムスキー・コルサコフも、バラキレフの調査とあれば、少なくとも表向きは反対する理由はない。どうせ遊んでいるようなリャードフのことだから、勝手にすればという感じで見ていたのではないだろうか。とくにこの時期、リャードフは完全なスランプ状態に陥っていた。92年に発表したのは作品29のピアノ小品ただひとつである。93年も数曲にとどまる。その中のひとつが「音楽の玉手箱」なのだ。これでリャ-ドフの首は皮1枚でつながったのだ。
ということで、バラキレフ、リャブノフ、リャードフの奇妙な三人連れがヴォルガ地方一帯をうろうろすることになる。
どういう旅だったのかは記載がないので分からない。ただこのたびの後、二人はともに民族色の強い音楽を書くようになったことは確かだ(特にリャードフ)
旅の結果、300の民謡が採集され、それらは97年に協会から刊行された。リャプノフはこの中から30曲を歌曲として発表している。
なかなか文献がないので想像するほかないが、ぐーたらな街っ子のリャードフがどのくらい足手まといになったかは想像するに余りある。

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