鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

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講演レジメ

あるサイトの見出し

来る2025年、高齢者向けの市場規模は100兆円超え!介護産業は15兆円規模に!果たして介護ビジネスに“儲かる”土壌はあるのか!?

という文字が踊る。

この見出しには少し説明が必要だ。

①2025年というのは団塊の世代がすっぽり70歳超えの老人となる年を指す

②高齢者向け市場とは、医療・医薬品産業、介護産業、生活産業の三分野を指す。そのトータルが100兆円ということだ。現在は65兆円程度らしい。もちろん生活産業の比率が最も高く5~6割を占める。

③その3分野の中の介護産業が15兆円となる見通しということになる。15年では10兆円だそうだから10年で1.5倍化する予想だ。

これはみずほコーポレート銀行の調査によるものだそうだ。

高齢者市場というのは当然あって、富裕とまでは行かなくてもいささかの預金もあり、豊かに老後を送りたいという要求があるなら、商売は成り立つ。

しかし介護産業は他の2つの分野とは明らかに異なる。そもそも儲かるわけがない事業だからである。(医療も医薬品を除けば同断だ)

いくら市場規模が大きくても、それは「擬似市場」であり、本来的に儲けが出るような性質のものではない。高齢者介護というのは半ば公的な事業であり、全資源を注ぎ込むべき非営利事業だからだ。

しからば、介護事業を営利対象として見る人々はどこに注目しているのか。少し勉強してみよう。

1.利益率は8.4%

総務省の平成24年度経済センサス「産業分野別の売上高営業利益率」(いわゆる粗利益率)によると、社会福祉・介護事業は8.4%。これは専門技術サービス、不動産、飲食サービス、医療、複合サービスについて高い。建設、製造業が4%台だから倍以上になる。(逆に言えば、この種の統計は実情をまったく反映していないともいえる)

1.介護各分野の利益率

介護事業の収支差率: 全サービス加重平均では8%

サービスの種類別にみると下表の通り

各サービス

2.国と厚労省のやり放題

ただし、これらの数字は厚労省の胸先三寸、さじ加減でどうにでも変わる。下のグラフを見れば一目瞭然である。

事業形態別

引用元文献によれば、

国の施策の方向性と連動して、拡大したい分野の報酬を上げて、減らしたい分野の報酬を下げる。「施設から在宅へ」という流れがあるため、現在の方向は一層強化されるだろう。

また、介護経営実態調査等によって、「財政的に余力がある」と判断された分野は、もぐらたたきに会う。

以下は別資料からの引用

全産業平均のH25年度の年収は414万円となっている(国税庁「平成25年民間給与実態統計調査」)

これに対し福祉施設介護員の年収は「22万円x12プラスボーナス」で306万円程度と推定される(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)

2.周辺産業の発展

最初にも述べたように介護事業は決して営利でやれるものではない。しかしその周辺には利益を生み出す構造はある。

高齢者向けのメニューである宅配、見守りサービス、家事代行などのサービスなどがこれに相当する。

3.ハード面はさらに厳しくなる

下の図は厚労省の「施設・事業所調査の概況」からのグラフである。

事業所数1

事業所数2

事業所数3

このグラフを見れば、全体的傾向ははっきりする。

全体を特徴づけているのは、高齢者の増加による全体的増加傾向ではない。介護療養型医療施設、いわゆる老人病院の激減である。

これは決して自然的傾向ではない。政府・厚生省による狙い撃ちの結果であることは明らかだ。

そこで行き場を失った老人が老健施設・介護福祉施設に押し出されている、というのがこの間の経過だ。

しかも後者は前者を吸収しきれていない。それが在宅にあふれ始めているのが実態だ。

なぜそうなったのか、それは高齢化社会だからではなく、国の責任放棄の結果なのだ。

実は「高齢化社会」はまだ始まっていない。高齢化は始まっているが。まだ「お達者高齢社会」なのだ。

政府は「高齢化社会」を口実に国民から消費税をふんだくり、自己負担を重くし、介護の中身を劣悪化し、それを大企業と大金持ちのために注ぎ込んでいる。それがこの間の実態だろう。

これから「病弱高齢化社会」が進行していけば、この矛盾は耐えられないほどに激化するだろう。

メディアによる国民だましと小選挙区制のからくりがいつまで通用するだろうか。

4.通所介護事業は絶対に持たない

介護報酬改定で小規模の通所事業がほとんど致命的な打撃を受けたことは、前に記事に書いた。

これに代わりチェーン型の通所が増える可能性がある。

しかしこれら通所サービスは、根本的に利用者のニーズに適合していない。

第一に通所サービスは一定の家庭介護の能力を前提にしているが、それが崩れ去りつつあるからだ。

団塊の世代は親に子供を預け共稼ぎをして生活を向上させてきた。親が倒れると、老人病院に入れてでも仕事を続けた。

そういう生き方を見て育った子供が、親たる団塊の世代を世話するとは思えない。そのつもりがあっても、彼らにはそのような余裕はないのである。

だからこれからの利用者ニーズは、半端な通所系よりも入所系サービスに集中するしかないのである。

第二に利用者の貧困化がある。

利用者の自己負担なり一部負担に依拠して経営しようと思っても、そのような金銭的余裕のある利用者などそうざらにはいない。

だから否応なしに介護報酬に頼らざるをえない。まさに政府・厚労省の思惑によって翻弄されざるをえないのだ。

倒産

帝国データバンク「医療機関・老人福祉事業者の倒産動向調査」からの引用である。

やや古い資料だが、肝心なことは介護報酬の改定がもろに倒産へとつながっていることだ。

結論を言おう。老人福祉事業は決して“儲かる”経営ではない。しかも生殺与奪の権利を握る政府・厚労省は何時でも潰す気でいる。投資しようと思っている方には思い直すよう忠告する。もちろん社会貢献であれば大歓迎だが。

「小規模デイサービスは、もういらない」というのが政府・財務相・厚労相の考えだ。

週刊朝日 14年11月

国は潰したい?小規模デイサービス

1.主導は財務省

介護報酬の「現行からの6%程度引き下げ」を主張。6%削ったとしても、「運営に必要な資金は確保できる」とする。

2.株式会社・フランチャイズで乱立

企業は全国800カ所以上でFC展開している。「月に100万円の収入は確実」と宣伝。

FC加盟料300万円、毎月、ロイヤルティーなどの名目で20万円をとる。設置者がリスクを背負う。

競争激化で採算が悪化。人手不足が拍車。

3.行政からの締め付け

人員体制や介護内容などの届け出が義務化された。サービスの質を維持するためのガイドラインも策定した。(これは当たり前だ)

介護分野の昨年の求人倍率は2倍、介護福祉士養成校の入学者も減って、定員80人に対しわずか20人だ。

赤旗 15年3月

介護報酬を4月から大幅に削減

上乗せの「加算」を除けばマイナス4・48%と過去最大規模の削減となる。
特別養護老人ホームで6%弱、小規模のデイサービス(通所介護)では9%以上も減額された。グループホームの基本料も6%弱の切り下げとなっている。
「出る釘は打たれる」結果となった。政府のやることは要するにモグラ叩き、カンナで削るだけの減点方式だ。

特別養護老人ホームは、巨額な内部留保(1施設3億円、全体で2兆円)のため、収益性の高さから注目された小規模デイサービスは、急増したことがあだとなって介護報酬上の抑制措置が取られた。廃業する事業者が続出、介護基盤崩壊の危機となっている。

全国老人福祉施設協議会は今改定で「5割近くの施設が赤字に転落する」と試算。
北海道で89事業所を対象としたアンケート: 77%が報酬改定で「経営は後退せざるを得ない」と回答。対応は「賃金・労働条件の引き下げ」31%、「人員配置数の引き下げ」42%。「事業所廃止」19%。

小規模デイサービスを狙い撃ち

小規模型デイサービスでは要介護者は約9~10%の報酬削減、要支援者は市町村の事業となり、さらに報酬が下げられる(推計25%)。現場の試算では年間200~300万円ほどの減益となる。これでやっていけるところは殆どないだろう。

これで終わらない小規模デイサービス

小規模デイサービスへの風当たりの強さはまだまだ続く。小規模デイサービスは1年の経過措置を経て、地域密着型デイサービスに移行する。定員10名の小規模デイサービスは、もういらないということだ。こんな調子で毎年いじられたのでは、介護事業は到底長期の方針など立てられない。かくしてますますブラック産業化していくのである。

問題は二つある。

まず一つは、小規模デイサービスはいらないのかということだ。

答えは、はっきりしている。必要だ。

ただ、量と質の問題はある。とくにフランチャイズ制で儲けを至上目的とするようなデイは有害かもしれない。

ただそれは、運営基準を厳しくしていけば良いので、それがクリアできるような施設なら大いに奨励されるべきだ。

逆に、そのへんのおじさん、おばさんが預かるような「託老サービス」の形態は、共助の観点からも、介護難民を生じさせないためにも、限界集落の崩壊を防ぐためにも、柔軟に取り組むべきだと思う。

もう一つの問題は、財務省主導で、目先のそろばんだけで動いて良いのかどうかということだ。

結局そこで浮かせた金は、法人税減税とか公共事業とかに回ることになる。それから見れば、どんな欠陥があろうとも、はるかに生きた金の使い方だ。

少なくとも、その金は老人福祉の分野で使うべき金であって、富裕層のための金ではない。

 

ケアマネ・タイムス」というサイトに

介護業界「勝ち組」の法則と課題

というレポートが掲載されている。2012年の記事なので少々古いが、紹介する。

1.大手企業の特殊性

介護事業における厳しい経営状況や従事者の低待遇が問題になっている。

しかし有名大手企業の売上高は軒並み「右肩上がり」となっている。

営業利益率については2006年度に一時的な停滞があったが、10年度には総じてプラスに転化した。

2.利益を上げる2つのポイント

第一に、利用者を囲い込み、介護保険外サービスを提供することで利益を上げる。介護保険サービスはあくまで顧客確保をにらんだ「販売促進」的な位置づけとなる。

第二に、パートタイマーもふくめ臨時雇用者等の比率が高いことだ。

3.大手企業が業界を制圧したらどうなるか

第一に、介護保険サービスのみに頼らざるを得ない低所得者層の利用者は行き場を失う。

第二に、低所得者層も視野に入れつつ、地域のセーフティネットを担おうという事業所は淘汰される。

第三に、「介護を一生の仕事としたい」という労働ニーズは拒絶され、介護という労働分野全体がブラック化する。

4.著者(福祉ジャーナリスト 田中 元さん)のまとめ

介護報酬の大幅な伸びが期待できないまま、上記のような事業所が淘汰され、介護士が駆逐されていった場合、それは「国民の安心」を担う介護事業のあり方として正しい姿なのでしょうか。


2013年07月17日もご参照ください。まったく事情は同じです。 

横浜市が一気に保育所の待機児童をゼロにしたというので安倍首相が「横浜方式」だとはしゃいでいたが、どうも怪しいとは思っていた。

少しづつ数字が出てきている。

まず驚くのが人件費比率。保育所の人件費比率は全国平均で71%となっている。まずまず妥当な数字だ。
これが「横浜市内で株式会社が運営するある保育園」では約40%ということだ。我が目を疑う数字だ。
差額でもとらない限り、収入はどこも大差ないはず。ということは一人あたり給与が40÷71=56%に抑えられていることになる。
申し訳ないが、正直、保育所の保母さんの給料はお世辞にも高いとはいえない。ぎりぎり一人暮らしが可能な程度だ。
その半分ということになると、想像を絶する額だ。まさにブラック保育園だ。

そうやって浮かせた100-56=46%の金を、“利益”として計上することになる。なぜなら株式会社であり、営利企業であるからだ。
横浜市では株式会社の比率が25%に達している。全国平均は2%だから、この間の横浜市での保育所増設分の殆どを株式会社が占めることになる。

人件費比率40%は決して突出した数字ではないことが分かる。

さらに困るのは、このような給与でスタッフを確保するのは無理があるということだ。たぶん保母さんが7人やめたら、この保育園は潰れるだろう。現に2ヶ所がすでに潰れているという。
赤旗ではあるケースが報告されている。

この保育所では保育士7人が一斉退職した。給与は手取りで14万円、賞与は年2回1万円ちょっとだった。
給食も粗末で、から揚げなら子供は1個、保育士は3個だけ、子供も保育士もお腹をすかせていました。

これがブラックでなくて何なのか。

営利企業は逃げ足が早い。
しかしママさんパワーは強い。舐めてはいけない。
「市が認可したのだから市が後始末しなければならない」、ということになる可能性がある。そうなれば、市は結局高いものを掴まされたことになる。

平成26年の調査で、介護事業各分野の収支比率が出ている文献があったので転載させていただく。

1.介護各分野の利益率

介護事業の収支差率: 全サービス加重平均では8%

サービスの種類別にみると下表の通り

各サービス

通称で呼ばないとわからないでしょう。

特養は介護老人福祉施設で8.7%

老健は介護老人保健施設で哀れにも5.6%

療養型病院が介護療養型医療施設で8.2%

グループホームが認知症対応型共同生活介護で11.2%

デイサービスが通所介護で10.6%

デイケアが通所リハビリテーションで7.6%

ショートステイが短期入所生活介護で7.3%

ということになる。

2.国と厚労省のやり放題

ただし、これらの数字は厚労省の胸先三寸、さじ加減でどうにでも変わる。下のグラフを見れば一目瞭然である。

事業形態別

引用元文献によれば、

国の施策の方向性と連動して、拡大したい分野の報酬を上げて、減らしたい分野の報酬を下げる。「施設から在宅へ」という流れがあるため、現在の方向は一層強化されるだろう。

また、介護経営実態調査等によって、「財政的に余力がある」と判断された分野は、もぐらたたきに会う。なぜか老健は自殺したくなるほどのいじめにあっている。

3.2015年の大改定

実はこの後、大規模な介護報酬の改定があった

特別養護老人ホームで6%弱、小規模のデイサービス(通所介護)では9%以上も減額された。グループホームの基本料も6%弱の切り下げとなっている。

特別養護老人ホームは、巨額な内部留保(1施設3億円、全体で2兆円)のため、収益性の高さから注目された小規模デイサービスは、急増したことがあだとなって介護報酬上の抑制措置が取られた。

上のグラフを見ればわかるように「出る釘は打たれる」結果となった。政府のやることは要するにモグラ叩き、カンナで削るだけの減点方式だ。

こんな調子で毎年いじられたのでは、介護事業は到底長期の方針など立てられない。かくしてますますブラック産業化していくのである。

ケアマネ・タイムス」というサイトに

介護業界「勝ち組」の法則と課題

というレポートが掲載されている。2012年の記事なので少々古いが、紹介する。

1.大手企業の特殊性

介護事業における厳しい経営状況や従事者の低待遇が問題になっている。

しかし有名大手企業の売上高は軒並み「右肩上がり」となっている。

営業利益率については2006年度に一時的な停滞があったが、10年度には総じてプラスに転化した。

2.利益を上げる2つのポイント

第一に、利用者を囲い込み、介護保険外サービスを提供することで利益を上げる。介護保険サービスはあくまで顧客確保をにらんだ「販売促進」的な位置づけとなる。

第二に、パートタイマーもふくめ臨時雇用者等の比率が高いことだ。

3.大手企業が業界を制圧したらどうなるか

第一に、介護保険サービスのみに頼らざるを得ない低所得者層の利用者は行き場を失う。

第二に、低所得者層も視野に入れつつ、地域のセーフティネットを担おうという事業所は淘汰される。

第三に、「介護を一生の仕事としたい」という労働ニーズは拒絶され、介護という労働分野全体がブラック化する。

4.著者(福祉ジャーナリスト 田中 元さん)のまとめ

介護報酬の大幅な伸びが期待できないまま、上記のような事業所が淘汰され、介護士が駆逐されていった場合、それは「国民の安心」を担う介護事業のあり方として正しい姿なのでしょうか。

ところで、第一のポイントというのが気になる。

介護保険サービスはあくまで顧客確保をにらんだ「販売促進」的な位置づけとし、介護保険外サービスを提供することで利益を上げる。

というのはまったく問題ないのだが、引っかかるのは最初の「利用者を囲い込み」という表現だ。

老人は「お世話をしてもらう」のだから、なかなか対等の立場には立てない。それに、そもそも元気なときは自分でやっていたこと、やらなければならないことをやってもらうという負い目がある。

自分で金を払って雇ったお手伝いさんとか家政婦さんなら、こちらは使用者で主人なのだから、それでも遠慮しながらだが、言うべきことはいう。

自分のお金ではなく(一部負担はあるが)、お上の厄介になって世話してもらっているのだから強いことも言えず、大抵のことは我慢する。

こういう状況のもとで「囲い込まれる」というのはかなり危険なことではある。知らない間に色々オプションを付けられて、いらないものまで買わされてみたいなことがないか心配だ。


2013年07月17日もご参照ください。まったく事情は同じです。

あるサイトの見出し

来る2025年、高齢者向けの市場規模は100兆円超え!介護産業は15兆円規模に!果たして介護ビジネスに“儲かる”土壌はあるのか!?

という文字が踊る。

この見出しには少し説明が必要だ。

①2025年というのは団塊の世代がすっぽり70歳超えの老人となる年を指す

②高齢者向け市場とは、医療・医薬品産業、介護産業、生活産業の三分野を指す。そのトータルが100兆円ということだ。現在は65兆円程度らしい。もちろん生活産業の比率が最も高く5~6割を占める。

③その3分野の中の介護産業が15兆円となる見通しということになる。15年では10兆円だそうだから10年で1.5倍化する予想だ。

これはみずほコーポレート銀行の調査によるものだそうだ。

高齢者市場というのは当然あって、富裕とまでは行かなくてもいささかの預金もあり、豊かに老後を送りたいという要求があるなら、商売は成り立つ。

しかし介護産業は他の2つの分野とは明らかに異なる。そもそも儲かるわけがない事業だからである。(医療も医薬品を除けば同断だ)

いくら市場規模が大きくても、それは「擬似市場」であり、本来的に儲けが出るような性質のものではない。高齢者介護というのは半ば公的な事業であり、全資源を注ぎ込むべき非営利事業だからだ。

しからば、介護事業を営利対象として見る人々はどこに注目しているのか。少し勉強してみよう。

1.利益率は8.4%

総務省の平成24年度経済センサス「産業分野別の売上高営業利益率」(いわゆる粗利益率)によると、社会福祉・介護事業は8.4%。これは専門技術サービス、不動産、飲食サービス、医療、複合サービスについて高い。建設、製造業が4%台だから倍以上になる。(逆に言えば、この種の統計は実情をまったく反映していないともいえる)

以下は別資料からの引用

全産業平均のH25年度の年収は414万円となっている(国税庁「平成25年民間給与実態統計調査」)

これに対し福祉施設介護員の年収は「22万円x12プラスボーナス」で306万円程度と推定される(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)

2.周辺産業の発展

最初にも述べたように介護事業は決して営利でやれるものではない。しかしその周辺には利益を生み出す構造はある。

高齢者向けのメニューである宅配、見守りサービス、家事代行などのサービスなどがこれに相当する。

3.ハード面はさらに厳しくなる

下の図は厚労省の「施設・事業所調査の概況」からのグラフである。

事業所数1

事業所数2

事業所数3

このグラフを見れば、全体的傾向ははっきりする。

全体を特徴づけているのは、高齢者の増加による全体的増加傾向ではない。介護療養型医療施設、いわゆる老人病院の激減である。

これは決して自然的傾向ではない。政府・厚生省による狙い撃ちの結果であることは明らかだ。

そこで行き場を失った老人が老健施設・介護福祉施設に押し出されている、というのがこの間の経過だ。

しかも後者は前者を吸収しきれていない。それが在宅にあふれ始めているのが実態だ。

なぜそうなったのか、それは高齢化社会だからではなく、国の責任放棄の結果なのだ。

実は「高齢化社会」はまだ始まっていない。高齢化は始まっているが。まだ「お達者高齢社会」なのだ。

政府は「高齢化社会」を口実に国民から消費税をふんだくり、自己負担を重くし、介護の中身を劣悪化し、それを大企業と大金持ちのために注ぎ込んでいる。それがこの間の実態だろう。

これから「病弱高齢化社会」が進行していけば、この矛盾は耐えられないほどに激化するだろう。

メディアによる国民だましと小選挙区制のからくりがいつまで通用するだろうか。

4.通所介護事業は絶対に持たない

介護報酬改定で小規模の通所事業がほとんど致命的な打撃を受けたことは、前に記事に書いた。

これに代わりチェーン型の通所が増える可能性がある。

しかしこれら通所サービスは、根本的に利用者のニーズに適合していない。

第一に通所サービスは一定の家庭介護の能力を前提にしているが、それが崩れ去りつつあるからだ。

団塊の世代は親に子供を預け共稼ぎをして生活を向上させてきた。親が倒れると、老人病院に入れてでも仕事を続けた。

そういう生き方を見て育った子供が、親たる団塊の世代を世話するとは思えない。そのつもりがあっても、彼らにはそのような余裕はないのである。

だからこれからの利用者ニーズは、半端な通所系よりも入所系サービスに集中するしかないのである。

第二に利用者の貧困化がある。

利用者の自己負担なり一部負担に依拠して経営しようと思っても、そのような金銭的余裕のある利用者などそうざらにはいない。

だから否応なしに介護報酬に頼らざるをえない。まさに政府・厚労省の思惑によって翻弄されざるをえないのだ。

倒産

帝国データバンク「医療機関・老人福祉事業者の倒産動向調査」からの引用である。

やや古い資料だが、肝心なことは介護報酬の改定がもろに倒産へとつながっていることだ。

結論を言おう。老人福祉事業は決して“儲かる”経営ではない。しかも生殺与奪の権利を握る政府・厚労省は何時でも潰す気でいる。投資しようと思っている方には思い直すよう忠告する。もちろん社会貢献であれば大歓迎だが。

 もご参照ください.

  

千葉の母子家庭追い立て死事件 で千葉地裁の判決が出た。

求刑14年に対し7年の懲役という判決で、これ自体にさほど異議があるわけではない。

判決を機に、岩井記者の「事件レポート」が掲載された。これまで明らかにされなかった家族内背景が明らかになっている。ただ、記事の内容には少々不満が残る。

県の責任がほとんど追及されていないからだ。

絵に描いたような「剥奪」の経過

その代わり母親のプライバシーに関わる記載が続く。

この親子は、夫が事業に失敗し離婚したようだ。事業を立ち上げるにあたって実家にも不義理を重ね、絶縁状態になっている。

離婚後、元夫から月3万円の送金があったが、基本的にはパートで自活していた。年収は100万ほどだった。

これだけで立派に生保対象だ。

県営住宅への入居は2007年で、家賃滞納のきっかけは、11年2月からヤミ金に手を出したこと。それ以後毎月4万円の返済が始まった。

というのが経過。ほとんど絵に描いたような「剥奪」の経過だ。

記事では詳述されているが、ヤミ金などはあまり本質的ではないので省略する。

中心的事実は市の社会福祉課の対応

記事の中心的事実は以下のようになっている。

① 13年2月、母親が市役所に生活保護の相談。職員はパートの仕事を理由に申請させなかった。

② 4月、母親が市役所に行き、国保の短期証発行の相談をした。

対応した職員は母親に生活保護を勧め、隣接する社会福祉課を紹介しました。ところが、面接した職員は、生活困窮が明らかなのにもかかわらず、生活保護の説明をしただけでした。

つまり、社会福祉課はただたんにプライバシーに踏み込まなかったのではなく、明らかな保護の必要性を認識した上で、市役所窓口職員の勧告を拒否したことになる。これらの経過は、“公判のなかで明らかになった ようだ。

ところで、この事実は、事件直後に千葉日報が取材した時の市の回答とは相当異なる。

生活保護世帯であれば、市教委は社会福祉課と情報を共有する。しかし就学援助だけ受けている場合は、社会福祉課には情報は行かない。

というのが取材時の回答だ。

社会福祉課は明らかに中心的事実を隠していたことになる。嘘をついていたと言ってもいい。とくに②の状況は明らかに意図的である。

この点ではぜひ、千葉日報に追跡取材をしてもらいたいと思う。


ものすごい安直な記事ですみません。
「介護保険白書」という本が出されて、その編集にあたった立教大学の柴田先生という方が、インタビューに応じています。
そのさわりを紹介します。
1.介護保険の功罪
介護保険は国民の介護に対する意識を変えました。
それまでは介護をしたり、施設に預けることを隠すような意識がありました。これは功の部分です。
2.需要に追いつかない供給
介護への意識の変化は、介護サービスの需要を一気に呼び起こしました。しかしこれに対して供給量がまったく対応していない。これが罪の部分です。
3.「介護地獄」の出現
介護につかれた末の「介護自殺」は明らかになったものだけで年間300人、「介護離職」は年間10万人に達する。
家族が介護できないから、医療上必要もないのに入院する「社会的入院」を解消するはずだったのが、病院から追い出しただけという事態です。
つまり、介護保険が介護地獄を産んだということだ。「結果的には…」という話ではあるが

その結果以下の事態が出現している
A.「介護の沙汰も金次第」状況の進行
利用料が払えなければ、限度額以下しか使えない。そういう人がたくさんいる。いっぽうで自費サービスを上乗せできるので、お金がある人は限度額を越えて制度の恩恵をうけることができる。
これは貧富の差を容認する制度だ。
B.介護労働者の払底
介護事業が営利化され、人件費は思い切り切り下げられた。介護労働者の半数は非正規となり、労働の質は低下している。
この結果人材不足が深刻となっている。
C.介護保険制度そのものの危機
課題の解決には保険料引き上げが必要だが、もはや引き上げは限界に達している。保険料の全国平均は月額5千円を越えた。月1万5千円以上の年金者は強制的に天引きされている。天引き後の手取り年金が1万円以下のケースも生まれている。

http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/closeup/closeup01-3/closeup03.html

内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  地方分権改革  >  分権クローズアップコーナー  >  分権クローズアップ[有識者へのインタビュー]  >  第1回 西尾勝氏インタビュー


西尾勝さんによるこの20年間の地方分権の議論のまとめである。戦後改革との関連で見れば言いたいことはたくさんあるが、それなりに政府部内での議論の経過はよくまとめられており、説得力もある。地方選挙を間近に控えたいま、学ぶべきことは多い。


地方分権改革の総括

地方分権改革は、1993年の国会による地方分権推進決議から始まった。

それは1980年代以降の行政改革の流れと、1989年のリクルート事件に端を発した政治改革の流れとが合流したものだった。

それ以降の地方分権改革は行政改革の流れに便乗して進められてきた。そこでは政治改革の流れは忘れられがちになった。

地方自治の拡充を目的にした地方分権改革と、行政の減量・効率化を目的にした行政改革とは本来は一致しないものだ。ときには対立し合う側面も持っている。

道州制構想の問題は、地方分権改革と行政改革との矛盾が、衝突する可能性のあるテーマではないか。

地方制度改革の歴史と「所掌事務拡張路線」

戦後の地方制度改革はシャープ勧告・神戸勧告に始まった。その後、

1.国・都道府県・市町村の間の事務配分及び税財源配分の見直し

2.事務移譲の「受け皿」を再編成すべく、町村の合併あるいは特別市制の実現などが図られた。

3.その延長線上に、道州制の実現が繰り返し論じられ続けた。

総じていえば地方公共団体が所掌する事務を拡張していこうとする「所掌事務拡張路線」が一貫していた。

いわゆる「第一次分権改革」

93年に地方分権推進委員会が最初に設置された。

この委員会では、自由度拡充路線に属する改革を基調とし、事務の配分はそれほど大きく変えないで、裁量の余地、自由度をできるだけ広げようとした。

その結果、住民自治の側面の拡充よりは団体自治の側面の拡充に偏り、所掌事務拡張路線よりは自由度拡充路線に偏る結果となった。多くの課題が未完のままに残された。

「第一次分権改革」で将来に残された課題

地方分権推進委員会は2001年に最終報告を出して解散した。ここで上げられた課題は以下の6項目である。

1.地方税財源の充実確保。

2.法令等よる義務付け・枠付けの緩和。

3.事務権限の移譲。

4.地方自治制度の再編成。

5.住民自治の拡充

(6.は書かれていない)

このうちの1と2は、「自由度拡充路線」に属するものであり、3と4は「所掌事務拡張路線」に属するものである。

いわゆる「三位一体の改革」

「第一次分権改革」のあと、、いわゆる「三位一体の改革」が始まった。これは小泉内閣が政治主導で進めたものだった。それは自由度拡充路線の実現を目指すものだった。

2006年に地方分権改革推進委員会が設置された。それは地方分権推進委員会の最終報告の「1.地方税財源の充実確保」を念頭に置きつつ、「2.法令等よる義務付け・枠付けの緩和」に進もうとした。

しかし、残念ながら、所期の意図に反する結果になって挫折したと言わざるを得ません。

「歳出歳入一体改革」から道州制論へ

この「三位一体の改革」はまもなく挫折した。その後、小泉内閣の末期の経済財政諮問会議が「歳出歳入一体改革」を掲げ、その方策として国の出先機関の原則廃止という方針を打ち出した。

続く第1次安倍内閣では、道州制ビジョン懇談会が打ち出された。

要するに、国の側も地方公共団体の側も、急速に所掌事務拡張路線に舵を切り始めた。

(議論が荒廃し始めた。地方税財源の充実確保、あるいは住民自治の拡充という共通のプラットフォームは失われた)

全国知事会は、国から都道府県に、または広域連合なりへ事務移譲を進めるよう強く要請し始めた。指定都市市長会は、指定都市を都道府県から独立させる「特別自治市構想」の実現を要請するようになった。

「所掌事務拡張路線」への批判

所掌事務拡張路線は、国と地方公共団体の間の激しい意見対立を生まざるを得ない。さらに地方公共団体の間でも、都道府県と市区町村の間の意見対立が先鋭化せざるを得ない性質を持っている。

それだけに、所掌事務に関する議論は殊更に慎重かつ綿密な検討が求められる。

全国知事会は「出先機関の原則廃止」や「丸ごと移管」を唱えるが、いささか議論が乱暴になっており、もう少しきめ細かい詰めが必要ではないか。

特別市構想や都制構想、道州制構想は戦前から繰り返し浮上しては消えてきた。それは素朴な着想の域を出ていない。

あらゆる懸案事項を一挙に解決できるといった万能薬のような制度改革構想など存在しない。そのことをまず確認すべきではないか。

地方税財源の充実確保こそが最優先課題

依然として、「残された課題」のうちの最優先課題は、地方税財源の充実確保である。

財政再建の過程で、いかにしてこれを実現していくのかは大変難しい問題だ。にもかかわらず、最重要課題であることもまちがいない。

消費税の増税という過程で行うことは既にもう無理になっていると思う。将来どのように変えるべきかを、今から双方が検討しておくべきだろう。

土曜の赤旗の4面、いつもは流していくところだが、「平成の大合併失敗」という記事がふと目に止まった。

参議院で「国と地方の関係(これからの地方自治)」という参考人質疑が行われた。

ここに出席した東大名誉教授の西尾勝さんという人が注目すべき発言を行っている。記者は、この発言に相当感心したらしく、長文の引用を行っている。

当時は平成の大合併を推進する立場だったが、結果を見ると大失敗だったと言わざるをえない。それぞれの地域の自治を守る方策を考えるべきであった。

さらに発言は続く。

自分自身は道州制について慎重論者であり、現在国会で議論されている道州制議論には反対だ。

何でも自治体に権限を下ろせばいいというものではない。国に残す権限と地方自治体に下ろす権限の分け方をしっかり考えるべきだ。

「自治体数が多すぎるのでさらなる合併を進めよう」という議論があるが、それは非現実的だ。それは平成の大合併の失敗を繰り返すことになる。地方自治体からの反発は避けられない。

というのが、記事に載せられた西尾発言の大要だ。

正直なところ良く分からない。

ただ推進論者だった人が、自ら「大失敗」と総括するのは相当深刻なことだろうと察しはつく。

ウィキペディアで調べると、この西尾さんという人、かなりの大物のようだ。

私より8つほど年上、1974年東京大学法学部教授。退官後、地方分権改革推進委員会委員。第27次地方制度調査会副会長。第30次地方制度調査会会長。2007年日本学士院会員。

この経歴から考えると、地方分権推進派であり、その流れの上で「平成の大合併」も支持したが、結果的には間違いだったと反省していることになる。


発言をチェックしたところ、なんと内閣府のホームページに長大なインタビュー記事が掲載されている。それも平成25年9月30日という最近の記事だ。

内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  地方分権改革  >  分権クローズアップコーナー  >  分権クローズアップ[有識者へのインタビュー]  >  第1回 西尾勝氏インタビュー

中身は稿を改めて…

長くなりすぎたので、稿を改める。


この要望書の一番のミソは、「民間賃貸住宅よりも低額な県営住宅を家賃滞納で退去させられた入居者の多くは、ホームレス状態にならざるを得ない」ということである。

つまりそこには一般社会の日常論理とは異なる“非常時の論理”が求められるのだ。つまり震災で家を失った人への対応と同じ論理だ。これは考えて見れば当たり前の話なのだ。

住宅課の人は、追い出したら追い出された人がどうなるのか、まったく想像しなかった。そこに状況への対応力の欠如がうかがわれてしまう。

多分、この人たちも普通の人たちなのだろうが、「そうは言っても、しょうがないんじゃないの。うちも慈善事業じゃないんだから…」と市井の論理で流して、どこで “人の痛みの感覚” を喪失してしまったのだろうか。

この論理、“非常時の論理” は、国交省や県の建設・土木部などの日常の業務からは生まれてこない。むしろそこに要求されるのは施設としての安全、コスト、効率であろう。当然である。

そういう世界では、おそらく「県営住宅の管理などは厄介者で、それを行う連中は日陰者」とみられるかもしれない。そんなところで予算を無駄遣いしていれば、“本業” に差し障りが出てくる。だから「厳正な運用」などという発想が出てくるのだろう。


好むと好まざるとにかかわらず、客観的に見て、公共住宅は貧困対策の一環としてセーフティ・ネットの重要な柱となっている。当然その運営に携わる人にとっては福祉部門との連携が必須である。

しかし今回の事件を見て分かったのは、両者の間にまったく連携がないということだ。何故か。住宅課の方にその気がないからだ。減免措置について書かれた住宅課のページを見ても、「減免措置なんてとれっこありませんよ」と言わんばかりの表現だ。担当者は住宅課に回された途端、「俺の出世の道は終わったな」と思っているかもしれない。しかしその「後は大過なく…」という態度が「大過」を呼ぶのだ。


おそらく、公営住宅の運営を土木・建設部門に託すのは基本的に間違いだと思う。そう言われるのが怖いから、国交省は慌てて通達を出したのだろうが、「厳正な措置」通達については口をつぐんでいる。

たしかに福祉との連携は必要だし、今後強化する必要があると思うが、より根本的には「やる気のない」人々に運営を委ねるのをやめることではないか。


すみません。知らなかった。

昨年9月24日に千葉県銚子で起きた、女性の子殺し事件。いまさらながら少し経過を調べておく。かなりの情報はすでに消えてしまっているとは思うが、システムのエアポケットを明らかにしておく必要はあると思う。

まずは2014年10月26日の東京新聞記事。

県営住宅退去で母娘心中未遂

「家失えば生きていけない」

家賃滞納続き 明け渡し当日

と3本見出しが並ぶ

記事は「心は青春」というブログにそのままコピーされているのでそちらを参照のこと。

次に26日の千葉日報の伊藤記者の署名記事。市側の対応について丁寧に取材している。

困窮情報共有できず 千葉県、市 縦割り弊害?支援逃す 銚子の長女殺害

24日に母親(43)が中学2年生の長女(13)の首を絞めて殺害した。

この母親は銚子市の県営住宅に住んでいたが、家賃滞納で立ち退きを迫られ、24日が強制執行日だった

行政は、母子2人の困窮した生活状況について情報を把握していた。しかし千葉県と市、部署間で十分な情報共有がなかった。この状況が見殺しをもたらした。

就学援助と生活保護

母親は長女が小学校に入学した時から毎年度、市の就学援助を受けていた。

市の就学援助制度は、低収入世帯や児童扶養手当の受給世帯などが学用品費や修学旅行費の補助を受けることができるもの。

生活保護世帯であれば、市教委は社会福祉課と情報を共有する。しかし就学援助だけ受けている場合は、社会福祉課には情報は行かない。

生活保護の相談はあった

母親は事件の1年余前に、「生活保護の制度を知りたい」と社会福祉課を訪れている。

この時は、ケースワーカー2人から説明を受け資料をもらって帰った。その後の申請はなかった。

対応に落ち度がなかったかどうかではなく、この時点で救済する可能性はなかったのかという観点から見なおしてみたい。

(取材に対し)同課は当時の対応に「母親の生活が逼迫している認識はなかった」としている。

(同時に)今回の事件を受け「初めて生活保護の相談に来た時の面接を重視し、深く話を聞くようにしたい。より丁寧な生活状況の把握を徹底していく」という。

たしかにそのとおりだが、向こうが「ただ話を聞きに来ただけ」という場合、「より丁寧な生活状況の把握」までどの程度踏み込めるか、個人情報なだけにケースワーカーの裁量だけでは難しいだろう。

県の追い立て

母親は2012年7月から家賃(月額1万2800円)を滞納していた。県は裁判を経て県営住宅から退去を求めていた。

ここがどう見ても常識外の行動だ。基本的に公営住宅は低所得者が優先して入居することになっており、そもそも貧困対策の一環だ。家賃滞納のほとんどは生活困窮のためと予測される。それを裁判に訴えてまで追い出すという態度は想像を絶する。
判事も何を見ていたのか。司法の大目的は市民生活を守ることにあるのではないか。

この件について県から市への連絡はなかった。社会福祉課、市議会、市教委はいずれも県の対応に不満の意を表明している。

ただこの記事は県への取材を行っていないので、当事者である県側の言い分は不明である。これでは記事としては周辺的事実に留まってしまう。


次が共産党の丸山真一県議のブログ。

グーグルで2番めにヒットする。中身が濃いからだろう。

9月30日付で「銚子市内の県営住宅での母子無理心中事件の聞き取りをしました」と題されている

千葉日報と重複する情報は省略する。

事件に至る経過

その日は、強制的に追い出すために執行官が県営住宅を訪れた日で、発見したのは執行官たちでした。

ということで義憤を感じた丸山さんは、県営住宅を管理している県住宅課と生活保護を所管している健康福祉指導課から経過を聞いた。

強制執行に至る経過

2007年に二人は県営住宅に入居した。2012年ころから滞納が始まり、嘱託職員が訪問して、小額づつ支払いを受けていた。

2013年3月に明け渡し請求を送付、31日に入居許可が取り消された。これ以降は不法入居ということになる。

7月に明け渡し訴訟が提訴され、10月に判決が出された。

今年になって、5月に県は現地調査を行った上、強制執行の事前通知。

8月には千葉地裁八日市場支部が強制執行の催告を行い、24日の強制執行に至った。

犯行はその直前に行われ、部屋の明け渡しを求めるために訪れた千葉地裁八日市場支部の執行官が見つけ110番通報した。

というのが経過。

主犯は県の住宅課のようだ

母親の収入は働いて得た月額7万円と、児童扶養手当が月に約5万円しかありません。

これに市の就学援助制度が加わるが、内容を見ても分かるように、生活費の足しになるようなものではない。

県営住宅の家賃は国が決めているようだ。これは4段階制になっており、最低クラスが月額1万2800円となっている

しかし、

千葉県は、国が決めている4段階の家賃にたいして最低額の家賃でもまだ高いので、独自の家賃減免制度を作っています。

それは、所得に応じて家賃の2割から8割を減免するものですが、この家庭の場合、母親の収入が少ないので、申請していれば確実に8割減免を受けられていました。

受けていれば、家賃は月に2560円で済んでいたはずです。

ということで、県の担当者はこの制度を知らなかったのか、知っていて無視したのかが大問題にる。もし後者であれば、この担当者はほぼ業務上過失致死と認定される。
強制執行に関する知識がこれだけ豊富であることを考えると、あるいは未必の故意も考えられる。

県は、少ない収入だとわかっているのに家賃を取り立て、減免の制度があることさえまともに知らせようとしない。こんなひどい話はありません。

次がその千葉県県土整備部都市整備局住宅課 県営住宅管理班 のホームページ「県営住宅についてのご案内」が掲載されている。平成26(2014)年12月5日に更新されていて、それ以前の案内は閲覧できない。

少し下の方には「県営住宅の家賃について」という項目がある

家賃を納入していくうえで、失業等のため収入が著しく少なくなったり、病気やケガによる長期療養、災害により多額の出費を必要とする場合等の理由で、家賃の支払いが困難となったときは、期間を定めて家賃の減額・免除をする制度があります。

これが丸山真一県議の言っていた減免制度だ。リンク先を辿って、減免制度の項目に移動する。

千葉県では、県営住宅の入居者の世帯収入が著しく低い場合や、…などの理由で、家賃の支払いが困難と認められる場合に、期間を定めて家賃を減額する制度を設けています。

ということで、下記がその基準。

収入月額

減額率

50,001円~67,000円

20%

37,001円~50,000円

40%

25,001円~37,000円

60%

0円~25,000円

80%

ひどい基準である。最高ランクの月収6万7千円ですら生保基準を大幅に下回っている。月収2万5千以下というランクに至っては、存在自体がそもそも信じられない。しかもこのランクの人からさえ家賃を取るのである。もし滞納すれば追い出すのだろうか。

「それは福祉の方の仕事ですから」と澄ましているのだろうか。

法的には瑕疵はないが、「血も涙もない」というのはこういうことを言うのだろう。こうすればどうなるのかという想像力はまったく欠如している。


とは言うものの、丸山県議の言うところとこの表は食い違っている。どちらが正しいのだろうか。

丸山県議はもうひとつ記事を書いている。

このなかで月収の算定の仕方について触れている。

すなわち「政令月収」という概念があって、これは「実際の収入から各種控除を差し引いて算出したもので家賃額算定のもとになるのだそうです。

この家庭の政令月収は計算上0円になるのだそうだ。

なんとなくモヤモヤしているが、市、県と来て次は国の責任。

本日付の東京新聞、「公営住宅滞納家賃 困窮者減免徹底を 国交省が通知」という記事が掲載された。

家賃滞納で強制退去となった母親が無理心中を図り長女を殺害した事件を受け、国土交通省が、都道府県に通知を出した。

内容は以下のとおり、

1.困窮のため家賃を支払えない状況にある入居者については、収入などの事情を十分に把握するよう要請。
2.著しく所得が低かったり、病気で多額の支出が必要だったりして やむを得ない場合は家賃減免を適用するなどの負担軽減措置を講じる。
3.同時に、市町村と連携し、生活保護申請の助言も行うよう求めている。

背景について、記事は

国民健康保険料も滞納するほど困窮し、千葉県の家賃減額制度を活用できた可能性が高かったが、県は母親に制度について直接説明していなかった。

と記載している。

記事の文末にはさりげなく、次の段落が付け加えられている。

同省は1989年にも通知を出していたが、家賃滞納には「厳正な措置」もあわせて要請していた。

要するに、住宅課は国交省の指示に従って「厳正な措置」を行った可能性があるということだ。


政令月収額の算定方法を説明したサイトが幾つもある。いかに分かりにくいかということの証明でもある。

政令月収額は基準収入とも言い、公営住宅等の入居資格に関連する。

単純に言えば世帯の所得から各種控除を差し引いたものなのだが、これが複雑な上に自治体によっても運用が違う。

この家の場合、本人が寡婦控除(27万円)、娘が扶養控除(38万円)の対象となる。

月収7万で年額84万、これから控除を引くと19万円。これを12で割れば15,800円となる。

これだと80%減額の対象にはならない。もう少し細工が必要なようだ。


最後に全生連が中心となった現地調査団の千葉県と銚子市あての要望書をコピーしておく。



県営住宅での強制退去に伴う母子心中事件の対応についての要望書

    千葉県銚子市の県営住宅追い出し母子心中事件の現地調査団


自由法曹団/全国生活と健康を守る会連合会/中央社会保障推進協議会/住まいの貧困に取り組むネットワーク

 2014年9月、千葉県銚子市内に所在する千葉県営住宅の入居者(母子世帯)が、家賃滞納を理由に明渡訴訟を提起され、その判決に基づき強制退去を求められた日に、中学生の娘を殺害し自分も死のうとする痛ましい事件(無理心中未遂事件)が起こりました。
 この事件の経緯について千葉県、および銚子市の対応は、後記のように問題があると考えられるので、緊急に以下の対応をおこなうよう要望します。

1.県は、県営住宅の入居者に対し、家賃の減額制度があることを、十分に周知させること。

2. 県は、家賃の滞納者に対し、入居者の置かれた状況を確認し、家賃の減額制度や他の社会福祉制度が利用できる場合には、その制度を丁寧に滞納者に対して説明 すること。また、この説明は手紙や文書だけでなく、民生委員などと協力してできるだけ訪問することより、対面で説明を行うこと。

3.県は、民間賃貸住宅よりも低額な県営住宅を家賃滞納で退去させられた入居者の多くは、ホームレス状態にならざるを得ない ことを認識し、退去後の生活ができることを十分に確認するべきであり、明渡訴訟は最後の手段とし、安易にこれを提訴しないこと。

4. 市は、保険証を失効する、水道料金を長期間滞納するなど生活困窮の様子が見られる市民に対し、利用できる社会福祉制度を丁寧に説明し、申請意思があるかど うかを確認すること。仮に申請意思が認められない場合でも、長期間の家賃の滞納や保険証の失効など職権保護が妥当と判断される場合には本人からの申請がな くとも生活保護を利用させること。なお、誤った説明により、生活保護が利用できないと思わせる言動は間違っても行わないこと。
5.県と市は、県営住宅の入居者が生活に困窮していることを認識した場合、互いに情報を伝え、市からも県営住宅の家賃の減額制度の説明をしたり、県からも利用できる社会福祉制度を説明をすること。

6.県と市は、今回の事件の事実経過を明らかにし、再発防止のためにいかなる措置を採るべきか検討し、その防止策を県民、市民に公表すること。

 2015年1月19日

リンク切れの修復がなかなか進まない。

何故かと言うと、記事そのものの修復が必要になって来たからだ。とくに震災直後の記事は、今読み返してみると非常に説明不足で、まったくのメモも多い。

小見出しを付けて、注釈も入れてやり始めると、最初に書いた時よりも時間を食う。

なかには「こんな記事もあったのか」と感心するものもある。

その一つが、

災害対応の5本柱
発言の中で印象的だったのは石巻の避難所本部長(共産党市議)の発言。
「最低限必要なのは水・食料・生活用品・医療・介護の五つであり、平常時に準備が必要だ。とくに介護の緊急体制が大事と実感する」
これは今後各地で教訓化し、実行に移さなければならないだろう。

と書いてある。

このなかで他の4つはそれなりに整備されているが、一番遅れているのが「介護の緊急体制」だろう。


緊急時には在宅介護は無力化する。収容が唯一の手段となる。各種の介護施設、とくに田舎の介護施設の緊急収容枠拡大の能力を拡大しなくてはならない。昔は何かといえば学校だったが、今や地域に子供はなく、学校もなくなった。

「むかし学校 いま施設」だ。

もうひとつ、老健施設で働いてみて一番痛切に感じるのは、介護=保清ということだ。これにはそれなりの資源もいるが、一番必要なのはプロとして保清にあたるという意識だ。

プロ意識を持つケアワーカーをどう組織できるかが、介護の体制づくりのポイントである。経験者の組織化と、定期的なスキルアップが必要だ。

介護の有資格者が山ほど必要だ

より長期的には、介護職が誇りを持って仕事できるような待遇を保障すべきであろう。


待ち合わせの時間つぶしに紀伊國屋に入って、読みもしないのに本をパラパラ…
その時にこの本が目に入ってしまった。
以前に本も読まないで、感想を書いたあの本だ。
本の背表紙がこちらを睨みツケて、「買えっ、読めっ」と叫んでいる。
しかたないから買って、斜め読みし始めた。最初に園を訪れた時の衝撃がつづられ,その後は琵琶湖を囲んで手をつなぐ運動だ。
「医者が書いたこの手の話というのは、どうもウソっぽいところがあって、変に筆達者な連中が“感動の物語”をでっち上げたりするものだ」と斜に構えていたが…
しかし、それでは済まない、いたるところに、かなり心に引っかかるところがある。時代劇のセリフで言えば、「コヤツ、只者ではないな」という気にさせる。
精読するには気力が思わないが、「引っかかるところ」を吟味したくなる本である。そういうポイントにズブリと杭を打ち込んでみたい衝動に駆られる。
最初に、そういうポイントをいくつか列挙しておこう。

1.「生きているのがかわいそう」なのか
これは、帯の謳い文句。実際はこの本の副題と言ってよい。
「これだけ重い障害があるのに、生かされているのはかわいそうだ」というある見学者の感想への「反論」である。
筆者は、翻って「ほんとうに、生きているのが幸せなのだろうか」という問い返しまでしているが、これは次元が違う、ある意味で“すり替え”とも言える議論なので、とりあえず保留しておいたほうが良い。

2.障害者を大事にするのは「いのち」をだいじにすること

この人たちにあるのは「いのち」だけである。だからこの人たちを大事にするということは「いのち」を大事にするということである
ちょっと、出口と入口のすり替えがあるようだ。ここも後で吟味。

3.「障害焼け跡」論は間違い
消防車は火事の時に出動するが、焼け跡になっていれば出動しない。医療も同じだというのが「焼け跡」論だ。これは医療をごく狭く位置づけているという医療自身の問題であるとともに、「役に立たない」障害者を社会から排除する「仕組み」と「思想」である。
実は私も昔はこう言っていたおぼえがある。これは今では相当軌道修正しなければならないと思う。
この理屈だと消防車が焼け跡の整理までしなければならなくなる。
これは障害者医療の問題の本質ではないと思う。障害者にも医療が必要なので、そこに差別があってはならない、という形で整理しなければならない。ごく厳密に言えばだが…

4.医療従事者と患者は向き合う関係ではない
医療は医師など医療従事者と患者(障害者・家族)とが向き合って「治療」がなされているが、これでは治すものと治されるものの関係だけということになる。そうではなく「病気」あるいは「障害」を対象にして、医療従事者と患者が横に並んで協力しながら取り組んでいくというのが医療のあり方ではないか。
この議論は、いわゆる「共同の営み」論の中核をなすのであるが、「共同体の思想」を仲立ちさせないと、こんぐらかるのである。これについては拙著「療養権の考察」の第3部で論考している。

5.「快適な存在を」というささやかな目標
彼はこれからもずっとベットで生活をする。しかしこのこと自体が苦痛であるならば、あまりにもかわいそうではないか。せめて「楽な」「寝たきり」にしてあげたい。存在そのものが「苦痛」であるような彼を見ていてそう思った。
この部分は、前にも紹介した。非常に大事な発想だ。
…まだ緊張が強い日もあるけれども、その時間はずっとすくなくなってきている。穏やかに過ごしているノブオくんを見て、存在そのものが苦痛であると考えていたのが嘘のような気がする。自分の体を自由に動かすことは出来ないけれども、存在そのものを脅かす苦痛はなくすことが出来る、このことは私たちに大きな励ましを与えてくれた。
これは医療上のノウハウ(薬剤をふくめ)によって初めて可能となった。往々にしてスタッフの努力ばかりが強調されるが、ここを忘れてはいけないと思う。

6.脳の形成がなくても、脳が破壊されていても、本人が気持ちよく感じる状態は可能なのだ。
「笑った」という報告を受け、和んだ顔を見ることになって、ほんとうに驚いた。いわゆる笑いではない。しかしその顔は「楽になったよ、気持ちが良いよ、ありがとう」と言っていた。
大変底意地の悪い言い方になってしまって申し訳ないのだが、いささか文学的にすぎるのではないかとも思う。やはり“Believe or not”ではなくそれなりの客観的指標にもとづく評価がほしい。

ということで、ここまではケチつけばかりで高谷先生が見たら相当気分を悪くされることうけ合いだが、実は此処から先が、注意深い人間観察に基づく人間を構成するエレメントの分析・記載になっていくので、まことに面白いのである。

(前のページから続く)この調査の名称は

「全国の計120市区町村の首長と教育長を対象にした、教育委員会のあり方に関するアンケート調査」

特徴は三つある。

一つは文科省の諮問機関である中教審が行った調査だということだ。権威のある調査であると同時に、かなり文科省筋のバイアスがかかっている調査だということである。

二つ目は、調査対象が自治体の首長と教育長だということである。教育委員会そのものではなく、行政に携わるものとして、より権力の意向を反映しているものと考えられる。

三つ目は、調査の内容が「教育委員会の独立性」という、きわめて今日的で微妙な分野となっているからである。

前置きが長くなった。

赤旗は次の4つの項目について数字を掲載している。

1.「教育委員会が首長部局から独立していることが首長にとって制約になっているか

この質問に対しては首長の51%、教育長の59%が「そう思わない」と答えている。

2.「教育委員会が合議制であるため事務執行が遅滞しがちである」か

この質問に対しては首長の62%、教育長の76%が「そう思わない」と答えている。

3.「現行の教育委員会制度を廃止して、その事務を市町村長が行う」べきか

この質問に対しては首長の58%、教育長の85%が「反対」と答えている。

4.(それとも)「合議制の執行機関としての教育委員会を存続しつつ制度的改善を図る」べきか

この質問に対しては首長の57%、教育長の67%が「賛成」と答えている。

この調査は、質問項目を見れば分かるように、かなり誘導尋問的な質問となっている。

なぜそのような質問をしたか。赤旗は以下のように背景を説明している。

安倍政権は、教育委員会の独立性を敵視している。

政府は、首長の任命する教育長に権限を集中し、国と首長による教育への統制を強化しようとしている。

中教審はその方向にそって、教育委員会制度の「見直し」を行っている。年内に結論を出す運びとなっている。

ということなので、このアンケート調査はその露払いの役割を果たすはずであった。

それがこんな強力な肘鉄を食らわされる結果になってしまったのだから、右翼は焦っている。

赤旗によると、

櫻井よしこ委員は、「統計は恣意的に解釈されることが多い」と(意味不明のセリフ)述べました。

そして、「戦後日本の教育は本当におかしい。納得いかない」と不快感を示しました。

そうだ。

義家政務官は「教育委員会の無責任な状況が表出している。責任体制の確立をしなければならない」として、「改革」の断行を強調しました。(義家さんといえば、“歩く無責任みたいな人だと思いますが)


以上、長くなりましたが、自民党・安倍政権・右翼がトレンド、日本人の社会意識のメイン・ストリームを取り違えているのではないかということの意味です。




この間、生保バッシングがメディアを通じて繰り広げられてきたが、その本丸が見えてきた。
政府が今国家に出そうとしている生活保護法の改定案だ。
いろいろ問題があるが、憲法との関係で一番問題になるのが親族の扶養義務。
およそ前近代的な思想で、現憲法の精神に根本的に背馳している。

赤旗によると、

①扶養義務者や同居の親族に対し、実施機関が「報告を求めることができる」というのが一つ。(法律用語とはいえ、いやらしい言い方だ。「嫌ならやめてもらってもいいんだよ」というのと同じ)

②官公署や年金機構、共済組合などに「書類の閲覧」や「資料の提出」を求めることができる。

③銀行や雇い主に「報告」を求めることもできる。

過去の扶養義務者にも「報告」を求めることができる。「報告」には収入や資産状況までふくまれ、勤務先まで照会が行われる。

この最後の一項がすごい。「扶養義務放棄」の犯罪者扱いだ。母親が生活保護をとった漫才師は、実際に激しくバッシングされ社会的に抹殺されたが、あれが誰の身にも起こりうるということなのだ。

自民党の女性議員に拍手喝采を送った皆さん、次はあなたですよ。別れた妻が病気で倒れたら、役所があなたの銀行口座を調査し、勤め先にあなたの勤務態度を聴きこみに回り、そうでなくてもぎりぎりの、あなたの生活は崩壊するのです。

庶民が足の引っ張り合いをしてはいけません。自民党の女性議員はあなたの友達ですか? あなたがいざというとき助けてくれますか。きっと「お前みたいな役立たずは、生きているのが恥だ」と言うんじゃありませんか。心の恥部を晒して歩いている人は、それを恥部だと思っていないのです。


生活保護のリアル みわよしこ

という連載記事がダイヤモンド・オンラインに掲載されている。なかなか読むのがしんどい記事が多いが、下記の記事はなかなか興味がある。

日本の生活保護を海外と比較することは妥当か?
格差社会アメリカ・ボストン市で見た貧困層の実態

中身を一言で言うと、社会保障が世界一ひどいと言われているアメリカだけど、具体的に調べてみると、日本よりマシなんだよということだ。

これは面白そうだ。「シッコ」で作られた「日本まだマシ論」を打破することが出来ればいい。

別に「シッコ」が悪いなんて言うつもりは全くないのだが、社会保障というのは常に論争の対象になるので、トータルにつかむための指標を持つ必要がある。

自民党は日本の生活保護基準が「高すぎる」と言っている。とくにアメリカと比較して主張されることが多い。

これに対して左翼も、アメリカとの比較を避け、英独仏といった国との比較で発言することが多い。

日本の捕捉率が低いことは夙に知られた事実だが、最近自民党のずる賢い連中は「捕捉率を上げるためにも給付水準の引き下げを」と叫ぶようになっている。

こちらの主張を逆手に取った、きわめて狡猾な手法である。

しかし、彼らが勝負するために、こちらの土俵に乗ってきたという事情も見て置かなければならない。彼らとて、今の生保の状況が芳しくないことは、感じさるを得ないのである。

とすれば、話は簡単でトータルとしての生活保護関連支出を比較すればよいのである。これを国民一人あたりとしてみた金額、生保適格者(利用者数に捕捉率の逆数をかければ良い)一人あたりの金額を算出して見ればいいのである。

出さなければならない数字は給付金額ではない。なぜなら金銭的保障以外にも実費や現物による給付があるからだ。しかし出口は多様であっても、予算は一つだから、本来紛れはないはずだ。

ということで、みわさんが提供してくれたのがこの表。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/6/d6424af1.jpg

 ニュースサイト「The Capital Tribune Japan」の記事「米国は本当に低福祉の国なのか?」の表をみわさんが編集してくれたものだ。

みわさんによると、これは現金給付であるTANF(貧困家庭一次扶助)に上乗せされる給付である。

TANFは現金給付であり、1家族あたり年間 8000 ドル程度と低いが、上記のような各制度によって補われている。

2011年、アメリカの公的扶助のうち食事・住宅・医療に関する上記の5つのメニューに必要であった費用の合計は、およそ5千億ドル=50兆円であった。

みわさんによると、「人口を考慮しても、日本の生活保護費の約3倍程度」になるそうだ。私は計算していないが、誰か計算してみてください。

保育所関連状況取りまとめ(平成24年4月1日)

厚労省のサイトのこのページが、今のところ最新の資料と思われる。これは発表用のステートメントとと添付のPDF資料からなっている。発表用のステートメントと資料との間に、かなりの乖離が見られるのが特徴である。

まずは全国状況

保育所定員は224万人
これに対し利用児童数は2,176,802人


全国的にはほぼ満度に利用されていることになる。少なくとも保育所余りということはない。

ついで傾向だが

利用児童数は53,851人増加。平成6年の調査開始以降、最高の増加数となった。
これに対し定員数は3.6万人増にとどまっている。


需給バランスが明らかに悪化しているのは確かである。

ついで待機児童数

待機児童数は24,825人で2年連続の減少となった。


ということなので、需給バランスの悪化にもかかわらず減少した理由がよく分からない。多少の悪条件を忍んで入所するケースが増えているということか。

いずれにしても、過疎化地域をふくむ全国一律の数字では実態はよく分からない。

地域別に見るとどうなるか

待機児童のいる市区町村は、前年から20増加して357となった。

大阪市(268人増)、福岡市(166人増)、藤沢市(125人増)など7市町では100人以上増加した。


ということで結構多い。ただ待機児童数そのものを出さないのは、なにか意図を感じさせる。


このブリーフィングだけを読むと、定員数は利用者数を上回っている。定員数は着実に増加している。待機者数は減少している、という事実が印象づけられる。つまり多少の問題はあっても、保育行政はおおまかに言ってうまく行っているということだ。

ということで、プレスリリースのブリーフィングはなにか変だ。肝腎の数が出てこない。というより意図的に隠されているという印象だ。そこで添付されたPDF資料まで踏み込むこととした。


まず、「特定市区町村」という概念がある。これは50人以上の待機児童がいて、児童福祉法で保育事業の供給体制の確保に関する計画を策定するよう義務付けられる市区町村 を指す。

これこそ、我々の知りたかったものだ。

「特定市区町村」は前年から13市区町村増加し、107市区町村となった。

これが問題の核心でしょう。政府自身も「これは問題だ」と言わざるをえないような市町村が100もあって、しかもますます増えている。
しかも1年間で、107÷(107-13)=14%の増加だから、緊急事態と言わざるを得ない。

ここを記者会見で発表しないのは不届きと言われてもしようがない。

次に経年推移を見る。

利用児童数は
H17 1,993,796
H21 2,080,072
と4年間で1万人の増加なのに対し
H24 2,176,802
とその後の3年間で10万人も急増している。この事実もブリーフィングでは隠されている。

増えただけではなく、偏在が進んでいる

1080市区町村で約6万3千人増加した一方、583市町村で約9千人の減少。

つまり保育所に対する需要は、この4年間に、大都市圏において、急増 していることになる。行政対応は明らかに出遅れている。

最後に保育需要が増えた原因であるが

データから推定されるのは、貧困化である。

就学前児童の総数は6,364,000人である。前年が 6,414,094人であるから、5万人ほど減っている計算になる。

にもかかわらず保育所利用児童の数は、5万人増えて 2,176,802人に達している。
したがって、児童の保育所利用率は急速に上昇している。実に総児童数の34.2%に達しているのである。
とくに増加が目立つのが3歳未満児で、前年に比し1.3%の増加を示している。なにか大きな地殻変動が起きているといわざるをえない。

これを世帯所得の推移や、女性の就業形態の推移と合わせると、“パートにでも出ないと食っていけないから”、という押し出され型就業が容易に想像される。

我々の時代の共稼ぎとは明らかに性格をことにしており、ポジティブな意義付けはできない。

「良い保育を望むなら、民間で」などという余裕はない。保育対策は貧困対策でもあり、就労支援でもある。軽費で利便性の良い公的保育施設がもとめられている。(此処から先は、言ってはいけないことかもしれないが、緊急性に鑑みて、多少の設置・運営基準の軽減はありうると思う)

例えば生活保護の中で大きな比重を占める母子家庭に対しても、保育の確保により就労問題を解決しないと、生むことが貧困につながり、罪悪のようにみなされる時代になってしまう。

個人の尊厳に関わる深刻な切羽詰まった内容が、そこにはふくまれていると見なければならない。(現にネットの世界では、生保受給者いじめまがいの非難と同様な、ギスギスした論調がかなり見られる)


すみません、私の認識不足なんですが、保育所が足りないなんて考えても見ませんでした。
むしろ定員不足で経営は大変だろうなぁ、くらいに考えていました。
我々がパパ・ママ世代だった頃、とにかく保育所はありませんでした。
なにせ団塊の世代が一斉に結婚して子供を生み出したのですから、足りるわけがありません。
おまけに女性の社会進出が一気に進んだ時代でもありますから、お母さん方は血相変えていました。
こちらとしては「そんなに大変なら仕事辞めたら?」くらいに内心思ってはいましたが、とてもそんなことを言える雰囲気ではありませんでした。
とにかく彼女たちは、文字通り階級闘争と位置づけていましたから、一方では「ポストの数ほど保育所を」と訴えつつ、他方では無認可の手作り保育所の立ち上げと運営に関わって行きました。
やがてそれが学童保育に代わっていき、90年ころにやっと一段落を迎えたのでした。

その頃と比べれば、子供の数は減っているし、ジジババ(我々のこと)の数は増えているし、それなりの少子化対策も立てられているし、と思っていたのでした。

今日の赤旗主張によると、東京都内で待機児童が2万5千人に達しているとされています。これは4月からの入所を申し込みながら、受け入れが決まっていない児童の数だそうです。

主張には「なぜそうなったのか」があまり書き込まれていません。2万5千人という数が多いものなのか、こんなものなのかも分かりません。

少し調べてみなければなりません。




加賀さんの本の中に“いじめ論”に関する物がありました。
一言でいえば
いじめは決してなくならない。いじめに負けない心の力を上げていくべき

というものです。
以下はその一部

いじめ絡みの悲劇が起こるたび、どうすればいじめをなくすことができるかという議論がしきりになされます。教師や親も子どもたちに注意する。しかし残念ながらいじめというのは人間性の本質に根ざしたものであり、決してなくならないものなのです。
何時の時代にも,どこの国に行ってもいじめはある。大人の世界にもいじめはあります。だから、いじめを悪として上から抑えこもうとしても、より陰湿さを増すだけで、何の解決にもなりません。


この加賀さんの見解は絶対に間違っています。陸軍幼年学校というスパルタ式のご本尊みたいなところを潜り抜けて来た人だけに、解釈としてはリアルで、とても良くわかります。けど、人間の態度としては、断固、「いじめを許してはいけない!」のです。これは「処世術」以前の「原則」の問題です。

いじめを無くすというのは、いじめが横行する世の中をなくすということであり、いじめっこが大手を振って歩くような社会をなくすことです。

論理をこうやってすり替えると、同じ手口で、体罰も強姦も殺人も戦争も核兵器も許される論理に繋がってしまいます。俗にいう「業の論理」です。

大津問題での委員会答申を見る、といじめを無くすための基本路線がかなり整理されて提示されています。

緊急性から言うと、①ハザード対策、②カウンセリング、③道徳・情操教育、④周辺環境の整備といったところでしょうか。そして何よりも教育にあたる者たちの民主主義が求められています。

ここから先は私見になりますが、いじめを無くすのは、基本としては「いじめをする子をなくす」ことです。それは教育そのものです。
もちろんその前に、差し迫る危険にたいする緊急対策としていくつかあり、さらにいじめを受けた側が自殺衝動に至らないようにするための「強靭化」対策がいくつかあります。

しかし核心はあくまでも、いじめをしないことの大事さを教えこむことです。なぜなら加賀さんが言う通り、誰でもいじめをする素質を持って生まれてくるのですから。

ここで大人が毅然とした構えを取らないと、他のすべての対策も及び腰になってしまいます。「悪いものは悪い」と態度で示すのが根本でしょう。


パソコンが壊れたついでに、溜まっていた本に手をつける。
加賀乙彦さんの集英社から出した新書本。
この人は未だにどういう人か分からない。昔「フランドルの冬」という小説を読んだが、かなりイラツイた。
知識は豊富、理路整然として、語り口はうまいのだが、本心が分からないところがある。

この本は、基本的には精神科医の書いた“幸せ本”である。医者目線が通底しているので、医者が読むにはつまらない。加賀さんも別に医者に読んでもらおうとは思っていないだろうが…

なかで面白かった所

①日本人の集団志向は事大主義に過ぎず、本質的には利己主義だ
社会心理学者の山岸俊男が、「心デッカチな日本人」という本で面白いデータを紹介しています。
日米の学生を対象に、集団の利益と個人の利益のどちらを優先するか、どちらが一匹狼的な行動を好むかを図る比較実験を行った所、アメリカの学生の方が集団の利益のため協力的に行動し、日本の学生の方が一匹狼的に行動する傾向が強いという結果が出ました。
つまり日本人本来の性向としては集団主義が好きでは決してないのに、日々の生活のなかでは無理をして集団主義的に振舞っているというのです。
ただ、ここで山岸氏がいう個人主義とは、「個人の利益を集団よりも重視する」という、個人主義の一側面に限っての話。ほかの側面ではアメリカ人のほうが日本人より個人主義的な傾向が強く出たそうです。

これを読み解けば、「日本人の集団志向は事大主義に過ぎず、本質的には利己主義だ」ということになりますが、加賀氏はそこまでは進みません。

②日本の自殺者統計には嘘がある。実態ははるかに深刻だ。
日本の自殺率はWHOがデータを収集している101カ国中ワースト8位。…主要先進国のなかでは突出しており、アメリカやカナダの倍、イギリスの3.5倍にものぼる。
さらに年間3万人どころか実際には10万人が自殺しているという説もある。…WHOは「変死者」のおよそ半数が自殺だと述べています。
そのため、変死者の半数を自殺者統計に加えている国が多いのですが、日本ではそうではありません。
日本の変死者数は急増しており、ここ数年は年間14~15万人で推移している。諸外国のようにその半分を自殺に含めれば、日本の自殺率は圧倒的に世界一位となる。

③財界・自民党は北欧批判の間違いを反省すべきだ

かつて日米の経済学者や政治家は、北欧型の高負担・高福祉国家は高い税金のために国際競争力が落ちて経済が停滞する、グローバル化する社会に取り残されると、しきりに言っていたものでした。
しかし日本は2003年の世界第三位をピークに、07年の23位まで下がり続けいます。一方、スエーデンはずっと8位をキープしています。
福祉も環境も犠牲にして経済成長を優先してきた国が、経済面でも遅れを取ってしまうとは、なんとも皮肉な話ではありませんか。

これはいい話です。使えます。
むかしから、民主勢力の一部には日本の現状と比較して北欧諸国が素晴らしいという無条件賛美論がありました。
それにに乗っかるつもりはありませんが、財界が「福祉が社会をダメにする」との北欧批判を展開してきたことも忘れてはなりません。
いま財界に対し、深刻な反省を求めてもおかしくはないと思います。


あまりこの話は絡みたい気がしないのだが、NHKニュースに出た以下のクダリは記憶しておいてよのではないか。

第三者委員会の委員を務めた、教育評論家で法政大学教授の尾木直樹氏の談。

「どの教師もいじめを見過ごそうと思っていないし、親も気付きたいと思っているの に、なぜいじめを発見しにくいのか。
これまで科学的な解明や丁寧な分析が無かった。
今回の報告書では、いじめがなぜ発見できず、どうして友人関係の中で不幸な事件が起きてしまうのかが解き明かされている と思う。
報告書が、本当に子どもを救うことができる施策を打ち出すためのきっかけになることを願っています」

ということで、報告書は12の問題点を指摘している
その中で目につくものをあげておくと、
①いじめ認知の遅れ クライテリア(診断基準)の不統一
②教員間の「情報共有化」の遅れ 全体化プロセスの欠如
③教員間の日常的な意思疎通の不足 プラットフォーム(場)の欠如
④学級帰属意識の喪失傾向 学級の広場化とグループの優位化
⑤いじめ防止教育の限界 “いじめ”イメージの極大化という副作用
⑥マンモス校、教員の多忙化など周辺問題


これらの指摘から感じることを幾つか挙げておく。

①いじめは学校の抱えるいくつもの問題の中の一つであり、学校の抱える問題を解決していく道筋と共通している。それだけを切り離して解決することはできない。

②いじめはそれ自体がひとつの日常なのであり、常に存在するのであり、「いじめを無くす」ことは不可能である。担当クラスにいじめがあっても、それ自体は深刻でも恥ずべきことでもない。気軽く、腰軽く取り組まれるべきだ。

③“いじめ行動”の中に、具体的なかたちで危険な傾向を察知することが必要である。そのための簡単明瞭な診断基準がもとめられる。

④子供は本能的で残酷なものであり、自制心と思いやりの心は育てられるものである。いじめは「無くす」べきものではなく、「止めさせる」べきものである。

⑤いじめを止めさせることは、子供を大人にすることである。それは「対応」ではなく、それ自体が教育の中核となる実践である。

⑥情操教育が教育実践の中核的な一つであるとすれば、いじめを止めさせる、いじめをさせない実践は、教師集団の日常的・集団的実践として取り組まれなければならない。

⑦集団的実践の要となるのが職員会議である。それは上位下達の会議ではなく、職能集団の知恵を出し合う会議として位置づけなければならない。学び合い、励まし合いながら、教員の自発性を引き出すよう、民主的運営に心がけなければならない。

⑧学級形成が抜本的解決の鍵であるのはいうまでもない。しかしこの課題はますます困難な課題となっている。子供は兄弟や地域の中で社会的訓練を積むこと無く入学してくるからだ。根本的にはマンモス校の解消や、少人数学級の実現以外にない。

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