鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 40 自然科学

これはふと考えたのだが、これまで道具の使用が人間を作ったのだと言われてきた。
さらに道具の社会的使用という側面まで含めたのが、エンゲルス「猿が人間になるについての労働の役割」だった。
ただ、この考えは2つの点で間違っていると考えられる。
一つは、猿はかなりの点で道具を使いこなしていると言えそうだということだ。おそらく前世紀後半におこなわれた広範なフィールドワークで、それは実証的に説明されるようになった。
いまでは哺乳類から霊長類が進化する過程で成し遂げられた機能ではないかと思われる。しかもそれは哺乳類→霊長類というだけではなく、爬虫類→鳥類という進化の中でも成し遂げられているようだ。
だから我々は哺乳類というレベルではなく、哺乳類→霊長類という巨大なブレイクスルーにもっと注目しなければならない。そしてとくに脳の形態に着目してステップアップを観察しなければならない。またそれだけの進歩をもたらした樹上生活の展開との関連を説明しなくてはならない。
もう一つは、道具の社会的使用というのは、説明すべき社会性の獲得を前提にする過ちを犯しているからだ。社会性の向上を可能にしたものが何なのかを説明しなければ、道具の社会的使用をもたらしたものを説明することはできない。

それでは霊長類からホモ・サピエンスへの進化をもたらしたのは何か。すでに半分答えているのだが、言葉である。おそらく直立することによって舌筋をふくむ顔面筋や顎関節、咽喉頭の動きに大きな自由度が与えられた。その結果非常に多様な音声が操れるようになった。
それは肉体的前提であるが、それを駆使できるようになるためには脳の働きが飛躍的に増強される必要があった。とくに記憶装置の容量拡大がもとめられた。
もう一つは視覚画像のシンボル化である。画像がシンボル化されれないと音声シンボルとの対応はできない。したがって音声機能の拡充と画像シンボル化、そして両者の各々にもとめられる記憶装置、これらが脳の巨大化をもとめた。

したがってこういう事ができる。哺乳類は道具を使うことによって霊長類へと進化した。霊長類は言葉を使うことによって人類へと進化した。
ただ霊長類が哺乳類のトップに立ったということは、動物界のトップに立ったということではないのかも知れない。むしろそれによって先行する鳥類(爬虫類のトップ)にようやく追いついたと見るべきかも知れない。

ともかく、にんげんは言葉を獲得することによって、道具を社会的に使用するようになり、動物界の頂点に間違いなく立った。そしてそれ以来生物学的にはまったく進化していない。
ハード的な機能としての脳の大きさも、発声装置も、記憶装置も10万年前とそっくり同じだ。

文字言語獲得の生物学的意味
前置きが長くなったが、ここからが本番だ。
ただそれにも拘らず、生物が一つの種から他の種に進化するのに匹敵するような巨大な変化が起きている。それが書き言葉の発明だ。これは文字通りエピジェネティックに起きている変化だ。
エピジェネティックというのは、明らかに脳のシステム上の変化を伴っているからだ。書き言葉の獲得は明らかにシステムの生成を伴っている。まったくの一代限りの学習成果とばかりは言えないのである。
不正確な言い方かもしれないが、たしかに書き言葉の獲得は後天的である。いまでも地球上の人類の半数近くは文盲である。しかし失い方は決まっている。誰でも頭頂葉の中心溝後方に書き言葉の中枢が形成されていて、そこが傷害されれば“読み書き”という視覚性言語の二大機能は失われるのである。
つまり視覚性言語の習得の仕掛けは決まっているのである。

興味深いのは、文盲の人が脳のその分野を何に使っているのか。彼らが文字を見るとき、その場所がどういうあり様を示しているのか、などである。もともとなにかに使われていたはずの脳だから、視覚性言語のために取り上げられてしまったとき、元の働きはどこが担っているのかというのも気になる。
聴覚性言語の場合は明らかに利き腕側の優位の右半球に依存するが、視覚性言語はどうなのだろう。

一番気になるのは、テレビやラジオ、漫画という非文字言語に人間が落ちていくときに、人間の知能が落ちていく危険はないのか、考える機能が衰えて情緒的になっていく危険はないのかということだ。
トランプとか安倍晋三とかを眺めていると何かしら、そんな考えに陥ってしまわないでもない。

竜頭蛇尾というか、本番のところで脳みそがへたってしまった。
これから、また機会があったら、考えてみたい。

という文章を見つけた。

東邦大学医療センター佐倉病院の院内報
「SAKURA Times 2013.11.10 第 67号」
に掲載されたものらしい。
著者は「臨床検査部」となっているので、
お気軽に書かれたもののようである。
安全運転管理者等選任の手引き
というファイル名だから、別のレポートの裏にでも印刷したのであろう。

現在の鳥類・魚類・爬虫類・両生類の赤血球にはすべて核があります。これら脊椎動物の中で赤血球に核がないのは、哺乳類だけなのです。
哺乳類(単弓類)は、なぜ赤血球の核を捨ててしまったのか。
ということで、著者はいくつかの仮説を提出している。
① 核をなくすことで容積が増し、細胞内に酸素と結合するヘモグロビンをより多く含むことができる。
② 赤血球の特徴的な円盤状の形をとることで体積当りの表面積が大きくなり効率的なガス交換が行える。
③ 円盤状になることによって、微細な毛細血管もスムーズに通過できる。

著者は以下のようなコメントも追加している。
ヒトの組織中で一番多くの酸素を必要としているのは脳(全身の酸素使用の約 20%)で、ヒトの脳が発達した一因にこの酸素運搬の獲得があったのかもしれません。
まぁ、それは別の話としよう。

進化と環境適応とは似ていて違うところがある。魚類が地上に上がるのに肺呼吸となった。両生類が水辺から離れて陸生となるために乾燥に耐える必要があった。
かくして爬虫類と哺乳類の共通の祖先となるEarly Reptilesが出現した。
そのうち寒冷適応(恒温化)をした単弓類がまず発達した。当時は十分寒かったし、酸素はたっぷりあったからだ。
そのうちレクチン分解菌が出現して、シダの木を石炭にせずに燃やし始めた。おかげで気温は上昇して炭酸ガスは増えてきた。逆に酸素は減った。
単弓類の長所はすべて欠点となった。単弓類は種の多様性を守るためにだけ生きながらえた。おそらくその雌伏のときに赤血球の無核化を獲得したのであろう。

①,②,③の理由はたしかにその通りだが、それには生物進化史的理解を必要とするのではないだろうか。

哺乳類と爬虫類の関係を示す、大変わかりやすい画像があったので、転載させていただく。
元の絵は、鈴木仁「生物多様性概論II : 爬虫類、鳥類、哺乳類」さんのもの。
Reptiles

隕石が落ちたあの日まで、生物進化の王道を歩いていたのは爬虫類(双弓類)であり、哺乳類は初期の段階で進化(多様化)を終え、限りなく絶滅に近い線をたどっていたのだ。


NHK総合 【NHKスペシャル】 
ホモサピエンス・日本へ!発見!極寒を生きる道具
という番組があって、その中で寒いところに進出した人類が服を作るようになった。「それは縫い針を発明したからだ」という話になって、それはそれで良いのだが、それが突然言語活動との関連の話に移る。
どうも話の筋に無理がある。
というのも、どうもアメリカの研究者()のある研究に持っていきたいらしい。
ディー トリッヒ・スタウト (エモ リー大学)「道具使用 と言語の進化の脳科学的解明」
その研究というのが、道具作りの動画(動物の骨から針を作成する)を見せながらEmission CTとかMRとかとってどこが光るか見たものだ。
それがブローカが光ったからと言って大騒ぎしているのだ。
それって当たり前じゃん。
スマートフォンの取扱説明書を読みながら勉強しているときに、脳のどこが働いているかというのと同じでしょう。
取説を手に取りながら読むか、Youtubeの説明動画で勉強するかの違いじゃないの。
ただ、下図を見ると別の興味も湧いてくる。
道具作り学習.jpg
利き腕側の半球かどうかで多少違うのだろうと思うが、後頭葉の背側路が結構光っていて、まずここで画像の動画化が行われていることがわかる。作業の方法を順序立てているのであろう。
ついで、この連続画像が文字として認識され、側頭葉で言語化され、いったん前頭前野で処理された後、ブローカに送られて、ブローカ近傍で言語記憶として処理され、中心溝前方の一次運動野に蓄えられるのである。
この絵でそこまで読めるかという問題はあるが、この手の絵は他にも結構あるので、そんな感じでいいのだろうと思う。
この図式でもっとも重要なポイントは、後頭葉から頭頂葉につながる背側路での動画化処理である。それは私の提唱するV3→V5の動画化機能仮説を補強するものである。

海水蒸留して真水を得る方法は、かなり昔から知られていて、実験レベルでは行われてきたが、コスト面がネックになり実用化というには至らなかった。
ただ砂漠の中の油田地帯みたいなところだと、石油はほぼ無制限に使えるので蒸発法がかなり普及した。
これの熱効率をどのように改善するかの研究が第二次大戦後から始まっている。ウィキによれば、1950年にアメリカの内務省塩水局(OSW)という機関が海水から安価に真水を得る方法の研究に予算を投入したという。

これとは別に1953年、フロリダ大学のレイドが逆浸透法(RO膜)による脱塩法を提示した。これは酢酸セルロース膜が半透性を有することを利用したもので、逆浸透法と呼ばれる。

逆浸透
半透膜を介在した浸透が平衡に達したとき、両溶液間に生じる圧力差が浸透圧である。濃厚溶液側に浸透圧差よりも大きい圧力をかけると、水は希薄溶液側に「逆浸透」するが溶質はトラップされる。(ニューメディカ・テックより)
この半透膜はその後改良が加えられ、1960年にはカリフォルニア大学のLeobらが100気圧の逆浸透圧をかけ、食塩排除率98.6%、透過水の流速が3μm/secに達する淡水化装置の開発に成功した。

いっぽう、伝統的な蒸発法においても多段フラッシュ蒸発法(MSF)が普及し始めた。これは空気圧を段階的に下げることで蒸発の能率を上げるものだ。これだと動力によって気圧を下げる分、熱量の節約になるのとスピードアップが図れる。

これらを見た当時のケネディ大統領は、「海水淡水化」を国家事業として承認した。当時の総容量は20万トン/日。蒸発法が主体であった。

1965年、デュポン社が酢酸セルロース膜方式の海水淡水化プラントを立ち上げ、本格的に淡水化事業に加わった。さらに1972年には界面重合による薄膜の製法が開発され、酢酸セルロースを凌ぐポリアミド系複合膜が開発された。
この半透膜は当初は、海水の淡水化よりは淡水のろ過膜として開発され、下水処理水や高濃度汚染地域の飲料化として始まった。
海水の淡水化に逆浸透圧方式が取り入れられたのは、日本が先行した。1977年、復帰直後の沖縄で激しい水不足が生じた。給水制限は1年の半分近く、169日に達した。このため沖縄での海水淡水化計画が始まった。
20年後の1997年、ついにこの計画は実現した。沖縄・北谷町にポリアミド重合膜を用いた逆浸透膜方式の海水淡水化プラントが完成。生産水量は 4万立米/日を実現した。2005年には福岡地方で94年大渇水を機に、5万m3/日の淡水が水道水源として供用開始となっている。

2001年には技術開発によりRO膜処理法が多段フラッシュ蒸発法を造水量で追い越すに至った。当時の造水量は2600万トンに達した。ただしこの時点では、産油国の海水淡水化プラントは蒸発法が引き続き優位を占めていた。
2010年 世界の逆浸透膜市場をダウ、日東電工、東レの三社が横並びで担う。ただし東洋紡は中東に特化して高い現地シェアを誇る。
稼働容量
2009年 ユネスコが水不足予測を発表した。世界的に砂漠化が進行し、2030年に世界人口の47%が水不足に陥るとされる。

砂漠化地図

学習不足のため、まだ文章化するには至らないのだが、どうも人類の資源無駄遣いによる地球温暖化と炭酸ガスの蓄積、そして海水面の上昇と一筆書きで描くのはいささか早計ではないかと思えないでもない。
つい20~30年前までは、人口が加速度的に増えて人類は飢餓により死に絶えるのではないかと、ほとんどの人が真面目に考えていた。
だから第二次大戦のような殺し合いも、人類のやむを得ない業として黙認されていたフシがある。
ところが、世界の文明化は明らかに人口の頭打ちをもたらした。むしろ文明の進化が人類の衰退を招くのではないかとさえ考えられるようになっている。
こういう状況の中で、環境問題も一度じっくりと考え直す時期に入ってきているのではないかと思う。人口爆発時代のトレンドを外延させるだけではだめで、一つひとつの課題に技術的に、科学的に、哲学的に向き合っていかなければならない。

と考えたきっかけは、砂漠化の問題である。
砂漠化は結局、この気候帯における水の出し入れの問題だろう。砂漠地帯は寒冷地と違ってまったくの不毛ではない。水さえあれば多くの生命を抱え込むことができるキャパシティーがある。気温も平均すればさほど高いわけではない。カーボ・ベルデなど1年を通じて25度という楽園である。
いま地球全体の気候バランスは、面積的に言えば熱帯雨林などではなく第一に海洋であり、第二に砂漠地帯であり、第三に両極地帯なのではないか。
ところが意外に等閑視されているのがこの乾燥地帯だ。しかも猛烈な勢いで拡大し、地下までふくめた乾燥化も激しい勢いで進んでいる。
ここを何とかするのが地球環境問題の環ではないのだろうか。
なんとかすると言っても、話はきわめて簡単だ。真水を突っ込むこと、それだけである。
論理的にはきわめて簡単だが、経済的にはきわめて困難である。
真水を突っ込むことを、持続可能なサイクルとして作り出さなければならない。水を引っ張ってきて灌漑したり地面深くから水を汲み出して、その水で緑の沃野を作り出しても、水の出し入れは全然改善されていない。
これにはまずグランドデザインが必要で、自助・共助・公助を組み合わせた組織づくりとファンディングが必要だ。もちろん技術の開発が伴わなければならないが、それは「必要は発明の母」ということだろう。ついでコストの軽減化が必要で、そこには経済的な意味も必要だ。

脳神経の解剖学で大脳基底核ほど退屈な領域はない。なぜ退屈か。そもそも「大脳基底核とはなんぞや」ということについて、いっさい触れられていないからである。
かなり教科書を読み込んでも、大脳基底核固有の積極的な働きは書かれていないと言える。

しかし臨床的には、とりわけCT、MRが登場してからはきわめて重要な場所なのだ。脳血管障害の多くはここに集中している。ここがやられた場合の被害も重篤だ。
私の生まれた静岡市用宗というところは東海道本線、新幹線、東名高速という3つの幹線がわずか数百メートルの間隔で並んで走っている。
しかし用宗という町にはなんの重要性もない。高齢化の中で死んだような眠ったような集落に過ぎない。
ついでにいうと私の本籍は三重県鈴鹿郡関町大字沓掛404番地。東海道五十三次でいうと坂下の宿だ。鈴鹿峠にいよいよ登っていくとっつきで、伊賀に逃げる道の分岐点だ。そのT字路がまさに404番地だ。これも土地そのものにはまったく意味はない。
私は、大脳基底核の重要性を終脳の最初の起点という歴史的・文化的重要性に見る。
これまで大脳基底核の重要性を貶める二つの間違った位置づけがされてきた。一つは大脳辺縁系の最外周、下り線最終駅という位置づけであり、一つは錐体外路系という有りもしない経路のターミナルという位置づけだ。
これらの汚れを洗い流してもう一度、終脳の起点、外套の第一ボタンとして位置づけることによって、大脳発達の最初期(古皮質形成)に果たした役割について、もう少し真の姿が見えてくるのではないだろうか。

私の「三脳構造」説は脳の基本はあくまで前脳・中脳・後脳の三要素を基本とするもので、終脳(外套)より先は前脳の背側にある何らかの原基(芽)がいわばポリープ状に増殖したものであるとする考えである。
これはマクリーンの三脳説とは真っ向から対立する概念である。
ただし、終脳の増殖が波状に到来し、基底核、古皮質、新皮質が形成されたことには同意する。それは終脳学の範疇である。
それが大脳に質的変化をもたらす。それはマクリーンの3層構造と見かけ上類似する。

その際肝心なことは、基底核が皮質細胞(ニューロン)の生成工場となっていることである。ここで作られたニューロンが次々と前線に送られ積み重なって皮質を形成していくことが分かってきた。

脳科学辞典の大脳基底核原基の項目

大脳基底核原基は、基底核隆起とも言われる。
終脳(telencephalon)のうち外套 (広義の大脳皮質)の腹側に位置する。
ここで多くの大脳基底核神経細胞と大脳皮質のGABA作動性抑制性神経細胞、オリゴデンドロサイトが産生される。
このうち、GABA作動性抑制性神経細胞は大脳皮質、線条体、淡蒼球、扁桃体、嗅球などの様々な領域に移動する


私が個人的に敬愛する脳解剖学の研究者川村光毅先生が「大脳基底核逍遥」という文章を書かれている。
2010年の発表なので、比較的最近のものと言えるだろう。
情動と音楽の起源―情動の進化と脳機能という若干趣味的な論文の一部である。
口演形式なので、アンバランスを承知の上で、今までどちらかというと関心の低かった、“大脳基底核”について多少詳しく、その重要性に力点を置いた。
とエクスキューズが入っている。

私も気楽につまみ食いさせてもらおうと思う。

大脳基底核の分類
大脳基底核は線条体と淡蒼球、視床下核、黒質に分かれる。
線条体は背側線条体と腹側線条体よりなり、さらに背側線条体は被殻と尾状核に分かれる。

トリの線条体
トリにも線条体がある。これは背側脳室隆起(DVR)を起源とする細胞集団である。
DVRの本態については3つの説があるが、結局の所よくわからない。
2002年にアメリカのデューク大学にトリの研究者が集まって、striatum(線条体)との呼称をpallium(外套)に変更したらしい。
主たる変更理由は、それが哺乳類の線条体ではなく、線条体を覆うような大脳皮質類似の細胞集団であるからということだ。

大脳基底核と遺伝子発現
なぜ呼称が変わったかというと、最大の理由が遺伝子発現の違いだ。
いくつかの遺伝子マーカーで、線条体と大脳皮質との違いをチェックすると、それぞれに特異性が見られる。
面倒なので一つだけあげると、Tbr-1という遺伝子があって、これは哺乳類では皮質のみに発現するのだが、トリでは両方に発現する。
つまりトリの「線条体」は線条体とも言えるし皮質であるとも言えることになる。そこで中をとる形で「外套」ということばを持ち出したらしい。

基底核をふくむ神経回路
ここは面倒なので飛ばす。大脳・基底核・視床がグーチョキパー関係だということ、GABAがブレーキで、グルタミン酸がアクセルだということだけ覚えておく。

ヒトの脳は、1000億個の神経細胞と、1兆個のグリア細胞(神経膠細胞)から成る。

アストロサイト(栄養を運ぶ),オリゴデンドロサイト(ミエリン鞘を作る),ミクログリア(免疫を担う)が主なグリア細胞で,末梢神経系ではシュワン細胞がミエリン鞘を作る。

グリア細胞はグリア同士で情報をやりとりし,ニューロン活動を修飾し、シナプス形成をコントロールしている。
記憶や学習という脳の高次機能は,実はグリア細胞によって支えられているといえる。
グリア細胞の情報伝達には、ATPや神経伝達物質が利用されている。

この神経伝達物質はニューロンと共有されており、これによりニューロンを賦活したり、場合により死に至らしめる可能性が検討されている。

例えば脳虚血が起きると、ストロサイト内のグリコーゲンが分解され、乳酸アシドーシスをきたす。これにより過剰分泌されたグルタミン酸がニューロンを傷害すると言われる。

図 血管とアストロサイトとニューロン(脳科学辞典より)

nyu-rontoguria
アストロサイトの樹状突起は細かく枝分かれして広がる。その突起の一本は細動脈と接触している。ニューロンはアストロサイトが作る空間の中に神経回路を作る。

グリア研究の歴史

1846年 ウイルヒョーが「神経の間を埋める何らかの物質」の存在を主張。ニカワのような物質かと想像した。

1858年 ウイルヒョー、グリアが細胞であることを発見。結合組織細胞と記載する。

レンホサック、ゴルジ染色法によりグリア細胞を観察。グリアの一種にアストロサイト(星状細胞)と命名。

1889年 ヒス、グリア細胞が海綿芽細胞を起源とするグリア幹細胞(glioblast)から発生すると提唱。

1913年 カハール、アストロサイトがニューロンとは異なった第二の脳細胞であることを明らかにする。

1921年 ピオ・デル・リオ-オルテガ、オリゴデンドロサイトとミクログリアの存在を報告。

終脳は前脳ではないと思う

依然としてマクリーン仮説が大手を振って歩いていることに唖然とする。

1.大脳辺縁系について
おそらく辺縁系というのはブローカが大脳の最深部に古皮質からなるひとかたまりの脳神経集団を見つけて辺縁葉と名付けたことに由来するのではないか。
それにマクリーンが三位一体的な意味付けをしたから、順序が逆になってしまったのだろうと思う。
進化論の立場から見ればそれは前能の辺縁系であって、大脳は辺縁系のさらに辺縁を形成しているのである。

2.終脳について
教科書には前脳が終脳と間脳に分かれたと書いてある。
これも間違いだろうと思う。
前脳は前脳である。それは間脳と呼ばれ、視床と呼ばれているところである。
終脳と呼んでいるところは、前脳に付着した外套である。
そこには大脳の芽が埋め込まれている。嗅神経、松果体などである。これが海馬に記憶され、視床の感情が伝えられる。
これは前脳に対して、まさに外套にあたる機能と構造である。

3.外套について
外套というのは大脳全体を指す用語であるが、一般的に使う用法ではない。せいぜい失外套症候群という使い方しかしない。
しかし、トリの大脳皮質が6層構造は取らなくても哺乳類の新皮質と変わらないことが分かった。そこで以前は線条体と呼んでいたものが外套と呼ばれるようになった。
そしてこの外套はヤツメウナギにも存在することが示された。
つまり、発生学的に見れば大脳は前脳の外套であり、前脳ではない。
この概念を貫くならば、もはや大脳辺縁系という誤解を生む言葉はまったく必要なくなるのである。

4.まとめると
ヤツメウナギ以来、前脳・中脳・後脳という三脳構造は変わらない。
前脳には嗅脳を中心に外套が付着し、これが終脳へと発展する。
前脳は視床と呼ばれるようになり、神経内分泌中枢の視床下部と結合し間脳を形成する。
ただし、終脳を前脳の外套由来とするなら、あえて間脳という必要があるかどうかは留保の余地がある。

主として 脳の進化の5億年、発達の38週間、成長の80年 より作成させていただきました。ただ大脳辺縁系の記載についてはいささか疑問があり、少し編集しております。

38億年前 生命が誕生する。RNAとタンパク質の組み合わせがきっかけとなる。その後DNAが形成され、“共通祖先”が誕生する。
10億年前 単細胞生物が、“従来のままの単細胞生物”と“植物・菌類の祖先になる単細胞生物”とに分岐。
9億年前 単細胞生物のグループからカイメンが分岐した。カイメンには、まだ神経系は形成されず。
8億年前 複数の単細胞生物が集まり、多細胞生物が誕生する。紫外線と活性酸素の存在下でDNAが損傷→再生を繰り返し、これにより多様性を増す。
6億年前 刺胞動物の登場。『散在神経系』と呼ばれる網目状の神経系を持つ。
5億4千万年前 カンブリア紀の開始。海中には多様な生物があふれるようになる。これらは『集中神経系』と呼ばれる“神経節”を獲得した。
約5億年前 原索動物であるホヤの幼生に神経管が発生。神経管の内側で神経細胞がつくられる。(真の祖先は頭索類のナメクジウオとする説もある)
5億2千万年前 無顎類(ヤツメウナギ)の登場。ニューロンの活動を補佐するグリア細胞が発生。軸索を覆うミエリン鞘は未形成。
4億6千万年 顎口類の登場。グリアに加えミエリン鞘を獲得。脳の大規模化に伴い、鼻孔と下垂体の位置が移動し、そのスペースに脳が拡大する。
魚類、脳は脳幹よりなり、3つに分かれる。前脳は嗅覚、中脳は視覚,後脳は耳と側線器に対応する。前脳背側部に外套(パリウム)が付着。
3億7千万年前 両生類の登場。大脳と小脳が小さく、脳幹が大部分を占める。ただし嗅球が大きくなる。
3億1千万年前 羊膜を持つ爬虫類の登場。中脳の後にある“視葉”が小さく、古皮質の嗅覚に頼る。 爬虫類から大型の主竜類が分化。背側脳室隆起が発達し、視床からの入力を受ける。
2億5千万年前 哺乳類が羊膜類より分化し発生。脳容量は爬虫類と同じ。
6層からなる大脳皮質(新皮質)が出現。新皮質にしわができ、感覚野、運動野が誕生。
6千万年前 霊長類の登場。連合野が出現し、より高度な認知や行動が可能となる。
400万年前 サバンナに進出する猿人(アルディピテクス・ラミダス)の出現。頭蓋容量は300mlほど。
280万年前 木材や石を加工して道具を作り出す猿人(ホモ・ハビリス)の出現。ブローカー野が発達しており、複雑な音声を用いた。頭蓋容量は700ml。
150万年前 原人(ホモ・エレクトゥス)の登場。直立二足歩行により発声が容易になり、言語の発達が加速する。ウェルニッケ野も形成されるようになる。
20万年前 ホモ・サピエンスの登場。頭蓋容量は1400mlに増大、

大竹昭郎さんという方がなくなったそうで、赤旗に大きく訃報が掲載されている。1951年の入党で、95年には滋賀県知事選にも立候補されているそうだ。
全然存じ上げない方であるが、その足跡に多少なりとも触れておきたい。
学生運動としては「イールズ世代」に属することになるだろう。朝鮮戦争、レッドパージ、全面講和が合言葉だ、山村工作隊に飛び込んだ人もいるかもしれない。
ウィキペディアには掲載されていないが、京都大学農学部を1952年に卒業されている。獣医の資格は持っているらしいが獣医で働いた形跡はない。
農学部の農林生物学科には南窓会という同総会があって、ウェブ同窓会誌というのを発行している。ただし2003年を最後に更新が止まっている。農学部の改組で農林生物学科そのものがなくなってしまったらしい。
目次を見ると結構食欲をそそる題名が並ぶ。農学部というのは、ファーブルみたいな人の集りで、意外と文系かもしれないなと思う。
化学の枠組みを勉強したとき、「あぁこれは応用物理学だな」と思ったのだが、おなじでんでいうと、農学というのは応用生物学なのかもしれない。医学も応用生物学ではあるが、生命を突き放すか、突き放せないかの違いがある。
話が飛んだが(別に飛んで困るというほどのものでもないが)、その同窓会誌に大竹さんの文章が2篇掲載されている。

1.「原爆展」のこと
1951年7月、未だ占領下、京都駅前の丸物百貨店(現近鉄百貨店)で「綜合原爆展」が開かれた。
京大同学会(学生自治会)が主催し、10日間で約3万人が入場した。
以下は原文よりの抜粋
当時、農学部自治会の委員だったわたしも、この原爆展にかかわりました.
農学部の学生ということで、放射線の生物への影響について、会場でパネルの説明係をやりました。
同志社大学の学生がかの女と一緒にやってきました。同志社の角帽は一種独特のあか抜けしたものでした.
それにかれは色白の貴公子で、わざわざ入場料を払って原爆展にくる客種としては珍しく感じられました.
「放射線の影響で4つ葉のクローバの発生頻度が高くなる」と説明した途端、この2人組は顔を見合わせてニヤリとしました.
わたしが顔を赤くしたかどうかは覚えていません.
文章の大筋とは関係ないこのエピソード、たぶんこれが書きたくて、この文章を書いたのでしょうね。

2.架空インタビュー「あれやこれや」
たぶん65歳ころの身辺雑記であろう。
遊びを遊びにできない人の典型である。
退職後に何をしようと考えたら、迷うことなくアブラムシとなりました。
いくつかの種類について試行錯誤の後、自宅近くの歩道の植え込みについたナシミドリオオアブラムシを数年いじりました。
しかし、そのアブラムシはどうも気にいらなくて、いまはセイタカアワダチソウにつくヒゲナガアブラムシの一種を扱っています。
わたしは野外で、あるいはもち帰って、ひたすらアブラムシを数えていますが、「こんなことをして意味があるのか」と、ときどき自己嫌悪に陥ります。
ここでもうひとりの自分が質問を投げかける。
それはセイタカのアブラムシという一種に絞りすぎているからであって、周りの他の生物との関係などを考慮する必要があるのではないでしょうか。
そしてそれに答える。
ごもっともな意見と思います。しかし、対象の種の個体群そのものに、しつこくこだわる人がいてもいいと思います。
これは大事な点で、まずそのものが持つ矛盾を突き詰め、そのものの持つ駆動力を理解することが基本なのであろう。そのことが理解されて初めて、他者との関係で逆規定される存在が理解できるのだろうと思う。

実は、ネットには長大論文が乗っていてなかなか面白そうではあるのだが、いかんせん長い。
とりあえず書名とまとめだけ載せておく。

ダイコンサルハムシの分布一特に成虫の分
、散が次の世代の分布に及ぼす影響について

1958年 島根農業大学応用昆虫学研究室業績  No.22 P107~116

比較的分散能カの弱いダイコンサルハムシの成虫が、畑の中をどのように分散してゆくかについて明らかにするために、野菜畑での観察および,実験圃場での実験を行った。
野菜畑を毎日見廻り,9月14目サルハムシ成虫を初めて発見した。翌日から,畑の申の成虫の分布の定期的な調査を行った。
畑の周りの雑草の申などから移動してきた成虫は,多くは畑の縁の都分に止まっている。
成虫の活動状況は,外部条件(主として気象条
件)によって影響され,非常に不規則であった。

要するに先っパシリの個体はえらい勢いで拡散するが、本隊の拡散は意外に時間がかかり、同心円状の形態を取るということらしい。

これは例えば西部開拓史などを見ると納得がいく。初期の征服者や探検家の行動力には凄まじいものがある。
しかし生活者が鍋釜持って移住するのには意外と時間も掛かるし、一進一退を繰り返すものだ。
生活者の拡散には物理的な障壁は意外に低く、山でも谷でも越えていくが。暑さ寒さなど行動性を左右する因子は相当な影響を与えるようだ。

ただそれを方程式化できるかどうかは、数をこなさなければなさそうだ。


教育テレビの「サイエンス・アイ」は私のお好み番組で、毎回ビデオにとって楽しんでいる。
(現在はビデオにとるとは言わないだろうが、何というのだろう)
4月から構成やスタッフが変わり、一層面白くなった。女性ナビゲータの感度が良くなったのが魅力である。
最近の番組でテヅルモヅルの話があって、非常に面白そうなのに、途中からクラウド・ファンディングの話になってしまった。
仕方がないのでネットでテヅルモヅルを検索したが、昭和天皇がコレクターだったという話ばかりでさほど面白いわけではない。
結局、テヅルモヅルの話を面白くさせているのは、この岡西さんという研究者のキャラなのだろうと思い当たる。もちろんファンディングを集めるのだから、自分の研究の意義とかユニークさとか面白さをアピールしなければならないのだが、そのアピールの仕方、“目の付け所”が面白いのである。
岡西さんはテヅルモヅルの研究を風変わりな研究ではなく、“基礎研究”と位置づける。そのことによって、“基礎研究とはなにか”という問いかけをしている。
医者の世界では医学というのは臨床と基礎に分かれる。人間を扱い、病気の診断と治療をするのが臨床医学で、人体の仕組みや働きを研究するのが基礎医学だと考えてきた。
しかし研究の方法論という観点から見ると、そういう構造的な観点からだけ基礎科学を見るのが正しいのだろうかと思える。
むしろ認識過程の問題として事実を収集整理することこそが基礎科学ではないのだろうか、とも思えるのである。
科学はリンネより始まる。
収集し、整理し、統合する過程というのはある意味でひらめきなど必要ない世界である。飽くなき興味と愚鈍な執念とが織りなす世界である。たぶんそれに加えてカネとヒマが必要であろう。
ひらめきはこの作業の中で生まれてくる。このひらめきは膨大な作業の中から生まれてくるから、重要で応用が効くものである。
ということで、少し岡西さんの弁に耳を傾けるとしよう。


『ヴァーチャル生物学入門』というサイトの掲示板に質問が書き込まれていて、回答者が一生懸命各分野の専門家の意見を聞いて答えている。
ゾウリムシの走電性について知りたいのですが・・・。どうして電気を流すとマイナスに移動するのですか?繊毛の動きから 考えたらくるくる回りそうなのに。…どうも納得いかなくて…
みんな一生懸命答えているようなのだが、要領を得ない答えばかりだ。
私ごときに答えられるわけはないのだが、回答者が見落としているポイントが一つありそうに思える。
それは、繊毛運動が発生史的にはまず先行しているということだ。
繊毛の自動性と自立性
繊毛は細胞膜から外に突き出し、おそらくは細胞周囲の化学的環境に合わせて自発的に運動しているのだろうと思う。それを仲介しているのはケミカル・メディエータやホルモンだろう。
後から細胞膜のナトリウムチャネルなどが生まれ、脱分極現象が生まれるようになった。これはスピードが圧倒的に早いので、必要があればしばしば繊毛の自律運動に介入する。
ただし繊毛運動を支配するわけではないし、監視するわけでもない。必要なときにアラームを鳴らすだけだ。
方向転換や逃避反応は電流により起こるのではなく、両者の合成力として、たまさか起こるのであろう。
「一定の刺激を与えると一定の方向へ動く」ことが勘所
この質問でいうと「電気を流すとマイナスに移動する」のではなく「一定の刺激を与えると一定の方向へと動くこと、動く際にもそこに一定の安定性が自動的に担保されていること」が勘所なのではないかと思う。
だから回答にあった、脱分極と過分極というのにはちょっと疑問があって、脱分極だけで十分話しが通じるのではないかと思う。

以下は、「JT生命誌」に掲載された西川 伸一「動物と神経の誕生」の抄録である。
短文ながら非常に深い弁証法をふくんでおり感銘した。

神経細胞はいつから?

神経細胞は動物、すなわち動く能力を持った多細胞生物の誕生とともに生まれてきた。(「動く」というのは「移動する」と言うべきだろう)

現存の多細胞生物のうち、海綿動物とセンモウヒラムシには、いわゆる神経細胞は存在しない。

ただし、ゲノム系統樹から見ると、ヒラムシや海綿にも最初は神経細胞が存在し、その後神経細胞を退化させた可能性がある。

神経細胞に必須であるナトリウムチャンネルは、クシクラゲと左右相称動物がそれぞれ独自に発生させた可能性もある。

想定される神経細胞の始源

最初の神経の形態は、現代の神経細胞よりは、もっと普通の細胞に近かったのではないか。ただそれは、外界からの刺激に反応し、その興奮を他の細胞に伝達する能力を備えていたのであろう。
つまりそれは①刺激反応性、②刺激→情報(電流)転換系、③情報伝達力の三点セットである

“興奮性の細胞”は筋細胞と近い関係にある。興奮性細胞系列は一部が神経細胞となり、一部が興奮を力に変える筋肉細胞へと発展した。
神経と筋肉は動物の誕生とほぼ同時に出現している。

その共通の特徴は、細胞の興奮に必要なイオン勾配の維持機能、そのイオンを選択的に通過させ膜電位を発生させるイオンチャンネル、そして興奮を他の細胞へ伝える化学システムにある。

光受容システム

以上は興奮伝達システムの発生学だが、これとは別に別種の情報をいかに神経に乗る情報に変換するかという問題がある。先程の三点セットで言うと、①と②の部分に相当する。

そのひとつが、光受容システムだ。これは必ずしも動物に限らずすべての生物に必要な機能である。
ゴカイの幼生では、
①色素細胞で吸収された光エネルギーが、
②それに結合する神経細胞により神経興奮として受容され、
③その神経細胞が、繊毛上皮とコリン作動性のコンタクトを形成し、
④これにより繊毛の動きを調節する。
Jekely et al, Nature 456, 395, 2008
光や温度、あるいは圧力などの物理変化に素早く対応することは、動物にとって死活条件となる。その際化学的シグナル分子だけでは到底追いつかない。
この神経細胞を獲得したことが動物の生物一般からの旅立ちを可能にした。

神経細胞の入口と出口
ただし、神経細胞の登場というのは、色素細胞・神経細胞のセットがゴカイの幼生で発生するということである。

入り口、つまり色素細胞における物理刺激の感知システムは、すでに単細胞生物でも見られる。
それはクラミドモナス(単細胞生物)のもつイオンチャンネルであり、チャンネルロドプシンと呼ばれる。

“④繊毛の動きを調節する”という問題は、本来は出口議論としてやらなければならない。なぜなら繊毛運動はもともと、単細胞生物にも存在する自律的なものであるからだ。それに神経細胞が干渉し、それを繊毛が受け入れることになる。

神経・筋肉の誕生の進化論的意義

神経・筋肉の誕生をふくむ生体の発達は、生物を多様な環境変化にすばやく対応できるようにした。
このことで生存する個体数は増え、生息可能な環境は多様となる。

神経や筋肉によって、動物の運動性が質及び量の面で大きく高まった。そのことで、動物は急速に地球上の様々な環境へと拡大できた。
ゲノム情報による自然選択が回避可能となり、種の選択圧は下がり、多様性が維持できるようになった。

これが神経誕生の進化論的意義である。

ナトリウム・チャンネル、つまり脱分極メカニズムが神経細胞の本態だというのは説得力がある。またそれが筋細胞においても同様であり、それらは細胞膜上のレセプターが特殊に進化した結果なのだろうと予想される。
チャネル・ロドプシンは色素タンパク質で、光が当たるとナトリウムイオンを取り込むと言われている。とりあえず飛ばしていく。

マックス・プランクの小伝

1858年 プランク、北部の港町キールに生まれる。正式名は Max Karl Ernst Ludwig Planck。当時キールはホルシュタイン公国に属していた。

1859年 キルヒホッフ、黒体放射の熱平衡分布は温度のみに依存すると発表。輻射エネルギーの分布を振動数 νの関数として求める研究が進む。

1874年 プランク、ミュンヘン大学に入学。専攻分野は数学であったが、次第に熱力学に傾倒していった。

1879年 プランク、熱力学の研究のためベルリン大学に転学し、キルヒホフのもとで学位を取得。

1884年 レイリー、マックスウェルの功績を引き継ぎ、電磁気学の単位(アンペア、ボルト、オーム)の標準を定める。レイリーは男爵の爵位名(3rd Baron Rayleigh)。本名は John William Strutt。

1886年 ヴィーン、金属刃端による光の回折を研究。回析のパターンが金属の材質により異なることを示す。ヴィーンの正式名は寿限無のごとし(Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien)。当時22歳でベルリン大学学生。

1890年 ヴィーン、大学卒業後農場経営を継ぐが失敗。やむを得ず大学に戻った(ウィキ)。ベルリン工科大学に籍を置き、ヘルムホルツのもとで研究。

1892年 プランク、ミュンヘンとキールの大学を歴任したあと、ベルリン大学教授に就任。

1896年 ヴィーンが「ヴィーンの変位則」や「ヴィーンの放射法則」を発見。これを応用して「温度と熱平衡分布に関する公式」を発表。

ヴィーンの変位則: 黒体からの輻射のピークの波長(λmax)は温度に反比例し、b/T で示される。比例定数 b は0.29 cm·K とされる。
ヴィーンの放射法則: ヴィーンの公式、ヴィーンの分布式とも呼ばれる。熱輻射における電磁波のスペクトルを与える理論式で、短波長領域における近似式である。

1899年 プランク、光の最小単位に関する定数を提言。プランク定数と名づけられる。
  
とし、ウィーンの公式に代入した。k は ボルツマン定数で、通常はkβをh(プランク定数)として表す。
プランク定数: 光子はエネルギーと振動数の比例関係の上に成り立つ。プランク定数はこの比例関係(ε=hν) をあらわす定数で、h=6.626070040(81)×10−34 Jsで示される。
RJ_Wien_Planck
ミクロの世界より転載

1900年
00年 黒体放射に関するレイリーの式が導出される。
レイリーは物理学会のエジソン。空が青くなる理由を示す(レイリー散乱)、地震の表面波(レイリー波)の発見、アルゴン元素の発見も手がける。寺田寅彦による評伝「レーリー卿」をみよ。
10月 プランク、レイリーの式とヴィーンの公式を検討。2つの公式をつなぐ内挿的公式を考案。ヴィーンの公式は高周波数領域においては実験データと良く一致したが、低周波数ではずれがあった

12月 プランクが「エネルギー量子仮説」を発表。のちに「プランクの法則」と呼ばれる。発表の場はベルリン物理学会のクリスマス講演だった。
物質中の荷電振動子のモードが飛々の値しかとらないことを発見。電子軌道の存在を推定し、軌道内ではε=hν、異なる軌道ではその整数倍となる。
1904年 レイリー、アルゴンの発見により、ノーベル物理学賞を受賞。共同研究者ラムゼーは化学賞を受賞する。

1905年 レイリーの式にもとづく定数が求められる。(ジェームズ・ジーンズによってその誤りが訂正されたのでレイリー・ジーンズの式と呼ばれる)
レイリーは量子論や相対論を嫌悪し、最後まで熱放射を古典物理学で説明する望みを捨てなかった(ウィキ)。
1911年 ヴィーンがノーベル物理学賞を受賞。

1913年 プランク、ベルリン大学総長となる。

1914年
10月 プランク、「世界文明への宣言」に署名する。ドイツの戦争を支援するもの。

1918年 プランク、量子論によってノーベル物理学賞を受賞する。

1930年 プランク、カイザー・ヴィルヘルム研究所の所長に就任。

1932年 プランク、科学哲学書 『科学はどこへ行くのか』 を発表。理性だけではない直接的な認識の重要性を強調した。

1933年
5月 プランク、ナチのユダヤ人迫害に対し、ヒトラーに直接抗議を行う。第二次世界大戦中もドイツにとどまるが不遇の生活。

1944年 次男のエルヴィン・プランクがヒトラー暗殺計画に加担。敗戦直前に処刑される。(長男は第一次大戦で戦死)

1945年 プランク、カイザー・ヴィルヘルム研究所の名誉総裁に就任。復興に尽力する。

1946年 カイザー・ヴィルヘルム研究所がマックス・プランク研究所と改名される。

1947年 プランク、ゲッティンゲンにて死去。

ついで光電効果

これも歴史的に見ていく必要がありそう。光電効果そのものより、それが量子論にどう結びついていったかが問題だ。

例によってウィキから始める。

光電効果(photoelectric effect)は光起電力効果とも呼ばれる。
光電効果には外部光電効果と内部光電効果があるが、普通は外部光電効果を指す。

ということで、面倒なので外部光電効果にジャンプする。

物質に光を照射したとき、物質が電子を放出する現象。
この現象は物質に一定の振動数以上の光を照射した時のみ発生する。その限界値は物質の種類によって決まっている。入射光の強度にはよらない。

つまり、熱効果ではないということである。短波長効果、俗に言えば「紫外線効果」ということになる。

1839年、ベクレルの実験: 薄い塩化銀で覆われた白金の2つの電極を電解液に浸し、片方に光を照射した。
この結果電極間に光電流が生じた。これは「ベクレル効果」と呼ばれ、光起電力効果に関する最初の報告となった。

そのあと、あまり注目されることなく経過したようで、50年後にやっと本来の短波長光線の光電効果に関する発見が報告される。

1887年、ヘルツが亜鉛の板に紫外線を当てると電気を帯びる現象を発見。
1888年、ハルヴァックスという人が、金属に紫外線を照射すると、電子が表面から飛び出す現象を報告した。

これがベクレル効果の本態だと理解されると、短波長光のもたらすベクレル効果に注目が集まった。

その中でレーナルト(熱心なナチストで反ユダヤ主義)の研究が優れている。
1.電子を放出させる光は短波長でなければならず、そこには限界値がある。
2.波長をさらに短くすると、飛び出す電子の数は変わらずに、運動エネルギーが増える。
3.強い光を当てると、飛び出す電子の数が増えるが、電子1個あたりの運動エネルギーは不変である。

これらの現象は従来の物理学では説明できなかった。

1905年、アインシュタインが光量子仮説を提示した。光はエネルギーhνを持った粒の集団であり、光子が吸収されるときのエネルギーは

hν= P1+P2+eV

で表される。

ここでP1 は電子を原子から引き離すエネルギー(イオン化エネルギー)、P2 は物体表面から電子を飛び出させる仕事、eV は解放された光電子の運動エネルギーである。

金属では多くの電子が原子から離れて、金属内を自由に運動しているので、 P1 = 0 と考えることができる。したがって

hν> P2 

ならば電子は金属表面から飛び出すことができる。

1912年 ミリカンは電圧を発生させるνの限界値の傾き
h/e
をもとめ、得られた h が黒体輻射の実験から求めたプランク定数 h と一致することを確認した。これによりアインシュタインの仮説は証明された。



熱の原因が赤外線(熱線)にあり、それは量子として定式化されるということで一件落着となった。
しかしそれ以前は「熱素」の存在は常識であったようだ。

ウィキで調べてみた。

カロリック説(caloric theory)

物体の温度変化をカロリック(熱素)という物質の移動により説明する学説。

物体の温度が変わるのは熱の出入りによるのであろうとする考えは古くからあった。

古代において、熱は光や火と同一視されていた。火は4大元素の一つであり、物質であると捉えられていた。

17世紀 熱の本質についての議論が盛んになる。大きく分けて、熱物質説と熱運動説に分けられる。

1620年 フランシス・ベーコンが最初に熱運動説を唱えた。同じ頃、ガリレオは「火の粒子」が運動することによって熱が発生すると考えた。同様にホイヘンスは「熱の粒子」の運動を仮定した。

1697年 シュタール、燃焼を燃素(フロギストン)という物質で説明する。燃焼の結果として熱も生じるため、熱物質説が拡散する。

18世紀初頭、カロリック(熱素)仮説が提示された。目に見えず重さのない熱の流体があり、これが流れ込んだ物体は温度が上がり、流れ出して減れば冷えるというものであった。

1760頃 スコットランドの化学者ブラックが、ワットの蒸気機関の発明を受けて、熱の概念を検討。

彼は熱の量(熱量)と熱の強さ(温度)との区別を明確にし、物質の持つ力学的属性(質量)のほかに、熱的属性としての熱容量(比熱)の概念を導入した。これらの考えは熱物質説を補強した。

1777年 ラヴォアジエの熱理論が発表される。フロギストン説を否定し酸素の中心的役割を主張。酸素の中に「火の物質」がふくまれているとされる。

1783年 ラヴォアジェとラプラス、熱量保存則を発見。熱力学第一法則の確立を導く。

1789年 ラヴォアジェ、「化学原論」を発刊。それまで同一視されてきた光、火、熱を分離し、光は光素、火は酸素、そして熱は熱素によるものだと捉えた。

ラヴォアジェによれば、熱素は質量を持たず、物質粒子と化学的に結びつくと知覚もされなくなる。熱が加わる(すなわち熱素が増える)と、その反発力により物体の斥力が増し、物体は液体さらに気体となる。

1800年 ハーシェル、太陽光をプリズムで分け、波長ごとの熱作用の力を調べる。

赤色の波長を越えたあたりに最大の熱量があることが明らかになる。これにより放射熱と光の類似性が確認される。

1824年 カルノーが『火の動力』を著す。

カルノーの定理: 熱の動力は、熱素が最終的に移行しあう二つの物体の温度だけで決まる。これは熱素説が否定された今も、そのまま有効である。

1824年 ヤング、ハーシェルの実験を光の波動説から説明。さらに熱放射の事実から熱素を否定し熱線の波動説を主張。

1843年 フォン・マイヤー、運動のエネルギーと熱とが、互換性を持つことを証明。熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)が確立される。これにより熱素仮説は不要なものとなる。


というのが、ウィキの解説。
結局熱イコール放射熱となり、熱線イコール光線(赤外線)イコール波動ということで、シャンシャンとまとめられただけみたいな印象だ。
まず熱というのが熱エネルギーの移動過程の熱力学的表現だとすれば、なにも放射熱と伝導熱を一緒に考える必要はないと思う。
第二に熱放射を波動から説明するなら、光電効果が説明つかなくなる。そもそも熱の定義が相当苦し紛れのものだから、ほころびが出るのが当然のようにも思う。
第三に、この熱素というのは量子のことではないかと考えてしまう。しかしそれを考え抜くほどの素養がないから、悶々としている。

「熱」の概念
分かっているようで曖昧なのが「熱」の概念。
思いつくままにあげると
1.物体の状態の一つで、温度で示される。人体には熱いか冷たいかという感覚を通じて認識される。
2.物体の活動性が上がり、分子の自由度が高まれば温度は上がる。物体の活動性が下がり、分子の安定性が高まれば温度は下がる。
3.熱は熱線の作用によるものであり、赤外線の振幅の増大によリもたらされる。
4.赤外線をもたらすのは、分子からの電子の遊離である。電子の遊離は分子の結合によりもたらされ、分子の分離は熱を奪う。
ということで、結局、よくわからない原因は「熱」が物質ではないこと、物質のひとつの姿であり「形容詞」であること、その姿を現象させているのは熱(光)エネルギーであること、ひっくり返して言うと、熱エネルギーが自らを表現する過程であること、などなどである。
したがって、「熱」については、たんなる感覚ではなく、作業のための定義と単位が必要だ。
もう一つ、これらの定義によっては光電効果を説明できないことだ。これが量子論へのブレイクスルーなのだろうと、薄々見当がついてきた。

これ以上考えていても、話は進んでいかないので、とりあえずウィキの「熱」の項目。「熱過程」というのは私の造語。

「熱」の定義
1.慣用的には、肌で触れてわかる熱さや冷たさといった感覚である温度の元となる概念である。それはエネルギーの一つ、熱エネルギーだろうと考えられる。
2.物理学的には、熱は“過程”として理解される。それは異種物体間のエネルギー伝達である。
3.温度差のある系の間で内発的に伝達されるエネルギーを熱と呼ぶ。
熱過程は雑駁に言えば“物体A→エネルギー→物体B”という過程であり、「熱力学的過程」と言ってもよい。
それは物体が熱平衡状態に近づく、期間限定の不可逆過程であり、熱平衡が実現すれば消滅する。
熱過程がエネルギー伝達過程であるならば、そこにはエネルギーの伝達体が想定される。かつて“熱素”の存在が想定されたが、現在では否定されている。
熱過程は熱伝導を基本とする。対流や放射は熱エネルギーの移動形態ではなく、別個のメカニズムによるエネルギー移動形態であり、別の法則で挙動する。


熱過程はあくまでも“物体間のエネルギー伝達過程”であり、エネルギーの生成過程はふくまれない。これについては後述。

量子論: 私は何がどのようにわからないのか、それは何が原因なのか? それを知るためにはどこまで遡らなくればならないのか?

一つ分かったことがある。19世紀の急速な科学技術の進歩で、古典的な物理学の議論では説明できない事象が次々と発見されるようになった。

この場合、古典物理学というのはニュートン力学、マクスウェルらの電磁気学、熱力学を三大分野としていた。(天文学や地学はとりあえず別分野として)
熱力学は化学との境界領域であるが、熱放射時の光スペクトル分析、あるいは光電効果と言った物理学的分野が拡大しつつあった。

この光と熱の相関に絡む技術分野の発達が光子、量子という概念上の存在を生み出した。

また20世紀の初頭になると電子が発見され、それが原子構造へと結びついていった。

電子は実在的存在であるが、電子・光子・量子という三姉妹が量子論の幕開けとなっている。

もう一つわかったことがある。これは痛切な感想であるが、私の頭は19世紀半ばの水準で止まっているということである。ニュートン力学そのものの到達点に達していないから、量子論がわからない。

19世紀の物理学の進歩を確認しないと前に進めない。まずマックスウェルの電磁波理論、熱力学の理論、そして光の性質に関する理論がもう少し知っkリト理解されなければならない。
そしてそれらの理論の19世紀前半までの到達、19世紀後半の飛躍的発達、そして、黒体放射の観察と光電効果の発見がもたらした謎、すなわち光エネルギーの強さが振幅に規定されず振動数に規定されるという現象が光屋さんと熱屋さんの双方からもたらされたこと…
これらをじっくり紐解いていかなければならない。

理数系の人は急ぎすぎる。私らはいまだにアキレスと亀のお話にハマっているのだ。

これから先は、佐藤勝彦さんの「量子論を楽しむ本」(PHP文庫)を読みながら、少しづつ“つぶしていく”ことにしようかと思う。

ひどい話で、キルヒホフの熱化学反応のはなしを理解するのに、結局反応熱の概念まで遡らなければならないことが分かった。いかに高校・大学と物理・化学を知らずに過ごしてきたかが分かる。

反応熱(heat of reaction)

反応熱とは化学反応に伴い、発生もしくは吸収される熱である。

物質は分子が化学結合することにより形成されている。
化学結合は固有のエネルギーを持っている。
そのエネルギーは分子から受け渡されたものである。

したがって、分子の結合が切断されれば結合エネルギーは消滅し、分子の内部エネルギーが増加することで蓄えられる。
ふたたび分子が結合すれば内部エネルギーは減少し、結合エネルギーとなる。

結合のために用いられる内部エネルギーが多いほど、結合は強固なものとなり安定する。

分子周囲空間の温度変化

分子周囲空間の温度は化学物質の化学反応によりどのように変化するか。(分子外の空間の温度とは、単位容積あたりの熱容量である)

化学結合の切断は内部エネルギーの蓄積をもたらし、内部へのエネルギーの流入は熱の流入をもたらす。それは分子外空間の温度低下(エンタルピーの低下)をもたらす。
逆に化学結合の形成は内部エネルギーの流出をもたらし、分子外の発熱・温度上昇をもたらす。

これを分子(内部)の側から見ると、切断→エネルギーの流入→吸熱反応となる。結合の場合は発熱反応をとる。

通常の化学反応系内では結合の切断と生成の両方が同時進行する。このため、吸熱・発熱は化学物質内の切断と生成の総計として観測される。

熱化学方程式

反応式と生成熱とを組み合わせた化学反応式を熱化学方程式と呼ぶ。

窒素と水素からアンモニアが生成される方程式、

N2 (g) + 3H2 (g) = 2NH3 (g) + 91.80 kJ

では、2分子のアンモニアが生成されるのに91.80 kJが追加されなければならないことを示す。

なおこれらの事実を示すのにエンタルピーの概念は必要ない。

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