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Kool & the Gang
先程(4am)目が覚めてTVをつけたら、BSでイギリスのロック番組をやっていた。ときどき見ているがほとんど見たことも聞いたこともない世界が広がる。大抵はつまらない。イギリス人の若者のロックグループは悲しいくらい日向く退屈だ。しかし有色系のバンドがでてくると面白い。さすがにBritish Commonwealth だ。
本日の発見はKool & the GangのCelebration、85年のライブだ。スタイリッシュでブラスの音が厚い。これはぽっと出のバンドではない。しかし聞いたことはない。
ネットで調べたら、これはアメリカの人気グループで70年前後の結成。この演奏の時点ですでに15年の歴史を持つメジャー中のメジャーだ。Earth, Wind & Fire みたいな流れだがもっとノリがいい。いづれにしてもこんな番組に、ごたまぜの一つになって出るようなグループではない。
You Tubeにこの曲の演奏があるので、URLを紹介しておく。一杯めはカンパリ・ソーダで…
https://www.youtube.com/watch?v=3GwjfUFyY6M
You Tubeで調べたら、初期のほうが塩味が効いている。ブガルーを感じさせる。ニュージャージーの出身というから、ブラックと言うよりプエルトリカンの系統ではないだろうか。(追記 24Jan)
Kool _ the Gang - Celebration
KOOL _ THE GANG-funky stuffmore funky stuff 1973
Kool And The Gang - Take My Heart
Kool And The Gang - Too Hot (Live)
70年代ロンドン・ポップス: The Real Thing と Osibisa
Live At The Liverpool Philharmonic 2013
性懲りもないエリック・クラプトン弁護論
Eric Clapton’s not God, just another vile anti-vaxxer
性懲りもないクラプトン弁護論
ワクチンを接種する道
合理化されてきた下劣さ
「芸術家ではなく、芸術を信じなければならない」のか
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面白そうな文章なので、訳し始めたが、とても門外漢の手に負える代物ではないことがわかった。その筋の人には常識である事実を伏線にして、さまざまな皮肉や嫌味が飛び交う。
さすがに題名そのままではきついので、すこし忖度した。
皆さん、私に文句を言わないで原文にあたってください。(ただし有料です)
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クラプトンとコロナ、そしてワクチンを巡る経緯については、ネットでも随分いろいろな情報が飛び交っている。
それらのうちかなりの文章が、クラプトンに好意的なものになっており、クラプトンの主張をそのまま、あるいは肯定的に引用しているからだ。そして、それらが結果としてワクチン拒否の有力な論拠となりつつある、という見立てだ。
グーグルで「クラプトン コロナ」で検索すると、たしかに最初の100項目まではクラプトンの言い分を伝えるだけの記事だ。これがグーグルの現状であり、日本の現状である。そういう世界ではコロナワクチンはベネズエラ並みの悪の象徴になりかねない。そのうち「中国が新型コロナをばらまいた」という主張が「科学的事実」にすらなりかねない。
それらを読んでいるとヘファマンの憤りの理由が分かってくる。
クラプトンは時系列を置き換えることによってみずからの行動を「合理化」し、心情を吐露することによって行動の矛盾を覆い隠し、カルトに逃げ込むことによって科学に逆襲し、場合によっては犠牲者ふうなふりをして同情を買おうとしている。
医者を長年やっていると、こういう患者には嫌というほど出会う。
ミック・ジャガーが激白、陰謀論者と反ワクチン派は「議論しても無駄」
が面白い。不良ぶりにかけてはさらに上手のミック・ジャガーが言うから面白い。とくに子供の頃の小児マヒ流行時の思い出は、共感するものがある。クラプトンのジミー・ヘンドリックスへの罵りは、日本語記事にはまったく見当たらない。ヘファマンが根拠としているのは When Eric Clapton gave his opinion about Jimi Hendrix という記事である。だが、直接原文にあたってもそれほどの記事とは思えない。
五木の子守唄 とりあえずのまとめ
旅役者や大道芸や瞽女たちは流れ者の芸者だが、「ヘンド」たちは御詠歌を歌うだけしか能がない。彼女たちは、より悲惨な運命に翻弄されて行ったのではないかと危惧する。
春なれば街の乙女が華やぎに君もまじりて美しう、恋の祈誓の初旅や笈摺すがた鈴振りて、大野の南、菜の花の黄金海透く筑紫みち列もあえかのいろどりに、御詠歌流し麗うらと練りも続く日、
この歌は五木のみならず、肥後一円で歌われた。私は熊本南部の水田地帯に育ったが、10、20人とうち群れて、肥後の大平野をあかあかと染めている夕焼けのなかで、この歌を声高く合唱する子守たちのなかに私もよくまじっていた。ただし、歌詞は、平地から山地に入るにしたがって深刻となり、球磨の五木へんで絶頂にたっしていたとおもう。そのわけは、後にいうように、そのへんが子守たちの大量給源地であったからだろう。
「球磨の巡礼歌」のルーツ
何回も歌詞を見返しているうちに分かったのだが、この歌、もはや五木とも子守歌とも言わず、「球磨の巡礼歌」と呼びたいのだが、この歌詞の「本歌」は以下の2つだ。
一.おどまくゎんじんくゎんじん ぐゎんがら打てさるくちょかでままたゃて ろにとまる二、おどんがうっちんだら 往還端いけろ人の通る数 花もらう
この “ぐゎんがら打てさるく” がよく分からない。明らかに大音を立て、自らを目立たせるふるまいだ。
3.乞胸(ごうむね)について
実母とは知らず、この家においてくれと懇願するさまは、なんとも悲惨だ。
5.願人(がんにん)について
6.女太夫(おんなだゆう)について
巡礼歌と御詠歌
1.短調が御詠歌の基本
3.三拍子ではなく無拍子
傾城阿波の鳴門 十郎兵衛住家の段
五木の子守唄と巡礼おつるの物語
1月11日 この文章をアップ後、直接台本が読めないだろうかと探した所、「桂七福のホームページ」から閲覧できることが分かりました。ただしこちらは阿波浄瑠璃ではなく上方浄瑠璃の台本のようです。題名は同じですが段名が「十郎兵衛住家の段」となっています。細部も若干異なるかも知れません。こちらは別記事としてアップしましたのでご覧ください。
徳島の伝統芸能である阿波人形浄瑠璃。その代表的な演目が「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」。
◆あらすじ
ある日、大坂の家に巡礼姿の女の子が訪ねてきます。お弓は言葉を交わすうち、娘のおつるだと分かります。
おつるは「同じ年頃の子どもが母親に、髪を結ってもらったり、抱かれて寝たりするのがうらやましい」「一人旅なので宿に泊めてもらえずに野山で寝たり、軒先で寝てたたかれたりすることもある。親がいればこんなつらい目に遭わないだろう」と語り、両親に会いたいと切々と訴えます。お弓は悩みに悩んだ末、国元へ帰るように諭しておつるを帰します。おつるの両親を恋う気持ち、お弓の愛情と葛藤が胸を打ちます。
「一人旅なので宿に泊めてもらえずに野山で寝たり、軒先で寝てたたかれたりすることもある」という下りは、まさに五木の子守唄の情景そのものです。
悲しみや辛さの、あくどいまでのてんこ盛りは、浄瑠璃のいわば常套手段です。虫けらのように軽視される命という巡礼観も底を流れています。
泥沼の「五木の子守唄」
ここではいくつかの文献を基礎にして、五木の子守唄に関するかなりラジカルな見解が述べられています。
この歌は五木のみならず、肥後一円で歌われた。私は熊本南部の水田地帯に育ったが、10、20人とうち群れて、肥後の大平野をあかあかと染めている夕焼けのなかで、この歌を声高く合唱する子守たちのなかに私もよくまじっていた。ただし、歌詞は、平地から山地に入るにしたがって深刻となり、球磨の五木へんで絶頂にたっしていたとおもう。そのわけは、後にいうように、そのへんが子守たちの大量給源地であったからだろう。
北原白秋年譜
「五木の巡礼歌」考 続き
1 おどま盆ぎり盆ぎり盆から先ゃおらんと盆が早(はよ)くりゃ早もどる2 おどまかんじんかんじんあん人たちゃよか衆(し)よか衆よか帯 よか着物(きもん)3 おどんがうっ死(ち)んちゅうて誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅか裏の松山蝉が鳴く4 蝉じゃごんせぬ妹(いもと)でござる妹泣くなよ 気にかかる5 おどんがうっ死んだら道ばちゃいけろ通る人ごち花あぎゅう6 花はなんの花つんつん椿水は天からもらい水
良かき帯など欲しくはないが、せめて母さんいて欲しや
3.子守唄系は昔からのもの
おどま勧進勧進 がんがら打ってさろく猪口でまま炊あて 堂に泊まる
おどまいやいや泣く子の守りにゃ泣くといわれて憎まれるねんねした子のかわいさむぞさ起きて泣く子の面憎さねんねいっぺんゆうて眠らぬ奴は頭たたいて尻ねずむおどんがお父つぁんなあん山ゃおらすおらすともえば行こごたる
「五木の子守唄」は子守唄ではない
五木の子守唄:「子守唄」と「芸者歌」と「巡礼歌」
私の故郷では巡礼と呼ばずに、「へんろ」または「へんど」と2つの呼び方をした。「へんろ」はおをつけて「お遍路さん」と呼んだが、「へんど」には「お」も「さん」もつけなかった。
春なれば街の乙女が華やぎに君もまじりて美しう、恋の祈誓の初旅や笈摺すがた鈴振りて、大野の南、菜の花の黄金海透く筑紫みち列もあえかのいろどりに、御詠歌流し麗うらと練りも続く日、…
おどま、盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと
おどまくゎんじんくゎんじん ぐゎんがら打てさるくちょかでままたゃて ろにとまる
おどまくゎんじんくゎんじん あん人たちゃよか衆、よか衆ゃよかおび よか着物
3.おどんがうちんちゅうて 誰が泣ゃてくりゃか裏の松やみゃ せみが鳴く4.せみじゃござらぬ 妹でござる妹泣くなよ 気にかかる
それにしても、今は死体となった私が、セミの鳴くように泣いている妹を見つめ、哀れんでいるという情景のシュールさは、なんに例えたら良いのだろう。
5.おどんがうっちんだら おかん端いけろ人の通る数 花もらう6.花は何の花 つんつん椿水は天から もらい水
これが「三種の小川」の真相だ!
かわのそばを あるいたら きこえてきた はるのこえが あひるたちは おおよろこび しぶきあげて みずにはいる ホラ はなが ラララララ さいてる とりが ララ・・・
まず、現在もこの曲が掲載されているのかを知らなければならない。
それにしても、教科書会社の栄枯盛衰はまことに激しいものである。その浮き沈みの歴史のひだに「小川」は挟まっている。というより教育出版の川口蕗香バージョン
以外の作品はその荒波の中で揺られ、やがて沈んでいったのだということがわかる。どこかの合唱団の人が掘り起こしてくれた歌詞は、意地悪くいえば、考古学的には貴重な存在である。
それで、流れはよくわかったものの、歌詞が読めない。どこからか探さなくてはならない。もう一つの謎が「NHKみんなのうた」がどの歌詞を採用したのかということだ。もし青木装版ならば私はその放送を聞いてなかったということになる。なぜならその歌詞をまったく聞き覚えがないだけではなく、うろ覚えの歌詞がそれとはまったく異なるからである。
読者も期待しているようだし、もう少し突っ込んで見るほかあるまい。
とりあえず、You Tubeを丹念にあたってみて気づいたこと。
一つは作曲:ワルトトイフェル 作詞:青木 爽 編曲:小林 秀雄 歌:西六郷少年少女合唱団
という演奏がアップされていることだ。どうもこれは「NHKみんなのうた」のエアチェック物らしい。
これで問題の一つは解決した。
もう一つは、では私はどこでこの曲(おそらく川口版)を聞き憶えたのか? これがよくわからない。川口蕗香をネット上で検索したが正体不明である。しかし全国いたる所の校歌を作詞している。だから文部省筋では名のしれた人なのだろうと思う。
ついでながら、楽しいワルツ 小林純一作詞・ワルトトイフェル作曲というのもYou Tubeにアップされていて、これが聞いてみたらまさに「小川」なのだ。つまり「第4の小川」なのだ。
皆さん、とりあえずこれが目下の調査報告です。むかし映画で五社協定というのがあって、そのために鞍馬天狗や忠臣蔵や次郎長物は各社で勝手に作っていた。だから嵐寛寿郎だったり、大河内傳次郎だったりする。そういう「仁義なき戦い」の一幕だったようで…
なにか疲れた。もう飲もう。
中森明菜の「思秋期」
こちらはどうしようもなくすごい。
上手い下手というのでなく、完全に憑依している。
「歌手というのはもうここまでやるしかないのだな」と納得させられてしまう。
まいった、まいった。
かわいそうに、岩崎宏美はもうこの歌が歌えなくなってしまった。
パルコのコンサートの演奏がすごい(画面はパルコ版)のだが、そのオンエアー音源は消えてしまった。
仕方なくディスク音源をアップしたものにリンク替えしたのだが、最近またパルコ版が復活した。
【中森明菜】思秋期 PARCO THEATER LIVE '94
結構、持っている人が多いらしい。
ナターシャ・グジーを紹介します
アイミョンと「生きていたんだよな」
これは2012年の歌だ。青年の厳しさ、貧しさはもっと塩辛い。
2012年11月08日 さよなら バグ・チルドレン より
いつだって こころと言葉を結ぶのが 下手だね どうしても固結び
世界ばかりが輝いてゐて この傷が痛いのかどうかすら わからない
たぶん 親の収入超せない僕たちが ペットボトルを補充していく
鳥を放つ。 ぼくらは星を知らざりし犬として 見るだろう 夜空を
打ち切りの漫画のやうに 前向きな言葉を交はし 終電に乗る
地下鉄に轟いたのち すぐ消えた叫びが ずっと気になってゐた
いつも遺書みたいな喋り方をする友人が 遺書を残さず死んだ
雑居ビル同士のすきま 身を潜め 影が溶け合う時刻を待った
“Pigs” の歌詞
それからシャレードだが、どうも本来の意味(ジェスチュア)というより、一芝居打って人を騙すみたいな使い方のように思える。この映画の脚本は元は違う題名だったがそれでは売れず、シャレードに変更したのだそうだ。わかったのはそこまでで、なぜ変えたのか、なぜ変えたら売れたのかはわからない。
この映画には同名の主題歌があって、いかにもの歌だが、歌詞は美しい。
ピンク・フロイドは“ベネズエラいじめ”を許さない
「ブタ」は社会の頂点にいる人たち、富と権力を持つ人たちだ。「ブタ」たちは、社会の他の人たちを操作できる。そして悪意の競争と冷酷さを奨励する。だからブタは強力なままでいることができる。
だから、その時のメッセージで、ロジャー・ウォーターズは次のように“真実”を語っている。
ベネズエラでは、今のところ内戦も暴力も殺人もない。政治犯の大量収監もなければ、報道の抑圧もない。誰かの持ち出した“人道コンサート”は、米国のベネズエラ侵略に手を貸すものなのだ。それはベネズエラ国民の必要とするものとは違う。民主主義や自由とも関係ない。
ピンク・フロイドを愛する皆さん、私のブログに来てくれたついでに、検索窓に“ベネズエラ”と入れてみてください。なぜロジャー・ウォーターズがそういうのか、わかってもらえるでしょう。
Facebook に、ロジャー・ウォーターズの発したメッセージがあるので紹介する。
「Kei の訳詩チャンネル」を紹介します
ガルデル 晩年の4つの曲
死の直前に作られた曲は4つある。1.下り坂(Cuesta abajo)、2.わが懐かしのブエノスアイレス(ミ・ブエノスアイレス・ケリード)、3.帰還(Volver)、4.想いの届く日(El Dia Que Me Quieras)
このうち確かなのは「想いの届く日」が最後で、この映画のキャンペーン中に飛行機事故でなくなったことである。「帰還」はその前年34年に作られた映画の主題歌である。「下り坂」(Cuesta abajo)は帰還と同じく34年に作られた映画の主題歌らしい。しかしこれは曖昧である。
一番曖昧なのが「わが懐かしのブエノスアイレス」で、これは34あるいは35年に作られた別人の映画のために、ガルデルがつけた曲らしい。
ただしこの辺は定かでない。ネットでは今のところこれが限界で、後は図書館に行くしかなさそうだ。と言っても北海道の図書館ではあまり期待できないが。
タンゴ名曲百選 作曲年代順一覧表
そのうち、少しづつYouTubeにアップしていこうと思います。
俳優のラドリサーニの作品というが、実際は当時流行した伝承曲らしい。カディカモの歌詞は後年映画主題歌として作られた。
古典タンゴの中では最も古い作品。
1903 エル・チョクロ(とうもろこし):(曲)アンヘル・ビジョルド。
歌詞は1947年にエンリケ・サントス・ディセポロが作った。1953年に「キッス・オブ・ファイアー」と題されて米国のヒット・パレード上位に入った。
アルゼンチン中北部の町コルドバでオテル・ビクトリアというホテルが開かれた。その開業式典の席で初演されたものという。
「7月9日」は1816年のこの日、独立宣言が発せられた記念日である。
1910 独立(インデペンデンシア):(曲)アルフレド・ベビラクァ。
「革命100年」を祝う祭典(センテナリオ)で初演されたもの。
題名はロドリゲス・ペーニャ通りにあるサロン、「サン・マルティン」を冠したもの。
直訳すると「昔の法律」、題名から想像されるように法学部学生に捧げられている。前の年の医学生がヒットしたから柳の下のどじょうを狙ったような気もする。
モンテビデオの無名の学生が作曲。24年にロベルト・フィルポが発掘し、バンドネオン変奏部や対旋律も加えられて大ヒットした。題名は仮装行列の意味で、キューバではコンパルサと言う。
ガルデルが最初に歌ってヒットさせたタンゴ。捨てられた女への「うらみ節」。それまでガルデルは民謡歌いだった。
第1次世界大戦に於ける激戦地(フランス)を指す。アローラスはフランス系移民だったから祖国の戦勝を祝って書いたのであろう。
品のいい歌ではないが、百選というと外せない、「そういう曲ってあるよね」という曲
1924 ガウチョの嘆き(センティミエント・ガウチョ):(曲)F.カナロ、R.カナロ。
オデオン社のタンゴコンクールで第一位。その時の第三位は「たそがれのオルガニート」であった(うぃき)。
ブエノスアイレスの繁華街「コリエンテス通り348番地」には、扉にこの曲の楽譜が描かれている。
ラ・ボカに近い鉄道廃線跡地が「カミニート」公園になっている。
フランシスコ・カナロ楽団のパリ公演成功を祝う歌。
アルゼンチンでは、この曲を演奏すると不吉なことが起こるといわれ、最近では余り演奏されない。
不況と政治不安の時代でもあり、この曲はこの年最大のヒット曲となる。「俺は河原の枯れすすき」と通じるものがある。
1934 下り坂(クエスタ・アバホ):(詞)アルフレド・レペラ(曲)カルロス・ガルデル。同名のパラマウント映画の主題歌。作曲者ガルデル自身が主演。
1935 想いの届く日(エル・ディア・ケ・メ・キエラス):(詞)アルフレド・レペラ(曲)カルロス・ガルデル。ガルデルが主演した米パラマウント映画の主題曲。とうでもよいが、曲名は正式には帰還(ボルベール)。
不慮の死を遂げたガルデルを主人公とした「ブエノスアイレスの歌い手」のために作られた。
YOUTUBE これだけアップしました。
「ベーチョのバイオリン」について
MDの吸い出しをやっていたら、昔よく聞いた懐かしい演奏があった。「バイオリン弾きのベーチョ」というので、ウルグアイ出身のフォルクローレ歌手アルフレド・シタローサの作詞作曲である。
やっと覚えたYouTubeアップロードを忘れないためにアップした。
少し調べようと思ったら、曲名が間違っていたようだ。正解は「ベーチョのバイオリン」だった。
「ベーチョのバイオリン」については西村秀人さんの「Cafe de Pachinto blog」に非常に詳しい説明がある。
探すのにちょっと手間なので、こちらに引用させていただく。
この曲の作者はウルグアイの歌手アルフレード・シタローサだ。本人の演奏は容易に入手できる。
「ベーチョのバイオリン」El violín de Bechoは…実在の人物に取材した曲。
シタローサの親しい友人でクラシックの名バイオリニストでもあったベーチョことカルロス・フリオ・エイスメンディの話である。…彼がバイオリンを弾き始めた頃の少年としての苦悩がテーマになっている。
西村さんの訳詞も載せられているが、あまりピンとこない。月田秀子ファド慎楽部に別訳があるのでそちらを
ベーチョは楽団のヴァイオリン弾き
子供っぽい顔も 弾くときには立派にみえる
だがかれは辛いヴァイオリンしか特ち合わせない
ベーチョには辛いのだ
その愛情と同じように 子供っぽいヴァイオリンが
ベーチョのほしいのは
悩みや愛を呼んだりしない大人のヴァイオリン
べーチョは自分のヴァイオリンが好きじゃない
けれども感じる ヴァイオリンの呼び声を
夜になると 後悔して
悲しいひびきにまた惚れこむ
木でできた栗色の蝶々
がっかりしている赤ん坊のヴァイオリンは
弾かれず黙っているときでも
べーチョの胸のうちに鳴りつづける
生と死 ヴァイオリン 父と母
ヴァイオリンは歌い ベーチョは風になる
そしてべーチョはもう楽団の中では弾けない
愛することと歌うこと、 それはあまりにも辛いから
この演奏はむかしNHK-FMでやっていたラテンアメリカ音楽の番組からエアチェックしたもの。ずいぶん元の音質よりは落ちている。
解説をうろ覚えしているのだが、たしかニューヨークで歌っている無名歌手をどなたか日本人が録音して、放送したものではなかったろうか。
実は本家よりこちらのほうが好きなのだ。
“Home sweet home”は反戦歌?
第一次大戦のとき、Home Sweet Home For You We're Fighting という歌が流行ったそうですが、元歌とは全然関係のないメロディです。
なお英語版ウィキペディアには御丁寧に『ビルマの竪琴』の話まで紹介されています。
ということで、反戦歌というのにはちょっと…ではあるが、厭戦気分を誘うのには十分ということのようです。
Kansas “Dust in the Wind” を訳してみた
2016年04月10日 イーグルスのゲット・オーバー・イット(Get over it)の「訳詞」
が意外と好評なようなので、もう1曲やっちまいました。
こちらはメロディーとアレンジが売りの曲で、「続ホテル・カリフォルニア」みたいな感じですかね。歌詞はナイーブなものなので、別に訳すまでもないのですが。
You Tubeだと「オフィシャル」版よりオリジナル版のほうがおすすめです。
風に舞う塵
僕は眼を閉じる。
ほんの一瞬なのに
その瞬間は行ってしまう。
僕の夢のすべてが
目の前を過ぎ去っていく。
おかしな話だ。
風に舞う塵だ。
僕の夢は
ただ風に舞う塵だ。
いつもの古い歌が聞こえる。
果てしない海の
一粒の雫のように。
僕らがやっていることと言ったら
ぼろぼろになって
地面に落ちるだけのこと。
そんなこと知りたくもないが。
風に舞う塵。そう、
僕らはみんな風に舞う塵なんだ。
さあ、くよくよするな。
大地と大空
ほかに永遠のものなんかないんだ。
時間は脇をすり抜けていく。
有り金はたいても、
たとえ1分でも買えやしない。
風に舞う塵。そう、
僕らはみんな風に舞う塵なんだ。
風に舞う塵。そう、
すべてのものが風に舞う塵なんだ。
2016年11月01日 「風に吹かれて」ってそんなにいい詩なのかね?
もご参照ください。
イーグルスのゲット・オーバー・イット(Get over it)の「訳詞」
あさからイーグルスのゲット・オーバ・イットを聞いています。じつに痛快ですね。
ところが歌詞が知りたくなったから大変。聞いてもさっぱり分からないから、Youtube(Eagles - Get Over It (With Lyrics) - YouTube) を見て歌詞を調べました。
歌詞はわかったが、今度はその意味が分からない。医学英語や時事英語と違ってハチャメチャだ。
結局、日曜の昼間をつぶしてしまいました。かなりの意訳ですが、何かの参考までに。
PS それで訳し終わってから、もう一度聞いてみましたが、聞こえないのは相変わらずです。
Get Over It を“もうやめようぜ” 、“くよくよするな”、“乗り越えるんだ”の三通りに訳してみました。
テレビをつけると何が見える
画面に映る連中は、どいつもこいつも、「私のせいじゃない!」と叫んでいる
他のみんなを指すその指は、ちっぽけでひん曲がっている
いつも、いつも自分を被害者だと思って生きているから
「こいつのせいだ、あいつのせいだ!」といじけている
ママのやせすぎもパパの太りすぎも
みんな誰かのせいなんだ
もうやめようぜ
くよくよするな
泣いたり、わめいたり、ヒステリーはもういい
もうやめようぜ、乗り越えるんだ
お前は「あの事故のあとどうもダメなんだ」と言ったけれど
オレがいくらか小銭を渡せば、多分、気分は良くなるだろう
もうちょっと考えてみると、ビリー爺さんはただしい
「弁護士は皆殺しだ。今夜のうちにやっちまおうぜ」
お前は働きたくない。王様みたいに暮らしたいんだろう。
だがでかい悪の世界はお前に一文たりとも払うつもりはないんだ
もうやめようぜ
くよくよするな
お前は一緒にプレーしようとしないから、仲間割れする。
もうやめようぜ、乗り越えるんだ
毎度、懺悔に行くみたいだぜ、お前の話を聞くのは
「今度が最悪だ」の連敗記録を塗り替えてるんだ
病気だと言うやつもいるが、俺は「へなちょこだ」と言うね
そうだ、そうだ、そうなんだ
そう、お前は「弱気の虫」を、砲丸付きの鎖みたいに引きずっている
お前は「罪の意識」に悶えている。お前は苦痛にのたうっている。
お前はそれを旗のように振りかざしている。お前はそれを王冠のようにかぶっている
そうなりゃ、お前の気持はどん底だ。みんな誰でも落ち込むさ
今の暮らしに悪態ついて、それを過去のせいにする。
お前の中にいる、そういう甘ったれガキを見つけて、ケツを蹴っ飛ばしてやる
もうやめようぜ
くよくよするな
悪態ついたり、落ち込んだり、八つ当たりしたりはもうたくさんだ
もうやめようぜ
くよくよするな
こんな時代、いつかは終わる。だからお前もやめようぜ、
もうやめようぜ
くよくよするな
乗り越えるんだ
井上陽水は私にとってエイリアン
最初の2,3曲はたしかにおやっと思うほどよかった。
しかしそのうちに疲れてくる。
この男っていったい何なんだろうと思ってしまうのだ。
すごい感性ときれいな声と、素晴らしい音楽センス、すべてを持っているのだが、聞いているうちに落ち着かなくなってくる。
ここは俺の世界ではないな、という居心地の悪さを、いつのまにか感じるようになってしまうのだ。
これだけ同じフィーリング、同時代のフィーリングを感じながら、その底にヒヤッとした冷たさを感じるのだ。
これがさだまさしだと、いささかのあざとさを感じつつも、それもふくめて「われらが世代」感を共有できるのだが、井上陽水にはそのような共感をさしはさむ余地がない。
いろいろ考えてみて、とりあえず次のような結論に達した。
彼には前頭葉がないのだ。これは歌詞だけの話である。本人にはもちろん立派な前頭葉があるのであるが、その歌詞には前頭葉の働きが感じられないのだ。
おそらく前頭葉につながる回路を無意識のうちに遮断しているのだろう。昔の思い出をたぐり寄せながら、「こんなタイプの人間が居たっけ?」と思いめぐらせるが、どうもあまり思い浮かばない。たぶん同じような思考回路の持ち主はいたのだろうが、井上陽水ほどには素質を持ち合わせていなかったということかもしれない。
似たような傾向の歌手にボブ・ディランがいる。しかし彼はもう少しフォークソングの精神に寄り添っていた。だから逆に裏切者呼ばわりをされるのであるが、そういう意味で井上陽水を裏切者と呼ぶ人はよもやおるまい。
それはもはやどうでもいいことだ。肝心なのはあれからすでに50年近くを経過して、いまあらためて聞きなおしてみて、首から上の世界で彼に共感できるものは何一つないということだ。
お互いエイリアンということか。
「徘徊老人の列車事故」をめぐる6つの疑問
「徘徊老人の列車事故」の訴訟について の続きである。少し問題点を整理してみた。
1.JRは被害者か?
市民的常識からすれば、男性を死に至らしめたのはJRであり、ふつうはそういうのを加害者という。
自動車やバイクの前に認知症の老人が飛び出してきた事故なら、ひき殺したほうが加害者だ。なぜなら自動車は潜在的凶器だからだ。2.監督責任とは、結局、認知症患者を拘束することなのか?
認知症患者を拘束するのは法律違反だ。外出できないように施設へ入れるのも強制すれば違法だ。つまり監督責任者には権限はゼロだ。権限なき責任はあり得ない。3.賠償金は髙過ぎではないか?
360万円は、今のサラリーマンの平均年収だ。まして700万円なら、首吊りして生命保険で返すほかない。それほど監督不行き届き(84歳の老女のほんの一瞬の居眠り)は罪が重いのか。どうしてJR東海はそこまで老女を責めるのか。どうして裁判所はそれを応援するのか?4.本人の人格はどうなっているのか?
認知症といえども自立者としての人格が認められるのなら、「自己責任」で弁償させるべきだ。
もし心神喪失に準じるのなら免罪されるし、まして家族には責任はない。
もし単身者であれば、それを保護・監督すべきは「国」であろう。ツケを回すのなら、国のほうへどうぞ。
5.鉄道会社のほうに責任はないのか?
学校内で事故が起きれば、学校側は責任を負う。入院患者が転倒して骨折すれば、たとえ認知症といえども病院の過失責任は免れ得ない。迷惑料を払えとは、口が裂けても言わない。
同じように鉄道会社は鉄道を安全に運行する責任がある。鉄道ならば、相手が認知症患者ならば、安全管理責任は免除されるのか。
6.鉄道会社はリスクを背負うべきではないか?
ほかの会社と同じように鉄道会社も経営リスクを負っている。事故も当然、経営リスクである。保険もかけるし、コストもかける。それは人に転嫁できるものではないからだ。
違いますか? 葛西さん。
これらの疑問は大方の市民の共感するところであろう。
いずれにせよ、徘徊老人の鉄道事故という問題は厳然としてある。しかもますます増えるであろうことも間違いない。
それが難しいから「だれの責任か」に矮小化してしまう。そうではなく、どうしたらそれを防ぐことができるのか、ひいては日本という国が超高齢化社会をどう生き抜いていくのか、という点から考えなければならない。
そこには「弱者の論理」を踏まえた上での、高齢者に寄り添った、高齢者を排除しない「庶民の論理」の確立が求められるのではないだろうか。
Lover come back 切れたリンク
チャイコフスキーの舟歌とLover come backの関連について書いたページも、多くがリンク切れになっている。
愛煙家のために、消えたリンクを復活させておく。
Dorothy Collins - Lover Come Back To Me (1954)
演奏が終わった後にSponcered by Lucky Strike というクレジットが入る。
ベン・ウェブスターに別の音源がある。よく聴くと同じ録音のようだが、最初のリンクは「リマスター」ということで音をいじっているらしい。正直言って素人には普通の音のほうが聴きやすい。
なお改めて聞いてみると、ブレンダ・リーがガキのくせに、めちゃうまいのに驚く。
ついでに新しくアップされた音源を拾っておく。
Charlie Parker 1949 - Lover Come Back to Me
というのがすごい。カーネギーホールでの演奏で、普通のジャズの録音とは全く違うので最初は面食らう。しかし聞いているうちにグイグイ引き込まれる。チャーリー・パーカーが一吹きした後に出てくるトロンボーンが超絶技巧だ。
この曲のナンバーワンにあげておく。
Charlie Parker (as), Sonny Criss (as), Flip Phillips (ts), Fats Navarro (tp), Tommy Turk (tb), Hank Jones (p), Ray Brown (b),Shelly Manne (ds)Album:"Charlie Parker / Carnegie Hall Performances"
Recorded: NY, February 11,1949
消えるかもしれないのでお早めに。
Joan Sutherland, Ella Fitzgerald and Dinah Shore: Lover Come Back to Me
というのはケッサクだ。1963年にダイナ・ショアの番組にエラとサザーランドがゲスト出演した時の録画らしい。サザーランドの当時盛りのすさまじい声量が彷彿とされる。
田川寿美を褒めちぎる
最近はそれなりにメジャーになっているようで、はるかにたくさんの音源がアップされている。
実感として言えば、田川寿美は美空ひばりになりつつある。
違うところは、美空ひばりはともすれば下品になるのに対し田川寿美はともすれば上品になりすぎるところだ。
熱烈なフアンがいて大量のエアチェック動画を上げてくれている。これをずっと見ていると、2003年から05年にかけてが転換期になっているようだ。
1975年生まれで、今年40歳。92,3年からデビューして最初の数年は紅白に出たりして売れっ子だったようだ。その後売れなくなっていろいろやっている。
まず二重まぶたの整形をやって、しばらくしてから鼻もやっている。以前、「天は二物を与えず」と書いたが、いまはそれなりの顔になっている。
しかし一番の変化は発声法だ。おそらく03年から06年にかけてベルカント唱法を身につけた。しかもコブシもはるかに自在に操れるようになっている。
持ち前のやや太めのよく響く低音と、正確なリズム感は元からすごい。私が以前聞いて感心したのはその頃のものだ。
それに表情豊かで、絶対に崩さない中音域、そして頭声への切り替えと共鳴の会得で、とんでもない歌手になってしまった。
和服の時とドレスの時の発声の切り替え、細かいニュアンスの表現などただただ舌を巻くほかない。
日本歌謡界が生み出した最高の歌手ではないだろうか。(今日もいささか飲み過ぎた)
シルビア・テリスの歴史的名盤
もう北海道では夏は終わり。ボサノバの季節からタンゴの季節に移ろうとしている。
と言いつつ、ボサノバを聴き始めた。クラシックはまめに更新しているが、ボサノバは古い音源のままで、YouTubeのラインナップもすっかり様変わりして、はるかにいい音の音源がはるかに多彩に揃っている。しばらくは聞くよりも音源集めに時間がとられそうだ。
その中で、とりあえず最大のヒットがこれ。
1.Sylvia Telles - 1957 - Carícia
2.Sylvia Telles - 1958 - Silvia
3.Sylvia Telles - 1960 - Amor em Hi-fi
ジャケットのデザインはいかにも時代を感じさせるが、中身はまったく色あせていいない。
1957年のアルバムは、トム・ジョビンの名曲 “Por Causa de Você ”から始まり、“Sucedeu Assim”へと続く。以下ご存知の名曲だらけである。
1958年のアルバムはシャンソンぽい雰囲気がなくなって、完全なジャズバラードに移っている。やはりトム・ジョビンがメインだが、このアルバムから作詞にビニシウス・ジ・モラエスが加わっている。
1960年のアルバムはボサノバ全開である。トム・ジョビンの他カルロス・リラ、ロベルト・メネスカル、ジョアン・ジルベルトも曲を提供している。逆にビニシウス・ジ・モラエスはチームを去っている。
この盤からハイファイとなっていて、ジャケットにも麗々しく描かれている。しかしステレオではなさそうだ。
これまで、あまりシルビア・テリスの歌はあまり評価していなかったが、たしかにこの時点で彼女は「女王」だった。その曲の多くは「スタンダード」となり、いまだに歌い継がれている。
そういう意味で、この3枚は歴史的名盤と呼んでよいだろう。ただしシルビア・テリスというより、トム・ジョビンにとっての名盤かも知れないが。
パコ・イバニェスを紹介する
パコはスペインのフォークシンガーで、多分私と同年代。フランコ体制に反抗した揚げ句に国を離れパリに移り住む。そこで68年の学生闘争にぶつかり、歌手として頭角を現す。
それからの十年、彼の歌はスペイン民主化闘争のシンボルとなった。
タバコの吸い過ぎなのか、最近の声はユパンキに同情されるほどひどい。もっとも若い頃は美声だったかというとそうでもない。歌手としては、よく言えば「味のある」という褒め言葉になる。
シンガーソングライターというと、普通は詩を書いて節をつけて演奏するのだが、彼自身は詩を書かず、他人の詩にメロディーをつけるのを専門にしている。したがって決め所ではかなりメロディーラインを動かす。したがって言葉がわからない他国人にはけっこう魅力的である。
カタロニア人らしいが、曲はかなりアンダルーシアの情緒にあふれている。ロルカやエルナンデスなどアンダルーシアの詩人の詩を好んで取り上げているからだろう。
代表作は下に記した通り。
EL LAGARTO ESTÁ LLORANDO_Lorca
PALABRAS PARA JULIA
A TI TE OCURRE ALGO
Canción del Jinete
Andaluces de Jaén
Mi niña se fue a la mar
SATURNO
こんなところか
当然、カヴァー曲が欲しくなるが、みんながカヴァーするのはPALABRAS PARA JULIAとAndaluces de Jaénくらい。
まぁとにかく聞いてみてください。YouTubeの穴にコピペすれば演奏が出てきます。
フアン・ルイス・ゲーラを聞いてみませんか
ドミニカにフアン・ルイス・ゲーラJuan Luis Guerra という歌手がいる。あまり日本では知られていないが、ラテンアメリカでは超有名歌手だ。クアトロ・クアレンタというバンドと組んでいるが、これは放送局の周波数が440キロヘルツという意味らしい。
バンド名のごとく、ノーテンキな曲を歌っている。椰子の葉陰でポール・アンカかニール・セダカを聞いているようだ。しかしアレンジは相当凝っている(ライブ盤ではわからない)。
ドミニカの昔のリズムであるバチャータを復活させてスタンダードにしてしまった。もちろん、メレンゲもやる。
まずはBachata en Fukuoka という曲を聞いて欲しい。大方、日本で巡業して福岡にも立ち寄ったのだろう。これがバチャータだ。ゲーラのバチャータの代表作は、Bachata Rosa(バラのバチャータ)、Frío, Frío(寒い寒い)、Ojala Que Llueva Cafe (コーヒー畑に雨が降る)、 Tus Besos (君の瞳)など。
車の運転中に聴くには良い。イライラ解消になる。
パブロ、ベネズエラ民謡を歌う
パブロ・ミラネスの変わり種アルバムを紹介しておこう。
Pablo Milanés y Lilia Vera El pregón de las flores 1981
YouTubeで全曲が聞ける。ありがたいことに、コメント欄に各曲の頭の時間がリンクされていて、別個に聴くことができる。
ベネズエラ民謡を思わせる白っぽい曲が詰まっている。LILIA VERA で調べてみると、案の定CANTANTE VENEZOLANA DE MUSICA TRADICIONALと書いてある。
率直に言えばそれほど魅力的な歌手ではない。歌もみな素晴らしいというわけでもない。しかしいくつかの民謡風の曲は素直に心にしみてくる。まぁベネズエラ民謡なんだから、当然といえば当然なんだけど…
1.El pregón de las floresアルバムのテーマ曲のようだが、さほどではない。パブロでなければもっとうまく歌えるのにと思ってしまう。
2.Pueblos tristesリリア・ベラとパブロのデュエット。佳曲だ。
3.Mi nostalgia例によって、ものすごい変拍子のリズムの取りにくい歌だが、パブロは見事に歌っている。
4.La muerte del animalこのアルバムの白眉だ。見事にベネズエラしている。
5.Mi tripón弦合奏やフルートも入って、ぐっとムーディーなアレンジになっている。パブロの独唱だ。
6.Montillaクアトロが激しくかき鳴らされ、モントゥーノが迫力を生む。これもパブロの独唱。
ベネズエラ民謡はここまで。このあと後半の6曲はパブロの持ち歌を一緒に歌っているが、なくもがなの感がある。
パブロ・ミラネスを聞け
多分、シルビオの詩が人気だからだろう。私から言うとシルビオは少しも面白くない。それは節を付けた詩でしかないし、詩の意味がわからないし、スペイン語が堪能で詩の意味が分かったとしても、高踏詩のように分からないことが分かっただけの話だろう。カエターノ・ヴェローソと同じだ。
トローバというのは門付けして歩く祭文語りのことだ。サロンで上流夫人を相手にして歌う歌ではない。野卑ではあるが、首都ハバナの流行歌を地方に伝えている。田舎の人にしてみれは街場の歌なのだ。
私の子供の頃、年寄りの好みと若者の好みは分裂していなかった。旅回りの「桃中軒某」とか「尾上某五郎」一座が街の外れに小屋を張ってのぼりを掲げる時、それは異界の出現であり、まがまがしき「東京」の出現であった。
たしかにトローバは田舎の世界ではあるが、その田舎にとっては「都会」という世界であった。そのエッセンスを汲み上げるのが、ヌエバ・トローバの仕事だ。
パブロの歌を聞く時それは田舎歌に聞こえる。ただそこにはコジャレた都会の香りがするのである。
ボサノヴァとMPBは対立関係にはない
赤旗文化面で諸星さんという方が「民衆の心をうたうブラジリアンポップス」という文章を載せている。
たしかに面白いのだが、ボサノバ=中産階級、MPB=民衆の心の歌というのは、やはり乱暴だろう。
ボサノバもMPBもそれなりのムーブメントだった。多分に外国の影響を受けている。時期が違うだけだ。平ったく言えばビートルズの前か後かということだ。
歳のせいもあるが(そして中産階級に属しているからかもしれないが)、私は今でもボサノバのほうが好きだ。
「渚の恋」だから中産階級というのも頷けない。私のジュニア時代にはビーチボーイズに影響されて、グループサウンズが似たような歌を歌っていた。
彼らが中産階級を代表していたとは思えない。その辺の工員さんでも歌っていた。
だいたいあの頃はヒットチャートの半分がアメリカ音楽だった。
「ボサノバ」こそメイン
日本語にすると紛らわしいが、ブラジリアン・ポップスともいうべきジャンルがあって、メインストリームはあくまでもそこにあった。
大体はショーロかサンバ・カンソンを基調としていて、粋な「小泣き」の歌だ。ネルソン・ゴンサルヴェスあたりが代表で、白人も黒人も歌っていた。
有名歌手にはボサノバと積極的に関わる人も多くいた。
ボサノバは単純に言えばジャズ・サンバだから、独特のフアン層を持つやや特殊なジャンルだが、60年代なかばに次々と名曲が生まれたためにメジャーになってしまった。
とくにアメリカンポップスの影響を強く受けた。ホアン・ジルベルトのような塩っ辛いボサノバにかわって、セルジオ・メンデスとかカルロス・ジョビンのような分かりやすいボサノバが主流になった。
その代わりにサンバの要素は薄れたかもしれない。人々はそれをもうボサノバとは呼ばなくなった。
しかしポップスの一大分野であることに変わりはない。カルロス・ジョビンはいまだって神様だ。
私は今でもブラジルの歌をボサノバの延長として聞いている。「小洒落た」節回しや独特の複雑なコード進行はボサノバとしか言いようがないし、その音楽に浸っている間、私はボサノバ気分である。
MPB とブラックミュージックとの親和性
MPBは「トロピカリア運動」として、バイアからリオのミュージックシーンに土足で上がり込んできた。ブラジリアン・ロックともいうべきであろう。
カエターノ・ヴェローゾが捕まる直前に大学のコンサートで演奏している映像がyoutubeで見られるが、結構ぶっ飛んでいる。
トン・ゼーなどというのはとんでもない前衛音楽で、今でも狂っている。
バイアというのは黒人が多いところで、登場した歌手がみんな黒人ではないが、黒っぽい雰囲気を漂わせていた。
もちろんリオやサンパウロにもロッカーはいたわけで、イヴァン・リンスなんかが代表だろう。
トロピカリスモに限らず、60年代後半の風潮としてブラック・ミュージックは大きく舞台を広げた。ボサノバでも例外ではなかった。
ミルトン・ナシメントもこの頃ミナス州から出てきて活動を始めている。それにジャヴァンが続く。
だから私はMPBは青年の音楽と言ってくれれば納得するのだが。
反軍政運動と音楽
「民衆の心」というのを民主派という意味で言うなら、ボサノバとMPBを差別するのは全く間違っている。
むしろボサノバのミュージシャンこそ軍政に立ち向かい、その結果、国内での活動を絶たれ、ボサノバの衰退を招いたとも言える。(ちょっと言いすぎかな?)
ボサノバ界の代表ナラ・レオン(上流階級)やシコ・ブアルキはもっとも軍事政権と果敢に闘っている。ジョアン・ジルベルトやカルロス・リラはメキシコに逃れた。ジョアン・ボスコも抵抗の姿勢を貫いているのは諸星さんご指摘の通り。
ついでに
私もボサノヴァについていくつか文章を書いているのでご参照ください。
なおあの人が来る夜(A Noite Do Meu Bem)でDolores Duranが一番と書いているが、そこにはリンクがない。リンクが張ってあるのはブラジル 60年代ヒット曲100選 のほう。
ところが、リンク切れになっていた。おそらく著作権侵害で削除されたのだろう。仕方ないので、こちらをリンクしておく。❤ Dolores Duran - The night of my lover
冒頭に余分なシーンが入るが、おそらく摘発逃れのためだろう。若葉マークをつけたり、英語表記にしてあるのも同断。いずれにしてもお早めに。
最後の涙の一滴は“うーむ”とうならせる。
シルビオ・ロドリゲスのヒット曲
シルビオ・ロドリゲス Silvio Rodriguez
シルビオ・ロドリゲス
1946年11月キューバ生まれ。
キューバを代表する歌手として知られ、「キューバのジョン・レノン」に例えられている。シルビオ・ロドリゲスはラテンアメリカの左翼のシンボル的存在となっている
彼の歌のいくつかは、ラテンアメリカ音楽の古典と称せられ、大陸のあらゆる場所で歌われている。代表曲はオハラ、プラヤ・ヒロン、一角獣、小鎚など。
その歌詞はきわめて象徴的であるにも拘らず強い説得力を持つ。ロマンチシズム、エロチシズム、革命・政治と理想主義を語っているにもかかわらず、それらは心の内と向き合う。
60年代後半からヌエバ・トローバ(新しい歌)運動の担い手として頭角を現した。
69年に、漁船「プラヤヒロン」号の乗組員として従事し、この間に「海の歌」、全62曲を制作した。その中に「オハラ」や「プラヤヒロン」という代表作がふくまれる。
彼の歌はラテンアメリカの民衆を鼓舞し、当時の独裁政権は彼の歌を放送禁止とした。民主化が実現した後、アルゼンチンやチリでは10万人の観客を集めた大コンサートが行われている。米国は長い間ビザを発給しなかったが2010年についにコンサートが実現し、各地で大きな人気を博した。
シルビオ・ロドリゲスはラテンアメリカで今もっとも評価の高い歌手と言っていいだろう。しかしもっとも理解し難い歌手の一人である。理由は歌詞が難しいからだ。
歌のほとんどは詞の抑揚に節を付けたようなもので、詞がわからない限りはその良さはわからない。
そもそもヌエバ・トローバというのは、「今風の祭文語り」という意味だ。
我々としてはその中から耳辺りの良さそうなものを選んで聞くだけである。したがってスペイン語のネイティブとは好みが相当分かれるだろうと思う。
もう一つ、シルビオのコンサートといえば10万人の大スタジアムで観衆が熱狂して聞くというスタイルが多いが、本来のシルビオはこじんまりとしたサロンで静かにじっくり聴き込む類の歌手である。
それが、こうなってしまったのには、ラテンアメリカ独特の政治的・歴史的経過がある。その辺の経過も飲み込まないと、門外漢が入っていくには相当抵抗があるだろうと思う。
以上、歌詞がわからなくても楽しめる曲を中心に選んだ。本場のランキングとはだいぶ違うがご勘弁を。
それにしても、この人誰かに似ていると思ったら、プーチンだ。あれほど人相は悪くないが…
1.日本人なら、シルビオといえばこの曲だろう。
私には思い出がある。93年最悪の年、真っ暗なサンチアゴ・デ・クーバのプラサでそこだけ明るいソンの観光酒場。この曲をリクエストしたら、年寄り連中は首を横に振る。すると伴奏の若い衆が脇からそっと出てきて、「何とか歌えると思う」と言ってくれた。
歌い出したら、「何とか」どころではない。そのままハバナに行っても通用するほどの腕前だ。指力が強いのか、ギターの音が耳も割れんばかりに響き渡る。(あの頃は自動車など走っていなかったから、静寂に慣れてしまっていたのだ)
開け放たれた窓の外には光と音を求める黒山の人だかりだ。
2.Unicornio ウニコルニオ
シルビオの代名詞みたいな歌だ。文字通りには「一角獣」だが、飼っていた犬の名前だそうだ。正式題名はMi unicornio azul
3.La Maza 小槌
「もし信じないなら」という台詞が延々と続く、訳の分からない歌詞だ。
この3つがシルビオの御三家だろう(もう30年前の話だが)
最近の御三家はどうなるだろう。とりあえず3つ挙げてみたが、これでよいのか定かではない。
4.Angel Para Un Final
天使が終わりを告げる。二人の間には沈黙が、そしてやがて忘却が…
5.
6.Ojala のぞみ
えらく人気のある恋歌らしいが、どうもピンと来ない。
その他、やはり古いところが中心になる。
7.蛇の夢(Sueño con serpientes)
あまり気持ちのいい夢ではない。蛇が次々に現れて襲いかかる、しかもどんどん大きくなって最後には飲み込まれてしまう。胃袋を切り裂いて飛び出すが、そこにはもっと大きな蛇が…
8.Companera 同志の女性
9.Canción del elegido 選ばれた者の歌
ある男の話だ。彼は銀河の彼方、夜の太陽の中、嵐から生まれた。彼は天体から天体へとさすらった。新鮮な水と生を求めて、あるいは見知らぬ死を求めて…
彼はソロモン王の秘宝を発見した。それはアフリカではなく他の天体にあった。しかし宝石は冷たく魂を持たなかった。
最後に彼は戦争を探して地球に行った。それは衝撃だった。彼を最後に見たのは硝煙漂う戦場だった.彼は未来からの銃でならず者を殺していた、幸せで裸で…
以下は流し聞きしたなかでよさげの曲。
10.Eva
11.Yo fui una vez
12.Quien Fera
13.Te amare
チリのシルビオ・ロドリゲス 1990
シルビオ・ロドリゲスの音源はなかなかいいものがなかった。古いビデオをアップしたものばかりで、音質は最低だった。
しかし最近は随分良い物が増えてきて、パソコンで聞く分では不自由しなくなった。
相手がキューバだから著作権など屁の河童。upload しまくっている。なかでも豪傑はRodrigo Riquelme Barrosという人で、187本も上げているから、ここだけでシルビオはほぼカバーされている。
その中でも最高の演奏と録音が
1990年の演奏だから、すでにあの透き通るような美声は失われているが、十分に声量はある。
という歌で、この歌が良い。
La maza そしてSueño de una noche de verano で一応終わった後、アンコールで Unicornioをサービス。
あの人が来る夜(A Noite Do Meu Bem)
29位の A Noite Do Meu Bem はマリア・クレウーザで親しんできたと書いたが、どうも見当たらない。
代わりに出てきたのが、
A noite do meu bem - Nana Caymmi
Maysa A Noite Do Meu Bem
どう考えてもこの組み合わせは合わない)
(私の好きなジジ・ポッシも歌っています。美声でもなく、声量があるわけでもなく、顔もバーブラ・ストレイザンド並みですが。コアジの聞かせ方がじつにうまい。ふっとイタリア風味が横切るところがよい)
(エリゼッチの歌はないのだろうか、と思っていたら、見つかりました。残念ながらテレビのエアチェックで音の状態はかなり悪いですが。まるで祈りの歌のようで、立派なものでした)
結論としては、ドローリス・ドゥランのオリジナル歌唱をしのぐ演奏なしということ。
マルコス・ヴァリーとミルトン・ナシメント
と書いたが、リンクが切れていた。 「この動画は再生できません。 申し訳ありません」と出てくる。
しかしグーグルからはしっかり行ける。さすがに名曲・名演だ。
このコンビではもう2曲聴ける。
ネルソン・ゴンサルヴェスというショーロ歌い
以前、「ブラジル 60年代ヒット曲100選」というリストを転載したことがあった。
その時、37位にリストアップされたのが、Fica Comigo Esta Noite - Nelson Gonçalvesという曲だった。「タンゴみたい」と思った。
ふと気になり、ネルソン・ゴンサルヴェスの曲をまとめて聞いてみた。といっても、youtubeで検索をかけると4万7千件もヒットする。
とりあえず上から順に聴けるだけ聴いてみることにする。
Cara a Cara (バラード)
Adelino Moreiraという人の曲らしい
Doidivana (タンゴ)
Argumento (ショーロ。良い。この人は基本的にはショーロ歌いのようだ)
Vermelho 27 (タンゴ。アカの27番というのはルーレットの眼らしい。いかにもタンゴの題だ)
少し疲れたのでこのくらいにする。
この人は最初はタンゴ歌いで、その後ショーロ歌手として売り出し、有名になってからはサンバとかバラード、ボレロにも手を広げたようだ。
50年代末から60年代はじめにかけてショーロを歌っていた頃がピークだと思う。年取ってからも歌っているが、ひどいから聞かないほうが良い。
アルバムとしてはNelson Gonçalves em Hi-Fi (1959) - Vitrola de Ouro ( LP COMPLETO ) が良いようだ。
アンヘル・パラの「新しい祖国の歌ども」
もう20年も前になるか、札幌でリサイタルがあって、その時同行したのがアンヘル・パラ(Angel Parra)という歌手。八木さんの美声もさることながら、パラの歌には感動した。
その後の交流会で、彼の亡命中の苦労話を聞いて、本当に真面目な人だなと思った。ただしラテンの人の真面目さというのは日本人の黙々というのとはちょっと違う。
彼のカセットテープをしばらく聴き続けた。最後の「ポプラ並木」という曲はいつも涙が出た。
と、ここまでが前置き。
最近YouTubeでアンヘルの歌が続々とアップロードされている。70に手が届こうとしているが歌は若い。
人気に乗ってか、昔の歌も聴けるようになった。
その中の決定版がこれだ。
「新しい祖国の歌ども」 canciones de la patria nueva
アジェンデと人民連合がもっとも意気盛んだった年のアルバムだ。
自作が3曲、他にガルデルのアウセンシアやパブロ・ミラネスも歌っている。“Miles de Manos”というのが良い。
多分ビクトル・ハラとは全く別のラインでヌエバ・カンシオンの領域を開拓していたのだろう。学園やメディアを通じて有名になったハラとは違い、親の代からの筋金入りで民衆の歌を歌っていたパラは自分こそが本流という意識を持っていたと思う。
だからサッカースタジアムでハラが虐殺されたと知った時、そこにいるべきは自分ではなかったかと思ったかもしれない。
とすれば、それは恐ろしい体験だ。実存していることが恐怖なのだから。
これ以上は彼が死んでから書くことにしよう。私のほうが長生きすればの話だが…
YouTubeで聴けるタニア・マリア
もとはジャズ・ピアニストでいつの間にか歌のほうが有名になったという感じである。
差別ではないがすごい迫力顔をしたおばさんで、淡谷のり子も真っ青だ。
全曲ほとんどスキャットで通す。歌うときはポルトガル語である。
かなりのフアンがいるようだが、ジャズ畑の延長で聞かれているようである。
私のようなボサノバ畑の人間にとっては、ジャズもやるブラジル人だ。ただミルトン・ナシメントとかジャヴァンとかがアメリカに渡って荒れてしまっとのは違い、この人はジャズとサンバのバイリンガルのようだ。スイッチヒッターのように両方ともしっかり打てている。
(この際面倒なので、ブラジルポップスをボサノバと言ってしまう)
YouTubeにはかなりの曲がアップロードされているが、良い音質の演奏は意外に少ない。
1.Abre Las Allas http://www.youtube.com/watch?v=HLHc5_vOno0
ブラジル語で歌っている。カエターノ・ヴェローゾを思わせる。ロマンチックな趣もたたえた佳曲だ。
2.2AM http://www.youtube.com/watch?v=vm4M5SGjLDI
ブラジル高地の風を思わせる爽やかなメロディーが、ジャズっぽく転調されて展開されていく。スキャットが見事である。
3.Bom Bom Bom Chi Chi Chi http://www.youtube.com/watch?v=cvrjTCYU3B4
ジャズ・サンバで、シンコペートしたリズムが強烈に打ち込まれる。最初はベッチ・カルバーリョを彷彿とさせる歌いぶりであるが、途中からジャズのリズムに変わり、エラ・フィッツジェラルドも真っ青のスキャットとなる。
リサイタルのつかみの曲。これで客を一気に乗せていく、すごい腕前だ。
4.Cry Me A River
完全な(と言ってもブラジル臭は残るが)ジャズのイディオムによる演奏である。子音、とくにvとθがはっきしりないスペイン風英語だ。
どうもホントのジャズにはならない。
5.Funky Tamborim http://www.youtube.com/watch?v=Bx4F_iChqNk
私はブラジル人の演奏する「ファンキー」というジャンルが大好きで、ジルベルト・ジルもやっているが実にノリが良い。USファンキーと違って騒々しくない。
もちろんブラスが大活躍するのだが、とりわけブラジル音楽では必ずトロンボーンが一節やる。これがいいのだ。
6.Intimidade
ほぼ正調のボサノバ。低音で迫るタニアの歌には、なんとも言えぬ色気がある。この人にはボサノバが一番なようだ。
7.Lemon Cuca http://www.youtube.com/watch?v=uQqt1_DhEmE
もう一人の女性歌手が加わってデュエットとなるのだが、この掛け合いがなんともかっこいい。
8.Olha quem Chega http://www.youtube.com/watch?v=_7cztLf7zwM
思わずクレジットを見直してしまう。ほんとうにタニア・マリア?
まるでマリア・クレウーザ。
と思ったら、これはあのエドゥアルド・グディンの曲だった。
(わたしのホームページのテーマ曲の作者)
9.Que vengan los toros
滑り出しはまったく歌なし。見事にジャズ・ピアニストとしての腕前を発揮している。中間部でスキャットが入るが実に快調。疾走している。
たまたま曲名のアルファベット順に並べただけだが、コンサートの終曲にふさわしい。
10.Sangria
コンサートでいえば団員の紹介みたいな曲。バックのウマさにびっくりする演奏。
11.Yatra Ta
9.が終曲とすれば、これはアンコール曲。ノリを最後まで持ってくる。
実に見事な演奏。恐れいりました。
YouTubeで聴けるメル・トーメ
とくにトランペット系はひたすらうるさい。押し付けがましく、暑苦しい。
そんなもんジャズじゃなくてポップスだと言われるかもしれないが、メル・トーメあたりでちょうどいい。
さすがにガードが堅くて、YouTubeではなかなか聞けない。
音質的にまずまず聴けるのは以下の12曲。
Autumn Leaves - 1992 TOKYO LIVE
Blue Moon
Isnt It Romantic - with Al Pellegrini Orchestra 1955
Lullaby of Birdland from Songs Of New York 1963
New York State Of Mind - alto sax Phil Woods
Pick Yourself Up 1994
Thats All 1965
The Christmas Song - 1992 LIVE IN 東京
The Folks Who Live On The Hill
The Goodbye Look 1992 LIVE IN TOKYO
Too Close For Comfort 1960
Walk Between Raindrops
Jo Stafford もいいのだが、こちらはYouTubeではほとんど聞けない。
レダ・バジャダレスの紹介
Folclore de rancho Leda Valladares
というアルバムですが、YouTubeで全曲が聞けます。下の写真のごとくかなりエキセントリックな雰囲気を漂わせています。アルゼンチンのビオレータ・パラといったところでしょうか。同じトゥクマン生まれのメルセデス・ソーサより10歳くらい年上のようです。
英語ではまったく紹介されていないので、スペイン語をそのまま載せます。私にはサッパリ分からないので、分かる方の翻訳を期待します。
01. Chacarera (recogido por Isabel Aretz, Yerba Buena, Tucumán)
02. Yaraví (recogido por Silvia Einsenstein en Tilcara, Jujuy. Letra de Leda Valladares)
03. Tonada humahuaqueña (recogida en Tilcara, Jujuy, por Leda Valladares)
04. Tonada sanjuanina (recogida a Hugo Pérez de Sanctis, de San Juan, que la escuchó en Valle Fértil, por Leda Valladares)
05. Baguala de Tucumán (tomada en Tafí del Valle, por Leda Valladares)
06. Milonga con sauces (letra y música de Leda Valladares)
07. Carnavalito (recogido en Iruya, Salta, por Leda Valladares)
08. Vidala riojana (recogida en Malligasta, La Rioja, por Leda Valladares)
09. Yaraví (recogido en Tucumán a Luciano Irrazábal, por Leda Valladares)
10. Baguala salteña (recogida en Salta a Amador, del Valle de Lerma, por Leda Valladares)
11. Zamba “La yerbabuena” (recopilación de Manuel Gómez Carrillo)
12. Vidala “De lejas tierras” (tema santiagueño, recopilación de Manuel Gómez Carrillo)
1972年の録音ということなので、軍事独裁の始まる前、民衆の運動が高揚していた時代です。
この人は民謡の採取家でもあったようで、その音源がCD化されています。かなりネグロ系の曲も拾っています。
この人は元々ジャズシンガーだったのかもしれません。下の曲は明らかにジャズのノリです。
Leda Valladares - hoy es nunca
写真がまた良い。竹久夢二風。
cancin de la mirada という歌は、ブラジルのサンバ・カンシオン風で、まるでシルビア・テリスの曲を聞いているようです。(要注意、音質は最悪です)
ということで、きわめて芸域の広い人です。
それにしても、もう少し注目されてもいい人ではないかしら。
“フォルクローレ”の流れ
ラテンアメリカ “フォルクローレ、もしくはプロテストソング”の流れ
「学習会」ということで、一晩でやるために作った文章です。非常に荒っぽい筋ですが、そういうことでご容赦を。
源流はピート・シーガー
フォルクローレというのは直訳してしまえば「民謡」ですが、日本のフォークと同じく、あの頃の若者の文化的なムーブメントと捉えるべきでしょう。
最初に大胆な仮説を立ててしまいますが、ラテンアメリカの“フォルクローレ、もしくはプロテストソング”の流れの源流はピート・シーガーだと思います。
もちろん、ユパンキなどの民謡歌手もいました。ラテンアメリカで先住民の音楽を採集するいわゆる「民俗音楽」研究者もいただろうと思います。私は詳しくはありませんが。
ピート・シーガーにもウディー・ガスリーというカントリー・ミュージックの先駆者が居ました。労働者の闘いに関する歌もたくさん作っています。
ただピート・シーガーはシングアウトという形式で、民衆と結びつけ、ポピュラー・ミュージックのシーンと結びつけました。だから彼の歌はフォークロアともなり、メッセージソングともなり、スタンダード・ポップスともなったのです。そこから反権力性を過激かつ曖昧化したのがボブ・ディランです。
ピート・シーガーのメモリアルソングは「我らは勝つだろう」(We shall overcome)です。
ラテンアメリカでのこういうジャンルの曲は“フォルクローレ”というカテゴリーにふくまれます。これはフォークロアの直訳であり、“英語っぽいスペイン語”です。
USフォークの影響を受けた青年・学生たちが“先住民の民謡”を再発見し、これらの歌を演奏するムーブメントとして始まったのだろうと思います。
フォルクローレ運動の創始者 ビクトル・ハラ
フォルクローレ運動がもっとも盛んだったのはチリでした。なぜなら人民連合政府が樹立され、闘いの中に若者の文化が花開いたからです。ついでアルゼンチンとウルグアイにもフォルクローレ文化が拡大しました。
フォルクローレは先住民の音楽を発掘する運動としての側面を持っていましたが、南米の中でも白人の構成比が高い国で起きた運動であるために、白人知識層を主体とする運動でもありました。いわば左翼系若者のファッションだったのです。
運動の側面を強調する場合にはヌエバ・カンシオン(新しい歌)と呼ばれます。普通ならカンシオン・ヌエバですが、語順を英語風にすることで新しさの文化的意義を強調しています。ここではフォルクローレで統一しておきます。
チリのフォルクローレを代表する歌手はビクトル・ハラ(Victor Jara) です。彼のメッセージは「耕すものへの祈り」として結実します。これはコンクールに応募して一等になった作品で、活動家のみならずポピュラーミュージックとしても、みんなに愛されました。ハラにはメッセージソングライターとしての側面と、若者向けのソングライターとしての顔の2つがあります。ロックの代表が「平和に生きる権利」(El Derecho De Vivir En Paz)です。
メッセージソングの代表がアジェンデ選挙のキャンペーンソング「我らは勝つ」(Venceremos)です。リリカルな側面が強調されたのが「アマンダの祈り」です。クーデター直前に作られた「宣言」では歌は哲学的な響きを帯びてきます。
これに影響されて、アルゼンチンではビクトル・エレディア、ウルグアイではアルフレド・シタローサが登場してきます。ブラジルではポップス出身のシコ・ブアルキがフォルクローレとの融合を試みるようになっていきます。
一方、この頃から、ビートルズに影響されてロック音楽が各国でブームを引き起こすようになりました。アメリカではレッド・ツェッペリン、シカゴ、BSTなどがけたたましいエレキの音に乗せてベトナム反戦などのメッセージを送り出します。ラテンアメリカではブラジルのカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルを先頭とするトロピカリア・グループ、アルゼンチンではレオン・ヒエコらが騒々しく登場するようになりました。
メルセデス・ソーサ 抵抗の歌としてのフォルクローレ
73年9月にチリでクーデターが起こり、その後次々にラテンアメリカ諸国が軍事独裁化していきます。ミュージシャンもその多くが海外に亡命していきます。
そんななかで祖国の民主化をもとめる運動の先頭にフォルクローレが立つことになりました。キラパジュンの「団結した人民は屈しない」(El pueblo unido jamás será vencido)がテーマソングになります。フォルクローレはファッションではなく闘いの歌となります。
メルセデス・ソーサ(Mercedes Sosa)は元々は民謡歌手で、アタワルパ・ユパンキの歌を歌わせたら天下一品でしたが、軍事独裁政権に国を追われてからはフォルクローレ運動の先頭に立ち、“ラテンアメリカの母”とまで呼ばれるようになりました。亡くなったときは準国葬扱いでした。
ソーサはフォルクローレの歌手には珍しく、作曲もしないし、ボンボという太鼓を叩くほかには楽器も演奏しません。その代わりいろんな作曲家の持ち歌をカバーしています。だからメルセデス・ソーサにカバーしてもらうのはとても名誉なことなのです。
最も知られているのはチリのビオレータ・パラの歌をカバーした「人生よありがとう」です。もちろんビクトル・ハラの歌もたくさん歌っています。しかしアルゼンチンでは、レオン・ヒエコの歌「ただ神に祈ることは」 (Solo le pido a Dios) のほうが有名です。
ほかにキューバのシルビオ・ロドリゲス、パブロ・ミラネス、ブラジルのミルトン・ナシメントなどの曲も歌っています。
その後のフォルクローレ
80年代に多くの国が民主化を実現し、その後フォルクローレ運動は一段落したようにも見えます。しかし民衆の闘いが続く限り、運動としての「民衆の歌」の精神も引き継がれていくでしょう。
曲のカテゴリーとしてはとてもフォルクローレとはいえませんが、ベネズエラの「チャベスは去らないぞ」(
YouTube リンク集
ピート・シーガー
lanningck さんのサイトでは、Pete Seeger's 90th Birthday Concert がアップされているので是非ご覧のほど。ついでにウディー・ガスリーの元歌だが、ピートのヒットさせた歌。
ビクトル・ハラ
ビクトル・ハラの名曲はたくさんあるが、メッセージ性も含めればやはりこれだろう。
平和に生きる権利 音質は悪いが、テレビ出演した時の貴重な映像が残されていて、演劇者としての特質がよく出ている。
アマンダの思い出 Up主がとても音を綺麗にしてくれており、聴きやすい。
ビクトル・ハラの歌ではないがチリ人民の闘いを象徴する歌
団結した人民は屈しない ついでながら、このジャズヴァージョンがとても良い
"Giovanni Mirabassi - El Pueblo Unido Jamas Sera Vencido"メルセデス・ソーサ
80年代後半に出たベスト盤が、いまもベスト盤である。
人生よありがとう(ビオレータ・パラ曲) これは80年録画の映像が見られる。函館で実物を見たとき(78年)はこんな感じだった。
耕すものへの祈り(ビクトル・ハラ曲) 少し音が古いが最高の演奏で、ビクトル・ハラの自演よりはるかに良い。
ただ神に祈ることは(レオン・ヒエコ曲) 84年のブエノスアイレスでのコンサートの映像がアップされていて、ヒエコとのデュエットを見ることができる。レオン・ヒエコは札幌にも来たが聞きそこねた。ガラガラだったそうだ。
アルフォンシーナと海(アリエル・ラミレス曲) いわゆる芸術歌謡だろう。ソーサの代表曲であることは間違いない。
サンバとブルースは水と油
この人の一番よい演奏は「O Vento」という曲だ。トリバル・カイミの曲らしい。YouTubeでも聞ける。
これはブルー・ボッサというアルバムの一曲だ。このアルバム、聞いていて辛い。とにかくサンバがブルースに乗らないのだ。
これは無謀だ。ジョアン・ジルベルトが独特のシンコペーションとコード進行で何とかジャズにはつなげた。
しかしジャズには繋がっても、ブルースにはつながらない。むしろクラシックとの親和性のほうがはるかに高い。
これはアフロ・キューバン・ジャズでも同じだ。
ブルースの一拍目の重さは、誰にも受け止められない。
あきらめなさい。
私はそれだけ祈る
3.11の2周年にあたり、レオン・ヒエコの歌 “Solo le Pido a Dios”(私はそれだけ祈る)の歌詞をアップしておきます。
私はそれだけ祈る。痛みに対して無関心でいないようにと / 死よ、うつろで孤独な私を見つけないでくれ。私には未だし残したことがある。
私はそれだけ祈る。不正に対して無関心でいないようにと / 爪が私の運命をかきむしるとき、もうひとつの頬を差し出さないように
私はそれだけ祈る。戦争に対して無関心でいないようにと / 貧しく罪なきすべての人々を踏みにじる巨大な化け物に
私はそれだけ祈る。未来に対して無関心でいないようにと / 国を追われ、異国で暮らす力無き人々とその未来に。
(英語からの重訳のため不正確です)
音はYouTubeで聞けます。軍政終了直後の1984年に、Luna Park で行われたコンサートの録画です。
感動的な演奏です。メルセデス・ソーサは命懸けで帰ってきて、命懸けで歌っています。
「もう一回歌おう」とソーサが呼びかけると、観客が泣きながら応えています。
ブラジル 60年代ヒット曲100選
ネタはここ。
All the rights reserved to the Records! Todos os direitos às Gravadoras!
* Top com as 100 Músicas mais tocadas no Brasil na década de 1960(1960 a 1969) em rádios e vendas.
- Lista em texto das posições:
101- É Proibido Fumar - Roberto Carlos
100-A Volta - Os Vips e Ronnie Von
99-Filme Triste - Trio Esperança
98-F... Comme Femme - Adamo
97-Cabeleira do Zezé - Jorge Goulart
96-Tenho Um Amor Melhor Que o Seu - Antonio Marcos
95-Disparada - Jair Rodrigues
94-Vendedor de Bananas - Os Incríveis
93-What a Wonderful World - Louis Armstrong
92-Splish Splash - Roberto Carlos
91-Arrastão - Elis Regina
90-Somethin' Stupid - Nancy Sinatra & Frank Sinatra
89-Vem Quente Que Eu Estou Fervendo - Erasmo Carlos(ロックのリズムでなかなかノリが良い)
88-All You Need is Love - Beatles
87- Pata Pata - Miriam Makeba
86-I Got You (I Feel Good) - James Brown
85-Shame And Scandal In The Family - Shaw Elliott
84-Satisfaction - The Rolling Stones
83-I Started A Joke - Bee Gees
82-Quando - Roberto Carlos
81-Oh, Pretty Woman - Roy Orbison
80-Multiplication - Bobby Darin
79-The Girl From Ipanema - Stan Getz & Astrud Gilberto
78-O Neguinho e a Senhorita - Noite Ilustrada
77-Put Your Head On My Shoulder - Paul Anka
76-Balanço Zona Sul - Tito Madi
75-MacArthur Park - Richard Harris
74-Twist and Shout - Bleatles
73-Parei na Contramão - Roberto Carlos
72-Meu Bem - Ronnie Von
71-Sugar, Sugar - The Archies
70-Mulher de Trinta - Miltinho
69-Marina - Cauby Peixoto
68-Mustang Cor de Sangue - Marcos Valle
67-Bus Stop - Hollies
66-Hava Nagila - Chubby Checker
65-Suave é a Noite - Moacyr Franco
64-Michelle - Beatles
63-Dominique - Giane
62-Surrender - Elvis Presley
61-Se Você Pensa - Roberto Carlos
60-Get Back - Beatles
59-Menina Moça - Tito Madi
58-Leva Eu Sodade - Nilo Amaro & Os Cantores de Ébano
57-Tudo de Mim - Altemar Dutra
56-She Loves You - Beatles
55-Light My Fire - Jose Feliciano
54-O Bom Rapaz - Wanderley Cardoso
53-Io Che Non Vivo Senza Te - Pino Donaggio
52-A Hard Day's Night - Beatles
51-It's Now Or Never - Elvis Presley
50-Sá Marina - Wilson Simonal
49-Estão Voltando As Flores - Helena de Lima
48-Love Is Blue - Paul Mauriat
47-A Praça - Ronnie Von
46-Ma Vie - Alain Barrière
45-Please Please Me - Beatles
44-Chove Chuva - Jorge Ben
43-Biquini de Bolinha Amarelinha - Ronnie Cord
42-Esqueça - Roberto Carlos
41-País Tropical - Wilson Simonal
40-Aquarius/Let The Sunshine In - 5th Dimension
39-Esmeralda - Carlos José
38-Faz Me Rir - Edith Veiga
37-Fica Comigo Esta Noite - Nelson Gonçalves(タンゴみたい)
36-Hoje - Taiguara
35-Garota de Ipanema - Pery Ribeiro
34-Capri C'est Fini - Hervé Villard
33-Sentimental Demais - Altemar Dutra
32-O Ritmo da Chuva - Demetrius
31-I Can't Stop Loving You - Ray Charles
30-Bat Masterson - Carlos Gonzaga
29-A Noite do Meu Bem - Dolores Duran
28-Let's Twist Again - Chubby Checker
27-Volta Por Cima - Noite Ilustrada
26-Rua Augusta - Ronnie Cord
25-A Banda - Nara Leão
24-Amore Scusami - John Foster
23-Love Me, Please Love Me - Michel Polnareff
22-Baby - Gal Costa
21-Prelúdio Para Ninar Gente Grande (Menino Passarinho) - Luiz Vieira
20- Namoradinha de Um Amigo Meu - Roberto Carlos
19-Blue Moon - The Marcels
18-Sonhar Contigo - Adilson Ramos
17-Viola Enluarada - Marcos Valle & Milton Nascimento(名曲です)
16-Coração de Papel - Sergio Reis
15-Palhaçada - Doris Monteiro
14-Yesterday - Beatles
13-Aquele Abraço - Gilberto Gil
12-I Want To Hold Your Hand - Beatles
11-Theme From "A Summer Place" - Percy Faith
10-Banho de Lua - Celly Campello
09-O Calhambeque - Roberto Carlos
08-O Trovador de Toledo - Gilda Lopes
07-Gina - Wayne Fontana
06-As Curvas da Estrada de Santos - Roberto Carlos
05- Datemi Un Martello - Rita Pavone
04-Trem das Onze - Demônios da Garoa
03-Mas Que Nada - Jorge Ben
02-Hey Jude - Beatles
01- Quero Que Vá Tudo Pro Inferno - Roberto Carlos
日本だと洋楽系と邦楽系は截然と分かたれるが、ブラジルは結構ごった煮であるところが面白い。当然ビートルズもたくさん入ってくるが、やはりUSA系のものが多い。
この頃からロベカルが圧倒的な人気だ。スペイン語圏と違って絶叫型やムイデュルセのボレロは少ない。
ジョルジ・ベン、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、ナラ・レオンなどの名がちらほら出てくるが、基本的にはあまりお呼びではない、ボサノバの全盛期と言われた時代でもこんなもんだ。
「イパネマの娘」はペリー・リベイロの持ち歌になっている。
「バット・マステルソン」は笑ってしまう。
「あの人が来る夜」 A Noite Do Meu Bem は29位。マリア・クレウーザの歌で親しんできたが、元祖のドロレス・デュランという歌手が美人。早速探してみたら、http://www.youtube.com/watch?v=crwoEqWaY8I に元絵があった。ところが他の絵は似ても似つかぬ健康優良児。相当派手に手を入れたようだ。それはそれとして歌はうまい。島津亜矢なみだ。
「ア・バンダ・パサ」はシコ・ブアルキの曲だがこれをヒットさせたのはナラ・レオンだったんだ。この絵は良家の子女が熱狂していて、その付き添いの母親も一緒に歌っているという、信じられない場面が取られている。
それ以上に異様に思ったのは、この同じ会場でただ一人のネグロ、ジャイル・ロドリゲスが歌っていることだ。95位の曲がそれだ。
この絵を見て初めて分かったのだが、60年代、ブラジルにおいて黒人はオフィシャルなシーンからはまったく隔絶されているということだ。ポルトガル人の差別意識はスペイン系よりはるかに強烈なようだ。黒人は白人にとって“良き下僕”以上の何者でもない。
サンバ・カンサオンも音楽的は出自は別として、あからさまな階層社会の上に作られた文化であることを、我々は念頭に置いとかなければならないのだろう。
「血の色のムスタング」はマルコス・ヴァーリ69年の作だ。無残としか言いようが無い。ナシメントとの共演によるViola Enluaradarがその前の年の作品だとすると、その差はさらに際立つ。
これも意外に良いのだが、89位のエラスモ・カルロス。67年にロックにこれだけの情感を込める実力はなかなかのものだ。
91位のエリス・レジーナ「Arrastao」はすごい。この人の歌力は頭ひとつ抜けている。