鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

カテゴリ:01 国際政治/経済 > E 国際/中東

それはSAMのおかげである。

当時崩壊寸前のシリア政府軍にとって、制空権が最後の頼みの綱であった。それによって反政府軍の根拠を叩くことで、かろうじて軍事力バランスが維持されていた。

しかしその時、反政府軍は地対空ミサイルを手に入れたのである。これでシリア軍機がバタバタと落ち始めた。私はこれで決まったと思った。

しかしSAMの供給は突然途絶えたのである。

それ以後、反政府軍はやられ放題だ。そして大量の難民が発生しそれが西洋諸国に押し寄せ、今日のごとく各国の右翼の台頭を招いているのだ。

なぜSAMの供給が途絶えたのか。

それはSAMの供給国であるトルコの政治状況が変わったからだ。

トルコの国内政治状況については以下の記事に書いた。




主として澤江史子(上智大学総合グローバル学部) 「トルコ民主化の経緯」を柱に各種資料の情報を付加した。

1923年10月 トルコ共和国の樹立が宣言される。共和人民党の一党制が敷かれる。

1924年3月 大統領を国家元首とし、国民主権や世俗主義を柱とする国家建設が宣言される。(脱亜入欧)

1937年 世俗主義条項が憲法に挿入された。トルコ民族文化が国家の存立基盤だと考え、非トルコ系民族文化や、共産主義運動を主要脅威とみなし、抑圧した。

1950年 選挙による政権交代が実現し、民主党政権が誕生。第1位政党が当該選挙区議席を独占する選挙制度のため、民主党は国会で圧倒的多数を維持する。

1960年 

4月 民主党政権批判が高まる。民主党メンデレス政権は軍隊を動員して共和人民党の選挙活動を妨害し、メディアへの検閲体制を強める。さらに共和人民党を「無神論者」や「共産主義者」などと呼び、政治活動禁止、同党に関する調査委員会の設立を強行採決。全大学が閉鎖され,多数が秘密裏に拘束される。

5月27日 1回目のクーデター。護憲クーデターとしての側面を持つ。当時の陸軍総司令官であったギュルセル大将を担いだ青年将校グループが打倒。

5月 軍は民主党幹部を逮捕し、党の解散、国会の停止を宣言する。旧民主党幹部は懲役刑に、党首等3人は絞首刑に処せられた。

1961年 民政移管のための総選挙。「民主主義体制擁護の貢献者」として軍部の政治介入が正当化される。大統領は軍出身者が占め、軍幹部が終身議員に着任。4軍司令官よりなる国家安全保障会議に内閣への「助言権」が与えられる。

1970年 イスラーム復興運動が勃興。国民秩序党が創設される。新選挙制度のもと国会は小党分立状態となり、政権交代が繰り返される。

1971年 政治介入を示唆する軍首脳の書簡が大統領に送付され、内閣が総辞職に追い込まれる。「書簡クーデター」と呼ばれる。軍のアタチュルク思想からの離反。

1972年 ビュレント・エジェビトが共和人民党の新党首になる。党及び政治の民主化を主張し,軍の政治介入に反対する。

1980年 国民生活は年率100%を超えるハイパー・インフレで疲弊し、テロが激化。

政治混乱の直接の原因はイスラム勢力の増大によるものだった。イスラム派は建国の父アタチュルクを批判、世俗主義を否定した。これに対抗する左翼も勢力を伸ばす。両者の対立は武力衝突へと発展する。

1980年 2回目のクーデター(9月12日クーデター)。政治混乱と経済政策の停滞を理由とする。約3年の間、軍部による独裁政治が繰り返される。旧政党は全て非合法化されて幹部は懲役刑に処せられる。しかし軍の真の敵は共和人民党と左翼勢力だった。

1982年 軍政下に憲法が制定される。議会選挙は比例代表制で10%の足切り条項。「国家安全保障会議の決定事項を、内閣は最優先に考慮する」ことが明文化される。

1983年 総選挙が実施。軍事政権のチェックを通った政党と政治家のみが参加。

1987年 トルコがEU正式加盟を申請。これを契機にEUの民主化基準が外圧となり、これに沿った民主化が求められるようになる。

1987年 選挙プロセスが大幅に民主化され、野党の政権獲得も可能になる。

1990年 クルド語での出版や音楽活動が解禁される。

1995年 大学の学生や教員が政党の党員になる権利や、上級公務員が労組を結成する権利が認められた。

1995年 総選挙。親イスラームの福祉党が第一党となる。軍幹部の圧力で第二党の中道右派政党が政権を握る。

1996年7月 政権党の腐敗が発覚。福祉党を首班とする連立に移行。

1997年2月 福祉党のイスラーム復興の動きに軍が反応。国家安全保障会議は福祉党が国是である世俗主義原則に反すると批判。「体制の危機」を宣言。福祉党非合法化を始めとする復興勢力弾圧が実行される。福祉党幹部でイスタンブル市長のエルドアンも投獄される。

2002年 総選挙。中道右派とイスラム勢力の結集した公正発展党が勝利。

2004年 国家保安裁判所を廃止する憲法改正。メディア・教育への軍の関与も制限される。

2005年10月 民主化プロセスが認められ、EU加盟の最終段階である正式加盟交渉が開始される。

2006年 EUによる民主化の進捗報告書。軍幹部が政治的影響力を行使しようとして公式・非公式に政治的発言を行うことが続いていると指摘。テロ対策法が広範に解釈され、自由を抑圧する法的根拠となっていると警告。

2007年 総選挙。公正発展党は圧倒的な勝利を収め、単独過半数を獲得。

2008年6月 憲法裁判所、大学構内でのスカーフ着用容認の憲法改正を違憲とする判決。

2009年1月 国営放送にクルド語専門チャンネルが開設される。

2010年 憲法改正。①80年クーデターの実行者を起訴することが可能になった。これにより軍政期の拷問やパージ等の責任を司法で争うことが可能となった。②軍の人事についても思想・信条などを理由とする人事は司法に提訴することが可能となった。③司法人事も変更され、下級判事の意見が反映されるようになる。④高等教育やマスメディアの統制委員会における軍代表常任委員ポストが廃止される。⑤国家治安裁判所が廃止される。しかし言論の自由などの面でさらに実質的な改革が進むのかは不明確。

2012年 アンカラ第12高等裁判所が1980年のクーデターの首謀者の裁判を始める。被告はKenan Evren参謀総長とTahsin Şahinkaya空軍司令官(いずれも当時)の二人。

2013年5月 イスタンブールで民衆の抗議デモが盛り上がる。

エルドアンはイスラムの位置づけ、ケマル・パシャへの評価を明確にしないまま、スカーフ着用の緩和や酒類販売の制限などを進め、これに抵抗が起きると強権的に対処しようとした。

  

トルコ情勢を検討する際は、トルコ軍の野蛮さを念頭に置かなければならない。ここに触れていない解説記事は、基本的にはクソである。


たとえば、10月22日、アンカラでのエルドアンの発言はひどいものだ。

アンカラ駅前自爆テロ事件に関し、エルドアン大統領は、「アンカラ駅前で発生した事件は、テロをいかにして共同で引き起こすことができるかを示すものだっ た。そこにはDEAH(ISIL)も、クルド労働者党(PKK)も、アサド政権の諜報機関(ムハバラート)も、シリア北部のクルド民主統一党(PYD)も いて、皆で一緒になってこのテロを計画した」と語った。

誰が考えてもナンセンスの極みで、トルコ政府には情報収集能力が欠如していると言われても仕方ない。

しかし、あえて深読みすれば、このナンセンスさは、それが軍部による犯行だった可能性を暗に示唆しているのではないか(正しいかどうかは別)。

エルドアン個人の様々な思惑を推量しても始まらない。背後にいるトルコ軍部がどういうものなのかを、我々は理解しておく必要があるだろう。


1997年9月12日付けの新聞「ラディカル」はクーデター記念特集で,80 年9月から三年間の出来事として,次のような数字をあげている。

*拘留者総数 65万人(うち23万人が裁判へ)

*死刑求刑 7千人(うち517 人に死刑判決,49人が処刑される)

*非合法組織メンバーとして裁判を受けた者 9万8千404人

*要注意人物として記録された者 168万3千人(うち38万8千人にパスポート取得禁止措置)

*外国への亡命者 3万人(うち1万4千人がトルコ国籍を失う)

*不審死 300人(うち171人が拷問死,いまだに行方不明の者800人)

*刑務所のハンストによる死者 14人

*閉鎖された団体 2万3千667組織

*解雇者数 教師3千854人,大学研究者120人,裁判官47人

*左遷された公務員 7千233人

*解雇された公務員 9千400人

*発禁映画 937本

「ラディカル」紙が掲載したパージの数字は,国家の唯一の「守護者」となった軍が,その目的を遂行するための権力を行使するとどうなるかを示すものである。
70 年代の混乱の中で,国民の間には,軍に政治介入を求める期待感もあった。そして,クーデターによって,日常的に起きていたテロ騒ぎはなくなり,平穏な市民生活が戻ってきた。だが,その後の大規模な政治弾圧は,時代を暗い雰囲気にさせた。

アタチュルク,そして軍…現代トルコ〈非民主性〉の系譜より

 軍部独裁の経過については、次の記事に掲載しておく。

これらの蛮行を繰り返した軍幹部は未だにのうのうと暮らしている。彼らがもっとも恐れているのは左翼の伸長ではないか。アルゼンチンやチリのように軍の残虐行為が暴露され、その責任が問われることではないか。

80年代、トルコは中南米と並び人権侵害が甚だしく強い国だった。

しかし左翼のネットワークがつながらなかったために、真相はほとんど分からずじまいだった。アムネスティかほそぼそと断片的な情報が流れてきたが、全体像をつかむにはあまりにも情報が不足していた。

驚くべきことに、それは現在もなおそうである。

1.巨大な数をどう評価するか

各種情報を総合しても、なぜこれほど多くの人が弾圧されたのかは分からない。それどころか軍事独裁を賞賛する声すらある。

2.目的と数との不整合

左右両派が激突して政局が不安定だった、経済が停滞していた、国民が政争に飽き飽きしていた…

と理由はあげられている。それならクーデターで店じまいすれば終わりだ。おそらくそれから大量弾圧が始まったのだろう。

目的からすればこのような数は不必要だ。ピノチェトもアルゼンチンの独裁もたんに混乱を収集するためのクーデターではない。だからあれだけの数が必要だったのだ。トルコもおそらくそうだろう。

これについての説明がない。

3.「目的」と出口の不整合

左右両派の激突を避けるためというのが目標だったはずだが、弾圧の犠牲者は圧倒的に左翼だ。

ケマルの宗旨から言えば、最大の敵はイスラムのはずだが、実際にはイスラムは温存された。根こそぎにされたのはケマル左派だ。ここに80年クーデターの最大の特徴がある。

統計から見ればあまりにはっきりしているこの事実に、ほとんどの文献(少なくとも日本語文献)は目をつぶっている。

あまり乗り気ではないが、洋文献に当たるしかなさそうだ。


トルコが何故かシッチャカメッチャカになっている。
理由ははっきりしているので、エルドアンが迷走を重ねているからだ。
何故エルドアンがヘンチクリンになったのか。
それはトルコ軍部が強烈な圧力をかけているからだ。
トルコの軍部はもともと人民弾圧にかけては凄腕だ。
10万20万殺すのはへとも思っていない。
今でも、いつでも表舞台に立つ準備はできている。
エルドアンはこういう連中とうまく折り合いながら、少しづつ実績を積み重ねてきた。
こいつらをやっつけるだけの力は未だに身につけてはいない。
それはトルコの薄皮一枚の民主主義の現状だろう。タイやエジプトと同じだ。
それでトルコの軍部がどういう論理で動いているかというと、アメリカの軍産複合体の言うがままの戦略だ。
これが随分変わってきている。
もともとはロシアの南下を防ぐ防壁である。すなわちどういう形であれ、共産主義(基本的にはスターリン主義)を防ぐことに存在意義があった。
そういう存在意義が薄れ、彼らの土台も揺らいでいた。
ところが今度は中東からの原理主義の拡大を防ぐ防壁としての役割がにわかにクロースアップされてきた。
軍としてはなんであれ紛争の火種があればよい。
そうやってエルドアンのおしりに火をつけた。
しかし今度は軍部も相当やばい。下手をすれば自分のところにも火の粉が降りかかる。
なぜならアメリカの中東戦略はイスラエルの中東戦略の後追いだからである。
イスラエルが決めて、それにトルコが追随することになる。
そうするとどうなるか。
1.トルコがスンニ派攻撃の主役となる
2.その結果生じた難民の受け皿となる
3.スンニ派テロの標的となる
4.イスラエルと同列にみなされることになる
ある意味で、「ザマァ見ろ」の世界だが、それで軍部の無責任ぶりが明らかになれば、トルコ情勢は大きく変わるだろう。
そのリトマス試験紙はエルドアン対EU、エルドアン対クルドの関係として現れてくるだろうと思う。
さしものトルコ軍部にも、ようやく落日が訪れようとしている。そこに注目してトルコを見ていこう。

少し調べていくうちに以下の様なことが分かってきた。

1.フーシ派というのは一言で言えば山賊集団である

北部の山岳地帯の部族で、あまり政府の言うことを聞かない集団だった。それで10年ほど前に政府軍の攻撃を受けたが、それを跳ね返してしまった。

そのときに中心になったのがフーシという人物で、彼を中心にシーア派の教えを掲げて武装集団を結成した。

それが「アラブの春」で政権が弱体化すると、機に乗じて中央進出を計った。

去年の9月に首都サヌア入りし、街の治安を勝手に取り仕切るようになった。

2.軍隊は元大統領派と現大統領派に分かれて無力化していた

「アラブの春」で失脚したサレハ独裁政権だが、軍のサレハへの忠誠心は高かった。

なぜなら軍幹部は徹底した地縁・血縁で結ばれていたからである。彼らの利害関係はサレハのそれと一致しており、ハディ政権によって人事が刷新されることを何よりも恐れていた。

だから旧来の敵であるフーシ派がサヌアで勝手なことをしても、見て見ぬふりをしていた。さらに、その一部はフーシ派と結びついてハディ政権の転覆を計った。

3.なぜハディ政権は倒されたのか

ここの情報は殆どない。

したがって想像する他ないが、フーシ派にさほどの理由があったとは思えない。田舎出の失業青年たちに政権担当能力があるとは思えない。むしろ弱体な現政権のもとで自由を満喫していたほうが良いはずだ。

だから、政権とフーシ派が衝突するような原因は、政権側にある可能性が高いと思う。

多分、サウジの意をくんだハディ大統領が自派勢力の増強に乗り出したのではないか。

もともとキタとミナミは犬猿の仲である。フーシ派も国軍のサレハ派も北部の出身だ。これに対しハディの出身地は南部、アルカイダと重なり合っている。

そこにサウジなどから潤沢な資金が入り込んだらどうだろう。フーシ派は相当の脅威を感じるのではないか。

そこでフーシ派はハディ追い出しにかかった。かなり稚拙な戦術だと思う。シーア派がこの国で権力を取っていいことなど一つもない。そのくらいだれでも分かる。

4.サウジの思惑

これから先は絵に描いたような筋書きだ。

サウジは湾岸諸国と組んでイエメン攻撃を発表した。そしてこれがスンニ対シーア派の争いであるとし、その背後にイランがいると決めつけた。イランにしてみれば「ふーん、そんなところにシーア派が居たの」くらいの話ではないか。

20日のサヌアでの同時多発テロは誰がやったかわかったものではない。これがアルカイダならさもありなんと思うが、ISISにそれ程の力があるだろうか。

サウジの国王は元国防相で、その頃からGCCの軍事同盟化への思惑があった可能性がある。原油安不況への対応としても考えられた可能性がある。

それ以上に、米国の弱体化を見て危機感を抱いた可能性がある。フーシ派の愚挙を奇貨として、自ら同盟軍の盟主となり、その力で中東の安定を図ろうと考えたのではないか。

ただ、この種の戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは容易ではない。どのように収拾していくかが腕の見せどころだろう。

作戦のその行方を固唾を呑んで見守っているのがイスラエルだろう。


イエメンに関しては下記のページもご参照ください

赤旗にまとまったイエメン情勢の報道(小泉特派員)が載った。

これまでイエメンといえば、旧南イエメンと北イエメンとの摩擦であり、アルカイダの拠点であり、挫折したアラブの春であり、無人機攻撃の対象であり、と断片的ながらそれなりに国際面を賑わせてきた。

今度はちょっとレベルが違う。政府が打倒され、大統領が逃げ出し、それが追い詰められているという事態だ。

しかもその主役は市民でもアルカイダでもなく、シーア派だというからびっくりだ。

一言で言えば、イエメン情勢は急展開し悪化し、「国際戦争」化しているといえる。

もともとイエメンは、「統治不能な国家」だとみなされてきた。オスマン帝国や大英帝国も悪戦苦闘した。ナセル元エジプト大統領は、1960年代のイエメン内戦で面目を失った。その後国は南北に別れ対立を続けてきた。

例によって時系列で整理する。


1986年 南イエメンで内戦となる(アデン内戦)。アリー・ナーセル前大統領派(民族派)がYSP政権(社会主義派)に対し反乱を起こすが敗退。マンスール・ハディらが北イエメンに亡命。

1990年 南北イメエンは統合を発表し、イエメン共和国が成立。北のアリー・アブドッラー・サーレハが大統領、南のアリー・サーレム・ベイド(YSP書記長)が副大統領となる。統合当時の人口は北が約900万人、南が約250万人程度。

1993年 第1回総選挙。サーレハ大統領与党が勝利。YSPは56議席で第三党に転落し、北部の部族勢力と南部のウラマー層を基盤とする改革党(イスラーハ)が第2党となる。

1993年8月 イスラーハによるYSPへの攻撃が強まる。アルベイド副大統領は職務放棄してアデンに引きこもる。

1994年5月 イエメン内戦。アデンのアルベイドが「南イエメン国」の独立を宣言するが、まもなく陥落。サーレハは南部出身で親北派のハーディーを後任副大統領に指名した。

イエメン

2004年9月 イエメン北部のシーア派武装勢力「アンサルラ」(Ansarullah)が政府軍と戦闘。以後6年間に6度闘い政府軍を跳ね返す。政府軍は指導者フシが死亡したと発表。

シーア派の中ではザイド派を呼ばれ、イランの「12イマーム派」とは異なる。元々は信仰復興運動だったが、アブドルマレク・フーシが率いるなかで、最も実力のある武装勢力の1つに変身した。

2009年11月 フシ派がサウジ領内に侵入。サウジ軍がフシを捕らえたとの報道。12月では空爆で死亡と発表。

2011年

1月 アラブの春でサレハ退陣をもとめる運動が高まりを見せる。

11月 サレハ、GCCイニシアチブを受け入れる。(ハディーへの権限移譲、挙国一致内閣、サーレハへの訴追免除など)

2011年 「アラブの春」による混乱に乗じ、フーシ派武装勢力が北部サーダ周辺の山岳地帯の支配を固める。

2012年2月 大統領選挙でハディ政権が誕生。サレハ独裁体制が終わる。ハディは「国民対話」を開始。

ハディはサレハ政権の副大統領で、さしたる国内基盤を持たず、サウジの後援のみが頼みの綱。
南部のスンニ分離独立派と北部のシーア派系「フーシ」は投票をボイコットした。

2014年

1月 包括的国民対話会議は合意文書を発表し、憲法制定と議会選挙、大統領選挙を1年以内に実施することとした。

2月 武装組織「 フシ 」が首都サヌアの北西約50キロのアムランに進出。政府軍との戦闘が始まる。

9月15日 フシがサヌア北部に進出。激しい戦闘が続く。

9.20 国連が仲介し、「全政治勢力による集中協議の末」に挙国一致内閣の樹立で合意。

9.21 フシ派部隊、首都サヌアの政府庁舎を占拠し、首相退任を迫る。政府はこれに屈服。サヌアの治安は、フーシ主導の連合部隊に置き換えられる。サレハ元大統領に忠実な軍部隊もフーシ派に協力。

2015年

1月 「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)を名乗るグループがパリの新聞社を襲撃する。AQAPはイエメン中部および南東部を拠点とする、南部分離派の分派とみられる。

1.22 フーシ、新憲法の内容を巡り政府と対立。大統領官邸や国営放送局を占拠する。ハディは辞意を表明。

2.06 フーシ派武装勢力が政権掌握を宣言し、議会を強制的に解散。フシを首班とする革命委員会が、暫定統治の開始を宣言。国軍はハディ派とサレハ派に分裂し動けず。

イエメン軍は、62年以来、一貫してアムラン、サナア、ダンマール出身(要するに北部のザイイディ派)の将校により支配されてきた。
サレハの私兵の如く動いてきた彼らは、ハディ政権のもとで既得権を奪われるのを恐れた。

2.21 ハーディーは辞意を撤回。クーデターを承認しないよう国際社会に求める。

3.10 サウジなどGCC5カ国が、イエメンへの空爆作戦を決定。ヨルダン、モロッコ、スーダンが戦闘機を派遣、エジプトとパキスタンが戦艦の配備を表明。イランはこれに強く反発。

3.20 サヌアでのフーシ派の集会にISISが自爆テロ。137人が死亡。

3.22 フーシ派、イエメン第3の都市タイズを制圧。ラハジ州の米軍基地の要員が撤退。

3.22 フーシ派スポークスマン、ハディ大統領がAQAPに武器を渡しており、イエメン南部がAQAPの支配下に入る恐れがあると語る。

3.25 フーシ派、アデン北方60キロのアナド空軍基地を制圧。アデンの大統領宮殿を空爆。

3.25 フーシ派がアデンを攻略。ハディ大統領はリャドに逃れる。無人機攻撃を指揮する米軍特殊部隊も退去。

3.26 GCC軍が[決意の嵐]作戦を実行。首都サヌア空港や一連の軍事施設を空爆。サウジ100機、湾岸4カ国70機、ヨルダンなどから15機が参加する大規模なもの。子供6人を含む民間人25人が死亡する。

3.26 ハディ大統領派の部隊が、南部のアナド空軍基地やアデン国際空港を奪還。サウジは地上部隊による攻撃も排除しないと述べる。

3.26 GCC5カ国が空爆の正当性を訴える共同声明。

3.26 アラブ連盟が外相会議を開催。「フーシ派への空爆はハディ大統領の要請に基づくものであり、主権に対する攻撃ではない」とし、空爆支持を表明。イラクは異論を唱え、平和的解決を主張。

3.26 イランのザリフ外相、「イエメンに対する外部からの軍事攻撃は領土保全への侵害であり、国民のさらなる流血と死をもたらす。外部からの干渉なしの緊急対話が必要だ」と語る。

3.28 アデンで終日激しい市街戦。フーシ派はアビヤン、シャブワなど南部諸州への攻撃を強める。

3.28 サウジ国防省、3日間で作戦の第1段階は目標を達成したと発表。航空機は総て破壊され、通信網も破断されたとする。

3.28 アラブ連盟首脳会議が開かれる。イエメンのハディ大統領も出席し、イランを激しく非難。空爆継続をもとめる。エジプトのシシ大統領は「アラブ合同軍」の創設を提案する。

3.30 GCC軍、北部の難民キャンプを空襲。45人が死亡(国際移住機関による)。サウジは空襲の事実を認める。


イエメンに関しては下記のページもご参照ください

2012年09月08日 

この年表は1986年までのものですが、現在のイエメンと比べる時、あまりの落差に愕然とします。まるでSFの世界です。あの英雄的プロレタリアートたちはどこに行ってしまったのでしょう。

The Economist explains
Jan 4th 2015
Where Islamic State gets its money

という記事があった。下記がその全文である。


残忍な聖戦主義者、イスラム国家(IS)を打ち負かすのは容易ではない。アメリカに率いられた連合軍がそうしようとしているが。

ISは、世界のbest-financedされたテロリスト組織の1つである。国家に後援されたものを除いては。

この秘密グループの正味の財産については信用できる見積りがない。しかし、2014年10月に、アメリカの当局者は「かなり大きい札束」で富をためていると見ている。

イスラム国は月400ドルくらい戦士に給料を支払う。そして、それはシリアの反乱グループやイラク政府の給料より多い。彼らはトラブルなく武器類を購入している。買い入れ先は闇市場に顔を出す堕落した当局者、あるいは民兵である。

彼らは支配地域の政務をこなしている(常に成功しているとは限らないが)。学校教師に給料を払い、貧者や寡婦を養っている。

そこでだ。彼らはどこでそのカネを手に入れるのだ?

この富なしで、ISはそんなに速く広がることができなかった。

彼らは2013年3月に現在の形態での存在を宣言したばかりだ。それは彼らがイラクからシリアに進出した時だ。その後彼らはアルカイーダとたもとを分かった。

それから彼らは二つの国にまたがる帯状の地域を闘い取った。2013年6月までに、シリアの都市Raqqaを占領した。そして、2014年6月に、それはイラク第二の都市モスルを占拠した。そして600~800万人の住む地域を制圧した。そして6月の末に「カリフ国」を宣言した。

戦士は、グループに加わるために群がった。

2014年9月までに、3万人の男性、婦人警官隊の中の一部の女性がいた。そして、そこには1万5千人の外国人戦士を含んだ。

al-Qaedaを含む他のテロリストのグループと違って、ISは金持ちの支持者によってではなく、主に自らの力で資金を確保する。(アメリカ、イランまたはイスラエルがグループに資金を出しているとの情報も飛び交うが)

ISは湾岸諸国の支援者から寄付を受けているけれども、それらは財源の比較的微々たる要素である。

ISの資金の中心は、外部からの支援ではなく、西イラクと東部シリアの支配区から算出する石油の収益である。

アメリカの当局は、空襲の開始前、石油からの収入は1日あたり200万ドルと見積もっている。現地の情報ではそれ以上だと言われている。当局者は空爆により石油収益はかなり落ちたとしている。

(これは変な話で、石油施設くらい破壊しやすいものはない。その気になれば1日で壊滅させることができるはずだ)

それだけの土地を支配することは、ISが徴発と徴税によって資金を獲得することを可能にする。

それは、他のjihadistグループのように、誘拐が有益だということを学んだ。

ISは、去年1年で少なくとも2千万ドルの身代金を獲得した。フランスとスペインのジャーナリスト数人を含む人質であげた収入である。

このグループは、その資金源を切り離すことなしに破ることはできない。

だから連合国は、グループの軍備強化の抑制と同時に、収入源への攻撃を目標にしているという。アメリカとその同盟国は、シリアでISに支配された精油所に対する空襲を実行した。

アメリカと英国は身代金を人質の代金として払うことに対して厳しい政策を持つ。ヨーロッパの国に、身代金の支払いをやめるように圧力をかけている。

いくつかの国は、ISリーダーに対する制裁とおなじように、募金に応じる人々への制裁も適用している。

しかし、当局は長い戦いであると強調する。

今のところ、ISはまだ、必要とするもののすべての代金を払うことができるようである。


この記事を読んでも資金源は明らかでない。石油の売り上げ、“徴税”、身代金というのが収入の三本柱で、これに国外からの援助がくわわる、ということらしい。このうち石油の売り上げを除けば、他のテロリストもやっていることだ。

身代金の収入が年間2千万ドルというが、そんなもの石油の10日分にしかならない。だいいち誘拐にはそれなりのリスクが伴う。成功例の10倍は失敗例(カネが取れないというのもふくめ)があると考えたほうが良い。

資金源が石油だということはわかっている。問題はどのようにして石油が資金源になるのかということだ。石油と引き換えに金を渡している奴は誰なのか、トルコの仲買人だとしたら、その仲買人にカネを渡している奴は誰か、その石油を買って消費しているのは誰か。ここが明らかにされないと、記事の題名は誇大宣伝ということになる。

いずれにしても石油を何とかしなくてはならないのだ。しかも、そのやり方はきわめて簡単なのだ。生産を止めるには生産設備を破壊すればよい。1時間もあれば済んでしまう。販売を止めるには購入を禁止すればよい。石油には“色”がついているから、調べればどこでとれた石油かはすぐに分かる。

こんなことがどうしてできないのか、それが不思議だが、そのことについて答えた文章がない。これも不思議な話だ。

シリア内戦は泥沼化している。と言うより反政府軍の一方的な負け戦になっている。
ことここに至っては、どのような屈辱的な内容であろうと和解を図るべきだ。
アメリカはそもそも、内戦など始めさせるべきではなかった。
アメリカというより、オバマの失敗だ。
米軍本体は完全にイスラエルの線で動いている。イスラエルにとって、シリアの反政府派は絶対に勝利させてはならない相手だ。それなのにオバマは反政府派を煽った。
煽った以上勝たせなければならないのに、途中から手を退いた。
イスラエルはヒズボラまで投入してシリアの反政府を叩いた。

私は、かつて「これで反政府派の勝利は決まり」と書いたことがある。
それはトルコ国境地帯でシリア政府軍の戦闘機が対空ミサイルでバンバン撃ち落とされた時のことだ。おそらくミサイルはトルコから回されたのだろうと思うが、それは米国の黙認のもとであったと思われる。
そのうち突然、ミサイルのミの字も消えてしまった。それと同時にトルコが俄然おとなしくなってしまった。
これらはすべてイスラエルの差金であろう。
当時トルコの鼻息は荒かった。オリンピック開催もほぼ確実にし、経済成長著しく、中東の問題にも積極的に首を突っ込んでいた。
それが、イスタンブールの公園の拡張をしようとしたら、突然学生の抗議行動が燃え上がり、あれよあれよという間に政府の首が飛びかねないような事態に至った。
トルコ・リラは売り浴びせられ、ギリシャの次はトルコかとささやかれるほどになった。
これらの一連の事態は、一つ一つ分析すればそれなりの事情はあるだろうが、全体としてみれば経済のパフォーマンスと著しく均衡を欠いたものと映る。
いずれにしてもトルコにとって強烈なダメージであったことは言うまでもない。

トルコの話が長くなってしまったが、ようするにシリアの事態はオバマの思惑とはまったく逆の方向に進んでいった。これに対してオバマには打つ手がなくなってしまった。
反政府軍は政府軍機の前にやられっぱなしになり、犠牲はどんどん拡大していった。
だから、オバマはミサイル供与が不可能となった時点で、直ちに強引にでも停戦に持っていくべきだったのだ。

というのが、今の私の感想。
をご参照ください。



赤旗で日本エネルギー経済研究所の保坂さんという理事の方にインタビューしている。
ある意味で、小泉大介記者を差し置いての記事だけに、相当の覚悟で載せたものと思われる。
この記事で一番注目されるのは以下の段落。
(これまでアルカイダが国際テロ作戦を展開してきたのに対し、「イスラム国」はイラクやシリアの非シーア派政権をジハードの対象としてきた。しかし8月初旬に有志連合が空爆を開始して以降、「イスラム国」自らが国際テロを加え二本柱の戦略をとるようになった)
空爆で「イスラム国」を根絶させることは不可能ですが、彼らの勢力範囲が今後も拡大していくことは考えづらく、戦線が膠着する可能性が高いと思われます。
要するに長期戦の覚悟をせよということだ。
その際に問題となるのは、「人、モノ、金」だろう。この三方から兵糧攻めする戦略が明確化されなければならない。モノ=兵器は、ひとつは旧フセイン政権の置き土産であり、もうひとつはシリア内戦においてスンニ派諸国からシリア反政府派に渡った武器であろう。これはいずれは尽きると思われる。
ヒトは基本的にはそれほど主要な問題ではないが、イラク(サマラ・ファルージャあたり)のスンニ派から相当数がリクルートされている可能性があるだろう。
カネは、湾岸諸国からそれほど回ったとは思えない。モスルの油田からの上がりが大きなウエイトを占めていると言われるが、どうも実証性に欠ける。
以上から考えられるのは、「イスラム国」にさしたる実体はないということだ。イラク国内に積もった“恨み”を解消し、政治戦線を整理することがもっとも重要だということだ。
イラク国内のスンニ派がシーア派主導の現イラク政権に対して反感を持つのは当然だし、ある意味で正当でもある。ここで挙国一致政権がどれだけ実績を挙げ、スンニ派国民の支持をかちとるか、最低でも中立化させられるかどうかが勝負の分かれ目だと思う。
イラクのスンニ派の人々は元々決して原理主義ではない。むしろイスラム国やアルカイダに対しては反感を持っていると考えられる。彼らを「イスラム国」の側に追いやったのはアメリカとシーア派だ。
クルド人も両派の対立を利用して抜け駆けを計ったから、反感を持たれても仕方ない。クルド民族の高度な自治の要求はそれとして、「イラクは一つ」の線でまとまるべきだ。
ただしそれだけではシリアの問題は解決しない。それはそれで別の面から作戦を立てるべきだ。
それにしてもブッシュのアメリカがいかにイラクを蹂躙したか、いかに国民同士の反目をもたらしたかが、いまさらながらに実感される。「ファルージャの恨み」はどこかで晴らされなければならないのである。

なんともやりきれないニュースだ。
シリア政府軍が反体制派に対する攻撃を強化、過去36時間で200回以上の空爆を行った。
これは「シリア人権監視団」が21日に発表したもの。
監視団によれば、政府軍の空爆はダマスカス近郊や第二の都市である北部アレッポを始め全土におよんでいる。ドラム缶など円筒形の容器に火薬や石油などを詰めた通称「たる爆弾」も盛大に用いられているようだ。
シリア政府軍はこれまで「自由シリア軍」など反体制派武装組織と「イスラム国」など過激派組織の双方に攻撃を行ってきた。しかし米軍がシリアの「イスラム軍」への爆撃を行うようになってからは、反体制派への対応に「専念」できる状況となった。
2011年3月以来のシリア内戦では、これまで19万人が死亡し、全人口の半分に当たる970万人が難民となっている。
アサド政権退陣を求め反体制派を支援してきた米政府は、深刻な矛盾に直面している。
というものだ。
私は、結局米国の中東戦略がイスラエルの国益に沿った形でしか展開されていないところに、究極の問題があると思う。
シリアがずたずたになりイラクの紛争が泥沼化することで、もっとも政治的な利益を得るのはイスラエルにほかならない。


ガザのビサン動物園がひどい状況だそうだ。

イスラエルとの戦闘で大きな被害が出たパレスチナ自治区ガザでは、動物園の動物たちも悲惨な状況に置かれていた。
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園内の建物や檻は壊れ、地面には爆弾による直径十メートルほどの穴も残る。飼育舎の間の焼け焦げた草の上には至る所にサルなどの死骸が散乱する。別の檻では飢えた2頭のライオンの前にクジャクの死骸が横たわる。

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獣医のアルヒシさんは、オスのマントヒヒを指さして言った。「傍らにあるのはメスと子どもの亡きがら。時々触りながら泣くような声を上げるのです」

メスと子は金属片が当たり死んだ。以来人間を寄せ付けず、遺骸を取り除こうとすると激高する

「ひどい状況だ。動物たちを檻から出して清掃することもできない。多くは汚れて弱っているが、ほかに移す場所もない」
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この動物園は2008年、サッカー競技場や遊園地と共に建設された。ライオンやワニなど約80頭がいた。エジプトとの境界に作られた密輸トンネルを通じて持ち込まれた。子供たちに人気となり、連日数百人が訪れていた。

しかしそうした施設のほとんどは、イスラエルの空爆で破壊された。

これまで2100人以上が死亡し、多数の住宅などが破壊される中で起きている事態なのだということを忘れてはならない。死者の大半が民間人で、中でも400人以上の子どもが含まれている。

人間は、サルやクジャク同様にガザという檻に閉じ込められ、なぶり殺しにされたのだ。

(毎日新聞、CNNニュースより)

「イスラム国」を調べる。

かなりの大仕事になりそうなのを覚悟で、「イスラム国」について調べてみる。

グーグル検索の上から順に行く。

最初はハフィントン・ポストの8月22日付記事 「イスラム国」が警戒すべきイスラム過激派だとわかる「驚愕のデータ」

「イスラム国」(IS)は、アルカイーダの分派で、以前はISISと称していた。3万から5万の戦闘員を擁していると推定される。その多くが元イラク陸軍兵だが、海外から来た者も多い。ある報道では1500人はイギリス国籍だという。

彼らはシリア陸軍を奇襲し、大量の物資や武器弾薬を奪った。ついでモスルを占領して、複数の銀行から数億ドルの現金を強奪した。またイラク陸軍からも数億ドル相当の軍事物資を手に入れた。

「イスラム国」は複数の油田やガス田を支配下に置き、闇市場で石油とガス資源を売り、1日あたり300万ドルの収入を得ている。

次もハフィントン・ポストで8月30日付の記事 イスラム国の恐怖支配が終わりそうにないことがわかる「仰天データ」

8月19日、「イスラム国」はアメリカ人ジャーナリストを処刑し、その動画を公開した。首を切り落とした男はロンドン出身者とされる。

難民の数は相当ばらつきがあり、国連(人権理事会)が120万、UNHCR が50万人と推計している。

次が8月29日付の記事 「イスラム国」とはどんな過激派組織か? 宮田律氏「日本も無関係ではない」

「イラクの聖戦アルカイダ組織」(懐かしのザルカーウィ)出身者らで構成される。最高指導者はアブ・バクル・バグダディ。

かつては「イラク・イスラム国」を名乗ったが、11年以降、シリア内戦に介入して「イラク・シリアのイスラム国」に改名。

2014年2月、シリアからの撤退命令を拒絶しアルカイダとの関係を断絶。シリア東部を制圧した後、同年6月、イラク西部や北部へ一気に侵攻した。

イラク第2の都市モスルを制圧後、イスラム国家の樹立を宣言して、名称を「イスラム国」とした。

8月に入って、クルド人自治区の主要都市アルビルに迫った。これに対しアメリカ軍が介入し、空爆を開始した。

これでハフィントンポストを終わり、次はウィキペディア

歴史がかなり詳しい。

2000年にザルカーウィがヨルダンで結成したのが「タウヒードとジハード集団」で、2003年にイラク戦争が始まるとイラクに潜入し、「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗った。

2006年にイラク人民兵の主流派と対立し、他組織と統合。「イラク・スラム国」を名乗る。これは組織の主体が外国人義勇兵であったためとされる。

以降、イラク各地で爆弾テロを繰り返してきた。

2013年にシリアのアル・ヌスラ戦線と合併し「イラクとシャームのイスラーム国」に改称、シリア内戦への関与(とくに自由シリア軍への攻撃)を強める。

アルカイダのザワヒリは、シリア干渉を認めず解散を命令したが、「イスラム国」はこれを無視して活動を続けている。

2014年2月、アルカイダは「イスラム国」とは無関係であるとの声明を発表している。シリア反体制活動家は、「アサド大統領よりも酷い悪事を働いている」と語っている。


とりあえず、このくらい分かればよいか。

酒井啓子さんの岩波ジュニア新書「中東から世界が見える イラク戦争から“アラブの春”へ」を買ってきて読んだ。
おっしゃることはいちいちごもっともで、大変参考になる本だ。
しかし、やはりすかっと胸に落ちるわけではない。それは酒井さんの責任というより、世の中がそうなっているからだろう。
政治状況の分析だけではダメで、やはり経済構造の分析に踏み込まないとダメなのかなぁという感じもする。それも一般的な分析ではなく、国内ブルジョアジーの経済的支配を構造的視点から見ていかないと、見た目の近似に振り回されてしまう。
同じように都会の学生やインテリに毛嫌いされたベネズエラのチャベスと、タイのタクシンと、トルコのエルドアンと、エジプトのムバラクは同一視出来ないだろうし、そもそも権力基盤が全く異なる。

イスラミズムについては、それを支持する社会階層の具体的な分析に基づいて評価しなければならないことは言うまでもない。場面場面で共同して闘う必要もあろうかと思う。
とは言いつつも、「世界観」というか、もっともエッセンシャルなレベルでは、やはりそれは否定されるべきものだと思う。西欧的な民主主義の概念を器械的に対置すれば良いという問題ではないが、それが前世紀の遺物であることも間違いない。
イスラミズムは社会の犯した罪に対する罰として提示されているにすぎない。せいぜいが「真正社会主義」にしか過ぎない。少なくともイスラミズムそのものに世界と歴史を前進させる力はない。

左翼勢力が民衆に寄り添うことを忘れてしまったために凋落したという指摘は、ある程度あたっていると言わざるをえない。ただ、民族派政権や軍との癒着の問題はそれとはちょっと異なると思う。むしろそれはソ連への盲従の結果であった。

然るがゆえに、彼らは都合の良い時は重用されたが、要所要所ではしっかり弾圧されている。なぜなら彼らは民衆に寄り添うことを忘れはしなかったし、放棄もしなかったからだ。

彼らが外国勢力に対し自主的な態度をとり続けているならば、いまからでも決して遅くはない。望み無きにあらずと思う。

カイロには我が赤旗の小泉記者の他に、東京新聞も特派員を配置している。

こちらの見出しは「イラン、アバディ氏支持 イラク首相候補 マリキ氏見限りか」となっている。

イラン国営のアラビア語衛星テレビ・アルアラム(電子版)によると、イランのザリフ外相は、イラクのマスーム大統領が新首相候補に指名したアバディ氏に、「挙国一致政権」を早期に樹立するよう求めることで一致した。

イランが事実上、アバディ 新首相の誕生を支持した形。マリキ首相からの政権交代が進む可能性が高まった。

…AFP通信によると、米国やフランス、トルコなど各国も相次いでアバディ氏の新政権樹立を歓迎する姿勢を表明。マリキ氏は三選を目指す構えを崩していないが、国際社会の退陣圧力が強まる中、権力の維持は難しい

…シーア派を偏重してきたマリキ氏に対するスンニ派勢力の反発は強い。さらに、シーア派からはスンニ派の過激派組織「イスラム国」の進攻を招いた責任を問う声も上がり、新政権が樹立できない状態が続いていた。

バグダッド在住の政治評論家ハダド氏は…「イランは、隣国のイラクを不安定化させるマリキ氏よりは、アバディ氏を支持する方が得策だと判断したのだろう」と話している。

ただ、赤旗の小泉特派員は、そのことよりも、政権移行がスムーズには行かないだろうとの見方を強調している。

首都バグダッドには首相指揮下の軍精鋭部隊が展開するなど、不穏な動きも出ています。

さらに現在米軍が「イスラム国」に対する空爆を実施していることから、スンニ派も取り込んだ新政府づくりが順調に進むかどうかは不透明です。

東京新聞の記事はアル・アラムの記事とAFP電をつなぎあわせたもの。ひょっとすると小泉記者の方が、より現場に近い雰囲気を報じているのかもしれない。


WSJ はこれら二つよりはるかに詳しい。

1.イランが、イラク大統領がアバディ連邦議会副議長を新首相候補に指名したことに支持を表明した。

2.これはイラン最高安全保障委員会のシャムハニ事務局長の言明である。

3.最も強力なシーア派武装勢力「アサイブ・アフル・ハック」を含む各政治グループは国民に冷静さを求め、その多くがアバディ氏の指名を歓迎した。

4.11日に治安部隊がバグダッドに展開した。各派は、マリキ氏が武力に訴えるのではないかとの懸念を高めた。

5.12日になって、マリキ首相は、政治的対立に関与しないよう治安部隊に命じた。

6.最近マリキにより解任されたゼバリ外相(クルド人)は、「彼が何を隠し持っているか分からない」と警戒する。

ということで、イランのアバディ支持は重要な分岐点ではあるが、決定的なポイントではないということのようだ。

イラク情勢が急速に動き出した。
結局、マリキ退陣と和解政府の樹立で収まることになりそうだ。
急変の最大の理由は、イランの方針転換。
シリアのアサド支援に始まった介入政策は、イランにとって一つもいいことはなかった。
結局、小手先の外交ではダメだということがようやく分かってきたのだろう。
イラン革命以来、イランの外交は大本では間違っていなかった。
反米・自主の基本は揺らぐことなく続けられている。イスラム原理主義を掲げつつも、(最低限ではあるが)節度は保たれていた。
ただ近隣外交では宗派問題に引きずられ、「敵の敵は味方」的な近視眼に陥りがちであった。
それが米軍撤退後の戦略を完全に読み間違えた。そしてシリア問題で決定的な齟齬をきたした。
シリアは泥沼化し、そのなかでアルカーイダが勢力を伸張し、イラクの抗争にも干渉するようになった。
決定的なのは、アメリカが空爆に乗り出したことだ。
マリキを支援し続ければイラクもまたシリア化する。そうなった場合イランは二正面を戦えるのか。とくにイラクの場合、アメリカは間違いなく制空権を掌握するだろう。
であれば今しかない。マリキを切り、スンニ派と妥協を図り、アルカーイダを孤立させる以外の道はない。そうしなければシリアも共倒れとなる。イランは中東の孤児となる。

問題はアバディが首相に就任した後だ。イラクをどうするかとか、シリアをどうするかというのでなく、中東地域でイランがどのような立ち位置をとり、どのような構えを示すのか、また核問題でどこまで立場を鮮明にするのか、そういう国家としてのグランド・デザインが問われることになるだろう。


これで一段落ということになるのだろう。シシが新大統領に当選した。
いままでは書きにくいから書かなかったが、一応の総括の時期に入ったようだ。
選挙については3つほど特徴を上げることができる。
1.投票そのものは、ほぼ平穏に行われたこと。市民はこれ以上の混乱を望んでいないことの現れだろう。左派も自覚的に非暴力を貫いた。
2.しかし投票率は50%に満たなかった。シシと軍部への不満と警戒は深部に渦巻いていることを示す。
3.左派の対立候補は惨敗した。これは主として左派系の人々が投票という行動よりも棄権(平和的ボイコット)という形で意思表示したことを示す。

それで、2011年1月以来の流れのなかで現在の状況を見てみると、
1.決して振り出しに戻ったわけではない。ムバラク体制が否定され、イスラム原理主義も拒否された。その上での新体制だということは見て置かなければならない。
2.新体制がムバラクなきムバラク体制だとは言い切れない。もともとサダト・ムバラク体制はナセリスト政権の変質・堕落したものだった。軍にはナセルの伝統が生きている可能性がある。(左派の対立候補も元はナセリスト左派であった。もっともナセルも革新的・進歩的ではあったが、決して民主的ではなかった)
3.軍は無傷で残ったが、タハリール広場を埋めた青年の運動も(無傷ではないが)しっかりと残っている。そして「アラブの春」を是と捉えるコンセンサスは厳存している。

などをしっかり踏まえる必要がある。
そのうえで、いくつかの残された問題をあげておく。

1.民主的選挙で選んだ大統領を短期間のうちに非民主的手段で打倒したというスティグマ。
2.原理派の政治活動に対する徹底的弾圧という、それ自体が非民主性をはらんだ政治姿勢。(シナイ半島のアルカイダ系ゲリラへの対応をふくめ)
3.ムバラクの新自由主義的改革路線を継承するのか、それと対決するのか。

以上、本日の赤旗での鈴木恵美さん(早大イスラム研)のインタビューを読んでの感想である。

WSJの報道で、注目すべきものがあった(本日付赤旗が紹介)。

サウジアラビアがシリアの反体制派に対し、航空機を撃墜できる携帯型の地対空うミサイルをふくむ高性能兵器を供給することで、サウジや米国、反体制派側が合意した。

米国はSAMがイスラム過激派の手に落ち、米航空機へのテロに使われるのを警戒し、供与に反対してきました。

ジュネーヴ協議が不調なのを受け、容認したもの。


私は以前、北部戦線で反政府勢力がSAMで政府軍機を次々に撃墜し始めたとき、「これで勝負あったな」と思った。

2012.12.6 シリア: 戦況は反政府側優位に

地上軍だけなら政府軍は怖くない。歩兵がビビっていたら、戦車単独では勝てない。長距離砲だって歩兵に守ってもらえなければゲリラの夜襲の餌食だ。

緒戦の圧倒的優位にもかかわらず、反政府軍がその後劣勢に向かったのは、ひたすら航空機に対する防衛ができなかったからだ。

あの時のSAMはきっとトルコ軍やエジプト軍の横流しだったのだろうと思うが、その金を払ったのはサウジやカタールの金持ちだったのだろう。

それがある時期を境にぷっつりと止まってしまった。おそらく米国の圧力だったのだろう。

アメリカは反アサド派の武力闘争を支持していたはずだが、テロリストに武器が渡らない保障がとれなかった。

今回アルカイダが勢いを増してきて、このままでは反政府派が消えてしまう事態となったとき、ようやく重い腰を上げた。

反政府派に因果を含めて、アサド退陣要求を降ろさせた。そして一定の和らぎを背景に反政府派の勢力回復を狙った。

しかしアサド側はこれを反政府派の敗北宣言と見て、さらに高飛車な態度に出てきた。

アメリカにしてみれば、結局イスラエル情報部の情報操作に踊らされただけのことになる。

いまこそ、アメリカはみずからのスタンスを持たなくてはいけない。反政府側に必要な武器を供与し、軍事バランスを変えなくてはならない。
アルカイダやテロリストの心配はその後の話だ。そもそも反政府勢力とアルカイダとの関係については、すでに誰の目にも明白になっているではないか。

ただ、今回の事態で良かったのは、ネオコン=ユダヤ・ロビーのなすがままの中東政策が完全に破産したということである。米国が今後、独自の主体性を持って、もう少しマシな中東政策を展開することに期待したい。

シリアの和平会談が始まった。
最大の意義は「自由シリア」など反体制勢力が交渉のテーブルについたことであろう。
軍事的には反体制派は追い詰められている。2年前には考えにくかった構図だ。理由ははっきりしているので、補給線が絶たれたのだ。しかしその理由がはっきりしない。
反体制派が北部のアレッポを確保して、ミサイルで政府軍機を落とし始めたとき、私はこれで勝負あったな、と思った。しかしその後ミサイルの話しはとんと消えた。
誰かがミサイルを供与し、途中で供給を止めたのだ。

誰か? 直接には分からないが、イスラエルが関与していることは十分考えられる。

近代兵器を供給できるのはアメリカ・イスラエル・トルコの三国だ。
以前にも述べたが、アメリカの中東軍事政策は、ユダヤロビーを通じてイスラエルの意向を受けている。トルコは、政府がどうだろうとトルコ軍はアメリカの指揮の下にある.

イスラエルは最初は反対派を炊きつけて、アサド政権を解体することは利益になると思った。レバノン国境で一番の脅威はヒズボラであり、一度ならず痛い目にあっている。
イラン・シリア・ヒズボラとつながる線を何処かで断ち切りたいのはよく分かる。

しかし自由シリア軍にカタールあたりが肩入れするようになり、スンニ派の影響力が増してくると、これはこれで、また困ったことになる。

というふうに読んだのだが、どうだろう。

いずれにせよ、反体制派に勝ち目はない。しかもこのまま戦闘が続けば、反体制派が壊滅する代わりにアルカイダが北部・東部にミニ国家を形成することになる。

アサド政権が残り、イラン・シリア・ヒズボラ回廊が無傷のままで、さらにイラクを聖域とするアルカイダのミニ国家が登場するのでは最悪だ。

これが、アメリカ(イスラエル)が和平会談を強引に実現した背景ではないだろうか。

それでは落とし所はどうなるのか。

おそらく「自由シリア」と反体制派の聖域確保と自衛能力の維持ということになるだろう。その上で、アルカイダのシリアからの駆逐を図ることになるのではないだろうか。

今朝のNHK衛星放送に放送大学の高橋教授という人が出てきて、「和平の実現には時間がかかるだろう」と言っていたが、必ずしもそうとはいえない。

基本的には障壁は「自由シリア」にアサド政権の存続を認めさせるだけのことだ。これは所詮亡命政権だから、赤子の手を捻るようなものだ。
国内で闘っている連中には、アルカイダとの闘いに必要な武器に限定して供給すると約束すれば良い(もちろん裏約束だが)

まったく素人の観測に過ぎないが、ニュースや解説でこういう評価にはお目にかかったことがないから、一応旗はあげておくことにする。

18日にイランのロウハニ大統領がCNNとのインタビューで注目すべき発言を行った。
1.イランはいかなる場合でも、決して核兵器開発を行わない
2.核疑惑問題では、ハメネイから交渉の全権を委任されている。
3.「核開発が疑問の余地なく平和目的であることが実証できれば、問題解決の用意がある」とのオバマ発言を評価する。
4.シリアに関しては、「シリア国民が選択する指導者」を支持する(アサドには固執しない)。

中東諸国の最終的な戦略目標は、イスラエルの押さえ込みにある。そのためのアジェンダで、今一度、内部矛盾を克服して質の高い統一を成し遂げることにある。
とくに核問題で、イスラエルをふくむ中東非核地帯を実現することがカギを握っていると思う。

イランの核疑惑も、そのために避けて通れない課題の一つだ。


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