鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 30 国内政治(財政含む)

年表作成に当たり、内山書店の「内山完造・内山書店略年譜」を参考にさせていただきました。


1885年(明治18) 内山、岡山県に生まれる。高等小学校を中退、京都・大阪で丁稚奉公を勤める。以後27歳まで商家の店員として働く。

1913年(大正2) キリスト教に入信し、牧師の紹介で「大学目薬」の営業・販売員として上海に渡る(28歳)。

1917年(大正6) 妻の内山美喜、キリスト教関係の本を日本から輸入するため、自宅の庭先に小店を開く。

1920年(大正9) 上海YMCAの夏期講座を開設。世話役となる。内地から毎年知名人を招く。

1921年(大正10) 中国共産党が上海で第1回党大会を開催。この時の党員数は全国で50名余。

1924年(大正13) 妻の始めた書店を拡大し、自宅の向かいに「内山書店」を開く。書店は文化人のサロンとして日中文化人交流の窓口となる。「文芸漫談会」が生まれ機関誌『万華鏡』を発行する。

1925年(大正14) 上海でゼネスト。日系紡績工場で日本人職員が中国人労働者を射殺。上海総工会の呼びかけたゼネストに20万人が参加。都市機能は1ヶ月間麻痺状態に陥る。

1926年(昭和1年) この年、内山は41歳となる。(非常に数えやすい)

1927年(昭和2) 共産党の指導する総工会が蜂起に成功。軍閥政権を追い出す。この後上海に入った蒋介石軍は「上海特別市臨時政府」を壊滅に追い込む。

1927年(昭和2) 広東から移った魯迅が内山書店を訪問。10年後の魯迅の死まで交流が続く。

魯迅は「蒋介石の乱暴にとても堪えられないで脱出して」来た。魯迅は上海で「師弟として同行しておった許広平女史と遂に結婚」した。
魯迅さんは私のところへ、ほとんど毎日来てました。…午前中勉強して、大体二時か三時ごろ…ぼくのところへ寄る。しばらく漫談して帰っていくわけです。…「魯迅さん」(青空文庫)より

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魯迅と内山完造(1933年夏)

1928年(昭和3) 内山、日本亡命を図る郭沫若を援助。

1928年 蒋介石の国民党軍が北京の軍閥政府を倒し中国統一を達成。日本は山東出兵、張作霖爆殺などで干渉。

この後、上海は国民党政府の事実上の首都として驚異的な発展を遂げる。人口は300万人(東京・大阪は200万人)、消費電力も東京を上回る。バンドには高層建築が林立。女性は摩登(モダン)な旗袍(チャイナドレス)で着飾る。活字、映画文化などが花開き、繁華街は電飾で不夜城と化した。(石川)

1929年 施高塔(スコット)路(後に「北四川路と改称)底に「内山書店」を移転する。

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北四川路
 1930年代上海の四川路

1930年(昭和5) 上海で「左翼作家連盟」(左聯)が結成される。魯迅も中心幹部として非妥協的な論争を展開。

1930年(昭和5) 左翼の進出を恐れる蒋介石軍は上海で活動家弾圧を本格化する。上海市内の共産党組織はほぼ壊滅。

1931年(昭和6) 国民党特務による左連作家6人の虐殺事件が発生。内山は危険の迫った魯迅を庇護(内山は魯迅を四度匿ったとされる

魯迅に逮捕状が出たので、ぼくは心配して…無理から匿れさせた。花園荘という…アパート…の小使部屋をあけて魯迅親子三人をかくしたのです(「魯迅さん」)

1931年(昭和6) 満州事変勃発。日本国内に関東軍支持の大合唱。中国では日本非難の大合唱。

1931年 宋慶齢、魯迅、蔡元培らが中国民権保障同盟(以下民権同盟)を結成。愛国民主抗日と国共合作支持の立場を鮮明にする。国民党の特務統治に反対し政治犯の釈放や言論の自由を求める。

1932年(昭和7) 第1次上海事変勃発。日本人僧侶への襲撃事件を口実にして、日本軍陸戦隊が上海付近を軍事占領する。関東軍の板垣大佐が起こした謀略事件。

1932年 内山は魯迅親子・周建人夫妻を庇護する。この頃から日中双方の側から"スパイ"呼ばわりされるようになる。

内山は魯迅を日本文士に売り込むことで、身の安全を確保しようとしたと思われる。内山の紹介で魯迅と面識をえた日本人は、長谷川如是閑、金子光晴、室伏高信、鈴木大拙、横光利一、林芙美子、武者小路実篤、岩波茂雄ら多数にのぼる。

1933年(昭和8) 民権同盟幹部の楊杏仏、蒋介石の私兵集団により暗殺される。同盟は活動停止に追い込まれる。

1934年(昭和9) 宋慶令ら2000人の著名人が「中国人民対日作戦基本綱領」発表。すべての中国人民が武装蜂起して、日本帝国主義と闘うことを訴える。

魯迅と完造
 在千爱里避难与内山完造等时合影 1934年8月29日摄于上海内山完造寓所前

1935年(昭和10) 内山、最初の著書「生ける支那の姿」を発表。魯迅が序文を付す。

1935年(昭和10) 梅津・何応欣協定。国民党は政府機関・軍の華北撤退に合意。

1936年(昭和11) 西安事件。張学良が蒋介石を監禁する。

1936年(昭和11) モスクワの共産党指導部、中国左翼作家連盟の解散と中国文芸家協会の結成を指示。これに対し上海の魯迅らは「中国文芸工作者宣言」を発し、「民族革命戦争の大衆文学」のスローガンを提起。上海文化界は激しい論戦に巻き込まれる。

1936年(昭和11) 魯迅が死去。宋慶齢、蔡元培、スメドレーらとともに内山完造も委員に選ばる。埋葬式で、完造は追悼演説を行なう(式辞は蔡元培
大変な苦痛で、籐の寝椅子にもたれて、それでもまだ煙草をもっている。呼吸をみていると吐くばかりで吸う力がない。
石井政吉というドクターが…すぐに見に行ってくれた。そして酸素吸入をし…ながら、十九日の夜明けまでもって、亡くなったのです。(これは心臓喘息であろう)

1936年 上海の文芸界は、魯迅の死を機に「団結と自由の宣言」を出し、統一を実現する。

1937年(昭和12) 盧溝橋事件、第二次上海事変が勃発。南京大虐殺事件が発生。国民政府は武漢に移る。蒋介石、第二次国共合作に踏み切る。日本に避難した内山は東京で4日間の拘束を受ける。

1938年(昭和13) 日本軍、3ヶ月にわたる徐州作戦。武漢三鎮占領。共同租界がある上海に難民が殺到する。

1938年(昭和13) 日中全面戦争下にもかかわらず内山書店は発展、上海の各所に支店を開く。

虹口(ホンキュー): 黄浦江沿いにある上海大厦(旧ブロードウェイマンション)から北四川路沿いに北に上って魯迅公園(旧虹口公園)の辺りまでの一帯を指す。一時は10万人を超える日本人が住んでいたという。

1939年 中国軍、南支で春季反撃作戦。戦線は膠着状態に入る。アメリカは日米通商航海条約を破棄。中国支援と対日経済制裁を強める。

1939年(昭和14) ドイツ、対ソ不可侵条約締結。ポーランドに侵攻。英仏、ドイツに宣戦。

1940年(昭和15) 八路軍が、山西から河北にかけて一斉攻撃。日本軍は報復として三光作戦を展開。住民を大量虐殺。

1941年(昭和16) 太平洋戦争勃発。直後に魯迅未亡人許広平女史が上海日本憲兵隊本部に連行される。内山は救出に尽力。

1945年(昭和20) 日本の敗戦、内山書店は接収される。(60歳)

1947年(昭和22) 内山は中国永住を決断。自宅で古本屋を開業。まもなく国民党により強制帰国命令。

1948年(昭和23) 1年半にわたり、北海道から九州までの"中国漫談全国行脚"を行なう。

1949年(昭和24) 中華人民共和国が成立。

1950年 新たに設立された日中友好協会の理事長に就任(会長は松本治一郎)

1951年(昭和26) サンフランシスコ条約締結。台湾政府を正当と認めたことから日中関係は戦争未終結・国交未回復が続く。内山は日中友好協会理事長として単独講和反対運動を推進。

1953年(昭和28) 在華邦人引揚げ打合せ代表団の一員として渡中。共同コミュニケ調印により、日本人3万の帰国の道が開かれる。

1959年 地方巡回講演の激務がたたり病床に伏す。北京へ病気療養に赴くが、レセプションの最中に脳溢血のため死亡。外国人に対しては異例の国葬級の儀式が、中国対外文化協会によって行われた(吉備路文学館


経過を見れば分かるように、内山完造は明治の気骨を背負った「本屋のおやじ」であり、例えは悪いかもしれないが、「一代の侠客」だ。基本は「窮鳥懐に入らずんば」の世界だ。だから魯迅は心許したのだろう。
キリスト教がバックボーンにあるとはいえ、あまり思想的なものを持ち合わせているとは思えない。日中友好協会の理事長を勤めるには少々荷が勝ちすぎていると思う。
そのことを考えると、その任務をあえて引き受けて、60すぎの老体に鞭打って全国を行脚する姿には頭がさがる。そこには何かしら柳原白蓮の姿と重なるところがある。
…なにか足りないなと思ったら、上海のミニ状況が足りないようだ。
明日その辺りを補充しようと思う。

やっと買ったCDを一通り聴き終えたので、この間たまった仕事に再着手する。

と言っても別に義務というわけではなく、あちこちに飛んで行くのが悪い癖だ。

基本的には飽きっぽい性格なので、せいぜい2,3日で片付くような話題にばかり偏ってしまう。

今回もご多分に漏れず、日中友好協会のパンフレットを読み始めたら、内山完造のことが気になり始めた。今回はじめて知ったのだが、内山は日中友好協会の初代理事長だったそうだ。

内山といえば、上海の内山書店の店主である。あのすべてが暗黒の時代に何か意味のある活動をしていた数少ない日本人の一人だ。

ということは初期の日中友好協会の活動には内山の“好み”が反映されている可能性がある。

全国レベルでの友好協会の結成が1950年10月、中華人民共和国の成立1周年記念日である。

それは朝鮮戦争がもっとも激しく戦われていた頃であり、日本共産党の活動が禁止され、新たな闘争の方向をめぐり大混乱に陥っていた時期である。

だから日中友好運動の北海道での展開は、3年後の53年と随分遅れる。しかも道段階での組織が遅れ、中央直属の形で小樽支部がまず結成される。(ほぼ同時期から札幌支部も活動していたと思われる)

その間、内山は北海道の組織結成を目指し、二度にわたり講演活動を展開している。講演会の回数は総計34ヶ所に及んでいる。ついで54年には大山郁夫夫妻が22ヶ所で講演している。3年間に56回も全土各地で講演すれば大抵の組織はできるでしょう。

もちろん組織も裏で動いたとは思うが、こういう無党派知識人が初期の日中友好運動を引っ張っていったことは念頭に置いておいて良いだろうと思う。

北海道の友好運動はほとんどが強制労働の犠牲者の供養だ。いわば祈り(贖罪をふくめて)の活動として友好運動はスタートしている。

最初の大掛かりな行事は「中国人俘虜殉難者慰霊」であった。これには東本願寺が全面的に動いている。

以上のことを念頭に置いたうえで、日中友好運動に至る内山完造の歩みを追ってみよう。

押し付けられるのが嫌だからといって、とんがる必要はない

最近はNHKのニュースは見ないようにしている。というより、NHKのニュースが始まると慌ててチャンネルを切り替えてしまう。

なぜか。安倍晋三の顔を見たくないからだ。押し付けがましいのに甘ったれた、あの声を聞きたくないからだ。

本当に生理的に受け付けないのだ。同じ世に生きて同じ空気を吸っているということが我慢できないのだ。

最初の頃はここまでひどくなかったが、最近は本当に過敏症になってしまったようだ。「虫酸が走る」というのだろう。

その安倍晋三におもねって、安倍の御用放送と化したNHKが日本の右転換を煽るのが許せないのだ。


ところで、こんな安倍首相の支持率が未だに50%近くあるのだという。

街を車で走っていると、安倍首相の顔をでかでかと掲げた自民党のポスターが目につく。安倍首相を本気で愛している人が世の中にはたくさんいるのだということが分かる。何か日本人が嫌いになりそうだ。


本当に世の中にはがっくり来るようなことがたくさんある。東京都知事選挙でも、あの石原慎太郎が最後まで圧倒的な支持を獲得し続けた。あれって一体何だったんだろう。

大阪では横山ノックが3選も4選もしたし、いまでも橋下が圧倒的に影響力を持っている。アメリカではトランプという金持ちのアホがアホであるがゆえに大方の人気を博している。

福島であれだけ苦労したのに、川内や高浜では再稼働を歓迎している。

一体何なのだ、この世の中は。


結局、見て見ぬふりの「事なかれ主義」なのだろう。

私も事なかれ主義においては人後に落ちるものではないが、日清・日露から50年続いた戦争の時代には戻りたくない。

せめてでも、「賛成する」とは言わない。「支持する」とは言わない。ましてや石原慎太郎や安倍晋三に清き一票を入れることは間違ってもない。なぜなら彼らは「横紙破り」だからだ。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのは、気持ちとしては同感するところがある。それは “お上への反抗” という側面も持つ。しかし安易にやってはいけないことだ。それを許容していくと社会が壊れてしまう。

「同感はしても歩道にとどまる」のが健全な理性だろう。


たとえその結果、少数派にとどまったとしてもだ。

ひょっとして、これが「立憲主義」なのかな?

川内に続いて高浜が再稼働(しかもプルサーマル!)、さらに伊方とどんどん進んでいく。

これらの動きで注目されるのは、再稼働がまったく無言のうちに進んで行っていることだ。

以前なら電力会社側が声高に電力の危機を騒いだものだったが、最近はまったく音無し。ある意味不気味な話だ。

福島の後、大企業側はNHKを動員して、電力が危ないと繰り返した。また電力料金が跳ね上がると脅した。

それが最近ではとんと聞かれないから、庶民の側では原発を再稼働する理由がさっぱりわからない。電力会社の都合としか受け取れないのだ。

福島以前、原発の宣伝は基本的には3本柱だった。安定供給、安全、安価という3つの「アン」である。

原発事故そのものが安全神話の崩壊を意味した。東大教授たちは大方の非難を浴び公の舞台から姿を消した。

さらに残る二つがひっくり返されていったのが福島以降の経過だ。とくに電力不足のキャンペーンは異常なものだった。

しかしこれはすでにクリアされた。もう「電気が足りなくなる」の嘘は通用しなくなった。それと同時に原発再開を前提に火発の再稼働を怠ってきた各電力会社も、火発へのシフトを開始した。

残る問題がコスト問題であった。

コスト問題というのは3つのフィクションの上に成り立っている。

ひとつは人命コスト、国土汚染コストなどのリスク対応コストが排除されたうえでコスト計算を行うというフィクションである。

ふたつ目は「核のゴミ」の廃棄・処理コストがゼロとして計算されるというフィクションである。

三つ目は電源開発などの名目による国税投下がコストから排除されるというフィクションである。これらは本来、電力会社がコストとして負担すべきものであった。

ただ、あえてそれらのフィクションを受け入れたうえで、攻撃的なコスト論争が行われ、液化ガスとの比較優位はほぼ否定された。

残された唯一の問題が、原油・天然ガス輸入増に伴う貿易赤字であったが、円安を上回る原油価格の低下により、この問題も自然解決してしまった。

つまり、電力会社には拠るべき再稼働の理由がなくなってしまったのである。


ネットを探してみると、経団連御用達の「ウェッジ」誌が再稼働推進論を打ち出している。

2015年08月18日(Tue)  川内原発の再稼働が必要な4つの理由  再稼働がもたらすリスクとベネフィット 

これを読みながら反論しようかと思ったが、読んでいるうちにアホらしくなったので止める。

一応リンクはかけておくので、目を通しておくほうが良いでしょう。


1月31日 日曜日 昼から日本中国友好協会 道連の新年会があって出席しました。

正直言って高齢者中心の集会で、69歳の私が若手代表みたいな感じで、なかなか辛いものがありました。そこで「60年史」をいただきまして、何か紹介して置かなければならないと思い、読ませていただいているところです。

日本の中国との友好運動は、当然の事ながら文革開始以前、文革から関係回復まで、回復以降の運動と3期に分かれます。そして真の困難はいままさにこの時期にやってきているといえます。というか、いまその存在意義が深刻に問われているのだろうと思います。

日本AALAも東アジアの平和の同盟作りを目指し署名活動に取り組んでおり、日中友好協会、日朝協会などと協力しながら人民レベルの友好連帯を促進すべく活動しようと考えています。おそらく今後はこういった枠組みで友好・連帯運動が発展していくのではないかと考えています。

その際、中国との友好関係についてはその特殊性を見ておかなくてはなりません。それは仁木町に立てられた碑文にもあるように、たんなる友好ではなく「不再戦友好」でなくてはならないからです。鑑みるに、文革期以降は事実上中国との友好関係は断絶していました。それにもかかわらず30年以上にわたり日中友好協会が活発な活動を続けてきたのは、まさに不再戦の活動のゆえです。

この教訓はきわめて貴重だと思います。それは東アジアの友好運動がたんなる友好ではなく、「平和・友好・不再戦」を掲げた運動でなくてはならないことを示しているからです。

「社会主義国」との友好は複雑な局面を含んでいますが、私たちは「不再戦」を共通の土台に据えて、その先に「平和・友好」を掲げることで、路線の正確さをみずからに課していくことができるのではないでしょうか。

「戦争責任」という言葉を考える

調べていくうちにだんだん「戦争責任」という言葉が分からなくなってきた。

一体これは何だ。

1.一般人の戦争責任

戦争の道義的責任という言葉が出てくる。そもそもそんなものがあるのか。

戦争そのものが絶対悪だということになれば、それはそれとして分かるが、「ちょっと別の場所で議論してください」と思ってしまう。

戦争への熱狂というのは、古今東西どこでもあるわけで、我々にとっても9.11後のアメリカ人の発狂ぶりで、まざまざと見せつけられた。

群集心理みたいなものが暴走すると、ろくなことはないというのは分かる。

それと戦争責任という言葉を結びつけると、結果的には戦争責任という言葉の重さが失われてしまうようにも思える。

2.戦争責任は政治責任だ

やはり戦争責任は政治責任だとおもう。広い意味での軍事責任と言ってもよい。

しかも、厳密に言えば敗戦責任だ。これはまことに困ったことではあるが、実際には「勝てば官軍」だからしかたがない。

勝った軍や政府の責任が問われたことはない。もし問題となるなら、それは戦争に付随した各種の政策や戦略の誤りであろう。とくに人道的な観点からの誤りは戦争犯罪として指弾され、その責任が問われる。

もう一つは侵略か防衛かの判断である。外国の侵略に対して立ち上がった戦争であれば、負けても責任が問われることはない(戦術上の批判はなされるべきだが)。むしろ英雄として人々の記憶に刻まれるであろう。

内戦の場合は、侵略ではなく抑圧(Repression)と抵抗・解放(Liberation)の関係になるが、本質的には同じである。

そうなると、戦争責任というのは以下の四つ目表で問われることになる。

勝利

敗北

侵略

アウト

防衛

栄誉

伝説

戦争責任をよりリアルに問うなら、「戦争」一般ではなく、侵略戦争を行なった責任とその戦争に負けた責任ではないか。

日本は、明治維新以来?、?、を続けてきて、最後は?の暴走状態となり、結局アウトになった。

問題のひとつは、これらの?、?…が敗北の戦争責任につながっているかどうかにある。私にはどうもありそうな気がする。

戦争責任論の系譜

1945年

1946年 

伊丹万作「戦争責任者の問題」。「だまされた」と敗戦を了解する日本人の、「だまされる」ような自主性のなさの責任を指摘。

南原繁、貴族院本会議で演説。天皇の道義的責任を指摘して、その退位を主張。

1947年

1948年

大熊信行『国家悪』。国家が強制力を持って戦争犯罪の実行を迫っても、個人は普遍的人類的規範に立脚してそれを拒否しなければならない。

1949年

丸山真男「軍国支配者の精神形態」。本の政治指導者の主体性のなさと日本政治の「無責任の体系」を指摘。

1950年

1951年

1952年

1953年

戒能通孝「極東裁判」。第二次世界大戦は世界の民主主義勢力のファシズム諸国に対する戦争であり、東京裁判はその戦争の一部であった。

1955年 

遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』。逆コースの中で氾濫した旧軍人らによって書かれた「戦記もの」の無反省さを批判。一方で、共産党を戦時下で抵抗する国民の極点として位置づける。

1956年

丸山真男「戦争責任論の盲点」。共産党の戦争責任(戦争を阻止できなかった前衛党としての政治責任)を追及。

1957年

亀井勝一郎(『現代史の課題』。松田道雄(『現代史の診断』。ともに共産党系の「昭和史」を批判。いわゆる『昭和史』論争となる。

『三光』が発行される。中国において戦犯として裁かれ釈放された日本軍人の告白を記したもの。

1958年

五味川純平『人間の条件』がベストセラーとなる(第1巻発行は56年)。中国での日本軍の残虐行為の事実が広く知られるようになる。

1959年

吉本隆明・武井昭夫『文学者の戦争責任』。民主主義文学者に、戦時中に戦争協力の事実があったことを暴露。

思想の科学研究会編『共同研究転向』の刊行が始まる(62年まで三巻が発行)。知識人の転向を独自の課題として検討。

1960年

竹内好「戦争責任について」。中国に対する戦争責任の自覚を通しての日本人のナショナルな主体性の創出を提起する。

1961年

『文学』の特集「戦争下の文学・芸術」(全3回)。情報局、戦時下の文学者と文学団体、映画・演劇・歌曲などに関し、戦争動員と戦争協力の諸相を掘り起こす。

1967年

玉城素『民族的責任の思想』。朝鮮における植民地支配の責任を問う。

1968年

1971年 

尾崎秀樹『旧植民地文学の研究』。日本人文学者や朝鮮人・中国人文学者と戦争や植民地支配との複雑な関係を論じる。

1972年

洞富雄『南京事件』。膨大な資料を踏まえて南京事件の実態に迫る。

本多勝一『中国の日本軍』。南京事件など日本軍の残虐行為に関する中国での聞き取りに基づく。

奥崎謙三『ヤマザキ、天皇を撃て!』。飢餓の南方戦線を体験した元兵士の手記。

1973年

高杉晋吾『日本医療の原罪』。細菌戦部隊であり捕虜の人体実験をおこなった七三一部隊について明らかにする。

1975年

井上清『天皇の戦争責任』。『木戸幸一日記』『杉山メモ』などこの時期に公刊された新資料を駆使し、天皇の戦争責任を問う。

江口圭一『日本帝国主義史論』。満州事変期の排外主義の形成を説明して、拝外主義に走ったジャーナリズムと国民の責任を論じる。

1978年

藤原彰『天皇制と軍隊』。天皇制国家機構の機構的特質をふまえて、天皇を含む宮中グループの特質と責任を明らかにする。戦後の「常識」は天皇に政治的・軍事的実権がなかったとされてきたが、これを実証的にうち破る。また「穏健派」とされていた宮中人脈の戦争責任があらためて問われる。

武田清子『天皇観の相剋』。敗戦前後の時期の連合諸国からの天皇と天皇制への厳しい眼と、天皇と天皇制の処遇をめぐっての対抗を、キリスト者の立場から紹介。

1981年

森村誠一『悪魔の飽食』。常石敬一『消えた細菌戦部隊』。七三一部隊の存在が広く一般にも知られるようになる。

1982年

歴史教科書問題が発生。教科書原稿で日本の「侵略」と書かれていた記述を、文部省が検定によって「進出」と書き直すことを強要した。家永訴訟はすでに65年に開始されていた。

洞富雄らによって南京事件調査研究会がつくられる。

1984年

細谷千博ほか編『国際シンポジウム「東京裁判を問う」』。東京裁判に対する肯定・否定のさまざまな議論を集大成する。

1985年

大沼保昭『東京裁判から戦後責任の思想へ』。東京裁判の意義と残された課題について論じる。

吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』。南京事件調査研究会の成果をまとめたもの。いっぽうで田中正明らの南京事件否定論が登場。

1987年

朝日新聞テーマ談話室編『戦争』。加害体験の投稿が多く含まれる。

1988年

江口圭一『日中アヘン戦争』。日本の阿片密輸・密売を追及。

1989年

粟屋憲太郎『東京裁判論』。東京裁判における被告の選定過程などの究明を行う。

井口和起ほか編『南京事件京都師団関係資料集』。南京事件を記録した日本軍の兵士・下士官の当時の日記や手記を収集・公刊。


この年表は下記の論文の梗概にすぎない。

赤澤史朗 「戦後日本の戦争責任論の動向」 立命館法学 2000年6号

引用しておいて言うのもなんだが、文章そのものがやや関心領域が広すぎて、「開戦責任」に集中できないキライがある。

とりあえず、アップしておく。


京都精華大学の白井聡さんという方が、赤旗のインタビューに登場し、鮮やかな切り口を見せてくれている。
77年生まれというから私より30歳も年下だ。文脈から判断すると、多少民主党に肩入れしているようだ。「たしかにそういう人でないと切れない切り口だな」、と感心する。
記者の「立憲主義を回復するために、何が必要でしょうか?」という質問に対する答え。
2009年の「政権交代」の時には、市民の側はまだ、「傍観者」「観客」という面があったと思います。
「なにか面白いことをやって見せてくれ」というお任せ的なところがあった。
ところが「民主党政権は全くつまらない」といって見捨てたら、自民党が復活していま大変なことになっている。
と状況を評価したうえで、
主権者としての国民が姿を現すことが重要です。
とうちだす。
そのうえで、09年当時との主体的状況の違いを次のように表現する。
市民社会が目覚め、「傍観者では駄目だ」と、ますます多くの人が気づいています。
そのような形で市民運動が力を持ち始め、政党政治を動かしている。共産党の「国民連合政府」提案もそこから出てきました。
と、市民運動の帰結としての「国民連合政府」提案を位置づけている。つまり提案者は共産党であるにしても、それは総体としての市民運動の提起なのだという観点である。
これはある意味で「否定の否定」という弁証法なのだろうと思う。
実はこの一節が非常に気に入ったのは、大阪の選挙結果をどう評価しようかと悩んでいたからでもある。
維新というのは「なにか面白いことをやって見せてくれ」というお任せ的な劇場型運動である。
09年の市民の意識水準を大阪という場で再現しているところがあるのだろう。(もちろん維新の本質は極右であり民主党とは似ても似つかぬものであるが)
そして今度の大阪の選挙は、国民の多くがまだ09年の「傍観者」「観客」水準を越え得ていないことの表現として受け止める必要があるのだろう。
国民の多くが現状の変革を望みつつも、「傍観者」「観客」にとどまる限り、政治の方向は乱高下を繰り返す。しかしその中から否応なしに主体者としての市民が生まれざるを得ない。
そこには批判や論争による説得ではなく、行動への説得、そしてなによりも展望(国民連合政府)による説得が必要なのだろう。

11月12日 朝日新聞

放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会の川端和治(よしはる)委員長は「放送法を根拠にした 放送への政治介入は認められない」と主張した。

BPO放送倫理検証委員会は、NHK「クローズアップ現代」の放送倫理違反を指摘した。この意見書の中で、政府や自民党を批判した。

これに対し、安倍晋三首相や高市早苗総務相らが反論した。

検証委員会の川端委員長は、要旨以下のように反論した。

放送法が倫理規範であるということは、ほとんどの法律学者が認めている。

一方で、放送免許の許認可権を持つ総務省、旧郵政省は放送法に法規範性があると考え、その立場から行政指導をしてきた。

我々との間には立場の違いがある。そのことは十分承知している。

我々が「倫理規範」と解釈する理由は、放送法が成立した経緯にある。

放送法は1950年に国会に上程された。その際の趣旨説明では 「放送番組に対する検閲、監督等は一切行わない」と述べている。

つまり、「政治権力が直接規制を加えるならば、表現の自由を保障する日本の憲法のもとでは問題がある」という判断だ。それは戦前の日本の言論統制に対する反省にもとづいている。


上記の記事は、「クローズアップ現代」問題が分からないと、いまいちピンとこない。

これについても朝日新聞が報道している。(11月7日)

NHK「クロ現」過剰演出は「重大な倫理違反」 BPO

1.「クローズアップ現代」過剰演出の中身

昨年5月に「出家詐欺」という番組が制作・放映された。

この番組は、多重債務者がブローカーの手引で出家することによって、債務を免れる手法について報道したもの。

出家詐欺のブローカーの活動拠点を多重債務者が訪れ、出家について相談するという場面。初対面のようなやりとりをするが、実は2人は旧知で、場所も多重債務者が管理するビルの空き部屋だった。

というから、過剰演出というよりほとんど“芝居”に近い。

この点についてBPOが指摘し、NHKもこれを受け止め再発防止策などの手立てを講じた。

ということで、基本的にはこれで決着のはずだった。

2.政府の「行政指導」

ところがこれに政府・自民党が噛み付いた。この記事だけからでは良く分からないが、“高市早苗総務相がNHKを厳重注意し、自民党がNHK幹部を呼んで説明をさせた”らしい。

そこでBPOは政治の干渉を重大な問題と受け止めた。そして報告書の中で政治干渉を厳しく批判した。これが問題が大きくなったきっかけである。

委員会の政府批判は次のような柱からなっている。

①高市総務相の“厳重注意”は、「報道は事実をまげない」など放送法の規定を根拠にしている。

②しかし、これらの条項は放送事業者が自らを律するための『倫理規範』であって、政府が介入するべき法規範ではない。

③政府が放送法の規定に依拠して個別番組の内容に介入することは、(放送法の趣旨から見て)認められない。

④したがって、総務相による「厳重注意」は、放送法が保障する『自律』を侵害する行為である。

⑤高市総務省とは別に、自民党情報通信戦略調査会もNHKの幹部を呼び番組について説明させた。これも「放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものである。

なお、検証委員会が国や与党に異議を表明するのは、発足いらい初めてのことだそうだ。

3.事態はのっぴきならなくなっている

高市総務相はBPOに対し早速反論している。

「厳重注意」はあくまで行政指導だ。いきすぎたとも拙速だとも思っていない。あくまでも要請であり、受けた側の自主性にゆだねるもの。法的拘束力はない。


此処から先の経過、一方における安倍首相の暴言、他方における民放連会長の決意表明は、いったん稿を改めたほうが良さそうだ。

みんなが力いっぱいチャレンジして、時には危ない橋も渡って、成功して、お金をウンと儲けるというのは悪いことではない。それは否定しない。(ただ我々にはそんなチャンスはないから、それほど積極的に褒めそやすほどのことではない)
中には、これを「社会の掟」と勘違いしている人がいる。「弱肉強食は世の習い」とか「貧乏は自己責任」とする主張だ。
それは社会の掟ではない。それはジャングルの掟であって、人間の社会はジャングルの掟で支配されないからこそ人間の社会なのだ。
社会の掟がまずあって、その範囲内で、社会の掟を壊さないかぎりにおいて、「闘いの掟」が成り立つ。ボクシングの殴り合いとかボールの奪い合いと同じようにルールがあって、その範囲内で好きなように稼いだりすれば良いのだ。
そこを善意で勘違いしている人もいれば、悪意ですり替えている人もいる。中にはルールそのものを変えてしまおうという人もいる。
その社会の掟を表したものが憲法の第3章だ。第3章は国民の権利という形で表現されているが、それは義務でもある。世の中にはそれらの権利を守らなければならない義務というものがある。それが「国の義務」という形で表現されているのだ。
この第3章の精神を守る限り、何をしようと勝手だ。それが自由主義というものだ。それが外国(外国の人々)に向かって開かれたもの、それが憲法九条の平和の精神だ。平和は国際社会の掟の核心となる、そういう確信が憲法9条を形作っているのだろうと思う。

ノーマ・フィールド 憲法9条は第3章の精神を基礎に読み込め』でとりあえず、彼女の言葉をそのまま引用したが、一度整理して置かなければならないだろう。

これまで私はこう考えていた。

憲法9条は割と価値中立的なところがあって、「武装放棄」が柱、その精神は憲法前文を読み解くことによって生きてくる、と。

それはそれとして正しいと思うのだが、そういう大上段に振りかぶる「そもそも論」ではなく、下からの積み上げ論も必要なんだなと思うようになった。

国民の市民的権利を擁護する中で、自ずから民主主義の精神や非暴力の思想が醸成され、その帰結として9条がもたらされるという論理が必要だと感じている。

というのも、満州事変に始まる15年戦争の戦争責任を問うなかで、戦争責任は大久保、伊藤、山形に遡って追及されなければならないことが分かったからだ。

もう一つは、戦争への道において、国内における反対の声、まっとうな常識を踏みにじり民主主義を圧殺してきた責任が、それ以上に問われなければならないということだ。

いま憲法第3章「国民の権利及び義務」・全31条をあらためて読んでみると、分かったのは、これらの条文が戦前においてはことごとく蹂躙されていたということだ。「戦争だからそうなった」のではなく、「そうなったから戦争になってしまったのだ」ということが、たしかに実感される。

この視点を持ち続けることはきわめて大事なことで、突き詰めると「戦争か平和か」ではなく「戦争か民主主義か」ということだ。


これは「週刊金曜日」主催の野党座談会で飛び出した言葉。
野党共闘を渋る民主党に共産党の小池さんが持ちだした。
黒澤明監督の映画「七人の侍」のセリフを引用したもの。
以下、記事をコピペしておく。
野党共闘の問題について、「七人の侍に“クビが飛ぶっつうのに髭の心配してどうするだ”というセリフがあります」と述べると、会場はどっと沸き、大きな拍手に包まれました。
司会の佐高信編集委員は、自民党が国民連合政府を「野合」だと非難していることについて、「自民党と公明党との野合以上の野合があるか」と一喝しました。

シールズのツィッターを覗いてみる。彼らは猛烈な勢いで知識と知恵を吸収しつつある。
おじさんやおばさんが何故闘い続けてきたかを学びつつある。彼らは「偏向した」教科書で育ち、その上にネットの世界を受容してきた。
そこにはリアル・ワールドはなかった。いま垣根が取り払われて、おじさんやおばさんの世界が自分の身近なものとして迫ってきた。多分、おぎゃぁと生まれて以来初めての経験ではなかろうか。
「自己責任」の世界に切り離されてきた彼らが、初めて味わう「連帯」の世界「頼りあっていい世界」、「甘えてもいい世界」である。
人間が成長するためにはこういう世界が絶対に必要なのだ。
原発、慰安婦、ブラック企業から始まって嫌韓、侵略、沖縄、橋下、TPPと次々に生きた知識が広がっていく。
これらは見守るほかない。彼らは旺盛な食欲でこれらを噛み砕いて我がものとしていくであろう。
我々はこれを支えていくであろう。チリの民衆が学生を支えたのと同じように。

各社世論調査で戦争法案の反対が圧倒的になっているが、NHKのみが反対45%であった。
朝日が68%、あの産経でさえ反対が59.9%である。
さらに安倍政権の支持率では支持が43%で、不支持の39%を上回った。産経でさえ不支持が上回っている。一体どうなっているのか。
さらにひどいのは、8月の調査に比べ支持が6%上昇、支持しないが7%低下しているのである。
一体8月の調査は何だったのかということになる。1ヶ月でこれだけの世論の変化は大変なものだ。なにかそんなことがあったのか。集計の間違いではないか。そう考えるのが当然だし、何か説明がつくまでの間は発表を保留するか、重要な留保を表明するかすべきだろう。
そうでないと調査そのものの信用度にもかかわってくるのだ。
それにしても、ここまで来ると、そろそろ本気でNHK総合テレビの受信を拒否すべき時期に差し掛かっているのかもしれない。(衛星の方は海外ドキュメンタリーがあるので見ざるをえない)
テレビにつけてNHKが見えないようにする装置を売りだしてもらえないだろうか。それがあれば正々堂々と受信料支払いを拒否できる。
とりあえず戸口に「我が家はNHK総合テレビを見ません」というステッカーでもはろうか。


軍部独裁と太平洋戦争突入の関連

昭和の歴史は数多く語られているが、そのほとんどに主語がない。 

歴史を教訓としようとする時、これらの文章は何の意味も持たない。

我々が学ぶべきことは、いかにして日本の国民が無謀な戦争に巻きまれてしまったかであり、なぜそれに抵抗できなかったのかということである。

それは歴史から直接には学べない。なぜなら現在流布されている歴史の殆どは、「仕方がなかった」論で貫かれているからであり、加害者抜きの被害者論で貫かれているからである。

我々はこの歴史の中から、いかにして誰かが国民を無謀な戦争に巻き込んだかを学び取らなければならないし、いかにしてそれに抵抗する力と民主主義・立憲主義を抜き取ったかを知らなければならない。

東条はヒトラーではない。東条は小物である。では永田鉄山か、彼も能吏にすぎない。ではトップの戦犯は誰か。

多分それは山県有朋だろうと思う。彼の作ったシステムの中に太平洋戦争へと突き進む遺伝子のすべてが内包されている。

その四つの柱は1.好戦思想+排外思想、2.民主主義の敵視、3.システムの軽視、4.派閥政治である。ただし4.は思想的柱というよりその結果にすぎないのかもしれない。

永田・東条はその4.を有効に利用して3.を徹底的に押しすすめた。なぜそれが可能になったか。システムが自ら2.を実践し、システムの脆弱性を極度まで推し進めたからである。

はっきりさせておきたいのは、政治トップや官僚たちは単純な被害者ではないということである。彼らがファシズムへの道を掃き清め、最後には自ら墓穴を掘ったのである。

これだけ公明党が自民党より強硬な路線をとり続けているのに、その母体である創価学会への批判がほとんど皆無というのはまことに不思議な話である。
そこで少し創価学会の論調を調べてみた。おどろくべきことに護憲・平和の旗を未だに掲げているのである。
それでは創価学会と公明党は分裂するのか。絶対分裂するわけがない。公明党は創価学会の政治部にすぎないからである。
すると創価学会の護憲・平和の旗はウソなのか。そうだ、まったくの嘘っぱちだ。
だとすると、なぜそのようなウソが通用するのか。
はっきりしている。公明党は批判されても、創価学会は批判されていないからだ。だから学会員は公明党がいくら批判されても、自分が批判されているとは思わない。
「池田先生があんなに護憲・平和を訴えているのに、どうして公明党は言うことを聞かないのかしら」くらいにしか考えていない。
だから国会前の抗議集会に平気で創価学会の旗を掲げて出てくる。
我々が学生時代には、学会の青年部は突如ヘルメットをかぶって全共闘気取りだった。しかし信濃町に向かわない限り、彼らは味方ではなくヌエでしかない。
だから、創価学会にもっと批判を集中させない限り、彼らの思考回路は変わらない。
そのために必要なのは、創価学会の幹部がいかに公明党を影で操っているかの裏面を暴くことだ。そのための材料が決定的に不足している。
メディアがまずこういう認識を持って、取材することが必要なのではないか。
それは決して容易なことではない。骨の髄からの嘘つきはウソを付いているという自覚がないから、ウソ発見器にも引っかからない。残念ながら、あの宮本顕治でさえも池田大作の甘言に引っかかったのだ。

この点については、不破さんが下記のごとくコメントしている。(「理論活動教室」 講師・不破哲三社研所長
当時の政治史の流れの中で「共創協定」(75年発表)が死文化した顛末(てんまつ)について述べた不破さん。提案してきたのは創価学会の池田会長自身でし たが、その背景には共産党の躍進に乗じて公明党を伸ばそうという思惑があったのではないかと指摘します。しかし、支配勢力が共産党封じ込めの新たな戦略に 動き出していたことを察知した学会側が同協定をなきものにしたというのです。

8月の入党者が1195人になったそうだ。
運動の広がりに比べればまだ微々たるものだが、少しでも多くの人が入ってほしいと思う。
毎日のお悔やみ欄に4,5人の名が載っている。載らないままに終わる人も同じくらいいるだろう。
ということは、ほっとけば年間2千人くらい亡くなる計算だ。同じくらい、あるいはもっと多くが離れていくことも考えられる。
最低でも年間1万近い人が新たに入党してもらわないとジリ貧になってしまうわけだ。
定例の会議が「偲ぶ会」になってしまっては意気が上がらない。ぜひ9月からの大闘争で多くの人を迎え入れたいものだと思う。

庄原の隣の広島県三次市でも超党派の「議員連盟」が結成された。
面白いのは市議会議員26名のうち、「公明2市議を除く全議員に働きかけが行われた」という一節。
三次市選出の自民党県議が相談役、無所属の市議が代表となった。
上の一節はその代表が三次市役所内で行なった記者会見から拾った発言。
庄原では公明党市議がただ一人「戦争法賛成」の孤塁を守る形となったが、三次市ではついにお声さえかからない状況に陥った。
「どうせ無駄だ」と見透かされたのだろう。
会見の席で無所属議員がこう語っている。
法案賛成の市議とも議論した。
彼らは疑問に反論できず、国民の多くが自民党、安倍首相を選んだのだからという。
自民党に一票入れた人でも、命まで預けた人はいないはずだ」というと、何も答えることができない。
こっちを見出しにしたいくらいだ。
これは下記記事の続きです。

ウィキペディアに「帝国国防方針」という項目があって、日本軍の戦略の変遷が要領よく説明されている。

まず「帝国国防方針」とは何かという説明。

陸海軍の国防の基本戦略を記した文書で、軍事機密とされていた。

第1回めの策定は明治40年に天皇により裁可された。その後大正7年、大正12年、昭和11年の3回にわたり策定されている。

山県構想(明治38年 1905年)

策定のきっかけとなったのは1905年8月、日露戦争の直後に日英同盟の改訂が行われたことである。主要な問題意識は、イギリスとロシアが開戦した場合の日本軍の対処であった。

山県案では仮想敵国はロシア・アメリカ・ドイツ・フランスに設定されていた。

第一次国防方針(明治40年 1907年)

山県有朋の構想を元に田中義一(当時中佐)が陸軍草案を作成した。海軍側もこれに対抗して同様の計画を提出した。

国家目標: 開国進取の国是に則って国権の拡張を図り、国利民福の増進に勤める二点。

国家戦略: 満州及び大韓帝国に扶植した利権と、東南アジア・中国に拡張しつつある民力の発展の擁護と拡張。

国防方針: 東アジアにおいて日本の国家戦略を侵害しようとする国に対して攻勢を取る。満州や韓国の利権を扶植。専守防衛路線は明確に否定される。

仮想敵国は、最終的にはロシア・アメリカ・中国に変更された。

政府は統帥権の独立を盾に関与が拒まれた。政府は軍備増強を拒否することで対抗した。

第二次国防方針(大正7年 1918年)

第一次大戦の動向を取り込むための改正。総力戦思想が持ち込まれた。

欧州の疲弊により、仮想敵はアメリカ、中国、ソ連に改められた。ロシア革命後の混乱によりソ連の比重は下げられた。

統帥権は維持したまま、閣議に計画書を提出して同意を求める。

第三次国防方針(大正12年 1923年)

仮想敵はアメリカ、ソ連、イギリス、中国に改められた。総力戦思想に加え、短期決戦の考えが打ち出された。

これは「敵を海外において撃破して速やかに終結する」という戦法である。

第四次国防方針(昭和11年 1936年)

外交で国家の発展を確保し、有事においては先制主義と短期決戦を軍事ドクトリンとする。このため平時における軍事力の準備が強調される。

ということで、前の記事を全面的に変更しなければならない。

1.ソ連主敵論は、日露戦争以後一貫したものだったというのは間違い。1925年ころから、ソ連の国力増強に合わせて打ち出されたもの。

2.一貫した主潮は東アジアへの進出と、武力干渉であり、中国侵略は対ソ戦略の方便ではない。

3.総力戦と短期決戦思想は本来は整合的なものではないが、接ぎ木される形で打ち出されている。これは日露戦争を僥倖ととらえる冷静さが次第に失われていく経過ではないか。

4.軍は統帥権を振りかざして政治の容喙を拒絶する一方、国家目標・国家戦略にまで踏み込んでおり、当初より軍事独裁の傾向を内包していた。

この基本構造の上に、永田・東条の主戦論が乗っかっていくという経過を理解しておく必要がある。ただしこのウィキペディアの記載では第四次国防方針の記載がほとんどないので、確言はできない。


強いられた国家改変としての明治維新

1.明治維新の内包する二面性

明治維新から太平洋戦争へと進んでいく経過は、一面では明治維新の精神の継承でもあり、一面では明治維新の精神からの逸脱でもある。

つまり明治維新にはそういう二面性が内包されていたということになる。

2.明治維新は外圧による国家の進路変更

明治維新は、実体としては開国であった。国際化とその中での生き残りである。それはある意味で強いられたものであった。外圧(黒船)がなければ、それは明治維新という形態では実現しなかったろう。

「生産力と生産関係」論から明治維新の必然性を説く人もいるが、それは違うと思う。それだけではせいぜいが異なる統治形態の実現に導かれるだけであったろう。

3.国内勢力のみによる国家の権力改変

この闘争の稀有な特徴として、支配層がまっぷたつに割れて、正面から力相撲を行って、その片方が勝利したということがある。

相争う二つの勢力がいずれも国内を基盤とし、外国勢力や買弁資本家の関与なしに戦争を遂行した。

なぜそれが可能だったか?

それを遂行するだけの財政基盤が国内に存在したからである。しかしそれだけではない。攘夷の思想が蔓延し、外国人への襲撃や戦闘が相次いだ。

それらは欧米政府にとってカントリー・リスクとなり、干渉をためらわせた可能性がある。

4.明治維新の精神

以上のことから、明治維新の精神は攘夷を内に秘めた開国の思想と結論される。そこには改変を自力で成し遂げた強い誇りと、それを急がせた強い危機感がある。

それはやがて、きわめて軍事色の強い「富国強兵」策となる。しかも、アジア諸邦から抜け出し、列強の仲間入りし、他国を侵略する側に回るという、ひとりよがりな“成り上がり”思想となっていく。

草の根レベルでは、桎梏となっていた幕藩体制から解放されたことで自主的な運動も巻き起こるが、それらは日清・日露と続く戦争の熱狂の中で明治政府に押しつぶされていく。


永田鉄山を勉強するのにネットにあたってみたが、どうもピンぼけの説ばかりだ。
むかし読んだ「失敗の本質」に迫るような分析はない。
ただ「失敗の本質」は軍事戦略の分析だ。外交戦略の分析ではない。
ところが外交戦略となると、松岡洋右や広田弘毅の話に行ってしまう。
外交戦略の本質は、そういうたぐいの話ではない。
中国とどう付き合うか、東アジア全体とどう向き合うのか、そこにどのような世界を形成していくのかというビジョンが鍵を握っている。
その際に、念頭に置かなければならないのは日本の主権の及ぶのは対馬海峡までだということだ。それより以遠には別の民族があり主権がある。それを侵害することには大義がない。ましてや軍事行動などもってのほかだ。それはソ連も同じである。
このような発想は永田はもちろん、軍部の誰も持ち合わせていない。
しかしこのことは、さて置いていこう。
軍事戦略の基本は誰を敵とするかだ。この対抗関係において中間地点の陣取りを決めていくことになる。
どうも色々読んでいくと、陸軍がソ連なのは良いとして、海軍の仮想敵がアメリカと書かれている。ホントかいな。
もしそうだとすると、問題は二つある。ひとつはどうしてこれをすりあわせないのかということだ。これでは最悪の二正面作戦になる。
もう一つは、もし海軍がアメリカを仮想敵としていたなら、それだけでキチガイじみた戦略だということになる。もしそれが脅威であるならば、それを現実の敵にしないことが最大の戦略ではないか。
もっとも、アメリカを仮想敵としていたかどうかは目下のところ定かではないから、これ以上の言及は保留する。
それで、日本軍が全体としてはソ連を仮想敵としていたと仮定しよう。ここからが軍事戦略の本論だ。
中国東北部(旧満州、以下満州と記す)が最前線であることは疑いない。
1.外交もふくめた戦略としてまず挙げなければならないのは、ソ連の政治的包囲だ。ソ連が武力を用いて南下しないように国際環境を整備する必要がある。
それには中国、朝鮮をふくめて東アジアの国々を味方につける必要がある。より軍事的な観点からは戦略上の要衝に硬い楔を打ち込む必要がある。
2.率直にいって当時の現実的状況からは、朝鮮と中国の国境を隔てる鴨緑江、豆満江のラインは生命線と想定されるであろう。さらに攻勢的に戦略を想定するなら、関東州からハルビンに至る満鉄は守るべき権益であろう。ただし後者は「権益」であって領土であってはならない。
列強との協調体制を守るには、それは越えてはならない一線だったはずである。
3.当時のソ連は間違いなく国際的に包囲されていた。したがって、日本は日英同盟を守り、米国との親善を強化する限り、ソ連の脅威など問題にならなかったはずだ。
もちろんソ連はシベリア鉄道を通じての東方進出は国是に近いものがあった。またスターリン以降、東方戦略は飛躍的に強化された。したがって満州の権益をめぐり、さまざまな小競り合いが発生することは容易に予想される。
ただそれは、主要にはソ連対中国の問題として発生するだろうし(日本対中国の問題と同じように)、日本としては蒋介石なり東北軍閥なりを支援すれば良いだけの話である。
したがってソ連脅威論は、机上の空論とまでは行かないが、現実のものではなかったといえる。
であれば、軍のソ連脅威論はむしろためにするための議論ではなかったか、という感じがしてならない。






日本人として弾劾すべき軍の犯罪

日本人として、軍と日本政府がアジアで行った数々の残虐行為、非人道的行為については我々は謝罪しなければならない。このことは言うまでもないことだ。

しかし平均的大衆のあいだには「なぜいつまでも謝らなければならないのだ」という声が根強くある。

それは軍部と天皇制政府への弾劾の姿勢が弱いからだ。アジアの人民が日本政府を批判すると、何か自分が非難されているような気分になってしまう。それは戦前の政府と我々の分離ができていないからだ。なぜなら我々が軍部と天皇制政府を批判し尽くしていないからだ。

我々にとっても戦前の政府と軍部は許せない存在なのだということを、もう少し具体的に整理して明らかにしておく必要がある。

それを、いくつか箇条書きにしておこう。

1.反戦・非戦論の弾圧(まず民主主義を否定した)

2.文民統制の否定(議会をないがしろにし、政府を脅しつけ、天皇すら欺いた)

3.統帥権の否定(誰の許可も得ず、勝手に戦争を始めた。しかも終わらせられなかった)

3.対米開戦の愚挙の責任(愚挙としか言いようがない。違うか?)

4.玉砕作戦を命令した責任(人の命を預かる指揮官としての究極の無責任)

5.沖縄決戦(民間人の生命に対する無責任。軍人の本懐への究極の背馳)

6.満州棄民(最悪の置き去り、逃亡)

7.本土決戦思想(究極の国民皆殺し路線)

これらを我々、日本人は弾劾したのか? 戦犯として裁いたのか?

日本人は自ら弾劾できなかった。東京裁判について云々する前に、まずこのことを恥じなければならない。

そして、戦争反対・憲法守れの運動の根本をなす歴史認識として、これらの事実を突きつけなければならない。


阪神のマートン選手が、8月6日、一市民として平和記念式典に参列した。それを見つけたひとがスナップショット。

ma-ton

「色々とあったけど、こうやって試合日でも、8/6に原爆ドームにいるマートンを俺は尊敬してる」とコメント。これが拡散されている。

試合の方は、8対2で阪神の勝利。マートンは5打数3安打1打点と大暴れだった。
あるカープフアンは、「でも、あんなに打たんでもエエでしょ?」とぼやいていた。

グエン・ドクさん、漢字で書くと 阮德さん。

1981年2月25日の生まれ。下半身がつながった結合双生児だった。兄は故グエン・ベトさん。

出生地が枯葉剤が大量に撒かれた中部高原のコントゥム省であったことから、枯葉剤の催奇形性に基づくものであると疑われている。

ハノイのベトドク病院で療育されたことから、ベト、ドクと名付けられる。ベトドク病院は漢字で書くと越・独(旧東独)友好病院。

85年に兄弟のことが日本でも知られるようになり、大規模な支援活動が行われるようになった。

二人は結合したまま成長するが、1988年10月、ベトさんが急性脳症となったことを契機として、手術で分離した。

この手術はホーチミン市の病院で行われ、日本赤十字からも4人の医師が派遣され執刀に当たった。

ベトさんは長い療養の末、 2007年10月6日に亡くなった。26歳だった。

ドクさんは職業学校でコンピュータプログラミングを学び、病院の事務員となった。2006年にはボランティア活動で知り合った女性と結婚している。

(前回の札幌訪問は、結婚直前の2005年であった)

2009年に男女の双子が生まれている。

ドクちゃん一家

ベトちゃん・ドクちゃん看護秘話

というページに、出産からベトドク病院への入院に至るまでの詳しい経過が記載されている。ここに要約紹介しておく。

二人はコントゥム省サータイで生まれる。上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児だった。染色体異常によって、胎内で癒合したまま成長したシャム双生児。肛門も性器も1つを共有していた。

父親は戦争中に南部で戦い、終戦4年後の79年に、現地へ開拓移住した。

出産時、生まれた子を見て、助産婦は失神し、母親も気を失ったという。両親は2人をコントゥム病院に預けたまま行方不明となり、2人は生後2週間ちょっとで、陸路1000キロをハノイ市の越独友好病院まで車で移送された。

二人を世話したベトドク病院の看護婦の証言: 

声も出せないほど弱々しかったです。長距離を運ばれてきて、多分体も洗うこともなかったでしょうし、臭くて薄汚れていました。

当時ベトナムはまだまだ貧乏で、たくさん食べさせたかったけど、物が不足していました。ちゃんとした服も着せられませんでした。

食べさせたのは、ミルクとお粥のダシと砂糖でした。4ヵ月経って、ベトちゃんとドクちゃんは本当に健康状態がよくなって、少しふっくらしてきて、可愛くなってきました。

日が経つにつれて、二人はどんどん話し方を教えました。非常に頭がよさそうでした。時々風邪を引いたり、熱が出たり、お腹を壊したくらいで、あの子たちは大きな病気はしませんでした。

体はくっついているけれど、ベトちゃんとドクちゃんは性格が違います。体力がまず違いました。片方はよく遊んでいて、いつもとっても楽しそうでした。片方は、体力はあまりなく、からかわれると怒ったりしました。

その後、戦場から帰ってきた旧軍人と奇形児の関係も分かるようになりました。子供たちが枯れ葉剤被害者であることが証明されました。

多くの人が、罪を犯したように、心がさいなまれていました。神から罰を受けたと思っていたんです。ベトさんドクさんの両親も顔を出しませんでした。仮に来てても、自分がこの子の親だとは言えなかったと思います。

1983年1月、この2人をホーチミンの病院に送って分離手術を受けることを決めました。別れた時、皆泣きました。ベトちゃんとドクちゃんもものすごく泣きました。それまで毎日面倒をみてくれた看護婦全員の名前を呼びました。

全国には、まだ多くの患者さんがいます。。行動を起こすことが大事です。平和を愛する人が団結して、戦争を起こしている国の指導者に、私たちに必要なのは平和だけです、と訴えたいです。  

これは面白い。大宣伝しなければ。
本日の赤旗記事
見出しは自民党県議と市議19人、戦争法反対の市民の会結成
というもの。
書き出しはこうなっている。

広島県庄原市選出の自民党県議の呼びかけで、同市市議20人のうち公明党を除く有志19人が賛同し、戦争法案反対を訴える「ストップ・ザ・安保法制 庄原市民の会」を結成しました。
結成会議では呼びかけ人の小林秀矩県議(自民)、市議会議長の堀井市議を正・副会長に選出。
「市民みんなで声を上げ、安保法案を廃案にしましょう」との呼びかけを確認しました。

すごいものだと思う。自民党員が旗を振って超党派で戦争反対の声を上げたのもすごいが、その市議会でただ一人、「平和の党」と称する公明党議員が、孤立も恐れず、戦争賛成の旗を守ったのだから大したものだ。
公明党はこの事実を大宣伝すべきだろう。聖教新聞も学会員の誉れ、戦士の鑑として大いに称揚すべきだ。

市議会のホームページによると、この市議は横路政之(よころ)氏。写真まで載っている。2013年の市議会選挙では1,410票を獲得し3位で当選している。

中国新聞(7月28日)
広島の自民県議ら安保法案反対組織 庄原の小林氏・市議19人 市民署名集めへ
小林秀矩広島県議(自民党議連、庄原市)と庄原市市議の有志19人が安全保障関連法案の反対を訴える組織「ストップ・ザ安保法制」(仮称)を31日に設立する。
庄原市議会が6月30日、「国際平和支援法案」と「平和安全法制整備法案」制定に反対する意見書を可決したことを受け、考えを同じくする小林県議が堀井秀昭市議会議長を通じ、市議20人全員に呼びかけ、公明党市議を除く19人の市議が賛同した。
準備中の趣意書には、歴代政権が憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使を一内閣の解釈で覆そうとする行為は立憲主義、民主主義に反し、容認できないこと。後世に責任を持つべき課題であり、政治に関わるものとして政府、国会に地方の思いを伝えることなどを骨子とする。
この意見書の原案は共産党の松浦昇市議の起草になるものである。(中国新聞7月9日)
右翼は庄原は亀井静香の地盤だから、自民党も毛色が変わっているんだと揶揄している。
なお中国新聞には以下の様な過去記事(2014年3月)もある。
庄原市議会(定数20)は24日の本会議で、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しをしないことを国に求める意見書案を可決した。
…15議員が発議し、議長を除く19人のうち17人が賛成した。
議長さんは賛成派だから、この時にはもうひとり反対がいたようだ。

毎日新聞 2015年07月31日 地方版もこのニュースを取り上げている。
「安倍内閣が進める政治の流れは、立憲主義の根本を否定するもので独裁政治そのもの。国民主権、絶対平和主義、基本的人権の保障を否定する強権政治は容認できない」というのが呼びかけ文の趣旨だそうだ。
これには公明党市議のことは書かれていない。

RCC 中国放送 

のニュースでは小林県議への質疑応答が載せられている
(Qなぜ自民党の県議がという声があると思うんですが?)安倍政権に至っては、本当に右傾化をし、国民に背を向けてしまったと、我々が変わったのではない、党本部が変わったと認識しておりまして、そのことは態度で表明していきたい。
ということで、残念ながら、一人戦争の旗を振る横路議員の思いは伝えられていない。
そのうち続報が出てくるだろう。

日本地図センター地図研究所長の田代博さんが赤旗に素晴らしい地図を提供してくれている。
田代さんはこう語っている。
ある作家が沖縄の普天間基地に関してとんでもない発言をし、批判を浴びました。基地は誰もいない田んぼの上に出来たというのです。これがいかに誤っているかは言うまでもありません。
ということで掲載されたのが下の図。

hutenmatizu









森喜朗が激怒したそうだ。

東京五輪・パラリンピックの関連会合で、下村博文文部科学相が官邸での新国立競技場に関する関係閣僚会議に出席するため途中退席した。

下村氏が退席を申し出てると森氏が不快感を示し、下村氏が何度も頭を下げた。森氏は「呼びかけた下村文科相が直ちに退出するというのは極めて非礼だ」と指摘。

以下省略。

これは産経新聞の記事だ。産経はさらに森氏の方を持つ文章を書き連ねている。

つまり、今回の事件の主犯である森に対し、産経は明らかに擁護する姿勢だということになる。

いったい右翼の権力構造はどうなっているんだ、いつのまに森は右翼の元締めになったんだ、という話だ。

それは右翼という構造が、腐敗臭をまき散らしながら。権力の奥深くまで染み込んでいるということの現れだ。

権力がこれほどまでにガバナンスを失い、ヤクザや暴力団に侵食されているとは、正直思わなかった。

すでに我々は、通産省が電力会社の原発再開の尖兵となり、東芝が粉飾決算を恥じず、それらにメディアがお追従する場面を見続けさせられている。

この国から気骨というものが失われつつある。この国は本当に危ない。

「あとは大幅会期延長で自然成立」というメディアの大宣伝があり、こちらもそう思い込んでいた。
しかし、赤旗の報道で「どうもそうではないぞ」ということがわかってきた。
本日の一面、志位委員長の共同通信社での講演。
そのまま転載する。
一部メディアは、「60日ルール」を強調し、「安保法案は成立へ」と書いている。
しかし法案は予算案や条約と異なり、「自然成立」はない。
政府・与党が戦争法案を成立させるには、参院での強行採決か、衆院での強行再議決しかない。
ということだが良くわからない。
そうすると、二面に解説記事がある。
自民党が主張する「60日ルール」は下記の根拠に基づいている。
憲法59条1項: (法案は)両議院で可決したとき法律となる。
憲法59条2項: 衆院で可決した法案を参院が否決した場合は、衆院でふたたび3分の2以上の多数で再可決すれば法律となる。
ここまでは周知の事実。ついで参院が可決も否決もしない場合についての説明。
憲法59条4項: 衆院で可決され参院に送られた法案が、60日以内に参院で議決されない場合、衆院はその法案が否決されたものとみなすことができる。ただし、そのためには衆院での「否決とみなす」議決が必要となる。
ということで、「60日ルール」のシナリオは次のようになる。
議案を参院に送る→60日間審議をさせる(その保証はないが)→60日たったら衆院を開き、「否決とみなす」議決を行う。これはおそらく過半数だろう→ついで戦争法案の再議決を強行する。これには2/3の賛成が必要だ。
ということで、いずれにしても自然成立ということはありえない。
我々には、後60日間戦い続けて、世論を動かし議会の力関係を変えていく可能性が残されていることになる。

「戦争法案必ず廃案へ」という見出しのもとに、各界の「有識者」の意見が寄せられている。この中で目に止まったのが、早大法学部の浅倉むつ子さんの談話。

安倍首相は「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」と言いました。とんでもない間違いです。

阿部さんがなぜ国家権力を行使できるのか、その根拠こそ憲法であって、憲法の範囲内でのみ権力が行使できる。それが立憲主義です。

安倍首相のやり方は、権力者自ら、その根拠を否定するものです。

ということで、「えっ、安倍首相、ほんとうに、こんなひどいことを言ったの?」と一瞬思った。ひょっとして間違いではないかと思ったのだ。

学校の先生ならこんな答案は問答無用でペケだ。「顔洗って出直して来い」ということになる。

だがそうではない。

この発言には下敷きがあるのだ。

それこそ、「賛成の憲法学者もたくさんいる」と菅官房長官に名指しされた3人の精鋭の一人、百地章先生だ。

要約を紹介する

産経ニュース 2013年7月6日

【中高生のための国民の憲法講座】 第1講 百地章先生 「国家権力を縛る」だけのものか

「憲法」にもさまざまな意味があります。まず「固有の意味の憲法」。これは古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている統治のルールのことです。

近代国家が誕生すると「立憲的意味の憲法」が登場します。これは絶対王制でみられた権力者の横暴を抑制するために生まれました。「憲法が国家権力を縛る」というのはこのことです。

同時に憲法は国家権力の行使について根拠を定めています。こうした憲法の役割を「授権規範」といいます。

ここまでは快調だ。次の段落がいきなり次のようになる。

そこで「憲法とは国家権力を縛るもの」という言い方ですが、これは一面を強調しただけで決して正しくないことがわかります。

一瞬ページを飛ばしたかと思ったが、そうではない。どうも、百地先生の頭がぶっ飛んでいるようだ。

彼は、憲法のもう一つの側面として、

憲法は…国民にさまざまな義務を課したり、時に権利を制限する場面もあるのです。

主語が違うんじゃないか。その場合は「国家」というべきだろう。しかもそれは百地先生の言い方を借りるなら、「古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている」国家の性格の話だろう。

現に次の段落では自らそう語っている。

現代は社会国家の時代ですから、国民の福祉の実現のため、…また快適な環境を維持するため、さまざまな規制を加えるのも国の役割です。

此処から先、さらにとんでもないことになる。

とすれば「憲法とは国家権力を縛るものだ」と決めつけるのは、古い考え方であり…

もう頭は宇宙遊泳状態だ。この先生には「主語」という概念がないらしい。

一方的に国家=悪、国民=善だと思い込んでいないか。注意深く考えてみる必要があります。

百地先生の忠告に従って、注意深く考えてみよう。すると素晴らしい考えが湧いてくるのだ。国家=善、国民=悪ということもありうるのだ。

普通はこういう考えをアリストクラシー(貴族政治)という。前近代国家に特有の政治形態だ。


ついでながら、安倍首相がこの中学生向けの作文を下敷きにしたとすれば、とんでもない読み間違いを犯したことになる。

流石の百地先生も「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」とは言っていない。浅倉さんの言う通り、とんでもない間違いです。

私なら、あまりの恥ずかしさに身悶えしてしまう。

むかしはこういう輩をノータリンと言った。あまりにアホで、恥を感じることさえできないのだ。

兎にも角にも、コヤツを政権の座から引きずり降ろそう。そうでないと私はこんな国に生きることが恥ずかしさで身悶えしてしまう


中東非核地帯構想をめぐる議論

核廃絶を目指す戦略としてはおおまかに言って二つある。一つは核廃絶そのものを正面に据えて、期限を切って交渉を開始しようとする路線であり、もうひとつは非核地帯を拡大することで、事実上核大国の手を縛っていこうとするものである。もう一つの路線として核軍縮というものもあるが、これは核廃絶へと向かうベクトルをもっておらず、その意義は数段落ちる。

非核地帯構想は東南アジア非核地帯についで、中央アジアでかなり実効性のある非核地帯条約が締結されたことで現実性を帯びるようになっている。なぜなら「非核地帯」の枠組みはその地域内での核兵器使用禁止条約としての性格を持っているからだ。

しかし残る地域での実現は困難を極める。なぜならそこには核保有国がふくまれているからである。

その中では中東地域がもっとも実現の可能性の高い地域である。なぜならこの地域には公式には核保有国はないからだ。

だからこそ、中東非核地帯構想はたんなる地域問題ではなく、反核運動の歴史の中で最大の山場、胸突八丁となっている。それが激突したのが今回の再検討会議というわけだ。

だから、相手側も必死なので、今回のNPTが前進できなかったのはある意味当然のことなのだ。さほどがっかりする必要はない。

今回の議論で、非核勢力側はかなりアメリカを追い込むことができたといえる。

イスラエルにどこまで忠義立てするのか、イランとの交渉が成功した場合、今の議論はそのまま通用するのか、アメリカ国内世論、イギリス・フランスの出方との関係もあって、今後事態が動く可能性は十分あると思う。

千葉の母子家庭追い立て死事件 で千葉地裁の判決が出た。

求刑14年に対し7年の懲役という判決で、これ自体にさほど異議があるわけではない。

判決を機に、岩井記者の「事件レポート」が掲載された。これまで明らかにされなかった家族内背景が明らかになっている。ただ、記事の内容には少々不満が残る。

県の責任がほとんど追及されていないからだ。

絵に描いたような「剥奪」の経過

その代わり母親のプライバシーに関わる記載が続く。

この親子は、夫が事業に失敗し離婚したようだ。事業を立ち上げるにあたって実家にも不義理を重ね、絶縁状態になっている。

離婚後、元夫から月3万円の送金があったが、基本的にはパートで自活していた。年収は100万ほどだった。

これだけで立派に生保対象だ。

県営住宅への入居は2007年で、家賃滞納のきっかけは、11年2月からヤミ金に手を出したこと。それ以後毎月4万円の返済が始まった。

というのが経過。ほとんど絵に描いたような「剥奪」の経過だ。

記事では詳述されているが、ヤミ金などはあまり本質的ではないので省略する。

中心的事実は市の社会福祉課の対応

記事の中心的事実は以下のようになっている。

① 13年2月、母親が市役所に生活保護の相談。職員はパートの仕事を理由に申請させなかった。

② 4月、母親が市役所に行き、国保の短期証発行の相談をした。

対応した職員は母親に生活保護を勧め、隣接する社会福祉課を紹介しました。ところが、面接した職員は、生活困窮が明らかなのにもかかわらず、生活保護の説明をしただけでした。

つまり、社会福祉課はただたんにプライバシーに踏み込まなかったのではなく、明らかな保護の必要性を認識した上で、市役所窓口職員の勧告を拒否したことになる。これらの経過は、“公判のなかで明らかになった ようだ。

ところで、この事実は、事件直後に千葉日報が取材した時の市の回答とは相当異なる。

生活保護世帯であれば、市教委は社会福祉課と情報を共有する。しかし就学援助だけ受けている場合は、社会福祉課には情報は行かない。

というのが取材時の回答だ。

社会福祉課は明らかに中心的事実を隠していたことになる。嘘をついていたと言ってもいい。とくに②の状況は明らかに意図的である。

この点ではぜひ、千葉日報に追跡取材をしてもらいたいと思う。


ブログ記事一覧表

2015年6月現在

03 国内政治

2015-06-21

憲法9条は国家に“平和を守る決意”をもとめる条項

2015-06-18

安倍内閣は「バカの壁」 痛快! 長谷部、小林節さんの記者会見

2015-06-15

日弁連の1950年「平和宣言」について

2015-06-13

平和っていいもんだ

2015-06-11

幹部会声明のキモ

2015-06-08

JR東海、「何をほざくか、非国民め!」の顛末

2015-06-08

ヤクザも真っ青、JR東海の暴力路線

2015-06-03

長期エネルギー需給見通し小委員会の議論経過

2015-06-03

原発に100%の安全を求めるのは“安全神話”だ

2015-05-26

“戦争反対!戦争するな!” と “憲法守れ!平和を守れ!” 

2015-05-22

関口宏さんの述懐

2015-05-21

投票の分析(という名の老人・弱者の罵倒)

2015-05-20

ヒトラーと橋下・維新……住民投票勝利の意義

2015-05-14

強制収容所での強制売春

2015-05-12

電源別コスト 唖然とするグラフ

2015-05-12

「検証 介護保険の15年」から

2015-05-08

ベースロードの“議論”はだいじだ

2015-05-06

商船隊全滅の責任は海軍にある

2015-05-06

戦争になれば民間人も敵だ

2015-04-20

福井地裁判決 「万が一論」の所以について

2015-04-18

福井地裁 高浜原発差し止め判決の論理

2015-04-15

日本人は本当に「安倍フアン」になってしまったのか

2015-04-14

もう「粛々と」とは言えないだろう

2015-04-06

人はなぜ、安倍首相を“怖い”と感じるのか

2015-04-02

翁長知事の農水省あて意見書

2015-03-26

「残業代ゼロ制度」 アメリカでの実情

2015-03-24

菅官房長官よ、「この期」とは「どの期」だ

2015-03-23

関電 電気料値上げの前にやるべきこと

2015-03-23

原発再稼働は“我が社”のため

2015-03-23

もう一つの「原発神話」が崩壊しつつある

2015-03-17

「クリミア侵入時に核使用を考慮」は勇み足か

2015-03-17

公明党・創価学会の謀略ビラ

2015-03-13

辺野古 2つのアキレス腱が露呈

2015-03-11

“日本は侵略した”と言ってほしい

2015-03-09

地方分権「改革」の総括

2015-03-09

「平成の大合併」は大失敗

2015-02-26

植村バッシングの事実経過

2015-02-23

ビキニ核実験の意味

2015-02-23

ビキニ核実験 被爆年表

2015-02-23

ビキニ被爆漁船は1423隻

2015-02-09

GHQの戦後改革を増補しました

2015-01-29

除染のストラテジーが間違っている

2015-01-28

ALPSの稼働状況

2015-01-23

共産党躍進の意義 49年選挙とどこが違うのか

2015-01-21

公営住宅は国交省管理でいいのか

2015-01-20

千葉の母子家庭追い立て死事件

2015-01-19

イスラムへの「嘲笑」の権利と言論の自由

2015-01-17

「桑田佳祐騒動」の物語るもの

2015-01-15

アジアの人に成り代わり申す

2015-01-07

「守銭奴」暴言は計画的犯行かもしれない

2015-01-06

今度の選挙は「第3極」崩壊選挙だった

2015-01-05

「共同節電所」の成功は国の政策貧困の現われ

2015-01-05

驚異の「福井市民共同節電所」

2015-01-05

インターネットの世界と巨大サーバー

2014-12-25

民主党のダラ幹の腐敗ぶり

2014-12-22

川内原発 震度6弱でも発電止めず

2014-12-22

大間原発、三つの「初」

2014-12-20

スナイダーさんの選挙評価は適確だ

2014-12-12

ユニクロに未来はないだろう

2014-12-11

「ネオナチ」という定義について

2015-06-21

「それは共産党です」

2014-12-08

宇都宮さん、そこまで言っていいの

2014-12-08

戦後を戦前にしないために

2014-12-04

解散・総選挙 誰が追い詰められているのか

2014-11-27

植村さん解雇要求は許せない

2014-11-26

国会議員は身を削れ、その代わりもっと増やせ

2014-11-24

共産党に雨宿り

2014-11-19

大谷光真師の原発観 2

2014-11-16

「操」と「甘え」 翁長語録

2014-10-29

コアキャッチャーとスプレーは同等か

2014-10-22

女性差別撤廃政策について

2014-10-19

「日本の品格」は私たちが作り上げたものだ

2014-10-18

SASPL ポスター選

2014-10-17

あったことを終わったことにするつもりか

2014-10-12

アジア発展に果たした憲法9条の役割

2014-10-10

若者が100万円持ったら、たちまち日本は変わるだろう

2014-10-09

人手不足は、“賃金不足”か?

2014-10-08

奨学金の返済状況に関するデータ

2014-10-06

「マケルナ会」への賛同を呼びかける

2014-10-06

東アジア諸国の憲法に9条を書き込もう

2014-09-30

お菓子で釣っても誘拐は誘拐

2014-09-29

浮浪児は戦争という理不尽の、理不尽な結末だ

2014-09-29

「浮浪児」の数と実態

2014-09-29

慰安婦関連の記事一覧

2014-09-28

政池仁のキリスト教的非戦論

2014-09-24

明日がわからない若手弁護士

2014-09-23

戦災孤児と“浮浪児”

2014-09-22

戦災孤児調査の紹介

2014-09-09

小野寺防衛相が泣いた理由

2014-09-05

翁長那覇市長の挨拶から

2014-09-04

「連合」と組まないという選択

2014-09-03

「事なかれ主義」の危険

2014-08-31

むかし学校、いま施設 介護の緊急体制づくりが急務だ

2014-08-28

辺野古 県民の8割以上が反対

2014-08-28

「辺野古」映写会に参加して

2014-08-27

原発事故の処理費用は総額11兆円

2014-08-24

「今井家の10年」を考える

2014-08-19

高谷清「重い障害を生きるということ」を吟味する

2014-08-15

戦争は政治の延長ではない

2014-08-13

香山さんによる安倍首相の診たて

2014-08-12

「憲法は非戦の誓い、長崎の原点だ」 長崎の平和宣言

2014-08-10

「50年問題」と原子力平和利用の関係

2014-08-05

悲劇のリストは長くなる一方

2014-08-05

原水禁国際会議「宣言」のもとめるもの

2014-08-04

武谷関連年表(自分流)

2014-08-04

唐木順三の武谷批判

2014-08-04

若者が《ジジイ》ほどに頑張っていりや別ですがね

2014-08-02

加藤氏の嘲笑は誰に向けられているのか

2014-07-31

「原子力の平和利用」 武谷三男の見解を中心に

2014-07-30

「仁風林」のうわさ話についての感想

2014-07-30

「仁風林」のうわさ話

2014-07-29

わかっているかい、島崎遥香さん

2014-07-28

核の目標にされる側の論理

2014-07-27

栩内被告が徹底抗戦するとどうなるか

2014-07-26

インド・スズキ自動車 「暴動」はでっち上げ

2014-07-22

戦争は政治の延長か?

2014-07-20

ちょっと待って、志位さん

2014-07-18

最賃引き上げは雇用を抑制しない 米国の例

2014-07-17

庶民にとっての「戦争放棄」の意味

2014-07-13

安井至氏の「内部被曝」批判

2014-07-13

日露戦争 年表

2014-07-12

日韓併合条約の実体

2014-07-11

平和憲法を守る3つの視点

2014-07-11

賭博ってそもそも何?

2014-07-11

カジノ 人のカネまきあげておいて、どこが経済効果か

2014-07-10

人権はそれ自体がルールなのか?

2014-07-10

コアキャッチャーもなしに世界最高水準とはいえない

2014-07-08

日清から日露へ 両戦間の経過

2014-07-08

「アジアを守る」が「日本を守る」に矮小化される過程

2014-07-05

国民を戦争に賛成させる秘訣

2014-07-05

東南アジアにおける戦争犯罪

2014-07-03

朝鮮近現代史を学ぶ意義

2014-07-02

風景写真の正しい撮り方

2014-07-01

「東アジア大戦争」と呼ぶべきだろう

2014-07-01

富岡製糸場を見るもう一つの眼

2014-06-30

「敗者の戦争観」を考える

2014-06-29

日清戦争 年表

2014-06-28

「名誉ある地位」を投げ捨てて良いのか

2014-06-27

非戦能力(三谷)という考え

2014-06-26

反核運動 こんな町もある

2014-06-25

安部首相、二つの気になること

2014-06-25

セロトニン受容体が賦活されるとどうなるのか

2014-06-24

抗うつ薬の精神作用 基礎事項

2014-06-23

石勝線トンネル火災事故と組織問題

2014-06-23

石勝線トンネル火災事件の実相

2014-06-20

石勝線事故に学ぶ 「ルール破り」の大切さ

2014-06-20

キチガイに刃物、防衛副大臣にライフル銃

2014-06-18

暴走列車に乗りあわせている恐怖

2014-06-18

スポーツは韓国のほうが強い

2014-06-17

これでは明らかに片務だ

2014-06-15

ソ連の犠牲者数はやはりおかしい

2014-06-14

ソ連の戦死者数の異常な多さについて

2014-06-14

戦死者ランキングと太平洋戦争

2014-06-13

戦死者ランキングを一口解説

2014-06-12

戦死者数ランキング

2014-06-12

集団的自衛権で日本は守れない

2014-06-12

日韓民主運動の連帯はひとつの鍵だ

2014-06-11

オバマ大統領、「なぜみなさんはもっと憤慨しないのか」

2014-06-10

キャンベル・公明党の極秘会談

2014-06-03

NATO軍は後方支援が主だった

2014-06-03

「ブラックバイト」の実情

2014-05-30

安部首相-「仁風林」-栩内容疑者

2014-05-30

原発をめぐる世論の劇的変化

2014-05-29

「日本人を乗せて避難する米輸送艦」などありえない

2014-05-26

我々世代は、平和の歩みに誇りを持つべきだ

2014-05-26

安倍政権の怖さ

2014-05-22

福井地裁判決: 要旨の要旨

2014-05-22

大飯原発差し止め判決の法的意義

2014-05-20

「昭和ゴム」裁判が勝利

2014-05-19

「自動参戦」の話

2014-05-16

ベルルスコーニ、「ドイツ人によれば収容所なかった」と発言

2014-05-16

集団自衛権は最悪の対中挑発

2014-05-15

憲法記念日 中国新聞の社説

2014-05-15

長春旧憲兵隊跡からの発掘資料

2014-05-14

久しぶりに五月晴れのニュース

2014-05-14

武器とはなにか 「防衛装備移転三原則」を考える

2014-05-09

日本の核武装に対する中国の懸念

2014-05-08

中央アジア非核地帯条約と核保有国の同意

2014-04-24

青年の失業率は高止まりしたままだ

2014-04-24

独身青年の生活費

2014-04-23

昭和40年ころの学生生活費

2014-04-18

最悪の置き去り犯は関東軍

2014-04-17

新規制基準は「世界最高水準」には程遠い

2014-04-16

雇用のヨシコの盗撮はやばすぎる

2014-04-16

「生涯派遣」、「正社員ゼロ」社会を許すな

2014-04-16

加圧水型とくらべ4つの欠点

2014-04-14

エネルギー基本計画の骨子

2014-04-01

安倍首相の質問拒否は問責に値する

2014-03-12

雇用のよし子さんが「固定残業代制」を追及

2014-01-29

一部反原発派の動揺について

2013-12-19

泉北高速 始末記 その3

2013-04-29

限定正社員は労働契約法改正への対応

2012-06-18

野田首相の「政治生命」とは何か

2012-04-25

武雄市議会の議長が辞任

2012-04-19

規制庁なくして再稼動なし

2012-04-18

関電・政府見通しのウラ

2012-04-18

関西電力の見通しはウソ?

2012-04-13

武雄市議会の懲罰事件

2012-04-12

「原発不要」証明の恐怖

2012-04-10

6割が営業不能状態

2012-04-09

あの久住委員が保安院批判

2012-04-09

高浜原発の絵がすごい

2012-04-09

2号機再検査の評価

2012-04-04

奈良林教授はひっこめ

2012-04-04

「東大教授」たちの正体が垣間見えた

2012-04-02

ねつ造のプロ、朝日

2012-01-24

内視鏡所見への疑問 その3

2012-01-24

内視鏡所見への疑問 その2

2012-01-21

内視鏡所見への疑問

2012-01-19

いよいよ完全小選挙区制へ

2012-01-16

80議席削減の試算

2012-01-16

神戸大震災の負の遺産 2

2012-01-06

糾弾すべきは民主党より財界では?

2011-12-28

東レが原発推進を主張


とりあえず、この発言に関連した記事を収集することにした。


まず経産省小委、板根委員長 というのを、明らかにする。

板根小委員長

長期エネルギー需給見通し小委員会と坂根正弘委員長

赤旗には経済産業省の「長期エネルギー見通し」小委員会となっている。報道によっては「有識者委員会」とされている。

ただし小委員会というからには大委員会があるはずで、これは「総合資源エネルギー調査会」という。この調査会の「基本政策分科会」(これも坂根氏が会長)というセッションのなかの小委員会だ。いかにもお役所です。

板根委員長というのは板根正弘氏である。この人は小松製作所の相談役という肩書を持っている。ウィキペディアで調べたのが下記の略歴である。

開戦の年、昭和16年の広島生まれ。島根に疎開していて原爆を免れた。多分親族の中には被爆者も少なくないと思われる。

大阪市立大の工学部を卒業して小松製作所に入った。ノンキャリのエンジニアだ。それが、どういうわけか1989年から突如出世の階段を駆け登り始めた。2001年に社長、2007年に会長となり、押しも押されぬコマツの顔となったわけだ。

ウィキペディアによると、2001年にコマツは800億円の赤字を計上し危機に陥った。それを2年後に黒字回復させ、世界第2位の建設機械メーカーに押し上げたというから、ただ者ではない。

こうした実績から週1回はどこかで講演をこなすという人気だそうだ。ただし発言の中身は「オレがオレが」というもので、あくまで「乱世の雄」なのではないだろうか。
 

この小委員会は「東洋経済」が系統的に追いかけている。

一連の記事は経産省の狙いを浮き彫りにしており、さらにその背景にも迫っている。これらの記事を中心に経過を追ってみたい。

1月 総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会の下に、長期エネルギー需給見通し小委員会を設置。委員は14人、分科会会長の坂根氏が委員長を兼任。原子力発電のウェート付けが議論の焦点となる。

大震災の前、2010年6月に、民主党政権の下で第3次エネルギー基本計画が策定された。この計画では2030年に、原子力が全電力の約50%、再生可能エネルギーが20%とされた。
しかし大震災を機に、民主党政権は30年代に原発ゼロを目指す方向を打ち出した。
12年末に政権に復帰した自民党は、原発ゼロを覆した。
14年4月の第4次エネルギー基本計画では、原子力を「エネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」と位置付けた。ただ、脱原発依存をどこまで進めるかは不透明のままだった。


1月30日 小委員会の第1回会合。経産省の事務局がブリーフィングを行う。
 

ブリーフィングの概要: ①エネルギー自給率の低さは重大、②震災以降、化石燃料への依存度が増大し、様々な悪影響、③原発停止に伴い電気料金が高騰、の三点をあげる。
さらに、ドイツでCO排出量が増えている、イタリアでは電気料が高いなどと余分なコメント。

1月30日 議長の坂根氏が締めの発言。「原発ゼロ、化石燃料90%という現状を国際社会は認めない。まずは省エネと再エネがどこまで実現できるのか、ここを議論の出発点にしてはどうか」と提案。(この人はこういう小手先のダマシが得意な人らしい。化石燃料9割は認められないが、原発ゼロが認められないはずはない)

2010年度には火力61%、原子力29%、再生可能エネルギー10%(うち水力9%)だった。大震災後の13年には、火力88%、原子力1%、再エネ11%(うち水力9%)となった。

3月10日 小委員会第4回会合。電力会社の接続可能量を機械的に計算して、発電量700億kWh、設備容量61GWという数値を提示。これによる不足分を原発に上乗せする。

3月30日 小委員会第5回会合。経産省が「各電源の特性と電源構成を考える上での視点」と題した資料を提出。「ベースロード電源」論を打ち出す。

「ベースロード電源比率6割を維持するには、原子力の比率を少なくとも25%前後にしなければならない」というもの。しかしこの発想は逆立ちしている。
ベースロード電源というのは、24時間連続稼働する「融通のきかない電源」のこと。コストを無視すれば、基本的には少なければ少ないほど良い。もしベースロード理論を用いるなら、その本来の適応対象は風力・太陽光である。
なお、経産省は地熱、水力、原子力、石炭火力を対象にしているが、地熱と水力は止められる。

3月30日 橘川武郎委員(一橋大教授)、「こんなことは言いたくないが、この委員会(の議論)を聞いていると、どうしても原子力の比率を上げたい、上げたいという雰囲気が伝わってくる」と発言。(橘川氏は反原発ではない)

3月30日 高村ゆかり委員(名大教授)は、「原発は3E+Sの原則に一致しない。そのことを明記すべき」と主張。

3E+S: 3Eは安定供給、経済効率性、環境適合、Sは安全性のこと。原発は事故が発生すると、出力が急速に低下し、長期停止してしまうため、安定の原則に背馳する。

4月28日、経産省、各電源の発電コストの試算結果を公表。原発が1キロワット時当たり 10.1円なのに対し、石炭火力12.9円、LNG火力13.4円、石油火力30~40円とされる。再エネは陸上風力15~20円、洋上風 力30円、地熱20円、一般水力11円、バイオマス(混焼)13円、太陽光(メガソーラー)15円、太陽光(住宅)14円などとされた。

4月28日、有識者委員会が開かれた。経済産業省が2030年の電源構成(エネルギーミックス)の案を提示した。原子力発電は20~22%、再生可能エネルギーは22~24%、火力発電は56%程度とした。委員会のメンバー14人のうち大半がこの案を妥当と評価。

5.01 吉岡斉・九州大学大学院教授(経産省の総合資源エネルギー調査会原子力小委員会の委員)が経産省案を批判。(東洋経済オンライン

1.「可能な限り原発比率を低減させる」という政府公約にも反する

2.原発比率20~22%は、稼働可能な43基と建設中の3基のすべてを稼働させ、運転期間を原則40年から60年に延長しなければ不可能。案には新増設、リプレースは書かれていないが、実現を狙っているとしか考えられない。

3.電力需要量を決める際の経済成長率の前提(年率1.7%)も過大評価だ。

4.データ自体の信頼性が低い。バックエンド費用(廃炉や廃棄物処理の費用)があんなに安く済むとは考えられない。

5.「ベースロード電源」は一昔前の概念である。それで、実質的に原子力と石炭火力を保護しようとする。これは時代遅れの発想であり、結論ありきの、為にする議論だ。

5月26日、第9回目の小委員会会合。「長期エネルギー需給見通し」の「たたき台」が示される。3委員が連盟で、「原発比率が過大で、再エネ比率が不十分」との意見書を提出。

3委員とは、橘川武郎委員(東京理科大学イノベーション研究科教授)、河野康子委員(全国消費者団体連絡会事務局長)、高村ゆかり委員(名古屋大学大学院環境学研究科教授)の3人。

6月1日、第10回目の小委員会会合。経産省が「たたき台」の文言の一部が修正された「長期エネルギー需給見通し」(案)を提出する。4月28日公表された電源構成案が、概ね了承された。

6月1日 構成案では太陽光の導入量に30年「64GW」という天井を設けた(現在は21GW)。事実上のFIT(固定価格買取制度)の変更。

赤旗経済面の囲み記事で、刺激的な見出しが飛び込んできた。

経産省小委、板根委員長 “原発否定愚か”と暴言

というもの。

「すべてを再生可能エネルギーで賄えれば理想だ。それが見えないなかで、原子力を完全否定するのは、国として全く愚かなことだ」

というのが発言内容。

現在の主力である水力・火力を無視する論理のすり替えはあるが、「暴言」というほどのものではない。

ちょっと前なら「現実が見えていない」と切り捨てたところを、「原発なしに何とか動いている現実」が目前にあるだけに、「未来が見えていない」と言い換えただけのことだ。

むしろ問題発言は、その後の一節にある。

板根委員長は、「原発に100%の安全を求めるのは“安全神話”だ」と主張。「エネルギー全体のバランスから見て20~22%が必要だ」と、まともな理屈抜きに原発に固執する姿勢を示しました。

ここに論理の途方も無いねじれがある。これを聞いた人は、一瞬、唖然として言葉を失ったに違いない。2回転3捻りみたいなもので、訳が分からない。初めて月面宙返りを見た時の、あのめまい感だ。

1.「原発に100%の安全を求めるのは“安全神話”だ」なら、「じゃあ、原発はやめよう」ということになる。

2.“安全神話”を語ってきたのはあなた方ではないか。まず一言謝ってから語れよ!

3.板根氏の言うことは、「危険だけれどやれ」ということになる。1%ならいいのか。人口1億の1%は100万人だ。ちょうど広島がそのくらいだ。家族や親戚が被爆しても、あなたは疎開するからいいのか。

ただ、この引用が発言を正確に写しとったものなのか、記者が要約したものなのか、どういう文脈における発言なのかがわからない。

「新銀行東京」(通称 石原銀行)がついに消滅するようだ。
東京TYフィナンシャル・グループ(Tは東京都民銀行、Yは八千代銀行)に吸収合併されるらしい。
ちょっと経過をおさらいしておこう。
「新銀行東京」は2004年に設立された。石原慎太郎の鶴の一声で決められた。即断で、既存の「BNP銀行」を公有化する手法で発足した。まさに「石原銀行」と呼ばれる所以である。
鶴の一声というと、鶴には失礼かもしれない。「今回出資する1千億円が、やがて数兆の値になる」と記者会見で豪語したのだが、これはほとんど詐欺師の口上に近い。全国銀行協会には非加盟で、ATMも接続していない。東京都の公金収納取扱金融機関にも指定されていない。
東京都が1千億円を拠出して、05年に営業を開始した。しかし中小企業向け融資が相次いで回収不能となり、わずか3年で累積損失が1260億円に達し(経常収益は260億円)破綻した。当たり前である。自治体が融資をやれば議員や有力者が群がる。これが無担保・無保証となれば、食い物にされるのは火を見るより明らかだ。

この時点で東京都の出資分のうち855億円が毀損された。1年あたり300億円である。金融庁は、元行員の不正融資事件を調査、審査管理体制に関する業務改善命令を行なった。

ここで第二の怪が起きた。「東京発の金融不安を封じ込める」「清算したら巨額の損失が発生する」と称して、都は400億を追加出資した。さらに日銀は独占禁止法を無視して、1千億の低利融資による支援をおこなった。

その後はこれらの資金をもっぱら国債・証券買いにあて、その配当金によりバランスシートの改善を計った。リストラが進められ、大手町の本店をふくむすべての店舗が閉鎖された。従前の新宿出張所のみが残され本店となった。ATMは廃止され、本店にはセブン銀行のATMが設置された。
「間口3間」の小商いに縮小して、ほぼ営業を停止したのだから、それなりにバランスは取れるようになった。しかし収益はたかだか年間60億円である。何もしていないのと同じだ。
Shinginko-tokyo
                まさに間口三間の「本店」
都の出資金(追加もふくめ)はそのまま残され、現在は470億円となっている。これがさらに焦げ付けば毀損総額は1千億をこすのではないだろうか。
都民一人あたり1万円だ。かつて美濃部都政の頃、自民党は「無駄遣いだ、バラマキだ」と攻撃したが、これほどの無駄遣いは許すのか。

不思議なのだが、世間一般の常識にあまりにも背馳していないか。弁済責任はないのか。現に東京都に対し、石原慎太郎と旧経営陣に都の出資金分を返還させるよう求める訴訟も起こされている。当然である。
どうして財界・金融界をふくめて石原指弾の声が上がらないのか。批判はしても結局は他人の金だからウヤムヤにするのだろうか。
メディアはなぜ沈黙を守るのか。私もあまりテレビ見ていないのでわからないのだが、石原慎太郎が「申し訳ございません」と言って頭を下げる場面を見たことがない。
ウィキペディアによると、石原は「設立理念は正しかったが、経営がまずかった」としゃあしゃあと言い抜けているそうだ。
経過については東洋経済オンライン08年4月号の「やはり、おかしい新銀行東京 都民は徹底追及を」が詳しい。


4月5日、翁長知事が沖縄を訪れた菅官房長官と会見した。以下の発言はおそらく直後の共同記者会見での冒頭発言だろうと思う。

赤旗にその「要旨」が載っているが、要約とはいえほとんど全文に近い。いっそのこと、琉球新報で全文を見たほうが良いだろう。

文章をご覧になれば分かるように、翁長知事が一番頭に来ているのが、菅長官の「粛々と」発言だ。これだけ法政大学の同窓から言われれば、もう「粛々と」とは言えないだろう。それが今度の会談の最大の成果だ。

リンクだけ張っておこうと思ったが、いずれ消えてしまうので、転載しておく。

翁長知事冒頭発言全文 (聞かせどころのみ抜粋) 

「国を守る覚悟」はどれほどか
…沖縄は全国の面積のたった0・6%だ。そこに74%の米軍専用施設が置かれている。まさしく戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた。それは自負でもあり、無念さもある。
…(菅長官が)どんなに忙しかったかは分からないが、 こういった形で話をする中で、「物事を粛々と進める」ということがあったら、県民の理解ももう少し深くなったと思う。
…たった1県のこの沖縄県に多くの米軍施設を負担させて、「日本の国を守るんだ」と言っても、よその国から見るとその覚悟がどれほどだろうかと思う。
…オスプレイが本土で訓練する話もあったが、残念ながら「基幹基地」を本土に持って行くという話はない。だから、「訓練をしていずれ全て沖縄に戻ってくるのではないか」、そういう危惧は、今日までの70年間の歴史から十二分に感じられる。不安がある。

政治の堕落だ

 今日まで沖縄県が自ら基地を提供したことはない ということを強調しておきたい。

 基地は全て取り上げられたものだ。戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいる所は銃剣とブルドーザーで強制接収されたものだ。普天間飛行場も、それ以外の取り沙汰される飛行場も基地も全部だ。

米国民政府は、1953年4月に土地収用令を発令。立退きを拒否する住民を銃剣でおどし、ブルドーザーで建物をこわして土地の強制収用を行った。ンター
…全て奪っておいて、県民に大変な苦しみを与えて、そして今や普天間は危険だから、その危険性の除去のために「沖縄が負担しろ」と。
 「お前たち、代替案を持ってるのか」と。
 「日本の安全保障はどう 考えているんだ」と。
 「沖縄県のことも考えているのか」と。
こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないか。

 日本の国の品格という意味でも、世界から見ても、おかしいのではないかと思う。


あの「万歳三唱」は何だったのか

 この70年間という期間の中で、基地の解決に向けてどれぐらい頑張ってこられたかということの検証をしてほしい。
…一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の祝典があった。

「日本の独立を祝うんだ」という、「若者に夢と希望を与えるんだ」という話があった。

しかし沖縄にとっては、その日は日本と切り離された悲しい日だ。

そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、「沖縄に対する思いはないのではないか」と率直に思う。
…27年間、サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに米軍の軍政下に差し出された。そして、その27年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。

…その27年間、私たちは米軍との過酷な自治権獲得運動をやってきた。想像を絶するようなものだった。
官房長官と私は法政大学で一緒だが、私は22歳までパスポートを持ってドルで送金受けて日本に通った。あの27年間、沖縄が支えたものは何だったのかなと思い出される。

「粛々」という言葉が想起するもの

官房長官が「粛々」という言葉を何回も使う。僕からすると、埋め立て工事に関して問答無用という姿勢が感じられる。

それはサンフラ ンシスコ講和条約で米軍の軍政下に置かれた、かつての沖縄を思い起こさせる。その時の最高の権力者だったキャラウェイ高等弁務官は言った。「沖縄の自治は神話である」と。「自治は神話」だと。

ポール・W・キャラウェイ(Paul W Caraway)
右は西銘那覇市長

1963年3月5日、那覇市の金門クラブ月例会で、「沖縄住民による自治は神話に過ぎない」と発言し、住民らによる自治を認めなかった(ウィキペディア)


官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、何となくキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される。何か重なり合う感じがして、私たちのこの70年間、何だったのかなと率直に思っている。

プライスさんという人がきて、強制接収された土地を強制買い上げしようとした。

1956(昭和31)年6月9日、下院軍事委員会特別分科委員会のプライス委員長が沖縄の基地、軍用地問題に関する「プライス勧告」を発表。
沖縄基地は①制約なき核基地、②米極東戦略の拠点であるとし、米軍の軍用地政策を承認。これに抗議して「島ぐるみ闘争」が起きる(沖縄公文書館

とても貧 しい時期だったから、県民は喉から手が出るほどお金がほしかったが、みんなで力を合わせてプライス勧告を阻止した。そうやって今、私たちは自分たちの手に基地(の土地)を残している。
このような自治権獲得の歴史を私達は持っている。だから「粛々」という言葉には決して脅かされない。そう思ってい る。

責任はあげて政府にある

上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していく。私は辺野古の新基地は絶対に建設できないという確信を持っている。
こういう県民のパワーには、私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する思いというものが全部重なっている。そして私たち一人一人の生きざまになっている。

菅官房長官の言うように計画が「粛々」と進められるとすれば、その計画のもとで建設することは絶対にできない。「不可能になるだろうな」と私は思う。

建設途中で頓挫することになれば、その後に起こり得る事態は全て政府の責任だ。

世界が注目している。そして「日本の民主主義国家としての成熟度」が多くの国に見透かされてしまう。

辺野古がダメなら、普天間は固定化される?
2003年にラムズフェルド国防長官が「普天間は世界一危険な飛行場だ」と発言した。官房長官は県民を洗脳するかのように言う。「普天間の危険性除去のために、辺野古が唯一の政策」だと。

官房長官にお伺いしたい。「辺野古基地ができない場合、本当に普天間は固定化されるのか」

ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができるのかどうか、ここを聞かせていただきたい。

「沖縄の負担が減る」というのはまやかしだ

一昨年に小野寺前防衛大臣が来た時に聞いた。

普天間が返還され、辺野古に行って(面積が)4分の1になる、嘉手納以南の相当数が返されるという。「それで、どれだけ基地は減るのか」と。

答えは「変わらない」ということ。今の73・8%から73・1%にしか変わらない。0・7%だ。

なぜか。那覇軍港もキャンプキンザーもみんな県内移設だから、4分の1の所に行こうがどうしようが0・7%だ。

官房長官の話を聞いたら全国民は「相当これは進むな」「なかなかやるじゃないか」と思うかもしれないけれど、話はそういうことだ。

安部総理への率直な疑問

安倍総理は「日本を取り戻す」と言っている。私からすると、取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか、率直な疑問だ。
「戦後レジームからの脱却」ということもよく言うが、沖縄では「戦後レジームを死守せよ 」と言われている感じがする。沖縄だけが「戦後レジームの死守」をすることは、本当の意味の国の在り方からいくと納得しにくい。

選挙で示された「県民の民意」は一つだ

菅官房長官は「沖縄県民の民意」を語った。「いろんなものがあってあの選挙を戦ったんだよ」と。「だから(民意は)いろいろあるでしょう」という話だ。

それは違う。沖縄県知事選挙、衆院選挙の争点はただ一つだった。前知事が埋め立て承認をしたことに対する審 判だった。私と前知事の政策に、埋め立て承認以外では違いがなかった。

10万票差で私が当選したということは、もろもろの政策によるものではない。辺野古基地の反対について、県民の圧倒的な考えが示されたのだと思っている。ここをぜひ理解してほしい。


県民の今日までのいろんな思いは絶対に小さくはならない。もっと大きくなって、この問題に関して、話が進んでいくと私は思っている。


というサイトに、「職場にいる怖い女性の特徴9つ」という文章があった。

要旨を紹介する。

怖い女性は職場には一人ぐらいいるものです。あなたの周りの女性と比較しながら最後までご覧ください。

1.キレる女性

一番多い特徴は、感情の起伏が激しく、機嫌がいいときと悪いときが極端です。

感情のコントロールができない、あるいはしようとしないのです。

このタイプの女性は、機嫌のいいときは、不自然なほど愛想がよくなり、満面の笑みでやさしい言葉をかけます。

似たようなタイプで、精神的に不安定で、それを隠すこともせず態度に出してしまっている女性も怖がられます。いわゆるヒステリーです。

周りの人達は、腫物に触るように扱うしかありません。

2.裏表のある女性

人によって見せる顔がまったく違う、というのも怖い女性の特徴です。

上司や得意先などには「女神」のような顔、部下や後輩、特に気に入らない人に対しては「鬼」か「魔女」のような顔を見せます。

仕事はきっちりやるので、上司からの評価は高いのです。

3.平気で嘘をつく女性

虚言癖とまでは言いませんが、嘘を平気でつける怖い女性は、けっしてめずらしくありません。

仕事ミスをしたり、トラブルを引き起こしたとき、わが身かわいさで嘘をつくのです。時として、人を陥れるような嘘を平気でつきます。

ミスの責任を人に押し付けて、自分はその責任を免れようとするタイプ。その嘘によって「被害者」を出すわけですから、もっとも怖い女性です。

4.刺のある女性

発する言葉に常に棘がある女性は、職場では怖がられます。

人のことをあからさまに切り捨てるような言い方をしたり、人を見下した態度でものを言う女性は、きつい印象を持たれてしまいます。

5.略

6.陰口をする女性

表ではどんなに感じが良くても、陰では人の悪口や噂話ばかりしている女性も、職場では怖がられます。

口は災いの元とはよく言ったもので、陰口好きな女性は、「この人は何を言うかわからないから恐ろしい」と怖がられます。

7.略

8.略

9.まだ公式に発表されていない内容をやたらと知っている女性に注意です。

確実に上層部の誰かとつながりがあるので、下手なこと言うと異動させられてしまうかもしれません。


といくつかの類型をあげた上で、

職場にいる怖い女性の特徴はたいてい似たようなものばかりです。

相手のことを考えるという気持ちが欠けているのです。

とまとめている。

まぁ、羅列してみたというたぐいのものだが、人がどういう人を怖いと感じ、どういう人に恐怖を感じるかがおぼろげながら見えてくる。


というのは、赤旗の選挙活動の報道で、電話での対話活動の報告がって、その中に有権者の反応として「安部首相は怖い人だ」という感想が少なからず目についたからである。

そこで「怖い人」というのはどんな人なのか、どんな人に恐怖を感じるのか、というのを少し調べてみて、なぜ多くの人が安部首相に恐怖を感じるようになっているのかを探ってみようと思った次第。

雑談のネタにはなるでしょう。

翁長知事が農水省に提出した意見書が素晴らしい。

赤旗にその概要が載っているが、それでもかなりの長文だ。

5分で読めるように、端折って紹介しておく。

1.執行停止の申し立ては成立しない

県の行ったのは行政処分ではなく行政指導である。沖縄防衛局は「行政処分だ」と申し立てているが間違いだ。したがって執行停止の申し立ては成立しない。

2.沖縄防衛局には申請人の資格はない

沖縄防衛局は一般国民のような顔をしているが、これは間違いだ。「申し立て」制度は一般市民を保護するためのもので、国の機関たる沖縄防衛局には申請人の資格はない。

3.防衛局は代執行に訴えるべきだ

県の手続きに不満があるなら、地方自治法に定められた代執行に訴えるべきである。なぜなら、岩礁破砕の許可は県の法定受託事務にすぎないからだ。

4.45トンのコンクリート塊は「アンカー」ではない

船舶の投錨は認められているところだが、45トンのコンクリート塊は投錨のレベルを越えている。これは常識的にも、岩礁破砕に該当しうる。

ここからは1項がかなり長くなるので、かなり端折っていく。

5.「アンカー」と称すればいいのか

投錨程度なら申請が必要ないことは確認されている。しかし沖縄防衛局は「アンカーと称すれば、いかなる巨大なものであっても申請の必要はない」とすり替えている。

6.ボーリング調査の停止を求める理由

現在実施されているボーリング調査の停止を求める理由は、許可区域外で巨大コンクリート塊が投下されているのとボーリング調査が一体ものと考えられるからである。さらに施工者が県の調査のもとめに十分対応してこなかったことを理由としている。

7.手続き不要なケースには当たらない

沖縄防衛局は、岩礁破砕の手続きが不要なケースを紹介しているが、申し立てに必要な根拠は示されていない。具体的にはその海域の漁業権の有無、アンカーの重量等である。

8.県は権限を乱用したか

沖縄防衛局は「被害の規模に比すと、県の措置は著しい権限乱用」と主張している。許可を受けた区域の外周約10キロまで数十個のコンクリート塊を投下するのは軽微とはいえない。それは関係漁業諸法の趣旨を軽視するものである。

次の第9項は意見書のキモで、翁長知事の意見もあり、かなり長い

9.普天間とのリンクは許されない

沖縄防衛局は工事が停止されれば普天間返還が遅れ、日米関係にも問題が生じると主張している。

①国土の0.6%しかない沖縄に米軍基地の74%が存在する現状は異常としか言いようがない。

②米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因となっている。このことは明確だ。

③安全保障はだいじだが、日本国民全体で考えるべきだ。

④沖縄県民と普天間住民の民意は明確だ。それは移設による基地負担の継続ではなく、負担の否定である。

次は原文そのまま

それにもかかわらず、政府の一方的論理によって、辺野古移設を「唯一の解決策」であると決めつけて、普天間飛行場の負担の大きさを執行停止の理由として述べることは、悲しいことだが、沖縄県民の痛みを感じない、感じようとしない政府の姿勢があることを、本土の皆様に知っていただきたい。

10.「日米関係の悪化」論はナンセンス

「日米関係の悪化」という主張についてだが、国内法の許可手続きを経て実施させることがなぜ関係悪化につながるのか。

日米関係が悪化するから、日本国内法に基づく必要な許可を得ないままに作業を続行させて良いというのであれば、それは主権を持つ一つの独立国家の行動ではないと断じざるを得ない。

11.非は沖縄防衛局にある

沖縄防衛局は許可の申請や協議を行うことなく、工事を続けてきた。その結果、県自身が調査を行わざるをえない状況に陥った


以上の点から、

沖縄防衛局の申し立ては不適法であって、却下されるべきである。

仮に申し立て自体が適法であったとしても、明らかに執行停止の要件を欠如している。

よって沖縄防衛局の申し立てはすみやかに棄却されるべきである。

本日の赤旗5面に「残業代ゼロ制度」に関する日弁連集会の記事が載っていた。

米国の実態が報告されたというので注目して読んだが、例えば図表が1999年のもので、イマイチの感がある。

そこで少しネットで調べることにした。

まずは「ホワイトカラー」というサイト。ただしこの解説では不足するため、注釈を挿入した。

位置づけ

最初に呼称問題に触れている。

厚生労働省労働政策審議会では、ホワイトカラー・エグゼンプションという呼び名で審議されていますが、アメリカに於いてこういう呼び方は、一般的ではありません。

そもそもアメリカではホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者を差別してはいけないと言う、暗黙の了解があり、ホワイトカラーとは言わないことになっています。

Exemption とは、免除あるいは適用除外という意味で、労働基準法(FLSA)の適用を除外されることを示す。
 
公正労働基準法(FLSA)は、労働基準法ではなく、企業間競争の公正(Fairness)を確保する目的の法律である。(小川英郎さん)

一般的にはエグゼンプト労働者とノン・エグゼンプト労働者と読んでいます。

ノン・エグゼンプト労働者は1週間に40時間を越える労働をした場合には、残業手当として時間あたり50%増しの対価が得られます。エグゼンプト労働者とは1週間に40時間以上の労働をしても、残業手当が付きません。

適用範囲

適用範囲は3つの職種に分類されています。「管理職」「基幹事務職」「専門職」です。
 

これも不正確。米政府によるとホワイトカラーの88%が「残業料ゼロ」となっている(週刊東洋経済)
例えば、バーガーキングの副店長など、専門職・管理職といえない人たちが、割増賃金の支払い対象から合法的に除かれている。(小川さん)
管理職として除外された人は、管理業務は1%ほどで、残りの99%は商品棚の前での作業など、管理的な業務とは無関係の仕事をしています。(三浦直子弁護士)

週給455ドル以上がホワイトカラー・エグゼンプションの対象になっています。年収でみると280万円です。

週給455ドルという金額は、国際調査局が定める4人家族の貧困ライン以下の金額だ(三浦直子弁護士)

このへんから説明は怪しくなってくる。

実際にはその様な低賃金でのホワイトカラー・エグゼンプション対象者はわずかです。
 

これも不十分な記述である。1999年の統計では、全労働者の21%がエグゼンプトとされている。適用除外規定の詳細は労働長官が作成する規則に委ねられれている。(ドイツでは、適用除外の対象労働者は2%にすぎない)

別なところでは、「エグゼンプト労働者はおおむね年収が高く、最低でも500万円以上の年収があります」と書いてあるが、数字で示されているわけではない。


ネットで記事を探していると、結構イライラしてくる。

知ったかぶりのアメリカ生活者が、生活習慣や労働慣行の違いをことさらに取り上げて、ご高説を垂れるような記事ばかりだ。

だいじな数字は年収280万円以上で対象になってしまうということ。全労働者の21%が残業代ゼロを強制されているということ。ホワイトカラーの88%が「残業料ゼロ」となっていること。

聞きたいのは米国の伝統でも、ウエイ・オブ・ライフでも、ましてやあなたの感性でない。

もっと統計で、それも都合のいい数字でなく、文句のないマクロの数字で物を言って欲しい。そうでないとあなた方、アメリカでは生き抜けないのではないですか?

そのうえで、どうしてアメリカがこんなひどい状況になってしまったのか、その分析に踏み込むべきでしょう。

「この期」とは「どの期」だ

翁長知事が、およそ考えられる最強硬な手段に打って出た。

1.防衛局による海底ボーリング調査を中断せよ

2.指示に従わなければ岩礁破砕許可を取り消す

というものだ。

これに対し菅官房長官は

「この期に及んではなはだ遺憾だ」

と述べた。

ここで「この期」というのが、どういうものなのか、整理しておく必要がある。


昨年8月末、仲井真前知事が突如、海水面埋め立てのためのボーリング調査を認め、そのためにボーリング調査海域の岩礁破砕許可を出した。

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その直後、沖縄防衛局が臨時制限水域(ボーリング調査実施海域)の境界を示すブイやフロートを設置した。そしてブイを固定するためのアンカーを海底に設置した。その数は約250個、1個あたりの重さは百数十キロである。

ところが、昨年10月の台風で、これらのアンカーのうち半数が、波に流され消失した。アンカーが海底を傷つけた痕跡も多数見つかった。

今年の1月、防衛局は新たにコンクリートブロックを大量に投下した。これは流されたアンカーに替わるもので、数十トンの巨大なもの。

アンカーについては説明が必要だ。境界線上にブイやフロートを設置することは違法ではない。それが違法ではないということは、ブイやフロートを固定するためにアンカーをつけることも違法ではないということだ(海底を大きく傷つける危険がないことが条件だが)。
政府側はこの点を主張している。
しかしそれらの多くは台風で流されてしまった。そこで流されないように「巨大なアンカー」をドカンドカンと投入したわけだ。問題はこれを「アンカー」と呼べるかどうかということと、海底を傷つける危険性が受容可能なレベルかどうかということになる。

その直後から、コンクリートブロックが、サンゴ礁を破壊している状況が多数観察・報告された。ブロックによって海底面が削られている場所も見つかった。いずれも岩石の掘削や土砂採取など、岩礁破砕に関する県の許可の区域外だった。

この情報を受けた沖縄県当局は独自の情報収集に乗り出した。

2月末、沖縄県は海中に投入した大型のコンクリート製ブロックが、サンゴ礁を傷つけているのを潜水調査で確認したと明らかにした。

潜水調査

2月26日、辺野古沿岸部の潜水調査を行う県の職員ら(手前)

翁長知事は「許可区域外に、無許可でコンクリートブロックが設置され、岩礁破砕行為がなされた蓋然性が高い」と認定した。そして米軍に対し立ち入り調査を要請した。

しかし米軍は、調査対象海域が臨時制限水域であり、「運用上の妨げになる」という理由で、沖縄県による調査を拒否した。沖縄防衛局は、「ブロック投入は岩礁破砕に当たらないため問題ない」と主張した。

その直後、沖縄防衛局は、台風以来中止されていたボーリング調査を再開した。

今回、翁長知事の「許可取り消し」というのは、昨年8月に仲井真前知事が出した「岩礁破砕許可」の取り消しということである。

許可取り消しの法的根拠となるのは、沖縄県の「漁業調整規則」である。これは漁業法や水産資源保護法などに裏付けられている。

この規則では「公益上の事由により県知事が指示した場合は、その指示に従う」ことが求められている。

第39条 漁業権の設定されている漁場内において岩礁を破砕し、又は土砂若しくは岩石を採取しようとする者は、知事の許可を受けなければならない。

2 前項の規定により許可を受けようとする者は、第9号様式による申請書に、当該漁場に係る漁業権を有する者の同意書を添え、知事に提出しなければならない。
3 知事は、第1項の規定により許可するに当たり、制限又は条件をつけることがある。
国がこれに対抗するとすれば、不服審査請求などを申し立てなければならなくなり、その間は工事の続行は不可能となる。(政府がこの道をとるか否かは不明だが)

つまり「この期に及んで」と言われるべきは政府の側なのだ。

16日のロシア国営テレビがプーチンとのインタビューを報道した。
このインタビューの中身をめぐって若干の混乱があるようだ。
共同通信ウラジオの通信員の記事が配信されている。そこではこうなっている。

1.クリミアはロシアの歴史的な領土で、そこに居住しているロシア人が危険にさらされていた。彼らを見捨てることはできなかった。

2.昨年2月にヤヌコビッチ政権が崩壊した際、ロシアは核戦力を戦闘態勢におく準備を行った。状況がどのように展開しても相応の対応ができるよう指示した。

3.クリミア編入に際し、ロシア軍2万人以上を動員し、大量の地対空ミサイルなどで半島を要塞化した

一方赤旗に掲載されたモスクワ発の時事通信では、
1.プーチンはクリミア軍事介入の際に核戦力を使用できる臨戦態勢に入る用意もあった。
2.ただ、軍事専門家は核臨戦体制を主張したが、プーチンはこれを却下した。
となっており、ずいぶん様子が違う。おそらくは時事通信のほうが聞き違いではないかと思う。プーチンが言う核戦力は、欧米諸国が干渉してきた時に対抗する戦略核のことであろう。
クリミアで実際に戦術核を使うということではないだろう。
毎日新聞の田中特派員も、「クリミアを一方的に編入した際、核兵器の使用を準備していた」と書いている。
赤旗は時事通信の配信を使って「核使用を準備」と横見出し、縦に「クリミア介入時」と並べた。
時事がそう書いたのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、勇み足といえば勇み足。
さらにリード記事で
プーチンはクリミアを併合する際、核兵器を使用する準備をしていたことを自ら明らかにしました。
とまで踏み込むと、さすがに実態とはかけ離れてくるようだ。
もちろん、プーチンの発想は冷戦思考剥き出しのとんでもないもので、糾弾に値する。しかし記事はちょっと跳ねすぎのようだ。
この見出しなら本来は一面トップだろう。しかし欧米通信社は意外に冷静のようである。


そろそろ出てくるだろうと思ったが、案の定出てきた。
公明党・創価学会の謀略ビラだ。
bouryaku
今のところは「内部資料」だが、終盤になれば全戸配布でもやるだろう。
「無責任、嘘つき、ひとりよがり」の3点セットは健在だが、
共産党に「安倍暴走ストップ」はできない は思わず吹き出してしまう。
もうひとつ、
共産党に「身を切る議会改革」はできない
は、ちょっと気になる。
このあいだのサンデーモーニングでも、大企業の刺客たる寺島氏が定数削減を声高に叫んでいた。
ひょっとすると、彼らは「争点化」するつもりかもしれない。
身を切りたいなら、政党助成金を返上すれば良い。明日からでもできる。
残念ながら、公明党・創価学会の言う通り、共産党は「身を切る改革」はできない。
なぜなら最初から政党助成金などもらっていないからだ。
と言ってしまえば話は終わりになるのだが、それでは斬り込み不足だ。
もう一つ、定数削減するのが小選挙区ではなく比例区だということを強調すべきだろう。
小選挙区制施行後の議会の劣化が叫ばれるいま、比例区削減は議会の自殺行為だ。
共産党は議会から閉めだされる。
それでいいんですか? 安倍暴走は誰がストップするのですか?
ということだろうね。

辺野古基地建設が危機に陥った

辺野古現地で頑張っている人たちの力と、沖縄県民の団結、県知事の毅然たる姿勢の前に、辺野古基地建設は危機に陥っている。

ここ数日で、2つのアキレス腱が露呈された。

1.法的瑕疵の問題

この発言自体にどれほどの重みがあるかは別だが、菅長官が12日の記者会見で言った言葉

瑕疵があれば別だが、なければ粛々と進める

これについて赤旗(竹下記者)は、

瑕疵を認定されれば工事を止めざるをえないと認めた発言です

と切り返している。

紛糾すれば「食言」として対応せざるをえないだろうが、心理的にはそこまで追い詰められているという証拠だろう。

菅長官が「瑕疵はない」と強弁するのは、仲井真知事が埋め立て承認を出したということに尽きる。しかしこれだけの県民一致した反対を押し切るのに、前知事の出した古証文を振りかざすだけでは、たとえ瑕疵はなくても無体である。

もう一つは、証文そのものに瑕疵があるかも知れないということだ。

翁長知事と県側は、岩礁破壊の許可書はサンゴ礁の破壊は認めていないとし、サンゴ礁の破壊があれば岩礁破壊の許可を取り消すと主張している。

「ベニスの商人」の理屈と同じで「肉1ポンドは与えるが、血の一滴も奪うことは許さない」という、ちょっと屁理屈っぽい話になる。

この場合の「瑕疵」は、県の第三者委員会が判断することになっている。ここがみそだ。

古証文の瑕疵を判断する主体は県側にある。なぜならそれを出したのは県知事だからだ。菅長官にあるのではない。「瑕疵があれば」云々はいかにもまずかった。

2.米軍の調査拒否

これは一発アウトだろう。決定的にまずい。日本政府の頭越しをやってしまった。

県はサンゴ礁の状況を確認するため、米軍が管理する立入禁止海域内での潜水調査を求めたが、米軍は「運用の妨げになる」との理由で拒否した。

というのが経過だ。

そもそも認可の条件がサンゴ礁の保護にある以上、認可を出した県側の調査を拒否するいわれはない。日本の法に従えば、控えめに見ても公務執行妨害である。

アメリカの法に基づいて拒否したのなら、アメリカの法に訴えればよい。どこかの連邦地裁に提訴すれば、黒白ははっきりする。

「残念ながら日本政府との安保条約に基づいて行動している以上、政府からの直接要請でない限りご要望にお応えできない」と言うべきだったのだ。

そもそもアメリカ軍が日本の地方行政府と直接対立してはならないのだ。それは日米安保条約の本分にもとることになる。安保条約がなければ、アメリカ軍はヤクザ集団と選ぶところはない。


まずは再度、再々度、調査の申し入れをすることだろう。調査ができないこと自体が「検証不能性」という「瑕疵」となってのしかかるのは米軍の方だ。

翁長さんは何度でもお願いすればよい。「運用の妨げになるようなことはしませんから」といえばよいのだ。なんなら、アメリカ軍の司令部の前で土下座してお願いしてもよい。

そうすれば、何が「運用の妨げ」になるのかが明らかになる。なぜ「お願い」しなければならないのかも明らかになる。


このところ赤旗を読むヒマがない。読み始めると必ず引っかかってしまうからだ。

昨日は西尾勝さんだったが、今日は、北岡伸一さんの発言が気になって止まらなくなった。

記事は一段で、二面の右下にひっそりと載っているのだが、北岡さんがいよいよ安倍政権との対立を露わにし始めたという点ではかなり注目だ。

まずは記事の紹介。

北岡さんは国際大学の学長だが、安倍首相の諮問機関「戦後70年談話に関する有識者会議」の座長代理という、いわば最強の安倍ブレーンだ。

この北岡さんがシンポジウムで下記のごとく発言した。

侵略して悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺してまことに申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば99%そう言う。

私は安倍さんに“日本は侵略した”と言ってほしい。

戦後70年経って、“謝罪のほうが談話の中心に来るかどうかがキーだ”というメディアには私は違和感を覚える。

記事はこれだけだ。

私もこれにほぼ同感だ。ひとつは謝罪ということではなく、侵略の事実を認めることがだいじだということだ。何が申し訳ないのかを明らかにした上で謝罪すべきだということだ。

悪いことをした会社が記者会見をやって、土下座して謝ったりしているが、そういうことではないのだ。謝るべきは「世間をお騒がせした」ことではない。形ではなく中身だ。

そのうえで大事なことは、戦後70年、日本が平和に徹してきたことだ。誇りを持っていい。そこをもっと強調すべきと思う。

その上でこれからも平和の思想を貫いていくことを明確にすること、これが最重要ポイントだ。これが今の日本人の大多数の心持ちではないか。

北岡さんはそういうことを言っているのだろう。勘ぐれば、「観測気球」かもしれないが、この際詮索はしないでおこう。

集団自衛権論者でもある北岡氏は、過ぐる戦争を侵略と規定することにより、今後の中国の膨張主義に対し、日本が「民族の自衛権」を発動する根拠が成立すると考えているようだ。

*2013年07月23日

もご参照ください。

http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/closeup/closeup01-3/closeup03.html

内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  地方分権改革  >  分権クローズアップコーナー  >  分権クローズアップ[有識者へのインタビュー]  >  第1回 西尾勝氏インタビュー


西尾勝さんによるこの20年間の地方分権の議論のまとめである。戦後改革との関連で見れば言いたいことはたくさんあるが、それなりに政府部内での議論の経過はよくまとめられており、説得力もある。地方選挙を間近に控えたいま、学ぶべきことは多い。


地方分権改革の総括

地方分権改革は、1993年の国会による地方分権推進決議から始まった。

それは1980年代以降の行政改革の流れと、1989年のリクルート事件に端を発した政治改革の流れとが合流したものだった。

それ以降の地方分権改革は行政改革の流れに便乗して進められてきた。そこでは政治改革の流れは忘れられがちになった。

地方自治の拡充を目的にした地方分権改革と、行政の減量・効率化を目的にした行政改革とは本来は一致しないものだ。ときには対立し合う側面も持っている。

道州制構想の問題は、地方分権改革と行政改革との矛盾が、衝突する可能性のあるテーマではないか。

地方制度改革の歴史と「所掌事務拡張路線」

戦後の地方制度改革はシャープ勧告・神戸勧告に始まった。その後、

1.国・都道府県・市町村の間の事務配分及び税財源配分の見直し

2.事務移譲の「受け皿」を再編成すべく、町村の合併あるいは特別市制の実現などが図られた。

3.その延長線上に、道州制の実現が繰り返し論じられ続けた。

総じていえば地方公共団体が所掌する事務を拡張していこうとする「所掌事務拡張路線」が一貫していた。

いわゆる「第一次分権改革」

93年に地方分権推進委員会が最初に設置された。

この委員会では、自由度拡充路線に属する改革を基調とし、事務の配分はそれほど大きく変えないで、裁量の余地、自由度をできるだけ広げようとした。

その結果、住民自治の側面の拡充よりは団体自治の側面の拡充に偏り、所掌事務拡張路線よりは自由度拡充路線に偏る結果となった。多くの課題が未完のままに残された。

「第一次分権改革」で将来に残された課題

地方分権推進委員会は2001年に最終報告を出して解散した。ここで上げられた課題は以下の6項目である。

1.地方税財源の充実確保。

2.法令等よる義務付け・枠付けの緩和。

3.事務権限の移譲。

4.地方自治制度の再編成。

5.住民自治の拡充

(6.は書かれていない)

このうちの1と2は、「自由度拡充路線」に属するものであり、3と4は「所掌事務拡張路線」に属するものである。

いわゆる「三位一体の改革」

「第一次分権改革」のあと、、いわゆる「三位一体の改革」が始まった。これは小泉内閣が政治主導で進めたものだった。それは自由度拡充路線の実現を目指すものだった。

2006年に地方分権改革推進委員会が設置された。それは地方分権推進委員会の最終報告の「1.地方税財源の充実確保」を念頭に置きつつ、「2.法令等よる義務付け・枠付けの緩和」に進もうとした。

しかし、残念ながら、所期の意図に反する結果になって挫折したと言わざるを得ません。

「歳出歳入一体改革」から道州制論へ

この「三位一体の改革」はまもなく挫折した。その後、小泉内閣の末期の経済財政諮問会議が「歳出歳入一体改革」を掲げ、その方策として国の出先機関の原則廃止という方針を打ち出した。

続く第1次安倍内閣では、道州制ビジョン懇談会が打ち出された。

要するに、国の側も地方公共団体の側も、急速に所掌事務拡張路線に舵を切り始めた。

(議論が荒廃し始めた。地方税財源の充実確保、あるいは住民自治の拡充という共通のプラットフォームは失われた)

全国知事会は、国から都道府県に、または広域連合なりへ事務移譲を進めるよう強く要請し始めた。指定都市市長会は、指定都市を都道府県から独立させる「特別自治市構想」の実現を要請するようになった。

「所掌事務拡張路線」への批判

所掌事務拡張路線は、国と地方公共団体の間の激しい意見対立を生まざるを得ない。さらに地方公共団体の間でも、都道府県と市区町村の間の意見対立が先鋭化せざるを得ない性質を持っている。

それだけに、所掌事務に関する議論は殊更に慎重かつ綿密な検討が求められる。

全国知事会は「出先機関の原則廃止」や「丸ごと移管」を唱えるが、いささか議論が乱暴になっており、もう少しきめ細かい詰めが必要ではないか。

特別市構想や都制構想、道州制構想は戦前から繰り返し浮上しては消えてきた。それは素朴な着想の域を出ていない。

あらゆる懸案事項を一挙に解決できるといった万能薬のような制度改革構想など存在しない。そのことをまず確認すべきではないか。

地方税財源の充実確保こそが最優先課題

依然として、「残された課題」のうちの最優先課題は、地方税財源の充実確保である。

財政再建の過程で、いかにしてこれを実現していくのかは大変難しい問題だ。にもかかわらず、最重要課題であることもまちがいない。

消費税の増税という過程で行うことは既にもう無理になっていると思う。将来どのように変えるべきかを、今から双方が検討しておくべきだろう。

土曜の赤旗の4面、いつもは流していくところだが、「平成の大合併失敗」という記事がふと目に止まった。

参議院で「国と地方の関係(これからの地方自治)」という参考人質疑が行われた。

ここに出席した東大名誉教授の西尾勝さんという人が注目すべき発言を行っている。記者は、この発言に相当感心したらしく、長文の引用を行っている。

当時は平成の大合併を推進する立場だったが、結果を見ると大失敗だったと言わざるをえない。それぞれの地域の自治を守る方策を考えるべきであった。

さらに発言は続く。

自分自身は道州制について慎重論者であり、現在国会で議論されている道州制議論には反対だ。

何でも自治体に権限を下ろせばいいというものではない。国に残す権限と地方自治体に下ろす権限の分け方をしっかり考えるべきだ。

「自治体数が多すぎるのでさらなる合併を進めよう」という議論があるが、それは非現実的だ。それは平成の大合併の失敗を繰り返すことになる。地方自治体からの反発は避けられない。

というのが、記事に載せられた西尾発言の大要だ。

正直なところ良く分からない。

ただ推進論者だった人が、自ら「大失敗」と総括するのは相当深刻なことだろうと察しはつく。

ウィキペディアで調べると、この西尾さんという人、かなりの大物のようだ。

私より8つほど年上、1974年東京大学法学部教授。退官後、地方分権改革推進委員会委員。第27次地方制度調査会副会長。第30次地方制度調査会会長。2007年日本学士院会員。

この経歴から考えると、地方分権推進派であり、その流れの上で「平成の大合併」も支持したが、結果的には間違いだったと反省していることになる。


発言をチェックしたところ、なんと内閣府のホームページに長大なインタビュー記事が掲載されている。それも平成25年9月30日という最近の記事だ。

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中身は稿を改めて…

植村さん励ます会に参加しました。その時に配られたタイムテーブルがあります。

A4裏表に、かなり細かく経過が記載されていますが、ちょっと読みにくいので、事実問題に絞って、端折って転載します。

と言いつつ、やはり書き足したくなるので、ネットから情報を拾って追加。

1.記事の掲載の経過

植村隆さんは1958年生まれ、1982年に朝日新聞に入社している。

1991年8月、当時朝日新聞の大阪本社勤務だった植村さんは、ソウル支局から慰安婦の一人(金学順さん)が体験を証言したという情報を得た。上村さんはソウルで取材の上、署名入り記事を掲載した。同じ記事は翌日全国版にも掲載された。この時は金さんは匿名であった。

記事によれば、「韓国挺身隊問題対策協議会」が、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した、とされる。
植村さんは延世大留学の経験があり、韓国語も堪能だったことから、取材を担当することになったものと思われる(本人談)。
妻は韓国人だが、この時点では無関係。したがって義母とも無関係。

数日して、今度は金学順さんが名乗り出て記者会見を行った。そのあと北海道新聞が金学順さんとの単独インタビューを行い。報道した。金学順さんは日本政府の提訴に踏み切った。

これ以上の取材は無理だと思い、大阪へ帰ったのです。しかし数日後、金学順さんが名前を出すことを決意した。それを北海道新聞にスクープされてしまったんです(本人談)

2.その後の植村さんの足どり

その後、植村さんは大阪本社からテヘラン支局、ソウル特派員、外報部などを歴任し、2009年から北海道報道センターで勤務した。1992年以降、朝鮮人慰安婦に関する記事はまったく書いていない。

そして朝日新聞勤務を続けながら、2012年からは北星学園大学の非常勤講師に就任している。

13年12月には、神戸松蔭女子学院大学に公募採用された。この時専任教授として雇用契約を結び、引っ越しの準備に入った。朝日新聞は退社の予定であった。

3.週刊文春による攻撃開始

集中攻撃は14年の1月末に始まった。

1992年から、西岡力氏は記事の「事実誤認」を指摘(文藝春秋)していたが、98年ころから「事実誤認」ではなく「捏造」と呼ぶようになったという。呼び変えの根拠は目下不明。(提訴状による)
西岡氏は、「植村が強制連行と書いたから捏造だ」というが「連行」としか書いてない。“強制”は西岡氏の捏造だ。(本人談)

週刊文春の2月6日号に植村さんを攻撃する記事が掲載された。見出しは「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」というもので、当初より“捏造”のレッテル貼りが行われていた。

報道の直後から松蔭には植村さんの解任をもとめるメールなどが殺到した。これを嫌った松蔭は植村さんに就任辞退を求め、話し合いの結果、3月に契約は解除された。メールに脅迫的内容があったどうかは不明。

その後、捏造攻撃には櫻井よしこ氏も加わった。彼女は各誌に論文を掲載し、さらに自らのホームページに転載。捏造との批判を繰り返した。

「櫻井よしこ植村隆と吉田清治にガチキレ!!朝日慰安婦問題でほえまくる!! 」というyoutubeがあったが、残念ながら現在は閲覧不能となっている。

4.北星への攻撃

5月初めころから、北星に植村さんの解雇をもとめるメール、電話などが本格化した。右翼は北星を次の標的とすることで意思統一したようだ。5月末には最初の脅迫文も届けられる。

週刊文春の8月14日号が植村追い出しキャンペーンの第二弾。見出しは「慰安婦火付け役、朝日新聞記者は、お嬢様大学クビで北の大地へ」とさらにえげつなさをアップした。ほぼ同時にyoutubeにも大学との問答を録音したファイルがアップされた。これは「はだしのゲン」問題で松江の教育委員会を脅した在特会のやり口(威力業務妨害)と瓜二つである。

これを機に、北星への電話やメールによる攻撃は一気にヒートアップした。

高校生の娘の顔写真がネットにさらされ、「反日活動で稼いだカネで贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」と書かれた。長男と同じクラスの同姓の子まで顔写真がさらされた。週刊誌の記者が自宅に張り付いて盗撮したり、近所に聞き込みをかけた。(本人談)

そしてついに爆弾騒動が持ち上がるのである。

9月12日、北星へ電話があった。「まだ勤務しているのか。爆弾を仕掛けてやるからな」という内容で、どこからどう見ても立派に犯罪である。

ほぼ時を同じくして、帝塚山学院大学にも脅迫状が届いた。松蔭、北星に続く第三の標的である。この大学にも朝日新聞の記者だった人がいて教授を務めていた。「止めさせないと爆破する」との脅迫を受けた教授は、その日の内に辞職した。

10月には桜井氏が週刊新潮で植村叩きの挙句に、大学攻撃を焚きつけるかのような相当際どい表現に踏み込んでいる。

年配の人なら、およそ全員が両者は別物と知っていたはずだ(“はずだ”ではすまない。捏造というからには証明しなければならない)
女子挺身隊と慰安婦を結びつける虚偽の記事を書いた植村氏は…捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける…。
教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿か…

とりあえず、上げておく。

議論のキーポイントは、年配の人なら、およそ全員が両者は別物と知っていたはずだ  というところにある。

韓国では年配の人は挺身隊イコール慰安婦と考えていたから、救援組織が「挺対協」と名乗ったのではないか?

これは誤用か否かの分かれ目だ。誤用であった言葉が慣用となり、辞書にも載るようになるというのは良くあることだ。韓国で慣用されていたのなら、誤用ではなくなる。

しかしそれは捏造か否かの分かれ目ではない。

1.挺身隊と慰安婦はそもそも別物である。

2.しかし当時の韓国では慰安婦を挺身隊と呼ぶのが一般的だった。これは世をはばかるための方便だったのかもしれない。

3.それを広義で「誤用」ととったとしても、そのことについて記者に責任はない。まして「捏造」という根拠にはならない。

4.吉田論文と結びつけるのは牽強付会であり、植村さんが吉田論文を批判していた事実と著しく背反する。

ということで、どうやら“誤認逮捕”に近い様相を呈している。右翼の諸君は相当逆ねじを食らわされることになりそうだ。

それにしても、一般市民を相手に、“誤認逮捕”であろうと“便乗攻撃”であろうと、やりたい放題のやり得で、やられる方はやられ放題の泣き寝入りというのは、法治国家としてあるまじきことだろう。

これでは文化大革命のときの紅衛兵と同じではないか。「守旧派だ!」と叫べば何でも許される状況が日本で再現されようとしている。立法・行政サイドの無作為が問われるきわめて深刻な事態だ。


ビキニ核実験 被爆年表を作ってみての感想

ビキニの水爆による被爆は「被曝」と書くべきではない。まさにそれは被爆そのものであった。

実体論的にそれは核爆弾の破裂による直接の被害であった。

もちろん殺意があったと言っているわけではない。「未必の故意」もなかったと信じたい。

兵器、とくに核兵器は「殺意」の塊であるが、そういう抽象論議にふけるつもりもない(そういう議論も大事だが)。

言いたいのは、「核実験は問題なく終わったが、その副産物としての死の灰が周辺の人々に被害を与えてしまった」というふうに問題を分けることはできないということである。

事実問題としてそうなのである。これはたんなる事故ではない。

それが発掘された調査によって明らかになった。第五福竜丸は偶発事件ではなかった。それはアメリカが隠しきれなかった露頭だったのだ。

ビキニで爆発した水爆は周囲数百キロに及んでその威力を発揮した。熱戦、爆風、そして放射能も含んで核爆弾の威力というものはあるのである。

周囲数百キロ以内にいた人々の中で第五福竜丸はとりわけ危険なゾーンにいたから高い発症率を示したに過ぎない。少なくとも結果論としては、米軍は水素爆弾により久保山さんを殺したことになる。

そしてそれからが悪い。第五福竜丸を切り離し、偶発的な事故のように見せかけつつ、その後さらに5発の水爆を爆発させたのである。

これはもう「未必の故意」もへったくれもない。悪意としか言いようがない話ではないか。

1946年 アメリカ軍太平洋の島での核実験を開始。58年までにビキニ環礁やエニウェトク環礁で計67回の核実験を行う。

1954年3月1日3時42分 アメリカ軍、ビキニ環礁で水爆実験をおこなう。この日を皮切りに、5月まで計6回、計48メガトンの核実験が行われた。作戦名は「キャッスル作戦・ブラボー」

アメリカ軍は水素爆弾の威力を4 - 8メガトンと見積もっていたが、実際の威力は15メガトンに達した。


3.01 マーシャル諸島近海において操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」は放射性降下物に被曝。アメリカが設定した危険水域の外であった。

延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受ける。船員23名は全員被爆した。

3.01 第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していた。放射性降下物を浴びた漁船は数百隻、被爆者は2万人を越える。

3.01 漁船の乗組員の他に、ロンゲラップ島民86名、ウトリック島民157名が被爆。ロンゲリック島で実験を観測していたアメリカ兵28名も被曝した。

3月 各地で水揚げされた魚に放射能が発見される。検査は船体とマグロについて行われ、人体の検査記録は除外されていた。

3月当初、放射能に汚染されたマグロの部位は内臓やエラであったが、8月以降になると肉や骨からも放射能が検知されるようになり、特に半減期が30年と長いストロンチウム90などに汚染。「ビキニ事件の内部被ばくと福島原発被災のこれから」(山下生寿)より

4.22 米国家安全保障会議の「作戦調整委員会」 (OCB)、「水爆への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」を起草。事件のもみ消しを図る。

1.日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響とする。
2.放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、病理解剖や死因の発表については日米共同で行う。
3.(そのような事態への)準備も含め、非常事態対策案を練る

5月 日本政府の調査船・俊こつ丸が第1次調査。ビキニ環礁150キロのところに最大汚染水域を発見。

海水の放射線量は7000カウントをこえ、水しぶきを浴びるだけでも危険という状態で、プランクトン(10000カウント)も魚(かつおの肝臓48000 カウント)もすべて汚染されていた。汚染海水は、深さ100メートル、幅約10キロから100キロのベルト状になってゆっくり西方に流れていた。
ビキニ事件の内部被ばくと福島原発被災のこれから」(山下生寿)より

9月23日 久保山愛吉さん(無線長)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と言い遺して死亡。日本人医師団は死因を「放射能症」と発表。米政府は「放射線が直接の原因ではない」とし、謝罪せず(現在まで)。

直接死因は急性肝機能障害であった。これは注射や輸血などで医原性にウィルス感染したと考えられる。同様の肝障害は第五福竜丸の被災者17名にも発生しており、たしかに一般被爆者に比しべらぼうな発症率である。

12月 鳩山内閣が成立。年内いっぱいでマグロの放射能検査を打ち切る。アメリカ原子力委員会の主張を受け入れたものとされる。

1955年

1月 「日本政府はアメリカ政府の責任を追及しない」確約を与え、「好意による見舞金」として、200万ドル(当時約7億2000万円)が支払われた。

見舞金は第五福竜丸だけに支払われ、一人当たり200万円に達した。他の漁船からのやっかみがあり、乗組員は仕事を離れざるを得なくなった。

8月 広島で第1回原水禁世界大会が開かれる。

1956年 旧厚生省、延べ556隻の漁船の被ばく状況調査を元に、「(第五)福竜丸以外には、特に放射能症を認められる事実のないことが明らかとなった」と通知。

5月 俊こつ丸による第2次調査。海水汚染は北赤道海域の面まで拡散。魚体内には1954年の水爆実験時の放射能が残留していた。

1958年 アメリカ、マーシャル諸島での核実験を終了。

1985年 高知県の「幡多高校生ゼミナール」(山下正寿さん指導)、ビキニで被ばくした乗組員300人を聞き取り調査。

30年を経過して多くの人が死亡。第2幸成丸は20人中生存者7名、新生丸は新生丸は19人の乗組員が保険登録されており、死亡者は14人、生存者2人、不明者3人。第5海福丸は18人中9人が病死(ガン5人)。

1986年 「幡多高校生ゼミナール」の報告を受けて、高知県ビキニ被災調査団による自主的な健康診断がおこなわれる。

2004年 放医研の明石らが第五福竜丸被爆者の追跡調査の結果を発表。

同年までに12名が死亡。肝癌6名、肝硬変2名、肝線維症1名、大腸癌1名、心不全1名、交通事故1名。肝疾患が多くを占めるのが特徴。
生存者の多くも肝機能障害があり、肝炎ウィルス検査では、A, B, C型とも陽性率が異常に高かった。

2010年 ビキニ環礁が「負の世界遺産」に指定される。ミクロネシア連邦は憲法前文に「世界はひとつの島なのだ」を掲げる。

2013年

3月 外務省が資料の一部を開示。国内向けには「ない」としながら、米国に渡していたことが明らかになる。

2014年

9月 厚生労働省からビキニで被爆した他の船体や船員にかんする文書が見つかる。

第五福竜丸以外に473隻が検査を受けた。毎分100カウント以上(最高988カウント)の放射線が乗組員から検出された船は10隻あった。

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厚労省開示文書


2015年

2月 水産庁、被爆漁船に関する文書を発見し提出。水産庁はこれまで日本漁船の被爆記録の存在を否定し続けてきた。

1954年にビキニ環礁で行われた米国の水爆実験は、第5福竜丸という痛ましい犠牲を出したことで知られる。
しかし、ほかには被災した漁船はなかったのか。
それが今回ようやく明らかになった。
水産庁の調査文書40点が共産党の紙智子議員に提出されたのである。
このなかで被害を受けた漁船の総数は実に1423隻に及んだ。実に恐ろしい数字である。
この内放射能汚染魚を廃棄した漁船は992隻だった。廃棄の基準は「毎分100カウント以上の放射能が検出された漁獲物」となっている。
船の名前はすべて押さえられているが、個人情報保護法に基づき明示されなかった。
ということで、これだけでは記事にもなんにもならないので、少し関連情報を集めることにする。

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