鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 32 政治革新(各種の運動課題含む)

連合のご威光はすごいものだ。あらためて見せつけられた。
以前の記事を再掲しておく。

連休中は書かないといったのに、書いてしまう。
2010年の民主党への献金額だ。
赤旗の調査によるもので、全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)と傘下の電力関連労組から民主党の国会、地方議会議員に提供された献金の総額。
多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだが、おそらくこれに数倍する地下水脈が流れていると見るのが自然だろう。
この資金源が組合員の会費によるものだとすれば、かなりの負担額になるが、企業献金の迂回路になっている可能性はないのだろうか。
前回、菅総理が突然に一体改革を打ち出したのも唐突だったが、今回の原発再開もきわめて唐突だった。ウラで相当の金が流れたと見るのが普通だろう。
多少の汚職なら、「いつもの話だ」と見逃すことはあるかもしれないが、民主党の掲げた選挙綱領と真っ向から矛盾するような政策が突如として提出されるのは、いかにも陰謀くさい。
米倉会長のほくそ笑む姿が、眼に浮かぶたびに、苛立ちが強まる。とにかく当面は共産党の前進しか道はない。

登場人物は変わったが、おなじ図式が繰り返されている。

このあいだ、前原新体制について思いを巡らしたところだが、事態は思わぬ方向へと急展開しつつある。
率直に言えば、総選挙の動きは半ファシスト安倍政権の思惑が暴走したものとしか思えない。
前原構想の目標
前原構想というのは、一言で言えば二大政党制の復活であった。二大政党制は小選挙区制とペアーとなった、日本の政治システムづくりの「目標」であった。小選挙区で自民党が長期低落を続ければ、いずれ独裁か革命かという選択を迫られることになる。どちらにしても政治の不安定化は避けられない。
だから、とくに財界を中心にかなりテコ入れも行い、民進党の政権掌握までこぎつけた。
民進党政権は3つの傾向を生んだ。民進党の右傾化(経団連の御用政党化)、自民党の半ファシスト化、そして共産党をふくむ(排除しない)リベラル勢力の伸長である。
半ファシスト勢力とリベラル勢力の対立という構図の中で、民進党(財界主流)は谷間に落ち込んだ。そこからの復活を目指すにはどうしたらよいか、というのが前原の問題意識であったろう。
「共産党を除く」路線が桎梏となっている
それは「リベラル右派」(というものがあるとして)の悩みでもある。結局「共産党を除く」路線が清算されない限り出口がないのだが、そこには未だ踏ん切りがつかない。( 
だから前原は「共産党とは志を同じくせず」と言いつつ、党利党略的に選挙協力はして(させて)、民進党の生き残りと二大政党制の再建を図ったのだろうと思う。
それは明らかな建前と本音の矛盾であり、経団連・連合は前原を信用はしなかった。しかしトリプル補選までは様子を見ようとしていた。
そこを安倍半ファシスト勢力は容赦なく衝いてきた。
これが大まかな構図ではないだろうか。
安倍政権は本来は異端
押さえておかなければいけないのは、安倍政権は日本の支配層にとって異端だということである。
ひとつは極端な右翼思想をバックボーンとし、反中国・反北朝鮮の推進役である。
もう一つは財政再建、金融引締めのオーソドックスな経済政策に対抗して、赤字国債・量的緩和というヘテロな政策を断行したことである。
アベノミクスが打ち出された時、ときの経団連会長はこれを面罵した。しかし兎にも角にもアベノミクスのもとで円高は是正され、日本企業は息を吹き返し、今や空前の利益を上げている。
いっぽう、正統派が打ち出した消費税増税は惨憺たる結果をもたらした。
今や彼らはアベノミクスの前に拝跪し、みずからのビジョンを失ったまま金儲けに奔走しているのである。
半ファシストとの関係を断て
ヒトラーが登場した時、ドイツ経済界の大勢はナチスにきわめて批判的であった。しかし彼らは最終的にはヒトラーの驥尾に付し、十分に儲け、そして第二次大戦へと突き進んでいった。
いま、そういう時代を迎えようとしているのではないか。
小池・細野ラインでの政界の再編はありえない、もはやそのような余裕はないと、臍を固めるべきではないだろうか。反共リベラルの諸氏よ!
需要創出を中核とする経済政策への切り替えを
そして同じヘテロでもリーマンショックをもたらしたグリーンスパンと、それを(欧州を犠牲としてだが)再建したバーナンキの違いくらいは理解すべきだ。(2013年08月05日 バーナンキの変節
変えられない(短期的には)世の流れというものはある。健全化一辺倒の経済政策の誤ちを総括し、内需拡大を中心とするヘテロ政策を組み込んだ新たな経済ビジョンを構築すべきではないか。
最後に、山崎元さんの「民進党への提言」を再掲しておく。これは財界(連合)への提言でもある。

前原・民進党は何をすべきだろうか。簡単にまとめるなら、以下の7点だ。

(1)安倍首相への批判に争点を絞る

(2)憲法と対共産党の議論は棚上げ

(3)選挙協力は実を取る

(4)「再分配政策」重視を打ち出す

(5)金融緩和継続と消費税率引き上げ延期を確約

(6)フレッシュな顔を前面に出す

(7)仲間割れしない!

もご参照ください

今こそ、第二のストックホルム・アピールが必要だ。

相争う二つの勢力が意地を張り合っている。このような馬鹿げた意地の張り合いなどもうたくさんだ。

一つ間違えば世界を存亡の縁に追い込むような賭けを、世界のすべての人は許す訳にはいかない。

どちらにどのような言い分があるにせよ、世界の人にとっては迷惑千万だ。「撃ってみろや→パーン」は絶対困るのである。

とにかく話し合いのテーブルにつけ。

これがまず一つ、最初の呼びかけだ。

二番目には、とかく東アジアには争いの種が多すぎるということだ。そして東アジア自身も、周囲の非アジア諸国も過剰に反応しすぎていることだ。

北朝鮮問題にも明らかなように、もはや東アジアの問題は東アジアだけでは解決できなくなっている。

まずは関係国すべてが問題を総ざらえして、包括的な解決の方向に向けて歩調を合わせていかなければならない。そうしないと、いつまでたっても東アジア問題は解決しない。それはすべての関係国にとって不利益だ。

懸案問題は、多少時間がかかってもいいから包括的に解決しよう。

これが第二の呼びかけだ。

三番目は、いかなる国も、東アジア非戦の運きに対して妨害となるような行動を起こすなということだ。

あらゆる関係国のあらゆる努力は上の2点に絞って集中されるべきである。

東アジア諸国間には、それ以外にも多くの懸案事項がある。尖閣をふくむ領土問題、慰安婦をふくむ戦後処理問題、人権、拉致問題、関税など数え上げればキリがない。

それらは別途解決されるべき課題ではあるが、国家主権の相互尊重なくしては交渉の土台さえ成立しない。

さまざまな意見の違いは脇において、東アジアにおける多国間の核不使用・平和共存のルール作りを最優先すべきである。このことは、多国間協議の対象国のうち日本と韓国を除く4カ国が核保有国であるという現実を踏まえた時、決定的なポイントである。

各国政府は、以上を踏まえた「東アジアの平和」を目指す相互確認の実現をめざし早急な合意を実現すべきだ。

このような趣旨のアピールが発せられ、大方の支持を得られることが当面差し迫った課題であると思う。

多くの方々の反応を期待する。

本日の赤旗2面
ちょと目立たないところに、志位さんの記者会見が紹介されている。
表現は考えられる限りもっとも穏やかなものとなっている。
憲法問題についてはぎりぎり、
「“立憲主義を壊す安倍政権には、そもそも憲法を変える資格がない”という点で野党は結束してきましたが、これからもこの一致点で結束していけると思います」ということで一致点を見出そうとしている。
消費税問題はさすがに同意はできないが、「税制についての考え方は違っても、当面の対応として前向きの合意が得られるようよく話し合っていきたい」と抑えた。
すでに4日の段階で小池書記局長の「共闘推進呼びかけ」が発せられており、トリプル補選を「国政私物化、情報隠蔽のモラルハザード、憲法を踏み破る安倍暴走政治」に対する国民の審判と位置づけた。今回の志位談話はそのための「政策的足かせ」を除くためのものであろう。
おそらく民進党の対応についての関係者議論は、水面下で進行しているに違いない。
その際の暗黙の前提としては、たとえば前項記事の山崎さんの7項目提案が下敷きになるだろう。(ただし第6項はみごとにずっこけたが、第7項はかろうじて維持されている)
念のため該当部を再掲しておく。

(1)安倍首相への批判に争点を絞る
(2)憲法と対共産党の議論は棚上げ
(3)選挙協力は実を取る
(4)「再分配政策」重視を打ち出す
(5)金融緩和継続と消費税率引き上げ延期を確約
(6)フレッシュな顔を前面に出す
(7)仲間割れしない!

これでお互い、とりあえずのトリプル補選での政策的ハードルは乗り越えられる。
あとは「新執行部の方々と、つかさ、つかさでよく話し合っていけば、協力していけるのではないかと期待しています」ということになる。
これは前項記事の松野頼久議員の発言を念頭に置いたものだろう。
いずれにしても、「共産党を除く…」風土の復活を阻止するためには、まさに「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍ぶ」方針だ。
例えば枝野が当選して右派議員が軒並み脱走し、連合が絶縁してもぬけの殻になった民進党が来ても、それだけでは日本を動かすことはできない、と見切った上での判断だ。
ただしこれは市民連合のプッシュがあってこその議論になる。野党共闘というのは野党の共闘ではなく、野党と市民との共闘なのだ。市民連合が「耐えてくれ」といえば耐えるしかない。ポジティブにも、ネガティブにも、そこに、今この瞬間の日本の政治状況がさしかかっている。
トリプル補選の行方がとんでもない重みを持つことになりそうだ。

民進党代表選と野党共闘の行方

9月1日に行われた民進党の代表選挙は、野党共闘の今後を占う上で、興味深いものであった。

しかし、一般メディア上ではこの問題に触れたものはほとんどない。わずかな手がかりをたぐりつつ、野党共闘の見通しについて探ってみたい。

例によって時刻表的に経過を追ってみたい。

1.都議選敗北と仙台の勝利

まずは7月都議会選挙の前後から、

7月2日に都議選が闘われ、小池都知事の与党として結成された「都民ファーストの会」が圧勝した。

まぁこれはいっときのブームみたいなもので、次の都議会まで持つかどうかも怪しい。

これを別とすれば、最大の特徴は自民党の大敗である。色々重なって最悪の状況で迎えた選挙だったから仕方ないにしても、公明党の支援を失った自民党がいかに脆いかが暴露された。

第二の特徴は共産党がブームに埋没せずに、既存陣地を守り、わずかながらも前進したことである。これまでは新党ブームが起きるたびに、その煽りをもっとも受けたのが共産党だった。それを考えると今回の選挙は「共産党ミニブーム」選挙だったと言っていいかもしれない。

ただ、僅差での当選がかなりあることから、これからもこのようにうまくいくとは限らない。

第三の特徴は民進党の惨敗である。これは連合の態度が大いに関係している。連合は民進党を脱走した連中をふくめ、小池新党に肩入れした。彼らは民進党の敗北の代わりに野党共闘派執行部の追い落としを狙った。そして見事に成功した。

「やはり連合なしには民進党は生きていけない」と言うことを、骨身に感じさせた。これによって野党共闘の発展にブレーキをかけようとした。

しかし市民はこれとは逆の反応を示した。都議選の直後に行われた仙台市長選挙では野党共闘の候補(民進党員)が現職市長を破ったのである。

2.股裂き状況と蓮坊体制の崩壊

こうして民進党は完全な股裂き状況に陥った。党そのものの明日を考えれば、野党共闘路線を走るしかない。これはまともな党員であれば誰が考えても分かる。

しかし、最大の支持母体である連合は、共産党をふくむ野党共闘は許せない。そのために、あえて民進党を支持せず自公連合やブーム政党に相乗りすることもいとわない。

こういう状況の中で進退窮まった蓮坊体制は崩壊していく。

7月27日、蓮舫が「党代表を辞職する」と発表した。「二重国籍問題」などという言いがかり的なキャンペーンも、やる気を失わせるには十分だったかもしれない。しかし執行部の取り続けた野党共闘推進姿勢が、強引に押しつぶされたと見るのがもっとも真相をついているのではないだろうか。

さらに連合は揺さぶりをかける。8月8日に 細野豪志が党代表代行を辞任、離党した。

共産党抜きの政界再編をめざすという。おそらくは小池新党や、場合によっては維新まで巻き込む野党連合の形成だ。

しかしこのような政界再編は、民進党の運命そのものを危うくする。かつて連合に見捨てられた社民党や自由党が辿った運命をみずからもたどることになる。

3.右派代表の前原が登場

直ちに次期代表を争うレースが開始れた。当初から前原対枝野の対決になることは明らかだった。

8月17日、前原が突如メディアに登場した。その記者会見は衝撃的でさえあった。

民進党から支持者が離れていく最大の原因は共産党との連携にある。共産党をふくむ野党連合の方針は解消する。

そして消費税増税も実現する、憲法改正にも積極的に取り組む…と驚きの内容が連打された。さぞ連合や経団連は喜んだことであろう。

しかしこのような方針が今の政治状況に見合っているとは到底思えない。これでは民進党の自殺行為ではないのか、と誰しも呆れただろうと思う。

多分言っている本人が一番良く分かっているのではないだろうか。

わたしはこれは練りに練られた一撃ではないかと思っている。党の存続をかけて、連合に詫びを入れたのではないだろうか。このような過激な言明は一度きりで、その後は聞かれていない。

党の解党的出直しのためには強いガバナンスを必要とする。そのためには連合にも頭を下げなくてはならない。

これ以上勝手な想像をしていても仕方ないので、次に進む。

4.前原・枝野の出来レース

8月21日、党首選が告示され、前原誠司と枝野幸男の2人が立候補した。今のところこの組み合わせしか考えられない。

両者の公約は1.自己責任型の社会ではなく支え合う社会を目指す。2.社会の多様性の尊重、3.党を基軸に政権交代を目指す,ことで一致。緊縮財政、消費税増税、金融緩和について意見が分かれる。(buzzfeed

比較

両者の理念は意外に似通っている。ウラで通じ合っているとも考えられる。

両者の公約は1.自己責任型の社会ではなく支え合う社会を目指す。2.社会の多様性の尊重、3.党を基軸に政権交代を目指す,ことで一致。緊縮財政、消費税増税、金融緩和について意見が分かれる。(buzzfeed)

しかし連合との関係では水と油である。だから前原は意図的に連合よりの候補であることを押し出したのではないだろうか。

当選後は枝野と二人三脚でやるという暗黙の了解があった可能性もある。

5.小沢一郎の影

こういう剣が峰での立ち回りは前原一人でできるものではない。

前原の推薦人には旧小沢派の2人が名を連ねる。小沢氏は「前原氏が勝利すれば、野党結集を打ち出すと思う」などと発言したという。(ismedia

地方での投票率は公表されていないが、岩手県選出の民進党国会議員は「全員が前原に投票した」と公言している。

報道によれば、小沢は共産党の不破哲三と太いパイプを持ち、野党共闘のフィクサーの役割を果たしている。

新潟県知事選挙での自由党、森議員の差配はみごとなものであった。民進党抜きで見切り発車した上で、事実上の野党共闘にこぎつけた。誰もその功績が一人、森議員のものだとは思わないだろう。

不破哲三は長年の国会議員経験を持ち、創共協定にも関わるなど、局面では博打も必要なことは分かっている。

前原はこれに乗った可能性がある。表の発言とウラでは意味が違うかもしれないと言われている。

前原の真意は党を割らないことであり、連合とのパイプを残しつつ、議席を確保することである。それは枝野も理解している。

どこまで押しても共産党が黙っているかを推し量りつつ、反共路線を押し出すことで右派の引き止めを図る。

これが前原の胸算用ではなかったろうか。

6.選挙の結果をどうみるか

9月1日国会議員の投票が行われ、前日に締め切った党員の投票と合わせて、前原の当選が決まった。

国会議員 前原 83票 枝野51票

公認予定者 前原 84票 枝野42票

合計 前原250pt  枝野144pt

全てを合計した結果、前原氏502pt、枝野氏332pt

ということで、枝野の予想以上の健闘という側面はあったものの、ほぼおさまり型の結果となった。枝野の顔も立った。

メディアの評価では、「枝野氏の予想外の善戦」で共闘路線への支持が根強いことが示される。「左派系議員を切る純化路線が取りにくくなった」とされる。

これはある意味で、狙い目でもある。

しかし、代表就任に当たっての前原の記者会見はそんな平穏なものではなかった。「厳しい党運営になると思ったのは、無効票の多さだ」と語っている。

国会議員8人は前原支持に回らず、あえて無効票を投じた。これは、共産党との共闘などに不満を持ち、すでに党を離れた細野らと気脈を通じる「離党予備軍」とされる。

連合の神津里季生会長は「目指す国家像が全く違う共産党と選挙で手を組むことはあり得ない」とあらためて釘を差した。

前原の右翼丸出しのポーズは、党内右派からかなり見透かされていると見なければならない。

ここに前原の最大の危機感がある。

7.10月22日までの動き

前原に残された時間・ハネムーン・ピリオドはきわめて限られている。連合がとりあえず差し出口を控えるのは10月22日のトリプル補選までであろう。

選挙次第では、連合は民進党から手を引く可能性もある。流石に維新とは行かなくても小池新党に合流する可能性は高い。そうなれば民進党の社民党・自由党化は避けられない。

各紙の世論調査で前原新代表に「期待しない」との回答は51.2パーセント(共同)で、「期待する」の40.3パーセントをかなり上回った。(連坊就任時は56.9%が期待を示す)

同党の政党支持率も毎日の調査で5%と低迷している。

どうしても議席がほしいとなれば、逆説的に野党共闘への傾斜は不可避である。

9月3日、次期国対委員長予定の松野頼久衆院議員は、「与党との一騎打ちに持ち込まなければ勝てない」と述べ、共産党を含めた野党共闘を維持すべきだとの考えを示した。

松野氏は「(野党共闘を)見直すとは言っても、やらないとは言っていない」と強調。

周囲の状況も慌ただしい。

代表選の翌日、小池都知事が側近の若狭勝衆院議員と会談し、「小池新党」を立ち上げる方針を確認した。

小池氏は「しがらみのない政治であるとか、大改革とか遂げられるような状況を国政でも作っていきたい」と意欲を示した。

山尾議員をめぐる報道も連日続いている。山尾は「保育園落ちた。日本死ね」の質問で一躍有名になったが、もともと経歴は芳しくない。

昨年、ガソリン代支出での不適切な処理を指摘され、「ガソリーヌ」というあだ名で呼ばれていた。

今年の仙台市長選では野党共闘候補を応援し、2週間後の横浜市長選では自公候補を推すという無節操ぶりである。

権力の標的とされ、民進党に残っても目がないと見るや、さっと逃げ出す足の速さは一流である。

今回の不倫疑惑は例によって公安と週刊文春の二人三脚であろうが、権力側が民進党の動向を野党共闘の成否の勘所と見て、攻撃に回ったことの証であろう。

いずれにしても10月のトリプル選挙だ。民進党がどうなろうとそれは民進党の問題だ。しかし権力が野党共闘を阻止するために民進党に的を絞ろうとしているなら、この選挙は天下分け目の戦いになるかもしれない。

追補

山崎元さんはわりと好きなエコノミストである。その山崎さんがダイアモンド・オンラインに面白い記事を載せていた。

前原・民進党は何をすべきだろうか。簡単にまとめるなら、以下の7点だ。

(1)安倍首相への批判に争点を絞る

(2)憲法と対共産党の議論は棚上げ

(3)選挙協力は実を取る

(4)「再分配政策」重視を打ち出す

(5)金融緩和継続と消費税率引き上げ延期を確約

(6)フレッシュな顔を前面に出す

(7)仲間割れしない!

リアルで適確だと思う。ただし民進党にとってはよろしいが、国民にとってよいかどうかは別。


仙台まで勝ってしまった。

参議院選、都議会選と続いて、ついに仙台まで野党共闘で勝ってしまった。

このまま勝ち続けるとどうなるのか、真剣に考えないとならなくなった。

民主党が潰れるのと自民党が潰れるのとではわけが違う。自民党にはオルタナティブがなくなってしまっている。首相官邸に権限を集中しすぎたことが、いまとなっては裏目に出ている。

かと言って野党共闘に確固とした軸足があるわけではない。政策を基本とした政権構想がますます焦眉のものとなっている。

とりあえず共産・自由・社民あたりで叩き台的な政策協定が必要であろう。その原案は市民勢力がひねり出さなくてはならない。民進党は、いまなら最後は乗ってくる。

生き延びようと思えば、もうそれしか選択肢はなくなっている。

おそらくサンダース、コービン、メランションらの政策を参考にしながら日本の状況に合わせたものが打ち出されるべきであろう。

反格差、平和憲法擁護、立憲主義、環境あたりが政策の柱になると思う。

民進党の都議選敗北についての報道は少ない。中身もお座なりで ある。 しかし民進党がこれをどう受け止めるかは、「野党共闘」の将来を 見ていく上ではきわめて重要である。 都議選での敗北自体はそれほど深刻な問題ではない。勢いで闘 った選挙だから、それに乗れなければ埋没してしまうのはある程 度仕方がない。 責任を問われるとすれば、選挙前に11人の離党者を出した都連 であろう。 それに民進党の東京都連というのは伝統的に連合の別働隊で、 ダラ幹の巣窟であるから、負けたのは自業自得である。今回の敗 北は基本的には都連・連合の敗北である。 だから党中央の執行部を責めてみたところでせせらわらわれるく らいが関の山だ。「二重国籍問題」などやればやるほど、騒ぐ方の 人気が落ちるだけだ。 問題は「野党共闘」路線を取る執行部が今後とも主導権を確保で きるかどうかだ。あるいは党と連合の関係が最終的な決裂に向か うかどうかだ。 これまで連合は民進党を手足のように使ってきた。しかし今後は 等の主体性を尊重せざるを得なくなるかもしれない。小選挙区制 のもとで民主党と絶縁することは、みずからの政治的発言権を失 うに等しいからだ。 民進党がここまで国民の信頼を失ったのは政権担当時に連合が 鳩山・小沢下ろしをして党を私物化し、経団連に売り渡したからだ 。
みずから敷いた健全野党論・二大政党制の路線をみずから破壊してしまった。今後とも私物化路線を続けるならば、それは連合=経団連にとっても自殺 行為となるであろう。 今後の党の主導権争いは、そういう点からも注目の的となるであ ろう。

志位講演を読む
講演の大半は核兵器禁止条約にあてられているが、こちらはいずれまとめて検討する。
あいさつ代わりに都議選の話があるが、当然のことながら面白い。日本ハムが勝った翌日の「道新スポーツ」みたいなもので、面白くないわけがない。
まず面白かったのが、
「都民ファーストの会」という「受け皿」勢力が登場しました。この勢力は総定数の4割を超える議席を獲得しました。いわば、東京都議会の議員定数が一挙に4割減るようなものです。
というところ。「なるほどそうも言えるな」と感心してしまった。
もう一つ、「都民ファーストの会」はフアっとした雰囲気の受け皿にはなったが、もっとゴリッとした怒りの受け皿になったのが共産党だったということだ。
選挙戦が進むにつれて、安倍・自民党に対する批判の質が変わりました。政策に対する批判だけでなく、その体質への批判、もっと言えば嫌悪感が広がっていったのではないでしょうか(拍手)。こうなるともうだめですね(笑い)。
…どこでも寄せられた声は、「早く安倍さんを辞めさせてほしい」「もうテレビであの顔を見たくない」というものでした。
こういう怒りはもはや「都民ファーストの会」では受け止めきれない。こうして溢れた怒りが共産党へと向かったということになる。
傑作なのは目黒区でのエピソード。
(共産党候補が)高級住宅地で訴えると、ベンツの車中から次々に『必ず入れる』と声がかかる(笑い、拍手)。つかつかと歩みよってきた男性が、ほとんど怒った声で『自民党を落とせ。がんばれ』と声をかけてくる。これまで全く反応がなかった中高年のサラリーマン層が変化した」(拍手)

この変化をどう受け止めるか。志位さんはある政治学者のコメントを引用している。
特定秘密保護法から安保法制、共謀罪、さらに原発、これらの課題で一貫して極めて強い批判勢力があり、それが日本全国で確固として存在している。この人たちの受け皿になり得たのは、都民ファーストでなく共産党だった
そして次のようにまとめた。
“怒れる有権者”は共産党に投じた
今回の選挙では野党共闘がかなり進んだ。自由党や社民党が本気で共産党を応援した。これは政治算術の結果ではなく、他党の活動家がまさに“怒れる有権者”へと変化したことを示しているのだろう。


共産党創立95周年記念講演会での不破講演が赤旗に掲載された。
相変わらずの頭脳明晰ぶりに頭が下がる。ただ冒頭の軍国少年の思い出がやや長くなり、後半、とくに綱領の話題が端折られてしまったのは残念だ。
講演内容はほぼ既出の内容だが、マルクス・エンゲルス全集の話は初耳だった。
…ソ連においてさえ、全集の刊行が最初の部分だけで中断していたときに、「マルクス・エンゲルス全集」全32冊、「資本論」をふくめると37冊になりましたが、これが世界で初めて刊行されたのであります。
…これは、多くの研究者がマルクス・エンゲルスの文献をヨーロッパ方面で収集しながら刊行したもので、科学的社会主義の研究への大きな貢献となりました。

政治反動化の構図の中では、「共産党を除く」という共産党外しの戦略を、自らの体験を踏まえて非常に重視している。
我々はこれまで社公合意、小選挙区制、二大政党制を反動化の3点セットとしてとらえていたが、「共産党を除く」路線は社公合意にとどまらず、小選挙区、二大政党制を貫く権力側の方針の底流であったと強調している。そして「共産党を除く」がまかり通った34年間を歴史的な一時期として捉えるようもとめている。
ただ「共産党外し」だけを取り上げるのは、いささか一面的な気もする。たしかにそれは「主要な側面」ではあったが、彼らにとっては、共産党を除く政党の中から「健全野党」を形成しようという展望も併せ持っていたのではないかと思う。ただその「健全野党」の枠組みはかなり右寄りにシフトされており(例えば読売vs日経みたいな感じか)、国民の常識に沿うものではなかったがゆえに、その後も軋轢を生み続けてきたのであろう。
それはさておき、不破さんは「共産党外し」という基本戦略の上に、安倍政権の特徴的な政治手法として3つを上げている。
1.候補者の指名権の最大限利用による首相の支配権強化。(これは小泉首相以来だが、安倍首相ははるかに高度なものにした)
2.国政の密室化。国政の真相を国民の目から隠す秘密主義が一気に拡大強化された。
3.内閣人事室の設置(2014年) 官庁から上級幹部の任命権を奪った。官僚機構が首相官邸の絶対的支配下におかれることになった。
不破さんは、これらの手法が一体化されて首相官邸の国会と官庁の独裁的支配に繋がったと見ている。そして官邸独裁システムの完成により、「ウルトラ右翼の潮流による国政私物化」が一段と深刻な段階に入ったと見る。
長年国会運営に関わってきた人の、重みのある発言であろう。

本日は夕方から伊藤真(伊藤塾塾長)さんの講義を聞きに行ってきた。
「立憲主義って何?」という題で100分。
まさに立て板に水という感じでさらさらと流れていく。まことに見事な水際だった講義だった。
終わるなり、「はい、本日は質疑応答はございません」ということで、そそくさと会場をあとにした。その足で東京に帰るのだという。
しかし決してつまらなかったというのではない。いくつかの聞き逃せないポイントもあって、きわめて充実した100分であった。正直言うと、歳のせいか最後の15分位は頭が回らなくなるほどであった。
予備校などで東京の人気講師が出張で特別講義をすることもあるようだが、まさにそういう感じだった。
ただし、ただしである。
「立憲主義ってなに?」という演題にもかかわらず、立憲主義ってなんなのか、結局わからなかった。
講義が終わって、「はい、それでは “立憲主義とは何か” レポートを書いてください」と言われるとはたと困ってしまうのである。
話の中身のほとんどは「憲法とは何か」みたいな話であり、憲法改悪を狙う安倍政権の行動は、立憲主義の破壊でもある。したがって憲法改悪策動に反対して闘うことが「立憲主義を守る」戦いである、という一種の循環論法になっているように聞こえてしまう。
主催が「東区9条の会」であり、聴衆のほとんどがおじさん、おばさんばかりだったから、そういう話になったのかもしれない。専門家が集まる会合であればもう少し違った話になったのかもしれない、というのがとりあえずの感想だ。
もう頭も回らなくなってきているので、かんたんに議論の骨組みというか問題の所在について書き留めておきたい。
立憲主義をマグナカルタの思想にもとめるというのは、根本となる考えである。主権在民の意志を憲法という形で定式化し、それで権力の手を縛るというのが立憲主義だ。
これについては一握りの御用学者を覗いて誰しも一致するだろう。
もう一つは「民主主義」が暴走する際に、歯止めとして憲法を位置づけるという考えである。これがなかなか難しい。ナチスを生み出したのもトランプを大統領に押し上げたのも「民主主義」だ、という前提がある。
もちろんその民主主義は真の民主主義ではなく「手続き民主主義」にすぎないので、我々が目指すべきものとしての民主主義そのものではない。
しかし立憲主義を唱える人の中には民主主義に対するペシミズムと密かな貴族趣味への郷愁を忍ばせている向きもある。それはハンナ・アーレントに通じるものがある。
民衆の自律的運動を右でも左でもポピュリストとして一括し、よりあからさまに民主主義への蔑視を公現する人もいる。彼らから見れば、「地獄への道は善意で敷き詰められている」のである。
しかし考えても見てほしい。マグナカルタはすでに千年近い昔の話である。それだけの時間をかけて人類社会はようやくここまで来たのだ。そうかんたんに民主主義に絶望しないでほしい。
「天国への道もそれ以上に善意で敷き詰められている」のである。
社会の進歩は積み重ねだ。最初は法治主義、ついで立憲主義が積み重なって、その上に民主主義の地層が出来上がろうとしているのだ。こういう階層的な構造の構成部分として立憲主義を見ていく視点が必要なのではなかろうか。

本日の赤旗「潮流」欄に面白い主張が紹介されていた。

以下引用

トランプ氏の政策は、以前アメリカの政治学者ハンチントンが論じた「文明の衝突」を思い起こさせます。しかし政治学者の河合秀和氏は「文明が衝突するわけがない。無知が衝突するのだ。これが戦争を起こす」と警告します。

なるほどその通りだ。

文明というのは、本質的に衝突を回避する知恵を持っている。ある意味で異文化の許容と交流の中から文明が生まれるともいえる。ただ文明がもたらす知恵は、必然的に知恵の個人差をもたらし、社会の一部に相対的な無知をもたらす。

「無知というのはアプリオリな概念ではなく、知恵の社会的結果としてもたらされる」ともいえる。最近流行りの「情報リテラシー」である。だから文明が発展するためには、絶えず相対的無知の底上げが必要になる。文明というのはそういう尺取虫型の発展をするものなのだろう。

そうはいっても、この無知は時として文明にとって致命的なものとなる危険がある。「文明そのものの衝突」に至ることさえある。我々はさまざまな闘いの場面で、教育の視点を失ってはならないと思う。


余談だが、「空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなわたしがわるいのよ。そしてあなたのせいなのよ」という落語()のギャグは、みずからの無知を根拠とする不当な言いがかりであるが、えらくしんどいことではあるが、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも」、みんな理由があるということを説得するというのが教育の視点である。


余談の解説: 郵便ポストが赤いのは郵便制度は、明治時代にイギリスの制度を導入したとき、イギリスのポストが赤かったからだそうだ。ドイツは黄色、アメリカは青色なのだそうだ。(◎雑学 建物の雑学

昭和63年(1988年)10月2日の東京新聞にイギリスのポストが赤い理由がロンドンの郵便博物館館長スタン・ゴーロン氏の話として「近代の郵便制度がスタートしたころは、ポストも緑色だったのです。ところが、郊外では周囲が緑の中に埋もれて、分かりにくい。そこで1854年、目立つようにと赤色に変えたのです。」と記されています。Yahoo知恵袋より

世界の郵便ポストの色

なぜイギリスの郵便制度が採用されたのか。これは目下情報収集中。

さらに余談の余談。消防車がなぜ赤いのか。これも随分たくさんのQ&Aがあるが、どれも紋切り型だ。ひどいのは法律で決まっているからだとして、法律の制定過程や条文を長々と説明している。骨の髄からの「小役人」だ。

NAVERまとめに赤だけじゃない?世界の消防車いろいろというページがあって、たくさんの写真が楽しい。郵便ポストと違って、だいたいどこも赤のようだ。「なんたって火の色でしょう」ということが分かる。



実は小沼さんの文章に注目したのは、あまり本筋ではないところにある。それは次の一節だ。

日本学術会議も加入しているICSU(国際科学会議)は、65年に「ICSUとその傘下組織はいかなる目的であっても、国家のいかなる軍事組織からも、資金を受け入れ、あるいは仲介すべきではない」と、申し合わせをしています。

私が学術会議の倉庫から掘り起こしたICSUの資料によれば、この申し合わせの提案者は日本学術会議であり、物理学者の藤岡由夫が出席して提案したのでした。

と、思わぬところから藤岡由夫の名が飛び出した。

失礼ながら、藤岡由夫が進歩的陣営の一員だったという記憶はない。そこで藤岡由夫の略歴を探し出した。

日本理学会(JPS)雑誌の「談話室」という読み物欄に、瀬谷正男さんの「藤岡由夫先生のこと」という追悼文が載せられている。

おそらく藤岡が76年に亡くなって、間もなくのものと思われる。

25年(大正14)に東大理学部物理学科を卒業。すぐ理研に入り、分光学を専攻した。29年にヨーロッパにわたりオランダとライプツィヒで分光学を深めた。

34年(昭和9)に帰朝し、東京文理大の助教授を兼務するようになった。核物理学の研究に手を染めるようになったのはこれ以降のことらしい。

45年に戦争が終わると、彼は思わぬことをはじめる。模造真珠の開発と赤外分光光度計の製造である。

模造真珠は従来魚の鱗から製造していたものであるが無機物から製造できる ようになり模造真珠工業は非常な発展を遂げ一時は雑貨輸出の第一位を占めるようになり,外貨獲得に大きな貢献をした.

赤外分光光度計は専ら輸入に頼っていたものであるが、光研にて製作技術を完成してからは、輸入を防遏し得たのみでなく輸出されるようにすらなってきた.

なぜこのような商売を始めたか。瀬谷さんはこう書いている。

国民を飢餓から救うには、食糧を輸入するための外貨を獲得しなければならぬ.科学者にできることは、産業と深いつながりのある研究所を創設し,科学者に相応しい輸出用製品の製造抜術を確立することである。

49年 藤岡は創設されたばかりの学術会議会員になった。間を挟みつつ65年まで務めている。先程話題となったICSU申し合わせは65年(昭和40)とされており、彼の任期の最後に当たる。

53年 学術会議会員の任期中に、藤岡は学術会議原子力特別委員会の議長を務めた。

当時世間・一般の空気は原子兵器と関係のある原子エネルギーの研究には批判的であったが、政府は原子炉予算を閣議決定した.
科学者の間からは様々な意見がだされ議論は沸騰した。
このとき藤岡先生ば政府と学者の問に立って非常な努力を重ねられ、原子力平和利用三原則を確立することによりこの難局を切り抜けられた.

ということで、なかなかの政治家であるが、「平和利用三原則」は原発推進派の言葉上のエクスキューズとして挿入されたかのようなニュアンスも、瀬谷さんの文章からは伝わってくる。

伏見康治さんは中曽根・正力のための「いちじくの葉」であり、「原子力にシロウトの年寄り教授たち」と酷評している。(自らも池田大作のいちじくの葉になったんだが、晩節は全うした)

それが、今回の小沼さんの「発見」である程度、藤岡さんの名誉が回復されたような気もする。

本日の赤旗文化面には小沼通二さんが登場し、インタビューに答えている。

小沼さんと言っても話は通じないかもしれない。31年生まれの物理学者で、物理学会の会長も務めている。現在も世界平和アピール七人委員会の委員を務められている。

話を簡単にまとめると、

学術会議の前身である「学術研究会議」が戦争に協力し、深く関与した歴史があり、戦後はその反省から「学術会議」が組織された。

その「設立の誓い」は振り返るに値する。

そこにはこう書かれている。

これまで我が国の科学者がとり来たった態度について強く反省し、…我が国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う。

45年に国連が結成され、紛争の平和的解決を原則とした。冷戦が始まった48年、ユネスコに結集した8人の社会科学者が、「戦争はやめられる」という声明を出した。

これを日本の科学者50余人が熱心に分析し、翌年の49年、戦争を完全否定した「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」を出した。

ほかにも、物理や地質学など、さまざまな学会や研究グループが平和声明を出した。

戦争はついこの間のことで、反省は多くの人にとって具体的経験と感覚に基づくものだった。

こうした動きを汲み取る形で、49年の日本学術会議の設立と「設立の誓い」、50年の「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない声明」が出来上がった。

ということで、大変に格調の高いお話だ。


この記事で私が注目したのは、まず平和反戦ということでの広範な科学者の決意である。

以前、「武谷光男が親ソ・親中の立場から核開発を推進しようとした」という批判に、検討を加えたことがある。

たしかに武谷が戦後の初期に核の平和利用の推進論者であったことを否定はできない。しかしそのことをもって反戦平和の戦闘的実践者であった事実をチャラにすることはできない。

批判者にもしそういう底意があるのなら、それは戦後の反戦平和運動への侮辱になりかねないと思う。

そこにはまず平和運動があり、核兵器への警戒感は薄かった。今日我々が考えるように反戦と反核はイコールのものではなかった。また、アインシュタインら進歩的な科学者が反ファシズムの立場から核兵器の開発を促し、協力さえしたという事実が、反核の意見をためらわせた可能性も否定できない。

しかしそれ以上に彼らは熱烈な平和愛好家だった。だからこそ、その後の動きの中で急速に態度を明らかにし、反核・反戦・平和の一体となった闘いに立ち上がっていくことになるのではないか。

それが50年代前半の動きだ。詳細は年表を参照いただきたい。ただし本家の日本共産党は6全協以降の再建過程で、(一時的ではあるが)明らかにこの到達点から退歩を示している。そして武谷はそういう共産党から徐々に距離を置くようになっていく。


反核と反戦平和の課題を分けて論じるのは、我々の核兵器特殊論の最後の残渣かもしれない。

通常兵器(大量破壊兵器)と核兵器は区別して考えなければならない。それはいままでもそうだったし、これからも間違いなくそうであろう。

ただ運動論としては反戦平和運動と本質的に変わるところはない。通常兵器も核兵器も同じように、究極的には廃棄されるべきものだ。ただ緊急性においてははるかに異なっているわけで、そのために各論的には形態の違いが出てくる。

通常戦争については反対しない人であっても、その緊急性に鑑みて「共闘」することは大いに有り得るし、現にそういう形で運動は進んできた。

同じことは核の軍事使用と平和利用の関係についても言える。福島の原発事故で反核運動家は衝撃を受けた。

「平和利用については安全面で許容できるものなら容認する」という従来の考えは70年代のスリーマイル、80年代のチェルノブイリで根本的変更をせまられた。また、その出自から言って「純粋な平和利用などありえない」ことについての認識も深まっていた。

つまり実質的には「平和利用をふくめすべての(純粋研究目的以外の)核の使用反対」の立場に移ってきてはいたのだが、「平和利用容認論」を面と向かって、自己批判もふくめて否認したことはなかった。

とくに歴史的に遡って、「なぜ」の問題をふくめての自己批判は未だ行われていないように思える。

この問題での真摯な取り組みが必要ではないだろうか。

テロリストという言い方にはいつも抵抗がある。
善悪は別として少なくとも白色テロと赤色テロ、あるいは黒色テロとは区別する必要がある。白色テロは権力の弾圧の一環であり、いかなる意味においても糾弾の対象である。黒色テロはテロリズム思想の発露であり、無政府主義の一部を形成している。これについては個別に議論しなければならない。赤色テロは本来ありえない概念であるが、実際には存在する。
狭義のテロは、どの形態においては「暗殺」とほぼ同義である。大変グレーゾーンの広い領域であるが、「窮鼠ネコをかむ」行為であることにおいて共通する。問題はそのテロリストが「窮鼠」であったかによる。
いずれにしても、ここまでが本来の古典的なテロの範疇である。それは法治国家においては明確に刑法上の犯罪を構成する。あとはどのくらい情状酌量の余地があるかということだけだ。
かつてテロリストはいくばくかの美意識を持って語られていた。「弱者の英雄」としての側面を持っていた。テロで歴史が変わるものでは決してないが、「及ばずともせめて一太刀」の思いが感じられた。
秦の始皇帝を暗殺しようとした荊軻は、「壮士ひとたび去ってまた還らず」と歌った。2千有余年を経て、未だに英雄である。
兵営の襲撃に失敗したカストロは、「歴史は私に無罪を宣告するだろう」と叫んだ。
「われは知る、テロリストの かなしき心を」の石川啄木についてはいずれ、もう少し調べてから論及したい。

4つめがいま流行りの「テロもどき」である。
この「テロもどき」には2つの特徴がある。ひとつは命をかけるに値するターゲットがないこと、したがって大義がないことである。大量・無差別で、実行犯の倫理性とか思想性がまったく感じられない。
二つ目にはイサギがない事である。「自爆」テロと言うが、自爆するのはテロリストではなくその手下だ。特攻隊で突っ込んでいったのは特攻の指揮者ではない。女子供を騙しこんで自爆させる卑劣な手口には憎しみしか感じない。口先で何を言おうと、それはただの「臆病な愉快犯」だ。


北九州市議選の結果を見ると、「衆議院小選挙区は原則無党派で」という方向がますます明らかになっていると思う。
北九州
低得票率のため、公明が伸びた。後はちょぼちょぼという結果だが、維新が全滅したのは明るいニュースだ。共産党が4議席減の中で1議席増を勝ち取ったのも大きい。
全体として、政治の流れが変わるような大きな変化はなく、保革ががっぷり四つで力比べという印象を受ける。お互い胸突き八丁だ。
自公対野党共闘は31対18で、これに無所属の多くが全国選挙では保守の側につくとすれば、改憲議席数は依然握られている。
西日本新聞は
共産は改選前に議席のなかった八幡東区で新人が当選し、10議席に伸ばした。次期衆院選で野党共闘を協議している民進に差をつけた形になり、衆院福岡9、10区の候補者一本化調整に影響を与える可能性がある。
と書いているが、そういう問題ではない。
問題は改憲阻止勢力を増やせるか否かにあり、そのために民進党・連合が党派性を我慢できるかどうかにかかっている。そのためには無党派市民勢力の頑張りに期待する他ない。「野党共闘で改憲阻止」の叫びが民進党を包囲する状況をこの数ヶ月で切り開けるかどうか、そのために共産党が無党派市民勢力とどれだけ心を響かせ合えるかが問われていると言えよう。

共産党言葉

「あえて言葉といいたいんですが」という中には、どんな言葉がふくまれているのだろう。

共産党系の活動家が何気なしに使う言葉の中に、庶民感覚で言えば「機微」に触れるような表現はないだろうか。

とくに誰かを批判したり非難したりする言葉に「組合型」の表現とか、「ソ連・中国」風の言葉の残渣が残っていないだろうか。

これは一度、統計にかけて見る必要がありそうだ。

赤旗に出てくる言葉で、市民の間では使われないもの、我々の中でさえもすでに死語となりかけているもの、市民の間でも使われているが、ニュアンスが違うものなど色々ありそうだ。

これらをふるいにかけて見る必要がある。

いまはこれといって思いつかないが、それは私の感覚が麻痺しているせいかもしれない。

統一戦線という言葉

また野党共闘の目標設定でも、例えば「統一戦線」などという言葉は出てこない。中身的には「統一」であってもその言葉は使わない。

中津留・小池対談でも「統一」という言葉はないが、小池さんはしっかりと「統一戦線」の中身を語っている。

考えてみれば、統一戦線=United Front というのは、各々の前線をつなげようという意味だ。それ自体が「共闘」なのである。問題はその共闘の積み上げの中から何が見えてくるかであるが、それについては対話の積み上げしかない。肝心なことは「統一」という言葉に染み付いた共産党エリート感を払拭することである。

もちろん、対話に臨むに当たってはこちらにも意見があるわけで、そこから先はいろいろ言わせていただくことになる。

民主主義という言葉

もう一つの目標である「民主主義」についても、相当理解の内容に差があると思う。普通の市民は「民主主義」についてそれほど特別な意味を付与していない。独裁でなければ民主主義だ。みんなで民主的に決めましょう、というレベルだ。

これに対し共産党は民主主義に特別な意義を課している。二段階連続革命と、人民民主主義概念だ。だから北朝鮮でさえも「人民民主主義共和国」になってしまう。また組織原則にも「民主主義的中央集権制」という言葉がいまだに残っている。

だから、共産党が「民主主義」というと、相手は相当身構える可能性がある。課題として「真の民主主義の実現」を掲げることがあっても(当然だが)、もう少し噛み砕いた、内容を伴った表現にしていくほうが良いかもしれない。(出来るだけということで、民主主義の旗を降ろせとは言わないが)

とりあえず、我々には「国民が主人公の政治」という言葉がある。(以前は「働くものが主人公」といっていたような気もするが)

それに置き換えられるものは置き換えていく、というのも一つの手かもしれない。あるいは「庶民中心主義」という表現もあるだろうか。

自由主義という言葉

逆に「自由主義」という言葉にはこちら側が過剰に反応することが多いが、Liberalism は私たちが今後作っていくであろう社会にとってきわめて重要な柱である。

これについても、はっきりした判断に基づく適切な表現法を身につけるべきであろう。そのことによって 勝手放題主義であるNeo-Liberalism に対する批判もより説得力のあるものとなるだろう。

余談だが、そうなると民医連=民主医療機関連合の「民主」はどう表現したら良いのだろう。「庶民のための」かな、「庶民中心主義に基づく」かな?

本日はたまった赤旗のまとめ読み。相当しんどいぞ。

最初は3日号の小池書記局長と中津留章仁さんという人の対談。中津留さんは43歳、気鋭の劇作家で社会派と呼ばれているようだ。

顔は精悍そのもの(バセドウっぽい)で、ちょっと負けそうだが、言っていることは確かだ。日本にはこういうアラフォーもいるのだ。

対談の中で気に入ったくだり

共産党っていう政党は理念がはっきりしていることが強みですね。それにとてもわかり易い。

…一言いえば、理念に対して現状の矛盾をどうとらえるかですね。矛盾に対する市民の空洞というか、心のよりどころのなさ、これをどう捉えていくのかに関して、もう少し描き込んでもいい、文脈がほしいなという気がします。

この言葉の伏線として、最初の方に次の言葉がある。

人間の苦しみや、機微を描くというのは演劇のすごく良いところです。


以下は私の感想

人間の苦しみを描くというのは、必ずしも演劇でなくても可能だ。一つの表とかグラフの持つ訴求力は何本ものドキュメンタリーに匹敵するものがある。

問題はその後の「機微」だ。中津留さんは「機微」を、苦しみとそれに立ち向かう人間の間に織りなされるいくつものシーンの複合としてとらえる。

だから機微というのは前向きのポジティブな力を持っている。そこをどうすくっていくかというのは芸術の仕事になるのだろうが、政治に携わる場合にもそこは土台にしていくべきだ。

ということを伏線として考えて行くと、

①「大衆の気分」というベタな静的把握ではなく、「機微」の集合体として、ダイナミックでポジティブなものとしてとらえる観点が必要だということ。

②そしてそれが「心のよりどころのなさ」に絡み取られて、にっちもさっちも行かなくなっていること、

③その「心のよりどころのなさ」は政治と現実のギャップ、「空洞」を埋めきれない国民の戸惑いの表現だ。(このあたり小池さんと響き合っている)

④ここを社会変革の展望へと結びつけていくためには、「機微」とをつなぐ「書き込み」が必要であること、

⑤いわばその「書き込み能力」が共産党に問われているのではないか

という、問いかけだ。

非常に鋭い、的を得た提言だと思う。


もう一つのポイントは、いわばその応用問題になる。

それと言葉、あえて言葉といいたいんですが、行き違うことっていっぱいあると思うんです。批判するときにも、相手の正当性をちゃんと理解しておくということがとても重要だと思うんです。

おそらく野党共闘を念頭に置いたものだろうが、

「批判するときにも、相手の正当性をちゃんと理解しておくということ」という発言で、ひょっとして中津留さんはその現場に立ち会わせたのかもしれない。

共闘のさまざまな局面の中には、「あえて言葉といいたいんですが」とあえて言いたくなるような場面があってもおかしくはない。

「相手の正当性」というのは論理の正当性ばかりではない。ネゴというのは個人対個人の対話でもあるわけで、「機微」の正当性も問われなければならないのである。

その際、最初にも述べたように、「機微というのは前向きのポジティブな力を持っている」という認識が土台に座らなければならない。

つまり、中津留さんは「もっと仲良く、礼儀正しくおやんなさい」といっているのではなく、交渉相手が抱いているであろう、「苦しみとそれに立ち向かう人間の間に織りなされるいくつものシーン」を評価しつつ語れと提起しているのではないだろうか。


こういう含みを持つ中津留さんの問いかけに対して、小池さんも感度鋭く反応している。

大会決議案でも「自己改革しなきゃいけない」と強調しています。メッセージの伝え方についても、もっと考えなきゃいけない。

とくに市民と野党の共闘という新しい段階に来て、僕らもいろいろ試されている。

「いろいろと立場の違う、いままでの経緯も違う、そういった人たちとほんとに心を通わせる」ことを、「相手をリスペクトする」ことの真の中身として実践する、

それが、「これからの共闘」、「新しい政治」の重要な土台柱となる。

俗っぽく言わせてもらうと、すり合わせ型共闘から対話型共闘への転換、ともいうべきか。(ちょっと軽すぎるけど) 


先日の新潟県知事選挙についての関係者鼎談は、きわめて面白いものであったが、紙面の性格上あまり舞台裏に触れたものではなかった。

運動層が泉田から米山へと流れたのか、それとも新たな支持層が開拓されたのか

原発を最大の争点として掲げるという判断がどうして決められたのか(米山候補は元来は反原発派ではなかった)

泉田擁立断念から米山担ぎ出しの動き、その仕掛け人は誰だったのか


POST というサイト(元”SEALDs POST”)に

という記事があった。「新潟に新しいリーダーを作る会」の共同代表である磯貝じゅんこさんによるコラムである。


磯貝さんは初めて関わる参院選挙で街宣カーの上に乗り、時には候補者の代わりとなって演説する。時には政党間の接着剤の役目を果たした。

参院選後、現職の泉田知事を応援すべく磯貝さんら市民が「おむすびの会」を立ち上げた。ところが泉田知事が撤退すると発表したことに衝撃を受けた。

県知事選挙の「対立候補」(泉田後継候補)擁立へ直接関わった政党は、7月の参院選にて共闘した政党のうち、社民・共産・せいかつ(自由)の3党と、新社会・みどり・市民でした。

民進や連合についてはそれぞれの事情もあるものと考え、悪いイメージを持つことなく、いつでも受け入れる構えでした。

いろんな人の名前が出ては消えた中、民進党を離党して米山隆一さんが立候補への覚悟を決めてくださいました。

私たちは、選挙戦へとのぞむこととなりました。まず「泉田知事の路線を継承する」という政策を掲げました。

市民運動サイドは、「新潟に新しいリーダーを誕生させる会」を選挙母体とし、市民の会が勝手連となって動くことになりました。

原発再稼働の争点が(急激に)明らかになっていきました。そのなかで、生活に関する政策を訴えることの重要性も感じていきました。「米山県政には明るい希望がある」ということを個々に広げていきました。

「新潟柏崎刈羽原発の再稼働問題」、そして「泉田知事の県政を継承する」というかたちで、争点が明確になりました。

今までの泉田県政を支持していた県民は不安を感じていましたが、(その不安は)一気に希望とへ変わりました。

立地企業を抱えながらも、経済と自分の故郷を天秤にかけた時に何を優先したいのか。立地県である新潟であるからこその結果であったと思います。

ということで、市民の側の論理は「反原発まずありき」ではなかったということが分かる。
そこには「泉田県政の継承」という論理がはさまれている。
ここに注目しなければならない。
おそらく市民運動家の目には、泉田前知事が不条理な形で降ろされたことへの怒りがまずある。なぜ降ろされたか、それは明らかに原発推進勢力の陰謀だ。
だから再稼働反対は、金権で政治を動かそうとするものとの対決のスローガンでもあり、東京の支配に対する地方の自治のスローガンでもあった。
だから、おそらく他の県ではとかく浮き勝ちな「再稼働反対」のスローガンが、新潟では県民の心にすっと入っていたのだろう。沖縄で「米軍基地撤去」のスローガンがオール沖縄の声になるのと同じだ。
同時にこのスローガンで闘うことは、新潟県知事選挙を全国区にしてしまう効果も持つ。だから、連合新潟の思惑を押し切る形で民進党の中央幹部が乗り込んだし、米山派に追い風が吹いたのであろう。
すなわち、「泉田県政の継承」ではなく「再稼働反対」のスローガンを押し出したことが情勢にジャストフィットしたのである。同時にそれが「泉田県政の継承」であるが故に、「原発だけではない」攻撃を有効に切り替えしたのでろう。逆に自公・東電・連合側には泉田県政を乗り越えるだけの政策がないから、「原発だけではない」攻撃は結局、「原発だけ」を狙いとする彼らの本音が明らかになるだけの結果となったと思われる。
「原発反対」と嘘をつき、あげくに最終盤の「県庁赤旗」攻撃の法定ビラは、彼らの無残な政策的・思想的崩壊を天下に晒す結果となった。

なお阿修羅では、悔しさいっぱいの新潟日報の記事が心ゆくまで見れます。新潟日報のサイトではひた隠しにされているお宝記事です。

心がなごむことこの上なしの文章です。


本日の赤旗一面はあまりニュースがなかったのか、「政治考 安倍政権4年」という解説記事。
見出しは「自公・補完勢力追い詰める 野党と市民の協力」というもの。中身は市民連合が1周年を機に開催したシンポジウムの紹介だ。
この中で鹿野文永さんという方の談話が紹介されていて、大変興味深い。鹿野さんは元宮城県町村会長という肩書だから、本籍は保守系の方だろうと思う。
この1年、市民革命的な動きの中で、3つの革命が進んでいる。
一つは、市民の側が政党を動かす180度の転換という意味での政治革命
さらに、「共産党嫌い」の風潮が少なくなり、共産党への親近感が生まれる思想革命
そして選挙も従来の政党組織、後援会、労組中心から自発的な市民の動きが進む、組織革命も始まった。
この流れは大きく逆戻りすることはない
とくに第二のポイントについては、「なるほど、そういう見方もできるのか」と感心しました。まぁ過去の経験から言えば、それほど簡単なものではないとも思うが…

「新潟の共闘」を語る座談会が赤旗に掲載された。

現場の当事者によるきわめて貴重な経験なので、真剣に学ぶ価値がある。

座談会の出席者は参院選で統一候補として勝利し、県知事選でも大いに奮闘した森ゆうこさん。市民連合@新潟の佐々木さん、共産党県委員長の樋渡さんの3人だ。司会を樋渡さんが務めている。

まず参院選についての教訓を森さんが語る。

1.統一候補擁立の重要性

市民連合が働きかけ、共産党が柔軟に対応した。これが統一候補を実現した。

ということで、真の意味の「統一」候補を擁立できたことが重要な勝因だ。これを森さんは

まずだいじな中間の 目標を、みんなで共有 できた

と表現する。

ポイントは、それが中間目標にすぎないということだ。大義名分選挙に終始してきた共産党は、ともすれば統一候補を擁立しただけで有頂天になる。「統一候補で勝つ!」というところまで見通さなければいけない。

そしてそのためには形だけの「統一」ではなく、「勝つぞ」という気持ちを共有することが、中間ポイントとしての獲得目標なのだ。

統一するために統一するのではなく、「勝つ」ために統一する。統一したからには「勝つ」ということだ。

ついで県知事選の話に移る。そこでサラッと言っている言葉がかなりズシっとくる。

知事選でも市民と野党の共闘を確認し合い、米山候補が立候補表明したのは、告示のわずか6日前だった。

ということで「わずか」という言葉は、そこまで出遅れてしまったということではなく、ギリギリまで討議を尽くしたという意味のようだ。そして最大の確認点は、この共闘が野党間の共闘ではなく、市民と野党の共闘 だということだ。

森さんは意外な言葉を語る。

前知事が立候補を断念してから1ヶ月あったので、いろんな準備をする中で、さらに絆と信頼が深まった。

つまり、候補者選びに四苦八苦したのではなく、どう団結するかを徹底的に話し合い、細部に至るまで盤石の体制を作った。その上で担ぐお神輿を決めたということだったのだ。


そこでは勝つための戦略を意思統一することが重要だったし、「それをやれば勝てる」という確信を共有 することが重要だった。

それができたから、

あそこまで一体感のある選挙ができることはめったにないですね

という感慨が引き出せたのだ。


2.初動段階での市民連合の役割は決定的

森さんの後、市民連合の佐々木さんが語る。

彼も最大の勝因として、目標の共有を上げる。

そして共産党の樋渡さんの発言。

一応各勢力の各勢力の役割を述べて敬意を評しているが、言いたいことはこの一点につきる。

勝利の要因は、まず森さんが定数1の選挙で勝つ方法を知っていたことです

相当の衝撃だったようだ。正直に、自分たちはこれまで、定数1の選挙で勝つ方法を知らなかったと告白している。

これでは勝てない。勝てないと分かっている選挙には、よほど奇特な人でないと乗ってこない。ヘタをするとこちらの身内まで持っていかれる。

ただ

共産党としては草の根で頑張らせていただきました。

と言うのは謙遜がすぎる。理論闘争や思想対決など空中戦では、グラムシの言う「集団的知識人」たる共産党は、他者の追随を許さない圧倒的な力を持っているからだ。


3.野党共闘の3つの段階

この後の話はかなり具体的・個別的になってくるので、要点をつかむのは難しいが、いくつか拾っておく。

おそらく第一段階が共闘のあり方で、これは市民連合の佐々木さんがかなり活躍した。

参院選時に全野党と連合も入った連絡調整会議をもうけた。これが共闘が発展する上での大きな組織的支えになった。これは全国的に発信しても良いと思う。

ということで、初動段階での市民連合の役割、とくに民進党・連合まで包み込んでいく上での役割は非常に大きいということが分かった。

第二段階が、候補者選びの段階で、ここが一番厳しい。とくに共産党外しの傾向が民進党・連合から絶えず持ち込まれてくる。このときに連絡調整会議というラウンドテーブル方式を支えに市民連合と民主党・社民党がかなりつっぱらないと、持って行かれるか逃げられるかする。最悪の場合は持ち逃げされる。

ここでは共産党は出る幕がなく、「ここいらが落とし所」と見れば妥協する他ない。

森さんはこう語る。

候補者が決まるまでの産みの苦しみをともに味わったからこそ、絆が深まった。時には言い合うこともあったけれど、仏の樋渡さんが抑えに回っていました。

「産みの苦しみ」を味わったのは市民連合と民主党・社民党であろう。「絆が深まった」のは、市民連合・民主党・社民党と共産党のあいだであろう。(民主党内の野党共闘派もふくむ)

「仏の樋渡さん」は、個人の資質もさることながら、基本的には仏にならざるを得なかったからである。

そして第三段階が、選挙で勝つための行動計画ということになる。ここはそれこそ各団体が、それぞれに持てる力を発揮することになるが、肝心なことは勝つという気構えと、これで勝てるという確信である。これは森さんの最初の言葉だ。

勤務先の江別市で「まんまる新聞」というタウン紙が無料で配られている。紙面の半分以上は広告で、「新聞仕立てにしたチラシ」みたいなものだが、存外市民には人気がある。
その理由は編集者の熱心さにあるようだ。
以下は、この間配られた「まんまる新聞」の一面下、天声人語みたいなコラム。この新聞には「社説」などという気張ったものはないから、けっこう編集者の「ジャーナリスト魂」が顔を覗かせる。

▼あ~あ、当選しちゃったよ。オレ政治やった経験ないし、困っちゃったなあ……
米次期大統領に“仮当選”(12月19日に今回選ばれた選挙人による正式投票で本決定)したドナルド・トランプ氏の心中をこんな思いがよぎったかも知れない。ほとんどのメディア・研究機関が予測していた大本命の前国務長官、ヒラリー・クリントン氏が敗れたアメリカの大統領選挙。この番狂わせの衝撃は世界中を慌てさせた

▼でも、一番慌てたのは当のトランプさんだったなんてことも…。トランプ政権の政策や人事・体制を決める政権移行チームに、長男、長女やその婿、次男など4人ものファミリーが名を連ねるというトンデモぶり。何だかドタバタしている。
旧態依然とした政治勢力とは一線を画して、アメリカを牛耳る支配者層に口出しさせない深謀遠慮なのか、それとも「父ちゃん困った。お前ら来て手伝ってくれ」つて家族を集めたのか。どちらにしても、芸能人めいた家族がぞろぞろ出てくるワイドショー的成り行きに、これが世界一番のアメリカか、とアッケにとられた

▼ヒラリーは、昔は豊かだったのに今は没落してしまった白人中産階級の支持を集めたトランプに敗れたといわれる。1%のスーパーリッチ(超富裕層)が99%の国民を支配しているというアメリカ。ヒラリーも莫大な献金を受けていて、金融会社のひとつ、ゴールドマン・サックス社で「御社からの支援を決して忘れません。どんな時も皆さんの要望を最優先します」などと講演したことが暴露されている。
政治が大資本にカネで買われてしまっている現実。トランプはそれを国民の手に取り戻す、富裕層からの献金も受けていないと言った。政治を買った大資本は人間を軽視し人々への分配を忘れ、利益だけを追って世界中に戦争とテロリズムを引き起こし、貧富の格差を広げた…

▼とはいえ、トランプも成金の大金持ち。白人にはいいが、さまざまに苦しむ人々の味方かと言えば問題が多い。いつ、本性を現すかも知れず、どちらにしても、鬼か蛇か…

なかなかの文章でしょう。
大手メディアの狼狽ぶりや投資家のはしゃぎぶりとはまったく違う、草の根ジャーナリズムの気骨が読み取れるんじゃありませんか。

呉への空襲は映画の通り何回も繰り返し行われている。とくに7月末、広島への原爆投下の直前は執拗で、広島の原爆投下作戦へのカモフラージュだった可能性もある。呉市民にとっては、ほとんど「慣れっこ」になっていた。

呉戦災を記録する会 によると、

1945年

3月19日午前7時20分 アメリカ海軍の第58機動部隊約350機が、呉軍港への空襲。3時間半にわたり波状攻撃。この時港内には大和など戦艦3隻、空母5隻などが停泊していたが、多くは小破ないし軽微にとどまった。

GunkanHaichi319

呉の戦災より転載(大和は2月28日には停泊していたが、この日は広島湾に退避していた)

3月27日 対日「飢餓」作戦が開始。沖縄上陸作戦を前に、海上補給と応援部隊の派遣を阻止するため、下関海峡、呉及び佐世保軍港、広島湾にパラシュート機雷を投下。

5月5日 B-29約120機、隣接地域の広地区海軍工作庁(広工廠)を空襲。

6月22日午前9時30分 162機のB-29が呉軍港内の呉海軍工廠の造兵部(兵器工場)に空襲。1時間余の爆撃により造兵部は壊滅するが、造船部はほぼ無傷で残される。
海軍工廠では勤労動員の学生を含む約10万人が働いており、少なくとも400人以上が犠牲になったが、新聞には「死者1名もなし」と報道された。
隣接する宮原・警固屋地区、また安芸郡音戸町にも爆弾が降り注ぐ。映画ですずと晴美が空襲に遭ったのはこの時のこととされる。

7月2日0時 B29約150機による呉市街地の戦略爆撃。2時間で16万発の焼夷弾を投下。約337ヘクタールが焼失し、12万5千もの人が家を失う。

7月24日~28日 ポツダム宣言受諾を迫る「対日集中作戦」の第一陣として、5日間にわたる呉沖海空戦がはじまる。のべ1845機の艦載機が攻撃に参加。

7月24日 土佐沖の空母から飛び立った艦載機約870機が、呉軍港内艦艇を中心に爆撃。沖縄伊江島のアメリカ陸軍航空軍も参加する。

7月25日 B29・B24約110機が、港内艦艇を爆撃。

7月28日 第38機動部隊約950機が来襲。戦艦3隻が沈没、空母5隻が沈没ないし大破するなど、ほぼ全ての艦が航行不能となる。

7月29日 呉市民の犠牲者は2062人、軍関係者の死者数は不明。

8月6日 広島に原爆投下。

8月8日 福山に大空襲。

呉 空襲の記録

本日は この世界の片隅に  という映画を見てきた。

アニメ映画で、なんというジャンルと言って良いのか分からないが、とにかく戦時中に呉を襲った空襲を背景とする広い意味の反戦映画だ。

日常をたんたんと描くことで、そこに突然割り込んでいる凶暴な力が浮き彫りになる。

しかしその日常たるや、本当の日常ではない。男がどんどん連れ出され、モノがどんどんなくなり、飢えが当たり前となる日常だ。

その「非日常」を日常化し、取り込みながら生活を作り上げていく、そういう生活の最終的帰結として、空襲は必然的だった。

登場人物たちにはもちろんそのような自覚はない。

自覚するのはこの映画を見た観客たちだ。

もう一つ、その日常は我々戦後世代が経験した時代より遥かに豊かな時代なのだ。

生活必需品は確かに欠乏していた。しかし建物は遥かに立派だし、文化は遥かに豊かだった。子供時代「良いもの」といえばすべて戦前製のものだった。

我々が「豊かさ」を実感するようになったのは、我が家にテレビや電話や電気洗濯機が入るようになってからだ。

しかしその頃もまだ、家そのものは戦前に遥かに劣るウサギ小屋だった。

私はこの映画を見て、空襲が日本の何を破壊したのかをもっと分析すべきだろうと考える。と言うか、軍国主義によって破壊された国民生活が、最終的に崖から突き落とされた時、そして都市機能の全てが失われた時、その責任分担をもう少し明らかにしておいたほうが良いのではないかと考えている。

それにしてもこの映画、マット絵の美しさを除くとあまり記憶に残らない映画だな。何か微妙なずれがある。我々には戦無派に伝え残すべきものがもっとありそうだな。

それはなんだろう。あからさまに表に出すのでもなく、誰にというのでもないが、一種の「憤り」かな。


共産党大会決議案の感想

サラリと読んだところでの感想を、思いつくままに書き綴ってみる。

「いままではどうだったかな」と思うくらい、今回は素材提供的な性格の強い議案だ。情勢は反核→反戦・平和→政治→経済→暮らしと並べられ、それぞれの分野での主な出来事が並び、評価が述べられる。

評価については、これまでの闘いの中でかなり理論化された部分もあれば、箇条書き的な部分もある。正直に行って未だ思いつきのレベルを出ていないところ(グローバルな課題解決への5つの提案)もある。

大会決議という性格からして、これまで積み残してきたいくつかの理論的課題、長期戦略などの解決が必要であり、これから大会までの間に熱い議論が展開されることを期待したい。

理論的課題について

1.デモクラシーをもっと打ち出すこと

シールズが「デモクラシーってなんだ」「これだ」とやっていたが、デモクラシーはたんなる手続き問題ではない。「デモクラシー」の思想、あるいは「新しい民主主義」の思想をもっと打ち出す必要があると思う。

それはこれからの「下からの運動」を作り上げていく上でキーワードになると思う。

だから「共産党はデモクラシー(新しい民主主義)をこう考える」という打ち出しが強烈に必要だと思う。そうするとデモクラシーの運動をすすめる上で立憲主義の位置づけも鮮明になるのではないかと思う。

その辺を展開した上で、第1章の最後の段落

立憲主義、民主主義、平和主義を貫く新しい政治、すべての国民の「個人の尊厳」を擁護する新しい日本への道を開こう。

立憲主義、平和主義を貫く「新しい民主主義」の政治、すべての国民の「個人の尊厳」を擁護する新しい日本への道を開こう。

に変更してはどうか。

2.不寛容と力の政策に警鐘を鳴らすこと

国際情勢でいまみんなが一番不安に思っていることは、不寛容の気分が広がっていることである。

もちろん不寛容の気分が広がっている原因は明らかであり、経済格差の拡大と民衆の貧困化である。

それをもたらした多国籍企業との闘いがまず必要だ。TPP反対の闘いもその重要な一つとして位置づけられる。

もう一つは力の政策(先制攻撃症候群)を国際対話と国際連帯の力で封じ込めることだ。そのさい、国家主権の尊重を何よりも重視すべきである。

不寛容の気分と力の政策が結びついたとき、それは恐ろしい破壊力を生じる。支配者は不寛容の気分と力の政策を結びつけようと狙っている。

ただ今日生じている不寛容は、必ずしもファシズムと結びつくものではない。我々は「深部の力」に信頼を置かなければならない。この辺は少し書き込む必要がある。

力の政策反対、多国籍企業の横暴反対の行動が不寛容の気分と結びつくとき、それは革命的な力を発揮する可能性がある。

したがって、今一番もとめられていることは力の政策反対、多国籍企業の横暴反対の運動の展望を、より豊かにかつ具体的に指し示すことではないだろうか。

3.「中間層」の考え方を大いに発展させよう

日本の格差問題を、〝富裕層への富の集中〟、〝中間層の疲弊〟、〝貧困層の拡大〟の三つの視点からとらえると、次の特徴が浮き彫りになる。

というくだりが注目される。

中間層という言葉はオバマが使いだしたことから急速に一般化した。所得分布曲線の中央値あたりにいる人々を指すと思われ、まさにマジョリティーを形成する。

中間層という言葉にかつての「動揺するプチブル階級」のイメージはない。古典的な階級概念は、富裕層が1%にまで減少したために有効性(実践的な)を失った。

中間層概念はこれからの運動に有効だと思う。「新しい民主主義」の担い手として、さらなる概念展開がもとめられる。

4.あらゆる非暴力的手段を使って国を守る

自衛隊に関する方針は、じっくり吟味する必要がある。決議案は誤解を受ける表現を含んでいるので、再検討が必要だろう。

急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る。

「急迫不正の主権侵害」については相当の議論が必要だろう。字面だけ読んでいくと、「あらゆる手段」とは自衛隊の活用、すなわち戦闘行為もふくまれてしまいかねない。

もちろん「急迫不正の主権侵害」の想定はしなければならないが、安倍首相がやったような「安易な想定」は禁物である。

とりあえず、以上

あの新潟県知事戦からわずか1週間、野党共闘は燃えに燃えて補選も勝ち抜くかと思われたが、そうは問屋が卸さなかった。
しかしよく考えれば東京は連合の最大・最後の拠点だ。民進党都連は悪の巣窟だ。
彼らは負けることに全力を傾けた。負けることによってこそ、彼らの身の安泰が図れるからだ。もし勝ちでもすれば共闘派が一気に力をつけ、民進党を乗っ取ってしまうからもしれないからだ。
過去数回の都知事選挙で東京の民進党の立場はきわめて明らかだ。野党共闘の立場に立ったことなど一度もない。それどころか自民党との連合で民主勢力に対抗する道しか選んだことはない。
これは自民党も同じで、東京都の持つ豊かな財政基盤にしゃぶりつくことしか考えていない。つまりは「都庁たかり」党として、都庁マシーンの歯車のひとつなのだ。
民進党は「連合党」=経団連マシーンでもある。連合がどんな役割を果たしているかは、新潟県知事選で白日のもとに晒されたが、実はその前の参議院選挙でも徹底して野党連合潰しに回っていたのである。それは関西より西では成功した。
民進党の基盤が弱い地域では、なかば公然と野党共闘は否定された。たとえ民進党が一定の基盤を持っているところでも、都道府県の利権がらみのしがらみに絡め取られているところでは同様の現象が起きた。
以前革新勢力が強いと言われていた大都市圏で、意外に野党共闘が伸びないのはこれによるものであろう。
総じて言えば、民進党が野党共闘の側に一方踏み出せないでいるのは、経団連=連合の縛りと各自治体での利権の縛りがあるからだろうといえる。
ここにヒビを入れ、裂け目を広げ民進党の本体をこちらに持ってくるのは容易な仕事ではない。しかし参議院選挙や新潟県知事選挙でも示されたように、決して不可能な仕事ではないのである。
目下野田幹事長を先頭に仕立て、猛烈な反共闘勢力の巻き返しが始まっている。しばらくは強烈な綱引きが続くのであろう。
ただ、権力がいつまでも民進党を自らの下に引き止めておく訳にはいかない。彼らは一度は二大政党制を構築しようとして断念したのである。それが不可能であること、可能であるにしてもきわめて危険なことを悟ったからである。
彼らは民進党を捨てた。民進党は捨てられたことを知っている。真面目な中核党員は、経団連の後ろについて言っても、その先に未来はないことを悟ったはずだ。
我々はもう少し耐えなければならない。野党共闘の側に民進党を持ってこようとする人々を支援しなければならない。同時にその思いを市民集団と共有しなければならない。



反原発知事の当選の意味

これは大谷の165キロ以上の意味がある。なぜなら、勝ったのはファイターズではなく我々だからだ。

米山候補は「反原発」をうたったわけではない。しかしその勝利は柏崎原発を事実上不可能にするほどの力を持っている。

この選挙を「原発再稼働」の是非を問う県民投票にしてしまったのは、自民党だ。

途中から「ヤバイ」と見て、原発隠しに懸命となったが、そもそも再稼働に向けたロードマップの最終仕上げに位置づけた選挙だから、方向転換が効く性格のものではなかった。

そもそも自民党県連に闘う気がない。泉田知事を担いでいたのはほかならぬ自民党県連である。

その県連の幹事長を力づくで引きずり下ろして、「さあ闘え」と言っても無理がある。しかもそのやり口が「謀略」に近い世論操作であるから、とても戦う気にはなれない。

敗北の責任を問われるのは菅官房長官であろう。「電力業界などオール日本で対抗する」という「オール日本体制」は自民党、財界、それに首相官邸なのだろう。

今後菅官房長官の責任を問う形で、首相官邸の横暴に対する批判が吹き出さないとも限らない。

菅官房長官は記者会見で「地方の首長の選挙であって、政府としてコメントは差し控えたい」と語った。そうなんだ。そもそも政府は介入してはいけないんだ。

「今後の国政選挙への影響について「そこは全く考えていない。ないと思っている」と述べたが、ないわけがない。第一、行政担当の官房長官が答えるべき質問ではない。


各界からの反応が報道されている。かなりニュアンスの違いが浮き彫りになっている。

泉田追放→新知事→柏崎再稼働の策動の震源地である経団連の榊原会長は、頭に血が昇ったか、この選挙が原発選挙だったことを公然と明らかにしたうえで、不届き千万な干渉発言を言っている。

新潟県民が選択されたことだが、…原子力発電所はエネルギー政策や地域振興などいろいろな意味で意義がある。東京電力は、しっかり安全対策を行い、そのうえで県民に理解を求めることになると思う。
新しい知事は再稼働に慎重な姿勢だが、冷静な判断をしていただき、原発の安全性が確信できれば稼働の方向で進めてほしい。

ということで、論理もへったくれもないハチャメチャ戦闘継続宣言だ。「必要だ、安全だ」の掛け声ばかりが虚しく響く。後は「アメが欲しいか、ほらやるぞ」でしょ。

ただ、政府・自民党としても原子力ムラの再稼働原理主義者には今後距離を置かざるを得なくなるだろうし、経団連内の力関係にも影響がおよぶ可能性はある。

前の米倉同様、榊原も外様で成り上がりだ。日米同盟路線をゴリゴリと推し進めることで会長の座を確保しているに過ぎない。強面経団連が内外の批判を浴びるようになったとき、彼らの命脈も尽きるだろう。

今度の勝利の一番の意味は、菅官房長官が呼号した「オールニッポン」体制への国民の強烈なカウンターパンチだ。この効果は、これからしばらくのうちにさまざまなひび割れとして出てくるだろう。注目だ。


なお、民進党と連合のひび割れは今に始まったことではないし、それほどの重要性もないが、気持ちのよいものだ。

野田佳彦幹事長は周囲に「(蓮舫氏が)行くと言っても止める」と語っていた(毎日新聞

らしいが、連合から派遣されたお目付け役らしい、いかにもの風景である。

この記事はどうも出処がはっきりしない記事で、記事の内容もほとんど憶測ばかりなので、ためらうが、記事の内容はしっかりしており、執筆者の名も明らかにされている。

一応紹介しておくことにする。

LIERAX というサイトの

新潟県知事“出馬撤回”の真相はやはり再稼働狙う原発ムラの圧力?
新潟日報ではなく官邸が揺さぶり説

という記事。9月14日のアップとなっている。

1.新潟日報の陰謀説

原子力ムラが新潟日報に広告を出し、その見返りに泉田知事の再選を阻止するためにフェリー購入問題を仕掛けてきた

というのが泉田側の見方だ。

2.真相はスキャンダルではないか

新潟日報が08年に原発追及キャンペーンで新聞協会賞を受賞するなど、もともと原発に批判的な報道を展開していること。

原発ムラに利用されて泉田バッシングを仕掛けるとは考えにくい。

永田町では、泉田知事の出馬撤回はフェリー問題とは別の理由があったのではないか、という見方がささやかれている。

昨年くらいから、原発再稼働をもくろむ自民党、官邸、地元財界、東京電力が一体となって、泉田氏に知事選に出馬をさせないように“泉田おろし”に動いていた

「それも、新聞や週刊誌が取材に動いたということでなく、官邸もしくは自民党が6月ごろ、関係者を通じて泉田知事にスキャンダルの存在をほのめかしたのではないか、と言われています」(前出・全国紙政治部記者)

たしかに過去にそういう事例もある。

福島第一原発をめぐっては、プルサーマル導入に強硬に反対していた当時の福島県知事・佐藤栄佐久氏が、東京地検特捜部に収賄容疑であまりに不自然なかたちで逮捕され、司法記者の間でも“明らかな国策逮捕”という声が上がった。

3.メディア包囲網の形成

原発ムラは検察や警察にもネットワークをのばしている。原発に批判的な研究者やメディアへのこれまでのさまざまな圧力を考えれば、今回もこうした工作が行われた可能性は非常に高い。

東京電力は、15 年4月に「東京電力新潟本社」を設立し、東京本社からメディア担当を集結させた。

新潟で放送される民放各社に複数のCMを復活させている。雑誌や広報誌、そして全国紙の新潟県版にも広告を出稿するなど原発マネーをバラまき、“メディア包囲網”を着々と築いている。

泉田氏の出馬撤回で森民夫長岡市長に一本化され、森氏が知事に当選すれば、ほどなく柏崎刈羽原発が再稼働されることになるだろう。原発ムラの巨大な闇の前に我々はなす術がないのだろうか。

と、まぁ、憶測ですな。佐藤栄佐久知事の逮捕事件との類推が柱になっている。しかし、「殺される話」は泉田氏本人が語っているのだから、まんざらありえなくもない。しかしこれも目下のところは憶測にすぎない。

とにかく選挙に勝つことの重要性は、原発の他にもいろいろあるということだ。

次が10月11日付、つまり本日の記事

出処はなんと勇名を馳せた「新潟日報」だ。

見出しは

連合新潟 黒岩氏の会合出席認めず 知事選対応を問題視 

というもの

連合新潟は、民進党県連の黒岩宇洋代表を連合新潟の会合に出席させないことを決めた。

県連が「自主投票」を決めたにもかかわらず、民進党衆院新潟5区総支部長だった米山隆一氏が他の野党3党に擁立されて出馬する事態を問題視した。

新潟日報は残念がっている。

県連の対応次第では、米山氏を民進党主導で擁立できる可能性もあっただけに、県連執行部の不手際が際立つ形となった。

何をおバカなこと言っているんでしょう。この期に及んで。

しかし事態は新潟日報の思いとは逆方向に進行している。

民進党は自主投票ということで、議員が勝手に米山で動き始めた。自主投票だから止められない。だから連合は組織として森支持の旗幟を明らかにした。これって連合内の民進党員にとっては党議違反じゃないのだろうか。

日刊ゲンダイではこう書かれている(日刊ゲンダイですけどね)

なりふり構わぬ慌てっぷりは、野党共闘に砂をかけ、自公と一緒に森氏を支持した連合新潟も同様で、後方支援のはずが、会長自ら応援演説でマイクを握っている。

週明けは「赤旗」のまとめ読みから始まる。

新潟県知事選挙が佳境を迎えたようだ。

志位さんが新潟駅前で応援演説を行っている。

その中で注目されたのが、自民党の新潟県連が「原発の再稼働を求める決議」を上げたという発言だ。

これは大変深刻かつ重大なものであり、事実関係を調べておく必要がある。なぜなら、自民党の森候補は「(再稼働には)毅然とした態度で臨む」、「安全に確信がなければ反対と言う覚悟はある」と言っているからだ。これは完全な食言になる。

もう一つ、これは月曜の一面記事だが

危機感を強めた自民党の二階幹事長は、日本経団連との会合で「電力業界などオール日本で対抗する」と表明。

したとのことである。

これは政府と経団連、電力村(連合もふくむ)が一体となって柏崎再稼働に全力をあげるという宣言である。これも大変深刻な問題だ。

私も大した仕事はできないが、この点で警鐘を鳴らすことくらいはやっておこうと思う。


みんなで決める会」のページに、新聞の切り抜きが転載されてある。

どこの新聞なのか、いつの新聞なのかがわからない、大変困った記事なのだが、一応引用させてもらう。(多分8月中旬、どこかの新聞の新潟地方版)

niigatakenrenn

自民党県連は12日の県連大会で、原子力規制委員会の審査を前提に東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を求めていくことを決議した。
再稼働へのスタンスをはっきり示したのは東電福島第1原発事故後初めてだ。

12日の大会では決議案が読み上げられ、異議はなかった。

ベテラン県議は「県連は、原発の再稼働を語らない知事と一線を画しているんだと、国や党本部に対してアピールすることにもなる」と語る。

ただ、所属県議の思いはなお複雑だ。ある県魏は「まだ県連内で意見がまとまっていないのに突然すぎる。党本部と地方では事情が違う」…と危機感を募らせる。

ということで、「自民党新潟県連が組織を上げて再稼働を求めた」というのは紛れもない事実だ。さらに底には、自民党の党本部が決議の採択を押し込んだ事情が見え隠れしている。

で、新潟県連はというと、これも相当厳しい攻撃を受けたようだ。県連大会の10日前という時点で、新潟市議会の自民党が県連に申し入れを行った。内容は1.県知事選で泉田知事を推薦しない、2.星野県連会長は参院選敗北の責任を取り辞任せよ、というものだ。

泉田非推薦の理由は「日本海横断航路」問題で、新潟日報と平仄を合わせている。これが県連大会を念頭に置いた攻撃であることは明らかだ。

森ゆうこ参院議員はこう演説している。

私たちは泉田知事を守り切れなかった。泉田抹殺計画があった。・・・自民党新潟県連幹部に官邸が『まず知事を変えろよ』と迫った。

こうして点と天とを結び合わせていくと、見事な「泉田追い落とし+原発再稼働」の行程表が浮かび上がってくる。そのウラには「オール日本」派の意向が透けて見えるというものだ。

この背景のもとで泉田知事の謎の発言も解釈される。

僕は自殺しませんから!
遺書が残っていても自殺ではない!
命をかけて国・東電と対峙する!
自殺なんて事になったら
絶対に違うので調べてください!


新潟県知事選挙の怪

民進党が新潟県知事選挙で自主投票に回ったそうだ。

理由がさっぱりわからない。候補の米山隆一さんはれっきとした民進党員だ。

それでもって、いったんは米山さんは立候補を断念したか、他の野党や市民勢力からの強い要請を受けて立候補の決意を固めたという。

とにかく戦えば勝てる見込みがある選挙だ。先日の参議院選挙でもそうやって勝利している。つまり民進党は勝つのが嫌だということだ。

さらに記事を読み込んでいくと、民進党県連は棄権という形で事実上自民党候補の当選を欲しているようだ。だから米山さんは離党しての立候補という形になった。

この選挙は民進党が新執行部になって初めての重要な選挙になる。最初から不戦敗と自民党の不戦勝を選択するようでは新執行部の鼎の軽重が問われる。


とにかく情報を収集して見る必要がある。

最初はIWJ independent Web Journalの記事から。

*今回の判断は県連のものだとされている。新執行部は結果としてそれを追認したらしい。

*路線変更の理由は詰まるところは原発のようだ

*民進党執行部の基本は「原発再稼働については、再稼働はしつつ、国も責任を持って避難計画を提示するという中で再稼働を考えていく」というものなのだそうだ。

地方独自の特性もありますし、事情もある。国会の中では、安倍自民党と対峙しながら、各地方においては実情を踏まえながら対応する。

*新執行部は県連の意向を尊重する。東京都知事選では旧執行部が候補を差し替えたが、その路線はとらない。

同じサイトの別の記事 前回統一候補として参議院選挙で当選した森ゆうこさんが語っている。

参院選では野党連携の選対の一体感がすごかった。その選対の強いきずなと一体感で、このたびの知事選に臨む

ということなので、おそらく民進党は割れるだろう。

そもそも泉田知事が任期半ばで辞任した理由がわからない。どうもウラで動く勢力がありそうだ

同じサイトの別の記事 8月末のものである。

新潟県の泉田裕彦知事が8月30日、新潟日報の報道への不満を理由に知事選への出馬取りやめを発表した。

 泉田知事は知事選への出馬を取りやめた理由として、「日本海横断航路問題」(県の第3セクターの船購入トラブルをめぐり、県の関与を追及する新潟日報の報道)を挙げ、「憶測記事や事実に反する報道」と指摘。「このような環境の中では、十分に訴えを県民にお届けすることは難しい」と説明した。

これではさっぱりわからない。泉田さんの説明は辞める理由になっていない。

この記事には続きがある。ただ正直、噂話の域を出ない。一応いくつかの説を挙げておく。

地元紙からの攻撃だけでなく、新潟県内では“泉田包囲網”が出来上がっていた。今月には泉田さんと近い自民党県議が県連会長を辞任している。泉田さんは嫌気が差したようです

*東電は新潟日報に最近全面広告を5回も出しているそうです。一回1000万円とか。知事の撤退が発表されて東京電力の株価が上がっている(テレビ新潟)

*私が引くことで新潟をどうするか、原発にどう向き合うのかという純粋な議論ができる(引退記者会見)

なおこの記者会見での、泉田知事の最後の発言は非常に感動的である。ぜひ全文をお読みいただきたい。(このサイトはそのために紙面を無償公開してくれています)

ということで、泉田さんがやめた理由は薄々見えてきた。

1.まず自民党県連の外堀を埋めた(夏の陣)。それが8月末の県連会長の辞任という形で完了した。

2.その上で泉田知事への直接攻撃を開始した。これは2つのねらいがあって、ひとつはスキャンダルに仕立てることによって泉田の首を取ろうということ、もう一つはこれを争点化することによって原発を背景化しようというものだ。

3.そこで泉田知事は死に体となった自分の首を差し出すことで、攻撃の芽を摘み取り、原発そらしを回避しようとした。

ということになる。

話は前段までだが、いったん文章は閉じる。

ただここまで分かると、東電の圧力がここまで来ているとすれば連合にも同じ圧力がかかっていると見なければならないだろうと思う。




豊洲新市場 共産党が明らかにしたこと

連日テレビで豊洲問題を大々的に扱っている。これ自体は大変良いことで、世論は大きく変わりつつある。

ただテレビを見ていて「ちょっと問題が矮小化されているのではないか」という感じはある。

共産党が明らかにしたことは次の点である。

1.地下空間の区域は新市場全体の面積の3割を越える。「そこだけ使わないで済ます」という逃げを打てる状況ではない。

2.地下空間のある5つの建物のうち4つで地下水が溜まっている。この内、青果棟地下には、強アルカリ性の地下水があり、ヒ素が検出(ただし環境基準以下)

3.地下空間に向けて6箇所の重機搬入口があり、土壌汚染の可能性を想定したものであること。(水位上昇時は盛り土まで汚染される可能性があること)

ということで、もはや議論の余地はない。
とりあえずメモ書きしておく。
10日分溜まった赤旗の圧力は凄まじい。 

我々は非核戦略を練り直さなければならないかもしれない

今回の日中両党の衝突の最大の問題は、反核運動をめぐる対立の表面化である。

かつての日中両党の対立も、暴力革命の是非とか文化大革命の評価の問題もあったにせよ、もっとも重大な問題はベトナム人民戦争支援のための国際統一戦線をめぐる対立であった。

今回も同じように、国際反核運動の進め方をめぐる対立が基本となっている。我々はまずそこをしっかりと抑えておく必要がある。


中国の核軍事戦略の変化は南シナ海や尖閣紛争に覆い隠されてきたが、いよいよその本態が明らかにされた。

これまで中国は、真意はともあれ反核運動に対立することはなかった。核の先制不使用を宣言し、核廃絶を目指す運動を支持してきた。

東南アジアの非核地帯宣言を支持し、東南アジアで核を用いないことを明らかにしてきた。

今回の中国の態度は、これまでの核をめぐる姿勢に根本的変化が現れていることを象徴している。

これまでもそのような兆しはいくつか見られていた。原水禁世界大会への不参加、広島・長崎の被爆者への冒涜的態度など気がかりな点はあった。

しかしことは「侵略者日本」への反感を口実にした日本の反核運動への敵視だけではなくなった。

今回の出来事は、東アジア諸国の反核への願いを公然と無視する態度に転換したと言わざるをえない。

もはや中国は核廃絶への志向を完全に失った。そして核を通常戦略の中に組み込み、アジア最大の核軍事大国となる道を歩み始めた。

中国が本気で核を使用するとすれば、あるいは核脅迫政策を実行するとすれば、米中同盟のもと、それは明らかにアジア諸国に向けられたものとなる。

プーチンがウクライナで核の使用を考えたのと同じように、中国が南沙諸島に核を持込み、いつでも使用可能な状態に持っていくことがないとはいえない。

あるいは台湾の独立派勢力を懲らしめるために、大陸側に核ミサイルの砲列を並べることがないとはいえない。

それは世界の人民にとってもっとも差し迫った危機となるであろう。

私は2004年9月に北京で開かれた反核医師の会の総会にも参加した。その時、まさかこのような世界が展開されることになろうとは到底予想できなかった。

「クアラルンプール宣言」と日本共産党のとった立場

今朝の赤旗を見て仰天。おっ、善隣会館事件の再現かと見まごう。

日本共産党と中国共産党の事実上の決裂だ。

他のメディアではまったく触れられていないから、とりあえずは赤旗報道を読み込むしかない。

私のような年表オタクには、時刻表的経過があいまいで、率直に言えばきわめて分かりづらい文章だ。「柳条湖」事件ではないがどちらが先に発砲したのかはもう少し続報が出てこないと確定できない。

記事を読みながらジグゾーパズルのように事実を当てはめて行く事になる。総会は2,3,4の三日間行われたので、1日目、2日目、3日目というのと1日づつずれるので注意が必要だ。ここでは1日目、2日目、3日目と記載することにする。


まずは事実経過から

9月2日からクアラルンプールで「アジア政党国際会議」(以下ICAPP)が開かれた。

日本共産党(以下JCP)は以前からこの会議にたいへん力を入れていて、今回も志位委員長が自ら出席し、総会演説を行っている。

そこで会議が総会宣言を発表することになった。


1.総会開始までの経過

総会前から宣言起草委員会が開かれ検討が開始されている。JCPはこの委員会のメンバーではない。委員としては参加していない。ただしこの会議の常連としてこれまで活躍してきた実績がある。

JCP代表団は総会の開始前に、核兵器廃絶、平和の枠組みなど三点について事務局に文書提案していた。この提案は起草委員会に一定の重みを持って受け止められたようだ。

JCP代表団は開会前日(9月1日)の未明、開催地マレーシアの首都クアラルンプールに到着した。たまたまそこしか取れなかったのかもしれないが、異例の到着時刻である。物見遊山ではない。多分ホテルか会場のいずれかに詰めて仕事していたのだろう。

この日の夜、総会参加者を歓迎するレセプションが開かれた。志位委員長らJCP代表団は、ICAPPのホセ・デベネシア、チョ ン・ウィヨン両共同議長らをはじめ、参加者にあいさつし、交流した。

おそらくその席上で、事務局長は「積極的なこの提案に感謝する」と述べた。ここが一つの伏線となる。

想像するに、総会開始の前日までに、起草委員会は第一次草案を完成させた。そこにはJCPの主張する「核兵器禁止条約の国際交渉の開始」(called for a prompt start of negotiations on a nuclear weapons covention) という内容が明記されていた。


2.総会の1日目(9月2日)

ICAPP総会が始まった。会の模様については、「ベトナム・フォトジャーナル」が短く伝えている。

冒頭で、マレーシアのナジブ首相が歓迎のあいさつを行った。

クアン委員長が基調演説を行った。

アジアは安全保障と発展などの面で多くの試練に直面している。各国は、平和、安定、繁栄、領有権紛争の平和的解決、衝突防止、持続的かつ平等な発展のための互恵協力、各国間の発展格差の是正、環境保全、気候変動への対応、各国国民間の友好関係の強化などに対する責任を負う必要がある。

というもので、全体としてはバラ色というより一定の情勢の厳しさをにじませたものであった。

おそらく第一日目の会議開始に前後して、「宣言起草委員会に参加しているある代表団」が、JCP代表団に草案を見せてくれた。

どこの国かは分からないが、それは大したことではない。別に深刻な話ではないから軽い気持ちで見せてくれたのだろう。

ただもちろん非公開の文書を非公然に見せてくれたのだから、証拠はない。あっても証拠能力はない。

ところが、その日、総会参加者に配布された「宣言草案」はそれとはまったく異なるものであった。

表現上の問題としては

1.核問題で、核兵器禁止条約も国連事務総長の提案にもまったく触れていない。

2.領土問題では、領土に関する紛争問題を国際法にしたがって解決するという点がふくまれていない。

という点で不十分なものであった。

さらに聞き捨てならない「非公式情報」として

3.「中国共産党代表団が、日本共産党の提案を採用することに否定的な態度をとっている 」という情報。

4.紛争問題を国際法を基礎として解決することを宣言に書き込むことに、中国共産党代表団が強く反対しているという情報。

が飛び込んできた。

この4点はJCPとして容認出来ないポイントであった。

ただし第3点については、その真意もふくめて、よほどの裏付けが必要な間接情報である。この点については後ほど最大の問題となる。

第4点は、これまでもASEANの会議などで同じような事態があり、コンセンサス会議では一定の妥協も求められるかもしれない。

とりあえずやらなければならないことは明白である。まず文章表現の問題では、1.2.の点について「一次草案」の復活を求めることだ。

これがJCP修正案の提示だ。(内容は重複するので省略)

この修正案はICAPP常任委員会、宣言起草委員会のメンバーになっている各党に手交された。

3.CCPとの2度の会談

最大の問題は言うまでもない。3.の不確かな、しかし深刻な疑念についてCCP側の真意をたしかめることだ。この点においてJCPは果敢に行動したと思う。緒方さんには心から敬意を評したい。

まず緒方さんが修正案を携えてCCP代表団長のところに押しかけた。第一日目の午後の事のようだ。

団長は李軍という人で肩書は中連部の「部長助理」となっている。楊潔篪とサシで話せる人物であることは間違いないだろう。

実は緒方さんは李軍とは面識がある。彼は06年の6月に東京を訪れ緒方さんと「夕食をともにしながら懇談」している。この時の肩書は中連部第二局局長だ。

この頃のCCPはまだとてもよかった。中堅クラスが入れ代わり立ち代わり現れては懇談を積み上げていた。李軍もその一人だったはずだ。

だからか、李軍は完全に逃げ腰た。「過去のことは知らない」、「この問題については議論したくない」と言ったと、緒方さんは書いている。

ここで緒方さんは一旦戻って志位委員長と協議した。そして「問題の重大性を考え、中国共産党に再度の話し合いを提起」した。

李軍はあげくの果ては「あなたは覇権主義だ。自分たちの意見を押し付けている」とまで言い出した。ここまで来ると完全に「泣き」が入っている。

4.1日目夜(9月2日)の宣言起草委員会

事務局長が日本共産党の修正案を議題とした。中国共産党を含めて異論は出ず、全員一致で修正案が受け入れられた。

5.2日目(9月3日)の経過

志位さんの総会演説は2日目の午前に行われた。(私は、今日、本当はその内容を紹介するつもりだったのが、とんでもないことになってしまった)

演説を終えた後、志位委員長は、午後に国営ベルナマ通信の取材を受けた。赤旗報道を読む限り、当り障りのない返答。ベルナマ通信の記者が「包括的な提案で感銘を受けた」と語るのとは対照的だ。

午後に総会参加者に2回目の宣言案(当初案を入れれば3回目)が配布された。この宣言案はJCPの修正案が受け入れられたもので、つまり当初案と同じものであった。

6.3日目(9月4日)の経過

閉会式の前に、3回めの宣言案が新たに配られた。

1.「核兵器禁止条約についての速やかな交渉開始を呼びかけた」の部分が削除。

2.「潘基文国連事務総長が提案しているような、核兵器のない世界」という表現上の換骨奪胎。

閉会式の開始直前、事務局長は「ある国の代表団が強硬に要求してきた。本国の指示だと思う。宣言を採択するためには受け入れるしかなかった」と釈明した。
JCP代表団は以下のように判断した。

1.「核兵器禁止条約のすみやかな交渉開始」は2014年のコロンボ、10年のプノンペンの総会宣言にもふくまれており、「重大な後退」と考えられる。

2.しかも草案からの削除は総会の民主的運営という点から見ても重大な問題をはらむ。(記事では「総会の民主的運営を乱暴に踏みにじるやり方」と最大級の非難を浴びせている)

そこでJCP代表団は、宣言案への「部分的保留」を表明し、その旨の文書を議長団に提出した。同時に「一代表団」=中国共産党代表団への強い抗議を表明した。

7.「保留通告」の意味

JCP代表団は「総会の民主的運営を乱暴に踏みにじ」った事務局への非難は避けている。

その理由は、おそらく事務局のやりかたがコンセンサス方式だからだろう。つまり一党でも反対する党があれば、それは宣言には盛り込まれないということになる。コンセンサスを前提とする限り、事務局は「総会の民主的運営を乱暴に踏みにじ」ったとは言えない。(「宣言」を出さないという選択もあったが)

その代わり、JCP代表団はこの重大な変更が中国共産党(以下CCP)の干渉によるものであることを暴露し、攻撃する。

つまりこの大々的報道の主要な目的は、CCPトップの干渉への非難ということになる。

8.JCP代表団の帰国後の動き

日本共産党の志位和夫委員長ら党代表団は4日午後、成田空港に到着、帰国した。

午後と言っても1時から11時まで幅があるがよく間に合ったものだ。

4日の昼までには会議が終わったらしい。空港までの移動や出国審査などを考えると、それでないと間に合わない。

それから常任幹部会が行われた(はずだ)

それにしても、思いもかけぬ3日間の強行軍、ご苦労さまでした。

9月5日には、記者会見が行われた。志位さんをふくむ代表団員は参加せず、小池書記局長が対応した。

「非常に不当な対応だ。1998年に日中両党間の関係を正常化して以来初めてだ」と強い言葉で中国側を非難した。(ただしこれは時事通信の配信で、赤旗には野党共闘についてのみ言及)

同じ日に志位さんはツィッターに下記のコメントを載せている。

核兵器禁止条約の国際交渉」を盛り込んだ宣言案に対して、総会の民主的運営に反する横暴きわまる方法で削除を強要した中国共産党代表団のふるまいは、まったく道理がなく厳しく批判されねばなりません。

8.日本共産党がケンカする腹を固めた理由

JCP代表団がケンカする腹を固めた理由はCCP代表団が突然態度を変え、強引に草案を書きなおさせるに至った一連の経過であろう。

相手は中国政府や中国軍関係者ではない。CCPそのものである。中連部の意向を代表して参加しているはずのCCP代表団の見解を、一夜にして一変させる権限を持つのは誰か。それは習近平をふくむ党の最高指導部以外にない。

彼らは杭州で20カ国首脳会議を主催しながら、クアラルンプールのかなりマイナーな会議にまで目を光らせ、状況を一気にひっくり返させた。サミット開催中だからこそ、抑えこんだのかもしれない。

なぜこのような会議にまで党のトップがかかわるのか。それはよく分からない。非公式な情報が言うように「JCPの提案を採用」させないことにあるとすれば、かなり容易ならざる事態であることは言うまでもない。

いずれにしても国際連帯に当たる人々にとって、論争のさなかに行われた志位演説の内容を今一度しっかりと把握することが必要だろう。


1844年 パティキュラー・バプテスト派、奴隷問題をめぐり決裂。奴隷制を支持する南部バプテスト信者が分離する。残された北部のグループが「米国バプテスト宣教連合」を組織。(バプテストにはジェネラル派とパティキュラー派があるらしいが良く分からない)

1873(明治6年) 「北部バプテスト」、横浜で布教活動を開始。

1889(明治22年) 「南部バプテスト連盟」(Southern Baptist Convention)が宣教師を派遣。九州を中心とした伝道が始まる。(九州を地盤としたのは北部バプテストとの縄張り協定による)

1895 黒人のバプティスト組織が「全国バプテスト連盟」を結成。

1903年 日本バプティスト西部組合が北九州の若松市で結成されました。

1907年 米国のバプテストの諸教団が合同し「北部バプテスト大会」を開催。「北部バプテスト同盟→米国バプテスト同盟」の母体となる。

1916 宣教師C. K. ドージャーが、福岡に「西南学院」を設立。

1940 西部組合が日本バプテスト東部組合と合同。日本バプテスト基督教団を結成する。

1941 日本バプテスト基督教団は日本基督教団に合同。

1947年4月、E.B.ドージャー宣教師の呼びかけにより、福岡・西南学院教会で「日本バプテスト連盟」結成総会。旧西部組合系の16教会が日本基督教団から離脱して参加。

1958 旧東部組合系教会の一部が、日本基督教団を離れて「日本バプテスト同盟」を結成。教団残留組は教団内の一グループとして「教団新生会」を結成。ともに「北部バプテスト同盟」(現アメリカ・バプテスト同盟)をバックとする。

1962 反ヤスクニ宣言を発表。

1963年 「新生運動」が展開される。福岡を拠点に全国への開拓伝道に取り組む。SBCの牧師・信徒が来日し、伝道協力。

1970年、世界バプテスト大会が東京で開催される。

1970 神学校や各教会において、教会の存在意義・宣教を問う教会闘争が起こりました。靖国神社問題、日韓・在日連帯問題、公害問題、部落問題などに取り組む。

1976年には米国・SBCからの支援を打ち切り、経常費自給化を達成。

1979年に「信仰宣言」を採択。その後“Cooperative Baptist Fellowship”(CBF)との連携を強める。

1992 「日本バプテスト同盟」が「戦争責任に関する悔い改め」を総会で採択し発表。

1988年に「戦争責任に関する信仰宣言」(戦争責任告白)を採択

1995 阪神淡路大震災で、兵庫県内の諸教会が甚大な被害

2002年総会では「平和に関する信仰的宣言」(平和宣言)を採択

2004 南部バプテスト連盟、世界バプテスト連盟からの脱退を正式に決定。

2006 南部バプテスト連盟からの脱退者がCBFを中核に新バプテスト連盟を結成。カーター元大統領らも加わる。

2013年1月現在、全国283の教会、43の伝道所が加盟(九州が75教会)

2016年7月 日本パプテスト連盟理事会声明「なおも希望を持ち続けるために」を発表。参議院選の結果を踏まえ、立憲主義の堅持を訴える。


こうやって、バプティストの歴史を見ていくと、西南学院の宣言はごく自然なものと考えられる。内部事情的に言えば、南部バプティスト連盟との絶縁がかなり効いているように思える。


赤旗の8月15日号に掲載された「西南学院の平和宣言」は大きな反響を呼んでいる。この「宣言」はそもそも4月1日付で発表されたものだが、当時はまったく知られていなかった。

発掘した赤旗は偉い。

文章そのものはそれほど長いものではなく、全文が読めるのでそちらをご参照いただきたい。

と言いつつ、要約を箇条書きにしておく。

宣言の表題は「西南学院創立百周年に当たっての平和宣言―西南学院の戦争責任・戦後責任の告白を踏まえて―」

1.西南学院は、創立百周年を迎え創立者C・K・ドージャーの示した方向を確認する。私たちは、敵対する異質な他者にさえ、しっかりと向き合い、問い合い、愛し合うことこそが人としての普遍的価値であると信じている。

2.西南学院は、先のアジア・太平洋戦争ではこれに加担し、諸外国の人々をはじめ多くの人々に多大な苦しみを与えてしまった。

3.戦後もそのような過去への責任を明らかにせず謝罪してこなかった。天皇の名による侵略戦争によって傷つき、殺された人々の怒り、苦しみ、悲しみを受け止め、「加害責任」を心に刻み込んでこなかった。

4.西南学院は、天皇皇后の御真影の下賜を願い出、「奉安殿」を建設し、宮城遥拝、君が代斉唱を行った。宣教師たちが敵国人として帰米を余儀なくされた時にも、苦悩・悲しみを共有できなかった。体育教育を「軍事教練」の場とし、学院の名で学生を出陣させ、彼らのいのちを死に至らしめ、他国の人々を殺すことを是認した。

5.私たちは、創立百周年のこの時に過去と将来に想いを馳せ、自国本位の価値観を絶対視し、武力・暴力の行使によって人々の尊厳 を抑圧するという過ちを二度と繰り返すことのないよう、今その決意をここに表明します。


ということで、いささかきつい文章だが、これを西南学院のおかれた位置とつき合わせることによって、真意が見えてくる。

西南学院の歴史

1906年(明治39年)にアメリカから「南部バプテスト連盟」の宣教師C.K.ドージャーらが赴任。福岡バプテスト神学校を開校。10年後に西南学院を設立。以後は全国各地のミッション系学校とほぼ同様の経過をたどる。

かつては「南部バプテスト連盟」より多額の補助を受け、宣教師の派遣も受けていた。学院長もこれら宣教師が就任することが通例であった。

西南学院と日本バプテスト連盟との関係は現在も深く、神学部は日本バプテスト連盟の教派神学校としての使命も負っている。

ウィキペディアの「西南学院大学」などには、2000年以降の信仰をめぐる混乱が若干触れられている。

1970年代より、「南部バプテスト連盟」の保守化が進んだ。79年には原理主義者による南部バプテスト連盟占拠が行われた。

元々、南部バプティストは人種差別を内包していた。1939年アトランタで開かれたバプテスト世界同盟大会では、白人と黒人のゲストは異なったホテルを提供され、会場の座席も分けられた。(アメリカ南部バプテスト連盟

この傾向は60年代後半に一定の是正がなされたが、70年代にふたたび保守派が巻き返した。

2000年に、米本国の「南部バプテスト連盟」がキリスト教原理主義に転向し、信仰宣言を改訂した。

「妻は夫に恭しく従うべきだ」と家父長制を強調、女性が牧師になることを制限する文言などを加えた。「連盟」は宣教師に宣言への同意署名を求め、拒否した宣教師は絶縁になった。

またブッシュ・ドクトリンを積極的に支持するなど、政治的右傾化を強めた。

「南部バプテスト連盟」は、2004年には世界バプテスト連盟を離脱するに至った。

この動きが西南学院にも波及し、宣言への署名を拒否した多くの宣教師が解雇され、帰国した。学院長も任期が終わると同時に離日した。

学院にとどまった4人の元宣教師は「南部バプテスト連盟」を離れ、学院の専任教員として採用された。

というような経過を経て、本国の「連盟」とは絶縁しこれまでの方向を一層強化する方針が確立された。「創立者C・K・ドージャーの示した方向」というのはそのことを指す。


ということで、状況としては一知半解なのだ。

結局下記のことが分からなければ、状況は理解できないということが分かった。

1.バプティスト派の由来

2.バプティスト派と南部バプティスト連盟の関係

3.日本におけるバプティスト派の動き

4.日本バプティスト連盟と西南学院の関係

思わぬ深みにハマりそうな予感がする。

 

たしかに言われてみると面白い。「その通り」と叫びたいほどだ。
日本における反米運動の中核をなす人々(私を含めて)は例外なく親米だ。
建国の精神であるメイフラワー号とピューリタニズムに限りない共感を抱く。
アメリカの独立宣言と合衆国憲法を素晴らしいと思う。
アメリカの人々の地域コミュニティ尊重、個人の不羈に我々は大きな敬意を抱く。
その大きな高まりとしてのニューディール精神は戦後日本の、戦後民主主義の旗印であった。
おそらくそれは奇怪な日本型ファシズムの時代でさえも、日本人の憧れの象徴で在り続けた。
日本国憲法への日本国民の支持は、このアメリカ流民主主義への日本国民の憧憬なしには語れないだろう。
そのくらいアメリカの“良質な”民主主義思想は、今上天皇を先頭とする日本人の心を捉えている。それは思い出すさえ不快な戦前日本の非合理主義に対する対決軸を形成しているのだ。
それは日本だけではない。ベトナムが戦後直ちにフランスからの独立を宣言した時、独立宣言の文句はアメリカの独立宣言を引き写しにしたものだった。独立ベトナムほど親米思想の塊みたいな国はなかった。

現代日本の親米派は、これらの思想を毛嫌いしている。そしてこれらの思想と闘った戦前日本の非合理主義を支持し、その復活を狙っている。
戦前非合理主義とは何か。それは中国をはじめとする近隣同胞を力で服従せしめ、なにかといえば武力で解決を図り、コンツェルンのための政治を国のための政治と強弁し、貧富の差を身分の差として国民の全面的な屈服を強い、個人の尊厳などテンから無視する政治だ。
それに反抗するものには国賊の汚名を浴びせ、死罪や拷問などおよそ理不尽なやり方で抑えこむ政治だ。
これらの政治手法はアメリカ流の政治スタイルとは著しく異なる。

今アメリカの支配者たちはその非合理主義者たちを密かに支持している。なぜなら彼らは民主主義の本家であるアメリカでそっくり同じことを繰り返しているからだ。

選挙は人を変える  参議院選挙福島選挙区

1.福島選挙区というところ

福島選挙区というのはずっと二人区であったが、3年前から一人区になった。それまでは自民・民主で議席を分けあってきたが、民主は議席を失った。

今回の選挙では民進党が議席回復を狙う形になった。それを野党共闘が後押しする形である。

民進党の候補は増子輝彦さん。2007年補欠選挙で初当選し、その後2010年の選挙でも当選し、今回は現職として「共食い選挙」を闘うことになった。

福島というのは全国にも珍しい社会党王国で、参議院選挙でもこれまで首位の座を保持してきたが、2013年には民主党の逆風の中で、自民党のマドンナ候補にダブルスコアーで敗れるという屈辱を味わった。

ここではかつて下田京子さんを押し出すなど共産党もかなりの力があり、前回参議院選では、今回比例区で当選した岩渕友さんが8万票近くを獲得している。また社会民主党も3万5千をとっている。逆に言えばこれまで民主党に入れていた人たちがそちらに流れたとも言える。

したがって、福島の民主党にとっては野党協力は至上命題でもあった。

2.増子輝彦という人

この候補は、経過から見れば共産党とともに天をいだくなど考えられなかった人だ。

47年生まれで私より一つ下。早稲田の商学部を出てそのまま参議院議員の秘書となっている。学園紛争などどこ吹く風の人だ。

福島県議会議員を経て90年の総選挙で無所属で当選し自民党に入党。その後所属政党は自民党→新党みらい→新進党→民主党とめまぐるしく変わっている。その間に何回か当選、落選を重ねている。いわゆる政界ジプシーだ。

ただ、東日本大震災と福島原発事故の後は明らかに立ち位置を変えている。参議院の震災復興特別委員長となり、翌年には民主党副代表(原発・復興特命担当)に起用された。

ただこれはたんなる選挙目当てではなく、これまでの積み重ねがある。14年の原子力協定(原発輸出の解禁)承認案には、党議に反して棄権した。これで党の副代表の地位を失った。

それに先立つ2月には、除染廃棄物の最終処分場を、安倍晋三首相の地元である山口県に設置するよう求める方針を作成した。

15年の民主党代表選挙では長妻昭の推薦人に名を連ねている。

いっぽうでマルチ業者の監査役として月20万円の報酬を得ていたというダーティーな側面も報道されている。(ウィキペディア)

3.野党共闘に至る経過

野党共闘を推進したのは「安全保障関連法の廃止を求めるふくしま県市民連合」だった。

市民連合の呼びかけで、5月6日に三党会談がもたれ、①安保関連法廃止、②集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の取り消し、③県内全ての原発の廃炉−−などの基本政策を3党が確認し、増子候補一本化で合意した。

しかし民進党内や支持者には、共産との選挙協力についての抵抗感も強い。選対本部長の玄葉光一郎氏も自民党に所属した経歴があり、繰り返し共産党との連携を否定してきた。野党共闘が成立した今も、「福島では共産党からの推薦はありえない」と強調する。

県連の幹部(おそらく玄葉氏)は「各党が主体性を持って独自に考えることになる」と語った。(毎日新聞) 「口出し無用、票だけよこせ」ということだ。

福島方式は必ずしも先進的なものではない。増子氏は民進党のまま統一候補となった。政策協定はなく、統一的な選対本部もなく、共産党の推薦も受けない。共産、社民両党は自主応援にとどまっている。(福島民報河北新報

私の分類で言えば野党共闘の縄文時代である。

4.増子候補の変身?

ところが、その後増子候補が共産党との距離を縮めていくことになる。産経新聞の長文記事(5月28日)がその間の事情を明らかにしている。

見出しからして愉快だ。

【参院選・福島】 民進党・増子輝彦氏は元々保守系ではなかったのか? 共産党とすっかり蜜月となり「県内の原発廃炉」を訴えるが…

共産党は増子氏を支援する演説会を開いた。穀田恵二国会対策委員長が約1400人の支援者らに野党共闘の意義を訴えた。

演説会では、恒例の選挙募金を呼びかけた。共産党は政党助成金を受け取らない代わりに、個人に寄付金を募り選挙や政治活動費に充てている。久保田仁福島県委員長によれば、「いつもの2、3倍の選挙募金が集まった」そうだ。

増子氏の事務所開きには、久保田県委員長が「飛び入り」参加し、蜜月関係をアピールした。

産経新聞は

増子氏は原発政策の是非は巧みに避けつつ、野党共闘で合意した「福島県内原発の全基廃炉の実現」のみを訴える。

とし、

増子氏の姿勢は票目当てが先行し、肝心の政策を置き去りにしたままのようにも受け取れる。

と、批判する。産経新聞の焦りが手にとるようだ。

5.増子候補の発言

民の声新聞というブログにはこう記されている。

自民党も、福島を最重点区として位置づけていた。

安倍晋三首相や菅義偉官房長官、小泉進次郎党農林部会長など〝大物〟が続々と応援に駆け付け、公共事業一辺倒の「復興」をアピールした。

「常磐道は約束通り、全面開通した。今度は4車線化に取り組む」、「風評被害を吹っ飛ばす。中通りでつくられたお米を毎日、首相官邸で食べている」…。郡山駅前で、安倍首相はこうアピールした。

白河市内で開かれた集会には、西郷村や矢吹町、天栄村など西白河郡一帯の首長が一堂に会し、道路の拡幅など「復興」を語った。同じような光景は県内の各地で見られた。私には、原発被害など関係なしで、人の不幸でもうけようというたかり集団に見える。

こういう「権力」の利権攻勢を前に、増子候補の腹も決まっていったのではないかと思う。なにせ「配慮」していた相手が、金につられてぞろぞろと行ってしまったのだ。

問題は「野党連合」がどうのこうのではなく、まずもって権力の横暴と対決するしかないという原点なのだ。福島事故を党利党略で悪用する、それに擦り寄る不届きな県民がいる、こんなことを許していいのかという怒りだ。

6月22日の第一声は、原発に対するこれまでの態度に対する異例の「お詫び」から始まった。4党合意をはるかに超えて、原発そのものの批判にまで踏み込んだ。

増子候補はこういう。「基地問題がある沖縄と原発事故災害があった福島は、安倍総理にとって大変なある意味でのアキレス腱ではないか」

また日本の政治の真の争点は、改憲による緊急事態条項の導入であるとし、改憲派による参院議席3分の2を許すなと叫んだ。

もちろんそれなりの計算もあるだろうが、玄葉氏ら民主党県連首脳の度肝を抜いたことであろう。

30日には、福島の中心部で、「市民と野党の合同街宣」が行われた。民進党、社民党、共産党が壇上に並んだ。自民党が連日大物をつぎ込み、「野党は野合」と口汚い攻撃をする中での集会である。

7月1日、最終盤での決起集会での演説は IWJ Independent Web Journal で御覧ください(2/2 の51:30より本人演説が始まる)

帳票日直前になると、あの玄葉氏さえ、「平和などの実現に向け、県民の良識を示す選挙だ」と演説するようになった。

6.とりあえずの感想

野党共闘が偉大だと思うのは、しぶしぶそれに乗った人々をもふくめ、人の心を変える可能性があることだ.

もちろん増子氏の今の心境を内視鏡で覗くことはできないが、発言の内容がぐんぐんと変わっていくのが分かる。

それは、権力がそうさせているという面が強い。権力は金と脅し、アメとムチで市町村にローラーをかけていく。しかもその目的は福島の救済ではなく、「復興」という土建政治の押し付けだ。

かつては自らもその一翼を担ったにせよ、やはり許せない。このやり方には未来がない。

そもそも野党連合そのものが、市民の素朴な怒りの結晶だ。だから怒れば怒るほど、野党連合の趣旨そのものと一致していく。そして最後に勝ったのは、野党連合でも共産党でもなく、なによりも民進党自身に湧きでたその力なのだろうと思う。騎馬戦で勝つには、馬役の3人の力も必要だが、最後に必要なのは、上に乗った武者の戦闘力だ。

それが今回の選挙の結果なのではないか。

今後はこういう面からも野党連合の役割を見つめていく必要があるだろう。


赤旗に、大阪維新の幹部(足立政調会長代行)の発言が載っていた。

ネット番組「アベマプライム」で政党討論の中で飛び出したもの。

市民との共同というが、市民団体じゃない。野党4党が市民と言っているのは3分の1だ。“市民の力を集めて”とか言っているが、全部嘘っぱちだ。

これは、テレビ討論の中で出てきた発言だから、あまり突っついても仕方ないのだが、まず大阪維新の知性の程度が問題だ。

一体、市民というのは何なのか。政治的な扱いとしては、市民とは政党に組織された人以外の全てである。

「無党派」を掲げた運動は、隠しているのでないかぎり、あるいは営利を目的としているのでないかぎり、全て市民運動だ。違うか?

あんた方も、いまは政党・政治団体として組織されているが、もとは市民運動だった。違うか?

これは常識の問題だ。

「3分の1」だったら市民じゃないのか。少数の市民は市民としては認めないのか?

次に「市民団体」の定義だが、無党派の市民といえども、ロビンソン・クルーソーではないのだから必要に応じて、あるいは思想・信条によってさまざまな団体に入る。

それが政党によって組織されたものでなければ市民団体だ。NPOやNGOと同じで、あくまでも外形によって定義されるものだ。それが政治団体として登録すれば政治団体になる。

その目的が原発反対であろうと、戦争反対であろうと関係ない。

もし目的によって、「これは市民ではない。これは市民団体ではない」と定義していけばどうなるか。政党がその定義をしていくなら、市民はそういう団体に入った途端に市民ではなくなってしまう。

違うか?

07/13-18:55 の時事通信の記事には流石に驚いた。

連合は自主投票=民進と対応分かれる【都知事選】

民進党最大の支援団体である連合は、13日の執行委員会で、東京都知事選で特定候補を支援せず、自主投票で臨む方針を正式決定した。

連合東京の岡田啓会長は記者会見で、「1人を選ぶのは困難と判断した」と説明した。 

民進党本部は鳥越氏への推薦を要請したが、岡田会長は要請に応じなかった。

前回選挙でも、民主党が細川護熙元首相を実質支援したのに対し、連合東京は舛添要一氏を支持している。

今回も自公両党が推す増田寛也元総務相が「政策的に近い」として、民進党に「相乗り」を促した。しかし、同党執行部は他の野党と共に鳥越氏を擁立。連合側は民進党と真っ向から対立するのを避けた。

「連合」はここまで崩れているのだ。もはや組合費を反組合活動に使う「泥棒連合」だ。

安東直樹さんのツイッターに下記のような書き込みがあった。

先の東京都知事選で、「脱原発候補は支持できない」として舛添候補への支持を表明した「連合東京」の大野会長(東電労組出身)が退任したとのニュース。

「連合東京」の後任の新会長は「東電労組出身」ではないらしい。

「反共」で凝り固まっていた「連合東京」が今後、変わっていくのか、それとも変わらないのか、今後「連合東京」の展開に注目したいニュースだ。

「連合東京」の新会長は「UAゼンセン」の岡田啓氏とのこと。岡田氏は「京王百貨店労組」の出身。「百貨店」出身の会長は初めてのことのようだ。どんな人物かは未知数。

「連合東京」新会長の岡田啓氏が、どのような手腕を発揮するかまったくわからないが、少なくとも今回の「連合東京」の会長人事で、「民主党東京都連」の現 会長松原仁、現幹事長長島昭久。そして「連合東京」会長が大野博という最悪の「反共トライアングル」の一角が崩れたことは確かなことだ。

ということなので、“まだまし”会長のようだ。下には下があるものだ。

大阪人のアホぶりは異常だ

大阪における改憲派の4議席独占という結果にはさすがに衝撃を受ける。我々の若いころは自民党が4議席独占というと九州の南部や西部くらいだった。これに対して京都は革新を代表し、大阪は多様性を代表した。

いまや大阪は日本における政治反動の最大の拠点となった。かつて大阪は日本経済の原点であったし、文化的にも、東京に対してもう一つの日本像を提示する発信地であった。その大阪と大阪府民の政治精神がここまで劣化したことに背筋の寒くなる思いがする。

大阪の文化は「面白い」ということに最大の価値を置くことによって形作られてきた。「面白い」ということは直感的であり、人間的であり、したがって反権力的であり革新的であった。多少泥臭くても虚飾のない率直さが共感を呼んだ。それが大阪文化の真骨頂であった。

それを支えたのは大阪人の旺盛な食欲であり、好奇心であり、進取の気性であった。与謝野晶子も小松左京もそうやって人々の支持を得た。

それがどんどん地盤沈下し、東京に絡め取られて支店経済化していく中で「面白さ」の有り様は歪められ、薄っぺらなものとなり、から騒ぎの刹那的な「面白さ」に取って代わられるようになった。黒田革新府政の後は西川きよしが国会議員に、横山ノックが府知事に連続当選する。多分「面白い」からであり、府民が「面白い」と思ったからであろう。

そして最後にたどり着いたのがルンペン的なヤクザなギスギスした「面白さ」である。それが維新であり、橋下であり、関西テレビの「そこまで行って委員会」である。朝鮮人をいじめることを面白く感じ、世間の良識に反抗して日の丸を掲げて右翼のふりをすることを面白いと感じ、橋本流の無茶苦茶の論理で府政を引き回すことを「面白い」と感じるようになっていくのである。

トランプにはトランプを支える愚民がいるように、橋下には橋下を支える愚民がいるのだ。

彼らの「面白さ」はきわめてブラックである。強いものには逆らわず、生活保護者や宿なし生活者、老人や女性などの弱いものをいじめることで得られる快感である。そのことで一時、彼らは自らが強者であるかのような幻想を抱くことができ、それが快感につながっているのである。

この「面白さ」は明らかに異常な精神的土壌に根ざす快感である。物事をまじめに正面視することができなくなり、万事が「お笑いネタ」となり、正邪の判断ができなくなっているがゆえの快感である。そして悲惨なことに、そうすることで彼らは自分自身が「お笑いネタ」となっていることに気づけなくなっている。彼らの「ハシズム」は大阪の県境を越えた向こうでは通用しない。「六甲おろし」はトラキチの微笑ましい乱痴気騒ぎ以上のものではないのである。

タイガースとバファローズが両リーグの最下位をひた走るのもそのせいではないか、と思う。 もののあわれを感じる今日このごろである。

毎度のことだが、選挙の評価は一般紙を読んでも分からない(いまだに「商業紙」と書いてしまうスターリン主義が抜けない)。
ということで、火曜日の赤旗を見てから考えることにしている。
一般紙は書かないが、今回の最大のサプライズは、東北地方における野党共闘の圧勝だ。秋田を除いて総なめだ。東北に加えて新潟、長野、山梨…。これらのほとんどは、野党共闘なしには絶対に勝てなかった選挙だ。
もう一つの特徴は、…にも関わらず西日本では不振に終わったことだが、これは参院選挙そのものへの無関心の反映であり、メディアの参院選への無関心の反映という側面もある。
全体としてみれば、流石に勝利とまで強弁はできないが、日本の変革に向けて貴重な反転攻勢の経験だったと言って良いのではないかと思う。

結果として、改憲派の3分の2確保は阻止できなかったわけだが、ある意味で予想されたことではあったので、さほどの驚きはない。
日本の政治の流れで言えば、これが最初の「野党共闘選挙」であり、それが貴重な勝利を獲得したということがキモなのである。
その恩恵は現象的には民進党に回ったが、正確には、それは民進党の「野党共闘」派に回ったと見るべきだろう。
しかし最大の恩恵をうけたのは自覚的市民である。福島原発、機密保護法、そして戦争法反対闘争を通じて運動に参加してきた市民は、「野党共闘は間違っていない。やれば勝てる」という手応えを感じたであろう。同時にそれは、市民グループがひと回りふた回り大きくなり野党共闘を支えなければ、ただの員数合わせに終わるという厳しい結果も突きつけている。
当面の政治課題は東京都知事選であるが、この三つの力、民進党内の「野党共闘」派の前進と、進歩的人士の実践的な能動性、それを支える共産党の本気度がどう相乗効果を発揮するかが、今後の見ものである。
進軍を告げるドラムロールは今もなお鳴り響いている。だから小林節さんよ、ジタバタするな。3割打てれば強打者だ。それがフォア・ザ・チームに徹すれば一気にビッグ・イニングだ。それが政治戦というものだ。
(民主党都連というのは前時代的組合ゴロの支配する腐りきった組織だ。この連中を乗り越えて野党共闘が進むことを期待する。  をご参照ください)

昨日の朝日の記事「野党共闘、距離手探り 1人区、民進と共産の態勢に温度差 参院選」を見ると、野党共闘が実現して行った過程がよく分かる。

1.当初、民進党は共産党と共闘など眼中になかった

それが、最後まで共同が難航した佐賀の例で明らかだ。これが共闘における縄文期の遺跡だ。

県連は共産党との共闘に反対だった。5月になって、ようやく候補が決まったが、共産党との共闘は拒否した。共産党の推薦も拒否した。

面目丸つぶれの共産党は、しかし市民グループの仲介で独自候補を取り下げた。しかし出陣式には、共産関係者は出席せず、祝電などもなかった。

共産党の出馬辞退を辛くも実現した市民団体は、24日に民進、共産議員の揃い立ちの街頭演説を行った。しかしこれについても県連は「あくまで市民連合の呼びかけに応じたもの」と共産党排除の方針を崩していない。

ある意味で、野党共闘はこういう出発点から始まったのだといえる。

2.市民の圧力で、やむを得ず推薦を受けるようになった

これが野党共闘の弥生時代段階でその遺跡が岐阜県である。

岐阜では民進党と連合が肉離れを起こした。民進現職候補を推すことで民進・共産・社民3党が合意し、市民団体を立ち上げた。

ところが連合岐阜が共産党の推薦に反発。告示の間際になって推薦だけは受けることが決まった。しかし選挙運動は連合も加わる選挙対策本部と、共産が参加する市民団体が別々に展開することになった。

連合はいまも、「一緒に選挙をやる県民というだけだ」と共産党を突き放している。

3.推薦を拒否したが、その後選挙協力を受け入れるようになった

山形県選挙区は推薦なしという点では岐阜より遅れていたが、その後の展開の中で岐阜を追い越してしまった、これは古墳時代の遺跡に相当する。

ここでも民進党と連合との肉離れが起きている。4月に民進・社民・共産が選挙協力を確認した。ところが連合山形が「自民支持層からも支持を得ないと勝てない」と言って、共産党の推薦を拒否した。共産党は外からの「全面支援」に留まることを余儀なくされた。

ところが、与党から「野合」との批判が強まったことが逆に野党連携を促した。

公示翌日には民進や共産など野党4党が、24項目の政策確認書を締結するという本格的な共闘に乗り出したのである。

4.民進候補を共産党が推薦し、政策協定を結ぶ

共産党が独自候補を下ろす大義名分を民進党側が与える

民進党は共産党の推薦を受け入れ、県レベルで安保法廃止や安倍政権の打倒などを盛り込んだ政策協定を結んだ。

まだ統一候補には至っていないものの、両者が車の両輪となって選挙運動を展開する仕掛けが実現した。これは律令制時代の遺跡である。

ここから野党共闘の名にふさわしい野党連合の時代が始まっていく。奇しくもそれは「国のまほろば」たる奈良県であった。

5.統一候補を擁立し政策協定を結んで各党が平等の立場で参加する

これが近代の姿である。

それは岩手、山口、熊本などで実現している。とくに熊本での統一候補擁立の経験は全国の「野党は共闘」の動きを大いに励ますものであった。

「野党は共闘」の運動は半年の間にこれだけの行程を駆け抜けたのである。振り替えてみるとすごいものだと思う。

共産党がベタで折れたのではない。民進党以外の政党、市民団体が一丸になって地方の隅々まで「野党は共闘」の風をふかせ、民進党と、とりわけ連合幹部の激しい抵抗を鎮めつつ前進してきたのである。

この経験はいずれぜひ教訓化してほしいものだ。


いつやるか? 今でしょ」の林修さんのブログに

「野合」でいいの?

という記事があった。面白いので抜粋紹介しておく。

林修

…どこぞの宰相殿が、結集した反対勢力を表して

「野合だ」

とかおっしゃったとか。思わず辞書を確認しましたよ。

広辞苑には「男女が婚儀を経ずに通ずること。密かに結びつくこと」とあります。原義は男女が「野原で会合すること」です。ディープでしょ?

いろいろ調べてみると、「バラバラの集団の寄せ集め」といった意味を認めているものもあるにはありましたが、基本的には広辞苑に示されたような意味で用いる言葉です。

飲み屋で愚痴っているときに、思わず口から出てしまったというならともかく、公の場で言う言葉としては、いかがなものでしょうかねえ。もともと、豊かな品性を感じさせる方ではないにしても、さすがにこれはどうでしょう。

これが「烏合」なら、カラスの集まるように規律もなく、統一もなく集まること(広辞苑)であって、特に品の悪い言葉でもありません。

しかし、もし誤用であれば、今度は知性の問題ということになって、いずれにしてもあの方の資質に疑問を感じざるを得ないという結論になってしまいます。(もっとも、そんな結論はとっくに出ているという声も聞こえてきそうですが)


流石に有名人でタレントでもあるので、抑えたタッチで表現している。

もっと露骨に言えば、野原でマグワイ(青カン)することであり、しかも集団で誰かれ構わずやる(乱交)ことだ。

野党共闘=野合論を野党の宣伝として利用するべきだ

自民党はたいへん良い問題提起をしてくれている。

今回の選挙は憲法と戦争法を問う選挙だ。それなのに自民党は憲法など争点ではないと話をそらし、野党共闘は憲法を口実にした野合だと叫ぶ。

ところで「野党連合が野合だ」というのは、「野党は共闘してはいけない」と言いたいからだろう。これに我々が反論するということは、我々に[野党共闘とは何なのか」を説明させてもらうための絶好の機会を与えてくれるものだと思う。

これは大いに「売られた喧嘩を買って」いかなければならない。


ただしそれは、いまの自民党政治をなんとかしたいと思っている人向けの議論だ。(「野合」という下品な罵り言葉の大合唱については、すでに厳しい批判が相次いでいる)

それは「いま自民党は野党連合が野合だと批判していますが、あなたはどう思いますか」という問いかけから始まるべきだろう。

まずは冷静に現状を見るべきだ。与党が圧倒的だ。なんだってできる。現に何だってしている。

誰かが「野党共闘は緊急避難」と言っているが、たしかにそういう面はある。とりあえず憲法改悪という災難を避けるために体育館に集まったとすれば分かりやすい。

私たちをいま支配しているのは、一方では危機感であり、一方では無力感だ。しかし今は危機感が無力感を上回っている。だから、なんとかなるならなんとかしたいと考えている。こういう時は保守も革新もなくおたがい助け合うものだ。そうやって危機感を共有し、無力感を克服するのだ。


これが議論の出発点だろう。

そこから「野党は共闘」という叫びが生まれてきた。なぜならどう考えてもそれ以外に道はないからである。

最初、それは到底実現不可能と考えられてきた。民進党の中にきわめて右翼的な部分がいて、さまざまな形で妨害するだろうと見られていたからである。

それが当初の枠組みとはずいぶん違うとはいえ、選挙協力まで持ち込んでしまった。それは市民(「市民連合」)の圧力以外の何物でもない。

シールズの奥田君はいみじくも、「市民が野党共闘を呼びかけても無理だって言われたけど、でも、できちゃった」と言っている。市民の圧力以外に何かあったろうか。

それがなければ、共産党が土下座して頼み込んだとしても、民進党は首を立てにらなかったろう。なぜなら民進党は共産党と組めば票が減るくらいにしか考えないからだ。それがこれまでの常識でもあったのだ。

民進党右派もそれなりの計算はしたはずだ。そして今回の選挙に限っては、野党連合の枠組みで闘ったほうが票が増えると判断したはずだ。

こうして成立したのが野党連合だ。

だからそれは政党連合であって政党連合ではない。それは野党連合という形を借りた市民連合でもあるのだ。

しかし野党が連合したからといっても、それだけでは勝てるわけがない。そこには勢いが必要だ。今のところまだ、さほどの勢いは感じられない。

自民党から、野党連合は野合だと言われた時は、少々時間はかかっても、上記の経過をるる説明するしかない。

それは巧まずして野党連合の正しい宣伝となる。だから「野党連合は野合だ」と言われたら、「しめた」と思わなくてはいけない。

それにしても自民党は、政権党としてもっと鷹揚に構えていてもいいはずだ。恐れすぎているのか、それともそれが安倍首相のやり方なのか。「野合」という言葉が下品だということさえ知らないのか、吐き気がするくらい下品だ。

まことにありがたいクロニクルがある。中国新聞のヒロシマの記録というページで、1966年11月以降の出来事が細大漏らさず記載されている。
もともとは1970年から始まった第二次碑文論争の足跡を辿ろうと思って探していてヒットしたのだが、内容はそれにとどまらない。読み進めていくうちに実時代を生きているような気分にさせられる。
どちらかと言えば、それまでは例の「碑文」はバカにされていた。
何をピンぼけなことを言っているんだ、アメリカはベトナムで今にも核を使いそうな雰囲気だったし、中国は原爆と水爆の実験を相次いで成功させるし、下田駐米大使は「核武装」論をぶち上げるし、原爆を積んだ飛行機は墜落するし、とにかく「祈って」いる暇などなかった。
そういうなかで右翼が慰霊碑に的を絞って攻撃をかけてきた。虚を衝かれた反核陣営は、ともかくも体制を建て直して慰霊碑の防衛に回った。最初はほとんど「心ならずも」の世界だった。
そして闘いのさなかに原水爆禁止運動の「原点」を慰霊碑の碑文の中に見出していくことになった。碑文そのものが原点というより、「普通の広島市民」の思いが核廃絶運動の原点にあることが確認されていくのである。
とりあえず、中間報告ということで目下の思いを表現させてもらった。
膨大な資料ゆえ、まだ読み切れはいない。本格的なコメントはそれが終わってからの事になりそうだ。


話がどんどんややこしくなっている。読者の皆様にはまことに相済まない状況になっている。

一応これまでの思考経路をおさらいしてみる。

1.「謝罪」議論の胡散臭さ

オバマの広島での演説は素晴らしいものだった。少し文学的にすぎる箇所もあるが、素直に感動した。

ところがマスコミの報道は、やたらとオバマが謝罪するかどうかに話を持って行こうとするので、何か意図的なものがあるのではないかと抵抗を覚えた。

謝ればなお良いが、今回の訪問の評価をそこに持っていくのは間違いで、とにかく来ただけでも良しと考えなければならないと思う。しかも演説の前、ホワイトハウスの報道官が簡単なステートメントに留めると強く釘を差していたから、ほとんど期待していなかったというのが正直なところだった。

しかし、演説はかなりの長時間にわたり、まごころのこもったものであった。「謝罪」こそないが、核廃絶への確固たる姿勢は十分うかがえた。深澤さんの言葉を借りるならば、それは慰霊碑の碑文の精神と響き合ってたように思える。

2.オバマ演説と慰霊碑の碑文

言うまでもなく、慰霊碑の碑文は我が核廃絶を目指す運動をすすめる上での精神的拠り所の一つとなるものである。それは、我が核廃絶の運動(闘いというべきか)をすすめることが何よりもの慰霊となるということである。それは人類史的な意味での我々の「過ち」に対する償いである。

今なお核に固執する勢力がある。その敵をいかに包囲し追い詰めていくかが、今我々に問われている。しかるがゆえに、運動の側には、過去において核兵器を使用した「過ち」をもって未来永劫の敵とはしないという柔軟性が要請されている。そこには「あなた方の犯した罪を、(同じ人類の一員として)私たちも担いましょう」という統一戦線的な発想がある。大事なのは今であり、未来なのだ。

3.鍛えられ強くなった碑文の精神

その後調べていくうちにわかったのだが、この「過ちは二度と繰り返しませぬから」という誓いが当初からそのような高みにあったのかはかなり疑問である。むしろ70年代の右翼による攻撃から碑文を守る運動の中で、それが非核勢力の中核的精神として昇華され、大方の合意となっていったというのが正しいのだろうと思うようになった。

「小異を捨てて大同につく」という言葉がある。原爆の使用責任は決して「小異」ではなく、ゆるがせにできる問題でもない。しかし核兵器の廃絶という人類史的課題に比べれば「小異」といえないことはない。だからこのスローガンは「論理的に正しいか否か」ではなく、「実践的に正しいか否か」という問いに対する答えなのである。

そしてその正しさは、オバマの演説により、部分的には証明されたと見て良いのではないだろうか。

グーグルさんありがとう。「原爆慰霊碑の碑文とオバマ演説 その1」をグーグルで検索して、リンクをクリックすると「その2」が出てくる。ところがリンクの表題の右側についているキャッシュという逆三角を開くと、「その1」が出てきた。
読み返してみると、その後の勉強の結果、手直ししなければならないところがいくつか出てきた。そこで再編集したうえでアップロードすることにする。


Diamond On Line 5月30日付の記事 オバマ広島演説に込められた原爆慰霊碑文の精神

は、慰霊碑の碑文と照らし合わせならオバマ演説を読み解くという、格調の高いものとなっている。筆者は編集長の深澤献さん。

いくつかの演説の断片を引用した後、深澤さんは次のように問題を設定する。

来日前に焦点となっていたことのひとつは、原爆を落とした当事国として謝罪があるかという点だった。演説の中には謝罪を示す言葉はなかったため、いまなおそれを問題視する声もある。

そして、深澤さんは慰霊碑の碑文、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」を持ち出す。

そして、この碑文が被爆者に対する最大の謝罪(の誓い)であり、その精神はオバマ演説に引き継がれている、と主張する。

そのうえで、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の誓いが最大の謝罪(の誓い)であることを、歴史的に論証していく。

おそらく、もっとも的確にオバマ演説の本質を引き出した文章のひとつであろうと思う。

本文を読んでもらえばいいだけの話だが、文章が入れ子構造になっていて、慰霊碑の碑文を巡る論争が分からないと、オバマ演説の意義がわからないという仕掛けになっている。

そこで「慰霊碑の碑文」論争について、文章の順に従って説明しておく。


1.慰霊碑の碑文

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」は、英語にするとこうなるそうだ。

Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil.

大変格調の高い、難しい英語で、アメリカ人にはたして分かるのか、とさえ思う。作者は雑賀忠義さんという方。当時の広島大学教授で英文学者。さもありなんと思う。雑賀さんも被爆者だった。

この慰霊碑は1952年(昭和27年)に建てられた。その時に碑文論争が起きている。

1.端的に言えば「なんや、このけったいな文句は」という感想である。筆者の深澤さんも少年時代にそう思ったそうだ。

たしかに自分が「過った」ようにも読めてしまう。「俺はいったい被害者なのか、加害者なのか?」と、碑を前に首を傾げる市民がいたとしても不思議ではない。

2.首を傾げるだけではなく、怒っちゃった市民もいるらしい。

地元紙「中国新聞」には、「原爆投下の米国の責任を明確にせよ」とか、「過ちは繰返させません からとすべきだ」との投書が掲載されたそうだ。

3.浜井市長はこう言っておさめようとした。

誰のせいか詮索するのではなく、こんなひどいことは人間の世界に再びあってはならないのだから、「人類全体」が過ちを繰り返さないということなのだ。

しかしこれはかえって火に油を注いだ。浜井発言は1年前まで日本を占領していた米国に慮ったものとも言われるが、これでは東久邇内閣の「一億総ザンゲ」論へとまっしぐらにつながってしまう。

4.雑賀さんの発言(論争への参加)

この発言はこの記事で初めて知った。そのまま引用する。

広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。
『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。
そんなせせこましい 立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない

いささか感情的とも取れる発言であるが、これには経過がある。

東京裁判でいまや右翼の御用達となったパール判事が広島に来たのだそうだ。そのとき、慰霊碑の前で碑文の内容を聞くや、「原爆を落としたのは日本人でない。落とした者の手はまだ清められていない」と語った。

これが雑賀さんの逆鱗に触れたのだ。「誰のせいだ。俺のせいではない」と議論すること自体がせせこましいと憤ったのだ。

5.論争をまとめてみると

雑賀さんは「恩讐を超えて、核廃絶を目指せ」ということで、それが最大の慰霊(謝罪)なのだと主張している。

ただ、「恩讐を超える」ところだけ強調してしまった嫌いがないとはいえない。「広島市民であると共に世界市民であるわれわれ」を強調するあまりに、「世界市民であるけども、広島市民であるわれわれ」の特殊性を尽くしていないように思う。

原爆の苦しみは8月6日で終わったのではなく、そこから始まったのであり、1952年にはそのただ中にあったのであり、その苦しみ(実相)をもっと突き出さなくてはならなかったのではないか。

6.現在の「碑文」の解釈

現在、広島市は碑文の意味について次のように説明している。なお、著者深澤さんは「広島市の見解は一貫して、慰霊碑建立当時と同じだ」と書いているが、浜井市長の発言よりは明確に前進していると思う。

原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られています。
碑文の中の『過ち』とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています
原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓う のは、全世界の人々でなくてはなりません。

これを論争を踏まえて私なりに読み解いてみると、

①原爆の犠牲者の位置づけ

原爆の犠牲者は、いまやヒロシマの犠牲者ではなく日本の犠牲者でもなく、人類最初の原爆による人類最初の犠牲者だ。

原爆の犠牲者は、いまや、そのような高度に抽象的なものとして位置づけられ、祀られるべきだ。

キリストがユダヤ人であるかどうかは問題ではない。キリストの死には「ユダヤ人がローマ人によって殺された」という事実はある。しかしそれが辺縁的事実にすぎないのと同じだ。

②原爆の犠牲者は「過ち」を責めている

「過ち」問題は、ここをしっかり把握すれば、自ずから明らかになる。

むごたらしい死と、同じようにむごい生の末の死は、アメリカではなく人類全体、生き延びてきた私たちを責めている。それは「過ち」だったと。そしてずっとこれからも「過ち」であると。

そして「過ちを繰り返さぬ保障」としての核兵器廃絶を求めている。そのことによって犠牲者は平和(をもとめる人々)のいしずえとなっている。

しかし犠牲者はまだ人類史のいしずえにはなっていない。核兵器が廃絶された世界が実現しないかぎり、彼らは「過ち」を責め続けるだろう。

③謝罪とは核兵器を廃絶すること

謝罪と核兵器の廃絶はイコールではない。しかし核兵器の廃絶に向け決意することは、犠牲者の責めを受け止め謝罪することの重要な一部をなす。

この場合、犠牲者の責めを受け止め続けることが何よりも重要であろう。「辛かったでしょう。分かっていますよ」という声掛けが、「安らかに眠って」もらうための条件だ。

これが慰霊碑の碑文の精神である。

1949年

5月 広島平和記念都市建設法が成立。7月には憲法第95条による初の住民投票を経て公布される。

1951年

2月 平和記念公園に戦災死亡者の碑の建立決定。原爆死亡者の名簿をおさめることなど計画。公式には「広島平和都市記念碑」だが、通称の「原爆死没者慰霊碑」がよく知られる。

慰霊碑のデザインは、イサム・ノグチの案に一旦は内定した。しかし岸田日出刀らが、日系アメリカ人というのを理由に強硬に反対したため、ノグチ案を生かして丹下が再デザインした(ウィキペディア)

1952年

広島市長浜井信三が慰霊碑を発起する。

この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなることを目的とする。

7月22日 慰霊碑の碑文が決定。広島大学教授の雑賀忠義が浜井信三広島市長の依頼を受けて提案、揮毫した。雑賀さんは「言葉も書体も市民感情を表すように努めた」と語る。

中国新聞: 雑賀さんは旧制広高の英語の名物教授で、はげ頭に骨張った顔の、ひょうひょうたる人物。「仙人」とも呼ばれた。教え子で市長室主事だった藤本千万太さんが、碑文に悩む浜井市長に紹介した。
山田風太郎「同日同刻」: 真珠湾攻撃の報道を受けたとき、…朝の授業中の雑賀教授は廊下に飛び出して、頓狂な声で『万歳』を叫んだ。

1952年8月2日、広島市議会で碑文に対する質問。『過ち』は誰が犯したものであるか」について議論となる

浜井市長の答弁: 原爆慰霊碑文の『過ち』とは、戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している。


1952年8月6日 原爆死没者慰霊碑の除幕式。当初はコンクリート製であった。本来設計では慰霊碑をすかしてドームまで見通せるはずが、被爆者のバラックが透かして見通せた。バラック隠しの幕を張って式を挙行した。57902名の名簿が奉納された。
 
浜井市長の挨拶: この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる。

8月10日 『朝日新聞』の「声」欄に投書。最初の異議となる。(ウィキペディアでは中国新聞への投書となっている)その後、中国新聞に碑文に関する数篇の投書が掲載される。

後文については、私は大いに異議がある。『あやまちは繰り返しません』では『過誤は我にあり』ということになろう。これで犠牲者が、安らかに眠れようか。
…戦争の責任をとやかく論議しようとは思わぬが、日本の、広島の当局者がいまなおわけもなく卑屈にみえることを、実に遺憾に思う

8月 浜井市長が反論への見解を表明。「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主張する。(これを「過ちを繰り返さない」主体が人類全体であるとする主張であり、現在の広島市の見解に通じる、とする見解がある)

8月 識者の意見が中国新聞に掲載される。

 <作家・堀田善衛氏>「『過ちは繰返しませぬから』。だれがいったい過ちを犯したのか。答はいろいろあるかも知れない。しかしそれにしても、もしこれが いつもいつも被害者にされっ放しの民衆の立場に立った誓いであるならば『過ちは繰返させませんから』でなければならないのではなかろうか」

 <原子物理学者・武谷三男氏>「私は広島の人に、どういう風にして過ちを繰返さず、原爆で死んだ人をやすらかにねむらすことができるかをききたい。私はむしろ『ねむらずに墓の底から叫んで下さい。過ちがくり返されそうです』と書きかえるべきだと思う」(矢内原伊作の意見は略)

11月3日 ラダビノード・パール(Radhabinod Pal 極東国際軍事裁判の判事)が講演のため広島を訪問。

4日の講演: 広島、長崎に原爆が投ぜられたとき、どのようないいわけがされたか、何のために投ぜられなければならなかったか。
 アメリカ軍人を犠牲にしないためなら、罪のないところの老人や、子供や、婦人を、あるいは一般の平和的生活 をいとなむ市民を、幾万人、幾十万人、殺してもいいというのだろうか。われわれはこうした手合と人道や平和について語り合いたくはない。

11月5日 パールが広島平和記念公園を訪問。原爆死没者慰霊碑の碑文を通訳を通して読む。パールは碑文を「一億総懺悔」と読み批判する。原爆への恨みを公言できなかった被爆者らは、バールの言葉に共感を持つ。

この碑文に『過ちは再び繰返しませんから』とあるのは、日本人をさしている。それがどんな過ちであるのか私は疑う、ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたものの手はまだ清められていない。
過ちを繰り返さぬということが将来武器をとらぬことを意味するなら、それは非常に立派な決意だ。日本がもし再軍備を願うなら、これは犠牲者の霊をボウトクするものである。これを書いた当事者はもっと明瞭な表現を用いた方がよかったと私は思う。

(パールの発言には以下の部分もあり、これについては首肯できない)

この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
・・国民がその良心に重い罪の悩みをもっていれば、いかなる国民も進歩、発展はないということをよく記憶せねばならぬ。

11月04日 『中国新聞』に濱井信三広島市長の談話が掲載される。(4日となっているが、5日のパール発言を受けてのものであろう。焦っているから、「地下の英霊」などという言葉が飛び出す)

過去の戦争は明らかに人類の過ちであった。
私は碑の前に建つ人々がだれであろうと『自分に関する限りはあやまちは繰り返さない』という誓いと決意を固めることが将来の平和を築く基礎であると思う。
また現在生きている人たちがそれを実践したとき、はじめて地下の英霊は安らかにに眠ることができるものである。
碑の前に対して「だれの罪である」と個人をつかまえて詮索する必要はないと思う。

11月10日 雑賀教授、パールに抗議文を送る。

『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。

11月11日 雑賀教授が中国新聞に寄稿。(おそらく「抗議文」と同内容)

パル博士の考えは狭量で、そのような立場からは原爆の惨禍は防げない、過ちを繰り返さないと霊前に誓うのは世界市民としての広島市民の気持ちであり、全人類の過去、現在、未来に通じる良心の叫びである。

11月 雑賀教授、広島大学教養部での講義で碑文の内容を説明。

碑文の英訳は「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」である。
主語の“We”は「広島市民」であると同時に「全ての人々」であり、「世界市民である人類全体」を意味する。

雑賀、市広報紙に碑文解説を書く。「20世紀文明が犯した最大の過ちは広島の原爆であった」とする。(日付け不明だが、少し頭が冷えてからのものであろう)

57年 雑賀教授は碑文論争から5年後の定年退官の際、「広大新聞」でこう語っている。「全世界よ、全人類よ、日本の方を向いて『右へ倣え』。碑文は全人類への号令である。こんなはっきりしたことが読み取れないのですか。頭が悪いですね」

あらためてオバマ演説を読むと、美辞麗句にとどまらない、含蓄のある言葉が散りばめられていることに驚く。

これは聞く文章ではなく読む文章だ。

1.71年前、人類は人類滅亡の道具をついに手にしてしまった

これは冒頭の文章だ。「原爆=人類滅亡の道具」という定義を、その押しボタンの所有者から聞くことに感慨を覚える。

人類滅亡の道具については、後段でも言及がある。

人類は自滅の道具を手にした特異な種だが、反面、これもまた人類を人類たらしめる特異な資質なのである。

オバマは弁証法を身につけている、と感じる。

2.死者の魂はわれわれに問う。「おまえはいったい何者なのだ、どこへ向かうのだ」

この唐突な表現は、聖書を下敷きにしたものである。

ローマ皇帝のキリスト教徒弾圧に直面し、ローマで布教にあたっていたペテロは街を脱出した。その時ペテロはイエス・キリストとすれ違う。この時ペテロがイエスに問いかけた言葉が「クォ・ヴァディス」(Quo vadis)である(外伝の方)。

キリストはこう答えた。

なんじ(汝)、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて、いま一度十字架にかからん

3.われわれは、だからここに来た

どんなに辛くてもこの街の中心に立って、あの爆弾が落ちてきた瞬間のことを全身全霊を傾けて想像してみなければならない。

おそらく、ここが碑文と響き合うところだ。

現実から目を背けず歴史を直視し、同じ苦しみを繰り返さないため何ができるのかを自らに問う共通の責任がわれわれにはある。

これが雑賀さんの言いたかったことであろう。オバマは雑賀さんの気持ちを体得している。

1945年8月6日の朝の記憶は永久に風化させてはならない。その記憶はわれわれに現状を打破する力を与え、モラルの想像力の殻を破る力、変わる力を与えてくれる。

4.ヒロシマは核戦争時代の夜明けではない

広島と長崎が「核戦争時代の夜明け」として歴史に刻まれる未来なんか要らない。「モラルの目覚めの朝」として歴史に刻まれる未来をともに選んでいきたい

以上のようにオバマ演説を読み解くとき、とりわけ3.の部分は凛として慰霊碑の碑文と響き合っているように思われるがいかがであろうか。


大変だ。「原爆慰霊碑の碑文とオバマ演説 その1」を消してしまった。その2を上書きしてしまったらしい。


オバマの演説は良いのだけど、横にいる男には虫酸が走る。

だからテレビのチャンネルを変えたが、どこも同じ絵だ。

なんでこんな男が傍らに居なくてはならないんだ。

今一度、この男の発言をさらっておこう。

2002年6月2日号の「サンデー毎日」の記事より

安倍氏が小泉内閣の官房副長官だった頃、早稲田大学で「核兵器使用は違憲とは思わない」と発言した。サンデー毎日側は録音テープと写真を元に記事を掲載した。

(大陸間弾道弾を作ってもいいのかと問われて)「大陸間弾道弾はですね、憲法上は問題ではない」、「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」

(それは個人的見解かと念を押されて)「日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。

この発言はウォール・ストリート・ジャーナルを通じて世界に拡散されている。

知らないのは国営NHK放送しか見ない善良な日本国民のみだ。

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