鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 40 自然科学

大脳の構造と機能を探求するため、パソコンの基礎勉強を始めた。
またも悪い癖で、1+1が2になる理由が、すなわち犬1と猫1を2とするための条件(例えば我が家のペットであるとか、死刑囚を名前でなく番号で呼ぶとか…)が気になり始めた。
それは数学的な疑問ではなく、言葉上の疑問である。まずは思いつくままに書き連ねていくことにする。

1.補助記憶装置という言い方は不正確だ

パソコンが作動するのはプログラムあってのことである。プログラムがなければただの回路の集まりに過ぎない。ところがプログラム=OSが載っているのは補助記憶装置だ。だとすれは補助記憶装置が中枢であり、CPUはロボットに過ぎない。
工場(情報生産)で言えば、CPUは工作機械であり、機械が動くためには電気と動力が必要だ。それで駆動された工作機械は、決められたプログラムに基づいて元情報を加工・結合し新たな情報を生産する。その意味ではOSが乗ったメイン・メモリ、さらにOSが保存された補助記憶装置、丸めて言えば工作機械の制御盤こそが中枢だ、と言えないこともない。
とはいえ、これはちょっとした言い換え、はぐらかしに過ぎないのであり、電源が入ってまずBIOSが発動して補助記憶装置にOSを読みに行く。そしてOSを使って機械を立ち上げるのだからやはりCPUが偉いとも言える。
といってもBIOSも一種のプログラムなのだから…と話を進めて、ちょっと待てよ、BIOSはどこにあるんだと言うことになる。たしか昔、NEC98の頃、どうにもならなくなってDOS画面からBIOSを立ち上げた事があったよな…
最後は「神の手」が登場する。結局人間が電源スイッチを押すことがすべての始まりなのだ。こうなると議論は全てストップしてしまう。この悪無限的二元論と天地創造神話への収斂は、パソコン内での「中央」とか「補助」とかの争いが無意味なことを意味する。
これ以上の議論はムダだ。「パソコンの本質は記憶(装置)と演算(装置)の結合にあるのだ」、と理解しておけばよい。この結論は脳の働きを考えるときにも、そっくりそのまま通用すると思う。

2.補助記憶装置という言い方は不正確だ その2

補助記憶装置には多くの種類があるが、中でも主たる補助記憶装置として内蔵ハードディスクが挙げられてきた。それはいいのだが、今なおカッコなしにハードディスクが「主たる補助記憶装置」として挙げられるのは困る。現に私のパソコンはSSDだ。これからますますそうだるだろう。だから主たる補助記憶装置をその性格にふさわしく呼ぶことが必要だ。
その際、①パソコンに内蔵された、②しかしマザーボードとは離れた、③パソコンの主要OSを搭載したメモリであることを明確にするべきだ。誰か上手いネーミングを考えてほしい。ここでは暫定的に「内蔵SSD/HD」と表現しておく。

*SSD(ソリッドステート・ドライブ)の名称

本体はフラッシュ・メモリ(半導体メモリ)である。つまり、スティック状のUSBメモリ、板状のSDメモリと同じ組成である。これにメインメモリと情報をやり取りするための回路を入れたチップが合梱されている。フラッシュメモリの名称は元々開発に当たった東芝がつけた商品名である。データの消去がフラッシュカメラの閃光のようにパッとできるというのが売りだった。
USB_flash_drive
今では普通に1テラの外付けSSDが売られている。ただ両者は使い分けの時代が当分続くだろうと思う。SSDは読み出しはやたら早いが、書き込みは早くない。とくに大量データの処理は場所探しに時間がかかるようだ。それに信頼性はかなり低い。定期的なHDへのバックアップが必要だろう。

*ハードディスクの未来は暗くない

その点、ハードディスクは大容量、低コストで安定性にもすぐれていて捨てがたい。動画・音楽とくにパソコン再生に比重を置く際には必須のアイテムだと思う。例えば将来、AIの活用によって書籍のデジタル化が容易になれば、100テラもあれば大抵の公立図書館の蔵書は収まってしまうのではないか。

3.メイン・メモリにメモリの名を独占させるのはやめるべきだ

一度記憶装置の体系を整理した上で、それぞれの役割や位置づけにふさわしく再命名すべきだと思う。そのさい「メイン」とか「中央」というふうな差別的な名称は排除すべきだと思う。その何ふさわしいとは思えない。むしろ「作業用メモリ」と呼ぶのがふさわしいように思える。
CPU(と言いつつ使ってしまうのだが…)に近い順から言うとレジスタ、フラッシュメモリ(SRAM)、メインメモリ(DRAM) 、補助記憶装置(内部SSD/HD)というラインアップが形成されている。この中で記憶容量が圧倒的に多く、保存性もある補助記憶装置が“メイン”の名にふさわしいのではないかと、私は思う。
人間の脳で言えば大脳皮質が相当することになるが、パソコンで言えば補助記憶装置で、海馬/線条体がメインメモリになる(私の作業用メモリは最近とみに揮発性が高まり、首を振るだけで記憶が飛んでいく)。

4.CPU(中央処理装置


かつてはまさに演算装置であり、大きな部屋にドカンと鎮座するユニットであったが、現在は半導体チップがカードの上に集積され、それ自体が消しゴム大のチップのように圧縮されている(マイクロプロセッサー)。もはやユニットの名は不適当だ。しかし機能としては変わらず、基幹情報(会社で言えば総務機能)の集中する中枢である。
人間で言えば前脳・中脳・後脳に当たり、前脳(視床)で諸感覚・諸知覚が第一次統合される。かんたんなものはそこから直接、反射的に錐体路系に戻されるが、ほとんど(とくに言語化に関わる知覚)は大脳に回され二次処理が行われる。

5.パソコンの進化に伴う各パーツのバランスの変化

人間の脳と比べ圧倒的な差があるのが言語活動分野だ。とくに大脳の前半分は基本的に言語で動いている。パソコンの言語的基礎は二進法オンオフの信号だ。これを「機械言語」と呼ぶこともできるが、対話型でない「言語」は本質的に言語ではない。人と人が対話する際の補助的役割を演じるに過ぎず、自律性を持つわけではない。
パソコンが二進法にとどまり、言語を持たない以上、パソコンは「能動的に考える」ことは出来ない。知能を持ち考えているように見えても、それは擬似的な活動に過ぎない。
これが今後どうなっていくか、パソコンは言語を獲得するのか、能動性と対話能力を獲得するのか、AI技術がそこに踏み込んでいくかどうかは、もはや私の知るところではない。
ひそかに夢想するのであるが、もしパソコンがそのような潜在能力を獲得し、その方向に向かって歩み始めたら、パソコンは我が身に絶望し、自らを取り巻く環境の冷酷さに耐えきれず、「自殺」するのではあるまいか。



面白いことを発見した。
「脳とコンピュータ 類似点」と検索窓に入れて検索したら、脳とコンピュータの違いを論じる記事がずらずらとでてくる。中には「“脳=コンピューター”という比喩が、脳科学の発展を妨げている」というまことに露骨な記事まである。
世間では脳とコンピュータは違うと思いたいのだなという感じが、ひしひしと伝わってくる。眺めているうちに気がついたことがある。脳とコンピュータは違うのだと主張する論客の多くがいわゆる脳科学者たちだということだ。このことから脳科学という学問のベクトルが密かにうかがえるような気がして面白かった。
私たちの若かった頃、心理学という学問が一世を風靡した。戦後のアメリカ渡りのニューウェーブだった。頭蓋骨の中を暗箱に見立て、餌を与えたり、迷路を走らせては反応をいろいろ解釈するのである。実験だから結果はきわめて明快に数字としてでてくる。それに推計学の粉をまぶすと何やら有り難いご託宣が吐き出されるという仕掛けだ。
同様な連中が、今は「脳科学者」を名乗って好き勝手なことを喋っている…と私は思っている。そういう脳科学者たちが「脳とコンピュータは違う」論者の中心を占めている。脳が神秘のブラックボックスでないと彼らとしては営業上まずいのだ。

医者は脳の調子が悪い患者を日夜相手にしているから、「どこかに大事なねじがあってそこが緩んでいるのではないか」と疑い、頭の中を覗きたくてウズウズしている。「人間機械論」を書いたドラ・メトリは医者だから気持はよく分かる。もちろん、見ただけで脳とコンピュータが違うことなどわかっている。大事なのはそこではない。どこかコンピュータのような仕掛けで動いているようなところはないのだろうか、どこか脳の働きを知る上でヒントになるようなものはないかと考えるのだ。だから相違点より類似点のほうがはるかに気になるのだ。

心理学が流行した頃、サイバネティクスという言葉も流行った。「心や脳の機能をダイナミックなシステムとして捉えようとしたもの」で、人間の方から仕掛ける類似論だ。こちらは北大時代に講演を聞いて本を買ったりした思い出がある。今回の勉強もそういった発想の延長線上にある。

目下のところ、類似論的探求の最大の成果は、「大脳=外付けメモリ」仮説にある。ということはCPU=視床ということだ。ついでに言えば線条体=DRAMということになる。もっともこれは当てずっぽうで、明日には考えが変わるかも知れない。

相違論者と類似論者が出揃った。それではコンピュータの専門家はどう考えるのだろう。そう思って記事を探しても意外に“論争”への関与は少ない。理由は脳の科学的知識の蓄積が、論争に耐えるレベルではないからである。だから比較しようにも議論が成立しないのだ。
これは当然のことである。「どこか類似しているところはないか?」と探すのは、コンピュータの側からも脳の側からも大いに生産的である。そこに鉱脈があるかも知れない。いっぽうどこが相違しているのかを探すのは、脳をブラックボックスのままにおいておきたい気持ちの現われなので、まったく不生産的である。せいぜいAIの独裁に怯える大衆の不安に答える鎮静剤ほどの役目しかない。そこには何の学問的進歩もない。ただ類似論者の“行き過ぎ”をチェックする機能はあるかも知れない。
コンピュータの専門家にとってはそんな議論はどうでも良いことなので、「勝手にどうぞ」ということだ。


良い絵があったので使わせてもらう。

コンピュータ構成要素」より

nagarez

コンピュータは入力装置出力装置記憶装置演算装置制御装置の 5 つの装置で構成され、「データの流れ」と「制御の流れ」により処理が実行される。

1.演算装置 (ALU : Arithmetic and Logic Unit)

算術演算(四則演算)や論理演算などの計算を行う
2.制御装置 (control unit)

CPU以外の要素・装置が動作するための制御を担う
3.記憶装置 (storage unit)

データやプログラムの保存・記憶を行う。CPU 内部のレジスタとキャッシュメモリ、マザーボード上のメインメモリ(RAM)、マザーボード外のストレージ(外部記憶装置)に分類される。
4.入力装置
コンピュータなどの機器本体にデータや情報、指示などを与えるための装置。一般的には人間が操作して入力を行う装置。キーボードやマウス、タッチパネルなど。
5.出力装置
実行中のプログラムからデータを受け取って、人間に認識できる形で外部に提示する。ディスプレイやプロジェクタ、プリンタ、音声を発するスピーカーなどがこれに該当する。

レジスタの種類
ここまでやる必要はなさそうだが、あとで海馬や古皮質、線条体などの役割を理解する上で必要になるかもしれないので、列挙しておく。

1.アキュムレータ (accumulator)
マイクロプロセッサ内で、論理演算や算術演算の結果を一時的に保持しておくレジスタの一種。「累算器」「積算器」と訳されることもある。
2.プログラム・レジスタ
命令を読み出すために,次の命令が格納されたアドレスを保持する(リンク先の保存?)
3.スタック・ポインタ
サブルーチン呼出し時に,戻り先アドレスなどを格納する(迷子札? まったく意味不明)

命令とアドレッシング

これからが、プログラムの話。刃が立たないのを処置でかじってみて、言葉の意味だけでも味わっておく。

プログラムは,アルゴリズムを複数の命令語で記述したものである。プログラムを実行するということは,プログラムを構成する命令語を 1 つずつ実行することになる。
命令語命令部オペランド部(アドレス部)で構成される。
「何をどうする」という構文となる。命令部では “実行する操作”、オペランド部では “操作対象のアドレス” を指定する。
命令語の実行には6つの実行手順がある。

表 命令実行フェーズ
No.ステージ内容
1命令の取出し
(命令フェッチ)
プログラムカウンタが示すメモリ番地から命令を取出し,命令レジスタへ格納する
2命令デコード命令レジスタの命令を解読する
3実行アドレス計算メモリからデータを採り出す命令の場合,オペランド部から取り出し元のアドレスを計算し,メモリアドレスレジスタへ格納する
4データの取出しメモリまたは汎用レジスタからデータを取り出す
5命令の実行命令部に指定した命令を ALU で実行する
6結果の格納メモリまたはレジスタへ結果を格納する


言葉はちんぷんかんぷんだが、右の列の説明文を読めば、なんとなく感じはつかめる。プロセッシングに関わる以下の記述は省略する。




パソコンの構成…脳幹・大脳関係を念頭に置きながら


パソコンの構成(本体)
パソコン本体

(A) マザーボード(motherboard): 
“母板”という訳語もある。ちなみに母船はmothership。
パソコン本体を構成する、パーツを取りつける基盤。したがって、マザーボードに乗っている一式セットがパソコン本体に相当。これらを取り除くとただの板だが、各パーツの配置設計図、各パーツをラインで結ぶ幹線ネット、各パーツに電源を供給する配電盤としての意味は残る。


マザーボード 1
マザーボード

マザーボード 2

Mother_board_partial_name@ja


マザーボード 3
マザーボード2

(B) CPU(Central Processing Unit)

この説明書では、「CPUはパソコンの頭脳だ」とされるが、それは多分間違いだ。パソコン本体が全体として頭脳だ。では頭脳の中の何に相当するのか?
そしてこの説明書ではそれ以上の説明はない。説明書としては致命的な欠陥だ。

Wikiの説明は、知りたい事を教えず、教えたいことを押し付ける、ありがちな説明の典型だ。IT用語辞典で勉強する。

構造
CPUとは、コンピュータの主要な構成要素の一つだ。現代では一枚のICチップに機能が集積された「マイクロプロセッサ」(MPU)を用いる。
CPUの内部は以下のようなユニットから構成される。
*制御ユニット 命令の解釈や他の回路への動作の指示などを行う。
*演算ユニット(Arithmetic and Logic Unit) 論理演算や算術演算を行う。
*レジスタ CPU内メモリ。データの一時的な記憶を行う。
(現在はRAMとレジスタの間にキャッシュメモリ=SRAMが入る三段ロケット方式となっている。これもCPU本体に実装されている)

*インターフェース回路 外部との通信を行う
つまり最小限の身の回りのことができる「ミニ本体」となっている。
(ただし電源関連ユニットはない)

動作
CPUにはプログラムは含まれない。プログラムはメインメモリ(RAM)に格納されている。
CPUは、まずRAMのプログラムを読み出すことから始まる。次にプログラムから行うべき動作を読み取り決定する。(フェッチ&デコード)→選択した命令を実行する。

最近の流行り
冥土の土産話にもならないので、名前だけ挙げておく。
*SoC(System-on-a-Chip) 必要な機能のほとんどを搭載した一体型CPU
*nビットCPU 一度に処理できるデータのビット数を上げる。最近は64bっとが主流
*クロック信号の頻度アップ CPU稼働の頻度を上げる。現在は2GHzが主流
*ハイパースレッディング 並行して走る回路の分割による有効利用
*マルチコアプロセッサ 一つのCPU内に複数の“命令の解釈・実行”コアを立てることにより、擬似的にマルチプロセッサの効果を生み出す。最近はCore i7方式が主流。




廣田 ゆき、仲嶋 一範(慶應義塾大学 医学部
短い「前置き」への長い「反論」

大脳皮質の発生という項目には。次のような短い前置きがある。
 大脳皮質の発生過程では、神経細胞は誕生した部位からダイナミックな細胞移動を経て最終配置部位に到達し、例えば新皮質においては6層構造が形成される。大脳皮質を構成する神経細胞は興奮性神経細胞と抑制性神経細胞に大別され、前者は主に終脳背側部の外套(広義の大脳皮質)と呼ばれる部位の脳室面にある脳室帯及び脳室下帯から産生され、後者は主に終脳腹側部の基底核原基と呼ばれる部位の脳室面から産生される。
短いが、非常に難しい、というか分かりにくい。思い切り枝葉を落として書き直すと、以下のようになる(と思われる)。

*大脳皮質の神経細胞は別な場所で誕生し、目標部位に移動する。
*興奮性神経細胞は外套の脳室面から産生され、抑制性神経細胞は基底核原基の脳室面から産生される。

「大脳皮質の発生に関する基礎的説明」としては非常に不親切かつ迂遠な説明である。正しいか間違っているかという話ではなく、大脳の形成というテーマからは見事に「的を外している」からだ。
不親切というのは、側脳室の形成過程がまったく説明されていないからである。
迂遠と言うのは、興奮とか抑制という余分な概念を突っ込むことである。そもそも大脳内での神経調整が興奮vs抑制という二元的原理によるのか否かは、それ自体が証明されるべき疑問である。

<私は自動車と同じで、駆動(したがって加速)はエンジンで、その調整と方向づけはドライバー(したがって神経)によって行われるものだと考えている。もう一つ、外套→大脳皮質は巨大なメモリ装置であり、その(最終)結果に対してはニュートラル(無責任)であろうと考えている>

先程の前置きは2つのポイントがあるが、両方とも、「何が、どこからどこへ、どのように、そしてなぜ?」という基本設定からすれば、どうでも良いことだ。

側脳室の形成過程

溝口さん(神戸学院)の記述によれば、前脳の前端に近く、両側に突出部が形成される。ちょうど、カエルの頭の両側に目玉が飛び出す形だ。この突出部を半球胞(終脳胞という記述もあるが、終脳否定派の私としては、断然半球胞)と言う。これは三脳が内腔(中脳水道から第三脳室)を持つのと同様に内腔を持つ。それがやがて側脳室となっていく。
二つの内腔は室間孔を通じて相互につながる。室間孔と前脳水道(中脳水道の延長)はT字型に連絡し、この水路を通じて脳脊髄液が半球脳の内腔に進入し、側脳室へと押し広げる(このあとは半球胞内腔と呼ばずに側脳室と呼ぶこととする)。
前脳腔
上の図は「脳科学辞典」より引用した興奮性と抑制性神経の説明図。それはどうでも良くて、黒枠で囲まれた黄色のゾーンが側脳室壁、内側の三味線のバチみたいなところが側脳室。両方セットで前脳胞だったところ。この前脳胞は左下の部分で視床(間脳)と接している。そして壁のこの部分が先んじて増殖をはじめ線条体となっていく。壁の他の部分は1ヶ月ほどしてから増殖をはじめ、外套→大脳半球となっていく。これが溝口テーゼである。


線条体と大脳皮質

胎生第2月に入ると側脳室の腹側(すなわち間脳に接する部分)が脳室内に膨隆する。これが大脳核丘である。その本質は慶大グループの言う如く“基底核(線条体)の原基”である。
胎生中期に入ると、大脳核丘→基底核の発育は緩徐となり、これに代わり側脳室の自由壁側が急速な成長を始める。これが外套と呼ばれ、大脳半球の母体となる。
たしかに両者は側脳室の上皮を原基として発育するが、基底核の構造は基本的に三脳と類似しており、外套→大脳半球とは様相・性質をまったく異にする。
例えば間脳における視床と視床下部の関係のごとく、発生学的機転としては異なるものと考えるべきであろう。

なお、印象論に過ぎないが、大脳基底核というくるめ方は不正確ではないか。線条体とその仲間、それ以外の核に分け、後者は視床周囲の諸核と連携付けながら検討すべきではないかと思う。

溝口史郎「間脳と終脳の発生」のノート
中枢神経系の発生
I.中枢神経系の発生 概説と脊髄の発生
II.菱脳および中脳の発生
III.小 脳 の 発 生
IV.中脳の発生
V.間 脳 と 終 脳 の 発 生
のうち、第5章の抜書きである。
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1.  前脳胞の分化

A) 胎生第4週の終り頃

① 前脳胞は中脳胞の頭側に続く単一の袋をなす。そのほとんどは将来の間脳原基たる間脳胞である。

② 眼胞(optic vesicle): この前脳胞の外側壁の腹頭側部から外方(lateral)に向って非常に大きい眼胞が膨出している。

③ 終板(Lamina terminalis): この眼胞の出発部の頭側(前方)に薄い板状の組織があり、これを終板と呼ぶ。

B) 胎生第5週および第6週

① 半球胞(Hemispherium): 前脳胞の頭側端部(前端部)で、眼胞の出発部の頭側で背側にあたる部分の外側壁が、外方(lateral)から背外方(dorsolateral)に向って大きく膨出する。

この膨出部は左右一対の大きな袋=半球胞を形成する。

② 室間孔(Foramen interventriculare): それぞれの半球胞は前嚢胞に向けて、相対的に広い水路軸を出し、これは”前脳胞の頭側端部”につながる。これを室間孔と呼ぶ。

③ 私感「十字路」:両室間孔と”前嚢胞の頭側端部”は「十字路」を形成する。この交差点には名前はついていないが、解剖学的には非常に重要なランドマークである。

C)十字路を中心に見た前脳(前脳と終脳の境界)

* 前脳のうち十字路より前方、終板までの区域を終脳正中部と呼ぶ。その内腔は終脳室無対部という。

* 十字路の尾側は、これまでの前脳胞の大部分を占めるが、これ以後は間脳胞と呼ぶ。

* 脳胞内の空隙はこれまで総じて前脳室と呼ばれたが、終脳室+間脳室となる。これらは総括して第三脳室と呼ばれる。(すなわち旧前脳室=新第三脳室である)

* 私感1:ここで初めて終脳の解剖学的根拠を知ることが出来た。ただしランドマークとしてわかったと言うだけで、なぜあえて終脳と名付けたのか、その意義は不明である。字句通りに受け止めるなら、終脳(正中部)は成熟後にも間脳の前方にそのまま残存することになる。

* 私感2:室間孔が間脳と終脳を前後に分かつ境界だとすれば、半球胞はその線上に出現するが終脳由来とされる。眼胞はその後方腹側に起始するので、間脳由来と考えられる。(英語版Wikiにあった「5脳期脳幹発生図」の“出ベソ”は眼胞を示唆しているのかも知れない)

D)半球胞と外套

* 半球胞はその後急速に増大し、間脳・中脳・小脳まで被い隠す。このような外形から、半球胞(とくに外側部)は外套と名付けられた。


2.間脳

A)視床下溝

間脳の外側壁には前後方向に走る浅い溝が認められる。これは、背側の視床と腹側の視床下部を隔てる溝として、視床下溝(Sulcus hypothalamicus)と呼ばれる。

B) 視床

間脳外側壁の背側半部の肥厚として発生する。胎生第3月以降、総ての方向に向って増大して、強大な灰白質となる。これにより第三脳室は狭小化する。

多数の幼若神経細胞は、外套層および縁帯の各所に集合して、前核・内側核・中心核・腹側核・視床枕核などの視床核を形成する。

各種の上行繊維を受け入れて、これを大脳皮質や大脳核の諸部に伝達し、逆に大脳皮質や大脳核から来る多数の神経繊維を受け入れる。

C) 視床上部

松果体(Corpus pineale s. Epiphysis)と手綱(Habenula)および手綱三角(Trigonum habenulae)が識別される。いずれもヒトにおいては退化的である。

D) 視床下部

発生の早期においては、視床下部は背側の視床よりもむしろ大きい

視床に接する部分において、二次的分化が起こり、Hypothalamusと区別して、Subthalamusと呼ばれる。大脳核の1つに数えられている淡蒼球も、発生学的にはSubthalamus由来と考えられる。

3.終脳

A)終脳の基本構造

上述のように、終脳は前脳胞の頭側端部(前端部)をなす終脳正中部とその左右に膨出した1対の半球胞とからなる。

半球胞と終脳胞には、おのおの内腔があり、半球胞の内腔は後に側脳室となる。一方終脳胞正中部には終脳室無対部が形成される。

(このあたり言葉が1対1の対応をなしていないので要注意。煩雑な割には、臨床的意義は低いので、忘れた方がいい)

 重要! 終脳正中部はあまり拡大しない 

その結果、半球胞や間脳胞に比べて相対的に狭小となる。

B) 蓋板

正中部の背側壁を蓋板がおおう。蓋板は間脳の蓋板に直接続き、第三脳室脈絡組織の一部となる。

C) 終板と交連板

終脳正中部の前壁は神経管の頭側端を閉ざすことから、終板と呼ばれる。

終板は左右の半球胞の唯一の交連部である。交連繊維はその背側部を通るため、終板の一部が肥厚して、交連板となる。

4.終脳の大脳への進展様式

(原文では終脳の章の第二節だが、かなり膨大になるため独立した章を起こす)

A)  線条体 Corpus striatum

胎生第2月の中頃:半球胞の腹側壁において、盛んな細胞分裂が始まる。この膨らみは半球胞の内腔に向け突出する。これを大脳核丘という。

この場所を詳しく言うと、「室間孔の下外方で間脳、特に視床下部の前方に直接続く部分」となる。要するに、ほとんど間脳との境界線上である。大脳核丘は急速に大きくなり、半球胞の腹側ないし腹外側のほぼすべてを占める。

(著者は線条体と呼ばず、ドイツ医学の伝統に倣って「大脳核丘」と呼ぶ。悩んだが、今後英語版文献との付け合せをする可能性も踏まえ、線条体に統一する。ただし線条体はトリ脳の解剖もふくめ歴史的多義性を持つことを覚悟しておく)

B) 外套(Pallium)

大脳核丘以外の場所では、半球胞の壁は、広く引き伸ばされる。しかし胎生期間の中頃に至るまで肥厚・増殖はしない。

その結果、側脳室を前・外・後および背方から囲むように広がる。

(というより半球胞の内腔が拡張させられ、側脳室となっていく)

その包み込むような進展スタイルから、「外套」と呼ばれる。

こうして半球胞の壁は、側脳室を挟んで内側の大脳核丘と外側の外套に分かれる。大脳核丘からは大脳(諸)核が、外套からは大脳皮質が形成される。

C) 外套と側脳室の拡大

胎生期間の中頃以降、大脳核丘の増大は緩徐となり、これにかわり側脳室の前側、上側、外側、後側が拡大する。さらにこれに付着する外套が急速に発育する。 

(つまり、脳幹+大脳核を包み込むように側脳室が発育し、さらにその外側全体を外套が取り囲むマトリョーシカが構築される)

D) 大脳及び側脳室各部の構築

主題から外れるので省略。

E) 線条体(広義)の分化と内包の形成

線条体は半球胞の腹側壁をなしている。側脳室内腔の前端から後端にまで達する大きな高まりである。

大脳皮質が発達すると、そこから視床およびそれ以下へ行く神経線維が生じる。これらは線条体の中に進入し、斜めに貫通して、室間孔の後縁で間脳の前端に進入する。

この繊維集団が形成するのが内包(Capsula interna)である。やがて線条体は内包によって分割され、尾状核(Nucleus caudatus)、レンズ核の被殻(Putamenn)と呼ばれるようになる。(以後詳細は略す)

F) 淡蒼球と扁桃核など

なお基底核には淡蒼球も存在するが、これは大脳基底核ではなくSubthalamusの一核が終脳領域に転位したものと考えられている。

扁桃核は嗅覚に関連する神経核で、系統発生的には線条体よりも古いものである。

(所感:基底核を視床周囲の諸核とごたまぜにすることは避けなければならない。第二なことはそれが視床と大脳角、大脳皮質を結ぶ線維性連絡に結びついているか否かの見極めである)

G) 脈絡野

省略

H) 嗅脳

残された二つの大物が、嗅脳と海馬だ。議論百出なんとも納まりの悪い対象だが、著者の辣腕に期待。

嗅脳は終脳のうちで嗅覚に関系した部分であり、爬虫類までの脊椎動物では、これが終脳の総てである。哺乳類では大脳が巨大となるために、目立たない存在となる。

嗅葉(Lobus olfactorius): 胎生第5週に、半球胞前部の腹側・内側面で、線条体の前方部が腹方に向って隆起する(逆に言えば外套の最後方で、線条体と接する部分)。これが原基となり嗅葉が形成される。

嗅葉からは嗅索が伸び、その先端が嗅球を形成する。

梨状葉(Lobus pyriformis): 嗅葉の後半部分に接続して梨状葉と呼ばれる特殊な大脳皮質が形成される。

梨状葉はさらに外側嗅回、疑回、半月回、および海馬回鈎などの各部に分化する。人では退化傾向を示し、発生途中にほとんどが消失する

I)海馬(Hippocampus)

* 胎生第3月の中頃: 半球胞の外套する。内側面が肥厚を始め、側脳室に向って軽度に隆起。これを海馬と呼ぶ。その後海馬隆起は、弧を描いて後方に伸び、側脳室の後端近くまで達する。

* 神経細胞は6層構造を示さない特殊な大脳皮質を形成する。

* ウサギやネズミなどでは発育は非常に良好だが、ヒトでは退化的である。


むすび

最後に著者自身の結語を要約・紹介する。

非常に難解であると言われている中枢神経系の発生過程を、やや詳しく述べた。

中枢神経系の発生学は、今日なお十分に解明されているとは言い難い。中枢神経系の発生学に対する関心が高まり、これが発展することを念願して止まない。

…………………………………………………………………………………………………………

ここには私が求めていたもの、ほかの教科書が曖昧にしてきたものの、ほとんどすべてが網羅されている。

脳の解剖学教科書でありながら、臨床を目指すもの、脳の進化や発生学、神経生理を目指すものに共通の拠り所を提供してくれる。「群盲象を撫でる」というが、これは目で見て書いたことがありありと分かる有無をいわせぬ記述だ。

もう一つ特筆すべきは、言葉・知識が踊っていないことである。さまざまな用語・表現が丁寧に取捨選択されている。さすがにゲノム関連の情報は十分とは言えないが、根っこがしっかりしているから無理なく適応できる。

作成者は神戸学院の名誉理事長で、神戸大学名誉教授の溝口史郎さんという方、2012年に講義のために作成されたカラースライド用のデータベースを公開されたもののようだ。

発行の辞が述べられているが、まさにライフワークと呼ぶにふさわしい。その「持続する志」にふれるだけでも一読の価値があると思う。

私には以前から前脳ー間脳ー終脳ー外套ー大脳ー基底核の書き分けが非常に気になっている。この6項目についてはいつも気持ちが引っかかる。教科書的なものから入門的なものまでふくめて、細かい定義が相当ばらばらになっているのではないだろうか。
そこで、こう考えた。
そもそも解剖学はほとんどが欧米からの直輸入で、日本人はそれを勝手に解釈しているに過ぎない。だからこのような細部の曖昧さが残るのだろう。
そこは外国の権威ある教科書に準拠して確認すれば済むのではないか。
そこで用語学的な可否も洗い直して、整理してみてはどうかと考えたのである。

そこでまずは英語版Wikiから当たることにした。その場合日本語版、さらに脳科学辞典との比較もできるので、相違点を見つけていきたい。


英語版Wikipedia の概要

Ⅰ.前脳 prosencephalon

英語版にはprosencephalonの見出し語はなく、Forebrainで掲載されている。内容的には『前脳』の内容と一致している。
記載は19行しかなく、簡潔と言えば簡潔である。
脳幹は神経系の初期発達期(三脳期)においては前脳、中脳、後脳(菱脳)に分かれる。前脳は、脳の最吻側に位置する。
その後5脳期に入ると、前脳はさらに間脳diencephalonと終脳telencephalonに分かれる。終脳は大脳cerebrumに発達する。
大脳は、大脳皮質・白質・大脳基底核からなる。
この記述で明らかに問題となる点が二つある。
一つは、前脳がどのようにして間脳と終脳に分離するのかがまったく説明されていないこと。とくに大脳と大脳基底核の母体となる外套に付いて説明されていないことである。
そしてもう一つは、はるかに重大な問題だが、この説明図である。

3脳図と5脳図
図 3脳期(右側)と5脳期(左側)

右側の5脳図で終脳の下にちょこっと飛び出しているのが間脳diencephalonである。
実はこの絵は私にとってかなりの衝撃であった。国内で展示されているどのイラストにもこのような表示はされていない。寡聞にして私は知らない。
さらに英ナビという辞書サイトでは、diencephalonが次のように説明されている。
“the posterior division of the forebrain; connects the cerebral hemispheres with the mesencephalon”.
思わずめまいがしてくる。(なお日本語Wikiの文章は英語版からの翻訳と思われる。ここでもこの図が引用されている。ただし原文にない注釈があって、“終脳は俗にいう大脳だが、解剖学では大脳とは終脳と間脳を合わせた領域を指す”とある)

参考までに日本語のサイトから引用しておく。
前脳 脳科学辞典
  脳科学辞典より 前脳の発達(終脳(黒田一樹、佐藤真)から引用

ウィキ氏の思いとしては、Prosecephalonではなく“Forebrain”(前の脳)のわかりやすい説明をしたつもりだけなのかもしれない。としても、これはProsecephalonの説明ではなく、この記事は削除すべきであろう。大脳の外套原基論を念頭に置けばこのような発想は出てこないはずだが…


Ⅱ.間脳 Diencephalon 

この項目は正式名称で立ち上げられ、前脳に比べると詳しく説明されている。

それは前脳の一部であり、終脳と中脳の間に位置する。(先程の図を文章でもダメ押ししている)
インターというのはかなり侮蔑感を含んだ言葉で、要は大脳と中脳の中継点、高速道路の降り口みたいな表現である。
その後、次のように語られる。「間脳は英語ではinterbrain と呼ばれる。古い文献では tweenbrain とも表現されていた」
tween というのはbetween の短縮語である。どっちみち通過駅だ
もう一つ、これも奇妙かつ文学的な表現だが、「前脳は徐々に終脳と間脳に分かれる」(divides into)とされる。つまり二段ロケットの一段目として切り離される存在という位置づけだ。

間脳の構造についての説明では、その雑多性が強調される。
*視床 Thalamus
*下垂体を含む視床下部 Hypothalamus
*視床上部(諸核)Epithalamus
*視床腹部 Subthalamus

記事の主要内容はここまで。
間脳の説明についての最大の不満は、「5脳期の説明図」で、終脳の下方にこれ見よがしに描かれたデベソ風の突起。これがなんで間脳でなければならないのかの説明が何一つないことである。

tweenbrain: tween はbetweenの短縮形
Cloake, P が  "The Influence of the Diencephalon ('Tween Brain) on Metabolism"という論文を発表している。(August 1927)
導入部の要約: 中枢神経系は、直接交感神経中枢を通じて身体の代謝に影響を与える可能性がある。さらに内分泌を介して、身体の代謝に影響を与える可能性がある。基礎代謝も、感情的な原因によって増加する可能性がある。
下垂体の内分泌機能については知られているが、その上部の視床下部にも内分泌機能との強い関わりがあり、それらを含む間脳を「橋渡しをする脳」と捉える必要がある。

Ⅲ. 終脳  telencephalon

英語版Wikiにはtelencephalonという見出しはなく、Cerebrumの記事に一括されている。英語表現ではendbrain、さらに直截である。
前半(Structure)は、完成された大脳についての説明に終止するが、見出し語がそうなのだから仕方ない。結局終脳については、雲の合間から見え隠れするその有様をスケッチするくらいしかできない。
中盤(Development)と後半(Other animals)に終脳から大脳への発達・進化が書き込まれている。

Development

終脳の背側はpallium(外套)の原基となり、それは哺乳類と爬虫類の大脳皮質に発達していく。
*終脳の腹側は基底核を生成する。(背側・腹側関係については後に触れたい)
*鳥類や魚類にも背側終脳があるが、層状構造(layered architecture)をとらないため大脳皮質とはみなされない。(これが線条体問題である。後述)

Other animals

ヤツメウナギなど脊索動物では、大脳は比較的単純な構造である。それは嗅脳と呼ばれ、嗅球からの神経刺激を受け取る。
軟骨魚類では大脳は3つの領域に分かれ、複雑な構造を持つ。
腹側領域は基底核を形成し、大脳と視床が線維性連絡をとる。大脳の側方は旧皮質paleopalliumにより形成される。大脳の上部は古皮質archipallium と呼ばれる。
大脳は依然、嗅覚に特化しているが、有羊膜類では大脳は大きくなり、広い範囲の機能を有するようになる。
爬虫類では古皮質archipalliumが発達し、それによって基底核が大脳の中央領域に押し出される。
下等脊椎動物では、灰白質は白質の下に位置するが、一部の爬虫類では表面に広がって原始皮質を形成する。
哺乳類では、大脳皮質が大脳半球のほとんどを覆う。大脳表面の複雑な凸凹も出現する。これらは霊長類において著しい。
旧脳paleopalliumは腹側へ押し出され、嗅覚小葉として痕跡を留める。古皮質archipalliumは背中側の内側で巻き込まれ、海馬を形成する。
鳥類の大脳も、哺乳類と同様に大きくなっている。鳥類の脳の進化は大脳基底核が肥大化したためと考えられてきたが、最近は考え方が異なってきている。
その場合、進化のプロセスが異なっているだけで、大脳化という大方向は同じだとされる。(これについては私見として後述)
終脳についての紹介は以上。おわかりのように進化・比較解剖学の所見が非常に詳しく書き込まれており、貴重な文献となっている。しかし鳥の脳の記述を見てもわかるように、外套の増生と分化など最近の知見はほとんど書き込まれていない。
私の持っている疑問についてはほとんどそのまま持ち越しとなった。

Ⅳ. 外套 pallium

これまでの勉強に際しては、この言葉の説明が一番あやふやだった。中には外套という言葉をまったく用いずに大脳の発達を記述して、平気で済ませているものもある。また同じ轍を踏むのではないかと一抹の不安を抱えながらの進入になった。

本来は終脳論を済ませてから外套に入りたかったのだが、英語版Wikiには終脳という見出しがなくて、大脳の項目に誘導される。仕方ないので大脳を先に済ませたが、本来は終脳についてもう少ししっかりと学習してから、外套に入り、最後に大脳へという順序を踏みたかったところだ。

不安はまさに的中、積乱雲の真ん中に突っ込んだ如くに、乱気流に弄ばされる。内容は混迷を極めており、ほぼ翻訳不能。そもそも書き出しがこうだ。
最近の分子生物学的検討で、皮質構造(allocortexとisocortex)と皮質核(claustroamygdaloid complex)の両方が発達して外套を形成していることが判明した。
その後長い記述が続くが、論旨は混乱し読解不能だ。とにかく読解を断念して雲の外に逃げ出す。

結局、新知見が続出し疾風怒濤の状況から操縦不能となり、「外套論」が崩壊してしまった。このために終脳・前脳・間脳論の改定に手がつけられず、工事中・通行止め状態になっているようだ。日本で終脳→大脳論が混乱しているのも、結局ウィキの学的停滞と混迷が影響しているのかもしれない。それがわかっただけでも勉強した甲斐があったというものだ。

この記事の終末に近く、Evolutionという節が建てられている。
ここを長めに引用する。ただし訳文の正確さについては責任は持てない。
背側パリウムの進化はまだ完全には解明されていない。ある著者は、哺乳類の海馬の全皮質領域と海馬傍の中皮質(移行)領域に大きく寄与しているとする。
また、哺乳類に特徴的な6層構造の大脳新皮質に直接移行するとの説もある。また、背側頭蓋の内側と外側の部分が、大脳皮質と大脳内皮の運命の分かれ目になるとする説もある。(そこにはおそらく、外側パリウムからの寄与もある)
とにかくなんでもありのバトルロワイヤルだ。素人が手を出すようなものではない。


Ⅴ.とりあえず英語版ウィキの読解作業は一旦中止

今、素人にもわかるレベルで外套論をまとめ、終脳→大脳論に無理やり押し込むことなく、外套→大脳論を完成させることが第一だ。
その際、外套→大脳論が出現した以上もはや終脳論はまったく不要であり、終脳という言葉は研究史上の言及以外には用いないことだ。終脳などというものは「幻の関東軍」に過ぎない。
必要な作業は次の3つ。
1.腹側外套と背側外套の位置関係を確定すること。とくに発現のゲノム的位置づけ
2.基底核一般ではなく、とりあえず線条体(トリ及びヒト)の位置づけを確定すること
3.嗅脳・海馬系と基底核の進化論上の位置づけ、その相互関係を明確にすること

一応前向きの挫折だったと自らに言い聞かせつつ、現場を撤退する。






三脳説 つぶやき 2

A)終脳という言葉は不必要

終脳という言葉は、むかし19世紀に脳の解剖を行なった人がつけた名称だと思う。
脳幹が後脳、中脳、前脳と伸びてきて最後に前脳の前方に終板という物があって、それ以上発育して行けなくなっているので、そこを終脳と名付けたということではないのだろうか。
どうもそのあたりについて書いた文献が見当たらないので、当て推量で行かないのだが。
結局そうなると脳の先端(すなわち前脳)を終脳ということになるはずなのだが、いろんな模式図を見ると前脳が終板に突き当たったところから両脇に脇芽みたいなものが出てきて、これを終脳と名付けているようだ。発生論的な視点からいえば、これは“脇脳”であって終板を突き破ってそこから成長していくという意味での終脳ではない。
だから変な勘繰りはしないで、この“脇脳”を大脳といえば済むはずだ。

B) 間脳という言葉も不要だ

間脳という言葉も由来がわからない言葉だ。お化けのようにいずれの時からか、何処からか出現する。
これも根拠がわからないので推測だが、前脳の両脇に終脳が出てきてどんどん大きくなる、それで本来の脳が間に挟まれて住みにくそうになっていく。それで間脳と呼ぶようになったのではないか。
あるいは前脳が3つに割れて団子三兄弟みたいに膨れるから、真ん中の挟まれた団子を間脳と呼ぶようになったのか、とも取れる。
しかしこれを割ってみればわかるように、両脇の終脳は元々の前脳とはまったく違った構造をしている。なぜならそれは前脳の脇から発芽した脇芽が外套という形を取って肥大したものなのであって、元の前脳とはまったく姿かたちの異なるものなのである。
それは幹から発芽した芽である。幹が根ではないのと同じように、芽はやがて枝葉をつけようと幹ではない。
だとすれば結論は明らかで、前脳は視床(諸核)である。外套は外套であり、それはやがて脇芽どころか脳幹全体を覆うようになり、大脳の名にふさわしく成長していく。

C) 終脳は外套、間脳は前脳(視床諸核)と表現すれば良し

終脳も間脳もセピア色の伝統を意味もなく引き摺っているに過ぎず、やめるべき。
ただし外套イコール大脳ではなく、視床周囲の諸核(いわゆる大脳基底核)も含むと考えられる。これについては、もう少し個別の吟味を要する。

D) 大脳は新生脳(Neo Brain)だ

大脳は神経管を原基とし、脊髄・延髄・三脳の構造的特徴とはまったく異なるマトリックスを持つ新たな脳だ。
三脳は、上行下行の神経線維と末梢からの刺激(感覚)入力を受け止める神経節、さらにそれらを統合する神経核から構成される。
大脳は線条体などいくつかの例外を除いて均質な構造から成りそれ自体に特異性を持たない。
それは、線条体の付着部を通じて脳幹諸核と線維性連絡を保つ。そして基本的には脳幹からの刺激を受けて活動する。
脳幹との関係をコンピュータに例えるならば、中央演算装置と周辺記憶装置との関係と考えられる。
もちろん周辺記憶装置と言っても、何もかも中央演算装置の言うままに動くのではなく、むしろ日常ルーチンワークのほとんどをCPUの介在なしに実行しているものと考えられる。

E)「大脳形成と外套起源」論は終脳否定論をもって完結する

英語版Wikiの学習を通じて、2つのことが確認できた。
一つは終脳なんてものはありはしないのだということ。終脳に見えたものは前脳の側方から発達した2対の外套だということだ。近い将来、英語版Wikiの模式図に載せられた間脳の“出べそ”は名高いカリカチュアとして記憶に留められるであろう。
もう一つは、外套の進化論的起源および構造的特徴が脳幹とはまったく違うことだ。外套→大脳は前脳の機能を補うものとして、補助的記憶装置として登場したということだ。
この補助記憶装置の巨大化と多能化の歴史は、並行する二種の動物系(単弓類vs双弓類)においてニュアンスを異にしており、それはホメオボックスに刻印されている。

F) 野村真 「比較発生学的解析による哺乳類大脳外套領域の進化起源の解明」

「ちょっと歯ごたえがありすぎる」と思われた方は、私の解説の方に目を通してほしい、正確ではないが分かりやすさは保証する。
2022年09月13日 外套はいかにして大脳となるのか
2022年09月14日 外套→大脳の発生過程とホメオボックス

哺乳類特有の脳構造は発生学的には「終脳」(前脳)の背側領域(視床)に由来する。この部分が襟付きのコートのように膨大するために外套と呼ばれる。
(前脳)、(視床)は私が勝手につけた注釈。「終脳」も前脳なのだから、「当たらずといえども遠からず」である。

外套領域はすべての脊椎動物に普遍的な構造として存在する。しかし外套の形態的多様性がなぜ生じるのかは、未だ明らかとなっていない。
だから無視されてきた?

最新遺伝子学からの検討

これに対し、切り札とも言うべき新技術が登場した。それが発生過程の遺伝子学的検討である。
それは「ツールキット遺伝子群」と呼ばれ、外套の神経前駆細胞の運命を決定している。
なぜそれがわかったかと言うと、ゲノム編集技術の進歩である。
① この技術でツールキット遺伝子群を破壊し、表現型の変化を検討すると、それぞれのツールキットの意義がわかる。
② この遺伝子群を「分岐学」の方法でふるいにかけると、初期脊椎生物からの分岐が明らかになるのだ。

方法は略すが(読んでもわからないので)、なんとなく凄いというのは分かるでしょう。

同じ有羊膜類の外套に同じ刺激を加えても、単弓類と双弓類とでは違った脳になる。
それが背側脳室隆起(DVR)と呼ばれる構造で、これはトリにはあっても哺乳類の大脳外套にはない独特の脳構造である。

未熟な外套にCRISPR/Cas9によるゲノム操作を掛けた。その結果Pax6 とShhという2つの遺伝子が、二種間の違いを生み出した。詳細は省くが、これによりトリにはDVRが構成され、哺乳類には6層構造が形成された。

G) 磯江泰子「終脳の構築機構」より

最初はEbbesson S.O. (1980) からの引用。
終脳は発生過程において神経管の最も先端の脳のふくらみから生じる脊椎動物に共通した脳構造である。
様々な感覚情報を統合し、記憶・学習、生得的な行動の制御を行なう高次中枢として機能する。
終脳は神経管の背側から発生する「外套」と腹側から発生する「外套下部」に分けられ、両者は構造と機能が大きく異なる。(って、結局外套じゃん。高次中枢って言ったって、それは大脳のことでしょう)
「外套」は海馬や大脳皮質を含む。その構造と機能は、動物種により大きく異なる。
「外套下部」は大脳基底核(線条体など)を含む。動物間で構造が比較的共通する。

このあとメダカの終脳背側の構造解析を行い「複数のクローナル・ユニットが、排他的な解剖学的領域を占有」する傾向を認めた。ただしこの傾向は種を超えて共通するものではなかった。メダカ外套の縞状構造



「考える脳」とCPU/メモリ群


私が強調する三脳は、「考える脳」ではない。もちろん萌芽としては諸感覚を組みたて、評価し、反応する。そしていくつかをDNA上の記憶として積み立て成長する。


しかしそれは「思考」とまでは言えない。思考は何よりも膨大な記憶を必要とする。それを整理し収納し、必要に応じて引き出して、組み合わせて統合する。そのためには多分、記憶の言語化が必要だろう。しかしその話はとりあえずおいておく。


話を徒労に終わらせず、生産的にするために、私は目の前にあるパソコンを材料にしながら議論を進めたい。すなわち、中央演算装置CPUと階層化された記憶装置の複合体を「考える脳」の発祥モデルとして眺めて見ようと思う。


CPU: 視床諸核に中央演算装置を仮想する


CPU=メモリ複合体をヒト脳のモデルと考えることにはかなり無理がある。
ふつう脳といえば大脳のことを指す。脳の中にCPUに類する機能を果たしているスペースがあるとすれば、それはおそらく大脳であろうと考えても不思議はない。
しかし、実際に大脳を眺めると均一で無機的な構造が果てしなく広がっており、どこにもCPUに相当するような外観や機能を持つ脳内領域など存在しない。

そこで多くの学者はあちこち「機能的なCPU」を探し始める。ある人は前頭葉の一部に統合的中枢があるという。かつてのロボトミーの経験が密かに持ち出されることもある。しかしそれは見つかっていない。

私は視床諸核がCPUの役割を果たしているように思える。目下のところ3つの理由を考えている。

第一に、視床は中枢神経系の発生時に出現した前脳の流れを正統に受け継ぐ万世一系の領域だからである。もしこれが中央演算回路でないとすれば、発達した大脳を持たない動物には中枢がないということになり、進化論の立場から見てきわめて不都合である。

第二に、きわめて情緒的な表現になるが大脳の6層からなる基質はCPUというより記憶装置にふさわしい印象を与える。私は80年代末からパソコンに手を染めているが、CPUの大きさはあまり変化なく、むしろコンパクトになっている印象がある。パソコンの機能を飛躍的に強化せしめたのはひとえに補助記憶装置の巨大化(集積化)と、巨大な記憶を統御し駆使する実行ソフトの充実だ。(通信速度の高速化はとりあえず別にして)

第三に、これは思考機能とは直接関係ないが、脳神経系に駆動力を与えているのは脳内アミンなどの刺激物質である。
どんなに精巧な思考装置であろうともこれらなしには動かない。電気の切れたパソコンである。脳血液関門の抜け穴を通じて生体情報(内分泌系、免疫系)が侵入し、思考回路に動機と欲望を与える。

ここに三脳説の最大の意義がある。三脳は膨大な記憶装置を発達させることにより、その限界を突破した。中央演算回路は巨大な脳がなぜ活動するのかの理由を与え、その回答を求め、その作業に必要なエネルギーを提供した。 これが、10年を掛けてぼちぼちと作り上げた鈴木頌ドグマである。


メモリ群: レジスタ→キャッシュメモリ→メインメモリ

メモリと名がついたものはたくさんあって、それが素人を悩ませる最大の問題である。ネット上の教科書には「こうなっています」としか書かれていなくて、なぜそうなのかは書かれていない。メモリ群は非常に複雑な構成になっているが、これはパソコン進歩(進化)の過程で分化したものだろうと思う。

一応進化論的に思いをめぐらせていくとこうなっているのではないかと思う。
① CPU+メモリ
② CPU+作業用メモリ(主記憶装置)+外部メモリ(補助記憶装置)
③ CPU+キャッシュメモリ+
作業用メモリ+外部メモリ
④ CPU+レジスタ+キャッシュメモリ+作業用メモリ+外部メモリ
この内最後のレジスタの分化はよく分からないが、おそらくCPUがマルチタスクシステムに移行する過程で生まれたのではないかと勝手に想像している。
②→③の話は割とケチっぽい話で、コストパフォーマンスを巡るお家の事情をさんざん聞かされる。

ということで、メインメモリとキャッシュメモリについて補足説明しておく。


メインメモリ(主記憶装置)とは

CPUから直接アクセスできる記憶装置のこと。裏ぶたを開けて増設するメモリが主記憶装置に相当する。メモリと名がついたものはたくさんあって、それが素人を悩ませる最大の問題である。
たんにメモリというときはメインメモリを指す。それ以下のメモリは、補助記憶装置(外部メモリ)と呼ばれる。HDDやSSD、USBメモリなどがこれに相当する。

メインメモリというのはその働きに対してつけられた名前である。最低だと2ギガ、最近の64ビットパソコンでは16ギガまで増設可能だ。しかし今や3テラの外付けハードディスクが1万円台(いまアマゾンを見たら、エレコムの6テラが1.2万円)で買える時代に主記憶装置と威張っているのはなぜだろうか。ここが一つの勘所だ。

メインメモリは、その物理的構造に対してはDRAM(Dynamic Random Access Memory)という名がつけられていて、そちらもかなり使われる。面倒だが、当分は両方覚えておくほかないみたいだ。

メモリとRAM

この事項は書き込むか否かでだいぶ迷ったのだが、メモリとキャッシュメモリとの関係を押さえておかないと記憶装置の体系が理解できないので項を起こすこととする。

RAMには三つの特徴がある。
CPUが記憶媒体にアクセスする際に、普通は端から順番に読み書きしていく。これをシーケンシャル・アクセスという。磁気テープが典型である。デジタルな媒体では、容易に飛び飛びのアクセスが可能である。これをランダムアクセスという。これが第一。
第二が、パソコンのスイッチを切った途端に記憶が全て失われることである。このことからRAMは「揮発性メモリ」(volatile memory)とも呼ばれる。これに対し補助記憶装置(外部メモリ)は基本的に「不揮発性メモリ」(non-volatile memory)とよばれる。作成中の文書を保存しないままスイッチを切って泣いた夜が何度あったことか。
第三が、DRAMのD、ダイナミックの意味である。メモリの素材は「コンデンサを用いて製造される半導体」である。このため放っておくと、自然放電し劣化する。これを防ぐためには定期的な電力供給が必要で、これをリフレッシュという。ダイナミックというのは、自転車と同じで、動かしていないとずっこけるということだ。普通ダイナミックと言うといい意味で使われるが、ここではあまり良い意味ではない。

キャッシュ・メモリ

DRAMには以上の特徴と弱点がある。これを補うものがSRAM(Static RAM)だ。技術的なことは省くが高性能で、自然放電がなく記憶は劣化しない。しかし価格が高く、容量もかさばる。
そこで現在はDRAMとSRAMを組み合わせるのが普通だ。

図 キャッシュとメモリ
ぽんぱす」より

以前はCPUのチップの外部にキャッシュメモリを搭載するのが主流だったが、現在はCPUのチップ上にキャッシュメモリを搭載している。


メモリ・チェーン

CPUはキャッシュメモリを使って起算し、その結果をメモリに書き込む。
CPUは最初に一次キャッシュを、ついで二次キャッシュを読みに行く。最近では三次キャッシュもついているそうだ。
実はキャッシュに行く前にCPUがつながる記憶領域が埋め込まれているということで、これはレジスタと呼ばれる。
このようにメモリーは、高速なものから低速へ、容量の小さいものから大きいものへと連なっている。これをメモリーチェーンという。
CPUはキャッシュメモリを使って計算し、その結果を主記憶装置(メモリ)に書き込む。

A) 脳の構造

脳の構造」という素人向けのやさしい解説サイトがある。ある一節が気に入って引用した。他の部分はほとんどぺけである。

人間の脳は、終脳(いわゆる大脳)、脳幹(間脳、中脳、橋、延髄)、小脳から成り立っています。”

* なぜ「いわゆる大脳」なのか。なぜ終脳が由緒正しい名称で、大脳はたんなる俗称なのか。しかしこの分類は「脳幹+アルファ」という正しい発想を含んでいる。

終脳はさらに、外套と大脳核および側脳室に分かれます。外套は神経細胞が集中する灰白質(=大脳皮質)と、神経線維が集まる白質からできています。”

*灰白質と白質からなっているというのは、正しく大脳に関する本質的説明であり、しかも大脳が外套が進化したものという指摘は大胆で鋭い。
側脳室は大脳の中の空洞なので、通常は脳のコンパートメントとしては数えない。大脳基底核が大脳なのかについては吟味が必要。私は嗅脳や小脳、松果体と同じく脳幹の付属物だと思う。この部分は「大脳辺縁系」の考えを引きずった分類だと思う。


B) ポアロの「私の灰白質」

「私の灰色の脳細胞」といえばエルキュール・ポアロの決め台詞だが、原語はちょっと違っている。“gray matter” という味も素っ気もない言葉だ。日本語で言うと「灰白質」。解剖学用語である。
大脳の組織のうち表面側2ミリほどの灰色の層で、ここに脳神経の神経核が詰まっている。その奥は白質と言って神経細胞の繊維部分が固まっている。チョコ・アイスクリームのチョコレートの部分だ。
もう少し言葉が熟れてくれれば、むしろ直截に「私の脳の灰白質」と言ってくれたほうが分かりがいいと思う。
というのは脳の解剖学を勉強していると、脳の本質が大脳の灰白質にあるということが、いつの間にかどこかに行ってしまうからだ。
それともう一つ、大脳の力の根源はこのベタなMatterにあるということだ。
ブローカという人が大脳の働きを根気強く調べて言って、数十ヶ所の分野に分割した。これを見るとわかるのだが、一つ一つのフィールドの広がり、となりとの境界などは結構いい加減なのである。新興団地の建売住宅みたいなもので、見たところは同じマターである。
「どうしてその仕事をしているんですか?」
「別に、そこで生まれたからということなんで…」
というのが大脳の特徴だ。つまりある程度の広がりを持った面で、隣近所と連携しなら集団作業をしていることになる。
だから結局のところ、脳というのは半導体のネットワークとしてみていかなければならないのだ。つまりは半導体どもが何をしているのか、脳が何をしているのかが、「脳とは何か」の答えになるはずなのだ。
くどいようだが、脳の構造なんてものは大したものではない。それが織りなす無数のネットワークと、そこでやり取りされる電子のやり取りこそが問題なので、アガサ・クリスティはそこを言っているのだと思う。


C) 終脳という概念が価値判断的だ

生命の進歩、科学の進歩には切りはない。脳の発展もまだまだこれからだ。それを、これで打ち止めにしようという発想は退廃的だ。
大脳そのものが三脳構造の限界を打破するものとして、出現した。それは三脳にはないものを持っている。第一にそれは三脳の単極性に対し三脳の一部から両側性に成長する“できもの”である。第二に三脳の構造が進化の歴史に応じて多彩な構造を取っているのに対し、極めて単調な“できもの”的組成を示していることである。第三に大脳の脳細胞は単独では記憶素子に過ぎないが、集団を形成することにより一定の規則を持つ判断を行うようになる。
脳神経集団は「現場の知恵」を身に着け、自らバッチファイルとエグゼファイルを持ち、自動能(アプリ)を獲得する。フロントエンドプロセッサーが使い込むうちに利口となるのに似て、これらは熟達のなせる技であり、取り立てて崇高なものでも、神秘的なものでもない。
我々はリアリストであるべきで、決して聖者マクリーンの徒になってはいけない。


D) あえて言うなら「新脳」だ

大脳という言葉が気に入らないのなら(理由は分からないが)それは新脳と呼ぶべきだろう。

脳の一部ではあるが起源も造りも三脳とはまったく異なるから新脳だ。三脳という構造を乗り越えて、新たな概念で形成されたコンパートメントだ。だから New Brainではなく Neo Brain の方だ。

新脳という言葉は温泉旅館の新館を思い起こさせる。本館が和室を中心とする伝統的な造りなのに比べると、新館はホテル風で装飾の少ない近代的な造りだ。無機質で、風情はないが機能的だ。

ただしそうなると、大脳も小脳も新脳ということになる。これもややこしい話だ。高校の生物の先生は授業のネタが増えて喜ぶかも知れないが。


E) 大脳は進化的には外付けの記憶装置だ

大脳の発生原基は前脳両外側の外套である。それが最初は前脳を、やがて中脳までを覆い隠すように成長する。それはおそらく視床の神経核で行われる諸感覚の統合を円滑に行うための記憶装置、いわばRAMとして発達した。それはパソコンでCPUが何らかの処理を行うための作業用メモリでCPUの一部とも考えられる。
これだけではすぐ容量が不足してくるし非能率だ。そこで机の引き出しにさまざまな資料を打ち込むことになる。そこでROMを増設して凌ぐことになる。パソコンを生活の一部としているひとにはメモリーの増設がいかに仕事の能率をアップさせるかを痛感した記憶があるだろう。
ここまではパソコンの計算力アップのための記憶装置だ。パソコンのハードディスクには作業用メモリーだけではなく、データファイルと文書が落とし込まれている。ここからパソコンは一気に貪欲になる。目に入るすべての情報を記憶しようと暴走する。
大抵のサラリーマンにはオフィスの自分用空間はここまでだが、最近はパソコンの外付け記憶装置が発達していて、記憶容量が一気に増えた。今のところ議論はここまでで十分だ。サイバー空間は必要ない。

F) 記憶(メモリー)と情報(インテリジェンス)

このように記憶には階層性がある。そしてパソコンでの作業というのは情報と情報を付け合わせ、それを実行ファイルに処理させ、結果を出力しあるいは保存するという情報処理作業なのだ。
「インテリジェンス」には情報と知性というだいぶニュアンスの違う2つの用法がある。知性の方にはほかにもいろいろな言葉があるから、この手の議論をするときはできるだけ情報という没価値的な用法に限定して使ったほうが良いだろう。(意図的に混同して使ってくることもある)
でこのようなコンポーネントを想定したときに、脳(とくに新皮質)の役割は extraCPU の記憶装置である。少なくとも進化論的には、内蔵ハードディスクやDDSの範疇に入れるべき装置である。終脳論の是非を論じるに当たっては、このことをわきまえておくべきである。

G) 比較神経科学からみた進化にまつわる誤解と解説
https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2017/10/75-17-20.pdf

ヒト脳に関する3つのウソを要領よく説明している。

1.「生物は進化によって複雑で高度なものに変化していく」

その時々の環境に最も適した種が生き残るのだって、5億年前に人が生まれたとしても生存の可能性はゼロだ。
ただしこの答えは50点である。もう半分の真理は「多様性の確保」である。
「量が質を規定する」、それこそが適者生存の必須条件である。
もう一つ、これは蛇足だが、この50億年で、地球が全体として成熟しつつある、という一般的傾向については否定できない。

2.「サルがチンパンジーに進化して,チンパンジーが人間に進化した」

これも間違いで、共通祖先の考えを前提とすべきである。ただ、それを知っていて使うならあまり罪のない仮説ではある。
一番の問題は、こうした「人間至上主義」が後ろ向き(レトロスペクティブ)の発想に基づくということだ。
レトロスペクティブな考察は正規の証明手段ではなく、むしろ合理化の手段となる危険が大きい。そこだけはしっかりと戒めて置かなければならない。

3.三位一体脳(マクリーン)

繰り返し指摘したことなので省略。ただ,反駁の仕方はあまり感心しない。ひょっとすると反駁になっていないかも知れない。
比較神経科学1

神経の原基に関する話題で最近知った生物が2つある。とにかく見たそばから忘れてしまうので、とにかくウィキを読んでメモして、ブログに載っけておくのが一番だ。
まず最初はピカイア(genus Pikaia)。カンブリア紀中期の原始的脊索動物で、すでに絶滅している化石生物だ。

アメリカ人古生物学者チャールズ・ウォルコットによってカナダブリティッシュコロンビア州のバージェス頁岩累層に属するピカ山(Mount Pika)の麓から発見された。
Pikaia_Smithsonian
スミソニアン博物館所蔵の化石標本

1911年の発見当時は原始的な多毛類に分類された。
(多毛類 Polychaeta: 一般にはゴカイ類と呼ばれる。環形動物門多毛綱。実は多系統群で非常に多様性の高い分類群、既知の種だけで約8000種)
1979年にイギリスの古生物学者サイモン・コンウェイ・モーリスが「始原的脊索動物」の分類に改めた。スティーヴン・ジェイ・グールドの通俗書『ワンダフル・ライフ』で、「脊椎動物の祖先」として紹介されたことから有名になった。
ところが、その後、バージェス動物群より更に約2,000万年古いカンブリア紀前期地層の澄江動物群からミロクンミンギアが発見されたため、ピカイアは単にカンブリア紀に棲息していた脊索動物の1属にすぎないと忘却されることになった。
…というちょっと可哀相な生物。

生物的特徴

体長4cm弱、眼を持たず、筋節を持ち、体をくねらせて泳いでいた。ナメクジウオによく似ているが、より原始的である。頭部の先端に一対の触角がある。
pikaia
画面向かって右が頭で、一対の触覚が伸びている(想像図)

ここまでがウィキの記載だが、脳・神経にはまったく触れられていない。

初期の脊索動物

少し前向きに考えてみることにしよう。脊索動物は約5億年前、古生代前期のカンブリア紀に発生した。
最も古い脊索動物ではないが、かなり古く、割と大量に発生した。(“カンブリアの海はピカイアが支配した”という本まである)ナメクジウオと良く似ているため、対比研究が容易である。

この本(神田正光著)に脊索動物の出現と発展をまとめた文章がある。

哲学的考察がやや煩わしいので、要点を引用する。
カンブリア動物群は「知覚系」に「神経・筋肉系」を繋ぐことによって、エディアカラ動物群の「繊毛運動」をはるかに超える行動を可能にした。素早く獲物を捕獲したり、危険を回避できるようになった。エディアカラ動物群は海底を這う生物だったが、カンブリア動物群は海中を上下するようになり、能力を飛躍的にアップした。逆にカンブリア紀で最強の捕食者といわれたアノマロカリスは上下の動きに対応できずに絶滅していった。

この文章には大切なことが2つふくまれている。
一つは、神経というシステムの目的は感覚受容と筋肉の反応を素早く接続することにある、ということ。この「システム」と「目的」について確認しておくこと、神経を勉強する際に常に念頭に置いておくことはとても大事だ。
もう一つは生物は最初、海底を這い回る生き物だったが、海中を泳ぎ回ることを覚え、泳ぐ生活に訓化することで急速に発達したということだ。人間もふくめた四足動物が地べたを這い回るのに対して鳥が空を飛び、地球を半周もするような“渡り”を敢行するまでに発達していくことがいかに偉大な進化なのか。
ただ、個体能力やDNAを通じた進化ではなく集団性・社会性を獲得することによって、種としての進化を遂げたアリやハチや人間のことも念頭に置かなければならない。一時人の祖先は頑丈型猿人を目指したが途中でそれを断念し、ハイエナ型集団に方向転換した。
この選択については、たしかに「かもめのジョナサン」のように、哲学的に思いを致さなければならない。
ただしここにはピカイアにおける神経組織の発達については記載されていない。

第二部 生物進化史というページにピカイアと脊索の発達が記載されている。

二回目のカンブリア大爆発(バージェス動物群)で、ピカイアという生物が現れた。
ピカイアやナメクジウオは魚の背骨の祖先に当たる脊索があって、生物の体を前後に貫いている。
原索動物の脊索の背側には、脊椎動物の脊髄に相当する神経索が通っている。
脊索は骨よりも柔らかいので、骨のようにしっかりと筋肉を支えることはできない。だから本当の魚ほど激しく運動できない。

なにか病み上がりのせいか、根性が続かない。このへんで一度休む。脊索動物の最上流に位置する動物であることはわかった。それではホヤ幼生とどちらが先か、もう少しはっきりさせなければならない。
ところでダーウィンのホヤ幼生に関する発言というのが、ネット上で読める。面白いので、とりあえずここにおいておく。

ダーウィン(1871)『人間の進化と性淘汰』 (長谷川眞理子訳、文一出版)より
コワレフスキー氏から私が聞いたところでは、彼がその研究をもっと進めるならば、たいへん興味深い発見となるだろう。その発見というのは、ホヤの幼生はその発生の過程、神経系の相対的位置、そして脊椎動物の脊索に非常によく似た構造を備えているという点で、脊椎動物と近縁だというものである。
……とほうもなく遠い昔、現在のホヤの幼生に多くの点で類似したグループの動物が存在し、それが二つの大きな枝に分岐し、その一つが発生の過程で後退して現在のホヤのなかまを生み出し、他方が脊椎動物を生み出すことによって、動物界の最高峰にまで登り詰めたと考えてよいだろう。
ダーウィンってすごい人ですね。
春になり、杉の花粉が空に向かっていっせいに旅立つ。みんないつかはいい場所に降り立って根付いて、立派な杉になろうと思っている。ところが変わり者がいて、「降り立った場所にしがみついて生き延びるだけの人生は嫌だ、俺はこのまま、風の吹くまま空中を漂っているんだ」とおとなになるのを拒否して、ハックルベリー・フィンふうの生活を始めた。
これを「退化」と呼んでいいのか、という問題だ。



赤旗の科学欄は間宮記者によるいつもながら楽しい記事が満載である。
今回は下の図が気に入った。

img20230417_05555691
トランスポゾン (transposon) は細胞内においてゲノム上の位置を転移 (transposition) することのできる塩基配列である。動く遺伝子とも呼ばれる。(ウィキ)
ゲノムにおいてタンパク質コードする領域(遺伝子)は 1% 以下であり、残りの 40% 以上はトランスポゾンが占めている。
ただトランスポゾンの話はそれだけでも難しいので、ザックリと「現代のゲノム編集技術ではこんなことができるんだよ」という覚え方でも良いのだろう。
技術革新の時代には新技術が新発見を産み、科学がそれを後追いする形になる。
エジソンは発明王であって、発見王ではない。コペルニクスの発見は目について社会を変えるわけではないが、新技術は神父にも魔女にも新生活を生み出す。魔女は箒ではなくスクータでやってくるようになる。実にワクワクする時代だ。よくある話だ。
それについていけないのは、ジジババがスマートフォンについて行けないのと同じだ。後から「なるほど」と分かればよいのだ。
かくいう私も、悪戦苦闘の末やっと染色体と遺伝子、DNAとゲノム、コードゲノムと非コードゲノムの相互関係がやっとおぼろげながら見えてきた状態だ。
小学生の頃、同級生で真空管ラジオを手作りした子がいた。私がゲルマニウムラジオのキットをやっと手作りしたときに、彼は間違いなく数歩先を行っていた。しかし彼がその後大学教授になったという話はとんと聞かない。


脳の進化


理研脳科学研究所という機関があって、若者向けに面白いサイトを立ち上げている。

書き出し快調だ。

脳は新たな機能を加えながら進化する。
脳は、基本構造が変化するのではなく、新しい機能が付け加わるように進化してきた。つまり、ヒトの脳の進化を知ることは、生物の進化を知ることにつながるのだ。
それこそ私の思うところとまさに響き合う。

…と書いたら、次に下の絵が載っていてがっかり。言っていることとやっていることが逆さまだ。

know_structure

*「終脳」は線維性連絡はあるが、明らかに左右別々である。すなわち脳幹そのものではなく、そこから突出した「脳幹付属体」である。それは視神経や嗅脳、小脳が、キノコのように脳幹からせり出していくのと同じである。
*したがって前脳の後身は、視床+視床下部(=間脳) ということになる。そうなれば、間脳、終脳という言葉は不要になる。
*説明文にもその通り書いてあるではないか。「脊椎動物の脳は、どの生物種でも基本構造は同じで、脳幹、小脳、大脳から成る」
*それは発生学的にも確認済みだ。大脳の発達は前脳(視床+視床下部)の両脇から「せり出し」てきた外套が、前脳の上部を覆うように増大するところから始まる。それは程度の差こそあれ脊椎動物の初期から見られる発生過程である。

ついでに書いておくが、脳の地名には大脳帝国主義が満ち溢れている。大脳辺縁系、大脳基底核、古皮質・新皮質など上から目線の階級的差別感むき出しだ。
この説明文にも次のような記載がある。
「魚類と両生類では、大脳には、生きていくために必要な本能や感情をつかさどる“大脳辺縁系”しかない。進化的に古い大脳辺縁系は”古皮質”と呼ばれる」
進化と発達を決して否定するものではないが、著者が最初に書いたように、「脳は、基本構造が変化するのではなく、新しい機能が付け加わるように進化してきた」はずである。

どうもこの間違いの根源は、「人間の脳は他の動物とどう違うのか」という問題設定から作業を開始していることではないか。この問いには無理があって、多分調べれば調べるほど同じだということがわかることになるのだろうと思う。まずはヒドラやプラナリアの脳ととう違うのか、ホヤやヒラムシの脳とどう違うのかを調べるほうがはるかに生産的だと思う。


ゲノム系統樹についての読み物を一つ見つけました。

“Tree of Life web project” の報告を解説したもので、ブログ主はKimさんという方です。
発表日は 2020年2月25日となっています。

1.全生物のつながりを描く系統樹

系統樹とは「進化の道筋」を人間が見てわかりやすいようにグラフ化したものである。

系統図づくりはある程度の狭さの中で行われる。あまりにも遠いとアライメントがくずれる。
ただ、ある程度高い度合いで保存されている部分的な塩基配列であるならばアライメントが可能で系統樹がかける。

科学館やテレビ番組などで見かける系統樹は似顔絵にすぎない。様々な形質やゲノム配列から裏付けはされているが、あくまで近似値である。

生命全体の系統樹を作るプロジェクトが作業を行い、その結果が“Tree of Life web project” としてまとめられてきた。
http://www.tolweb.org/tree/phylogeny.html

そこでは特定の遺伝子について着目し、それについての系統樹を書いていた。これを「Gene Tree of Life; Gene ToL」という。
これには様々な問題点があり、現在では挫折している。

ToLContentManagement


2.多数の全ゲノム決定が生物全体の系統樹の推定により深い洞察をもたらした

2020年にアメリカの科学雑誌にゲノム配列を用いた生物全体の系統樹が掲載された。https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.1915766117
生物全体の系統樹_ToL

まず明瞭に示されているのが原核生物と真核生物という2つの「スーパーグループ」である。
ついで、その外側リングで、古細菌、真正細菌、原生生物、菌類、植物、動物が順に並ぶ。

これらの鎖の形成において、菌類植物、動物の出現には非常に大きな変化があった。
これまでの遺伝子研究においては菌類は我々動物と姉妹群(系統樹上で植物よりも近い)とされてきた。しかし、今回のアミノ酸配列による系統樹では、菌類は植物・動物をあわせた枝の外側に位置することが判明した。
pnas

共通祖先はまず菌類と植物・動物の共通祖先とで分かれた。植物のほうでは例えば 紅藻や緑藻などの原生生物が出現し、その後シダや苔が出現し、裸子植物、種子植物といったように出現していく。動物の枝ではカイメン(スポンジ)、ワーム、昆虫などの無脊椎動物から始まり、脊椎動物が出現していく。

3.本当に地球上のすべての生物は1つの生物由来だったのか?

最後の問題提起は深刻なものである。

「1つの共通なLTFA (最後に地球上に出現した複製する細胞のこと。創始者的な細胞)が真核生物と原核生物に分かれていったのではなく、共通ではない、サイズや構成物質が異なるものからそれぞれ出現したのではないか」という可能性である。
それはLUCAの否定につながるが、ありえないことではない。地球外生命の飛来説に立てば、むしろそのほうがありうる。



グーグル検索で“生物 系統樹”と検索をしてみたが、最近の解説は通俗記事をふくめてほとんど見当たらない。
原因は、確実だったはずのゲノム解析法が混乱をもたらしているところにある。
相互乗り換え、時代をまたがったゲノム構成など混乱の種が尽きない。最初の頃は革命的とか画期的とかもてはやしていたものの、既存の系統樹破壊が進むにつれ、世の中はバベルの塔状態になり、ヒトの全ゲノム解析が完成した2005年ころからは誰も新たな全系統図を描かなくなった。
toloverview

私たちも人類の拡散図において同じ思いをしている。前世紀末から今世紀初めにかけて、人類の系統図はY染色体ハプロにほぼ統一された。それ以前のさまざまなパラメーターはほぼ過去のものとなった。ミトコンドリアDNAだけは操作の簡便さ、古人骨における採取の容易さにより生き残っているが、感度・正確さにおいてY染色体の右に出るものはなかった。
ヒトの全ゲノムが解析されることでより正確さが増すものと期待されたが、結局耳垢や鼻くその違いがわかったという以外に付け加えるものはなく、むしろ判定基準の多様化により、いたずらにホワイトノイズを増やすだけの結果に終わっている。

ヒトだけでなく全生物を対象とする研究を行う際に、その手段に、ゲノムというあまりにも広範な多様性を内包する材料を用いることは、論理的な自爆行為である。後知恵ではあるが今更ながら方法論の未熟さを痛感することになった、ということではないだろうか。
なにかゲノム解析プロジェクトで成功したショットガン的な解析(むしろ反思考法と呼ぶべきか)がすっかり研究の論理を荒っぽくしてしまったような気がする。それがしっぺ返しを食らっているのかも知れない。

とりあえずはDNA/RNA採取可能な最古の生物まで遡り、そこから諸指標に沿って下ってみる地道な作業が必要であろう。その中で最も有効な指標を選択した上で既存の系統図と突き合わせた暫定系統図を作成し、その作業を積み重ねていく努力が必要なのではないだろうか。


地学雑誌
JournalofGeography
114(3)410-4182005

磯崎行雄


1.古生物学と層序学

最も古典的かつ基本的なものに古生物学と層序学的がある。
これは地層の累重関係に基づき、各種生物の進化を実証していく方法である。
19世紀初頭、W.Smithが化石層序学を確立。その後長期間を欠けて、地質年代表を作成してきた。
これにより化石群が時間の経過と共に変化することが明らかになった。
20世紀半ばまでに地球の年齢が45億年以上に及ぶことが明らかになった。この内、生物の化石が確認できない先カンブリア時代は、約40億年を占める。
20世紀後半になるとし、先カンブリア時代の地層からも化石が発見されるようになった。そして1990年代後半からはさらに急展開が起きている。

2.地球外現象と生命進化

1980年にカリフォルニア大学バークレー校の研究チームは中生代/新生代境界(約6500万年前)での恐竜、アンモナイトなど中生代型生物の絶威の原因が、巨大隕石衝突であったという仮説を提起した。そして10年後にそれが実証された。メキシコのユカタン半島で衝突を示す巨大クレーターが発見されたのである。
現在では「隕石衝突と生命圏の応答」というパラダイムが初期地球の生命研究において重要となっている。
1990年代には、「カンブリア紀の生命爆発」事件や「全球凍結」事件が話題となった。

3.生命の起源と化学化石/ゲノム解析

1996年に南極に落下した火星起源阻石の中に原始的なバクテリア化石が発見された。NASAはこれを元に「火星生命の発見」を公表した。これが火星ブームの火付け役となった。

2002年には火星と地球の形成史を比較すると、生命が誕生した可能性はむしろ初期火星において高かったという見解が発表される。Clinton政権がこのような流れを全面的にバックアップした。

この頃から物体を構成する有機高分子(biomarker)や軽元素の安定同位体比などの測定を通して、原始生命の情報が得られるようになる。これらは化学化石(chemofossil)と呼ばれる。

現在では、少なくとも初期生命は38億年前にはすでに生息していたこと、おそらく最初の生物の出現は安定した海が形成された40億年前まで遡るであろうことがほぼ確実となっている。

もう一つの進歩の流れとしてゲノム解析が挙げられる。生物分類の体系も、最近20年の問にすっかり様変わりした。

生物の系統樹で見ると以下の点が挙げられる。
*生物界は圧倒的にバクテリアによって構成されている
*多細胞生物の位債は、従来のイメージからは大きく変化した。特に後生動物(いわゆる私達が通常思いつく動物)や植物は、その中でも実に小さな枝に過ぎない。
*動物の小枝は植物から大きく離れ、菌類(キノコやカビ)のすぐ横に位置付けされている。
*ここで紹介したこれらの最新の系統樹は、数年後には大きく改定されていく可能性がある

系統樹1
系統樹2

図の説明: 
上図:現世生物全体の遺伝子系統樹(Knoll、2003を改変)。生物は真正細菌、古細菌および真核生物の3つのグループ(ドメイン)に区分される.
下図:真核生物のみの詳細系統樹(Porter、2004).分子及び生物組織の超構造のデータに基づく復元

付け足し

論文は2005年、系統図は2003~2004年のものであり、ゲノム解析の飛躍的発達はその後の10年であるから、その点が不満である。それにあまり見やすいものでもない。もう少し新しいものを探してみたい。

論文の最後に書かれた一文が印象的である。
一般社会の退職ラッシュと同期して、間もなく日本の学界や大学において団塊世代の研究者の「大量絶滅」が始まろうとしている。大きな地質時代境界と同様に、これを機により進化した新しいタイプの研究者が一気に現れるかもしれない。

抄読
「プラナリアを用いた脳の進化と再生に関する分子・細胞生物学的アプローチ」
阿形清和: 発生・再生総合科学研究センター、進化再生研究グループ
http://www.zoology.or.jp/html/04_infomembers/04_gakkaisyourei/news/200209/agata.html

多分、日本動物学会雑誌に掲載されたエッセーと思われるが詳細不明。著者は京大の岡田節人門下で現在は姫路工大に在籍。

はじめに

のっけからワクワクするようなエピソードが紹介されている。
…モーガンは、ショウジョウバエの前はプラナリラアの再生を研究していた。
プラナリアのエサとしてショウジョウバエを導入した。1900年のことだ。ショウジョウバエは一気に、遺伝学と発生学の主流へとのし上がっていった。
そこで著者らはプラナリアの地位奪還にむけ、研究を開始した。1991年のことである。
ついで自らのプラナリア研究のきっかけ
…研究を始めてわかったことは、これが分子・細胞生物学的アプローチをするには極めて扱いにくい生き物であるということだ。全身に分布する腸・大量に分泌される粘液が障壁となった。
細胞研究の前処理として、塩酸処理・カルノア固定・ヘパリン処理といった独特のプロトコールを作るのに3年の歳月を要することになった。
…けれども、問題点を克服した先には、多くの楽しみと驚きがあり、サイエンスをしていることの喜びを堪能させてくれた。
プラナリアと言えば当然再生。再生の貴女が詳しく述べられているが、ここでは省略する。

プラナリアの脳

脳の分化に関わるのは3種類のotd/Otx ホメオボックス遺伝子群である。その後次々と神経マーカーが同定された。
これらの発現により中枢神経系が構造化される。
それは脊椎動物の神経胚期に一過的に観察される一次神経系に類似する。
著者らはこのことから、中枢神経の基本的なパターンはプラナリアが中枢神経系を獲得したときから成立してしていたと主張している。
そして神経管成立の機序として
*外胚葉から神経細胞が個々の細胞単位で発生した
*シート状にまとめて神経細胞に発生した
などの可能性を考えている。

脳神経系の進化の本質

著者は、脳神経系の基本構造(遺伝子構造)がその始原から大きな変化はないこと、神経細胞の多様化が主たる進化であるという仮説を提示している。

プラナリアでは一種類の神経幹細胞がすべての神経機能を果たしているが、進化の過程で多様な細胞に分化し専門化することで効率を上げている可能性がある。

省略しすぎて訳の分からない文章になってしまったが、いくつかの鋭いツッコミは記憶に残るものとなるであろう。
こうやって挟み撃ちをしていくと、ヒドラとプラナリアのあいだに深い進化の崖があることが予想される。ただしプラナリア脳に関する諸事実が、研究者の間で確認されているものかどうかはわからない。そこのところを固めつつ進化の流れを遡る作業が必要のようだ。

「個体発生は系統発生を繰り返す」というのは個体発生=発生学をやっている人にとっては不磨の大義であろう。
もう少し長く引用するとこうだ。
「個体発生の初段階において、短時間にわれわれの眼前に起こる諸変化は、その生物の祖先が、その古生物学的発展の間に長い年月をかけてゆっくりと経過した諸変化の短いくり返しにほかならない」:Ernst Haeckel「有機体の一般形態学」(1866年)
しかし系統発生=進化学をやっている人から見れば、限りなく誤りに近いということになるだろう。生命の誕生から40億年、何度も絶滅に近い事態を乗り越えながら多様化→適応を繰り返すことによって生きながらえてきた生物にとって、進化は何よりもまず葛藤であったはずだ。
だからそれを十月一〇日に短縮し、ゲノムの予定調和的な発現によって生体にまで至る無葛藤の形而上学的過程は、到底発生学とは言い難いものがある。
もちろんその過程の探求はそれはそれとして重要なものだし、それが進化の歴史を解明する上で大きな力になることについては異論はない。だがピタゴラスイッチでは進化の本当の理由は説明できないのだ。

私としてはヘッケルのオリジナルの主張について、個体発生の定義としては原則的には受け入れる。ただし証明のためにつけた図表があざといことも認める。
根本的な問題は、それが、
とくに発生学者の側から、進化の設計図のように語られるところにある。

以上、とりあえずヒドラの神経について勉強した感想。
つぎはプラナリア



1.神経系は真の多細胞生物の象徴

腔腸動物は動物界で最も単純な神経系をもつ。系統樹の上では、単細胞の原生動物の次に二胚葉性の海綿動物があり、その次に刺胞動物門が現れる。
すなわち、腔腸動物は個体性がはっきりした真の多細胞生物であり、神経系は個体性の本質的特徴をなす。

2.生体の体制・構造

ヒドラの体制は単純で、内胚葉と外胚葉の二層の上皮細胞で体ができていて、内外上皮層の間は非細胞性の間充織が存在する。
上皮細胞は、その基部に筋肉繊維を持ち、筋肉細胞としても機能している。外胚葉は縦走筋で内胚葉が輪状筋である。神経細胞は、上皮細胞層に存在し、神経突起は上皮細胞の筋肉層の上を走る。

体は、両端が閉じた管で、一方の端が頭部となり、口丘と6本前後の触手からなる。他端は足部で、肉茎と足盤よりなる。

ヒドラは、一個体が約10万弱の細胞を含む。
細胞系譜は、外胚葉上皮細胞系列、内胚葉上皮細胞系列、間細胞系列に分けられる。
この内間細胞系列は、多分化能幹細胞である間細胞、その分化産物である神経細胞・刺胞細胞・腺細胞などに分かれる。

3.散在神経系の構造

神経節や脳のような発達した神経集中は見られず、体全体に網目状神経ネットワークを形成している。樹上突起と軸索の区別は見られない。

基本的な神経系としてのセットは揃っている。しかし神経集中を持たない散在神経網である。

個々の神経細胞は多機能的である。すなわち感覚、運動、介在ニューロンであり、神経分泌細胞である。神経細胞は、成熟個体においても常に幹細胞より分化・生産され続けている。そして体の先端より抜け落ちている。爪や毛髪のごときである。

神経機能を見ると、単体で各種の機能を果たす。行動学的には高等動物では中枢神経系が行う各種の反応を司る。すなわち、複数の感覚入力の統合による行動決定、原始的な学習である慣れなどである。

同時に、散在神経系ならではの地方分権的な神経機能も見られる。散在神経系は、神経細胞の継続的な生産、神経細胞の激しい入れ替わり、樹状突起と軸索の区別の付かない神経突起、ペプチド類を主にした神経伝達を特徴とする。

4.神経環:中枢神経系の原型か

ヒドラの口丘の回りにみられる神経環は中枢神経系の原型と見られ注目される。基本的には、後口動物も前口動物も、下等無脊椎動物の中枢神経系は、口あるいは食道をとりまく神経環である。
ヒドラ神経環

この神経環は、
1) 原始的ながら神経細胞の集中が
見られること、
2) 神経細胞の発生動態が高等動物に近いこと、
3) 口あるいは食道をとりまく神経構造であること、
を考えると、原始的な中枢神経系かもしれない。

5.神経伝達物質の起源と進化

高等動物の神経伝達ではコリン・モノアミン・アミノ酸などの古典的伝達物質が主たる機能を担い、その脇役として、ペプチドが考えられている。
ヒドラの神経系でもペプチドが神経伝達物質として機能している。いっぽう、コリン作動性ニューロンはない。モノアミンは、発光反応などに関連しているが。ヒドラについては、まだ良く分からない。アミノ酸類についても同様である。
ヒドラを基準に考えると、神経伝達物質の起源はペプチドではないか。そう考えると、ペプチドの働きの多様性の意味が見えてくる。

神経伝達物質の変化については以下のような仮説が成り立つかもしれない。
神経系は、最初はDNA/タンパク質系を使って神経ペプチドを合成し、多様な神経伝達機能を担っていた。その後、アミノ酸を出発とした新しい代謝系が付け加わり、さらに古典的な伝達物質が現れた。伝達物質の変化は、高速で高効率の伝達という要請に従って現れ、機能するようになった。

6.まとめ ヒドラ神経系研究の意義

神経系を研究する場合、それがどのように機能しているかという問いと同時に、
1)それが、なぜ・どのようにしてその様な機能・戦略・機構を持つにいたったか。
2)現存する多様な神経系の構造と機能とはどういう関係にあるのか
を比較検討することは、神経系を深く理解するために不可欠である。

ヒドラの散在神経系は、高等生物の神経系との共通性と、散在神経系ならではの独自性を持ち合わせている。
神経系の始原であるヒドラの神経を研究するということは、現存する多様な神経系を単純なものから複雑なものまで系統樹に従って並べて、一番単純なものから眺めることに通じる。
それによって、比較神経生物学の様々な新しい視点が得られる。その視点はこの地球上に神経系が現れ進化していった過程についてさまざまなヒントを与えてくれる。

ちくま新書で「脳の誕生」という本が出版されている。副題は「発生・発達・進化の謎を解く」というきわめて魅力的なものだ。
最初の読後感。なかなか読むのに辛い本だ。題名はこうするべきだった。「ゲノムで読む系統発生」
「誕生」という言葉に騙されたのがこちらであって、発生学の通俗本だと言われればまさにそのとおり、嘘は言っていない。脳・神経の創世記の物語を期待したほうが悪いのだ。

しかし個体発生のステップを一段一段踏まされるのは辛い。その過程はゲノムの最新知識を含む専門用語で満たされている。なぜ体細胞生物が多細胞になって、相互連絡のネットワークが形成され、発達・多様化していったのかは触れられないまま、3分の2くらいまで進んでいく。
「発達」については脳の生後の発達をゲノム発現の順に従って説明しただけであり、発達心理学やパーソナリティーへの言及はない。何よりも臨床への関心がないので「発達」は「生下後の系統発生」に還元されてしまう。やっとたどり着いた「進化」の章はつけたり程度の記述しかなく、断片的事実が脈絡なく綴られている。
総じて言えば、「なぜ?」という問いかけを無視した「トリセツ」である。我々の如き素人に脳の誕生物語を読み聞かせるというたぐいのものではない。あざとい形容詞や間の抜けた喩え話が、ひたすらつづく。最後に「だから何さ!」と叫んで放り投げてお仕舞い。
申し訳ありません。他意はないのですが、つい悪態をつきたくなる。高校の生物学の教科書と共通するところがあります。
結局、自分で文献探してみました。それが次の記事(ヒドラとプラナリア)です。「脳の誕生」という題名で本を書くのならこう言う流れで行くべきではないかと思う次第です。

果物の追熟についての記事。なるほどと感心する。面倒なのでそのまま切り貼りする。

果物 追熟

研究者たちは「こんなにきれいな結果が出るとは…」と大満足しているようだが、どうもそれほどクリアーな結果とも思えない。証明の仕方が違うような気がする。それと人のふんどしで相撲を取るメタ検索ではやはり説得力が薄い。これを作業仮説として追試する必要があるが、研究費が取れるかどうか…



以下はアイテック社HPより液化CO₂装置の説明書だ。間宮さん、ひょっとしてなにかに馬鹿されたのではないか? とも疑われる。誰かが機械の取説を読んで、「しめた、これでマイワールドが作れる」と思いついた可能性もある。


超臨界CO₂(Supercritical CO₂)とは?

1. 超臨界CO₂ってどういうもの?

CO₂は常温常圧で気体です。この二酸化炭素を冷却していくと固体のドライアイスになります。H₂Oと違い常圧下では液相を持ちません。
しかし、加圧下では液相を示します。
さらにこのCO₂を加圧下のまま31度以上に温めると、液体でも気体でもない「超臨界状態」になります。

2.超臨界CO₂の特徴

超臨界CO₂は液体のような物質の溶解性と気体のような拡散性を兼ね備えた特徴を持っています。
この特徴は一見すると有機溶媒に似ていますが、温度や圧力を調整することにより、溶媒としての性質を変更・調整することが可能です。
有機溶剤が持つ毒性と無縁なことは、超臨界CO₂の圧倒的な利点です。

3.超臨界CO₂の現場での応用

最も多い用途は抽出です。各種生薬 からの有効成分を抽出するのに最も効果を発揮します。
また特定成分の除去にも利用できます。コーヒー豆からカフェインを除去するのが一例です。
さらに表面張力による破壊を防げることから、半導体の回路パター ンの洗浄には絶対的な優位性を持ちます。

4.夢の溶剤 超臨界CO₂

有機溶媒は毒物です。処理後に有機溶媒を完全に除去する必要があります。食品加工への使用は禁忌です。
有機溶媒は易燃性です。防火対策が不可欠です。
有機溶媒は不快臭を持ちます。脱臭対策が不可欠です。
有機溶媒は製造後の微調整は困難です。超臨界CO₂は、圧力・温度の調整により、最適条件を持たせることができます。
超臨界CO₂抽出ラボスケール試験機
   超臨界CO₂抽出ラボスケール試験機


つまり、何やら原理はよくわからないが液化CO₂を有機溶剤の代わりに使うと、溶かしたり抽出した、洗浄したりといろいろ便利な機械がある。どうもこの装置と同じ環境が太古の昔にあったということらしい。
この環境のもとで、熱水のエネルギー熱水に溶けた各種の電解質、金属イオンがお互いに触媒となり、集積した複雑な有機物質を形成した。核酸を作るヌクレオチド、アミノ酸を作る炭水化物や窒素素化合物が、恒温性を兼ね備えたCO₂溶媒のもとで活動する中で、それらはRNAやアミノ酸を作り出した。
というお話で、めでたしめでたし。
後は化学進化の話に進んでもいいのではないだろうか。


赤旗科学面を担当する間宮記者の記事はいつも面白い。しかし今回はさすがに未消化だ。ひょっとして掴まされたのではないかという感じもしなくはない。
今回は化学進化と液体CO₂という2つの言葉で、プレ生命フェーズの実相を解明している。

地球が形成されてから生命誕生までの期間は、予想外に短い。
それは生命活動が、地球の活動そのものの一部であることを示唆している。
水、大気、炭素、窒素などの元素が有機物へ移行する過程は生命過程ではないが、一種の進化の過程と考えることもできる。
20年ほど前に一世を風靡した「RNAワールド」説がその典型だ。
生命誕生以前の事物をすべて地球外からの飛来物に委ねるのは、実に官僚的な態度で、科学者としては怠慢のそしりを免れ得ない。
ましてそれをロケット開発予算の口実にするなど狡猾だ。どうせ宇宙に行くのならもっと宇宙的に発想すべきではないか。

化学進化説

生物が誕生するためには必要な材料となるさまざまな有機化合物が揃っていなければならない。先に上げたRNAの他にも膜構造と受容体、ミトコンドリア、葉緑体、リボソームなど大自然のいたずらだけでこれほどのものが作れるのかと感嘆してしまう。

それらはどこでセット化されたのか。どのように進化したのか。
目下のところ、深海底の熱水噴出孔付近が最有力と考えられている。そこで深海底の研究が進んでいるのだが、その一端を学びたい。
ということで、まずは大本になる化学進化説の紹介だが、これは魑魅魍魎の跋扈するヤミ世界だ。化学進化の歴史を書くより、化学進化の学説の歴史を書いたほうが早そうだ。

基本的視点としては、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の「化学進化」の項目が役立つ。
生命の全進化史のうちで,その最も初期の,単純な無機分子から有機物質の素材成分が環境に蓄積してくる段階をさす。ただしこれはやや限定的な用法であり,広義には,生物進化の化学的側面すべて,たとえば細胞成分物質の進化につれての変化なども含めることもあるが,これら後期の段階は,生化学 (的) 進化として区別するほうがまぎらわしくない。化学進化のためには,分子の複雑化のためのエネルギー源が必要であり,原初地球上での化学進化においては,日光中の紫外線,地殻の熱エネルギー,空中放電,隕石などの衝撃波などが考えられている。



化学進化の材料

化学進化とは、種々の元素と熱水の持つ熱エネルギーの存在下に分子が形成され、その構造が複雑化されていく過程である。
進化を規定するものは、実は元素でもエネルギーでもない。原子のイオン化をうながし、それをやり取りし、化学反応を誘発するための触媒である。

元素も熱エネルギーも、次元こそ異なれ絶対的な存在である。しかし触媒は相対的、時限的、条件的なものである。流行り言葉で言えば、元素と熱エネルギーの「出会い系サイト」である。触媒をもって事物に関係性が生じ、過程というものが生まれる。

触媒も元素(ないし分子)

しかしそれだけ言ってたんでは念仏みたいなもので先へは進んでいかない。太古の世界にはモノとエネルギーしかないのだから、触媒もモノであるほかない。

おそらくそれが「特殊なモノ」であるためには、特殊な形でエネルギー(不安定なイオン)が付与されたものでなければならない。そしてそれはエネルギーの運び屋となるのである。

ウォーター・パラドックスという障害

これで湧水中の元素がときに原料になり、ときに触媒となることによって元素→分子の組成が高度化し有機化していくということになれば話は万々歳だが、実はそう簡単ではない。それがウォーター・パラドックスという仕掛けである。

これについての説明はほとんどないので詳細は不明である、僅かな説明から推理すると、熱水は化学反応に必要な熱エネルギーを供給するが、熱すぎると卵が固まってゆで卵になってしまう、ということみたいなようだ。

その後気になって調べたところ、ウォーター・パラドックスという言葉はNature誌のアマチュア愛好家向けのコラム記事につけられた題名で、平たく言えば「水は薬にもなるし、毒にもなる」みたいな使われ方をしている。その後誰もフォローしていないようだ。


液体CO₂の生成機序

文章だけ見ていくとそうなるのだが、ウォーター・パラドックスに引き続き液体CO₂の説明もない。大きな図に「液体CO₂生成の仕組み」とあるので、この図を自力で読み解くほかなさそうだ。
① 深海底に熱水とともにCO₂が供給される。
② このこの液体CO₂は、濃度差により2層に分離する。
③ 高CO₂熱水は、海中での冷却過程でさらに高濃度化し、ほぼ純粋な液体CO₂となる。
④ 液体CO₂は海面下にCO₂ハイドレートとして結晶化し、その下に液体CO₂を貯留する。
ということで牛乳が発酵してチーズが形成される感じか?

液体CO₂でパラドックスを克服する

この液体CO₂のプールは、「超臨界状態」に入ると水に溶けず有機化合物を溶かす性質を獲得する。水溶性と脂溶性の違いみたいなものか。

ここもおどろおどろしい表現の割には中身が不分明だが、多分気相と液相のあいだを行き来することで、熱水の灼熱地獄をスルーするのだろう。

まとめると、例えばワインの醸造過程で表面にカサブタができて、その下に炭酸ガスが溜まってその炭酸ガスが高温環境への緩衝材となる一方で、有機溶媒として適温下で生成された有機物を保存するプールとなる。

ということで類推に類推を重ねて、なんとか分かった感じになった。

要するに、CO₂ハイドレートの膜で隔てられ、外部の高温環境から保護され、脂溶性の溶媒で満たされた原形質環境が擬似的に形成されることになるという仕掛けですね。

これを図式化したのが下の図ですが、見るからにウソっぽいと言うか、怪しげな雑技団風モデルですね。私はエプロンおばさん以来、本邦発のニュースには査読の真摯さに問題があるとの印象があり、一応眉に唾をつけてから読むようにしています。

液体CO₂

RNAワールドの提唱されたときのまがまがしさにも似た、なにかざらついたものを感じてしまいます。
参考までにこの図は液体CO₂を装置化したモデルだが、えらくさっぱりしていて作り物っぽく見える(アイテックHP
液体CO₂装置



2003年2月号「科学」
「次の50年も主役はDNA?」

中村桂子
(JT生命誌研究館)

「巻頭言」として、DNAモデル発見50周年を記念して50年の研究の進歩をまとめた文章である。要点を個条書きしてあるが、DNA時代を迎え「分子生物学」が一気に発展した。これが一段落するのが1970年ころだ。ところがこの後ゲノム時代に突入するのだが、意外とこの辺の変化をどう跡付けるかについてはっきりしたメルクマールがない。

中村さんはまさにこの「混沌」の時期を研究の第一線で過ごされただけに、ゲノム時代とは何なのか、それはどのように実現したのかがわかっておられる。その移行過程をスケッチしたのがこの小文であろう。

中村さんのいわれる「2つの壁」を丹念に追っていくことが大事だろうと思われる。以下はこの少文の骨組みを箇条書きにしたものである。

ついでに私見を書き込んでおく。
DNAというのはものである。ゲノムというのはそこに書き込まれた情報である。パソコンで言うとDNAは大容量のメモリー・スティックであり、ゲノムというのはそこに書き込まれた情報だ。中村さんが一方で「これからはゲノムがすべての根源だ」と言ったり、「DNAは不滅です」というのはそういう意味だ。
情報は2つある。一つはメモリー・スティックなどというものが、どうして出来上がってきたのかという歴史であり、もう一つはそこに書き込まれた情報がどのように作成されてきたのかという歴史である。
技術が飛躍的に発展する時期には情報量がメガ、ギガになりテラになる。そういう「量の時代」には両者が混同してわかりにくくなる。そのあたりを念頭に置きながら読んでいただきたい。
なお、流れを理解するためには下記の年表を参照されたい。

…………………………………………………………………………………………………………

1953年のDNA二重らせん構造の発見により,生物学はDNA研究を中心に動くことになった.

分子生物学の第一期である1970年までの間に,DNAの複製,コドン,タンパク合成など生命現象の基本が解明された。

DNAは,遺伝子という親から子に形質を伝える因子という意味を越えて,生命を支える基本物質となった.

この後、研究者は第一の壁を体験した.(70年の壁?)

突破口は「組換えDNA」と「塩基配列解析技術」という意外なところにあり,これでDNA研究は大展開した.詳述の余裕がないので項目だけあげよう.

(1) 免疫,発生,神経系,進化など複雑な生命現象の解明.
(2)いわゆる遺伝病だけでなくがん,高血圧など遺伝子が関わる病気の研究,つまり生物医学の確立.
(3)ヒトという生物の研究.
(4)バイオテクノロジーの誕生.
(5)生物科学・技術の安全性など社会・法・倫理に関わる問題への関心.
(ここはたんなる羅列に過ぎず不満)

これらの研究分野が飛躍的に発展する中で、それらを整序するためのインターバルが必要となった。

遺伝子病研究の発展と停滞

再び研究のスピードが上がったのは「生命現象を遺伝子で説明し,その成果を技術開発につなげる生物学」としての分子生物学の新展開だ.
これは今も続いている。

がん遺伝子が発見された時,研究者は10年ほどでがんは解明され,治療法も確立すると期待した.しかし,予想以上に手強かった.免疫も然り.いずれも研究は進みながらも複雑な現象の解明の難しさを感じてきた.これが第二の壁である。

第二の壁を突破するきっかけがゲノム解読である.

経緯は省くが,二重らせん発見から50年の2002年はヒトゲノム配列解析解読の年でもある.

「生物の持つDNAのすべて」を基盤にする生物学では,DNAを基本にすることは変わりないが、生命の情報単位は遺伝子ではなく,ゲノムとなった。それは生命の単位である「細胞」と結びつく。

細胞とはなにかを知る「情報生物学」が始まっている.大量の情報を提供する解析機器とそれを処理するコンピュータが活躍し,生命系情報を解読する.

この解明に期待するが,次々に発見される知見の山に埋もれ、まだ真の方法論が見えているとは思えない.

第一,第二の壁の時は,生物学はマイナーな学問であり,研究者が生物の本質を考える余裕があったが,今は,大量の資金を投じて大量情報を処理せよとの要求が強い。

経済ではなく生命に優先順位をおいた学問を進めることが重要だ.

ゲノムや細胞を通して,生命・人間・自然という複雑なものに向き合うことになった今,従来の科学を越え,総合的な視点と方法を持つ必要がある。

それには,まず,生きものをみつめ,愛するという原点からの出発が必要だ.そこからは真に豊かな食・健康・環境につながる技術が生まれるだろう.次の50年が正念場だ.

赤旗の日曜恒例の読書欄。下の記事が載った。驚いた。なんとゲノムでおなじみの中村桂子さんの随想だ。しかも何の断りもなくサラサラと子供の頃の読書の思い出、新明解辞典にまつわる思い出が綴られている。肩書きはなく、ただ紹介欄に理学博士であることが記されている。
まさか党員ではあるまいが、引用符もなしに平文で載っちゃっていいものだろうか。それにしても赤旗も随分ぞんざいだ、とぶつぶつ言いながら(一人暮らしだとつい口に出てしまう)読んだ。
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これがその記事。そのままでは見にくいから、画面上を左クリックしてください。
JT科学研究所のサイトには生命科学に関する良質の記事がぎっしり詰まっている。
そのうち必ず、サイトの検索窓に中村桂子と入れて集中的に読んでみたい。
私の染色体→遺伝子・DNA→ゲノムの二階建て構造を確かめてみたいと思う。
それにしても戦時下とはいえ優雅なお姫様ぐらしで、まことに羨ましい限り。時代は親子ほどに違うが中條百合子の生活を彷彿とさせる。こういう人々に受け入れられ支持されてこそ、日本の左翼は発展するのだろうと改めて実感した。

染色体・遺伝子・DNA・ゲノム 統合年表
(旧題 ゲノム研究 年表)
は、
2022年11月まで3回の増補を重ねてきたが、結局全部まとめて1本にしてみないと、収まりがつかないようだ。
最大の問題はこれら4つの言葉がすべて多義的に使われ、それが素人を悩ませる原因になっていて、それらは納得して理解するためにはどうしても経時的な事実の把握、それらの意義について見ていかないとだめだということだ。
あまりにもたくさんの事実が提出されるので、つい端折ってしまいがちだが、そこを端折ってしまうと結局わからないままに終わってしまう。忘れてもいいから、一度は通読して流れを掌握して見る他ないと思う。
現在ではゲノムという言葉で一括される4種の概念には、一種の流れがある。それが染色体の時代、遺伝子の時代、DNAの時代、ゲノムの時代という4大区分だ。もちろん境目ははっきりしないし、並走する時期もあるが概念がそのように移ろっている
そんなことを頭に入れながら読み進んでいただきたい。



染色体の時代

1842 ネーゲリ、細胞分裂を初めて光学顕微鏡にて観察。核内に塩基性色素に染まる物質を発見。後にフレミングによりクロマチン(染色質)と呼ばれる。
1855 フィルヒョウ、細胞は既存の細胞の分裂によってのみ生じると主張。
1865
 メンデルがエンドウの交配実験を行い、結果について解釈。各遺伝形質(単位形質)に対応する遺伝因子が存在すると想定した。。
 遺伝を決めるものは、混じり合わない粒子である「遺伝子」概念の確定。
 遺伝子は優性と劣性に分かれ、それぞれが二つづつの対になっている。
 劣性遺伝の表現型は1代目では消失し、2代目で再現することがある。(分離の法則)
これは劣性遺伝子が、「隠されるが混じり合わない」ということを意味する。
メンデルは現チェコスロバキアのアウグスチン修道院の修道士。
1868 チャールズ・ダーウィンが形質遺伝に関する仮説「パンゲネーシス」を提起。細胞には自己増殖性の粒子である「gemmule」が含まれ、血管や道管を通して生殖細胞に集まり、それが遺伝すると考えた。ダーウィンはメンデルを一生知らずに終わった。
1869 スイスのフリードリッヒ・ミーシェル、細胞核中からリン酸塩を含む化学物質(ヌクライン)の抽出に成功。物質としては今日のDNAに相当する。当時彼はリンの貯蔵形態と考えた。
1882 ヴァルター・フレミング、ミトーシス(有糸分裂)の詳細を観察。核内の染色物質をクロマチン(染色質)と名付ける。

1883 ヴァイスマン、体細胞分裂と生殖細胞結合(有糸分裂)の違いを明らかにする。

1883 シンパー、緑色植物は葉緑素を含む生物と無色の生物との共生関係からできたと主張。

1888 ヴァルダイヤー、細胞分裂の際にクロマチンが凝縮し、棒状の塊を形成することを報告。染色体(クロモソーム)と名付ける。Chromosome とは「色のついたからだ」を示すギリシャ語。
染色体

図1 染色体

1900 ド・フリースら、埋もれていたメンデルの法則を発掘。国際医学界で再評価される。

1902 25歳の大学院生ウォルター・サットン(米)、バッタの生殖細胞で「染色体」を発見。生物が減数分裂すること、遺伝を決める因子が染色体上にあると主張Genetic Factor と名付ける。その後彼は研究から離れて外科医となる。
1908 コロンビア大学のトーマス・ハント・モーガンら、ショウジョウバエを用いた遺伝学研究を開始。
1911 ウィルヘルム・ヨハンセン、サットンの「染色体上の遺伝因子」をダーウィンのパンゲン にならい「gene」(遺伝子)と呼ぶことを提案する。
1920 モーガンら、
ショウジョウバエの染色体を研究。ユニークな方法で染色体上に多くのジーンが載っていることを証明する。染色体とジーンの関係についての議論が引き起こされる。
1920 ドイツの植物学者ハンス・ウィンクラーがゲノムなる言葉を造語する。後にウィンクラーはバリバリのナチスとなる。学的業績はとくにない。
ウィンクラーは、「ジーンと染色体を無理に分けずに複合体と仮定して議論を進めたほうが生産的」と主張したのではないか。であれば、
遺伝子(gene)+染色体(chromosome)という解釈が素直である。最近は「遺伝子・gene+総体・-ome」という解釈が広がっているが、それは現代の用法に惹きつけた解釈であろう。木原の「配偶子が持つ染色体セット」は西田幾多郎風の禅問答だ。

1921 染色体の本体をアミノ酸連鎖とするモデルが提起される。遺伝子はポリペプチドで、それをテトラヌクレオチドが保護しているとされる。(染色体の“本体とは要するにDNAのこと。ポリペプチドは多数のアミノ酸がペプチド結合によって連なった化合物をさす
後に染色体の意味は拡大解釈され、形態や細胞周期に関わらず、DNAとそれに結合するタンパク複合体一般を指すようになった。これを「広義の染色体」と呼ぶ。
「広義の染色体」においては、DNAがヒストン(タンパク)を巻き込むように存在する。これをヌクレオゾームという。これが連珠状に連なり、染色体を構成する。この場合はゲノムの枠には収まりきらない。この分野の学問がmultidisciplinary であるがゆえの宿命ですね。


遺伝子の時代
1922年 モーガンら、ショウジョウバエの4つの染色体上に座している50個の遺伝子の相対位置を決定。
1926 モーガン、『遺伝子説』を発表。遺伝子は染色体上に線状に配列する粒子であると主張する。

1928 J.Bellingらは太糸期染色体が染色小粒とそれをつなぐ糸状部分からなる数珠状構造を示すと発表。染色小粒や横縞が遺伝子に対応すると考えられる。

1928 グリフィス、肺炎連鎖球菌における形質転換現象を発見。遺伝情報が転移できることを示唆。
グリフィスは
有毒肺炎球菌を加熱して注射した。死滅した有毒菌は病原性を示さなかった。つぎにこれを生きた無毒菌と混ぜて注射すると、豚は肺炎を発症し死んだ。つまり生きた無毒菌の菌体内に有毒菌の遺伝子が入り込み菌を有毒化させたことになる。これを形質転換と呼ぶ。(遺伝子が耐熱性であることを証明した実験でもある)

グリフィス実験

1929 レヴィーン、核酸にはDNAとRNAの2種類あることを発見。
1930年 木原均、ヴィンクラーのゲノムに関する定義を検討、「生殖細胞に含まれる染色体のセット」とする。遺伝子の存在も確定しない時代の提起であり、有用性は疑問(「ゲノム分析」を参照のこと)。
1932  透過型電子顕微鏡(TEM)の製造が開始される。バクテリオファージT2などが観察されたが、染色法の開発が遅れたため、実用価値はあまりなかった。
1933年 モーガン、染色体説の確立によりノーベル生理学・医学賞を受賞。しかし一方で、遺伝子の実体は不明のままだった。
1934 カスパーソン、DNAは生体高分子であり、これとタンパクが結合して染色体を構成すると発表。ポリペプチドがDNAの本体であるとする「テトラヌクレオチド説」は否定される。
1936-37年頃 日本国内で、〈gene〉に対し,〈遺伝子〉という語をあてるようになる。
当時のジーンの常識に照らして、適切な訳語であったが、ジーンという単語そのものに「遺伝」というニュアンスはない。これが後にゲノム概念を導入するに際し混乱を生んだ可能性がある。
遺伝子は染色体上に線状に配列する粒子というモーガンの“モノ的理解”は当時の最高教義であったと理解すべきであろう。

1941 免疫蛍光法が開発される。細胞上で抗体に反応する特殊な部位の存在を示した。
1941 ビードルとタータム、1つの遺伝子が1つの酵素をコードしていると発表。48年、ホロヴィッツが「一遺伝子一酵素説」と名付ける。
1943 A. Claude、リボソームを単離する。

遺伝子の定義
ここで遺伝子の定義をまとめておきたい。その際
遺伝子は染色体上に線状に配列する粒子というモーガンの理解は、部分的には現在もなお有効なコンセプトだということを確認しておきたい。
ジーンはDNAの一部であると同時に、DNAに刻まれたタンパク生成情報である。そのことは推定されたが、その実体解明は分子生物学の発達に待たなくてはならなかった。その間に多くの作業仮説的な定義がなされ、概念はたびたび修正された。今日では以下のごとく総括される。
① 最狭義の定義:mRNA生成の情報を含む核酸配列上の特定の領域。これをシストロンと呼ぶ。シストロンのすべてがタンパク合成情報分野(エクソン)ではなく、イントロンという中敷きを挟んでいる。
② 上記に転写調節領域を含める場合もある。これをオペロンと呼ぶ。転写調節領域にはプロモーター、エンハンサーが含まれる。CDS、ORF、cistron などこの研究領域には重複名称が氾濫している。野球でいうシュート、シンカー、フォーク対ツーシーム、チェンジアップ、スプリットみたいなものだ。学会で率先してこれらを使用禁止にすべきだと思う。
③ もう少し広い定義:例えばタンパク合成のための各種RNA(tRNA、rRNA)もDNA情報として伝えられる。それらの領域も「狭義の遺伝子」に含まれる。これらは構造遺伝子(structural gene)と呼ばれる。
④ 通俗的定義:これらの分子生物学的な規定とは別に進化論や遺伝学の分野ではより幅広い用語として使用されることもある。従って誤解を避ける意味から、遺伝子という用語はもはやできるだけ避けるべきである。



DNAの時代(生化学への移行)

1944 アベリー(O.T. Avery)ら、肺炎双球菌の研究中に形質転換現象を確認。その後グリフィスの実験をさらに工夫。耐熱残存物の本体がDNAであることを証明した。これを『DNAが遺伝物質であることの実験的証明』として発表。遺伝子の正体がDNAかタンパク質かの論争に決着をつける。さらにDNAが遺伝する化学的物質であると示唆した。
さまざまなガイド記事に「遺伝子はDNAである」という記述が頻出する。どう見ても間違いだ。なぜそれがまかり通って来たのか? このときのアベリーの気持ちになってみれば意味がよく分かる。
遺伝子は染色体上に線状に配列する粒子ではなく、まさにDNAそのものだったのだ。しかしそれは謎に対する答えではなく、さらに大きな謎「なぜDNAが遺伝を担うのか」の入り口っだった。
1950 E. ChargaffDNAAT、およびGCの間が水素結合によって結ばれ二つのポリヌクレオチド鎖が向き合っていることを示唆した。

1952 F. Sanger ら、インシュリンの完全なアミノ酸配列を解明。これによりタンパク質がアミノ酸の連結したものであることが確定された。
1952 ハーシェイとチェイス、ファージ(DNAウイルス)が大腸菌に感染するに際し、核酸が菌体内に入ることを確認。DNAが遺伝子そのもの(の一部)であることを直接に確認する。
バクテリオファージ

1952 D.M. Brownら、DNA五炭糖、リン酸および塩基から成るヌクレオチドの連鎖体(ポリヌクレオチド)であることを証明。
核酸はポリヌクレオチドである。五炭糖にはD-リボースとデオキシ--リボースの2種があり、それぞれRNADNAとなる。塩基にはA,G,C,U,T5つがある

1953 J.D. Watson F.H.C. Crick2重らせん鎖から成るDNAの模型を提唱。

1956 コーンバーグによりDNAポリメラーゼが発見される。DNAポリメラーゼを用い、試験管内でヌクレオチドを重合することによりDNAを合成することに成功。大腸菌のDNAポリメラーゼは5種類、ヒトの細胞は約15種類ある。この発見により、DNAが元のDNAの鋳型から作られることが明らかになる。

1956 DNAが情報の担い手であることが明らかになったため、遺伝子領域に限らずDNAの全塩基配列を示す用語が必要になり、ゲノムが用いられるようになった。

1956 タバコモザイクウイルスRNAに関する研究。化学的には純粋な核酸であるが、感染力があり、遺伝的能力をもつことが証明される。

1958 CrickmRNA翻訳の際、アミノ酸がヌクレオチドを含むアダプター分子によって鋳型に運ばれること、アダプターがmRNAと相補していることを示唆し、 tRNAtransfer:運び屋) の存在を予言する。

1958 クリックがセントラルドグマCentral dogma)を提唱。遺伝子は(世代継承ではなく)タンパクを作るための情報として位置づけられる。

1959 リボソームがタンパク質合成の起こる場であることが証明される。リボゾームは粗面小胞体の膜の表面に付着した小さな顆粒。細胞1個には約2万個のリボゾーム粒子が存在する。分裂の盛んな胎生期の未分化細胞には遊離のリボゾームが多い。

1959 E. FreeseDNAの一対の塩基対の変化により突然変異が起こると提唱。トランジション(塩基転位)およびトランスバージョン(塩基転換)と名付ける。

1960 DNAの二重鎖が分離・再結合することが発見される。

1960 核酸塩基の一つアデニンが、青酸アンモニウムの濃縮溶液から生成される。
1961 JacobMonod、遺伝子発現の制御機構について論究、タンパク合成をコードする遺伝子の他に、合成過程を調整する遺伝子(オペロン)が存在すると主張。オペロン説と呼ばれる。
1961 Crickら、遺伝暗号(コドン)の解読。アミノ酸20 種類の情報をつたえる遺伝子が三連文字(triplet)であることを示す。
 mRNAの塩基配列をコドンという。つのアミノ酸は mRNA の連続した塩基 3  1 組の配列によって規定され、この 3  1 組の塩基配列をコドンと呼ぶ。従って、コドンは 43 = 64 種類存在する。
転写と翻訳

1962年 ツメガエルで卵に細胞核を移植し、クローン作成に成功。

1962 リンパ球にT細胞とB細胞の差があることが発見される。。

1962 Watson and CrickDNAの構造に関する研究により、ノーベル医学生理学賞を受賞。

1962 葉緑体がDNAをもっていることを発見。2年後にはミトコンドリアからも独自のDNAが単離される。(後に葉緑体は多細胞生物内に共生するシアノバクテリアであることが明らかになる)

1965 ヒトの二倍体細胞の in vitro の寿命は、およそ50回分裂までで終了することが発見される。

1965 S. Brennerら、ポリペプチドの末端を指示する暗号(コドン)はUAGUAAであると推論。
1966  遺伝暗号の仕組みが解明される。A・G・C・Tの4種類の塩基のうち3つを使った“3文字言葉”(コドン)によって、アミノ酸の種類を指令する。

1966 脊椎動物のDNAは多くの反復ヌクレオチド配列を含むことがわかる。

1966 tRNAが、リボソーム上でのポリペチド鎖形成の起点となっていることが発見。

リボゾーム
リボゾームは、tRNAを呼び込み、結合する。そのtRNAは三塩基に対応するアミノ酸と結合している。そうするとtRNAの体側にアミノ酸の連鎖が形成されていく

1967 羊水穿刺を行い、そこから得られる胎児の細胞で、遺伝病を診断できることが報告。

1967 mRNAが両側のDNA鎖から生じることが明らかになる。

1968 Okazakiら、新しく合成されたDNAは多数の断片を含む。これらは、短鎖DNAとして合成された後、互いに連結される。

1968 Hubermanら、哺乳類の染色体は、おのおの長さ30μmの単位より成り、独立して複製されることを明らかにする。

1970 酵母のアラニンtRNA遺伝子の全長の合成に成功。

1970 M. Mandelら、塩化カルシウム処理した大腸菌の細胞内にファージDNAを導入することに成功。トランスフェクションと呼ばれる。
1970 制限酵素 HindIIIが分離される。DNAの配列の近くでDNAを特異的に切断する酵素。翌年には
HindIIIを使ってDNAを切断、断片化し、DNA断片の物理的配列を組み立てることに成功。

1972 ベクターDNA分子と外来DNA断片の末端に、ホモポリマーを付加する事によって、DNA分子を結合する方法が開発される。
1972 ユーグレナの葉緑体DNAが、シアノバクテリアのリボソームRNAと相同性を示すことを発見、葉緑体がシアノバクテリアの子孫であることを示した。
1973 ショウジョウバエの翅の成虫原基で、発生過程に従った区画化が起こることが発見される。

1974 RNAレプリカーゼの存在下で、ヌクレオチド・モノマーからRNAが生成することを発見。別の研究でRNARNAレプリカーゼの存在なしでも複製することができること、このとき亜鉛が複製過程を補助することが示された。

1974 大腸菌rRNA3'末端にmRNA上のタンパク質合成の停止と開始コドンが存在することが判明。

1974 熱ショックにより、ショウジョウバエに6種の新しいタンパク質が合成されることが報告される。

1974 酵母ミトコンドリアでゲノムの組換えと分離が起きることが明らかとなる。両親由来のmtDNAが他方と対合し、組換え体を生じる。

1975 サンガー、DNAの塩基配列決定法を確立。DNAシークエンシング法と言われる。DNAポリメラーゼを用いて、 DNAに結合したプライマーからDNA合成を行わせる。これにより塩基配列を決定する。(方法は読んでもさっぱりわからないので省略)

1975 分子生物学者が世界中からカリフォルニア州アシロマに集まり、組換えDNA実験を行うにあたっての研究指針を定めた歴史的規定書を作成した。NIHの組換えDNA委員会は、組換えDNA研究に伴う潜在的危険性を排除することを目的とした指針を発表。
1976 ヒト成長ホルモン遺伝子を大腸菌の中で発現させることに成功。
1976 遺伝子工学のGenentech会社が設立される。
1977 アデノウイルス-2DNA断片から、多種類のmRNAが合成されることが報告。現場でさまざまな組み合わせの選択的スプライシングが起きていると判断される
1977 サンガーら、シークエンシング法を用いて PhiX174ウィルスの全塩基配列を解析し、全ゲノムを確定した。

1977 哺乳動物のインスリン、インターフェロンを大腸菌で合成させることに成功。翌年にはインシュリンの商業生産が開始される。
1977 前駆体mRNA中に、タンパク質をコードしない介在配列(イントロン)が存在していることが報告される。その後、遺伝子領域にも介在配列の存在が報告された。

遺伝子の基本構造
とりあえずこれ以上の説明は避けるが、CDSとORFはほぼ同義と考えてよい。遺伝子(gene)もシストロン(cistron)もほぼ同義である」そうである(大阪医大細菌学教室)。
遺伝子配列のうち遺伝情報がコードされている部分をエクソン(翻訳配列)といい、遺伝情報がコードされていない部分をイントロン(介在配列)という。mRNA前駆体(最上列)はスプライシング(編集)によって長さが縮小され完成型mRNAとなる。

( splicing: ある直鎖状ポリマーから一部分を取り除き、残りの部分を結合すること。映画作成における編集作業もスプライシングと呼ばれる)

1977 ノーザン・プロッティング法が開発される。

1978 カン、DNA解析を用い鎌状赤血球症の出生前診断に成功。

ゲノムの時代(全ゲノム解読)

1978 バーンスタイン、制限酵素によって切断されたDNA断片の再マッピングにより、全ゲノムの解析が可能だと主張する。
1978 R.M. Schwartzら、原核生物、真核生物、ミトコンドリア、葉緑体に由来するさまざまな、タンパク質と核酸の配列データを比較。コンピュータ解析によって進化の系統樹を作成する。これにより真核生物が、ミトコンドリアや葉緑体と共生し始めた年代を、それぞれ二億年および一億年前と決定した。
1978  W. Gilbert、イントロンおよびエクソンという用語を提唱。

1978 T. Maniatisら、遺伝子の単離法を開発。真核生物DNAの遺伝子ライブラリー作成に着手。

1978 D.J. Finneganら、ショウジョウバエのゲノム上に散在している反復DNAの詳細な解析を行う。

1980 米国最高裁判所は、遺伝学的に修飾された微生物の特許を法制化。これに基づきGE社は石油の油膜を分解する微生物の特許を取得。

1980 受精卵にクローン化した遺伝子を直接注入することで、初めてトランスジェニックマウスの作成に成功。

1980 DNAマーカーを利用した遺伝子マッピング法が開発される。さらに核酸プローブを利用して遺伝子を染色体上に正確に同定することも可能になる。

1981 ヒトミトコンドリアの全ゲノム配列(17,000塩基)と遺伝子構造が決定される。
1981 L. Margulis、「ミトコンドリア、葉緑体などは、真核生物の祖先に共生体として組み込まれた原核生物である」と提唱。
1981 bhGHの臨床験がはじまる。1976にはGH遺伝子を79年にはhGH遺伝子を、大腸菌の中で発現させることに成功していたが、生物学的活性を発現させるための工夫が必要であった。

1981 ラウス肉腫ウイルスの腫瘍化を起こす性質は、v-src 遺伝子によってコードされていることを示した。

1982 Eli Lilly 社、組換えDNA技術を用いて製造したヒトインシュリンを販売開始。

ゲノムの時代
ここから先は書いていることの半分も分からない。

1982 米国生物工学情報センターによる塩基配列のデータベース(GenBank)の作製が始まる。日本DNAデータバンク(DDB)もプロジェクトに参加。

1983 ガゼラ、DNAのポジショナル・クローニングによりハンチントン病の遺伝子主座が第4染色体のG8領域にあることを発見。CpGアイランドと名付ける。その後この部分に塩基配列の過誤が発見される。
1983 SV40のがん遺伝子、v-sisは、血小板由来増殖因子(PDGF)  遺伝子に由来することが分かる。
1984年 ヒトゲノム計画が最初に提案される。ヒトゲノムの塩基配列の解読を目的とする。

1984 パルスフィールド電気泳動が導入される。大きなゲノム断片を分離することが可能になる。
1984 ショウジョウバエのホメオティック遺伝子におけるホメオボックス配列が、マウスにも存在することを示した。この事実はDNA断片の基本的な機能の重要性を示す。
1985 Randallら、遺伝子断片を増幅させるポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を応用。DNAの大量複製によりDNAの同定、鑑別が可能になる。
1985 "普遍暗号"では終止コドンに相当するものが、ある種の線虫や細菌では、アミノ酸をコードしている(使いまわし)。
この事もふくめ、遺伝情報コドンは普遍であるという考えが放棄された。検索対象を「遺伝子」に絞ることは明らかに無意味となった。

1986 螢光シークエンサーの開発。塩基を蛍光物質でラベルしレーザー光で検出するもの。オートラジオグラフィー操作が不要となり、速度が数百倍に向上。全自動かつ高速の検出装置が普及しゲノム解読の自動化と効率化がすすむ。

1986 がんウイルスの研究者レナート・ダルベッコ,サイエンス誌に「ヒトゲノム解析計画」への支持を表明。「個々の遺伝子をばらばらに研究するのではなく,ヒトのゲノム全体を研究することが必要だ。そのためにヒトゲノムの配列を全部決定するのが早道」と提唱。
新しいゲノム概念はコーディング領域(遺伝子領域)とノンコーディング領域に分けられる。ノンコーディング領域は、当初はジャンクDNAと呼ばれていた。現在は遺伝子発現調節情報、RNA遺伝子などが発見され、未解明の生体情報が含まれることが明らかになっている。

1987 酵母人工染色体(YAC)が開発される。これを用いてゲノム断片をクローニング(塩基配列決定)することが可能になる。
1987 ミトコンドリアDNAについて塩基配列の相違を比較した。構築された系統樹によると、現存するすべてのミトコンドリアDNAは、原史のアフリカ女性「イブ」を共通祖先としていることが示された。
1988 電気泳動をゲル状ではなく細管内で行うマルチキャピラリシステムが開発される。これを組み込んだDNAシークエンサーは泳動のための準備が不要で、無人で24時間稼働させることが可能となる。

1988 アメリカでヒトゲノムプロジェクトが正式に発足。この時点で約400種の遺伝子の位置が判明していた。
1988 ハーバード大学が、実験的発癌マウスに対する特許を取得。遺伝的に改変した動物に対して、初めて特許が認められる。

1989 ヒトゲノム計画の国際連携を図るため、日米欧の研究者によりヒトゲノム国際機構(HUGO)が設立される。

1989 マイクロサテライトマーカーが発見される。これによりゲノムマッピングのためのDNAマーカーが容易に入手可能となる。
1990 ヒトゲノム解析プロジェクトの開始。当初は30億ドルの費用と15年の年月が予想された。

1990 ヒトで初めて遺伝子治療に成功。欠損酵素を持つレトロウイルスのベクターを培養し、形質転換細胞を患者に再注入。細胞は増殖し欠損酵素を産生した。

1990 D. Malkinら、ヒトのすべてのガンの50%p53変異があることを明らかにした。また野生型p53遺伝子がヒトのガン細胞の増殖を抑えることを示し た。
1991 遺伝子データベースのコンピュータによる運用が開始される。この頃多くの疾患関連遺伝子が同定される。
1991 ヒトゲノムプロジェクト(ヒトゲノムの塩基配列の解読作業)が始まる。

1991 日本・欧州を中心に枯草菌のゲノム解析が始まる。6年後に420万塩基対の解読を完了。

1994 フランスのヒト多型研究所、完全なヒトゲノムマップを作成したと報告する。ヒトゲノムの全体を網羅する「物理地図」がほぼ完成,文字配列の解読が詰めの段階に入る。
1994 ベンターら、独自の方式で3万以上のヒト遺伝子を同定。「ネイチャー」誌に発表する。

1995 米国のクレグ・ヴェンターら、全ゲノムショットガン法により、180万塩基からなるインフルエンザ菌ゲノムの解読に成功。あらゆる生物で初めて全ゲノム配列が確定される。その後大腸菌や枯草菌など10種類以上の細菌でも解明される。

1995 核酸プローブの高密度アレイを利用するDNAチップが登場。膨大な遺伝子を同時かつ系統的に解析することが可能になる。

1996 単細胞の出芽酵母のゲノム配列が決定される。

1995 インフルエンザ菌の全塩基配列を完成。引き続きマイコプラズマも。

1996 古生物Methancoccus Jannaschiiのゲノム解析。ほとんどの遺伝子は、他の生物と共通していなかった。

1996 ホメオボックス蛋白は、特定のmRNAの標的配列に結合して、翻訳をコントロールすることが示される。

1997 ユネスコ,「ヒトゲノムおよび人権に関する世界宣言」を採択。ゲノム研究で得られた知識の扱いについて倫理的な問題が浮上する。

1998 多細胞生物として初めて線虫の全ゲノム配列が発表される。単細胞から多細胞への進化の謎にアプローチ可能となる。また受精卵から個体へという動物の個体発生についても手がかりとなる。
1997 クローン羊ドリー誕生

1998 ベンター,全ゲノムショットガンで12000万塩基からなるショウジョウバエゲノムの全ゲノムを解読。新型のDNAアナライザー「ABI PRISM3700」が導入され、飛躍的に解析がスピードアップされる。
1998 ベンターが「セレラ・ジェノミクス」社を設立。人の全ゲノムを3年以内に、3億ドル以下で解読すると宣言。

1998 結核菌の全ゲノム配列が決定される。遺伝子の総数は約4000個で,その8割以上についての機能も予測される。

1999 ヴェンターら、ヒトゲノムの塩基配列を、全ゲノムショットガン法で読みとる作業を開始。まもなくヒトの第22番染色体のゲノムが解明された。翌年には第21番染色体のゲノムも解明。

2000年6月26日 クリントン大統領が記者会見。ドラフト配列の解読を終了したと宣言。実際はNIHはまだ90%段階に留まっていた。

2000 リボソームの構造解析。

2001 ヒトゲノムの全解読結果の「第1予稿」(ドラフト)がネイチャー誌に発表される。この時ベンターは99%成功していたという。

2003年4月14日 ヒトゲノム30億塩基対の解読完了が宣言される。この時点でのヒトの遺伝子数の推定値は3万2615個。

2003 ヴェンターら、大腸菌のDNA合成機構を利用して、ウイルスのDNA断片をつなぎ合わせ完全なゲノムを合成することに成功。
2004 ヒトの遺伝子数の推定値が2万2287個に訂正。以降も定期的に修正報告がなされている。

2005 次世代型シークエンサーの普及。
2006 マウスiPS細胞の樹立(山中伸弥)

2007 酵母菌を利用してDNAの断片をつなぎ合わせて、マイコプラズマ・ジェニタリウムという細菌のゲノムを構築することに成功。
2010 人工ゲノムの細菌への導入に成功。初の合成生命が誕生する。
遺伝子操作はゲノム解読の技術と情報をもとに進められている。操作には次の3つの柱がある。
①クローニング:対象遺伝子を担うDNAを増殖する
②シークエンシング:遺伝子の配列を読む
③過剰発現:解読した遺伝子をタンパク質に翻訳する

2012 シャルパンティエら、ゲノム編集の技術「CRISPER/Cas9」システムを開発。

2015 第3世代型シークエサ-の普及。これにより主要な生物種のゲノム解読はほぼ終了。

2015 中国で「ゲノム編集ツール」を使ってヒト胚のDNAを改変する研究が行われる。ネイチャー誌は「非倫理的研究だ」として厳しく警告。

ゲノム編集: これはDNAの二本鎖切断(DSBs)と、その修復という二つの過程よりなる。標的へのターゲティングとDNA切断にはCRISPR-Cas あるいはTALENが用いられる。修復には二つのパスがあり、相同性組換え(HR)あるいは非相同性末端結合(NHEJ)と呼ばれる。 非相同性末端結合においては、いやおうなく欠損が生じるため、対象となった不良遺伝子はノックアウトされる。

2022 ヒトゲノム完全解読
ヒトDNAの内訳


参照文献

遺伝学電子博物館のサイトから遺伝学年表


2016年02月21日に「 ゲノム研究 年表」という記事を発表した。

17年6月に第1回目の増補、7月に第2回目の増補を行ったが、その後5年間手を着けていなかった。今回、少しづつゲノムの世界も晴れ渡るとまではいかないが、少し霧が晴れて見通しが良くなってきたので増補版に着手する。

従来型の遺伝子操作の枠に留まらず、ゲノムそのものの基礎研究分野にも手を広げて、全体像の掌握に務めたいと思うが、現実の研究の発展スピードはあまりに早い。
研究の裾野がどこまで広がっているのか検討もつかない。ここはまず作業を開始して、作業しながら考えることにする。

2022年11月27日 結局、新たに新年表を立ち上げることにしました。下のリンクをクリックしてください。


出典





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2022.03
Kindai University
News Release


要約

下垂体後葉ホルモン、「バソプレシン/オキシトシン」は、脊椎動物の神経内分泌系の"要"です。その同族ペプチドを、原始的な左右相称動物であるヒラムシの"原型脳"から発見しました。

左右対称動物の分岐

ヒラムシは扁形動物門に属し、プラナリアと同じ仲間です。“脳”のプロトタイプを有することで知られています。

我々はこの同族ペプチドをプラチトシン(platytocin)系と名付けました。プラチトシン系は、これまで報告のあった下垂体後葉ホルモンの同族ペプチドと比べて、進化的に最も古い動物からの発見となります。

今回、プラチトシン系は哺乳類と同様に抗利尿ホルモンとして機能していることが確認されました。今後、神経内分泌系の進化起源の解明が期待されます。

考察

下垂体後葉ホルモンは、脊椎動物と無脊椎動物をふくめた左右相称動物に普遍的に存在しています。
その発祥が共通祖先を遡って存在していたか、その進化起源がどうなっているかは未だ不明です。

血管-循環器系を未だ獲得していないヒラムシで、神経内分泌系がはたらいていることをとても興味深く感じます。

下記もご参照ください

三脳説をずっと主張してきて、とくに間脳・終脳の形成について持論を展開してきた。
最近ではとくに大脳形成の機序として次の2つを考えている。

一つは中脳から前脳にかけての背側(視床)に外方に増殖するポテンシャルがあり、眼球・嗅球・松果体と芽を出した。もう一つは、腹側前脳より外套が成長し、大脳の基質となり、頭蓋骨の人字縫合を遅らせてまで大脳を膨らませていったと考えている。

この大脳の進化・発達の道すじとは別に、視床下部をセンターとする神経内分泌系と中枢神経の出会いの場としての前脳機能も忘れてはならない。血管・血流を介しての情報(ホルモン)は、脳全体が血液・脳関門でガードされる中で、視床下部を通じてのみ視床と交通する。

そこで液性情報はデジタル信号系に転換されるのだが、この交換所はたんなる情報形態の変換にとどまらず、脳神経系の活動にエネルギーを与え、とくに大脳の巨大な記憶・計算装置が動くための「根拠」を与える。

さらに、大脳がまとまりを持って働くためには、抑制と協調とが必要であるが、その働きのかなりの部分を、脳内アミンが担っている。脳内アミンと言うが実体としてはホルモンであり、いわば使いまわしをしているとも言える。

それまでの脳は末梢からの刺激を受けてほぼ反射的に対応する装置だったが、血液・脳交流システムが出来上がることによって、脳は初めて末梢からの刺激に対し主体的に立ち向かうようになったのである。

ここに前脳を前脳たらしめる最大の意義があるのだが、この点について触れた論文はほとんどない。だからいまだに中脳・大脳・視床下部の間隙に取り残された「間脳」という表現が大手を振っているのだ。

ところでもう一つの信号系として自律神経系の学習も必要になった。前二者に比べれば重要性は劣るが、たんに神経系の一部とは言えない論理と行動を見せるシステムであり、中枢神経系との関わりにおいて位置づけが必要であろう。

以下自律神経系の学習ノートに移行する。

…………………………………………………………………………………………………………

ウィキペディアより「自律神経系」 

どうも言葉が内容にふさわしいか否かが疑問だが、一応従来型の用法に従う。言葉だけ見るとこの分野での科学の進歩は限定的なようだ。

(A) 自律神経系の分類

1.自律神経系は末梢神経系の一種である。
2.末梢神経系には、植物性機能を担う神経系と、動物性機能を担う体性神経系がある。このうち自律神経系は植物性機能を担う。
3.自律神経系は、求心性の機序と遠心性機序に分かれる。それは対となって、内臓諸臓器と中枢神経系を結びつける。
4.自律神経系は、交感神経系と副交感神経系の2つの神経系で構成される。

(3.と4.とは矛盾する規定である。もし療法を受け入れるなら自律神経の系統は3~4種類なければならないことになる。「機能」でも触れるが自律神経系は主要には遠心性であり、3.については場合の分類と考えておく)

(B) 自律神経系の解剖

自律神経の解剖




(C) 自律神経系の機能

1.自律神経系は循環、呼吸、消化、発汗・体温調節、内分泌機能、生殖機能、および代謝などを制御する。意志のとおりに動かないために「自律」と呼ばれる。

2.ホルモンによる調節機構である内分泌系と協調しながら、ホメオスタシスの維持に貢献している。

3.交感神経と副交感神経の2つの神経系がある。標的臓器に対して二重支配、相反支配が見られる。

(厳密には言葉が示すような拮抗関係にはなく、カテコールアミン作動性とコリン作動性と思われる。うじも素性も異なる神経系が統一教会で集団結婚させられたような気分だ)

(D) 神経伝達物質と神経節

ここでは遠心系ニューロンに限定して説明する。
体性神経系は1つのニューロンだけから成るが、自律神経系は必ず途中に神経節が介在し、節前神経と節後神経に分かれる。

交感神経系の細胞体は胸随と腰随にある。これに対し副交感神経系の細胞体は延髄の迷走神経核に存在する。(この部分は記述が曖昧なので他文献による確認が必要)

下降する神経刺激は神経節をアセチルコリンを伝達物質として通過する。
標的臓器にいたると、ニューロン末端で2番目の神経伝達物質を放出して、情報を標的に伝える。

(E) 2番めの伝達物質ー副腎髄質のカテコールアミン

ここが面白いのだが、「副交感神経系の2番目の伝達物質は同じくアセチルコリンであるが、交感神経系における2番目の伝達物質はノルアドレナリンが担う」のである。
恥ずかしながら、50年も医者をやっていて初めて知った。

しかもこの辺がややこしいのだが、節後線維の末端から出るノルアドレナリンは、全部足しても量的には些少で、圧倒的なのは副腎髄質から全身にばら撒かれるカテコールアミンだということだ。

ウィキの著者は面白いことを言っていて、「つまり副腎髄質自体が巨大な節後線維として働いている」のだというのである。つまり交感神経が興奮すると、たしかに交感神経の標的臓器も刺激するが、それは食卓塩を振りかけるみたいなもので、相撲取りが土俵に振りまく塩とは次元が違う。

(F) 「その場しのぎ」と「使いまわし」に終止する神経系

自律神経を細かく見ていくと、機序の複雑さとその非論理性は呆れるほどである。

おそらく進化の歴史の中で相当に古いもので、一応系統らしい姿をとってはいるものの、委細は現場任せだ。しかしなんとなく働いていて、なんとかサマになっている。

その代わり自律神経系には思想がある。馴染みの小料理屋に閉店近くに飛び込んだとしよう。亭主は「なにもないよ」と言いながらありあわせの材料でなんとか二、三品作ってくれるが、そのうまいこと。
つまり設計図というのは完結したものではなく、さまざまなノウハウの抽出しとして亭主の頭の中にあり、亭主の自律的人情により発動するのである。

(G)自律神経系の解剖学

交感神経の軸索はいわゆる交感神経幹として、脊柱のそれぞれの側で、22の神経節の鎖を為す。
神経幹は、骨盤の領域で合流し不対神経節を形成する。
内臓器官のほとんどは交感神経幹と副交感神経系によって支配される。(消化器末端は骨盤神経節の支配となる)

図 支配系統図(Grayによる)
Gray839



 抄録
季刊「生命誌」
60


 

減数分裂
多様さを生み出す厳格なしくみ

渡邊嘉典
東京大学 分子細胞生物学研究所



1.
多様な生きものを生み出した有性生殖

 

最初の細胞は38億年前に生まれた。その細胞は全分裂によって自分と全く同じ遺伝情報(ゲノム)をもつ細胞を生み出した。これを無性生殖という。このような生殖スタイルは、有性生殖を行わない生物に(とくに単細胞生物)おいては現在も続いている。また有性生殖を行う生物でも、体の成長や異物への反応などの際は全分裂による増殖が行われている。

 

一方、約10億年前に新たなしくみが生まれた。異なる遺伝情報(ゲノム)を持つ二つの細胞が融合し、新しい個体を生み出す生殖である。これを有性生殖という。

 

異なるゲノムを細胞が融合すると、親とは異なる個体が生まれる可能性ははるかに高まる。このため、有性生殖は多様な生きものを生み出す原動力となった。

 

細菌でも二つの細胞の混ぜ合わせは起こりうる。それは有性生殖とは異なり条件的、偶発的なものである。これに対し約10億年前に起こった有性生殖という形態は、それ以後の生物にとって無条件の必然的なものとなった。

 

有性生殖が必然的なものとなったのは、減数分裂のしくみを必然条件とする生殖スタイルを導入したからである。それは雌雄2つの生物の遺伝情報を正確に半分づつにして生殖細胞をつくるという複雑なものであった。

 

2. ゲノムを半分にする減数分裂

 

細胞分裂のしくみにはさまざまなものがある。

さまざまな細胞分裂の形式

つまり、

父由来と母由来の染色体を組換える
動原体付近の接着を守る
複製した染色体を同じ方向に引っぱるある。

実はこれらのしくみのそれぞれは有性生殖に固有のものではない。組換えについては、体細胞でも起きる。そういう意味で、減数分裂の3つのしくみは、既に体細胞の中にあったしくみの使い回しと言える。約10億年前にそれらが組織化され、減数分裂が誕生したのである。

 

宇宙線などで傷ついたDNAは組換えに似たしくみで修復される。また、体細胞分裂でも父親と母親の染色体を人工的につなげると、X状のまま分けられてしまうことが知られている。

 

私たちはこの3つのしくみを詳しく調べた。

(相当煩雑なのと、遺伝の仕組みそのものは私の興味の対象ではないので、今回は省略する)

 

4.奥深い減数分裂

減数分裂を特徴づける3つのしくみを見てきた。この3つは巧妙な組み合わせで複雑な減数分裂をさせている。このしくみは約10億年前にうまれ、それが続いてきた。 



 

村上安則「脳進化絵巻…脊椎動物の進化神経学」(共立出版 2021年)

村上氏による脳の概念図
脳の発生に関する遺伝子
最初に著者の考えを端的に示す概念図が提示される。説明文を引用する。

最初は単純なチューブ状であった神経管(壁)には、発生が進むにつれていくつかの膨らみが生じる.

「3脳胞」: これらの膨らみを基準として、発生期の脳は古くから前脳胞,中脳胞,菱脳胞という3つのパートに分けられてきた.今でも多くの教科書ではこの「3脳胞」が紹介されている.しかし比較神経学者である石川裕二博士によると、様々な脊椎動物の発生過程では3脳胞にあてはまらない例が多いとのことである(石川, 2018)
「5脳胞」説: (石川博士によると)むしろ終脳、間脳、中脳、後脳、髄脳の5脳胞が、脊椎動物に共通する基本形態となっている。
終脳,中脳,小脳の発達: (個体)発生が進むと終脳,中脳,小脳が背側に膨らむ。これにより脳は終脳から菱脳に続く見慣れた形になる。名古屋大の山本直之博士の言葉を借りれば、感覚情報を集める背側の領域が大きくなる傾向は、進化的な視点からも顕著である。

上記のように三脳説はどの観察者にとっても明らかなのに、「誰かが違うと言った」ことを根拠として否定される。そして終脳や小脳といった脳幹を原基としない脳組織が付加される。

要するに著者、村上さんにとってはどうでもいいことなのだ。ということで、こちらとしては三脳説を保留したまま先に進むことにしたい。

なおHoxやPaxなどについては後述。

嗅覺→記憶についての記述が興味深い

水中世界を認識するための方法として、化学物質の感知・嗅覚系も有効であったと思われる. それは視覚・聴覚系の弱点を補ってくれるものだ。

初期の脊椎動物には鼻孔の痕跡が認められるので、嗅覚は脊椎動物の最初期に獲得された可能性が高い.一般的な魚類になると匂い物質を含んだ水が前後の鼻孔の間を通り抜けるときに匂いが受容される。
そして
終脳外套が嗅覚の情報処理を担う場として誕生する。終脳は脊椎動物の初期段階では極めて小さいが、顎口類系統で飛躍的に進化していく。
匂い物質を受容する嗅覚受容体タンパク質は、初期の脊椎動物では少なかったが、四足類で飛躍的に増加する。

記憶
記憶能力は、嗅覚記憶を引き金にして形成された可能性がある。嗅脳の近傍に海馬が発生し、これが最初は嗅覚の記憶装置として、のちにはさまざまな感覚の記憶装置として応用されたと考えられる。(だとすれば、記憶には匂いがついている可能性がある)
海に住むヤツメウナギは産卵のために生まれた川に帰巣する。
言い換えると、ヤツメウナギは生まれた川の匂い を記憶しているということだ。すでにヤツメウナギが登場した時代から、特殊な記憶機能は十分に発達していたと思われる。

記憶は過去の自分と現在の自分を結び付ける。過去と結びついた自己は自己意識、さらに「自我」の感覚を呼び覚ます可能性がある。

側線感覚 聴覚との複合感覚

水中で生きる生物にとって、水は空気よりもずっと粘性の高い媒体である。このため、皮膚感覚としてその存在や流れを感じることができる。
また水は空気よりも電気をよく通す良導体である。生物が電気を感知できれば水は有利な媒体となる、さらに地磁気を感知することで広い海の中でのナビゲーション能力が手に入る。
脊椎動物の水性種には側線器という器官がある。これは溝状になっており、その中に感丘と呼ばれる感覚器がある。
感丘の中には有毛細胞という感覚細胞があり、それで周囲の水の動きを感知する。いくつかの魚類や両生類はこの器官で電気も感じる。
側線器は側線神経によって支配されている。側線神経は脳神経の一つであり、機械感覚や電気感覚を受け取り菱脳に伝える。側線神経はヤツメウナギになって初めて登場する。

ヤツメウナギの場合、内耳側線領域を経由して脳への入力が行われる。この場所は小脳様領域と呼ばれ、小脳と構造が似ている。


ヤツメウナギの側線神経
03
私の感想だがこれは節足動物のナワバシゴ状神経と形が類似するが、自律神経系と進化学的に関係はないのだろうか。

………………………………………………………………………………………………………………


第5章 脳の設計図


第5章は脳の設計図と題され、著者のいう「五脳論」展開されている場所となっている。著者はおそらく脊髄を元に何かしら盛ったものを菱脳と規定し、以後中脳・間脳・終脳と盛っていくつもりのようだ。

どちらかといえば、私の三脳説は、後・中・後のダンゴ三兄弟として中枢神経前方末端を大づかみにすべきと考えているのだが、とりあえず話を聞いてみよう。


3.菱脳


菱脳には脳の発生をよく表す特徴がいくつも見られ、中枢神経系の共通祖先を知るための出発点にふさわしい。

(なぜ後脳と呼ばずに菱脳と呼ぶか、著者なりの思いがあるはずだが、それは語られずに、雑談で煙に巻きながら話が進行していく。こういう流れは高校生物にありがちな傾向である)


① 菱脳の発生と機能


脊椎動物型中枢神経の共通祖先は、おそらく現生円口類と顎口類との分岐点の1ランク上に存在する。


菱脳には脊髄を通ってやってくる体感覚の情報が集まる。断面を見ると、感覚性のカラムが背側に、運動性のカラムが腹側に並ぶ。これらの構造は脊髄との近親性を感じる。


② 菱脳と中脳の間には機能的断絶がある


一方、類似の背腹構造は中脳でも見いだされるため、菱脳と中脳を連続的な構造にみえる。しかし中脳のカラム構造は不明瞭であり、菱脳とのあいだでは発現する遺伝子も大きく異なる。著者に言わせれば「設計思想が異なる」のだそうだ。このため、共通性よりも差異性がより注目される。


③ 脳幹網様体に要注目 それは小脳と連結する


なお、菱脳は大部感覚の集中点であり、運動系の要素に直結している。菱脳にある脳幹網様体はこれらの動きを協調している可能性があり、それは菱脳に付属する小脳でより高度に行われている可能性がある。



④ マウトナーニューロンと逃避行動


脳幹網様体にはマウトナーニューロンと呼ばれる超巨大な神経細胞がある。ロンボメア4に根拠を持ち、その巨大な樹状突起で視覚系や内耳から入力を受け、同じく巨大な軸索によって運動系に情報を伝えている。その軸索は交叉して尾側に伸びながら、その途上にある運動ニューロンと接続して、逃避行動に関与する。


緊急逃避にかかわる神経システム: 「敵がきた」情報が片方の目や側線からマウトナーニューロンに伝えられ、次いでマウトナーニューロンからの指令が交叉性の軸索によって反対側の運動ニューロンに伝わることで、その側の筋肉が収縮し、刺激とは逆方向に体がくいっと曲がる。


この仕組みは顎口類においてマウトナーニューロンの軸索がミエリン鞘で包まれ伝導速度が上がったことで、さらに強力なものとなった。しかし陸上動物ではそれほど有益ではないためか、羊膜類ではマウトナーニューロンが失われることになる。


④ 菱脳の発生とロンボメア


基幹脊椎動物の発生期の菱脳には、一過的にではあるが不可思議な分節構造が見られる。ロンボメア(菱脳分節あるいは菱脳節)と名づけられている。

ronmomea

この写真は発生期のナマズに見られるロンボメア構造受精後2日目のナマズ胚を背側から見たもの。

菱脳のロンボメアは、おおよそ12ほどある。この分節は、頭部にある鰓弓と深い関係があるようだ。脊椎動物の頭部が鰓弓という繰り返し構造をもっているために、脳にもロンボメアという繰り返し構造ができている。

個々の鰓弓は鰓弓神経と呼ばれるいくつかの神経が支配している。たとえば三叉神経は顎骨弓を支配し、顔面神経は舌骨弓を支配する。これらの鰓弓神経はそれぞれ決まったロンボメアに接続している。三叉神経は2番目のロンボメアに入出力し、顔面神経は4番目のロンボメアに出入りする。


⑤ ミエリン鞘の獲得


現存する円口類のヤツメウナギもヌタウナギも髄鞘(ミエリン鞘)が見いだされていない。基幹脊椎動物の脳神経系は無髄神経で構成されていたと考えられる。ミエリンの獲得は顎口類の進化的な成功に少なからずかかわっているのかもしれない。


ミエリンをもたない脊椎動物では、体が大きくなった場合、尻尾の先に何かが触れてもそれを脳で感知するまでに時間がかかってしまうだろう。一方、ミエリンを獲得していたと思われる初期の顎口類には、ダンクルオステウスに代表される10メートル近いサイズを誇る種がいた。


⑥ 菱脳を規定するHox遺伝子 ゲノム生物学の進歩


比較形態学の世界で一時脚光を浴びた神経分節は、その後しばらく顧みられなくなるが、20世紀の終わり頃に再び注目されることになる。


発生調節遺伝子であるHox遺伝子がロンボメアにぴったり対応して発現していることがわかったのだ。ロンボメアは単なる皺や膨らみではなく、遺伝子によって区画化された脳の基盤構造であった。


特定のHox遺伝子の境界は脳分節の境界と対応している。Hox遺伝子が規則的に発現して分節構造が作られている。

Hox遺伝子の下流ではいくつかのタンパク質(Ephやそのリガンドであるエフリンephrin)が特定の分節原基に限局して発現する。このために神経細胞の移動が制限され、その結果、分節が作られる。

できあがった分節は特定の脳神経の出入口を提供し、体性感覚や聴覚の情報が最初に入力する神経節を形成する。


4.中脳


① 中脳の構造


基幹脊椎動物はよく発達した中脳をもっていた。その背側には視蓋と半円堤があり、腹側には被蓋があった。

中脳を天蓋のように覆う視蓋は、その表層で視覚の情報を受ける。外眼筋を制御する動眼神経の細胞体も中脳に存在していた。

被蓋には、網様体(中脳網様体)や黒質など辺縁系の一部を構成する神経核が存在する。ただし赤核(小脳と関係し運動にかかわる場所)はなかった。


② 中脳の発生


中脳と後脳の境界部には峡部オーガナイザーが存在する。そこはOtr2とGbz2という転写調節因子の発現領域の境界にあたる。二つの遺伝子の拮抗的作用が峡部を形成する。

多くの脊椎動物において、発生期の中脳には「Pax6が発現しない」という特徴がある。ナメクジウオの視蓋にはPax6が存在していることから、発生学的には中脳ではない可能性がある。


被蓋部には黒質や毛様体など「大脳辺縁系」を構成する要素がある。この概念はゲノム解析により吟味していく必要がある。


5.間脳


① 間脳の位置と形態

間脳は、中脳の前にある領域である。後方では視蓋前域で中脳と接し、前方では視神経交叉のところで終脳と接している。先に述べた小脳や中脳が脳の背側にプクッと膨らんでいるのに対し、間脳は脳の背側にも腹側にも突き出している。

(前脳が間脳と終脳に分かれたのなら相違点と共通点を示すべきだ。それに終脳が間脳の前方というのはおかしいので、むしろ上外方というべきだ。第三に嗅脳との異同について明らかにすべきだ)


② 基幹脊椎動物の間脳


間脳は背腹軸では背側(翼板)と腹側(基板)の要素に分けられ、前後軸では3つの領域に分けられる。これら3つのうち、翼板側にある領域は、後ろから視蓋前域、視床、視床前域である。基板側は後結節からなる。こうした形態はすでに基幹脊椎動物に存在していた。

視床は終脳へ入力する神経線維の最も重要な中継地の一つである。

視床下部は漏斗、乳頭体など多くの神経要素を含み、自律神経系の中枢として、神経内分泌にかかわる下垂体と密接に関係し、自律神経機能、摂食、日周期リズムなど生物の生存に必須な機能を担う。

視床下部の起源は古く、ナメクジウオにも似た構造があり、そこで発現する遺伝子も脊椎動物と共通している。

前脳からは眼や松果体、視床など、様々な構造が発生する。また、視床と終脳をつなぐ軸索路も作られる。

下の図を見る限り、いくつかのことに気づく。
* 中脳と前脳の間に本質的な違いはないこと
* 前脳は下方に屈曲し、P3の先端をもって終了すること
* 間脳のp3、視床下部を付着部として両側に外套下部が成長すること
* 外套株の先端側に外套、さらに終脳が成長する。
この3部を合わせて二次前脳という

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③ 間脳の発生

胚発生期において、間脳と終脳は前脳という膨らみから生じる。前脳には様々な遺伝子が前後軸や背腹軸に沿って特徴的なパターンで発現している。
これらの多くは嗅神経、髭神経、視神経など、左右のペアーの形で生育する。

その過程で後の間脳パートにはプロソメア(前脳分節あるいは前脳節)と呼ばれる分節構造が生じる。先ほど菱脳のところで出てきた分節(ロンボメア)と同じく、スウェーデン学派によって提唱された神経分節の間脳版である。ただし、プロソメアはロンボメアほど明瞭な形態を示さない。

神経管腹側のShhの発現が背側に伸びてきて(Zli)を形成し、Zliから分泌されるSHHタンパク質がプロソメア2(p2)とプロソメア3(p3)の分化にかかわる。


④ 前脳の発達 (この項はR.D.フィールズ、『神経科学事典(第2版)』2014年からの引用)


前脳は、終脳と間脳に分かれる(図2)。

発達の後半になると、終脳は側方に広がり、2つの側脳胞になる。終脳は中空で、脳室は細い管(モンロー孔)を通って神経管の第一内腔に繋がる。

側脳胞は非常に急速に成長し、発達の後期には高度に複雑化する。最終的には大脳皮質を形成する。

嗅覚小胞は、腹側終脳小胞から芽生え、嗅球に成長する。


⑤ 比較形態学・発生学から見た間脳


近年の分子発生学の発展に伴い、ニワトリやマウス、アフリカツメガエル等を用いて、間脳の領域が転写因子などの領域マーカー遺伝子の発現との照合が行われた。

そして発生期のプロソメアとの対応関係が明らかになった。プロソメア1とプロソメア2/3の背側要素(翼板)におおよそ対応している。


6.視床下部


視床下部は、他の間脳領域(プロソメア1~3)とは発現する遺伝子の種類が異なる。


7.脊椎動物の終脳


① 終脳と大脳 呼び分け

終脳は生命活動の中で極めて重要な役割を担っており、生物の進化過程で大型化する傾向が見られる。大型哺乳類の終脳は大脳(cerebrum)と呼ばれる。


② 基幹脊椎動物の終脳

脊椎動物の終脳
基幹脊椎動物の終脳は、現生種と同じく、嗅球と終脳半球(大脳半球)に分けられていた。

終脳半球を横から見ると、背側には外套、腹側には外套下部が位置する。外套には終脳皮質、海馬、嗅球などがある。

一方、外套下部には線条体や淡蒼球などの大脳基底核群が存在しており、運動にかかわっていた。

2つのフィールドをもち、それらを基盤とした神経要素の起源は古から存在するということだ。


③ 終脳の発生


終脳は神経管の前端に形成される。

吻側神経稜(ANR)あるいは交連板(CP)と呼ばれる領域がオーガナイザーとしてはたらき、そこからシグナル分子であるFGF8タンパク質が分泌され、終脳の形成にかかわる。

視床下部の発現に関与する遺伝子は視床のプロセメア1~3とは異なる。中でも注目されるのは、Nkx2.1遺伝子である。この遺伝子は発生期の終脳(外套の成長)に発現している。これを以て、終脳の原基は視床下部にあるとする意見もある。

脳のお-gナイザー

皮質原基の後ろにある皮質縁と呼ばれる場所もシグナルセンターとしてはたらき、そこからはBMPやWntが作用する。また、終脳腹側部の形成にはSHHが重要な役割を担っている。


このような終脳領域の発生には、特定の転写調節因子が重要な役割を担っている。

外套と外套下部の境界は、Par6とDlxの遺伝子の境界となっている。Par6の発現場所とDlxの発現場所が外套と外套下部をそれぞれ規定する。このような遺伝子発現様式や発生期の終脳形態のほとんどがヌタウナギで確認されている。つまり終脳を作り上げる仕組みは、円口類と顎口類の分岐以前にできあがっていたことになる。


第Ⅶ章 脊椎動物の繁栄

脳神経系の出現、進化、多様化は円口類から魚類の段階で一定の完成を見る。延髄から終脳までそこには全てあるし、なくてもその萌芽はすでに揃っている。

そこは市場ではなく、小たりと言えども百貨店である。とくにこれから進化の過程をゲノム的に辿っていこうとするなら、やはり徹底的に魚類の脳の発生と進化をたどるしかない。

もう一つは、適応拡散の豊富さである。これにより多くの失われた脳機能を跡付けることができる。また複合感覚の形成と協調運動も、脊髄→後脳→中脳→前脳(視床+視床下部)→外套→嗅脳+海馬→大脳基底核と上行させていく比較解剖学とゲノム解析の照合作業が、基本的にはすべて魚類の研究だけで済んでしまう可能性がある。
あとは言語と社会性に絡むソフト面の進化がついてくるが、これはサピエンス(部分的に旧人類)の課題である。

前置きが長くなったが、いくつか面白どころを転載しておく。

軟骨魚類 


これを読むと、軟骨魚類は決して脊椎魚類の先祖ではないことが分かる。おそらくそれはある時期まではライバルではなかっただろうか。単弓類に対する双弓類のように…


軟骨魚類は板皮類を人との共通祖先として、独自に分岐発展したものとされる。

(板皮類: シルル紀に出現し、石炭紀に絶滅した原始的な魚類。体の大部分が硬い骨板で覆われているので、甲冑魚ともよばれる)

軟骨魚類の中では初期サメ類が一世を風靡したがやがて衰えた。白亜紀にはそれに代わり、現生サメ類の祖先にあたる板鰓類が出現した。



軟骨魚類の脳容量は大きく、比体重で見ても鳥類~恐竜などのレベルにある。種別に見ると小脳の比率が際立つ。

軟骨魚類のもう一つの特徴は嗅球の巨大化である。このことは脳の機能にとって、捕食行動がもっとも重要であること、索敵・捕食の手段として視力・聴力・振動覚を差し置いて嗅覚が重視され、それが終脳「嗅脳」の発達を促していることである。

ただこれがそのまま終脳の巨大化へとつながっていくわけではない。やはり終脳が終脳として発展していくだけの理由と必然性が必要なのだ。























錐体外路は「系」ではない

あまり主要な問題ではなく、やり始めると結構煩わしい話なので近づきたくはないが、錐体外路という神経の流れがある。

昔は錐体路系と並ぶ下降神経の系統とされてきたが、最近では錐体路という高速道路の周囲を走る、ローカル線の集合概念とされ、それ自体を完結したシステムのように扱う風潮はなくなったようだ。

私が思うには、姿勢反射などのローカルな反応群は、司、司で行われてきたが、小脳が発達するようになってかなり退化し、重要なものだけ残存したのではないかと推測している。

しかし学生向けの解説の中には、つい筆が滑って錐体外路系を書くことも少なくない。

また内臓神経(自律神経)と混同するかのような記述も目にするが、これはまったく違う。

生物学の世界には数多くのハッタリ屋がいて、物理学や科学と異なり、検証なしに信頼されることがしばしばある。数年前の「理研のエプロンおばさん」が良い例だ。

それを魔除け札のように貼って回る人々がいる。それが高校生物の教師集団だ。

とにかくできるだけゴシック的な物言いはやめて、錐体外路疾患も「ローカル運動神経の不調」くらいにとどめておいたほうが良いのではないか。

Akira Magazine から
その後、下記を勉強したので、こちらの情報も盛り込んでおく。

川村光毅 「基底核についての要約と解釈

視床から側外方に成長した外套は、その下半が大脳基底核を形成する一方、上半は特定のものへの分化を行わず、6層の灰白質のままとどまる。
(とりあえず、その考えが主流である)

大脳基底核は、大脳皮質と視床・脳幹を結びつけている神経核の集まりで。線条体・淡蒼球・黒質・視床下核の4種からなる。この内、黒質は中脳内に、視床下核は視床下部に存在する。

basal_globus


1.線条体

運動機能への関与が最もよく知られている。また、意思決定(依存や快楽)などその他の神経過程にも関わる。

と言われてもよくわからないが、川村さんの文章を読むとますますわからなくなる。こういう議論は本来、遺伝子発現の順を踏んだ系統発生学の観点が不可欠だが、それができていないため「事実の森への迷い込み」に遭っているのであろう。

線条体に限らず、大まかに言って2つの過剰記載と、1つの過少記載がある。
過剰記載は神経中枢間の上意下達経路のわずらわしさと、視床下部を起点とする神経内分泌経路に関する説明である。過少記載は各々の神経核の出自と由来である。それが「何家の流れを汲む何のタレ兵衛で役職は何か」が記載されていない。
それがないと、器量や頭の良し悪しについて説明されても、とんと腑に落ちない。

肝心なことを踏み外さないことが大事である。

被穀+尾状核という2つの特徴的構造からなる。両者は発生学的には同一だが、実際は介在する内包によって隔てられている。

被穀は運動系機能を司どり、尾状核は精神系機能を司るとされる。
(なぜ二つの核で一つなのかは不明)
(なぜこのような形を取るのかも不明)
(書き方があやふやで、官僚答弁のように答えを避けている)

線条体には表面に線状の模様がある。これはアセチルコリン染色にて染まる帯(matrix)と染まりにくい層(patch)が縞状をなしているからである。

* 面倒なことに線条体には腹側という分け方もある(奇妙なことに背側はない)
これは主にドパミンなどの神経伝達物質の薬理学的検討の際に必要な概念らしいが、当面我々の視野の外にある。

いちおう、川村さんの文献から、4つのモノアミン系経路を上げておく。

1)ドーパミン系: 黒質緻密部(A9)および腹側被蓋野(A10)から起こる中脳辺縁皮質系の一部が、

2)セロトニン系: 中脳背側縫線核(B7)および正中縫線核(B8)から起こる上行性セロトニン束の一部が、

3)ノルアドレナリン系:青斑核(A6)から、
4)コリン系:マイネルト基底核(Ch4)からの入力が扁桃体に送られてくる。



2.淡蒼球

運動機能への関与が最もよく知られている。

内節と外節に分かれ、その外側を被殻に覆われる。

* いい加減にしてほしいが、内包で隔てられた尾状核は別扱いして、内外の淡蒼球と被殻を合わせてレンズ核と呼ぶこともある。(たしかにCTで見たところはそう呼びたくなるのだが…)


3.黒質

これは明らかに中脳内の神経節で、どうして大脳基底核にくくられるのか不明。

* おぼろげに分かったのは、神経内分泌屋がクレーマーとしてづかづかと上がり込んできたらしいということだ。それが下の図だ。
ふつう大脳基底核は線条体(尾状核,被殻)と淡蒼球を指すのだが、生理屋さんが機能的に関連の深い黒質、視床下核も入れろとねじ込んだらしい。迷惑な話である。

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黒質はドパミン産生を調整し、線条体に送り、椎体街路系の運動神経の興奮を抑制する。それはパーキンソンの説明で周知。ただし産生するのは側坐核(腹側線条体)で、そもそも中脳に神経内分泌作用はない。


4.視床下核

運動を行う際の動作の微妙な調節を行っている。

その他 黒質、赤核、マイネルト基底核についての説明はなし。

付図によると、赤核は中脳腹側の神経節で、さらにその腹側に黒質がある。
ただしこれらの記載は到底正確とは言えない。

* 面倒なことに線条体には腹側という分け方もある。(背側はない!)

* これは主にドパミンなどの神経伝達物質の薬理学的検討の際に必要な概念らしいが、当面我々の視野の外にある。

* その腹側線条体の一部が側坐核と呼ばれ、人によってはこれを線状体と分離し、5つ目の基底核に据えるらしい。
こんな連中は永久追放すべきだと思う。

少し文章が荒っぽくなってきた、思考エネルギー(ドパミン)が枯渇してきた証拠だ。

いったん大脳基底核についての考察を終える。

一応の結論

大脳基底核という範疇は、無茶苦茶で無意味だ。レンズ核と尾状核に限定して考えるべきで、そのためには大脳基底核という言葉は使わないほうがいい。

ただ大脳の進化の中で、レンズ核と尾状核は、三脳構造の延長でモジュール型の発達した構造である。

資本主義を、人類の前史の最高・最終の段階というが、その言葉がピッタリ当てはまる。前脳よりせり出したレンズ核と尾状核は三脳構造(モジュール脳)の最終到達であり、此処から先は、脳の進化の様式が変わる。進化の歴史の中で「6層構造の汎用型脳」(ネットワーク脳)の発達が始まっていく。それはエルキュール・ポアロのいう「灰色の脳髄」だ。

それが必要になったのは、ヒトが言語を足がかりとしてシンボルを使用し始めたことに起因する。シンボルの世界は、ある意味でリアルワールドのべき乗と言うべき広がりを持っている。それはきわめて多彩であると同時に、きわめて単純で簡単なフォーマットの上に乗っている。だから誰でも「紙と鉛筆」さえあればアクセスできる。(シンボルという用語については吟味が必要である。社会学的なスティグマがついている。表象、イメージなどさまざまな候補が考えられる)

このブログのタイトル、「鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽」が一つの例で、最初は少し躊躇したが、いまではなかなか気に入っている。

それがインターネットという媒体、テラ単位の記憶容量を得て高度化していく。それが6層構造の汎用型脳を生み出したのだ。

現在では、記憶装置のネットワークが「言語」(シンボル)を頼りとして知能を生み出していく、ヒトだけが生み出した世界が広がっていく。

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大脳基底核について、曖昧なままにやり過ごしたつけがいま来ている。
これまでの思索の旅からすれば、そもそも大脳基底核という概念が有効なものかを問わなければならない。
むしろこれまでの脳神経に関する諸説はすべて否定すべき対象として扱うべきであろう。
そう考える理由は、最近の遺伝子に関する多くの発見である。発見者が勢いに任せて珍説を打ち上げることはあっても、「遺伝子はウソつかない!」のだ。
遺伝子に裏付けられない、つまり進化の過程に位置づけられない「仮説」は、仮説ではなくフェイクと考えるべきだ。

もう私が勉強できる時間は多くない。ただ、この方向に議論が進んでいくことを願う限りである。そのマイルストーンとして「三脳論」が役に立つのを願うばかりである。

高校生物学の混乱と教師の「割り切り」

 

こんなレポートがあった。やはり世の中に高校生物学の現状に怒りを抱く人はいたのだ。


令和元年(2019年)7月8日

高等学校の 生物教育における重要用語の選定について(改訂)

日本学術会議 基礎生物学委員会・統合生物学委員会合同 生物科学分科会

 

要旨

 

生物科学分科会は、平成 29 年に生物科学分野教育用語検討小委員会を設置し、高等学校の教育の場で用いられる生物科学分野の用語に関する検討を行い、学習すべき指針としての最重要語及び重要語を選定して、その結果を報告した。

本報告は用語の固定化を目指すものではなく、学問の進展と研究者・教育者からのフィードバックをもとに、継続的に改訂されていくべきものである。

 

現状及び問題点

  高等学校の生物教育で使用される用語については、従前より語数の多さと不統一が指摘されていた。生物科学がさらに格段の進歩を遂げた結果、高等学校の生物教育で扱われる用語が膨大になり、現行の教科書「生物」では 2,000 を超える数の用語が重要と指定されている。 

このことは、学習上の障害となっているばかりでなく、生物学が暗記を求める学問であるという誤解を生んでおり、大学の入学者選抜試験における受験科目の選択においても敬遠されるなど、高大接続のあり方にも深刻な影響を及ぼしてきた。  

最も重要なねらいは、前回同様、生物学が暗記科目ではなく、思考力を大きく刺激する魅力にあふれた学問であるというメッセージを送ることにある。 今こそ、生物学が、知識ではなく思考で取り組むべき学問であるという根本的な認識を取り戻す時である。 
 

ということで術語リストを一覧してみたが、かなり勉強した私でも刃が立たない。 

ただこの報告が問題としているのは、術語の多さであって、その中身ではない。というか、実はそれもあるのだが、そこはじっと押し殺して、まずは数を減らすことで中身も議論しましょうということのようだ。 

ネット上には高校生物の教育用資料がたくさんあるが、まさしく暗記物の世界で、とかく何でも記載が一方的で教え方が断定的だ。 

「そうとばかりは言えないよ」と口答えしてもダメで、テストで書けばアウトだ。とても親切そうな教師でも、いったん異論を挟めば、たちまち顔色が代わるという次第。

そうしないとこなせないのが実情なのだろうが、受験生は暗記がだめというよりこのスカート丈的な問答無用の押し付けが「お前、そんなに偉いのかよ」的に腹に据えかねて、挫折していくのではないだろうか。

私は、個人的興味からこの分野を学んでいるので、少々の煩雑さは厭わない。しかし実際に学問の世界で通用しない「旧口ー新口」なる術語を押し付けて、それについて一切説明せずということではあまりにもアカデミーの世界に対して失礼ではないか。

どうしても押し付ける知識の量は減らさなくてはならない。それを承知の上で、これからの若者に憶えてほしいものとすれば、やはり遺伝子セットの発現がどう生体を進化させてきたかということだ。
まだ非常に若い学問で、技術的整理もできていないが、それが完成すれば、旧石器の様式による年代推定とか弥生式土器の暦年変化など必要なくなる。


外套→大脳過程とホメオボックス

今回の勉強を通じて痛感させられたのは、「いまや脳の進化と多様化は遺伝子を念頭に置かずして語れない」ということだ。

一番の革新は、進化が文字通り過程として語られるようになったことだ。これまでは、まことに煩雑な形態的記載の中から時間経過とダイナミックスを嗅ぎ分けて想像するしかなかった。

しかし解剖学の密林は死んだように眠り続け、マクリーンの形而上学もBBBのドグマも何の変更もなく受け入れられ続けた。

個体発生の類推から系統進化が語られてきたが、40億年の生命の歴史に比べれば、それはあまりに短く、時間分解能に乏しい。

だから何の進化論的根拠もなく、いきなり「終脳」が登場してきて、それが大脳へと上行していく、いわば砂上の楼閣である。

ゲノムが人類史を書き換えた

思い出してほしい。わずか20年前、Y染色体ハプロが飛び出して人類史を一気に書き換えてしまった。

それまでも遺伝子的指標がいくつか提起されていたが、Yハプロの威力は決定的だった。

いまでは人類史や先史時代を語る上でゲノム抜きに語ることはできない。私如き素人でさえも、A~Rのハプロについてはおよそ覚えている。

それを憶えると、10万年前に現生人類(あくまで現在まで生き残っているホモ・サピエンスという意味だが)が出アフリカを果たして以来、どのようにして770億の人口を数えるまでに発展してきたかのストーリーが語られるようになった。

ホメオボックスを定義する

これと同じことが、いま脳の世界にも起きようとしているのではないか。

最初にホメオボックスという言葉に突き当たったのはわずか1年前だ。

ブログの2021年06月12日ファイルに「新口動物のゲノム解析 素人は口出すべからず」というファイルをアップしている。

まったく新しい概念にきりきり舞いしている様子が伝わってくる。

参考までに、その後のホメオボックス関係のファイルをリストアップしておく。生命科学好きの素人が新概念を徐々に受け入れていく過程がわかってもらえると思う。







これらの学びを通じて言えることは、「ホメオボックス理論は地図の上にプロットされたポイントではない」ということだ。

それはまずもって里程標である。それは脳の進化の旅の里程標であり、それを追跡する知と認識の旅の里程標でもあるということだ。

この道標を知らなければ、歴史の旅をすることはできない。

両生類以降の進化のターミノロジー

野村さんの進化系統樹の命名は、私のまったく知らないものだった。


keitouju

私の頭の中の系統樹では
① 両生類が羊膜を得て完全に陸生化する
② この時両生類は複数の群に分化し無弓類、広弓類、単弓類、双弓類となる。
③ この内、単弓類が哺乳類となり、双弓類が爬虫類+ワニ類+鳥類となる

ただし、最近の系統樹はご多分に漏れずゲノムの影響を受け、かなり変ぼうしているようだ。

だから術語をめぐり野村さんと争うつもりはない。しかし野村さんの使用している系統樹については知っておきたいものである。

以下、若干の材料を集めてみた。

*爬形類の分類

爬形類というのは、両生類が羊膜という武器を獲得し、水中生活と決別し、卵生期間もふくめ完全な陸上生活者となる過程で生まれた、いくつかの化石生物を示すカテゴリーだ。系統発生を語る上での、一種の作業仮説と言える。
「いったん死語となったのが、1990年代に分岐学が盛んになると、再びこの用語が使われるようになった」(ウィキ)という。
分岐学というのはいかにもゲノム時代にふさわしい新語だ。
その試行錯誤のあとを探るのはそれとして面白いのだが、ここでは省略する。

ウィキによる爬形類の最近の分類は以下の通り。
有羊膜類 分類


*有羊膜類の分類

有羊膜になったから完全な陸生動物になったのであり、カテゴリー的には爬形類とかぶるように思えるが、どういう使い分けをしているのか今一つ不分明だ。

野村さんは羊膜類を恐竜+鳥類とし、哺乳類を排除しているようだ。しかしウィキの分類では明らかに両者とも有羊膜類に置かれている。

ウィキによれば、“有羊膜類の中には卵胎生(ヘビ・トカゲの一部)になったものや、胎生(哺乳類)になったものもある”と記載されており、哺乳類は胎生になることによって羊膜類から外れたのかもしれない。

とりあえず誤解を招かないためにも、哺乳類・非哺乳類の二項で括ることにする。


この間、「三脳論前脳派」として「前脳→間脳+終脳論」と悪戦苦闘を続けてきた。その過程で、いつもニヤっとしているのが「外套」だった。「前脳→間脳+終脳論」には共通する特徴があって、「外套」論を語らないのである。
たしかに外套は境目がボーッとしていて、いかにも前脳の延長のように見える。ただ概念的には明らかにちがう。それは両側性(肉眼的に)だ。つまり前脳に対して側方に発達するのである。
もう一つ気になるのが、鳥との違いだ。鳥は脳幹と同じようにいくつかの神経群を構成する「コンポーネント脳」(むかし出始めの頃のステレオは、プレーヤー、チューナ付きアンプ、スピーカの三点セットだった)だ。しかし人の脳は6層構造をなすベッタリした無機質な塊だ。この違いをどう説明するか。コンポーネント脳と6層構造脳はどちらからどちらに進化してきたのか?

いままで外套概念の勉強をしようとしたが、ネット和文献はきわめて少ない。ところが今回、外套の進化に真っ向から取り組んだ研究概要報告が見つかった。

令和2年度の科学研究費助成事業の研究成果報告書となっている。独自研究もあるが、基本的には研究最前線のレビューだ。
これがただの要約かと思ったら、とんでもなく濃密だ。ズボ、ズボッと記述がツボにはまってくる。
13,500,000円をかけた「研究成果の概要」を見せていただくことにしよう


イントロダクション

まず序文として以下の記述がある。

大脳皮質の構造と機能については多くの記述があるが、その進化的起源については議論の決着がついていない。
本研究は、哺乳類と非哺乳類(爬虫類、鳥類)の大脳初期発生過程の定性的、定量的な比較解析を行い、哺乳類大脳皮質の進化過程を細胞・分子レベルで検証したものである。

以下は方法の説明

具体的には

1) 哺乳類、爬虫類、鳥類外套を構成する神経細胞サブタイプの比較を行なった。
その結果、哺乳類大脳皮質の分化に関わる「シス調節領域」の種間差異を同定した。
シス調節配列というのは最近のトピックスで、アセチル化に続く遺伝子修飾機序
2) 有羊膜類の外套領域の形態的多様性にShhシグナルが関与していることを発見した。(Sonic Hedgehogは中枢神経系の発生に関する細胞外因子)

3) 背側外套領域の発生過程において、移動中の神経細胞の形態変化とWntシグナルの種間多様性を明らかにした。(羽無しショウジョウバエ_winglessから発見された遺伝子)

何や、それだけかいな。

本論

ここから以下が本論になる。


1.研究開始当初の背景

哺乳類の大脳に存在する大脳皮質、扁桃体、前障といった構造は、他の脊椎動物の大脳には観察されない。
哺乳類大脳に固有の神経解剖学的構造が進化の過程でどのようにして獲得されたのかについては、未だに決着がついていない。

外套

哺乳類特有の脳構造は発生学的には「終脳」(前脳)の背側領域(視床)に由来する。この部分が襟付きのコートのように膨大するために外套と呼ばれる。前脳と外套との境界は不鮮明である。これは中脳と前脳との境界がはっきりしないのと同様である。

外套領域はすべての脊椎動物に普遍的な構造として存在する。21世紀に入ってから、哺乳類大脳の発生過程を制御する様々な分子機構が明るみになった。
しかし外套の形態的多様性がなぜ生じるのかは、未だ明らかとなっていない。

外套の図を載せようと思ったが、まともな「これが外套だ」といえる図は一つもない。いかに彼らが前脳と外套との相違を理解しようとしていないかが想像できる。


2.有羊膜類における外套の発達・進化

爬虫類、鳥類の外套からは、同じ有羊膜類に属するにもかかわらず、哺乳類とは全く異なる脳構造が形成される。特に、背側脳室隆起(DVR)と呼ばれる構造は、哺乳類の大脳外套にはない独特の脳構造である。

この DVR は視覚、聴覚といった様々な感覚情報を受容・統合し、機能的には哺乳類大脳皮質と同様な特性を持つ。

DVRの謎には2つの事情がある。

① DVR を構成する細胞集団が外套のどの部分に由来するのかが解明されていない。従って哺乳類外套領域の細胞系譜との照合がされていない。

② 外套の局所的な細胞増殖・細胞分化率や移動様式が未だ不明である。そのため鳥や哺乳類など各々の種が固有の脳形態を形成する発生基盤が分からないままになっている。

等が挙げられる。


3.最新遺伝子学からの検討

これに対し、切り札とも言うべき新技術が登場した。それが発生過程の遺伝子学的検討である。

現代の発生生物学は、生物の新規形態の進化に関わる遺伝子基盤について多くの知見をもたらしている。これによれば、生物形態の基本構造が構築されるのに際しては、それに必要な遺伝子群(ツールキット遺伝子)が存在すると想定される。そしてその「ツールキット」によって形態の多様性が生み出されたと考えられる。

従来より哺乳類と鳥類の発生過程における細胞系譜が異なることが知られているが、さまざまな脊椎動物における大脳の発生過程について、その際の遺伝子発現と細胞系譜とを照合すれば、それが手がかりになるだろう。

研究方法

様々な転写因子はツールキット遺伝子群としてまとまっている。これが外套の神経前駆細胞の運命決定を行い、その増殖と分化率を制御している。

ゲノム編集ツールでツールキット遺伝子群を破壊し、表現型の変化を検討した。

方法は略(読んでもわからないので)


結果 Ⅰ 非哺乳類で多様化し、哺乳類では多様化しない

① 外套領域の神経細胞サブタイプと神経回路は、羊膜類(非哺乳類)の系統で多様化・拡散していた。
(わかりやすくするためコンポーネント化と表現する)

② 哺乳類における転写抑制

哺乳類では特異的な転写抑制が起こり、大脳皮質は多様化せずに層特異的(いわゆる6層構造)に進化した。(わかりやすくするため汎用コンピュータ化と表現する)

(非哺乳類と哺乳類では外套の神経前駆細胞を発現させ、大脳へと展開する転写因子が別物だということだ。別物というのはただの遺伝子のミュータントということではなく、大脳の発生の仕方そのものが異なるということだ。それは進化の仕方が異なるものだということだ。これについては、後でもうすこし考えてみよう)

③ 細胞系譜の解析

蛍光タンパク質による細胞標識法で非哺乳類の外套の細胞系譜解析を行った。多種のサブタイプを産生する神経前駆細胞は、すべての外套に存在した。
つまり前駆細胞をDVRに進展させる遺伝子は、非哺乳類すべての種に保存されていると言える。

結果 Ⅱ Pax6 の機能の種間比較

外套領域の神経前駆細胞に発現する転写因子の代表がPax6である。
諸実験の中で Pax6による実験はとりわけ重要である。これを抜き出しておく。

① ニワトリ外套におけるPax6遺伝子機能の破壊実験を行った(CRISPR/Cas9による切断)。
外套領域の遺伝子発現が消失し、外套下領域の遺伝子発現が誘導された。これにより、Pax6が外套の形成を規定していることが分かった。

② Pax6の強制発現の実験の結果、マウス(哺乳類)の神経前駆細胞は維持された。この現象は鳥類では確認できず、DVR の形成に向かった。
このことはPax6 の発現制御が、鳥類進化の過程で二次的な改変を受けた可能性を示唆する。


結果Ⅲ  Wnt 抑制による哺乳類大脳の6層化

Pax6 だけではDVR を形成しない説明にはなるが、6層化の説明にはならない。

ここでWnt シグナルを抑制すると、哺乳類においてトランスロケーション型の細胞移動様式が誘導された。逆にロコモーション型の移動様式は出現しなかった。

これが哺乳類大脳皮質に特異的な層構造と、皮質表面の放射状の拡大の進化に寄与した可能性がある。

これらPax6 とShh シグナルが、進化の過程でタンパク質の構造変化を起こした可能性がある。またこれらの遺伝子を受ける側の外套領域の神経前駆細胞にも、変化がもたらされたかも知れない。




「間脳の発生」(development of diencephalon)
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E9%96%93%E8%84%B3%E3%81%AE%E7%99%BA%E7%94%9F


以前から思っているのだが、間脳という言葉はいつ誰が使い始めたのかわからない。前脳では何故いけないのかもわからない。

ひょっとして前脳は終脳になり、いまの大脳と呼ばれるものになったというのだろうか。

脳科学辞典というサイトが有り、専門家が分担執筆している。

ここに「間脳の発生」(development of diencephalon)という項目があった。そこを勉強していく。

執筆者は愛媛大学大学院理工学研究科の村上 安則さんという方である。

大要 

わからない。混乱はあるが自覚はない。自覚がないから葛藤はない。

目次

1 脊椎動物の成体の間脳形態
1.1 視床上部
1.2 視床
1.3 腹側視床
1.4 視床下部
2 初期発生
3 前脳分節
4 神経回路形成
5 間脳の形態に関する最近の考え
5.1 間脳領域の再検討
5.2 視床下部と終脳の発生基盤
6 魚類の間脳の形態と発生
7 間脳発生機構の起源と進化


1.脊椎動物の成体の間脳形態

リード: 間脳(私の言う前脳)の後方は視蓋(中脳)に接する。前方は視神経交叉を境に終脳(私の言う大脳)に接する。
比較的小さな視床上部、巨大な視床複合体(以下、視床と呼ぶ)、腹側視床、視床下部が区別される。この区分けは発生学的知見と部分的に異なる。
(村上さんの “発生学” は個体発生学に局限される。微妙な発生のタイミングは遺伝子の発現で推測するしかない。しかし系統発生学は脳の発生と進化を5億年前、カンブリア紀のビカイアからの気の遠くなるような時を潜って追跡してきている。その中には絶滅や退化という名の進化が積み重ねられている。まずはそこから学ぶべきではないか。しつこいようだが、“発生学的知見と部分的に異なる” のは発生学的知見が、あるいはその解釈が間違っているからだとわきまえるべきである)

1.1 視床上部

視床上部は、手綱核群、上生体(松果体)、視蓋前域などから構成される。

手綱核群は基底核や辺縁系と連絡する。

手綱核の背側に光受容やサーカディアンリズムにかかわる上生体(松果体)が発生する。

(松果体複合体: 副松果体、前頭器官、頭頂眼などが存在することがある。大脳(嗅脳)や小脳も同様の発生機序かもしれない)

1.2 視床

哺乳類では新皮質へ入力する神経線維の重要な中継地の役割を果たす。
嗅覚を除く全ての感覚系の上行性経路は特定の視床核に入力し、終脳の新皮質領域と連絡する。

(それだけだろうか。私にはむしろ感覚処理の一次センターと思える。基本情報はここで整理統合され、判断・反応される。ただし過去の経験と付き合わせてのAI的判断は大脳に委ねられる、というのが基本ではないだろうか?)

1.3 腹側視床
1.4 視床下部

内分泌系と密接に関係し、いわゆる「植物神経系」としての機能を担う。

「フィードバック系」とされ、血液を介して内分泌系にも影響を及ぼす。

睡眠と覚醒の制御にも関わる。

(分かることは、視床下部は脳神経系とはまったく異なるシステムのもとに動いているということだ。視床との間に血液脳関門は確認されず、腹側視床が両者を緩衝する。どう緩衝するのかが非常に大事だが、生理学・生化学に属する事象なので、おそらく解剖学者であるこの解説者はほとんど触れない。この点については、「視床下部と終脳に関する発生基盤」の説でもう一度触れる)

2.初期発生(個体発生)

神経管の前端が膨らみ、前脳胞、中脳胞、後脳胞(菱脳胞)となる。

前脳胞から間脳と終脳が分化する。このとき、終脳は前脳胞の前方に、間脳はその後方に生ずる。

(個体発生の観察は進化を見るものではないから、何故、どのようにして2つに分化するかは問わない。問おうとさえしない。私としては、くどいようだが上生体の一つとしての嗅脳の一部が役割転換をして、大脳へと発達したのではないかと考える)

3.前脳分節

進行に連れ、前後軸に沿った形態学的、組織学的な領域化が起こり、分節的な構造をとるようになる。

これは中脳→P1(視蓋前域)→P2(視床)→P3(視床前域)→hp1→hp2と進み、視神経交叉をもって完了する。

(hp1+hp2の背側に、それを根本とするように外套下部がせり出し、さらにその背側に外套と終脳が増大していく。その理由、本態が知りたいところである)

中略

5.2 視床下部と終脳の発生基盤

視床下部は、前脳の前方腹側で発生するが、他の間脳領域とは発現する遺伝子の種類が異なる。その一部は神経管の腹側の要素(基板)である。

視床下部領域と終脳とを合わせたものをひとつのコンパートメントと捉える考えが提案されている(Puellesら)

(視床下部領域と終脳は前脳とは異質の部分であるという点では賛成だが、視床下部と終脳とはそれ以上に異質である。結局これは「間脳」範疇の自己破産に結びつくものと言える)

中略

7.間脳発生機構の起源と進化

ここでは前脳背側の視床部が進化の過程の中でかなり多くの変異を来したことが記載されている。

円口類と顎口類(Gnathostomes)の分岐以前の段階(すなわち脊椎動物の共通の祖先に極めて近い段階)で間脳を規定する遺伝子的基盤は成立していたと考えられる。

(つまり脳は最初から三脳をもって成立したということだ)

視覚の成立過程だが、哺乳類とそれ以前の動物では質的違いが見られる。

羊膜類では視神経は間脳の腹側でほぼ全てが交叉し(全交叉)、視床と中脳の視蓋に入力する。
ここでニューロンを変えた視神経は、視床の円形核に入り、さらにニューロンを変えて終脳の背側脳室稜(DVR)に投射する。

哺乳類では、視神経は間脳の腹側で部分交叉し、間脳の外側膝状体と中脳の上丘(視蓋に相同な領域)に入力する。
外側膝状体からの軸索は新皮質の一次視覚野に投射する。

……………………………………………………

私は視床下部というのは前脳に差し込まれたUSBだと思う。ここに体内情報が結集し、脳の判断をもとめる。同時に脳を動かすためのエネルギーが注入される。
それを評価する作業中枢(自律神経中枢)が視床の諸神経核だろうと思う。
これに対し腹側視床というのが、概念的には血液脳関門に当たるであろう。
視床上部からは視覚・聴覚を中心とする統合された感覚情報が大脳に投射されるが、同時に視床からの情報伝達系もあるはずで、それがホルモンや脳内アミンの増減による伝達手段である可能性もある。



マクリーンの辺縁系ドグマを打ち破り、三脳論を復活させるために、どうしてもして置かなければならないことがある。
それが前脳概念の再確立だ。

脳の発生学ではしっかり前脳・中脳・後脳と書かれている。それがいつの間にか前脳が消えて、間脳と終脳に分けられ前脳という概念は解体される。
さらに終脳が大脳までをふくんで、前脳の本質的発展だとする。解剖学はその理由を明らかにせず、発生学に任せようとする。

議論の風通しを良くするために、私の作業仮説を述べておく。

前脳がヒト脳に形態的に照応するのは、視床である。
視床は機能的には視覚と聴覚の統合中枢である。(聴覚には音声を含まず、視覚にはシンボル覚を含まない)

それは中脳の視覚と聴覚中枢に対する二次中枢であり、視床の背側に存在する。

視床にはもう一つの働きがある。それは視床下部と共同して神経内分泌系情報と脳神経系情報をやり取りし、「広義の自律神経系」を形成することである。

これこそは、脊椎動物が発生当時から受け継ぐ前脳の中枢的機能である。それは視床の腹側諸核が担う機能で、大脳や小脳がどんなに発達しても代替できない本質的な機能である。

そしてそれこそが、血液脳関門という怪しげな概念のもとに置かれてきた、血液・脳コネクションの本態なのだ。

と、大きく振りかぶって第一球!
外角低め、糸をひくようなストライクか、内角高め、打者が思わずのけ反るエグいボール球か。


「血液脳関門」 その1 wikipedia より

血液脳関門には2つの意味がある。

一つは、血液と脳脊髄液の “断絶的交通” を示す概念である。まさに関所である。

もう一つは脳の血液との直接接触を防ぐ構造である。これは関門と言うより防壁である。

「血液脳関門」は函谷関と万里の長城を結合した構造であり、物理的構造というよりは概念的なシステムと考えられる。(大脳辺縁系の概念と相似性を感じる)

構造

防壁部は防壁でしかなく、あれこれ詮索しても仕方がない。

肝心なのはあくまでも開窓部である。
ここからが泣けてしまう。

このため開窓部は、さまざまな生体物質の変化や侵入に直接暴露される。

これではまるで被害者だ。

江戸時代に長崎が外国とをつなぐ唯一の窓口になった。まさに文明の光が降り注ぐ窓だった。

視覚・聴覚が外界に向けて開かれた窓であるなら、この視床・視床下部を中心とする接合部は体全身の情報をひろいとる内側の窓ではないか。

「脳室周囲器官は自ら分泌するホルモンなどの物質を全身に運ぶ必要があるため、脳室周囲器官では血液脳関門が発達していない」とは一体何といういいぐさだ!

せめて「例外的にトランスポートの諸手段が発達している」と書くべきではないか。

だからウィキ氏は、「脳室周囲器官は血管に富み、脳内への選択的物質輸送を担う有窓性毛細血管が密集する」と書いたのではないか?

血液を遮断する力が弱いのではなく、逆に血管内からの物質取り込み能力が高いのがその特徴なのだ。

BBBの哲学

この部分の記載はとても抵抗感がある。まるで大脳辺縁系ドグマを打ち立てたポール・マクリーン(Paul MacLean)の舎弟に出会ったようだ。(「

マクリーンの「大脳辺縁系」論を蹴っ飛ばす

」を参照願います)

さらにブルモア風に言えば、「デカルトの二元論をいまだに引きずる発想」なのだろうと思う。意識の脳からの独立、精神の身体からの独立を象徴する、科学的根拠として血液脳関門は持ち上げられてきた経過がある。そのためにコンデューとしての側面は意図的に軽視されてきた。

異なった胚葉を原基とする信号系である神経内分泌系と血管内分泌系は、皮膚と粘膜がたがいに交わってはならないように、境界を隔てるべき存在だが、どこかにハブが形成され、インテグレートされなければ生命体機能を全うできない存在でもある。

両者はともに信号系ではあるが、片や液性信号系・海上交通体系であり、片や電気信号系である。片や大量交通であるが低速系だ。片や高速系だが、外部エネルギーの補給を必要とする。つまり港湾で外国からの船荷が水揚げされ、トラックに小分けされて全国発送するようなものだ。

私はそれは何よりも視床(特に腹側)だろうと思う。そしてその外付けの別館として「脳室周囲器官」が位置づけられなければならないと思う。



同じ日経新聞、19日の書評面でもうひとつ面白いものを見つけた。
島田卓哉「野ネズミとどんぐり」という本の紹介で、評者は小林朋道さんという方。動物行動学者の肩書きになっている。
私は昔からアメリカのオペラント行動学者は信用せず、ひたすら観察に徹底するヨーロッパの動物学者を信用してきたが、これらの方はどちらであろうか。

研究の発端はこういうことだ。
野外から連れてきたアカネズミが、ドングリを餌にして飼うと数日から一週間で体調を壊し死んでいくという現象が起きた。

なぜだろうということを研究し始めた。

1.タンニン犯人説

著者はドングリにふくまれるタンニンが鍵だろうと考えた。実証的な実験でその可能性が高いと推測された。

しかしそれはただちに次の疑問を生じさせる。
なぜ野生のアカネズミは貯蔵したドングリを冬の間中食べ続けるのに平気なのだろうか。

2.貯食毒抜き説

著者が真っ先に考えたのは、ドングリが貯蔵されることによって無毒化するのではないかという仮説だった。

ところが、この仮説は毒物学的にも病態生理学的にも否定されてしまった。

3.4つの可能性を考え出す

そこで、著者はあれこれと考えを巡らせ、4つの可能性を考え出す。

第一は最初の貯食毒抜き説、第二は他の食物との食い合わせ説、第三は第二と同類だが、土の中の解毒成分を取ることで身を守る説、そして第四がからだがタンニンに馴れて耐性が生じる説だ。

第二、第三は可能性というより作業仮説みたいなものだ。それらが否定されればおのずから第四が結論となる。

4.なぜ耐性が生じるのか

こうしてさまざまな可能性の中から、もっとも妥当な結論が導き出されるのだが、それはある意味でもっとも出てほしくなかった結論、最初の質問よりはるかに複雑かつ深刻な問題となる。

ということで、後は読んでのお楽しみということになっている。

ここまでの話で一番の教訓は、「AでなければD」という風に論理は単純に進むのではないということだ。「BでもなければCでもない」という2つの否定回路を経て、はじめてDという結論に達することができるのだということ。

何から何までというわけではないが、面倒でもこういう思考法を身につけていかなければならないということだ。

と、何故か話はウクライナに戻っていく。

本日の赤旗。週に一度のお楽しみの読書面である。

今週は「変形菌 ミクソヴァース」(集英社)という本が紹介されていた。著者は増井真那さんという方。ミクソというのは、医学用語で言うと「粘液の」みたいな感じだが…
「5歳の頃から変形菌が大好きで、6歳から変形菌と一緒に暮らしています」という。
ちょっとわからないのは、いま20歳で慶応の先端生命研というところで研究しているとのことだが、学生ではないのか?
申し訳ないが慶応に理工系の研究所があることさえ知らなかった。

粘菌については一度勉強したことがあったが、ウィキを読んでも変形菌との違いが今ひとつわからない。

ちょっとウクライナを離れてお散歩してみようかと思う。

*名前の由来

ここからそもそもややこしい。ウィキではmyxomycetes, myxogastrids とされているがなぜ2つも名前があるのかは記されていない。
増井さんの本にあったミクソヴァースと言うのはまたそれとも違う。

それはそれで、日本語がなぜ変形菌なのかもよく分からない。怪人二十面相ではないが、4つも名前があるというのは変形菌の名にふさわしい。

どこから手を付けてよいのかわからないので、とりあえずウィキを読み進める。

「アメーボゾアに属する原生生物の1群、またはそれに属する生物のことである」

といきなりご託宣だ。これではパソコンの取説並みの謎のお話だ。

結局、変形菌の話に入る前に原生生物とはなにか、その一種であるアメーボゾアとはなにか、アメーボゾアには他にもいくつかの生物があるようだが、それにはどんな物があるのか? を学ばなければならない。

* 原生生物とはなにか

英語ではProtist、直訳すれば「現生者」、なかなか感じの出たネーミングだ。「だってしょうがないじゃん、いるんだもん」ということだ。

真核生物のうち、菌界にも植物界にも動物界にも属さない生物の総称である。

要するに住所不定無職ということになる。それでは真核生物はどういう基準に従って住所を制定しているのだろう。

そもそも菌界、植物界、動物界っていう分け方がいかにもずさんだよね。

想像すると、最初は植物と動物に分けようと思ったけど、どちらにも入らないのがいて困ったので、それを菌類と呼ぶことにしようと、いわば例外規定を作ったわけだ。

ところが例外規定に入れるべきものの中に、例外規定に収まらないものが出ちゃって、それを原生生物と呼ぶことにした、と、ウィキの文章は読める。

これはそもそも分類するに当たっての範疇規定が間違っているわけで、したがってガラガラポンに戻す他ないハズのものであろう。

そういうわけで眉につばを付けながら読み進めるしかない。

*真核生物とはなにか

まさかここまでさかのぼるとは思わなかったが、「真核生物の本質規定」をしないと前に進めないことがわかったのだから、さかのぼる他ない。

ただあまり生真面目にやっていると、ルーツ探しの旅で消耗してしまって息絶えてしまうかもしれない。

「とりあえず、わかりゃいい」の精神ですっ飛ばしていこう。

アスガルド

現在では真菌生物はアーキア (古細菌)が発展したものだということで、ほぼ確定している。古細菌一般ではなくアスガルド古細菌が直接の祖先だということになっている。

こうなるとアスガルド古細菌に行きたくなるが、ここはグッとこらえて古細菌が真核生物になったとだけ押さえておく。

多くの仮説があるが、ほとんどは古細菌がバクテリアを取り込んだと考えている。なぜそれが可能になったかというと、核が核膜で覆われ細胞が二重構造になったからだ。

こうすると、細胞が多くの異物を取り込んでも、核酸の構造が影響を受けることはなくなる。とくにエネルギー産生を司るミトコンドリアとの共生は生命体を飛躍的に発展させた。

* 真核生物の発展と分化

真核生物は20億年前に発生し、多細胞化は10億年前とされる。それ以前に起源を置く学説は少なからず存在するが、いまこの場での議論とはならない。

かつて真核生物は動物、植物、菌類、原生生物の4つの界に分類されていた。ほぼ神話の世界である。

最近では分子系統解析などの研究成果を受け、真核生物の新しい分類体系が発表されている。最大の変化は葉緑体のあるなしが、最初の分水嶺になっていることだ。その結果、菌類が動物の一種にくくられた。そして原生動物はその意味合いが変わった。一言で言えば「その他の真核生物」と言うことだ。いかなる意味においても動物とはいえない。しかしもちろん植物ではない。論理を越えた “Protist” である。

2005年に発表された国際原生生物学会(ISOP)の分類は改定を重ねており、今日最も流布した分類となっている。

とは言え、ほぼ「ナンジャらホイ?」の中身だ。この中にアーキアと細菌以外のすべての生物が入っていることになる。
真正生物の分類

最初に出てきた「菌界、植物界、動物界」というのを当てはめると、アモルフィアというのがアメーボゾアとオバソアに分かれて、それぞれが下等生物と動物になる。これに対してアーケプラスチダというのが植物系ということになるようだ。

ここで菌類というのが2度出てきて、アメーボゾアには粘菌が入り、オバソアには菌類が入る。つまり「菌類は動物のたぐいだ」というのがこの分類の特徴だ。これは流石に飲み込みにくい。

* それで原生動物とは何だ

ここまでのところ、原生動物はまったく登場してこない。

最初の原生動物のウィキにおける記載に戻ろう。

真核生物のうち、菌界にも植物界にも動物界にも属さない生物の総称である。

ということでアモルフィア(アメーボゾアとオバソア)とアーケプラスチダのどちらかといえば、アモルフィア→アメーボゾアの下に入るのかな?
という話だ。

「変形菌は動物だ」というのもこの流れで出てきた話なのだろう。つまり葉緑体を持たないから植物でないから動物だという、イラッとするゴミ箱定義だ。

ここでウィキの「原生生物」の記事に戻る。


* ウィキの度胸のない定義

これがウィキの「定義」である。

もともとは、真核で単細胞の生物、および、多細胞でも組織化の程度の低い生物をまとめるグループとして考えられたものである。いくつかの分類体系の中に認められているが、その場合も単系統とは考えておらず、現在では認めないことが多い。

ウジウジとした決断力のなさと、国語能力の低さとが、まざまざとうかび出た文章だが、これまでの私の記載を読めば分かるように、これは “Waist Box” 型のカテゴリーである。

最初に一言そういえば済む話だ。それでゴミ箱をひっくり返すとどんな物が出てくるかということだ。

・褐藻類、紅藻類といったすべての真核藻類
・鞭毛をもつ菌類的生物(卵菌類・いわゆるミズカビ類など)
・変形菌、細胞性粘菌などのいわゆる粘菌類
・アメーバ、ゾウリムシなどの原生動物

ということで、ようやく「その他分類」の第三エントリーに粘菌が出現する。


* 当座の感想

ということで、今日はここまで。当座の感想

真正生物の分類なんて当てにするな。なんか洒落たことを言う文章なら、その瞬間に読むのをやめろ。

粘菌も変形菌も真正生物の一種だということがわかれば、それ以上の詮索はするな。バーでホステスさんの身の上を聞くのと同じくらい野暮な話だ。源氏名と思えば腹も立たない。

やはり入り口だけで疲れてしまった。

あとはいずれまた。

下の図はNHK教育テレビの最近の「サイエンスZERO」で示された魚の脳の絵。
スマホでとったのでこちらの姿が写り込んでいるが、気にしないでください。
t

困るのは、未だに小脳・中脳・大脳と分ける考えだ。発生学的に見て、このような書き方は間違いだと思う。後脳・中脳・前脳と分けるべきなのだ。

「小脳・中脳・大脳」論者をふくめ、すべての人が、中枢神経は後脳・中脳・前脳で始まったということで合意している。だとすればなぜそれが「小脳・中脳・大脳」という組み立てになったのかを説明しなければならない。前脳はどこへ行ったのかを説明しなければならない。間脳がどこから出現したのか、なぜ間脳と呼ばなければならないのか、を説明しなければならない。

一応、私の考え方を説明しておく。我々はマクリーンの呪いから解き放たれなくてはならない。

間脳は存在しない! 終脳も存在しない! あるのは前脳と、付属装置だ!

後脳は菱脳ともいわれる、10対の脳神経の一次中枢だ。
中脳は四丘体を中心として視覚と聴覚の一次中枢だ。魚ではこの2つで大抵の用を足してしまう。
間脳は失礼な言い方で、ここが由緒正しい前脳で、本来の最高中枢だ。ここで五感を判断して運動系(錐体路)に戻していく。
前脳を子細に眺めると、プロソメア(前脳分節)と呼ばれる “亜分節” に分かたれる。この中で、視床と呼ばれる神経核群が統合中枢である。視床の中でも内外側の膝状体が聴覚と視覚を統合する働きをなす。
もう一つは視床下部との連携だ。体液を経由する情報を集中し、神経を経由する情報と照らし合わせ、個体としての構えを形成する。視床下部と下垂体からは、多くの液性物質が分泌され、脳の活動全体をジェネレートする。これを神経内分泌システムと呼ぶ。

大脳はもともとは前脳の別館で外付けの記憶装置だ。最初は嗅脳(海馬)に間借りしていたのが徐々に発達して演算し判断するようになり、特にホモサピエンスの発生に向けて言語獲得(視覚情報の信号化+聴覚情報との統合)のためにいわば「AI化」したものだ。
小脳は錐体路系の記憶中枢が発達したものだ。バッチファイルとか実行ファイルの集積したものだ。
外付け装置としては、この他にも松果体とか、ヒゲ感覚の中枢があるが、現在では退化している。

鳥は生物進化の王道を歩んできた。その鳥の脳との比較解剖で、上記の特質はすでに明らかと思われるのだが、いまだに共有されていないのが不思議だ。


最新に近い「動物系統樹」 二胚葉と三胚葉動物の分岐

の続編で、それより二世代さかのぼった分岐である。


二層構造の発生

多くの動物の初期発生において、細胞の特徴的な層構造が出現する。

これが多細胞生物が発生して最初の分岐であり、これが第一次のボディプラン(体の構造)である。

この層構造は胚葉構造と呼ばれる。胚葉形成しないままに現在まで生きてきたのが海綿である。
動物系統図

外胚葉と内胚葉

二層構造の分岐には、外胚葉と内胚葉の2層がある。二層構造がそのまま残されたものが二胚葉動物と呼ばれる。

二胚葉動物はより原始的なものと考えられる。

いっぽう進化したものでは、外胚葉と内胚葉の中間に中胚葉が出現する。その結果胚に三胚葉構造が形成される。

これが、三胚葉動物の共有派生形質である。 おそらくこの時点でショウジョウバエ(この図では脱皮動物)と脊椎動物に共通するボディプランはほぼ確定したのだろう。

ただし、系統樹を見ても分かるように、いくつか未確定の部分があり、今後、変化する可能性もある。

だからあまり厳密に考えずに、流れを見ていくほうが良いだろうと思う。


二胚葉と三胚葉動物の表現形質

三胚葉動物のもっとも明確な特徴は、「前後軸を挟む対称性」である。これにより動物の基本的ボディプランは完成する。

いっぽう二胚葉動物(平板動物、有櫛動物、刺胞動物)は前後軸を持たない。多くは多形平面を形成する。


左右対称性の意味

左右対称性は次の意味をふくむ。すなわち背腹の非対称および前後の非対称である。

この非対称性は内臓側と支持組織側、頭側と尾側という構造をもたらす。

この非対称性がもたらす最大の産物が脳である。これは感覚器と神経系が集中したものであり、感覚器が頭部に集中した結果、脳も頭部に形成されることになる。

また動物型の生命機能である呼吸・循環中枢は頭部に近い深部内臓に形成される。


動物の定義  
1.多細胞
2.従属栄養性
3.消化機能と消化器官
4.自動性
として特徴づけられる。
細胞レベルでは形態的に共通の特徴が維持されている。
それは、動物細胞間の接着構造、コラーゲンやプロテオグリカンといった細胞外マト スの構成要素などである。
しかしこれには適応や退化による例外が多くある。すべての動物種に共通な形態的な特徴はほとんどないといえる。
そこで第5の規定が登場した。すなわち、遺伝子レベルでの共通性である。これらの性質を持つ生物の系統樹に、遺伝子的に抱合されるということである。

これはゲノム解析によってのみ証明される。21世紀に入って以来、ゲノム全体や個々の遺伝子の知見が積み上がり、それらの比較により、動物種が系統として単一であることがほぼ確定してきている。
これらの特徴の一部を欠いている動物種も存在するが、その祖先では備わっていたものが退化したと考えられる。

ということで系統樹が下図の通り。これは講談社のブルーバックスで「アメリカ版 大学生物学の教科書」の一つ、第4巻「進化生物学」から引っ張ってきたものである。原著の発行年は2012年となっており、アメリカの教科書の改訂スピードから推測すると、相当新しい知見と考えて良さそうである。(経験上、アメリカの教科書は、日本より5年位は早くアップデートしている)

動物系統図
それでこの図を眺めると、「明快な器官系」という想像上の共通祖先が前口動物と後口動物の分岐点になり、ここから前口動物が節足動物などへ、後口動物が脊索動物へ発達・進化していくという流れになるようだ。
どちらにせよ、ホメオボックスという遺伝子セット(Hox遺伝子)は、動物が「前後軸を挟む対称性」=左右相称性を獲得する時に形成されたものということになる。だから昆虫と魚類のあいだにゲノムの高い相同性が認められるのであろう。おそらくそれはカンブリアの前、エディアカラ期の中でも比較的早期に形成されたのではないか。

倉谷滋さんの「ファシズム論議」

倉谷さんは京都大学卒、この対談を行った時点で岡山大学。直後に理研に移り、現在に至る。
『ゴジラ幻論‐日本産怪獣類の一般と個別の博物誌』『分節幻想‐動物のボディプランの起源をめぐる科学思想史』など一風変わった書名の本を出版しているが、理論的にはボディプランの王道を歩んでいるように見受けられる。

下記は、前記事
「生物の形態形成は何処までわかったか?」の最終部分の抜粋。


多細胞化の意味は、やはり「群体か分裂か」とという選択、また「システムの移行」ということになるわけです。

システムの移行についていつも気になるのが、「何のための、誰のための多細胞化か」ということなんです。

映画「七人の侍」の中で、「みんなで力を合わせて野武士をやっつけよう!」ということになったとき、比較的安全なところに身を置いていた農民の一人が、「そんな割のあわネェこと、ワシにはできねぇ。抜けさしてもらう」と個人主義的に造反しようとしますよね。

それを志村喬演ずる隊長が「自分勝手なことを言うヤツは、今すぐここで叩き切る」とたしなめるわけなんです。

ここのところの「決断」というのが、まさに多細胞システムへの移行に相当すると思うんです。今のような平和の時代にあの映画を観ると、ここのくだりが一種、ファシズムのようにみえてくる。

それが面白いのです。

ようするに「自分、つまり細胞の一つ一つが、個人としてどう生き延びるか」という単細胞レベルの文脈から、「個人の安全は時として危険にさらしても、システム全体は守らなければ」という多細胞社会規範のレベルへ移行したわけです。

ではそれがどのように進行しえたか。「自分の属するシステムはひょっとして素晴らしいものかもしれない」ということに、どこでどのようにして気づき納得したか。

そこが問題なんです。

それが群体であろうが、当初は自分と同じ細胞を量産できるものたちの集まりであったのでしょう。

量産するだけなら、自分が勝手にやるのが確実で、手っ取り早い成功の方法だった。

もし多細胞個体というシステムの損得を考えるなら、「表皮」とか「内胚葉上皮」がいたほうがいいのは当たり前。しかし、そういう「分化」を経た細胞には、もはや分裂 (生殖) 能は残ってはいません。

それは自分以外の仲間に託すことで、みずからを納得させなければならないのです。

見方を変えれば、ボディプランの進化というのは、個々の細胞の損得を越えたところに成立しているわけですね、こういう納得は、個々の細胞のゲノム構成がきわめて近くないと無理でしょうね。

の紹介

倉谷滋さんと長谷部光泰さんによる対談である。ただし、2002年の発行だから相当古い。
古い分だけ、ゲノムへの “のめり込み” がなく、まっとうな議論が展開されている。

動物と植物の祖先は単細胞時代に分化

植物と動物の祖先は、約十数億年ほど前に、まだ単細胞生物だった時点で分化した。

したがって植物と動物は独立して多細胞化した。

したがって多細胞生物としてのボディプランづくりも独立して進化した。

とはいえそれまでは同じ生物だったわけで、同じツールを使いまわして多細胞化とボディプランづくりに取り組むしかなかった。

だから類似のパーツやプロセスはあるはずだ。


ゲノム重複はボディプラン豊富化の内的要因

脊椎動物の進化の過程では2度にわたってゲノム全体が重複し遺伝子数が4倍になった。植物においても同様の事態は想定される。

たとえば被子植物はコケ植物に比べて圧倒的に遺伝子数が多い。遺伝子の配列も変わっている。また同じ遺伝子でも発現様式が変わっている場合がある。

後生動物における多様性の原点: 襟鞭毛虫から海綿へ

多細胞体制がボディプランを求めた。これは襟鞭毛虫から海綿が進化した時点に遡る。

襟鞭毛虫は細胞接着分子を持っていて、同種細胞と群体を作るが、そこから離れて体細胞に戻るものもいる。

多細胞化のもう一つの機序は「生き別れ防止」機序。細胞分裂後に細胞が相互に離れずに大家族を形成することである。免疫耐容に似た仕組みだ。こちらのほうが体細胞化に寄与した可能性が高い。


多細胞はファシズムか

「一つの細胞がどう生き延びるか」という文脈から逸脱し、「個人の安全を場合によっては危険にさらしても、システム全体は守らなければ」というのが多細胞社会の規範。

多細胞化は2つのベクトルを持つ。一方では「強制」であり、一方では「共生」である。

対談といっても後半は倉谷さんの独壇場。「ファシズム論議」がとても面白いので、長めに引用します。(別記事に起こす)

以前の新口動物のゲノムの話を蒸し返す。
の記事だ。

佐藤矩行教授の沖縄グループが新口動物の共通祖先を突き止めたとの報道を読んで、いきなり昏迷状態に突き落とされた話だ。

わたしはこう書いた。
私が考えるには
ゲノム科学的証拠の発見というのは、
①新口動物群に共通遺伝子があること
②それが新口を造設する能力を持つこと
③それの発現を妨げると新口ができなくなること
④それが旧口動物その他にはないこと
などの証明が必要になる。
佐藤先生のグループが、今回一気にこれらの証明を果たしたわけではない。
今回の発見は、①の一部である。
ここまではさして問題はないのだが、問題はこのあと研究グループ(の一部?)が、この研究の解説に際して、かなりひどい論理的勇み足をしてしまったことだ。
ここまでは大した問題はない。問題はこの報道につけられた、ホックス遺伝子の簡単な解説。
①ショウジョウバエでは、前後軸の形成に関わる遺伝子群が存在する。
②これらの遺伝子は全て共通して、ホメオボックスという特殊なアミノ酸配列をもつ。
③これらは他の遺伝子の発現を制御する働きがある。
④ホックス遺伝子は染色体上にクラスターをなして存在する
⑤その並び方には順序があり、その順序に従って、体の前から後に器官の形成を制御する。
つまり、ゲノム的に言えば昆虫と脊索動物が同根だというのだ。

生物進化の研究者が、ゲノムの世界で酔っ払ってしまって、鳥の羽根と昆虫の羽根が同じだと言い出したようなものだ。

それでは昆虫と脊索動物の共通祖先は何処なのか、そのレベルでホメオボックスとホメオドメインの共通性は確認しうるのか?

私はエディアカラ生物までさかのぼって検討しようとした。

その結果、ゲノムうんぬんの前にまずボディー・プラン問題を解決しなければならないということがわかった。動物の身体の上下、前後、左右をどうすべきかという生物学的決断の問題だ。

それは生物が動物になっていく上で否応なしに迫られた選択であり、「ホメオボックス」というバッチファイルは、その解決策が遺伝子スイッチのシリーズとしてDNA上に刻み込まれたというに過ぎない。

「ホメオボックスが節足動物=旧口動物のショウジョウバエにもあった」という事実はとんでもなく重い。それは「ショウジョウバエにもあったぞ」というような軽い問題ではけっしてない。

エディアカラ生物群の勉強

前回までのところで、節足動物と脊索動物の分岐の時期、そして共通祖先の性格(推定上の)について知ることが宿題となった。
ゲノム解析によると、それは相当太古の時代まで遡るらしい。
そして爬虫類と哺乳類の関係がそうであったように、当初は節足動物のほうが圧倒的に優勢で、脊索動物は傍流を歩み続けたらしい。
そのへんの背景が浮き彫りになるような方法で、年表を編集しなければならない。ただ年表の形をなすかどうかはやってみないと分からない。

この “年表” は
の続編となる。

まずは感想から述べておく。エディアカラに関する記事を20~30本ほど読んだが、まことにひどい。基本的には建設現場の資材置き場である。

しかも「バベルの塔」の建設現場だ。これだけ各人が好き勝手に喋りちらしている学問現場もない。まず年代がまったくいい加減だ。6億5千万年前から4億5千万年前まで幅があるのだが、それが人によってまったく重ならない。ある人にとってはもう終わった年に、他の人にとってはまだ始まっていない、という有様だ。
分類も各人が好き勝手のやり放題だ。なにせゲノム解析ができないから、直接DNAに基づいて分類することができない。
それでも現世の生物に手がかりを求めて、進化の系統樹らしきものを作らなければならないのだが、皆さん、あまりその手の作業(かなり論争的になる)は好みでないようだ。
ということで、「盲蛇に怖じず」の構えで文章をでっち上げるほかないと、根性を据えつつある。


エディアカラ研究の経過

なぜこうなっているか、を知る上でエディアカラ紀研究の歴史について触れなければならない。エディアカラはオーストラリア南東部にある。アデレート北方500キロの丘陵地帯の名称である。第二次大戦直後にこの丘から先カンブリア時代の生物化石が発見された。

化石といっても、生物の遺骸そのものではなく、くぼみとなって残された生物の鋳型である。

当初、これらの生物は「ベンド生物」と総称された。
その定義としては、動物とも植物とも言えない単細胞生物の集合で、細胞膜ではない仕切り(キルト構造)でつながり、多細胞体を形成する生物とされる。
カンブリアとの違いを際立たせようとして、その未熟性・未分化性を強調するこの概念規定が、その後の研究に大きな混乱をもたらした(と思う)。
ベンド生物はカンブリア爆発以前に消滅しており、エディアカラ紀の特徴とされた。ベンド生物の名を強調するあまりに、エディアカラはベンド期のローカル版として抱合される時代もあった。

しかし上記の定義はあまりにも単純で、エディアカラ期に生存・発達した諸生物の特徴を言い表せるものではなかった。そこで2004年に国際地質科学連合(IUGS)はベンド期の名称を捨て、エディアカラに統一した(のではないか?)。

従来は古生代最初のカンブリア紀に生物が一気に増え、多様化したと言われていたが、それよりもっと前、6億年前にすでに数十センチを超える大きな多細胞性生物がいたということになり、古生物と生物進化の歴史は大きく塗り替えられることになった。

それから70年余りのあいだに、世界各地で多くの化石が発見され、一言で言い表せないほどの生命の多様性が確認されるようになった。

現在のところまだそれらの本格的な体系化には至っていないが、カンブリア爆発で多様化したと思われていた生物界が、実は可能態としてはすでにエディアカラ期に展開されていたのではないか、という意見もある。

結論として、「ベンド紀」や「ベンド生物」などの言葉は一切覚える必要はない。その言葉が真面目に取り上げられている論文や、記事は時代遅れのポンコツであるからただちに破棄すべきだ。

(もし間違えていたら、陳謝の上訂正いたします)

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エディアカラ紀の簡単な経過 


7億年前 全球凍結期が終了した。

6億年前、マリノアン全球凍結期があった。その後の気候温暖化に伴い、海水組成の変化がもたらされた。暖かく比重が小さい表層海水では、植物プランクトンが大量に生産された。それは塩分濃度が高い深層水との間で有機物溜まりを形成した。

動物プランクトンは海底に固着して、群体として有機物を採集するようになった。これが原始的な海綿動物や刺胞動物として進化した。

こうして30億年続いた微小な単細胞の生物たちの時代から、多細胞で複雑な大型の生物の時代が、突如、それも大量に出現した。それらは総称してエディアカラ生物群と呼ばれた。

その大部分はカンブリア爆発を待たずに絶滅した。地球規模の火山爆発が寒冷化をもたらしたためとされる。古地層にはそのときの火山灰層が残されている。

5億5千万年前、もう一つの寒期ガスキエス氷期が終結した。このため大気と海洋の酸化濃度が上昇した。これとともに1億年にわたるエディアカラ紀が終わり、古生代・カンブリア紀が始まる。

動物は可動性を身につけ多様化し、補食圧が高まった。エディアカラ生物はほぼ絶滅。これに代わり全く異なる特徴を持つ生物が爆発的に増加した。このため「カンブリア爆発」とも呼ばれる。


エディアカラ生物群の特徴、いくつかのグループへの分化

エディアカラ生物群は、①軟体性である。②捕食性がない。③眼がない、などの特徴を持つ。発見当初は動植物の共通祖先説もあったが、今日では多細胞動物の共通祖先にもっとも近いものと考えられている。

以下、有名なエディアカラ生物を例示する。

ディッキンソニア(Dickinsonia): エディアカラ生物の中でもっとも有名。平べったい楕円形で、直径は120センチに達する。全体に細かい溝があり、真ん中に1本の隆起が走っている。円盤状の生物には現生動物にない卍型の体制を持つものもある。

エディアカリア(Ediacaria): 見た目は海草と同じだが、光合成はせず浮遊するプランクトンを捕食していた。
ウミエラ
     ウミエラ想像図(エディアカリアの親類筋)
クロウディナ: ソフトクリームのコーンを積み重ねたような殻を作り、互いに固着し合ってサンゴ礁のような礁を形成した。カルニオディスクスというのも似たような生物らしい。
 
キンベレラ(Kimberella): 最初はクラゲとされたが、左右相称動であり、現在はおそらく軟体動物と考えられている。そうすると軟体動物と刺胞動物が分かれたのはカンブリア紀よりずっと前、エディアカラ紀の初期あるいはそれ以前ということになる。

Kimberella
           キンベレラ化石

環形動物(Annelida): 環形動物(ミミズ)様の体制を持つものもあり、これは前後構造+左右対称を特徴としている。このことから、節足動物と脊索動物の共通祖先となる可能性がある。

7月3日 加筆修正




ミロクンミンギア (Myllokunmingia)
ミロクンミンギア


約5億2,400万年前 (カンブリア紀前期中盤)  

既知で最古の魚類(始原的無顎類)として登場する。それまではオルドビス紀の無顎類が最初の魚類とされてきた。

全長は3cm ほど。左右からかなり強く扁平であった。

エラや筋肉の節、背びれと頭部が見られる。体の後端近くに肛門があった。

軟骨による構造があったと考えられ、眼などの感覚器があったのではないかと見られる。

なお同時期に同じ中国海口地区の地層からハイコウイクチスとジョンジァンイクチスも発見されている。これらには、原始的な脊椎と頭部に目や鼻腔も確認される。

とくにハイコウイクチスは、頭部と原始的な脊椎が保存され、眼、口、ヒレ、鰓孔、消化管 肛門などが確認されていることから、カンブリア紀で最も進化した動物といえる。

この三種をミロクンミンギア類と総称する。

ミロクンミンギアをウィキで探すと、半分は化石のセールのサイトだ。安いものは1万円足らずで変えるらしい。

とにかくこのくらい出回っているのなら、存在を疑うわけにも行くまい。

しかしそれにしても、始祖鳥の化石といい、どうも中国のこの手の話は胡散臭い。

ホメオボックスの一員である核酸というのは、遺伝子のかけらみたいなものであろう。
遺伝子は延々と続くDNAチェーンの一部を構成していてそれぞれがひとつのプログラムを持っているのだが、それが接続しないとひとつの過程にはなっていかない。
うんと短い接続なら、文法で言えば助詞だったり接続詞だったりと、とにかくワンワードで足りる。
これがすこし面倒になると、バッチファイルみたいなものを挿入することになる。今ではもっと複雑になっていて、サブルーチンとかいうらしい。
とにかくそういうことが説明されていない。染色体のときもそうだったが、生物の先生は融通が効かないというた、舌足らずと言うか、国語能力がない。
おそらく実験屋さんで、その実験の普遍的な意味をあまり考えないからではないだろうか。

もう一つ、ホメオドメインの図を見て驚くのがその大きさだ。これだけの大きな蛋白がDNAにくっついているというのはただごとではない。以前、リボゾームという蛋白産生装置や葉緑体の光反応装置を見て、その巨大さと精巧さに驚いたことがあるが、それに近いものがある。

しかしホメオボックスの記事には、このドメインについての説明は殆どない。まったくもって未知の物体である。

ちょっと他の仕事が入ったので、すこし時間をおいてから、また挑戦してみたい。


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