鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

カテゴリ:05 音楽 > B 音楽/LA


もう北海道では夏は終わり。ボサノバの季節からタンゴの季節に移ろうとしている。

と言いつつ、ボサノバを聴き始めた。クラシックはまめに更新しているが、ボサノバは古い音源のままで、YouTubeのラインナップもすっかり様変わりして、はるかにいい音の音源がはるかに多彩に揃っている。しばらくは聞くよりも音源集めに時間がとられそうだ。

その中で、とりあえず最大のヒットがこれ。

1.Sylvia Telles - 1957 - Carícia

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2.Sylvia Telles - 1958 - Silvia

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3.Sylvia Telles - 1960 - Amor em Hi-fi

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ジャケットのデザインはいかにも時代を感じさせるが、中身はまったく色あせていいない。

1957年のアルバムは、トム・ジョビンの名曲 “Por Causa de Você ”から始まり、“Sucedeu Assim”へと続く。以下ご存知の名曲だらけである。

1958年のアルバムはシャンソンぽい雰囲気がなくなって、完全なジャズバラードに移っている。やはりトム・ジョビンがメインだが、このアルバムから作詞にビニシウス・ジ・モラエスが加わっている。

1960年のアルバムはボサノバ全開である。トム・ジョビンの他カルロス・リラ、ロベルト・メネスカル、ジョアン・ジルベルトも曲を提供している。逆にビニシウス・ジ・モラエスはチームを去っている。

この盤からハイファイとなっていて、ジャケットにも麗々しく描かれている。しかしステレオではなさそうだ。

これまで、あまりシルビア・テリスの歌はあまり評価していなかったが、たしかにこの時点で彼女は「女王」だった。その曲の多くは「スタンダード」となり、いまだに歌い継がれている。

そういう意味で、この3枚は歴史的名盤と呼んでよいだろう。ただしシルビア・テリスというより、トム・ジョビンにとっての名盤かも知れないが。

パコ・イバニェスを紹介しておく。
パコはスペインのフォークシンガーで、多分私と同年代。フランコ体制に反抗した揚げ句に国を離れパリに移り住む。そこで68年の学生闘争にぶつかり、歌手として頭角を現す。
それからの十年、彼の歌はスペイン民主化闘争のシンボルとなった。
タバコの吸い過ぎなのか、最近の声はユパンキに同情されるほどひどい。もっとも若い頃は美声だったかというとそうでもない。歌手としては、よく言えば「味のある」という褒め言葉になる。
シンガーソングライターというと、普通は詩を書いて節をつけて演奏するのだが、彼自身は詩を書かず、他人の詩にメロディーをつけるのを専門にしている。したがって決め所ではかなりメロディーラインを動かす。したがって言葉がわからない他国人にはけっこう魅力的である。
カタロニア人らしいが、曲はかなりアンダルーシアの情緒にあふれている。ロルカやエルナンデスなどアンダルーシアの詩人の詩を好んで取り上げているからだろう。
代表作は下に記した通り。
EL LAGARTO ESTÁ LLORANDO_Lorca
PALABRAS PARA JULIA
A TI TE OCURRE ALGO
Canción del Jinete
Andaluces de Jaén
Mi niña se fue a la mar
SATURNO
こんなところか
当然、カヴァー曲が欲しくなるが、みんながカヴァーするのはPALABRAS PARA JULIAとAndaluces de Jaénくらい。
まぁとにかく聞いてみてください。YouTubeの穴にコピペすれば演奏が出てきます。



たまにラテンアメリカ音楽の紹介。
ドミニカにフアン・ルイス・ゲーラJuan Luis Guerra という歌手がいる。あまり日本では知られていないが、ラテンアメリカでは超有名歌手だ。クアトロ・クアレンタというバンドと組んでいるが、これは放送局の周波数が440キロヘルツという意味らしい。
バンド名のごとく、ノーテンキな曲を歌っている。椰子の葉陰でポール・アンカかニール・セダカを聞いているようだ。しかしアレンジは相当凝っている(ライブ盤ではわからない)。
ドミニカの昔のリズムであるバチャータを復活させてスタンダードにしてしまった。もちろん、メレンゲもやる。
まずはBachata en Fukuoka という曲を聞いて欲しい。大方、日本で巡業して福岡にも立ち寄ったのだろう。これがバチャータだ。ゲーラのバチャータの代表作は、Bachata Rosa(バラのバチャータ)、Frío, Frío(寒い寒い)、Ojala Que Llueva Cafe (コーヒー畑に雨が降る)、 Tus Besos (君の瞳)など。
車の運転中に聴くには良い。イライラ解消になる。

パブロ・ミラネスの変わり種アルバムを紹介しておこう。

Pablo Milanés y Lilia Vera El pregón de las flores 1981

YouTubeで全曲が聞ける。ありがたいことに、コメント欄に各曲の頭の時間がリンクされていて、別個に聴くことができる。

ベネズエラ民謡を思わせる白っぽい曲が詰まっている。LILIA VERA で調べてみると、案の定CANTANTE VENEZOLANA DE MUSICA TRADICIONALと書いてある。

Lilia Vera

率直に言えばそれほど魅力的な歌手ではない。歌もみな素晴らしいというわけでもない。しかしいくつかの民謡風の曲は素直に心にしみてくる。まぁベネズエラ民謡なんだから、当然といえば当然なんだけど…

1.El pregón de las flores

アルバムのテーマ曲のようだが、さほどではない。パブロでなければもっとうまく歌えるのにと思ってしまう。

2.Pueblos tristes

リリア・ベラとパブロのデュエット。佳曲だ。

3.Mi nostalgia

例によって、ものすごい変拍子のリズムの取りにくい歌だが、パブロは見事に歌っている。

4.La muerte del animal

このアルバムの白眉だ。見事にベネズエラしている。

5.Mi tripón

弦合奏やフルートも入って、ぐっとムーディーなアレンジになっている。パブロの独唱だ。

6.Montilla

クアトロが激しくかき鳴らされ、モントゥーノが迫力を生む。これもパブロの独唱。

ベネズエラ民謡はここまで。このあと後半の6曲はパブロの持ち歌を一緒に歌っているが、なくもがなの感がある。

キューバのヌエバ・トローバというと、日本ではシルビオ・ロドリゲスが人気だ。なぜならアメリカでの人気がすごいからだ。
多分、シルビオの詩が人気だからだろう。私から言うとシルビオは少しも面白くない。それは節を付けた詩でしかないし、詩の意味がわからないし、スペイン語が堪能で詩の意味が分かったとしても、高踏詩のように分からないことが分かっただけの話だろう。カエターノ・ヴェローソと同じだ。
トローバというのは門付けして歩く祭文語りのことだ。サロンで上流夫人を相手にして歌う歌ではない。野卑ではあるが、首都ハバナの流行歌を地方に伝えている。田舎の人にしてみれは街場の歌なのだ。
私の子供の頃、年寄りの好みと若者の好みは分裂していなかった。旅回りの「桃中軒某」とか「尾上某五郎」一座が街の外れに小屋を張ってのぼりを掲げる時、それは異界の出現であり、まがまがしき「東京」の出現であった。
たしかにトローバは田舎の世界ではあるが、その田舎にとっては「都会」という世界であった。そのエッセンスを汲み上げるのが、ヌエバ・トローバの仕事だ。
パブロの歌を聞く時それは田舎歌に聞こえる。ただそこにはコジャレた都会の香りがするのである。

 赤旗文化面で諸星さんという方が「民衆の心をうたうブラジリアンポップス」という文章を載せている。

たしかに面白いのだが、ボサノバ=中産階級、MPB=民衆の心の歌というのは、やはり乱暴だろう。

ボサノバもMPBもそれなりのムーブメントだった。多分に外国の影響を受けている。時期が違うだけだ。平ったく言えばビートルズの前か後かということだ。

歳のせいもあるが(そして中産階級に属しているからかもしれないが)、私は今でもボサノバのほうが好きだ。

「渚の恋」だから中産階級というのも頷けない。私のジュニア時代にはビーチボーイズに影響されて、グループサウンズが似たような歌を歌っていた。

彼らが中産階級を代表していたとは思えない。その辺の工員さんでも歌っていた。

だいたいあの頃はヒットチャートの半分がアメリカ音楽だった。

「ボサノバ」こそメイン

日本語にすると紛らわしいが、ブラジリアン・ポップスともいうべきジャンルがあって、メインストリームはあくまでもそこにあった。

大体はショーロかサンバ・カンソンを基調としていて、粋な「小泣き」の歌だ。ネルソン・ゴンサルヴェスあたりが代表で、白人も黒人も歌っていた。

有名歌手にはボサノバと積極的に関わる人も多くいた。

ボサノバは単純に言えばジャズ・サンバだから、独特のフアン層を持つやや特殊なジャンルだが、60年代なかばに次々と名曲が生まれたためにメジャーになってしまった。

とくにアメリカンポップスの影響を強く受けた。ホアン・ジルベルトのような塩っ辛いボサノバにかわって、セルジオ・メンデスとかカルロス・ジョビンのような分かりやすいボサノバが主流になった。

その代わりにサンバの要素は薄れたかもしれない。人々はそれをもうボサノバとは呼ばなくなった。

しかしポップスの一大分野であることに変わりはない。カルロス・ジョビンはいまだって神様だ。

私は今でもブラジルの歌をボサノバの延長として聞いている。「小洒落た」節回しや独特の複雑なコード進行はボサノバとしか言いようがないし、その音楽に浸っている間、私はボサノバ気分である。

MPB とブラックミュージックとの親和性

MPBは「トロピカリア運動」として、バイアからリオのミュージックシーンに土足で上がり込んできた。ブラジリアン・ロックともいうべきであろう。

カエターノ・ヴェローゾが捕まる直前に大学のコンサートで演奏している映像がyoutubeで見られるが、結構ぶっ飛んでいる。

トン・ゼーなどというのはとんでもない前衛音楽で、今でも狂っている。

バイアというのは黒人が多いところで、登場した歌手がみんな黒人ではないが、黒っぽい雰囲気を漂わせていた。

もちろんリオやサンパウロにもロッカーはいたわけで、イヴァン・リンスなんかが代表だろう。

トロピカリスモに限らず、60年代後半の風潮としてブラック・ミュージックは大きく舞台を広げた。ボサノバでも例外ではなかった。

ミルトン・ナシメントもこの頃ミナス州から出てきて活動を始めている。それにジャヴァンが続く。

だから私はMPBは青年の音楽と言ってくれれば納得するのだが。

反軍政運動と音楽

「民衆の心」というのを民主派という意味で言うなら、ボサノバとMPBを差別するのは全く間違っている。

むしろボサノバのミュージシャンこそ軍政に立ち向かい、その結果、国内での活動を絶たれ、ボサノバの衰退を招いたとも言える。(ちょっと言いすぎかな?)

ボサノバ界の代表ナラ・レオン(上流階級)やシコ・ブアルキはもっとも軍事政権と果敢に闘っている。ジョアン・ジルベルトやカルロス・リラはメキシコに逃れた。ジョアン・ボスコも抵抗の姿勢を貫いているのは諸星さんご指摘の通り。

ついでに

私もボサノヴァについていくつか文章を書いているのでご参照ください。

シルビオ・ロドリゲス Silvio Rodriguez

 

シルビオ・ロドリゲス

1946年11月キューバ生まれ。

キューバを代表する歌手として知られ、「キューバのジョン・レノン」に例えられている。シルビオ・ロドリゲスはラテンアメリカの左翼のシンボル的存在となっている

彼の歌のいくつかは、ラテンアメリカ音楽の古典と称せられ、大陸のあらゆる場所で歌われている。代表曲はオハラ、プラヤ・ヒロン、一角獣、小鎚など。

その歌詞はきわめて象徴的であるにも拘らず強い説得力を持つ。ロマンチシズム、エロチシズム、革命・政治と理想主義を語っているにもかかわらず、それらは心の内と向き合う。

60年代後半からヌエバ・トローバ(新しい歌)運動の担い手として頭角を現した。

69年に、漁船「プラヤヒロン」号の乗組員として従事し、この間に「海の歌」、全62曲を制作した。その中に「オハラ」や「プラヤヒロン」という代表作がふくまれる。

彼の歌はラテンアメリカの民衆を鼓舞し、当時の独裁政権は彼の歌を放送禁止とした。民主化が実現した後、アルゼンチンやチリでは10万人の観客を集めた大コンサートが行われている。米国は長い間ビザを発給しなかったが2010年についにコンサートが実現し、各地で大きな人気を博した。



シルビオ・ロドリゲスはラテンアメリカで今もっとも評価の高い歌手と言っていいだろう。しかしもっとも理解し難い歌手の一人である。理由は歌詞が難しいからだ。

歌のほとんどは詞の抑揚に節を付けたようなもので、詞がわからない限りはその良さはわからない。

そもそもヌエバ・トローバというのは、「今風の祭文語り」という意味だ。

我々としてはその中から耳辺りの良さそうなものを選んで聞くだけである。したがってスペイン語のネイティブとは好みが相当分かれるだろうと思う。

もう一つ、シルビオのコンサートといえば10万人の大スタジアムで観衆が熱狂して聞くというスタイルが多いが、本来のシルビオはこじんまりとしたサロンで静かにじっくり聴き込む類の歌手である。

それが、こうなってしまったのには、ラテンアメリカ独特の政治的・歴史的経過がある。その辺の経過も飲み込まないと、門外漢が入っていくには相当抵抗があるだろうと思う。

以上、歌詞がわからなくても楽しめる曲を中心に選んだ。本場のランキングとはだいぶ違うがご勘弁を。

 それにしても、この人誰かに似ていると思ったら、プーチンだ。あれほど人相は悪くないが…

1.Playa Giron プラヤ・ヒロン

日本人なら、シルビオといえばこの曲だろう。

私には思い出がある。93年最悪の年、真っ暗なサンチアゴ・デ・クーバのプラサでそこだけ明るいソンの観光酒場。この曲をリクエストしたら、年寄り連中は首を横に振る。すると伴奏の若い衆が脇からそっと出てきて、「何とか歌えると思う」と言ってくれた。

歌い出したら、「何とか」どころではない。そのままハバナに行っても通用するほどの腕前だ。指力が強いのか、ギターの音が耳も割れんばかりに響き渡る。(あの頃は自動車など走っていなかったから、静寂に慣れてしまっていたのだ)

開け放たれた窓の外には光と音を求める黒山の人だかりだ。

2.Unicornio ウニコルニオ

シルビオの代名詞みたいな歌だ。文字通りには「一角獣」だが、飼っていた犬の名前だそうだ。正式題名はMi unicornio azul

3.La Maza 小槌

「もし信じないなら」という台詞が延々と続く、訳の分からない歌詞だ。

この3つがシルビオの御三家だろう(もう30年前の話だが)

最近の御三家はどうなるだろう。とりあえず3つ挙げてみたが、これでよいのか定かではない。

4.Angel Para Un Final

天使が終わりを告げる。二人の間には沈黙が、そしてやがて忘却が…

5.Quédate 

「行かないで、泣かないで」みたいな歌だ。シンプルで、およそシルビオらしくない。そこが良い。

6.Ojala のぞみ

えらく人気のある恋歌らしいが、どうもピンと来ない。

その他、やはり古いところが中心になる。

7.蛇の夢(Sueño con serpientes)

あまり気持ちのいい夢ではない。蛇が次々に現れて襲いかかる、しかもどんどん大きくなって最後には飲み込まれてしまう。胃袋を切り裂いて飛び出すが、そこにはもっと大きな蛇が…

8.Companera 同志の女性

9.Canción del elegido 選ばれた者の歌

ある男の話だ。彼は銀河の彼方、夜の太陽の中、嵐から生まれた。彼は天体から天体へとさすらった。新鮮な水と生を求めて、あるいは見知らぬ死を求めて…

彼はソロモン王の秘宝を発見した。それはアフリカではなく他の天体にあった。しかし宝石は冷たく魂を持たなかった。

最後に彼は戦争を探して地球に行った。それは衝撃だった。彼を最後に見たのは硝煙漂う戦場だった.彼は未来からの銃でならず者を殺していた、幸せで裸で…

以下は流し聞きしたなかでよさげの曲。

10.Eva

11.Yo fui una vez

12.Quien Fera

13.Te amare

 

シルビオ・ロドリゲスの音源はなかなかいいものがなかった。古いビデオをアップしたものばかりで、音質は最低だった。

しかし最近は随分良い物が増えてきて、パソコンで聞く分では不自由しなくなった。

相手がキューバだから著作権など屁の河童。upload しまくっている。なかでも豪傑はRodrigo Riquelme Barrosという人で、187本も上げているから、ここだけでシルビオはほぼカバーされている。

その中でも最高の演奏と録音がSilvio Rodríguez en Chile 1990 である。

全編2時間半、29曲という長さで、聴き通すにはいささか骨が折れるが、それだけの値打ちはある。

1990年の演奏だから、すでにあの透き通るような美声は失われているが、十分に声量はある。

最初の10曲目くらいまではギターの弾き語りで、ちょっと飽きかけるが、その後からだんだん乗ってくる。

前半の最後はLa maza そしてAngel para un final という歌で、この歌が良い。

それにしても恐るべき“のど力”だ。ほとんど歌い続ける。Sueño de una noche de verano で一応終わった後、アンコールで Unicornioをサービス。

29位の A Noite Do Meu Bem はマリア・クレウーザで親しんできたと書いたが、どうも見当たらない。

代わりに出てきたのが、

A noite do meu bem - Nana Caymmi

Maysa A Noite Do Meu Bem

ELIS REGINA " A NOITE DO MEU BEM "

Lúcio Alves - A noite do meu bem

Nélson Gonçalves - A noite do meu bem

Maria Bethania e Quarteto em Cy - A noite do meu bem  どう考えてもこの組み合わせは合わない)

A Noite do Meu bem - Tom Zé (まさかトム・ゼーが歌うとは。予想に違わずひどいというか、すごいというか)

Maria Creuza - A noite do meu bem (やっと見つけました)

サムネイル

ZIZI POSSI canta A NOITE DO MEU BEM (私の好きなジジ・ポッシも歌っています。美声でもなく、声量があるわけでもなく、顔もバーブラ・ストレイザンド並みですが。コアジの聞かせ方がじつにうまい。ふっとイタリア風味が横切るところがよい)

Elizeth Cardoso - A Noite Do Meu Bem (エリゼッチの歌はないのだろうか、と思っていたら、見つかりました。残念ながらテレビのエアチェックで音の状態はかなり悪いですが。まるで祈りの歌のようで、立派なものでした)

結論としては、ドローリス・ドゥランのオリジナル歌唱をしのぐ演奏なしということ。


17-Viola Enluarada - Marcos Valle & Milton Nascimento(名曲です)

と書いたが、リンクが切れていた。 「この動画は再生できません。 申し訳ありません」と出てくる。

しかしグーグルからはしっかり行ける。さすがに名曲・名演だ。

Marcos Valle & Milton Nascimento - Viola Enluarada

このコンビではもう2曲聴ける。

Marcos Valle & Milton Nascimento - Diálogo

Marcos Valle & Milton Nascimento - Requiem

以前、「ブラジル 60年代ヒット曲100選」というリストを転載したことがあった。

その時、37位にリストアップされたのが、Fica Comigo Esta Noite - Nelson Gonçalves

という曲だった。「タンゴみたい」と思った。

ふと気になり、ネルソン・ゴンサルヴェスの曲をまとめて聞いてみた。といっても、youtubeで検索をかけると4万7千件もヒットする。

とりあえず上から順に聴けるだけ聴いてみることにする。

A Volta do Boêmio (ショーロ)

Naquela mesa (ご存知ジャコー・ド・バンドリンを偲ぶ歌である。エリゼッチ・カルドーゾの持ち歌と思っていたが)

Cara a Cara (バラード)

Quando eu me chamar saudade (サンバ・カンシオン)

A FLOR DO MEU BAIRRO (ショーロ)

DEUSA DO ASFALTO (ショーロ。心地よいサウダーヂ。Adelino Moreiraという人の曲らしい

FICA COMIGO ESTA NOITE (どう見てもタンゴ。しかし鋭い切り込みはない)

HOJE QUEM PAGA SOU EU (と思ったら、こちらはポルテーニョそのもの)

Doidivana (タンゴ)

Argumento (ショーロ。良い。この人は基本的にはショーロ歌いのようだ)

Vermelho 27 (タンゴ。アカの27番というのはルーレットの眼らしい。いかにもタンゴの題だ)

Meu dilema (ショーロ)

Queixas (ショーロだが、リズムは表でタンゴっぽい)

Revolta (ショーロ。良い。アルゼンチンのフォルクローレみたい)

A CAMISOLA DO DIA (ショーロ。良い)

少し疲れたのでこのくらいにする。

この人は最初はタンゴ歌いで、その後ショーロ歌手として売り出し、有名になってからはサンバとかバラード、ボレロにも手を広げたようだ。

50年代末から60年代はじめにかけてショーロを歌っていた頃がピークだと思う。年取ってからも歌っているが、ひどいから聞かないほうが良い。

サムネイル

アルバムとしてはNelson Gonçalves em Hi-Fi (1959) - Vitrola de Ouro ( LP COMPLETO ) が良いようだ。

八木啓代さんという方がいる。本籍は歌手だが大変マルチな方で人脈もすごい。
もう20年も前になるか、札幌でリサイタルがあって、その時同行したのがアンヘル・パラ(Angel Parra)という歌手。八木さんの美声もさることながら、パラの歌には感動した。
その後の交流会で、彼の亡命中の苦労話を聞いて、本当に真面目な人だなと思った。ただしラテンの人の真面目さというのは日本人の黙々というのとはちょっと違う。
彼のカセットテープをしばらく聴き続けた。最後の「ポプラ並木」という曲はいつも涙が出た。
と、ここまでが前置き。

最近YouTubeでアンヘルの歌が続々とアップロードされている。70に手が届こうとしているが歌は若い。
人気に乗ってか、昔の歌も聴けるようになった。
その中の決定版がこれだ。

「新しい祖国の歌ども」 canciones de la patria nueva

アジェンデと人民連合がもっとも意気盛んだった年のアルバムだ。
自作が3曲、他にガルデルのアウセンシアやパブロ・ミラネスも歌っている。“Miles de Manos”というのが良い。

多分ビクトル・ハラとは全く別のラインでヌエバ・カンシオンの領域を開拓していたのだろう。学園やメディアを通じて有名になったハラとは違い、親の代からの筋金入りで民衆の歌を歌っていたパラは自分こそが本流という意識を持っていたと思う。

だからサッカースタジアムでハラが虐殺されたと知った時、そこにいるべきは自分ではなかったかと思ったかもしれない。
とすれば、それは恐ろしい体験だ。実存していることが恐怖なのだから。

これ以上は彼が死んでから書くことにしよう。私のほうが長生きすればの話だが…



タニア・マリアはUSで活躍するブラジル人歌手である。
もとはジャズ・ピアニストでいつの間にか歌のほうが有名になったという感じである。
差別ではないがすごい迫力顔をしたおばさんで、淡谷のり子も真っ青だ。
全曲ほとんどスキャットで通す。歌うときはポルトガル語である。
かなりのフアンがいるようだが、ジャズ畑の延長で聞かれているようである。
私のようなボサノバ畑の人間にとっては、ジャズもやるブラジル人だ。ただミルトン・ナシメントとかジャヴァンとかがアメリカに渡って荒れてしまっとのは違い、この人はジャズとサンバのバイリンガルのようだ。スイッチヒッターのように両方ともしっかり打てている。
(この際面倒なので、ブラジルポップスをボサノバと言ってしまう)

YouTubeにはかなりの曲がアップロードされているが、良い音質の演奏は意外に少ない。

1.Abre Las Allas
 http://www.youtube.com/watch?v=HLHc5_vOno0

ブラジル語で歌っている。カエターノ・ヴェローゾを思わせる。ロマンチックな趣もたたえた佳曲だ。

2.2AM  http://www.youtube.com/watch?v=vm4M5SGjLDI

ブラジル高地の風を思わせる爽やかなメロディーが、ジャズっぽく転調されて展開されていく。スキャットが見事である。

3.Bom Bom Bom Chi Chi Chi
  http://www.youtube.com/watch?v=cvrjTCYU3B4

ジャズ・サンバで、シンコペートしたリズムが強烈に打ち込まれる。最初はベッチ・カルバーリョを彷彿とさせる歌いぶりであるが、途中からジャズのリズムに変わり、エラ・フィッツジェラルドも真っ青のスキャットとなる。
リサイタルのつかみの曲。これで客を一気に乗せていく、すごい腕前だ。

4.Cry Me A River

完全な(と言ってもブラジル臭は残るが)ジャズのイディオムによる演奏である。子音、とくにvとθがはっきしりないスペイン風英語だ。
どうもホントのジャズにはならない。

5.Funky Tamborim
 http://www.youtube.com/watch?v=Bx4F_iChqNk

私はブラジル人の演奏する「ファンキー」というジャンルが大好きで、ジルベルト・ジルもやっているが実にノリが良い。USファンキーと違って騒々しくない。
もちろんブラスが大活躍するのだが、とりわけブラジル音楽では必ずトロンボーンが一節やる。これがいいのだ。

6.Intimidade

ほぼ正調のボサノバ。低音で迫るタニアの歌には、なんとも言えぬ色気がある。この人にはボサノバが一番なようだ。

7.Lemon Cuca
 http://www.youtube.com/watch?v=uQqt1_DhEmE

もう一人の女性歌手が加わってデュエットとなるのだが、この掛け合いがなんともかっこいい。

8.Olha quem Chega http://www.youtube.com/watch?v=_7cztLf7zwM

思わずクレジットを見直してしまう。ほんとうにタニア・マリア?
まるでマリア・クレウーザ。
と思ったら、これはあのエドゥアルド・グディンの曲だった。
(わたしのホームページのテーマ曲の作者)

9.Que vengan los toros 

滑り出しはまったく歌なし。見事にジャズ・ピアニストとしての腕前を発揮している。中間部でスキャットが入るが実に快調。疾走している。
たまたま曲名のアルファベット順に並べただけだが、コンサートの終曲にふさわしい。

10.Sangria


コンサートでいえば団員の紹介みたいな曲。バックのウマさにびっくりする演奏。

11.Yatra Ta
 

9.が終曲とすれば、これはアンコール曲。ノリを最後まで持ってくる。

実に見事な演奏。恐れいりました。


レダ・バジャダレスのレコードがとても良いので紹介します。
Folclore de rancho Leda Valladares

というアルバムですが、YouTubeで全曲が聞けます。下の写真のごとくかなりエキセントリックな雰囲気を漂わせています。アルゼンチンのビオレータ・パラといったところでしょうか。同じトゥクマン生まれのメルセデス・ソーサより10歳くらい年上のようです。

英語ではまったく紹介されていないので、スペイン語をそのまま載せます。私にはサッパリ分からないので、分かる方の翻訳を期待します。

Los temas y su origen son:
01. Chacarera (recogido por Isabel Aretz, Yerba Buena, Tucumán)
02. Yaraví (recogido por Silvia Einsenstein en Tilcara, Jujuy. Letra de Leda Valladares)
03. Tonada humahuaqueña (recogida en Tilcara, Jujuy, por Leda Valladares)
04. Tonada sanjuanina (recogida a Hugo Pérez de Sanctis, de San Juan, que la escuchó en Valle Fértil, por Leda Valladares)
05. Baguala de Tucumán (tomada en Tafí del Valle, por Leda Valladares)
06. Milonga con sauces (letra y música de Leda Valladares)
07. Carnavalito (recogido en Iruya, Salta, por Leda Valladares)
08. Vidala riojana (recogida en Malligasta, La Rioja, por Leda Valladares)
09. Yaraví (recogido en Tucumán a Luciano Irrazábal, por Leda Valladares)
10. Baguala salteña (recogida en Salta a Amador, del Valle de Lerma, por Leda Valladares)
11. Zamba “La yerbabuena” (recopilación de Manuel Gómez Carrillo)
12. Vidala “De lejas tierras” (tema santiagueño, recopilación de Manuel Gómez Carrillo)

1972年の録音ということなので、軍事独裁の始まる前、民衆の運動が高揚していた時代です。
この人は民謡の採取家でもあったようで、その音源がCD化されています。かなりネグロ系の曲も拾っています。
この人は元々ジャズシンガーだったのかもしれません。下の曲は明らかにジャズのノリです。
Leda Valladares - hoy es nunca
写真がまた良い。竹久夢二風。
http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/5/7/57d13ae1.jpg

cancin de la mirada という歌は、ブラジルのサンバ・カンシオン風で、まるでシルビア・テリスの曲を聞いているようです。(要注意、音質は最悪です)

ということで、きわめて芸域の広い人です。

それにしても、もう少し注目されてもいい人ではないかしら。

ラテンアメリカ “フォルクローレ、もしくはプロテストソング”の流れ

「学習会」ということで、一晩でやるために作った文章です。非常に荒っぽい筋ですが、そういうことでご容赦を。

源流はピート・シーガー

フォルクローレというのは直訳してしまえば「民謡」ですが、日本のフォークと同じく、あの頃の若者の文化的なムーブメントと捉えるべきでしょう。

最初に大胆な仮説を立ててしまいますが、ラテンアメリカの“フォルクローレ、もしくはプロテストソング”の流れの源流はピート・シーガーだと思います。

もちろん、ユパンキなどの民謡歌手もいました。ラテンアメリカで先住民の音楽を採集するいわゆる「民俗音楽」研究者もいただろうと思います。私は詳しくはありませんが。

ピート・シーガーにもウディー・ガスリーというカントリー・ミュージックの先駆者が居ました。労働者の闘いに関する歌もたくさん作っています。

ただピート・シーガーはシングアウトという形式で、民衆と結びつけ、ポピュラー・ミュージックのシーンと結びつけました。だから彼の歌はフォークロアともなり、メッセージソングともなり、スタンダード・ポップスともなったのです。そこから反権力性を過激かつ曖昧化したのがボブ・ディランです。

ピート・シーガーのメモリアルソングは「我らは勝つだろう」(We shall overcome)です。

ラテンアメリカでのこういうジャンルの曲は“フォルクローレ”というカテゴリーにふくまれます。これはフォークロアの直訳であり、“英語っぽいスペイン語”です。

USフォークの影響を受けた青年・学生たちが“先住民の民謡”を再発見し、これらの歌を演奏するムーブメントとして始まったのだろうと思います。

 

フォルクローレ運動の創始者 ビクトル・ハラ

フォルクローレ運動がもっとも盛んだったのはチリでした。なぜなら人民連合政府が樹立され、闘いの中に若者の文化が花開いたからです。ついでアルゼンチンとウルグアイにもフォルクローレ文化が拡大しました。

フォルクローレは先住民の音楽を発掘する運動としての側面を持っていましたが、南米の中でも白人の構成比が高い国で起きた運動であるために、白人知識層を主体とする運動でもありました。いわば左翼系若者のファッションだったのです。

運動の側面を強調する場合にはヌエバ・カンシオン(新しい歌)と呼ばれます。普通ならカンシオン・ヌエバですが、語順を英語風にすることで新しさの文化的意義を強調しています。ここではフォルクローレで統一しておきます。

チリのフォルクローレを代表する歌手はビクトル・ハラ(Victor Jara) です。彼のメッセージは「耕すものへの祈り」として結実します。これはコンクールに応募して一等になった作品で、活動家のみならずポピュラーミュージックとしても、みんなに愛されました。ハラにはメッセージソングライターとしての側面と、若者向けのソングライターとしての顔の2つがあります。ロックの代表が「平和に生きる権利」(El Derecho De Vivir En Paz)です。

メッセージソングの代表がアジェンデ選挙のキャンペーンソング「我らは勝つ」(Venceremos)です。リリカルな側面が強調されたのが「アマンダの祈り」です。クーデター直前に作られた「宣言」では歌は哲学的な響きを帯びてきます。

これに影響されて、アルゼンチンではビクトル・エレディア、ウルグアイではアルフレド・シタローサが登場してきます。ブラジルではポップス出身のシコ・ブアルキがフォルクローレとの融合を試みるようになっていきます。

一方、この頃から、ビートルズに影響されてロック音楽が各国でブームを引き起こすようになりました。アメリカではレッド・ツェッペリン、シカゴ、BSTなどがけたたましいエレキの音に乗せてベトナム反戦などのメッセージを送り出します。ラテンアメリカではブラジルのカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルを先頭とするトロピカリア・グループ、アルゼンチンではレオン・ヒエコらが騒々しく登場するようになりました。

 

メルセデス・ソーサ 抵抗の歌としてのフォルクローレ

73年9月にチリでクーデターが起こり、その後次々にラテンアメリカ諸国が軍事独裁化していきます。ミュージシャンもその多くが海外に亡命していきます。

そんななかで祖国の民主化をもとめる運動の先頭にフォルクローレが立つことになりました。キラパジュンの「団結した人民は屈しない」(El pueblo unido jamás será vencido)がテーマソングになります。フォルクローレはファッションではなく闘いの歌となります。

メルセデス・ソーサ(Mercedes Sosa)は元々は民謡歌手で、アタワルパ・ユパンキの歌を歌わせたら天下一品でしたが、軍事独裁政権に国を追われてからはフォルクローレ運動の先頭に立ち、“ラテンアメリカの母”とまで呼ばれるようになりました。亡くなったときは準国葬扱いでした。

ソーサはフォルクローレの歌手には珍しく、作曲もしないし、ボンボという太鼓を叩くほかには楽器も演奏しません。その代わりいろんな作曲家の持ち歌をカバーしています。だからメルセデス・ソーサにカバーしてもらうのはとても名誉なことなのです。

最も知られているのはチリのビオレータ・パラの歌をカバーした「人生よありがとう」です。もちろんビクトル・ハラの歌もたくさん歌っています。しかしアルゼンチンでは、レオン・ヒエコの歌「ただ神に祈ることは」 (Solo le pido a Dios) のほうが有名です。

ほかにキューバのシルビオ・ロドリゲス、パブロ・ミラネス、ブラジルのミルトン・ナシメントなどの曲も歌っています。

 

その後のフォルクローレ

80年代に多くの国が民主化を実現し、その後フォルクローレ運動は一段落したようにも見えます。しかし民衆の闘いが続く限り、運動としての「民衆の歌」の精神も引き継がれていくでしょう。

曲のカテゴリーとしてはとてもフォルクローレとはいえませんが、ベネズエラの「チャベスは去らないぞ」(Uh Ah, Chávez No Se Va)は精神としてはフォルクローレそのものです。

 

YouTube リンク集

ピート・シーガー

我らは勝利する

lanningck さんのサイトでは、Pete Seeger's 90th Birthday Concert がアップされているので是非ご覧のほど。

ついでにウディー・ガスリーの元歌だが、ピートのヒットさせた歌。

この国は君のもの

ビクトル・ハラ

ビクトル・ハラの名曲はたくさんあるが、メッセージ性も含めればやはりこれだろう。

平和に生きる権利 音質は悪いが、テレビ出演した時の貴重な映像が残されていて、演劇者としての特質がよく出ている。

アマンダの思い出 Up主がとても音を綺麗にしてくれており、聴きやすい。

ビクトル・ハラの歌ではないがチリ人民の闘いを象徴する歌

団結した人民は屈しない ついでながら、このジャズヴァージョンがとても良い

"Giovanni Mirabassi - El Pueblo Unido Jamas Sera Vencido"

メルセデス・ソーサ

80年代後半に出たベスト盤が、いまもベスト盤である。

人生よありがとう(ビオレータ・パラ曲) これは80年録画の映像が見られる。函館で実物を見たとき(78年)はこんな感じだった。

耕すものへの祈り(ビクトル・ハラ曲) 少し音が古いが最高の演奏で、ビクトル・ハラの自演よりはるかに良い。

ただ神に祈ることは(レオン・ヒエコ曲) 84年のブエノスアイレスでのコンサートの映像がアップされていて、ヒエコとのデュエットを見ることができる。レオン・ヒエコは札幌にも来たが聞きそこねた。ガラガラだったそうだ。

アルフォンシーナと海(アリエル・ラミレス曲) いわゆる芸術歌謡だろう。ソーサの代表曲であることは間違いない。

アナ・カラムという歌手がいる。小味な歌手なのだが、うまい。ギターの腕前もすごい。
この人の一番よい演奏は「O Vento」という曲だ。トリバル・カイミの曲らしい。YouTubeでも聞ける。
これはブルー・ボッサというアルバムの一曲だ。このアルバム、聞いていて辛い。とにかくサンバがブルースに乗らないのだ。
これは無謀だ。ジョアン・ジルベルトが独特のシンコペーションとコード進行で何とかジャズにはつなげた。
しかしジャズには繋がっても、ブルースにはつながらない。むしろクラシックとの親和性のほうがはるかに高い。
これはアフロ・キューバン・ジャズでも同じだ。
ブルースの一拍目の重さは、誰にも受け止められない。
あきらめなさい。



3.11の2周年にあたり、レオン・ヒエコの歌 “Solo le Pido a Dios”(私はそれだけ祈る)の歌詞をアップしておきます。

私はそれだけ祈る。痛みに対して無関心でいないようにと / 死よ、うつろで孤独な私を見つけないでくれ。私には未だし残したことがある。

私はそれだけ祈る。不正に対して無関心でいないようにと / 爪が私の運命をかきむしるとき、もうひとつの頬を差し出さないように

私はそれだけ祈る。戦争に対して無関心でいないようにと / 貧しく罪なきすべての人々を踏みにじる巨大な化け物に

私はそれだけ祈る。未来に対して無関心でいないようにと / 国を追われ、異国で暮らす力無き人々とその未来に。

(英語からの重訳のため不正確です)

Mercedes Soza- Sólo le pido a Dios (Con León Gieco)

音はYouTubeで聞けます。軍政終了直後の1984年に、Luna Park で行われたコンサートの録画です。

感動的な演奏です。メルセデス・ソーサは命懸けで帰ってきて、命懸けで歌っています。

「もう一回歌おう」とソーサが呼びかけると、観客が泣きながら応えています。


面白いものがあった。60年代ブラジルのヒット曲ベスト100というのである。
ネタはここ。
Top 100 Brasil década 1960 (Músicas mais tocadas 1960 a 1969)



All the rights reserved to the Records! Todos os direitos às Gravadoras!
* Top com as 100 Músicas mais tocadas no Brasil na década de 1960(1960 a 1969) em rádios e vendas.
- Lista em texto das posições:

101- É Proibido Fumar - Roberto Carlos
100-A Volta - Os Vips e Ronnie Von
99-Filme Triste - Trio Esperança
98-F... Comme Femme - Adamo
97-Cabeleira do Zezé - Jorge Goulart
96-Tenho Um Amor Melhor Que o Seu - Antonio Marcos
95-Disparada - Jair Rodrigues
94-Vendedor de Bananas - Os Incríveis
93-What a Wonderful World - Louis Armstrong
92-Splish Splash - Roberto Carlos
91-Arrastão - Elis Regina
90-Somethin' Stupid - Nancy Sinatra & Frank Sinatra
89-Vem Quente Que Eu Estou Fervendo - Erasmo Carlos(ロックのリズムでなかなかノリが良い) 
88-All You Need is Love - Beatles
87- Pata Pata - Miriam Makeba
86-I Got You (I Feel Good) - James Brown
85-Shame And Scandal In The Family - Shaw Elliott
84-Satisfaction - The Rolling Stones
83-I Started A Joke - Bee Gees
82-Quando - Roberto Carlos
81-Oh, Pretty Woman - Roy Orbison
80-Multiplication - Bobby Darin
79-The Girl From Ipanema - Stan Getz & Astrud Gilberto
78-O Neguinho e a Senhorita - Noite Ilustrada
77-Put Your Head On My Shoulder - Paul Anka
76-Balanço Zona Sul - Tito Madi
75-MacArthur Park - Richard Harris
74-Twist and Shout - Bleatles
73-Parei na Contramão - Roberto Carlos
72-Meu Bem - Ronnie Von
71-Sugar, Sugar - The Archies
70-Mulher de Trinta - Miltinho
69-Marina - Cauby Peixoto
68-Mustang Cor de Sangue - Marcos Valle
67-Bus Stop - Hollies
66-Hava Nagila - Chubby Checker
65-Suave é a Noite - Moacyr Franco
64-Michelle - Beatles
63-Dominique - Giane
62-Surrender - Elvis Presley
61-Se Você Pensa - Roberto Carlos
60-Get Back - Beatles
59-Menina Moça - Tito Madi
58-Leva Eu Sodade - Nilo Amaro & Os Cantores de Ébano
57-Tudo de Mim - Altemar Dutra
56-She Loves You - Beatles
55-Light My Fire - Jose Feliciano
54-O Bom Rapaz - Wanderley Cardoso
53-Io Che Non Vivo Senza Te - Pino Donaggio
52-A Hard Day's Night - Beatles
51-It's Now Or Never - Elvis Presley
50-Sá Marina - Wilson Simonal
49-Estão Voltando As Flores - Helena de Lima
48-Love Is Blue - Paul Mauriat
47-A Praça - Ronnie Von
46-Ma Vie - Alain Barrière
45-Please Please Me - Beatles
44-Chove Chuva - Jorge Ben
43-Biquini de Bolinha Amarelinha - Ronnie Cord
42-Esqueça - Roberto Carlos
41-País Tropical - Wilson Simonal
40-Aquarius/Let The Sunshine In - 5th Dimension
39-Esmeralda - Carlos José
38-Faz Me Rir - Edith Veiga
37-Fica Comigo Esta Noite - Nelson Gonçalves(タンゴみたい)
36-Hoje - Taiguara
35-Garota de Ipanema - Pery Ribeiro
34-Capri C'est Fini - Hervé Villard
33-Sentimental Demais - Altemar Dutra
32-O Ritmo da Chuva - Demetrius
31-I Can't Stop Loving You - Ray Charles
30-Bat Masterson - Carlos Gonzaga
29-A Noite do Meu Bem - Dolores Duran
28-Let's Twist Again - Chubby Checker
27-Volta Por Cima - Noite Ilustrada
26-Rua Augusta - Ronnie Cord
25-A Banda - Nara Leão
24-Amore Scusami - John Foster
23-Love Me, Please Love Me - Michel Polnareff
22-Baby - Gal Costa
21-Prelúdio Para Ninar Gente Grande (Menino Passarinho) - Luiz Vieira
20- Namoradinha de Um Amigo Meu - Roberto Carlos
19-Blue Moon - The Marcels
18-Sonhar Contigo - Adilson Ramos
17-Viola Enluarada - Marcos Valle & Milton Nascimento(名曲です)
16-Coração de Papel - Sergio Reis
15-Palhaçada - Doris Monteiro
14-Yesterday - Beatles
13-Aquele Abraço - Gilberto Gil
12-I Want To Hold Your Hand - Beatles
11-Theme From "A Summer Place" - Percy Faith
10-Banho de Lua - Celly Campello
09-O Calhambeque - Roberto Carlos
08-O Trovador de Toledo - Gilda Lopes
07-Gina - Wayne Fontana
06-As Curvas da Estrada de Santos - Roberto Carlos
05- Datemi Un Martello - Rita Pavone
04-Trem das Onze - Demônios da Garoa
03-Mas Que Nada - Jorge Ben
02-Hey Jude - Beatles
01- Quero Que Vá Tudo Pro Inferno - Roberto Carlos

日本だと洋楽系と邦楽系は截然と分かたれるが、ブラジルは結構ごった煮であるところが面白い。当然ビートルズもたくさん入ってくるが、やはりUSA系のものが多い。
この頃からロベカルが圧倒的な人気だ。スペイン語圏と違って絶叫型やムイデュルセのボレロは少ない。
ジョルジ・ベン、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、ナラ・レオンなどの名がちらほら出てくるが、基本的にはあまりお呼びではない、ボサノバの全盛期と言われた時代でもこんなもんだ。
「イパネマの娘」はペリー・リベイロの持ち歌になっている。
「バット・マステルソン」は笑ってしまう。
「あの人が来る夜」 A Noite Do Meu Bem は29位。マリア・クレウーザの歌で親しんできたが、元祖のドロレス・デュランという歌手が美人。早速探してみたら、http://www.youtube.com/watch?v=crwoEqWaY8I に元絵があった。ところが他の絵は似ても似つかぬ健康優良児。相当派手に手を入れたようだ。それはそれとして歌はうまい。島津亜矢なみだ。

「ア・バンダ・パサ」はシコ・ブアルキの曲だがこれをヒットさせたのはナラ・レオンだったんだ。この絵は良家の子女が熱狂していて、その付き添いの母親も一緒に歌っているという、信じられない場面が取られている。
それ以上に異様に思ったのは、この同じ会場でただ一人のネグロ、ジャイル・ロドリゲスが歌っていることだ。95位の曲がそれだ。
この絵を見て初めて分かったのだが、60年代、ブラジルにおいて黒人はオフィシャルなシーンからはまったく隔絶されているということだ。ポルトガル人の差別意識はスペイン系よりはるかに強烈なようだ。黒人は白人にとって“良き下僕”以上の何者でもない。

サンバ・カンサオンも音楽的は出自は別として、あからさまな階層社会の上に作られた文化であることを、我々は念頭に置いとかなければならないのだろう。

「血の色のムスタング」はマルコス・ヴァーリ69年の作だ。無残としか言いようが無い。ナシメントとの共演によるViola Enluaradarがその前の年の作品だとすると、その差はさらに際立つ。
これも意外に良いのだが、89位のエラスモ・カルロス。67年にロックにこれだけの情感を込める実力はなかなかのものだ。
91位のエリス・レジーナ「Arrastao」はすごい。この人の歌力は頭ひとつ抜けている。

ボサノヴァ年表をYouTubeでフォローする

1.Laurindo Almeida

ロリンド・アルメイダは基本的にはジャズの人であり、ウエストコースト・ジャズの一員である。しかしそのギター奏法はクラシックである。

ほとんどボサノヴァだというブラジリアンスが聞けるが、ほとんどヴィラ=ロボスで、ほとんどショーロだ。

アルメイダがMJQと共演したワン・ノート・サンバが聞ける。テレビの録画であるが、音質は悪くない。

MJQがサンバとかボサノヴァをまったく理解していないことが分かる。アルメイダはわかっているようだが、MJQに遠慮している。

次は、アメリカのギタリスト、チャーリー・バードとのデュオで、ピシンギーニャの "Naquele Tempo" (あの頃) 。ショーロの名曲を地味にしみじみと聴かせる。ショーロは白っぽい音楽で、黒人のサンバとFusion しながらブラジル音楽の屋台骨を形作っている。

これはビニール盤からイパネマの娘とカルナヴァルの朝をアップしたもの。この人はジャズ・サンバというよりジャズ・ショーロだろう。

いずれにしても、センス・テクニックもふくめ、過去の人だ。

 

2.Rapaz de Bem

オリジナルにどれくらい近いか分からないが、とにかく曲そのものはジョニー・アルフの歌で聞くことが出来る。ところどころにトム・ジョビン節が伺われるが、さほど印象に残るものではない。

意外な掘り出し物がドミンゲーニョスのアコーディオンとジンボ・トリオによる演奏。テレビのエアチェックで画質・音質ともひどいが、演奏はノリノリだ。前から思っているのだが、ジンボ・トリオというのは相当なものだ。

ナラ・レオンの歌は意外につまらない。演奏だけならワルター・サントスの歌がさっそうとしている。バックはワルター・ワンダレーで音も良い。

 

3.EU QUERO UM SAMBA

「ジョアン・ジルベルトのスタイルに似ているという」が、ジョアンが自分で歌ってしまってしまったら似ているもへったくれもない。

オリジナルを探したら、あった! オス・ナモラードスの歌で、まったくごきげんな曲だ。わるいけどジョアンの念仏節よりはるかに良い。

これはモロにサンバであって、ボサではない。上記2つの演奏を聴き比べると、ジョアンがサンバからボサノバをどう作り上げたかが分かるかもしれません。


4.PERDIDO DE AMOR

ルイス・ボンファの本人歌唱が聞ける。オリジナルの録音ではないので、当時の演奏スタイルはわからないが、おそらくこんなものだろう。「黒いオルフェ」を彷彿させる佳曲だ。

これはショーロではなくサンバ・カンサウンだ。サンバをゆったりと歌うスタイルを白人が受け入れたもので、当時の流行と同じ流れだと思う。ボサノバではない。

この曲をディック・ファーニーが歌うと、モロにボサノバだ。72年の録音というから、もう完全に“ボサノバ風ムード音楽”になっている。もともとボンファはディック・ファーニーの伴奏をしていた人なので、ピッタリと合うのだろう。

アメリカのマーケット狙いだろう。でも気持ち良い。

ついでながら、この音源をアップしたluiz alfredo motta fontana さんのチャンネルには上等のビニール盤音源がたくさんある。


5.Orfeu da Conceicao 黒いオルフェ

「リオ・デ・ジャネイロ交響曲」については音源を見つけることができなかった。

ということで、黒いオルフェになるのだが、我々は「黒いオルフェ」をボサノバの代表としてみるのだが、どうもなかなかそうはならないようだ。

ただ、そうやってらっきょうの皮むきをやって、ジョアン・ジルベルト以外はボサノバにあらずみたいな原理主義的決め付けをしていくと、きわめて干からびたものになってしまう。

リズムだとか、形式ではなく、ひとつの時代の一つのムーブメントとしてボサノバを捉えたほうが良いと思う。

それで黒いオルフェに戻るのだが、これは年表にもある通り、ヴィニシウスによる1956年の戯曲「オルフェウ・ダ・コンセイサゥン」を映画化したもので、マルセル・カミュ監督のフランス・ブラジル・イタリア合作映画である。2年後の59年に公開されている。

カエターノ・ヴェローゾは、「ブラジル人はあの映画は好きではなく、音楽はよくても映画自体は最悪だ」と酷評している(ウィキペディアによる)

それはともかく、映画化にあたって製作に関わったジャズ畑のジョビンが、サンバ・カンサウン系のルイス・ボンファに作曲を依頼した。そうして2つの超名曲が生まれたというわけだ。

お二人には悪いが、曲は真っ白だと思う。


6.CARICIA

年表の作者が組み込むからには、このアルバムもボサノバの源流の一つなのだろうか。

アルバムの中の一曲 Foi a Noite がオリジナルで聞ける。トム・ジョビンの作曲。基本的にはサンバ・カンサウン、アレンジはハリウッドっぽいジャズ・バラードである。こんな曲は白人しか書かないし、聞かないだろう。

彼女の1枚目の10インチLP「CARICIA」は、バレリーナ姿のジャケットが美しく、珍しいこともあって目から火が出そうな値段でした(大阪のk.m Web さん

下世話な話になるが、シルビアは一時、ジョアン・ジルベルトと出来ていたようだ。アストラッドの前である。30歳を前に交通事故で死んでしまった。

言えることは、モーロの歌い手の手を離れたサンバ・カンサウンが、ジョビンの手によって漂白されて磨きをかけられて、ほとんどジャズ・バラードの域にまで達していたということだ。


7.バチータ

当時、カルロス・リラとメネスカルはつるんでいたらしい。そこにリオに舞い戻ったジョアンが転がり込んできた。

そこでジョアンが編み出したバチータというギター奏法を披露し、二人はでんぐり返ったようだ。隕石が落ちてきて、なかから宇宙人が飛び出してきたような衝撃だ。(すみません。このバチータというのが、良くわかりません。どういうスペルなのかな?)

おそらく聖地ウェストコーストの味がしたのだろう。しかもサンバのリズムが隠し味になっている。

年表作者はジェリー・マリガンの影響だとしているが、マリガンてどんな人だろう。

ウィキペディアによると、1952年、カリフォルニアで、トランペットのチェット・ベイカーらとピアノレスカルテットを結成した。この動きがアメリカ西海岸におけるウエストコースト・ジャズの顕在化につながっていくことになる。

とある。

53年のマリガン・クァルテットの演奏がここで聞ける。後ろ1/3がマリガンのSoft Shoe という曲だ。いわゆる“ダンモ”の世界だから、私には良いも悪いも分からない。ここからジョアンがどのような啓示を受けたのかも分からない。


8.Chega de Saudade(エリゼッチ・カルドーゾ盤)

びっくりしたのはジョビンもビニシウスも同様だったと思う。早速レコード会社に売り込んで、制作されたのがこの曲。

最初は有名なサンバ歌手エリゼッチ・カルドーゾ、しかし出来栄えは思わしくなく、あらためてジョアン自身の歌唱で再吹き込みとなった。

これが最初のエリゼッチの吹き込み。Canção do amor demais (1958)というアルバムの一曲。ジョアンはギターを弾きながら、再三再四、ダメ出しをしたという。

ついでに

エリゼッチと言えばショーロ・ギタリスト、ジャコー・ド・バンドリンと組んだ「丘の上のあばら屋」が有名だが、私としては来日ライブ盤の「ジャコーを待ちながら」が忘れられない。

もうひとつついでに

YouTubeを探したらこんなゲテモノもありました。1972年に作ったアルバム「サンバ・ロック」というものです。その中のEu Bebo Simという曲が聞けます。

80年代に流行ったサンバ・ヘゲ(サンバ・レゲエ)と同じデンですが、さすがにぺけです。

これから分かることは、サンビスタたちはショーロであろうと、ジャズであろうと、ロックであろうと、レゲエであろうと、旺盛な食欲で食いついていきます。だからボサノバは、彼らにとってはサンバの一派にすぎないのです。


9.Chega de Saudade(ジョアン・ジルベルト盤)

おそらくオリジナル盤とおもわれる音源がアップされています。写真で見るとシングル盤のようです。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/8/7/8729f0c8.jpg

基本的にはつぶやきジョアン節ですが、後の録音ほどひとりよがりではなくナイーブな発声で、聴きやすいのが意外でした。

ギター1本で、伴奏は一切なし、実にシンプルです。歌だけでなくギターの方を聞かせたかったのでしょう。

ジョビンが演奏するジョアンの背中で、「どうだ、すげぇだろう」とほくそ笑んでいる姿が目に浮かびます。

ジョアン・ジルベルトは今や、“カミ”になっているようです。その割には情報が偏っていて、ほとんどが

Chega de Saudade, a História e as Histórias da Bossa Nova by Ruy Castro (Companhia das Letras, São Paulo, 1990).

という本の受け売りのようです。本の概要は下記で読むことができます。

Plain João The Man Who Invented Bossa Nova. Daniella Thompson

http://daniellathompson.com/Texts/Brazzil/Plain_Joao.htm

10.DANS MON ILE

黒いオルフェがヒットした後、フランスにもサンバブームが起きたのでしょうか。ちょうどその頃ヴィニシウスはフランス大使で、本業そっちのけでボサノヴァの普及に力を注いだようです。

これはアンリ・サルバドルがパリで録音した曲です。

Up主(スペイン系)は、「この曲はブラジル・ボサノヴァ音楽の先駆とみられる」と書いています。たしかに「男と女」の“ダバダバダ、ダバダバダ”を思わせるところがあります。


11.バーデン・パウエル

これでジョビン、ジ・モラエス、ジョアン・ジルベルト、ジョアン・ボスコ、シルビア・テリスにリラとメネスカルで駒はひと通り揃ったことになる。

あと大物で足りないのがバーデン・パウエルとセルジオ・メンデスだ。

バーデン・パウエルはエスコーラ・ジ・サンバのひとつマンゲイラ所属のサンバ・ギタリストとしてキャリアをスタートさせている。ボスコと違いあまり上品な階層出身ではない。

ビニシウスに引き立てられて「男と女」のサントラを担当した。その後は主流派とは少し離れた道を進み、アフロ・サンバの領域を開拓した。

ついでに、セルジオ・メンデス。アメリカ人かと思うほど、アメリカのマーケットに食い込んだ。かつて日本人はセルメンを通じてボサノヴァに触れた。

どっちかというと、走りだした列車に飛び乗って間に合った人で、何がしかボサノバの形成に貢献したというわけではない。しかしボサノヴァのエヴァンジェリスタとしての役割は巨大だ。


12.マルコス・ヴァーリとカルロス・リラ

走りだした列車に乗り遅れたのがマルコス・ヴァーリとカルロス・リラで、才能からすれば気の毒なくらいだ。

やはりボサノバの衰退は、軍事独裁政権を抜きには語れないだろう

二人にはボサノヴァの真髄とも言えるような曲があるが、時代には合わなかった。カエターノの絶叫ロック「プロイビード・プロイビール」が消えたあと、国内にはざらついた相互不信と、秘密警察への恐怖以外に何も残らなかった。

ボサノヴァは白人中産階級の音楽であった。白人中産階級の価値観が分裂し、共通の文化が失われた瞬間、ボサノヴァはバケツの底が抜けるように一気に消滅したと考えられる。

ボサ・ノヴァ年表

「私達はブラジル音楽を、ボサノヴァより前とそれより後とに区切ることができる」ナラ・レオン

 

53年 Rapaz de Bem(心優しい青年)が発表される。アントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョニー・アルフが歌った。 (ジョビンとモラエスは中村八大と永六輔みたいな関係と考えられる)

53年 「ブラジリアンス第一集」が録音される。ブラジル人ギタリストのローリンド・アルメイダがウエスト・コーストのサックス奏者、バド・シャンクと演奏。うち3曲はほとんどボサノヴァだという。

53年 EU QUERO UM SAMBA が発表される。ジョアン・ドナートのアコーディオンとオス・ナモラードスの演奏。ジョアン・ジルベルトのスタイルに似ているという。

53年 PERDIDO DE AMOR が発表される。ルイス・ボンファの作曲。

53年 サンパウロを中心に、労働者のゼネストとデモが盛り上がる。労働者に同調的な政府に対し、軍が介入の動き。

54年 リオ交響曲が発表される。トム・ジョビンとビリー・ブランコの共作で、ディック・ファーニー、エリゼッチ・カルドーゾらが演奏。

54年 軍に追い込まれたバルガス大統領がピストル自殺。リオの葬儀デモに50万人が参加。

56年 ジョビンとヴィニシウスが共同作業を開始する。Orfeu da Conceicao の上演がリオで開始される。ギタリストとしてルイス・ボンファが選ばれた。

57年 シルビア・テリスが最初のアルバムCARICIA を発表。

57年 ジョアン・ジルベルトが放浪の末リオに舞い戻る。彼の編み出したバチーダ奏法とシンコペーションは、リオの音楽家たちから注目を集める。(ジョアン・ジルベルトの歌い方はジェリー・マリガンに影響されたものだとされる)

58年 Chega de Saudade(想いあふれて)が発表される。ジョビン作曲、ヴィニシウス作詞、ジョアン・ジルベルトのギター伴奏でエリゼッチ・カルドーゾが歌う。

58年7.10 Chega de Saudade(想いあふれて)が再録音される。ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる。ジョビンの熱心な売り込みにより実現したといわれる。

58年 「ボサノバの夕べ」と題されたショウが開かれる。ボサノバの最初の使用例とされる。

58年 DANS MON ILE がパリで録音される。ギタリスト/歌手アンリ・サルバドルの演奏。

59年 大学でのコンサート、全国音楽祭などでジョアン・ジルベルトとジョビンらの演奏が爆発的な人気を呼ぶ

59年 ジョアン・ジルベルトの最初のアルバムが発表される。Desafinado(調子っぱずれ)、BIM BOMはニュウトン・メンドンサが作詞し、ジョビンが作曲。初めて歌詞中に「ボサノヴァ」の単語が取り入れられた。

59年 ブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ」(マルセル・カミュ監督)が発表される。ジョビンとモライスが企画した劇を元にしており、二人の曲が多く用いられた。

59年 リオで「現代サンバ・フェスティバル」が開かれる。出演はTom Jobim, Sylvia Telles, Alaide Costa, Carlos Lyra, Ronaldo Boscoli, Baden Powell, Roberto Menescal, Nara Leao ら

60年 ブラジルの首都がリオからブラジリアに移転。この年の経済成長率は8%を超えるが、外資導入が高度のインフレ(40%)を招く.

61年 モラエスとバーデン・パウエル、映画「男と女」のサウンドトラックの製作などで共同。

61年 ギタリストのチャーリー・バードが、ケネディの親善使節としてブラジルツアー。ボサノバを体験し、スタン・ゲッツとともにジャズ-サンバのアルバムを製作する。

61年9月 進歩派のグラールが大統領に就任。アメリカの干渉が強まる。

62年11月 カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われ、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、セルジオ・メンデス、ミルトン・バナナ、ルイス・ボンファ、ロベルト・メネスカルらが出演。(メネスカルがバルキーニョを歌っているが、カーネギーに出演した歌手のなかでもっとも下手くそな歌手としてギネスに残るだろう)

62年 アメリカで仕事をしていた、ロリンド・アルメイダとジョアン・ドナートが、アメリカ・レーベルからボサノバで売りだす。

63年 『ゲッツ/ジルベルト』が制作され、アメリカで大ヒットする。ジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが制作に参加。

63年 キャノンボール・アダレイやポール・ウィンターらが、ボサノヴァのアルバムを発表。アメリカでボサノヴァ・ブームが起こる。

63年 トム・ジョビンがニューヨークでアルバムを制作。GAROTA DE IPANEMA, AGUA DE BEBER などをふくむ。

63年 マルコス・バリーの最初の曲SONHA DE MARIA が発表される。演奏はタンバ・トリオ。ジョルジ・ベンのマシュケナダも発表される。

64年4月 ブラジルでクーデターが発生。軍事政権が樹立される。一週間で「民主主義の敵」とみなされる約9千人が逮捕.

64年 ヴィニシウス、「アルコール中毒」のためブラジル外務省を解雇される。実際は左翼的傾向が嫌われたとされる。

64年 アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」がシングルカットされ、ビルボードに96週間チャートインという記録を打ち立てる。

64年 ビートルズがアメリカ公演。世界中を熱狂させる。ボサノバ終焉の年とされている。

64年 ナラ・レオンが最初のアルバムを発表。国内で最初にヒットしたボサノバのレコードとなる。

64年 サルバドールでカエターノ・ヴェローソ、ジルベルト・ジル、マリア・べターニャによるコンサートが大成功をおさめる。

65年 日曜午後のテレビのショウ番組「青年前衛」が始まる。ロベルト・カルロスらが登場。

66年 Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)がアメリカ市場に登場する。アメリカに移住したセルジオ・メンデスがブラジル66を結成し制作したもの。

66年 サマー・サンバ (Samba do Verão)が発表される。マルコス・ヴァーリ作曲、ワルター・ワンダレイの演奏。

66年 ボサノバの人気が徐々に低落。トロピカリア が台頭する。

66年 ヴィニシウスとバーデン・パウエルがノルジスチの黒人の民謡を元に"OS AFRO-SAMBAS"を制作。

66年9月 軍警察がリオ大学医学部に乱入し学生を殺害。全国軍事独裁反対のデモに18万の学生の半数が参加。

67年 Funeral de um lavrador(農夫の弔い)が発表される。オリジナルはシコ・ブアルキの曲をチリのフォルクローレ・グループが演奏したもの。

67年 ジョビン、アメリカでインストゥルメンタル・アルバム「Wave」を発表。“ボサノバを基調としたフュージョン”のジャンルに進む。

68年 カエターノ、サンパウロのカトリック大学で行われた国際歌謡フェスティヴァルで、「禁止することを禁止する」を歌い、当局に睨まれる

68.6 学生運動が急進化、10万人の反政府デモ。各地で校舎の占拠行動が続く。一部学生が国会に突入。

68年12月 軍首脳タカ派が自主クーデターを実施.軍政令5号を布告して国会を閉鎖.市民の大弾圧に乗り出す。カエターノ・ヴェローソ、ジルベルト・ジルらが一時拘禁される。

69年 エリス・レジーナ、「ブラジルはゴリラに支配されている」と発言。軍部の弾圧の対象となる。

69年 ジョアン、ブラジルを去り、メキシコに移住。

70年 ヴィニシウス、マリア・クレウーザ、トッキーニョがブエノスで公開録音したアルバム。

74年 エリス・レジーナとジョビンの共演で「3月の水」をふくむ Elis & Tom が発表される。その後エリス・レジーナはコカイン中毒となり死亡。

80年 ヴィニシウス・ヂ・モライスの死。

90年 ボサノバのリバイバル。Joyce, Eliane Elias, Celso Fonseca, Marisa Monte, Raphael Rabello, Rosa Passos, Leila Pinheiro, Ana Caram, Jane Duboc, Emilio Santiago,Paulo Bellinati, Luciano Souza, Yamandu Costa, Ithamara Koorax, らが登場。

94年 ジョビン、ニューヨークで心臓発作のため死亡。大統領令が発され、国民は3日間の喪に服した。

BossaNovaVideo より

home.earthlink.net/~williamdee/id13.html

 

 

 

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