鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 40 自然科学

という文章を見つけた。

東邦大学医療センター佐倉病院の院内報
「SAKURA Times 2013.11.10 第 67号」
に掲載されたものらしい。
著者は「臨床検査部」となっているので、
お気軽に書かれたもののようである。
安全運転管理者等選任の手引き
というファイル名だから、別のレポートの裏にでも印刷したのであろう。

現在の鳥類・魚類・爬虫類・両生類の赤血球にはすべて核があります。これら脊椎動物の中で赤血球に核がないのは、哺乳類だけなのです。
哺乳類(単弓類)は、なぜ赤血球の核を捨ててしまったのか。
ということで、著者はいくつかの仮説を提出している。
① 核をなくすことで容積が増し、細胞内に酸素と結合するヘモグロビンをより多く含むことができる。
② 赤血球の特徴的な円盤状の形をとることで体積当りの表面積が大きくなり効率的なガス交換が行える。
③ 円盤状になることによって、微細な毛細血管もスムーズに通過できる。

著者は以下のようなコメントも追加している。
ヒトの組織中で一番多くの酸素を必要としているのは脳(全身の酸素使用の約 20%)で、ヒトの脳が発達した一因にこの酸素運搬の獲得があったのかもしれません。
まぁ、それは別の話としよう。

進化と環境適応とは似ていて違うところがある。魚類が地上に上がるのに肺呼吸となった。両生類が水辺から離れて陸生となるために乾燥に耐える必要があった。
かくして爬虫類と哺乳類の共通の祖先となるEarly Reptilesが出現した。
そのうち寒冷適応(恒温化)をした単弓類がまず発達した。当時は十分寒かったし、酸素はたっぷりあったからだ。
そのうちレクチン分解菌が出現して、シダの木を石炭にせずに燃やし始めた。おかげで気温は上昇して炭酸ガスは増えてきた。逆に酸素は減った。
単弓類の長所はすべて欠点となった。単弓類は種の多様性を守るためにだけ生きながらえた。おそらくその雌伏のときに赤血球の無核化を獲得したのであろう。

①,②,③の理由はたしかにその通りだが、それには生物進化史的理解を必要とするのではないだろうか。

哺乳類と爬虫類の関係を示す、大変わかりやすい画像があったので、転載させていただく。
元の絵は、鈴木仁「生物多様性概論II : 爬虫類、鳥類、哺乳類」さんのもの。
Reptiles

隕石が落ちたあの日まで、生物進化の王道を歩いていたのは爬虫類(双弓類)であり、哺乳類は初期の段階で進化(多様化)を終え、限りなく絶滅に近い線をたどっていたのだ。


NHK総合 【NHKスペシャル】 
ホモサピエンス・日本へ!発見!極寒を生きる道具
という番組があって、その中で寒いところに進出した人類が服を作るようになった。「それは縫い針を発明したからだ」という話になって、それはそれで良いのだが、それが突然言語活動との関連の話に移る。
どうも話の筋に無理がある。
というのも、どうもアメリカの研究者()のある研究に持っていきたいらしい。
ディー トリッヒ・スタウト (エモ リー大学)「道具使用 と言語の進化の脳科学的解明」
その研究というのが、道具作りの動画(動物の骨から針を作成する)を見せながらEmission CTとかMRとかとってどこが光るか見たものだ。
それがブローカが光ったからと言って大騒ぎしているのだ。
それって当たり前じゃん。
スマートフォンの取扱説明書を読みながら勉強しているときに、脳のどこが働いているかというのと同じでしょう。
取説を手に取りながら読むか、Youtubeの説明動画で勉強するかの違いじゃないの。
ただ、下図を見ると別の興味も湧いてくる。
道具作り学習.jpg
利き腕側の半球かどうかで多少違うのだろうと思うが、後頭葉の背側路が結構光っていて、まずここで画像の動画化が行われていることがわかる。作業の方法を順序立てているのであろう。
ついで、この連続画像が文字として認識され、側頭葉で言語化され、いったん前頭前野で処理された後、ブローカに送られて、ブローカ近傍で言語記憶として処理され、中心溝前方の一次運動野に蓄えられるのである。
この絵でそこまで読めるかという問題はあるが、この手の絵は他にも結構あるので、そんな感じでいいのだろうと思う。
この図式でもっとも重要なポイントは、後頭葉から頭頂葉につながる背側路での動画化処理である。それは私の提唱するV3→V5の動画化機能仮説を補強するものである。

海水蒸留して真水を得る方法は、かなり昔から知られていて、実験レベルでは行われてきたが、コスト面がネックになり実用化というには至らなかった。
ただ砂漠の中の油田地帯みたいなところだと、石油はほぼ無制限に使えるので蒸発法がかなり普及した。
これの熱効率をどのように改善するかの研究が第二次大戦後から始まっている。ウィキによれば、1950年にアメリカの内務省塩水局(OSW)という機関が海水から安価に真水を得る方法の研究に予算を投入したという。

これとは別に1953年、フロリダ大学のレイドが逆浸透法(RO膜)による脱塩法を提示した。これは酢酸セルロース膜が半透性を有することを利用したもので、逆浸透法と呼ばれる。

逆浸透
半透膜を介在した浸透が平衡に達したとき、両溶液間に生じる圧力差が浸透圧である。濃厚溶液側に浸透圧差よりも大きい圧力をかけると、水は希薄溶液側に「逆浸透」するが溶質はトラップされる。(ニューメディカ・テックより)
この半透膜はその後改良が加えられ、1960年にはカリフォルニア大学のLeobらが100気圧の逆浸透圧をかけ、食塩排除率98.6%、透過水の流速が3μm/secに達する淡水化装置の開発に成功した。

いっぽう、伝統的な蒸発法においても多段フラッシュ蒸発法(MSF)が普及し始めた。これは空気圧を段階的に下げることで蒸発の能率を上げるものだ。これだと動力によって気圧を下げる分、熱量の節約になるのとスピードアップが図れる。

これらを見た当時のケネディ大統領は、「海水淡水化」を国家事業として承認した。当時の総容量は20万トン/日。蒸発法が主体であった。

1965年、デュポン社が酢酸セルロース膜方式の海水淡水化プラントを立ち上げ、本格的に淡水化事業に加わった。さらに1972年には界面重合による薄膜の製法が開発され、酢酸セルロースを凌ぐポリアミド系複合膜が開発された。
この半透膜は当初は、海水の淡水化よりは淡水のろ過膜として開発され、下水処理水や高濃度汚染地域の飲料化として始まった。
海水の淡水化に逆浸透圧方式が取り入れられたのは、日本が先行した。1977年、復帰直後の沖縄で激しい水不足が生じた。給水制限は1年の半分近く、169日に達した。このため沖縄での海水淡水化計画が始まった。
20年後の1997年、ついにこの計画は実現した。沖縄・北谷町にポリアミド重合膜を用いた逆浸透膜方式の海水淡水化プラントが完成。生産水量は 4万立米/日を実現した。2005年には福岡地方で94年大渇水を機に、5万m3/日の淡水が水道水源として供用開始となっている。

2001年には技術開発によりRO膜処理法が多段フラッシュ蒸発法を造水量で追い越すに至った。当時の造水量は2600万トンに達した。ただしこの時点では、産油国の海水淡水化プラントは蒸発法が引き続き優位を占めていた。
2010年 世界の逆浸透膜市場をダウ、日東電工、東レの三社が横並びで担う。ただし東洋紡は中東に特化して高い現地シェアを誇る。
稼働容量
2009年 ユネスコが水不足予測を発表した。世界的に砂漠化が進行し、2030年に世界人口の47%が水不足に陥るとされる。

砂漠化地図

学習不足のため、まだ文章化するには至らないのだが、どうも人類の資源無駄遣いによる地球温暖化と炭酸ガスの蓄積、そして海水面の上昇と一筆書きで描くのはいささか早計ではないかと思えないでもない。
つい20~30年前までは、人口が加速度的に増えて人類は飢餓により死に絶えるのではないかと、ほとんどの人が真面目に考えていた。
だから第二次大戦のような殺し合いも、人類のやむを得ない業として黙認されていたフシがある。
ところが、世界の文明化は明らかに人口の頭打ちをもたらした。むしろ文明の進化が人類の衰退を招くのではないかとさえ考えられるようになっている。
こういう状況の中で、環境問題も一度じっくりと考え直す時期に入ってきているのではないかと思う。人口爆発時代のトレンドを外延させるだけではだめで、一つひとつの課題に技術的に、科学的に、哲学的に向き合っていかなければならない。

と考えたきっかけは、砂漠化の問題である。
砂漠化は結局、この気候帯における水の出し入れの問題だろう。砂漠地帯は寒冷地と違ってまったくの不毛ではない。水さえあれば多くの生命を抱え込むことができるキャパシティーがある。気温も平均すればさほど高いわけではない。カーボ・ベルデなど1年を通じて25度という楽園である。
いま地球全体の気候バランスは、面積的に言えば熱帯雨林などではなく第一に海洋であり、第二に砂漠地帯であり、第三に両極地帯なのではないか。
ところが意外に等閑視されているのがこの乾燥地帯だ。しかも猛烈な勢いで拡大し、地下までふくめた乾燥化も激しい勢いで進んでいる。
ここを何とかするのが地球環境問題の環ではないのだろうか。
なんとかすると言っても、話はきわめて簡単だ。真水を突っ込むこと、それだけである。
論理的にはきわめて簡単だが、経済的にはきわめて困難である。
真水を突っ込むことを、持続可能なサイクルとして作り出さなければならない。水を引っ張ってきて灌漑したり地面深くから水を汲み出して、その水で緑の沃野を作り出しても、水の出し入れは全然改善されていない。
これにはまずグランドデザインが必要で、自助・共助・公助を組み合わせた組織づくりとファンディングが必要だ。もちろん技術の開発が伴わなければならないが、それは「必要は発明の母」ということだろう。ついでコストの軽減化が必要で、そこには経済的な意味も必要だ。

脳神経の解剖学で大脳基底核ほど退屈な領域はない。なぜ退屈か。そもそも「大脳基底核とはなんぞや」ということについて、いっさい触れられていないからである。
かなり教科書を読み込んでも、大脳基底核固有の積極的な働きは書かれていないと言える。

しかし臨床的には、とりわけCT、MRが登場してからはきわめて重要な場所なのだ。脳血管障害の多くはここに集中している。ここがやられた場合の被害も重篤だ。
私の生まれた静岡市用宗というところは東海道本線、新幹線、東名高速という3つの幹線がわずか数百メートルの間隔で並んで走っている。
しかし用宗という町にはなんの重要性もない。高齢化の中で死んだような眠ったような集落に過ぎない。
ついでにいうと私の本籍は三重県鈴鹿郡関町大字沓掛404番地。東海道五十三次でいうと坂下の宿だ。鈴鹿峠にいよいよ登っていくとっつきで、伊賀に逃げる道の分岐点だ。そのT字路がまさに404番地だ。これも土地そのものにはまったく意味はない。
私は、大脳基底核の重要性を終脳の最初の起点という歴史的・文化的重要性に見る。
これまで大脳基底核の重要性を貶める二つの間違った位置づけがされてきた。一つは大脳辺縁系の最外周、下り線最終駅という位置づけであり、一つは錐体外路系という有りもしない経路のターミナルという位置づけだ。
これらの汚れを洗い流してもう一度、終脳の起点、外套の第一ボタンとして位置づけることによって、大脳発達の最初期(古皮質形成)に果たした役割について、もう少し真の姿が見えてくるのではないだろうか。

私の「三脳構造」説は脳の基本はあくまで前脳・中脳・後脳の三要素を基本とするもので、終脳(外套)より先は前脳の背側にある何らかの原基(芽)がいわばポリープ状に増殖したものであるとする考えである。
これはマクリーンの三脳説とは真っ向から対立する概念である。
ただし、終脳の増殖が波状に到来し、基底核、古皮質、新皮質が形成されたことには同意する。それは終脳学の範疇である。
それが大脳に質的変化をもたらす。それはマクリーンの3層構造と見かけ上類似する。

その際肝心なことは、基底核が皮質細胞(ニューロン)の生成工場となっていることである。ここで作られたニューロンが次々と前線に送られ積み重なって皮質を形成していくことが分かってきた。

脳科学辞典の大脳基底核原基の項目

大脳基底核原基は、基底核隆起とも言われる。
終脳(telencephalon)のうち外套 (広義の大脳皮質)の腹側に位置する。
ここで多くの大脳基底核神経細胞と大脳皮質のGABA作動性抑制性神経細胞、オリゴデンドロサイトが産生される。
このうち、GABA作動性抑制性神経細胞は大脳皮質、線条体、淡蒼球、扁桃体、嗅球などの様々な領域に移動する


私が個人的に敬愛する脳解剖学の研究者川村光毅先生が「大脳基底核逍遥」という文章を書かれている。
2010年の発表なので、比較的最近のものと言えるだろう。
情動と音楽の起源―情動の進化と脳機能という若干趣味的な論文の一部である。
口演形式なので、アンバランスを承知の上で、今までどちらかというと関心の低かった、“大脳基底核”について多少詳しく、その重要性に力点を置いた。
とエクスキューズが入っている。

私も気楽につまみ食いさせてもらおうと思う。

大脳基底核の分類
大脳基底核は線条体と淡蒼球、視床下核、黒質に分かれる。
線条体は背側線条体と腹側線条体よりなり、さらに背側線条体は被殻と尾状核に分かれる。

トリの線条体
トリにも線条体がある。これは背側脳室隆起(DVR)を起源とする細胞集団である。
DVRの本態については3つの説があるが、結局の所よくわからない。
2002年にアメリカのデューク大学にトリの研究者が集まって、striatum(線条体)との呼称をpallium(外套)に変更したらしい。
主たる変更理由は、それが哺乳類の線条体ではなく、線条体を覆うような大脳皮質類似の細胞集団であるからということだ。

大脳基底核と遺伝子発現
なぜ呼称が変わったかというと、最大の理由が遺伝子発現の違いだ。
いくつかの遺伝子マーカーで、線条体と大脳皮質との違いをチェックすると、それぞれに特異性が見られる。
面倒なので一つだけあげると、Tbr-1という遺伝子があって、これは哺乳類では皮質のみに発現するのだが、トリでは両方に発現する。
つまりトリの「線条体」は線条体とも言えるし皮質であるとも言えることになる。そこで中をとる形で「外套」ということばを持ち出したらしい。

基底核をふくむ神経回路
ここは面倒なので飛ばす。大脳・基底核・視床がグーチョキパー関係だということ、GABAがブレーキで、グルタミン酸がアクセルだということだけ覚えておく。

ヒトの脳は、1000億個の神経細胞と、1兆個のグリア細胞(神経膠細胞)から成る。

アストロサイト(栄養を運ぶ),オリゴデンドロサイト(ミエリン鞘を作る),ミクログリア(免疫を担う)が主なグリア細胞で,末梢神経系ではシュワン細胞がミエリン鞘を作る。

グリア細胞はグリア同士で情報をやりとりし,ニューロン活動を修飾し、シナプス形成をコントロールしている。
記憶や学習という脳の高次機能は,実はグリア細胞によって支えられているといえる。
グリア細胞の情報伝達には、ATPや神経伝達物質が利用されている。

この神経伝達物質はニューロンと共有されており、これによりニューロンを賦活したり、場合により死に至らしめる可能性が検討されている。

例えば脳虚血が起きると、ストロサイト内のグリコーゲンが分解され、乳酸アシドーシスをきたす。これにより過剰分泌されたグルタミン酸がニューロンを傷害すると言われる。

図 血管とアストロサイトとニューロン(脳科学辞典より)

nyu-rontoguria
アストロサイトの樹状突起は細かく枝分かれして広がる。その突起の一本は細動脈と接触している。ニューロンはアストロサイトが作る空間の中に神経回路を作る。

グリア研究の歴史

1846年 ウイルヒョーが「神経の間を埋める何らかの物質」の存在を主張。ニカワのような物質かと想像した。

1858年 ウイルヒョー、グリアが細胞であることを発見。結合組織細胞と記載する。

レンホサック、ゴルジ染色法によりグリア細胞を観察。グリアの一種にアストロサイト(星状細胞)と命名。

1889年 ヒス、グリア細胞が海綿芽細胞を起源とするグリア幹細胞(glioblast)から発生すると提唱。

1913年 カハール、アストロサイトがニューロンとは異なった第二の脳細胞であることを明らかにする。

1921年 ピオ・デル・リオ-オルテガ、オリゴデンドロサイトとミクログリアの存在を報告。

終脳は前脳ではないと思う

依然としてマクリーン仮説が大手を振って歩いていることに唖然とする。

1.大脳辺縁系について
おそらく辺縁系というのはブローカが大脳の最深部に古皮質からなるひとかたまりの脳神経集団を見つけて辺縁葉と名付けたことに由来するのではないか。
それにマクリーンが三位一体的な意味付けをしたから、順序が逆になってしまったのだろうと思う。
進化論の立場から見ればそれは前能の辺縁系であって、大脳は辺縁系のさらに辺縁を形成しているのである。

2.終脳について
教科書には前脳が終脳と間脳に分かれたと書いてある。
これも間違いだろうと思う。
前脳は前脳である。それは間脳と呼ばれ、視床と呼ばれているところである。
終脳と呼んでいるところは、前脳に付着した外套である。
そこには大脳の芽が埋め込まれている。嗅神経、松果体などである。これが海馬に記憶され、視床の感情が伝えられる。
これは前脳に対して、まさに外套にあたる機能と構造である。

3.外套について
外套というのは大脳全体を指す用語であるが、一般的に使う用法ではない。せいぜい失外套症候群という使い方しかしない。
しかし、トリの大脳皮質が6層構造は取らなくても哺乳類の新皮質と変わらないことが分かった。そこで以前は線条体と呼んでいたものが外套と呼ばれるようになった。
そしてこの外套はヤツメウナギにも存在することが示された。
つまり、発生学的に見れば大脳は前脳の外套であり、前脳ではない。
この概念を貫くならば、もはや大脳辺縁系という誤解を生む言葉はまったく必要なくなるのである。

4.まとめると
ヤツメウナギ以来、前脳・中脳・後脳という三脳構造は変わらない。
前脳には嗅脳を中心に外套が付着し、これが終脳へと発展する。
前脳は視床と呼ばれるようになり、神経内分泌中枢の視床下部と結合し間脳を形成する。
ただし、終脳を前脳の外套由来とするなら、あえて間脳という必要があるかどうかは留保の余地がある。

主として 脳の進化の5億年、発達の38週間、成長の80年 より作成させていただきました。ただ大脳辺縁系の記載についてはいささか疑問があり、少し編集しております。

38億年前 生命が誕生する。RNAとタンパク質の組み合わせがきっかけとなる。その後DNAが形成され、“共通祖先”が誕生する。
10億年前 単細胞生物が、“従来のままの単細胞生物”と“植物・菌類の祖先になる単細胞生物”とに分岐。
9億年前 単細胞生物のグループからカイメンが分岐した。カイメンには、まだ神経系は形成されず。
8億年前 複数の単細胞生物が集まり、多細胞生物が誕生する。紫外線と活性酸素の存在下でDNAが損傷→再生を繰り返し、これにより多様性を増す。
6億年前 刺胞動物の登場。『散在神経系』と呼ばれる網目状の神経系を持つ。
5億4千万年前 カンブリア紀の開始。海中には多様な生物があふれるようになる。これらは『集中神経系』と呼ばれる“神経節”を獲得した。
約5億年前 原索動物であるホヤの幼生に神経管が発生。神経管の内側で神経細胞がつくられる。(真の祖先は頭索類のナメクジウオとする説もある)
5億2千万年前 無顎類(ヤツメウナギ)の登場。ニューロンの活動を補佐するグリア細胞が発生。軸索を覆うミエリン鞘は未形成。
4億6千万年 顎口類の登場。グリアに加えミエリン鞘を獲得。脳の大規模化に伴い、鼻孔と下垂体の位置が移動し、そのスペースに脳が拡大する。
魚類、脳は脳幹よりなり、3つに分かれる。前脳は嗅覚、中脳は視覚,後脳は耳と側線器に対応する。前脳背側部に外套(パリウム)が付着。
3億7千万年前 両生類の登場。大脳と小脳が小さく、脳幹が大部分を占める。ただし嗅球が大きくなる。
3億1千万年前 羊膜を持つ爬虫類の登場。中脳の後にある“視葉”が小さく、古皮質の嗅覚に頼る。 爬虫類から大型の主竜類が分化。背側脳室隆起が発達し、視床からの入力を受ける。
2億5千万年前 哺乳類が羊膜類より分化し発生。脳容量は爬虫類と同じ。
6層からなる大脳皮質(新皮質)が出現。新皮質にしわができ、感覚野、運動野が誕生。
6千万年前 霊長類の登場。連合野が出現し、より高度な認知や行動が可能となる。
400万年前 サバンナに進出する猿人(アルディピテクス・ラミダス)の出現。頭蓋容量は300mlほど。
280万年前 木材や石を加工して道具を作り出す猿人(ホモ・ハビリス)の出現。ブローカー野が発達しており、複雑な音声を用いた。頭蓋容量は700ml。
150万年前 原人(ホモ・エレクトゥス)の登場。直立二足歩行により発声が容易になり、言語の発達が加速する。ウェルニッケ野も形成されるようになる。
20万年前 ホモ・サピエンスの登場。頭蓋容量は1400mlに増大、

大竹昭郎さんという方がなくなったそうで、赤旗に大きく訃報が掲載されている。1951年の入党で、95年には滋賀県知事選にも立候補されているそうだ。
全然存じ上げない方であるが、その足跡に多少なりとも触れておきたい。
学生運動としては「イールズ世代」に属することになるだろう。朝鮮戦争、レッドパージ、全面講和が合言葉だ、山村工作隊に飛び込んだ人もいるかもしれない。
ウィキペディアには掲載されていないが、京都大学農学部を1952年に卒業されている。獣医の資格は持っているらしいが獣医で働いた形跡はない。
農学部の農林生物学科には南窓会という同総会があって、ウェブ同窓会誌というのを発行している。ただし2003年を最後に更新が止まっている。農学部の改組で農林生物学科そのものがなくなってしまったらしい。
目次を見ると結構食欲をそそる題名が並ぶ。農学部というのは、ファーブルみたいな人の集りで、意外と文系かもしれないなと思う。
化学の枠組みを勉強したとき、「あぁこれは応用物理学だな」と思ったのだが、おなじでんでいうと、農学というのは応用生物学なのかもしれない。医学も応用生物学ではあるが、生命を突き放すか、突き放せないかの違いがある。
話が飛んだが(別に飛んで困るというほどのものでもないが)、その同窓会誌に大竹さんの文章が2篇掲載されている。

1.「原爆展」のこと
1951年7月、未だ占領下、京都駅前の丸物百貨店(現近鉄百貨店)で「綜合原爆展」が開かれた。
京大同学会(学生自治会)が主催し、10日間で約3万人が入場した。
以下は原文よりの抜粋
当時、農学部自治会の委員だったわたしも、この原爆展にかかわりました.
農学部の学生ということで、放射線の生物への影響について、会場でパネルの説明係をやりました。
同志社大学の学生がかの女と一緒にやってきました。同志社の角帽は一種独特のあか抜けしたものでした.
それにかれは色白の貴公子で、わざわざ入場料を払って原爆展にくる客種としては珍しく感じられました.
「放射線の影響で4つ葉のクローバの発生頻度が高くなる」と説明した途端、この2人組は顔を見合わせてニヤリとしました.
わたしが顔を赤くしたかどうかは覚えていません.
文章の大筋とは関係ないこのエピソード、たぶんこれが書きたくて、この文章を書いたのでしょうね。

2.架空インタビュー「あれやこれや」
たぶん65歳ころの身辺雑記であろう。
遊びを遊びにできない人の典型である。
退職後に何をしようと考えたら、迷うことなくアブラムシとなりました。
いくつかの種類について試行錯誤の後、自宅近くの歩道の植え込みについたナシミドリオオアブラムシを数年いじりました。
しかし、そのアブラムシはどうも気にいらなくて、いまはセイタカアワダチソウにつくヒゲナガアブラムシの一種を扱っています。
わたしは野外で、あるいはもち帰って、ひたすらアブラムシを数えていますが、「こんなことをして意味があるのか」と、ときどき自己嫌悪に陥ります。
ここでもうひとりの自分が質問を投げかける。
それはセイタカのアブラムシという一種に絞りすぎているからであって、周りの他の生物との関係などを考慮する必要があるのではないでしょうか。
そしてそれに答える。
ごもっともな意見と思います。しかし、対象の種の個体群そのものに、しつこくこだわる人がいてもいいと思います。
これは大事な点で、まずそのものが持つ矛盾を突き詰め、そのものの持つ駆動力を理解することが基本なのであろう。そのことが理解されて初めて、他者との関係で逆規定される存在が理解できるのだろうと思う。

実は、ネットには長大論文が乗っていてなかなか面白そうではあるのだが、いかんせん長い。
とりあえず書名とまとめだけ載せておく。

ダイコンサルハムシの分布一特に成虫の分
、散が次の世代の分布に及ぼす影響について

1958年 島根農業大学応用昆虫学研究室業績  No.22 P107~116

比較的分散能カの弱いダイコンサルハムシの成虫が、畑の中をどのように分散してゆくかについて明らかにするために、野菜畑での観察および,実験圃場での実験を行った。
野菜畑を毎日見廻り,9月14目サルハムシ成虫を初めて発見した。翌日から,畑の申の成虫の分布の定期的な調査を行った。
畑の周りの雑草の申などから移動してきた成虫は,多くは畑の縁の都分に止まっている。
成虫の活動状況は,外部条件(主として気象条
件)によって影響され,非常に不規則であった。

要するに先っパシリの個体はえらい勢いで拡散するが、本隊の拡散は意外に時間がかかり、同心円状の形態を取るということらしい。

これは例えば西部開拓史などを見ると納得がいく。初期の征服者や探検家の行動力には凄まじいものがある。
しかし生活者が鍋釜持って移住するのには意外と時間も掛かるし、一進一退を繰り返すものだ。
生活者の拡散には物理的な障壁は意外に低く、山でも谷でも越えていくが。暑さ寒さなど行動性を左右する因子は相当な影響を与えるようだ。

ただそれを方程式化できるかどうかは、数をこなさなければなさそうだ。


教育テレビの「サイエンス・アイ」は私のお好み番組で、毎回ビデオにとって楽しんでいる。
(現在はビデオにとるとは言わないだろうが、何というのだろう)
4月から構成やスタッフが変わり、一層面白くなった。女性ナビゲータの感度が良くなったのが魅力である。
最近の番組でテヅルモヅルの話があって、非常に面白そうなのに、途中からクラウド・ファンディングの話になってしまった。
仕方がないのでネットでテヅルモヅルを検索したが、昭和天皇がコレクターだったという話ばかりでさほど面白いわけではない。
結局、テヅルモヅルの話を面白くさせているのは、この岡西さんという研究者のキャラなのだろうと思い当たる。もちろんファンディングを集めるのだから、自分の研究の意義とかユニークさとか面白さをアピールしなければならないのだが、そのアピールの仕方、“目の付け所”が面白いのである。
岡西さんはテヅルモヅルの研究を風変わりな研究ではなく、“基礎研究”と位置づける。そのことによって、“基礎研究とはなにか”という問いかけをしている。
医者の世界では医学というのは臨床と基礎に分かれる。人間を扱い、病気の診断と治療をするのが臨床医学で、人体の仕組みや働きを研究するのが基礎医学だと考えてきた。
しかし研究の方法論という観点から見ると、そういう構造的な観点からだけ基礎科学を見るのが正しいのだろうかと思える。
むしろ認識過程の問題として事実を収集整理することこそが基礎科学ではないのだろうか、とも思えるのである。
科学はリンネより始まる。
収集し、整理し、統合する過程というのはある意味でひらめきなど必要ない世界である。飽くなき興味と愚鈍な執念とが織りなす世界である。たぶんそれに加えてカネとヒマが必要であろう。
ひらめきはこの作業の中で生まれてくる。このひらめきは膨大な作業の中から生まれてくるから、重要で応用が効くものである。
ということで、少し岡西さんの弁に耳を傾けるとしよう。


『ヴァーチャル生物学入門』というサイトの掲示板に質問が書き込まれていて、回答者が一生懸命各分野の専門家の意見を聞いて答えている。
ゾウリムシの走電性について知りたいのですが・・・。どうして電気を流すとマイナスに移動するのですか?繊毛の動きから 考えたらくるくる回りそうなのに。…どうも納得いかなくて…
みんな一生懸命答えているようなのだが、要領を得ない答えばかりだ。
私ごときに答えられるわけはないのだが、回答者が見落としているポイントが一つありそうに思える。
それは、繊毛運動が発生史的にはまず先行しているということだ。
繊毛の自動性と自立性
繊毛は細胞膜から外に突き出し、おそらくは細胞周囲の化学的環境に合わせて自発的に運動しているのだろうと思う。それを仲介しているのはケミカル・メディエータやホルモンだろう。
後から細胞膜のナトリウムチャネルなどが生まれ、脱分極現象が生まれるようになった。これはスピードが圧倒的に早いので、必要があればしばしば繊毛の自律運動に介入する。
ただし繊毛運動を支配するわけではないし、監視するわけでもない。必要なときにアラームを鳴らすだけだ。
方向転換や逃避反応は電流により起こるのではなく、両者の合成力として、たまさか起こるのであろう。
「一定の刺激を与えると一定の方向へ動く」ことが勘所
この質問でいうと「電気を流すとマイナスに移動する」のではなく「一定の刺激を与えると一定の方向へと動くこと、動く際にもそこに一定の安定性が自動的に担保されていること」が勘所なのではないかと思う。
だから回答にあった、脱分極と過分極というのにはちょっと疑問があって、脱分極だけで十分話しが通じるのではないかと思う。

以下は、「JT生命誌」に掲載された西川 伸一「動物と神経の誕生」の抄録である。
短文ながら非常に深い弁証法をふくんでおり感銘した。

神経細胞はいつから?

神経細胞は動物、すなわち動く能力を持った多細胞生物の誕生とともに生まれてきた。(「動く」というのは「移動する」と言うべきだろう)

現存の多細胞生物のうち、海綿動物とセンモウヒラムシには、いわゆる神経細胞は存在しない。

ただし、ゲノム系統樹から見ると、ヒラムシや海綿にも最初は神経細胞が存在し、その後神経細胞を退化させた可能性がある。

神経細胞に必須であるナトリウムチャンネルは、クシクラゲと左右相称動物がそれぞれ独自に発生させた可能性もある。

想定される神経細胞の始源

最初の神経の形態は、現代の神経細胞よりは、もっと普通の細胞に近かったのではないか。ただそれは、外界からの刺激に反応し、その興奮を他の細胞に伝達する能力を備えていたのであろう。
つまりそれは①刺激反応性、②刺激→情報(電流)転換系、③情報伝達力の三点セットである

“興奮性の細胞”は筋細胞と近い関係にある。興奮性細胞系列は一部が神経細胞となり、一部が興奮を力に変える筋肉細胞へと発展した。
神経と筋肉は動物の誕生とほぼ同時に出現している。

その共通の特徴は、細胞の興奮に必要なイオン勾配の維持機能、そのイオンを選択的に通過させ膜電位を発生させるイオンチャンネル、そして興奮を他の細胞へ伝える化学システムにある。

光受容システム

以上は興奮伝達システムの発生学だが、これとは別に別種の情報をいかに神経に乗る情報に変換するかという問題がある。先程の三点セットで言うと、①と②の部分に相当する。

そのひとつが、光受容システムだ。これは必ずしも動物に限らずすべての生物に必要な機能である。
ゴカイの幼生では、
①色素細胞で吸収された光エネルギーが、
②それに結合する神経細胞により神経興奮として受容され、
③その神経細胞が、繊毛上皮とコリン作動性のコンタクトを形成し、
④これにより繊毛の動きを調節する。
Jekely et al, Nature 456, 395, 2008
光や温度、あるいは圧力などの物理変化に素早く対応することは、動物にとって死活条件となる。その際化学的シグナル分子だけでは到底追いつかない。
この神経細胞を獲得したことが動物の生物一般からの旅立ちを可能にした。

神経細胞の入口と出口
ただし、神経細胞の登場というのは、色素細胞・神経細胞のセットがゴカイの幼生で発生するということである。

入り口、つまり色素細胞における物理刺激の感知システムは、すでに単細胞生物でも見られる。
それはクラミドモナス(単細胞生物)のもつイオンチャンネルであり、チャンネルロドプシンと呼ばれる。

“④繊毛の動きを調節する”という問題は、本来は出口議論としてやらなければならない。なぜなら繊毛運動はもともと、単細胞生物にも存在する自律的なものであるからだ。それに神経細胞が干渉し、それを繊毛が受け入れることになる。

神経・筋肉の誕生の進化論的意義

神経・筋肉の誕生をふくむ生体の発達は、生物を多様な環境変化にすばやく対応できるようにした。
このことで生存する個体数は増え、生息可能な環境は多様となる。

神経や筋肉によって、動物の運動性が質及び量の面で大きく高まった。そのことで、動物は急速に地球上の様々な環境へと拡大できた。
ゲノム情報による自然選択が回避可能となり、種の選択圧は下がり、多様性が維持できるようになった。

これが神経誕生の進化論的意義である。

ナトリウム・チャンネル、つまり脱分極メカニズムが神経細胞の本態だというのは説得力がある。またそれが筋細胞においても同様であり、それらは細胞膜上のレセプターが特殊に進化した結果なのだろうと予想される。
チャネル・ロドプシンは色素タンパク質で、光が当たるとナトリウムイオンを取り込むと言われている。とりあえず飛ばしていく。

マックス・プランクの小伝

1858年 プランク、北部の港町キールに生まれる。正式名は Max Karl Ernst Ludwig Planck。当時キールはホルシュタイン公国に属していた。

1859年 キルヒホッフ、黒体放射の熱平衡分布は温度のみに依存すると発表。輻射エネルギーの分布を振動数 νの関数として求める研究が進む。

1874年 プランク、ミュンヘン大学に入学。専攻分野は数学であったが、次第に熱力学に傾倒していった。

1879年 プランク、熱力学の研究のためベルリン大学に転学し、キルヒホフのもとで学位を取得。

1884年 レイリー、マックスウェルの功績を引き継ぎ、電磁気学の単位(アンペア、ボルト、オーム)の標準を定める。レイリーは男爵の爵位名(3rd Baron Rayleigh)。本名は John William Strutt。

1886年 ヴィーン、金属刃端による光の回折を研究。回析のパターンが金属の材質により異なることを示す。ヴィーンの正式名は寿限無のごとし(Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien)。当時22歳でベルリン大学学生。

1890年 ヴィーン、大学卒業後農場経営を継ぐが失敗。やむを得ず大学に戻った(ウィキ)。ベルリン工科大学に籍を置き、ヘルムホルツのもとで研究。

1892年 プランク、ミュンヘンとキールの大学を歴任したあと、ベルリン大学教授に就任。

1896年 ヴィーンが「ヴィーンの変位則」や「ヴィーンの放射法則」を発見。これを応用して「温度と熱平衡分布に関する公式」を発表。

ヴィーンの変位則: 黒体からの輻射のピークの波長(λmax)は温度に反比例し、b/T で示される。比例定数 b は0.29 cm·K とされる。
ヴィーンの放射法則: ヴィーンの公式、ヴィーンの分布式とも呼ばれる。熱輻射における電磁波のスペクトルを与える理論式で、短波長領域における近似式である。

1899年 プランク、光の最小単位に関する定数を提言。プランク定数と名づけられる。
  
とし、ウィーンの公式に代入した。k は ボルツマン定数で、通常はkβをh(プランク定数)として表す。
プランク定数: 光子はエネルギーと振動数の比例関係の上に成り立つ。プランク定数はこの比例関係(ε=hν) をあらわす定数で、h=6.626070040(81)×10−34 Jsで示される。
RJ_Wien_Planck
ミクロの世界より転載

1900年
00年 黒体放射に関するレイリーの式が導出される。
レイリーは物理学会のエジソン。空が青くなる理由を示す(レイリー散乱)、地震の表面波(レイリー波)の発見、アルゴン元素の発見も手がける。寺田寅彦による評伝「レーリー卿」をみよ。
10月 プランク、レイリーの式とヴィーンの公式を検討。2つの公式をつなぐ内挿的公式を考案。ヴィーンの公式は高周波数領域においては実験データと良く一致したが、低周波数ではずれがあった

12月 プランクが「エネルギー量子仮説」を発表。のちに「プランクの法則」と呼ばれる。発表の場はベルリン物理学会のクリスマス講演だった。
物質中の荷電振動子のモードが飛々の値しかとらないことを発見。電子軌道の存在を推定し、軌道内ではε=hν、異なる軌道ではその整数倍となる。
1904年 レイリー、アルゴンの発見により、ノーベル物理学賞を受賞。共同研究者ラムゼーは化学賞を受賞する。

1905年 レイリーの式にもとづく定数が求められる。(ジェームズ・ジーンズによってその誤りが訂正されたのでレイリー・ジーンズの式と呼ばれる)
レイリーは量子論や相対論を嫌悪し、最後まで熱放射を古典物理学で説明する望みを捨てなかった(ウィキ)。
1911年 ヴィーンがノーベル物理学賞を受賞。

1913年 プランク、ベルリン大学総長となる。

1914年
10月 プランク、「世界文明への宣言」に署名する。ドイツの戦争を支援するもの。

1918年 プランク、量子論によってノーベル物理学賞を受賞する。

1930年 プランク、カイザー・ヴィルヘルム研究所の所長に就任。

1932年 プランク、科学哲学書 『科学はどこへ行くのか』 を発表。理性だけではない直接的な認識の重要性を強調した。

1933年
5月 プランク、ナチのユダヤ人迫害に対し、ヒトラーに直接抗議を行う。第二次世界大戦中もドイツにとどまるが不遇の生活。

1944年 次男のエルヴィン・プランクがヒトラー暗殺計画に加担。敗戦直前に処刑される。(長男は第一次大戦で戦死)

1945年 プランク、カイザー・ヴィルヘルム研究所の名誉総裁に就任。復興に尽力する。

1946年 カイザー・ヴィルヘルム研究所がマックス・プランク研究所と改名される。

1947年 プランク、ゲッティンゲンにて死去。

ついで光電効果

これも歴史的に見ていく必要がありそう。光電効果そのものより、それが量子論にどう結びついていったかが問題だ。

例によってウィキから始める。

光電効果(photoelectric effect)は光起電力効果とも呼ばれる。
光電効果には外部光電効果と内部光電効果があるが、普通は外部光電効果を指す。

ということで、面倒なので外部光電効果にジャンプする。

物質に光を照射したとき、物質が電子を放出する現象。
この現象は物質に一定の振動数以上の光を照射した時のみ発生する。その限界値は物質の種類によって決まっている。入射光の強度にはよらない。

つまり、熱効果ではないということである。短波長効果、俗に言えば「紫外線効果」ということになる。

1839年、ベクレルの実験: 薄い塩化銀で覆われた白金の2つの電極を電解液に浸し、片方に光を照射した。
この結果電極間に光電流が生じた。これは「ベクレル効果」と呼ばれ、光起電力効果に関する最初の報告となった。

そのあと、あまり注目されることなく経過したようで、50年後にやっと本来の短波長光線の光電効果に関する発見が報告される。

1887年、ヘルツが亜鉛の板に紫外線を当てると電気を帯びる現象を発見。
1888年、ハルヴァックスという人が、金属に紫外線を照射すると、電子が表面から飛び出す現象を報告した。

これがベクレル効果の本態だと理解されると、短波長光のもたらすベクレル効果に注目が集まった。

その中でレーナルト(熱心なナチストで反ユダヤ主義)の研究が優れている。
1.電子を放出させる光は短波長でなければならず、そこには限界値がある。
2.波長をさらに短くすると、飛び出す電子の数は変わらずに、運動エネルギーが増える。
3.強い光を当てると、飛び出す電子の数が増えるが、電子1個あたりの運動エネルギーは不変である。

これらの現象は従来の物理学では説明できなかった。

1905年、アインシュタインが光量子仮説を提示した。光はエネルギーhνを持った粒の集団であり、光子が吸収されるときのエネルギーは

hν= P1+P2+eV

で表される。

ここでP1 は電子を原子から引き離すエネルギー(イオン化エネルギー)、P2 は物体表面から電子を飛び出させる仕事、eV は解放された光電子の運動エネルギーである。

金属では多くの電子が原子から離れて、金属内を自由に運動しているので、 P1 = 0 と考えることができる。したがって

hν> P2 

ならば電子は金属表面から飛び出すことができる。

1912年 ミリカンは電圧を発生させるνの限界値の傾き
h/e
をもとめ、得られた h が黒体輻射の実験から求めたプランク定数 h と一致することを確認した。これによりアインシュタインの仮説は証明された。



熱の原因が赤外線(熱線)にあり、それは量子として定式化されるということで一件落着となった。
しかしそれ以前は「熱素」の存在は常識であったようだ。

ウィキで調べてみた。

カロリック説(caloric theory)

物体の温度変化をカロリック(熱素)という物質の移動により説明する学説。

物体の温度が変わるのは熱の出入りによるのであろうとする考えは古くからあった。

古代において、熱は光や火と同一視されていた。火は4大元素の一つであり、物質であると捉えられていた。

17世紀 熱の本質についての議論が盛んになる。大きく分けて、熱物質説と熱運動説に分けられる。

1620年 フランシス・ベーコンが最初に熱運動説を唱えた。同じ頃、ガリレオは「火の粒子」が運動することによって熱が発生すると考えた。同様にホイヘンスは「熱の粒子」の運動を仮定した。

1697年 シュタール、燃焼を燃素(フロギストン)という物質で説明する。燃焼の結果として熱も生じるため、熱物質説が拡散する。

18世紀初頭、カロリック(熱素)仮説が提示された。目に見えず重さのない熱の流体があり、これが流れ込んだ物体は温度が上がり、流れ出して減れば冷えるというものであった。

1760頃 スコットランドの化学者ブラックが、ワットの蒸気機関の発明を受けて、熱の概念を検討。

彼は熱の量(熱量)と熱の強さ(温度)との区別を明確にし、物質の持つ力学的属性(質量)のほかに、熱的属性としての熱容量(比熱)の概念を導入した。これらの考えは熱物質説を補強した。

1777年 ラヴォアジエの熱理論が発表される。フロギストン説を否定し酸素の中心的役割を主張。酸素の中に「火の物質」がふくまれているとされる。

1783年 ラヴォアジェとラプラス、熱量保存則を発見。熱力学第一法則の確立を導く。

1789年 ラヴォアジェ、「化学原論」を発刊。それまで同一視されてきた光、火、熱を分離し、光は光素、火は酸素、そして熱は熱素によるものだと捉えた。

ラヴォアジェによれば、熱素は質量を持たず、物質粒子と化学的に結びつくと知覚もされなくなる。熱が加わる(すなわち熱素が増える)と、その反発力により物体の斥力が増し、物体は液体さらに気体となる。

1800年 ハーシェル、太陽光をプリズムで分け、波長ごとの熱作用の力を調べる。

赤色の波長を越えたあたりに最大の熱量があることが明らかになる。これにより放射熱と光の類似性が確認される。

1824年 カルノーが『火の動力』を著す。

カルノーの定理: 熱の動力は、熱素が最終的に移行しあう二つの物体の温度だけで決まる。これは熱素説が否定された今も、そのまま有効である。

1824年 ヤング、ハーシェルの実験を光の波動説から説明。さらに熱放射の事実から熱素を否定し熱線の波動説を主張。

1843年 フォン・マイヤー、運動のエネルギーと熱とが、互換性を持つことを証明。熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)が確立される。これにより熱素仮説は不要なものとなる。


というのが、ウィキの解説。
結局熱イコール放射熱となり、熱線イコール光線(赤外線)イコール波動ということで、シャンシャンとまとめられただけみたいな印象だ。
まず熱というのが熱エネルギーの移動過程の熱力学的表現だとすれば、なにも放射熱と伝導熱を一緒に考える必要はないと思う。
第二に熱放射を波動から説明するなら、光電効果が説明つかなくなる。そもそも熱の定義が相当苦し紛れのものだから、ほころびが出るのが当然のようにも思う。
第三に、この熱素というのは量子のことではないかと考えてしまう。しかしそれを考え抜くほどの素養がないから、悶々としている。

「熱」の概念
分かっているようで曖昧なのが「熱」の概念。
思いつくままにあげると
1.物体の状態の一つで、温度で示される。人体には熱いか冷たいかという感覚を通じて認識される。
2.物体の活動性が上がり、分子の自由度が高まれば温度は上がる。物体の活動性が下がり、分子の安定性が高まれば温度は下がる。
3.熱は熱線の作用によるものであり、赤外線の振幅の増大によリもたらされる。
4.赤外線をもたらすのは、分子からの電子の遊離である。電子の遊離は分子の結合によりもたらされ、分子の分離は熱を奪う。
ということで、結局、よくわからない原因は「熱」が物質ではないこと、物質のひとつの姿であり「形容詞」であること、その姿を現象させているのは熱(光)エネルギーであること、ひっくり返して言うと、熱エネルギーが自らを表現する過程であること、などなどである。
したがって、「熱」については、たんなる感覚ではなく、作業のための定義と単位が必要だ。
もう一つ、これらの定義によっては光電効果を説明できないことだ。これが量子論へのブレイクスルーなのだろうと、薄々見当がついてきた。

これ以上考えていても、話は進んでいかないので、とりあえずウィキの「熱」の項目。「熱過程」というのは私の造語。

「熱」の定義
1.慣用的には、肌で触れてわかる熱さや冷たさといった感覚である温度の元となる概念である。それはエネルギーの一つ、熱エネルギーだろうと考えられる。
2.物理学的には、熱は“過程”として理解される。それは異種物体間のエネルギー伝達である。
3.温度差のある系の間で内発的に伝達されるエネルギーを熱と呼ぶ。
熱過程は雑駁に言えば“物体A→エネルギー→物体B”という過程であり、「熱力学的過程」と言ってもよい。
それは物体が熱平衡状態に近づく、期間限定の不可逆過程であり、熱平衡が実現すれば消滅する。
熱過程がエネルギー伝達過程であるならば、そこにはエネルギーの伝達体が想定される。かつて“熱素”の存在が想定されたが、現在では否定されている。
熱過程は熱伝導を基本とする。対流や放射は熱エネルギーの移動形態ではなく、別個のメカニズムによるエネルギー移動形態であり、別の法則で挙動する。


熱過程はあくまでも“物体間のエネルギー伝達過程”であり、エネルギーの生成過程はふくまれない。これについては後述。

量子論: 私は何がどのようにわからないのか、それは何が原因なのか? それを知るためにはどこまで遡らなくればならないのか?

一つ分かったことがある。19世紀の急速な科学技術の進歩で、古典的な物理学の議論では説明できない事象が次々と発見されるようになった。

この場合、古典物理学というのはニュートン力学、マクスウェルらの電磁気学、熱力学を三大分野としていた。(天文学や地学はとりあえず別分野として)
熱力学は化学との境界領域であるが、熱放射時の光スペクトル分析、あるいは光電効果と言った物理学的分野が拡大しつつあった。

この光と熱の相関に絡む技術分野の発達が光子、量子という概念上の存在を生み出した。

また20世紀の初頭になると電子が発見され、それが原子構造へと結びついていった。

電子は実在的存在であるが、電子・光子・量子という三姉妹が量子論の幕開けとなっている。

もう一つわかったことがある。これは痛切な感想であるが、私の頭は19世紀半ばの水準で止まっているということである。ニュートン力学そのものの到達点に達していないから、量子論がわからない。

19世紀の物理学の進歩を確認しないと前に進めない。まずマックスウェルの電磁波理論、熱力学の理論、そして光の性質に関する理論がもう少し知っkリト理解されなければならない。
そしてそれらの理論の19世紀前半までの到達、19世紀後半の飛躍的発達、そして、黒体放射の観察と光電効果の発見がもたらした謎、すなわち光エネルギーの強さが振幅に規定されず振動数に規定されるという現象が光屋さんと熱屋さんの双方からもたらされたこと…
これらをじっくり紐解いていかなければならない。

理数系の人は急ぎすぎる。私らはいまだにアキレスと亀のお話にハマっているのだ。

これから先は、佐藤勝彦さんの「量子論を楽しむ本」(PHP文庫)を読みながら、少しづつ“つぶしていく”ことにしようかと思う。

ひどい話で、キルヒホフの熱化学反応のはなしを理解するのに、結局反応熱の概念まで遡らなければならないことが分かった。いかに高校・大学と物理・化学を知らずに過ごしてきたかが分かる。

反応熱(heat of reaction)

反応熱とは化学反応に伴い、発生もしくは吸収される熱である。

物質は分子が化学結合することにより形成されている。
化学結合は固有のエネルギーを持っている。
そのエネルギーは分子から受け渡されたものである。

したがって、分子の結合が切断されれば結合エネルギーは消滅し、分子の内部エネルギーが増加することで蓄えられる。
ふたたび分子が結合すれば内部エネルギーは減少し、結合エネルギーとなる。

結合のために用いられる内部エネルギーが多いほど、結合は強固なものとなり安定する。

分子周囲空間の温度変化

分子周囲空間の温度は化学物質の化学反応によりどのように変化するか。(分子外の空間の温度とは、単位容積あたりの熱容量である)

化学結合の切断は内部エネルギーの蓄積をもたらし、内部へのエネルギーの流入は熱の流入をもたらす。それは分子外空間の温度低下(エンタルピーの低下)をもたらす。
逆に化学結合の形成は内部エネルギーの流出をもたらし、分子外の発熱・温度上昇をもたらす。

これを分子(内部)の側から見ると、切断→エネルギーの流入→吸熱反応となる。結合の場合は発熱反応をとる。

通常の化学反応系内では結合の切断と生成の両方が同時進行する。このため、吸熱・発熱は化学物質内の切断と生成の総計として観測される。

熱化学方程式

反応式と生成熱とを組み合わせた化学反応式を熱化学方程式と呼ぶ。

窒素と水素からアンモニアが生成される方程式、

N2 (g) + 3H2 (g) = 2NH3 (g) + 91.80 kJ

では、2分子のアンモニアが生成されるのに91.80 kJが追加されなければならないことを示す。

なおこれらの事実を示すのにエンタルピーの概念は必要ない。

1.キルヒホフについて
キルヒホフ(Gustav Robert Kirchhoff)はプロイセンの物理学者。
ケーニヒスベルク大学で学び、1949年にキルヒホフの法則を提唱した。このときまだ25歳である。これは電気回路の理論で、オームの法則を展開したものである。この内容は黒体放射と直接の関係はないので省略する。
30歳でハイデルベルク大学教授に就任。その後は分光学の研究に専心した。

分光器を使っているキルヒホフ
  分光器を使っているキルヒホフ(wikipedia より)
58年には、「熱化学におけるキルヒホッフの法則」を提唱した。これも黒体放射との直接の関係はないが、理論の基礎の一つとなっているので、なんとか食いついてみたい。

2.熱化学におけるキルヒホフの法則
これは、ウィキペディアによれば、反応熱の温度係数が反応前後の熱容量の差に等しいという法則である。
A という物質とB という物質が化合物C を形成する。これが化学反応である。化学物質は固有の熱容量を持っている。これは普通“比熱”という。
化合物の熱容量は化合する前の物質A、物質Bの熱容量を足したものであるが、化合の過程でその一部を放出する可能性がある。(<QA+QB)また化合に際して物質A、Bの熱容量だけでは不足し外部からの熱補給を必要とする場合もある。(>QA+QB)
それが正、負のいずれとなるかは別として、化学反応が熱(反応熱)の出し入れを伴うこと、「反応熱が反応前後の熱容量の差に等しい」というのはよく分かる。
多分これはキルヒホフ以前の結論だろう。

3.反応前後の熱容量の差が「反応熱の温度係数」に等しいとはどう意味か
問題は反応熱そのものではなく、「反応熱の温度係数」に等しいというのがどう意味かということだ。
そこで「温度係数」だが、辞書を見ると、これがなかなか難しい。「絶対温度が1度上がるたびに物体の性質が変化する割合」となっているが、これでは何のことかわからない。
別の辞典によると、温度係数はある物質変化を「温度差の一次関数として表すときの係数」であると書いている。温度と直線関係にあるものならなんでも良いのだ。
例えば温めると柔らかくなるというのなら、柔らかさの絶対温度1度ごとの差分を「柔らかさ vs 温度」係数といえばいいだけの話だ。
そして熱化学の場合は「熱発生量 vs 温度」ということになる。「熱発生量は温度が上がれば増える」のだが、その増加率(直線の傾き)が、化合の種類によって規定されるということだ。
熱発生量というのは「天使の分け前」みたいなもので、AとBが化合させてもらったお礼だと思えばよい。
物質の熱容量は比熱と重さ(分子量)をかけたものだが、比熱は物質に固有のものだ。しかし“天使の分け前”としての熱発生量は比熱と関係なく絶対温度によるものだという事実が、ここから導き出される。
なお、ここまでは煩雑を避けるため一次関数として考えたが、これが指数関数だったり対数だったりする可能性はある。むしろその方がありうる。
例えば抵抗温度係数は下記のごとく示されている。
抵抗温度係数1抵抗温度係数2
            ウィキペディアから
AとBの化合過程で化合物の比熱は増加あるいは低下を止め平衡状態に入る、すなわち温度係数がゼロになる、そういう場所があるはずだ。それは実際にあることが確かめられている。

ところでAとBが合体するというのはモデルに過ぎない。実際には、ある物質にはA、B、C、…などさまざまな比熱の物質が含まれている。ということは、一つの物質が化学反応を起こす場合に、熱放射をするものもあれば熱吸収をするものもあるということだ。
ただこれがある程度の高温になると、熱放射と熱吸収が平衡状態を形成する。

ここまでが「熱化学におけるキルヒホフの法則」の原理に関する、数式を使わない説明だ。
おそらく実験観察に基づいた仮説なのだろう。ここではそう覚えるしかない。





その成果が黒体放射に関わる独創的な研究である。
黒体放射の研究は1859年、35歳のことであるが、その前後の数年間に、分光学を用いて次々と重要な発見をしている。
これは後で説明する。
60年に太陽光スペクトルの暗線がナトリウム由来であることを示し、さらにブンゼンとの共同研究でセシウムとルビジウム元素を同定した。

(まだ作りかけです)
化学にとって量子論の出現は深刻だったらしい。量子論は基本的には物理学の学問であるが、化学の根っこを、全面否定と言っても過言でないくらい猛烈に揺るがせた。
ここから化学は自らの根拠を立て直していくわけだが、やはり物理学の分野における量子論の定着と、化学の世界における量子的な物質観の受容は、歴史的に見ていくしかないだろう。


1859 黒体放射のスペクトル:キルヒホフが黒体(black body)を熱し放射線のスペクトルを分析。スペクトルの相が温度のみに依存することを発見。これは今までの光線スペクトルの常識では説明できない。

鉄のかたまりを 熱すると, 温度が低いときは 黒く,1000 ℃ くらいになると赤くなり, 1500 ℃になると白く まぶしく輝く。これをスペクトル分析すると、総エネルギー量の増加とピーク振動数の増加が見られる。

1864 マクスウェル、電磁波理論を提唱。電場と磁場が振動しながら空間を伝わっていくと主張。電磁波の速度が光の速度と同じであることから、両者を同一のものとする。

1877 統計力学の理論: ボルツマンがエントロピーを考察。円ダイアグラム表現を提示。

1887 光電効果の発見: ヘルツは電磁波の発生実験のあいだに、帯電した物体に紫外線を照射すると電荷が失われることを発見した。これは光が電気を生んだからである。のちにアインスタインが光の量子効果によるものであることを証明。

1888 電磁波の実在証明: ヘルツがマックスウェルの電磁波理論を実験的に追認。光が電磁波の一種であることが明らかになる。

電磁波の発見は無線通信への道を拓き、マルコーニによって無線通信技術が確立された。

1895 X線・放射線の発見: レントゲンがプラズマ中の電子ビームの実験中にX線を発見。翌年ベクレルが追試中に放射線を発見。

1896 ゼーマン効果: オランダの物理学者ピーター・ゼーマンは、ナトリウム原子を加熱して発光させ、磁界をかけた。このとき1本だった光スペクトル線が数本に分かれることを発見した。これが「ゼーマン効果」と名付けられた。

1897 電子の発見: J.J.トムソンが原子よりはるかに小さい電子を発見。これにより“原子”が原子核と電子という構造を持つことが明らかになった。

1899 ラザフォード、放射線に二つの種類があることを発見。アルファ線とベータ線と呼ぶ。

1900 量子仮説: プランクが黒体放射のスペクトル強度を測定。プランク定数を用いて数式化した。これを量子仮説と称する。

プランクは黒体放射において、黒体に含まれる振動子のエネルギーが量子化されており、プランク分布を示すと主張。この際振動子が持つエネルギー E は振動子の振動数v の整数倍n に比例する。それは E=nhv と規定され、.比例定数hはプランク定数と呼ばれるようになった。

1902 原子核崩壊の発見: ラザフォード、トリウムが原子核崩壊によりラジウムと気体に変換することを発見。その後ラザフォードは「原子物理学の父」と呼ばれる。

1902 レーナルトの光電効果に関する実験: 1.効果は即時である、2.振動数の大きな光ほど飛び出す電子が増え、3.ある振動数以下の光では電子が飛び出さない、という粒子論を支持する所見。

1905 この年アインシュタインは1.特殊相対性理論、2.光量子理論、3.質量とエネルギーの等価性、4.ブラゥン運動の説明を次々と発表。「奇跡の年」と呼ばれる。

1905 光量子仮説: アインシュタイン、量子仮説に基づき
光電効果を光量子で説明。光子 1 個が持つエネルギーε はプランク定数h と光の振動数の積νに等しい。

1905 ブラウン運動の解明: アインシュタインが量子仮説に基づき説明。

1905 質量とエネルギーの等価性: アインシュタインが理論的に等価性を導出した。

1909 アインシュタインが光の粒子と波の二重性を提唱。

1911 原子核の発見: ラザフォードがアルファー線を金箔に照射する実験を行った。このとき透過しないで跳ね返ってくるものを発見。原子核の存在を提唱した。ラザフォードの原子模型と呼ばれる。

1912 ヘスが宇宙線を発見。

1912 ポアンカレがエネルギー量子の本質的性質にかかわる数学的議論を発表

1913 電気素量の決定: ミリカンが油滴実験により、電気素量を測定。基本単位は“e”と名付けられる。

1913 ボーアの原子モデルが提示される。水素のスペクトルについてのリュードベリの公式を説明したもの。原子の定常状態に注目が集まる。

1919 陽子の発見: ラザフォードはα粒子を窒素の原子核に衝突させた。このとき陽子が飛び出してくることを確認。この結果1個の陽子を原子核とする元素、すなわち水素が生成された。

1922 電子の2種の磁気作用の発見: シュテルン・ゲルナッハは磁界中を銀原子が通過するとき、上下の2方向に曲げられることを発見。電子に2通りの磁気作用があることが分かる。

1924 物質波の概念の提唱: ド・ブロイが物質は波と考えることもできると提唱。アインシュタインの光量子仮説と特殊相対論を発展させたもの。

1924 電子のスピンを発見: パウリが2種類のスピンがあることを発見。さらに電子の1つの軌道には同一スピンの電子は1個しか入れないことも発見する(パウリの排他律)

1925 行列力学の開発: ハイゼンベルグ、ボーアの提示した原子の定常状態を行列式で表現することに成功。量子力学の基本方程式となる。

1926 波動力学の開発: シュレディンガーが物質波の考え方を発展させ、波動方程式を発表。量子力学のもうひとつの基本方程式となる。エネルギーに最小値があり、エネルギーが小さいときは飛び飛びの値を取ることを明らかにする。

1927 不確定性関係の理論: ハイゼンベルグにより、粒子の位置と運動量を同時に決定することができないことが示される。同時決定ができなくても、それぞれの物理量の間には不確定性関係が生まれ、それは交換関係によって規定される。

1927 アインシュタイン、不確定性原理に対する不同意を表明。

1928 量子状態を数学的に表現するディラック方程式が明らかにされる。相対性理論と量子論が融合される。

1930 ディラックが中心となり、「量子力学の諸原理」が出版される。ディラックは相対性理論の4次元化により、反粒子の存在を予測。その後、反陽子が確認され量子力学が確立する。

1930 ニュートリノの発見: パウリがベータ崩壊によるニュートリノ放出を提案。(当初はこちらが中性子と呼ばれた)

1931 ルスカが電子顕微鏡を発明。ローレンスがサイクロトロンを発明。

1932 中性子の発見: チャドウィクが電荷を持たない中性子を発見し、原子核のモデルが確立する。中性子の存在はフェルミが予想していた。

1932 アンダーソンが陽電子の存在を実証。(ニュートリノの年表を参照のこと)

1933 フェルミ、チャドウィックの中性子の発見を受けて、パウリの提案した「中性子」を「ニュートリノ」と改名。

1933 核連鎖反応の理論: レオ・シラードが提唱。

1933 ナチが政権を獲得し、ユダヤ人への圧迫を強める。

1935 中間子の存在の予言: 湯川秀樹、原子核の中に陽子を閉じ込める力の存在を提唱する。粒子の大きさを電子の約200倍と推定。パイ中間子と名付けられる。

1936 陽電子を証明したアンダーソンがミュー粒子を発見。

1938 核分裂反応の観察:  ハーンとシュトラスマン、ウランに中性子を衝突させ、バリウムが生じることを発見。

1939 核分裂反応を確認したフリッシュとパイエルス、核兵器の実現可能性を報告。

1940 パウリがフェルミ粒子のスピンを1/2整数とする定理を確認。

1940 第二次世界大戦が始まる。フェルミの活動するコペンハーゲンもドイツに占領される。

1947 くりこみ理論の発表: 朝永振一郎が「場の量子論」における計算方法を確立。クーロン力は質量ゼロのフォトンを交換することによって生ずると説明。

結局、英語版ウィキで見る限り、ケミストリーというのは物理化学のことであった。
無機化学、有機化学というのはその応用系であり、皮に過ぎない。
羊頭を掲げて狗肉を売るというたぐいになる。
ただしこのたぐいの話は実によくあるのであって、私の専門である医学などというのも考えてみれば相当に胡散臭いところがある。
むかし文庫クセジュだったかに「人間生物学」(ショシャール)というのがあって、まさに「それって医学じゃん」という感じだった。
もちろん、生物学もそう偉そうなことは言えないわけで、生物を対象とする有機化学の一分野と言えなくもない。


英語版ウィキで物質のことをマターと呼んでいることに新鮮な感じをおぼえた。
言われてみればたしかにマターも物質だが、普通物質といえばサブスタンスという英語が思い浮かぶ。
化学が物質をあつかう科学だとすれば、その対象となるのは化学物質であり、それは通常ケミカル・サブスタンスと呼ばれる。
サブスタンス(物質)と呼べば済むものをマター(事物)と呼ぶのは、化学屋さんの一種の衒いみたいなものではないかと思う。
むしろマター全般をあつかうのが物理学で、その中でサブスタンスに特化したのが化学なのではないかと思ったりもする。
物理学は森羅万象、ありとあらゆる形而下的な事物や現象を扱う。これに対して形而されていないもの、こちら側から言うと、いまだ認識されていないものは、形而上学、哲学の対象世界に入る。


考えてみると「医学者」というのも怪しい商売で、いっそ「人間相手の生物学者です」と名乗ればということになる。もっと露骨に言えば、「医者の免許持っている生物学者です」という話だ。
たまに医者のアルバイトするから、普通の生物学者より実入りは良い。たいていは学位取るまでの「学者」で、その後は博士号のある医者として金を稼ぐことになる。少なくとも普通の生物学者からはそう見られている。
それが素人の前に出ると、とたんに偉そうにふんぞり返る。そして御大層な生物学者のフリをする。
困るのはこういう連中が教授会の主流となるから、「医学は理数系だ」と主張して、生物と人間の見境もつかないような医学者や学生を集め、育てることになる。731部隊は目前である。

「化学」とは何か 英語版Wikipediaより その3

 

「その2」では目次のうち

2.1 物質

                2.1.1 原子

                2.1.2 要素

                2.1.3 化合物

                2.1.4 分子

                2.1.5 物質および化合物

                2.1.6 モルと物質の量

までを訳した。

「その3」では

2.2 フェーズ

2.3 結合

2.4 エネルギー

を訳出する。

 

2.2 位相(フェーズ)

異なる化学分類を区別する特定の化学的性質に加えて、化学物質はいくつかのフェーズで存在することができる。

ほとんどの場合、化学分類はこれらの内部相分類とは独立している。

しかしながら、より外部的な相は、ある種の化学的性質と両立しない。

相は、圧力または温度などの条件の範囲にわたって、同様のバルク構造特性を有する化学系の状態の集合である。

密度および屈折率などの物理的特性は、相の特性値内に収まる傾向がある。

物質の相は相転移によって定義される。相転移は、システムに投入された、またはシステムから取り出されたエネルギーがバルク状態を変更せずに、システムの構造を再編成することです。

このあたり、さっぱりわかりません。「バルク相」はCampbellらが1962年に発表した概念なのだそうですが、界面化学だの結晶学だのという用語がわからないと、その解説もますます謎を深めます。

相転移は不連続な境界を持ちますが、時に連続的であることがあります。この場合、物質は超臨界状態にあると考えられます。

相の最もよく知られた例は、固体、液体、および気体である。多くの物質は複数の固相を示す。

例えば、固体鉄においては温度および圧力に基づいて変化す3つの相が存在する。例えば石炭と黒鉛とダイヤモンドである。

固相間の主な違いは原子の結晶構造または配列である。

一般的に遭遇するもう一つの段階は、液相である。これは、水溶液中に溶解した物質の状態である。

あまりよく知られていない相には、プラズマ、Bose-Einstein凝縮物およびフェルミック凝縮物、ならびに磁性材料の常磁性および強磁性相が含まれる。(まったくわからないが一切飛ばす)

 

2.3 結合(ボンディング)

分子または結晶中に互いに粘着している原子は、互いに結合していると言われている。

化学結合は、核内の正電荷とその周囲を振動する負電荷との間の多重極バランスとして視覚化することができる。

単純な引力と斤力のエ強さと分布は、電子が他の原子に結合する可能性を特徴づけるものです。

化学結合は、共有結合、イオン結合、水素結合またはファンデルワールス力によるものであってもよい。(ファンデルワールスはとりあえずわからなくてもよさそう)

これらの種類の結合はそれぞれ、ある程度のポテンシャルがあり、分子や結晶中に原子を一緒に保持する相互作用を作り出します。

多くの単純な化合物では、原子価結合理論、原子価シェル電子対(でんしつい)反発モデル。

valence shell electron pair repulsion ruleの頭文字をとってVSEPR理論とも呼ばれる。「原子価軌道上の電子は相互に反発し、電子対はその反発が最も小さくなるように配置する」らしい。

また、酸化数の概念を用いて分子の構造と組成を説明することができます。

金属が1つ以上の電子を失うとイオン結合が形成され、正に荷電したカチオンになり、電子は非金属原子によって得られ、負に帯電した陰イオンになる。

反対に荷電した2つのイオンは互いに引き合う。イオン結合は、それらの間の静電気力です。

例えば、金属であるナトリウム(Na)はNa +カチオンになるために1電子を失うが、非金属である塩素(Cl)はこの電子を得てCl-になる。 イオンは、静電引力のために一緒に保持される。

そして、その化合物の塩化ナトリウム(NaCl)または一般的な食塩が形成される。 

共有結合において、原子価電子の1つ以上の対は、2つの原子によって共有される。その結果として得られる電気的に中性の結合原子団は、分子と呼ばれる。 

原子は原子価電子を共有して、各原子の希ガス電子配置(最外殻に8電子)を作り出す。

価電子帯に8個の電子を持つように結合する傾向がある原子は、オクテット規則に従うと言われています。

しかしながら、水素およびリチウムのようないくつかの元素は、この安定な構成を達成するために、最も外側の殻に2つの電子のみを必要とする。

これらの原子はデュエットの規則に従うと言われており、このようにして外側の殻に2つの電子を持つ希ガスヘリウムの電子配置に到達している。

同様に、古典物理からの理論を用いて多くのイオン構造を予測することができる。

金属錯体のようなより複雑な化合物では、原子価結合理論はあまり適用されず、分子軌道理論のような別のアプローチが一般的に用いられる。


エネルギー

化学の範疇においてエネルギーは、物質の原子、分子または化学構造の変化として生じる属性である。

化学変化とエネルギー

化学的変化は、これらの構造のうちの1つまたは複数の変化を伴う。したがって物質のエネルギーの増加または減少を必ず伴う。

ある種のエネルギーは周囲と反応の反応物との間で熱または光の形態で伝達される。

したがって、反応生成物は、反応物(リアクタント)よりも増減したエネルギーを有することになる。

最終状態が初期状態よりもエネルギースケールにおいて低い場合、反応は発エルゴン反応(exogonic)であると言われる。吸エルゴン反応(endergonic)の場合、その状況は逆である。

反応が周囲に熱を放出する場合、反応は発熱性であると言われる。吸熱反応の場合、反応は周囲からの熱を吸収する。

化学反応は、反応物が活性化エネルギーとして知られるエネルギー障壁を超えなければ、常に不可能である。

化学反応の速度(所与の温度Tで)は、ボルツマン因子に関係している。これは、所与の温度Tにおいて、分子がE以上のエネルギーを有する確率である。

此処から先は五里霧中です。まずボルツマン因子ですが、「温度T の熱平衡状態にある系において、特定の状態が発現する相対的な確率を定める重み因子」だそうです。
すごく単純化すると「反応速度を定める係数」みたいなもののようです。これがボルツマン係数(k)と呼ばれるものです。

この反応速度が温度に指数関数的に依存することは、アレニウス方程式として知られている。

アレニウスの式: ボルツマン定数 k と絶対温度 T との関係を表わす式で、Eが活性化に要するエネルギーを示す。  k=A exp (-E/RT)

化学反応が起こるのに必要な活性化エネルギーは、熱、光、電気または機械的な力の形で超音波の形態であり得る。

関連概念である自由エネルギーは、エントロピーも考慮に入れ、熱力学における反応の実現可能性を予測し、化学反応の平衡状態を決定するための非常に有用な手段である。

この反応は、ギブス自由エネルギーの総変化が負である場合にのみ実現可能である。変化がゼロなら化学反応は平衡状態にある。

電子、原子、分子のエネルギー

電子、原子、分子には限られたエネルギー状態しか存在しない。それは、結合されたシステムのエネルギーの量子化を必要とする量子力学の規則によって決定される。

高エネルギー状態の原子/分子は励起されたと言われる。励起エネルギー状態にある物質の分子/原子はしばしばより反応性が高い。 すなわち、化学反応に対してより敏感である。

物質の位相は、必ずそのエネルギーと周囲のエネルギーによって決定されます。

エネルギーとフェーズ

物質の分子間力が周囲のエネルギーがそれらを克服するのに十分でないようなものである場合、それは水(H 2 O)の場合と同様に液体または固体のようなより規則正しい相で生じる。

水の分子は水素結合によって強く結合されているため、室温では液体です。いっぽう硫化水素(H2O)は、その分子がより弱い双極子と双極子によって結合されるので、室温および常圧では気体である。

ある化学物質から別の化学物質へのエネルギー移動は、ある物質から放出されるエネルギー量の大きさに依存します。しかし熱エネルギーはより容易に移行する。

物質中の振動および回転エネルギーにより発生する音子(フォノン)は、電子エネルギー移動が誘発する光子よりもはるかにエネルギーが少ないを有するからである。

したがって、振動エネルギーレベルおよび回転エネルギーレベルは、電子エネルギーレベルよりも密接に離れているので、熱は、光または他の形態の電子エネルギーに対して物質間でより容易に伝達される。

例えば、紫外線電磁放射は、熱的または電気的エネルギーと同様に、ある物質から別の物質に多くの有効性で移動されない。

異なる化学物質の特徴的なエネルギーレベルの存在は、スペクトル線の分析による同定のために有用である。

様々な種類のスペクトルが化学分光法でしばしば使用される。 IR、マイクロ波、NMR、ESRなど

分光法はまた、遠隔の物体(星や遠方の銀河など)の組成を、その放射スペクトルを分析することによって識別するためにも使用されます。

化学エネルギーという用語は、しばしば、化学反応を介して変換を受ける化学物質または他の化学物質を変換する可能性を示すために使用される。


「化学」とは何か 英語版Wikipediaより その4

「その3」では目次のうち

2.2 フェーズ

2.3 結合

2.4 エネルギー

を訳出した。

「その4」では

2.5 反応

2.6 イオンおよび塩

2.7 酸性と塩基性

2.8 酸化と還元

2.9 均衡

を訳出する。

反応(リアクション)

化学物質が他の物質との相互作用またはエネルギーの結果として変換されると、化学反応が起こったと言われる。

したがって、化学反応は物質が他の物質と密接に接触するときの「反応」に関連する概念です。

混合物であろうと溶液であろうと、 何らかの形のエネルギーへの暴露、あるいはその両方が含まれる。

それは、反応の構成要素とシステム環境との間で、なんらかのエネルギー交換をもたらす。

反応は実験室のガラス器具の中で起こるように設計することもできます。

化学反応は、分子の形成または解離をもたらす。これは、分子が2つ以上のより小さな分子を形成するように崩壊する。または分子内または分子間の原子の再配列を伴うこともある。

化学反応は、通常、化学結合の形成または切断を伴う。酸化、還元、解離、酸 - 塩基中和および分子再配列は、一般的な化学反応の代表である。

化学反応は、化学式を用いて象徴的に示すことができる。原子核の変化を伴わない化学反応では、方程式の両辺の原子の数と種類は等しい。

核反応は核粒子、すなわち陽子と中性子に対してのみ当てはまる。

反応とメカニズム

化学反応の過程で化学結合の再編成が起こる。この一連の過程をその機構と呼ぶ。

化学反応は多数のステップで行われる。それぞれが異なる速度を有すると想定される。 従って、反応の過程で可変安定性を有する多くの反応中間体を想定することができる。

反応のメカニズムと中間産物を説明するために多くの反応メカニズムが提案されている。多くの物理化学者は、このようなメカニズムを探求し、提案することに特化しています。

なかでもWoodward-Hoffmannの法則のようないくつかの経験則は、化学反応のメカニズムを解析するのに役立っています。

ウッドワード・ホフマン則 ペリ環状反応の選択性を説明する法則。 その内容から軌道対称性保存則とも呼ばれる。
ということでペリ反応を知らない人には無縁のもの。

IUPACのゴールドブックによれば、化学反応は「化学物質の相互変換をもたらすプロセス」である。したがって、化学反応は、基本反応または段階的反応であってもよい。

IUPAC 国際純正・応用化学連合(International Union of Pure and Applied Chemistry)の略称。ここの命名法が世界で用いられている。ゴールドをふくめ8色の本があるが、化学用語はゴールドに集約されている。

この定義には、配座異性体の相互変換が実験的に観察可能である場合が含まれるという点で、さらに注意が必要である。

そのような検出可能な化学反応は、通常、この定義によって示されるような分子実体のセットを含む。しかし、単一分子の実体を伴う変化にもこの用語を使用することは、しばしば概念的に便利です(すなわち、「顕微鏡的化学事象」)


イオンと塩(ソルト)

イオンは、1つまたは複数の電子を失ったまたは獲得した荷電種、原子または分子である。

原子が電子を失って電子よりも多くのプロトンを有するとき、原子は正に荷電したイオンまたは陽イオンである。原子が電子を得てプロトンよりも多くの電子を有するとき、原子は負に荷電したイオンまたは陰イオンである。

カチオンおよびアニオンは、Na +およびCl-イオンなどの中性塩の結晶格子を形成して塩化ナトリウムまたはNaClを形成することができる。

酸 - 塩基反応中に分裂しない多原子イオンの例は、水酸化物(OH)およびリン酸塩(PO43−)である。

プラズマは、通常は高温によって完全にイオン化された気体状物質からなる。


酸性と塩基性

物質は、しばしば酸または塩基としても分類される。

酸塩基の挙動を説明するいくつかの異なる理論がある。最も単純なのはアレニウス理論である。

「酸は水に溶解するとヒドロニウムイオンを生成する物質であり、塩基は水に溶解すると水酸化物イオンを生成する物質である」というものである。

Brønsted-Lowry酸塩基理論によれば、酸は、化学反応において正の水素イオンを別の物質に供与する物質である。塩基は、水素イオンを受け取る物質である。

第3の理論は最も一般的なもので、新しい化学結合の形成に基づくルイスの酸塩基理論である。

ルイス理論は、酸が、結合形成のプロセス中に別の物質から一対の電子を受容する物質であることを説明している。塩基は、新しい結合を形成するために一対の電子を提供する物質である。

この理論によれば、交換される重要なことは電荷である。

この酸・塩基概念の歴史で明らかなように、物質が酸または塩基として分類される他のいくつかの方法がある。

酸強度は、通常2つの方法によって測定される。アレニウスの酸性度の定義に基づく1つの測定値はpHである。

これは、溶液中のヒドロニウムイオン濃度の測定値であり、負の対数スケールで表される。したがって、低いpHを有する溶液は、高いヒドロニウムイオン濃度を有し、より酸性であると言える。

ブレンステッド - ローリーの定義に基づく他の測定値は、酸解離定数(Ka)である。これは物質が酸として作用する相対的能力を測定します。

すなわち、より高いKaを有する物質は、低いKa値を有する物質よりも化学反応において水素イオンを供与する可能性が高い。


酸化・還元(レドックス)

レドックス(還元酸化)反応には、電子が得られ(還元)、電子が失われる(酸化)原子の酸化状態が変化するすべての化学反応が含まれます。

他の物質を酸化する能力を有する物質は酸化性であると言われ、酸化剤、酸化剤または酸化剤として知られている。酸化剤は、他の物質から電子を除去する。

同様に、他の物質を還元する能力を有する物質は還元性であり、還元剤、還元剤または還元剤として知られている。還元剤は、電子を別の物質に移動させ、それによって酸化される。

電子を「寄付」するので、電子供与体とも呼ばれます。

酸化および還元は、酸化数の変化を適切に意味する。実際の電子の移動は決して起こり得ない。

したがって、酸化は、酸化数の増加、および酸化数の減少としての減少としてよりよく定義される。

 

平衡(イキリブリアム)

平衡の概念は、化学の文脈において科学全体にわたって広く使用されているが、化学組成の多数の異なる状態が可能な場合にいつでも発生する。

例えば、相互に反応することができるいくつかの化合物の混合物、または物質が複数の種類の相に存在することができる場合。

平衡状態の化学物質の系は、たとえ変化しない組成を有するとしても、しばしば静的ではない。

物質の分子は相互に反応し続け、したがって動的平衡を生じる。したがって、このコンセプトは、化学組成などのパラメータが経時的に変化しない状態を記述する。

 

 

 



携帯の技術の最大の進歩は、「携帯のせいと言い訳させない技術」なのだそうだ。
なるほどと思うが、「なるほど」と思うのは「携帯のせい」と言い訳した記憶を持つ、そういう世代だ。そもそも携帯という言葉がそろそろ死語になるかも知れない。
ただ私は携帯とあまり関係なく育ってきた世代で、いまだにパソコンで十分間に合っている。
電話に限らず、携帯型というアイテムは電車通勤者のためのものだろう。
田舎に住んで、車で通う人間には無縁のものだ。家に帰ればべつにヘッドフォンを使わずとも音楽が楽しめる人間には無縁のものだ。さらに言えば、田舎の人間にはこんなものを買って使いまくるような金銭的余裕はない。

「化学」 英語版ウィキより

化学の研究にはいくつかの概念が不可欠である。 それらのいくつかを見ていこう。

物質(Matter)

化学において、物質は、静止した質量および体積を有するものとして定義される。(したがってそれはスペースを取る)
物質はパーティクルで構成されている。物質を構成する粒子にも質量がある。
すべての粒子が静止しているわけではありません。例えば光子は常に動いています。、
物質は単独な化学物質(Substance)であってもよいし、物質の混合物であってもよい。

原子

原子は化学の基本単位である。原子は、電子雲の空間に囲まれた原子核と呼ばれる緻密な核で構成されている。

核は正に荷電した陽子と非荷電の中性子で構成される。それらはともに核子と呼ばれる。電子雲は負に荷電した電子で構成され、核を周回する。

中性原子では、負に帯電した電子は、陽子の正の電荷と釣り合っている。

核は密である。 核の質量は電子の質量の約1,836倍であるが、原子の半径はその核の約10,000倍である。

原子はまた、元素の化学的性質を保持する最小の実体でもあり、電気陰性度、イオン化ポテンシャル、好ましい酸化状態、配位数、および好ましい結合タイプ(例えば、金属性、イオン性、共有性)を有する。

元素(Element)

化学元素は純粋な物質である。

それは1つのタイプの原子から構成され、原子核の中のプロトンの数によって特徴付けられる。

プロトンの数は原子番号として知られ、記号Zによって表わされる。質量数は、核内の陽子と中性子の数の和で示される。

1つの元素はすべて同じ原子番号を有するが、原子番号が同じでも、必ずしも同じ質量を有するとは限らない。

異なる質量数を有する元素の原子は、同位体として知られている。例えば、核中に6個のプロトンを有するすべての原子は、化学元素炭素の原子である。

炭素の原子は12または13の質量数を有することができる。

化学元素の標準的な表示は周期表で示される。それは元素を原子番号の順で並べている。

周期表は、列ごとに族、段ごとに周期の形でまとめられる。周期表は元素の傾向を特定するのに役立つ。

化合物(Compound)

化合物は、複数の元素で構成された純粋な化学物質である。化合物の性質は構成元素の性質とほとんど類似していない。

化合物の標準命名法は、国際純正応用化学連合(IUPAC)によって設定されている。有機化合物は、有機命名法に従って命名される。

ある化合物が複数の成分を有する場合、それらは2つのクラスに分けられる。陽性電荷成分と陰性電荷成分である。

ケミカルアブストラクトサービスでは、化学物質の索引付け方法を考案している。このスキームでは、各化学物質はCAS登録番号で識別できる。

分子(Molecule) 

分子は、純粋な化学物質の不可分な最小単位である。

その独特の化学的性質によって、他の物質との一連の化学反応を起こす可能性がある。

しかし、この定義は、多くの物質には当てはまらず、ある特定の分子からなる物質に対してのみ有効である。

分子は、典型的には、共有結合によって一緒に結合された原子のセットである。

その構造は電気的に中性であり、すべての価電子がいずれかの他の電子と対になっている。

したがって、分子はイオンとは異なり、電気的に中性の単位として存在する。

このルールが破られことはある。こうして "分子"に電荷が与えられると、その結果、分子は分子イオンまたは多原子イオンととなる。

  しかしながら、分子概念の分散・分離的性質が必要とするのは、十分に分離した形態での分子イオンの存在である。それは例えば質量分析計内の真空中の指向性ビームのような形である。

固体中に存在する荷電した多原子の収集物(例えば、一般的な硫酸塩または硝酸塩イオン)は、一般に、化学において「分子」とはみなされない。

ある種の分子は不対電子を含み、ラジカルを生成することがある。

ほとんどのラジカルは比較的反応性が強いが、酸化窒素(NO)のようなものは安定している。

「不活性」ガス元素あるいは「希ガス」元素(ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノンおよびラドン)は、最小単位として孤立原子によって構成されている。

しかし、他の孤立した化学元素は、何らかの形で互いに結合し、分子または分子ネットワークで構成されている。

具体的な分子としては、水、空気、およびアルコール、砂糖、ガソリン、および様々な医薬品のような多くの有機化合物などの身近な物質を構成する。

しかしながら、全ての物質または化合物が分子からなるわけではない。

実際に、地球の固体地殻、マントル、コアを構成する固体物質の大部分は、分子構造を持たない化合物である。

これらの他の種類の物質、例えばイオン化化合物および網状構造は、同定可能な分子自体の存在を欠いているように構成されている。

代わりに、これらの物質は、物質内の最小の反復構造として、式単位または単位格子の観点から議論される。

そのような物質の例は、鉱物塩(例えば食塩)、炭素およびダイヤモンドのような固体、金属、ならびに石英および花崗岩のようなよく知られたシリカおよびケイ酸塩鉱物である。

分子の主な特徴の1つは、「構造」と呼ばれる立体構成である。

  二原子、三原子または四原子からなる分子の構成は直線状、多角状、ピラミッド状など一定の形をとる。

多原子分子の構造とくに6角系(ベンゼン環)の分子はその化学的性質によって決定的に重要である。

物質および混合物

化学物質(Substance)は、明確な組成と性質を持つ一種の物質(Matter)である。

物質の集合は混合物と呼ばれる。 混合物の代表は、空気および合金である。


モルと物質量

モルは、物質の量(化学量とも呼ばれる)を示す測定単位である。

モルは、ちょうど炭素-12の12グラム中に存在する原子の数として定義される。

その際炭素-12原子は、非結合状態で、静止状態で、基底状態にあるとみなされる。

1モルあたりの実体の数は、アボガドロ定数として知られており、経験的に約6.022×10の23乗モルの逆数と規定されている。

モル濃度は、溶液1容量あたりの特定の物質の量であり、一般的には moldm−3で報告されている。


「化学」 英語版ウィキより

先日は酔った勢いで、ずいぶん化学(高校化学)の悪口を書いた。
しかし当然ながら、それらの「批判」はもう少し勉強した上で言うべきことである。

とりあえずは英語版のWikipediaを読むことにした。



序論部分
化学は、原子(元素)および分子(原子の組み合わせからなる化合物)に関わる科学分野である。
それはまた、それらの組成、構造、特性、挙動を探求する。そしてそれらが他の化合物と反応して起こす変化を探る。
 化学は、原子と分子が化学結合を介して相互作用し新しい化学化合物を形成する過程を探求する。

化学結合には4つのタイプがある。
1.共有結合
  化合物が1つ以上の電子を共有する
2.イオン結合
ある化合物が1つ以上の電子を別の化合物に供与してイオンを生成する(カチオンおよびアニオン)
3.水素結合
4.Van der Waals force結合(化学用語集を参照のこと)

その守備範囲としては、化学は物理学と生物学の中間の位置を占める。
それは中央(中間)科学と呼ばれることもある。基礎的分野と応用分野の基礎に共通する理解を提供するからである。
たとえば、植物化学(植物学)、火成岩の形成(地質学)、大気オゾンの形成や、環境汚染物質、廃棄物(生態学)、月の土壌の性質(天体物理学)、薬物療法の仕組み(薬理学)、犯行現場でのDNA収集法(法医学)など。

化学の歴史は非常に古い時代からはじまる。そして現在までに及ぶ。 纪元前数千年以来、文明は様々な技術を使用してきた。それは化学の基礎を形成してきた。
 例としては、鉱石から金属を抽出すること、陶器や釉薬を作ること、ビールとワインを発酵させること、植物から薬品や香水を抽出すること、脂肪を石鹸にすること、ガラスを作ること、ブロンズのような合金を作ることなどだ。

錬金術は化学の前身である。これは直感的ではあるが非科学的なアプローチで、物質とその相互作用の構成要素の理解に迫った。錬金術は物質の性質とその変容を説明するには失敗したが、実験を行い結果を記録することによって、現代化学の舞台を準備した。

とここまでが序文。
この後に目次が挿入され、その目次に沿って記述が進んでいく。

目次
1 語源
2 現代の原則
2.1 物質
2.1.1 原子
2.1.2 要素
2.1.3 化合物
2.1.4 分子
2.1.5 物質および化合物
2.1.6 モルと物質の量
2.2 フェーズ
2.3 結合
2.4 エネルギー
2.5 反応
2.6 イオンおよび塩
2.7 酸性と塩基性
2.8 酸化と還元
2.9 均衡
2.10 化学の法則
3 歴史
3.1 定義の
3.2 規律の
4 練習
4.1 小規模分野
4.2 業種
4.3 専門家協会
5 関連項目
6 参考文献
7 参考文献
8 さらに読む
9 外部リンク


「化学」(ケミストリー)という言葉の語源
化学という言葉は錬金術に由来する。
それは初期には化学、冶金、哲学、占星術、天文学、神秘主義および医学の要素をふくむ一連のノウハウを指していた。
錬金術は、今では鉛やその他の原料を金に変える試みと見られているが、古代には、現代化学の多くの問題を取り上げていた。

4世紀初めのギリシア生まれのエジプト人で錬金術師のゾシモス(Zosimos)は、水の組成、運動、成長、体現、消滅などの現象をを物体からの精神の分離と、精神の物体への一体化として捉えた。
錬金術師は日常会話では「化学者」と呼ばれた。後に接尾辞「-ry」が追加されて化学者の技能を「化学」と表現した。

現代の錬金術術は、アラビア語al-kīmīāに由来する。その起源は、ギリシャ語から借りたものだ。
アルキミマは古代エジプト人がみずからを呼んだ名、「ケメット」に由来する可能性がある。
ほかの説として、アルキミマは「埋め込む」を意味するとも言われる。

現代における「化学」の定義

現代における原子構造は量子力学モデルとして理解されている。

伝統的な化学の教科書は、素粒子、原子、分子、物質、金属、結晶および物質集合体の研究から始まる。物質は、固体、液体または気体の状態で、個別にも、あるいは組み合わせても研究されている。

化学において研究される相互作用、反応および変換は、通常、原子間の相互作用の結果である。それは原子を共有する化学結合の再配列をもたらす。このような挙動は化学実験室で研究されている。

化学実験室というと、様々な形態の実験ガラス器具が並んでいるのがお定まりだが、ガラス製品は化学の中心ではない。多くの実験(応用化学や産業化学)はフラスコやビーカーなしで行われている。

化学反応とは、ある種の物質を異なる物質に変換することである。このような化学変換の基礎は、原子間の化学結合における電子の再配列である。その過程は、通常は原子を対象とする化学方程式によって抽象化することができる。

化学変換の式における左右の原子数は等しい。(等しくない場合もある。その時は、その変換は核反応または放射性崩壊と呼ばれる)

物質が受ける化学反応のタイプとそれに付随するエネルギー変化は、化学法則(chemical law)といわれるいくつかの基本規則によって規定される。エネルギーとエントロピーについての考え方は、ほぼすべての化学研究において常に重要である。

化学物質は、その構造、相、および化学組成によって分類される。それらは化学分析のツールを用いて分析される。たとえば分光法およびクロマトグラフィーなどだ。化学研究に従事する科学者は化学者といわれる。ほとんどの化学者は、それぞれのサブ分野に特化している。

「理論化学」(ウィキペディア)

高校で学ぶ化学を理論化学、無機化学、有機化学の3つの分野に大きく分類している。 この場合の理論化学は物理化学にほぼ対応する。物質の構造、物質の状態、物質の反応の3分野に大きく分類される。

ということで、受験産業の世界での一種の業界用語らしい。

物質の構造、物質の状態、物質の反応と言われても何のことか分からないが、以下のごとく分類されているそうだ。

物質の構造
1.原子 - 分子 - 電子
2.アボガドロ定数 - 物質量 - 分子量
物質の状態
1.相 - 気体 - 液体 - 固体
2.体積 - 密度
3.濃度(質量パーセント濃度、モル濃度、質量モル濃度) - 溶解度
4.状態方程式 - 分圧 - ヘンリーの法則
5.溶液
物質の反応
1.熱化学
2.反応速度
3.化学平衡
4.酸と塩基
5.酸化還元
6.電気化学 - 電池 - 電気分解

ほとんど目のくらむ世界だ。これってウソでしょう。大学でやるものだ。第一、これって化学? まるっきり物理じゃん。物理のつまみ食いしておいて、それを「理論化学」だなんて恥ずかしくないだろうかね。自分の理論パーぶりをさらしてるとしか見えないが…
化学というのは「物質とは何か」を追求する学問なのだと思う。ただし、物理学もおなじように「物質とは何か」を追求する学問だ。その名の通り、まさに「物のことわり」を探る学問である。そこへ行くと「化学」は、名前からして物の科学ではなくて化物の科学である。
生徒を化かして挫折させるための学問としか言いようがない。

高校化学の廃止を提案する
高校化学は無用だけでなく、理系嫌いを増加させ有害だ。

化学というのは「物質とは何か」を追求する学問なのだと思う。
ただし、物理学もおなじように「物質とは何か」を追求する学問だ。その名の通り、まさに「物のことわり」を探る学問である。そこへ行くと「化学」は、名前からして物の科学ではなくて化物の科学である。
中世の錬金術の延長の上に考えるとすれば、化学は物質をいじるためのノウハウの積み上げと言えるかもしれない。
ウィキで「化学」を引くと、ものすごい量の「…化学」が出てくる。つまり、化学は自然科学の一分野というよりは「化学的な視点」というふうな、いわば心構えの問題なのかではないかとも思われる。

問題はここから先で、このようにとらえどころのない、間口だけがだだっ広い「学問」を高校の授業で教える必要があるのだろうかという問題である。

率直なところ日常生活に必要な知識は酸と塩基くらいのものだ。
基本的にはそれ自体が応用学問だから、それほどエレメンタリーなものでもない。
例えば有機化学はむしろ有機物に引きつけて生物学で教えたほうがよい。
熱力学はエネルギー不滅の法則と結びつけて物理学として学んだほうが理解が容易である。
電子については素粒子論として物理学であつかうべきだ。
ということで、私の提案としては高校理科の選択項目から化学は外すべきだということになる。
その分、物理と生物を増やすべきだ。とりわけ人間生物学(医学)の分野を大幅に拡充すべきと考える。

1.希少糖と酵素
商売の話や教育の話、香川県の振興の話題はじつはどうでもよいのである。
希少糖という言葉が初めて聞いたものであること。それが酵素の働きにより形成されることに、何かメビウスの輪の如き違和感を感じたのである。
生命の起源の勉強の際には、生命要素の最初のコンポーネントとして炭水化物(有機物)が出てくる。これに窒素がくっつくことでアミノ酸→タンパク質・核酸ができる。
タンパク質はとりわけ動物の基本的構成要素であるだけでなく、生命現象の媒介となる酵素のコンポーネントとなっていく。
生命活動(エネルギー代謝)においては炭水化物の同化と異化が規定的な役割を果たすが、その多くの段階に固有な酵素が絡んでいる。
おそらく希少糖というのは生命活動の主流としては採用されなかった糖生成過程なのであろうが、なぜ選ばれなかったのか、なぜ選ばれなかったにも関わらず消滅しなかったのか、ということは考えるだけでも楽しい。
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2.何森さんの経歴
何森健さんは1943年(昭18年)の岡山県生まれ。65年に香川大学農学部卒業。その後、大阪府立大学大学院を修了されている。
その後香川大農学部で一貫して微生物研究に取り組んできた。
そして、大学構内の土から採取した微生物から偶然、それまでにない酵素を見つけた.
その酵素を反応させて果糖から希少糖を作り出す。
1984年に希少糖の一種である「D―タガトース」の生成に成功。その後も次々と希少糖を作り出し「D―プシコース」の生成にたどり着いた。
2000年に果糖から量産する技術を確立した。バイオリアクターを自作するなど工夫を重ねた結果である。

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この研究過程で、希少糖類の生成過程を一般モデル化した「イズモリング」も発表している。
3.赤旗「学問はおもしろい」
というような背景がある程度わかったところで、本日の赤旗記事。「シリーズ 学問はおもしろい」の本人インタビュー。
まずは会社の代表取締役らしく、こんなCMめいた台詞から始まる。
甘いのにカトリーはゼロの等、夢の糖と言われている希少糖…
希少糖は「自然界に存在する量が少ない単糖とその誘導体」と定義されています。
まぁ、ここまで聞くと「学問はおもしろい」という見出しから読み出した人は引いてしまうでしょう。
私も実はそうだったが、田舎大学ゆえの研究の苦労話を聞くうちに話に引き込まれていく。話の引き出しが三段もある人だから油断がならない。

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ミレーの「落ち穂拾い」に例えて、田舎大学の研究者である自分を、刈り残した落ち穂を拾う貧しい農民に擬する。
もう一つは「落ち穂」が実は落ち穂ではないということ。52枚のトランプのカードの1枚であり、それがなければゲームが成立しないことという発想だ。
ただしそれには52枚揃わければ成り立たない「ゲーム」の論理を導かなければならない。
最後の一つが、希少糖研究は実は生物学(微生物学)に根ざしているのだという2階建て理論。つまり一つの希少糖の生成には一つ以上の酵素が必要であり、希少糖探しは酵素(生命)探しなのだということだ。
たしかに希少糖でお金を儲けるより、農学部の食堂裏に空いた思わぬ扉から希少糖を生み出す酵素の世界へと分け入るほうがはるかに面白そうだ。
*何森さんは1992年、香川大学の農学部食堂の裏手から新酵素「DTE」を見つけ、これによって希少糖「D・プシコース」を生成したという。

NHKスペシャルで「サルの大移動」という番組を見た。まことに面白く、想像力をかき立てる番組であった。
それは、番組の本筋の話とは少々ずれているところがある。
実は、系統進化の話を調べているうちに、爬虫類の時代から哺乳類の時代への移行というのは意外と遅いのではないかという感じがしてきたのである。
大まかに言うとこういうことだ。
哺乳類は爬虫類全盛の時代には日陰の存在であったが、しかし結構したたかに生き延びて、それなりに分化発展していた。
そこに環境激変が来て恐竜類など大型爬虫類が絶滅した。
だから、そのときすでに哺乳類はそれ自身の体系を持って自然史に登場し、その後“それなりの”発展を遂げたのではないだろうか。
というのは、サル以外の哺乳類が、日陰の身だった頃と比べてそれほど生き様を変化させたようには思えないからだ。
動物というのは逃げる生活と捕まえる生活の上に成り立っている。これにさすらうという生活が加わる。哺乳類は爬虫類の辺縁で生活していたから、夜行性であり、高速であり、したがって恒温性である。
しかしこれらの性格は食物連鎖のトップに立った瞬間に不要となる。むしろトップにふさわしい爬虫類性・恐竜性がもとめられることになる。それは聴力や嗅覚、触覚という身の周り的感覚ではなく、視覚中心の感覚系の再構築であろう。
そしてそれに対応できたのは、結局のところ霊長類のみではなかったのか。象や河馬はただ体を大きくするという対応で動物界の頂点に立ったが、その代わりに居場所は制限され、動物としての普遍性を失った。
なぜそうなったか、爬虫類絶滅以来の歴史があまりに短かったからである。生物学的・DNA的進化をするにはあまりにも短い。
しかしサルはそこを、非DNA的な手法で乗り越えた。それが“さすらい”である。
だからサル以降の系統進化は、より非DNA的な手法で解析していかなければならない。
つまり進化学の方法は、爬虫類→哺乳類→霊長類という段階論ではなく、爬虫類+哺乳類→霊長類という観点から構築されなければならないということだ。プレ霊長類とポスト霊長類のあいだに分水嶺を設けることだ。(飛び、渡ることによる、トリと恐竜の分離に類するのか?)
その際のあらたなパラダイムがどんなものなのか、これがこれからの手探り課題となるだろう。

考えてみると、カレイとヒラメの違いについてのうんちくは、スシ屋に行けば歓迎されるかもしれない。エラそうにゴタクを並べると座が白けるかもしれないので、プレゼンには気をつけなければならないだろう。
ほとんどのページが断りなしのコピペで、オリジンがどこかはわかりにくい。このあたりがそれっぽいが…

1.左ヒラメに右カレイ
魚を表向きに置いたとき顔が左にあればヒラメ、右にあればカレイ。ただし例外はある。
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2.口の形の違い
ヒラメの口は大きく歯も発達している。凶暴派。
カレイの口は小さく、歯も発達していない。穏健派。

3.目の違い
カレイは出目、ヒラメの平たい目の中はハート型

4.値段の違い
カレイは煮魚、大衆魚
ヒラメはお刺身、高級魚
漁獲高は、カレイ10 : ヒラメ1

住所
カレイはカレイ目カレイ亜目カレイ科
ヒラメはカレイ目カレイ亜目ヒラメ科

漢字は
カレイは「鰈」
ヒラメは「鮃」

最後に
の鑑別表を転載させていただく
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面白いかどうか、一応メモしておく。
魚にも利き手があって、右利きと左利きがあるそうだ。
魚と言っても魚みんなではない。アフリカのタンガニーカ湖に棲むシクリッドという魚だ。この魚の存在は以前から知られていたらしい。
それで今回は、この魚の脳を調べて、構造の左右差を見つけたという話だ。
赤旗の科学面の囲み記事。出処は「ゲノム・バイオロジー・アンド・エボリューション」という科学誌の11月15日付の記事で、ドイツ・コンスタンツ大学を中心とする国際グループが発表したもの。
1.導入 まずシクリッドについて
タンガニーカ湖というのはアフリカ東部の大地溝地帯にある湖だ。ここは淡水湖で生態系は周囲と孤立している。
この湖にシクリッドという魚がいる。変わった魚で、ほかの魚に後ろから近づいてウロコを奪い、それを餌にしているそうだ。「通り魔」みたいな卑怯なやつだ。これでもやはり肉食といえるのだろうか。
それが、後方左から近づくものと右から近づくものがいて、長年やっているものだからアゴの発達が違っているそうだ。カレイとヒラメの目のようなものだろうか。
2.それでもって本論
コンスタンツ・グループは40匹のシクリッドを捕まえ、脳を調べた。
違いは大きく言って二つある。
一つは「利き手をコントロールする側の視覚を処理する領域」が強く発達していることである。何かわかりにくい話だが、利き手側脳半球の「視蓋」領域が強く発達しているのだそうだ。
もう一つは、視蓋領域の神経細胞のDNAを調べたところ、140個の遺伝子活性で左右差を認めたという。これについては、言っていることがよくわからない。
3.結論はとくにない
それだけの話らしい。結局、我々素人にとっては、シクリッドという魚がいて、右利き左利きがあって、口の形まで違っているんだそうだ、ということ以上のものではない。
これがヒラメとカレイの違いまで話が進むともうちょっと面白いかもしれないが。




本日の赤旗記事より。
「哺乳類は恐竜絶滅後に日中活動を急増させたが、にも関わらず夜行性の特性を残している」
というのが骨子のようだ。
科学誌「ネイチュア・エコロジー・アンド・エヴォリューション」にテルアビブ大学グループが載せた研究。
まあ、一つの研究でここまで言えるということはないので、これはディスカッションの一つということになる。
この研究における核心的な事実は、「哺乳類の日中活動が恐竜絶滅後に急増した」ということの証明にある。
その方法だが、
①まず現存する哺乳類の昼夜の行動パターンのデータを収集した。
②そして、それらの行動がいつごろから現れて来たのかを検討した。
その結果、昼夜行動パターンの変化には二つの変革期があったことが明らかになった。
哺乳類の発生から「数千万年前」までのあいだは、ほぼ完全な夜行性であった。
「数千万年前」から時折、日中にも行動するようになった。
さらに6600万年前に恐竜の絶滅したあと、日中活動が急増し昼行動物となった。
ということで、研究を通じて明らかにされたのは話の前半部分。
後半部分、「…にも関わらず夜行性の特性を残している」は討論の中での提起だ。
まず、なぜ哺乳動物は当初は夜行性だったのかということだが、それは恐竜との生存競争の中で強いられたものだ。これについてはすでに確認されたことである。
哺乳類は爬虫類と比べてより優れた生物として登場したわけではない。哺乳類と爬虫類は、生物進化の過程で兄弟のようにほぼ同時発生した。哺乳類は爬虫類に食われる存在であった。だから、変温動物が活動を止める夜間に活動するようになり、それに必要な智慧や能力を身につけるようになった。
これがプレ恐竜絶滅時代の住み分けである。
そこで、当初より昼行性だった爬虫類、鳥類、昼行性魚類の特性を哺乳類が持ち合わせていないという指摘に話が至るのである。
その具体的事例として研究グループがあげるのは、色覚である。
ただ記事では詳細は不明で、下記のような記載のみである。
…色覚は爬虫類などの活動を支えている特性をほとんど有していません。
ということで、視覚一般とは一旦切り離して色覚についての勉強をしておく必要がありそうだ。

なお、「ネイチュア・エコロジー・アンド・エヴォリューション」
という聞きなれない雑誌だが、「ネイチャー」誌の別冊みたいなものらしい。
Nature Ecology & Evolution というサイトがあって、ここに発刊の辞が掲げられている。

生態学と進化の研究コミュニティーのための Nature 関連誌として、オンライン限定ジャーナルNature Ecology & Evolution を2017年1月に創刊しました。

ということで、「注目のハイライト」というリストに
2017年11月7日 古代の哺乳類は恐竜の絶滅後に夜間の活動をやめた
というコンテンツを見つけた。おそらくこれが話のネタなのだろう。

脳解剖学の開拓者たち
川村さんのページから 神経学の歴史19世紀の神経解剖学 を年表化した。
Lawrence C. McHenry, Jr. 著 「神経学 の歴史」の第5章「19世紀の神経解剖学」を翻訳したも のである。豊倉康夫監訳となっているが、とくに断りがな いことから、この章は川村さんの訳になるものだと思わ れる。
Ⅰ 19世紀前半 
19世紀前半における神経解剖学の進歩の多くは脳の 内部構造と肉眼解剖に関するものであ って、Reil, Bell, Mayo, Stilling, Arnold その他の人々によってなされた。

19 世紀の初頭 ドイツの精神医学者で解剖学者のJ.C. ライル、アルコール固定した脳の内部構造を研究。脳 の機能の自律性を組織の興奮性から説明。さらに「生 命力とは身体を構成する物質の化学反応が主体的に 表現されたものである」と主張。
1821 イギリスのC.ベル、第五脳神経(三叉神経)が 感覚・運動の両 者から成立することを証明。“Bell 神経 ”を発見する。
1824 スティリング、ミクロトームを考案。脳研究が飛 躍的に進む。
1824 Dutrochet、神経線維が透明な液体を満たした 管から構成されることを確認。
1829 イタリアのL.ロランド、「大脳半球の構造につい て」を発表。大脳の脳回と脳溝を詳述し、中心前回と中 心後回とを指摘する。
1820頃 ウィーンのF.J.ガルとJ.C.シュプルツハイム、 脳の白質は神経線維によって構成され、大脳皮質の 灰白質は神経活動の器官であることを発表。また延髄 の錐体交叉を発見。
1833 ドイツのエーレンブルク、神経線維を無髄線維 と有髄線維に区別。
1837 チェコのJ.E.プルキンエ、小脳に「フラスコ型をし た神経細胞」を発見。有髄線維と核と樹状突起を有す る神経細胞を図示。
1836 ドイツのR.レマク、末梢神経の軸索が脊 髄の 神経細胞と連続していることを証明。
1838 シュライデンとシュヴァン、顕微鏡による観察か ら細胞説を提唱。
1844 R.レマク、大脳皮質の6層構造を組織学的に確 認。 1850 イギリスのA.V.ウォラー、神経細胞が神経線維 を養っていると推論。

Ⅱ 19世紀後半
Weigert, Gerlach, Marchi, Golgi, Cajal, Remak, その他の 人々の精妙な組織学的方法に よって、脳の顕微鏡的 解剖がなしとげられた。

1856 B.シュティリンク、ミクロトームを用い、アルコー ル固定をほどこした脳から連続切片を製作する。
1858 ドイツのJ.ゲルラッハ、カルミン染色を考案。神 経組織への最初の染色法となる。その後メチレンブル ー、ヘマトキシリンが相次いで導入される。
1871 ゲルラッハ、神経細胞の網状説を提唱。脳の 灰白質は細い樹状突起が融合して形成される精緻なび まん性の神経網から成り立つと主張する。
1873 ゴルジ、鍍銀法を用い神経細胞の全体像を描 き出すことに成功。ゲルラッハの網状説を実証。
1884 C.ヴァイゲルト、髄鞘染色法を導入。
1891 H.W.G.ワルダイヤー、神経細胞とその突起を神 経系の構造単位とし、ニューロンと命名。
1892 スペインのS.R.カハール、ゴルジの鍍銀法を用 い、情報の流れを検索。神経刺激は網状構造ではなく 神経細胞の接触により伝導すると主張。また刺激が樹 状突起により受け止められ、神経細胞を通過し、軸索 により伝達されることを明らかにする。
1906 カハールとゴルジがノーベル医学賞を受賞。受 賞講演でゴルジは網状説を擁護しカハールを攻撃した という。
1909 ブロードマン、大脳皮質の区分図を発表。

「エトスとパトス」への鬼頭さんのコメント

川村さんの文章のあとには名古屋大学の鬼頭純三さんの長ーいコメントが付けられていて、失礼ながら実はこちらのほうが面白い。

少し紹介しておく。

1.「量から質への転化」は単純ではない

まず鬼頭さんは川村さんの「量から質への転化」論をやんわりと批判する。

それは自然現象の法則としてそのとおりだと思いますが、もし機械的、観念的にそれにとらわれると出口のないラビリンスへ迷いこむことにならないでしょうか。

脳における量から質への転換は、ニューロンの数の増加によって自動的にもたらされたものではないでしょう。

それはニューロン相互の関係、回路網形成が生じる生体内環境との相互関係、外部からもたらされる情報(感覚)の受容、それに対する反応などさまざまな要素が織りなすものです。

質的変化はそのなかで止揚されてゆくものでしょう。、まさに「相互関係の中で全体として統一されてゆく事象」なのだと思われます。

ということで、まことにごもっともな意見だ。哲学者としては一枚上という感じだる。(まぁ後出しジャンケンではあるが)

2.鳥の高次神経

ここからはみずからの専門分野の話に移る。ここが一番面白いところである。

鳥類は哺乳動物のような層状構造をもった大脳皮質をもっていません。しかし、ボリュームからみればかなり大きな大脳を有しています。

鳥類の大きな大脳は哺乳動物の大脳基底核を構成する線条体が巨大化したものであります。

ほ乳類は線条体の上に尾状核を持っています。尾状核は新線条体と呼ばれ、線条体とあわせ2階建て構造になっていますが、鳥類はさらにその上に上位線条体を持っていて、3階建てとなっています。

哺乳類の祖先は地べたを這いずっていたために、嗅覚、聴覚、皮膚感覚を発達させました。このため嗅覚の投射中枢である前脳(大脳)が発達しました。

大空に羽ばたいた鳥類では、視覚が重要な情報源となりました。

鳥の視覚の中枢は中脳視蓋(上丘)です。中脳視蓋へ入った視覚情報は nucleus rotundus という大きな核で中継されて上位線条体へ投射されます。

上位線条体へは聴覚や皮膚感覚(羽毛への風圧感覚もふくむと思いますが)も投射します。視覚野はないが、パターン認識という擬似抽象化による情報伝達が行われているようです。言語信号系はありませんが、かわりにさえずり中枢が上位線条体の中に発達しています。

鳥類はこのようにほ乳類とはことなった大脳の発達を遂げました。情動の回路を構成する諸構造も哺乳類とは異なっています。

3.不可知論について

鳥の高次中枢に関する知見は大変貴重なもので、大いに産駒になった。

しかしこれに続く「不可知論」批判は、レーニンの「唯物論と経験批判論」そのままで、批判の方向がおかしい。

もともと「不可知論」は恥ずかしがり屋の唯物論であり、神学者や君主制論者が先験的に持ち出してくるドグマに対して、「王様は裸だ」と叫ぶ代わりに「私には服を着ているようには見えない。私はこの感覚を大事にしたい」と言っているのだろうと思う。

ただこの論理は、自分の気に入らない理論すべてを切り捨てるためにも利用できるので、話がややこしい。

不可知論者と言っても何もかも否定するわけではない。むしろほとんどのものは肯定される。肯定されないものは一つは概念化できないものであり、もう一つは概念操作できないものである。

概念化できないものの典型が神である。ほかに倫理的なものの多くが概念化困難である。

概念操作できないものはもっと多くある。端的に言えば未知の世界だ。それはある意味で無限大だ。

これを有るというか無いというかは、実はどうでも良い問題だ。それをもって唯物論者と観念論者の分水嶺とするのは馬鹿げている。

経験批判論者との対立点はより実践的なものだ。それだけに対立の有り様は鋭さを帯びる。

それは不可知の「物自体」に対するアプローチである。物がモノとして消失したとき、そこには不確定性と運動だけが残る。一種の「無」であるがゆえに概念化はできない

それは概念化はできないが「概念」的操作はできる。概念としては把握不能であるが確率論的には存在証明が可能である。なぜなら運動はエネルギーを持つからである。したがって特殊な方法(量子力学など)での概念操作は可能である。そういうものとしての「概念」化もいずれ可能になるだろう。

これが一つ。

もう一つは、自己を相対化することである。とくに時間軸上でみずからも「一代の過客」であることを認識することである。不可知である「物自体」から見れば我々人類もまた不可知の「物自体」である。そういう出会いをもって世の中が成立していることに思いを馳せるべきであろう。



しばらく、川村さんの文章(エッセイ)を読む日が続きそうだ。

最初は「ロゴスとパトス」という文章。

1.心/精神と脳との関わり

驚いたことに、心を脳から切り離して、脳の関連外のものと考えている頑固な人がいる。自然科学者の中にもそういう人達はいる。

困ったものである。

2.神経・脳の進化

細胞の量の増加、それにともなう質的転換としての細胞分化はこのように生物を進化論的にみたときに観察される。

このあと進化の弁証法が語られるが、やや古めかしい。

3.マウス脳の発生学

脳室の壁を構成する脳室層には神経幹細胞(マトリックス細胞)がある。当初は対称性分裂を繰り返す。

胎生11日以降、幹細胞は非対称性の分裂をするようになる。

その一部は脳室層に神経上皮細胞として残り、他方はニューロンに分化する。

ニューロンは神経核や皮質を作る場所に移動し、そこに定着する。

胎生16-17日以降、ニューロンの産生はピークを迎え、その後はグリアの産生にきりかわる。

4.すべてをDNAが決めるわけではない

ニューロンごとの行く先が決まっているわけではなく液性因子により誘導されるようだ。

5.ロゴスとパトスを扱うための課題

1)言語野の構成と言語による認知/認識の機構

2)扁桃体/海馬/視床下部/前頭前野皮質を含む広範囲にわたる脳の構成と機能と機構

のより広範な知見の集積が必要だ。

6.扁桃体が情動に関わる価値判断システムの中核

① 内臓感覚、味覚、平衡覚など原始的なものを含むあらゆる種類の感覚が脳幹および視床から直接入力する。

扁桃体は大脳辺縁系に属する古い皮質や視床下部と密接に結合し、情動神経回路の中心的な位置にある

魚類、爬虫類の段階では、扁桃体に脳の主座が置かれている。

7.ロゴスの主座は言語野

感覚・情報処理は、認知システムと情動システムという相互に密接に関連した二重の構造のなかで把握される。

言語(ロゴス)中枢や情動(パトス)中枢をを研究するためには、関連物質(遺伝子や蛋白分子)の相互の関わり合いを追求することが大事だ。


率直に言わせてもらうと、ロゴスとパトスとの対立というのはあまりに観念的である。

大体が、「対立物の統一」などというのはスターリン的に歪曲された疑似「弁証法」である。

弁証法は客観的な弁証法と主体的な弁証法に分かれる。車に乗っているヒトの弁証法とそれを見ているヒトの弁証法である。

客観的に見れば、基本となるのは存在と過程の矛盾である。過程は絶対的であり存在は相対的である。しかし過程はエネルギーであり存在(質量)を抜きに語れない。

そしてエネルギーはビッグバン以来拡散する方向にある。いわばエントロピーの拡大方向にある。

しかし主体的存在(生命)にとってはエントロピーは逆方向を向いている。主体が存在し続ける限り、エネルギーの有機化が進み構造が高度化する。

これは「主体」が宇宙全体の動きに逆らうエネルギーを基盤としているからである。

つまり、弁証法を規定する基本矛盾は、

第一にエネルギーのあり方を巡る存在と過程の矛盾である。

第二に宇宙全体の流れに反逆する有機化の流れと、それを押し流そうとする無機化の流れの矛盾である。

第三に、付加的であるが、生命体が同時に、滅亡する存在であり発展する主体であることの矛盾である。


川村光毅さんという解剖学者が書かれた「猿が人間になるに当たっての労働の役割」の解説が非常に面白い。

川村さんの経歴はよく分からないが、1935年?生まれ、千葉大卒、最終職歴は慶応大の解剖学教授、2000年に退官している。

最初は精神科医を志したが、哲学的な解釈に嫌気が差して、神経解剖学の方に進んだようである。

唯物論的な志向の強いひとらしく、パブロフを敬愛していると言う。坂田の三段階論も見え隠れする。

いま私が志向している方向を進まれた先人である。

この文章で川村さんがもっとも関心を集中しているのは、「労働の役割」ということよりも「猿が人間になる」決定的なステップを同定することにある。

精神というのは脳が生み出すものである。それと同時に人間の脳が生み出すものでもある。

脳というのは神経細胞・神経組織の集合であり、脳の活動というのはその繰り出すインパルスの総体である。

神経そのものはヒドラの時代からすでに存在し、脊索動物に至って中枢神経系が確立する。(昆虫を除けば)

それが精神を生み出すまでに至ったのは、いくつかの画期的な段階があり、そのたびに脳が質的変化を遂げてきたからである。

マクロに見ればそれはきわめて明瞭である。しかし個別に見ていけば、その変化の過程にはさまざまな中間型があり、並列関係があり、グレーゾーンがあり、決してクリアカットではない。

そのような事象に埋もれてしまうと、核心的な質的変化を見失ってしまうことになる。

とくに精神とか心の問題で、それは顕著である。ヒトを獣性と神性に裁断するのは愚の骨頂であるが、それを逆手にとってサルとヒトを同一スペクトル視するのも、詭弁に類いする行いである。

進化の連続性と断絶性の問題、エンゲルス風に言えば「量から質への転化」というのは意外に悩ましい。

「労働の役割」も、何も労働でなくても、例えば言語でも、あるいは自然環境でも社会でも良いのである。

これはこれで、影響因子あるいはパラメーターの重み付けの話であり、別個の話題となるであろう。

そしてそれがエンゲルスの著書本来の主眼であろう。

“The Part played by Labour in the Transition from Ape to Man”

というやや控えめな題名がそれを表している。


後脳はどこへ行った

これで一件落着と思ったら、また一つ難題が出てきた。それで3脳→5脳問題は一応決着がついた。「後脳」と言っていたのは、正確には菱脳のことだった。菱脳が上下に分かれて真の「後脳」と髄脳に分かれた。

多分髄脳というのは延髄のことだろう。ところで後脳はどうなったんだ。解剖の教科書には載ってないぞ。

その代わりに中脳と延髄のあいだには「橋」という厄介なものがある。では橋が後脳の成れの果てなのか。

ここまで行くと、「お前、それでも医学部出たのか?」と怒鳴られそうだ。

学生時代から、このへんは苦手だったことだけは覚えている。果てしなく続く脳幹の横断面図、1枚の絵だけで20くらいは固有名詞が出てくる。それが全部でいくつくらいになるのか、それだけで気が遠くなった。

しかしこの際だ。やはり決着はつけておかないと。

まず後脳

後脳という項目は日本語版ウィキにも、脳科学辞典にもない。

グーグルで最初に後脳が見出しに入っているのは

後脳の進化に新たな知見という理研の「科学ニュース」という記事だ。ニュースと言っても2004年のアップだからキュースに近い。

理研の形態進化研究チームが、カワヤツメの後脳由来の神経をラベルして検索した。

その結果、ヤツメウナギの三叉神経と顔面神経の分布は後脳の分節境界をまたいでいることがわかった。

このことから、後脳の神経発生機構と分節化機構が異なるメカニズムのもとにあることが示唆される。

と言うもので、「あぁそうかい」というレベルの話。

その次が2014年のネーチャー誌、

後脳分節化のHox調節ネットワークは脊椎動物系統樹の基部に保存されている

と言うもので、奇しくも10年前の前記ニュースを裏打ちしたものだ。

ということで、後脳ではあまり期待できそうもない。そこで見出し語を菱脳に変えて検索する。

菱脳もウィキ、脳科学辞典ともに該当項目がない。

コトバンクにブリタニカからの引用があった。

…その先端部に肥厚肥大部が現れ,前後方向に3つのくびれが生じてくる。端脳,中脳,菱脳という。

その最後部の菱脳は後脳 (広義) ともいう。

発生が進むと菱脳は2つにくびれて,前方に後脳 (のちに小脳と橋に区分) ,後方に延髄ができてくる。

良かった。後脳と呼ぶのは間違いじゃなかったんですね。

次は世界大百科事典からの引用

菱脳とは、…三つの膨大部(脳胞)の中で,最も後ろの後脳胞をいう。

名前の由来は…えらに関係する神経が出入りして菱形に膨らんでいることから来る

どうも絵がないと話が見えてこない。

菱脳屈曲

この絵で見ると、かなり事情が見えてくる。

つまり後脳、すなわち菱脳はくびれというレベルではなく、ぐんにゃりと折り畳められているということだ。

そしてこの曲がったてっぺんが後脳と髄脳の境目だろうということだ。

菱脳

折れ曲がりがひどくなると、折れ曲がりを挟んだ上下部分が最後にはくっついて、中に空洞ができる。これが第4脳室になる。最後に蓋の役目をすることになるのが小脳だ。

これを背面から見ると、上の図のようになる。

ピエロの口のようだ。この唇に当たる部分は「菱脳唇」という。そのまんまだ。

この唇からさまざまな神経核が生まれて、最後に小脳が生まれる。どこかの神話にありそうな話だ。

…と勝手に話を作ってきたが、これから真偽の程を確かめてみよう。


なお、「小脳は後脳の一部だ」という記述があったが、それは違うだろうと思う。もしその言い方をするなら「大脳は視床(前脳)の一部だ」ということにもなってしまう。

菱脳と後脳の違い

恥ずかしながら、これまで菱脳と後脳の違いを知らなかった。

言い訳になるが、解剖学の授業の頃全共闘がバリケード封鎖していて半年間授業がなかった。

我々は半年間勉強しないで、いわば半年繰り上げ卒業した形になっている。私は学部1年生だったから、解剖、生理、生化学などの知識が欠落している。

神戸学院大学の解剖教科書にはこう書いてある。

1.単一の袋であった脳胞は、前脳胞・中脳胞および菱脳胞の3個の袋が頭尾方向に連なった状態となる。

2.脊髄の頭側に続く菱脳胞は、長軸を頭尾方向に向けた細長い菱形を呈する。これが菱脳という名前の由来である。

3.菱脳は頭側半の後脳(Metencephalon)と尾側半の髄脳(Myelencephalon)に分けられる。

4.こうして胎生第6週の終り頃には、脳の原基は頭側から尾側に向かって、終脳・間脳・中脳・後脳・髄脳の5部が連なった状態となる。

5.発生の早期にはまず菱脳が非常に大きくなり、ついで中脳が発育する。…この時期には前脳、特に終脳の半球胞の発育はなお弱小である。

まことに分かりやすい説明でありがたい限りである。ただし、3.の後脳と髄脳に分かれるのがいかに分かれるのか、なぜ分かれるのか、は不明である。

いづれにせよ、以上のことから、私の唱える「三脳説」の前脳・中脳・後脳の三点セットは前脳・中脳・菱脳と呼ぶか、あるいは終脳・間脳・中脳・後脳・髄脳の5脳セットと改称するかしなければならない。

私はそのいずれもとらず、強引に菱脳を便宜的に後脳と呼ばせてもらうことにする。上がモーニングで下が袴というのは私の美意識に反する。


以下は

中脳蓋-上丘を主として- (tectum mesencephali /superior colliculus)    車田正男、川村光毅

というページの学習ノート。

 

A 】 はじめに

四丘体は中脳の背側の領域を占め、上丘と下丘からなる。

ここでは視覚、聴覚の情報と、顔面、体幹、四肢などからの外来性の感覚情報とが入ってくる。

中脳断面
Spalteholz より転載

(著者は中脳蓋と呼んでいるが、中脳被蓋と紛らわしいので四丘体ということにします)

① 下丘

下等な脊椎動物の中脳には側線中枢というものがあり、それが発達したものと考えられる。(これは他の知覚系脳神経と同じですね)

両生類以上では側線中枢は蝸牛神経の二次中枢となり、やがて下丘を形成する。

② 上丘(視蓋)

上丘は哺乳類に特徴的なもので、他の脊椎動物では視蓋に相当する。視蓋は中脳の背側に位置する層状構造である。

視蓋は視覚の中枢として発達した。視神経線維のほとんど集中する。また脊髄、三叉神経核、側線・聴覚領域からも多くの線維が集まる。

哺乳類以下において、視蓋は視覚をふくめた外来性インパルスの統合中枢といえる。

哺乳類では視覚の最高中枢は皮質視覚領となり、上丘には視覚性反射機能のみが残っている。

③ 視蓋の構造

哺乳類以下の脊椎動物では、6層からなる。これは大脳皮質と同じである。

B 】 形態学

上丘は神経線維と神経細胞により構成される。帯層~視神経層からなる浅層とそれより深部の深層に大別される。

浅層は網膜や大脳皮質視覚領などから入力を受け、外側膝状体や視床後外側核へ線維を出している。

これに対して深層は網膜からの入力を受けず、脊髄から大脳皮質に至るきわめて広範囲の領域から線維を受けている。

深層からは視床膝状体上核などへの上行路のほか、橋、延髄、脊髄への下行性線維がおこる。

1)上丘浅層

浅層はさらに上半部と下半部に細分される。網膜からの線維の多くは浅灰白層の上半域に終り、皮質視覚領からの線維は主に浅灰白層の下半域に終る。

外側膝状体へ投射する神経細胞は主に浅灰白層の上半域に分布する。視床後外側核へ線維を出す細胞はほとんどすべてが浅灰白層の下部1/3域にみられる。

上丘内結合も多く見られる。

1)上丘深層

① 大脳からの入力

深層は大脳皮質の広い領域から線維を受ける。またきわめて多くの皮質下領域からの入力を受ける。

② 下部脳幹からの入力

黒質網様部(GABA作動線維)や三叉神経知覚核からの入力を受ける。

オリーブ核、脊髄、外眼筋支配運動核周囲領域などに出力する。

C】 結論

上丘の機能的役割としては、知覚性視覚系(上行性)と運動性視覚系(下行性)とを第一義的なものとみなしうる。

しかし体性感覚や聴覚など他の感覚様態の機能との関連もある。これについては今後の検討課題である。



私の感想

系統発生的には次のように言えるだろう。

中脳(上丘)はもともと、さまざまな体性感覚の集中点であり、一次処理工場であった。

上丘が視蓋と呼ばれた時代、それは「視覚をふくめた外来性インパルスの統合中枢」であった。

それは上丘の深層に残されている。多彩な神経細胞が下からの入力を受け一次処理をしている。

これらのうち三叉神経からの入力と脳幹網様体からの入力が重要である。ただし脳幹網様体からの入力はいったん黒質での処理を受けており、黒質とのやり取りでかなりの情報が処理され、出力されている可能性がある。

三叉神経についてはほとんど情報がない。今後の研究が待たれる。

聴覚については、その後下丘で一次処理が行われ、内側膝状体に上行するようになり、上丘の意義は薄らいだ。

これら一次処理された情報は視床(外側膝状体)に向けて上行する。

上丘深層と大脳との関係は、目下のところ私にとって関心外である。

おそらく脊椎動物の比較的初期の段階において上丘は視神経の受け皿となった。その結果、上丘浅層が大いに発達した。

中脳の発達した動物において上丘浅層の肥大が確認されれば、これが証明されることになるが、まだ文献を見つけていない。

ここがよくわからないのだが、視神経は視床からろくろっ首のように伸びていったとされているのに、どうして視神経の終末が上丘になるのだろうか。

解剖の本はこういう話は無視する。

それはともかく、系統発生から見れば、まずは視神経からの入力と視床への出力が最初だろう。そのあとに外側膝状体→大脳視覚野への出力と大脳からの入力がメインになっていく経過ではなかろうか。

どうもこれが形態学的検討とスッキリ一致しない。入力と出力がたすきがけなのである。

鑑みるに、大脳との連絡は今まで考えていたより古くからあったのではないか。つまり大脳というのはもっと昔、三脳が完成して間もなくの頃からあったのではないか。

いまのような大脳ではなく、嗅脳とか松果体とかいわゆる「外付け機能」として存在し、そことの連絡とも古くから開けていたのではないか。

というのは、上丘深層の記述にこういう記載があるからだ。

深層は大脳皮質の広い領域から線維を受ける。またきわめて多くの皮質下領域からの入力を受ける。

だとすれば、

網膜からの線維の多くは浅灰白層の上半域に終り、皮質視覚領からの線維は主に浅灰白層の下半域に終る。

という記載も理解できる。


なかなか上丘に関する文献そのものが見つからないから、この点は疑問として残るだろうが、折々気をつけて探していきたいと思う。


小泉英明さんという人の書いた「脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 」という本を読んだ。

素人向けの本で私にも読みやすい。2、3時間で読めてしまう。

この人は日立でf-MRIや光トポグラフィーの開発に関わったヒトで、出身系列的には工学者ということになるのだろう。

その後は、「心と脳の科学」という領域に飛び込み、脳研究の組織・コーディネートに関わる一方、けっこう啓蒙書を書き飛ばしているという人だ。

ある意味では「脳科学の大御所」と目される存在である。

世にはびこる似非脳科学には批判的だが、実際にはきわどいところを渡っているという面も持つ。こういう道を選んだのは、養老孟司さんの影響だと言うが、たしかに似たようなところがある。

1.言語には時制観念が不可欠

読後感としてあまり強い印象はないのだが、言語把握の問題で面白い箇所があった。

それは、言語理解としては時制の問題が大きいということだ。時制の概念があるから言語が階層構造を持ちうるのだと言う。

言葉は単語の連なりだ。かんたんな応答ならたしかに単語を並べるだけで用は務まる。

我々が外人と喋るときはほとんどこれである。

しかしきちんと話さなければならないときはやはり述語を持って終止しないとセンテンスにはならない。

ところが、この述語というのは多くが動詞だ。つまりなんらかの動作である。動作でないときはbe動詞、つまり一定のあいだその状態が続いて“ある”ということになる。

これ自体、時制の観念なしには不可能だ。

入れ子構造になる「複文」では、二つの時制を構築しなければならない。

これらはチョムスキーの言語学の原理なのだそうだが、つまり単語を並べるだけなら猿でもできる。哺乳類や鳥類でもやっているかもしれない。

しかし、それが言語として成立するためには、時制の観念が不可欠なのだということである。

2.時制の観念を生み出したものは何か

小泉さんの話は、ここから「未来の概念」という方向に進んでいって、子供の教育の話になっていくのだが、目下のところそれより先に片付けねければならない問題がある。

それは「時制の観念を生み出したものは何か」ということである。

人間には体内時計があるといわれる。これは朝になると目が覚め、体温が上昇し、活動性が上がってくるというような自律神経の日内リズムのことだ。

しかし、言葉における時制はそれほど悠長なものではない一刻一秒の単位での時制だ。

それはやはり視覚の背側路からMTへとつながる、視覚の動画化以外にないのではないだろうか。これによって人間は時間を秒単位で認識できるようになった。

それだけではなく、時間の観念、ひいては過去や未来という「時空間」の概念を獲得したのではないかと思う。

もちろんそれは言語を身につけることを目的として獲得されたのではない、「旅」のため、オリエンテーリングのためだ。

時間感覚は空間感覚とペアーの形で獲得された。そしてこの時間感覚を利用することで、単語という空間感覚が前後の時間感覚の中で整序され、そのことで時制観念が生まれたのではないだろうか。

3.心の問題は今やる必要はない

脳科学者はすぐ「心」の問題に行きたがる。それは小泉さんも同様だ。

だからこういうことができるかもしれない。「脳科学」というのは、脳と心の関係をきわめる学問だ、と。

そうであれば、目下は私の関心領域ではない。私にとってまずだいじなのは、感覚入力の処理法をきわめることだ。

これと並行しながら、人間的認識としてそれらが統合されていく過程も追求されなければならない。しかしそれは知覚情報の処理についてある程度の知見が集積しなければ空語になってしまう危険がある。

人間的認識についての一定のコンセンサスが出来上がれば、この一連の過程を突き動かす駆動力についての議論と、初めて本格的な突き合わせが可能になってくる。

その時、初めて心(前頭葉)の問題が語られるようになるのではないか。

繰り返すが、脳というのは巨大な情報処理装置だ。そしてその情報というのはまずもって「感覚」として入力される。

だから、ざっくり言えば脳は感覚処理装置なのだ。

我々はここから知見を積み上げ、構築していくしかないのだ、と思う。


一応聴覚について基礎的な知識を理解しておこう。

1.耳から神経へ

http://bunseiri.michikusa.jp/ というサイトに分かりやすい説明があるので、ここから拾って他の資料も少し加えていきたい。
ear

外耳は耳介と外耳道だ。鼓膜から奥が中耳になる。ここは基本的にはがらんどうの組織で、3つの耳小骨が鎮座している。デシベルを稼ぐところだ。

耳小骨が付着するのが蝸牛窓。ここから内耳になるが、聴覚に関係するのは蝸牛のみだ。三半規管は内耳に元からいる大家だ。

cochlea

蝸牛の断面で、上と下は共鳴箱。真ん中の蝸牛管が本体だ。ここに充填されたリンパ液が耳小骨からの振動を受けて波を作り出す。これを有毛細胞がそよぐことによって感知し、電流を発生する。リボン型マイクの原理だ。

2.蝸牛神経から蝸牛神経核へ

電気信号に変換された聴覚刺激は神経系を上行し始める。

これが寄せ集められて蝸牛神経となり、脳に送り出される。ここからが七面倒臭い。4回もニューロンを変えるのだ。

choden
1次ニューロン: 蝸牛から蝸牛神経核へ

2次ニューロン: 蝸牛神経核から上オリーブ核へ

3次ニューロン: 上オリーブ核から下丘へ

4次ニューロン: 下丘から内側膝状体へ

5次ニューロン: 内側膝状体から皮質聴覚野(第一聴覚野)へ

なぜそんなことをするのか分からない。多分聴覚刺激が関係各方面に配布されているのであろう。

ということは逆に言えば、聴覚刺激はかなり複雑・多彩なやり方で人体に受容されているのだろうと思う。

3.「内耳神経」について

これまで聴神経と言ってきたが、考えてみると、この言い方はどこから出てきたのか。

学生時代には内耳神経と習ったはずだ。

解剖学にはいくつかの語呂合わせというのがあって、掛け算の九九のように憶えさせられる。

12の脳神経もその一つで、

「嗅いで視て、動く車の三つの外、眼内舌咽、迷う副舌」というのだ。この内の「内」というのが内耳神経(第8脳神経)だ。

だから解剖のときは内耳神経と憶えたはずなのだが。

それに内耳神経を聴神経というのはほとんど間違いなのだ。内耳の二つの働きである蝸牛神経と前庭神経がたまたま同じ船に乗り合わせたに過ぎない。

これを聴神経と呼ばれたのでは、前庭神経の立場がない。

これからは蝸牛神経と呼ぶことにする。内耳神経という言葉にはあまり意味はない。内耳から出てくる神経だというだけの呼び方である。同じ船に乗っていると言うなら、顔面神経もあわせて3本セットで憶えておいたほうが良い。

神経というのは基本的には上下に走っているので、横断面にはあまり意味はない

4.外側毛帯という核付き伝導路

蝸牛神経の終点は蝸牛神経核、その後いったん交差して体側の外側毛帯に行く。いずれも三脳構造から言えば後脳である。交差するのは多分ステレオ効果を作るためであろうが、全部の神経が行くのだろうか。

外側毛帯というのは名前のとおり、帯であり基本的には街道であるが、その中に神経核が散在していて、めいめいが適宜休憩する形をとっている。東海道中で今夜は府中に泊まるか鞠子に泊まるか、宇津ノ谷峠を越えて岡部で頑張るかという具合である。

健康生活情報.comより転載nerve2_600


5.第一次聴覚中枢: 下丘(中脳)

外側毛帯を通り終えると中脳の下丘(中心核)に着く。ここまでは聴覚情報はほとんど生のまま送られるが、ここでかなりの下処理が行われる。

ひとつは、音の周波数弁別,音の高さ,音声言語,聴覚空間の認知など当座の使用には差し支えない形にブラッシュアップされる。

もう一つは、体性感覚,顔面知覚,視覚などほかの感覚入力とのすり合わせである。

下丘へは上行性と下行性,さらに下丘内から局所性に多様な入力があり,これらが統合的に処理されている。(脳科学辞典 ただし、とりあえず委細省略)

進化のある段階までは、下丘が聴覚中枢であったのかもしれない。この辺はより深く追究してみるべきだろう。


6.内側膝状体(前脳)

聴覚の旅はまだ続く。今度は視床の内側膝状体である。外側膝状体といえば視神経の中継地であるが、その内側に位置するということは視覚と聴覚の重要性を示しているのかもしれない。

脳科学辞典では次のように記されている。

大脳皮質聴覚野へ送る聴覚情報の選別が内側膝状体の主な機能であると考えられている。

要するに独自の働きはほとんどわかっていない、ということである。著者もこう言っている。

内側膝状体や聴覚野に至らずとも下丘までで基本的な聴覚情報処理はされている

…現在知られている知見を持って内側膝状体の担う聴覚情報処理機能を断定することは非常に難しい。

そして分かっているのは、大脳(聴覚野)行のフェリーターミナルだと言うだけだと告白している。

3つの亜核があり、腹側亜核がメインである。背側亜核と内側亜核は他の部位から修飾的な情報を得ている。

ということは毛帯→下丘から送られてきた原音にメーキャップを施して“音らしくする”ことに意味があるということになるのか。これは例えば音楽などでは重要な機能になるであろう。

ただし「内側膝状体内の亜領域同士の結合はない」とされているので、作業場というよりは倉庫に近い存在なのかもしれない。

この辺も、進化の目で見直して見る必要があるのではないだろうか。

7.大脳聴覚野

そこで次に川村光毅さんの「音楽する脳のダイナミズム」というページ。

周波数分析は中脳の下丘のレベルで完成します。間脳と大脳皮質のレベルでは、スペクトルの弁別がなされます。

第一聴覚野(コア領域)は各振動数に対応した単純な音をうけとります。この周辺の内側帯部→外側帯部→傍帯部では聴覚処理の内容が高められます。

ヒトの脳では、聴覚連合野の後方に連続して感覚性言語野(ウエルニッケ野)が存在し、聴覚野からたくさんの線維を受けています。
文章の性格上、情動と関係する神経連絡が詳述されているが、ここでは省略する。

なお、この文章に付された図はとても良い。(画面上を左クリックするとはっきり見えます)
視覚と聴覚の情報処理の流れ
とても良いというのは視覚イメージの流れが上手く整理されているからだ。とくに最終イメージとしての「形・動き・視空間」という三位一体はストンと落ちる。

右側の「聴覚仮説」についてはなんとも言えない。多少視覚イメージ構築プロセスからの強引なアナロジーと感じさせるふしもあるが、それ以上言えるだけの根拠がまだ持てていない。

ただ、視覚に勝るとも劣らない複雑な分析・統合システムがあることは間違いなっそうだ。



脳神経の研究史
紀元前4世紀から21世紀まで、脳研究2500年の歴史を辿る
というファイルを中心に、いくつかのデータを寄せ集めて、とりあえず作成してみた。
自分としては不満が残っており、いずれ増補していきたいと思っている。

BC1700 古代エジプトのパピルスに「脳が知覚や運動機能などと一定の関係を持つ」との記載。(エドウィン・スミス・パピルス)
papirus

BC400頃 ヒポクラテス、『神聖病(=てんかん)』の原因が脳にあると記載。呼吸によって取り入れられる精気をこころの担い手と考える。
脳によって、そして脳だけに、快楽、喜び、笑い、戯れが生まれ、同時に、悲しみ、痛み、憂いも生まれる。
BC387 プラトンは、叡智の心は頭の中にあるとして、脳は精神作用の源であると述べた。これに対しアリストテレスは、思考と感覚を司る器官は心臓であり、脳は冷却器にすぎないとする。
BC300頃 古代ギリシャの解剖学者ヘロフィロス、脳と脊髄に神経が集中していることや、4つの脳室が4つあることを発見。第4脳室に心の座があると考えた。
BC170頃 ガレノス、ヒトの脳を解剖。流体に満たされた脳室を発見。3種類の流体(霊気)がヒトの行動を制御しているとする。また動物の解剖から、大脳が感覚を受容し小脳が筋肉を制御していると推測。
AD5c~ キリスト教 人体の解剖を禁止。医学の発達が止まる。ガレノスの解剖学が1千年にわたり金科玉条となる。
1500頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ、脳の解剖図を描く。ワックスを注入して脳の鋳型を作ったといわれる。ダ・ヴィンチの人体観そのものはガレノスの学説を脱却せず。
1543年 ヴェサリウス、「ファブリカ」(人体構造論)を出版する。脳室の位置と形を正すなどガノレスの約200ヶ所の誤謬を修正。
17c デカルトが「心身二元論」を発表。ヒトの体は機械であると考え、松果腺を精神の世界と身体が繋がる場所とした。
18c ウィリスとレン、神経機能が血流に依存することを示す。
18c末 フランツ・ガル、『骨相学』を唱える。大脳の各部がそれぞれ特定の機能を有しており、頭の形を見れば頭脳の特徴が分かると主張。脳の機能局在論のきっかけとなる。
1848 フィネアス・ゲージのケース。事故による前頭前野を損傷。事故後、性格が一変し抑制が効かなくなる。このことから、前頭葉が情動の抑制や常識的な判断と関係していることが知られる。
1861 ブローカ、左前頭前野後半の損傷で運動性失語が起こることを発見。
ダーウィン、人間の情動には動物の名残があると主張。ロマネス、動物行動を観察する中で比較心理学を樹立。
1870 ドイツのフリッチュら、サルの大脳皮質の一部に電気刺激を与え、筋肉を動かす部位を同定。
1873 イタリアのカミロ・ゴルジ、硝酸銀を用いて細胞を染色。細胞どうしの境界を明確に観察。神経網状説を唱える。
スペインのカハールは、神経が直接つながっていないことを確認。神経細胞の情報の流れには入力と出力があるとするニューロン説を唱える。脳細胞は動物種によらず類似していることを指摘
1874 ウェルニッケ、発話はできるが相手の言葉が理解できないケースを報告。患者の側頭葉に障害があったことを確認。
1875 イギリスのリチャード・カートン、神経細胞の電位を発見。
1878 イギリスのデーヴィッド・フェリエ、サルの脳の各所に電気刺激を与え脳地図を作成。
1886 フロイト、精神分析を提唱。フロイドには多くの異論が現れた。アドラーは性欲より劣等感や優越欲を重視、ユングはリビドーを性欲を超えた生命エネルギーとする。
1902 パブロフ、条件反射のセオリーを提起。ジョン・ワトソンは刺激と反応の観点から行動主義を提唱。
1906 アルツハイマー病が発見される。
1906 ゴルジとカハールがノーベル賞を共同受賞。
1909 ブロードマン、層状構造の違いにもとづいてヒトの大脳皮質を52の領野に区分(ただし9つの欠番がある)
1924 ハンス・ベルガー、脳電位の存在を確認。
1932 電子顕微鏡の開発。カハールのニューロン説が確認される。また神経細胞が細胞体と軸索、樹状突起より形成されることも確認。
1934 ロボトミー(前頭葉白質切除)手術の普及。50年ころにはてんかんに対する脳梁切断術。これにより脳機能が詳しく解明される(副作用として)。
50年代 クロルプロマジンが臨床に導入される。少し遅れて三環系抗うつ剤も使用開始。
1952 カナダのペンフィールド、ホムンクルスを作成。
ホムンクルス
1953 海馬摘出術を受けた患者で、記憶能力が喪失することが判明。
1960 ポール・マクリーン、大脳辺縁系を提唱。三位一体説を唱える。
1963 神経幹細胞が発見される。ここから神経細胞とグリア細胞が分化。
1970 ハンズフィールドら、X線CTを開発。
1975 ドパミン遮断薬による統合失調の治療が始まる。
1980 PETの臨床応用が始まる。各種行為と脳の活性化部位について知見が集積。
1982 アルツハイマーの病因としてβアミロイドが特定される。
1983 鳥成体の大脳、哺乳類の海馬などにおける神経の新生が発見される。
1990 MRIが開発される。
1992 fMRI(機能的MRI)により各種行為時の脳局所血流変化を非侵襲的に調べることが可能になる。
1993 光トポグラフィーの開発。小型の装置での測定が可能となる。
2006 iPS細胞を使った神経細胞の再生の試みが始まる。

「脳科学」の言葉が拡散している。
なにかと便利だから、私も使う。そもそもがそういう言葉である。
例えば循環器医はしばしばみずからを「心臓屋」と呼ぶ。そのほうが人には分かりやすいし、扱う範囲のだいたいが心臓絡みであるからでもある。
そういう通称だけではなく、教科書も「循環器病学」という名前の他に、「心臓病学」というのもあった。上田英雄著だった。英語だとハーストの「ザ・ハート」というのが標準だった。
しかし「脳科学者」といわれる人が「脳科学」の名のもとに展開する議論は、ある種のいかがわしさを感じてしまう。
だいたい脳の研究というのは生物学研究者が担うべきものである。病気に絡めば医学の対象にもなるが、医学というのは一種の生物学だから矛盾はしない。
ところが最近、心理学者や工学者が闖入してきて、ずいぶんと引っ掻き回してくれている。理由はCT以降次々と新技術が開発導入されて、これに伴い新知見が山のように溢れて整理がつかない状況になっているからだ。それに大学が独立行政法人化されて、みんなが業績の宣伝に狂奔しているというご時世もある。
「心理学」というのがだいたい図々しい名称であって、「心の理」というのはそもそも哲学者が担うべきものである。と言いつつもすでに市民権を獲得してしまったから仕方なく使うが、研究対象が「心」である限りにおいてこれは科学ではない。
三木清は「幸福論」で次のように書いている。
以前の心理學は心理批評の學であつた。それは藝術批評などといふ批評の意味における心理批評を目的としてゐた。
人間精神のもろもろの活動、もろもろの側面を評價することによつてこれを秩序附けるといふのが心理學の仕事であつた。この仕事において哲學者は文學者と同じであつた。
…かやうな價値批評としての心理學が自然科學的方法に基く心理學によつて破壞されてしまった。

2013年11月09日 三木清「幸福について」を参照されたい。

「心」などという実体はない。ただいろいろなものの統合された抽象概念としては存在しないわけではない。しかしその捉え方は千差万別であり、定義などできようもない。ほんわかと包みながら概念操作していくしかないものである。私は「心」という言葉の入った「脳科学」論文は、それだけで読まないことにしている。
彼らは心理学的手法を用いる彼らの学問こそが脳科学なのと主張しかねない勢いである。
かつて「心理学」の名を奪い取った彼らの厚かましさからすれば、「脳科学」を心理学の名称にしてしまう可能性は大いにある。彼らの後ろには無数の大衆がおり、彼らの支持する巨大メディアが控えているからである。
中野信子さんという方が美貌の脳科学タレントとして活躍されているが、医学も心理学も、率直に言わせてもらえば自己流である。
理研のボスでノーベル賞をとった利根川進さんという人がいる。この人は免疫学者だと思っていたが、いまや「脳科学」の旗を振っている。海馬の記憶機能の研究が主体のようだ。題名を見ての判断だが、この人のやっていることは生物工学だ。心理学者がネズミに餌をやるように、この人は海馬にいろいろ粉をふりかけてどう反応するかを見るのが専門だ。あわよくば“記憶物質”を探し出そうという魂胆だ。
一種の工学的発想で、これと言った哲学はない。無思想こそが科学だと誤解しているフシがある。

そのうち、脳神経系の研究は脳科学の一分野とされ、「大脳生物学」と呼ばなければならなくなるかもしれない。私はその中の一分野である「脳歴史学」に興味を集中させていくことにしよう。

聴覚の勉強を始める前に、すでにブルっている。
視覚のインテグレートの際にえらい苦労をした思い出が蘇ってくるからだ。
後頭葉の第Ⅰ野から始まって、第Ⅱ,第Ⅲと進むうちにワケが分からなくなってきた。
“WhatとWhere”の概念に引きずり回された。これはそもそもおかしいと思い始めた。Whatは代名詞であるが、Whereは副詞だ。これではアルゴリズムが成立し得ない。
そこで、Where と称するものの中身を吟味してみた。
最終的に気づいたのは、Whatというのは実体の認識であり、Whereというのは過程の分析であるということだ。
だからWhere(背側視覚路)はHowという方が正しい。そこには時間軸がふくまれてくる。
ということで、MT,MSTは視覚対象に動きを与える、言い換えれば時間軸を与える操作をしているのだと考えた。
それはいかにして行われるか。動画化だ。おそらく1秒に数十回の画像が作成される。それに見合った期間、MST周辺に「残像」として蓄えられ、次の画像にリレーされる。
これにより視覚は連続性を実現すると同時に、時間感覚を与えられる。
その結果視覚対象はどこからどこへ、どのくらいの速さで移動しているかが認知できる。
視覚対象に動きが与えられるということは、見ている主体にとって対象に意味が与えられるということでもある。意味が与えられないのはゲルストマン徴候の特徴である。ただその意味についての吟味は前頭葉の助けが必要となる。アパシーは頭頂葉の責任ではない。
視覚に時間軸が与えられることは、文字を読む上でも必須の条件となる。
これにより文字群を一連のシリーズとして認知できることになる。そして視覚が時間軸を持つことにより、時間軸いのちの聴覚性言語との結合が可能となる。
それは角回のウェルニッケと隣接した頭頂葉領域で行われることになるだろう。

と、まずはここまでの勉強の成果をおさらいした。
今度はこれを聴覚の側から見ようというのである。いかに気の重い作業であるかがお分かりいただけたであろうか。


10月4日
高次視覚の話は流れを重視したために、記憶に頼って書いてしまった。その後読み直すとかなり間違があったので補正する。


視覚には4つの視覚野が存在する。順を追って説明する。

A 網膜

最初の二つは別に難しくない。まず光刺激は網膜上に像を結ぶ。これ自体がデジタル画像だ。視神経の末端が張り巡らされ、それぞれが一つの画素となり全体として一つの絵を構成する。デジタルカメラと同じである。

この画像(画素の集積)は外側膝状体に集約される。大脳新皮質のない生物では画像は直接中脳へと送られる。高等動物ではシナプスを変えて後頭葉の視覚野に投射される。

B 第一次視覚野(V1とV2)

後頭葉の後端に画像がそのまま再現される。なぜ二度手間をかけるかというと、画像を高次処理するためである。

V1では白黒画面となり、V2がこれに色彩や質感を与えるようである。むかしで言うテクニカラーの要領かと思われる。

これから先は、不確定で用語も一定しない。一応ウィキの説明に従うと、V3(3次視覚皮質複合体)で画像は使用目的に応じて二種類にわけられる。

これを腹側路、背側路という。多分最初にできたのは腹側路だろうと思われるので、そちらから先に説明する。

C 弁別視覚(What系)

高次視覚がなぜ必要かというと、見えたものから生物にとって情報を取捨選択するためだ。いずれにしても画像は極端に圧縮される。作業用メモリーの容量に規定されているのだろう。高次だからきれいというわけではない。

高次視覚には二つある。一つは自分が注目しているものが何者かという情報である。そしてもう一つはそれがどう動いているかという情報だ。

前者をここでは弁別視覚と呼ぶ。私の造語である。

これはV3,V4で行われる。V3は本来こちらの機能であったのが、背側路の分岐点ともなった。これが腹側路の方が古いとする根拠である。

弁別視覚には立体視も入るらしいが基本的には「パターン化」だ。それが「シンボル化」されれば文字を読むことにもつながる可能性がある。

これは後下側頭連合野に像を結んだあと、最終的には海馬に蓄えられ、過去の経験と突き合わせて弁別される。このあたりは嗅覚の弁別機序と似ている。

D 動態視覚(Where系)

もう一つの高次視覚が動態視覚である。これも私の造語である。

こちらの視覚はV3からニューロンを受けてMT野(V5ともいう)に向かう。みっしりと高速神経(有髄線維)が立ち並んでいて、多くの場所に神経がつながっている。

ここがもっとも問題の場所で、少し詳しく話しておく。

まず結論から言うと、背側経路は画像の“動画化”の機能を持つのだろうと思う。すなわち連続した画像を流すことにより、画像情報に時間軸を与えることである。静止画と比べた動画の長所は色々ある。思いつくままにあげてみよう。

1.絵の中の目的とするものが動く。「どこ」だけをとってみても、どこから、どこまで、どんな速度でと色々だ。

2.時間経過が分かる。いつから、いつまで、

3.変化がわかる。何が何へ、どのように、

4.見ている本人の変化がわかる(客観的座標があれば)。眼球がどの位置で、どの傾きで、どこを向いているかなど

これはじつはどの文献にも書いてないことだ。

動態的視覚はものを見て識別するという視覚本来の機能ではない。視覚に動態感覚を与えるためには静止画像をつなぎ合わせ“動画化”することが必要だ。

静止画像は「残像」として短期貯蔵される。その間に次の静止画像がインプットされれば、画像は連続画像となる。走馬灯のようなものである。

ではMT野でどのような作業が行われているのか。これは実のところよく分からない。だから上に述べたことはただの当て推量だ。

いくつかの知見を紹介しておく。

これはMT野というよりもう頭頂葉だが、AIPというエリアが見つかった。ここでは視覚が運動と結びついて「どう体を動かすか」という作業が行われているらしい。これを視覚的コントロールと呼ぶ。これに隣接するCIPでは立体視に関わっているという。



聴覚の発達・進化

勉強を始めるにあたっての問題意識

もともとは振動覚であろうが、嗅覚が味覚から分離したように聴覚も振動覚と分離し特化した。
しかし嗅覚に比べると、聴覚ははるかに複雑である。
我々は身近に録音・再生装置を持っているから、それとの比較で聴覚を考えてみよう。基本は①マイクで音を拾い、②これを電気信号に変え、③さらにそれを機械的エネルギーに変換し、④それを記憶媒体に刻み込む。これがレコードである。再生はこの逆の過程をとる。
オーディオの性能(スペック)は①Fレンジ、②Dレンジ、③時間分解能、④S/N比で示される。まずはこのハード面での進化を見なければならない。
しかしそれだけではない。音を聞く(脳の中に音像を展開する)という能力の他に、音をつながりとして理解する能力、それを信号として翻訳する能力も必要とされるからである。さらに受容→応答という循環の中にインテグレートする能力も問われるであろう。ついでながら音のつながりを音楽として主観化する能力も必要だ。
聴覚はいわば振動覚から聴覚(ハード)、そして意味付け(OS)というホップ・ステップ・ジャンプのバージョンアップを達成してきたのであろうから、3脳型モジュールを基礎に、積み上げ型の理解を心がけようと思う。

最初は下記の講演から
岩堀修明 特別講演「聴覚器がたどってきた道
Otol Jpn 23 ( 1) : 51- 54, 2013

原索動物(ヤツメウナギ) 内耳に相当して半規管(三半規管に至らない)が出現。側線系の特殊化したものとされる。
魚類 側線系が発達し振動覚が強化される。三半規管が完成するとともに、内耳の耳石器を構成する有毛細胞の中に、振動に対して反応する細胞が分化。次第に周波数の高い振動にも対応するようになる。耳石器(ラゲナ、球形嚢)が魚類の聴覚器に進化する。嗅覚とは異なり聴覚(の原型)はすでに魚類に存在していたということになる。最初は三半規管の間借り人だったわけだ。
水の密度は空気の1千倍あり、音波のエネルギーも強いため、ゲルマニウムラジオでも十分対応可能だった。また高周波の音は、どうせ吸収されてしまうので感度は低くても構わなかった。
魚の耳
約3億5千万年前 両棲類に始まる陸棲動物が誕生する。聴覚器につながる伝音機構(中耳・鼓膜・耳小骨)が形成される。最初の耳小骨はアブミ骨のみ。内耳にはコルチ器を備えた蝸牛管が分化する。
大仕掛けな改造が施され、これによりエネルギーの小さい空気の振動、高周波の振動を受容することが可能となった。耳小骨は他所の家からアタックしてきたらしい。とられたほうがどうなったか詳細に解説されているが省略。
ほかに大事なことは、「声」を獲得したことだ。聴覚は「声」とあわせコミュニケーションの手段となった。

爬虫類 鼓膜の外側にくぼみをつくって、鼓膜に音波が集まるようにする(外耳道)。これは哺乳類にも受け継がれている。

哺乳類 外耳道の外に耳殻(耳介)ができ集音機能が強化される。アブミ骨の他にキヌタ骨とツチ骨が形成され、3点セットとなる。これもアタックしてきたようだ。蝸牛の有毛細胞の可聴域は100~1万ヘルツに拡大。
耳小骨

大脳の原基としての嗅脳を調べるということで、これまでやってきた。

結局、いまだによくわからないことが多い。情報は少ない。文献をいろいろ探してもほとんど触れられていない。

1.ニオイは記憶装置とセットで認知される

ただ五十嵐さんの研究により、嗅内皮質という領域が一次中枢であることがわかった。別の文献では外側嗅内野と表現しているが、まぁ細かい話はどうでもいい。

嗅覚も視覚や聴覚と同じく視床で統合され、さらに前頭葉で総合的な評価を受けることになるが、これは別の話だ。

そして嗅内皮質は情報を海馬に貯められた過去の経験と突き合わせ、評価する。

したがってニオイの知覚というのは、そのまんまではなく「陳述的な情報」として発信されていることになる。

これは他の感覚が生データとして視床に入ってくるのとは様相を異にする。

2.ニオイは暗証番号で受容される

ニオイの受容の機序は、比較的最近になってから解明された。驚くべきことにニオイ受容体は数十種類があり、これらの組み合わせとして認識されている。

つまりいわば「4ケタの暗証番号」として情報が形成される。(すみません。まだ完全には理解していません)

嗅神経を通って嗅内皮質に送られてくるのは、この「4ケタの暗証番号」である。この暗証番号を海馬にある過去データと照合するわけだ。

3.嗅覚は後付け・外付け機能だ

サカナにも嗅覚があるといわれる(聴覚もしかりだ)。

しかしこれは嗅覚ではない。気体中の微小物質を嗅ぎ取る能力は、動物が陸上に出てから獲得したものだ。

とりわけ夜間行動を強いられた初期の哺乳類が、進化の過程で発達させたものである。

だから既存の前脳・中脳・後脳の3脳構造の中にはないものだ。

居場所がないから前脳の上に居場所を作った。前脳(視床・視床下部複合体)は「判断・評価の過程は任すから、とにかく結果だけ教えてくれ。手足はこちらで動かす」ということになる。

4.この方式は聴覚にも応用された

嗅脳の外付け方式は、聴覚にも応用されたはずだ。もともと聴神経は第8脳神経として後脳にターミナルを持っている。

その起源は魚類の側線の中枢だろう。しかし側線がほかの皮膚感覚より敏感だとしても、しょせんは振動覚だ。しかも感じ取るのは水圧の変化だ。

空中での音圧はレベルが違うと思う。だから専門の器官(とりあえずは平衡器官への相乗り)でFレンジとDレンジの拡大を図ったのではないだろうか。(耳骨の構造と鼓膜、アブミ骨の面積比で音圧が約22倍に増幅される http://bunseiri.michikusa.jp/cyokaku.htmより)

とくに耳小骨の形成により可聴音域が広がり、音が言語=信号として用いられるようになると、情報量も増えるので、後脳のキャパでは到底追いつかない。

そこで側頭葉~角回へと別館作り、外付け情報センターづくりが進んでいったのではないか。

そのさい、旧脳に間借りしたのか、別途建設したのかは分からない。

ということで、聴覚についての勉強に移行することになりそうだ。


両生類の年表を作成してみた。とりあえずこんなところで。
肝心なことは、サカナが陸に上がってどんな感覚・装置を身に着けたか、それが脳の発達とどのように結びついていったかということなので、必要があれば補充するということにしたい。

地質時代区分

約4億2千万年前 古生代シルル紀後期に最古の陸上植物や陸棲節足動物(ユーリプテルス)が発生する。
約3億8000万年前 古生代デボン紀 地上に森林が形成され、昆虫が発生する。肉鰭綱(肺魚類)から進化した総鱗類のユーステノプテロンは、乾燥に強い皮膚を持ち、陸に上がれるようになる。
普通の魚は硬骨魚綱→条鰭類である。これに対しヒレの内部に硬い骨格があり、筋肉が発達しているものを肉鰭類と呼ぶ。
約3億6000万年前 古生代デボン紀後期 両生類が登場。総鰭類の筋肉質の対鰭が両生類の四肢となり、うきぶくろが肺となる。
最初の両生類はアカントステガと呼ばれる。全長約60センチメートル。ときに陸に上がって捕食していた。
Acanthostega
陸上生活への適応は不充分であり、皮膚呼吸に頼るため水辺への依存度が強い。特に幼生は、一般に水中生活をいとなむ。
約3億5,000万年前 古生代デボン紀後期の大量絶滅。海中生物が中心。
約3億4,000万年前 古生代石炭紀前期 シダ類が大森林を形成。両生類が発展。ペデルペスは陸上生活に適応した四肢と頑丈な歯を獲得。
大脳は古皮質のみ、脳神経は10対(爬虫類は12対)
Pederpes
約3億1200年前 石炭紀後期 巨大な肉食両生類が生息。これにより乾燥地帯に追いやられた両生類から、有羊膜類(Amniota)が分岐。有羊膜類は、初期に竜弓類と単弓類の2系統に分化。
約2億7千万年前 古生代ペルム(二畳)紀。カコプスは乾燥気候に耐えられる構造を身につける。発達した視覚と聴覚を持っていたとされる。
現生爬虫類の祖先となる双弓類、哺乳類の祖先に当たる単弓類(エダフォサウルス)も発生。
約2億5千万年前 大量絶滅がおこり、古生代(ペルム紀)が終了。海洋生物のうちの96%。全ての生物種の90%が絶滅する。中生代(三畳紀)に移行。
中生代三畳紀 世界中の淡水系に両生類が繁栄。最大種は3メートルに及ぶ。
中生代三畳紀末 両生類が衰退を迎える。白亜紀前期に多くが絶滅する。これに代わり、トリアドバトラクス(カエルの先祖)が登場。現生種はカエル目、サンショウウオ目、アシナシイモリ目のみ。

大事なことは、爬虫類と哺乳類は親子関係ではなく兄弟関係だということだ。爬虫類の器官を勉強しても、それを人間の原型だとはいえないのだ。
したがって爬虫類に関する知識はアクチュアリティを持たず、博物学的なものにとどまる。それならカエルやイモリの研究をしたほうが腹の足しにはなる。
ところで初期哺乳類ってどんなものなんだろう。

嗅覚を勉強していて、結局、魚類から陸上動物への変化にあたって何がもたらされたのかを知らないと全体像は見えてこないということがわかった。

おそらく嗅脳が大脳の発生母地となったことは間違いないが、そこに視覚や聴覚がどうやって乗り込んできたのかの機転は分からない。

まず考えてみる。陸上動物には肺が必要だ。これは最低必要条件だ。手足はあった方がいいがなくてもかまわない。ただ俊敏性は生き残るための絶対条件だ。空気中では抵抗が少ない分、運動能力は大幅にアップする。それは敵にとっても同じだ。

忘れてならないのは、行動範囲が飛躍的に拡大することだ。このためにオリエンテーション能力がもとめられる。それは記憶媒体の強化を必要とする。

実は、これらの変化はすでに昆虫類が先立って実現していたことである。昆虫は彼らなりの方法で地上生活に適応した。

では、はるかに進化した後に地上に登場した両生類の適応方式はどこが違うのか。

両生類が地上に進出した時、そこは昆虫たちの楽園だったはずだ。両生類はまず昆虫ハンターとして登場したのではないか。

命をかけて地上に進出する意味は、そこにしかないはずだ。

でかい話なので、例によって年表方式でファクトを収集することにする。


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