鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

カテゴリ: 11 国際政治/東アジア(中国・朝鮮半島)

本日は羽場 久美子さんの講演ということで、事前勉強をしておく。

1.力関係の変化―中国の台頭と米ロ・中ロ関係

1989に冷戦の終結、91年のソ連崩壊。
=「資本主義体制と民主主義の勝利、社会主義体制の崩壊」
しかし現実はそれほど単純ではなかった。

*政治経済は民主化と市場経済への移行として包括できるが、軍事的には孤立化を迫られた。
*2000年にプーチンが登場。9.11を期に米ロの軍事関係は急接近。しかしNATOの東方拡大は継続。
* 中ロ関係は、何段階かに分けて変化した。(石井明)
基本的には「同盟」関係ではなく「パートナーシップ」を打ち立てた。
同盟とパートナーシップ: 同
盟は「冷戦」思考に基づいているが、パートナーシップには軍事的な意味はない。

2.中国の強大化と体外進出

*2013年 習近平体制の成立

真っ先に中ロの領土問題を解決し、共同のパートナーシップ関係を構築(中ソ紛争を繰り返さない決意)

*上海協力機構 中国・ロシア・
中央アジアの連携関係を確立

* AIIB(アジアインフラ投資銀行)の設立。アジアと欧州で80か国を数える

* 一帯一路構想: 中国・中央アジア・アフリカ・欧州のインフラ投資計画。
ただしこの計画に関しては、ロシア側に警戒感

*日本は中国の力を過小評価、柔軟外交を軟弱と誤解している。日本は安保をもってしても中国を抑止できない。

3. アジアにおけるロシアの位置の再編 

*ロシアは、冷戦期に比べて経済力は落ちたが、軍事力・政治力・情報力・戦略力において、依然として強力である。
*また東アジアにおいては、中露の一体化したパワーとなる可能性がある。
* ポスト・ウクライナ時代には日本は、東アジアの最大の不安定要因とみなされるかもしれない。

4. 安定的な東アジア―戦争を起こさないために

*中国の経済力とロシアの軍事力・戦略力・天然資源などが合体すれば、アメリカに十分対抗できる、あるいはそれをしのぐ潜在力を持つ。

*ロシアにとっては、欧州以上に東アジアの発展が重要となるかもしれない。

*東アジアにおける平和の構築は、中・ロ・日・韓国の 4 か国連携の強化以外にない。

今朝の赤旗に以下の記事が掲載されました。
ウクライナ問題、ベネズエラ問題、イラン問題などにも共通することですが、「あらゆる問題を平和的な話し合いによって解決することに徹する――これを大原則に据えるべき」という言葉に共感します。

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2022年9月30日(金)

中国と向き合う大切な二つの原則――平和的対話と包摂的国際関係

日中国交回復50周年で 志位委員長

 日本共産党の志位和夫委員長は29日、国会内で記者会見し、同日の日中国交回復50周年にあたっての見解を求められ、次のように答えました。

 一、日本共産党は、いまの中国の行動について、その覇権主義、人権侵害について厳しい批判を表明してきました。この立場に変わりはありません。

 そのうえで、中国とどう日本が向き合い、友好関係を築いていくかについて、私たちが大切だと考えている原則が二つあります。

 一、第一は、軍事対軍事の対抗の悪循環に陥ってはならない、あらゆる問題を平和的な話し合いによって解決することに徹する――これを大原則に据えるべきということです。

 そのさい、話し合いをすすめていく基準となるのは国連憲章と国際法です。この国際的ルールに基づいて冷静な外交的な話し合いであらゆる問題を解決する――この立場に徹することが大事です。

 一、第二に、国際社会がいま中国にどう向き合うかという点では、中国を排除し、中国を包囲するような国際的な枠組みをつくる方向には、私たちは賛同しかねます。そういう形で中国排除のエクスクルーシブ(排他的)な対応をすると、結局、地域と世界に新たな冷戦構造をつくりだし、対立の激化を招く。そういうエクスクルーシブ=排除の論理に立って対応するのではなく、中国も含めて包摂的=インクルーシブな平和の枠組みを発展させていくことが大事になってきます。排除の論理ではなく、包摂の立場で国際的な関係をつくっていく必要があります。

 一、この点で、私たちが、強く主張してきたように、ASEAN(東南アジア諸国連合)が取り組んでいるASEANインド太平洋構想(AOIP)を発展させることが重要です。2019年のASEAN総会で確認し提唱している方向ですが、東アジアサミット(EAS)を発展させ、ゆくゆくは東アジア規模の友好協力条約を展望しようという方向こそ、私は大事だと思っています。AOIPの方向を成功させるために、地域の国がみんな協力することが大事になるし、日本も憲法9条を生かした外交でその方向を発展させるために努力する、これが大事になっています。

 EASには、ASEAN10カ国と日本もアメリカも中国も韓国もロシアもみんな入っている。そういうインクルーシブ(包摂的)な枠組みがすでにあるわけですから、それをいかに発展させていくかという努力が大切だと思います。

憶え違いをしていた。

怨(うら)みに報(むく)いるに徳(とく)を以(もっ)てす

これはもともと老子・孔子の時代に市井に流布した言葉らしい。

それを老子と孔子がそれぞれに解釈した。

老子は、恨みと徳のペアリングに限定した問題ではなく、「そういう鷹揚な生き方をしようではないか」みたいな一種の人生論を内にふくんだものとして理解した。

「三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺」というサイトがあって、「今後このような人たちは存在しなくなるだろうな」という人生の達人たちが、ことわざに触れながら機微を教えてくれるありがたいページだ。
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza14

少し解説を長めに紹介する。

老子(ろうし)は、中国春秋時代における哲学者である。紀元前500年を中心に前後合わせて100年を生きたという。まぁそんな人物で、「老子」という名は尊称と考えられている。
非体制側の人で在野諸賢や古老の集合体と見ても良さそうだ。

「怨みに報いるに徳を以てす」という一節の前後はこうなっている。

無為(むい)を為(な)し、無事(ぶじ)を事とし、無味(むみ)を味わう。小なるを大とし、少(すく)なきを多とし、怨(うら)みに報ゆるに徳を以(もっ)てす。

このフレーズの和訳は以下の通り。

無為(=人為的な細工をしないこと)を自分の生き方とし、無事(=何事もしないこと)を自分の営みとし、無味(むみ)(=好悪をもたぬこと)を自分の感情とする。
小さなものには大きなものを与え、少ないものには多くして返してやる。恨みのあるものには、徳をもって報いてやる。

つまりそういうWay of Lifeなのである。

そういう目線で見ると、徳はまさに徳であり “dignity” であって、恩とか恨みというドロドロした世界ではない。

(若い頃、喫茶店でモーニングコーヒーで1時間あまりも粘っていたころに読んだジョージ秋山の「はぐれ雲」の世界だ。このひとは「銭ゲバ」の作者でもあり、なにか宗教的なものを内にふくんだ漫画家であったのかも知れない)

ではなぜ恩という言葉がこの人生訓に紛れ込んだのか、これがよくわわからない。

ただこの言葉は春秋戦国の事態に流布され人口に膾炙していたらしく、そのときに「徳=相手に恩恵を施す」と連想でコンタミした可能性がある。

そしてそのフレーズがある孔子の弟子の耳に入り、彼が孔子に伺いを立てた。

ここからまた「ことばの窓」に戻る。

或曰、「以徳報怨、何如」。子曰、「何以報徳」。「以直報怨、以徳報徳」。

これの訳は以下の通り
或(あ)るひと曰(いわ)く、「徳を以(もっ)て怨(うら)みに報ゆれば何如(いかん)」、と。
子(し)曰く、「何を以てか徳に報いん。直(ちょく)を以て怨みに報い、徳を以て徳に報いよ」と。

これでもまだわからないから、訳文の解釈が再掲される。

「では恩徳を施してくれたものには、どうやって報いればよいのか。恨みのあるものには正しさで報い、恩徳を施してくれたものには、恩徳をもって報いるのがよいのだ」

ここで文字情報としてはじめて「恩」がでてくる。しかしやはり「恩」では対応しづらい。「恩」はなかったことにしようと思う。

話は孔子に戻る。、「恨みのあるものには正しさで報いよ」とということだが、「直」というのが正しさと訳して良いのか、むしろ「恨みには恨みでまっすぐ投げ返せ」みたいにも受け取れる。「倍返し」の世界だ。

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なぜこのことわざが気になったかと言うと、「毛沢東ならどう考えただろうな」というのが気になったからである。

このヒトは血なまぐさいのが大好きなところがあって、井崗山でのゲリラ闘争の時代には数万単位の犠牲者など目にもくれなかった。

おかげでゲリラの隊長に成り上がり、長征の間に指導部を卓袱台返しして権力を握った。そういう人物には老子など大勢順応を説くなどちゃんちゃらおかしい話だ。

「怨みに報いるに徳を以てす」は敗戦直後に蒋介石が言った言葉だが、それは中共軍をやっつけるために日本兵を使おうと考えたからで、所詮は煮ようと焼こうと食えない相手だ。

ただ、毛沢東がどう思ったかは知らないが、周恩来はこれに近いことをやった。その衣鉢は中国外務省に受け継がれている。

文革の時、毛沢東は猛烈な孔子批判を行ったが、意外と権力・服従を大事にし、「革命」を権力の転覆と考え、「プロレタリア独裁」にしがみつく点では孔子とつながる点があるのかも知れない。

少なくとも老子のような大人の風格はどこにも感じられない。そしてその毛沢東の荒々しい権力闘争志向が人民軍の中に受け継がれているとすれば、老子と孔子の対立の伝統は今後も受け継がれていくのかも知れない。

20 September 2022
TeleSur


kissinger

王毅中国外相がキッシンジャーと会談

19日、中国の王毅外相はニューヨークでヘンリー・キッシンジャー元米国国務長官と会談した。

王外相はキッシンジャーの100歳の誕生日に祝辞を述べ、彼を中国人民の古き良き友人であり、中米関係の確立と発展に歴史的な貢献をした人物と呼んだ。

王外相は、キッシンジャーが常に中国に友好的であり、米中関係に信頼を寄せていることを高く評価している、と述べた。
さらに、キッシンジャーが引き続き重要な役割を果たし、二国間関係が一日も早く軌道に乗ることを願うと表明した。

今年はニクソン元米国大統領の訪中と上海コミュニケの発表から50周年にあたる。王外相は、中国と米国は50年間の交流と、相互成長の経験とを真剣に総括する必要があると付け加えた。

そして次のように述べた。

米国は、中国に対する間違った認識から、一つの見方にこだわっている。、
その結果、米国は中国を主要なライバルであり、長期にわたり米国への挑戦を続けるだろうと見なしている。

米中交流は成功しているのに、それを失敗と表現する人もいるが、それは歴史も過去の教訓も尊重していない見方である。

ついで王外相はキッシンジャーの発言に触れて、次のように述べた。

かつてキッシンジャーは、中米関係はすでに「冷戦のふもと」まで来ていると警告した。

そして、それを切り抜けるためには、「台湾問題を適切に処理することが最優先である。そうでなければ中米関係に破壊的な影響を与えることになる」と強調した。

キッシンジャーの発言

キッシンジャー氏は、当時の中国首脳と上海コミュニケを締結した経緯を振り返り語った。

その中で台湾問題にも触れ、次のように述べた。

「台湾問題の重要性は極めて高い。中国にとって台湾問題が極めて重要であることを十分に理解する必要がある。米中は対立ではなく対話を行い、平和共存の二国間関係を築くべきだ」

このファイルは、
の続編です。

金大中「私の自叙伝」(1955年3月 NHK出版)の巻末についていた、年譜を転載したものです。ちょっと鬱陶しいとこをもあり、若干の刈り込みをしています。 
実は、グーグルドライブでOCRして横書きTXTファイル移す練習台に使わせてもらったのですが、〇〇2日もかかってしまいました。これは「年譜」が縦書き二段で、さらに一段が紀元年の段と事項説明の2段に分かれているという大変複雑な構造で、これをそのままOCRにかければ、「そりゃないでしょう、いくらなんでも」という世界になります。
そこで一旦断念して、一段表示でもう一度コピーし直せばよかったのですが、それも「なんとかなるだろう」という安易な逐次投入をやって、ファイルリストがめちゃめちゃになってしまいました。その結果が2日間の滞留です。
しかしその結果わかったのは、グーグルドライブのOCR機能が大変素晴らしいということです。惜しむrくは呼び込んだファイルのリスト機能がやや煩雑なことです。とにかくOCRが済んだカス・ファイルはできるだけ速やかに消去するのが一番です。
…ということで、以下が苦労の結晶です。ただし記載された事項のほとんどは「朝鮮現代史年表 その4」に記載済みなので、そちらも併読してください。





金大中博士年譜


1924年

1月6日 務安郡荷衣面後広里(木浦の前の多島海中の荷衣島の村)で生まれる。父は金雲植、母は張守錦。4人兄弟の次男であった。

全羅道木浦は、かつて日本の統治時代に朝鮮半島の米などを日本に輸出する港だった。人口の約4割を日本人が占めるほどだった。(ウィキより)

荷衣島

31年

9月18日 満州事変始まる。

33年

4月1日 新設の荷衣普通学校(小学校) 2年生に編入入学

37年

7月7日 日中戦争始まる。

9月1日 木浦第1普通学校へ転校

39年

3月25日 木浦第一普通学校卒業。優等で「木浦日報社長賞」受賞。

4月1日 木浦商業学校入学

11月 創氏改名に関する法律を公布(40年2月より実施)

41年

12月8日 太平洋戦争始まる。

43年12月 木浦商業を繰り上げ卒業

44年

徴兵検査を前に「1925年12月3日生」と届け出(これは昭和1年であり、金大中の年齢は昭和と1致するため省略)

45年

4月9日 車容愛と結婚

8月15日 大日本帝国敗戦 「朝鮮建国準備委員会」(建準)発足

26日 建国準備委員会の全羅南道支部が発足。金大中も参加。

12月28日 米英ソ外相のモスクワ会談の結果、「信託統治案」を発表

46年 木浦新民党が結成される。金大中も参加。

48年

5月 「木浦商船」会社を設立、社長となる。

8月15日 大韓民国樹立。初代大統領に李承晩が就任。

50年

6月25日 朝鮮戦争勃発。ソウル滞在中の金大中も戦争にあう。

27日 首都ソウル陥落。金大中はソウルを脱出、故郷の木浦に向かう。

9月16日 北朝鮮軍が木浦を占領。右翼分子として逮捕投獄される。

1回目の生命の危機

9月18日 国連軍が仁川に上陸し、反攻を開始。北朝鮮軍は一斉に撤退。金大中は処刑寸前で助かる。

10月 新聞「木浦日報」を買収し、社長となる。船舶を所有する金大中は、韓国軍の「海上防衛隊全羅道地区」の副司令官に任命される 。


1951年

3月 木浦汽船を解組し、あらたに商船会社を設立、社長となる

5月 大洋造船会社を設立、社長となる 

52年

 6月25日 「釜山政治波動(騒動)」起こる。この時金大中は、政治腐敗を見聞し、政治家として立つことを決心。
釜山政治波動: 当時臨時首都となっていた釜山で、李承晩大統領が直選制改憲案を強引に採決。(ウィキ)

53年

7月27日  朝鮮戦争の休戦協定が成立 

54年

 5月26日 第3回民議院議員選挙が行われる。金大中は木浦から無所属で立候補するが落選。

55年

10月 韓国労働問題調査センター事務総長となる。野党民主党に入党。

56年 

5月15日 第3回大統領選挙。与党の李承晩が大統領に、野党の張勉が副大統領に当選。

57年

10月 民主党中央委員に選出される 

58年

5月2日 第4回民選院の議員選挙。江原道麟蹄から立候補手続き中、登録を阻止される。

11月 人権擁護全国同盟スポークスマンとなる。

59年

 6月1日 各地で補正選挙実施 登録不正阻止事件裁判に勝ち、補欠選挙実
施にこぎつけたが、選挙では落選 

60年

3月15日 第4回正副大統領選挙で与党の李承晩、李姫鵬当選。不正選挙として問題になる 

4月19日  「4月学生革命」起こる。

7月29日  民・参両議院選挙、金大中は再び江原道麟蹄から立候補し落選。

8月19日 李承晩が放逐され、張勉内閣が発足。

10月 与党民主党スポークスマンに選任される 

61年

5月14日 第5回民・参両議院議員選挙 麟蹄で民議院議員に初当選。

5月16日 クーデターにより軍事政権誕生。国会は解散となり、民議院議員は2日間に終わる。民主党はじめ、政党団体も解散となった 

62年

3月16日  軍事政権、政治活動浄化法を公布。同法により、その後の政治活動を禁止される 

5月10日 李姫鏑と結婚。

63年

10月15日 朴正煕、尹譜善を抑え大統領に当選。直後、全国に非常戒厳令を敷く。

12月26日 第6回国会議員選挙

12月27日 韓国国会で南北所信交換を提議。

1964年

3月9日  日韓条約交渉が進む。対日屈辱外交反対デモ。ソウル一帯に非常戒厳令が敷かれる。

6月3日 朴政権退陣要求のデモが青瓦台を包囲。ソウル地区に非常戒厳令(7月28日解除)

 9月 高麗大学経営管理科の大学院コースに出席。

65年

6月22日  日韓基本条約調印。金大中は民衆党スポークスマンに選任

66年

1月 米国務省の招聘で訪米。民衆党中央執行委員に選ばれ、政策審議会議長となる。

67年

2月 新民党のスポークスマンに選任

6月8日 第7回国会議員選挙。木浦から出馬し、再選を果たす

9月 慶煕大学大学院・産業経営学科を修了。

68年

1月21日  青瓦台襲撃事件

23日 プエブロ号事件

2月27日 朴政権、郷土予備軍の設置を決める。

1969年

7月13日 大統領選+国会議員選挙実施。野党は「朴大統領3選阻止・改憲反対闘争委員会」を結成。 木浦から立候補し当選。

9月14日 3選改憲案と国民投票案を与党単独で強行採決。

1970年

1月24日 金大中、新民党の大統領候補指名選挙に出馬を宣言する。

7月7日 ソウルー釜山間の高速道路開通。韓国の高度成長の時代が始まる。

9月 慶煕大学・大学院経済学科修了

29日 新民党全党大会で大統領選挙の候補に選出される。 

10月16日  記者会見で大統領選の公約を発表。南北統一のための政策、郷土予備軍の廃止など。

この年、著書「7O年代の私の目標」出版

1971年

2月 大統領候補として、アメリカと日本を訪問。

4月7日 中国の「ピンポン外交」始まる。

4月27日 第7回大統領選挙、朴正煕大統領、3選を 果たす。金大中は約46%を獲得したが、94万票の差で落選。

5月24日 選挙応援遊説中、木浦で交通事故。のち軍部による殺害計画とわかる。

2回目の生命の危機

大型トラックが金の車に突っ込み、3人が死亡。金は腰と股関節の障害を負った。後に韓国政府はKCIAが行った交通事故を装った暗殺工作であったことを認めている。(ウィキペぢあ)

25日 第8回国会議員選挙、金大中は国会議員に当選(全国区)。野党の進出が目立った。

7月15日 ニクソン訪中計画が発表される、

1972年

2月2日 金大中、米、英、仏、独、日を歴訪。軍事独裁反対を訴える。

11日 二クソン大統領、中国を訪問 

5月10日 母、張守錦死去(享年77歳) 

7月4日 「南北平和統」に関する共同声明を発表。

10月13日 病気治療のため訪日。

17日 朴大統領、国会を解散。憲法を停止し「維新宣言」を発表。全土に非常戒厳令 

18日 東京在留中の金大中、維新反対を声明。このとき亡命を決意する。

 11月01日 「国民投票により「維新憲法」確定。

 23日 新憲法により統1主体国民会議 第8代大統領に朴正熙を選出。

73年

7月13日 アメリカから日本へ入国。著書「独裁と私の闘争」(日本語)出版 

3回目の生命の危機 

8月8日 拉致事件起こる 

13日 自宅に連行され解放。この日が「生還記念日」とと呼ばれることになる。

 15日- 自宅軟禁始まる。いっさいの政治活動が禁止される。

24日  読売新聞ソウル支局、「拉致事件」報道で閉鎖に追い込まれる。 

9月5日 日本政府、韓国政府に対し、容疑者・金東雲書記官の出頭を要請。韓国政府は拒否。

10月29日 真相解明と維新撤廃を求めるデモ、ソウルで始まり全国へひろがる

11.01 日韓両政府、第一次政治決着に合意 

2日 金鍾泌国務総理が日本を訪問、「金大中事件」で公式謝罪 

11月 ライシャワー・ハーバード大学教授、招聘請求をたずさえ訪韓 

12月2日  在野の「改憲請願100万人署名運動」起こる。

74年

3月25日 父、金雲植死去(享年82歳) 

8月14日 韓国政府、金東雲書記官を無実とし、事件の捜査打ち切りを発表

15日 朴大統領狙撃事件発生。陸英修夫人が死亡。その場で在日韓国人・文世光を現行犯逮捕。

22日 新民党全党大会で金泳三を総裁に選出、改憲闘争に入る。 「反独裁の野党体制」確立のため、総裁選で金泳三を支持。

 9月16日 自民党副総裁の椎名悦三郎が訪韓、狙撃事件に関する田中親書を渡す。

75年

4月30日  ベトナム戦争終結 

5月13日 金大中、63年の大統領選挙関連して、選挙法違反で起訴。のち懲役1年が求刑される。 

7月22日 日本政府、金東雲書記官の不起訴解職の口上書を受領。

 23日 宮沢喜一外相が訪韓。「口上書により金大中氏事件は最終的決着」と表明。

1976年

3月1日 「民主救国宣言」発表。朴大統領の退陣を要求。宣言に署名した18人の中の1人となる 

10日 宣言署名のため「政府転覆」の煽動首謀者の1人として逮捕 

9月15日 新民党全党大会で集団指導体制をとり、李哲承を代表に選出

1977年

3月22日  最高裁判所で緊急措置9号違反により懲役5年、資格停止5年の刑確定、晋州刑務所に投獄 

5月7日 面会制限に抗議し断食闘争

 6月22日 亡命中のKCIA元部長金姉旭将軍、米下院で金大中氏事件はKCIAの謀略と証言 

12月22日  ソウル大学病院内の特別監房に収監 

78年 

9月6日 晋州の刑務所以上に制限が課せられたため断食闘争 (10日まで) 

12月27日 朴大統領、第9代大統領就任(維新体制2期目) 大統領就任赦免で刑執行停止、仮釈放(2 年9か月ぶり)釈放直後から自宅軟禁

政府受領 23日  宮沢喜1外相訪韓「口上書により金大中氏事件は最終的決着」と表明 

79年

1月 1日 米中国交正常化 

3月4日  尹潛普らと「民主主義と民族統一のための国民連合」結成、共同議長に選ばれる。
新民党党首選で金泳三選出に積極的支持を表明。

5月29日 新民党全党大会でふたたび総裁に金泳三を選出。

7月23日 金泳三総裁、国会で緊急措置の撤廃を訴え、朴政権を批判。

10月4日 与党は単独で金泳三総裁の議員除名を決議。立候補阻止を図る。

13日 新民党、統一党議員あわせて69名が議員辞職届を提出。 

18日 馬山の反政府デモがきっかけで、馬山・釜山で最大規模の反政府デモと抗争が起こる。

26日 朴正煕大統領、射殺される。崔圭夏国務総理が大統領代行に就任。

12月6日 崔圭夏が大統領となる。  

8日 緊急措置第9号が解除され、政治犯684名が釈放される。
これにともない、金大中も42日ぶりで自宅軟禁が解かれる。 

12日  全斗煥将軍、粛軍クーデターで国軍内の実権を握る。

80年

2月19日  赦免・復権措置が実行される。これに伴い683人が公民権を回復し復権する。

5月7日 金大中、尹譜善らと民主化促進宣言を発する。

13日 民主化要求の学生デモが全国にひろがる。

15日 金大中ら、時局声明を相つぎ発表し、デモの自制を呼びかける。 

16日 金泳三新民党総裁と共同で記者会見、「時局収拾の6項目」を提案する。

17日 全斗煥将軍など軍部新勢力のクーデター、非常戒厳令の全国拡大を宣言。 
金大中は、自宅で戒厳令違反により逮捕され、KCIA本部へ連行される。

21日 光州で反政府デモ。学生・市民が武器を奪って全市占拠。 

22日 戒厳司令部「金大中らの国家転覆陰謀等に関する中間捜査結果」を発表。

31日 全斗煥将軍、国家保衛非常対策委員会を発足させ、常任委員長に就任

 7月11日  後宮元駐韓大使、韓国政府が金大中事件の了解事項に違反していると指摘。

11日 「金大中氏救出日本連絡会議」が結成される。 

8月6日  統1主体国民会議が全斗煥将軍を大統領に選出(9・1就任) 

4回目の生命の危機

9月17日  普通軍法会議、金大中被告に死刑判決 

22日 鈴木善幸首相、死刑判決に憂慮を表明、対韓援助の制約を発表

12月3日  高等軍法会議で死刑判決。鈴木首相、崔韓国大使に金大中氏の身柄に憂慮を表明。韓国紙は「内政干渉」と反発。

1981年 

1月15日 与党・民主正義党(全斗煥総裁)創立。

10日 米大統領にレーガン就任、全斗煥次期大統領と会談 (2月2日) 

23日 最高裁で死刑確定判決の直後、閣議決定により無期懲役に減刑、清州刑務所に収監 

3月3日 全斗煥将軍、第12代大統領に就任 

11月 ブルノ・クライスキー人権賞 (オーストリア) 受賞 

82年

3月2日 無期から懲役20年に減刑

18日  釜山・アメリカ文化センター放火事件 

12月16日 服役中ソウル大学病院に移送、特別監房へ収監 

23日 刑執行停止。家族とともにアメリカ亡命。

83年

1月8日 バージ二ア州アレクサンドリアのアパートを住居とする 

5月16日 ジョージア州アトランタのエモリー大学で名誉法学博士号を授与 

17日 金泳三、光州事件3周年を迎えて民主化要求無期限ハンスト 

17日 金泳三の闘争支援のデモをワシントン、二ューヨークで組織 

6月30日 民主化推進協議会が発足。

8月1日 日本政府、金大中事件の捜査本部を解散。

21日 ベ二グノ・アキノ元上院議員、マ2ラ空港で射殺される。 

9月1 ハーバード大学国際問題研究所客員研究員となる(83、84年度)
 
この年、『獄中書簡」(韓国語) 刊行 (日本語、英語版は84年) 

1984年

9月6日 全斗煥大統領訪日。「日韓両国に新しい関係」と共同声明でうたう (9月8日)

12月2日 全大統領に「帰国書簡」を送り、金泳三、金鍾泌をまじえた4者会談を提案 

この年、著書『獄中書簡」(日本語版・英語 版)、『韓国現代史の挑戦』(英語版)を刊行

85年

2月8日 亡命後、2年3か月ぶりに強行帰国。「自宅軟禁」始まる 

2.12 第12回国会議員選挙。 第12回国会議員選挙 (新民党、大都市で圧勝) 

3月6日  政治活動規制者の追加解除 (金大中、金泳三、金鍾泌ら) 政治活動規制を解除。赦免・復権はならず。政治活動上の制限は続く。

19日 民主化推進協議会共同議長に就任。

この年、「行動する良心」(英語版)刊行

86年

4月10日  54回目の自宅軟禁

13日  全大統領「改憲論議」禁止の特別談話を発表

5月 1日 統1民主党結成、総裁に金泳三 

27日 「民主憲法獲得国民運動本部」結成。統1民主党と在野団体改憲闘争が本格化 

6月10日 民正党全党大会で大統領候補に盧泰愚代表を選出 
「改憲論議禁止の撤廃・独裁打倒」デモ、全国各地で始まる(「6月民衆抗争」) 

25日 長期軟禁解除 

26日 国民運動本部「憲法論議禁止撤廃汎国民平和大行進」を強行 

29日 盧代表、「民主化宣言」を発表 

1987年

7月4日 金泳三民主党総裁と時局対処5項目案を発表

9日 「時局犯」2335人とともに赦免・復権 

8月8日 統1民主党に入党。常任顧問

9日 ノーベル平和賞候補に推薦される

10月28日 大統領選挙に出馬を宣言

11月 1日 平和民主党を結成、総裁に選ばれる 

12月16日 第13回大統領選挙。盧泰愚を選出。金大中候補は27%の得票で落選。

この年、著書『民族の夜明けをむかえて」 (韓国語版)、「平和と民主主義の建設』(英語版、中国語版91年、日本語・韓国語版92年)刊行 

1988年

2月25日 第13代大統領に盧泰愚就任 

4月26日 第13回国会議員選挙、与党民自党が過半数を大きく下まわる惨敗。平民党は70議席で野党第1党となる。国会議員選挙に全国区から立候補し当選。

5月 平民党総裁に再選

6月29日 国会で17年ぶりに代表質問に立つ 

9月17日 第24回オリンピック、ソウルで開催 (10月1日まで) 

12月23日 全前大統領、一族の不正に謝罪し山寺へこもる。

89年

1月末 第5共和国の清算問題で金泳三、金鍾泌各総裁との合意成立 

3月26日 文益煥牧師、平壌訪問で合同捜査本部を設ける

(6月26日、平民党の徐敬元議員の訪北がわかり、金大中総裁の貴任が問題となる)

12月9日 「ベルリンの壁」崩壊。
この年、「金大中著作集』(全12巻、韓国語版)刊行 

90年

1月22日 与党民主党と野党民主党、共和党の合同を発表(民主自由党を結成)

10月 8日 国家保安司令部の国会議員、民間人を対象とする極秘調査実施が発覚。
軍の中立と地方自治の実施を求めてハンス ト (10月1日まで) 

この年、講演集「この国の未来を考える」 (韓国語版)、著書「国際政治、私の見方」(英語版)刊行 

91年

4月 平民党(金大中総裁)、在野の「新民主連合党」と合同して新民党を結成

9月 韓国と朝鮮民主主義人民共和国、国連に同時加盟 

新民党、民主党と合党。党名は民主党とな る。李基沢とともに共同代表、4年ぶりに野党が1本化する。

この年、講演集「正義と平和の名のもとに」 (英語版)、講演集「歴史は今も進む』(韓国語版)刊行

92年

3月24日 第14回国会議員選挙全国区から立候補して当選 

4月 国立モスクワ大学終身名誉教授に選ばれる

5月 平民党全党大会で大統領候補に選出 

8月24日 韓国と中国が国交を樹立。 

9月 ワシントンのアメリカ・カソリック大学から名誉法学博士号を授与される 

12月18日 大統領選挙、43%の得票を獲得した金泳三候補が当選。 金大中候補は34%を得たが落選する。 

19日 政界引退を声明

この年、著書『世界第8位の経済大国にな る道」(韓国語版)、講演集「愛する若者のために」(韓国語版)刊行 

1993年

ケンブリッジ大学、クレア・ホール客員研究員として招かれ、渡英 (6月末まで) 

2月25日 第14代大統領に金泳三就任

8月13日 生還20周年記念会開く 

94年

1月 5日 アジア・太平洋平和財団を創立、理事長となる。 

6月18日 カーター米特使、金日成主席と首脳会談 

7月8日 朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席死去 

9月 平和財団主催のアジア・太平洋平和アカデミーを開く。70人の学生が受講 

12月 平和財団主催の第1回アジア・太平洋地域の民主主義指導者会議開催。
アキノ、アリアスの両前大統領などが出席。

95年

3月 拉致事件以来22年ぶりの訪日を決定。



8月6日土曜日、すでにかなり具合は悪くなっていたが、まだロキソニン単剤でしのげていた。石狩川中域の田園都市、深川に行ってきた。同僚医師の福山先生が、ヒロシマ原爆をテーマにした陶器の展示会を開き、お誘いのはがきを頂いたのである。
すみません。やたらとまえがきが長くなるが御辛抱のほどを。
天気は最高で気分は晴れやかで、「ヨシ行くぞ!」と家を飛び出したのは良かったのだが、岩見沢あたりから怪しくなってきて、高速道路の運転が辛くなってきたのである。仕方がないので美唄で降りて一般道路をトロトロと行くことにした。深川についてのはもうそろそろお昼という時分、陶芸展を見てもまったく集中しない。
早々に退散して休める場所を探した。少し札幌に戻ったところに文化ホールがあって、資料の展示もあるとのことで立ち回ったのだが、そこのロビーで思わず夢中になってしまった。
なんと、文化ホールに同居する深川市立図書館による、段ボール箱が15個ほど並べられ、除籍図書の頒布会が開催されていたのである。20冊ほどが詰め込まれた段ボール箱が15個ほど並べられている、ただそれだけのスペース。私の他に誰一人いない。
現金なもので、ただだと聞いた途端に元気が湧いてきて、約1時間ほどの立ち読みを行った。誰もいないから、誰に断ることもなくそのまま持ってきてしまったが、いま考えればあれは深川市民のための開放なので、いくらかカンパは置いて来るべきだったかもしれない。

というわけで「持ってきちゃった」のがこの本、
表紙

日本放送出版協会の発行で、1995年の発刊、まだ大統領になる前の浪人時代のものだ。内容はNHKの記者が金大中にロングインタビューを行ったのをまとめたものだ。
無冠の覇者であるがゆえに、相当踏み込んだ発言もしているが、それだけに序文代わりに付けられた「日本の読者の皆さんへ」という文章はきわめて迫力がある。
1ページ版ほどの短い文章なので、そのまま紹介する。嫌韓攻撃で傷つけられた日韓関係を歴史的な経緯もふくめどう扱うかの手本になるような文章だ。特にNHK関係者には、安倍・中川の狂信的右翼が公共放送を土足で踏みにじる前の、真っ当な雰囲気を知っていただきたいと思う。

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日本の読者のみなさんへ

私は一九九三年五月にイギリスのオックスフォード大学で講演する機会があ りました。数百人の聴衆のなかには相当数の日本人の先生方や学生もまじって おられました。私はおもに核問題について、朝鮮民主主義人民共和国とアメリ カを中心に話を進めました。

講演が終わって質疑応答に入ったとき、日本人のある学生が問題を提起しました。
「第二次大戦が終わってもう五〇年近くになる。それなのに韓国はいつ までも過去にこだわって、その恨みから抜け出せない。日本との本当の和解に 応じているとは思えない。その一例に日本の映画もまだ受け入れていないとい う。過去にイギリスやフランスの植民地だった国々はいま、みな前の宗主国と 仲良く協力している。なぜ韓国だけがそういう態度を崩さないのか」という趣 旨でした。

私はこう答えました。
それでは、あなたの言うとおり、イギリスやフランス と日本が、おのおの植民地でやったことを比較してみよう。
イギリスやフラン スは植民地の人々にみずからの姓を自分たちの方式に変えろ、と命じたことがあっただろうか。植民地の国民に自分たちの言葉を使うな、歴史を学ぶな、な どという文化抹殺、あるいは民族抹殺の政策をとったことがあっただろうか。
イギリスやフランスが植民地へ行って徴兵や徴用のため若い人たちを連行する、 はなはだしくは兵隊の慰安のために若い女性を連れていく、そんなことをしたことがあっただろうか。
こういう悲惨な体験をした人々がどれほど深い傷を残 しているか、あなたがたは想像してみたことがあるだろうか。
戦後処理の問題でも、日本とドイツを比較してみることができる。
両国は同じように戦争犯罪国家として戦後の処理にあたったが、ドイツのとった態度と 日本のとった態度はまったく対照的だった。
ドイツ人は戦後、過去の事実に対 して徹底的に反省し、謝罪した。ドイツ人はその過去を忘れることがないよう に、いまでは子供のときから十分に教育を施している。ドイツは被害者や被害 国家に対して十分な賠償をしてきただけではなく、戦争に負けたことを「敗 戦」と言い、戦後ドイツに駐屯した連合軍を「占領軍」として受け入れた。
し かし、同じ事態に対する日本の態度がまったく違っていることはあなたがよくご存知だと思う。
私たちはこのことの恨みをいつまでも忘れない、そう言うつ もりは毛頭ない。ただ、いまの日本は過去と基本的に変わっていないのではな いか。なぜドイツがとったような態度がとれないのか。それを心配している。
日本はいま、世界でいちばん強い国のひとつになった。その強い国が過去に対して心からの反省をしていないならば、過去の被害者はいつまでも過去のこと を思い出さざるをえない。そして憂いを禁じえないのは当然だと思う。
私はこのように話しました。

講演会が終わったあと、件の学生と、そして幾人かの日本人の先生が私のと ころに来られました。その学生は「私はあなたのおっしゃったことに気づかな かった。目が覚めた気持だ。日本に帰ったら、みんなにわれわれのとる正しい 道を話したいと思う」、そう言ってくれました。
私はとても嬉しく思いました。 日本と韓国の間の問題は解決されないはずはない。わかりさえすれば相互理解 と友好の道は出てくるのだということを、強く感じました。

私は94年11月に中国に行ったとき、中国のナンバー4の地位にある李瑞環政治協商会議主席をはじめ、党や政府の幹部の方たちと会いました。
中国の要人の人たちは一様に、日本に対して強い不満と警戒の念を表していました。 私はその人たちにこう言いました。
私の経験では、日本人は反省しないのではなく、反省するための正しい歴史の教育を受けていない。過去をよくわかっていないのだ。
問題は、日本人が正しい歴史の事実を認識すること、それ自体が重要だと思わなければならない。その意味で日本と韓国と中国の学者が、歴史的事実に即して、過去に日本が行なった事実は何であったかということを共同研究する必要が絶対にあると思う。そうしないかぎり、お互いに相手を責めたり抗議したりしても結論は出ない。
私は1965年の日韓会談のとき、自分で言うのもなんですが、私なりの役割を果たしたと自負しています。そのとき野党は国民の素朴な感情を利用して 日韓会談自体を売国行為として罵り、全面的に反対しました。
しかし私は断固として主張しました。
われわれは屈辱的な日韓会談をしてはいけない。いま の政府のやり方ではそうなりかねない。だからそれに反対すべきなのであって、 日韓の国交正常化自体に反対してはいけない。それは世界の大勢にもとるだけ でなく、国家の利益にも反することだ。
私はそのためにきびしい政治的迫害 を受けましたが、最後まで自分の意見を変えませんでした。いまでも私のとっ た態度は正しかったと確信しています。
日本と韓国が本当に密接な友好国家となることは、両国民のために絶対的に必要なのです。残念ながら、過去に見せてきた日韓両国家間の癒着的な関係はけっして真の協力ではありません。私は国交正常化以来、声を大にしてそれを叫んできましたが、効果はありませんでした。
私がいまでもはっきり確信して いるのは、国民レベルの理解と協力なしに、本当の日韓関係の正常化はありえ ないということです。しかし、そのためには、私たちは冷静に過去の歴史を検討して、それをふまえた新しい日韓関係を作っていかなければならないと思 います。私たちは歴史の傷を克服しながら未来志向的に対応すべきです。
日本にとって韓国との友好関係の確立は、日本が世界国家として指導的立場に立つためには絶対に必要なことだと思います。隣国、しかも過去に被害を与えたその隣国と友好が保てないのに、どうして世界全体と友好を深め、さらに 世界全体の平和と友好に指導的役割を果たすことができるでしょうか。
同時に 韓国は日本との本当の友好・協力があってこそ、自国の安定と発展を得ること ができ、そして近い将来の朝鮮半島の統一にあたっても効果的に推進していくことができると思います。

私は国交正常化のときに政治生命を賭けながら、日韓両国の本当の友好のために微力を尽くしたことをいま改めて思い出しています。その初心を忘れず、 以後一貫して主張してきた両国の国民的理解と協力のために今後も努力するつ もりです。

1993年の秋、NHKが私へのインタビューを構成して「金大中、日本への自叙伝」という番組を四夜にわたって放映したことをみなさんは覚えておられると思います。それは1600万の人々の注目を集め、大きな成功をおさめ たシリーズであったと聞いています。日本のみなさんへの私の思いをNHKが シリーズで取りあげてくださったことは、韓国と日本の相互理解に貢献したの ではないかと思っています。
特に韓国の 1945年の解放以降の現代史を、私なりの見方で書きました。日本の読者の みなさんが、この本を、いままで持っていた韓国に対する認識とは別の現実を 知る一助としてくだされば幸いです。

1995年の陽春を迎えて
金大中

赤旗の台湾報道は、事実上中国の軍事作戦による脅迫という問題にすり替えられた。
ペロシ訪台の持つ意味はほとんど問われなかった。しかしASEANではこの話題はウクライナ以上に深刻に受け止められた。
中国の人権問題や海洋進出の問題はありつつも、いま最も怖いのは米国の野放図な挑発作戦である。
いったいどこまで米国は対中、対露制裁路線をエスカレートさせるのか、日本はどう対処すべきなのか、いまこそ真剣に考えなければならないときだ。及ばずながら、この間の日経新聞などから情報を抜き出してみたい。


8月3日(水)

突然の知らせ

突如、ペロシ訪台の情報が飛び出す。第一報は一面トップ下。なんと台北からの情報で、龍元特派員からの入電。書き出しがすごい。

「ペロシ議長が2日夜にも台湾を訪問する」
いいですか、これは3日の朝刊だ。みんながこれを読む頃には、もう台北入りして、シャワーでも浴びているわけだ。
そしてこの日の日中には蔡総統と会談する予定となっている。

報道各社は完全に不意打ちを食らった。
「2日夜にも台湾を訪問する」というのは、両国政府筋の発表ではなく、「世界の航空機を追跡しているフライトレコーダー24」というサイトの情報らしい。
これで調べたら、それらしき米軍機が、2日午後にクアラルンプールを出発し、南シナ海を迂回してフィリピン諸島の東側まで回り込んだ。そこから北上して台北に入った、らしい。
到着を確認してから台湾の複数メディアに情報を流したという経過のようである。いかにも陰謀めいている。
ペロシの[航路


中国側の動向

実は10日ほど前からペロシ訪台の情報は流れていて、バイデンも困惑していた。特に神経を尖らせたのは大統領継承順位3位という序列の重さである。序列を重んじる中国はこれに苛立った。

王毅外相は、2日のクアラルンプール出発直前にあらためて、「一つの中国原則は核心中の核心的利益であり、超えてはならないレッドラインだ」と語った。さらに7月28日の米中首脳電話協議で習近平は「火遊びは身を焦がす」と警告していた。

ただ注意しておきたいのは、当初は訪台を「火遊び」と見るほどに中国側にも余裕はあったように見えることだ。2日から3日にかけては各種の対抗措置が取られたが、このときは軍事作戦の発動については触れられていない。

とすればこの隠密行動が軍や党関係の怒りを爆発させたのかも知れない。(金曜日にはこの観測が誤りだったことがわかった)

3日付 3面

ここには解説記事が載っているが、急場しのぎの感もある。

中国側から見て、台湾問題が中国の「譲れぬ一線」であり、ことあれば一触即発の危機をはらんでいることが強調される。

そこに「火遊びおばさん」が介入し、世界第二の大国の顔に泥を塗りつけたわけだから、ただでは済まないはずだ。しかしこのおばさん、「ただではすまない」ということの意味がわからないらしい。

逆に米国内の事情を考えると、もう一つの難しさがある。政府・民主党にとって中間選挙を控えた情勢はきわめて厳しいものがある。任期切れ寸前となった下院議長には、一度上げた手を下げることの難しさが迫る。それを断念させるほどの力はバイデンにはない。総じて言えることは、米国側の手前勝手な理由による「安易な発想、過激な行動」だ。

ただGDPで見る限り、もはや米国が意のままに振る舞える時代ではない、そのことを米国が認識していないこと、を考えなければならない。

ある意味、歴史のとば口に我々は立っているのかも知れない。ウクライナ情勢は、アメリカや西欧諸国の考えた方向には向かっていない。「驕る平家は久しからず」の流れが見えてきた感もある。


米NSC高官の描いたシナリオ

急場しのぎとはいえ、さすがは日経、大事な情報を突っ込んである。それが米国家安全保障会議(NSC)の高官の分析だ。

それによると、中国はペロシが訪台した場合、数日間またはそれよりも長期間にわたって、さらなる対抗措置を講じようとしている。

具体的なシナリオとしては
① 台湾海峡や台湾周辺へのミサイル発射
② 台湾の防空識別圏への大規模侵入
③ 台湾海峡の「中間線」の突破
④ 公開された大規模軍事演習
⑤ 経済・外交措置
があげられる。

これに備えて米軍は、沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ「第一列島線」近くに空母ロナルド・レーガンを中心とする打撃群を配備。ハワイで空母エイブラハム・リンカーンを待機させる。これは米海軍協会からの情報。

さらに中国の軍事関係筋の情報として、「米国本土まで射程に収めるICBM」そして地下サイロ方式、多弾頭方式も実用段階に近づいていると書いている。




8月4日(木)

この日は日経新聞が全紙をあげての取り組みだ。1面トップ記事は紙面下の広告までぶっ通し。
さらに2,3,13面に関連記事が満載される。このような紙面を組めるのは日本では日経だけだろう。

1面の見出しはトップが
米下院議長「米台は団結」
で蔡総統との会談の模様を報道。
わき見出しは
中国、囲み軍事演習
で、こちらは羽田・北京駐在員の署名記事となっっている。

ペロシのファイティングポーズ

まずはペロシの動向から
2日夜に台北到着。あえて1泊することで、他のアジア諸国との「同格」扱いを示す配慮。
ペロシは台湾の民主主義を支える決意を表明、会談後の記者会見では一つの中国は尊重するが、台湾の安保への関与を放棄しないと語る。
この日の夜にはソウルへ移動する。

それだけのことなら、わざわざ訪問する理由はない。米国内向けとするならば、その意味は決意の固さ、「武力介入も辞さないぞ」というファイティングポーズであり、「ウクライナになるぞ」という威嚇であろう。


中国軍軍事演習の骨格

記事の後半は中国側の反応。大規模な軍事演習を4日から7日まで行うと発表した。

中国軍手持ちの3隻の空母が一斉に演習海域に出動した。日本に隣接する尖閣、宮古島、沖縄本島周囲へフリゲート艦、ミサイル駆逐艦が出張ってきている。

中には台湾本島からの距離がわずか20キロの範囲まで含まれる。当然防空識別圏内まで入ることになる。「やれるもんならやってみろ」の世界だ。しかも演習エリア内への船舶、航空機の侵入は禁止されているから、一時的な占領状態といっても過言ではない。


ペロシ=岸田会談の行方

1面にはもう一つの記事が掲載された。「首相と会談、明日で調整」一段見出しで、わずか10行。

この記事で驚くのは、ペロシが台湾で会談を行い、まもなく日本に向かうという段(4日号の最終版締切は、おそらく3日深夜)になって、まだ会見するかしないかも決まっていないということだ。

しかも一つの中国を否定するかのような非常に挑発的な訪問で、中国がカンカンになっているイシューだ。日中間の政経分離の原則に抵触する可能性もある。

訪問は受け入れるとしても、韓国のように「会わない方が良い」という判断にはならなかったのだろうか。

下院議長が来るのなら、こちらも国会議長で対応すればよい。政府としての応対が必要ならギリギリ、麻生氏で勘弁してもらう道はなかったのか。


沖縄を軸とする米日軍事同盟の展開

2面の記事は、日本側対応のもっとも核心となる事項についての情報だ。

主見出しは 軍事的緊張高まる
わき見出しが3本。
米軍、厳戒態勢に
嘉手納基地に給油機集結
日本も監視強化
これを見ただけで情勢がただならぬものであることに気づく。

嘉手納基地には所属先不明の空中給油機22機が集中し、F15戦闘機も離着陸を繰り返している。これらはペロシの移動を警戒・擁護するための動きとみられる。

昨日のマレーシアから台北への隠密移動作戦、そして台北からの軍用機による移動…

何かことあれば、直ちに沖縄を巻き込む戦闘態勢に入ることになるだろう。


正論だが力不足の社説

2面には 社説が掲載されている。

見出しは「米中は台湾めぐる危機管理の構築急げ」

たしかに問題の肝心のところはそこにある。しかし一言で言って、正論だが力不足だ。おそらく社論が統一されているとは言えないからだろう。すくなくとも「米中」ではなく「米国は」と書くべきではないか。しかし今の米国にそれを望むのは無理かもしれない。

今回の事件は、そのくらい一方的で、危機管理もへったくれもない思いつきの冒険行動だ。この世界から米国がいなくなれば、いかに安全で住みよい世界になるだろうか。

とはいえ、危機管理の仕掛けは両国で交渉して作っていく話だから、中国も話し合いには積極的に関わる必要がある。


米中の内部事情

3面は「米中、退路なき対立」と題され両国の内部事情が探られている。
それぞれ現地に駐留する支局長が書いているのだが、中国総支局長の記事は事の本質を外しており、ほぼ無内容だ。このポストは中国(政府ではなく)が好きかどうかで成果が決まる。この人はだめだ。

中国の政治関係は党、軍、政府の3極構造のなかで描き出さなければならない。私の経験だが、中国はさまざまな考えが、さまざまな発言や論文の形で表明される。それらを読み込んでいかないと流れは見えてこない。
その視点がない記事は、その気がない結果であり、読むだけ無駄である。

米国の内幕は坂口特派員が書いている。これは非常に大事な記事だ。

バイデンはウクライナ以降、強硬路線を強めている。台湾についても同様だ。それは11月の中間選挙までは続くだろう。

ただし台湾政策と対中国政策は完全な裏表ではない。「一つの中国」は維持される。歴代政権の台湾政策を維持すると繰り返している。

バイデンはペロシ訪台について「米軍はいい考えだと思っていない」と指摘したことがある。ペロシのような民主党主流派の強硬化は、共和党に煽られたものだ。2日、ペロシの訪台に関し、共和党の上院議員26人がペロシを支持する共同声明を発している。

いま上院の超党派議員は「台湾政策法案」を作成している。これは台湾の武器購入や軍事演習へ4年間で45億ドル規模を支援しようというものである。

さらに恐ろしいのは、台湾を「主要な非NATO同盟国」に指定しようとしていることである。この法律では「中国人民解放軍による侵略行為を抑制するのに役立つ武器」の援助も可能にする。独立国ではないがゆえに、防衛への関与については保留されているが、要するに台湾のウクライナ化である。


秋田浩之「長い覇権争いの始まり」

米中それぞれの事情を評価した上でで、国際部のトップがこの紛争の先行きを占っている。

まず最初に読者に長期戦の覚悟を促す。両国が争っているのは世界秩序の主導権であり、緊張は10年、20年の単位で続くだろう。その上で、このような長期戦においては米国の「対中国観」というものが鍵を握るとし、その変化を跡付ける。

トランプが対中攻撃を始めたころ、最初は軍拡、人権抑圧などの批判が中心だった。新型コロナの感染に伴い、言論の自由を認めない共産党の「隠蔽体質」への批判も聞かれるようになった。いま米国の警戒は中国が米欧の作り上げた秩序の変更を試みているという考えに発展している。

台湾海峡の緊張は秩序観(イデオロギー)の争いの延長線上にある。これはかつての冷戦思想に近い。だから解決は難しい。

ということで、米国がそういう発想に陥っていけばという前提付きで、秋田氏自身が冷戦思考にはまり、思考停止に陥っていく。明らかにしなければならないのはまさにその逆、20世紀の冷戦とどこがどう違うのか(米国が同一視するにも関わらず)ということなのだ。

これが編集トップの思考である。組織はどうも上に行くほど悪くなるようだ。


中台関係 台湾は中国から自立できるのか

続いて13面 こちらは経済面から中台関係を分析している。

主見出しは 「中国の圧力、台湾経済に影」
わき見出しは3本並ぶ
*対抗措置、はや強化
*果物や魚類の輸入停止
*過度の対中依存足かせ

果物や魚類の輸入停止は3日より発動した。これは蔡英文与党の民進党の強力な地盤である台湾南部への打撃となる。

これはほんの一例で、中国は台湾の輸出の4割、輸入の2割を占める。

数字以上に影響が大きいのは台湾の成長を担う部門における対中依存である。とくに台湾が得意とする半導体やサーバーの多くは中国に輸出さている。中国がこれらの貿易に制限をかければ台湾は即死する。

それを支えるだけの経済力は米国にはない。これはウクライナ制裁におけるEU諸国の悩みと共通だ。


台湾の抱える軍事的リスク

その下の記事。識者の見方という囲みで三人が意見を寄せている。その中で、米国の軍事専門家ヤコブ・ストークス氏は、今回の演習海域に台湾の領海が含まれていることを注目している。

「中国軍が領海に入れば、台湾軍は(そのたびごとに)軍事的に対処すべきかどうかを迫られる」
(このような行動は往々にして繰り返され、エスカレートすることがある)
その時、台湾軍に十分な情報が伝えられないと、「誤解や急速な緊張拡大につながる」危険がある。

この累積リスクの問題はまことに深刻であり、リアルポリティクの立場からして、中台の緊張効果は台湾にとって一つも良いことはない。


8月5日(金)

軍事演習の開始

紙面的にはこれから大規模な報道が始まるのだが、政治的展開はすでに終了している。中国軍のあれこれの示威行動を眺めるのは趣味ではない。
むしろ、この日始まるASEAN外相会議の方に注目が集まる。

この日の一面トップは「中国、台湾沖にミサイル」
わき見出しが
1.日本のEEZ5発落下
2.日中外相会談は中止
の二本で、最大のサプライズは言うまでもなく3本目だ。

日中外相会談はいかに中止されたか

記事ではこのような経過だ。
perosi_kisida

日中両政府は4日に予定していた外相会談を見送ると決めた。
この書き方はMOFAの精一杯の表現だろう。現実はもっと厳しいものだ。
中国側が中止を通告した。中止の理由は「中国の軍事圧力に懸念を表明したG7外相の共同声明に加わったから」ということになっている。いわば7分の1の責任だ。

しかし中国外務省の報道官の会見ではもう一つの理由が付け加えられた。
それが「台湾問題で歴史的な罪を背負っている」というもの。
歴史的事実の評価は別として、100年前の古証文を会談2時間前の突如の中止通告の理由にするのは理不尽かつ無礼だ。


軍国主義を鼓吹する吉野直也政治部長

4面(政治・外交面)では事件の背景を軍事的側面から解説している。
この記事は日本経済新聞のもう一つの側面、一大パトロンである軍産複合体の代弁者としての側面が露骨に出ているといえる。

トップが吉野直也政治部長の署名記事。

見出しが「日本、乏しい自衛の意識」とくれば、読まなくても察しはつく。「世論に通底するのは自国を自分たちで守るという意識の乏しさだ」というのがこの人の基本認識である。

「日本人がウクライナ人を見習えば、平和は守られる」というのか、「日本人は中国とのチキンレースに参加せよ」と呼びかけるのか。少なくとも今、この期に及んでしゃべる話ではない。

隣が元米国国防省高官とのインタビュー記事。こちらの見出しはもっとどぎつい。
日本の防衛費『3倍に』」と目を疑う。おそらくこれも吉野直也部長の肝煎り記事であろう。


闊達な大越ワシントン支局長

これに対して11面(国際面)の報道は闊達である。北朝鮮の内幕報道が紙面の大半を占めるが、下半に地味に、ワシントン駐在の大越支局長の署名解説。

見出しは「米側、戦略欠く一手」
サブ見出しが 「『信念』基づく行動、両国翻弄」
たしかに的を得たものだ。

*ペロシ氏の台湾訪問はバイデン政権が意図したものとは言えず、戦略を欠く。信念の人としての個人のエゴが先走った。
*米政権は与党内の一政治家の「信念」に基づく行動を持て余している。三権分立のなかで下院議長の行動を制約することはできない。
*ホワイトハウスはペロシの台湾訪問計画を承知していたが制御できなかった。28日の米中両首脳の電話協議で誤解を回避しようと図ったが失敗した。
*意図せざる騒動は、台湾や日本の備えが追いつかぬうちに米中間の危機が現実となる危険性を象徴する出来事となった。


ブリンケンがみずからリーク

この記事の隣に、いわばその解説として「米長官、7月に通告…中国、織り込み首脳協議か」という記事が載せられている。

これはニューヨーク・タイムズの記事の紹介である。ブリンケンが直接ニューヨーク・タイムズの記者に語ったものとされる。

これによると、ブリンケン国務長官はバリ島で王毅外相と会談。ペロシ訪台についての政府見解を述べた。「台湾に行くかどうか最終的に決めるのはペロシ氏で、その権利は彼女にある」という内容だ。

このとき中国側は受け入れを示唆した。(とブリンケンは感じた、なぜならその話を織り込んだ上で両首脳の電話協議が実現したからである)

そこで、ブリンケンの示唆を受けたバイデンは、20日の記者会見で「米軍は(訪台を)良い考えだとは思っていない」と明かした。そして28日の直接電話協議で、バイデンは習近平に「ペロシ氏を制御できず、彼女が決断する権利を尊重する」との意向を伝えた。いわば惻隠の情を求めたことになる。

ワシントン支局の範疇を超えるので、大越支局長は直接指摘はしないが、中国側も「盛大な礼砲」で答えたことになる。

バイデンは共和党を含む人権派に配慮し、習近平は人民解放軍に配慮したわけだ。

そこで支局長の書いた最後のポイントが効いてくる。

*意図せざる騒動は、台湾や日本の備えが追いつかぬうちに、米中間の危機が現実となる危険性を象徴する出来事となった。

何度もこの手は効かないよ!


ASEAN外相会議の紹介

そして11面最後の記事がASEAN外相会議だ。最下段の4段記事で、こんな扱いで良いのかなと思わずつぶやいてしまう。

たしかにASEAN外相会議というだけなら、そのままスルーしても良いくらいの格づけだが、今度ばかりは全く違う。

まずG20を前にASEAN中核国のインドネシアが議長国としてウクライナ問題解決に動いている。ASEANの外交実力が試されている時期である。

そして会議の直前に台湾をめぐる緊張が一気に激化した。これを米中の問題ではなく東アジアの問題としてどう捉えるか、ブリンケンも王毅もラブロフも来るという状況のもとで注目の的となる。

この外相会議の模様が急ぎ足で語られる。このままでは読みにくいのでコマ落とし解説する。

プノンペンの外相会議に、ペロシ訪台と中国の強硬反応の知らせが飛び込んできた。4日は各国外相にとってとんでもない日になった。

一日に4つもの重要会議が入ったためだ。

1.本来のASEAN外相会議
ここでは台湾問題での共同声明が発せられた。
日経の大西特派員のまとめによると
*台湾はASEANに隣接する重要な地域であり重大な影響を受ける。他人事ではない。
*現下の台湾情勢は、僅かな出来事も予測不可能な結果を招く危険があることを示している。米中は最大限の自制を保つべきだ。
*ASEANは引き続き「一つの中国」の原則を支持しており、そのもとでの平和的な対話を促す役割を演じたい。

2.ASEAN・中国会談
王毅外相は、「すべての当事者は台湾海峡の平和を共同で維持する必要がある」と訴えた。(随分控えめだ)

3.ASEANとブリンケンの会談
ブリンケンは「台湾の現状を変更しようとするいかなる一方的な試みにも反対する」と述べた。まるでペロシを批判しているようだ。

4.ASEANとラブロフの会談
ミャンマー問題もふくめ内容は不明。

中身の説明はほとんどない記事だが。意外に平穏に経過した様子と、大西記者の息切れぶりは伝わってくる。


8月6日(土)

5日までの報道であらかたの情報は出てきて、後は中国が何発発射したか、何隻が侵犯したかというたぐいの情報になってくる。

1面トップはそんな中身なので省略。

日本の対中外交 岐路に

3面 トップは日本外交の直面する壁を描き出した。

主見出しは「日本の対中外交 岐路に」
わき見出しは1本めが「習政権硬化『日本はG7側に』」
2本目が「政経使い分け通じず」
3本目が「国交50年控え暗礁」

今回の一連の騒動のなかで、最大の変化はおそらく、連打されたこれらの見出しだろう。風が吹けば桶屋が儲かるではないが、ペロシが踊って日本が割を食ったという構図だ。

ペロシ訪台→大規模演習は半ば出来レースだった感もあるが、ドサクサのなかで、中国ははっきりと日本を敵と考えるポジションを打ち出した可能性がある。

それを伺わせるいくつかのサインを日経は取り出してみせる。

*4日午前 中国が外相会議中止を通告。日経によれば、「中国は岸田首相がペロシと面会するかどうかを見極めていた」という。

*4日昼 ASEAN+3外相会議。王毅外相が「台湾の現状は日本に歴史的な責任がある」と発言。

*4日午後の軍事演習で、弾道ミサイルを日本のEEZに打ち込む。(ただし中国はEEZについて日本の主張を認めていない)

とばっちり的な感じもするが、要するに問答無用なのだから、承る他ない。

* 中国外務省の記者会見「日本はG7やEUと結託し、中国を理不尽に非難する共同声明を発表した」と非難。

これもとばっちりとしか思えない。それなりの背景もあるし、これは向こう側の考えだから仕方ない。

とにかく、あれよあれよという間の出来事だ。日本側にはまったく対処の暇はない。

それは自業自得という面もある。吉野政治部長の「日本、乏しい自衛の意識」という国際意識、歴史意識の欠如が日本政治の主流を覆っている限り、仕方ない。

ある意味ではこれがもっとも深刻である。


ダメ押しとなったペロシ・岸田会談

8月4日の数時間のうちに日本は圧倒的に追い込まれてしまった。

そして5日、ペロシを迎えて岸田首相は1時間近くの会談を持った。失点を取り返す唯一のチャンスだった。
しかし実行したのは、非首脳のきわめて政治臭の強い訪問に対する、異例かつ最大級の歓迎である。
その後の会見では「台湾海峡の平和と安定を維持するため、日米で緊密に連携していくことを確認した」と発言した。

いわばペロシの行動にお墨付きを与えたことになる。それはバイデン・ブリンケンでさえ行わなかった親米・反中発言である。

日経新聞はこう書いている。
「いままでは中国側も日米分断を誘発しようと、経済面で日本に秋波を送ってきた側面がある。中国が日米を一体とみなすようになれば、安保と経済を使い分ける日本の従来の手法も通じなくなる」

「日本外交はG7の一員でありアジアの一員でもある立場を活かしてきたが、それだけでは国際社会で役割を果たせなくなる恐れがある。外交をいかに主体的に展開するかが、日本の選択肢を狭めない道となる」

…………………………………………………………………………………………………………

以上、木・金・土のわずか三日間の日経新聞の切り抜きだ。

こんなに長くなるとは思わなかった。読みながらタイプ起こしするのに3日間かかった。しかしそれだけの内容はあった。努力の一端を皆さんにも御披露したい。

本質は「人権おばさんの火遊び」でバイデン政権がきりきり舞いさせられた、ということだ。そしてもう一つはこれを利用して中国が仕切り線の修正を図ったことだ。そして米国もとりあえずはそれを受け入れざるを得ないということだ。

そして副産物として、日本が中国から見て仮想敵国となったことだ。そしてASEAN諸国が南沙問題と台湾問題を分離し、後者について完全中立のポジションに移行したことだ。後は、すべて凍結して中間選挙まではこのまま行くことになる。

中国軍の大軍事演習の間、米政府と軍は煮えたぎるような屈辱感に苛まされていたことであろう。世界の覇者たる米国が、防衛を誓った台湾の面前で、中国の跳梁を見ながら手も足も出せない。

ウクライナ戦争ではNATOの盟主として西欧諸国を支えなければならない。しかしその信頼性は大きくゆらぎつつある。非同盟諸国やアフリカ諸国は明らかに米国一辺倒の政治から立ち去りつつある。

このような状況のもとで中国というもう一つの正面を戦う力は到底ない。米国の力の限界が露呈しつつある。そのような状況のもとで、足元では国民が雪崩を打って共和党へと動こうとしている。

中間選挙で民主党が議会の支持を失えば、米国は手詰まりとなり、その結果として一層過激化するおそれがある。そのとき日本はそこについていくのだろうか? 

台湾とは別に、わかったことがある。それは政府と民衆の間に差があるように、新聞にも政治部と国際部の間に断絶とも呼べるような価値観の差があることだ。(もちろん営業部との間には天と地ほどの開きがある。それは紙面下の書籍広告を見れば一目瞭然だ)

それはそれとして悪いことではない。むしろ民主主義の健全性を示す一つの指標なのかもしれない。

ペロシ下院議長訪台に関する赤旗報道

 
いつまでも評価記事が載らないので、紙面にあたってみた。まずはWeb記事の紹介。以下の2本が相当する。

 

台湾に対する中国の軍事的威嚇の強化に抗議する

2022年8月5日 日本共産党幹部会委員長 志位 和夫

 

一、中国は、米国のペロシ下院議長が台湾を訪問したことへの対抗措置として、2日から台湾近海で軍事演習を開始し、4日には台湾を取り囲む6カ所の海域で実弾演習を行い、日本の排他的経済水域内を含む近海に複数の弾道ミサイルが着弾した。

 わが党は、かねてより「台湾問題の解決のためには、台湾住民の自由に表明された民意を尊重すべきであり、非平和的な手段は断固として排されるべきであって、中国が台湾に軍事的圧力・威嚇を強化していることに、強く反対する」(2021417日の志位談話)と表明してきた。

 この立場から、地域の平和と安定に逆行する、台湾に対する中国の軍事的威嚇の強化に強く抗議し、その中止を求める。

一方、米国が、この間、台湾問題への軍事的関与を強化しており、日本政府が米国に追従する姿勢をとっていることは、台湾問題をめぐって「軍事対軍事」の悪循環に陥る危険をはらんでいる。わが党は、日米両国が、台湾問題に軍事的に関与する方向に進むことにも、断固として反対する。

 

 

202285()

きょうの潮流


 ペロシ米下院議長の台湾電撃訪問が衝撃を与えましたが、これに先立ち、米軍の行動が、かつてなく攻勢的になっています▼共同通信の配信記事によれば、6月下旬から約1週間にわたり、大量の戦闘機が東シナ海を飛行し、一部は日中の中間線を越えて中国本土に接近。さらに今月2日現在、原子力空母や強襲揚陸艦など4隻を台湾近海に配備―▼重大なのは、いずれも在日米軍所属もしくは米本土から日本に一時展開した部隊だということです。まず、戦闘機は岩国基地所属のF35BやFA18、嘉手納所属のF15戦闘機、さらに米本土から岩国に一時展開しているF22戦闘機などです▼さらに艦船は、横須賀基地所属の空母ロナルド・レーガン、イージス艦ヒギンズ、アンティータム、米本土から横須賀などに一時寄港した強襲揚陸艦トリポリです。佐世保には強襲揚陸艦アメリカも控えており、米海軍は相当な戦力を振り向けていることが分かります▼中国は対抗措置として4日から台湾周辺で軍事演習を開始しましたが、その区域に日本の排他的経済水域(EEZ)も含まれており、南西諸島近海に対艦ミサイルを撃ち込む危険もあります。まさに「軍事対軍事」の悪循環です▼これらの動きではっきりしたのは、台湾有事が発生すれば、米軍は日本を拠点に戦争し、この国が戦場と化す危険が増すことです。島国・日本に逃げ場はありません。やるべきは米軍を支援することではなく、何としても戦争を起こさせない。この一点です。

 

ネットで読めるのは上記2本。「潮流」はいい記事だ。以下は古新聞を掘り出しての紙面報道

 

4日 国際面

見出し 米下院議長、訪中決行  25年ぶり、中国は即時抗議

中見出し 軍事的威嚇を中国が本格化

事実報道の他は1.総統との会談でのペロシ発言の引用、2.ペロシのワシントン・ポスト寄稿の引用、3.台湾到着時の空港でのペロシ声明の引用 が行われている。

中国側の発言は「抗議する、報復する」のみで、事態への見解は省略されている。

 

5日は潮流の他に国際面に関連記事が掲載された。
1本目はASEAN議長国カンボジアからの面川誠特派員の記事。

見出しは
予測不能の結果懸念  台湾海峡に関し、台湾海峡に関しASEAN外相が共同声明
内容はASEAN外相の共同声明の紹介。
これはペロシ訪台当日の3日に発表されたもので、この事件を機に激化している米中間の対立を憂慮するものとなっている。箇条書きにしておくと、
1.米中間の対立は深刻であり、「公然とした紛争と予測不能の結果に至りかねない」事態となっている。
2.両者は「挑発的行動の最大限の自制」を行い、国連憲章とTACの原則に基づき平和的な対話を促進すべきである。
3.米中両国はそれぞれの表現をとっているが、
「一つの中国政策」で一致している。ASEAN諸国も同様に「一つの中国政策」を支持する。
4.ASEANは平和的対話を促し、地域の緊張を緩和し、平和を守るための役割を果たしたい。
非常に格調の高い声明だ。


その下には時事通信の配信記事
台湾海峡で軍事演習  中国、米下院議長訪台に反発
一般紙と同じなので内容は省略する。

6日は志位発言を受けて中国の弾道弾発射の記事が満載。記事の見出しを見る限りでは、あたかも中国が突如ミサイルをぶっ放したような印象すら抱かせる。わざわざ引用するほどのこともない。
ペロシ・岸田会談の報道など思わず唸り声を上げてしまうほどだ。
そのなかで、ASEAN外相会議の面川特派員報道が興味をつなぐ。
この日はEAS外相会議で、ブリンケンと王毅の対決。まずブリンケンが「台湾海峡の緊張は中国の軍事的対応によるもので、全く正当化できない」と批判した。
これに対し王毅は「米国こそが緊張を作り出しており、ブリンケン発言は白を黒とと言いくるめるものだ」と反発した。
ブリンケンはミサイル発射について「台湾だけでなく周辺国も脅かすものであり、重大な緊張激化だ」と批判した。
国際面にも面川特派員の署名記事が2本並ぶ。そのうち1本はミャンマー関連。重要な内容を含むがここでは割愛する。もう1本が台湾海峡問題。こちらはASEAN側の代表を務めるインドネシアのルトノ外相とブリンケンの会談と、その後の共同会見を報道している。
残念ながら記事の骨子はさっぱり分からない。ルトノはこう言っている。
「二者択一の考え方でインド太平洋地域にアプローチしてはならない。。協力、戦略的信頼、さらに大事なことは常に国際法を遵守することだ。この方法を強化すること以外に選択肢はない」
ところが、ブリンケンはこれにそのまま賛成した上で、それを守らない中国が悪いと切り替えした。面川記者はそれをそのまま載せたから、事情がわからない人にはちんぷんかんぷんだ。
ルトノが正しければ、ブリンケンは、底抜けの善人か、ごまかしているか、嘘をついていることになる。

7日

本日の赤旗は外相会議も終わり、ペロシもいなくなり、台湾国防部と外交部の発表だけが盛り込まれた時事通信の配信記事が載るのみだ。
見出しは 「台湾攻撃の模擬訓練」  中国の演習に警戒感(国防部)
結局、ペロシの訪台に関する評価は載らずに終わってしまうようだ。

もう一つが、デニー記事の発言だ。
見出しは 中国ミサイル「遺憾」  「冷静な対話を」というもの
これも箇条書きにしておく。
知事は「冷静な対話によって平和の環境を構築していくことこそ、重要な外交の手法だ」とのべ、以下の3点を指摘した。
1.中国の弾道ミサイル発射は住民の命を危険に晒すもので非常に遺憾だ。
2.これは米中の覇権争いであり、それに日本が巻き込まれることは絶対にあってはならない。
3.台湾問題は中国と台湾の関係であり、日本が
必要以上に関与し、必要以上にアメリカ寄りになることは有事への危険性を高めるばかりだ。


あらためて隻眼流志位声明と読み比べると、情けなくなります。

日経新聞の村山宏編集委員が嘆いている。
中国の強硬姿勢がインド太平洋海域の軍拡競争の引き金になってしまった。
オーストラリアとの対立も、どこかで手打ちにしておけば、貿易や安保まで広がることはなかった。
香港の民主化デモでも、穏当な着地を探れば、英国との対立は先鋭化しなかった。
もし中国が米英豪の英語圏と対立するのならば、日本やインドとの関係は良好にしておくべきだった。
しかし中国は領土を巡って強硬な態度を崩さず、両国との関係はむしろ悪化した。
結局これらはすべて、習近平が独裁政治を実現するための必然的な外交手段だったのではないか。
話はここまでで、私としてはまったく同感するものであるが、最後の一行が同意できない。この感想は「習近平の強硬路線」が中国紅軍の主流へのすり寄り路線であることを無視している。

2010年10月、5中全会を受け、馬暁天・副総参謀長が「軍の使命」に関する論文を発表した。彼は「戦略的チャンス期には、強烈な発展の意思が必要だ。そしてするどい戦略的な洞察力が必要とされる」と述べた。
そして、「穏当さを求めることは、何もしないと同じことではない」と強調した。
要するに「行けるときには行け、行けるところまで行け!」ということだ。「牟田口中将も真っ青」のひどいものだ。

後年振り返ることがあるとするなら、馬暁天のこの発言は中国人民軍による政治権力掌握の宣言として記憶に残されることになるだろう。



11日の日経3面に「アリババと政府 緊張なお」という記事が掲載された。

アリババそのものには興味はないが、習近平の締め付けの第一波=党幹部の粛清に続いて、今度は経済界に粛清の波が広がっていくのか?という関心はある。

このたび中国政府がアリババ集団に対して3千億円(日本円換算)の罰金を科した。昨年の第1四半期純利益の12%に当たると言うから、額としては驚くほどのものではない。

問題は罪の中身で、「独占禁止法違反」というものだ。これはまったく政策転換というほかない。これまで政府はアリババを支援して巨大化を促してきた。いわば政府が率先して独禁法破りをしてきたことになる。

さらに独禁法の適応がアリババを狙い撃ちして行われていることも明らかだ。最近、テンセントやバイドゥにも罰金刑が課せられているが、最大でも数千万円にとどまっている。

なぜアリババが習近平に狙い撃ちされたか。日経特派員は3つの理由を上げる。

一つは本業におけるテナント(出店者)への締め付け、つまりは下請けいじめだ。今回の独禁法違反は主にこの点に関わっており、極めてわかりやすい。
だが、日経記者は「これは表向きの理由だ」ととる。

第二は、アントグループの暴走だ。アントはアリババの設立した金融企業である。普通の銀行とは違い直接預金を扱うのではなく、融資を銀行に仲介し手数料を取るという仕掛けになっている。このため銀行法や各種金融関係法令の支配を受けない。

さらにアントが注目されるのは、最大のスマホ決済サービス・「アリペイ」を保有していることだ。これを通じて膨大な庶民キャッシュのフローの主流を把握している。

その「事実上の集金力」は金融業界に大きな影響力を発揮し、ひいては国有銀行を含む既存金融のガバナンスを脅かすものとなっている。

第三の理由は、かなり生臭いが、江沢民を先頭とする上海閥への攻撃という意味合いも持っているとされる。来年の党大会で無期限の終身指導者になることを目指している習近平にとっては、上海閥はぜひとも抜いて置かなければならない棘であろう。

これら3つの理由を考えると、習近平はかなりの決意を持ってアリババ潰しにかかってみるべきだろう。今回の賠償額は少ないが、引き続き第二、第三の矢を放ってくると考えておいたほうが良さそうだ。

日中間の外交関係は、尖閣諸島をはじめ、複雑な懸案を抱えています。
11月末に、「ミスター6ヵ国協議」と呼ばれる王毅外交部長(外相に相当)が訪日し、首相・外相などとの一連の会議が持たれたようです。
日本側は慎重な構えを崩さず、目立った進展はなかったように見えますが、「日中両国が、ともに責任ある大国として、こうした国際社会の諸課題に取り組んで貢献していく」という確認がなされたのは、希望を抱かせるものです。

会談後に発表された「王毅メモ」により、尖閣問題にも解決の糸口が見えてきそうな雰囲気が生まれてきました。そこで編集部で動きをまとめてみました。


Ⅰ.王毅外交部長の訪日の意味

26日、菅義偉首相は訪日中の王毅外交部長の表敬訪問を受けた。日中両国が、ともに責任ある大国として、こうした国際社会の諸課題に取り組んで貢献していくことを確認した。

一連の会談後、王毅外交部長は次のようなメモを発表した。(中国大使館HPより)

「王毅メモ」があげた「六つの具体的成果」のうち関連部分は5項と6項である
5、来月、新たな中日高級事務レベル海洋協議を行い、両国外交主管部門と海上法執行部門間の意思疎通と交流を強化する。
6、年内に両国防衛部門海空連絡メカニズムのホットライン開設を目指し、リスク管理コントロールを一段と強化し、安全保障面の相互信頼を増進する。
上記ニュースに関して、会員の間からいくつかの感想が出されています。

A 尖閣海域での危機管理と漁業問題についても議論がなされたと聞いています。日本のマスコミではほとんど流れてませんが、そこはちゃんとやっているなと思いました。
やはり両国が会わないのではなく、会えばそれだけでも「まし」にはなります。

B たしかに一般報道の論調だと、日本国内の反中国ナショナリズム的な雰囲気と共鳴してしまいそうで、危ないですね。

C 尖閣問題の一連の流れのきっかけは、日中漁業協定を菅直人政権が一方的に放棄したことです。それが、この海域での漁船操業を難しくした側面も無視できません。
そのことは日中友好協会も尖閣問題のブックレットで主張しています。


1.「原状復帰」への道(ブックレットから)

日中漁業協定が97年に調印され、両国の批准を経て2000年に発効している。両国の漁船操業については、この協定が国内法に対し優先する。

この協定では、当該海域は「暫定措置水域」とみなされ、「既存の漁業秩序を守る」ことが約定されている。

これは ①双方が自国の漁船を取り締まる、②相手国漁船に対しては外交ルートで注意喚起する ことを意味する。

尖閣諸島週域の漁船操業問題については、まず日中漁業協定の合意に立ち戻ることが出発点となる。その上で、97年漁業協定の線上に、王毅メモの第5,第6合意の方向での解決が見えてくる。


2.南沙問題解決の方向性

南沙問題は尖閣問題よりはるかに厄介です。

最大の理由は、第一に、利害関係者の間に歴史的経過をふくめて根深い考えの違いが横たわっていることです。第二に、この違いを平和的に解決していこうという気風が、必ずしも生まれているとは言い難いことです。

論理的には国際仲裁法廷の裁定が出発点となるのでしょうが、実際に問題を解決していくための糸口になるか、この点はこれまでの経過から見て少々疑問です。

そこで、日本AALAの国際部員で中国問題専門家の大西広先生は、中国の「共通の庭」提案に注目しています。これは裁定への対応で、「基地化は完了したから、これ以上はやらないよ」という意思表示と考えられます。この原則は王毅外相にも支持されているようです。

「共通の庭」論は2016年8月、中国南海研究院院長の呉士存氏によって提唱されました。肩書きは学者みたいですが、フィリピン大統領特使との会談でこの提案を行った人です。日本でいうと竹中風のヤバい人です。

南シナ海の海域の先住民は「マレー・ポリネシア系住民」です。かれらはボルネオやフィリピンに住むだけでなく、ベトナムや中国にも少数民族として住んでいます。

南シナ海は、このような「マレー・ポリネシア系住民」全体のものであるとすべきだ、というのが「共通の庭」論の骨子のようです。

呉士存はこうした理念に基づき、運命共同体的紐帯のもとに新たな関係を構築していこうと提案しています。そのためには「中国の側も抑制が必要」とまで踏み込んでいます。

複数国の思惑が絡むだけに一筋縄で行く話ではありませんが、ACEAN主導のRCEP成立などを見ると、ASEAN側にも南シナ海問題を踏み絵にはしないという合意が形成されているようです。


シンポ「朝鮮半島の非核化と東アジア平和構築」
が行われ、その要旨が日本AALAの機関紙に掲載された。

主催者の坂本恵先生のまとめをさらにピックアップして紹介する。演者は南基正さん、李俊揆さん、李柄輝さんの三人である。

A 南基正さんの発言 「朝鮮半島の平和形成過程と日韓関係再構築ー2つのプロセスの相互関連」

B 李俊揆さんの発言 「朝鮮半島の平和形成過程と東アジア国際秩序の展望」

C 李柄輝さんの発言 「朝鮮半島情勢の新局面と朝鮮の“正面突破”作戦

これはきわめて注目すべき報告。
なぜかと言うと、朝鮮大学校準教授、在日三世という方の日本語で、正確かつ過不足なく共和国のものの考え方が聞けるまたとない機会だからだ。

AALAがこういう形で北朝鮮の考え方を紹介できるのは、とても良いことだと思う。

ここまでが前書き。

1.はじめに

朝鮮はSea PowerとLand Powerが拮抗する場所だ。周辺はみな大国で、朝鮮民族はいつも大国の間で翻弄されてきた。

国力がなければ朝鮮の自主権は担保できない。これが地政学的な宿命だ。

2.社会主義強国論

16年5月に労働党大会で「社会主義強国」が採択された。国力をつけ自決権を確保することと、社会主義建設とを結びつけた路線。

それまでの「先軍政治」路線をあらため、軍から党へ、国防委員会から国務委員会への転換が行われた。

テクノラートが政権の中枢を担い、生産現場の裁量性や部分的な市場経済の導入も行った。

3.社会主義強国論から「正面突破路線」へ

2ヶ月前の19年12月、労働党中央委員会は「正面突破路線」を打ち出した。

これは社会主義強国路線を排除するのではなくその上に積み上げられた路線である。

社会主義強国路線は経済優先への切り替えを目指す計画であるが、それを対外開放のもとに行おうつぃた。

しかしアメリカは経済封鎖に近い制裁を課し続けている。これに対しあくまでも自力更生を貫きながら、制裁攻撃を正面突破しようとする路線である。

同時に軍事的な脅迫に対しても核開発もふくめて対抗していく。なぜなら、この軍事的包囲体制の打破と、新しい平和体制の実現なくしては、真の経済発展はありえないと覚悟しているからである。

4.核開発に至る歴史的経緯

1953年に停戦協定が結ばれた。そのなかで戦争を再燃させないことが約束された。そのために双方が武器を持込むことが禁止された。

しかし米国は58年に韓国に戦術核を持ち込んだ。共和国では米に対する不信が強まった。その結果、共和国は61年の7月にソ連・中国の核の傘に入った。

その後、ソ連が崩壊し韓中が接近。そしてブッシュが共和国に対し核先制使用を宣言した。

これが共和国が核開発を進めてきた理由である。

だから、それらの脅威をなくさなければ核開発を止めることはできない。そして「停戦体制」を終了させ、解体することが完全な非核化の最大の保障となる。

5.18年の米朝共同声明

共同声明での共和国側の主張は次のようなものである。

① アメリカの核脅迫を停止すること
② 共和国への好戦的敵対関係を停止すること
③ アメリカは「最大限の圧迫と関与」外交を停止すること
④ 誠意をもって交渉に臨み、継続させること

最大の難関は核兵器を「最後の一発まで放棄しなければ制裁は微塵たりとも解除しない」ことに米が固執していることにある。

これに対し、中国、韓国、ロシアは異を唱えているが、日本が3国に同調しないのが隘路になっている。

日本が日朝共同声明の精神に立ち帰り、積極的な役割を果たすよう、支援してもらいたい。

記事の途中に突っ込んだが、別記事として起こしておいたほうが良いと思い、別途上げることにした。いわば記事の解説用の脇コラムだと思ってください。

南基正さんの主張の土台には、「戦場国家」ー「基地国家」という地政学的把握がある。
東アジアは、依然として朝鮮戦争で形成された地政学的状況に規定されており、いわば冷戦体制を引きずっている。

朝鮮戦争において半島の南北は前線国家となり、日本は基地国家となった。これはアメリカから見ての関係であるが、それが日韓両国を関係付けるメカニズムともなっている。

しかしこれは偽りの関係であり、他律的な関係でもある。この歴史付けられた不幸な関係を解きほぐすことが、東アジアの真の協同にとって不可欠な課題である。

これは私の感想だが、昨今の日韓関係論に鑑みて、この基本的視点を握って離さないことの重要性を確認すべきだろうと思う。

あえて誤解を恐れずに言おう。

この基本関係に比べれば、日帝支配や慰安婦・徴用工の問題は過去の関係に過ぎない。それらは歴史問題(の一部)として、時間をかけて相互理解を深めるしかない。

もし前向きに関係改善を図るのなら、非核・平和の構造づくり、アメリカへの従属との決別、中国もふくんだ多国間主義の関係づくりが基本となる。

韓国の自覚的な進歩勢力はすでにそのような認識に到達している。

その際は欧州で独仏の同盟が基軸となったように、日韓の平和友好がキーポイントにならざるを得ない。

日本が東アジアの現実をリアルに地政学的に捉えるならば、日韓が連帯し、中国・北朝鮮と一定の緊張をはらみながらも共存・共栄を図るという道すじしか描けないのではないだろうか。

詳しくは下記の記事、とくにその3をご参照ください


シンポ「朝鮮半島の非核化と東アジア平和構築」
が行われ、その要旨が日本AALAの機関紙に掲載された。

主催者の坂本恵先生のまとめをさらにピックアップして紹介する。演者は南基正さん、李俊揆さん、李柄輝さんの三人である。

A 南基正さんの発言 「朝鮮半島の平和形成過程と日韓関係再構築
ー2つのプロセスの相互関連」

1.朝鮮半島の平和形成過程と日本の役割

和平の動きが始まって3年になる。日本はこの動きに加わらなければならない。なぜなら日本は“後方基地”として朝鮮戦争に事実上加わってきた当事国だからである。

関係六カ国のうち五か国はそれぞれこの間の和平の動きに関わってきた。日本だけが外れたままである。

そのハードルになっているのが拉致問題である。しかししそれを理由にして、東アジアを平和と希望の拠点へと転換すること、“歴史の課した宿題”を解くことを怠ってはならない。

2.東北アジア非核地帯の可能性

この項は、以前からの南先生の所説であるが、正直むずかしい。

骨組みとしてはこういう論理だ。

東北アジア平和構想の具体的一歩は非核地帯の創設だ。

まず南北だが、これは18年の板門店宣言で基本的認識を共有した。

南北はそれぞれ、戦場国家から脱皮することを選択した。このことは基地国家日本にもそこから脱皮するチャンスを与えている。

ついで韓日だが、これは98年の韓日共同宣言で、韓国が日本の「非核三原則」を評価するという形で価値を共有した。

そして朝日間でも、02年の朝日共同宣言で、北の核問題を国際法に沿って解決するという原則を共有した。

すなわち、日・韓・北の三者間で非核地帯条約へと至る確認は、原理的にはすでに形成されている。

3.日本の市民的イニシアチブがカギを握る

安倍内閣は成立以来、日韓・日朝の関係を冷却化し疎遠化することに傾注している。このため平和構想への道は遠のいているように見えるが、客観的状況はそうではないと思う。

日韓の市民が連帯し平和への動きを強めることは、情勢を大きく動かす可能性がある。とくに日本において憲法改正と軍事化を阻止する闘いが大きな役割を果たすだろう。

B 李俊揆さんの発言 「朝鮮半島の平和形成過程と東アジア国際秩序の展望」

題名としてはこちらのほうが大風呂敷で、いわばすべてである。
ただ坂本先生の要約を見ると、実際は南基正さんの緒論の資料的補強を内容としているようだ。

1.平和形成の3つの段階

18年9月の南北首脳会議での共同声明を読み込むと、平和形成過程は3つの段階を念頭に置いていると言う。

① 南北分断体制の克服
② 冷戦構造の2つの柱である朝米関係と朝日関係の改善
③ 東北アジアの安全保障体制と多国間協力

2.6カ国協議体制の意義

6カ国協議はすでに15年間も店ざらしとなっているが、東アジア平和の枠組みとしての先進性を失っていない。

05年の第4回会談で共同声明が出されている。それに基づいて、07年2月に「初期段階の措置」という合意が成立している。

その措置は次の5つである。

①朝鮮半島の非核化
②米朝国交正常化
③日朝国交正常化
④経済及びエネルギー協力
⑤北東アジアの平和及び安全のメカニズム

「日経ビジネス」に面白い記事があると紹介されたので読んでみました。
大変面白いです。要約を紹介します。
インタビュアーが“知ったかぶりのアホ”に見えてしまいますが、瀬口さんの的を得たコメントを引き出したという点では見事なインタビューというべきでしょう。



瀬口 清之 
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
2019年11月14日 


1.最近の香港の状況

香港の抗議活動は10月以降、急速に状況が悪化している。抗議活動が暴力化している。

リーダー格の人が拘束されるにつれて歯止めのないものになっている。

香港政府への怒りや、共産党政権への不安や怒りは理解できるが、よりよい社会を作る運動に向かっていない。

2.抗議活動の過激化を促した3つの出来事

1つは7月に白いTシャツを着た人々による抗議運動の参加者の襲撃だ。

警察はこれに対し、一般市民を十分に保護しなかった。ここから反警察の機運が高まり、抗議活動の暴力化が進んだ。
 
2つ目は、10月4日のマスクなど覆面の着用を禁止する法律の制定である。
これも人々の怒りの火に油を注いだ。

3つ目は、香港区議会議員選挙で、ジョシュア・ウォン氏の立候補が拒否されたことである。氏は2014年に広がった雨傘革命のリーダーで香港自決を主張している。

11月5日には、デモに参加した学生が駐車場ビルから転落死した事件も発生した。以上のように予断を許さない状況が続いている。

3.一般市民まで襲われる事態

中国系の施設襲撃や略奪が頻繁に起こっている。

中国系銀行はシャッターをこじ開けられ、火炎瓶を投げ入れられた。
中国出身の人が営む店舗も襲われている。それだけではない。デモ参加者を「暴徒」と呼んだ香港人の菓子店も略奪の対象になった。

香港市民は、自分たちがターゲットにされるのが怖くて何も言えなくなっている。

4.警察は暴力や違法行為を抑えられなくなっている

11月11日に警察官の発砲事件が発生した。これは警察にとって深刻な事態である。こういう対応しか取れなくなってきているということが問題だ。

香港の警察力は狭い香港の地域内に限られている。本土や他地区からの応援をもとめることは出来ない。
中国の武装警察が深圳に待機しているが、深刻な米中摩擦のもとでは、出動はほとんど不可能である。

5.闘争は深刻な経済的損害をもたらしている

中国人の訪問者数は半減した。土産物店、化粧品店、宝飾店などが続々と閉店している。

6.抗議活動の出口が見えない

当初は逃亡犯条例への反対でした。その後、経済格差への反発、香港政府・香港警察への反発、中国政府への反発へと課題が広がった。

現在は5大要求に集約されている。しかし獲得目標が曖昧なため一般市民からの支持がない。

香港の経済格差は激しく、約40人の富裕層に総生産の4分の3が集中している。これに対する手立ては明確ではない。むしろ反本土で真の問題がおおい隠されている側面もある。

本来なら、不動産税や相続税、贈与税などを富裕層に課す、所得税の累進度を高める、社会保障制度を充実させる、といったことを求めるべきだ。

しかし、こうした要求は見られない。

“香港市民社会の安定を目指して経済格差を本気で解消するための抗議活動とは思えません”

7.なんのための自決か

自決をもとめるなら最大の課題は行政長官の民選・普選であろう。

しかしその前に何のために自決が必要か、何のために参政権が必要なのかを明確にしなければならない。
そこが曖昧なのである。

その理由は実は、みんなのために命がけで義を貫き通すリーダーがいないからではないか。

8.香港の歴史的悲劇

なぜリーダーが輩出しないのか。それは香港が自決した経験がないからではないか。

香港は英国植民地として、参政権のない非民主的な統治体制に貶められてきて、それが政治的に血肉化している。

自決した経験を持たない人は、自決の仕方を知らない。そういう発想にならないのだ。彼らにとって香港は“自分たちの祖国”ではない。

少なくともエリート層はそう見える。自分の財産をいかに守るか、自分の移民先をどこにするかを考える。

抗議活動に参加している当の学生たちでさえ同様だ。富裕層の子弟が多いので、いつでも香港の外に脱出できる。
「庶民のために」という意識でやっているわけではない。

“これが香港問題の本質です”

習近平の評価については省略。せめて赤旗にこれくらい言ってほしかったが…






大西広さんの「香港での暴力デモは運動の破壊者、真の敵は香港財界」という文章がとても良いので、営業妨害にならない程度に紹介する。
「季論21」に近く掲載されるというので、いわば予告編になる。

1.香港の運動は安保闘争だ

安保では外交問題を闘争課題とし、学生が主体となった。暴力学生の妄動も同じだ。

しかし日本では、その後の経過を経て暴力反対が原則となった。それが立憲主義の根拠となった。

日本の運動が獲得したもう一つの原則は、「内政不干渉」という基準である。それは「相手のため」の善意のものであっても介入は認められないという原則である。

2.2つの原則から香港デモを評価する

① 暴力反対の原則からの視点

「民主派」は現在、穏健派、自決派、それに本土派と3分列している。

本土派というのは、本土人の排外と独立を主張する強硬派である。
この強硬派と暴力を伴う過激派学生集団とは重なり合っている。

このあと大西さんは2度にわたる現地調査なども踏まえ、事実に即した評価を行っている。これについては原著を参照されたい。

本土派の理論ではなく、彼らの暴徒・破壊者との性格について許してはならない。それは内政干渉ではなく、暴力反対という連帯の原則に基づいての判断である。

② 内政干渉を認めない視点

これは国際右翼組織との関連を問う問題である。「自決派」の指導者と目されている人物の中に、明らかに国際右翼組織の支援を受けているものがいる。

それは全米民主主義基金(NED)と呼ばれる組織である。NEDは世界各国での政権転覆運動を支援している組織で、アメリカ政府の予算で賄われている。

自決派の多くは平和的活動家であるが、指導層にはかなり怪しい人物がいると見るべきである。

3.いい奴も悪い奴もともに手を携えて

「ぐるみ闘争」になったのは理由がある。不正蓄財や汚職など後ろめたい活動をしている多くの財界人が、引き渡し条例に反対したからである。

彼らは行政長官が「条例改正案は死んだ」と発言すると、手を引いた。

運動が退潮局面に入るとき、暴力的様相を呈するのは日本でも見られた現象であり、店仕舞に入りつつある。

4.中国経済は深く静かに浸透しつつある

香港のGDPは20年前には本土の18%あったが、現在は2.7%に縮小している。

「香港経済」は本土経済との一体化で大きな利益を得た。香港の富裕層は巨利を得たが、庶民の生活は悪化している。

以下、香港の富裕層の驚くばかりの反庶民姿勢が具体的に明らかにされているが、本文を参照されたい。

庶民の生活を苦しめているのは、じつは香港の富裕層なので、それを「敵は中国本土だ」というのは敵から目をそらす結果にもなりかねない。



綿密な現地調査に基づく実証的考察はまことに説得力がある。

私が感心したのは、もうひとつある。それは、各地の民衆闘争を連帯運動の立場から見るときに、「二つの原則」がもとめられるという提起にある。

私はこの提起に大賛成である。これらについては大いに議論してよいのではないだろうか。暴力も裏金も下品という点で同じであり、さらにフェークとかデマとかカルトとかヘイトとかも付け加えられるかも知れない。

もう一つは、ある運動に対して歴史的・客観的評価をする場合の視点とは異なることも認識しておくべきかも知れない。

いろいろ調べているうちに、すごい話を聞くことができた。
みなさん是非見てほしい。
「日朝ピョンヤン宣言17周年集会」
カン・ヘジョンさん(韓国ゲスト)の話「日韓関係の現状から考える朝鮮半島の平和と日本」
一言一言がズシンと来るし、なにか嬉しくてうるうるとしてしまう。
ネット主が、「特に後半36:28からの「不買運動」「暴行事件」に関する韓国世論の話は必見です」とわざわざ書いているが、それだけのことはある。

本当に思うのだが、私も随分朝鮮の現代史を勉強してきたが、「大事なのはそこだよね」、といつもそう思ってしまうのだ。
とくに日本人のヒューマン派の人に言いたい。「日本人がこんなに悪いことをしてきたんだ」と知らせることは大事だが、それを両国人民の連帯の踏み絵にするようなことはしてはいけないと思う。それで近づく人も1人か2人いるが、7人か8人は遠ざかっていってしまうし、その半分は嫌韓になってしまうと思う。本人のヒューマンな思いはあるとしても、それでは安倍の援軍になってしまう。
それが東アジアの平和構想にとって役立つとは思えない。好きになればこそ、そのような過去も素直に受け入れられるようになるのだ。




当面する日韓摩擦に関する私の見解は、すでに以下に述べた。





これらの態度を取る前提として、私は古賀茂明さんの見解・認識を基本的に受け入れたい。



そのうえで、私はさまざまな見解の相違をいったん保留した上で、

声明「韓国は『敵』なのか」(7月25日)に結集するよう訴える。

全文はここにある。
平和外交研究所 > オピニオン > 「声明」 韓国は「敵」なのか


その要旨を掲載しておく。

はじめに

韓国に対する輸出規制は即時撤回すべきだ。
それは
①敵対的な行為であり、
②韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない危険な行為である。
③「徴用工」問題をめぐる報復行為である。(経過より見て明らかだ)

1、韓国は「敵」なのか

両国関係は特別慎重な配慮が必要だ。植民地支配を受けた韓国では、日本の圧力に「屈した」と見られれば、いかなる政権もアウトだ。

日本にとって得るものはまったくない。①今回の措置は自由貿易の原則に反する。②日本経済にも大きなマイナスになる。③「東京オリンピック・パラリンピック」を前にゴタゴタするのはマイナスだ。

今回のような連鎖反応が起きれば、間違いなく泥沼だ。今回の措置で、両国関係はこじれるだけだ。

まるで韓国を「敵」のように扱っている、とんでもない誤りだ。韓国は、自由と民主主義を基調とする大切な隣人だ。

2、日韓は未来志向のパートナー

日韓友好は98年10月の金大中大統領の訪日を期としている。

金大中大統領は、「日本が議会制民主主義と平和主義を守ってきた」と評価し、ともに未来に向けて歩もうと呼びかけた。

金大中大統領は、なお韓国の国民には日本に対する疑念と不信が強いことを直視しつつ、未来志向で、禁じられていた日本の大衆文化の開放に踏み切った。

この相互の敬意が「日韓パートナーシップ宣言」の基礎となった。

3、「日韓条約と請求権協定」で問題は解決していない

日韓基本条約・日韓請求権協定は両国関係の基礎であり尊重されるべきだ。

日韓基本条約の第2条は、韓国の独立を認め、1910年の韓国併合条約の無効を宣言している。

しかし、①日本は併合は両国の合意だったと主張しており、植民地支配に対する反省も、謝罪もしていない。②元徴用工問題も解決していない。

したがって「国際法、国際約束に違反している」という日本政府の主張は正しくない。

この問題について、双方が議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だ。

おわりに

1998年の「日韓パートナーシップ宣言」がひらいた日韓の文化交流、市民交流は両国関係の基本となるものだ。

安倍首相は、日本国民と韓国国民の仲を裂き、両国民を対立反目させるようなことはやめなさい。意見が違えば、手を握ったまま、討論をつづければいいのだ。



要旨だけ読んで批判するのもいけないし、そもそも積極的な意義は大いに評価しなければならないが、率直に言ってやや不満も残る

一番の不満は無駄に長過ぎることだ。しかも長い理由がかなり執筆者の思いに由来していることだ。

その結果、共同声明らしからぬ個人的趣味が、至る処に目につく。仲裁委員会の扱い、慰安婦問題の経過など、明らかに書きすぎだ。

「2、日韓は未来志向のパートナー」は金大中賛美に終止している。赤旗が全文省略しているのはゆえなしとしない。事の正否と関係なしに、原文作成者の節度の欠如に強い違和感を覚える。

もう一つは共通の敵、不和を煽る犯人への反撃のために大同につこうというのが前提のはずだが、そこがどうも曖昧なのだ。敵が見えない。だから大同 につく意味がわからない。
要するに “饒舌な割に腰が引けている” 感じが否めない。


日韓GSOMIAの消滅で一番困るのは日本だ

というわけで、タイムテーブルをつらつら眺めていると、意外な事実が浮かび上がってくる。

それは、「日韓GSOMIAの消滅で一番困るのは日本だ」ということである。

1.GSOMIAとはなにか

まずGSOMIAについて基礎知識。

軍事情報包括保護協定: General Security of Military Information Agreement というのが正式名称だ。

GSOMIAとは国家間で共有される秘密の軍事情報が、第三国に漏れないよう保護するための協定である。
日本はアメリカと2007年に最初のGSOMIAを締結して以降、欧州主要国5カ国とも協定を結んでいる。

ちなみに韓国は33カ国と結んでいる。

日韓GSOMIAは2016年11月に締結された。締結にあたっては韓国側には相当抵抗があったらしい。

とりわけ重要なのが、北朝鮮のミサイル発射に関する情報共有である。締結以来少なくとも25回の発動があったという。

日韓の間には安保同盟はない。アメリカをハブとする間接関係でしかない。その意味で日韓GSOMIAは「日米韓3国の疑似同盟の象徴」(香田)にもなっている。

2.「やめて損するのは韓国側」はウソ

香田氏はGSOMIAを破棄することで被害が大きいのは韓国側だと言っている。これはどう考えてもウソだ。ここ数年間、核実験やミサイル発射の第一報は明らかに韓国発だ。近いのだから当たり前である。

第二に、イージスで軌道を計算したりして対応を考えるのは日本だからできるのである。
1994年の核開発危機のときも明らかになったのだが、北朝鮮から見て韓国をやっつけるのに別にミサイルはいらない。超ローテクで十分だ。

国境線に並べた長距離砲が一斉に火を吹けば、ソウルや仁川などあっという間に「火の海」となる。
だから金日成が脅しをかけたときに、米軍関係者は密かにソウルから逃げ出したのである。

第三に、ミサイル発射という情報がチョクで日本に伝えられれば計算はできる。しかしその情報はアメリカ大陸での迎撃には役に立つかも知れないが、日本で間に合うかというとそうでもなさそうだ。

結局、イージスのシステムは米国に役に立つだけかも知れない。

ところが、金正恩が米朝交渉の手みやげに長距離ミサイルの開発を中止すると確約すれば、米国はイージスなどいらなくなる。短距離ミサイルで韓国が消滅し、中距離ミサイルで日本が消滅しても、「ご愁傷さま」で終わりだ。

今回の一連の経過でも、あのボルトンでさえ口先介入にとどまっているのが、米国がこの問題でさほど真剣ではないことの証拠だ。

ということで、もっとも深刻な影響を受けるのは日本だということになる。

3.日本の最終目標は核武装か

北朝鮮が核兵器とミサイルとを確実に保持したとき、しかも長距離ミサイルの放棄という形で米国と妥協が成立したとき、これまでの対中脅威論では対応できない問題が生じる。

つまり、日米軍事同盟とアメリカの核の傘と、GSOMIA+イージスを核とする対北朝鮮防衛システムでは、確実な抑止力とはなり得なくなっているのである。

ここから日本軍国主義のファッショ的自立という可能性が浮かび上がってくる。米国の核の傘戦略から大量報復機能の確保、核抑止力の保持戦略への移行である。

大本では、米国のもつ軍事力の威力の下での従属的関係を続ける。
しかし米国の軍事的支配力の低下によって生まれる権力の空白は、自らが覇権を主張することによって埋めていく…これがファッショ的自立の総路線である。

もはや、よくも悪しくも日本を世界支配戦略につなぎとめるアーミテージ=ナイ路線は消失した。
安倍政権というより、日本の右翼的支配階級は、このような代替路線を想定しているのではないか。




米日韓 三国関係の動向:GSOMIAを中心に

7月

4日 3種類の半導体材料について、「包括輸出許可制度」の対象から韓国を除外。輸出審査を厳格化する。事実上の報復措置。

この問題は経済産業省の管轄だったが、首相官邸が引き継ぎ、韓国に譲歩を迫る武器に仕立てられた。

4日 菅官房長官は、輸出規制に関して発言。「韓国がG20首脳会議までに、徴用工問題について解決策を示さなかった」と非難する。

5日 安倍首相、「韓国は国と国との約束を守らないことが明確になった。貿易管理において、守れないと思うのは当然ではないか」と語る。

10日 韓国、150件を超える不正輸出があったと公表。

18日 韓国大統領府、日韓の「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)の見直しもあり得ると示唆。

18日 米国務省報道官、「GSOMIAは、北朝鮮の最終的非核化(FFVD)を達成し、地域の安定を維持するための重要な手段」だと強調。

19日 外交問題評議会(CFR)上級スタッフ、「GSOMIAを政治的に利用することは、同盟の精神に反する。それは韓国に致命的な結果をもたらす」と語る。

21日 朝日新聞、「米政府内では日韓の対立が激化すれば、米国の国益にも影響を与えかねないという強い懸念がある」と報道。

22日 ボルトン米大統領補佐官が来日。首相官邸で谷内正太郎国家安全保障局長と会談。米軍駐留費、ホルムズ海峡の有志連合構想、韓国問題について協議。

23日 日本に続き韓国を訪問する。米軍駐留費用の負担を求める。韓国はGSOMIAの破棄を示唆。

31日 民間世論調査。64.4%が日本製品の不買運動に参加。GSOMIAの破棄に賛成する人も47.0%に達する。

8月

2日 日本政府、韓国を「ホワイト国」から除外することを閣議決定。3品目以外にも軍事転用の恐れが高い部材について個別の許可が必要となる。

2日 文大統領、「2度と日本に負けない」と宣言。

2日 バンコクで韓米日外相会談。GSOMIAは韓米日の安保協力において非常に重要であることを確認。韓国は「あらゆる事をテーブルに上げて考慮する」と主張。

2日 国家安保室幹部、「日本は韓米の平和構築プロセスにおいて障害を作った」と発言。

3日 エスパー米国防長官、「地上発射型中距離ミサイルのアジア配備を検討している」と発言。韓国や日本に配備される可能性を示唆。

5日 韓国政府、日本への輸入依存を減らすため、研究開発に640億ドルを投じると発表。

6日 ボルトン米国家安保補佐官、「中距離ミサイル配備先として韓国や日本などを想定している」と発言。

9日 トランプ米大統領、日韓摩擦は「米国を苦しい立場に追い込んでいる」とし、早期の関係改善を要求。仲介には消極的な姿勢を示す。

9日 ソウルで米韓国防相会議。エスパー長官は「米韓同盟は対北朝鮮防衛の要だ」と強調。

12日 韓国政府も「ホワイト国」の対象から、日本を除外する。

14日 韓国が「国防中期計画」を改定。「F-35Bを搭載する軽空母を国内建造する」意向を明示。

15日 ボルトン米大統領補佐官、インタビューで「北朝鮮の核保有が長期化すれば、日本が独自の核を保有する動機は強くなる」と語る。

21日 朝日新聞、「空母に改修された護衛艦いずも 、米軍機が先行使用」と報道。米軍レンタル目的であることが明らかに。さらにもう一隻の護衛艦「かが」も空母化予定。

22日 韓国、GSOMIAを破棄すると発表。

24日 韓国陸軍、自衛隊の幹部候補生との交流行事を中止すると発表。

27日 韓国の李洛淵首相、輸出管理強化措置を撤回すれば、GSOMIAの破棄を再検討すると発言。日本政府は「全く次元の異なる問題だ」と拒否。

27日 韓国が、竹島周辺で軍事訓練を断行。アメリカが「生産的ではない」と批判。

28日 大統領府、「自国の主権と安全を守るための行為」だとし、アメリカに反論。

31日 菅官房長官、海外メディアが米国が日韓両国に対し和解をもとめたと報道したことに対し、これを否定。

9月

3日 安倍晋三首相、「根幹にある元徴用工問題の解決が最優先だ」とのべ、韓国との和解を拒否。

5日 菅官房長官、「日韓関係悪化の原因はもっぱら韓国政府にある」と語る。

23日 ニューヨークで、9回目の米韓首脳会談。日韓GSOMIAについての言及はなし。

24日 海上自衛隊の観艦式に、日本政府が韓国海軍を招待しないことを決定。米国、英国、カナダ、シンガポール、豪州、中国、インドの友好7カ国が参加の予定。

25日 日米首脳会談。トランプが日韓関係に懸念を表明。

25日 米下院、日本と韓国に関係改善を促す決議を採択。

26日 ニューヨークで日韓外相会談。今後も外交当局間で意思疎通を続けることを確認。

27日 ナッパー米国務次官補代理(韓国・日本担当)、「米韓日は民主主義や人権などの価値観を共有する。韓国が破棄決定を再考し戻ってくることを望む」と述べる。

27日  今年の防衛白書が発表される。韓国の紹介順は前年の2番目から4番目に「降格」。


11月23日 GSOMIAの失効予定日。





1.日韓摩擦 安倍政権の狙いは「ファッショ的自立」

ファッショ的自立というのは、安保の枠内にとどまりながら、地域覇権を求め、そのために国内政治を軍国主義的に再編するという戦略路線。かつて1970年前後に「日本帝国主義自立論」と関連して萌芽的に語られた概念である。社会科学総合辞典には「日本型ファシズム」として記載されている。

日韓摩擦議論は、あたかも慰安婦・徴用工問題に起源があり、韓国側が言いがかりをつけてきたかのような装いが凝らされている。

これらの問題は過去の戦争の道義的清算の課題として避けて通れないものであり、世代を越えて議論し続けなければならないものであろう。また補償問題は当事者が次々と亡くなっていく今、緊急の対応が必要な問題でもある。

しかし、日韓摩擦が今大変緊急かつ重大な課題となっているのは、そのことではない。

むしろそれらの問題を逆手に取って安倍政権が繰り広げているキャンペーンが、何を目論んでいるかを明らかにすることである。

すなわちそれは九条改憲と日本の「ファッショ的自立」である。「日本軍国主義のファッショ的自立」というのは40年ほど前に一時使われた言葉だが、平ったくいうと「アニマル・ファーム」化である。


2.日経新聞の世論調査が示すもの

彼らの策動の成果は最近行われた、ある世論調査に如実に示されている。

それが日本経済新聞社とテレビ東京による8月30日~9月1日の世論調査だ。
韓国に対する輸出規制強化を「支持する」という回答が67%にのぼり、7月末の調査に比べ9%増えた。
韓国との関係に関する質問では、関係改善を急ぐ必要はないという回答が67%に達した。
安倍内閣の支持率は58%と前回7月の調査から6ポイント上昇した。不支持率は5ポイント下がり33%だった。憲法改正に向けて各党が国会で具体的な議論をすべきかどうかを聞いたところ「議論すべきだ」は77%、「議論する必要はない」は16%だった。

数字はともかく、質問の流れには政財界主流の意図が透けて見える。これほどあからさまに、日韓摩擦と憲法改正を結びつけた世論調査はない。彼らは世論調査という形で日本のファッショ化を煽り立てているのである。

問題はここにあるのであり、しかもそれがすでに重大な局面に進んでしまっているということを明示している。

したがって私たちは、まず何よりも日韓摩擦を利用した日本のファッショ化をなんとしても阻止することに傾注しなければならない。

しかも日韓摩擦がらみでメディアの側にすでに囚われてしまった人をもふくめて、団結して危機を乗り越えなければならない。個別の論点に機械的に対応している暇はないのだ。


3.罵り合いはたくさんだ。争点のシフトが必要だ

争点のシフトが必要なのである。

私たちが作り出さなければならない争点は、日韓領国人民は決して争ってはならないということである。もっと正確に言えば「争わされてはならない」ということだ。

ファッショ化は相互不信と敵視の応酬、憎しみと恐怖の感情がもたらす。私たちには相互理解と優しさ、分かり合おうとする努力がもとめられる。

それと同時に、日韓摩擦を利用して安倍政権が作り出そうとしている、私事権の極小化、白か黒かの貧弱な価値体系、憎しみの体系としての国家づくり、恐怖の均衡によって成立する国家関係… これらすべてを拒否する運動が必要だと訴えなければならない。

慰安婦も徴用工も口を閉ざしたままでいられる問題ではない。しかし今はその10倍の量で両国の平和と友情について語らなければならない。


4.ホワイト国条項も、GSOMIAも、もともとは冷戦条項だ

ホワイト国条項も、GSOMIAも、もともとは冷戦アイテムであり、朝鮮戦争を遂行するための仕掛けであるから本来ないほうが望ましいものである。

しかしそこだけいじっても、物事がうまくいくとは限らない。全体の構造を包括的に変更していくような多国間の枠組みが必要である。一歩間違えば大きな混乱を招かないとも限らないものだから、政争の具にすることなく慎重に対処すべきものであろうと思う。




赤旗に載ったインタビュー記事が的を得ていると感じたので紹介しておく。

1.世界はどう見ているか
大前提として「日本は第二次世界大戦を引き起こした戦犯国」と考えている。
だから、安倍政権の行動は歴史修正主義と受け止められている。

2.日韓併合
韓国併合は明らかに歴史的な誤りである。
しかし日本は一度も「韓国併合」を間違いだと認めていない。

3.懲罰
政府担当者が「懲罰」といった事実は消せない。
世界の、日本政府の歴史修正主義への疑惑は強められた。

4.経済制裁という手段
サプライチェーンというのは所詮は下請けだ。
需給関係が切れても川下はゼロにはならないが、川上はゼロだ。

5.徴用工問題の扱い
慰安婦とは異なり、徴用工はまったく手がつけられていない。
日本政府としての反省や謝罪も行われていない。
慰安婦と同様、徴用工への補償も着手しなければならない。

赤旗に、金文子「日韓の歴史をたどる」という連載が始まっている。

今朝の記事はその5回目で、「王后殺害事件」(1895年10月)を扱ったもの。「国権回復恐れ、勢力拡大狙った日本」という横見出しがつけられている。

以前より議論のあった高宗の后、閔妃の殺害をめぐる黒幕論である。

結論から言うときわめて明快な解答で、指揮系統のトップにいたのはときの外務大臣西園寺公望ということだ。

根拠は、西園寺の文書である。

(親日政権の成立に)内密にせいぜい尽力せらるべし

という訓令が「日本外交文書」に残されているらしい。

これだけではやや抽象的だが、発せられた日付が事件の2ヶ月前であること、それが事件の外務省側の責任者であった杉村ふかし書記官のもとめに応じたものだったということを勘案すると、西園寺の指示だったと言えるとの判断である。

そのあたりの機微は、杉村の回顧録「在韓苦心録」に記載されている。

杉村は事件の2ヶ月前に西園寺に報告書を提出している。金文子の解釈によると、杉村は王后が政権を掌握したことを明らかにした。

そしてこれを傍観すべきか、親日政権の成立に尽力すべきか、について指示を求めたという。

ということで、事件の指揮系統が外務省のトップまで通じていたことはわかった。

ただこれだけでは、この線が本線なのか、軍部と三浦梧郎の線が本線なのかはわからない。それと外務省が列強を挑発するような強硬策に走った理由が見えてこない。

明らかなのは、外務省が三浦と軍部の独走に追随したのではなく、トップの明確な意思をもって対応したことである。

それ以上はもう少し金文子さんの文章を読み進む必要がありそうだ。
この事件についてはいろいろな論及があり、その中で外務省の線は比較的軽視されていたかも知れない。

かと言って「主犯説」にまで持ち上げるのはちょっとむずかしいかも知れないが…

韓国現代史年表(ハングル版) とりあえずここへ置きます。
FFFTPでアップロードしているのですが、二階のパソコンで上げているので、ここで無理するとファイルが消えてしまいそうです。
明日、ホームページの方に上げます。

韓国戦後史年表

これは朝鮮戦争終了時から現在までを扱う年表です。グーグルによる機械翻訳なので不正確です。
この10年以上本格的な追補していないので、ご了承ください。

元ページ(日本語)はここです。

容量オーバーで載らないそうです。明日、直接ホームページの方に載せます。
ご一読(日本語の方を)お願いいたします。








ホームページの方で朝鮮戦後史年表のハングル版を作ってみました。といってもグーグルの機械翻訳です。最初は第5部の北朝鮮戦後史年表 朝鮮戦争以後ハングル版」です。
日本語に再翻訳してみましたが、どうやら読めないことはなさそうです。ただ固有名詞が相当崩れますので、気がついた人はメールいただければと思います。

1948年の南朝鮮議会選挙について
前回の学習会で1948年の南朝鮮で公正な議会選挙が行われたか否かにつて議論がありました。
少し調べたので、報告します。
結論から言うと、カニンガムは不公正だったと言っているようですが、選挙そのものが不正なものというわけではなかったようです。
私はうろ覚えで、第1回目の選挙は日本統治時代の有権者名簿に基づいたもので、事実上普通選挙ではなかったかもしれないと喋ったのですが、後で調べてみると、それは1946年10月の過渡立法議会選挙を指したものでした。
私の韓国戦後史年表では、こうなっています。
10.24 布告第118号が公布される。立法議院の創設を認可する。
10.26 過渡立法議会選挙が実施される.民選議員は総督府時代の選挙法に則り,多額納税者と地主のみに投票権.共産党は選挙をボイコット.呂運亨は落選.多くの朝鮮人は選挙の存在そのものさえ知らずに終わる.
その4日後に第一回国連総会が開催されています.総会は国連監視下に全朝鮮の総選挙を行い,その結果に基づいて統一政府を樹立すると決定しています。米国の提案に沿ったものですが、ソ連は反対していません。
一方、北では金日成を軸とする親ソ連政権が着々と組織されていきます。
その後1年余りの間、南朝鮮では左翼の退潮が進みます。これに伴い南北の復興の有り様は大きく食い違ってきます。
そして47年11月、国連総会は臨時委員会のもとで南北同時総選挙を実施すると決議しました。
この決議の採択にソ連は欠席していますが、総会後直ちに反対の態度を明らかにします。
なぜ欠席したかについてはよくわかっていません。しかしその後の流れを見ると、南に単独選挙を行わせ、それを理由に南北分断の固定化を図ったと見ることもできます。
その後の流れというのは、南側の独立勢力が単独選挙反対闘争を大規模に展開したのに対し、北は口では同じスローガンを語りながら、実際には独自憲法を作り、「朝鮮人民軍」を編成していったからです。
南での単独選挙反対闘争はすでに弱体化した左翼勢力ではなく、金九ら民族主義者によって担われました。彼らは選挙ボイコットを訴え、全国ゼネストを繰り返しました。
その最大の戦いが4月に始まった済州島事件です。
5月11日、選挙が強行されました。選挙そのものは普通選挙ですが、強制はいたるところで認められました。
右翼団体・警察が住民を投票に動員,強制駆り出しを行いました。それでも棄権するものは、「アカ」のレッテルを貼り、
米の配給票を支給しないなどの攻撃を行いました。

結論

1948年の国連管理下における第1回総選挙は、形式だけ見れば普通選挙ですが、およそ民主的に行われたものとは言えません。
最大の政治潮流であった民族派や、左派は単独選挙に反対し、ボイコットしました。これを見たオーストラリアやカナダなどの同盟国も選挙強行に反対しました。
したがってこの選挙はアメリカが単独で強行した選挙でもありました。
また選挙に反対する民衆は暴力や行政権力によって弾圧されました。少なくとも民主的な手続きで実施された選挙と言うには程遠いものでした。
ただし、結果として単独選挙になってしまった理由は、アメリカだけに帰することはできないかもしれません。
南北同時選挙が南の単独選挙となり、結果として北の政権が生き残ることができたのは、北にとっては良い結果でした。もし同時選挙が行われれば、人口の多い南部の世論が大きく反映されることになり、おそらく金日成の政治生命は尽きていたでしょう。
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ヌルボさん、コメントありがとうございます。
ミスそのものは些細なもので、さっそく訂正させていただきました。
というよりもう20年も前に作った年表にいまでもこれだけ注目されているんだなぁということがわかって、なにか生きていてよかったなぁとしみじみしています。アルコールのせいもあるかもしれません。
前から朝鮮年表はそれなりに注目されていました。
もちろん例によってだらしない年表で、出典を明らかにしていないのでフェイクも拾っている可能性があります。
戦前の年表(いわゆるゼロ年表)はわれながら労作だと思いますが、その分、引用するにあたっては裏取りしていただかなければなりません。
1950年~53年の朝鮮戦争時代はもう少し刈り込んでいかないと、読むのは辛いと思います。米軍の戦記に児島襄とコンデといくつかの戦記物を合わせるとこんなになってしまいました。
やはり軍事行動については別の年表に追い込むべきだろうといまでも反省しています。
一時、私の年表がネトウヨの論拠になってしまったことがあり、これも反省しています。

私の一番言いたかったことは朝鮮共産党の闘いの伝統は埋もれさせてはならないということ、ただ戦後史の中ではその伝統は金日成とスターリンに盗まれてしまったこと、北の影響を受けて歪められながらも、社会主義思想が太い底流となって87年民主化へとつながっていったこと、その後の右翼潮流の巻き返しにもかかわらず、民主各派の分裂と混乱にもかかわらず、韓国左翼が輝きを失わずに来ているのは、日本帝国主義との闘いを貫いた民族左翼の伝統が息づいているためであろうと言うことです。


韓国および北朝鮮の戦後史年表 0 (戦後史といいながら戦前編です)   韓国および北朝鮮の戦後史年表 1    韓国および北朝鮮の戦後史年表 朝鮮戦争   

韓国の朝鮮戦争後史年表(53年以降)     北朝鮮の朝鮮戦争後史年表(53年以降) 

米朝合意の評価 非核化と非戦化を分けるべきだ
非核化と非戦化という考え方は、孫崎さんの言葉ではなく、孫崎さんの発言を読んでいるうちに私が思いついた言葉だ。

米朝合意の軍事的意味
議論を軍事的側面から整理しておこう。
北朝鮮は核兵器を開発し、大陸間弾道弾を完成させた。
まだ核弾頭として搭載できる保証はないし、誘導システムもないので、核脅威が本格化したわけではない。
これに対して国際世論は核兵器の放棄を強く求め、そのために経済制裁などの圧力を加えてきた。
アメリカ政府とトランプ政権は、これまでも核兵器の放棄を求めてきたが、昨年後半に北朝鮮が大陸間弾道弾の発射に成功してからは、にわかに戦争圧力を強めた。
これに対し危機感を強めたのは韓国政権とアメリカCIAのポンペイオ長官らであった。
当初のポンペイオの提起はミサイル開発停止と経済制裁の見直しであったと思われる。
これに力を得た韓国のムンジェイン政権が積極的な仲裁に乗り出した。
ムンジェインは当面する核・ミサイルと軍事脅迫・経済制裁のバーゲニングに加え、より長期的な、朝鮮戦争の終結と米朝国交回復の工程を結合させることを提起した。
そのなかで、米朝首脳会談による両国の外交関係樹立が生まれてきた。

非核化と非戦化のバーゲニング
以上のような大づかみな把握から導かれる結論は、一連の交渉過程が非核化と非戦化の取引(ディール)だということである。
アメリカも国際世論も北朝鮮の非核化を求めている。
北朝鮮は非核化を約束し、その代わりに自らの安全に関する保証を求めている。それは朝鮮半島の「非戦化」と呼ぶことができる
「自らの安全に関する保証」の内容は具体的には不確かだが、最低レベルでの米韓合同演習の見直しと経済制裁の緩和、長期レベルでは駐韓米軍の撤退であろう。
これが非戦化の内容である。

平行四辺形の取引き
ただし非核化と非戦化のバーゲニングというのは、入口と出口がちがう代替型取引である。
取引は、本質的には相互の非核化、相互の非戦化の二本筋で行われなければならないものである。
それでは相互の非核化とは何か。それはアメリカの核の傘をどうするのかということだ。
核の傘はおそらく米韓軍事同盟の骨格であるはずだ。“非核的”軍事同盟への移行は可能だろうか。
ついで相互の非戦化であるが、ここはそれほど難しくはないと思う。北朝鮮も米韓合同演習の縮小・中止以上に踏み込んで要求することはないとおもう。
米軍の撤退と米韓安保条約の廃止はもう少し先、南北朝鮮の統一議論と並行しながらの話になるのではないか。

中国のバランサーとしての役割
北朝鮮は非核化とミサイル放棄により軍事的プレゼンスを一気に弱めることになる。
短期的であるにせよ、これを補填する役割は中国に期待することになる。
中国はアメリカとの合意の上で、バランサーとしての役割を買ってでた可能性がある。
妄想に属することではあるが、アメリカが韓国に核の革を提供するように、中国が北朝鮮に核の傘を提供する可能性もある。

韓国の非核化・非戦化が今後の鍵
先日紹介したNHKの解説にも明らかなように、米朝合意の今後の動きは、韓国における米韓安保体制の動きに関わってくる。
すでに米韓合同軍事演習を巡って激しい鞘当が始まっており、韓国における平和闘争の役割が重要なものとなっている。
また東北アジアの平和の枠組みを構築していく上で、憲法九条を守る日本の戦いの役割も大きいものがある。
今後も注目していきたい。

6月30日付の赤旗3面で、「米朝関係 歴史どう動く」という特集を組んでいる。特集と言っても識者3人へのインタビューを並べたものだが、もう一つつかめない会談評価について補足学習しておきたい。
 
Ⅰ.安全の保証 突き詰めれば戦争状態終結
これが1つ目の見出し。語るのは孫崎亨さん。
端的にいうと、非核化と非戦化が車の両輪で、
この両輪が動くことによって事態が前に進むということだ。そして、その先に戦争状態の終結、さらに朝鮮半島の平和統一がある。
非戦化=米国の「体制保証」というオプションは、突き詰めると米軍撤退につながる。
これが朝鮮半島平和の3要素だ。(孫崎さんは安全保障と言っているが、体制保証という方が明確だろう)
米国にも日本にもこうした動きを歓迎しない流れがある。
彼らの目的は詰るところ非戦化の阻止だ。そのためには、非核化も戦争状態終結も犠牲にして構わないというところに本音がある。
日本の反対派は、非戦化が進行するとそれが沖縄に波及し、憲法改正の流れを断つのではないかと心配している。

非常にスッキリしているが、駐韓米軍のプレゼンスそのものの否定が、非戦化の決定的条件かどうかについては、もう少し吟味が必要であろう。

2.日本の関わり 冷戦思考から抜け出そう
2つ目のインタビューは山本昭宏さんという方、現代史研究者らしい。
お話は、「よくわかりました」という中身。ただ「冷戦思考から抜け出そう」という見出しは、それが赤旗に堂々と載ること自体に一種の感慨を覚えないでもない。

3.目標の達成へ 首脳会談承け良い動きが
3つ目のインタビューはピーター・カズニックさん。オリヴァー・ストーン監督のパートナーである。
半年前を思い出そう。ある研究者は「50%の確率で戦争になる」と指摘していたことを思い出そう。
板門店から50キロのソウル圏には、2千5百万人が暮らしている。戦争が始まれば初日だけで100万人が死ぬことになっている。核兵器抜きだ。そのことを想起しよう。
会談で工程表も決まらなかった、CVIDの合意はない、非核化の定義も曖昧だ。すべて認める。
しかしそれが何を成し遂げたのかを考えよう。そうすればそれが平和への正面入口だということはわかる。
この観点はとても重要だ。「我々は核と戦争の危機にあったのだ。それをとりあえず回避できたのだ」と喜ばなくてはいけないのだ。「それを喜ばない人って変だよね」と、いぶかしがらなくてはいけないのだ。

別に記事を起こして、孫崎さんの提起をもう少し考えてみたい。

先程、志位さんのインタビューを紹介した中で、「内外で米朝首脳会談について批判が多い」ということを前提にして、「決してそんなことはないのだ」という反論を展開していると書いたのだが、実はこの「批判」には二通りあって、一つは善意も含めて北朝鮮の信頼性への疑問が主調となる批判である。これは反トランプの立場からするリベラル勢力のシニシズムも含まれる。
これについては、反論する側にもそれほどの確信があるわけではないから、「まぁ歴史の判断に待ちましょう」というとこともある。
しかしNHKの「批判」にはそのような「率直な疑問」のレベルにとどまらない、好戦勢力の本音が隠されていると見なければならない。
このような勢力とははっきりと対峙して、米朝首脳会談の前進面をはっきりと擁護しなければならないのである。
以下の記事は会談が行われた翌日、6月13日のニュース報道が活字化されたものである。読みやすくするために多少文章をいじってあるので、正確に知りたい方は本文をあたっていただきたい。

2018年6月13日(水)  BSワールドウォッチング「米朝首脳会談 広がる波紋」 という番組の活字起こしだ。
朝のBSニュースは以前ひどいキャスターで、毎朝不快な気分で見ていたものだ。これは夜の番組だが、このキャスターも相当ひどい。NHKの国際政治担当には、静かな水面に石を投げ込んで波紋を広げる度し難い右翼分子が積み重なっているようだ。

① 最初の評価
共同声明では、朝鮮半島の完全な非核化への決意を確認したとする一方、焦点となっていた、非核化に向けた具体的な行動や検証方法、期限は盛り込まれませんでした。
ということで、クール派の代表となった。
② アメリカの反応の一面的紹介
またアメリカの反応は、“いろいろあるよ”という報道スタイルで、登場した人は3人。
「北朝鮮が約束を守らなければ、戦争になる」(共和党)
「これはアメリカにとって危機だ」(民主党)
「新しい内容は何も無かった」(国際政治学者)
これがNHKによる「各界の声」である。いろいろどころではない、攻撃一色だ。
③ 続いてワシントン駐在NHK記者の談話。
ワシントン・ポストは『具体性に欠け、楽観論に影を落としている』と報じた。
ニューヨーク・タイムズも『パフォーマンスとしては、最高得点だ』と皮肉。
特にトランプ大統領が、米韓合同軍事演習を中止する可能性に言及したことは『譲歩しすぎで危険だ』とみられています。
今後の交渉で非核化に向けた具体策を示せなければ、さらに批判が強まる…
という一段は引用元を示さず紹介。
その後、キャスターとの応答の中で批判はさらにヒートアップ。そしてついに米韓軍事演習をめぐって本音があらわにされる。
アメリカでは譲歩しすぎだという声、アメリカ軍の即応能力に影響が出るという懸念が指摘されています。
④ NHKは韓国を盾にしようとしている
その後、明らかに公共性・中立性を疑うとんでも発言までもが飛び出す。
(トランプは)在韓米軍の撤退の可能性まで言及しました。これは日本の安全保障上の大きな懸念となります。日本としては、在韓米軍の問題についてトランプ政権に働きかけを強めていく必要があります。
これは韓国への内政干渉に繋がりかねない重大な逸脱発言である。
北朝鮮が信頼できないというのは日本、韓国、アメリカに共通した不安感であるが、NHK国際部の不安はそこにあるのではない。彼らの不安は、“韓国に駐留する米軍が撤退してしまう危険”にあるのだ。
しかし在韓米軍をどうするかは、米韓が決めるべき事柄であり、日本がとやかく言う理由はないのだ。韓国民が自国の安全と引き換えに米軍駐留による損失や危険を甘受するのは、事の是非は別として有り得る話だ。しかし日本が韓国人に“米軍駐留を甘受し日本の盾となれ”と要求するなどありえない話だ。
さらに言うなら、心の底で密かにそれを期待しようとしまいと、公の場で口に出していい言葉ではないのだ。
こういう人たちが米朝首脳会談の批判者の中に紛れ込んでいるのだから、私達はこのような“ためにする批判”をきっぱりと拒否して、“彼らを政治的に追い詰める”必要がある。そういう点にも首脳会談の意義があるということを、もっともっと強調していかなければならないのだろうと思う。

米朝首脳会談の歴史的意義、今後の展望を語る 
志位委員長インタビュー 

A)新しい米朝関係の確立 
「戦争と敵対」から「平和と繁栄」へというのが、4項目の合意の論理構成だ
第1項 平和と繁栄に向けた新しい米朝関係
第2項 朝鮮半島に永続的で安定した平和体制
第3項 朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り組む
つまり、米朝関係を根本から変えることが一番の要になっている。そのために朝鮮半島に平和体制を築くことが必要であり、そのために「完全な非核化」が必要になるという論建てになっている。

B)「具体性に乏しい」のは合意が根本に関わっているから
「具体性に乏しい」などの否定論や懐疑論が流布している。それらはこの合意が非常に根本的だという点を見逃している。
①今回の合意は歴史上初めてのものであり、不可逆的な重みがある。 これは始まりであり、行動して挑戦する人々の、大胆な旅程の始まりである。(文在寅・韓国大統領の発言)
②「過去にも同じような合意があった」というのは間違いである。これは首脳間の初めての合意である。94年の「米朝枠組み合意」も05年の「6カ国協議の共同声明」も実務者合意でしかない。
③核戦争の脅威から抜け出す可能性 文大統領: 戦争の脅威から抜け出したこと以上に重要な外交的成果はない。 いま大事なことは、平和のプロセスを前に進めるために、世界中が協力することだ。

C)米朝合意と日本共産党の立場 
この間、「対話による平和的解決」路線が進んできた。具体的に経過を追ってみたい。 
第一の節目 去年2月、トランプ新政権がオバマの「戦略的忍耐」を見直す。このときから「外交交渉によって北朝鮮に非核化を迫る」戦略を提示。
第二の節目 昨年8月、北朝鮮が核・ミサイル実験。軍事的どう喝の応酬。米朝両国に「無条件で直接対話を」呼びかける。
第三の節目 2月の平昌五輪がらみで平和的解決の歴史的チャンスが生まれる。
「朝鮮半島の非核化と北東アジア地域の平和体制の構築を一体的、段階的に進める」よう提案。

D) 平和のプロセスを成功させるために  
①非核化プロセスと「約束対約束、行動対行動」の原則
②関係各国、国際社会の協調した取り組み、諸国民の世論と運動がだいじ

E) 日本政府のなすべきこと
①「対話否定」「圧力一辺倒」という立場を捨てること。
対話による平和的解決の対応
②日朝平壌宣言(2002年)を基礎に据えること
拉致のみにこだわらず、交渉を続け、包括的解決の道筋を貫くこと
③日朝国交回復をふくむ東アジアの平和の枠組みについて合意を目指すこと。

F) 北東アジアの平和秩序と日本共産党の「北東アジア平和協力構想」
日本共産党は、2014年の第26回党大会で「北東アジア平和協力構想」を提唱している。 これはASEANが創設した、東南アジア友好協力条約(TAC)に学んだものである。
一番中核的な考えは、北東アジア的規模でのTAC(友好協力条約)を結ぼうというものである。対象国は6カ国協議を構成している6カ国である。 (内容は略)

G) 北東アジアTACと日米安保条約
「北東アジア平和協力構想」は、軍事同盟が存在するもとでも平和協力ができるという前提で作られている。 軍事同盟をなくすというのは次の課題になってくる。 しかし大きく展望が開けてくることは間違いないだろう。

H) 21世紀世界における「帝国主義」 
21世紀の世界では、戦争と平和の力関係が大きく変化している。 こういう世界では、もはや独占資本主義国イコール帝国主義とはいえなくなっている。
米国であっても、戦争と平和の力関係が変わるもとで、いつでもどこでも帝国主義的行動をとれなくなっている。
この観点から言うと、アメリカの制作を分析する場合、つねに複眼的に評価しなければならない。
ということで、最後に柳沢協二さんの発言を引用してインタビューを閉じる。
米朝合意は「戦争によらない問題解決という選択肢を世界に提示する世界史的分岐点をはらんでいる」
これだけエポックメイキングな出来事だることを強調しておきながら、なぜこれがエポックメイキングなのかを自分の言葉で語ろうとしない、まことに異例な論理展開である。目下のところは、少し勉強してからでないと、さすがにすんなりとはうなづけないところがある。


志位さんの提起は今回の米朝首脳会議を、“21世紀論の文脈”で読み込めという提起なのだろうと思う。
それはそれとして非常に正しいと思う。
ただ21世紀論として読み込む場合には、どういう21世紀論を念頭に置くかでだいぶイメージが異なってくる可能性がある。
帝国主義論と関連付けるのであれば、まずは帝国主義論のもう少し多角的な展開と検討が行われないと独断の誹りを受けることになるかもしれない。
それにしても各界の反応、鈍いな。一番困るのは言いっぱなしになることだから、一応コメントは上げておくことにする。


去年の暮、北朝鮮問題が深刻化したときに下記の文章をブログに掲載しました。
ここでは北朝鮮問題を3つの枠組みに分けて考える必要があると主張しました。
1.日朝両国関係の枠組み
2.非核・平和・安全保障の国際・地域的枠組み
3.東アジア地域の共存・共栄の枠組み
そして、これらの枠組み協議のいずれにおいてもアメリカは部外者なのに、現実には最大の当事者となっている。この矛盾こそが当面する問題なのだと主張しました。
もう一つ道筋問題では、安全→平和→統一を段階を追って前進すること、統一の課題では経済統合→文化統合→政治統合という三段階が重要と主張しました。

2018年04月25日 「米朝関係の新展開について 覚書」という文章、および 「トランプ就任後の米朝関係」という経過表を北海道AALA機関紙に投稿し、あわせてブログにも掲載しました。
また併せて1990年以降の米朝関係を年表化したものを三部に分けて掲載しました(我ながら相当膨大です)。
それが昨日、トランプによる会談中止声明という形で思わぬ展開を見せました。世はアメフト一色、不意を衝かれた感じです。
とりあえずこの1ヶ月の経過を大急ぎでまとめてみました。結論としては前回記事とそれほどの変わりはありません。
4月に敷かれた基本線には変化がないのですが、とくにアメリカ国内で受け止めを巡って様々な思惑が出てきたのが特徴だろうと思います。

以下、この1ヶ月の経過をフォローします。

4月 大統領補佐官に就任したボルトン、北朝鮮を非核化する上で「リビア方式」が有効と主張。

4.27 南北首脳会談

5.01 文正仁(ムン・ジョンイン)大統領統一外交安保特別補佐官、米外交誌に寄稿。平和協定が結ばれた場合、在韓米軍の駐留は不要となると提言。

5.03 ニューヨーク・タイムズ、トランプが在韓米軍の規模削減を検討するよう指示したと報道。

5.04 ボルトン、NYタイムズ記事を否定。

5.04 トランプ、「現時点では在韓米軍の規模削減は検討していない」と表明。また韓国に駐留費の全額負担をもとめる方針も示唆。

5.04 谷内正太郎国家安全保障局長がボルトン補佐官とホワイトハウスで会談。核兵器と弾道ミサイルの完全で恒久的な廃棄を実現する目標を確認。

5.04 ボルトン、韓国の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長と約2時間会談。朝鮮半島で米韓が確固たる同盟を維持していくことを確認する。

5.06 北朝鮮外務省の報道官、米国が「圧力と軍事的な威嚇」を続けていると非難。

5.09 ポンペオ国務長官が二度目の訪朝。北朝鮮政府は拘束していた米国人3人を解放する。

5.10 トランプ米大統領、首脳会談の日時・場所をツイッターで発表。「世界平和にとって非常に特別な時間になるよう、我々2人とも努力する!」と書く。

5.10 ボルトンがワシントンポストに寄稿。「トランプ政権内では、誰も一切、北への幻想を抱いていない」と述べ、核放棄要求で妥協することはないとする。

5.10 ペンス副大統領、共和党の集会で演説。北朝鮮の「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」を要求。

5.11 米政府、北朝鮮のエネルギー供給と経済再建支援を検討すると明らかにする。

5.11 米韓合同軍事演習。北朝鮮は激しく反発。南北閣僚級会談を中止する。

5.13 ポンペオ米国務長官、非核化を条件として米民間企業による北朝鮮投資を認める可能性を示唆。

5.15 サンダース報道官、ボルトン補佐官の「リビア方式」に言及。「我々の方式だとは認識していない」と述べた。

5.16 金桂寛(キム・ゲグァン)第1外務次官、「一方的核放棄」を迫るボルトン補佐官を「えせ憂国の志士」と罵倒。

5.17 トランプ、北朝鮮非核化は「リビア方式」をとらないと言明。

5.21 ペンス副大統領、FOXニュースとのインタビューで発言。「トランプを手玉に取るべきでない」と北朝鮮を非難。これに関連して「北朝鮮はリビアのように終わるかもしれない」など発言。

5.22 文在寅(ムンジェイン)大統領が訪米。トランプ大統領と会談。南北首脳会談の内容について説明。

5.22 トランプ、米朝関係と米リビア関係は違うと主張。「(米朝が)合意すれば、金正恩は、とてもとても幸せになるだろう」と語る。
「少し失望しているんだが、金正恩は中国の習主席と2度目の会談の後、態度が変わってしまったんだ。それが気に入らない」とも発言。

5.24 北朝鮮が豊渓里(プンゲリ)の地下核実験場を爆破。

5.24 崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官、ペンス米副大統領を非難。「あのような無知で愚かな発言が米副大統領の口から噴出したことに、驚きを抑えられない」と発言。

5.24 トランプによる金正恩あての書簡が発表される。これにより6月12日予定の米朝首脳会談が中止される。核実験場の爆破直後のことであった。

5.24 ホワイトハウス当局、「(交渉に向けた)裏口はまだ開いている。ただ最低限でもレトリックの変更は必要だ」と述べ、崔善姫発言の修正をもとめる。

5.25 金桂寛次官、(会談中止は)「極めて遺憾だ。われわれはいつでも、いかなる方法でも問題を解決する用意がある」との談話を発表。さらにトランプ氏の「勇断」を「ずっと内心で高く評価してきた」と語る。

5.25 マティス国防長官が記者会見。米朝首脳会談が「外交努力で再設定されるかもしれない。私は楽観的だ」と述べる。

以上、経過を見てもらえばわかるように、かなりせこいケンカです。これで首脳会議つぶしてしまったんではあまりにもったいない。
基本的には北朝鮮側の隠忍自重をもとめるべきでしょう。ボルトンがそもそもどのような意図で「リビア方式」を語っているのかも必ずしもはっきりしていません。
ただ用語としての「リビア方式」は北朝鮮がこれだけ嫌がっているのだから、使わないようにすべきでしょう。これは交渉をする上での最低限の礼儀です。

米朝関係の新展開について 覚書
(北海道AALA機関紙への投稿原稿)

あまりにも情報量が多く、とうていまとめきれないが、とりあえず押さえておくべき点を列挙しておきます。

1.米朝会談に至る経過とその評価
タイムテーブル(トランプ就任後の米朝関係)を見てもらえばわかるように、今回の展開はまさに一瀉千里でした。
3月05日に二人の韓国政府特使が北朝鮮を訪問。首脳会談を4月末に開催することで合意しました。
これだけでも大ニュースですが、金正恩は直接、特使と面談し、非核化の意欲を示しました。
二人の特使は帰国後、旅装も解かずにそのままワシントンに向かいました。特使の報告を受けたトランプは、間髪をいれず「5月までに米朝首脳会談を行う」意向を示したのです。
まさか、まさかの展開です。
当初はみな半信半疑でした。
安倍首相に至っては、「ほほ笑み外交に目を奪われ、ぶれてはならない」と、対話を拒否する姿勢を強調します。これはいかに安倍政権がつんぼ桟敷に置かれていたかを鮮やかに示しています。
とくに右翼系メディアを中心に、「こんなやり方は通用しないだろう」とか、「北朝鮮の時間稼ぎに過ぎない」とか否定的な評価が圧倒的でした。
しかし、金正恩が北京を訪れ超国賓級の扱いを受けたあたりから、「これはただごとではないぞ」との見方が広がり、4月に入ってポンペイオCIA長官の極秘訪問が明らかにされると、上を下への大騒ぎとなりました。
日本共産党の動きは電光石火でした。3月8日のトランプ発言の翌日には「米朝首脳会談への動きを歓迎する」との志位談話が発表され、間もなく「各国政府への要請」が発表されます。ここでの最大の主張は「南北首脳会談、米朝首脳会談が持つ世界史的意義について関係国が認識をともにする」ということでした。この政治感覚はすごいと思います(なにか独自の情報源があったのか?)

2.本気の交渉と考える理由
今回の交渉が本気だと考えられるのは、以下の理由があるからです。
①トップとトップの差しの会談であり、合意を破ることはありえない。双方にとって「交渉決裂」だけは絶対に許せない。
②金正恩が特使に直接会い、自らの口で提示したオプションである。「ほほ笑み外交」などというレベルではない。
③会談に至る経過は通常の外交チャンネルではない。駆け引きなしの一発勝負である。中国との対話開始時のキッシンジャー外交に比肩するものであろう。
これについては少し詳しく見ておきましょう。
平昌五輪に金永南が来た時、すでに時刻表はできていたでしょう。予定表を作成したのはポンペイオCIA長官です。
彼は北朝鮮の情勢が猶予ならないものだと認識していました。1月には「北が米国本土に到達する核ミサイルを完成させるまでにあと数ヵ月しかない。それが最大の脅威だ」と語っています。彼の差し迫った問題意識は核ではなくICBMなのです。
彼はこの問題でトランプの一任を取り付けました。国務省には一切関与させずにCIA-韓国国家情報院-北朝鮮の「偵察総局」のチャンネルで進行させました。二人の韓国特使の肩書は国家安保室長と国家情報院長でした。
トランプが米朝首脳会談を打ち出した5日後、ティラーソン国務長官が解任され後任にポンペオが就任します。
以上が、もはや後戻りのできない「本気の交渉」と考える根拠です。
会議の予定がずれ込むことはありうるでしょう。国務省が入らないのでは流石に話は進まないと思います。ただし根っこが座れば枝葉は後でも良いのです。ニクソンが中国に飛んで毛沢東と歴史的な会談を実現しましたが、実は米中の国交回復はそれから5年もあとのことだったのです。だいじなのは実務ではなく政治決着なのです。(今回の動きはキッシンジャーが指南したという噂もある)

3.北朝鮮の非核化へのロードマップ
志位さんの要請文には段階的としか書いてないのですが、まぁ文章の性格からすればそれで良いのですが、勉強するにはもう少し具体的な行程を理解しておく必要があるでしょう。
真面目に書けば長くなるので、ここは駆け足で書いていきます。
①まずICBMの破棄が確約されるだろう。
②非核化については「包括的に合意」されるだろう。
この2点については、押さえておくべきでしょう。つまりポンペイオの線で合意が成立しても、個別日本の危険はまったく軽減されないということです。
③そのために6カ国協議が再開されるだろう
6カ国協議は必須ではなく、できるところから始めることになります。しかしそれは最良の枠組みであり、“一番安定して進む仕掛け”でしょう。
④非核化に対して何らかの見返りオプションが用意されるだろう
⑤核放棄と見返りの「行動」は数年をかけて段階的に行う。
⑥IAEA(国際原子力機関)の査察はその後になるだろう。
94年の合意時には、IAEAが暴走してぶち壊した経過がありました。IAEAの性急な導入は避けるべきでしょう。
段階的なステップと確認
それまでは「6カ国会議」を再開して段階的なステップを踏み、確認しながら進めることになるでしょう。
北朝鮮が持続可能な国となること
究極の目標は北朝鮮が持続可能な体制を実現することで、東アジアに残された最後の不安定要因から外れることが必要です。
というような流れになるでしょう。
肝心なことは、北朝鮮が「傷だらけの野良犬」であることに思いを致すべきということです。そして、死んでもらっては困る我が隣人であるということです。

4.平和で安定した朝鮮半島を実現するための諸課題
上記に書いたのは非核化に限定したロードマップであり、これを安定したものとするためには実に多くの課題が解決を迫られています。
とりあえず、「平和の枠組み」課題を列挙しておきます。
①米朝関係の改善(制裁解除、外交・通商関係改善など)
②朝鮮戦争の休戦協定から平和協定(米朝および南北)へ
③北朝鮮の核の廃棄・ミサイルの廃棄と確証
④朝鮮半島非核化
実際には、北が核放棄すれば半ば自動的に朝鮮半島の非核化になります。ただしアメリカの核持ち込みはいつでも可能になっており、そこに北朝鮮の不安が集中しています。アメリカの「持ち込まず宣言」、韓国の「持ち込ませず宣言」がもとめられます。このことは南北非核宣言、6ヶ国協議で確認されています。
⑤在韓米軍・米韓相互防衛条約の見直し。
将来的には駐韓米軍の撤退ももとめられますが、北朝鮮は当面、撤退には固執していません。敵国でなければ原則不要ですが…
⑥南北和平の推進→平和的統一の道筋
⑦北朝鮮経済の立て直し
これについては5.で詳しく触れます。
⑧日朝国交回復と「賠償」
平和実現後の北朝鮮にとって「賠償」は最大の「援助」となります。

5.北朝鮮の経済建設
上記課題の⑦に相当しますが、きわめて困難な課題であり、特別な言及が必要なものです。
また、これをもって「東亜新秩序」が完成するという、戦後社会のゴール的性格をもつ課題でもあります。
大まかに言って3つのオプションが考えられます。
①韓国への吸収合併(ドイツ型)
②改革・開放路線(中国・ベトナム型)
③現体制を周辺国が下支えしながら、発展を促す(カンボジア型)
①はベルリンの壁崩壊のように国家の崩壊が前提です。また、西ドイツが東ドイツを支えたように韓国が北朝鮮を支えられる保障はありません
②はそもそもうまくいく見通しがありません。もしうまく行ったとしても金正恩体制の崩壊のリスクが避けて通れません。金正恩体制が崩れても良いが、それに伴う混乱は歓迎できません
③は「無害な緩衝国家」としての消極的対応になるが、最もリスクは低いと思います。将来の民主化を想定して周辺国が共通のロードマップを持つ必要があるでしょう。

6.日本の立場について
言っておきたいのですが、この問題は一番最後に考えることです。日朝問題を、核・ミサイルが焦点である北朝鮮問題に混同させるのが間違いのもとです。北朝鮮問題とも米朝関係とも直接の関わりはない世界史的には付随的な問題です。
「ほほ笑み外交に目を奪われ、ぶれてはならない。対話のための対話は意味がない」という安倍首相の当初の立場は間違いでした。
圧力と対話が基本だったにも拘らず、圧力一本槍になってしまったために対話のための戦略が不在となり、このために新状況に対応できなくなってしまいました。
ただしその後の立ち位置はかなり修正されています。日米首脳会談後の発言ではこう述べています。
核・ミサイル、拉致、過去の清算など、諸懸案を包括的に解決して、国交正常化を目指す。
平壌宣言から15年、ようやくスタート台に戻ったというべきでしょう。
日本が覚悟すべき点は、
①日本がつんぼ桟敷に置かれていたという事実を噛みしめるべきことです。
②米朝合意が成立しても、当面する個別日本の核・ミサイルの危険はまったく軽減されないということです。
③拉致問題はトランプにとってはただのリップサービスであり、日本が独自の努力で解決するしかないものです。
結果的に16年間拉致被害者・家族を放置してきた(利用はしたが)安倍晋三個人の責任も問われてくるでしょう。

2017年
1月 トランプが大統領に就任。新政権は朝鮮に対して「最大限の圧力」で厳しく対応する方針を打ち出す。

4月 シリアに対し巡航ミサイルトマホーク59発が発射される。トランプ政権は北朝鮮に対するメッセージでもあると言明。

5月8日 北朝鮮の崔善姫北米局長とアメリカ元政府高官らが非公式の接触。

5月 ポンペオCIA長官が極秘に韓国訪問。北朝鮮工作を協議する。

5月 北朝鮮、CIAと韓国の国家情報院が金正恩朝鮮労働党委員長の暗殺を試みたと主張。

6月2日 国連安保理、対北朝鮮制裁強化決議を全会一致で可決。

6月 日本海に原子力空母を2隻、原子力潜水艦も2隻展開する。戦略爆撃機のB-1が北朝鮮のミサイル発射台に擬した目標の爆撃訓練を繰り返す。

6月 北朝鮮に拘留中のオットー・ワームビアが昏睡状態となり、米国移送後死亡。トランプは北朝鮮を強く非難。

8月5日 国連安保理、石炭や鉄鉱石などを全面禁輸する制裁強化案を全会一致で採択。

8月 北朝鮮、グアム攻撃計画を策定すると発表。トランプは「グアムに何かすれば誰も見たことないことが北朝鮮に起きる」と反撃。

9月 アメリカの圧力を受けたメキシコとペルー、北朝鮮大使を国外追放する。

9月 北朝鮮が6回目の核実験。水爆実験と自称。国連安保理は原油や天然ガスの規制。北朝鮮労働者の就労を禁止する制裁強化決議を全会一致で可決。

9月 トランプと金正恩が罵倒の応酬。

9月 ティラーソン国務長官、米朝が直接接触する経路を持っていることを明らかにする。

11月 大陸間弾道ミサイルの実験。人工衛星「火星15号」を自称する。金正恩は「国家核戦力の完成」を宣言。 

11月 トランプが韓国を訪問。これに呼応し空母3隻を日本海に投入して演習。

11月 アメリカ、北朝鮮を9年ぶりにテロ支援国家に再指定。

11月 ティラーソン国務長官、海上封鎖を呼びかける。北朝鮮は「海上封鎖は戦争行為と看做す」と声明。日本が難色を示したため保留。

12月 アメリカ、北朝鮮をイランとならぶ「ならずもの国家」に指定。

12月 国連安保理、対北朝鮮制裁強化を決議。石油輸出の9割削減、北朝鮮労働者の本国送還を決定。

2018年
1月 金正恩、平昌五輪に向けた南北会談も可能だ」とする新年の辞。トランプは「米朝対話の窓は開かれている」と応じる。

1月 アメリカの呼びかけで、国連軍派遣国+日本・韓国の外相会合。平昌五輪に向けた南北対話が非核化対話に進展することを期待。

1月 ポンペオCIA長官がインタビュー。「北が米国本土に到達する核ミサイルを完成させるまでにあと数ヵ月しかない。それが最大の脅威だ」と語る。

2月 平昌オリンピック開会式。北朝鮮No.2の金永南、金正恩の妹の与正が参加。金委員長の親書を手渡して文大統領の訪朝を要請。要請は国家情報院からCIAに連絡され、ポンペオ長官からトランプ大統領にもたらされた。

2月25日 ホワイトハウス、北朝鮮が米朝対話の意志を表明したとし、「北朝鮮のメッセージが非核化に向けた第一歩なのか確認したい」と語る。

3月05日 南北首脳会談実現のため、二人の特使が北朝鮮を訪問。肩書は国家安保室長と国家情報院長であった。首脳会談を4月末に開催することで合意。金正恩は非核化の意欲を示す。

3月08日 韓国代表団がアメリカを訪問しトランプに経過を報告。トランプは「5月までに米朝首脳会談を行う」意向を示す。ここまで米国務省を通していない可能性。

3月9日 共産党の志位委員長、談話「米朝首脳会談への動きを歓迎する」を発表。

3月 安倍晋三首相、「ほほ笑み外交に目を奪われ、ぶれてはならない」と語り、対話を拒否する姿勢。

3月13日 トランプ、ティラーソン国務長官を解任し後任にポンペオCIA長官を充てると発表。ポンペイオは「核実験とミサイル発射実験の停止に加え、非核化が約束されなければ首脳会談は行わないと発言。

3月16日 ニューヨーク・タイムズ、会談準備はCIAー韓国国家情報院ー北朝鮮の「偵察総局」の間で行われていると報道。

3月22日 マクマスター国家安全保障担当補佐官が解任される。後任には元ネオコンのボルトン元国連大使が指名される。

3月25日 金正恩が北京 を訪問。朝鮮半島の非核化を支持する発言。また米朝対話にも意欲を示す。中国は最大級の歓迎。習近平の報告を受けたトランプは「金正恩が私との会談を楽しみにしていると語った」と伝える。

3月26日 ホワイトハウス、「金正恩の北京訪問は確認できないが、米朝関係が以前より改善しているということは言える」と論評。

3月末 ポンペオCIA長官が極秘訪朝し金正恩と会談。(4月17日、安倍首相訪米中に明らかにされる)

4月9日 トランプが記者会見。金正恩との会談が5月か6月上旬に開催されると表明。
驚くべき発言: 米朝関係は1世紀にわたる戦争や敵対の歴史だった。それとはかなり異なる関係となることを望む。非核化に関する合意を実現し、相互の敬意を示し、友好的な基盤を築くことができるだろう。
4月9日 朝鮮労働党の政治局会議、金正恩が米朝対話の展望を分析。詳細は不明。

4月21日 北朝鮮、核実験と大陸間弾道ミサイルの発射を中止し、核実験施設も廃棄すると発表。既存の核兵器やミサイルのあつかいは明示せず。

4月24日 トランプ、北朝鮮に対し核開発計画の放棄を呼び掛ける。金委員長について「非常にオープン」で「とても立派」だと表現。

これだけ見ても米国と北朝鮮が、したたかにダブル・トラックで関係を探っていることが分かる。
メディア報道の表面に浮かんでくるのはハードラインばかりだが、交渉への糸口も常に探られていた。だから平昌五輪→文大統領の特使派遣→金正恩の非核化発言とトランプン歓迎発言はしっかりした筋道づくりの上に成り立っているのだ。
中国もこの筋道を知らなかった。だから焦って北歓迎の大キャンペーンを張った。安倍首相は完全に周回遅れになってから、置き去りにされたことに気づいた。という経過らしい。

ところで「政策対政策、行動対行動」というのが、どうもイマイチ具体的でないとこぼし続けてきたが、富坂聰さんの記事がある程度ヒントを与えてくれる。
東アジア・クライシス 第8回 米・朝・韓に取り残された安倍外交の敗戦
というものだ。
中国とロシアは米朝が対話の道へと進むことの前提として、米韓が合同軍事演習を当面停止し、対する北朝鮮も核・ミサイル実験を一時的に凍結するダブルフリーズ(双暫停)で合意している
と書かれており、このダブル・フリーズというのが「行動対行動」の核となるものだろう。
これに対して、非核化は政策、あるいは約束に属するものでもう少し信頼を醸成しながらの長期のものになるのだろう。

「一体的・包括的かつ段階的」と聞いても分からないが…

この間の2面を費やした北朝鮮問題でも、いくつかすっきりしない問題があったが、本日の赤旗にテレビのインタビュー記事が掲載されたので、また勉強することにする。

BSフジ プライムニュース
「日米首脳会談・北朝鮮問題…志位委員長大いに語る」

1.日米首脳会談 トランプ発言に注目

非核化と戦争終結・平和体制をセットで考える

南北朝鮮の首脳が朝鮮戦争の終結を議題にしようとしている。自分はそれに賛成だ。大いに支持する。(日米首脳会談での冒頭発言)

この考えは米朝首脳会談でも取り上げられることになるだろう。

2.安倍政権 主体性と能動性の欠如

圧力と対話が基本だったにも拘らず、圧力一本槍になってしまったから、対話のための戦略が不在だ。

このために新状況に対応できない。

3.拉致問題 包括的解決の一環と位置づける

アメリカは真剣にやらないだろう、日本が取り組むしかない。そのためには日朝平壌宣言のところまで戻って仕切り直す以外にない。

核・ミサイル、拉致、過去の清算など諸懸案を包括的に解決して国交正常化を目指す(日米首脳会談後の安倍首相発言)

4.安倍首相の立場 対話による外交的解決が基本

「対話のための対話は意味がない」からの変化

5.非核化 まず北朝鮮の核放棄、ついで朝鮮半島の非核化

実際には、北が核放棄すれば半自動的に朝鮮半島の非核化になる。ただしアメリカの「持ち込まず宣言」がもとめられる。(南北非核宣言、6ヶ国協議で規定されている)

トランプの「朝鮮半島非核化」はアメリカの「持ち込まず宣言」を意味する。
6.6カ国協議 必須ではないが最良の枠組み
枠組みありきではない。できるところから始めることになる。
しかし“一番安定して進む仕掛け”であろう。
7.過去の検証 到達点からの再出発

最大の要因は北朝鮮の協定破り。しかし05年9月の米財務省による金融制裁(マカオ銀行の北朝鮮口座の閉鎖)が引き金になっている。
相互不信が非常に強い状況のもとでは、まず協定遵守、そして検証のステップを踏むことが大事だ。
8.交渉をつづけることが鍵 過去の交渉の教訓
12年にオバマ政権は6カ国協議をやめて、「戦略的忍耐」という交渉否定論に移った。それ以降に核ミサイル開発は一気に進んだ。
したがって事実としては、協議が時間稼ぎになったのではなく、協議の中止が引き金になったというべきだ。
交渉には、相互の内部事情により、進む時期と停滞する時期がある。続けることが大事だ。
9.「約束対約束、行動対行動」の原則
これは05年6カ国合意の中心原則である
「約束対約束、行動対行動で段階的に進む」(05年共同声明の第5項)
約束に約束、行動に行動が伴わなければ交渉は止まってしまう。

というわけで、相変わらず肝心のところの見通しは良くないが、この間に日米首脳会談が行われ、金正恩演説が行われたため、それを踏まえての議論になっており、少しかみ合わせは良くなってきた感がある。
要は05年6カ国合意に立ち帰り、相互確証にもとづいてじっくりやりましょう、ということと、「交渉は継続が大事ですよ」ということに尽きるか。
ただし今回の話で注目するのは、まずアメリカが「持ち込まず」原則を確認するかどうかが成否の決め手だとしていることだろう。これが「約束対約束」の核心になるという視点にはまったく同感する。





2001年

1.23 ベルギーと北朝鮮が国交樹立.ベルギー政府は,「金大中大統領からの依頼もあって,朝鮮半島の安定につながるよう国交樹立を決めた」と経緯を説明.

01年3月 ブッシュ・金大中会談

3.06 パウエル新国務長官,議会の聴聞会で証言.クリントン政権の対北朝鮮政策を見直すと声明.

3.07 ブッシュ・金大中首脳会談.ブッシュ大統領は"北朝鮮は信用できない"と発言."厳格な相互主義と徹底した検証"を要求.

3.15 北朝鮮政府,ブッシュ新政権の一連の言動に抗議し,米国との閣僚級会議を無期限に延期.朝鮮中央通信は,「南北対話をかき回そうとする米国のよこしまな政策には,三千倍の復讐が待っている.われわれは対話にも戦争にも十分な備えができている」と強い非難.

4.19 北朝鮮赤十字,大韓赤十字社に尿素肥料20万トンを支援するよう公式要請.韓国政府はこれに応じる構え.

01年5月

5.01 ブッシュ大統領,ミサイル防衛網(MD)計画の推進を宣言.

5.03 金正日,EU代表団と会見.2003年まで引き続きミサイル発射実験を停止すると述べる.一方,「ミサイル技術の輸出は貿易であり,買い手があれば販売する」ことを明らかにする.

5.05 オルブライト前国務長官,『ニューヨーク・タイムズ』へ寄稿.「ブッシュ政権がヨーロッパ同盟国のMD構想支持を願うのなら,まず北朝鮮と合理的な対話を開始する必要がある」と主張.

5.09 アーミテージ国務副長官が訪韓."核とミサイルの脅威には軍事的手段による対抗措置も辞さない"と表明.

5.26 国際原子力機関(IAEA),寧辺(ヨンビョン)の5メガワット原子炉,再処理廃棄物の保存所とされる偽装公園施設(いわゆる500号建物)などに対する査察を要求.

5.27 ケリー国務次官補,韓米日の対北政策調整会議で,"クリントン政権の対北ミサイル交渉は不充分である"と発言.00年10月の「朝米共同コミュニケ」の見直しを示唆.

01年6月 ブッシュの北朝鮮ドクトリン

6.04 『労働新聞』の論評,「ブッシュ政権が査察・検証・通常武器の削減など条件をつけるのは,対話を拒否する立場に他ならない」と批判.平壌放送は「強硬には超強硬で対応する」と絶叫.

6.06 ブッシュ米大統領,①ミサイル開発と輸出の禁止,②軍事境界線付近の通常戦力削減,③核査察受け入れ,④人道支援物資の公正な配布,を条件として,北朝鮮との対話を再開すると発表.「包括的なアプローチの枠組みから議論を進めていく.北朝鮮が前向きに対処すれば,米国は制裁を緩和し,北朝鮮住民を助ける努力を拡大する」と述べる.

6.11 韓国外交通商部長官,「朝鮮半島が統一されたとしても,米軍は地域内の安定を維持するため引き続き駐屯するべきである.アメリカは侵略への抑止力であり,北東アジアの平和と安定の守護神である」と講演.

6.13 ニューヨークでプリチャード朝鮮半島担当大使が北朝鮮国連大使と会談.米朝会議の再開へ向け調整開始.

6.18 北朝鮮外務省スポークスマン,アメリカを一方的・敵対的と非難するいっぽう,「軽水炉の提供遅延に伴う損失補償が緊急問題である」と提案.

6.21 ラムズフェルド国防長官と金東信韓国国防長官が会談.米軍が韓国に引き続き駐屯することで合意.

01年7月 国連人権委員会の勧告

7.06 アーミテージ国務次官,北朝鮮がロケット・エンジンの噴射実験を再開したと発表.

7.12 ケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補,下院で証言.IAEAの特別査察受け入れと,使用済み燃料の国外搬出の具体化が,「枠組み合意」再開の前提となると述べる.

7.19 国防総省,本土ミサイル防衛(NMD)と戦域ミサイル防衛(TMD)の区分を廃止し,一体化された弾道ミサイル防衛(BMD)構想として開発を進めると発表.

7.27 パウエル米国務長官が訪韓.対北交渉においては核・ミサイル査察が交渉の前提となると強調.

7.27 国連人権委員会,北朝鮮の人権が依然として劣悪であるという結論に達し,20項目にわたる具体的人権状況の改善を勧告.主要な内容としては,司法の独立と公正,公開処刑の禁止,刑務所に対する国内外からの査察,強制労働の廃止,旅行証明書発給制度の廃止など.

01年8月

8.04 金正日,ロシアを訪問しプーチンと会談.8項目のモスクワ共同宣言に合意.96年に失効した旧ソ連時代からの友好協力相互援助条約に代わる友好善隣協力条約に署名.

8.08 北朝鮮外務省スポークスマン,「ミサイル問題を前提とする米国の態度が変わらない限り,対話のテーブルにはつかない」と述べる.

01年9月

9.02 江沢民主席が北朝鮮を訪問.92年の中韓国交樹立によって途絶えた中朝間の首脳の相互訪問が、10年ぶりに回復する.中国側は南北の関係改善,日米などとの関係改善を「支持」する姿勢を打ち出す.

9.11 ニューヨークで同時多発テロ.米韓連合軍司令部は,スチュワート司令官名で米韓連合軍に非常警戒令を発動.金大中大統領は,翌日になって韓国軍及び警察に「非常警戒措置」を指示.

9.13 北朝鮮外相,9.11テロを「非常に痛ましい悲劇」と呼び,あらゆる形のテロに反対すると言明.

9.15 ソウルで第5回南北閣僚級会談が開催.南北離散家族の相互訪問,第2回経済協力推進委員会,次回閣僚級会談の開催などが合意される.

9.17 小泉首相が平壤を訪問し、金正日と会談。日朝共同声明を発表。金正日は拉致事件の存在を認め謝罪。4人の生存を認める。

9.17 IAEAのエルパラダイ事務局長,北朝鮮の査察がまったく進んでいない状況に関して警告.北朝鮮は「荒唐無稽で強引な主張であり,言いがかりだ」と反論.

01年10月 ブッシュ、金正日を罵倒

10.08 米のアフガン侵攻.韓国国防部と米韓合同参謀本部が北朝鮮軍の動向を協議.金大中大統領は国家安全保障会議で「非常警戒態勢」の強化を指示.

10.09 「ブルッキングス研究所」のジョエル・ウィット研究員,「北朝鮮の体制を完全に変化させようとする政策は好ましい結果をもたらさない。北朝鮮がノーマルな国家として国際社会に参与できるよう手助けする姿勢が望ましい」と述べる.

10.11 F15E戦闘機を主体とする飛行大隊が,米本土から在韓米軍基地に派遣.

10.12 北朝鮮,「南が非常警戒態勢を強化している状況では,離散家族の相互訪問は不可能」として延期を通告.南は北の一方的な延期通告に抗議し,「非常警戒措置は対テロ戦争の一環として発令されたもので,北を対象としたものではない」ことを強調.

10.16 APEC首脳会議に出席したブッシュ大統領,記者会見で「金正日にメッセージがある.自分の側の約束を実行せよ.会おうといった以上会え.なぜ彼は話し合おうとしないのか.合意の実行すら拒否するこの男はいったい何なのか」と叫ぶ.

10.18 閣僚級会談北側団長名義の韓国政府あて書簡が発表される.「アメリカ本土から空軍戦力を新たに引き入れたのは,明らかに我が方を刺激する敵対行為」と非難.

10.18 アジア太平洋司令部を指揮するブレア提督,『東亜日報』の質問に答え,「アメリカにとっての3大地域はヨーロッパ,西南アジア,東アジアの順だったが,今は東アジアがもっとも優先され,西南アジア(中東と中央アジア),ヨーロッパの順に変わった」と発言.

10.19 上海のAPEC総会で,金大中とブッシュが二度目の首脳会談.金大統領は,「太陽政策は北朝鮮を改革と開放に導くための政策であるから,アメリカ政府も積極的に協力してほしい」と要請.北朝鮮政府は,「金大中発言は南北の体制を相互に尊重することを前提にした6・15共同宣言の精神を著しく損なうもの」と非難.

10.23 「労働新聞」の論評.「…自主権の尊重はテロを防止する最善の道である。地球上で発生するすべての軍事的衝突と戦争はその性格と形態がいかなるものであれ,結局は他の国や民族の自主権と利益を侵害し蹂躙したことが根源となっている。すべての国と民族の自主権を尊重する原則が徹底して遵守されてこそ健全な国家関係と国際秩序が樹立され,すべてのテロと軍事衝突もなくすことができる」

01年11月 ブッシュ、イラクと北朝鮮を名指し非難

11.06 プリチャード朝鮮半島特使,上院外交委員会で証言.「クリントン政権による対北交渉の結果は,すべて無効になったわけではない」と述べる.

11.08 米議会調査局の朝鮮問題専門家,「ブッシュ政権は互恵的な措置をとる用意があることを北朝鮮に示唆すべきである。…通常武器の削減を要求しながら,それに見合うどのような措置を取るかについて明らかにしてこなかったのは失策である」と述べる.

11.14 金剛山で第6回南北閣僚級会談.離散家族再会問題をめぐり完全に決裂.次回日程を決めないまま決裂.南北の政府間折衝がすべて中断.ハンナラ党は「国民の自尊心と国家の利益を度外視した亡国的な対北朝鮮政策を原点から見直すべきだ」と批判.

11.19 生物兵器禁止条約に関する第5回評価会議(ジュネーヴ)が開かれる.ボルトン米国務次官は「イラクと北朝鮮は,生物兵器禁止条約に違反しており,軍事的目的に使用できる十分な量の生物・細菌武器を生産できる」と発言.国際調査を要求したアメリカの提案は採択されず.なお,事務局提案の「生物兵器の開発・生産・保有の実態を確認するための検証議定書」は,アメリカの抵抗によって流産となる.

11.26 ブッシュ大統領が記者会見.イラクと北朝鮮が大量破壊兵器(weapons of mass destruction)に関する査察を受け入れるよう要求.「もし他国をテロの恐怖に陥れるため大量破壊兵器を開発するなら,応分の責任をとらせる」と述べる.

11.28 韓・米・日の対北政策調整グループ(TCOG)会議,北朝鮮に対して「大量破壊兵器の開発を中断し,テロに反対する追加的な措置を取るよう」に要求.

11月 朝銀に2898億円の公的資金が投入される.

01年12月

12.13 ブッシュ政権,ABM条約からの離脱をロシアに通告.

12.22 日本の海上保安庁艦艇,北朝鮮の「不審船」を東シナ海で追跡.不審船は交戦のあと自沈する.

12月 韓国,射程300キロのミサイル110発をロッキード・マーチン社から購入.これを機にミサイル関連技術輸出規制(MTCR)に加盟.

12月 北朝鮮赤十字会,「日本人行方不明者」の調査を中止すると発表.

12月 中朝貿易は7億3900万ドルに急増。99年実績の2倍となる。

 

2002年

02年1月 悪の枢軸

1.08 国防総省,連邦議会へ8年ぶりの「核戦略体制見直し報告」(NPR)を送付.核戦略の目的を,冷戦時の“抑止力”から,テロリストや「ごろつき国家」との戦争で“実際に使用する攻撃力”へと転換することをうたう.

添付機密文書
報告には機密文書が添付されており,ロサンゼルス・タイムス,ニューヨーク・タイムスなどによって暴露される.北朝鮮・イラク,イラン,リビア,シリアのほかロシア,中国まで含め,少なくとも7か国を対象とした核攻撃のシナリオを策定,限定的な核攻撃を想定した小型戦術用核兵器の開発を軍に指示.

1.29 ブッシュ大統領,一般教書演説(State of the Union address)で北朝鮮,イラン,イラクを「悪の枢軸」(axis of evil)だと名指し.

各界の批判
クリントン前大統領 「北朝鮮はイランやイラクとは異なるアプローチが可能な国だ。2000年12月には米朝関係が急進展した.そして北朝鮮との間でミサイル開発計画の放棄に関する合意が取り交わされようとしていた。…私自身は北朝鮮問題に関する限り,後任者に大きな外交的勝利を残したと自負している」
アナン国連事務総長 「世界を善の国と悪の国に分ける二分法的な観点は非現実的である。国連安全保障理事会は,アフガニスタン以外の国を対象とした軍事行動に関して,いかなる決定も下していない」
ドイツのフィッシャー外相 「アメリカが無分別に軍備を拡張すれば,世界はますます不確実で危険なものになる。アメリカの軍事的冒険主義は,同盟国の支持を得られないだろう。我々は同盟国であって,衛星国ではない」
ニューヨーク・タイムズ 「ブッシュ大統領はイラン・イラク・北朝鮮を‘悪の枢軸’と規定した.しかしヨーロッパの人たちは,逆に,ラムスフェルド国防長官・チェイニー副大統領・ライス大統領安保補佐官を悪の枢軸と見なしている」 

1.31 ハバード駐韓大使,「われわれはストレートに話す.北朝鮮の顔を立てる形で交渉に入るのはアメリカのやり方ではない」と述べる.

1月 金正日、二回目の中国訪問。上海を訪れ中国の経済発展を賞賛。

02年2月 We are ready!

2.05 パウエル,上院外交委員会で証言.北朝鮮との対話窓口は無条件で開かれていると述べる.また「平壤は依然ミサイル開発を凍結しており,枠組み合意も守っている」ことを明らかにする.

2.09 ロサンゼルス・タイムスの報道によれば、ブッシュ政権はイラク、北朝鮮など7ヵ国を対象に、非常時の核兵器使用計画策定とピンポイント用の小型核兵器開発を命じた。

2.19 ブッシュ,日本・韓国・中国を歴訪.金大中大統領との会談後,「金正日に対する見方を変えるつもりはない」としつつ,「北朝鮮に対する軍事攻撃の意思はなく,対話による解決を望む」と発言.金大統領は「ブッシュが対北包容政策への積極的な支持と,無条件での対北対話の意志を表明した」と評価.

2.20 北朝鮮,「われわれの最高首脳部を露骨に中傷したブッシュのようなやからは相手にしない」と声明.

2.20 ブッシュ,非武装地帯から100メートルの最前線を視察.「We are ready!」(かかってこい)と演説.

2.21 ブッシュ,烏山の米空軍基地で演説.「朝鮮半島の平和は,確固たる軍事力によって築かれている。我々は朝鮮半島に引き続き米軍を駐屯させるだろう」

2.27 北朝鮮の金剛山で「2002年迎春南北共同のつどい」,韓国政府が「統一連帯」代表の参加を承認しなかったことから流会となる.

02年3月 合同軍事訓練の再開

3.10 米国防総省,「核戦力体制見直し報告」(NPR)を議会に提出.北朝鮮,中国,ロシア,イラン,イラク,リビア,シリアの7カ国を潜在的な核攻撃対象に指定.非核攻撃で破壊しきれない目標物,核・生物・化学兵器攻撃に対する報復,不測の軍事事態では核兵器を使用できるとしている.

3.10 新千年民主党と野党ハンナラ党のスポークスマン,「朝鮮半島だけでなく,いずれの国に対する核兵器使用にも反対する」などと批判する声明.

3.13 ブッシュ米大統領,「イラクのような国家が大量破壊兵器を開発し,我々の将来を脅かす事態を断じて許さない。あらゆる選択肢が用意されている」と言明.非核保有国に対しても核攻撃を排除せずとの立場を明らかにする.さらに核兵器の小型化,高性能化を進め,いつでも使用できるようにすると言明.

3.14 朝鮮中央通信,米国が北朝鮮に対する核使用の可能性について言及したのを受け,「94年のジュネーブ合意など北朝鮮-米国間合意を全面的に見直しせざるを得ない」と声明.同時に,国連本部で北朝鮮特使が米国のプリチャード代表と,対話の再開に向けて二回の会談.

3.19 ブッシュ政権,北朝鮮に対する「米朝枠組み合意」遵守の認証を拒否(北朝鮮が合意を遵守していないとの認識).ただし「アメリカ側の枠組み合意に対する誠意を示すため,特例規定により重油供給は続ける」とする.重油供給の予算執行が不可能となる.

3.21 94年以降縮小され中断されていた米韓連合訓練が再開される.50万人の大規模演習となる.兵力・装備を前方まで展開させる戦時増員訓練,北朝鮮軍の特殊部隊の大規模浸透に備える「イーグル演習」が並行して進められる.

3月 八尾恵(よど号犯人の妻),北朝鮮政府の指示の下に有本恵子さんを拉致したと証言.北朝鮮赤十字会は日本人行方不明者の調査再開を表明.

02年4月

4.03 金大中大統領の特使として林東源(イム・ドンゥオン)大統領府外交安保統一特別補佐官がピョンヤンを訪問.

4.03 北朝鮮外相,プリチャードとの会談を確認.KEDO再開について米国の主張を受け入れる用意があると表明.

4.05 林補佐官,金正日と会見し金大中大統領の親書を伝逹.①6.15共同宣言を再確認し緊張事態の発生防止に努力する.②経済協力推進委員会や離散家族の相互訪問など,南北間の対話と協力事業を積極的に推進,③南北軍事当局間の会談を再開することで合意.

4.18 崔成泓外相,「北朝鮮を対話の場に引き出すには大きなムチが有効であり,ブッシュ政権の断固たる処置が北の態度を変化させた」と述べる.北はこの発言を受け態度を硬化.

4.28 “金剛山ダムの崩壊説”がテレビでいっせいに報道される.米の軍事衛星の写真をもとに「北の金剛山ダムは不実工事のために崩壊する恐れがあり,その影響で南に大規模な水害が発生する」というもの.

4月 日朝赤十字会談と外務省局長級協議が開催され,小泉首相訪朝が決定.

5.08 瀋陽の日本大使館に北朝鮮人5人が駆け込み。

5.21 国務省、北朝鮮をテロ支援国家に指定。

02年6月 黄海上の軍事衝突

6.01 ブッシュ大統領,ウエストポイント陸軍士官学校の卒業式で演説.「テロとの戦争は,守勢に回っては勝てない.われわれは敵の陣内で戦闘を行い,計画を打ち砕き,最悪の脅威が現実化する前に勝負に出なければならない」と先制攻撃論を主張.

6.11 米下院本会議,「中国政府に北朝鮮難民の強制送還中止を求め,国連高等難民弁務官の活動を認めるよう要望する決議」を全会一致で採択.19日には上院も全会一致で採択.

6.25 ブッシュ政権,「米側の懸案事項を提示し,対北政策を説明するため」北朝鮮に特使を派遣するとの案を提示.特使候補にはケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補を指名.

6.29 99年に続く黄海上の軍事衝突事件.北方限界線を越えて南進した北朝鮮警備艇二隻が,韓国軍警備艇に無警告で発砲.韓国軍は死者5人,負傷者19人を出す.北朝鮮側も警備艇一隻が炎上.

6.30 北朝鮮海軍司令部,NLLは「米軍が勝手に引いた幽霊線で,我々は一度も認定していない」と反駁.

6月 CIAの秘密報告.「97年から北朝鮮とパキスタンの往来が頻繁になった。ミサイルの代金を支払えないパキスタンは,見返りとして核開発技術の提供を北朝鮮にもちかけた」とする.

02年7月 白南淳・パウエル非公式会談

7.01 北朝鮮外務省スポークスマン,銃撃戦は韓国の挑発行為であり,北方限界線は恣意的なものであり無効と声明.

7.01 北朝鮮、経済改善措置を実施。公定価格の設定、対ドルレートを70分の1に切り下げ、企業独立採算性などが行われ、市場経済化への移行を目指す。

7.25 北朝鮮政府,韓国政府あてに「黄海上で偶発的に発生した武力衝突事件を遺憾とする」との書簡を送る.さらに金剛山会談の再開を提案.「第7次南北閣僚級会談では,鉄道連結問題,離散家族の再会問題など」を議題とするよう促す.

7.26 ブルネイのASEAN地域フォーラムでは白南淳外相がパウエル国務長官と非公式会談,「ケリー特使の訪朝を歓迎する」と表明.

7月 北朝鮮外務省スポークスマン談話,アメリカの特使を受け入れる用意があるとの意向を表明.

7月 北朝鮮がウラン濃縮施設の建設を始める.

7月 日朝外相会談,拉致問題や過去の清算などを包括的に協議することで合意.

7月 北朝鮮で経済改革が実行される。食料の自由販売が認められ、コメ1キロが900ウォンに高騰する(一般事務職の給与は約2000 ウォン)。

02年8月

8.07 北朝鮮のKEDO合意に基づく軽水炉の起工式.プリチャード国務省特別代表が列席する.プリチャードはIAEA査察の即時・無条件受け入れを促すが,北朝鮮は少なくとも3年間の猶予を求める.

8.16 米国,イエーメンにミサイルを輸出したとして,北朝鮮に新たな制裁.フライシャー報道官は,この制裁により交渉の窓口を閉ざすわけではないと述べる.

8.31 ジョン・ボルトン軍縮・国際安全保障担当国務次官補,平壤のミサイル・核・生物兵器問題を非難しつつも対話の可能性を示唆.北朝鮮は,「ボールは米国側のコートにある」とする声明.

02年9月 日朝首脳会談

9.16 ラムズフェルド米国防長官「北朝鮮は核兵器を保有している」と述べる.

9.17 小泉首相と金正日が会談.平壤宣言を発表.北朝鮮は無期限のミサイル発射実験凍結を発表.また核開発に関し「すべての国際合意を順守する」とし、朝鮮半島における核問題の包括的解決と,国際合意の完全な尊重をうたう.席上,金正日は拉致事件を認め謝罪.

金正日「謝罪」の全文: 70年代,80年代初めまで特殊機関の一部に妄動主義者がいて,英雄主義に走って,こういうことを行って来たと考える。二つの理由があると思う。一つは特殊機関で日本語の学習が出来るようにするため,一つは日本人の身分を利用して南(韓国)に入るためだ。
私が承知するに至り,責任ある人々は処罰された。これからは絶対ない。この場で,遺憾であったことを素直にお詫びしたい。二度と許すことはない.

9.18 韓国と北朝鮮を結ぶ鉄道と道路を連結させる工事が同時に着工式。

9.19 非武装地帯内の地雷除去作業が開始される。

9.20 米政府高官,「当面、北朝鮮を先制攻撃の対象.国としては想定していない」との見解を明らかにする.

9.28 拉致被害者調査で,政府が調査団を派遣.

02年10月 ケリー訪朝と核保持宣言

10.02 日本政府調査団が拉致被害者の調査結果を公表.生存5人は本人と断定.死者8人は特定できず.

10.03 ケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補を団長とする8人の代表団が北朝鮮を訪問.「大量破壊兵器,ミサイル開発プログラム,ミサイル輸出,脅迫的な通常戦力配置,人権抑圧,悲惨な人道的状況」などに言及.これらの問題を包括的に解決するよう要求.「ウラン高度濃縮装置の開発を進めている」証拠を提示する。

10.04 姜錫柱(カン・ソクチュ)第一外務次官、ケリーの提示した証拠を前に,ウラン濃縮計画の存在を認める.さらに「生物兵器も保有している」と表明.北朝鮮側はこれまでウラン濃縮計画を一貫して否定.「米国はないものをあると強弁している」と非難した。

10.07 北朝鮮外務省スポークスマン声明。「ケリーの言動は一方的な要求を押し付けようとする高圧的で傲慢な態度である.…我々は主権を守るために高濃縮ウラン(HEU)計画を推進する権利がありる。さらに核兵器だけではなく,より強力な他の兵器も所有する資格がある」と反論.(枠組み協定はウラン濃縮を禁止してはいない)

10.11 世界食料機構,支援用穀物の不足のため,東海岸諸道への食糧配給を段階的に停止すると発表.5月から援助が停止されている中学生25万のほかに,小学生100万人への1日200グラム,高齢者・障害者など14万人への1日500グラムの穀物配給が停止.11月からは小学生未満の児童100万と,妊婦への食糧援助も打ち切りの予定.

10.15 拉致事件被害者5人が一時帰国.

10.16 ケリー米国務次官補,姜錫柱発言を元に「北朝鮮が核兵器開発のためウラン濃縮計画を推進している」と発表.事実上「枠組み協定」の死文化を宣言.訪朝が不調に終わったのを受けてのもの.

10.17 米国務省はこれを根拠に、世界に向け「北朝鮮がHEU計画を認めた」と宣言した。北朝鮮はそのような事実はないと反論するが、国連代表部筋は、「米国務省の声明は大筋で事実だと認識している」と述べる。

10.16 IAEAのエルバラダイ事務局長,「北朝鮮はIAEAを脱退しているが,NPTには加盟しており,核施設についてIAEAへの報告義務がある」と述べる.

10.18 朝鮮日報,北朝鮮が核開発のためパキスタンから濃縮ウラン製造用の遠心分離器など関連装置を購入し,秘密施設で数年間にわたり濃縮実験を行ったと報道.

10.19 ケリー米国務次官補,北朝鮮が核開発放棄の条件として,①米朝平和条約の締結 ②北朝鮮を先制攻撃の対象としない ③北朝鮮の経済システムの是認,の三つをあげたことを明らかにする.

10.19 韓国と北朝鮮が第8回南北閣僚級会談を開催。「核問題を対話で解決」することで合意。

10.20 パウエル米国務長官,94年の米朝枠組み合意は事実上無効化したと言明.いっぽう,「合意に盛り込まれている経済援助を停止するかどうかは検討中」と述べる.ニューヨークタイムズは「ブッシュ政権が米朝枠組み合意を破棄することを決定した」と報道.

10.23 南北閣僚級会談,北朝鮮の核開発問題は「対話を通じて問題を解決する」ことで合意.韓国側が求めた核開発の断念は盛り込まれず.

10.24 政府,一時帰国した5人を返さず,さらに家族の帰国を求める方針を発表.

10.25 北朝鮮外務省スポークスマン声明,「われわれは米側からの核脅迫に対し,自主権と生存権を守るために,核兵器はもちろん,それ以上のものも持つことになっていると明確にした」と発表.さらに朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言は,アメリカが核先制攻撃戦略を採用したことにより死文化したと宣言.

10.26 メキシコのロスカボスで開かれたAPEC首脳会議に出席した日米韓の三首脳,「核問題を含む安全保障上の問題と拉致事件の解決なくして交渉はありえない」と声明.核兵器の検証可能な撤廃をもとめる。

10.28 朝鮮通信が声明を発表。米国特使は「なんの根拠資料もなしに、われわれが核兵器製造を目的に濃縮ウラン計画を推進し、朝米基本合意文を違反していると言いがかりをつけている」との非難声明。

10.29 クアラルンプールで日朝国交正常化交渉.拉致問題がネックとなり進展なし。

02年11月

11.05 北朝鮮,日朝正常化交渉が進展しなければミサイル発射実験の凍結を解除すると発言.

11.09 KEDO日米韓調整グループ,12月以降の北朝鮮への重油提供を停止すると決定.

11.14 KEDO,北朝鮮が高濃縮ウラン計画を廃棄するまで,重油供給を停止すると発表.

11.17 平壤放送、「米朝枠組み合意に違反したのは米国の側である。米帝国主義が核脅威を増大させるなら、それに対抗しわれわれの自主権、生存権を守るためには、核兵器をふくむ強力な軍事的対抗手段を保持しなければならない」と述べる。

11.24 日朝両政府,大連で非公式折衝.北朝鮮側は「平壤宣言はしっかり守っていきたい」と言明.

11.21 CIA、北朝鮮が「プルトニウム爆弾を1、2個保有し、原爆数個分のプルトニウムを保有している」との推定を明らかにする。

11.26 パウエル国務長官、パキスタンのムシヤラフ大統領と会談。北朝鮮との接触は重大な結果を招くと警告。

11.29 IAEA理事会,「北朝鮮はウラン濃縮計画の問題を明らかにしなければならない」と決議.寧辺(Yongbyon)の核施設の特別査察をもとめる。北朝鮮はIAEAは米国の回し者として,決議の受け入れを拒否.

11月 米議会の調査機関,「北朝鮮の原子炉は毎年少なくとも一個分の核兵器を作るだけのプルトニウムを生産できる」と報告.

02年12月 イエーメンにミサイル輸出

12.02 中ロ首脳会談。朝鮮半島非核化と大量破壊兵器不拡散、米朝枠組み合意に基づく米朝関係の正常化支持、南北対話などをうながす共同宣言を発表。北朝鮮を突き放す。

12.04 北朝鮮の白南淳外相、IAEA事務局長に「理事会決議は受け入れられない」との書簡を送る。

12.09 アメリカとスペインの艦船,イエーメンに北朝鮮のセメントを運ぶ北朝鮮船「ソ・サン号」に対し停船命令.威嚇射撃の上特殊部隊員による臨検.セメント袋の下からスカッド・ミサイルとロケット燃料が発見される.フライシャー報道官は,この船がミサイル部品を積んでおり,その最終目的地はイラクだと主張.

12.10 イエメンのサーレハ大統領,ミサイル購入の事実を認めた上,ソサン号の引渡しを要求.アメリカ側の説得に応じず.アメリカはミサイルごとソサン号を解放.

12.11 ブッシュ政権、「大量破壊兵器に対する国家戦略」を発表する。

12.12 北朝鮮政府,核凍結解除を宣言する。枠組み合意で凍結された寧辺の核施設を再稼働させると表明.IAEAあての書簡で「年間50万トンの重油供給を前提にして講じた核凍結を解除し,電力生産に必要な核施設の稼動と建設を即時再開する」と通告.IAEAが設置した封印と監視設備を撤去するよう求める.

12.18 朝鮮日報、北朝鮮が核兵器開発に必要な高性能爆薬を使った起爆実験を続けていると報道。実験の回数は1993年までに70回、94年の枠組み合意以降も、70回以上実施しているとされる。

12.19 太陽政策の継続を掲げる盧武鉉が韓国大統領に当選.

12.21 北朝鮮,核凍結の解除措置を開始。寧辺の原子炉施設に設置されたIAEAの監視カメラを無力化.使用済み核燃料棒,約8000本の収められた核燃料棒製造工場・再処理施設の封印を取り去る.

12.24 北朝鮮,寧辺の施設に新たな燃料棒を運び込む.使用済み燃料棒の貯蔵庫を開けることは保留.

12.26 IAEA,寧辺の原子炉施設(5000キロワット)に約400本の燃料棒が搬入されたことを確認.エルパラダイ事務局長,「北朝鮮が各施設を再稼動させ,プルトニウムを生産する方向で動き出すのは,核の瀬戸際政策に他ならない」と警告.

12.27 IAEA,寧辺の原子炉施設にさらに1000本の燃料棒が搬入され,合計で約2000本の搬入が完了したことを確認.

12.29 北朝鮮政府,IAEAはワシントンの手先にすぎないと非難し,再び査察官を国外追放.

12.30 ニューヨーク・タイムス、北朝鮮の核開発で米が武力行使の可能性を当面排除しているのは北朝鮮の報復から韓国と日本を防衛する有効な手段がないからと報道。

12.31 ブッシュ米大統領、北朝鮮核問題を外交的方法で平和的に解決すると明言。

 

2003年

03年1月  NPTからの脱退

1.07 日米韓が政策調整会(局長級)協議.北アメリカが不可侵の確約を文書化する案を拒否したことで暗礁に乗り上げる。朝鮮が核開発を放棄すれば対話に応じる用意があると声明.

1.10 北朝鮮,核拡散防止条約とIAEAの保障措置(査察)協定からの離脱を発表.パウエル国務長官は,北朝鮮の核問題を安保理に提示する意向を表明.

1.11 北京駐在の崔鎮洙北朝鮮大使,NPT離脱に関して記者会見を開催。長距離ミサイル実験の凍結解除と核兵器の開発を示唆する.

1.11 IAEA担当北朝鮮大使、米国が指摘したウラン濃縮開発計画について「そのような計画はない」と述べる。

1.13 ブッシュ政権,核兵器開発計画の解体を前提として,北朝鮮との「話し合い」に応ずる用意があると声明.書簡の形で北朝鮮へ不可侵を確約すると提案。

1.18 崔鎮洙駐北京大使,アメリカが北朝鮮の自決権を認め、不可侵を確約すれば、核問題は対話で解決するだろうと語る。

1.19 アーミーテージ米国務副長官、北朝鮮への包括提案を検討中と話す。プルトニウム、化学兵器などの大量破壊兵器を放棄する見返りに、不可侵を文書化し、経済支援をおこなうというもの。

1.19 アナン国連事務総長の特使として北朝鮮を訪問したストロング特別顧問,「(米朝)双方の意思の疎通がない.現在の認識がエスカレートすると深刻な状況になる」と懸念を示す.また「北朝鮮は,国の安全のためなら戦争に突入する決意をしている」と強調.

1.20 パウエル国務長官,北朝鮮危機を国際的協力の下で解決する用意があると発言.

1.21 第9回南北閣僚級会談が開催される。北朝鮮代表は「核兵器製造の意思はない」と表明。

1.25 北朝鮮政府,「核問題は朝米の2国間問題であり,いかなる形態の多国間協議にも参加しない」と表明.

1.27 韓国政府の林東源特別補佐官が核問題解決で訪朝、朝鮮最高人民会議の金朴南常任委員長と会談。

1.28 ブッシュ,一般教書演説.北朝鮮問題の「平和的解決を図る」ことを明らかにする.同時に「北朝鮮は核計画によって人々をおののかせ,譲歩を勝ち得ようとしている.しかしアメリカと世界は恐喝には屈しない」と述べる.

1.31 ニューヨーク・タイムズ紙,貯蔵庫からの燃料棒の搬出と見られる動きをアメリカ政府がつかんだと報道.

03年2月 米国、核施設先制攻撃を示唆

2.03 盧武鉉の顧問団が訪米.米政府関係者は,「アメリカが北朝鮮の核施設爆撃を行った時はどうするか?」と質問.顧問団は「両国同盟の終わりを意味する行為だ」と強く反発したという.

2.05 平壤放送、「電力生産のため核施設の稼働を再開した」と報じる。

2.07 ブッシュ米大統領、北朝鮮に対し「あらゆる選択肢がある」と発言。軍事手段もあり得ると警告。

2.07 北朝鮮平和統一委員会「侵略軍隊を増強する米国の動きにストップをかけなければ、朝鮮半島は灰になり、朝鮮人たちは恐ろしい核の災厄をまぬがれないだろう」

2.12 IAEA特別理事会,北朝鮮の核査察拒否問題を国連安保理に付託する決議を採択.中国は決議賛成に回る.ロシアとキューバが棄権.反対はゼロ.

2.13 ラムズフェルド米国防長官、在韓米軍の削減方針を提示する。

2.16 在日米軍にF15戦闘機、U2偵察機などが増派される。北朝鮮有事に備えてのものとされる。

2.18 石破防衛庁長官、北朝鮮が核兵器を保有しても日本は非核三原則を順守し、核兵器を保有しないと言明。

2.19 北朝鮮のジェット戦闘機が、黄海海上で境界線を7マイル越えて侵入。韓国軍は6機の戦闘機を送り、地対空ミサイルを警戒態勢に置く。

2.25 盧武鉉が大統領に就任.「北東アジアの時代が到来している」と強調.「太陽政策」を継承する「平和と繁栄政策」を掲げる.韓国の経済発展は朝鮮半島の「平和定着」にかかっているとし,「四原則」を提示.①対話による解決,②信頼と互恵,③当事者である南北重視の国際協力,④国民の参与と与野党の協力.

2.25 盧武鉉の就任式にあわせ、北朝鮮は短距離対艦ミサイルを海上に向け試射。5年ぶりのミサイル発射となる。

2.26 盧武鉉大統領の就任式に出席したパウエル国務長官は,「全てのシナリオは検討に値する」との立場を表明.

2.27 寧辺の実験用5メガワット原子炉が再稼働を開始.計算上は1年で、核爆弾のための十分な材料を生産することが可能となる。しかしプルトニウムを生産するための再処理施設は稼動せず。

03年3月 イラク戦争開始

3.01 アメリカと韓国,合同で対北軍事演習チームスピリットを実施.

3.02 北朝鮮のジェット戦闘機4機が日本海海上で米偵察機の飛行を妨害。

3.07 朝鮮中央放送,核施設再稼働を認める報道.「切迫した電力の問題を解決するため」とする。

3.10 韓国で「スパイ団事件」が発生。386世代の元学生運動家チャン・ミンホ容疑者(44)は、17年間にわたりスパイ活動を続けたことを明らかにする。

3.12 ケリー米国務次官補,米上院外交委員会の公聴会で証言.「北朝鮮が化学兵器を保有していることを確信する.また濃縮ウラン問題は数年後ではなく,多分数ヶ月後の問題」と言明.具体的な根拠には触れず.

3.20 米・英連合軍のイラク侵攻が始まる.盧大統領は,「大量破壊兵器を速やかに除去するための処置」であると,アメリカへの支持を表明.

3.21 「枠組み合意」の米側首席代表ロバート・ガルーチが東京で講演. 「双方の首都に連絡事務所を開設する約束は実現せず,軽水炉建設も遅れた.北朝鮮側は枠組み合意によって外交的・政治的な利益を得ることができなかった.濃縮ウランによる核開発計画は,米国が北朝鮮の生存を保証しないという事態に備えて,北朝鮮が掛けた保険」であると示唆.

3.29 「週刊ハンギョレ21」が「アメリカの北朝鮮核施設に対する先制攻撃」の是非を問う世論調査.「反対する」が77%に達する.さらに,「もし対北先制攻撃が決定され場合,それを阻止するために‘人間の盾’として参加する意志があるか」との質問に,40%が肯定的な反応を示す.

03年4月 We have nukes!

4.02 韓国議会,イラク派兵決議案可決.大統領は,「韓米関係を強固にすることが,北朝鮮の核問題を平和裏に解決する道である。…国民の安全を守り戦争を防止する責任者として,派兵を決心した」と演説.

4.09 朝鮮中央通信,日本の閣僚や政治家の「北朝鮮脅威論」が相次ぐことを批判.「日本はわれわれの攻撃圏内にあることを認知すべきだ」と”警告”

4.11 「USAツデー」とCNNが朝鮮問題について米国民世論調査.「アメリカは北朝鮮との戦争に突入すべきか」との質問に,反対67%,賛成28%.

4.12 北朝鮮外務省,「アメリカ政府が核問題解決において対朝鮮政策を大胆に転換する用意があるのなら,対話の形式にはこだわらない」と見解を表明.米朝直接協議以外の選択肢も提示.

4.13 ブッシュ大統領,記者会見で「北朝鮮問題に進展が見られる」との肯定的な評価を与える.

4.17 ラムズフェルド国防長官,「北朝鮮に核放棄の代償を提供すべきではない」と三ヵ国協議を批判.「アメリカよりも,北朝鮮と経済的な関係の深い韓国・日本・中国などが交渉のカギを握っている。日韓両国が今後の協議に参加することは,北朝鮮を動かすためにも肝要である」と述べる.

4.18 北朝鮮外務省,ラムズフェルド発言に不快感を表明.「使用済み燃料棒の再処理」を示唆する発言.

4.23 北京で,中国を仲介役とする米朝中の3カ国協議が開催される.冒頭,北朝鮮は「We have nukes」と発言.核兵器保有を認める.使用済み核燃料棒の再処理に入ったことも明らかに.さらに米側の対応次第では核実験に踏み切る可能性を示唆.

4.24 北朝鮮発言を受けた米政府内の強硬派は,国際的な制裁措置の必要性や北朝鮮の武器輸出阻止を提案.

4.25 北朝鮮外務省,米朝中協議後に談話を発表.「朝米双方の憂慮を同時に解消できる新しい寛大な解決方途を打ち出した」と表明.弾道ミサイル発射実験の凍結とミサイル輸出の中止にも応じる方針を示す.

提案の骨子
米政府筋によれば,北朝鮮側は以下の三点を条件提示.  ①米国が敵視政策をやめる,米朝と日朝の国交正常化の即時実現,②核開発計画は放棄・廃棄するが,製造済みの核爆弾は引き続き保有.③核関連施設がある寧辺に限定して核査察官を受け入れる.

4.29 バウチャー国務省報道官,北朝鮮が核兵器保有と核再処理開始の事実を認めたうえで,「条件が満たされれば核計画放棄とミサイル輸出の中止に応じる」と表明したことを明らかにする.条件としては,食糧・エネルギー分野における本格的な経済支援.米国だけでなく,日本からの大規模な資金と援助物資の提供を想定.

4.30 韓国と北朝鮮の第10回南北閣僚級会談が平壌で開催される.北朝鮮の核問題を「対話を通じて平和的に解決するために引き続き協力していく」などとした6項目の合意.

03年5月

5.23 日米首脳会談.日米韓の三国が多国間協議を継続し,連携を強めることで合意.

5.31 日中首脳会談.核問題の平和的解決を目指し,米中朝協議を継続させることで合意.

6.07 盧大統領と小泉首相が共同声明.「北朝鮮の核問題は北東アジアの深刻な脅威であり,平和的・外交的に解決されなければならない」とし,日韓両国が参加する多国間対話への期待を表明する.

6.17 川口外相,ASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議の非公式夕食会で北朝鮮の許鍾大使と接触.

7.31 北朝鮮政府,6ヶ国協議受け入れを韓国政府に通知.対北朝鮮敵視政策の撤回の公約と,核凍結に伴う米国自身の保障措置を求める.

03年8月 第1回6カ国協議

8.01 韓国、核開発計画をめぐる6か国協議の開催に北朝鮮が合意したと発表。

8.27 北京の釣魚台迎賓館で第一回6カ国協議が開催される.米国は「完全かつ検証可能で不可逆的な廃棄」(CVID:Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)を主張.「核放棄まで北朝鮮と取引しない」立場をつらぬく.北朝鮮外務省報道官は「このような百害あって一利なしの会談にこれ以上いかなる興味や期待も持てなくなった」とし,核抑止力を引き続き強化すると威嚇.

8.29 3日間に及ぶ第一回協議は米朝の見解の相違を浮き彫りにしただけで終わる。協議の有用性は確認された。

9月 金正日、国防委員長に再選。

10.02 北朝鮮、約8000本の使用済み核燃料棒の「再処理を終了した」と発表。

11.21 KEDO、対北朝鮮軽水炉事業を12月1日から1年間中断すると決定。

12.09 北朝鮮、米国が敵視政策を放棄すれば核開発計画を「凍結する」と発言。核廃棄の第一段階について同時一括妥結案を提起。同時に、米国がこれに合意しない場合は次回の6か国協議をボイコットすると表明。

 

2004年

04年1月

1.06 米国の核問題専門家5人が訪朝。北朝鮮は寧辺で「プルトニウム」を提示する。

04年2月

2.25 北京で第2回6ヶ国協議.北朝鮮は「会談が続けられても,問題が解決されるという期待を持つのは難しい.我々は必要な措置(核開発)を引き続きいっそう速やかに講じていく」と声明.

4.07 韓米日3カ国協議、北朝鮮における「完全かつ検証可能で、不可逆的な核の廃絶(CVID)」をもとめることを再確認する。

4.19 金正日が中国を三日間にわたり訪問.温家宝との会談で、「中国企業は北朝鮮と多様な形式で協力し、中国政府はそうした企業投資を積極奨励する」ことで合意。

5.12 6カ国協議の作業部会.北朝鮮はカーン告白を引き合いとする米国の核兵器情報に対し,虚偽の情報と断定.

5.22 小泉首相が平壤訪問.金正日と二度目の首脳会談.日朝平壌宣言を再確認する。拉致被害者の家族5人が帰国。

04年6月 第三回6ヶ国協議

6.09 中国の周外務次官,「米国は北朝鮮のウラン濃縮計画について納得いく証拠を提示していない.確たる証拠がないのなら,米国は主張を取り下げるべきだ」と語る.

6.14 バウチャー報道官,「カーン博士の告白などからも,北朝鮮がウラン高濃縮計画を進めているのは明らか」と述べる.しかし北朝鮮に,核兵器を製造できるだけの大量の遠心分離機が存在する証拠を提示できず.

6.23 北京で第三回6ヶ国協議が開かれる.米国は「核放棄まで北朝鮮と取引しない」立場を変え,CVID原則を持ち出さず,初めて北朝鮮核問題の解決に向けた提案.「北朝鮮が非核化措置を取れば、米国をはじめ6カ国協議当事国らが見返り措置を提供する」という「一括妥結」案をめぐり、駆け引き。

6.28 北朝鮮,第三回6ヶ国協議に関する外務省報道官の談話を発表.「米提案は我々を武装解除するための要求事項を段階的に列挙したもの」でしかないとしつつ,「このような提案を示したこと自体は留意すべきことである」と評価.会談が「さまざまな提案と方途を示し…,進展をもたらすことができる一部の共通した要素も見出すことができた」と評価.

6月 ソウルで安全保障フォーラム開催.中国国際問題研究所の郭震遠は,「北朝鮮の核問題は東北アジアの安保問題の核心となっている.この問題が平和的に解決されるなら,北東アジアの安保情勢を根本的に変えることができる」と発言.

04年7月

7.15 ケリー東アジア・太平洋担当国務次官補,上院外交委員会で証言.北朝鮮は寧辺の原子炉を含む国内の施設のほとんどが軍事目的であることを認め,平和利用の核計画の維持を希望したと述べる.また,各国とも6カ国協議の結末には重大な関心を抱いている.現在は核問題に焦点をあてているが,将来はそれが拡大される可能性があると発言.

7.24 北朝鮮、米国が提案したリビア方式の「先核放棄」案は「論議の価値なし」と拒否。

7月 ジャカルタのARF総会会場で,米国と北朝鮮が二年ぶりの外相会談.パウエル国務長官は北朝鮮の「同時行動原則」に理解を示し,「核放棄先決」論を変えたことを確認する.白南淳外相は「対話による平和解決を目指す立場を,米国と共有した」と述べる.

8.18 ブッシュ、金正日を「暴君」と呼ぶ。北朝鮮はブッシュを「ヒトラーをしのぐ暴君で政治的未熟児」と反撃。

9.28 北朝鮮、使用済み核燃料棒8000本の再処理を完了したと発表。

10.04 米上下両院、北朝鮮人権法案を可決する。

12月 北朝鮮貿易に占める中国シェアは44%を越える。

 

2005年

05年1月

1.01 北朝鮮3紙が共同社説、「主攻戦線は農業戦線である」とし、「すべてのことを農業に服従させ、農業部門に必要な労働力と設備、物資を最優先的かつ無条件で供給すべきだ」と訴える。同時に、「国防工業に必要なすべてのものを優先的に供給すべきである」と強調する。

1.18 ライス次期国務長官、北朝鮮はイランやキューバと並ぶ「圧制国家」だと批判。

1.20 ブッシュ、二期目の大統領就任演説。北朝鮮における圧制に終止符を打つのが最終目標と発言。

1月 公共配給所での穀物供給量が1日300グラムから250グラムに減少。

05年2月

2.10 北朝鮮外務省、すでに「自衛のための核兵器」を保有していると公式に宣言。米国が敵視政策を放棄しない場合は6ヶ国協議を無期限にボイコットすると声明。

2.19 中国共産党対外連絡部の王家瑞部長が平壤訪問。金正日は「条件が整えば、6カ国協議に出席の用意がある」と発言。

3.02 北朝鮮外務省、アメリカに対し、敵対政策を平和共存政策に転換するよう要求。

3月 中朝政府が「中朝投資保証協定」を締結した。中国企業の投資環境が強化される。

5.11 北朝鮮、核兵器開発計画の一環として、寧辺の5千キロ原子炉から使用済み燃料棒8000本を抜き取る作業を完了したと発表。

5.31 ブッシュ大統領、演説の中で金正日に「ミスター」の敬称をつける。

05年6月

6.06 ニューヨークで米朝高官の実務接触が行われる。

6.17 金正日、韓国の統一相と会談。米国が北朝鮮を尊重すれば、7月中にも協議の再開に応じることができると述べる。

6.22 米国、北朝鮮向け食糧支援を再開。

6.23 南北閣僚級会談。北朝鮮側は、雰囲気が整えば、6カ国協議に向けた実質的の措置をとると述べる。

05年7月

7.01 ニューヨークで6カ国の非公式会合。

7.09 米朝が、6カ国協議を再開することで合意。

7.12 韓国、核を完全放棄すれば北朝鮮に直接電力を提供すると発表。

7.26 6カ国協議が13ヶ月ぶりに再開。第4回協議が北京で始まる。

8.07 6カ国協議が無期限休会。協議の枠組みそのものが崩壊の危機に陥る。

9.13 第4回6カ国協議の第二次会合が続開される。ロードマップの細部の詰めが行われる。

9.15 米国財務省、マカオの「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)を北朝鮮の資金洗浄金融機関に指定。処分の動きを示す。

9.19 6カ国協議、「北朝鮮のすべての核兵器と現存する核開発計画の放棄」など、今後の非核化へ向かう旅程を盛り込んだ6項目の共同声明を採択。北朝鮮は「軽水炉提供」後に核計画を放棄すると言明する。

共同声明: 朝鮮半島の検証可能な非核化を平和的な方法で達成することで合意。これに向け、北朝鮮はすべての核兵器と現存する核開発計画を放棄し、早期に核拡散防止条約(NPT)と国際原子力機関(IAEA)の安全措置に復帰することを公約。米国は核兵器または在来兵器で北朝鮮を攻撃・侵攻する意思がないことを確認。対北朝鮮エネルギー支援の用意を表明する。
これは「行動対行動」原則と呼ばれ、北朝鮮の進める非核化の水準に合わせ、その見返りを提供するという基本概念が確立された。

9.28 マカオ当局、バンコ・デルタ・アジアに北朝鮮が保有する資金を凍結。6カ国協議は凍結される。

9月 北朝鮮、国連人道支援の年内打ち切りをもとめる。背景に国連・NGO職員の「情報収集活動」への警戒。

10.21 国連世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情に関して報告。配給されている1人1日穀物量は、250グラムから倍増され最大500グラムに達したとする。

10月 胡錦涛主席が平壤を訪問。20億ドルの長期投資プランを発表する。9億ドルの茂山鉄鉱投資が中心となる。

11.09 第5回6カ国協議、「公約対公約」と「行動対行動」の原則にもとづいて共同声明を履行するようもとめる議長声明を採択。

11.09 米国際開発庁(USAID)、北朝鮮に対する食糧支援を停止すると発表。

11.22 ニューヨークでKEDO理事会。軽水炉建設事業を廃止することで合意する。北朝鮮、「ブッシュ政権はわが国に対する軽水炉提供を放棄した」と米国を非難。

12.09 バーシバウ駐韓米国大使、北朝鮮の偽ドル札の製造、資金洗浄問題をとりあげ、北朝鮮を「犯罪政権」と批判する。

12.17 米国務省、北朝鮮のドル洗浄の窓口であるバンコ・デルタ・アジア(マカオ)の対北朝鮮口座を凍結させる。バンコ・デルタ・アジアは取り付け騒ぎを起こし、倒産に至る。

12.20 北朝鮮、「わが国は5万キロワットと20万キロワットの黒鉛減速炉と関連施設により、独自の原子力工業を積極的に発展させる」とし、年間に核兵器50発分のPuを生産できる大型黒鉛炉の建設再開によって、自衛力強化を図る意向を表明。

12.23 米国、世界の金融機関に北朝鮮と取引をしないよう呼びかける。

12月 中朝貿易総額は15億8123万ドルを記録し、前年比14.2%の伸び。北朝鮮の対中依存度がさらに増大。北朝鮮の対世界貿易の63%は中韓両国との貿易が占める。

12月 北朝鮮の穀物生産量が454万トンに達し、89年以来の豊作となる。

 

2006年

06年1月

1.18 米・中・北朝鮮の核問題担当者が北京で会談。6か国協議の再開について一致するが、日程については合意に至らず。

2月5日 北京で日朝協議。拉致問題など懸案事項に関する協議、国交正常化交渉、核問題・ミサイル問題等の安全保障に関する協議の3協議が並行して行われた。

6.01 北朝鮮外務省が米国首席代表の訪朝を招請、米国はこの提案を拒否。

7.05 北朝鮮、長距離ミサイル「テポドン2号」など7発のミサイルを発射。

7.16 国連安保理、北朝鮮を非難する決議1695号を満場一致で採択。北朝鮮側は決議の受け入れを拒否。

9.09 中国をふくむ24カ国の金融機関が北朝鮮との取引を中断する。

06年10月

10.03 北朝鮮、米国が「国家転覆を図っている」と非難。米国が制裁に踏み切れば「核実験を行うことになる」と声明。

10.06 安保理、北朝鮮の核実験声明を非難する議長声明を全会一致で採択する。中・韓は北朝鮮に対し6か国協議への復帰を要請。

10.07 北朝鮮軍兵士5人が軍事境界線を越えて約30メートル南側に侵入。韓国軍は60発の警告射撃を実施する。

10.09 北朝鮮、「4キロトンの放射能漏洩のない核実験」を強行する。各国の計測によれば核爆発の規模は0.8キロトンだった。

10.15 国連安全保障理事会は、国連安保理憲章第7条に基き北朝鮮を制裁する決議第1718号を採択。

10.19 唐家セン中国特使が平壤を訪問。金正日総書記と会談し、胡錦濤国家主席のメッセージを伝達する。

10月 米国は北朝鮮武力制裁決議を安保理に提出。中国・ロシアの反対で可決されず。国防総省は巡航ミサイルで寧辺の再処理施設を破壊する案をブッシュに提出。

12.18 中断されていた第5回6カ国協議の第二次会合が、北京で再開される。

12.20 米国が北朝鮮に核廃棄と相応措置の修正案を提示、北朝鮮はBDA先決原則を固守。

12.22 第5回6カ国協議第2次会合、次回日程未定のまま終了。

 

2007年

07年1月

1.16 金桂寛外務次官とヒル次官補、ベルリンで米朝首席代表会談。米朝は6カ国協議発足後初めて事実上の2者会談を行う。BDA解決策と第1次非核化措置の輪郭が形作られた。

1月 ペリー元国防長官が下院外交委員会で証言。「不測の事態も覚悟したうえで、大型原子炉を空爆破壊することも検討すべき」と述べる。国防総省は在韓米空軍基地と嘉手納にステルス爆撃機を配備する。

2.08 第5回6カ国協議の第3次会合が北京で開催される。2者会談での合意を受け、ロードマップの調整。

2.13 第5回6カ国協議、「共同声明の実施のための初期段階の措置」について合意。北朝鮮は非核化第2段階に該当する寧辺核施設の無能力化を実施する。これに対しアメリカ側は、エネルギー支援(重油に換算し100万トン)と、テロ支援国指定の解除など安保措置を提供する。

2月 北朝鮮、第6回6カ国協議の首席代表会議に不参加の意向を表明。BDA資金凍結を問題視したもの。

3.13 IAEAのエルバラダイ事務総長が平壤を訪問。

3.19 第6回6カ国協議第一次会合が開かれる。ヒル国務次官補と金桂冠外務次官、黒鉛炉の段階的無力化と95万トンの重油供与の交換で合意。金融制裁を解除の方向に向ける。

6.21 アメリカ、BDA資金2500万ドル全額の凍結解除を決断。BDA問題は解決。ヒル次官補が訪朝し説明。(一説では3月19日の会談ですでに合意していたとされる)

6.25 北朝鮮外務省、BDA凍結資金の北朝鮮口座送金を確認。

6.26 IAEA実務団が訪朝、2月の合意に基づく北朝鮮核施設の閉鎖と検証問題など協議。これを受け、北朝鮮は核施設閉鎖に着手する。

7.15 北朝鮮外務省、重油5万トンの到着を確認し、寧辺核施設稼動中断を発表する。

9.01 米朝関係正常化に向けた作業部会の第2回会議がジュネーブで開催。ヒル次官補と金外務次官が会談し、核施設の年内無能力化と核計画全面申告に合意。

9.11 米中ロの北朝鮮核無能力化技術チームが訪朝。

9.18 北朝鮮外務省、シリアとの核協力疑惑を否定。

9.27 第6回6カ国協議第二次会合が開かれる。「共同声明の実施のための第二段階の措置」について合意。

10月 平壌で韓国の盧i武鉱(ノ・ムヒョン)大統領と第2回南北首脳会談。南北平和繁栄宣言を発表。

11.05 寧辺で「無能力化」作業が開始される。

12月 年内に核の無能力化と核計画の申告を行うとした北朝鮮の約束は果たされず。

10.03 第6回6カ国協議の第2次会合。非核化第2段階の施工図面の履行措置に合意。共同声明を発表する。

11.01 米国の北朝鮮核無能力化チームが訪朝、無能力化措置に着手。

11.19 米朝金融実務者会議をニューヨークで開催。

11.27 6カ国協議当局者らの北朝鮮核無能力化実査団が寧辺を訪問。

12.03 ヒル次官補が訪朝。

12.13 電気出力5000キロワットの実験炉で、燃料棒の抜き取りが開始される。

 

2008年

08年1月

1.04 北朝鮮外務省、米国の輸入アルミニウム管利用した軍事施設の視察を認め、核開発計画の申告書を昨年11月に提供したと発表。

2.19 ヒル次官補と金桂寛外務次官が北京で会談、核開発計画の申告を論議。

3.13 ヒル次官補と金桂寛外務次官がジュネーブで会談。ヒル次官補は「同時全面申告」を要求する。同時に、申告形式には柔軟対処の方針を示す。

4.08 ヒル次官補と金桂寛外務次官がシンガポールで会談。米国は第二段階履行に関する技術的困難を認め、ウラン濃縮および核開発とプルトニウム問題を分離することで妥協。

5.08 北朝鮮、訪朝した米国務省のソン・キム朝鮮部長に寧辺原子炉の1万8000ページにおよぶ稼動日誌を伝達。

6.26 北朝鮮は、過去のプルトニウム生産量など記した核開発計画申告書を中国に提出。これまで延べ38.5キロのプルトニウムを生産し、31キロを抽出。このうち2キロを核実験に、26キロを核兵器に使用と説明する。申告書の内容を確認する検証問題が今後の課題となる。

6.27 北朝鮮、寧辺原子炉冷却塔を爆破。米国は対北朝鮮テロ支援国指定解除の手順に着手。

7.10 北京で第6回6カ国首席代表会談。核の無能力化とエネルギー支援を10月末までに完了することで合意。北朝鮮が約束した無能力化措置は全11項目のうち8項目が完了し、廃燃料棒の抜き取り、未使用燃料棒の処理、原子炉制御棒駆動装置の除去の3項目が残るのみとなる。

7.23 6カ国外相の非公式会談がシンガポールで開催される。

9月 金正日、建国60周年記念の労農赤衛隊閲兵式を欠席、重病説広がる

10.11 米国、非核化の検証措置について北朝鮮と合意に達したと発表。北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を解除する。

12.08 第6回六ヶ国協議首席代表者会談、非核化の検証方法について合意できず、次回会合日程未定のまま閉会。

 

 2009年

4月 北朝鮮が弾道ミサイル発射

5月 北朝鮮が2度目の核実験

8月 訪朝したクリントン元米大統領と会談

11月 北朝鮮、デノミを実施するも失敗

2010年

3月 黄海で韓国哨戒艦沈没事件

5月 金正日が訪中し、胡錦清国家主席、温蒙宝首相と会談

8月 金正日、再び訪中し、胡主席と会談

9月 労働党代表者会。三男正恩氏が後継者に決定

11月 米専門家にウラン濃縮施設を公開。

11月 北朝鮮、韓国の延坪島を砲撃

2011年

5月 金正日が訪中。湖錦湯主席、温家宝首相と会談

11月 金正日が訪ロ。イルクーツクでメドページェフ大統領と会談。

2012年

  

1997年

97年1月

1.01 『労働新聞』(党機関紙),『朝鮮人民軍』(軍機関紙),『青年前衛』(青年組織機関紙)の3紙共同社説.「苦難の行軍」をしている旨を認める.

1月 北朝鮮政府,台湾の原子力発電所の核廃棄物の貯蔵を引きうけることとなったと発表.

97年2月 黄長燁の亡命

2.03 政府の水害対策委員会,「96年度の穀物生産量は250万トンにすぎず,年間穀物必要量784万トンを大幅に下回った」ことを明らかにする.

北朝鮮における1人1日あたり配給量の変化
 1995年水害以前   1995年末(水害後)   1996年半ば   1997年はじめ
        600g            458g    250~300g   100~150g(350~525kcal)

2.05 北朝鮮,ニューヨークでの四者会談に関する説明会への出席に応ずる見かえりとして,食糧支援の追加を要求.

2.12 北朝鮮の最高幹部の一人で,「主体思想」の提唱者といわれる黄長燁労働党国際担当書記が,北京の韓国大使館に亡命.「主体思想は自分が立案したものとは大きくかけ離れてしまった」と述べる.中国政府は北朝鮮政府の同意を得て,黄をフィリッピンに移送.

2.19 中国の鄧小平が死亡.

2.21 北朝鮮、韓国の「チュンアン」日報に対し何らかの「報復」をほのめかす。「チュンアン」日報は、「金日成は金正日との激しい口論の末発作を起こし死亡した」と報道する。

2月 ソウルで李ハンヨンが二人の殺し屋により射殺される。黄長燁亡命に対する報復と見られる。李は金正日の元妻ソン・ヒェリンの甥で、92年に韓国に亡命していた。

2月 羅津・先鋒で香港のエンペラー・グループが投資するカジノ付きホテル「エンペラー・ホテル」の建設着工。

3月 亡命工作員のアン・ミョンチン、横田めぐみさん(当時13歳)が新潟市で誘拐され、北朝鮮の学校でスパイ・トレーニングのために働いていると証言。

97年4月 軍部の抵抗

4.15 故金日成の誕生日を国民祝日「太陽節」に決定.この年をチュチェ元年とする.

4月 ハンギョレ新聞,北朝鮮の飢饉に対する人道支援のキャンペーンを開始.

4月末 北朝鮮の咸鏡北道穏城郡で大規模な森林火災が発生し豆満江周辺は火の海となる。また火の粉が中国側にも燃え移り大規模な火災が発生した。

4月末 北からの脱北者が増加。翌年まで続く。

5.15 北朝鮮の韓成烈国連大使,「軍部は四者会談を武装解除のための罠ではないかと考えている.軍部に了解させるためには,無条件の食糧支援が必要だ」と語る.

5月 日本政府,行方不明事件のうち「7件10人」を,北朝鮮に拉致されたものと認定.共産党を排除した「北朝鮮拉致日本人救援議員連盟」が結成される.

97年6月

6.11 ニューヨークで二回目の米朝会談.アメリカ側はノドンの発射実験の中止とスカッド・ミサイルの販売停止を求めるが,ものわかれに終わる.

6.21 金正日,論文「革命と建設において主体性および民族性を固守することについて」を発表.現在の困難について「決して帝国主義者の対処法などを期待してはならない.彼らの援助は,一つを与えては10や100を盗っていくための略奪および隷属の罠である」と指摘.

6.24 韓国の「朝鮮日報」紙、「新しい改革を指向する[北朝鮮の]グループに賛成して権力を放棄するよう」、金正日にもとめる。金正日はこの社説を「我々に対する最も刺激的な宣戦布告」と非難。「朝鮮日報が消滅するその日まで、報復する権利を留保する」と脅迫。

6月 「労働新聞」、「民主勢力の独立、民主主義、再統一のための愛国的反ファシズム闘争にとって、金泳三政権を打倒することが緊急の任務となっている」と述べる。

6月 西海岸で北朝鮮の巡視艇三隻が境界線を越えて侵入。韓国巡視艇と銃撃戦を展開。

97年7月 「喪明け」

7.08 金日成逝去三周忌大会.金正日は「喪明け」を表明.金日成誕生の1912年を元年とする「主体年号」を制定.さらに金日成の誕生日(4月15日)を「太陽説」と命名し国家記念日とする.

7.21 朝鮮中央放送,金正日の文明子(親北派の在米韓国人ジャーナリスト)に送った書簡を発表.この中で食糧危機と経済的苦境を認める.

7月 北朝鮮で米軍兵士の遺骨発掘のための共同調査が始まる.4か月にわたり3回の調査が行われ,アメリカは7体を受領.

7月 北朝鮮兵士14人が軍事境界線を越えて約70メートル侵入。23分にわたり韓国軍との間に銃撃戦。

97年8月 原発の建設開始

8.04 金正日書記論文が発表される.「米国を百年の宿敵とは見ていない」と述べる.また対日関係については,「過去を心から反省し,敵視政策を捨て,朝鮮の統一を妨害しなければ,日本と友好的に対処し朝・日関係を改善できる」と指摘.

8.05 ニューヨークで米中・南北朝鮮が第一次予備会談.

8.06 アメリカ,ミサイル増産活動に抗議し,さらに制裁を強化.

8.19 東海岸咸鏡北道の新浦(咸鏡南道の琴湖?)で,韓国電力公社が軽水炉型原発の建設を開始.KEDOのステファン・ボスワース事務局長,「軽水炉の着工は,関係改善の新たなスタート」と声明.ボスワースはその後駐韓米大使となる.

夏 恵山で大規模な列車事故が発生。止めてあった客車のブレーキが外れひとりでに走り出した。徐々に加速度がつき10の駅を通りすぎ100キロ以上も走り抜け、恵山駅には2両が突入、大きな爆発音とともに駅は廃墟と化した。客車内にいた老人や子供、女性は全員死亡。(5年後に「朝鮮日報」が報道するまで明らかにされなかったということがもっと恐ろしい)

97年9月

9.30 軽水炉建設現場で,金正日の写真入「労働新聞」が破り捨てられていたのが発見.北朝鮮はこれに抗議し労動者30人を引き揚げる.KEDO側の謝罪で1週間後に工事再開.

9月 日朝赤十字連絡協議会,日本人配偶者の里帰りで合意.

9月 労働党農業部門の最高責任者である徐寛熙書記が,黄長燁との関係を問われ,平壌市内で公開処刑される.金日成社会主義青年同盟幹部3人も,ともに処刑される.アムネスティーは「北朝鮮は70年以降,少なくとも23人を公開処刑している」と告発.

10.08 金正日,党中央委員会および党中央軍事委員会の推戴により労働党総書記に就任.

97年11月

11.21 クリントン大統領,対北朝鮮政策を「関与政策」に転換すると発表.

11.23 韓国当局、6人からなる「北朝鮮スパイ団」を摘発したと発表。その筆頭としてソウル大学名誉教授コ・ヨンポクが逮捕される。コ・ヨンポクは73年以来北のスパイとして活動。国内では「社会学の創設者」として認められ、「保守的な」立場から韓国政府の顧問を務めてきた。

11月 北朝鮮、韓国国営放送KBSテレビが放映したシリーズ「北朝鮮社会における抑圧と腐敗」に対して激怒。KBSを「ファシズム独裁者の口金」と非難、「破壊」の可能性を示唆。

11月 自社さ3党訪朝団(森喜朗団長)が平壌訪問.北朝鮮側は拉致事件を「行方不明者として調査」することを約束.

97年12月 「崩壊の危機」を自認

12.09 米中と南北朝鮮との「四者会談」第1回会談が開始される.

12.12 ドイツのテレビ放送,「閉ざされた未知の国,北朝鮮」を放映.インタビューを受けた金永南常任委員長が「北朝鮮は崩壊の危機に置かれている」と認める.

12.19 韓国大統領選挙で,金大中が当選.

12.30 労動新聞,「内外的な試練にもかかわらず社会主義を守り通した」と,97年を締めくくる評価.

12月 赤十字協議会.日本側が安否調査リスト(7件10人+有本さん)を手交.

 

1998年

1.28 金大中が韓国大統領に就任.対北「太陽政策」を推進.

2.25 金大中大統領,①北の武力挑発には断固対処,②北を攻撃せず,吸収計画を持たない,③可能な分野から南北和解・協力推進の「対北三原則」(いわゆる太陽政策)を掲げる.

2月 国連人道局,救援食糧が転用されているとして抗議.北朝鮮側は文書で謝罪.

3.03 金大中政権,初代統一部長官にタカ派の康仁徳極東問題研究所長を任命.康仁徳は朴政権時代に中央情報部の北韓局長を勤めた人物.

3.16 ジュネーヴで第二次4カ国会談本会議が開かれる.北朝鮮から供与されたミサイルのコピーとされる。

4.06 パキスタンが射程1500キロの中距離弾道ミサイル「ガウリ」発射実験に成功。北朝鮮は、「イラン・エジプト・シリア・リビアなどに、合計一千発以上のミサイルを輸出した」とされる。

4.17 アメリカ,北朝鮮がパキスタンにミサイル技術を移転したとして,経済制裁を強化.

この年,北朝鮮とパキスタンは,ミサイル製品とウラン濃縮技術の交換に関する秘密合意を締結.北朝鮮は1000台の遠心分離器を入手.原爆を毎年1個から2個のペースで製造できる能力を獲得したとされる.

98年5月 300万人が餓死? 住民は家で静かに死を待っている?

5.10 北への支援を続ける「韓民族相互助け合い仏教運動本部」の法輪執行委員長,飢饉で300万人が死んだという推計結果を発表.

5月 大阪朝銀が経営破たん.大阪朝銀の受け皿となった朝銀近畿に3100億円の公的資金が投入される.

98年6月 ミサイル輸出を認める

6.16 朝鮮中央通信,金融封鎖が解除されない限り,ミサイル技術の輸出を止めることはできないと報道.ミサイル輸出の事実を初めて認める.

6.16 鄭周永現代名誉会長,牛500頭を乗せたトラック50台を引き連れ,板門店から北朝鮮入り.

6.23 91年以来中断されていた在韓国連軍と北朝鮮軍の将官級会談が再開される.

6.22 北朝鮮の小さい潜水艦が、ソクチョ沖合いで魚網に引っかかる。3日後に引き揚げられたとき、9人の集団自殺した遺体が発見される。

6.24 北朝鮮、米国の軍事的脅威に対する抵抗の表示として、ミサイルをテストし配備し続けると通告。

6.27 北朝鮮、潜水艦事件で沈黙を破り南側を非難。潜水艦と遺体の即時返還を要求。金大中大統領は、潜水艦の侵入が休戦協定および92年の和解・交流・協力協定を侵害していると非難。北朝鮮に「責任を認め合理的措置をとる」よう要求。

6月 北朝鮮赤十字,「日本人行方不明者は存在しない」と通告.

98年7月

7.03 潜水艇侵入事件の北朝鮮兵士の遺体9柱が板門店を通じて送還される.

7.15 超党派のラムズフェルド調査団,長距離ミサイルが開発されない限り,北朝鮮やイランのごとき「ならず者国家」は直接の脅威とはならないと報告.ただし本格的に開発に着手すれば5年以内にミサイルを完成させる能力をもつ国もあると警告.

7.22 イラン、北朝鮮の技術供与を受け、中距離ミサイル「シェハブ3」の発射実験に成功。

7.26 8年ぶりに,第10期最高人民会議の選挙が実施される.

98年8月 テポドン打ち上げ

8.17 ニューヨーク・タイムス,「北朝鮮,核兵器の製造工場建設」と題し,金倉里(クムチャンニ)の地下施設について報道.原子炉および再処理施設の疑いがあるとする.「第二の核疑惑」が発生.ロバート・ガルーチ国務次官補は,「もし秘密核施設であれば,枠組み合意は崩壊する」と述べる.

8.31 北朝鮮,テポドン・ロケットを打ち上げ.日本を越え太平洋にまで到達.北朝鮮は多段式運搬ロケット「白頭山1号」による人工衛星「光明星1号」の打ち上げに成功したと発表.「ロシアと米国は実験成功を確認」したそうです。

テポドンは三段式のロケットで,射程1,500-2,000キロ.三段目に固体燃料を使用した技術が,アメリカ情報筋の脅威となる.(その後の正式発表では,射程1300キロのノドンを一段目,スカッドを二段目に利用した,二段式液体燃料方式の弾道ミサイルとされる)

8月 米情報筋、「北朝鮮に巨大に地下複合施設が発見された。これは凍結された核兵器開発計画を復活させる中核となるもの」と報告。北朝鮮は「民間人の経済施設である」と反論。

8月 中国の延辺科学技術大学総長金鎮慶,スパイの疑いで拘留され,国外追放となる.金鎮慶は羅津に科学技術大学を設立するため北朝鮮を訪問中であった。北朝鮮側の発表によれば、金鎮慶は粛清された金正宇対外経済協力推進委員長と関係があったとされる.延辺は旧満州(北朝鮮と国境を接する)地方で,元は間島と呼ばれ,朝鮮系住民が多く住む.金鎮慶も朝鮮系中国人.

8月 国境なき医師団は中朝国境地帯における難民聞き取り調査の結果をまとめ出版。北朝鮮の悲惨な飢餓の様子が書かれていた。

98年9月 趙明禄がナンバーツーに

9.01 オルブライト国務長官,「北朝鮮のミサイル発射はまことに深刻な事態」と声明.日本政府はミサイル発射に抗議し,枠組み合意に対する財政負担への署名を3ヶ月間凍結.国交正常化交渉を凍結し,食糧の人道支援も中断.

9.04 北朝鮮外交部,打ち上げたミサイルは「人工衛星」だとし,「我々が人工衛星保有国になるのは,当然なる自主権の行使だ」と声明.

9.04 額賀防衛庁長官,「北朝鮮のミサイル基地を予防攻撃することも法理的には可能」と突出発言.

9.05 北朝鮮で4年ぶりに最高人民会議(国会)第10期第一次会議開催.72年の社会主義憲法を改正,「金日成憲法」と改称.憲法前文は,金日成を「社会主義朝鮮の始祖・北朝鮮の永遠なる主席」とする.国家主席制度・中央人民委員会を廃止し,国防委員会委員長を国家最高のポストに格上げ.

9.05 新設の最高人民会議常任委員会委員長(形式的な国家元首)には金永南.新首相には洪成南が就任.金永南は,「国防委員長が一切の武力を指揮統率し,政治・経済全般を指導する国家最高の職位である」ことを明らかにしたうえで,金正日総書記を国防委員長に推挙.金正日の子守役を務めた趙明禄人民軍総政治局長が国防委員会第一副委員長に就任,事実上のナンバーツーの地位を占める.

9.07 労動新聞,「人工衛星“光明星1号”は社会主義の強盛大国を建設するための里程標として,北朝鮮の科学・技術者が金正日同志に捧げたものである」

9.09 韓国国防部,「北朝鮮が打ち上げたと主張している人工衛星は,宇宙軌道からは見つけられなかった」と発表.安企部は,「人工衛星をあげたようだが,宇宙軌道への進入には失敗したようだ」と述べる.

9.14 米国務省,「我々は,北朝鮮が非常に小さい衛星の打ち上げにチャレンジしたが,失敗したものと考えている」ことを明らかにする.2日後に韓国政府も同様の公式評価を確認.

9.30 国連開発計画(UNDP)の支援で羅津・先鋒企業学校が開設される.外国進出企業の業務を担当する幹部の育成が目的.金正日,「企業の管理は社会主義原則で,貿易は資本主義国を相手に」と発言.

98年10月

10.01 ニューヨークで第三回の米朝ミサイル協議.アメリカは経済制裁の解除と引き換えにミサイル開発計画の放棄を迫る.北朝鮮は,制裁解除は「枠組み合意」の内容であり,ミサイルと関係なく実施されるべきと主張.

10.03 平壌放送,太陽政策は「我々に統一政策やブルジョア多党制,市場経済などを受け入れさせ,資本主義に引き込もうとする妄想」と非難.

10.16 日本,アメリカからの強い圧力でKEDO関連予算の凍結を解除.

10.19 米議会,北朝鮮への重油供給予算を承認.この条件として,新たに第三者的アドバザーによる対北朝鮮政策見直しと核・ミサイル疑惑の早期解消を,政府に義務付ける.

10月 金正日,平壌を訪れた鄭周永現代グループ名誉会長と会談.南北経済協力に賛意を示す.鄭周永の金剛山観光プロジェクトについても賛同.

10月 北朝鮮労働党の対外連絡部工作員の「元鎮宇」,韓国に潜入.河永沃,沈載春などを抱き込み,民族民主革命党を再建.

98年11月 ハンギョレ新聞の北朝鮮批判

11.09 北朝鮮外務省,金倉里を口実とする米議会の重油供給遅退を非難.「金倉里が核施設でないと判明したときは補償せよ」と要求.

11.16 平壤で,金倉里問題に関する米朝高官協議.カートマン朝鮮半島平和担当特使,「金倉里の核疑惑には証拠がある」と表明.

11.12 クリントン大統領,ペリー前国防長官を北朝鮮政策調整官(Policy Cordinator)に任命.ペリーはただちに各省の北朝鮮政策見直しに着手.日本・韓国との政策すり合わせも進める.

11.18 現代グループによる韓国人の金剛山観光開始.鄭名誉会長も同行.

11月 ハンギョレ新聞,北朝鮮特集を連載.「人民の食糧問題も解決できず,体制を保つために自らの孤立をもたらした自主路線に固執しようとする北朝鮮政権の非道徳性に対し,怒りを覚える」と結ぶ.

11月 北朝鮮の青年、学生が平壤で集会。「ワシントンを火の海にし、ソウルと東京を破壊する」ことを誓う。

98年12月

12.04 ニューヨークで,金倉里の地下核施設疑惑をめぐり第二次米朝協議.北朝鮮は米国の査察要求を原則的に受け入れるが,「適当な補償」の内容で難航.

12.18 全南道の麗水海岸で北朝鮮の潜水艇が発見,撃沈される.捜査の結果,潜入したスパイ「元鎮宇」を帰国させる途中だったことが判明.

12月末 北朝鮮政府,02年までの経済再建計画を公表.既存の基幹産業とインフラを整備し,ついで消費部門の生産を活性化させ,食糧問題を解決するというもの.羅津・先鋒の自由経済貿易区域も再確認される.

 

1999年

99年1月

1.01 労動新聞の「年頭の辞」,この1年で「全党・全軍・全民が強盛大国建設の大きな飛躍を成し遂げた」と評価.「金正日同志はすなわちわが党であり,わが国,わが人民である」とし,すべての分野で金正日の思想を実現するよう呼びかける.

1.08 韓国政府,KEDO軽水炉建設費の調達に電気料金の3%賦課金を充当すると発表.

1.18 ジュネーヴで4者会談第五次本会議が開催される.会議の前後に,金倉里問題に関する第三次米朝高官協議.

1月 寧辺の核施設で、使用済み燃料棒の封印完了。

99年2月 まず事実報道を

2.02 テネットCIA長官,上院軍事委員会で証言.一定の改良が加えられればテポドン1号はアラスカとハワイまで射程に入れることが可能であり,伝えられるテポドン2号はアメリカ全土を射程に入れることになるだろうと述べる.ただし精度はまったく期待できないとする.

2.03 イギリスのタイムス紙,「北朝鮮の飢餓の状況はエチオピアやカンボジアとほぼ同じであり,住民は家で静かに死を待っている」と報道.これは自然災害ではなく「スターリン主義」による人災だと非難.

2.10 韓国の林東源外交安保首席秘書官,北朝鮮体制は失敗したが,早期崩壊はない.さまざまな変化が見られるが,南に対する革命戦略に固執している.これに対しては封鎖政策も不介入政策も適当ではなく,北朝鮮の漸進的・段階的変化を促す「包容政策」を選択する以外にない.

2.16 世銀のウォルフェンソン総裁,「北朝鮮高官を対象にした市場経済に関する教育を行っている」と明らかにする.

2.27 金倉里問題に関する第4次米朝協議.半月にわたるマラソン協議となる.北朝鮮は査察受け入れの見返りとして100万トンの穀物供与を要求.

2.27 アメリカきっての朝鮮通とされるキノネスが,太陽政策を「北朝鮮を変えるための最も合理的かつ現実的な政策であり,韓国の国際的地位と信用を高めた」と評価.同時に金泳三の政策を「北朝鮮の崩壊を前提としており,結局のところ中国軍部の北朝鮮支援を強化し,平壌の軍部をより強硬にしただけ」と批判.

2月 オルブライト国務長官,韓国を訪問.4カ国会談については否定的な見解を示す.

2月 雑誌「マル」,ハンギョレ新聞の北朝鮮批判に対し,「論評よりまず事実報道を優先すべきだ」と批判.

99年3月 ミサイル輸出停止の「見返り要求」

3月 欧米諸国の抗議を受け,外国人登録法改正,指紋押捺制度が全面的に廃止される.

3.16 第4次米朝会談が合意に達する.北朝鮮は金倉里への米専門家視察団の受け入れで同意,アメリカは「世界食糧計画」を通じて食糧50万トンを,さらにNGOを通じて食糧10万トンを援助.政治・経済関係は改善へ.

3.20 林凍源首席補佐官,「米朝合意により核疑惑が完全解消されたわけではない」と述べ,「北朝鮮が核開発をやらなくても自立してゆけるような環境作り」の必要性を強調する.

3.29 平壤で第4回ミサイル協議.北朝鮮はミサイル輸出停止の見返りとして年間10億ドルの補償金を要求.対話は“serious and intensive”なものとなるが,辛うじて議論を続行することのみで合意.

3月 韓国情報局、北朝鮮に拘留されている454人の韓国人の名前を明らかにする。また朝鮮戦争中の捕虜407人が、現在もなお獄中にあると発表。

3月 洪水被害対策委員会,「人口300万人減少は韓国情報機関のデッチアゲ」と反論.

3月 現代グループ,金剛山観光と北朝鮮事業を統括する企業として,「現代牙山」を設立.金潤奎を社長に任命.

3月 北朝鮮スパイ船が能登半島沖で発見される。スパイ船は日本のトロール船に偽装し、領海に侵入。海上保安部や空自の追跡を振り切り清津港に逃げ込む。

99年4月 在韓米軍を容認

4.01 林凍源外交・安保首席秘書官,「アメリカは統一以降も駐屯し,朝鮮半島の安定を担う必要がある.北朝鮮も在韓米軍の撤退を望んでいない」と述べる.

4.06 金大中大統領,「北朝鮮は,在韓米軍が平和軍であれば駐屯してもよいという立場を明らかにした」と述べる.

4.16 康仁徳統一部長官,「支援食料が軍用米に転化される危険を冒しても,なお支援するのが正しい.韓国の同胞が食料を支援していることは民衆の間でも知られている.北朝鮮の民衆が南に対する憎しみを減らせば,北朝鮮の戦闘力はそれだけ落ちる」と語る.

4.23 平壌放送,金正日の弾道ミサイル発射に関する発言を報道.「人工衛星の打ち上げには数億ドルを費やした.人民たちがろくに食べることも出来なくても,国や民族の尊厳を守り,強盛大国に備えるためのやむをえない選択だった」と述べる.韓国当局によれば,打ち上げ費用は北朝鮮全国民の食料費1年分に相当するという.

4.25 米日韓三国,対北朝鮮政策の調整で合意.三国強調・監視グループの結成で合意.

4月 最高人民会議第10期第二次会議が開かれる.「経済の分野におけるいかなる分権化も自由化も認めず,国の中央執権の指導原則を一貫して固守する」とする「人民経済計画法」を制定.

4月 韓国情報筋の報道によれば,95年以来の自然災害で,総人口2392万人(1995)のうち1割を越す250~300万人が餓死や病死,国外流出などにより減少.各国際団体もほぼ同様の推計.

99年5月 南北海軍艦艇の銃撃戦

5.20 アメリカの査察団,北朝鮮に入り金倉里(クムチャンリ)の地下核施設を視察.国務省によれば,枠組み合意に違反するような核開発の証拠は発見されず.ルービン国務省報道官,「金倉里は大規模なトンネルだ」と結論.

5.25 ペリー特使が平壤を訪問.クリントンの金正日あて書簡を手交.経済制裁の解除,国交正常化,何らかの安全保障手段を提示.核とミサイル問題での前進を促す.

6.15 西海五島北側の軍事境界線上で,南北海軍艦艇が銃撃戦.朝鮮戦争以来もっとも大規模な海上衝突となる。北は韓国艦船の近代装備の前に完敗。水雷艇一隻が沈没し、他の5隻も激しく損壊する。

6月 北朝鮮は西海五島の南側に海上境界線を設定し,その北側を海上軍事統制水域にすると宣言.韓国がわが領海内に侵入するならば、さらなる流血は必至である、と述べる。

7.26 ジョンズ・ホプキンズ大学公共衛生学部の調査報告の内容が報道される。北朝鮮から延辺に逃げ込んだ越境者440人から聞き取った内容をまとめたもので、咸鏡北道で1997年までの3年間に人口の10%以上に当たる二十五万人が死亡したとの報告。

7.30 「ハンギョレ21」,国軍情報司令部の関係者の話として,「朝鮮戦争以後に北朝鮮当局に捕まったり行方不明・死亡した北派工作員は,確認されただけで7726名」だと明らかにする.

7月 EU理事会,朝鮮半島に関する決議を採択.北朝鮮との関係正常化に向けた方針で合意.

99年9月 長距離ミサイルの実験を停止

9.12 ベルリンで米朝協議.北朝鮮は協議中は長距離ミサイルの実験を停止すると表明.米国は見返りとして制裁の一部解除に応じる.

9.15 ペリー北朝鮮政策調整官,下院に「見直し報告」を提出.北朝鮮が崩壊する可能性はなく,自殺戦争に踏み出す可能性もないと判断.核・ミサイル問題と制裁解除・国交樹立問題を並行して進める「新たな包括的・統合的アプローチ」を提唱.具体的には「北朝鮮のミサイル全基の買い取り」を提起したといわれる.共和党は「ならず者国家」をつけ上がらせるものと批判.

9.21 アメリカ,「94年枠組み合意」にもとづき,北朝鮮に対する経済制裁を一部解除する.

9.25 白南淳外相が国連総会で演説.「米国を永遠の敵とは見なさない」と述べ,ミサイル発射を当面凍結する方針を示す.

9月 北朝鮮,軽水炉の建設現場で働く北朝鮮労働者の5倍にのぼる賃上げを要求.韓国側がこれを拒否したことから工事は遅延.

99年10月

10.12 ペリー報告書が公表される.

11.19 ベルリン協議,国交樹立に向け北朝鮮高官級の訪米につき調整を図る.

99年12月 村山訪朝団

12.01 超党派国会議員団(村山富市団長)が訪朝.正常化交渉再開で合意.

12.15 KEDO,枠組み合意成立から5年目で,Kumhoの軽水炉型原発建設に関して朝鮮電力会社と契約.

12.28 労動新聞,太陽政策は「北朝鮮を改革・開放へ誘導してどうにかしようとする狡猾な手法」だと非難.

 

2000年

00年1月 イタリアと国交樹立

1.04 北朝鮮とイタリアが国交を樹立.G7国家では初めての国交正常化となる.

1.11 ベルリンで,三週間にわたりアメリカと北朝鮮との高位級会談.

2.09 北朝鮮とロシアが友好善隣協力条約に調印.

00年3月 北京の南北会談

3.04 ニューヨークで米朝会談.

3.09 金大中大統領,ベルリン自由大学で講演.「われわれには北韓を抱きかかえる能力はない.北韓住民は自由に関するいかなる経験もなく,外部の世界をまったく知らない.最も現実的で合理的な政策は,ただちに統一を追求するのではなく,相互脅威を解消し,共存・共栄を追及することである」

3.17 北京で南北が特使級の非公開接触.南北頂上会談で合意.「7.4南北共同声明」の祖国統一3大原則(自主・平和・民族大団結)を出発点とすることを確認.

00年4月

4.06 米国,北朝鮮のChanggwangSinyong社に対し「MTCRの第一カテゴリーに相当するミサイルをイランに販売した」として制裁.第一カテゴリーとは,射程300キロ以上,弾頭500キロ以上のミサイルを指す.

4月 日朝会談が再開される.

4月 金正日総書記の訪中。南北首脳会談の説明を目的とする。江沢民は南北首脳会談を高く評価する。

00年5月 アセアン地域安全保障フォーラムへの加盟

5.08 北朝鮮と豪の外交関係再開.

5.25 アメリカ,金倉里の核施設に対し第二回目の核査察.一年前の第一回査察時に比し変化がないと報告.

5.27 北朝鮮,アセアン地域安全保障フォーラム(ARF)に加入(23番目加盟国)

5.29 金正日,南北会談を前に中国を訪問.江沢民主席は「南北朝鮮の自主的平和統一を支持する」と表明.

00年6月 南北共同宣言

6.13 平壤で初の南北首脳会談.南北共同宣言を発表.核・ミサイル・非武装地帯問題については言及なし.

6.19 米国はローマ会談での合意に基づいて,北朝鮮に対する経済制裁を緩和する措置を発動.

6.20 北朝鮮と米国とのベルリン会談.北朝鮮は「ミサイル打ち上げ実験の凍結」を再確認することで応える.

6.27 平壤で第1次南北赤十字会談.離散家族100名ずつがソウルとピョンヤンを交換訪問すること,韓国に捕らえられている非転向将兵の送還について合議.

6.28 現代グループの鄭名誉会長が訪北.金正日国防委員長と面談.

00年7月 米朝外相会議

7.12 クアラルンプールで第五回米朝協議.ミサイル問題について意見を交換.北朝鮮はミサイル販売停止の見返りに年間10億ドルの補償を求める.アメリカはこの提案を拒否するとともに,「経済関係の正常化」を提案する.

7.12 マニラで,北朝鮮とフィリピンとの外交関係設定に関する共同コミュニケ発表.

7.14 南北連絡事務所が業務を再開.

7.19 プーチンが平壤訪問.金正日はミサイル販売計画の廃棄と引き換えに,「本来の目標である」人工衛星打ち上げへの援助を求める.

7.27 コックス共和党下院議員ら,「北朝鮮へのクリントン・ゴア援助が金正日の百万軍隊を支えている」とする報告書を発表.

7.28 バンコクでアセアン総会.オルブライト国務長官と白外相が“substantively modest”な会談を持つ.

7.31 南北閣僚級会談で共同報道文発表

7月 平壤放送、「朝鮮戦争が北朝鮮の侵攻によって始まった」とする朝鮮日報の報道に抗議。「わが国に対する侮辱を続けるなら本社を爆発させる」と脅迫。

00年8月

8.05 韓国の報道機関の社長46人が北朝鮮を訪問.

8.10 南北会談,板門店の南北連絡事務所を再開することで合意.

8.13 金正日,平壤で韓国メディア代表団と会見.「人工衛星打ち上げに対する援助要請は冗談」と述べる.

8.15 南北の離散家族,平壌とソウルで再会

8.18 朝鮮国立交響楽団,直航路利用してソウル訪問.

8.22 平安北道一帯で米軍将兵の遺骸発掘作業がはじまる.

8.27 在日韓国人の洪昌守(徳山昌守),プロボクシングWBC世界スーパーフライ級王者となる.

8.30 金大中,ワシントンポストとの会見で,「金正日が在韓米軍の継続駐留に同意した」と発言.

00年9月 非転向長期囚の送還

9.02 韓国政府,朝鮮戦争以来50年にわたり拘留されてきた非転向将校,スパイ罪などに問われ,政治的転向を拒んできた「非転向長期囚」など63人を北朝鮮に送還.

9.08 米国務省,金正日の人工衛星提案を「きわめてまじめに考慮している」と述べる.

9.11 特使資格をもつ,労働党中央委員会秘書の一行が訪韓.

9.12 北朝鮮在住の日本人配偶者の一時帰国第3陣が成田空港到着.

9.15 シドニー・オリンピック開会式で南北の合同入場行進 

9.18 韓国で鉄道・京義線の連結,復旧に向けた工事の起工式

9.18 IAEA総会,北朝鮮に対する特別査察をただちに開始するよう求める報告.北朝鮮は「共和国の主権に対する重大な挑戦であり,枠組み合意を破壊しようとするもの」と非難.決議を無視する姿勢.

9.22 韓国の白頭山観光団が訪北.

9.22 朝鮮総連,初の韓国への「故郷訪問団」を組織.

9.25 済州島で初の南北国防相会談,ソウルで南北経済実務者協議が開始される.国防相会談では,北側が韓米合同軍事演習や“北朝鮮主敵”規定を批判.「軍事的な信頼構築の措置として,一日も早く休戦協定を平和協定に」と主張.

9.27 ニューヨークで米朝会談.テロリズムに反対する共同声明を発表.国務省は北朝鮮をテロリスト国家のリストからはずす方向で検討開始.

00年10月 趙明禄の訪米とオルブライトの訪朝

10.10 北朝鮮ナンバー2とされる趙明禄国防委員会第1副委員長が,特別代表としてアメリカを訪問.クリントン米大統領,国務長官,国防長官と相次いで懇談.北朝鮮をテロ支援国家のリストから除外するための具体的措置について討議.

趙明禄: 最高人民会議常任委員会委員長である金永南が政治上のナンバー2であるのに対し、趙明禄は軍事上のナンバー2とされる。金日成の抗日パルチザン部隊に少年兵として参加した革命第一世代で、金正日の生母である金正淑に近かったこともあって金正日に信頼され、後見人として大いに発言権を増した。軍事パレードの時には、いつも金正日総書記の右隣にいるそうだ。

10.12 趙明禄とオルブライト,米朝間の敵対関係を終わらせるとする共同コミュニケを発表.敵対・敵視政策を清算して,「相互尊重の原則の下に,両国の関係を根本的に改善させ発展させる」ことに合意.

合意の具体的内容
北朝鮮は,500km以上のミサイル開発の中断,ミサイル合意に関する検証手段の保障など,ミサイル問題を前進的に解決する決意を表明.
米国は,ミサイル政策変更の見返りとして,食糧・エネルギーの安定供給,オルブライトが平壤を訪れることを約束する.オルブライトは,近い将来にクリントンの訪朝と米朝関係の正常化なども視野に入れていることを明らかにする.

10.24 オルブライト国務長官,北朝鮮を訪問.金正日は「射程500km以上のミサイル(テポドン1号)の発射実験を停止.さらにミサイル合意に関する検証手段も保障する」と提案.見返りとして食糧とエネルギーの安定的な供給をもとめる.クリントン訪朝,国交正常化の道筋についても話合い.

00年11月

11.01 クアラルンプールで第7回米朝協議.ミサイル問題の最終敵な詰めが行われるが,合意に達せず.クリントンの任期内の訪朝は不可能となる.

11.30 南北離散家族の第2回相互訪問が実施される. 

00年12月 金大中がノーベル賞

12.04 韓国『2000年国防白書』が発表される.国防相会議での議論にもかかわらず,“主敵規定”がそのまま存続.

12.10 金大中大統領,ノーベル平和賞受賞.

12.12 北朝鮮とイギリスが国交を樹立.

12.12 第4次南北経済実務者会談が,平壤で開かれる.経済協力関連4分野で,合意書を締結.

 


1991年

1月 日朝交渉が始まる.日本側はIAEAの核査察受け入れを迫る.さらに拉致問題の解明も条件に追加。北朝鮮側がこれを拒否したため会談は事実上決裂.

9月 国際原子力機関(IAEA),北朝鮮の核査察協定調印と「特別査察」を求める。北朝鮮は韓国に配備されている核兵器の撤去が先とし,協定調印を拒否.

9.17 南北朝鮮が,国連に同時加盟.

9.27 ブッシュ大統領,海外に配置された海上および地上戦術核兵器の一方的全面撤退を発表.この時点で韓国内には約100基の核兵器が配備されていた.

91年11月

11.08 盧泰愚大統領,ブッシュ宣言を受け朝鮮半島非核化構想を発表.核兵器の生産・所有・貯蔵・配備・使用の禁止を宣言.さらに再処理施設を持つことも禁止する.

11.25 北朝鮮外務部,「アメリカが核兵器を撤去すれば,IAEAの査察に応じる」と声明.

91年12月 朝鮮半島非核化宣言

12.06 統一教会の文鮮明が北朝鮮を電撃訪問し、金日成と会談。35億ドルの支援を約束する。

12.11 ソウルで南北首相会談が開かれる.「南北基本合意書」に署名.さらに韓国は,南北同時核査察を含む「韓(朝鮮)半島の非核化に関する共同宣言」を提案.

12.18 盧泰愚,いまや韓国内には一発の核兵器も存在しないとの声明を発表.

12.31 「朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言」が仮調印される.「核エネルギーを平和的にのみ利用し,核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない」ことで合意.

91年 ソ連は国際価格での取引やハードカレンシーの決済を要求。ソ連貿易は北朝鮮貿易の53%を占めていた。これに代わり中朝貿易が34%まで伸びる。

 

1992年

92年1月 南北基本合意とチーム・スピリットの中止

1.20 南北両首相,「南北基本合意書」に署名.

1.22 ニューヨークで,米朝初の「次官級会談」が開催される.北朝鮮は,在韓米軍が統一後も朝鮮半島へ駐留することを「とりあえず容認する」と発言.

1.30 北朝鮮,IAEAとの保障措置(核査察)協定に調印.通常査察受け入れに合意し核査察対象リストを提出.これには寧辺の二つの核関連施設は含まれず.

1月末 米政府,「チーム・スピリット92」の中止を発表.

92年2月 朝鮮半島非核化共同宣言

2.18 朝鮮半島の非核化に関する共同宣言が発効.

3.06 アメリカ,ミサイル生産関連施設として北朝鮮三企業に制裁.

4月 金正日,人民軍創建60周年のパレードに出席。元帥の称号を受けたことが明らかになる.

4月 楊尚昆国家主席が訪朝。中国が韓国との国交樹立を考慮していることを金日成に伝える。金日成は再考するよう要請。

92年5月

5.04  北朝鮮,核物質に関する最初の報告書をIAEAに提出.7ヶ所の核施設と90グラムのプルトニウムを保持していることを明らかにする.

5.13 北朝鮮,朝鮮戦争時の米兵遺骨15柱を返還.

5.25 ブリクス事務局長を団長とするIAEA調査団,北朝鮮に対する第1回査察を実施.再処理施設「放射化学研究所」を中心に立ち入り調査.以後9ヶ月間に6回の特定査察を実施.

5月 江原道チョルヲンで、韓国軍の軍服を着た北朝鮮工作員が射殺される。

92年6月

6月 金日成,スエーデン労働党幹部との会見で,「東欧社会主義諸国の崩壊の原因は,事大主義と官僚主義にあった.決して社会主義制度そのものに問題があったのではない」と述べる.

7月 アメリカ,韓国を含め海外に配置された戦術核兵器2400基の撤収を完了したと宣言.

8.24 韓国と中国のあいだに国交が樹立される.北朝鮮は一時中国人観光客、朝鮮族の親戚訪問規制を行い抗議の意を表明。

92年9月

9月 IAEA,北朝鮮の初回報告について検討.再処理プルトニウム量などに疑問を呈する.

9月 韓国国家安全企画部,北から潜入した李善美労働党政治局員候補が,地下組織を作ったとし,一斉摘発に乗り出す.62人が逮捕され,300人が指名手配される.李善美はすでに逃走.

92年10月

10.08 米韓両政府,「核相互査察問題で意味ある進展が見られない」とし,チームスピリット再開を検討開始.

10.20 北朝鮮政府,「外国人投資法」「合作法」「外国企業法」を発表する

10月 韓国の国家安全企画部、400人からなる北朝鮮スパイ網が摘発されたと発表。この組織は労働党のリ・ソンシルが指導していたとされる。

11.05 第八次日朝会談.最終的に会談は決裂.北朝鮮は日本政府側に対し,「自らの尊厳と原則を捨ててまで日本と関係改善をしない」と言明.

12 最高人民会議常設会議開催.「外国投資企業および外国人税金法」「外貨管理法」「自由経済貿易地帯法」を採択する。政務院総理,延亨黙から姜成山に再び代わる.国家予算報告では第3次7ヶ年計画について何の報告もなし.

 

1993年

1.26 韓国,政権交代を前に米軍とのチームスピリット再開を発表.北朝鮮はチームスピリット再開決定を非難.

93年2月 北朝鮮「核疑惑」の浮上

2.09 IAEA,6回目の特定査察.平安北道寧辺の二つの核廃棄物の貯蔵施設について疑問が残るとし,北朝鮮政府に対し特別査察を要求.10日以内の回答を求める.北朝鮮は要請を拒否.

2.25 アメリカの軍事衛星が,寧辺の核施設(放射能化学研究所)を察知.35カ国からなるIAEA理事会は,7ヶ所の核施設について,3月25日を回答期限として現地「特別査察」を求める決議を採択.中国は決議を棄権.

2月 クルーゼ・ロシア外務次官は旧ソ連時代からの北朝鮮のロシアに対する累積債務は33億ルーブルに達すると明らかにする。

93年3月 米韓のチームスピリット再開

3.01 米韓合同軍事演習「チームスピリット」が二年ぶりに再開される.

3.08 金正日最高司令官は全国・全民・全軍に準戦時状態を命じる.準戦時体制の発動は83年以来10年ぶり.

3.09 金日成,IAEAがアメリカ情報当局の指揮下にあるとし,特別査察を拒否.

3.12 北朝鮮,NPTからの脱退を宣言する.

3.24 南アのデクラーク政権,過去に原爆6発を所有していたことを認めるとともに,これらがすでに解体されたと発表.

3月 北朝鮮政府、羅津・先鋒自由経済貿易区開発計画を発表。(先鋒の旧称は雄基)

93年4月

4.01 IAEA理事会,北朝鮮が協定を遵守せず,核物質が非平和的目的に使用される可能性を否定できないと言明.

4.06 IAEA,北朝鮮核疑惑問題を国連安保理に委ねる.安保理議長はこの問題の解決に責任を持つとの議長声明.

4.07 金正日、書記・国軍最高司令官に加え,軍統帥権を持つ国防委員会委員長に選出される.10名からなる国防委員会が北朝鮮政府の最高首脳部となる.金正日は人民武力部機構体系改編を断行.呉克烈派として左遷されていた金英春を総参謀長にすえる.

4.14 北朝鮮からの要請を受けた米国務省,米朝会談の開催に応じると発表.

4.19 ロシア連邦大統領,85年協定の前提が崩れたとして,北朝鮮の原子力発電に関する一切の協力を停止.

93年5月

5.11 国連安保理,「北朝鮮に対しNPT脱退を再考し査察協定を履行するよう求める決議案」を採択.すべての国連加盟国に対して問題解決のための努力を求める.反対は0,中国とパキスタンが棄権.

5.29 北朝鮮,日本海へ向け射程1000キロのノドン・ミサイルの発射実験.“多段式ミサイル三発の試射に成功。一発は能登半島沖、二発は3000キロ離れたハワイ沖とグアム沖に着弾”、と発表。

93年6月 米朝高官協議が開始

6.02 ニューヨークの米国連代表部で,米朝高官協議が開始される.国連安保理決議を受けてのもの.米国側はガルーチ国務次官補,北朝鮮側は姜錫柱(カンソクチュ)第一外務次官を首席代表とする.

6.11 ニューヨーク会談がいったん終了.「核兵器の使用・威嚇を行わず,朝鮮半島の非核化・平和と安全を保障し,朝鮮の平和統一を支持する」ことで合意.米国は北朝鮮の内政に干渉せずと言明.北朝鮮はNPTからの脱退を保留.交渉継続に合意.

6.29 武藤外相がソウル訪問.北朝鮮に対し,核不拡散条約(NPT)脱退の「完全な」撤回と,国際原子力機関(IAEA)による査察受け入れなどを強く求めていく立場で一致.

6月下旬 クリントン,韓国を訪問.非武装地帯視察後,「もし北が核兵器を使えば,それは北朝鮮の終焉を意味する」と声明.

93年7月

7.19 米=北朝鮮第二回会談.IAEAの査察全面受け入れ,軽水炉原発への移行を柱とする共同声明を発表.軽水炉二基をアメリカが供与する方向で交渉継続を確認.

8.13 IAEA査察団,北朝鮮の協力体制が依然として不十分と発表.

9.24 北朝鮮、羅津・先鋒自由経済貿易区開発計画にもとづき、羅津市と先鋒市を合併させ中央政府の直轄市である羅津・先鋒市を置く。また恩特郡の元汀里(圏河税関の対岸にあたる)など三つの里がこれに編入される。総面積は746平方キロメートル。

93年10月

10.01 IAEA年次総会,ブリクスは北朝鮮の核施設が平和利用以外の方向に転用される懸念が強まっていると報告.

10.14 アムネスティ・インタナショナル,北朝鮮が過去30年間にわたって政治犯ら数千人を虐待・処刑し,元在日朝鮮人を含む数万人を環境劣悪な収容所に拘束したとする報告書を発表.

10.29 北朝鮮,「核査察問題はアメリカとの直接対話によってのみ解決できる」とし,IAEAの査察を認めないと通告.

93年11月 核査察を求める国連決議

11.01 国連総会,北朝鮮に核査察の完全履行を求める決議を採択.賛成140,反対は北朝鮮一国のみ.

11.02 米国のアスピン国防長官,北朝鮮の核開発疑惑について強い懸念を表明.「米朝協議が最も重要な交渉窓口であり,当面は話し合い解決を追求する」との基本姿勢を示す.CIAとDIAは北朝鮮がすでに約12キロのプルトニウムを保有していると報告.これは数発の核兵器を作るのに十分な量とされる.

11.05 ワシントンポストのコラム,「北朝鮮への語りかけをやめ,経済封鎖に乗り出せ」と主張.

93年11月 金日成の復活

12.08 朝鮮労働党中央委員会第6期21回総会.金日成が,病身を押してふたたび陣頭指揮に立つ.金正日に排斥されていた金英柱(金日成の実弟),金炳植が副主席として復活,いっぽうで金正日側近の金容淳,金達玄らが左遷される.

12.29 北朝鮮,申告ずみ核施設への通常査察再開を認める.

12月 朝鮮労働党中央委員会に引き続き,最高人民会議が開催される.姜成山総理は「第3次7ヶ年計画遂行総括と当面の経済建設方向について」報告.計画の未達成を認める.失敗理由として,社会主義圏崩壊による輸出市場の消滅と,国防費負担増をあげる.会議は「農業第1主義,軽工業第1主義,貿易第1主義」を唱え,第3次7ヶ年計画遂行後の3年間を緩衝期とする決議.これは計画の3年延長を意味する.

12月 北朝鮮のチョウ・カン参謀総長、「軍は90年代に必ず祖国を武力統一するという、重大かつ名誉ある任務を担っている」と演説する。

 

1994年

1月 米政府は,北朝鮮が核開発を中止しなければ核施設を爆撃すると発言.軍事筋は,北朝鮮への先制攻撃計画「作戦計画50-27」など相次いで侵攻計画をマスコミにリーク.
 


作戦計画50-27
在韓米軍と韓国軍の共同作戦計画.偵察衛星などありとあらゆる情報網を駆使し,圧倒的空軍力を背景に短期間で制空権を確保.北朝鮮が動く前に機先を制して平壌を先制的に大規模空爆.その後米韓両軍が突入.平壌制圧と政権転覆を目標とする.

2.15 北朝鮮,7ヶ所の核施設についてIAEAの査察に合意.IAEAは国連安保理への再提訴を保留.

2.18 ニューヨークの実務協議,①チーム・スピリットの実施見合わせ,②北朝鮮・IAEAの2.15合意遵守で合意.

94年3月 「ソウルは火の海になる」

3.01 IAEA査察官が北朝鮮査察に入る.

3.03 北朝鮮当局,寧辺(ニヨンピョン)のプルトニウム再処理施設への立ち入りとサンプル採取を拒否.IAEA理事会は,「合意に基づきただちに全面査察を受け入れるよう」北朝鮮に要求.

3.15 IAEA,北朝鮮からの査察官引き上げを決定.「北による核物質軍事転用の有無を検証できなかった」と声明.

3.16 板門店での南北定期協議,北朝鮮の朴英朱首席代表は,「ソウルはここから遠くない。もし戦争になればソウルは火の海になる.あなた方は生き残れないだろう」と宣言.そのまま席を立つ.韓国政府はチームスピリット94の中止決定を撤回すると発表.

3.21 IAEA特別理事会の付託を受け,国連安保理が北朝鮮非難決議.中国は拒否権を行使せず,棄権に回る.

3.21 クリントン,パトリオット迎撃ミサイルの韓国配備とチームスピリット演習の年内実施を発表.

94年4月 アメリカの戦闘準備開始

4.04 アメリカは米朝高官協議を中止.ペリー国防長官,「われわれは朝鮮半島において,この問題に関しても他のいかなる問題に関しても,戦争を望まないし,戦争を引き起こすこともしない.しかし国連による制裁が,北朝鮮を開戦に向わせるなら,われわれはリスクをとるだろう」と発言.

4.16 金日成,平壤市内で記者会見.「将来にわたって,われわれが核兵器を持つことは決してない.われわれは朝鮮の同族に対し核兵器は使えない」と述べる.

4.18 金日成,NHKの質問に答え「アメリカがトップ級会談に応じれば,問題は解決できる」と述べる.

4月中旬 米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」を再開.パトリオット・ミサイルが釜山に揚陸される.アパッチ攻撃ヘリ,重戦車・高性能レーダー装置などが投入され,兵員は枠ぎりぎりの3万7千人にまで増員される.さらに米第七艦隊が海上に待機する.

4月 米政府と米軍,1900項目にのぼる支援要請のリストを作成.日本政府に対し後方支援を要求する.

4月 足利銀行,北朝鮮向けドル建て送金の取り次ぎを停止.円建て送金は引き続き可能.足利銀行は北朝鮮とコルレス契約のある邦銀約20行の内,事実上唯一利用されてきた銀行.

4月 北朝鮮の民主化を求める大阪の市民集会,朝鮮総連活動家に襲撃される.警察は総連大阪府本部の21人を,威力業務妨害の疑いで書類送検.

94年5月 燃料棒抜き取り

5.01 北朝鮮,燃料棒8千本の抜き取り作業を実施すると通告.IAEAは作業への査察官の立会いと,サンプルの引渡しを要求.北朝鮮がサンプル引渡しを拒否したため,査察官の派遣を取りやめる.

5.02 ガルーチ北朝鮮担当無任所大使,「IAEAの立会いなしに燃料棒抜き取りを行えば,一切の交渉努力は不可能になるだろう」と警告.

5.04 在韓米軍総司令官ゲーリー・ラック大将,北朝鮮軍兵力を分析.「北朝鮮は国境地帯に8400の大砲と2400の多連装ロケット発射台をすえており,ソウルに向けて最初の12時間に5千発の砲弾を浴びせる能力がある.もし再び戦争となれば,半年がかりとなり,米軍に10万人の犠牲者が出るだろう」とのべる.

5.08 北朝鮮,警告を無視して燃料棒抜き取り作業を開始.

5.18 ペリー国防長官とシャリカシュビリ統合参謀本部議長,ゲイリー・ラック在韓米軍総司令官が「第二次朝鮮戦争」発生時の被害予想を検討.最初の三ヶ月で,米軍兵士8万ないし10万人と韓国軍50万人が死傷するとの結論.全面戦争が発生すれば死者は100万人,損害総額は1兆ドル,戦費は610億ドル以上,最大に見積もって1兆ドルに達するとされる.

5.19 IAEA,北朝鮮が5メガワットの核実験炉から,国際監視なしで使用済み燃料棒8000本の抜き取りを開始したことを確認.これに含まれるプルトニウムは,5個か6個の原爆を製造できる量に相当する.CIA長官,「核爆弾1発を開発した可能性がある」と発表.

5.25 サム・ナン上院軍事委員長とルーガー上院外交委員長を特使とする使節団,直前になって北朝鮮側に入国を拒否される.

5月 姜成山前首相の娘婿にあたる康明道が韓国亡命.

94年6月 カーター・金日成の瀬戸際合意

6.02 IAEAのブリクス委員長,国連安保理に対し報告.「もはや北朝鮮による核物質軍事転用の有無を検証する手立てがなくなった」と述べる.

6.03 ワシントン・ポストのクラウトハマー,「われわれは戦争を始めるつもりはない.だが金日成はやるかもしれない.われわれはその行為の帰結を明らかにしておかなければならない.すなわち北の壊滅である.停戦はない,38度線もない,板門店に戻ることもない」と戦争をあおる.

6.03 クリントン,北朝鮮との協議を打ち切り,国連安保理における制裁決議実現に全力をあげると宣言.北朝鮮は「制裁は戦争を意味する.戦争に情け容赦はない」と声明.

6.05 米下院,北朝鮮への経済制裁を求める決議を415対1で採択.

6.09 北朝鮮,「日本が経済制裁に合流するなら,宣戦布告とみなす」と声明.

6.09 カーター前大統領,個人の資格で平壤を訪問すると発表.金大中の強い要請を受けたといわれる.

6.10 国際原子力機関(IAEA),北朝鮮が条約義務の不履行を拡大し続けているとし,年間25万ドルの原子力関連の技術協力を停止するとの制裁決議を採択.反対はリビアのみ,中国は棄権,キューバは欠席.

6.11 北朝鮮,IAEA本部からの代表を引き上げ.IAEAの査察には協力しないと発表.NPT脱退については保留.

6.13 北朝鮮,「国連による制裁はただちに宣戦布告を意味するというわれわれの立場を強く再確認する」と声明.

6.15 共和党政権時代の北朝鮮問題担当者,スコウクロフトとカンター,ワシントン・ポストに投稿.「その場しのぎが許される時期は終わった.北朝鮮がIAEAの査察を受け入れないのなら,われわれが北の再処理能力を除去しなければならない」と述べる.

6.15 オルブライト米国連大使,安保理での制裁決議採択に向け動き出す.

6.15 タイム・CNNが米国民の世論調査.47%が北朝鮮の核施設に対する国連の軍事行動に賛成.

6.15 カーター前大統領が平壤に入る.クリステンソン国務省朝鮮課長代理が同行.クリントンからは親書は与えられず.

6.16 クリストファー国防長官,ラック報告に基づきホワイトハウスでブリーフィング.米兵1万人を追加投入する計画を説明.

6.16 ラック在韓米軍司令官とレイニー駐韓大使が秘密会談.本国からの指令を待たず,「在韓米国人8万人の避難計画」を進めることで合意.

『サンデー毎日』2002.2.10号
 金泳三大統領は,韓国政府の了解なしに在韓米国人全員の国外避難をさせようとしたことに「激怒」,「誤った決定で,もし韓半島で戦争が勃発したら,私は国軍の最高司令官として韓国軍人を誰一人として参戦させない」と「捨て台詞」を残してクリントン大統領との電話会談を打ち切る.(本人談話)

6.17 金日成がカーター斡旋を受け入れ.寧辺における再処理の全面凍結と査察官常駐,対米交渉の再開に応じる.カーターは独断でCNNの生中継をセットし米朝合意を確認.

6.17 米政府,カーター・金日成合意を受け入れ.制裁決議推進活動を停止し,米朝高官協議を再開すると発表.

94年7月

7.06 金日成,経済部門責任者会議で演説.第三次七カ年計画の挫折を受け,緩衝期戦略を提起.農業・軽工業・貿易の振興を訴える.

7.08 金日成主席,心臓発作で死去.7月25日に予定された金泳三との首脳会談は流産に終わる.(ウィキペディアによれば、会議で興奮し、止めていたタバコをすった後心臓発作を起こしたとされる。いかにもありそうな噂話の典型ではあるが…)

7.30 国際アムネスティ,ソウル市内で記者会見.平壌から約七十キロのスンホ政治犯収容所に,韓国出身者11人,在日朝鮮人26人,日本人女性ら約六百人が収容されていると報告.

94年8月

8.01 金泳三大統領,アムネスティの報告を受け,政治犯収容所に拘禁されている韓国人の釈放と送還を求める交渉を行うと声明.

8.05 ジュネーヴで米朝高官協議が再開される.北朝鮮は2千メガワットの軽水炉提供を要求.鉱物資源による返済を求める.特別査察については合意に至らず.

8.12 ジュネーヴの米朝協議,「枠組み」で合意.

9.12 ベルリンで専門家会議が開かれる.韓国型軽水炉の導入で合意.ただし韓国型の名称を用いることは北が拒否.

94年10月 枠組み合意

10.22 ジュネーヴの米朝高官協議,「米朝間で合意された枠組み」文書に調印.

「枠組み合意」(Agreed Framework
三段階で北朝鮮の核開発計画を破棄するもの.①北朝鮮が黒鉛減速炉を凍結する.②この見返りに,軽水炉型原発の開発援助を約束.2003年までに「国際コンソーシアム」が韓国型軽水炉2基を建設し,200万キロワットの電力を供給すること.③軽水炉完成までは,アメリカが毎年50万トンの重油を供給し,経済制裁を解除するというもの.
IAEAは寧辺の原子炉に封印を施し,燃料棒をコンクリート製の保管施設に格納.北朝鮮国内で監視活動を続けることとなる.米国・北朝鮮の経済・外交関係の正常化も合意される.アメリカは北朝鮮に対し核兵器による威嚇を行わないことを保障.

11.28 IAEA,Nyongbyonと Taochonの核施設建設が凍結されたことを確認.

94年12月

12.10 韓国統一院,「北韓の第3次7ヶ年計画総合評価書」を発表.計画年度における経済成長率実績は平均-1.7%と推測.

12.17 北朝鮮領空内に侵入した米軍ヘリが北の対空砲火により撃墜される。“独自開発した携帯地対空ミサイル「火昇(ファスン)」が一発で撃墜”したと発表される.乗員一人が死亡,もう一人の乗員ボビー・ホールは暴行を受け拘束される.

12.18 アメリカはハバード国務次官補代理を平壤に送り,二週後にホールは解放される.

12月 韓国軍の統帥権,韓国側に返還される.有事の統帥権は引き続き駐韓米軍司令官が掌握.

 

1995年

1.20 米議会,北朝鮮に対する経済制裁の緩和を承認.共和党の抵抗により緩和幅はわずかなものとなる.

1月 議会の抵抗を恐れるクリントンは,第一回目の重油供給に行政府臨時費を充当.

1月 韓国の三星グループの調査団が羅津・先鋒を訪問。電子製品工場を建設することで北朝鮮と合意。

95年3月 KEDO設立

3.08 米上院,枠組み合意関連の経費を議会の承認を得ずに支出する法案を可決.北朝鮮への重油供給が困難となる.

3.15 枠組み合意に基づき,「朝鮮半島エネルギー開発機構」(KEDO)が設立される.日米韓のほか,ニュージーランド,オーストラリア,カナダが原加盟国となる.事業資金の7割を韓国が支出,日本が25%,米国を含む残りの国が5%を拠出することとなる.

3.30 自社さの連立三与党代表団(団長:渡辺美智雄)が北朝鮮を訪問.朝鮮労働党との間で会談再開の合意書に調印.「対話再開と国交正常化のための会談には,いかなる前提条件をもつけない」ことで合意.

5.25 北朝鮮は日本に対して米援助を要請。有償15万トン、無償15万トンで合意。

5月 北朝鮮の巡視艇が韓国漁船を銃撃し捕獲。乗組員3人を射殺する。

6.13 米朝「枠組み合意」が進行.マレーシアでの米朝準高官級会談で,韓国型軽水炉の導入が実質的合意に達する.

6.21 北京で南北コメ支援協議が合意。韓国が15万トンを無償援助することとなる。

6月 韓国から人道支援物資を積んだ船が北朝鮮に入る。北朝鮮兵は、支援船に対し北朝鮮国旗を掲揚することを強要したという。

7.09 北朝鮮の国家安全保衛部は延吉で韓国人の安承運牧師(純福音教会)を拉致する。中国は北朝鮮によって拉致されたと断定。この事件で北朝鮮人3人と朝鮮族3名を逮捕。2年の懲役刑の上、北朝鮮に追放。

7月 朝鮮中央通信は「安承運牧師は自発的に北朝鮮に亡命した」と報道。のち安牧師は北朝鮮のプロパガンダに利用される。 (この頃から、延辺地区への韓国人の浸透が活発化する)

95年8月 北朝鮮の水害と飢餓

8月 西部工業地帯(平安北・南道)中心に100年来の大洪水.国土の75%が被害を受ける.被災者520万人,被害額は150億ドルに達する.

8.23 朝鮮中央通信、「黄海南道・北道で、ヒョウのため耕地17万ヘクタールが被害.120万トンの食糧が損失した」と報道.さらに「7月31日から8月18日の豪雨で多大な被害を被った」との洪水被害対策委員会の報告を詳細に報道。初めて食糧危機を公表し世界に救援を訴える.

8月 北朝鮮当局、入港中の韓国の人道支援船を拿捕し乗員を逮捕。乗員が船上から写真を撮ったことが理由とされる。

95年9月

9.12 国連人道援助局,各国に対北朝鮮緊急食糧援助を要請.呼びかけに応じ,日本,韓国,中国,タイなどから100万トン(7億7千万ドル相当)の食糧が渡される.

北朝鮮の経済成長率 
 1990年   1991年   1992年   1993年   1994年   1995年   1996年
 +3.7%    -5.2%    -7.6%    -4.3%    -1.7%     -4.5%    -3.7%

10月 アメリカのスタントン・グループが、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を訪問・視察する。

10月 北朝鮮の武装工作員が臨津江を渡ろうとして発見される。1人は射殺され,もう一人は逃亡。同じ月、工作員二人が扶余で発見される。1人は射殺されもうひとりは捕らえられる。

11.20 ジョセフ・ナイ国防次官補,「北東アジア10万(うち日本に5万)の米兵力は,北朝鮮の軍事的脅威に対応するため」との見解を明らかにする.また「北朝鮮の現状は悪化しており,冒険主義に走る可能性もある」と強い懸念を表明.極東米軍プレゼンスの根拠を北朝鮮に求める.

95年12月

12.15 軽水炉建設事業の大枠を定めたKEDO=北朝鮮間の協定が締結される.韓国が資金の7割・30億ドルあまりを負担,日本が10億ドルを負担.アメリカは資金提出せず,建設中の重油供給を受け持つ.

12月 韓国国防省,95年度国防白書を発表.朝鮮人民軍を初めて“主敵”と規定.

 

1996年

96年1月 「苦難の行軍」

1.01 「労働新聞」,「朝鮮人民軍」,「労働青年」の三紙が共同社説.「苦難の行軍精神」を強調.

1月 北朝鮮,アメリカの要求するミサイル輸出問題での二国間会議に原則合意.交換条件として経済制裁の緩和を要求.

1月 クリントン政権,国連の緊急アピールに応え,北朝鮮に対し200万ドルの資金を提供すると発表.

2.22 外交部スポークスマン,「新たな平和保障体系樹立」を提案.

96年3月 人民軍のクーデタ事件?

3.19 ロード東アジア・太平洋問題担当国務次官補,下院国際問題小委員会で証言.ミサイル輸出問題で進展があれば,経済制裁の緩和を検討と述べる.

3.29 人民軍第6軍団でクーデタ事件が発生.北朝鮮政府は「休戦条約の無効化」を宣言し,国内引き締めに当たる.人民武力部の金光鎮第一部長,「朝鮮半島の休戦状態は限界点に達している.今や問題は,朝鮮半島で戦争が起きるか否かではなく,その時点がいつかということにある」と危機感をあおる.

3月 貿易当局者が台北を訪問.コメ10万トンの支援を要請.台湾当局は2万トンの援助方針を決定.

96年4月

4.10 北朝鮮政府が国連に覚書を送付.94年危機の際,「もし国連が朝鮮民主主義人民共和国に対して一方的に『制裁』を加え,歴史を繰り返すという道を選んでいたら,第二次朝鮮戦争が勃発していた」と明言.

4.11 米国防総省,北朝鮮の化学兵器や長距離ミサイルの開発が,米国と地域の同盟国の安全に「深刻な脅威となっている」と警告.

4.16 クリントンと金泳三が済州島で首脳会談.南北朝鮮に米国・中国を加えた四者会談の開催を提案.北朝鮮外交部スポークスマンは「4者会談について検討する」とこたえる.中国関係者は「休戦協定に代わる新しい枠組みが必要であり,米,韓国,北朝鮮の三者で十分話し合うことを期待する」とエールを送る.

4.17 日米安保「共同宣言」発表.

4.21 北朝鮮と米国のベルリン会談.米国は北朝鮮にミサイル技術規制計画(MTCR)への加入を促す.

96年5月 「一坪の土地でも穀物を!」

5.21 北朝鮮「労働新聞」,「一坪の土地でもさらに探し出して穀物を植えよう」との論説を掲載.「田と畑の必要のない畔をなくし,山地にやぎを飼い,草を肉に変えよう」と呼びかける.

北朝鮮の農業崩壊の理由
①地力の低下(←コメの密植,トウモロコシの連作,肥料・農薬など投入物の不足),②電力不足や農機具の燃料不足,③水害の発生の頻繁化(←段々畑からの土砂の流失),④農民の労働意欲の減退(←共同農場方式),⑤農業労働力不足と高齢化及び女性化.

5.24 アメリカ,北朝鮮からイランへのミサイル技術移転に抗議し,経済制裁を強化.

5月 洪成南副首相が訪中。中国は,北朝鮮との関係を修復し,金正日体制を全面支援する意向を表明.毎年穀物50万トン,石油120万トン,石炭150万トンを提供することで合意.

5月 西海岸で北朝鮮巡視艇5隻が境界線を越えて侵入。4時間にわたり韓国側とにらみ合いを続けた末、撤退する。6月にも同様のエピソード。

96年6月 「飢饉と経済状態は深刻」

6.25 李成禄対外経済委員会副委員長,台北を訪問.事前の報告を受けた中国政府は,「北朝鮮は“1つの中国”の立場を守るだろうと信ずる」と述べる.

6月 中国赤十字,「北朝鮮の飢饉と経済状態は深刻で,病院は栄養失調の子どもと老人であふれている.工場の9割は操業を中止し,ほとんどの商店は閉鎖している」と言及.

6月 世銀の要請を受けたイギリスの情報分析会社,「金泳三政権の北朝鮮政策は一貫性に欠けており,その対北強硬姿勢はアメリカを困惑させている」と報告.

6月 日本政府,対北1.5万トンの米の無償支援を決定.

7月 「モハメッド・カンス」事件が発生。北朝鮮スパイのチャン・スイル(62歳)はフィリピン人モハメッド・カンスを名乗り、12年間大学教授として務めていた。チャンは「おそらく数百の北朝鮮スパイが南側で活動しているだろう」と自供。

96年8月

8.16 韓国の金泳三大統領,4者会談を提示.あわせて南北経済協力計画も提案.

8月 穀倉地帯(黄海北・南道,江原道)を中心に大洪水.鴨緑江の堤防が8ヶ所にわたり決壊。死者116人を含め被災者327万人,被害総額は17億3280万ドルにおよぶ.

8月 モスクワの現代国際問題研究センター,「北朝鮮経済は現体制のもとでは再び回復できないほど疲弊している.もはや国家経済機能までが完全に麻痺した」と報告.

96年9月 武装スパイ潜入事件

9.18 北朝鮮「武装スパイ潜入事件」おこる.韓国東海岸の江陵で北朝鮮の潜水艇が座礁.武装工作員24名が上陸し,数日間にわたり銃撃戦を展開.韓国側は15人が死亡.遺棄された潜水艇からは,アメリカの民間団体が送った支援食料の缶詰が発見される.(一説では上陸したもの26名、うち11名は内部で処理され、13人が抵抗を続けたあと射殺される。一人が捕らえられ、もう一人は逃亡に成功)

10.16 アメリカ,中距離ミサイルのノドン発射実験に対抗し,偵察船と偵察機を日本に派遣.

10.20 ウラジオストック駐在の韓国外交官チョ・ドクケンが暗殺される。事件の前に「潜水艇事件の報復」をにおわせる脅迫状が届いたという。

11.08 国務省,ノドン発射実験が延期されたと発表.

96年9月

12.29 外交部スポークスマン,平壌放送と朝鮮中央通信を通じ,潜水艦座礁事件に「深い遺憾の意を表し,事件の再発防止のために努力する」とする論評を流す.これを機に,韓国は軽水炉建設事業の再開に動く.

12.30 北朝鮮,4者会談への参加の意思を表明.

 


共産党の北朝鮮政策

共産党の北朝鮮政策が発表された。情勢が緊迫かつ昏迷している状況のもとで、我々がいかなる立場を取るべきか、示唆に富む提言がなされている。

最初に、この文書の性格を明らかにしていきたい。

1.メモランダムとしての性格

「政策」と言ってもあまり正式のものではなく、「関係6カ国への要請」という名前で発せられたアピールであり、要点を押さえたメモランダムにちかい。

2.6カ国協議の枠組みを前提とした行動提起

正式名称は「非核化と平和体制構築を一体的、段階的に」というもので、「呼びかけ」としてはやや不鮮明だ。

一体的に関してはまったく異議はない。核・ミサイル問題だけを切り離しては永続的な解決にならないだろう。長い紛争の経過が何よりもそのことを証明している。

ただし「平和体制構築」という言葉がうすぼんやりとしている。何をもって平和体制構築の指標とするのか、明確で絞り込まれた目標設定が必要だろう。

「段階的に」という言葉自体にはあまり意味がないのだが、なにか特別な意味を与えているのだろうか。


4月6日に「要請文」が発表された際の紹介記事には以下のごとく要約されている。


まず、この要請が緊急に提出されたものであることが強調される。

これは「4月27日の南北首脳会談、5月末までの米朝首脳会談という新たな動き」がある以上、当然のことで時宜を得たものと言える。

逆に言えば、とりあえずこの2つの会談への期待というところに的を絞っているので、共産党の政策全体をこれで評価されても困るだろう。

要請の内容は一体的進行と段階的進行である。

一体的というのは非核化と平和体制構築という二つの課題を一体的に取り組むことである。

段階的というのは、非核化と平和体制構築の課題のいずれも現時点で達成するのは困難だから、あまり焦らずに「相互不信を解消し、信頼醸成を図りましょう」ということだ。

ただこれではあまりにもあいまいだから、過去における到達段階である「6カ国協議の05年共同声明」を出発点としてはどうかと提起している。

最後に共産党は、「4月27日の南北首脳会談、5月末までの米朝首脳会談」が持つ世界史的意義について関係国が認識をともにするように訴える。それは次のように述べられる。

戦争は絶対に回避しなければならない。

敵対から和解への転換が図られれば、それは世界の平和にとって巨大な利益になる。


以上のことから、「要請」のキモは次の点に集約される。

1.「6カ国協議の05年共同声明」の意義

2.「6カ国協議の05年共同声明」が保護にされた経過

3.それにもかかわらず、未だに出発点となりうる理由

残念ながら上記に関しての読み込みは、要請文そのものからはかなり困難である。
05年の共同声明は、その具体化の過程で困難に直面し実を結んでいませんが、その原因は「行動対行動」の原則が守られなかったことにあります。
という段落をどう読み込むかが読解の焦点となる。


(1) 対話による平和的解決の展望

北朝鮮の核・ミサイル問題で平和解決の動きがでている。これを歓迎する。

この際、関係国に2点を要望する。

(2) 非核化と北東アジアの平和構築

ということで早速、「一体的・包括的構築」の中身が語られる。

非核化と同時に語られるべき「北東アジアの平和」の柱となるのは、南北、米朝、日朝の緊張緩和・関係改善・正常化である。

そのゴールとなるのは、朝鮮戦争以来の敵対状況の終結、関係国が抱える懸念の解決である。

これが縦糸と横糸となることが「一体的・包括的構築」ということである。

(3)段階的措置による信頼醸成

もう一つの形容詞である「段階的」というのは、05年の6カ国協議共同声明、92年の朝鮮半島非核化に関する共同宣言、02年の日朝平壌宣言、00年と07年の南北共同宣言、00年の米朝共同コミュニケを基礎に、合意の積み上げを図ることである。

この「段階論」は、「当面、経済制裁を継続」という提起であり、非常に重要なポイントである。

この「呼びかけ」では、とりわけ05年の6カ国協議共同声明を重視し、「約束対約束、行動対行動の原則」の視点から経済制裁を合理化している。

05年の共同声明は、その具体化の過程で困難に直面し実を結んでいませんが、その原因は「行動対行動」の原則が守られなかったことにあります。

(4)敵対と不信からの転換をはかる

ここはとくに指摘しておくべき内容はない。

要するに、呼びかけのポイントは二つ。

6カ国協議の枠組みで議論を再開すべきだということ、もう一つは経済制裁は継続せよということだ。

なぜなら、それが6ヶ国合意に示された「行動対行動の原則」に合致するものだからだ。

ということになる。

関係国にも飲み込みやすい、きわめて現実的な解決策ということになろうか。



米中の覇権交代: トランプ登場の意味

大西広さんの講演要旨の紹介です。

レーニン「帝国主義論」から見た今日の世界

世界は不均等発展し、アメリカの没落が始まっている。トランプの登場はその象徴である。

BRICSが成長しているのは不均等発展のためである。これらの国は「後発帝国主義国」である。

アメリカは軍事と金融で生き残りを図っている。

しかし「金融覇権」の維持のための手段は、中長期ではアメリカの衰退を加速する。

具体的には金融覇権がドル高状況を必要とし、ドル高政策が製造業の衰退をもたらした。それが国民の反乱をもたらし政治基盤の弱体化をもたらした。

グローバリズム: 経済統合、自由貿易、資本の自由、移動の自由

共通の前提として経済的合理性の原則のもとにコントロールすること。

EUの最大の失敗は、ロシアの影響圏を縮小するという政治的目的で、拡大を急ぎすぎたことにある。

聞いているうちは面白いのだが、論証が不十分なため資料としては使いにくい。刺激にはなります。なお大西さんは「私はマルクス経済学者である」と何度も強調されているが、うんと割引しても「異色の」マルクス経済学者であろう。


A.北朝鮮問題 3つの側面
北朝鮮問題とは、なによりもまず核+ミサイル問題です。これについては疑問の余地はありません。
北朝鮮が核+ミサイルに固執する限り、国際的な制裁は必要です。これについても疑問の余地はないでしょう。
ただし疑問の余地が無いのはここまでです。その先には大きな問題が横たわっています。
端的に言えば、それは次の三つです。
1.私たちは北朝鮮にどういう国家(隣国)になって欲しいのでしょう。
2.北朝鮮が核+ミサイルを放棄した場合、私達はなにをしてあげられるのでしょう。
3.北朝鮮だけでなく中国・ロシア・韓国もふくめて東アジアはどういう地域になるべきでしょうか。
B.問題解決のためには「枠組み」の考え方が必要
この3つは次のように言い換えることもできます。
1.日朝両国関係の枠組み
2.非核・平和・安全保障の枠組み
3.東アジア地域の共存・共栄の枠組み
つまり、落とし所とかギブアンドテークとかいう考えが必要なのです。また、大枠と個別論、短期見通しと長期展望のすり合わせなどが必要です。さらに相互信頼の醸成が不可欠です。
これらを念頭に置きながら、解決の方向を見出していかなければ、北朝鮮問題に出口はありません。
もし「こんな国なんか目障りだから潰してしまえ」というのなら、北朝鮮が核+ミサイル開発に固執するのを責めることはできません。
C.6カ国協議
南北朝鮮に米中、さらに日本とロシアを加えた6カ国協議は、事態をコンセンサス方式で進めていく確実な方向としてゆっこうな枠組みでした。これはBの2に相当する枠組みであり、潜在的にはBの3の問題までふくむものでした。

6カ国協議の前段階として、米朝両国と中国という3者による対話の試みがありました。これは北朝鮮の「核疑惑」が発生したときに、中国を仲介者として米国と北朝鮮が接触する枠組みのものでした。

中国が日本、韓国、ロシアに仲介の役割をともに担うよう要請し、すべての関係国が参加する枠組みに拡大したのです。 
したがってあくまでも会議の主役はアメリカと北朝鮮であり、議題も北朝鮮の核問題に限定されていました。
ところが始めて見ると非常に優位性を発揮したのです。まずその公平さです。対立を客観的に眺めることができる仲介国が多く入ることで、多国間の枠組みが大いに力を発揮しました。これによって会談の公明さと公正性が維持され、同時に共通認識も形成されました。
その後、6カ国協議は形骸化しふたたび核開発へと動いていったのですが、いまでもその有用性は保たれていると思います。

多くの関係者は、「この枠組みは、今後、北東アジア地域の多国間協力の土台になり、安全保障協力機構の母体として発展する可能性がある」と期待しています。
D.アメリカ 部外者なのに当事者

6カ国協議の枠組みでおかしなことがあります。一貫して交渉の中心になっているのは北朝鮮とアメリカですから、アメリカは6カ国交渉の当事者そのものです。
しかしアメリカは東アジアの住人ではありません。そういう点では東アジアの平和と安全、相互関係を築くのには関係のない部外者なのです。これは北朝鮮問題を考えるのにあたってはとても大事なポイントです。

94年の朝鮮危機のとき、ラック在韓米軍司令官とレイニー駐韓大使は「米国人の避難計画」を進めました.ラック司令官は「北朝鮮はソウルに向けて最初の12時間に5千発の砲弾を浴びせる能力がある.もし再び戦争となれば死者は100万人に達する.米軍にも10万人の犠牲者が出るだろう」と本国に報告しています.
つまり、アメリカは福島原発の事故の時に東京から逃げ出したように、朝鮮有事の際はソウルから逃げ出し、ソウルを見殺しにするのです。
アメリカの第一戦略目標は長距離ミサイルにあり、ここを一撃できればあとはさほど心配なことはありません。あとは中・短距離ミサイルの射程距離からできるだけ離れましょうということになります。
だからアメリカの抑止力を当てにするとしても、アメリカを守護神と見誤ってはいけません。むしろ暴発の危険は“部外者”であるアメリカの側にあるということを見通して置くべきでしょう。

E.安全→平和→統一の戦略

韓国の盧武鉉元大統領は、現職時代に南北関係の進展の展望についてこう語っています。
1.現在の南北関係から統一に至るまでの戦略的価値の優先順位は、「安全・平和・統一」の順である。まずは南北間の平和定着が優先する。統一論はその後である。
2.「統一」については、「経済統合、文化統合、政治統合」という三段階論を経なければならない。
3.「統一を得るために平和を放棄し戦争を選んだという歴史も存在するが、韓国はそうするわけにはいかない」と表現しました。
朝鮮半島有事となればアメリカの第一撃が北朝鮮の主要施設を壊滅に追い込むでしょう。これに対し北朝鮮の短距離ミサイルや砲撃がソウルや韓国の主要都市に降り注ぐでしょう。
どちらにしても南北朝鮮の人々に最大の犠牲が押し付けられることになります。
このような形での決着は絶対に避けるべきだと思います。
F.北東アジア平和協力構想

日本AALAでは「北東アジア平和協力構想」への賛同署名を行い、大きな成果を上げた。

この「平和構想」は対話の中で諸問題(北朝鮮、尖閣・南沙諸島など)を解決していこうという姿勢である






1.北朝鮮問題は外交問題である

国内でいかに独裁政権がひどいことをやっていたとしても、それは国内問題だ。

例えばタイで軍が合法政権を倒して、法にもとる独裁政治を強行しても(それは非難に値するが)外交的対抗手段はおのずから異なってくる。

数千万の人が暮らす国としての国家主権は、それはそれとして尊重されなければならない。
ホーチミンの言葉「独立ほど尊いものはない」は外交の原理を究極的に示している。

2.北朝鮮問題は国際問題である

北朝鮮が要求しているのは米朝関係の改善であり、自国の安全保障である。

したがって、それはまずもって米朝両国の話し合うべき問題である。

しかし核兵器の開発は明らかに国際的な問題であり、これを阻止することは国際社会の問題である。

現に国際社会はその方向で動いているのだから、これと協調して行動しなければならない。

ミサイル問題は核問題と同列に語ることはできない。もちろんそれが核と結びついている状況のもとでは等閑視はできない。しかし核を除けばミサイルの開発について国際法上で禁止されているわけではない。日本だってロケットはバンバン上げている。形態から言えば、人工衛星を載せるか核弾頭を載せるかの違いだけだ。

むしろ事前通告や無害性の立証が絶対に必要であろう。

3.解決の糸口が示されなければならない

日米安保条約は二面性を持っている。一つは日米軍事同盟であり、米国が軍事行動に出れば自動的に参戦させられることになる。

もう一つは日本の安全を保障するメカニズムも内包していることである。憲法上は(あくまで憲法上であるが)非武装である。独立を承認されたサンフランシスコ条約で、日本の安全は世界の諸国(連合国)の共同に委ねられている。

その具体的内容として安保条約が置かれている形となっている。

したがって、矛盾するようだが、日本の安全を真に保障するためには、安保条約を発動させないために努力することこそがだいじだ。

これは安保条約に賛成でも反対でもコンセンサスとなるだろう。

緊張緩和のために緊急になすべきことは明確である。米朝対話の開始である。そのためには核問題で北朝鮮の何らかの言質が必要である。

仲介者はいくらでもいるだろう。日本がそこまですべきとは思わないが、少なくともその邪魔をしないことはできる。

戦争ヒステリーはあっという間に広がる。70年前我々の父母はそれを痛感した。

まずは冷静に事態を見つめるべきだろう。「平和が一番、戦争だけは絶対にダメ、とにかくまず話し合いを」という一点で世論をつくりあげなければならない。

4.東アジア4カ国の平和共存が最終目標

北朝鮮問題への対処は、いっときの問題ではない。東アジア問題全体がそうだ。

まだ終戦処理が完了していない。それはとくに我々の内心の問題である。

日本では、朝鮮を植民地とし、中国に侵略を行ったことへの反省がいまだ十分とはいえない。

在日を蔑視し、北朝鮮への度を越えた敵視がむしろ増強する傾向すらある。これは大国意識がもたらしているものだろう。

まず4カ国が対等のパートナーシップを結ぶこと、相互の国家主権を尊重すること。他国の人々が間違っていれば批判することは大いにけっこうだが、相手の批判にも耳を傾ける謙虚さが必要だ。

そのうえで朝鮮半島の平和的統一も展望し、ロシアにも協調を求める。そして領土的野心を放棄することを相互に宣言する。

他にも言いたいことはあるが、とりあえずこの4点を訴えたい。


 韓国の民主・進歩運動の中には、80年代学生運動の潮流が今もなお受け継がれている。

それらの運動の中でNLとPDという2大潮流があった。これからは主要な対立ではなくなっていくのだろうが、それでも折にふれて顔を覗かせるので、知識としては憶えておかなくてはならない。
(ただし、この問題については個々人の古傷に触れることにもなりかねないので、人前でひけらかすような真似はしないほうが良い)

1.「民族解放・人民民主主義革命」論への流れ

1980年代、光州事件以降、学生運動の中に「民族解放派」が広がる。“National Liberation People's Democracy Revolution”の頭文字をとってNLと呼ばれる。

85年末、「科学的学生運動」を唱導した高麗大・ソウル大グループが、「民族解放・人民民主主義革命」を標榜し、急速に全国に勢力を拡大した。

「民族解放・人民民主主義革命」は基本的視点としては日本共産党の60年綱領(旧綱領)の骨子と似通ったところがある。

韓国社会はアメリカ帝国主義の半植民地であり、同時に半資本主義でもあると評価し、当面する革命の性格を民族解放の性格を持つ闘いと規定する。

そこでは植民地半封建社会論と植民地半資本社論が対となった植民地半資本主義論」が土台となっている。しかしこの課題は十分には展開されない。とくに60年後半からの高度成長で、離陸を遂げた韓国経済への評価が蓄積されていない。

アメリカの半植民地とする評価はこれまでの闘いの中から学生たちの共通認識となってきた。それはすでに60年代学生運動にも表されていたが、70年代の反朴政権、民生学連の闘いの中で次第に明らかになった。

そして光州民主化運動への武力弾圧をアメリカが黙認したことから、反米なくして解放なしの声が一気に広がった。これが「民族解放・人民民主主義革命」論に結びついていく。

この新しい潮流は韓国民主運動にとって画期的な意味を持っていた。それはいままでの反軍事独裁、民主化という即自的受け身な対応から、運動全体を革命運動と捉えていく能動的姿勢への転換である。

しかし、この路線は二つの問題を内包していた。

一つは科学的社会主義の軽視である。軽視というより無知であると言わなければならないかも知れない。科学的社会主義に関する文献は制限され入手困難であった。したがって目の前の社会矛盾を解明し、その因って来るところを分析する視角が不足していた。だからすべてを反米の路線に流し込むきらいがあった。

民族解放派は、半植民地・半資本主義という韓国の特殊な状況においては、民族矛盾が階級矛盾に優先するとみなし、学生運動と変革運動の焦点を反米主義と南北問題に集中させた。

レーニンの「帝国主義論」を除けば、科学的社会主義の理論とはかなり縁が遠い思考であった。(韓国版ウィキより)

もう一つは革命の「戦略」に関わる問題である。これにはおそらく75年のサイゴン解放、南北ベトナムの統一という世界史的事件が関係したであろう。これにより民族の悲願である「南北統一」の課題が、革命戦略の中に無媒介的に組み込まれてしまう。

その悲劇的表現が「主体思想」である。

2.NL・PD論争

NLは「自主・民主・統一」(ジャミントン)という大衆組織を立ち上げる。共産党が民青を、革共同が社学同を立ち上げたようなものだ。学生自治会の組織が続き、全大協と韓総連が結成された。さらに社会各方面までふくむ汎民連も結成される。

これに対し、「人民民主派」(PD)が対抗馬として登場した。PDは資本家と労働者の階級矛盾を強調し、マルクス主義の伝統に忠実にしようと考えるグループである。NLが自主派、PDが平等派と呼ばれることもある。

NLは単一の指導理念に基づいて、統一された中央集権的な組織を形成しているが、PDは本来単一政派はなく、いくつかの政派が独立して形成されたものである。組織的にも分立されている。

彼らは韓国社会を「独占資本主義段階にある新植民地主義国家」と規定した。また光州民主化運動についてはまずもって民衆の蜂起と見て、韓国労働者階級の闘いの幕開けと評価した。(韓国版ウィキ)

ようするに評価の視角がまったく異なっているから、議論はすれ違う可能性がある。PDは階級的視点からNLを批判し続けたが、所詮は批判者であって、それが両者の力関係を覆すには至らなかった。

この論争は韓国が抱える問題を、萌芽的には網羅していただけに、いまだに組み尽くすことの出来ない教訓をふくんでいる。ただ時代的制約もあり、両者の問題意識はやや図式的である。

権威主義的工業化の過程で発生した強力な反共権威主義国家にどう立ち向かうかという視点が不十分である。これらの新たな問題を民族と労働者階級の両方の視点で再度検討しなければならないであろう。(崔章集

3.主体思想派

これについては話し始めるとキリがないのだが、要点だけ触れておこう。

主体思想は北朝鮮の国家理念であり、朝鮮労働党の指導理念でもある。

主体思想がNL派の中に最初に持ち込まれたのは、民主化の始まる直前、1986年のことである。金永煥(ヨンファン)が「鋼鉄通信」という文書シリーズを次々と発表し、「首領論」、「品性論」などの主体思想を大学街や労働界に広げた。

NL派の多くはこれに影響を受け「主体思想派」に変わっていく。韓国版ウィキは簡潔に経過を書き記している。

主体思想派は自生的な親北主義者で、北朝鮮の短波放送を密かに聞くことによって、その情勢分析と理論を受容した。

金永煥は自ら民主革命党(ミンヒョクダン)を組織し、北朝鮮の指導を受け、韓国の進歩運動に介入した。

1995年頃からは、学生運動の全体的な衰退と北朝鮮の実状認識、主体思想の創設者である黄長の亡命などで徐々に力を失った。

しかしいまも、もっとも厳しい時期を経験した不屈の闘士たちは健在である。民主革命党の流れをくむ集団は東部連合、蔚山連合の活動家集団などに影響を与えていると言われる。

なおNLの全部が主体思想派に移動したわけではなく、一部は「民族民主革命論」(ND)を主張し、別グループを形成した。彼らは「民族解放左派」を自称したらしいが、その後の経過は不明である。

3.NLのフロント組織

NLイコール主体思想派と断定するには躊躇を覚える。また87年民主化以降は非公然中核組織とフロント組織という分類も意味がなくなりつつあるが、存在そのものが違法とされる主体思想派にとっては、まだこういう色分けも必要であろう。

フロント組織は次々と登場しては消えていく。憶える必要もないが、一応名前はあげておこう。

まず89年1月に全国民族民主運動連合(全民連)が結成された。これは当局の厳しい弾圧により間もなく消滅した。

ついで91年末には、全民連を再建する形で民主主義民族統一全国連合 (全国連合)が発足した。NLが指導する在野運動勢力14団体のアンブレラ組織である。

97年、民革党事件を機に「全国連合」は公然活動を停止し、事実上の解散に追い込まれた。

2007年、NLは全国連合を解消し、あらたに「韓国進歩連帯」を結成した。韓米FTA阻止、非正規職撤廃、平和協定の締結と駐韓米軍撤収、国家保安法撤廃など4大課題を掲げているが、南北統一の課題は避けられている。

いっぽう、NL活動家の多くは、民主労総が中心となって結成された合法政党「民主労働党」に集団入党した。彼らは組織的力量にものを言わせ民主労働党の多数派となった。

民主労働党の流れは統合進歩党へと続いたが、現在では統合進歩党そのものが消滅している。

これに対し、PDは単一組織としてのまとまりは強力ではないが、今日その主力は労働党に結集しているとみられる。

民主労働党が結成されたとき、PDの多くはこれに結集しPD派を形成した。2008年には民労党から分かれ「進歩新党」を結成した。12年には総選挙での得票率が規定に届かず解散、翌年「労働党」として再発足した。

その間、多くの活動家がリベラル派の正義党に鞍替えしている。



97年9月、初めて韓国を訪れたとき、まだ韓総連は元気だった。街頭で機動隊と「激突」していた。

その2年後に梅香里を訪れたとき、団結小屋には機動隊から奪ったヘルメットや盾などの「戦利品」がうず高く積まれていたが、すでにそれは過去のものだった。

「民革党事件」以来、NLはおとなしくなった。しかしその残党は民労党内に潜り込んで多数派を形成していたのである。

それやこれやも、ここ10年位ですっかりおとなしくなった。パククネを大統領の座から追い落としたとしても、国家保安院の牙城はいささかも揺らいではいない。

かえすがえすも、「主体思想」がいかに韓国の民主運動に暗い影を落としたか、その戦闘性を知るだけに悔やまれてならない。


もう一度1985年の時点に立って、問題点をおさらいすることも必要かと思う。そんな思いもふくめながら、この文章を書いてみた。
下記もご参照ください

「北」の影響:カンチョル・グループの場合
(付)韓総連の自己紹介
韓国の労働運動(1998年)


最近、韓国の政治動向をフォローしていなかったので、今回の大統領選挙の結果を聞いて、「韓国左翼が変わったな」と実感した。
1.社会労働党の躍進と没落
とにかく韓国の世論は右へ、左へと激しく揺れるので、底流を見据えながら個々の動きを評価するのは大変だ。
国民的与望を担って登場したノムヒョン政権だったはずなのが、大した失政を繰り返したのでもなくどんどん支持率を落として、最後には議会に弾劾されるまでに至る。
ところがノムヒョンの応援団がウリ党を起て、総選挙をやったら圧勝する。それなのに半年もしたら、支持率が30%を切る。それが美容整形で二重まぶたにした途端に50%にまで回復する。
そんな中で、民主労働党は一時期は議会第三党にまで上り詰めたが、一心会(親北派)をめぐるスキャンダルであっという間に崩壊していく。
2.主体思想の清算
「親北派」キャンペーンは権力による一大攻撃ではあるが、金日成カルトともいうべき集団が存在したことも間違いない。韓国民主運動はさまざまな困難を抱えているが、「主体思想」との関係を清算し、南北統一へのロードマップを再構築することは中でも最大かつ緊急の課題であった。
思えば2006年以後、今日まで10年間の道のりはそのために費やされたと言っても過言ではない。
そのなかで、もっとも原則的かつ果敢に「自主派」とのたたかいを進めてきたのが、進歩新党であった。私はそう思っている。
3.進歩新党のもつ意味
進歩新党の闘いには二つの側面がある。
第一には親北派との呵責なき戦いである。親北派と対立してきた「平等派」の古参活動家は動揺を繰り返した。一つは自分をより高く売り込むための取引であり、一つは民主労働党のパトロンである民主労総の動向である。もちろん、底流には、民主化運動以来ともに闘ってきた「主体派」の仲間への絶ち難い信頼と友情の関係もあっただろう。
しかし、いまは直近の動向ではなく、真の未来を目指さなければならないのだ。そこには揺らぐことのない一貫性が必要だ。
第二には、資本からの真の独立である。進歩勢力と言ってもさまざまなスペクトラムがあるが、資本からの真の独立と科学的社会主義の視点の確立がなければ、原則と現実的妥協との境目が見えなくなってしまう。
政党である以上、選挙での勝利はもっとも重要なイシューであることは間違いない。とくに韓国では選挙で一定の数を獲得しないと政党要件が消失してしまうという厳しい状況を抱えている。しかし階級政党の意義と任務はそれに尽きるものではない。綱領的立場が選挙戦術に矮小化されてはならないのである。
3.統合進歩党から正義党へ
この二つの立場をもっとも原則に守ったのが進歩新党だった。
そしてその立場を貫けずに民主労働党とのなし崩しの再統一、「統合進歩党」の結成に向かっていったのがシム・サンジョン(沈相奵)らだった。(シムが尊敬すべき人物であることは疑いないが、彼女の方向が金大中2世であることは冷静に見ておくべきだと思う。求められているのは「揺るぎない党」である)
統合進歩党は民主労総の強力なイニシアチブのもとで創設された。さまざまな政治潮流が「統合」されないままにくっついた。「多様性こそが新党の特徴」と公然と述べる国民参与党まで入ってきた。
こういう雑然さこそ民主労働党主流派(親北派)の意図するところであった。党の骨格人事は彼らがガッチリと握っていたからである。
それから半年もしないうちに、統合進歩党の実体は暴露された。親北派は表立っては一言も喋ることなく、実力で議席やポストを抑えてしまったのだ。
激怒したシム・サンジョンらはふたたび党を飛び出して、「正義党」を結成することになる。このドタバタ劇の最大の成果は、民主労働党に代えて自らを民主労総のお抱え政党とすることに成功したことである。
逆に民主労総の後ろ盾を失った民主労働党→統合進歩党は坂道を転げ落ちるように転落していく。機を見るに敏な連中は次々と正義党に鞍替えした。残された親北派は体制の立て直しを図るが、2013年8月に2回めの情報院の攻撃を受け瓦解していく。こうして民主運動の全戦線において親北派は市民権を失うに至った。
4.進歩新党の苦闘
進歩新党も、何度も滅亡の危機に陥った。
最初は社会党との合併で自力強化を図った。しかしこの「社会党」は言っている言葉の割にはへなちょこで、どこか強い力との連合で自分を売り込もうというオポチュニスト集団だったようだ。つぎは環境主義者との連合を図ったが、こんなもの最初からうまくいくわけがない。正義党が結成されると、かつて同じ思いを共有した政党であるがゆえに、かなりのメンバーがそちらに移っていく。
そのなかで進歩新党は未組織労働者の中にかなりの拠点を形成したようだ。彼らはいま労働党と名を変え活動を継続している。弱小とはいえ、活動を継続していけるだけの確かな力を蓄えたようだ。
5.金世均の予言
最後に2008年1月にソウル大の金世均教授が書いた文章を引用しておく。私は韓国政治の基本をついた文章としていまだに正確だと思う。

民主労働党は究極的な政治的目標を持たないまま、議会主義と合法主義、代理主義と官僚主義の道に堕ちた。民主労働党は、民族主義と社民主義の不幸な結婚が誕生させた政党であり、社会的関係の根本的な変革を望む多くのヒラ党員の社会主義的あるいは社会主義指向的な熱望を、民族主義的、社民主義的、議会主義的展望の中に閉じ込める政党だった。
党に未来がないだけではなく、既成の派閥のいずれにも未来はない。NL派は、民族問題を、階級問題や反帝・反戦問題などすべての問題に優先する左派民族主義勢力である。これに対しPD派は、当初は社会主義的な指向を持つ単一の勢力だったが、その後、体制内的改革を追求する社民主義勢力との寄り合い状態となり拡散した。
新しい進歩政党は民主労働党の内部革新や第二の創党運動の中にはない。「資本主義の克服を公に明言し、その克服のために闘う社会主義的労働者階級政党」が展望されなければならない。民主労働党内のすべての階級的左派勢力が、組織的な所属と路線の違いを越え、進歩政党運動の全面的な再構成のために、共に力を合わせていくべきだ。

それから10年の後、いま金世均さんがどう言っているのかを知りたいところである。

毎日、毎日、テレビでは北朝鮮ばかりだ。
そろそろ分かってもらえてもいいと思うのだが、この異常な北朝鮮攻撃には未来がない。
まず第一に強調しておきたいのは、北朝鮮は我々の隣人であるということだ。これは日本の歴史が続く限りずっとそうなのだ。だから、我々は隣人としてこの問題を考えなくてはならないということだ。
まず、我々は隣人としての北朝鮮に“どうあって欲しいかのか”のイメージを持つことだ。
第二には、北朝鮮の将来像に「ベルリンの壁崩壊」の姿を想像してはならないことだ。それは論理的にはありうるオプションではある。しかしそれはもっとも避けたい事態だ。ミサイルの飛来を予想して電車を止めるなと愚の骨頂だ。そんなことがないように交渉することこそ政府の責任ではないか。「原発が止まると電気が止まる」キャンペーンと同じで、いたずらに危機を煽る政府の無責任さは目に余る。
では、もっと平和的なオプションはないのか。これについても我々のイメージを持つことが必要だ。
この二つがとりあえず強調しておきたい議論のポイントである。あとは、本質的ではないが、反北キャンペーン・反慰安婦キャンペーンが森友隠しの一環であることも指摘しておかなくてはなるまい。
とくに「反慰安婦」をもって「反日」であるとする韓国大統領選挙への干渉は独断・独善であり、必ず将来に禍根を残すであろうと思う。
アメリカにはいつくばりながら、その力をカサに来た日本政府の居丈高な態度は、東アジア人にはつばを吐きたくなるほどに不快であり、「醜い日本」への反発は日を追って強まるであろう。
私もニュースで安倍晋三の顔を見た瞬間にチャンネルを変える「安倍過敏症」の一人である。

釧路まで医師支援に行ってきた。
夜は当然、飲みに出たが、3日目の夜は流石に飲み疲れて宿で本を読んでいた。今はまともな本屋といえば新本でなく古本屋だ。釧路にも立派な古本屋があって、そこに行くのは出張中のマストのコースとなっている。
古本屋の悪いところは売れない本がいつまでも場所ふさぎをしていることで、3年たっても同じ本が並んでいる。したがって少しづつ探索スポットを変えながら本を漁ることになる。今回は、文庫本のコーナーを眺めてきた。
上海モノがたまたま2冊並んでいて、その並び具合が良くて、高くもないから2冊とも買った。ひとつはちくま文庫の「上海コレクション」、もう一つが福武文庫の「上海読本」、いづれもアンソロジーものである。
読んでいるうちに次第に胸が悪くなってきた。
「魔都上海」というのは、当時の日本人にとっては猥雑な街という意味でしかない。軽いのである。
意外だったのは、芥川龍之介までもがその一員に加わっているということだ。まともな文章は武田泰淳のみである。もっともこれは昭和19年、敗戦間近の上海という特殊事情があるからで、日本人もすっかりおとなしくなってバッサリ首を切られるのを覚悟した状況の上海である。

上海はイギリスを頂点とする列強支配時代の上海(1927年まで)、蒋介石時代の上海(第二次支那事変まで)、日帝が支配を確立するまでの時代(およそ1940年まで)の3つの時代からなる。その後も共産党が48年に上海を解放するまでの時代があるが、この時すでに上海は「魔都」ではなくなっている。
これを1期、2期、3期、と呼ぼう。
1期においては、上海は「魔都」と呼ぶよりは中国革命の希望の星であった。2期においても徐々に力は衰えつつあったとはいえ、そこには中国を変革するための地下水が流れ込んでいた。3期に至って変革勢力は根こそぎにされたが、かろうじて残された列強の影響力を背景に、日帝支配に対する地下の反発は残存していた。テロが頻発し、列強がたがいの出方を探る陰謀が渦巻いていた。これが文字通りの「魔都」の時代である。
だが、日本の文士たちはそんな時代にはお構いなしに、ひたすらつかの間の快楽にのめり込んでいた。彼らにとって「魔都」の意味するものは「色魔のパラダイス」である。それは戦前における浅草六区であり、終戦後の新宿であり、要するにいくばくかの「危険」を伴った猥雑なエロ・グロ・ナンセンスの世界であった。それと背中合わせに想像を絶するような貧困があることを薄々と知りつつも、それには目をつぶるか、ちょっとした調味料くらいに見ていた。
だから彼らは上海の時代背景が1期であろうと、2期であろうと、3期だろうと一向に頓着しなかったのである。肝心なのは時代の流れで没落し、苦海に身を落とした絶世の美女が目の前に現れてくれることだけだった。そんな彼らの心情を最もうまくすくい取ったのが金子光晴だ。金子は村松のように軽佻浮薄ではない。地べたに近い目線から状況を見据えている。だからといって金子に同感するものではないが。
唯一内山書店の店主(金子は内山を先生と呼んでいる)だけが時代を真正面から捉えていたと言っていいだろう。

すみません。あとから読んだ鹿地亘の「上海戦役の中より」が出色でした。この人は戦後民主主義文学の中では少しも評価されていないけど、不思議です。いずれ追跡してみたい人です。



4.サンフランシスコ条約と韓国

A) 終戦と「解放」

日韓関係の食い違いは、サンフランシスコ条約で決定的なものとなった。

この辺はたしかに曖昧にしてきたところだ。と言うより、「えっ、韓国とサンフランシスコ条約なんて関係あるの?」くらいの気持ちだった。しかし南さんは朝鮮における日本の責任を曖昧にしたものとして、あらためて見直す。

南さんはこう書いている。

日本と朝鮮は脱植民地課題について一対一で直面する機会が与えられなかった。したがって脱植民地の課題は連合国のアジア政策の中に解消されてしまった。日本帝国主義に起源を置く課題が温存され、隠蔽されてしまった。

ただ私の感想としては、温存・隠蔽というよりは主要な問題ではなくなってしまったということではないかと思う。それと、この時点で韓国が当面していたのは、日韓関係よりももっと根本的な朝鮮という国家の形成のあり方の問題ではないだろうか。

たしかにサンフランシスコ講和は問題を整理すべき大事なチャンスではあったのだが、実際問題としては、朝鮮戦争真っ只中の韓国にとってはそれどころではなかった。

私はまず、終戦処理の問題でアメリカがあいまいなままに終始したことをまず問題にすべきだろうと思う。

まず、朝鮮は日本帝国から解放された国家ではあったが、戦勝国としても連合国の一員としてもカウントされていない。その「解放」は勝ち取られたものではなかった。

第二に、朝鮮は日韓併合により政府や国家機構を失っており、終戦の時点では「無政府国家」であった。

もちろん独立国家の樹立を目指す勢力がいなかったわけではない。それどころか国民の圧倒的支持を受けた独立勢力が臨時政府を樹立し、終戦直後の混乱を抑え統制を実現していた。

しかしアメリカもソ連もこの独立勢力を無視して、独自の体制づくりを目指した。

その中で南北の傀儡勢力が対立を深め、朝鮮戦争へと突入していく。

これが第二次大戦の終了から朝鮮戦争へと至る国家形成の主要な経過だ。そこには日本のにの字もない。たしかに親日派との闘いは部分的に展開されたが、それは「旧親日派」であって、その時点で日本とつながっていたわけではない。

その結果として、日本の責任が曖昧にされたということだ。

B) サンフランシスコ条約で韓国が得たもの、得られなかったもの

日本の残留資産は韓国に移譲された(第4条B項)。これは特殊な条項で、日本は他の非侵略国に対しては賠償責任が課されたが(第14条)、韓国にはこの条項は適応されなかった。これは韓国が第2次大戦によって占領・併合された国ではないからではないからであるが、直接には日本側の強い主張によるものであった。(委細は原文をお読みいただきたい)

得られなかったものは他のすべてである。

連合国は韓国を連合国と認めなかった。サ条約に署名国として参加することもできなかった。

これらの挫折が過剰な戦場国家意識を生み、これが独裁体制の正当化につながるという連鎖が生まれる。これは非常に大きな問題で、日韓関係の根底のところにこの問題があります。

3.韓国のナショナリズム 近代化と自由化

A) ナショナリズムの定義

前の章までがいわば総論と言うか枠組み設定だったのに対し、ここからは韓国政治の各論となる。

まずナショナリズムを定義するために次の文を提示する。

ナショナリズムとは、国内において近代化を確立する、そして対外関係においては自主、平等を確保する、こういう二つの目標を同時に追求する運動です。

一般的なナショナリズムは近代化を追求する努力と自主化を追求する努力が相乗の関係にある。

次いで旧植民地諸国におけるナショナリズムの定義に移る。

旧植民地においては、近代化と自主化は相殺関係になる

というのが、南さんの考えだ。これもあまりにも単純で素直には首肯できない。

とにかく話をすすめる。

さらに旧植民地の中でも韓国には歴史的特殊性がある。朝鮮王国時代は清国への臣従状態があり、その後は日本の植民地となる。戦後は国土が分断され、永続的な戦争状態に置かれ、アメリカの軍事的・政治的・経済的隷属を余儀なくされる。

このあと、独特の言い回しがしばらく続くが、うんと図式的に言うと

①李承晩時代 自主性↑、近代化↓

②朴正熙時代 自主性↓、近代化↑

③金泳三時代 自主性↑、近代化↓

④金大中時代 自主性↑、近代化↑

ということで、金大中の時代に初めて自主化と近代化が結合して捉えられるようになった、ということらしい。

南さんはこういう。

日本との不平等条約によって自主の国となり、植民地の下での日本による近代化を経験したことによって、韓国のナショナリズムは両車輪が逆回りになってしまい、前進出来ずグルグル回ることになってしまった。

韓国のナショナリズムはどうしても日本との関係で語られます。戦後においては米に対するナショナリズムも大きな意味を持つようになりましたが、基本的に韓国のナショナリズムは日本絡みのものです。

ただこれをもって日韓関係の基軸概念とするのには抵抗を覚える。

日本の植民地支配はわずか30年足らずであった(その前10年間の属国時代を入れれば40年)。それが如何に理不尽なものであったとしても、それは70年以上も前に終わった。朝鮮は爆撃の被害もほとんどなく、日本人資産は無傷で残され無償で接収された。

終戦以来の20年間、日韓関係はほとんど断絶していた。朝鮮戦争への出動も日米同盟の枠内の行動であり、韓国という国家そのものとは縁がなかった。

朝鮮戦争後も李承晩政権とは没交渉の時代が長く続いた。私の朝鮮現代史年表でも李承晩時代に日本絡みの項目はほぼ皆無である。

私の子供の頃の韓国といえば、李承晩ラインを設定して日本の漁船を拿捕する報道しか知らない。民間レベルではむしろ北との関係のほうが重視されるくらいだった。

アメリカからの強力な後押しがなかったら日韓条約にも積極的に応じたとは思えない。

つまり、ここまで説明された範囲では対日ナショナリズムの強力さ(執拗さ?)は理解できないのである。

2.戦場国家と基地国家

A) 韓国は戦場国家

南さんの議論は「戦場国家」論へと及んでいく。それは朝鮮戦争後の朝鮮半島が冷戦体制に入ったのではなく、いまだに「休戦状態」のままだという把握である。そのために韓国のナショナリズムは、しばしば国のあり方や日韓関係のあり方をひっくり返すほどの熱狂性を帯びている、という理解につながっていく。

どこが違うか、それを南さんは展開していく。

戦場国家は戦時であることを理由に民主主義を許さない。同時に対外的には戦場であることを理由に特別な配慮を要求する。

以下は私の感想的意見であるが

戦場国家は一種のレトリックではあるが、国民はそれを許容し、国家を支持した。現に68年の青瓦台襲撃事件、87年の大韓航空機撃墜事件、97年の潜水艦潜入事件、08年の国境の島砲撃事件と、ほぼ10年おきに北朝鮮による大規模な攻撃があった。日本の拉致問題もその流れの中に捉えることができるだろう。

「戦場国家」としての認識を韓国国民は繰り返し叩き込まれているのである。

ただしこの「戦場国家」には二面性があって、一面ではたしかに戦時体制国家ではあるが、もう一面ではレトリックによって成立している「幻想共同体」でもある。

B) 日本は基地国家

次いで南さんは、「韓国が戦場国家だとしたら日本は何なのだろう」という方向に議論の矛先を向ける。

日本は「基地国家」だ、というのが南さんの結論である。

日本は植民地として搾取されているというよりも、日本も基地国家としてそこから利益を得ている。

…日本は軍隊を持たずに同盟国の要塞として基地を提供することで自国の安全を図ろうとした。

私の考えるに、これは一種の「安保タダ乗り論」であろう。その当否はさておいて、韓国人の日本観にはこの感情が抜き難く染み込んでいることは理解しておいて良いだろう。

C) 休戦体制からの脱却

ここまでやや飲み込みにくい議論であったが、そこからの実践的結論はわかりやすい。

いずれにせよ休戦体制という不安定な関係が続いていることが、日韓関係にも影を落としているのだから、この休戦体制から脱却してより安定的な南北関係に移行しなければならない。

1.日韓関係を見る視点

日韓関係には二国間関係一般に解消されない特殊性がある

A) 旧帝国と旧植民地の関係

B) 分断された一方(戦争当事国)との関係

C) 「6カ国の枠組み」の中の関係


日本ではともすればA) の関係が強調されがちであるが、むしろその特殊性はB) によって規定されている。

それはさらに日米同盟、米韓同盟の盟主である米国のアジア政策(外在要因)に大きく左右される。

朝鮮半島を中心とする東アジアは、依然として朝鮮戦争以来の「冷戦構造」の枠組みにとらえられており、朝鮮戦争に参加した南北朝鮮、米、中、日、ロシアの角逐という状況は変わっていない。

この中で、日韓の関係も時に尖鋭化されざるをえないのである。

日韓関係はこういう構造の中で考察されなければならない。


と、ここまではある程度は分かったつもりでいた。しかし、B) の意味がこれまで深く吟味されてこなかった。そのことが南さんの指摘するところである。

南さんはこう語る。

こうした理解はだいたい合っているんですけど、そこには少し欠落したものがあるんじゃないか。


読んでいるときにはスラスラと読み進んだが、いざノートを取ってみると、やはり以下の一節は飲み込み難い。

韓国は戦場国家という状況にあります。それは冷戦でなく、戦争でもなく、だからといってもちろん平和でもない曖昧な状況、すなわち休戦という状況です。

これは、いつでも戦争になれるような、しかし戦争はしていない状況です。そしてその状況のもとで日本では基地国家という形の国家が出来上がっており、これがいまだに続いている、というのが私の基本的認識です。

果たしてそうだろうか。

たしかに深層にはこれらの地政学的事実は貫かれている。だからこれらの冷厳な事実を直視せよという論理もわかる。

しかし政治のリアリズムというのは果たしてそのようなジャングルの掟にのみ規定されているのであろうか。

むしろ人類が持つ野獣性を否定する過程の上に近代国家が乗っかっているのであって、近代社会というのはたとえ薄皮一枚であってもジャングルの掟を否定するところに存在するのである、

たしかにこの議論は、韓国の日本に対する異常なまでの民族主義的気分を説明するのに有効な根拠になる。しかし我々は基地国家としてみずからを位置づけるつもりなどサラサラない。



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